20220217勝手にハイキング「四日市博物館で”昭和のくらし 昭和のおもちゃ”展を見て、鵜の森公園」へ
岐阜方面で大雪になるという予報で、桑名あたりもときどき雪が舞う1日でした。氷点下まで冷え、さあ出かけようかという頃になって、ちょっとした吹雪になりましたが、めげずに予定通り、四日市市立博物館と鵜の森公園に行ってきました。博物館の開館時間に合わせて、桑名駅を9時22分に発車する松阪行き急行に乗車。近鉄四日市駅に9時34分着。¥500。四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展と、丹羽文雄記念室、時空街道などの常設展示を見てから、鵜の森公園へ。ここは、浜田城跡で現在は、泗水庵という茶室と鵜の森神社があります。帰りは、近鉄四日市駅を12時51分に出る名古屋行き急行で、桑名には13時3分着。最高気温は6.4℃でしたが、強風で寒い1日。同級生K氏と出かけてきました。
四日市市立博物館です。ここは、県立四日市工業高校の跡地。昭和57(1982)年8月までここに四日市工業高校がありました。今は、博物館、じばさん三重、アピタの他、市民公園となっています。博物館には、もう何度も来ていますが、今日は、「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展が目的。毎年、1~2月に昭和をテーマにした展覧会が開催され、必ずといってよいほど見に来ています。例えば、去年は、「昭和のくらし-昭和の風景-」を見ています(2021年2月2日:散歩から四日市市立博物館「昭和のくらし」展へ)。
令和の現代、われわれはとても便利な生活を送っていますが、その出発点は昭和30年代といえます。日本は高度経済成長に向かい、電化製品が少しずつ家庭にも普及してきました。今回の展覧会は、この高度経済成長に向かう昭和30年代と、電気・ガス・水道がまだまだ家庭では十分に使えなかった昭和初期を中心に「くらしの道具」が紹介されています。また、「懐かしいおもちゃ」がもう1つのテーマになっています。おもちゃは、生活必需品ではありませんが、潤いを与えてくれ、情操を豊にしてくれる大切なものです。おもちゃには時代背景も反映されています。今回の展覧会では、フラッシュを使わなければ写真撮影可でしたので、あれこれと写真を撮ってきましたので、いくつかを紹介します。
展覧会の入り口にあったのは、自転車。詳しいことは知らないのですが、「実用車」といった気がします。「工藤商店」とあるように、おそらくお店の配達などに使っていたもの。昔ながらの前掛けも並んでいます。
こちらは、ソノシートとそのプレイヤー。ソノシートは、塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード。子どもの頃、雑誌の付録によくありました。写真では、「狼少年ケン」のソノシートが写っていますが、このあとやって来た小学生の団体がこれを聞いていました。ちなみに、「狼少年ケン」は、NETテレビ(現在のテレビ朝日)ほかで放送されていたのモノクロテレビアニメでした。
懐かしいおもちゃその他が多数ありますので、キリがありません(苦笑)。左の写真には、めんこ、お手玉、日光写真、レゴブロック。「めんこ」は、私が育ったところでは、なぜか「けんぶっちゃん」と呼ばれていました。由来は分かりません。地面にめんこを置き、別の者が別のめんこを叩き付けて、あらかじめ地面に置かれためんこが裏返ると、たたきつけた方がそれをもらうという遊びでした。日光写真も、よく遊びました。雑誌の付録にもありましたし、駄菓子屋とかでも売っていたかも知れません。青写真ともいい、おもちゃの日光写真は、何日かすると画像が消えてしまったと思います。
この写真の中央に写っているのは、ポンポン船。もともとは、焼玉エンジンを用いた実用の船の通称(エンジン音の擬音に由来)でした。子どもの頃住んでいた西三河のある町から、海を挟んだ対岸の町まで名鉄が運行するポンポン船が通っていました。作動音が似ていることから、水蒸気の圧力で推進力を得る船舶玩具もこのように呼ばれます。ボイラーを加熱した時に発生する水蒸気で内部の水が噴射されてその反動で前進します。内部の水蒸気が負圧になるまで慣性で排出が続きますから、排出が止まると水が逆流して内部に入り、この吸入された水が加熱されて、また噴射が起きます。これが繰り返されて船が前進します。玩具では蝋燭で加熱します。学研の「科学」の付録にもあったと思いますし、その復刻版が「大人の科学」にもありました(こちら)。
キリがありません(笑)。「くらし」の方へ。これは、昭和初期の食卓周りの光景ですが、私が子どもの頃も、こういう感じは残っていました。テーブルは、ちゃぶ台。「ちゃぶ台返し」の「ちゃぶ台」です。四本脚の食事用座卓をいいます。「巨人の星」にも出て来ました。これでご飯を食べていました。中央に穴があいて蓋がかぶっていますが、ここには七輪などを入れられた記憶があります。手前にあるのは、お櫃と、それを保温するために藁でつくられた「お櫃入れ」(地方によっていろいろの呼び方があるようです。ネットで調べると、「ふご」とか、「飯櫃畚(めしびつふご)」という名前が出て来ます)。子どもの頃、何と読んでいたか、今は思い出せません。
電話機。以前にも何度か、笑い話のように書きましたが、今はもう「黒電話」が博物館の展示品になっています。プッシュフォンもならんでいますから、黒電話はすでに「歴史上のもの」なのでしょう(爆)。学生時代、実家に住んでいた頃や、独身時代は、この黒電話を使っていました(平成の初めまで)。日本電信電話公社が、日本電信電話株式会社(NTT) へと民営化されたころから、次第に電話機を家電店で買うようになり、黒電話が姿を消していった記憶があります。「黒電話」のリンク先に記述がありますが、「平成生まれは黒電話が使えない」という話もあります。ちなみに、我が家の子どもたちは平成生まれですが、家内の実家に未だに現役の黒電話がありますので、使えます。
こちらは、豆炭行火(まめたんあんか)。1月23日の記事のオマケの話に、家内の実家で豆炭を見つけた話を書きましたが(2022年1月23日:鳥はおらず、ビンズイくらい……町屋川を偵察したものの、水鳥は少なし)、それを使う暖房器具。行火は、Wikipediaに説明があります。冬の寒いとき、ふとんに入れて使いました。暖房器具として、もう1つ。ハクキン懐炉。正式名称は、「白金触媒式懐炉」。懐炉についても、Wikipediaに説明があります。携帯懐炉で、ベンジンを低温で酸化分解させ、その際の反応熱で温めるもの。小学生の頃、冬になると、朝、親父が用意してくれ、学校に持って行った記憶があります。今でも「ハンディ・ウォーマー」といった名前で売られています。
昭和の小学校の教室を再現したところ。手前にあるのは、謄写版(とうしゃばん)の機器など。いわゆる「ガリ版」。小学校の頃、先生たちがこれでプリントなどを印刷していました。「ガリ版を切る」ということばがあったと思います。孔版印刷技法の1つ。先生たちは、原紙(パラフィンなどを塗った「ロウ原紙」)をヤスリ盤に置いて、鉄筆で原稿を書き、それを謄写版にセットして印刷していたのです。ヤスリ盤の上の原紙に鉄筆を走らせるとき、「ガリ、ガリ」というような音がしたので、「ガリ版」と呼んだのです。放課後、先生がガリ版を切るのを眺めていたことがあります。
昭和時代の路地あたりの風景。板塀にホーロー看板があり、その前には、縁台。夏には、庭先や、家の前の道にこの縁台を出して夕涼みをしていました。写真では、将棋盤が写っていますが、「縁台将棋」ということばもありました。私の思い出は、夏、家の前の道に縁台を出して、夕涼みをしていると、親父が近くの八百屋さんにかき氷の配達を頼んでくれたということ。八百屋の親父さんが、岡持ちにかき氷を入れて持ってきてくれたのを今でもよく覚えています。向かって左側の壁は、トタン板でできていました。これも懐かしい。奥には、駄菓子屋が見えます。これも、子どもの頃、10円玉とか、せいぜい50円を握って通ったところ。輪足が育ったところでは、駄菓子屋さんで味噌味のおでんを売っていて、それは「関東煮(かんとに)」と呼んでいました。
さて、ここは、四日市市立博物館の時空街道。前にも何度か載せたことがあります。四日市の原始・古代から江戸時代までの歴史が展示されています。私はすでに何度も来ていますが、そのたびに楽しめます。旅籠や、焼蛤屋も再現されています。桑名でも、右の写真のようにトラディショナルな焼き方で「その手は桑名の焼き蛤」を売ったら、人気が出ると思うのですがねぇ。
時空街道でとくに気に入っているのは、こちらの荷物を運ぶ馬。江戸時代の馬は、このように草鞋を履いていたというのが、気に入っている理由(微笑)。
博物館の見学を終えて、鵜の森公園へ。ここは、浜田城跡です。15世紀後半、この地を治める田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって築かれたのが浜田城です。田原氏は、もともと上野国赤堀庄(こうづけのくにあかほりのしょう)に住んでいましたが応永年間(1394~1428年)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたとされます。「伊勢軍記」によると、その後、織田信長の家臣、瀧川一益に攻められ落城、子の重綱は城を脱出し、織田信雄に属していましたが、羽柴秀吉と信雄の合戦で討ち死にし、浜田家は滅んだとされます。
城跡には、鵜の森神社があります。鵜の森神社は、文明年代(1400年代)から浜田城主・田原家が崇敬した社だそうです。元は江田神社あるいは鵜森大明神と称していたといいます。江田神社という名称は、江田川、江田町等の旧地名に由来すると言われ、また、「鵜森」の語源は、昔、このあたりが松林の続く海岸で、海鵜が多く生息していた森ということに由来しているようです。境内には、浜田上があった頃の土塁も残っています(右の写真)。
土塁のあるところに「みえの樹木百選 サイカチ」という掲示板がありました。「サイカチ」は、マメ科の落葉樹。古くはカワラフジノキ(河原藤木)といい、川や沢沿いなどの水辺に自生するそうです。ここには3本のサイカチがあり、そのうち1本は、県下で自生するサイカチでもっとも大きいといいます。
鵜の森公園の西側エリアには、四日市出身の作家・丹羽文雄の句碑があります。「古里は 菜の花もあり 父の顔」という、丹羽が36歳の頃の句だそうです。昭和62(1987)年5月に除幕しました。丹羽文雄は、この鵜の森公園からもほど近い真宗高田派の崇顕寺が生家。「歩いて伊勢参りツアー」でも尋ねています(2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ)。
さらに泗水庵。お茶室。コロナが落ち着いていれば、抹茶とお菓子がワンコイン(¥500)でいただけます。これで今日の目的は、コンプリート。
昼食を食べて帰ることにし、スワマエ商店街へ。昨年の「歩いて伊勢参りツアー」でも通ったところ(2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。ブラブラしながら、探したものの、ピンとこず。そのまま諏訪栄の商店街方面へ。
見て歩いていたら、「寒かったから暖かいものにしよう」ということで、東京荻窪ラーメン・えびすや四日市店へ。ここで、「おぎくぼラーメン」(¥795)。ミックスされたスープでしたが、意外とサッパリしており、美味しく食べてきました。
近鉄四日市駅は、近鉄百貨店四日市店と同じビルにあります。「土産をどうしようか?」と近鉄百貨店をウロウロしていたら、銀座木村屋の出張販売の店の前に出て来ました。今朝の中日新聞に、木村屋が、近鉄百貨店四日市店で出張販売をするという記事があったのが頭にあったかも(微笑)。「季節のあんぱん」5種類の詰め合わせが、¥1,182でしたので、これをゲット。
今日は、往きに銀行、帰りにアピタ桑名店に立ち寄り、歩いたのは5.6㎞。歩数も、11,096歩と普段の散歩並でした。今日は、短時間ではあったものの、しっかり楽しんできました。明日は、天気がよくなるという予報。いつもの散歩コースへと思っています。
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