20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(予告編)
桑名では14℃を越え、風もなく、暖かい日でした。予定通り、「高田本山専修寺のお七夜」へ行ってきました。いつものように同級生K氏と二人旅。今日のところは、予告編。
近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗って、白子駅に9時12分に到着。普通電車の津新町行きに乗り替え。9時14分発車で、最寄り駅の高田本山駅には、9時30分に到着。¥700。高田本山までは、西にほぼ一直線で1.3㎞ほど。9時半過ぎにスタート。
こちらが今日歩いてきたコースの全体マップ。私が拝観したかった雲幽園・安楽庵の案内が10時からと13時からの2回でした。10時に間に合いそうでしたので、参拝する前に庭園の拝観へ。その後、太鼓櫓、御影堂、如来堂など、専修寺境内を周り、そこからちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から中之町商店街を経て、道標1基を見て、黒門跡から伊勢別街道へ。伊勢木綿の臼井織布の建物を見て、伊勢鉄道・東一身田駅にゴール。
一身田寺内町(いっしんでんじないちょう)は、高田本山専修寺を中心にして発展した寺内町で、特に現在もほぼ完全な形で環濠が残されるなど、多くの文化財や歴史的な町並みを現在に伝えています。高田本山駅から来て、環濠にかかる栄橋を渡ると、高田本山専修寺も目の前。山門が見えてきます。重要文化財。ここに着いたのは、9時50分を過ぎた頃。
10時からの庭園拝観に行った方が、あとからの行動の自由度が高いと考え、参拝する前に、集合場所の茶所へ。この茶所も重要文化財。10時に集まっていたのは、お子さんも含め9名。一身田寺内町の館のほっとガイド会の方が案内してくださいました。
雲幽園(うんゆうえん)は、御影堂・如来堂の背面にあります。池泉回遊式の庭園で、中ノ島をもつ北寄りの池庭と、二つの小島をもつ南の池庭からなり、これを折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいます。おそらく人があまり入っていないためと思いますが、苔庭が見事。作庭年代は、南北朝時代以前とする説もあるそうですが、石橋の形式は江戸中期のもので、藤堂高虎が持ち込んだといいます。
雲幽園に茶席「安楽庵」があります。千利休の長男道安と織田信長の弟有楽齋の合作といわれ、安楽庵の名前もこの二人の名前から取られた、という言い伝えもあるそうです。安楽庵の由来には他の説もありますが、いずれにしても江戸時代初期の名席とされています。安楽庵の全体像をうまく捉えられるところがなく、写真撮影には苦労しました。結局、ここは待合というところと思います。
御影堂。国宝に指定されています。親鸞聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇および両余間に敬置するお堂となっています。 畳780枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中でも五番目の巨大な堂だそうです。内部の写真も撮ることができるのですが、「個人利用に限る」ということで、ネットには載せられません。
如来堂。こちらも国宝。御影堂の西にあり、御影堂とならんで南に向いています。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊としています。ちなみに、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。
御影堂と如来堂とを結ぶ「通天橋」。こちらは、重要文化財。両御堂の縁側にかかっているため高床となっており、板張りで、柱間はすべて吹抜けになっています。内側の天上のあたりには、細部に彫物が多用されており、同一部材でも彫物の図柄や形に変化を持たせ、建物の単調さを防ごうとする工夫が凝らされています。このあと、親鸞聖人の御廟と御廟拝堂を見て、納骨所へ。ときどき書いていますように、専修寺には家内の父親のお骨が納めてありますので、必ずお参りというよりは、挨拶をしてきます。
いったん境内の外に出て唐門を眺めました。ここから、さらに専修寺を離れ、窪田へ。JR紀勢線一身田駅を過ぎて少し行くと、伊勢別街道沿いに窪田の常夜燈があります。この常夜燈、右の写真でも想像できるかと思いますが、かなり大きいもの。津市でもっとも大きな常夜燈です(高さは、8.6m)。伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。この常夜燈は、近江の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに置かれました。
一身田に戻り、一身田寺内町の館(左の写真は、2018年9月28日の撮影)へ。ここは、寺内町の文化や歴史を紹介する施設。館内には、寺内町の模型もあります。
続いて、一御田(いちみた)神社。一身田に人が集落を形成し出したのは、寺内町が生まれる前のことと考えられています。それを示す最古の資料として、この一御田神社の棟札に嘉吉3(1443)年という記録が残されているそうで、そのころは農村集落であったと考えられています。ここには、室町時代のものという能面も伝わっています。御祭神は、高皇産靈神(タミミムスビノカミ)、神皇産靈神(カムミムスビノカミ)、大日霎貴神(オオヒルメムチノカミ)。
再び、専修寺の方へ戻ります。この頃13時過ぎ。そろそろ高田会館にある和彩あかりが空いてきたかと思ったのです。そうです、昼食なのです(微笑)。お七夜で、昼食は4種類のメニューに限定されていました。このあかりで伊勢芋のとろろを食べたいとかねてより思っていたので、「まぐろとろろ丼」(¥1,300)をチョイス。満足。
茶所で土産を買ってから、山門をくぐって南へ。石畳の道を行くと、「釘貫門(くぎぬきもん)」と石橋があります。釘貫門は、道を挟んで東西に同型同大の2棟からなっています。両方をつなぐ構造や、開閉装置はないものの、専修寺では釘貫門と呼ばれています。この門は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北に位置し、堀に架けられた石橋と併せて「聖俗の結界」をなす役割を担っています。
釘貫門から少し南へ行くと、一身田の昔からの商店街・仲之町通。こちらもけっこう賑わっていました。江戸時代から続く商家もあるそうです。ここでは、御菓子司岡田屋さんで、昔ながらの桜おこしを購入。商店街の東の橋には、百五銀行一身田支店があり、そこに道標。道標の東側には「右 江戸みち」、南側には「左 御堂並京道」と刻まれています。西側には「右 さんくう道」、北側には「天保八年酉九月」とありました。天保8年は、1837年。ここは、高札場もあったところ。
道標の所で右折し、南へ。じきに環濠となっている毛無川に行き当たります。ここは、黒門跡。黒門は、現在は、高田幼稚園の所に移設されているといいます。百五銀行に面した南北の通りを「橋向(はしむかい)通り」と呼びます。黒門から先は、かつて歓楽街で、江戸時代には水茶屋が25軒もあったといいます。滝沢馬琴は、旅行記で「伊勢の古市、松阪に次いで、伊勢国で第3位の遊郭街だった」と記しています。遊郭であったという名残は感じられませんでしたが、古い建物はいくつも残っていました。
こちらに来たのは、この臼井織布を見るため。津の周辺は、絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地でしたが、ここ臼井織布は、現在ただ1軒残っている伊勢木綿のメーカー。同級生K氏が行きたいといったのですが、それは、豊田佐吉が大正4(1915)年に発明したY型自動織機(豊田式鉄製小幅動力織機Y式)が、未だに稼動しているから。あいにく、臼井織布さんは、土日祝日は定休日。外観だけ眺めて、ゴールに設定した伊勢鉄道・東一身田駅へ。
伊勢鉄道・東一身田駅。ここまで7.4㎞を歩いて、14時20分頃に到着。伊勢鉄道は、いわゆる第三セクターなのですが、黒字経営。名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として、JR東海の特急「南紀」や、快速みえがここを通過します。
14時44分のJR四日市行き普通に乗車。JR四日市駅には、15時18分に到着。ここでJR関西線に乗り替え。15時26分発の快速みえで、桑名には、15時37分。東一身田駅から桑名駅まで通しで、¥860。
今日の歩数は、18,237歩。現地で7.4㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計9.6㎞を歩きました。
今日の土産。左は、専修寺の茶所で購入した「高田山サブレ」、定価¥850でしたが、賞味期限が近いということで35%ディスカウントで¥595。右は、昔ながらのお七夜土産である「桜おこし」。岡田屋さんで¥800。
本編は、また明日以降、ボチボチと書いていきます。
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