お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年3月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年3月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »

2022年2月

2022年2月28日 (月)

今シーズン初の「ウメジロウ」……春の陽気で、ミツマタの花も咲きかけています

Img_3752c_20220228155101  春の陽気です。16℃を超えました。昼を過ぎてからは、北西の風になったものの、寒くはありません。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町商店街と6.3㎞。少し汗を掻くくらいでした。

Img_3938c_20220228155101  最初は、今シーズン初めての「ウメジロウ」です。「梅にメジロ」で、「ウメジロウ」。常信寺で、2羽のメジロが梅にやって来ているのを見つけ、100数十枚も撮ってしまいました(^_^) 俗に「梅に鶯」といいますが、梅に鶯はなかなかやって来ません。メジロは、梅の蜜を吸いに来ますので、撮影のチャンスが多くあるのです。

Uguisu  さらに、今シーズン初めて、ウグイスが鳴いているのを確認しました。ただし、まだまだ修行がかなり必要な鳴き方でした(つまり、はっきり書くと、「下手くそ」なのです)。こちらにYouTubeへのリンクを貼っておきます。離れていましたので、音量がかなり小さくなっています。耳を澄ませていただくか、音量を上げてお聞きください。

Img_3742c_20220228155101 Img_3747c  オマケに、陽気につられ、カメも甲羅干しに出て来ていました。これも、今シーズン初めて確認です。場所は、九華公園の吉之丸堀の東側、野球場の南あたり。左の写真は、イシガメか、クサガメか、はたまたそれと他の種類のカメとのハイブリッドか? 右は、ミドリガメ。

Img_3265c Img_3222c_20220228155201  さて、散歩の初めから。住吉入江に今朝いたのは、ホシハジロのオス1羽のみ。ヒドリガモは最近、ここでは見ませんし、オオバンもいませんでした。住吉神社近くにハクセキレイ1羽。住吉水門の外側には、コガモが合計15羽。うち10羽は、堤防に上がってお休み。5羽が、水門の壁面についた苔を懸命に食べていました。

Img_3298c_20220228155201 Img_3307c_20220228155201  揖斐川沿いや、七里の渡し跡にも鳥影は全くなし。三の丸公園で、ジョウビタキのメスと、ツグミが1羽ずつ。このところ、この2種類がよくいます。

Img_3325c_20220228155201 揖斐川には、カンムリカイツブリが、2羽。三の丸水門あたり、去年の今頃は、ヒバリがいたのですが(2021年2月23日:ヒバリのペアとホオジロのオスが登場)、今年はまだ見ていません。柿安コミュニティパークにも、鳥影はなし。「天気はよくて、暖かいのに、鳥はいないのか?」と若干不安になります。

Img_3420c Img_3593c_20220228155201  九華公園に着いても、静かで、不安が増します。いつもなら、北門あたりにいるスズメ、ドバト、ヒヨドリなどはいません。ホシゴイも不在。カワセミの鳴き声が聞こえた気もしたのですが、姿は見えません。しかし、奥平屋敷跡に近づいたら、イカルの鳴き声が聞こえてきて、一安心。イカルは、合計3羽がいました。これは花菖蒲園で撮った写真で、ここにはツグミもいました。うまい具合に、ツグミとイカルのツーショットも撮ることができました。

Img_3557c_20220228155201 Img_3488c_20220228155201  シメは、今日も、イカルと一緒に行動していました。シメは、2羽。奥平屋敷跡では、いつものモズのオスもやって来ました。他には、スズメ、ドバト、ムクドリ、ハシボソガラス。ハシボソガラスは、巣材を一所懸命に運んでおり、松の木の高いところに巣をつくっているようです。残念ながら、高いところで、松の葉の陰になっていて、巣はよく見えません。

Img_3699c_20220228155101 Img_3709c_20220228155101  カモは、58羽+α。ハシビロガモが16羽、ヒドリガモのメスが2羽にオスが1羽。他はキンクロハジロで、オオバンもいつものように、1羽。今日は、ユリカモメは、私がいた間にはまったく見られず。

Img_3767c Img_3778c_20220228155101  貝塚公園では、一応、シロハラを確認。もういなくなったかと思っていました。公園の西側の民家にも行っているようです。内堀公園では、ジョウビタキのオスが登場。新築公園には何もいませんでした。

Img_4016c Img_4026c_20220228155001  拙宅前の住吉入江まで戻って来たら、カンムリカイツブリ。水がきれいで、水面も穏やかでしたので、足までよく見えていました。オオバンなどと同じように、大きな足をしています。「弁足」といいます。この足だけで潜水できます。水中でのスピードもかなり速くて、驚きます。

Img_4031c_20220228155001  他には、キンクロハジロも。名付けて「住吉キンクロウズ」、オス(向かって右)、メス(左)。他には、オオバンが2羽。

Img_3722c_20220228155101 Img_3793c_20220228155101  鎮国守国神社の枝垂れ梅。九華招魂社の西にあるものがよく咲いて来ました(左の写真)。右は、常信寺の紅梅。

Img_3811c_20220228155101 Img_3797c_20220228155101  常信寺では、ミツマタの花も咲きかけていました。ジンチョウゲはまだつぼみ。去年は、2月20日に咲き始めています(2021年2月20日:「河津桜にメジロ」再チャレンジ……常信寺のジンチョウゲ、咲く(微妙ではありますが))。

Img_3986c_20220228155101  寺町商店街の河津桜は、花はまだ余り増えてきません。しかし、今日の暖かさで、開花も進むのではないかと期待しています。

Img_3924c_20220228170301  という次第で、今日の春の陽気で、花ももっと咲いてくるという気がします。今週は、土曜日に再び、近鉄ハイキングで、「酒蔵立ち寄りハイキング」があります(銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて)。今度は、同級生K氏と出かけることにしています。今日は、この他、教育委員会から電話をいただき、来年度も仕事を仰せつかりました。微力を尽くすことにします。非常勤先からは、授業評価のコメントを書くことや、授業の自己評価をすることなどの依頼が来ました。これらについても、dutyを果たさなければなりません。

2022年2月27日 (日)

20220227近鉄ハイキング「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」へ(完)……ほぼ2年ぶりの近鉄ハイキングに参加、オマケはKINGの自販機の話

Sakagura  ほぼ2年ぶりに近鉄ハイキングに参加してきました。インチキな「勝手にハイキング」ではなく、本物の近鉄ハイキングです。前回は、新型コロナウィルス感染症が蔓延し始めたころ出かけた「酒蔵みてある記」でした(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。この「酒蔵みてある記」は人気があり、再開希望がたくさん寄せられたようで、今年、「酒蔵立ち寄りハイキング」として復活しました。うかつにも再開されたのを知らず(というのも、江戸橋方面での非常勤が、1月12日で打ち切られ、近鉄に乗る=近鉄の駅に行くチャンスがなくなり、駅にパンフレットが置かれているのに気づかなかったのです)、出遅れてしまいました。

Img_2885c_20220227155401 Img_2875c_20220227155401  今日は、「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」ということで、近鉄湯の山線・伊勢松本駅から、春の丘、夏の広場を経て神楽酒造に立ち寄り、四日市あすなろう鉄道・西日野駅がゴールという5.2キロのハイキング。桑名駅を9時2分に出る松阪行き急行に乗車。四日市には9時15分着。湯の山線に乗り換えるのですが、四日市駅に着く頃、小雨が降っていて、心配しましたが、9時29分発の湯の山温泉行き普通が出る頃には晴れてきました。伊勢松本駅には、9時34分着。着いたときにはすでに50名くらいが並んでいました。検温を受け、アルコール消毒をして、コースマップを受け取ります。

Img_2889c_20220227155401 220227isematsumoto0  こちらが今日のコースマップ。右は、いつものように、キョリ測で描いたもの。立ち寄り先は、ほぼ神楽酒造のみ。途中、春の丘、夏の広場を通りますが、立ち寄っては来ませんでした。この2箇所は、「四郷地区風致地区 ふるさとの道」として整備されています。小高い丘になっているかと思ったら、夏の広場近くで標高が68メートルあり(キョリ測によるデータ)、登り道はけっこう大変でした(苦笑)。

Img_2907c_20220227155401  伊勢松本駅をスタートしたのは、9時45分。松本街道を東へ。ときわ2丁目で右折し、南下します。住宅地を抜けて、鹿化川(かばけがわ)に行き当たるまで直進。左の写真は、ときわ4丁目あたり。

Img_2929c_20220227155401 Img_2918c  鹿化川に行き当たったところで右折し、西へ。途中で、ダイサギや、カワウを目撃。このあたりには、ハクセキレイや、ツグミもいました。鹿化川の下流でも野鳥が見られます。鹿化川の中流域の河岸には「千本桜並木」が並びます。この千本桜あたりは、来週の「酒蔵立ち寄りハイキング」で丸彦酒造に行くときに通るはず。

Img_2939c_20220227162001  吉田橋で右折し、再び南下します。コースマップには、吉田橋から少し行ったあたりに「登り坂」と書かれています。2㎞地点で、標高16メートル。

Img_2943c_20220227155401 Img_2951c_20220227155401  2.5㎞地点に「春の丘 のぼり口」という案内板がありますが、ここで標高41メートル。曲がった先が右の写真で、かなりの登りになっています。

Img_2947c_20220227155401  ちなみに、こちらが「散策マップ」。春の丘の手前には、梅並木とありますが、まだほとんど咲いていませんでした。花が咲いていれば、もう少し和んで、楽しみながら登ることができたような気がします。

Img_2959c_20220227155401 Img_2991c_20220227155401  春の丘。小高くなっていて、展望台や、四阿がありました。桜も植わっています。桜の季節には、よいところでしょうと思いつつ、上がってはみず、通過。このあたりで、スタートから2.8㎞。春の丘の先は、竹林。

Img_2997c_20220227155401 Img_3011c_20220227155401  散策路には案内標識があちこちに立てられていて、迷うことはありません。3㎞を過ぎたあたりに夏の広場がありました。ここも小高い丘になっています。先ほどの散策マップによれば、「ひまわり花壇」があるそうです。道沿いには、サザンカが咲いていました。

Img_3024c Img_3028c_20220227155401  スタートから約3.5㎞に「四郷保育園へ」という標識があり、ここから急な下り坂を行きます。落ち葉が積もっていて、歩くのには要注意。もはや前期高齢者ですから、足元を確かめつつ行かねばなりません(苦笑)。

Img_3034c_20220227155401  200メートルほど行くと、視界が開けます。かつて住んでいた笹川団地方面がよく見えるところ。ここまで来ると、神楽酒造のすぐ北になります。

Img_3052c_20220227155501  神楽酒造には、10時35分過ぎに到着。スタートから50分、3.8㎞。途中、どこにも寄り道をしていませんが、いかにも速い。アップダウンがありましたので、決しては楽ではありませんでした(苦笑)。

Img_3056c  着いて早々、受付で「くじ引き」。当たると、日本酒の4合瓶1本がもらえたようですが、残念ながら、はずれ。「惜しかったねぇ、甘酒を飲んでいって頂戴」でした。

Img_3060c_20220227155501 Img_3064c_20220227155501  コースマップに試飲券が付いており、1杯だけいただけます。1杯といっても、右の写真のように、小さな紙コップに1杯(微苦笑)。家内から「酔っ払うほど飲まないように」という注意を受けたのですが、これでは「嘗めてみただけ」です。有料試飲(1杯100円)もありましたが、今日はこれ以上は呑まず。

Img_3069c 1645926109605c  即売会の方へ。「神楽」という特別純米生酒の4合瓶を1本、お買い上げ。¥1,320。大事にリュックにしまって、持ち帰ってきました。試飲でも呑みましたが、生酒特有のフルーティな香りで濃厚な味わいです。キッチンカーが1台来ていましたし、いなべ市で採れたトマトや、焼きちくわなども売っていましたが、時節柄、宴会をする訳にもいきませんので(過去の酒蔵みてある記では、一人宴会も辞さなかったのですが……)、土産をゲットしたら、早々に退散。

Img_3076c_20220227164801  その前に、神楽酒造は、安政5(1858)年に、現在の地、四日市市室山町で創業しています。五代目小左衛門が「神楽」の酒名で酒造りを開始したそうです。また、ここには、かつてあった近鉄八王子線の室山駅の駅名板が保存されています。現在は、四日市あすなろう鉄道になっていますが、八王子線は、内部線の日永駅から、伊勢八王子駅まで運行していたのですが、昭和49(1974)年に天白川の集中豪雨による水害で日永駅~伊勢八王子駅間が休止となり、昭和51(1976)年、日永駅~西日野駅間は復旧したものの、西日野駅~伊勢八王子駅間(1.6km)は廃止されています。神楽酒造の南の天白川沿いに室山駅があったようです。

Img_3100c_20220227155501 Img_3113c_20220227155501  天白川沿いの道に出て、東に向かいます。途中、四郷(よごう)郷土資料館の建物が見えましたが、現在、修復工事中。四郷郷土資料館は、一度訪ねています(2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。

Img_3128c Img_3132c_20220227155501  天白川沿いをほぼ1㎞歩くと、四日市あすなろう鉄道八王子線・西日野駅に至ります。四日市あすなろう鉄道は、昨年の「歩いて伊勢参りツアー」の時にも何回か乗ったのですが、それは内部線の方。私は、八王子線に乗るのは初めて。11時頃に着いたのですが、あいにく、ちょうど11時発のあすなろう四日市行きの電車が出ていくところ(苦笑)。ここまでで歩いたのは、5.2㎞。

Img_3152c_20220227155501 Img_3167c_20220227155501 結局、30分待ち。以前にも何回か書いていますが、ここもナローゲージ。線路幅が762mmしかない特殊狭軌で、電車もミニサイズ。11時30分発に乗車。西日野駅の次が日永駅。ここで内部線と合流。赤堀駅を経て、あすなろう四日市には、11時39分に到着。近鉄名古屋線に乗り換えます。11時51分の急行名古屋行きに乗車し、桑名駅には12時4分着。徒歩にて、12時20分には帰宅。朝、家を出たのが、8時30分過ぎでしたから、まさに「安・近・短」のハイキングです。気温は、桑名で13.6℃まで上がりましたが、途中、強風。桑名では、最大風速9.5m/s。しかし、アップダウンがあり、途中、汗を掻きました。

Img_3189c_20220227155501  歩数は、12,919歩。現地で歩いたのが5.2㎞、自宅~桑名駅往復が2.2㎞ですので、合計7.4㎞。普段の散歩よりやや多いくらいでした。来週土曜には、「酒蔵立ち寄りハイキング 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて」があります。今日と同じ伊勢松本駅から。丸彦酒造さんには、過去2回、「酒蔵みてある記」で行っており、しかもその2回とも抽選会でワンカップを当てています。これも行かなくっちゃ(微笑)。

Img_2880c_20220227155401 Img_2896c  余談。伊勢松本駅の前に例の自販機がありました。KINGと書かれた謎のおじさんロゴがあしらわれた自動販売機です。テイスターという会社のもの。なかなか見かけないので、見かけたら必ず写真を撮ってきます。しかし、「噂のネボケKINGコーヒー」とあり、ちょっと引きました(苦笑)。

Img_2900c_20220227155401  未だかつてこの自販機で購入したことがありませんでしたので、今日は試しに缶コーヒー1本を買ってみました。これ、¥80。西日野駅で時間がありましたから、そこで飲んでみましたが、ごく普通の缶コーヒーでした。缶コーヒーの味などがどうのこうのと講釈を垂れるほどの通ではありませんので、悪しからず。

2022年2月26日 (土)

九華公園で連続3日目のイカル

Img_2856c_20220226162401  気づいたら、2月ももう26日になっています。月末です(苦笑)。最高気温は、13.8℃で、午後からは南寄りの風で、本当に暖かくなりました。暖かさにつられ、春を探しにといいたいところですが、もうすでに今月に入ってからずっと「春探し」をしています。いつものように、7時半から住吉神社、九華公園へ。九華公園でウロウロしすぎて9時45分になってしまい、貝塚公園をパスして、内堀公園、京町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と途中で変則コースをとって、5.6㎞。

Img_2619c_20220226162501  傑作写真といえるかどうか分かりませんが、そうたびたび撮れるものではないと思いますので、こちらから。九華公園の奥平屋敷跡から二の丸跡へ行く橋の上から撮ったもの。水がきれいで、風がなく、日の光加減もちょうどよいという条件が揃ったから撮れたものでしょう。ユリカモメ、浮遊しているようにも見えます。

Img_2145c_20220226162501 Img_2149c_20220226162501  さて、散歩の初めから。住吉入江から住吉水門の内側に今日いたのは、ホシハジロのオス、ただ1羽。この写真で、中央やや左にポツンと写っています。ここまで500メートルほど、ヒヨドリの鳴き声もしませんでした。いつも通り、住吉神社に参拝。土曜日は、この時間、歩いている人や、ランニングをする人はかなりいます。

Img_2193c  七里の渡し跡では、コガモのメス1羽と、オオバンが2羽。隣の三の丸公園でジョウビタキのメス。今日は、バックシャン(微笑)。われわれの学生時代に通用していた「歴史的用語」かと思ったら、最近も使われるようです(リンク先をご覧ください)。コトバンクの説明はこちら。実は、正面や、横からの写真がイマイチで、これがベストだったということ。そういえば去年は、今頃、三の丸水門近くでは、ヒバリを見ていたのですが、今年はまだ遭遇していません。

Img_2240c_20220226162501  柿安コミュニティパーク西の堀には、カンムリカイツブリ。ここには、オオバンも2羽。このカンムリカイツブリ、七里の渡し跡や、住吉入江に入ってくる個体のように思います。カンムリカイツブリは揖斐川にも1羽いました。

Img_2296c_20220226162501  九華公園の相撲場近くのサザンカの木でメジロ2羽。チョコマカ動くので、例によって「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式(苦笑)。当たったのがこの写真。サザンカの花は、傷んできていますので、そこにいるメジロはきれいに撮れても、ちょっと載せられなくなってきています。

Img_2347c_20220226162501 Img_2363c_20220226162501  奥平屋敷跡の北の花菖蒲園でツグミ。エサ探し中。奥平屋敷跡では、今日は、モズが何周もしていました。

Img_2522c_20220226162501 Img_2404c_20220226162501  イカルは、今日もやって来ていました。一昨日は、6羽くらいでしたが、今日は10羽ほどいました。去年は、3月初めに5日連続で滞在しましたので、それに倣えばもう2日くらいは、いてくれそうです。

Img_2479c_20220226162501 Img_2585c_20220226162501  シメは、2羽が今日もイカルと一緒に行動していました。最近、あまりやって来ていなかったハクセキレイがまた姿を見せるようになりました。ペアでやって来ます。

Img_2557c_20220226162501 Img_2608c_20220226165001  いささか余談。ヒヨドリが不審な行動(微笑)。よく見ると、木に寄生した葉っぱを食いちぎっていました。他に食べるものがないためのように思います。最近、話題にしていませんでしたが、九華すずめ食堂のその後。「九華ハト食堂」を経て、この頃は、ムクドリがここを覚えたようで、「九華ムクドリ食堂」になっていることがあります。スズメも戻って来ているのですが、ムクドリが先客でいると、遠慮して周りでウロウロ。

Img_2711c_20220226162401  カワセミは、奥平屋敷跡でも会ったのですが、この写真は、神戸櫓跡と辰巳櫓跡の間の松の木にて。この直前、神戸櫓跡近くのベンチに腰を下ろして、ふと見たら、3~4メートル先の柵に降りたのです。私も驚いたのですが、カワセミもビックリしたようで、10メートルほど逃げてここへ。目の前で撮影というチャンスは逃がしてしまいました。

Img_2642c_20220226162501  ユリカモメは、今日は、13羽と少なめ。左の写真は、奥平屋敷跡から二の丸跡へ行く橋の欄干に止まっていたもの。カモ、今日は、63羽。これという写真はありませんので、割愛。ハシビロガモが12羽、ヒドリガモが2ペアとキンクロハジロたち。

Img_2664c_20220226162501  ホシゴイ、今日もいました。今日は、顔を見られました。が、ちょっと睨まれたような感じもします。鎮国守国神社の社務所裏のビワの木の中です。昨日までとは、やや北にズレたところ。

Img_2824c_20220226162401  内堀公園、新築公園にはスズメなどがいたくらい。拙宅前の住吉入江沿いに戻って来たら、植え込みでツグミがエサ探し中。道路脇に出て来たところが、左の写真。

Img_2684c_20220226162501 Img_2768c_20220226162401  「春探し」云々と書いていますが、暖かくなったからといって、とくに目新しいことはありません。左の写真は、鎮国守国神社にて。九華招魂社の参道のところで。右は、常信寺にて。常信寺は、梅がかなり咲いてきましたので、そろそろどこかで「ウメジロウ」を撮りたいと思っています。

Img_2790c_20220226162401  河津桜は、ほんの少しだけ花が増えました。「河津桜にメジロ」もこれから、乞うご期待です。

 

2022年2月25日 (金)

今日もイカル……勝手に開花宣言の証拠も

Img_2070c_20220225164501  今日から暖かさが戻ると聞いて期待したのですが、朝は氷点下でした。昼は10℃を超えたものの、風も出てきて、午後からは何だか寒い感じでした。まったくいつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と6.1㎞。散歩友達のWさんによれば、「犬の卒倒=ワン・パターン」だそうですが、出会う人々や見られる鳥たち、咲いている花などは、日々異なります。冒頭の写真は、常信寺にて。

Img_1508c_20220225164701Img_1588c_20220225164701  拙宅前の住吉入江には、今日は、ホシハジロのオス1羽と、写真はありませんが、オオバンが1羽のみ。この間は、ヒドリガモがたくさんいたのに、どこに行ってしまったのでしょうか? 揖斐川には、今日は鳥は少なく、カンムリカイツブリも1羽のみ。カモメが1羽、飛んで来たくらい。

Img_1601c_20220225164701  三の丸水門から下流を眺めると、赤須賀漁港の東あたりにカワウの大群。これは、そのうち1/3くらい。冬になると、揖斐川あたりでこのように、カワウが大群になっているのをときどき見かけます。しかし、何でもあまりにもたくさんいると、正直、気持ちのよいものではありません。

Img_1621cc  九華公園には8時前に到着。これも、また、「犬の卒倒」(微苦笑)。ホシゴイが、いつものように同じところにいます。近くのサザンカには、メジロが蜜を吸いに来ていたものの、これはというシーンは撮れず。

Img_1790c_20220225164701 Img_1686c_20220225164701  奥平屋敷跡では、今日もイカルとシメを目撃。イカルは昨日と同じく、5~6羽。しかし、すぐにほとんどは逃げ、戻って来たのは、1~2羽。神戸櫓と辰巳櫓の間から鳴き声が聞こえていたものの、その後は見失いました。

Img_1725c_20220225164701 Img_1815c_20220225164701  カワセミもやって来たのですが、カメラを構えたり、シャッターを切ろうとしたりするたびに逃げられ、これは、堀の対岸にある三之丸町の方に行ったところ。遠いので、証拠写真。シジュウカラも2羽がやって来ました。よく動くので、なかなかうまく撮れないことが多いのですが、今日は、ピタリと決まり、ラッキー。ハシボソガラスは、今日も巣作りに懸命。写真に撮ろうと思うものの、高いところでなかなか。モズのオスは、この頃来ません。

Img_1863c_20220225164501 Img_1854c_20220225164601  アオサギさんは、今日も辰巳櫓跡と神戸櫓跡の間の松の木の上に。実際にどういうところにいたかというと、右の写真のとおり。青い松葉の間にいますので、けっこう目立ちます。

Img_1827c_20220225164601 Img_1832c_20220225164601  カモは、今日は、53羽とやや少なめ。ハシビロガモは10羽もいませんでしたし、ヒドリガモも今日は見られませんでした。ユリカモメは、今日は私がいた間は、たった3羽。激減です。鳥に振り回される毎日です(苦笑)。

Img_1915c_20220225164501  公園内のグラウンドでは、ツグミ。ツグミはこの他、奥平屋敷跡でも2羽を見ています。

Img_1961c_20220225164501 Img_2033c  内堀公園で、ジョウビタキのオス。新築公園で、ジョウビタキのメス(右の写真:ただし、虫を咥えていますので、苦手な方はクリックなさらないでください)。新築公園では、ジョウビタキのオスがよくいたのですが、最近はサッパリでした。

Img_1985c_20220225164501 Img_2081c_20220225164501  新築公園では、ツグミもいました。さらに、寺町で、イソヒヨドリのメス(右の写真)。最近、イソヒヨドリを見ていませんでしたので、ラッキー。

Img_2096c_20220225164501 Img_2104c_20220225164501  そうそう、寺町では、昨日の河津桜の「勝手に開花宣言」の証拠。バラバラですが、計6輪。桜の開花は、「標本木」のつぼみのうち5〜6輪の花が咲いた状態で宣言されるそうです(こちら)。標本木ではありません。たまたま、個人的に見つけたということですので、「勝手に開花宣言」なのです。

Img_1898c_20220225164501  週末(2月27日)、久しぶりに近鉄ハイキングに出かけようかと考えています。以前は、「酒蔵みてある記」でしたが、昨今のコロナ蔓延によって「酒蔵立ち寄りハイキング」に変わっており、「銘酒『神楽』 神楽酒造を訪ねて」が予定されています。神楽酒造には4年余り前に一度行ったことがあります(2017年12月18日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2))。試飲はあります。即売会もあるでしょうが、酒蔵では、時節柄、飲めないでしょうねぇ(微苦笑)。写真は、鎮国守国神社にて。

2022年2月24日 (木)

九華公園でイカル、寺町の河津桜は例によって「勝手に開花宣言」……運転免許証更新手続き、講習受講はバタバタながら完了(微苦笑)

Img_1464c_20220224163201 Img_1476c_20220224163201  今朝も氷点下まで冷えました(-0.6℃)。寺町交差点の北にある住吉入江では、薄氷が張っていました(左の写真)。藤原岳も、かなり雪が積もっています。昼くらいからは、北風が強くなってきました。散歩は、7時半からスタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町とやや短め。というのも、午前中に運転免許証の更新手続きに行こうと思ったのです。その後はちょっとバタバタ(苦笑)。歩いたのは、合計7.2㎞ほど。

Img_1020c_20220224163301 Img_1193c_20220224163201  今日は、九華公園にイカルがやって来ました。その数6羽。2月20日に諸戸氏庭園で見ましたし(2022年2月20日:低いところの虹と、イカルの証拠写真)、22日にも諸戸氏庭園で鳴き声を聞いていました。去年は、3月6日から連続5日、九華公園で見ています(2021年3月6日:九華公園でイカルの群、2021年3月10日:晴天なれど、野鳥少なし……イカルは5日連続確認)。去年と同様にしばらくいてくれると楽しめるのですが、どうでしょう。

Img_0739c_20220224163401  さて、拙宅前の住吉入江には、キンクロハジロのメスが1羽。最近、ここにはあまりキンクロさんは来ません。メジロの鳴き声もしたものの、姿は見えず。

Img_0748c_20220224163401Img_0778c_20220224163401  住吉水門の内側には、ヒドリガモが2ペアと、ホシハジロのオスが1羽。今日は、ヒドリガモがやや少なめ。オオバンも1羽いました。

Img_0789c_20220224163401 Img_0807c_20220224163401  七里の渡し跡には、コガモが6羽。三の丸公園近くでは、スズメが集団で地上に降りて、エサ探し。近づいたら一斉に近くのフェンスに。真冬の頃は、スズメはあまり見ませんでしたが、この頃「帰ってきた」という感じ。九華公園でも見るようになりました。

Img_0821c_20220224163301 Img_0813c_20220224163401  揖斐川には、カンムリカイツブリが計4羽。ときどき、カンムリカイツブリ同士でトラブっています。何が元なのかは、遠くて今ひとつよく分かりません。

Img_0830c Img_0866c_20220224163301  九華公園には8時前に到着。鎮国守国神社の社務所の裏のビワの木にいました。ほぼ同じところにいますが、今日は、西を向いていました。相撲場近くのサザンカには、メジロが1羽。

Img_0882c_20220224163301  旧アヒル小屋の近くまで来たら、何かが来ました。よく見ると、カワセミ。遠かったので、ツツジの植え込み伝いにそっと近づいたつもりが、案の定、逃げられました。それ故、この写真1枚のみ。このあとは、鳴き声はしたものの、姿は見られませんでした。

Img_0914c_20220224163301 Img_1045c_20220224163301  奥平屋敷跡では、まずはツグミ。この若い個体、最近、奥平屋敷跡によくいます。他には、カワラヒワも来ていましたし、ハシボソガラスは、去年と同じ松の木の高いところに巣をつくっている様子でした。このあと、イカルの群を見つけ、そちらに集中。イカルに混じって、シメも2羽。一緒に行動しているようでした。イカルに注意が向いていましたので、この間30分ほど、他の鳥が来たかどうか分かりません。

Img_1218c_20220224163201  カモは、合計77羽。九華橋近く、二の丸堀の西側、吉之丸堀の東側に分散。ハシビロガモが16羽、ヒドリガモが2ペアで、他はキンクロハジロ。写真は、キンクロハジロのオス。この「寝癖(本当は、冠羽)」が気に入っています。オオバンが1羽。

Img_1398c_20220224163201 Img_1370c  ユリカモメは、41羽。今日は、二の丸橋の欄干に並んでいました。ここに並ぶのを「冬の風物詩」と思っていますが、写真を撮ろうと思うと、同じようなアングル、パターンになってしまいます。堀にかかっているので、南か、北のたもとから撮るか、端の途中まで渡ってトルカしか選択肢がないのです。

Img_1152c_20220224163201  さらに、今日は、トビも登場。九華公園で、けっこういろいろと見られ、楽しめました。

Img_1416c_20220224163201  貝塚公園では、ツグミ。他には、カワラヒワ、ヒヨドリ。内堀公園には、何もいませんでした。

Img_1445c_20220224163201 Img_1436c_20220224163201  寺町商店街の河津桜。いよいよあの看板が登場しました。ただし、今年は、「桑名で一番早く咲く」という文言はなし。ずっと見て回ってきましたが、ある木で5輪咲いて、6輪目が開こうかというところでした。同じ木でも花の場所が離れていたので、1枚の写真には収まりませんが、これなら「勝手に開花宣言」をしてしまってもよいでしょう(微笑)。去年は、2月15日に「勝手に開花宣言」をしています(2021年2月15日:よく降った後は強風……寺町商店街の河津桜、毎年恒例の「勝手に開花宣言(苦笑)」)。

Dsc_6327c Dsc_6328c  ところで、運転免許証の更新手続きは、祝日の翌日で、桑名警察署の窓口が大渋滞。10人以上が待っていたと思います。「祝日の翌日」というのをすっかり失念していて、ちょっとミスった感じ。警察に着いたのが、10時45分頃で、手続きが終わったのが11時40分頃。桑名では、毎週水曜、木曜の午後に、ヤマモリ体育館(市立体育館)で優良運転者講習があります。受付の方が、「今日、講習を受けますか? 受けるなら、12時から会場で整理券が配布されます。今日は、祝日の次の日ですから、混雑すると思いますので、整理券をもらって行かれることをお勧めします」と。そのままヤマモリ体育館へ直行。11時50分に着いたら、すでに整理券を配布中。13時からの講習の21番の札をゲット(コロナ対策で、各回60名に制限中なのです)。急いで帰宅したのが12時。昼食を摂って、12時15分に出発。片道1㎞ほどのところですし、午後からクルマの点検が入っていましたので、徒歩で往復。優良運転者講習ですので、13時半に終了。これであとは、3月25日以降に新しい免許証を請け取りに行けばオーケーという次第に。なのですが、警察に行ってからが忙しかったこと。昼ご飯も食べた気がしません(苦笑)。

2022年2月23日 (水)

今日は、研修会講師

1645565274042  寒い日が続きます。明日までは寒気が入っているものの、明後日・金曜からは3月並の陽気になるとか。期待しましょう(微笑)。今朝は、雪化粧していました。朝一番に散髪。ズーッと以前、「偶数月の最終水曜日の朝9時に散髪に行く」と決めていました。別にこだわりがあるワケではありません。決めておけば、考えたり、迷ったりする必要がないのです。今日は、8時半からいつものS理容院さんへ。散髪を終えて、回り道をして10時に帰宅。午後からは、予定通り、名古屋で特別支援教育支援員養成講座の講師を務めてきました。

Dsc_6319c Dsc_6320c  今日の会場は、ウィルあいち名古屋市市政資料館の向かいにあります。私は、この市政資料館が気に入っていて、何度も訪れたことがあります。ウィルあいちには、少し早めに着いたのですが、さすがに今日は寒く、市政資料館は写真を撮っただけでパス。右の写真が、ウィルあいち。正式には、愛知県女性総合センター。

Dscn5176c Dscn5161c  ここの会議室で、13時半から2時間、特別支援教育支援員養成講座の講師をしてきました。終了後、ご質問や、個別の相談で40分ほどかかり、16時10分過ぎくらいに、すべて終了。「支援員養成講座」なのですが、発達障害のお子さんをお持ちの保護者の方がもっとも多く、他には、支援員として働きたい方や、現役の先生方もいらっしゃいます。WISCなどによる心理アセスメントについて研修する機会が少ないようです。

Dsc_6323c  今日の土産。愛知県知立市にある藤田屋大あんまき。私には、ソウル・フードの一つ。その発祥は、東海道五十三次の池鯉鮒(ちりゅう)宿で旅人向けに売られていたもの。その意味では、桑名の安永餅、なが餅と似ています。今朝、娘に「今日は名古屋に行くけど、近鉄名古屋駅で、藤田屋の大あんまきを売っているなぁ」といったら、その場で「買ってくるように」はという指令が下ったのです(微苦笑)。私が子どもの頃は、あずきの入ったものしかなかったと思うのですが、最近はいろいろとバリエーションがあります。今日は、あずきと、チーズを1本ずつ。天ぷらになったものもけっこういけます。

Img_0702c_20220223190501  今日の講座で年度内最終の仕事と、数日前に書きましたが、1件、忘れていました。3月下旬に社会福祉法人の評議会がありました。明日は、いつも通り散歩したあと、運転免許証の書換手続きをしに、桑名警察まで行ってこようと思っています。ゴールドですので、今度も5年間有効の免許証がいただけるはず。

2022年2月22日 (火)

日本版WISC-Ⅴが刊行されました

 明日、特別支援教育支援員養成講座で「心理検査でわかること 検査結果の支援への活かし方」という話をしますが、それに関連して。日本版WISC-Ⅴが、この2月10日、日本文化科学社から刊行されました。

 知能検査は、定期的に改訂される必要性があります。検査問題の難易度は経年的に変化しますし、検査問題の社会・文化的妥当性も変化します。採点基準も修正が必要になりますし、時代とともに正しい知識も、問うべき知識も変化し得ます。さらに「フリン効果」として知られていますように、時間の経過とともに検査得点が上昇する現象も指摘されています(ただし、近年は“上昇しない”という報告も多くなっています)。

 また、知能検査の役割も変化してきています。20世紀の間は、知的障害や学習障害の判定道具という位置づけでしたが、21世紀に入ってからは、問題の原因と対策を明らかにする道具へと変化して来ています。問題の原因と対策を明らかにするためには、理論とエビデンスに基づく必要があります。2000 年以降、アメリカで刊行された知能検査はすべてCHC理論に準拠して作成され、解釈されるようになりました。しかしながら、WISC-IV では、「流動性推理能力(Gf)」と「視覚処理(Gv)」が分離されておらず、CHC 理論への準拠が不完全でした。

 WISC-Ⅴでは、この点が改善されています。WISC-Ⅳでの「指標」は WISC-Ⅴでは「主要指標」(Primary Index)に変更され、WISC-IV の「知覚推理」指標は「視空間」指標(Visual Spatial Index)と「流動性推理」指標(Fluid Reasoning Index)に分離されています。主要指標は1つ増えて5つになりました:言語理解、視空間、流動性推理、ワーキングメモリー、処理速度。主要指標算出に必要な下位検査は1つの主要指標について各2つ、検査全体で10となっています。ただし、全検査IQ(FSIQ)算出に必要な下位検査は、3つ減って7つとなっています。

 この他の大きな変化は、補助指標と、関連指標が導入されたことです。5つの補助指標(Ancillary Index)と、3つの関連指標(Complementary Index)が導入されています。補助指標と関連指標は、理論を重視した指標です。補助指標は、量的推理指標、聴覚ワーキングメモリー指標、非言語性能力指標、一般知的能力指標、認知熟達度指標からなっています。関連指標は、呼称速度指標、シンボル変換指標、貯蔵と検索指標があります。これらによって学習障害や、それにも含まれますが、発達性読み書き障害に対応しやすい検査になっています。そのため、下位検査の入れ替えが行われています。下位検査は、全部で16となっています。主要下位検査(10)と二次下位検査(6)の2つのカテゴリーに別れ、対象者の問題に応じて、必要な指標を選択して検査を実施することになります。

 ということは、子どもたちの抱える問題について、理論的、臨床的にきちんと捉え、どういう検査が必要かを考える能力が、これまで以上に要求されるということになります。また、知能検査は、理論的、統計的根拠がかなり求められるようになってきていますから、解釈をしたり、支援計画を立てたりする上でも、これらは外せないことになります。まだまだ研鑽が必要です(微笑)。

「スーパー猫の日」だそうですが、ニャンには出会わず

Img_9900c_20220222151101 Img_9935c_20220222151101  2022年2月22日で、やたら2が多い日です。「ニャン」が6つで、「スーパー猫の日」というとか。朝のニュースで聞いて、散歩途中、猫を見たら写真を撮ろうと思ったものの、新築公園で見かけたのですが、すぐに木にのぼっていって、写真は撮れず。こういう日に限って、九華公園でも旅ネコには出会わず。それもそのはず、寒いのです。氷点下まで冷え、多度山も雪景色。7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と6.3㎞。寒かったのですが、小型野鳥は案外多く、楽しめました。

Img_9926c_20220222151101 Img_0007c_20220222151101  拙宅前の住吉入江には、住吉キンクロウズが3羽にホシハジロのオスが1羽、カンムリカイツブリが1羽(左の写真)。諸戸氏庭園の東端では、イカルらしい鳴き声も聞こえたのですが、今日は姿は見えませんでした。住吉水門のところでは、外側にオオバン2羽、コガモ4羽、ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモが1ペアと多彩。右の写真は、コガモのメス。

Img_0048c_20220222151101 Img_0084c_20220222151101  揖斐川にはあちこちにカンムリカイツブリ。今日のように風が強く、波立っている時の方がカンムリカイツブリはよく出てくる感じです。セグロカモメも1羽が飛来し、着水。

Img_0067c_20220222151101 Img_0074c_20220222151901  カンムリカイツブリとセグロカモメの接近遭遇シーンも見られました。三の丸水門の東の揖斐川には、キンクロハジロが52羽とたくさん集まっていました。三の丸水門の外には、ヒドリガモも8羽。

Img_0092c_20220222151101 Img_0105c_20220222151101  九華公園には8時前に到着。鎮国守国神社の社務所裏にあるビワの木に、ホシゴイとゴイサギが1羽ずつ。ホシゴイは、一昨日いたのと同じところにいました。

Img_0164c_20220222151001 Img_0182c_20220222151001  しかし、公園内は静か。ヒヨドリやムクドリの鳴き声が聞こえませんし、メジロや、カワラヒワもあまりいないのです。奥平屋敷跡では、まず、ツグミが登場。続いて、モズのオスもやってきました。なかなかよい感じです。

Img_0218c_20220222151001 Img_0245c_20220222151001  花菖蒲園近くの樹上では、シメ。写真はありませんが、メジロも2羽が来ています。「あとはカワセミだなぁ」と話していたら、カワセミの鋭い鳴き声。探したら、いつものように、ステージの裏手を移動。今日は、すぐに他へ飛んでしまいましたので、撮影チャンスは2回くらいしかありませんでした。

Img_0126c_20220222151101 Img_0208c_20220222151001  カモや、ユリカモメ、今日はかなり少なめでした。カモは、合計27羽しかいませんでした。はしびろがもが12羽、ヒドリガモが2ペアで、残りがキンクロハジロ。キンクロハジロが激減。揖斐川にいたのが、九華公園から移動したものか? という気もします。いつもなら、二の丸堀の東側や、吉之丸堀の東側にもいるのに、今日は、九華橋のところと、二の丸堀の西側にいただけ。ユリカモメはきちんと数えられたのは17羽。ただし、飛んでいる姿を見ると、30羽を越えていたと思います。

Img_0287c  吉之丸堀の東側には、カイツブリ。他にカモなどがいなかったためか、ゆったりしていて、あまり潜りませんでした。

Img_0331c_20220222151001 Img_0352c_20220222151001  神戸櫓跡のところでは、ジョウビタキのオスが出てきました。昨シーズンまではこのあたりによくいたのですが、今年はあまり見かけません。ツツジがかなり伐採されたためかという気がします。同じあたりで、ビンズイが2羽。

Img_0466c_20220222151001 Img_0481c_20220222151001  本丸跡では、シメ。中央にある大木のしたで、いつものように餌になる種を拾っては、バリバリ、ムシャムシャと食べています。野球場には、ツグミ。このあと貝塚公園ではシロハラを見かけたものの、西側にある民家に飛んで行ってしまい、写真は撮れず。新築公園でも、ツグミ1羽を見ました。

Img_0556c_20220222153501  拙宅前の住吉入江まで戻って来たら、ホシハジロのオス。

Img_0601c_20220222151001 Img_0602c_20220222151001  さらに、キンクロハジロのメス。キンクロハジロは、別に珍しくも何ともありませんが、今日は、水に入るシーンを撮ることができました。右の写真から、下の方の写真に続きます。ちょっとピントが甘いのですが、ご愛敬。

Img_0603c_20220222151001 Img_0604c_20220222151001  右上のようにいったん伸び上がってから、左の写真のように、体全体を浮かして、頭から水に入って行きます。

Img_0605c_20220222151001  そして、最終的には、こんな感じで、潜水。肉眼ではよく見ているのですが、こんな風によく分かる写真が撮れたのは、初めて。使っているコンデジの連写は、1秒間に6枚くらいですから、なかなかうまく行かないのです。

Img_0404c_20220222151001  ところで、鎮国守国神社の九華招魂社のところにある枝垂れ梅は、少し花が増えてきました。この奥には、椿も植えられていますが、乙女椿は、今年はまだ咲いていません。早い年には、1月中に咲き始めるのですが、今年はやはり寒さが厳しいようです。

Img_0512c_20220222151001 Img_0537c_20220222151001  常信寺のジンチョウゲ。昨年は、2月20日に咲き始めましたが、今年はまだ(2021年2月20日:「河津桜にメジロ」再チャレンジ……常信寺のジンチョウゲ、咲く(微妙ではありますが))。寺町の河津桜も、2本の木で合計4~5輪は咲いているものの、寒さ続きで、その後が続かず。

Img_0526c_20220222151001  明日の午後は、名古屋で特別支援教育支援員養成講座の講師を務める予定。三重県からは「県境を越える移動は自粛」するよう要請が出ていますが、例外。直行直帰のつもり。朝一に散髪に行って、少しだけ歩いてこようかと思っています。写真は、常信寺で撮影。

 

2022年2月21日 (月)

晴歩雪読(微笑)

Img_9896c_20220221105301 02210805cloud  7時40分にいったん散歩に出たものの、雪がひどくなって、20分ほどで撤退してきました(苦笑)。住吉神社まで往復してきただけという始末。冒頭の写真は、自宅に帰り着いたときのもの。気象庁のナウキャストの画像は、右の写真のように、北西方向から次々に雪雲が流れ込んで来ている様子。歩いてきた距離は、0.9㎞(爆)。

Img_9792c_20220221105301  拙宅マンションの玄関エントランスにイソヒヨドリのメスがいました。写真は、住吉入江の堤防まで逃げたところを撮ったもの。

Img_9810c_20220221105301 Img_9843c_20220221105301  住吉水門の内側には、ヒドリガモが11ペアに、ホシハジロのオスが2羽。ホシハジロは、どういうわけか、ここではいつ見てもオスだけ。ペアの相手が見つかっていないのかも知れません。

Img_9835c_20220221105301  さらに、カンムリカイツブリも1羽。よく比べたわけではありませんが、住吉入江(住吉水門の西、拙宅マンション前。旧桑名城惣堀で、水路がつながっています)にも来ているカンムリカイツブリのように思います。

Feedback  という次第で、これから晴れてきたら、もう一度、散歩に出ようと狙ってはいますが、今のところ(午前11時前)、「晴歩雪読」状態。今日、読んでいるのは、前の記事で取り上げ、また、マイブックスにもあげましたが、「心理検査のフィードバック(熊上崇・星井純子・熊上藤子著)」です。すでに通読は終えています。本を読むスピードは、元々速い方で、それは今もさほど衰えていません(主観的にはですが)。この本のことは、前の記事や、マイブックスをご覧いただきたいと思いますが、子どもたちの知能検査をする心理士さんには、是非とも読んでいただきたいですし、ここに書かれた内容を参考にして、検査結果のフィードバック、それも子どもたちの将来を見据えたフィードバック(フィードフォワードかも)をしていただきたと強く願っています。

「心理検査のフィードバック(熊上崇・星井純子・熊上藤子著)」のご紹介

Feedback  このたび、図書文化社から、藤田和弘・熊谷恵子両先生の監修で、「心理検査のフィードバック(熊上崇・星井純子・熊上藤子著)」(¥3,080)が刊行されました。過去には、保護者、学校の担任、子どもたち自身に知能検査の結果を伝えることはされていませんでした。当時は、それが「常識」だったのです。しかし、現在では、保護者の方や、学校の担任の先生にだけでなく、苦戦している子どもたち自身にも検査結果(アセスメント情報)をフィードバックするようになってきています。それは、子どもたちが、自分のことを理解し、大人の支援を受けながら、自分なりにも工夫して、学習や生活スキルを向上させ、将来の自立と社会参加につなげられるようにと考え方が変わってきたためです。私も、相談では、お子さんに直接フィードバックを行い、子どもたち自身が自己理解を深め、意欲的、積極的に取り組めるようにしています。

 出版社のサイトには、本書の特色などが次のように紹介されています:

本書の特色
1)本書のねらいは,WISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの知能検査の結果(アセスメント情報)を「子どもの自立と社会参加」により役立つものにしていくことです。
2)フィードバックシート(報告書)とフィードバック面接のモデルと事例を対象となる子どもの発達段階(乳幼児期・学齢期・青年期)に応じて提示しています。
3)検査の専門用語を,検査の非専門家である子ども・保護者・学校教員等に「誤解なく正確に」「役に立つように」表現することをめざしてアイデアを示しています。

子どもと支援をつなぐ! 支援者がつながる!

 「長所活用型指導」に基いて、子どもたち自身が、自分の強みがわかるようなフィードバックをしようという理念に基づいています。また、報告書作成に役立つ「専門用語の解説ページ」もあり、それは検査の入門ガイドにもなると謳われています。

 章立ては、次のようになっています:

■序 章■ 保護者・教員等は検査結果に何を期待しているのか

■第Ⅰ部■ 基礎知識編
第1章 フィードバックの定義と倫理

第2章 フィードバックの基礎知識

第3章 フィードバックとチーム支援

第4章 フィードバックの変遷と海外動向

■第Ⅱ部■ 実践編 
第5章 検査前の相談(インテーク)と情報共有

第6章 フィードバックの報告書と面接の基本

第7章 フィードバックの実際

 *8事例が呈示されています

■第Ⅲ部■ 用語編
第8章 説明のための用語集

■巻末資料■
1 フィードバックに関する研修プログラム
2 フィードバックQ&A

 事例執筆をなさった後藤勝弘先生(三重K-ABCアセスメント研究会)からご恵贈頂きました。記して感謝を申し上げます。

2022年2月20日 (日)

低いところの虹と、イカルの証拠写真

Img_9714c_20220220123801  散歩から帰って、エレベーターを降り、北の空を見たら、こんな虹が出ていました。多度山の方角です。こんなに低いところに出た虹は、初めて見たように思います。しばし眺めていましたが、北西の風がきつくて、寒いこと。

Img_9447c_20220220123901  さて、雨は夜中には上がったようで、朝、散歩に出るときは晴れ。歩いている最中は、晴れたり、曇ったり。正午現在で、北風は最大8.9m/sだとか。この写真は、揖斐川の堤防から見た北の空。多度山から雲が流れてくるという、典型的な真冬の空。こういうときは、強風でもあります。家事を済ませ、8時半から散歩開始。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園から、今日は少しルートを変え、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園と回ってから、常磐町、常信寺、寺町と5.9㎞。

Img_9326c_20220220123901  諸戸氏庭園と桑名七里の渡し公園の間から、イカルらしき鳴き声が聞こえてきました。公園はまだ開園時間の前ですので、フェンスにへばりついて探したら、いました。5~6羽かもっといたと思います。この寒い時期に見たのは、初めてかも知れません。

Img_9311c_20220220123901 Img_9388c_20220220124901  住吉入江あたりには、今日もたくさんヒドリガモがいました。入江から住吉水門の内外を合わせると、34羽にもなります。昨日も書きましたが、これは春が近づいてきた証拠。私なりの屁理屈をさらに重ねると、花が咲いて、鳥が動いて春が来ます(春が来て、花が咲いたり、鳥が動いたりするのではなく)。

Img_9394c_20220220124901  住吉水門の外には、オオバンもいますし(上右の写真に写っています)、ホシハジロのオスもいます。ホシハジロのオスは、私の好みの鳥の一種ですが、このところ、九華公園には来なくなっていますので、ここで見られるのはちょっと嬉しいのです。

Img_9375c  住吉水門の近くでは、カンムリカイツブリ。実はこのカンムリカイツブリ、写真を撮る直前には魚と格闘していました。魚はかなり大きかったので、あきらめたようでした。カンムリカイツブリは、揖斐川には合計4羽。

Img_9429c_20220220125301  七里の渡し跡では、今日はコガモが12羽。そのうち6羽は、堤防に上がってお休み中でした。丸々としています(苦笑)。写真向かって右端のメスは、パッと見では、石でもあるのかと思ったくらいうまくはまり込んでいました。

Img_9452c_20220220123901  九華公園に着いたのは、8時50分。昨日より遅く、いつもより50分遅れ。鎮国守国神社の社務所裏には、昨日とほぼ同じところで、また、ほぼ同じ大勢でホシゴイ。「動いていないのか?」と思うくらい。

Img_9465c_20220220123901 Img_9469c_20220220123901  この時間では、もう散歩友達はいないかと思ったら、前管理人のOさんが「何もいないねぇ」と登場。奥平屋敷跡にはハシボソガラスとドバトが少しいただけ。モズのオスがやって来たものの、ピンぼけ写真。カモは、合計59羽。ハシビロガモが16羽、ヒドリガモが2ペアに、キンクロハジロたち。

Img_9533c_20220220123901 Img_9481c_20220220123901  ユリカメモは、今日はたくさんいました。カウントできた範囲では、77羽。たぶん今シーズン最多。このあと、二の丸跡、朝日丸跡、本丸跡と回ったものの、カワラヒワやムクドリ、ハクセキレイなどがわずかに頂け。九華橋まで戻ったら、カワセミが、鎮国守国神社の社務所裏あたりから奥平屋敷跡の東へ飛ぶのを発見。追いかけて、奥平屋敷跡まで行ったものの、おらず。残念。

Img_9621c_20220220123801  貝塚公園、内堀南公園、新築公園では、カワラヒワ、スズメがいたくらい。この強風で、晴れたり曇ったりでは鳥も出てこないでしょう。常信寺で、梅や、ミツマタの写真を撮っていたら、ジョウビタキのオスが姿を現しました。あまり鳥が少なくて、ガッカリしていたので、気を遣ってくれたのかも(微笑)。

Img_9679c_20220220123801 Img_9700c_20220220123801  寺町交差点の北の住吉入江沿いで、ハクセキレイ。雪駄無前まで戻って来たら、ヒドリガモが2ペアと、カンムリカイツブリ。ヒドリガモは、朝、住吉水門あたりにいたものでしょう。(写真は割愛)。

Img_9602c_20220220123901 Img_9640c_20220220123801  常信寺の紅梅(左の写真)と、白梅(というか、ちょっとピンクがかっています。右の写真)。

Img_9607c_20220220123801  ミツマタも、かなり以前からつぼみが出ているのですが、花はまだまだ。

Img_9658c_20220220123801  寺町商店街の河津桜は、その後、花数は増えていません。「勝手に開花宣言」もまだちょっと無理な感じ。

Img_9343c_20220220123901  早くも今日は、2月20日。「2月は逃げる」といわれますが、本当に早いこと。23日(水、天皇誕生日)午後に名古屋で支援員養成講座があります。今のところ、年度内最後の仕事。相談会は、「まん延防止等重点措置」が出ている間は、自粛します。

2022年2月19日 (土)

ジョウビタキ&ツグミ・デー

Img_8661c_20220219141101  今日は、二十四節気の「雨水」です。雪が雨に変わる頃という意味ですが、旧暦の2月19日、今年は3月21日ですから、本当はまだ1ヶ月先のことでしょう。朝一番は晴れていましたが、その後は曇ってきました。これを書いているのは14時過ぎですが、雨雲がかかってきたようです。散歩は、朝、家事をしていましたので、8時20分から2時間あまり。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、寺町と5.8㎞。

Img_8681c_20220219141101 Img_8729c_20220219141101  拙宅前の住吉入江には、今朝もカンムリカイツブリが1羽いました。住吉水門の内側にホシハジロのオス(右の写真)が2羽、ヒドリガモが11羽。そういえば、住吉水門あたりにヒドリガモが集まってくるのは、立春を過ぎ、春が近づいた頃からだったような気がします。

Img_8737c_20220219141101 Img_8699c_20220219141101  水門の外にも、ヒドリガモが5羽、ホシハジロのオスが1羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが合計4羽。うち2羽は、右の写真のようなスタイルで泳いでいました。餌を探しているのでしょうか? 今ひとつよく分かりませんでした。それに、この写真のカンムリカイツブリは、ほとんど夏羽でした。

Img_8778c_20220219141101 Img_8790c_20220219141101  三の丸公園では、まず、ジョウビタキのメス。チョコチョコッと移動しながら、愛嬌を振りまいてくれている気がします。ツグミもいました。

Img_8907c_20220219141101 Img_8810c_20220219141101  九華公園にはいつもより40分も遅い、8時40分に到着。静かでしたが、散歩友達のWさん、Yさんと遭遇。Yさんが、ホシゴイがいると教えてくれました。鎮国守国神社の社務所裏にあるビワの木あたり。ずっと後ろ姿。ホシゴイを見ていると、シロハラも出て来ました。九華公園では、久しぶり。

Img_8824c_20220219141101 Img_8881c_20220219141101  奥平屋敷跡には、ハシボソガラスのみ(苦笑)。Yさんによれば、モズのオスだけが姿を見せたようでした。カモは、合計68羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモが12羽。他はすべてキンクロハジロ。オオバンもいつものように1羽。

Img_8877c_20220219141101 Img_8847c_20220219141101  ユリカモメ、今日は今シーズン最多に迫る63羽。野球場のフェンスにも、お尻を並べて6羽が整列(微笑)。餌をやりながら写真を撮っている若いグループもありました。

Img_8887c_20220219141101 Img_8969c_20220219141101  本丸跡で、ツグミとシメ。ツグミはグラウンドにいたものが、本丸跡の木のてっぺんへ。シメは、鎮国守国神社を回って来たらいました。

Img_9012c  しばらく見ていたら、ツグミとシメが接近遭遇。2回すれ違い、ツーショット写真が撮れました(微笑)。

Img_9086c_20220219141101 Img_9123c_20220219141001  貝塚公園では、まず、久しぶりにシロハラを目撃。半周して、一休みしていたら、ジョウビタキの鳴き声が聞こえ、探したら、電線に止まっているのを見つけました。今日は、ジョウビタキに恵まれているようです。

Img_9212c_20220219141001 Img_9169c_20220219141001  内堀公園でも、ジョウビタキのオス。いつものように、私のいる近くを回っています。本当に人懐っこい感じ。さらに、ツグミも。最近、内堀公園によくツグミがいます。新築公園の方は、ジョウビタキのオスがよくいたのですが、このところ見なくなりました。

Img_9280c_20220219141001  拙宅前まで戻って来たら、住吉入江沿いの植え込みにツグミが飛び込んでいき、しばらく待つと、マンションのプレイ・ロットに出て来ました。今日は、天気がイマイチでしたので、あまり期待しなかったのですが、ジョウビタキ&ツグミ・デーという感じでした。

Img_8897c_20220219141101  写真は、鎮国守国神社の拝殿前にある紅梅。今夜は、管理組合の理事会があります。エレベーターリニューアル工事にともなう課題の他、いろいろと検討事項があり、楽ではありません。

Img_8726c_20220219141101 【余談】 2月9日にe-Taxで確定申告を済ませましたが(天気はよく、暖かかったのに鳥果少なし(微苦笑)……確定申告は完了【確定申告、その後を追加(2/9)】)、マイナポータルと国税庁から連絡があり、22日に還付金が振り込まれます(微笑)。ただし、私の懐に入るということではありません(苦笑)。

2022年2月18日 (金)

九華公園で久しぶりにアオサギそしてカワセミにも接近

Img_7890c_20220218164901  今朝は冷えましたし(-1.3℃)、何といっても雪が積もっていて驚きました。それもサラサラの雪。この方がなかなか溶けないようです。日中は、10.3℃、日も当たってまあまあ暖かい。いつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と6.3㎞。雪が積もったせいか、散歩する人はかなり少なめ。午後からは、定例の内科受診。今週は、ワクチン接種も含め、内科へは2回目。

Img_7902c_20220218164901 Img_7920c_20220218164901  住吉入江の住吉ポンプ場近くにヒドリガモが3ペア、さらに住吉水門の内側に、同じくヒドリガモが4ペアにホシハジロのオスが2羽。最近、この住吉水門あたりに、ホシハジロのオスが2羽揃ってよくいます。

Img_7966c_20220218164901  揖斐川を眺めていたら、セグロカモメが3羽くらい飛んでいて、1羽が急降下してきました。ちょっと遠かったのですが、魚をつついているようでした。このあと、柿安コミュニティパークではシメがいたようですが、ハッキリとは確認できず。ヒヨドリ、メジロ、ハクセキレイなどを見て、九華公園へ。

Img_8089c_20220218164801 Img_8393x  奥平屋敷跡にあるステージの裏にアオサギ。かなり以前、ここによくアオサギが来ていました。勝手に「お立ち台」などと読んでいたことがありました。しばらく撮影したあと、さすがに私に気づいて、アオサギは辰巳櫓跡近くの松の木の上へ。

Img_8119c_20220218164801 Img_8243c_20220218164801 奥平屋敷跡では、この他、いつものように、モズのオスと、カワセミが登場。どちらも、何度もやって来ました。カワセミは、このあとも、旧アヒル小屋の辺りや、朝日丸跡、辰巳櫓跡近くなどあちこちを移動。右の写真は、旧アヒル小屋のところに止まったのとかなり近くから撮れました。

Img_8254c_20220218164801 Img_8296c_20220218164801  今日は、カモは、66羽。ハシビロガモが14羽、ヒドリガモが2ペア、他はキンクロハジロ。オオバンが1羽来ていました。カイツブリは来ていませんでした。ユリカモメは、40羽。今日もまた、二の丸橋の欄干に整列してくれました。

Img_8529c_20220218164801  貝塚公園、内堀公園では、ツグミ。写真は、内堀公園で見たツグミ。そういえば、最近、貝塚公園でシロハラを見なくなりました。新築公園にはスズメ。

Img_8593c_20220218164801 Img_8629c_20220218164801  寺町から、拙宅前の住吉入江あたりに戻って来たら、カワラヒワが2羽。さらに、カンムリカイツブリが1羽。カンムリカイツブリは、最近、ときどきここにやって来ています。

Img_8538c_20220218164801 Img_8564c_20220218164801  ところで、左の写真は常信寺の紅梅。かなり咲いてきました。右は、寺町の河津桜。一昨日、咲きかけたものの、寒さで震え上がったかもと書いた花というか、つぼみというか(2022年2月16日:寒さ戻る……コロナワクチンの第3回接種の副反応は接種部位の痛みくらい)。あまり変化はなく、やはり寒さに縮み上がったようです。

Img_8652c_20220218164801  午後からは、最初に書いたように、定例の内科受診。2ヶ月に1回。今日は、二番乗り。14時から受付なのですが、早めに済ませたいと思い、いつも15分くらい前に行って待っています。前回、受けた特定健診の結果の説明を聞いて、診察を受けて、世間話をして(主治医であり、同級生でありですので)、オシマイ。健診の結果は、とくに問題はなく、一安心。

【余談】 昨日(2月17日)、非常勤先からメールが届きました。「2022年度の授業につきまして」というタイトルで、「新型コロナウイルス感染防止対策につとめて、すべての授業を通常の対面授業として実施する予定です」ということでした。ただし、「年度途中で感染状況に応じて授業形態の変更等の可能性もあるため、当方ですべての先生方のご担当科目について、Google classroomを開設します」のだそうです。Google classroomは、昨年度、遠隔授業のときに使いましたから、たぶん適応可能(微苦笑)。コロナの第6波は、ピークを過ぎたものの、感染者数は、高止まりするという見方が多いようです。先行き不透明ですから、こういう対応もやむを得ません。まぁ、頭を使うのは悪くはないでしょう。

2022年2月17日 (木)

20220217勝手にハイキング「四日市博物館で”昭和のくらし 昭和のおもちゃ”展を見て、鵜の森公園」へ

Img_7859c_20220217171801  岐阜方面で大雪になるという予報で、桑名あたりもときどき雪が舞う1日でした。氷点下まで冷え、さあ出かけようかという頃になって、ちょっとした吹雪になりましたが、めげずに予定通り、四日市市立博物館と鵜の森公園に行ってきました。博物館の開館時間に合わせて、桑名駅を9時22分に発車する松阪行き急行に乗車。近鉄四日市駅に9時34分着。¥500。四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展と、丹羽文雄記念室、時空街道などの常設展示を見てから、鵜の森公園へ。ここは、浜田城跡で現在は、泗水庵という茶室と鵜の森神社があります。帰りは、近鉄四日市駅を12時51分に出る名古屋行き急行で、桑名には13時3分着。最高気温は6.4℃でしたが、強風で寒い1日。同級生K氏と出かけてきました。

Img_7656c_20220217171801 Img_7652c  四日市市立博物館です。ここは、県立四日市工業高校の跡地。昭和57(1982)年8月までここに四日市工業高校がありました。今は、博物館、じばさん三重、アピタの他、市民公園となっています。博物館には、もう何度も来ていますが、今日は、「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展が目的。毎年、1~2月に昭和をテーマにした展覧会が開催され、必ずといってよいほど見に来ています。例えば、去年は、「昭和のくらし-昭和の風景-」を見ています(2021年2月2日:散歩から四日市市立博物館「昭和のくらし」展へ)。

Toy  令和の現代、われわれはとても便利な生活を送っていますが、その出発点は昭和30年代といえます。日本は高度経済成長に向かい、電化製品が少しずつ家庭にも普及してきました。今回の展覧会は、この高度経済成長に向かう昭和30年代と、電気・ガス・水道がまだまだ家庭では十分に使えなかった昭和初期を中心に「くらしの道具」が紹介されています。また、「懐かしいおもちゃ」がもう1つのテーマになっています。おもちゃは、生活必需品ではありませんが、潤いを与えてくれ、情操を豊にしてくれる大切なものです。おもちゃには時代背景も反映されています。今回の展覧会では、フラッシュを使わなければ写真撮影可でしたので、あれこれと写真を撮ってきましたので、いくつかを紹介します。

Img_7396c_20220217171801  展覧会の入り口にあったのは、自転車。詳しいことは知らないのですが、「実用車」といった気がします。「工藤商店」とあるように、おそらくお店の配達などに使っていたもの。昔ながらの前掛けも並んでいます。

Img_7399c_20220217184501  こちらは、ソノシートとそのプレイヤー。ソノシートは、塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード。子どもの頃、雑誌の付録によくありました。写真では、「狼少年ケン」のソノシートが写っていますが、このあとやって来た小学生の団体がこれを聞いていました。ちなみに、「狼少年ケン」は、NETテレビ(現在のテレビ朝日)ほかで放送されていたのモノクロテレビアニメでした。

Img_7422c_20220217171801  懐かしいおもちゃその他が多数ありますので、キリがありません(苦笑)。左の写真には、めんこ、お手玉、日光写真、レゴブロック。「めんこ」は、私が育ったところでは、なぜか「けんぶっちゃん」と呼ばれていました。由来は分かりません。地面にめんこを置き、別の者が別のめんこを叩き付けて、あらかじめ地面に置かれためんこが裏返ると、たたきつけた方がそれをもらうという遊びでした。日光写真も、よく遊びました。雑誌の付録にもありましたし、駄菓子屋とかでも売っていたかも知れません。青写真ともいい、おもちゃの日光写真は、何日かすると画像が消えてしまったと思います。

Img_7433c_20220217190001  この写真の中央に写っているのは、ポンポン船。もともとは、焼玉エンジンを用いた実用の船の通称(エンジン音の擬音に由来)でした。子どもの頃住んでいた西三河のある町から、海を挟んだ対岸の町まで名鉄が運行するポンポン船が通っていました。作動音が似ていることから、水蒸気の圧力で推進力を得る船舶玩具もこのように呼ばれます。ボイラーを加熱した時に発生する水蒸気で内部の水が噴射されてその反動で前進します。内部の水蒸気が負圧になるまで慣性で排出が続きますから、排出が止まると水が逆流して内部に入り、この吸入された水が加熱されて、また噴射が起きます。これが繰り返されて船が前進します。玩具では蝋燭で加熱します。学研の「科学」の付録にもあったと思いますし、その復刻版が「大人の科学」にもありました(こちら)。

Img_7467c_20220217171801  キリがありません(笑)。「くらし」の方へ。これは、昭和初期の食卓周りの光景ですが、私が子どもの頃も、こういう感じは残っていました。テーブルは、ちゃぶ台。「ちゃぶ台返し」の「ちゃぶ台」です。四本脚の食事用座卓をいいます。「巨人の星」にも出て来ました。これでご飯を食べていました。中央に穴があいて蓋がかぶっていますが、ここには七輪などを入れられた記憶があります。手前にあるのは、お櫃と、それを保温するために藁でつくられた「お櫃入れ」(地方によっていろいろの呼び方があるようです。ネットで調べると、「ふご」とか、「飯櫃畚(めしびつふご)」という名前が出て来ます)。子どもの頃、何と読んでいたか、今は思い出せません。

Img_7481c_20220217171801  電話機。以前にも何度か、笑い話のように書きましたが、今はもう「黒電話」が博物館の展示品になっています。プッシュフォンもならんでいますから、黒電話はすでに「歴史上のもの」なのでしょう(爆)。学生時代、実家に住んでいた頃や、独身時代は、この黒電話を使っていました(平成の初めまで)。日本電信電話公社が、日本電信電話株式会社(NTT) へと民営化されたころから、次第に電話機を家電店で買うようになり、黒電話が姿を消していった記憶があります。「黒電話」のリンク先に記述がありますが、「平成生まれは黒電話が使えない」という話もあります。ちなみに、我が家の子どもたちは平成生まれですが、家内の実家に未だに現役の黒電話がありますので、使えます。

Img_7501c_20220217171801 Img_7508c_20220217192901  こちらは、豆炭行火(まめたんあんか)。1月23日の記事のオマケの話に、家内の実家で豆炭を見つけた話を書きましたが(2022年1月23日:鳥はおらず、ビンズイくらい……町屋川を偵察したものの、水鳥は少なし)、それを使う暖房器具。行火は、Wikipediaに説明があります。冬の寒いとき、ふとんに入れて使いました。暖房器具として、もう1つ。ハクキン懐炉。正式名称は、「白金触媒式懐炉」。懐炉についても、Wikipediaに説明があります。携帯懐炉で、ベンジンを低温で酸化分解させ、その際の反応熱で温めるもの。小学生の頃、冬になると、朝、親父が用意してくれ、学校に持って行った記憶があります。今でも「ハンディ・ウォーマー」といった名前で売られています。

Img_7560c_20220217171901  昭和の小学校の教室を再現したところ。手前にあるのは、謄写版(とうしゃばん)の機器など。いわゆる「ガリ版」。小学校の頃、先生たちがこれでプリントなどを印刷していました。「ガリ版を切る」ということばがあったと思います。孔版印刷技法の1つ。先生たちは、原紙(パラフィンなどを塗った「ロウ原紙」)をヤスリ盤に置いて、鉄筆で原稿を書き、それを謄写版にセットして印刷していたのです。ヤスリ盤の上の原紙に鉄筆を走らせるとき、「ガリ、ガリ」というような音がしたので、「ガリ版」と呼んだのです。放課後、先生がガリ版を切るのを眺めていたことがあります。

Img_7574c_20220217171901  昭和時代の路地あたりの風景。板塀にホーロー看板があり、その前には、縁台。夏には、庭先や、家の前の道にこの縁台を出して夕涼みをしていました。写真では、将棋盤が写っていますが、「縁台将棋」ということばもありました。私の思い出は、夏、家の前の道に縁台を出して、夕涼みをしていると、親父が近くの八百屋さんにかき氷の配達を頼んでくれたということ。八百屋の親父さんが、岡持ちにかき氷を入れて持ってきてくれたのを今でもよく覚えています。向かって左側の壁は、トタン板でできていました。これも懐かしい。奥には、駄菓子屋が見えます。これも、子どもの頃、10円玉とか、せいぜい50円を握って通ったところ。輪足が育ったところでは、駄菓子屋さんで味噌味のおでんを売っていて、それは「関東煮(かんとに)」と呼んでいました。

Img_7606c_20220217171901 Img_7634c_20220217171901  さて、ここは、四日市市立博物館の時空街道。前にも何度か載せたことがあります。四日市の原始・古代から江戸時代までの歴史が展示されています。私はすでに何度も来ていますが、そのたびに楽しめます。旅籠や、焼蛤屋も再現されています。桑名でも、右の写真のようにトラディショナルな焼き方で「その手は桑名の焼き蛤」を売ったら、人気が出ると思うのですがねぇ。

Img_7619c_20220217171901 Img_7624c_20220217171901  時空街道でとくに気に入っているのは、こちらの荷物を運ぶ馬。江戸時代の馬は、このように草鞋を履いていたというのが、気に入っている理由(微笑)。

Img_7763c_20220217171801  博物館の見学を終えて、鵜の森公園へ。ここは、浜田城跡です。15世紀後半、この地を治める田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって築かれたのが浜田城です。田原氏は、もともと上野国赤堀庄(こうづけのくにあかほりのしょう)に住んでいましたが応永年間(1394~1428年)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたとされます。「伊勢軍記」によると、その後、織田信長の家臣、瀧川一益に攻められ落城、子の重綱は城を脱出し、織田信雄に属していましたが、羽柴秀吉と信雄の合戦で討ち死にし、浜田家は滅んだとされます。

Img_7786c_20220217171801 Img_7790c_20220217171801  城跡には、鵜の森神社があります。鵜の森神社は、文明年代(1400年代)から浜田城主・田原家が崇敬した社だそうです。元は江田神社あるいは鵜森大明神と称していたといいます。江田神社という名称は、江田川、江田町等の旧地名に由来すると言われ、また、「鵜森」の語源は、昔、このあたりが松林の続く海岸で、海鵜が多く生息していた森ということに由来しているようです。境内には、浜田上があった頃の土塁も残っています(右の写真)。

Img_7798c Img_7807c_20220217171801  土塁のあるところに「みえの樹木百選 サイカチ」という掲示板がありました。「サイカチ」は、マメ科の落葉樹。古くはカワラフジノキ(河原藤木)といい、川や沢沿いなどの水辺に自生するそうです。ここには3本のサイカチがあり、そのうち1本は、県下で自生するサイカチでもっとも大きいといいます。

Img_7679c_20220217171801  鵜の森公園の西側エリアには、四日市出身の作家・丹羽文雄の句碑があります。「古里は 菜の花もあり 父の顔」という、丹羽が36歳の頃の句だそうです。昭和62(1987)年5月に除幕しました。丹羽文雄は、この鵜の森公園からもほど近い真宗高田派の崇顕寺が生家。「歩いて伊勢参りツアー」でも尋ねています(2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ)。

Img_7718c_20220217171801 Img_7734c_20220217171801  さらに泗水庵。お茶室。コロナが落ち着いていれば、抹茶とお菓子がワンコイン(¥500)でいただけます。これで今日の目的は、コンプリート。

Img_7829c_20220217171801  昼食を食べて帰ることにし、スワマエ商店街へ。昨年の「歩いて伊勢参りツアー」でも通ったところ(2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。ブラブラしながら、探したものの、ピンとこず。そのまま諏訪栄の商店街方面へ。

Img_7841c_20220217171801 Dsc_0004c_20220217171801  見て歩いていたら、「寒かったから暖かいものにしよう」ということで、東京荻窪ラーメン・えびすや四日市店へ。ここで、「おぎくぼラーメン」(¥795)。ミックスされたスープでしたが、意外とサッパリしており、美味しく食べてきました。

1645068727513c Img_7867c_20220217171801  近鉄四日市駅は、近鉄百貨店四日市店と同じビルにあります。「土産をどうしようか?」と近鉄百貨店をウロウロしていたら、銀座木村屋の出張販売の店の前に出て来ました。今朝の中日新聞に、木村屋が、近鉄百貨店四日市店で出張販売をするという記事があったのが頭にあったかも(微笑)。「季節のあんぱん」5種類の詰め合わせが、¥1,182でしたので、これをゲット。

Img_7871c  今日は、往きに銀行、帰りにアピタ桑名店に立ち寄り、歩いたのは5.6㎞。歩数も、11,096歩と普段の散歩並でした。今日は、短時間ではあったものの、しっかり楽しんできました。明日は、天気がよくなるという予報。いつもの散歩コースへと思っています。

2022年2月16日 (水)

寒さ戻る……コロナワクチンの第3回接種の副反応は接種部位の痛みくらい

Img_7379c_20220216153001  昨日とは打って変わって、寒い日です。気温は9℃まで上がったものの、雲が多く、北西の風も強いと、5~6m/s前後吹いています。北の空を見ると、多度山方向から雲が流れてくるという、冬の典型的パターン。お陰様で、コロナワクチンの第3回接種の副反応は、接種部位が痛いくらいで済んでいます。ワクチンを打ってもらってからほぼ丸1日ですので、このまま大した副反応は出ないと思っています。

Img_7083c_20220216153001 Img_7099c_20220216153001  さて、いつも通りに過ごそうと思い、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.7㎞。昨日は、鳥運に恵まれましたが、昨日でその運をかなり使ったようです(苦笑)。住吉水門の内外には、ヒドリガモ。合計で28羽。外側にいるヒドリガモは、堤防に上がって休憩しているものがたくさん。揖斐川の堤防では、船津屋さんの裏手でハクセキレイが1羽。

Img_7120c_20220216153001  七里の渡し跡というか、川口水門から揖斐川にかけては、ヒドリガモ、コガモなどが18羽ほど。ここでは曇っていて、暗くてどちらが何羽かよく分からず。カンムリカイツブリが、今日も水門の中に入ってきていました。三の丸公園から柿安コミュニティパークあたりには、ヒヨドリくらいしかおらず。西の堀にはオオバンやキンクロハジロが少し。

Img_7160c_20220216153001 Img_7169c_20220216153001  九華公園の鎮国守国神社の社務所裏の堀には、珍しくコガモ。1ペア。吉之丸堀には、今日もカイツブリの姿がありました。

Img_7198c_20220216153001  奥平屋敷跡、最初にシメの姿が見えたものの、その後が続かず。30分ほど待ったところで、カワセミのオスが登場したものの、今日はすぐにどこかに飛び去ってしまいました。ツグミ、モズのオスも来たのですが、遠いところで、クリアには撮れず。

Img_7236c  ユリカモメも少なく、12羽しか来ていません。カモの写真を撮り忘れましたが、カモは、合計57羽。ハシビロガモ11羽、ヒドリガモが2ペアとキンクロハジロ。オオバンが1羽と、いつものメンバーでした。

Img_7279c Img_7297c_20220216155001  シメは、このあと本丸跡で餌を啄んでいました。野球場には、ツグミの姿がありますし、外周遊歩道でもツグミを見ています。

Img_7325c_20220216153001  貝塚公園、内堀公園ではこれという鳥はおらず。ここは新築公園。以前は、必ずといってよいほどジョウビタキのオスがいたのですが、最近はサッパリ見なくなりました。今日は、ツグミが2羽。今日は、ちょっと無理をすると、ツグミ・デーといえないこともありません。ここ最近、あちこちでツグミが見られるようになりました。

Img_7342c_20220216153001  寺町商店街では、河津桜チェック。昨日、「蕾が膨らんだ」と載せたところ、もうじき花が開きそうになっていました。ただ、今日の寒さで、震え上がったかも知れません。

Img_7037c_20220216153001  コロナワクチンの副反応も大したことがなくて済みそうですので、明日は、四日市市立博物館で開催されている「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」という展覧会(¥400)に行ってきたいと思っていますが、明日はもっと寒そう。

2022年2月15日 (火)

今日はカワセミさんの感謝デー……コロナワクチンの第3回接種を終え、久しぶりに祝ご当選もあり

Img_6795c_20220215173701  14℃を超え、暖かい日になりました。いつものように、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、常信寺、寺町と5.7㎞を歩いてきました。午後から、新型コロナワクチンの第3回接種を打ってもらう予定でしたので、ちょっと控えめにしておきました(微笑)。

Img_6234c_20220215173701 Img_6242c_20220215173801  今日は、バードウォッチング的には、スゴい日でした。タイトルにしたように、まさに「カワセミさんの感謝デー」でした。奥平屋敷跡に何度もやって来て、しかも結構長い時間滞在。さらに、ダイビングも何度も見せてくれ、合計3匹のエビを捕まえ、食べるところもしっかりと見られたのです。左の写真は、少しだけトリミングしていますが、背中のブルーがこれほどはっきりと撮れるのはなかなかありません。右の写真は、二の丸跡に移動して、エビを食べるところ。

Img_6412c_20220215173701  奥平屋敷跡では、モズのオスも顔見せしてくれました。今日は、上述のように、カワセミに夢中になっていましたので、モズが来たのに気づかなかった可能性もありますが、この写真を撮ったのは、カワセミが姿を消して、「今日は、楽しめましたねぇ。あとは、モズが来たら上出来だったのに」といって、解散しようとしたとき。

Img_6431c_20220215173701  Img_6502c_20220215173701 もう1つ。ユリカモメ。今日は、66羽飛来。左の写真のように、二の丸橋の欄干にも並んでいました。普通にとってもおもしろくありませんし、代わり映えもしませんので、ちょっとだけパターンを変えてみました。例えば、右の写真。ほぼ正面からやや見下ろしたアングル。最前列にいるユリカモメが、ちょうど正面顔。これらの2枚は、二の丸橋の北側から撮っています。

Img_6830c_20220215173601 Img_6872c_20220215173601  また、こちら左の写真は、ちょっと見上げるパターン。橋の南側に回って撮っています。右は、ズーッとクローズアップしたところ。ワンパターンから抜けられたでしょうか(爆)??

Img_5861c_20220215173801  さて、散歩の初めに戻って。拙宅前の住吉入江には、カンムリカイツブリが入ってきていました。他には、キンクロハジロのメスが1羽。住吉水門までの間にいたのは、これがすべて。水門の外側には、キンクロハジロ3羽に、ホシハジロのオスが2羽。揖斐川の中洲近くには、オカヨシガモらしきカモが10羽以上見えました(遠くて、はっきりとは判別できませんでした)。揖斐川には他にカンムリカイツブリの姿も。

Img_5936c Img_5941c_20220215184701  七里の渡し跡のところで、ジョウビタキのメス。旅館山月の裏から七里の渡し跡まで追いかけました。今日は、カモ、オオバンはおらず、堤防にツグミが1羽。

Img_5997c_20220215185201  Img_5984c 九華公園に着いて、ビックリ。鎮国守国神社の社務所の裏から、まずはアオサギが1羽飛び立ってきたのです。こちらが気づく前に逃げていったのです。と思っていたら、今度は、ゴイサギとホシゴイが次々と飛び出してくるのです。その数10羽以上。呆気にとられてしまい、写真は撮れず。ちょっとボー然とした後、よく見たら、まだゴイサギが1羽と、ホシゴイが1羽残っていました。ホシゴイの写真は、ピントがまったく合っていませんが、記録写真(言い訳)。

Img_6017c_20220215173801 Img_6170c_20220215173801  相撲場近くのサザンカのところで、メジロ。奥平屋敷跡では、カワセミとモズに気をとられていましたが、ツグミも見ています。他にカワラヒワ、ドバト、ハシボソガラス、スズメもちらり。ハシボソガラスは、このところ、巣材らしきものを運んでいるのをよく見ます。

Img_6034c_20220215173801  カモは、63羽。ハシビロガモが15羽、ヒドリガモが1ペア、他はキンクロハジロ。カイツブリは今日もいましたし、オオバンも1羽。写真は、キンクロハジロのオス。

Img_6664c_20220215173701 Img_6824c_20220215173701  吉之丸堀の端にある柳の古木にシジュウカラ。2羽で餌を探しに来た様子。野球場には、ツグミ。今日は、ツグミも合計4羽を見ています。

Img_6703c_20220215173701 Img_6748c_20220215173701  鎮国守国神社境内の梅の花。昨日は曇天でしたので、リベンジ。これらの2枚は、桑名城天守台跡のところにある梅の木で撮ったもの。

Img_6771c_20220215173701  九華招魂社の西にある枝垂れ梅も、花が増えました。

Img_6886c_20220215173601Img_6891c_20220215173601  九華公園の外周遊歩道ではカワラヒワ。もちろん、公園内や、鎮国さんの境内でもたくさん見ます。右は、内堀公園で撮ったメジロ。梅が咲いてきましたから、そのうち「ウメジロウ」を狙わないと(微笑)。寺町では、「河津桜にメジロ」もです。

Img_6956c_20220215173601 Img_6976c_20220215173601  その寺町商店街の河津桜も、リベンジ。まだ、2箇所で計3輪しか咲いていませんが、膨らんだ蕾はいくつかあります。

Img_7005c_20220215173601  拙宅近くまで戻って来たら、玉重橋近くにツグミが出て来ました。拙宅前の住吉入江沿いの植え込みによくいます。

Img_7023c_20220215173601  ところで、午後からは予定通り、新型コロナワクチンの第3回接種を受けに行ってきました。16時前にモデルナを打ってもらいました。これを書いている今(19時過ぎ)、副反応はとくに感じていません。散歩友達その他では、肩が痛いだけという方もありましたし、微熱が出たという方もありました。このまま大したことがなくて済んでくれるとありがたいところです。

Dsc_6311c 【久々の祝ご当選!】 中日新聞サンデー版のクロスワードや、メ~テレの「ウルプレ」には必ず応募しているのですが、久しく(それも年単位で)当選はありませんでした。今日、ネットなどで何も買っていないのに、佐川急便さんで荷物が届き、不思議に思ったのですが、それがこれ。実は、母親の葬儀を行った冠婚葬祭業者さんで会員登録をしているのですが、その会報誌の読者プレゼントに応募したのが、当たったのです。アイリスオーヤマの「ふとん乾燥機カラリエFK-C3」。実は、すでに布団乾燥機は、同じくアイリスオーヤマのものを1台持っていますので、これは、家内の母親へ進呈することにします。

 

 

2022年2月14日 (月)

鎮国守国神社で紅梅、白梅が咲き始めました

Img_5844c_20220214164201  もっと早い時間帯から晴れてくると思っていましたが、実際には昼過ぎから。天気予報を見直してみたら、晴れは午後からでした。勝手に期待を高めていたようです。最高気温は、11.9℃。これももっと暖かくなると思い込んでいました(苦笑)。散歩は、7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、常信寺、寺町と7㎞。散歩中は、どちらかというと、寒い感じ。

Img_5187c Img_5230c_20220214164201  住吉入江には、キンクロハジロのメスが1羽。諸戸氏庭園周辺や、桑名七里の渡し公園あたり、ヒヨドリもおらず、静かでした。住吉ポンプ場近くにオオバンが1羽と、今日はこのあたり、鳥もカモも少ない。揖斐川には、カンムリカイツブリが計4羽。写真のように夏羽にモデルチェンジ中の個体が増えた気がします。他には、船津屋さんの裏手でツグミ、ハクセキレイなど。七里の渡し跡には、オオバンが1羽いたのみ。柿安コミュニティパークでは、ツグミ(右の写真)。計2羽。ここの西の堀には、キンクロハジロが3羽にオオバンが1羽。

Img_5424c_20220214164201  九華公園も今日は全体に静かでした。ヒヨドリが少ないのです。奥平屋敷跡でもっともよく登場したのは、モズのオス。1時間ほどの間に5~6回やってきました。カワセミも来たのですが、気づかずに近づいてしまい、逃げられました。残念。他には、シジュウカラ、カワラヒワが1羽ずつ。シメ、ヒヨドリ、スズメ、ムクドリ、ドバトも来たものの、すぐにいなくなりました。ハシボソガラスは巣材を運んでいるようでした。

Img_5248c_20220214164201 Img_5281c_20220214164201  二の丸堀には、久しぶりにカイツブリがやって来ました。カモは、計74羽。また増えています。廿二カウントすると云うことは、今日はほとんどありません。ハシビロガモが17羽、ヒドリガモが2ペア。他は、キンクロハジロで、今日はホシハジロのオスは見られませんでした。

Img_5728c_20220214164201  ユリカモメは、計25羽。今日は少しだけ、二の丸橋の欄干に並びました。たいていは、野球場の外野フェンスで待機しています。餌をくれそうな人が来ると、そこへ急行。

Img_5576c_20220214164201 Img_5441c_20220214170601  本丸跡では、シメ。嘴の周りを汚しながら、ムシャムシャと何かの種を食べています。嘴の周りは泥でしょうか? 雨上がりでしたし。二の丸跡では、ビンズイが2羽。昨日、鎮国守国神社の境内で見たときも2羽が一緒でしたので、同じビンズイかも知れません。

Img_5663c_20220214164201  相撲場近くでは、ツグミ。柿安コミュニティパークで今日見たツグミと似ているような気がします。2箇所の間は、わずか100mほどしか離れていませんから、その可能性は高いと思います。

Img_5752c_20220214164201 Img_5783c_20220214164201  貝塚公園では、シロハラ。ピントがかなり甘い写真です。他にはツグミの鳴き声が聞こえ、ハクセキレイが1ペア、ヒヨドリ。他の公園ではスズメがいたくらい。常信寺で、珍しくジョウビタキのオス。

Img_5601c_20220214164201 Img_5631c_20220214164201  ところで、鎮国守国神社の境内では、枝垂れ梅に続いて、紅梅、白梅も咲き始めていました。ただ、午前中は曇天でしたので、こんな証拠写真しか撮れていません。

Img_5796c_20220214164201  寺町商店街の河津桜は、先日、一輪咲いていた木の隣にある木でも花が綻んでいました。こちらも写真としてはパッとしませんが……。

Img_5322c_20220214171401  今日は、散歩から帰ってきたら、マンションの管理人さんから呼び止められ、管理組合の仕事。共有部分で、とある不具合が見つかり、その対応。どこの業者さんにやってもらったかチェックして、修理を依頼。地元業者さんでしたので、電話をして30分ほどで来てくださり、対応してもらえ助かりました。管理組合の理事長を仰せつかると、けっこういろいろとあります。

Img_5364c_20220214164201  余談。ずいぶん久しぶりに九華公園のインコの話。昨年から、1羽が衰弱して死んでしまいましたが、ほとんどは元気に冬を越せそうです。最近は、繁殖活動をする様子も見られています。今日は、1羽がこんなことをしているのを見つけました。木製の巣箱の蓋をかじっているのです。猫の爪研ぎではありませんが、嘴を整えているのか? など散歩友達の間ではいろいろな見方が出ているのですが、今のところ不明。こんなに穴が大きくなっては、卵を産んでも転落しそうです。

2022年2月13日 (日)

鎮国守国神社で枝垂れ梅が開花

Img_4463c_20220213172701  朝、散歩に出たときは晴れていましたが、その後は天気予報通り。昼過ぎからは雨が落ちてきました。気温も上がらず、肌寒い1日。散歩はいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、老松公園、八間通、住吉入江と6.8㎞。このところ、よくアピタ桑名店に行っていますが、新光堂書店で本を見てくるのです。ただし、発売日に入荷していないことも多く、そのため何度も行く羽目に陥っているのです(苦笑)。Amazonで何冊かまとめて買えば、送料もいらないのですが、リアル書店で実物を眺め、他におもしろいものがないか探すのも楽しみなのです。

Img_4962c_20220213172601  今日のハイライトは、鎮国守国神社で枝垂れ梅が咲き始めたこと。一昨日は、まだ咲きそうな感じはなかったのですが、その一昨日、昨日と暖かかったので、10輪ほどが咲いてきていました。気分的には、「春になってきた」と感じています。

Img_4548c_20220213172701 Img_4561c_20220213172701  さて、散歩の初めから。住吉入江には、キンクロのメスが1羽のみ。住吉水門の外側にいろいろといました。まずは、あまりクリアに撮れなかったのでよくないのですが、オカヨシガモ。昨日、町屋川でも見たカモ。ごくたまにこのあたりにもいます。左がオス、右がメス。いたのは1羽ずつ。

Img_4517c_20220213172701 Img_4511c_20220213172701  ホシハジロのオス、2羽いました。ここで2羽も同時に見るのは珍しい。たいていは1羽がいるだけ。さらにコガモが1ペア。

Img_4521c_20220213172701 Img_4582c_20220213172701  キンクロハジロが3羽に、ヒドリガモは4ペア。今日は、住吉水門の外が賑わっていたという次第。揖斐川には、カンムリカイツブリが計2羽。七里の渡し跡には、コガモが13羽と、ヒドリガモのオスが1羽。

Img_4634c_20220213172701 Img_4659c_20220213172701  三の丸公園でツグミ1羽。スズメも群れていました。ツグミはこのあたりや三の丸水門によくいる若い個体。柿安コミュニティパークには、ハクセキレイ。

Img_4683c_20220213172701 Img_4673c_20220213172701  コミュニティパーク西の堀には、コガモが1ペアとキンクロハジロも1ペア。

Img_4684c_20220213172701  さらに、今日はここにカンムリカイツブリが来ていました。七里の渡し跡にも入ってくる個体のような気がします。ヒョッとしたら、住吉入江に来るのもこのカンムリカイツブリのような気もしますが、これは当てずっぽう。他に、オオバンが1羽。

Img_4707c_20220213172701 Img_4746c_20220213172701  九華公園には8時前に到着。今日出会った散歩友達は、Wさんのみ。相撲場近くでジョウビタキのメス。奥平屋敷跡では30分ほど鳥待ちをしていたものの、カワラヒワの他は、ドバト、ハシボソガラス、ムクドリだけ。朝日丸跡では、ハクセキレイを見ました(写真は割愛)。

Img_4806c_20220213172701 Img_4791c_20220213172701  カモ、今日は、56羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオス3羽にメス2羽、ハシビロガモは16羽で、他はキンクロハジロたち。ほぼいつものメンバー。

Img_4920c_20220213172601  鎮国守国神社へ行ったら、ビンズイが登場。2羽いました。いなくなったなと思ったら出て来たので、ちょっとビックリ。この他、ジョウビタキのオスも来たものの、枝かぶりの写真。

Img_4854c  本丸跡では、シメさん。いつものように、中央の大木の下で、餌をムシャムシャ食べていました。輪灯籠の陰に隠れて近づいたものの、この写真を撮ったら気づかれ、野球場の東の方まで逃げていってしまいました。餌を食べるのを邪魔してしまい、何だか申し訳ない。

Img_4813c_20220213172701 Img_4821c_20220213172701  ユリカモメは、46羽。天気予報があまりよくなかったためか、今日、私がいる間には餌をやる人はありませんでした。吉之丸堀にかかる橋に立って数えていたら、餌がもらえると勘違いされ、私の方に多数飛んで来ました(苦笑)。野球場のフェンスの支柱の上には、コサギ。九華公園、最近サギ類が来ないので、久しぶりにコサギも見ました。

Img_5066c_20220213172601 Img_5091c_20220213172601  このあと、貝塚公園ではモズのオス。他には、カワラヒワやヒヨドリ。内堀公園で、一休みしようと思って、いつものベンチに座ったら目の前にジョウビタキのオスが出てきました。新築公園には何もおらず。最近、新築公園ではジョウビタキを見なくなりました。老松公園にいたのはヒヨドリくらい。散歩友達もいませんでしたので、いつもなら3時間コースですが、今日は2時間半で帰宅。

Img_4833c_20220213172701  帰宅後は、ご相談の報告書の仕上げ。メールでお送りし、仕事にキリがつけられました。これで現在抱えている仕事は、23日に名古屋である研修会の講師と、1月末に予定していたものの延期した相談会。三重県の「まん延防止等重点措置」が3月6日まで延期されましたので(こちら)、相談会の見通しは今のところ、立っていません。

Img_4479c_20220213172701  今週は、火曜日午後に新型コロナのワクチンの第3回接種を予約しています。さらに木曜には、四日市市立博物館で開催されている「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展を見に行こうと思っています。ワクチン接種の副反応が出ないとありがたい。土曜は、管理組合の理事会。4月以降、エレベーターリニューアル工事を予定していますが、エレベーター停止にともない支援が必要な場合の対応を考えなくてはなりません。

2022年2月12日 (土)

20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その4)……浄福寺、石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て石薬師一里塚跡からゴールの関西線加佐登駅へ(完)

220205toukaidouhinaga4  2月5日の「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その4です。詳しいコースマップその4の途中です。本編その3では、佐佐木信綱記念館まででした。石薬師小学校南の交差点を越えると、佐々木家の菩提寺である浄福寺があり、その先の小さな交差点に道標と南町橋の親柱。さらに下って、国道1号線を瑠璃光橋で越えたところに、石薬師寺。ここは石薬師宿の名称のもとになった古刹。石薬師寺の近くに蒲冠者範頼之社、蒲桜があり、さらに進むと石薬師一里塚跡。ここまででこの日の見るべきところはコンプリート。

Img_9470c_20220205190201 Img_9451c  記念館を出て、県道115号線の石薬師小学校南交差点を渡ってすぐに、浄福寺という真宗高田派のお寺があります。ここは佐々木家の菩提寺となっています。山門の前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑と、信綱の孫・幸綱の歌碑が建っています。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。佐々木弘綱は、その3でも触れましたが、明治15(1882)年、53歳の時上京し、東京大学講師となっています。古典の口語訳書、撰集、自作歌集、和歌に関する研究書など著作は100あまりに及びます。弘綱は、明治24(1891)年6月に64歳でな亡くなりました。この碑は、明治41(1908)年に建立され、以後、毎年、碑前祭が境内で行われていたといいます。碑表には、「わかの浦に 老いを屋しなふ 阿し堂徒盤(あしたずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か難(な)」という弘綱の矜持詠があります。佐佐木幸綱(昭和13(1938)年~)は、歌人、国文学者、早稲田大学名誉教授で、現代短歌会の重鎮。佐佐木信綱の孫。歌碑には、「しゃくなげを 愛し短歌を すずか嶺を愛し 石薬師を 愛したる人」とあります。信綱を詠んだ歌で、歌碑は平成27(2015)年12月に建立されました。

Img_9475c_20220210185301 Img_9478c_20220210185301  浄福寺の先の交差点に、川もないのに「南町橋」の親柱が残っています。旧東海道に交差して、東西に「願入坊川」が流れ、南町と中町との境をなしていたようです(こちら)。現在、川は暗渠化され、親柱のみが残っています。

Img_9489c_20220205190201  南町橋の親柱が残っているところの西側には、小さい道標が1つ、あります。「上田加佐登」と刻まれています。上田や、加佐登は、ここからほど近いところの地名。大正3(1914)年に田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が寄附した道標です。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。

Img_9501c_20220210190101  Img_9595c_20220205190301 スタートから7.5㎞のところで、瑠璃光橋で国道1号線を越えます。由緒ありそうな名前ですが、それには理由がありました。瑠璃光橋を渡るとすぐに高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。この瑠璃光橋の名前は、石薬師寺の院号(瑠璃光院)に由来していました。寺は、旧東海道に面しています。真言宗東寺派のお寺。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809~823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山西福寺瑠璃光院と称していたといいます。塔頭寺院も十二ヵ寺院、寺領も三町に達し繁栄を極めたのですが、天正3(1575)年、織田信長の兵火で諸堂坊舎は悉く灰燼に帰したといいます。しかし、御本尊は難を免れ、住職の円賢(えんけん)法印はすぐに仮堂を造り、慶長6(1601)年、神戸(かんべ)城主の一柳監物(けんもつ)直盛が霊験を得、報謝のために諸堂諸坊を再建、現在に至っています。

Img_9539c_20220205190201 000140317  このお寺も以前訪ねています(2019年5月5日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ)ちなみに、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の石薬師宿には、この石薬師寺がモチーフになっています(こちら)。

Img_9629c_20220205190301  石薬師寺のすぐ東に「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があります。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。遠江国蒲御厨(がまのみくりや)で成長したので蒲冠者と称したといいます。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいい、大木神社の境外末社です。なお、左の写真で鳥居に向かって右に写っているのは、スダジイの大木です。地上1.5m程で大きく2幹に分かれており、幹周を実測すると7.15mあったそうです(こちら)。境内には、「宮城遙拝所」もあります。

Img_9652c_20220205190301  蒲冠者範頼之社から60mほど南へ行くと、「蒲桜(かばざくら)」がありました。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。このため、「逆桜」ともいうようです。ヤマザクラの変種の一つで、赤茶の芽、花は一重の五弁、直径5cmで白~淡紅色。前回来た時には、まだ花が残っていました(2019年5月5日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ)。

Img_9658c_20220205190301  蒲桜のすぐ近くの畑に、菜の花が咲いていました。このあたりも日当たりがよいところで、暖かいのでしょう。黄色が目に鮮やかでした。

Img_9679c_20220205190301 Img_9684c_20220210191901  石薬師寺の方に戻り、東海道をさらに進みます。蒲川を超えた8.4㎞のところに「石薬師一里塚跡」。江戸・日本橋からは102里(約399㎞)。かつては東海道の両側に榎が植えられていたのですが、榎は伊勢湾台風で折れたといいます。その後、昭和52(1977)年に、南側に榎の若木を植え、「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられました。東海道は、この石薬師一里塚跡から左へ(西へ)折れ、JR関西線の下をくぐって、庄野宿へ向かいます。

Img_9723c_20220205190301 Img_9767c_20220205190301  写真は、関西線の下をくぐったところ。これが東海道とは、ちょっと考えにくいような景色です。この先では、国道1号線をくぐり椎山川の橋を渡る等して、再び国道1号線に出ます。この日の東海道ウォーキングは、三重交通の国道加佐登のバス停の先にある加佐登町交差点まで。このバス停は、ちょっと懐かしい。というのも、国立療養所S病院に奉職した頃、まだ車の免許はなく、実家との往復は、名古屋から四日市まで近鉄、四日市からここまで三重交通バスを利用していたのです(当時は、近鉄四日市駅から国鉄亀山駅までの三重交通のバス路線がありました)。

Img_9782c_20220211061801 Img_9787c_20220211061801  ゴールのJR関西線加佐登駅に向かいます。24歳から37歳まで国立療養所S病院に勤務していましたが、加佐登駅が最寄り駅でしたので、このあたりは、懐かしいところ。今を去ること43年ほど前、御師T先生とともにこの駅に降りて、初めてS病院に向かったのです。あの頃は、「とんでもない田舎に来てしまった」と思った記憶があります。右の写真は、加佐登駅近くの交差点でここもよく通りました。向かって左手にある建物は、その頃お世話になったS理容院さん(桑名で通っているS理容院さんとはまったく別です)。更地が増えたり、閉店してしまった店も多かったりして、ちょっと寂しい気もします。

Img_9797c_20220205190301 Img_9805c_20220211061801  ゴールのJR関西線加佐登駅には、14時頃到着。昔は駅員さんも複数常駐していたのですが、今は、無人駅。券売機もなく、トイカの入退場機が置かれているだけです。駅前には、昔からある焼き肉レストランがありますが、夜のみの営業のようです。

Img_9820c_20220211062501  加佐登駅を14時34分に出る快速名古屋行きに乗車。桑名には、15時6分着。¥510。快速列車ですが、四日市までは各駅停車。四日市を出ると快速で、桑名に止まると次が名古屋。

Img_9835c  この日は、現地で10.4㎞、拙宅から桑名駅往復が2.2㎞を歩き、合計12.6㎞とかなり歩いてきました。歩数は、ご覧のように、23,218歩。久しぶりに2万歩を超えました。「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」はこれにて「完」。次は、3月になったらここ加佐登駅から亀山駅まで歩くことを計画していますが、10㎞以上になりそうですし、立ち寄り先も多いので、コースを検討中。

 

今シーズン2回目の町屋川プチ遠征

Img_4429c  朝は冷えましたが、日中は14℃に迫りました。午前中は、風も弱く、遠征日和。思いついて、町屋川に出かけてきました。桑名駅前を8時10分に出る日の出橋行きのバスに乗車。帰りは、10時14分に日の出橋を発車するバスで帰宅。片道¥350。バスは空いていて、往きは途中から、私専用(微笑)。いつものように、伊勢湾岸道の橋の先までを往復。四日市港潮汐表では、9時48分が干潮でしたが、現地で実際に見ると、少しずつ潮が満ちてきていました。

Img_3284c Img_3289c_20220212171401  日の出橋からすぐ下流のところにアオサギ。なかなか幸先がよい感じ。対岸の方にはカルガモの群や、オカヨシガモらしき姿も見えます。カンムリカイツブリは、1羽のみを見ました。

Img_3535c_20220212171401  日の出橋バス停に着いた頃は、晴れていたのですが、その後雲も広がり、なかなかよい写真は撮れません。伊勢湾岸道も近くなったあたりで、イソシギが2羽。あたりには、ハクセキレイもところどころにいました。

Img_3588c_20220212171401  伊勢湾岸道の下をくぐったところからは、JERAの川越火力発電所がよく見えます。この発電所は、我が家のベランダからもよく見えます。

Img_3634c_20220212171401  その先の大きな流木には、ミサゴが止まっていました。先日来た時にも(2022年1月29日:今シーズン初の町屋川プチ遠征……コロナワクチンの第3回接種の予約をしました【鳥名を修正しました(1/30)】)、ここにミサゴがいます。今日は、望遠レンズをつけたカメラを三脚にセットした方も、カメラをこのミサゴの方に向けて、待っている姿もありました。

Img_3650c_20220212171401  湾岸桑名インターチェンジの手前、桑名市福岡町の先まで行くと、ナガシマスパーランドなどがよく見えます。よく晴れていると、セントレアも見得ますが、今日は臼井雲がかかっているような、霞んでいるような状態で、見えず。ここからいつも引き返してきます。だんだんと晴れてきました(微笑)。

Img_3672c_20220212171401 Img_3770c  キンクロハジロ。九華公園では多数を占めていますが、今日の町屋川では数羽のみ。右は、ユリカモメ2羽と、カモ。潮が満ちてくるまでは、ユリカモメの周りには、ヒドリガモやコガモがたくさんいて、餌を啄んでいました。

Img_3782c_20220212171401Img_3820c_20220212171301  オナガガモ。今イチクリアな写真ではありません。左の写真はオスですが、右の写真のようにメスもいましたし、あちこちにそれなりの数が見られました。

Img_3801c_20220212171301  こちらは、コサギ。初めは、ユリカモメたちの近くにいたのですが、次第に上流の方へ移動していきました。

Img_3835c_20220212171301 Img_3831c_20220212171301  さらにオカヨシガモ。左の写真がオス、右がメス。オカヨシガモもけっこうたくさんいました。

Img_3857c_20220212171301 Img_3863c_20220212171301  散歩コースでもお馴染みのヒドリガモ。ヒドリガモがもっともたくさんいました。私が歩いた町屋川左岸の堤防下にもたくさんいますし、中洲や、対岸の川越町側にもたくさんいます。

Img_3913c_20220212171301 Img_3928c_20220212171301  日の出橋近くまで戻って来たら、中洲にアオサギとセグロカモメ。割と近くにいましたが、互いに相手を気にしている様子はありません。セグロカモメは、カニらしきものをつついていました。セグロカモメの周囲には、ハクセキレイのオスがウロウロ。ハクセキレイは雑食で、昆虫類やクモ、ミミズなどをよく食べますから、おこぼれを狙ったのかも知れません。

Img_3978c_20220212171301  イカルチドリ。今日見たのはこの1羽のみ。この他、写真は載せていませんが、ハクセキレイ、ハシボソガラス、コガモを見てきました。

Img_4080c_20220212171301  さらに日の出橋近くに戻ると、中洲の葦原に小型野鳥が色々。まずは、ホオジロのオス。メスは見当たらず。

Img_4008c_20220212171301 Img_4263c_20220212171301  左の写真は、たぶんオオジュリンのメス。右は、同じくオオジュリンのオスと思います。日の出橋のすぐ下流側にて。オオジュリンは、1月29日にも見ています。

Img_4315c_20220212171301 Img_4392c  これらもオオジュリンかと思います。こちらは、端のすぐ上流側の中洲にいました。

Img_4289c  日の出橋を途中まで渡ってみると、上流側にセグロカモメが1羽。今日もタゲリや、ウミアイサがいないかと期待しましたが、残念ながら見られませんでした。今月中にもう1回くらいは出かけたいと思いますが、両ヶ池や北勢中央公園、県境越えになりますが、三ツ又池公園などにも行きたいとも考えています。

Souinnews  長い余談。1月22日に桑名市博物館で「やまと絵のしらべ-帆山花乃舎と復古大和絵」という展覧会をみてきたという記事を書きました(2022年1月22日:ウグイスの証拠写真……桑名市博物館で「やまと絵のしらべ―帆山花乃舎と復古大和絵―」)。そのとき、桑員ホームニュースの記者の方から依頼され、写真のモデルになりました。今日発行の桑員ホームニュースの2面に載っています。ずっと昔、やはり桑名市博物館で展覧会を見ていたら、その様子が中日新聞の記事に写り込んでいたことがあったり(2018年9月7日:散髪のあと桑名市博物館で「山林王の蔵の中」を見る……説明の入れ違いを発見(微笑)【9/8の中日新聞記事の写真に写り込んでいました】)、さらにそれより以前、メ~テレの「昼まで待てない」で散歩しているところがVTRに写り込んでいたり(2013年4月27日:すし清で大長藤とアゲハチョウ、桑名別院のアヤメそして恐れていたとおり……)しましたが、今回は、ハプニングではなく、了解の上(微笑)。

2022年2月11日 (金)

20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その3)……石薬師宿に入り、北町地蔵堂、小澤本陣跡、佐佐木信綱記念館へ

220205toukaidouhinaga3  2月5日に行ってきた「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その3です。その2では、杖衝坂を登り、采女一里塚跡を見て、鈴鹿市に入り、自由が丘で懐かしい店で昼食を済ませました。その3では、いよいよ石薬師宿に入っていきます。北町地蔵堂、大木神社鳥居、小澤本陣跡、天野記念館とまずは進んで行きます。

Img_9269c_20220210102701Img_9277c  自由ヶ丘の先で国道1号線は南へ。旧東海道は、右(西)へ逸れて行きます。東海道が国道1号線から分かれたすぐ先には、「東海道 石薬師宿」の標柱や、東海道の案内板などがあります。また、ここ石薬師は、歌人・国文学者である佐佐木信綱の故郷。記念館もありますし、和歌で町おこしもされています。右の写真にあるように、「石薬師 信綱かるた道」が整備されています。1.8㎞の間に佐佐木信綱の短歌50首が掲示されています。

Img_9286c_20220205190201  そのすぐ先に北町地蔵堂。延命地蔵が祀られています。交通安全と家内安全を祈願すると霊験あらたかと書いてありました。石薬師宿の北の入り口に、旅の安全を願って立てられたと思われます。現在も、この附近の16軒の方々が地蔵講を結成していて、掃除、供花の奉仕をしているそうです。毎年8月24日には、地蔵盆も開かれています。

Img_9304c_20220205190201  6.6㎞地点に大木神社の鳥居があります。大木神社は、ここから西へ200mほど行ったところにあります。以前来た時もパスしてしまったのですが(2019年5月3日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その1)……河曲駅をスタートし、田園地帯を抜け、石薬師宿へ、大木神社の鳥居、小澤本陣跡、天野記念館から佐佐木信綱記念館へ、土産とおやつをゲット)、今回もパス(苦笑)。神社のシイの森は、市の天然記念物で、一度は見たいと思いつつ、です。延喜式内社ですが、勧請の年代などは不詳。石薬師宿の鎮守の位置づけ。主祭神は、天照大神

Img_9312c_20220210111101 Img_9308c_20220210111101  大木神社を過ぎた東側におもしろいものを見つけました。民家の庭先に写真のようなものが飾られていたのです。「東海道 石薬師宿」とありますが、これ何と焼き物でできています。向かって左手の大きなものは、広重の描いた東海道五十三次「石薬師宿 石薬師寺」(保栄堂版)を焼き物で再現したもの。これには驚きました。中央にある小さなものは、同じく「四日市宿 三重川」。

Img_9320c_20220210111101 Img_9316c_20220210111601  反対の南側には、石薬師宿の旅籠などの場所を描いた「軒並図」が、やはり焼き物でつくられていました。ブルーの三角形があるところがたぶんこのお宅。見ると、「旅籠 富野屋新兵衛」とあります。ということは、ここのお宅は江戸時代は、旅籠を営んでおられたということ。

Img_9331c_20220205190201  駐在所を過ぎると右手(西側)に小澤本陣跡があります。現在は、町角博物館ともなっています。石薬師宿は、東海道五十三次の44番目の宿場ですが、宿場となったのは比較的新しく、元和2(1616)年です。幕命によって設立され、宿の名前は当時有名であった石薬師寺からとられています。小沢家が本陣を勤めたのですが、屋敷は現在よりも広かったようです。大名の名前が書かれた関札や、宿帳もたくさん残っているそうで、元禄の宿帳には、赤穂藩主・浅野内匠頭の名もあるそうですし、大岡越前守の名もあるといいます。徳川家光や、姫路城に行く千姫(家康の孫)も宿泊したとか。石薬師宿は、小高い台地にあり、小澤本陣の周りには高い松の木があったため、別名「松本陣」ともいわれたようです。

Img_9354c_20220210170801 Img_9362c_20220210170801  小澤本陣跡のすぐ先に天野記念館があります。ここは、本町集会所になっています。タイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者・天野修一(明治23(1890)~昭和51(1976)年)翁が、昭和39(1964)年に故郷である石薬師町本町のために建てたものです。 天野修一翁は鈴鹿市に奨学資金を寄贈して若人の育英に偉大な功績をあげています。前庭にある記念碑の「天野記念館」の文字は天野修一翁の揮毫によるもの。

220205toukaidouhinaga4  ここで詳しいコースマップはその4になります。石薬師小学校の南に佐佐木信綱記念館があります。石薬師小学校南の交差点を過ぎると、佐佐木家の菩提寺である浄福寺、その先の小さい交差点に道標と南町橋の親柱。さらに南に下り、国道1号線を越えると石薬師寺。古刹です。蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ。これで、この日見るべきところはコンプリート。

Img_9439c_20220205190201  「佐佐木信綱記念館」があります。ここには3年ほど前にも訪れています(2019年5月3日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その1)……河曲駅をスタートし、田園地帯を抜け、石薬師宿へ、大木神社の鳥居、小澤本陣跡、天野記念館から佐佐木信綱記念館へ、土産とおやつをゲット)。佐佐木信綱資料館、佐佐木信綱生家、石薬師文庫、土蔵の4つを一体として、佐佐木信綱記念館となっています。左の写真は、資料館。ここは、佐佐木信綱博士の業績を顕彰するとともに、市民文化の向上と広く文学の研究に寄与するために設置されたもの。昭和61(1986)年に開館しました。佐々木家を始め、ゆかりのある方から寄贈、寄託を受けた品々の他、生家に保管されていた資料が収納、展示されています。遺愛品、御下賜品、書簡、原稿、書籍など多数があります。記念館は、佐佐木信綱顕彰会が鈴鹿市から委託されて運営しています。

 佐佐木信綱は、歌人・国文学者として業績を残していますが、明治5(1872)年 6月、現在の鈴鹿市石薬師町で生まれました。佐々木家は、代々医者・学者であったそうですが、祖父・徳綱は書家で武術にも秀で「東海道人物誌」に紹介されるほどであったといいます。また、父・佐々木弘綱は、本居宣長の流れを汲む伊勢の国学者・足代弘訓に学び、江戸から明治にかけて歌人・国学者として全国的に活躍し、門弟は1,600名に及んだともいわれています。信綱は、父の指導の下、満4歳の時万葉集、古今集、山家集の名歌を暗誦、5歳には孝経の素読をしたそうで、5歳のときにはすでに短歌を詠んでいます。

障子からのぞいてみればちらちらと雪のふる日に鶯がなく

 明治10(1877)年12月、父・弘綱が鈴屋社中から招請され、一家は松阪へ移住し(信綱は5歳)、信綱は翌年湊町小学校に入学しました。さらに、明治15(1882)、一家は上京。明治17(1884)年東京大学文学部古典科に12歳で入学し、同21(1888)年、16歳で卒業しています。卒業後は、宮仕えはしないという父の考えを継ぎ、生涯文筆生活でした。昭和38(1963)年12月、熱海市西山の凌寒荘にて没。享年91。石薬師には、もっと長く住んだと思い込んでいましたので、5歳で松坂に移ったというのは意外でした。

Img_9370c_20220210172601 Img_9393c_20220210172601  こちらは、石薬師文庫。昭和7(1932)年、信綱が還暦に当たって旧・石薬師村に寄附したもの。以前からあった土蔵(現存します)を文庫とし、写真に写っている建物が閲覧所として建設されました。伊勢国学に関する多くの版本や写本などを含む貴重な書籍が贈られました。現在は地域の図書館として、ボランティアによって運営されています。石薬師文庫の前には、佐佐木信綱・幸綱父子の歌碑と、里程標があります。歌碑には、信綱の「ふるさとの 鈴鹿の嶺呂の 秋の雲 あふぎつつ思ふ 父とありし日を」、また、孫の幸綱の「傾けて バイクを駆れる 群が行く 鈴鹿の山は 父祖のふるさと」という歌が刻まれています。里程標は、大正時代のもの。東面に「距 津市元標へ九里四町拾七間」とありました。南面にも「三重郡日永村大字泊へ壱里貳拾一町……」などと刻まれていましたが、敷地内で入れず、十分確認できませんでした。

Img_9382c_20220210173201  石薬師文庫のさらに右手には、「佐々木弘綱翁𦾔居之碑 右文庫 左井」という石碑がありました(「𦾔」は、私が詠んだもので間違っているかも知れません)。Img_9378c_20220210173601 閲覧所になっている建物の右手にも歌碑があります。信綱が石薬師文庫を寄贈するに当たって詠んだ歌が、刻まれています。「これのふぐら 良き文庫(ふぐら)たれ 故郷の 人のために 若人のために」とありました。歌碑は、没後二年祭(昭和40(1965)年)を期して郷人によって建てられました。

Img_9401c_20220205190201 Img_9414c_20220210172401  こちらは、佐佐木信綱の生家。資料館の北隣です。生家はここに昭和45(1970)年に移築されたといいます。庭には、信綱が使った産湯の井戸もありますし、石薬師文庫の書庫に使われている土蔵も残っていました。

D9abbc2c  私にとって佐佐木信綱は、歌人、国文学者というよりも、唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としてのイメージが強くあります。「卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」が浮かんでくるのです。「卯の花」は、ウツギ。記念館の敷地だけでなく、石薬師の町中には至る所に、この卯の花が植えられています。前回尋ねた時は、4月20日でしたが、記念館の玄関脇の日当たりのよいところでは、もう咲き始めていました。卯の花の季節にもう一度訪れてみたい気がします。写真は、2019年4月20日に佐佐木信綱記念館で撮影した卯の花(ウツギ)。

 思わず長くなりましたので、詳しいコースマップその4の途中ですが、その3はここまで。その4は、佐佐木家の菩提寺である浄福寺から。

河津桜、一輪綻ぶ暖かさかな

Img_3116c_20220211154401 Img_3104c_20220211154401  寺町商店街の河津桜が一輪、綻んでいました。去年(2021年)は、1月27日でしたので(河津桜が咲きました@寺町商店街)、半月も遅いことになります。たぶん気づいているのは、物好きな私くらい(微笑)。つぼみを探していたら、寺町交差点近くの荷捌き広場のところで見つけました。毎年、ここにある3本の河津桜の開花が早い気がします。

Img_2453c_20220211154501  さて、今日の散歩は、いつも通り7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店で新光堂書店、常磐町、常信寺、寺町商店街と6.9㎞。よく歩きました(微笑)。

Img_2457c_20220211154501  住吉水門の内側に、今日はヒドリガモのオスが1羽だけ。ちょっと寂しげに、ペアの相手か、仲間かを呼ぶように鳴いていました。揖斐川にいたのは、カンムリカイツブリが1羽のみ(写真はありません)。祝日で、暖かくて、天気もよいのに鳥は少ないのか? とぼやきたくなりました。

Img_2498c_20220211154501 Img_2507c_20220211154501  七里の渡し跡では、カンムリカイツブリが1羽に(左の写真)、ヒドリガモとコガモが5羽ずつ(右の写真は、コガモのメス)、オオバンが1羽。少し前から、カンムリカイツブリがよくいるようになりました。

Img_2525c_20220211154501 Img_2543c_20220211154501  柿安コミュニティパークまで来たら、堀端にシメがいました。こういうところにいるのは珍しい。さらに、ツグミがやって来ました。

Img_2558c  コミュニティパーク西の堀には、コガモが5羽、キンクロハジロが1羽、ハクセキレイが1ペア。コガモ、キンクロハジロは、最近ここによくいます。オオバンは今日は見当たりませんでした。

 Img_2670c_20220211154401 九華公園の奥平屋敷跡に着いてImg_2595c_20220211154401 早々、モズのオスが登場。ヒョッとしたら鳥運が巡ってきたかも知れないと思えました。このあとじきに、カワセミも登場(微笑)。ただし、「顔見せ」だけで、写真は撮らせてくれず仕舞い。他には、カワラヒワ(右の写真)や、メジロも来ましたので、鳥運はまあまあ。

Img_2780c_20220211154401  「きょうは、これにて解散」と思ったら、堀の上空にミサゴが登場。最初は1羽、すぐにもう1羽が登場し、2羽。奥平屋敷跡からはちょうど逆光の位置になる二の丸堀の東側エリア上空を旋回しており、写真はイマイチですが、久しぶりにミサゴをしっかりと見られました。

Img_2962c_20220211161801 Img_2979c_20220211154401  相撲場の方に回ったら、まずは、サザンカにメジロ。この時期、メジロはサザンカに蜜を吸いに来ることが多いので、よく出逢えます。メジロを撮っていたら、ジョウビタキのオス。写真は、ちょっと今ひとつ。

Img_2997c_20220211154401 Img_2867c_20220211162101  カモは、今日は、45羽。ハシビロガモが少なく3羽、ヒドリガモのオスが3羽にメスが2羽、ホシハジロのオスが1羽、他はキンクロハジロたち。ユリカモメは、50羽。

Img_3045c_20220211154401  貝塚公園では、ツグミ。他にジョウビタキのオス、メジロ、カワラヒワ。シロハラは、今日も見ませんでした。

Img_3053c  常信寺の紅梅は、少しずつ花が増えてきていました。もう少しすると、ここでは、ミツマタやサンシュユも咲きますので、楽しみです。

Img_2479c_20220211154501  世の中、今日は、建国記念の日出、今日から3連休だそうです。しかし、我が家の子どもたちは、今日も仕事で、連休という感じはありません。まぁ、元々不要不急の存在である前期高齢者ですから、連休も週末もほとんど関わりありません(微苦笑)。朝早く目が覚めたので、相談の報告書の仕上げ作業をしていました。週末には何とか完成させたいところ。

2022年2月10日 (木)

20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その2)……杖衝坂で日本武尊や芭蕉に思いを馳せ、采女一里塚跡から鈴鹿に入り、自由が丘でランチ

220205toukaidouhinaga2  2月5日に行ってきた「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その2です。その1では、四日市あすなろう鉄道・追分駅をスタートし、寺めぐりをして内部川を越えました。采女の町を南に歩いて、金刀比羅宮に道中安全を祈願し、うつべ町かど博物館からいよいよ、この日のハイライトである「采女の杖衝坂」を登ります。ほぼ登り切るところに血塚社。その先は平坦な道になり、采女一里塚跡を過ぎ、坂上近くで国道1号線へ。ここが旧東海道になります。采女一里塚跡石碑を眺め、豊富稲荷神社へ。

Img_8993c_20220209195501  金刀比羅宮です。香川県 琴平町の象頭山にある金刀比羅宮から勧請されたものと思われますが、ネットで調べても、ガイドブックを見ても、とくに情報はありませんでした。金刀比羅宮の御祭神は、大物主神(大国主命の別名、実際は三輪氏の祖神です。蛇神、雷神でもあり、農耕神でもあります。三輪山の山の神で、大神(おおみわ)神社の祭神)と崇徳天皇(第75代の天皇 、在位は1123~41年)です。古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されていました。難所として知られる杖衝坂を登る前に、道中安全を祈願してきました。

Img_9001c_20220205190101  金刀比羅宮で左折するとすぐにうつべ町かど博物館があります。残念ながら、この日は閉館日。内部地区の歴史と文化をテーマに、四日市市が所蔵する貴重な埋蔵文化財(一時借用)と地域の皆さんから提供いただいた建物施設や資料を基につくり上げた手づくり博物館です。私は、令和2(2019)年3月2日に近鉄ハイキングで訪ねました(2019年3月9日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(その3)……普賢菩薩、采女八幡社、内部地区市民センター、うつべ町かど博物館から杖衝坂、芭蕉句碑、血塚社を経て内部駅へゴール(完)【スタンプを追加(3/9)】)。

Img_9018c_20220209062501  さぁ、これからいよいよ「杖衝坂」を登っていきます。金刀比羅宮の手前で標高は19m(キョリ測によるデータ)。このあと参拝する血塚社のところで同じく41mになります。高低差は20mあまり、勾配は21度あるとか(こちら)。坂の上までの距離約100mで、東海道の道筋の中でも急坂となっているとか(こちら)。大正末期、この坂を自動車が登り切れないので、坂の下の民家の牛の力を借りて登ったというエピソードが残されているとか。ここは、日本武尊伝説地の一つにして、三重県では地名由来の説話として関係しています。日本武尊が、東国平定の帰途、伊吹山で荒ぶる神の祟りを受け、病にとりつかれてしまいます。大和に帰るため、伊勢国に入り、三重郡采女村あたりまで来たとき、急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったというのです。さらに、少し進んだとき、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになったとも伝えられています。これが、三重郡の由来。そして、亀山の能褒野にたどり着いたところで亡くなったので御陵をつくると、日本武尊は、大きな白鳥と化して、大和をめざして飛び去っていったというお話です。同級生K氏ともども、気合いを入れて行きます。

Img_9021c Img_9037c_20220209202501  坂を少し登ったところに「史蹟 杖衝坂」の石碑、芭蕉の句碑、井戸2つと永代常夜灯があります。杖衝坂の石碑は昭和4(1929)年3月に建てられています。松尾芭蕉は、貞享4(1687)年に江戸から伊賀に帰る途中、ここを馬に乗って超えようとしたものの、落馬したとか。そこで一句、「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」。季語のない有名な句です。句碑は、宝暦6(1756)年、村田鵤州が杖衝坂の中ほどにこの句碑を建てています。明治の初期、坂ノ下の屋敷の庭園に移されたのですが、その後、所有者の厚志により再びもとの地に移設されています。ちなみに、「芳野紀行」には「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」とあり、苦笑して即吟一句を成したといいます。

Img_9062c_20220209203201  永代常夜灯は、文化8(1811)年の建立。この常夜灯の脇(向かって左。左の写真にわずかに写っています)と、右にある芭蕉句碑の脇に井戸があります。坂の上手にあるのが「弘法の井戸」、下手(常夜灯の脇)のものを「大日の井戸」といいます。前者は、水に困っていた村人に弘法大師が杖で指し示したところを掘ったところ清水が湧き出したと伝わっています。後者は、坂の中腹にあった大日堂に備える閼伽水(あかみず;仏に供える水)を汲んだ井戸といいます。

Img_9073c_20220205190101 Img_9077c_20220209204001  さらに坂を登らねばなりません(苦笑)。杖衝坂を登り切ったところの東側に「血塚社(ちづかしゃ)」があるのです。鳥居の奥にある血塚の祠は日本武尊の血で染まった石を集めて葬ったとも、日本武尊が出血した足を洗い流したところとも伝えられています。承応年間(1652~54)の創建。

Img_9086c_20220209204101 Img_9103c_20220205190101  余談ですが、江戸時代には、この血塚社の前に、名物の饅頭屋があったといいます。坂を登って来たら、ここで一息つきたくなります。その気持ちはよく分かります。血塚社の先は、標高40~50mほどで日当たりがよいためか、あちこちで梅がよく咲いていました。

Img_9107c  スタートから3.5㎞の手前、西側に更地の広場があり、そこに「東海道一〇一番目の采女一里塚跡」という説明板がありました。「采女一里塚跡石碑」は、この先、国道1号線の西にあるガソリンスタンドのところにあるはず、不思議だなと思って説明を読んで納得。采女の一里塚は、本来、このあたりにあったのです。戦後しばらく土盛した上に木柱が建っていたのですが、昭和30~40年代にかけて行われた国道1号線の拡張工事で姿を消しています。その後、昭和62(1987)年、郷土の文化遺産を残そうという地元・釆女町の取り組みに、地元企業が敷地と費用を提供して、国道1号線を挟んだ反対側、約100mのところに石碑を建てたそうです。つまりこの説明板がある辺りが、本来の采女一里塚跡です。

Img_9132c_20220205190201 Img_9124c_20220210092501  この説明板の先で、東海道は国道1号線と合流します。その西側にガソリンスタンドがあり、敷地の西の端にその「采女一里塚跡石碑」があります。ちなみに、四日市市内には、右の写真のような、分かりやすい「東海道案内板」が掲げられています。右の写真では、四日市宿、日永、小古曽、采女の地名や、主な名所、距離、現在地が表示されています。桑名でもこういう分かりやすい標識を立てて欲しいと、いつも思っています。

Img_9139c_20220205190201 Img_9146c_20220205190201  4㎞あたりに豊富稲荷神社。神社検索(三重)のサイトによれば、万延2(1861)年、伏見稲荷神社(京都)のから宇迦之御魂神の分霊を請い、創祀されています。旧釆女村杖突坂の上に鎮座したところから、旧号を杖突稲荷大明神とも称し、後に豊富稲荷神社と改称しています。別に文筆の守神として、乗馬天満宮(菅公)、ならびに目の神として平景清公を祭っています。菅原道真といえば、牛なのですが、Wikipediaを見ると「乗馬を好み、通勤は馬でおこない、讃岐での遠出や右近の馬場での桜狩りなど、趣味でも馬を走らせていたという。のちに、天神乗りという騎乗法が伝わり、馬術の師として祀られることになる」とありました。そのための「乗馬天満宮」なのでしょう。はよく分かりません。また、平景清は、各地で眼病の神として祀られているようです(たとえば、こちら)。また、眼病を患っていたとき目を清めたという井戸があったり、戦がもとで負傷した目が悪化し、旅の途中で目を清めるための名水を求め、ある井戸の水で目を洗ったところ、体中の疲れが取れ爽快な気分になり、さらに洗うと痛みも治まったりしたという話があるようです(こちら)。余談。豊富稲荷神社の近くには、参勤交代の大名を旅人が迎えた「土下座場」があったそうだと「ホントに歩く東海道」に書かれていました。

Img_9178c_20220205190201 220205toukaidouhinaga3  このあと、国道1号線&東海道は、四日市と鈴鹿の境目を歩いて行きますが、国分町交差点のところで、鈴鹿市に入ります。詳細なコースマップは、この辺からその3になります。鈴鹿市に入る頃、11時。延命地蔵尊を拝んで、ちょっと早いのですが、ゴールのJR関西線加佐登駅あたりに昼食を摂るところがありませんので、この道を下りきった自由が丘で昼食を摂り、石薬師宿に入っていきます。宿場の入り口に北町地蔵堂があり、その先で大木神社鳥居、小澤本陣跡、天野記念館と続きます。

Img_9185c_20220210095801 Img_9190c_20220205190201  国分町交差点で旧東海道は左に入っていきます。すぐに5㎞地点となり、そこに延命地蔵尊があります。旧道に入ってすぐ、左の写真のようにきれいに整えられた木々が見え、その向こうに延命地蔵尊と、単直庵という庵が並んでいます。右の写真で、向かって右が延命地蔵尊。左の小堂には、『単直庵』の扁額がかかって、阿弥陀仏が祀られています。由緒その他は、不明。

Img_9199c_20220210095801  単直庵の堂脇に天保12(184Img_9212c_20220210100601 1)年に建立された「南無阿弥陀仏名号碑」が建っています。これもそれ以外の由緒は不明。その先の東海道は、人も車も少なく、静かで長閑な道が続いています。

Img_9215c_20220210100601 Img_9226c_20220210100601  昔のホーロー看板がそのままたくさん残っている古い家があったり、ロウバイが見事に咲いているお宅があったりして、退屈はしません。

Img_9237c_20220210100601 Img_9245c_20220210100901  再び国道1号線に出るのですが、国道1号線を地下通路で横断して西側へ。鈴鹿市内も、左の写真のように、旧東海道の案内板は、充実しています。西側は、自由が丘という地名。古くから(私が、国立療養所S病院で働いていた、今から40数年前にはありました)住宅団地。

Img_9253c_20220210101201 Img_9261c_20220210101201  このあたりで11時15分。予定通り、昼食にしました。このあたりには、食事処が何店かあり、その昔、けっこう頻繁に通ったり、出前を取ったりしていて、私にとってはちょっとしたセンチメンタル・ジャーニー(微笑)。レストランミヤコ(左の写真)、レストランスオーとんてきの来来憲(右の写真、奥)など馴染みの店が今も健在で、嬉しいやら、懐かしいやら。

Img_9249c_20220205190201 Dsc_6310c  今回は、レストランミヤコで、日替わりランチ、¥990。魚のフライ、ミートボール、牛肉の煮物と、昔ながらの幕の内弁当。

 詳しいコースマップその3の途中ですが、昼ご飯も食べ、お腹も満たされましたので、その2はここまで。その3では、石薬師宿、佐佐木信綱記念館などを巡ります。

雨が上がって、午後から散歩

Img_2240c_20220210162101  朝8時前から雨。14時前には上がり、西の空がやや明るくなりました。こうなると、散歩の虫がウズウズし始めます(苦笑)。14時15分から1時間あまり歩いてきました。住吉神社から九華公園、京町、寺町と4.1㎞ほど。雨が上がったばかりで歩いている人は、ほとんどありません。

Img_2243c_20220210162101  揖斐川、住吉水門の外側にキンクロハジロが11羽。他には、カンムリカイツブリが1羽いたくらい。

Img_2247c_20220210162101 Img_2264c_20220210162101  七里の渡し跡には、ヒドリガモが10羽、5ペア。岸壁の上には、コガモのオスが1羽のみいました。さらに、ホシハジロのオスがここに。今日は、九華公園にはいませんでしたので、昨日まで九華公園にいたホシハジロかも知れません。

Img_2278c_20220210162201  柿安コミュニティパーク西の堀にも、コガモが6羽、3ペア。そういえば、スズメがこのあたり、少し増えてきた感じがします。ハクセキレイも3羽ほどいました。

Img_2282c Img_2340c_20220210162201  九華公園もほとんど人がいません。奥平屋敷跡に入ろうとしたら、モズのオスが登場。いつも、ここで見るモズでしょう。朝日丸跡で、頭上からシメの鳴き声。一応、捉えることができましたが、このあとすぐに野球場方面へ飛び去ってしまいました。

Img_2294c_20220210162201 Img_2358c_20220210162201  カモは合計53羽と、数が戻って来ていました。ハシビロガモが17羽とキンクロハジロ。ヒドリガモ、ホシハジロは見られません。ユリカモメは、28羽。吉之丸堀にかかる橋の上に立ってみていたら、餌がもらえると勘違いしたのか、スゴい勢いで私の方へやって来ました。そのあと、欄干に少しだけ並んだのが、右の写真。

Img_2384c_20220210162901  午前中は、ご相談の方の報告書書きと、先日の東海道ウォーキングのブログ記事を書いていました。報告書はかなりまとまってきています。昨日の記事で、自動運転タクシーの実証実験について書きましたが、桑名市が企画して、昨日(2月9日)から13日まで、桑名駅東口から柿安コミュニティパークを往復する約3㎞で、事前に募った試乗モニターを乗せて走行しているそうです(こちらに中日新聞の記事があります)。自動運転の5段階のレベルのうち、ハンドルなどをいつでも操作できる状態でドライバーが監視する「レベル2」で実施、具体的には、路上駐車の車を避ける場合などはドライバーが操作し、停止や発進や右折、左折は自動で行っているそうです。明日は晴れて気温も上がりそうですから、いつものように散歩ができそうです。

2022年2月 9日 (水)

20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その1)……四日市あすなろう鉄道・追分駅から、三寺めぐりを済ませ、内部川へ

Img_9018c_20220209062501 220205toukaidouhinaga  2月5日に行ってきた「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その1です。昨年は、同級生K氏と、17回に分けて桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで歩いて参拝しました(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)。「今年はどうしようか?」と考えた結果、まずは、四日市の日永の追分から関宿あたりまで東海道を歩こうとなりました。私自身、部分的には歩いたことはあるものの、この区間を通して歩いたことはありませんでした。この東海道ウォーキングも、同級生K氏と二人旅。初回のこの日は、四日市・日永の追分から杖衝坂を上り、石薬師宿を通って、庄野宿の手前の鈴鹿・加佐登まで東海道を歩いてこられました。桑名のアメダスデータでは、最低気温は0.5℃、最高気温は7.0℃。時おりかなり雪が降っていたようですが、現地では、雪が北西の風によってたまに流れてきたくらいで、おおむね好天でした。冒頭の写真は、今回のコースのハイライトである「采女の杖衝坂」。日本武尊が、伊吹山の荒神を討伐しての帰途、疲れて杖をついて歩いたと伝えられるところ。右の画像は、今回のコース全体のマップ。

220205toukaidouhinaga1  こちらが詳しいコースマップその1。四日市あすなろう鉄道・追分駅をスタートします。追分駅のすぐ北東に日永の追分があります。ここが、東海道と伊勢街道との追分。七里の渡し跡からここまでは、去年の「歩いて伊勢参りツアー」で来ています。追分駅からすぐ旧東海道に入り、1㎞あたりで大蓮寺、観音寺、願誓寺と寺めぐり。少し行くと小許曽(おごそ)神社がありますが、今回はパス。内部川を渡って、杖衝坂方面へ向かいます。

Img_8787c_20220205190101 Img_8783c_20220205190101  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。近鉄四日市駅で下車。¥300。四日市あすなろう鉄道の8時59分に出る普通・内部行きに乗り替え。追分駅には、9時12分に到着。¥270。写真が、追分駅。前にも載せましたが、だまし絵が書かれていて、こにゅうどうくんが飛び出して見えます。

Img_8756c Img_8761c_20220209064101  ここまで乗ってきた電車。「シースルー電車」とあります。内部方向の1両目の車両の床の一部に縦約16cm×横約67cmの強化ガラス窓3枚が設置されていて、ここから枕木や道床、車輪が動く様子が見られるのです私は、3年前にも乗ったことがありました(2019年3月9日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(その3)……普賢菩薩、采女八幡社、内部地区市民センター、うつべ町かど博物館から杖衝坂、芭蕉句碑、血塚社を経て内部駅へゴール(完)【スタンプを追加(3/9)】)。

Img_8765c_20220209064101 Img_8769c_20220209064101  車両内部にも、いろいろとあります。座席に取り付けられた持ち手はハート型。「つり革」にもこにゅうどうくんのオリジナルプレートが飾られ、名前が書かれています。これは、「つり革のオーナー」であることを示すもの。去年の8月1日から今年7月31日までの1年間、個人は¥13,000。合計100本限定だそうです。

Img_8791c_20220209065701  追分駅をスタートしたのは9時15分。駅を出てすぐ左手から旧東海道へ。本当なら、日永の追分まで戻ってスタートすべきでしょうが、そこはまあご愛敬。このすぐ北の道は、今は県道407号線になっていますが、もともとは国道1号線でした。

Img_8800c_20220205190101 Img_8808c_20220209071901  寺めぐりの第1弾は、真宗高田派の米田山大蓮寺(よねださんだいれんじ)。当町南面に土岐代康(しろやす)氏が居城し、その跡に八幡宮を勧請し、祈願所を米田山珠寳法鎮寺(しゅほうほうれんじ)と号しました。その後、末弟真蓮阿闍梨が、当町の北面に寺院を建立し、米田山大蓮寺と号しました。当初は真言宗でした。戦国時代、寺院は焼失し狩り堂のままでしたが、長禄年間(1457~1460)年、専修寺第十世真慧(しんね)上人の教化に帰依し、真宗に改宗。寛正元(1460)年、高田の大蓮寺として開基されています。その時、真慧上人から恵心僧都宸筆の阿弥陀尊像を賜ったといいます。現在の本堂は、文化10(1813)年の再建、快慶作の本尊阿弥陀如来立像を安置しています。

Img_8821c_20220205190101 Img_8849c_20220209113501  続いて、慈現山観音寺。黄檗宗のお寺。黄檗宗は、禅宗の一派。承応3(1654)年に来日した明僧(みんそう)隠元が開祖。一時、臨済宗に合併したこともあるようですが、明治9(1876)年、臨済宗から独立しています。明朝の念仏禅を伝えていまです。この観音寺は、戦国時代、織田信長の兵火により焼失しましたが、村人たちが観音堂を建て、本尊の千手観音像を祀っていました。その後、元文2(1737)年、黄檗宗の僧・鎮堂が旅の途中、四日市で一泊した際、夢枕に現れた老人のお告げにより、この地に新しく寺を建て、観音寺としたといいます。村人たちによって兵火から守られた千手観音像は、今でも本堂に安置されており、頭体幹部は11世紀頃の作であろうといわれています。

Img_8829c_20220209113501 Img_8833c_20220209113501  山門は、四脚門方式(2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門)で、屋根の両端に異国風の「魔伽羅(マカラ)(サンスクリット語で鰐)」が飾られています。これは黄檗宗特有のもの。この魔伽羅は、棟札によると、寛正12(1800)年におかれたものだそうです。

Img_8853c_20220209114001  本堂を覗いてみたら、畳敷きではなく、土間になっていて、イメージでは中国風のお寺という感じでした(写真はうまく撮れませんでしたが、こちらにあります)。千手観音像(像高96cm)を本尊に左壇上には厨子に入った達磨像が、右壇上には同様に厨子に入った関帝像が安置されていました。

Img_8874c_20220205190101 Img_8882c_20220209122501  観音寺を出たところに小許曽(おごそ)神社の社号標があります。この奥に小許曽神社があり、写真にも鳥居が小さく写っています。写真で向かって右が観音寺。小許曽神社は、以前、別のハイキングで行きましたので(2019年3月7日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(その1)……塩浜駅をスタート、観音寺と小許曽神社へ【小許曽神社の記述を加筆修正しました(3/7)】)、この日はパス。ちなみに、現在、このあたりの地名は「小古曽」と表記されますが、神社の名前は「小許曽神社」。これで「おごそじんじゃ」と読みます。

Img_8889c_20220209122501 Img_8912c_20220205190101  先に進み、もう1箇所のお寺へ。米田山願誓寺(がんせいじ)。真宗高田派のお寺。先に尋ねた大蓮寺と同じ山号ですが、それもそのはず。この願誓寺の縁起は、大蓮寺のもとの寺であった米田山珠寶法鎮寺に始まります。末弟法柳(ほうりゅう)が米田山願誓寺として、現在の地に建立し、当初は真言宗だったといいます。寛正年間(1460年代)、専修寺第十世真慧(しんね)上人の教化に帰依し、真宗に改宗しました。第十世義道(ぎどう)上人の時に火災にあったものの、同上人は建築、彫刻にも長じており、その手により現在の本堂と庫裏が寛政4(1729)年に再興されています。本尊は阿弥陀仏。寺伝では、聖徳太子の作といいます。顔は後世、補修を受けていますが、頭から下部は古い姿を留めているそうです。ちなみに、願誓寺の前に服部泰次郎による小さな道標が2基あるとガイドブックには書かれていたのですが、見当たりません。最近、道路の改修が行われたようで、見当たりませんでした。

Img_8922c Img_8930c_20220205190101  山中胃腸科病院のところで県道407号線を越え、内部川に向かいます。「歩いて伊勢参りツアー」のときもこの内部川を渡っています。その時は、1.4㎞ほど下流にある河原田橋をわたっています(2021年7月18日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その1)……四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、内部川を越え、河原田へ)。このあたりは、2019年3月2日の近鉄ハイキングでも歩き、采女城跡にも登っています(20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。

Img_8941c_20220209124101 Img_8953c_20220209124101  内部橋を渡り切ったところで、階段があり、そこに「東海道」の案内があります。昔の東海道は、内部川に突き当たったところに采女橋がかかっていたのですが、それは今はありません。この階段を降りて、国道1号線の下をくぐったあたりが、旧東海道の道筋なので、このような変則的なルートになっているのです。

Img_8967c_20220205200601 220205toukaidouhinaga2  さらに小さい緑色の橋を渡って、国道1号線から左(南)へ分かれていくのが、東海道。すでに詳しいコースマップは、その2に入っています(右の画像)。コースマップはその2に入ってしまいましたが、内容的にはここで区切りがよいので、その1はここまで。その2は、杖衝坂の登り口にある金刀比羅宮や、うつべ町かど博物館から。

天気はよく、暖かかったのに鳥果少なし(微苦笑)……確定申告は完了【確定申告、その後を追加(2/9)】

Img_2173c_20220209164801 Img_2182c_20220209164801  藤原岳など鈴鹿の山は、相変わらず雪化粧していますが、日中は久しぶりに11℃を越え、日差しもあって暖かな日でした。散歩日和、バードウォッチング日和なのですが、こういう日は案外、期待通りには行かないものです(苦笑)。7時半からいつも通りに散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常信寺、寺町でちょっと買い物を済ませ帰宅。6.0㎞。

Img_1689c_20220209164901  住吉入江や諸戸氏庭園あたりには、いつもならカワラヒワ、ヒヨドリ、ハクセキレイがいるのですが、今日はサッパリ。住吉水門の内側にヒドリガモが17羽。今自分、皆ペアでいるのかと思うのですが、独り者もいるようです。揖斐川には、ヒドリガモ3羽、オオバン1羽、キンクロハジロなど、合計26羽が浮かんでいました。一部は、中洲近くにいて、種類の判別は困難。カンムリカイツブリは、今日は1羽しか見えず。

Img_1711c_20220209165901 Img_1743c_20220209164901  三の丸公園あたりも、ヒヨドリがいたくらい。何かの実を食べていましたが、今の時期、食べ物探しに苦労しているはず。コミュニティパークには、ハクセキレイだけ。西の堀には、オオバンが2羽。

Img_1770c Img_1805c_20220209164901  九華公園の北門では、ツグミが出迎えてくれました。北門を入ってすぐにサザンカの木があり、花が咲いています。ここにはよくメジロがいますが、今日も2羽が来ていました。ここで、四日市方面から来られる女性のバードウォッチャーの方に久しぶりに出会いました。いつもじっくり見て回り、丁寧に野鳥の写真を撮っておられ、見倣わなくてはなりません。

Img_1879c_20220209164901 Img_1906c_20220209164901  奥平屋敷跡では、いつものように1時間くらい鳥待ちをしたものの、これという野鳥はモズのオスだけ。セットメニューだったはずのカワセミ、今日は、声もせず。ずいぶん久しぶりにハクセキレイがやって来たものの、すぐにいなくなってしまいました。他にはドバト、ヒヨドリ、ハシボソガラスくらい。

Img_1912c_20220209164901 Img_1921c_20220209164801  カモは、合計36羽。すべてが二の丸堀の西側エリアにいます。ハシビロガモが13羽、ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモが1ペアで、他はキンクロハジロ。相変わらず「激減中」。キンクロハジロが減っていますが、なぜでしょう? 食べ物がない? 

Img_1940c_20220209164801 Img_1985c_20220209164801  オオバンが1羽。最近ずっといます。ユリカモメは、日によって数がかなり変動しています。今日は、6羽だけ。偵察部隊なのか、という気がしますが、分かりません。

Img_1952c_20220209164901  野球場にもツグミが1羽。今年は、本当に少ない。今日はシメはいません。最近、ビンズイも見なくなりました。この冬は、野鳥が少ないまま終わりそうな気がしてきました。

Img_2118c_20220209164801  貝塚公園ではモズを見つけ追いかけたものの、見失ってしまいました。他には、メジロとカワラヒワ。シロハラはいませんでした。今日は「いませんでした」が多い(苦笑)。内堀公園で、ジョウビタキのオス。

Img_2138c_20220209164801  常信寺でまた今日も、紅梅を見てきました。鎮国守国神社ではまだまだ咲きそうもないからです。気になって仕方ないのです(微苦笑)。常信寺も、まだ10輪も咲いていません。河津桜もまだ時間がかかりそうです。

Etax2  午後からは、いよいよ確定申告作業に着手。というと大げさですが……。小1時間で終了。実際の作業は、理屈を分かっていれば、さほど面倒ではありません。しかし、手をつけるまでが、「あぁ、めんどくさい」と思ってしまうのです。お陰様で、わずかながら還付金がありそうな見込み。とはいえ、医療費をそれなりに使っていますので、喜ぶべきかどうかはビミョー。これで、当面のdutyは、ご相談をいただいている方お一人の報告書のとりまとめ。半分くらいはできていますので、これはまた明日、気合いを入れることにします。

Img_2191c_20220209164801 Img_1652c_20220209171801  ところで、今日は、遠くもよく見えていました。左の写真には、木曽御嶽山(向かって右)と乗鞍岳が写っています。北の方にも、雪山が見えます。勝手に岐阜・福井県境の両白山地ではないかと思っていますが、確認していません。

Img_1540c_20220209172001  余談。2月3日にコミュニティパーク駐車場で、自動運転の実証実験をするタクシーを見つけました(2022年2月3日:午後から散歩で「ユリカモメの整列」……Zoom会議は、途中、Wi-Fiルータのエラーで切れてしまい慌てる【平治煎餅の福引き煎餅をもらった話を追加】)。その後、昨日、今日と寺町交差点あたりを走っているのを見かけます。運転席にはドライバーがおり、自動運転をしているのかどうかは、確認できません。ただし、スピードはあまり出ていませんので、自動運転している可能性がある名という気がします。

【確定申告、その後(2/9、18:30)】 上記のように、午後(15:37:08)、確定申告を終えました。私は、e-Taxとマイナポータルとを紐付けしてあります。確定申告を終えた1時間あまり後、マイナポータルからメールで「新しいお知らせが届いています。マイナポータルにログインして確認してください」というメールが届きました。早速、マイナポータルにログインするのですが、パソコンからはマイナンバーカードをカード・リーダを介して読み取る必要があります(この時点で、すでにめんどくさい)。「お知らせ」を開けると、「【税務署からのお知らせ】所得税及び復興特別所得税申告の受信通知」が届いていますとあります。これを開くと、「所得税及び復興特別所得税申告の受信通知を、e-Taxのメッセージボックスに格納しました。詳細は、関連ページに記載している『e-Taxメッセージボックスへ』リンクをクリックし、ご確認ください」とあります(この時点で、けっこうイライラしいます。元来は、かなり短気なのです。これはなくなった親父の保障付き(爆))。「e-Taxメッセージボックスへ」のリンクをクリックすると、e-Taxのメッセージボックスが別ウィンドウで開きます。そこには、「送信されたデータを受け付けました。なお、後日、内容の確認のため、担当職員からご連絡させていただく場合がありますので、ご了承ください」と書かれたメッセージがありました! 

 メール→マイナポータル→e-Taxと3段階を経て、ようやく肝心なメッセージに到達するという始末。これならメールで、前のパラグラフの最後にある「送信されたデータを受け付けました。なお、後日、内容の確認のため、担当職員からご連絡させていただく場合がありますので、ご了承ください」というメッセージを送ってくれば、それで事足ります。マイナポータルが利用されているという実績づくりをしているようにしか思えません。どこがDX推進なのでしょう? 役所に出向いたのに、たらい回しされている感覚が蘇ってきます。

2022年2月 8日 (火)

紅梅が咲き始めました……九華公園にホシハジロのオスがカムバック

Img_1493c_20220208165101 Img_1526c_20220208165101  ようやくいつもの散歩コースでも紅梅が咲き始めました。寺町にある真宗高田派の常信寺にある紅梅です。3輪ほどが咲いていました。鎮国守国神社の梅は、つぼみも小さくて、固く、咲くのはまだ先と思います。寺町商店街の河津桜は、木によっては右の写真のように、少し蕾が膨らんで緑色やピンク色がわずかに見えてきています。

Img_1511c_20220208165601  今朝は2.3℃とさほど冷え込みはしなかったものの、曇りで寒く感じました。散歩の帰りがけになって晴れ間も出て来て、ようやく少し暖かく、まさに「梅一輪 一輪ほどの 暖かさか(服部嵐雪)」という感じ。7時半から歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園からアピタ桑名店で新光堂書店に立ち寄り、常磐町、常信寺、寺町と6.8㎞。

Img_0893c  散歩に出てすぐ、拙宅マンションの小公園の植え込みからウグイスの地鳴き(リンク先で地鳴きの声も聞くことができます)。そっと近づくと、植え込みの中を動きながら「チャッ チャッ」と鳴いています。写真が撮れないかとしばらく待ったものの、断念。諸戸氏庭園前には、イソヒヨドリのメス。

Img_0948c_20220208170001  住吉入江には、カンムリカイツブリがいました。他にはオオバンが1羽。住吉水門の内側には、ヒドリガモが27羽も。キンクロハジロのメスも1羽。七里の渡し跡にはハクセキレイのペア、三の丸公園ではシメの鳴き声が聞こえていました。コミュニティパークには、このところ、スズメの群れ。30~40羽くらい。

Img_1137c_20220208165101 Img_1123c_20220208165101  九華公園には8時前に到着。管理事務所南の花菖蒲園のところにモズのオス。いつものモズのようでした。オスのモズは、奥平屋敷跡にも1時間ほどの間に3~4回登場。餌を求めて、決まったコースを巡回しているようです。奥平屋敷跡のすぐ北の花菖蒲園には、ツグミがやって来ました。若い印象。

Img_1182c_20220208165101  さらに、この頃、奥平屋敷跡での定番となった感じがありますが、カワセミも姿を見せました。ほぼ毎日見られます。モズのオスとカワセミ(これもオス)がセットメニューのようになっています(微笑)。

Img_1223c_20220208165101  カモは、今日も昨日と同じく、合計33羽と激減中。ただし、たぶん今年になってから初めて、ホシハジロのオスがいました。他は、ハシビロガモが15羽、ヒドリガモが1ペア。残りの15羽がキンクロハジロ。キンクロハジロが減っているのです。

Img_1231c_20220208165101  ユリカモメは、私が見た範囲では16羽。散歩友達のYさんが、それより早く見た時は25羽くらいいたそうです。二の丸橋の欄干への整列は、2月3日以来見ていません(2022年2月 3日 :午後から散歩で「ユリカモメの整列」……Zoom会議は、途中、Wi-Fiルータのエラーで切れてしまい慌てる【平治煎餅の福引き煎餅をもらった話を追加】)。

Img_1261c_20220208165101 Img_1318c_20220208165101  本丸跡で再びモズのオスに遭遇し、その後、北門の方から鎮国守国神社へ行こうと思ったら、社務所の裏にあるビワの木あたりにゴイサギが1羽いるのを見つけました。Yさんは、昨日も見たとおっしゃっていました。ひっそりと休んでいますので、見逃しそうでした。ゴイサギはいるようですが、以前ほどの数はいないというのが、今のところの推測。近くのサザンカには、メジロが蜜を吸いに来ていました。ダブル・メジロをゲット。

Img_1377c_20220208165101  鎮国守国神社から本丸跡に来たら、シメ。毎日は見ませんし、ここで見るようになったのもごく最近。

Img_1431c_20220208165101 Img_1454c_20220208165101  貝塚公園では、シロハラの証拠写真。けっこう追いかけたものの、こんなものしか撮れず。他にはメジロ、ヒヨドリ、カワラヒワ。内堀公園では、ジョウビタキのオス。他は、スズメ。新築公園にはヒヨドリとスズメ。アピタ桑名店の新光堂では文庫本を1冊お買い上げ。もう1冊探したものの、未入荷でした。

Img_1614c_20220208165101  拙宅前の住吉入江に戻って来たら、まだカンムリカイツブリがいました。他には、ヒドリガモが2ペア。まあまあの鳥果です。帰宅後、非常勤の授業のレポートの採点結果を確認、成績報告書と照合し、ミスはありませんでしたので、メールで提出。教務担当の方から受け取った旨の返信があり、これにて今年度の非常勤の仕事は、完了。

2022年2月 7日 (月)

ジョウビタキ・デーでした

Img_0438c_20220207175801  朝は、氷点下0.7℃。薄ら雪化粧していました。いつものように7時半から散歩を始めたのですが、10時近くまではほぼ曇りで、寒い感じ。10時過ぎくらいから太陽が出て来ました。寒さは少し和らぐという予報ですから、期待しましょう。散歩はいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、大央町、常磐町、京町、南魚町から八間通郵便局に立ち寄って切手を買って帰宅。6.6㎞。冒頭の写真は、柿安コミュニティパーク。

Img_0273c_20220207175801 Img_0302c_20220207175801  拙宅前の住吉入江、今日はここにヒドリガモが3ペアと、住吉キンクロウのメスが1羽。ヒドリガモがここまで入ってくるのは珍しい。諸戸氏庭園では、アトリが3羽。ただし、証拠写真。桑名七里の渡し公園との境にいました。前回もここで見ています。

Img_0368c Img_0398c_20220207175801  住吉水門の内側にもヒドリガモが5ペア。揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽。七里の渡し跡に、今日もまたカンムリカイツブリが1羽(右の写真)。奥の堀川の方へと泳いでいきました。この先は、歴史を語る公園の所につながっていますので、そちらでも見られるかも知れません。

Img_0511c_20220207175801 Img_0453c_20220207175801  九華公園、このところ静かな日々が続いています。その主たる要因は、ヒヨドリが少ないこと。今日も10羽もいませんでした。奥平屋敷跡でいつものように、鳥待ち。ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ、ハシボソガラスも来たのですが、目立ったのはモズのオス。何度も繰り返しやって来ます。カワセミも来たものの、シャッターを押す寸前に逃げられました。ここにある九華すずめ食堂、冬になってスズメが来ていません。先日はドバト食堂になっていましたが、ごく最近は、ムクドリ食堂になっていることもあります(右の写真)。スズメが来なくなってからオーナーの前管理人Oさんは、餌をやらないのですが、白米を置く人がいるので、それを目当てにやって来ます。

Img_0547c Img_0668c_20220207175801  二の丸堀の東側にユリカモメが集まっていました。よく見ると、遊歩道の角にパン屑がたくさんおかれていたのです。ユリカモメ、今日は、49羽。カモの写真を撮り忘れてしまったのですが、カモは合計33羽。なぜか激減。ハシビロガモは14羽でしたからヒドリガモは今日は見かけませんでした。

Img_0570c_20220207175801 Img_0590c_20220207175801  本丸跡で、ジョウビタキのオスとメス。オスは、ブランコの上に登場。メスは、鎮国守国神社を回って、外周遊歩道に出ようと思ったら、野球場のところに来ました。

Img_0646c_20220207175801  散歩友達犬のJちゃんに出会い、ふと見上げたらミサゴ。今日は、すぐに飛び去ってしまいましたので、証拠写真しか撮れず、ちょっと残念。

Img_0712c_20220207175801 Img_0732c_20220207175801  貝塚公園でもジョウビタキのオス、メス。今日は、年に何回かある「ジョウビタキ・デー」のようです(微笑)。ほかには、ヒヨドリのみ。

Img_0818c_20220207175801 Img_0785c_20220207175801  内堀公園でも、ジョウビタキのオス。これで5羽目。ベンチに座って一休みしていたら、植え込みの陰で何やら動いています。ツグミかと思ったら、これがシロハラ。今日は、貝塚公園では見ませんでした。内堀公園で見たのはほとんどないと記憶しています。貝塚公園と内堀公園とは、直線で300mほどの距離ですから、両方の公園を往き来しているのかも知れません。内堀公園では、他にカワラヒワ、シジュウカラ、スズメ。

Img_0853c_20220207175701  午後からは、非常勤の授業のレポートを再度読み、評価をチェック。さほど時間はかからないものの、手をつけるのに時間がかかります(苦笑)。成績表(Excelでつくったものが届いています)にも入力を終了。あとは、レポートにつけた評価と成績表に入力したものが同じになっているかを確認し、明日にでも提出するつもり。そうすると、dutyが1つ完了。ご相談をいただいていた方への「仮報告書(相談会を延期したための対応です)」も送付。残りのdutyは、確定申告と、もうお一方、相談をいただいている方の報告書のとりまとめ。なるべく早くに終えたいところ。

2022年2月 6日 (日)

今日は雪に降られたものの、「雪の中のカワセミ」をゲット

Img_9946c_20220206155501 Img_0001c_20220206155601  結論から書きますと、昨日は雪から逃れられましたが、今日はまともにやられました(苦笑)。幸運はそうそう続かない、ということです。家事を済ませ、7時50分頃から散歩に出ました。雪雲はかかっていませんでしたので、「大丈夫だろう」と思ってのことです。いつものように、住吉神社、九華公園と歩いていたら、冒頭の2枚の写真のように、九華公園で降られたのです(苦笑)。一時は、ご覧のような状況で、いったんは、やむなく撤退を決めました。しかし、内堀公園の東で雪はほぼ上がってきましたので、そこから、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と4.7㎞を歩いてきました。しかし、どこにもほとんど鳥も、散歩友達もおらず、寒かったので、9時半には帰宅。

Img_0186c_20220206155601 Img_0021c  しかしながら、九華公園の奥平屋敷跡南の遊歩道を歩いていたら、奥平屋敷跡の方にカワセミが登場! 雪が降っていてあまり明るくありませんでしたので、今ひとつでしたが、「雪のカワセミ」(笑)。

Img_9862c_20220206155601 Img_9891c_20220206155501  さて、話を戻して、住吉水門の内側にはヒドリガモが17羽。皆お休み中。揖斐川には鳥影はありません。七里の渡し跡では、コガモが13羽に、ヒドリガモが6羽。右の写真は、コガモのオス。九華公園に行くまでに見たのは、これらの他、ごく少数のムクドリ、ヒヨドリ、スズメのみ。

Img_9941c_20220206160501  九華公園のカモは、54羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモは12羽、他はキンクロハジロたち。ユリカモメは、36羽でした。途中から雪に降られましたから、どちらもカウントはちょっとアヤシいかも知れません。オオバンも1羽。内堀公園で花にいません。新築公園ではスズメだけ。

Img_0242c_20220206155601  我が家の前まで戻って来たら、お腹を空かせたヒヨドリが植え込みあたりでウロウロしていました。食べ物に困っているのでしょう。力なく、ヒーョ、ヒーョと鳴いていました。

Img_9898c_20220206155501  今週は、とくにアポイントはありませんが、レポートの評価と、確定申告を早めに済ませたいと思っています。レポートは一通り読んで、評価はしてあるのですが、もう一度目を通して、評価の確認をしなくてはなりません。確定申告の準備は完了。あとは、e-Taxで申告するだけ。写真は、伊勢一の鳥居と常夜燈。

2022年2月 5日 (土)

20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(予告編)

Img_8756c  一部では、今日は雪が降って、東海道ウォーキングには行けなかったのではないかと期待されたかも知れませんが(?)、それには反して、四日市・日永の追分から杖衝坂を上り、石薬師宿を通って、庄野宿の手前の鈴鹿・加佐登まで東海道を歩いてこられました。桑名のアメダスデータでは、最低気温は0.5℃、最高気温は7.0℃。時おりかなり雪が降っていたようですが、現地では、雪が北西の風によってたまに流れてきたくらいで、おおむね好天でした。昨年は、同級生K氏と、17回に分けて桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで歩いて参拝しました(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)。「今年はどうしようか?」と考えた結果が、まずは、四日市の日永の追分から関宿あたりまで東海道を歩こうということでした。私自身、この区間は通して歩いたことがありません(部分的には歩いていますが)。この東海道ウォーキングも、同級生K氏と二人旅。

220205toukaidouhinaga  今日は、その東海道ウォーキングの第1回。このマップのように四日市あすなろう鉄道・追分駅から、JR関西線・加佐登駅まで、10.4㎞を歩いてきました。

Img_8787c_20220205190101 Img_8783c_20220205190101  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。近鉄四日市駅で下車。¥300。四日市あすなろう鉄道の8時59分に出る普通・内部行きに乗り替え(冒頭の写真の電車)。追分駅には、9時12分に到着。¥270。写真が、追分駅。前にも載せましたが、だまし絵が書かれていて、こにゅうどうくんが飛び出して見えます。

Img_8800c_20220205190101 Img_8791c_20220205190101  9時15分過ぎにスタート。こちらの写真は、追分駅を出て、旧東海道に入っていくあたり。電車は空いていましたし、今日は街道歩きをするような酔狂な方には出会わず(苦笑)。右の写真は、最初の立ち寄り先である大蓮寺。当町南面に土岐代康氏が居城し、その跡に八幡宮を勧請し、祈願所を米田山珠寳法鎮寺と号しました。当初は真言宗でしたが、寛正元(1460)年真宗高田派に改めています。慶作の本尊阿弥陀如来立像を安置しています。

Img_8821c_20220205190101  Img_8874c_20220205190101 そのすぐ先に観音寺。珍しく黄檗宗のお寺。ご本尊は、千手観音です。山門は、四脚門形式となっていて、その上には「マカラ」が乗っています。マカラは、鯱状の煉瓦。観音寺のすぐ南に路地があり、そこには小許曽(おごそ)神社の一の鳥居があり、参道が西に向かって続いていますが、今日は、参拝はパス。以前、近鉄ハイキングで訪ねています(2019年3月2日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。

Img_8912c_20220205190101  小許曽神社の一の鳥居の先で東海道は右折、左折を繰り返し、願誓寺の前に出ます。真宗高田派真言宗であったのが、真宗高田派に改修しています。ご本尊である阿弥陀仏は、寺伝では、聖徳太子作といいます。この寺の前に服部泰次郎による小さい道標が2基あるというのですが、見つかりませんでした。道路の改修が行われていましたので、そのためかもかも知れません。

Img_8930c_20220205190101 Img_8967c_20220205200601  内部川に出ます。この川は、伊勢参りツアーのときも、伊勢街道の方で渡っています。橋を渡って、国道1号線から逸れ、左に入っていって、旧東海道に進みます。右の写真で前方に見える小高い丘を登っていくはず。

Img_9018c_20220205190101 Img_9001c_20220205190101  杖衝坂の手前に「うつべ町かど博物館」があるのですが、あいにく今日は休館日でした。右の写真が、うつべ町かど博物館の前から見た杖衝坂。日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山の荒神を討伐しての帰途、疲れて杖をついて歩いたと伝えられる所。古事記には、『吾足如三重勾而甚疲』(わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり= 私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた)といいます。

Img_9021c Img_9073c_20220205190101  坂を途中まで登ったところに、「杖衝坂」の石柱や、芭蕉句碑があります。芭蕉は、ここで落馬していて、「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」と詠んでいます。坂をほぼ登り切ったところの東側に血塚社。日本武尊が流した血に染まった石を集め、社を祀ったと云います。

Img_9094c_20220205190101 Img_9103c_20220205190101  このあたりからは標高50mほど。日当たり良好で、あちこちで梅がかなり咲いていました。写真は割愛しますが、ロウバイも見事な花が咲いているところがありました。

Img_9107c Img_9132c_20220205190201  国道1号線でいうと、「坂の下」あたりに「采女一里塚跡」の説明がありました。戦後しばらくは土盛した上に木柱が立っていたのですが、昭和30~40年代の国道1号線の拡幅工事にともない、姿を消しています。その後、国道1号線沿いに石碑が建てられました(右の写真)。江戸からは、101里。

Img_9146c_20220205190201 Img_9139c_20220205190201  豊富稲荷神社。創建は、寛治2(1088)年。万延2(1861)年、京都の伏見稲荷から稲荷社を勧請しています。

Img_9178c_20220205190201 Img_9190c_20220205190201  豊富稲荷神社を出てしばらく行くと、鈴鹿市に入ります。このあたり、旧東海道は、ほぼ国道1号線に沿っています。国分町交差点に延命地蔵尊があります。隣(向かって左)には、単直庵。

Img_9249c_20220205190201 Dsc_6310c  今日のゴールとしたJR関西線・加佐登駅あたりは昼食を食べられるところがありませんので、鈴鹿市自由ヶ丘あたりで昼食にしました。11時15分過ぎにレストランミヤコへ。ここ、実は私が、最初の勤務先である国立療養所S病院にいた頃、何度も昼食などを食べに来た店。この近くにあるレストランスオーや、来来憲(とんてきで有名)にも来ていました。いわば、ちょっとしたセンチメンタルジャーニー(微笑)。今日は、日替わりランチ、¥990。

Img_9286c_20220205190201 Img_9304c_20220205190201  12時頃再スタート。左の写真は、石薬師宿の入り口にある北町地蔵堂。しばらく進むと、大木神社の鳥居。ここから西に大木神社があります。大木神社は、式内社で宿場の鎮守という神社。

Img_9331c_20220205190201  その先に小澤本陣跡。石薬師宿は、さほど大きな宿場ではありませんでしたが、かなりの有名人がここ小澤本陣には泊まっています。忠臣蔵で有名な浅野内匠頭、大岡裁きの大岡越前守、江戸幕府の基礎を築いた徳川家光などの名前が、保存されている宿帳にあるそうです。千姫(家康の孫)が姫路城に行く際に宿泊したこともあります。

Img_9439c_20220205190201 Img_9401c_20220205190201  石薬師小学校のところには、佐佐木信綱記念館とその生家が移築されています。佐佐木信綱は、石薬師に生まれた歌人であり、国文学者として有名です。この記念館は、第1回の文化勲章をはじめ、信綱の著作や遺品を展示する資料館となっています。となりにある生家は、昭和45(1970)年に移築され記念館として開館したところ。現在の記念館は、昭和61(1986)年に完成しています。佐佐木信綱といえば、私には万葉学者の他、「夏は来ぬ」の作詞者というイメージがあります。記念館の内外には、この歌に出てくる卯の花(ウツギ)が、たくさん植えられています。

Img_9470c_20220205190201  佐佐木信綱記念館から石薬師小学校交差点を挟んだところに真宗高田派の浄福寺があります。ここは、佐佐木家の菩提寺。山門の前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑と、信綱の孫・幸綱の歌碑が建っています。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。

Img_9595c_20220205190301 Img_9539c_20220205190201  東海道をさらに進み、国道1号線を瑠璃光橋で超えると、高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。石薬師寺は、真言宗東寺派のお寺。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809~823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山西福寺瑠璃光院と称していたといいます。

Img_9629c_20220205190301  石薬師寺の東には、「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があります。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。遠江国蒲御厨(がまのみくりや)で成長したので蒲冠者と称したといいます。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいうようで、大木神社の境外末社です。なお、左の写真で鳥居に向かって右に写っているのは、スダジイの大木。地上1.5m程で大きく2幹に分かれており、幹周を実測すると7.15mあったそうです(ここを参照)。鳥居の脇に「蒲桜」への案内があります。

Img_9652c_20220205190301 Img_9658c_20220205190301  こちらが、蒲桜(かばざくら)。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。このため、「逆桜」ともいうようです。ヤマザクラの変種の一つ。蒲桜の近くでは、菜の花が満開でした。黄色が目に鮮やか。

Img_9679c_20220205190301  石薬師寺の山門前に戻って、東海道を下って300mほど行くと、蒲川に差し掛かります。ここは石薬師の集落が終わるあたり。蒲川橋の向こうに榎の大木が見えてきますが、ここが石薬師一里塚跡。江戸・日本橋からは102里(約399㎞)。かつては東海道の両側に榎が植えられていたのですが、榎は伊勢湾台風で折れたといいます。その後、昭和52(1977)年に、南側に榎の若木を植え、「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられました。

Img_9723c_20220205190301 Img_9767c_20220205190301  東海道は、この石薬師一里塚跡から左へ(西へ)折れ、JR関西線の下をくぐって、庄野宿へ向かいます。写真は、関西線の下をくぐったところ。これが東海道とは、ちょっと考えにくいような景色です。この先では、国道1号線をくぐり椎山川の橋を渡る等して、再び国道1号線に出ます。今日の東海道ウォーキングは、国道加佐登のバス停の先にある加佐登町交差点まで。

Img_9797c_20220205190301  加佐登町交差点で1号線を離れ、鈴鹿市加佐登の町に向かいます。14時頃、今日のゴールであるJR関西線加佐登駅に到着。このあたりは、私が青春時代を過ごしたところ。ここは、上述のように最初の勤務先である国立療養所S病院の最寄り駅なのです。今を去ること43年ほど前、御師T先生とともにこの駅に降りて、初めてS病院に向かったのです。あの頃は、「とんでもない田舎に来てしまった」と思った記憶があります。加佐登駅を14時34分に出る快速名古屋行きに乗車。桑名には、15時6分着。¥510。快速列車ですが、四日市までは各駅停車。四日市を出ると快速で、桑名に止まると次が名古屋。

Img_9835c  今日は、現地で10.4㎞、拙宅から桑名駅往復が2.2㎞を歩き、合計12.6㎞とかなり歩いてきました。歩数は、ご覧のように、23,218歩。久しぶりに2万歩を超えました。今日のところは予告編ですので、また、追々本編を書いていきます。

2022年2月 4日 (金)

立春寒波なるも、モズ、カワセミ……確定申告の準備中

Img_8733c  立春ですが、最高気温は9.5℃と寒くなっています。もちろん、二十四節気は、旧暦で考えなくてはなりません。旧暦の2月4日は、今年は3月6日です。明日、明後日はもっと寒くなり、東海地方でも雪が降るところがあるという予報です。今年は寒く、散歩コースではまだ梅が咲いていません。その散歩、今日も7時半にスタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園からアピタ桑名店で本を買って、常磐町、常信寺、寺町と7.0㎞。しかし、日が出ているとまだ暖かかったものの、曇っていると寒くて堪りませんでした。

Img_8076c Img_8090c_20220204171201  出がけは曇りで、鳥はあまりいませんでした。住吉入江にヒドリガモが8羽。住吉水門の内側です。揖斐川には、鳥影はなし。七里の渡し跡に、珍しくカンムリカイツブリが入ってきていました。ここで見たのは、たぶん初めて。辺りを見回しながら、ゆっくりと泳いでいました。

Img_8209c_20220204171201 Img_8347c_20220204171201 柿安コミュニティパーク西の堀にキンクロハジロが4羽、オオバンが2羽。コミュニティパークには、ヒヨドリが1羽いたのみ。九華公園は、静か。いつものように、奥平屋敷跡で鳥の出待ちをしていたのですが、ハシボソガラスが2~3羽、ヒヨドリが4~5羽、ムクドリなどが来たくらい。メジロがチラッと姿を見せたものの、なかなか。9時前になってようやくモズのオスが登場。そろそろあきらめてお開きにしようかといっていたら、カワセミがやって来ました。結果オーライですが、寒かったこと(苦笑)。

Img_8162c_20220204171201Img_8507c_20220204171201  カモは、73羽。ハシビロガモが多くて、17羽。ヒドリガモが2ペア。他はキンクロハジロたち。ユリカモメは、たぶん今シーズン最多の60羽。今日は、橋の欄干には並んでくれず、野球場の外野フェンスの上などで、待機。餌をやる人がいると、一斉に飛び立って行くということを繰り返していました。他には、鎮国守国神社でカワラヒワとジョウビタキのオス。どちらも写真には収められず。

Img_8556c_20220204171201  野球場のグラウンドに、ツグミが1羽。これまた、今シーズン、グラウンドでツグミを見たのは、初めて。そもそもツグミがほとんどいないからですが、去年だったかはここでツグミの群を見た記憶があります。何10羽といたはず。隔世の感があります。

Img_8573c  貝塚公園では、ツグミ、カワラヒワ、キジバト、ヒヨドリがいたほか、今日は、シロハラを確認できました。ここで、シロハラは、南側のエリアか、西側のエリアにいます。いずれも木々が生い茂り、ツツジの植え込みがあります。

Img_8611c_20220204171201 Img_8596c_20220204171201   内堀公園では、カワラヒワとジョウビタキのオス。他にスズメが20羽くらい。曇天の割に鳥は、まあまあよくいた方かも知れません。

Img_8689c_20220204174201  アピタ桑名店では、新光堂書店に立ち寄って、時代小説をゲット。井原忠政さんの「三河雑兵心得」シリーズにハマっています。喧嘩のはずみで人を殺め、村を出奔した17歳の茂兵衛が、松平家康の家来である夏目次郎左衛門の屋敷に奉公するところから始まる戦国足軽出世物語。登場人物が、「たぁけ」「~だら」などと三河弁でしゃべっているのが、何ともいえないのです(ただし、正直に書くと、やはりちょっともの足らない三河弁)。

Img_8718c_20220204171101  住吉入江まで戻って来たら、今日もまたカンムリカイツブリがやって来ていました。少しだけ夏羽にモデルチェンジ中のように見えます。

Img_8528c_20220204171201  ところで、こちらは鎮国守国神社。参道に「華まつり 献灯」ができあがっていました。今年1月19日の記事(モズのモフモフ……鎮国守国神社にWebサイトができていました)に書いたもの。「ここ2年ほど、コロナ禍で花見客も減少傾向にある中、是非とも花見の方々を減らすことなく、来城いただきたく本丸址に提灯を掲げて夜の花見もしていただけるよう観光にも力を入れたい」という趣旨です。電気の配線がされていて、電灯が灯るようです。提灯は80張りくらいが奉納されているようです。

Img_8132c_20220204171201  余談。国税庁から、確定申告をするようにというメールが届きました。準備はしていて、99%くらい終了。医療費控除の確認が少しだけ残っています。2~3日うちに済ませようと思っています。明日は、東海道ウォーキングに出かける予定ですので、雪など降らないことを祈っています。

Dsc_0219c  【忘れていましたので追加(2/4)】 昨日の記事(2022年2月 3日:午後から散歩で「ユリカモメの整列」……Zoom会議は、途中、Wi-Fiルータのエラーで切れてしまい慌てる【平治煎餅の福引き煎餅をもらった話を追加】)に載せた平治煎餅の福引き煎餅、煎餅の中に開運お守りが入っていました。今日になって調べたら、大・中・小の3種類の大きさがあるそうです(こちら)。津観音の「鬼押え節分」のおみやげとして昔から作られていたそうです。中心より福が出る厄除のせんべいとして名物となっているそうで、その昔は、平治煎餅ではない業者さんがつくっていたとか。ちなみに、食べようとして割るとき、「いったいどうやって割るのか?!」という緊張感がありました。さらに余談。こういう「福引き煎餅」は、Wikipediaによれば、「三重県の津市から松阪市にかけての中勢地区、また岐阜県の郡上市周辺で販売されている煎餅」だそうです。いやぁ、知らないことばかりで恥じ入ります。

2022年2月 3日 (木)

午後から散歩で「ユリカモメの整列」……Zoom会議は、途中、Wi-Fiルータのエラーで切れてしまい慌てる【平治煎餅の福引き煎餅をもらった話を追加】

0202zoom Img_7980c_20220203154701  節分です。恵方巻きは買いませんが、今年は、どういう風の吹き回しか家内がつくるといっています。午前中は、市役所の会議でしたが、時節柄、Zoomでオンライン会議となりました。ところが、途中で「ブチッ」と切れてしまい、さすがに慌てました(爆)。パソコンを見たり、ウロウロした結果、我が家のWi-Fiルータがエラーを表示しているのに気づきました。原因は不明でしたが、2~3回電源を入れ直したら、復帰。10分あまり、オンライン会議からいなくなってしまっていました。会議の流れについて行けなくなって、いささか戸惑って、ご迷惑を掛けたまま終了。役立たずでした(最初の方で、いくつか発言はしておりますが……)。

Img_7690c_20220203154801  ということがあり、散歩は午後から。13時過ぎに出て、住吉神社、九華公園から京町、寺町と4.7㎞ほどを回って、お茶を濁しています。まぁ、この時間ですと、野鳥はあまりいません。住吉入りには何もおらず。揖斐川には、キンクロハジロらしき姿が3羽ほど。七里の渡し跡に来たら、コガモが12羽とオオバンが1羽。石に着いた藻か何かを懸命に啄んでいました。

Img_7746c_20220203154801  九華公園も、野鳥も、歩く人も少なく、閑散としていました。散歩友達犬のJちゃんに会っただけ。鎮国守国神社では、宮司さんと氏子の方々が、「華まつり 献灯」の準備をしておられました。これはまた明日にでもしっかり見てきます。カモは、47羽といつもよりかなり少なめ。ハシビロガモが10羽の他は、キンクロハジロばかり。

Img_7763c_20220203154801 Img_7757c_20220203154801  ユリカモメ、今シーズン初めて、二の丸橋の欄干に並ぶのを見られました。44羽+α。いやぁ、午後から散歩でも良いことがありました(微笑)。

Img_7866c_20220203154701  九華公園の外周遊歩道では、メジロ。ハクセキレイもいたものの、ピンぼけ。他には、スズメ、ドバト、ムクドリ、カワラヒワなど。

Img_7894c_20220203154701 Img_7886c_20220203154701  京町へ行く途中、歴史を語る公園のそばを久しぶりに通ったら、カワセミの鳴き声が聞こえてきました。写真はイマイチですが、ここでカワセミを見たのは、いつ以来か? というくらい珍しい。

Img_7902c Img_7922c_20220203154801  さらには、ジョウビタキのオスも登場。午後からの散歩も悪くはないかも、と思ってしまいます。ここにはオオバンも2羽。

Img_7927c_20220203154701  ちなみに、ここ歴史を語る公園の東側には、旧桑名城の石垣がほぼそのまま残っています。以前は、ボートなどがたくさん係留されていたのですが、その数が減り、イシガキがよく見えるようになっていました。七里の渡し跡の川口水門から南大手橋に至る約500mに渡って、桑名城のイシガキがあり、市指定文化財になっています。

Img_7954c_20220203154701  京町公園で一休みしていたら、ここでもジョウビタキが出てきたものの、写真は枝かぶりの上、遠くてペケ写真。ちなみに、ここは東海道の京町見附があったところ。

Img_7974c_20220203154701  拙宅マンション前まで戻って来たら、植え込みからツグミが驚いて、飛び出してきました。枝かぶりですが、顔はちゃんと写っていました。

Img_7969c_20220203154701  レポートの後日談。締切を過ぎてから届いたものもあります。締切を勘違いしていたようです。というのも私のレポートは2月1日締切としたのですが、学生部へ提出するものは、今日が締切なのです。混同したというか、きちんと区別、認識していなかったというか。事前に「1日待ってください」とでも連絡してくればそれなりの対応をしますが、勘違いとか、忘れていたというのは正直な告白なのですが、アウトです。ちなみに、レポートは、まずざっと一通り目を通したところです。

Img_7721c_20220203154801  オマケ。散歩中、柿安コミュニティパークの駐車場で、変わったクルマを見つけました。遠目には、Googleのストリートビューを撮影するクルマかと思ったのですが、違いました。TierⅣ(ティアフォー)の自動運転の実証実験をするタクシーでした。後部ドアに三重交通のステッカーも貼ってありました。

Img_8001c_20220203170201 Setsubun06  さらなるオマケの話。家内が実家で平治煎餅の「福引き煎餅」をもらってきました。ご覧のようにデカい! これ、丸ごと、この形、大きさで1つの煎餅になっています。津観音の節分会式の土産として生まれた煎餅で、1月中旬から今日・2月3日までの限定販売だそうです。たぶん、普通の平治煎餅と同じく、素朴な玉子風味の香ばしい煎餅ですが、それがこの形と大きさになっているのが特別ということでしょう。右の写真は、平治煎餅本店さんのサイトからお借りしました。

2022年2月 2日 (水)

シメが地上に降りてエサ探し……レポートは閉め切られました

Img_7267c  相変わらず寒い日が続きます。今日の最高気温は、9.7℃。散歩している間は、よく晴れていましたが、午後からは雲も出て来ました。その散歩は、いつものように、7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園から今日は、大央町を回って常信寺、御坊さん、寺町と6.7㎞。冒頭の写真は、七里の渡し跡にある松と、伊勢一の鳥居。

Img_7564c_20220202162901  今日のトピックスは、こちら。シメです。冬に九華公園に来る鳥で、そういう意味では珍しくはないのですが、何といっても今年はその数が少ない。さらに、地上に降りて餌を啄んでいるところは、今シーズン初めてでした。藤棚の柱に隠れて、数メートルまで近づいて撮りました(微笑)。

Img_7212c_20220202163001 Img_7245c_20220202163001  桑名七里の渡し公園で、ジョウビタキのメス。諸戸氏庭園でアトリを見て以来(2022年1月21日:諸戸氏庭園でアトリ、九華公園にはミサゴ)、この桑名七里の渡し公園のもっとも西の出入り口(諸戸氏庭園との境目)からあたりをチェックするようにしています。毎回いるのは、ヒヨドリくらいですが、ときどき、ジョウビタキやメジロなどもいます。住吉水門の内側には、ヒドリガモが26羽もいました。

Img_7248c_20220202163001  揖斐川には、カンムリカイツブリが点在。これも冬の風物詩といってもよいかも知れません。今日は、その数3羽。他には、中洲近くにキンクロハジロが2羽。そうそう、Img_7278c_20220202163001 最近は、揖斐長良川の中洲の「集合場所」にはアオサギは来ていません。三の丸公園で、メスのモズ。追いかけました(苦笑)。ツグミも2羽いたのですが、あいにくピンぼけ写真。

Img_7340c_20220202162901  柿安コミュニティパークで桜。やはり想像通り、柿安創業150周年記念の植樹でした。「感謝」と大きく彫られた石が填められ、これで完成のようです。まったく個人的には、九華公園に創業150周年に合わせて、150本くらい桜の木を植えていただいた方が、多くの方が感謝されるような気がします。

Img_7333c_20220202162901  コミュニティパーク西の堀で、こんなものが。パッと見た時は、「何じゃ、こりゃ?!」と思ったのですが、オオバンでした。カモがよくしているように、「お休み体勢」でいるのです。首を後ろに回して、嘴というか頭を羽毛の間に突っ込んでいます。オオバンがしているところは、初めて見ました。

Img_7381c_20220202165201  九華公園は、今日も静か。ヒヨドリが極端に少ないためです。しかし、今の時期、ヒヨドリたちは食べ物がなくて、困っているはず。相撲場あたりで、スズメ、メジロ、カワラヒワ。恒例により、奥平屋敷跡で鳥待ち。しかし、待てど暮らせど、今日は何もやって来ません。ずいぶん待った挙げ句、モズのオスが登場。カワセミは、今日は鳴き声も聞こえず。

Img_7368c_20220202162901 Img_7421c_20220202162901  久しぶりの登場ですが、奥平屋敷跡にある「九華すずめ食堂」。ここにまったくスズメが来なくなって、前管理人Oさんもずっと餌やりは中止しておられます。が、今日は、どなたかが白米をおいて行かれたようです。私がここに着いて、30分ほど経って、ドバトが白米に気づきました(ちょっと遅い気もします)。

Img_7431c_20220202162901  大賑わい。押し合いへし合いにはなりませんでしたが、それでもこんな風。この下にも白米がこぼれいていたのか、ドバトが10羽以上、餌を拾っていました。「九華ドバト食堂」、大賑わいの段。

Img_7462c_20220202162901 Img_7470c_20220202162901  カモは、合計68羽。ヒドリガモがⅠペアと、ハシビロガモが19羽(一部ダブってカウントしたかも知れません。よく動き回っていましたので)、キンクロハジロ。

Img_7579c_20220202162901 Img_7585c_20220202162901  ユリカモメは、33羽。右の写真のようなシーンも撮れました。目のあたりが痒かったようです。

Img_7592c_20220202162901  九華公園の外周遊歩道の南側でツグミ。ちょっと枝かぶりですが……。

Img_7616c_20220202162901  貝塚公園では、シロハラ。明るいところに出て来ていました。他には、メジロ、シジュウカラ、カワラヒワがいました。内堀公園では、カワラヒワとスズメ。常信寺の紅梅は、今日もまだ咲いていませんでした(微苦笑)。いち早く見たいという気持ちが押さえられないでいます。ちなみに、鎮国守国神社の梅はまだまだ。

Img_7222c_20220202163001  ところで、昨日がレポートの締切でした。23時58分に届いたものもあります。期限までに届いたのは、90.7%でした。ということは、未提出者があります。もったいないと思うのですが、期限までに届かないものは仕方ありません。取り敢えず、文字数が指定に収まっているかをチェック。約40名分をこれから読んで、成績をつけます。われわれの学生時代は、優・良・可・不可でしたが、今は、秀・優・良・可・不可で評価。成績提出締切は、2月17日ですが、なるべく早めに終えたいと思っています。明日の午前中は、リモートで会議。散歩に行きたいところですが、午後からでしょうか? 午後は風が出てきたり、曇ってきたりするのが多いので、どうでしょう? 写真は、住吉神社の常夜燈。西側から撮っています。今朝の写真。太陽は、常夜燈の火袋の向こうにあるのです。

Img_7642c_20220202162901  オマケ。スイセンの花。内堀公園にて。九華公園の奥平屋敷跡の南西の端にもあったはずですが、今年は咲きません。ヒガンバナ科で、鱗茎があって、多年にわたって咲くはずですが、抜かれてしまったのでしょう。

2022年2月 1日 (火)

カワセミ、モズ、ジョウビタキにシロハラ……レポート提出締切でドキドキ(微笑)

Img_6756c  2月になりました。明後日が節分ですが、しばらくは寒さが続くという予報で、週末は一段と冷えるとか。今朝は、家事を済ませ、8時25分から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と6.0㎞。時間が遅いだけで、まったくいつもの通り(苦笑)。写真は、住吉水門から見た揖斐川、長良川河口堰方面。川面はきわめて穏やか。

Img_6760c_20220201153801 Img_6769c_20220201153801  住吉キンクロウも、オオバンもいませんでした。揖斐川には、カンムリカイツブリが6羽ほど。今日は、赤須賀の漁師さんは、休漁日。野鳥もお休みなのか、あまりいません。七里の渡し跡まで来たら、ヒドリガモが14羽とオオバンが1羽。8時半を過ぎたのに、歩いている人はあまり多くはありません。

Img_6799c_20220201153801 Img_6773c_20220201153801  柿安コミュニティパーク西の堀にカイツブリ。1月半ばに九華公園に来ていたカイツブリに似ている気がしますが、もちろん確かめる術はありません。ここにはキンクロハジロが3羽とオオバンが1羽。今年、オオバンがたくさん集まっているところを見ない気がします。いても2羽が一緒くらい。

Img_6780c_20220201153801  堀のそばの電柱にユリカモメが止まっていました。このユリカモメ、片脚で、釣り糸らしいものが見えます。この片脚&釣り糸は記憶があります。いつも九華公園に来ているユリカモメです。他にもユリカモメが1羽、飛んでいました。

Img_6879c_20220201153801 Img_6892c_20220201153801  九華公園には、8時45分頃到着。いつもより50分くらい遅い。ヒヨドリは少なく、メジロ、シジュウカラの鳴き声が聞こえます。奥平屋敷跡には、散歩&鳥見友達のYさんとWさん、前管理人Oさん。今日もモズが来たくらいで、何も来ないそうです。ここに着く前、管理事務所の南でカワセミを見ていたのですが、写真は撮れませんでした。残念に思っていたら、こちらにやって来てくれました(微笑)。モズのオスも登場。枝かぶりですが、載せておきます。

Img_6973c_20220201153801 Img_6919c  カモは相変わらずのメンバーで、合計64羽。ヒドリガモは、今日は1ペア。ハシビロガモは13羽で、他はキンクロハジロ。オオバンが1羽。

Img_6940c_20220201153801  ユリカモメは、今日は今シーズン最多。49羽。「お尻写真」を撮ろうと思ったら、睨まれました(苦笑)。例年、このお尻写真も、もっとたくさん並んだところを撮るのですが、今シーズンは、ここにも並ばないのです。

Img_6987c_20220201153801 Img_7019c_20220201153801  他に九華公園で見たのはカワラヒワと、メジロくらい。カワラヒワの周りには小さい虫が飛んでいるのが写っていました。左の写真にも写っているのですが、ピンぼけで分からないかも。

Img_7038c_20220201153801 Img_7059c_20220201153801  貝塚公園で鳥を探していたら、シルバー人材センターの方から来た男性が、「オーイ、久しぶり!」と声をかけてこられました。一瞬、誰だか分からなかったのですが、以前、ここの草刈りなどを担当しておられた方。この方も鳥好きで、その頃はよく話をしたものでした。しばし、最近の鳥見について話をしてきました。ここで、ジョウビタキのオス、メス1羽ずつ。他には、カワラヒワ、メジロ、シジュウカラ。ウグイスも見て、追いかけたのですが、写真は撮れず。

Img_7078c_20220201153701  ウグイスを追いかけた先で、シロハラ。今年3回目くらい。例年、九華公園にも来るのですが、今年はまだ貝塚公園と、拙宅マンションでしか見ていません。

Img_7110c_20220201153701 Img_7120c_20220201153701  常信寺で紅梅、寺町商店街で河津桜の様子を確認。常信寺の紅梅は、咲きそうでなかなか咲きません。いつぞや書いたように、期待が高過ぎなのかも知れません。寺町の河津桜、この間までよりつぼみが膨らんで来ていました。

Img_7142c_20220201153701 Img_7153c_20220201153701  拙宅マンション前の住吉入江に来たら、まずはカイツブリ。朝、柿安コミュニティパーク西の堀にいたカイツブリに似ています。さらには、カンムリカイツブリも登場。

Img_6744c_20220201153801  ところで、何度も書いていますが、今日が非常勤の授業のレポート提出締切。16時現在、提出者は70%あまり。朝から、数字はあまり伸びていません。すでに夕方ですから、これからというか、たぶん夜から夜中にかけてメールで届くのかと思います。ヒョッとしたら、締切ギリギリが多いかも知れません。昨年の遠隔授業のとき、毎回課題を課したのですが、締切に遅れる学生もたまにありました。そういうことはないように願います(こちらも困るからです)。

« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »

2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)