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2022年1月13日 (木)

20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その3)……専修寺を出て、聖俗の結界を抜け、仲之町商店街から橋向通を経て、臼井織布さんを見てゴールの伊勢鉄道・東一身田駅へ「完」

220110oshichiya2  1月10日の勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」への本編その3です。その2までで、専修寺境内、窪田の常夜燈、一御田神社などを周り、昼ご飯も済ませ、土産も1つゲットしました。その3では、専修寺の山門を出て南へ。聖俗の結界である釘貫門を抜け、古くからの仲之町商店街へ。ぶらぶらしつつ、岡田屋さんで昔からの本山土産である「桜おこし」をお買い上げ。道標・高札場跡から黒門跡を経て橋向通から伊勢別街道へ。臼井織布さんの外観だけ眺め、ゴールである伊勢鉄道・東一身田駅へ。

Img_5971c_20220112072601  釘貫門に向かう前に、専修寺の山門前、東側にあるお寺。玉保院(ぎょくほういん)。山門から南を向いて、左側にあります。玉保院の向かいには、智慧光院があり、参道は石畳。さらには古い町並みと一体になって、本山の門前にふさわしい雰囲気を醸し出しています。

Img_5975c  釘貫門を越えて振り返って見た山門の方向。釘貫門は、柱を立てて並べ、横に貫を通しただけの簡単な門です。町の入り口に設けられた木戸を示すこともあるようです。一身田寺内町では、現在は、この山門前の釘貫門だけが残っていますが、宝暦年間(1751~63年)の絵図には、他に3カ所の矢来(釘貫門)が描かれています。釘貫門は、写真にあるように、道を挟んで東西に同型同大の2棟からなっています。両方をつなぐ構造や、開閉装置はないものの、専修寺では釘貫門と呼ばれています。この門は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北に位置し、堀に架けられた石橋と併せて「聖俗の結界」をなす役割を担っています。

Img_5990c_20220110175501 Img_6154c_20220110175601  仲之町商店街。江戸期以来から続く伝統ある店が軒を連ねています。「たけやのまんじゅう」の横断幕や、幟旗が歴史を感じさせますし、昔の商店街での大売り出しのイメージがあって、何ともいえません。この商店街にある岡田屋さんで昔からの本山土産である「桜おこし」(ミックス)、¥800を購入。これは、お七夜のときの私の定番土産(微笑)。

Img_5996c_20220112075401  商店街の中程に、見逃しそうな細い水路があります。「旧村界水路」という説明板がありますが、この水路が、旧窪田村と旧一身田村の境界でした。「水路」というと、立派なものをイメージしますが、「溝」といった方が正確でした(笑)。ちなみに、万治元(1658)年に津藩二代藩主藤堂高次が娘を専修寺に輿入れさせるにあたり、この溝の西側の窪田村領地を専修寺に寄進しました。この溝を境に、寺内町の地番は3桁と4桁に分かれるなど、今も村境であった名残が垣間見えます。

Img_6003c_20220112075701  仲之町商店街の東端に近いところに「和菓子京林堂」のお店があります。実は、家内からここで「カレー焼き」を買ってくるようにという指示があったのですが、あいにく休業。津駅近くの羽所町にも同系列の店があるそうです(さかえや)。

Img_6011c_20220110175501  三叉路まで来ると、百五銀行一身田支店の角に道標があります。道標の東側には「右 江戸みち」、南側には「左 御堂並京道」と刻まれています。裏に回ると、西側には「右 さんくう道」、北側には「天保八年酉九月」とありました。天保8年は、1837年。干支は丁酉(ひのととり)、大塩平八郎の乱があった年です。天保元(1830)年には、伊勢御蔭参りが大流行したそうですから、その頃、ここも旅人で賑わったかも知れません。ここは、また、高札場もあったところ。

Img_6023c_20220110175501 Img_6026c_20220112080401  百五銀行の前の南北の通りが、橋向通。ここを右折し、南へ。毛無川に行き当たります。この毛無川も、環濠の一部を形成しています(それにしても、嫌な名前の川だなと、K氏とぼやきました)。

Img_6030c_20220112080401  ここは、黒門跡。一身田寺内町の南側出入り口でした。橋のたもとに番小屋と門があり、門は明け六つ(午前6時)に開かれ、暮れ六つ(午後6時)に閉じられました。門が黒色に塗られていて、黒門。黒門は、現在は、高田幼稚園のところに移設されています。

Img_6032c_20220112080401 Img_6040c_20220113111401  黒門から南の橋向通は、万治元(1658)年以来、25軒が水茶屋の営業を許されましたが、それぞれ遊女を抱えて、遊郭街として繁昌したといいます。滝沢馬琴は、参宮旅行記の中で、「山田の古市、松阪に次ぐ第3の遊郭」と評しているそうです。現在は、遊郭の名残はありませんが、妻入り造りの家があり、その形を留めているといわれます。

Img_6036c_20220113111401  余談気味ですが、黒門跡から少し先のところにこんなものがありました。これはガソリン給油機。現代の給油所では、天井からホースが垂れ下がるタイプと、地面に立っている給油機がほとんどで、いずれにしてもガソリンなどをそれぞれの地下タンクから電動ポンプで吸い上げ、給油します。こういう電動ポンプ型は、昭和30年前後から普及したもので、それまでは手動ポンプが主流でした。手動方式にも、地下タンクからの据え置き型と、移動可能な物の2種類があり、移動型の方が古い形式です。ここで見つけた給油機は、車輪が付いてていますから、移動型。手動で回すところもあります。寅年に合わせたのかどうかは分かりませんが、虎模様にペイントされていました。

Img_6047c_20220110175501  橋向通は、伊勢別街道に通じています。その交差点の東角にあるのが、臼井織布。津の周辺は、絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地でしたが、ここ臼井織布は、現在ただ1軒残っている伊勢木綿のメーカー。伊勢木綿は、綿とは思えないほど暖かく、しわになりにくいのが特徴だそうです。一般の綿は、洗うと硬くなるのに対し、伊勢木綿は洗えば洗うほど風合いが出るといいます。ここには、同級生K氏が行きたいといったのですが、それは、豊田佐吉が大正4(1915)年に発明したY型自動織機(豊田式鉄製小幅動力織機Y式)が、未だに稼動しているから。あいにく、臼井織布さんは、土日祝日は定休日。外観だけ眺めて来ました。

Img_6059c_20220113111401  上に書いたように、臼井織布さんの前の道は、伊勢別街道。関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)の街道です。大和から伊賀を通って伊勢に至る主要ルートでしたし、また、一般の参宮道者も通ったとされる古くからの歴史ある街道です。ここをしばらく歩いて、ゴールに設定した伊勢鉄道・東一身田駅へ。

Img_6062c_20220110175601 Img_6082c_20220110175601  伊勢鉄道・東一身田駅。ここまで7.4㎞を歩いて、14時20分頃に到着。伊勢鉄道は、いわゆる第三セクターなのですが、黒字経営。名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として、JR東海の特急「南紀」や、快速みえがここを通過します。

Img_6118c_20220113113001Img_6103c_20220110175601  伊勢鉄道の車両は、「イセIII形気動車」。平成15(2003)年から平成17(2005)年にかけて富士重工業で製造された軽快気動車だそうで、ローカル鉄道にしては新しくて、気持ちの良い車両。2月28日まで「モータースポーツのまち『鈴鹿』』キャンペーンが行われていて、そのヘッドマークが着いていました。14時44分のJR四日市行き普通に乗車。JR四日市駅には、15時18分に到着。

Img_6136c_20220113113501 Img_6111c_20220110175601  四日市でJR関西線に乗り替え。15時26分発の快速みえに乗り、桑名には、15時37分。東一身田駅から桑名駅まで通しで、¥860。

Img_6125c_20220113113701  JR四日市駅では、伊勢鉄道の発着ホームは、JR線のホームの南端にあります。乗り換えに不便はないのですが、ちょっと端っこに追いやられている印象(微苦笑)。1・2番線の先に、切り欠きのように3番線があって、そこが伊勢鉄道のホームになっています。

Img_6147c  この日の歩数は、18,237歩。現地で7.4㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計9.6㎞を歩きました。

Img_6165c_20220113113901  こちらが土産。左側の2つが岡田屋さんで買ってきた昔からの本山土産である「桜おこし」。右は、専修寺の茶所で買った「高田山ゴーフル」。どちらも好評でした(微笑)。

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