20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その2)……杖衝坂で日本武尊や芭蕉に思いを馳せ、采女一里塚跡から鈴鹿に入り、自由が丘でランチ
2月5日に行ってきた「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その2です。その1では、四日市あすなろう鉄道・追分駅をスタートし、寺めぐりをして内部川を越えました。采女の町を南に歩いて、金刀比羅宮に道中安全を祈願し、うつべ町かど博物館からいよいよ、この日のハイライトである「采女の杖衝坂」を登ります。ほぼ登り切るところに血塚社。その先は平坦な道になり、采女一里塚跡を過ぎ、坂上近くで国道1号線へ。ここが旧東海道になります。采女一里塚跡石碑を眺め、豊富稲荷神社へ。
金刀比羅宮です。香川県 琴平町の象頭山にある金刀比羅宮から勧請されたものと思われますが、ネットで調べても、ガイドブックを見ても、とくに情報はありませんでした。金刀比羅宮の御祭神は、大物主神(大国主命の別名、実際は三輪氏の祖神です。蛇神、雷神でもあり、農耕神でもあります。三輪山の山の神で、大神(おおみわ)神社の祭神)と崇徳天皇(第75代の天皇 、在位は1123~41年)です。古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されていました。難所として知られる杖衝坂を登る前に、道中安全を祈願してきました。
金刀比羅宮で左折するとすぐにうつべ町かど博物館があります。残念ながら、この日は閉館日。内部地区の歴史と文化をテーマに、四日市市が所蔵する貴重な埋蔵文化財(一時借用)と地域の皆さんから提供いただいた建物施設や資料を基につくり上げた手づくり博物館です。私は、令和2(2019)年3月2日に近鉄ハイキングで訪ねました(2019年3月9日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(その3)……普賢菩薩、采女八幡社、内部地区市民センター、うつべ町かど博物館から杖衝坂、芭蕉句碑、血塚社を経て内部駅へゴール(完)【スタンプを追加(3/9)】)。
さぁ、これからいよいよ「杖衝坂」を登っていきます。金刀比羅宮の手前で標高は19m(キョリ測によるデータ)。このあと参拝する血塚社のところで同じく41mになります。高低差は20mあまり、勾配は21度あるとか(こちら)。坂の上までの距離約100mで、東海道の道筋の中でも急坂となっているとか(こちら)。大正末期、この坂を自動車が登り切れないので、坂の下の民家の牛の力を借りて登ったというエピソードが残されているとか。ここは、日本武尊伝説地の一つにして、三重県では地名由来の説話として関係しています。日本武尊が、東国平定の帰途、伊吹山で荒ぶる神の祟りを受け、病にとりつかれてしまいます。大和に帰るため、伊勢国に入り、三重郡采女村あたりまで来たとき、急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったというのです。さらに、少し進んだとき、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになったとも伝えられています。これが、三重郡の由来。そして、亀山の能褒野にたどり着いたところで亡くなったので御陵をつくると、日本武尊は、大きな白鳥と化して、大和をめざして飛び去っていったというお話です。同級生K氏ともども、気合いを入れて行きます。
坂を少し登ったところに「史蹟 杖衝坂」の石碑、芭蕉の句碑、井戸2つと永代常夜灯があります。杖衝坂の石碑は昭和4(1929)年3月に建てられています。松尾芭蕉は、貞享4(1687)年に江戸から伊賀に帰る途中、ここを馬に乗って超えようとしたものの、落馬したとか。そこで一句、「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」。季語のない有名な句です。句碑は、宝暦6(1756)年、村田鵤州が杖衝坂の中ほどにこの句碑を建てています。明治の初期、坂ノ下の屋敷の庭園に移されたのですが、その後、所有者の厚志により再びもとの地に移設されています。ちなみに、「芳野紀行」には「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」とあり、苦笑して即吟一句を成したといいます。
永代常夜灯は、文化8(1811)年の建立。この常夜灯の脇(向かって左。左の写真にわずかに写っています)と、右にある芭蕉句碑の脇に井戸があります。坂の上手にあるのが「弘法の井戸」、下手(常夜灯の脇)のものを「大日の井戸」といいます。前者は、水に困っていた村人に弘法大師が杖で指し示したところを掘ったところ清水が湧き出したと伝わっています。後者は、坂の中腹にあった大日堂に備える閼伽水(あかみず;仏に供える水)を汲んだ井戸といいます。
さらに坂を登らねばなりません(苦笑)。杖衝坂を登り切ったところの東側に「血塚社(ちづかしゃ)」があるのです。鳥居の奥にある血塚の祠は日本武尊の血で染まった石を集めて葬ったとも、日本武尊が出血した足を洗い流したところとも伝えられています。承応年間(1652~54)の創建。
余談ですが、江戸時代には、この血塚社の前に、名物の饅頭屋があったといいます。坂を登って来たら、ここで一息つきたくなります。その気持ちはよく分かります。血塚社の先は、標高40~50mほどで日当たりがよいためか、あちこちで梅がよく咲いていました。
スタートから3.5㎞の手前、西側に更地の広場があり、そこに「東海道一〇一番目の采女一里塚跡」という説明板がありました。「采女一里塚跡石碑」は、この先、国道1号線の西にあるガソリンスタンドのところにあるはず、不思議だなと思って説明を読んで納得。采女の一里塚は、本来、このあたりにあったのです。戦後しばらく土盛した上に木柱が建っていたのですが、昭和30~40年代にかけて行われた国道1号線の拡張工事で姿を消しています。その後、昭和62(1987)年、郷土の文化遺産を残そうという地元・釆女町の取り組みに、地元企業が敷地と費用を提供して、国道1号線を挟んだ反対側、約100mのところに石碑を建てたそうです。つまりこの説明板がある辺りが、本来の采女一里塚跡です。
この説明板の先で、東海道は国道1号線と合流します。その西側にガソリンスタンドがあり、敷地の西の端にその「采女一里塚跡石碑」があります。ちなみに、四日市市内には、右の写真のような、分かりやすい「東海道案内板」が掲げられています。右の写真では、四日市宿、日永、小古曽、采女の地名や、主な名所、距離、現在地が表示されています。桑名でもこういう分かりやすい標識を立てて欲しいと、いつも思っています。
4㎞あたりに豊富稲荷神社。神社検索(三重)のサイトによれば、万延2(1861)年、伏見稲荷神社(京都)のから宇迦之御魂神の分霊を請い、創祀されています。旧釆女村杖突坂の上に鎮座したところから、旧号を杖突稲荷大明神とも称し、後に豊富稲荷神社と改称しています。別に文筆の守神として、乗馬天満宮(菅公)、ならびに目の神として平景清公を祭っています。菅原道真といえば、牛なのですが、Wikipediaを見ると「乗馬を好み、通勤は馬でおこない、讃岐での遠出や右近の馬場での桜狩りなど、趣味でも馬を走らせていたという。のちに、天神乗りという騎乗法が伝わり、馬術の師として祀られることになる」とありました。そのための「乗馬天満宮」なのでしょう。はよく分かりません。また、平景清は、各地で眼病の神として祀られているようです(たとえば、こちら)。また、眼病を患っていたとき目を清めたという井戸があったり、戦がもとで負傷した目が悪化し、旅の途中で目を清めるための名水を求め、ある井戸の水で目を洗ったところ、体中の疲れが取れ爽快な気分になり、さらに洗うと痛みも治まったりしたという話があるようです(こちら)。余談。豊富稲荷神社の近くには、参勤交代の大名を旅人が迎えた「土下座場」があったそうだと「ホントに歩く東海道」に書かれていました。
このあと、国道1号線&東海道は、四日市と鈴鹿の境目を歩いて行きますが、国分町交差点のところで、鈴鹿市に入ります。詳細なコースマップは、この辺からその3になります。鈴鹿市に入る頃、11時。延命地蔵尊を拝んで、ちょっと早いのですが、ゴールのJR関西線加佐登駅あたりに昼食を摂るところがありませんので、この道を下りきった自由が丘で昼食を摂り、石薬師宿に入っていきます。宿場の入り口に北町地蔵堂があり、その先で大木神社鳥居、小澤本陣跡、天野記念館と続きます。
国分町交差点で旧東海道は左に入っていきます。すぐに5㎞地点となり、そこに延命地蔵尊があります。旧道に入ってすぐ、左の写真のようにきれいに整えられた木々が見え、その向こうに延命地蔵尊と、単直庵という庵が並んでいます。右の写真で、向かって右が延命地蔵尊。左の小堂には、『単直庵』の扁額がかかって、阿弥陀仏が祀られています。由緒その他は、不明。
単直庵の堂脇に天保12(184
1)年に建立された「南無阿弥陀仏名号碑」が建っています。これもそれ以外の由緒は不明。その先の東海道は、人も車も少なく、静かで長閑な道が続いています。
昔のホーロー看板がそのままたくさん残っている古い家があったり、ロウバイが見事に咲いているお宅があったりして、退屈はしません。
再び国道1号線に出るのですが、国道1号線を地下通路で横断して西側へ。鈴鹿市内も、左の写真のように、旧東海道の案内板は、充実しています。西側は、自由が丘という地名。古くから(私が、国立療養所S病院で働いていた、今から40数年前にはありました)住宅団地。
このあたりで11時15分。予定通り、昼食にしました。このあたりには、食事処が何店かあり、その昔、けっこう頻繁に通ったり、出前を取ったりしていて、私にとってはちょっとしたセンチメンタル・ジャーニー(微笑)。レストランミヤコ(左の写真)、レストランスオー、とんてきの来来憲(右の写真、奥)など馴染みの店が今も健在で、嬉しいやら、懐かしいやら。
今回は、レストランミヤコで、日替わりランチ、¥990。魚のフライ、ミートボール、牛肉の煮物と、昔ながらの幕の内弁当。
詳しいコースマップその3の途中ですが、昼ご飯も食べ、お腹も満たされましたので、その2はここまで。その3では、石薬師宿、佐佐木信綱記念館などを巡ります。
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