20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その1)……専修寺でまずはお庭を拝見し、太鼓門、御影堂、如来堂、通天橋へ
1月10日に行ってきた「高田本山専修寺のお七夜」の本編その1です。この日のハイキングが、今年の「ハイキング始め」です。私自身は、専修寺のお七夜は、これまでに何回か出かけています(2018年1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺、2018年1月13日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」、2018年1月16日、勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(予告編)、2020年1月12日:20200112近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策へ」(完)など)。ただ、これまで庭園(雲幽園)と茶室(安楽庵)を拝観する機会がありませんでした。これらは是非一度は見てみたいと思っていました。昨年は、新型コロナで行けませんでしたので、今回是非にと考えたのです。冒頭の写真は、御影堂の遠景。
近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗って、白子駅に9時12分に到着。普通電車の津新町行きに乗り替え。9時14分発車で、最寄り駅の高田本山駅には、9時30分に到着。¥700。途中、おもしろい経験をしました。白塚駅で、「車両の取替をしますので、着いたホームの向かい側の電車にお乗り換えください」ということがあったのです。不具合があったのではなさそうです。9時半過ぎにスタート。今回も、同級生K氏と二人旅。
こちらが、歩いてきたコースの全体マップ。私が拝観したかった雲幽園・安楽庵の案内が10時からと13時からの2回でした。10時に間に合いそうでしたので、参拝する前に庭園の拝観へ。その後、太鼓櫓、御影堂、如来堂など、専修寺境内を周り、そこからちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から仲之町商店街へ。そこでも土産をゲット。百五銀行のところで道標1基を見て、黒門跡から伊勢別街道へ。伊勢木綿の臼井織布の建物を見て、伊勢鉄道・東一身田駅にゴール。
詳細なルートマップのその1。とはいえ、このマップの範囲では、どこにも立ち寄っていませんし、帰り道の東一身田駅までのルートも入っています(苦笑)。近鉄名古屋線高田本山駅から高田本山までは、西にほぼ一直線で1.3㎞ほど。ということで、右がルートマップその2。高田本山専修寺の境内は、あちこち移動しましたのでルートが複雑になっていますが、順番に書くと、茶所に集合してまずは雲幽園・安楽庵、対付いて、太鼓櫓から御影堂、如来堂、通天橋、御廟拝堂、納骨堂へ。休憩所で一休みしてから、いったん境内の外へ。唐門を眺め、窪田の常夜燈を見て、一身田寺内町の館、一御田神社と回ってから、13時頃に昼食。高田会館にある「和彩あかり」にて。再び境内に戻って、茶所で土産その1をゲット。山門をくぐって釘貫門を抜けて仲之町商店街へ。ここでも私は土産その2をゲットしています(苦笑)。百五銀行一身田支店の角にある道標・高札場跡から、毛無川にかかる橋のところで黒門跡を見て、橋向通を南に向かいます。
一身田寺内町(いっしんでんじないちょう)は、高田本山専修寺を中心にして発展した寺内町で、特に現在もほぼ完全な形で環濠が残されるなど、多くの文化財や歴史的な町並みを現在に伝えています。高田本山駅から来て、環濠にかかる栄橋を渡ると、高田本山専修寺も目の前。お七夜に出ている露天が見えてきます。
こちらは、山門。重要文化財。専修寺の総門にあたります。すぐ前には、道をへだてて石畳が伸び、その途中の左右にある玉保院、智慧光院、釘貫門や石橋、さらには古い町並みと一体になっています。山門は、2階建で、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの大きな門。宝永元(1704)年頃に完成したと考えられています。でここに着いたのは、9時50分を過ぎた頃。
10時からの庭園拝観に行った方が、あとからの行動の自由度が高いと考え、参拝する前に、集合場所の茶所(左の写真)へ。この茶所も重要文化財。湯茶の接待所ですが、中へ入ると、正面が仏間で、大きな仏壇が設けられています。間口18.45m、奥行13.21m、木造平屋建て。山門を入ってすぐ右手にあります。10時に集まっていたのは、お子さんも含め9名。一身田寺内町の館のほっとガイド会の方、お二人が案内してくださいました。
「雲幽園(うんゆうえん)」と呼ばれる庭園は、御影堂・如来堂の背面に接しています。この庭園は、中の島をもつ北寄りの池庭と、二つの小島をもつ南の池庭からなり、これを折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいる池泉回遊式の庭園になっています。一面に杉苔が生え、また、種々の竹の間を通って、茅葺の屋根がある惣門を抜け、左に折れると短冊形をした石橋がかかり、ここから飛び石伝いに茶席「安楽庵(あんらくあん)」に至ります。
作庭年代は、南北朝時代以前とする説がありますが、石橋の形式は江戸中期のものです(左の写真。藤堂高虎が持ち込んだという説があるそうです)。この庭園は、水際にも石組みがまったく使われていません。「州浜形(すはまがた)」というそうです。しかし、そもそも庭園の見方をよく知らず、また、通路から外れたり、苔を踏んだりしないようにと注意された中での拝観で、なかなかこれはという撮影スポットに行き当たらず、写真は不出来で苦笑せざるを得ません。
安楽庵は、茶席は本席と略席の二棟からなり、二畳半に半畳の鱗板を入れた少人数の席で、主人と客席との間に太鼓張りの襖を入れるなど、珍しい趣向が凝らされているそうです。「そうです」と書いていますが、内部は拝観できず。また、茶道についての心得も知識もありません故、パンフレットと説明で伺った話がネタ元(苦笑)。浅学非才が、露見しています。これについては、千利休の長男道安(どうあん)と織田信長の弟有楽齋の合作のためといわれ、安楽庵の名前もこの二人の名前から取られた、との言い伝えもあります。茶席の由来については、異説もありますが、いずれにしても江戸時代初期の名席とされています。
左の写真の中央には、「刀掛け」の棚が見えています。武士はここに刀を掛け、写真にもあるにじり口から茶席に進みました。ヘンなところに興味を持ちますから、笑われること必至ですが、右の写真は「砂雪隠」。「雪隠」ですから、今でいえばトイレ。砂雪隠は、 茶の湯で、露地口の内に設けた雪隠。自然石を置き川砂を盛り、杖を添えてあります。本来、貴人の用便のためのものですが、現在では装飾用。広さは一坪内外で、自然石を置き、川砂を盛り、砂かけ用の触杖(そくじょう)を添えるといいます。
話がヘンな方に逸れましたが、かねてから見たいと思っていたお庭と茶席を見られ、満足。ご興味がおありの方には、機会がありましたら、是非一度拝観されることをお勧めします。ただし、普段は入れません。今年のお七夜期間中は、15日までは10時と13時の2回、16日は10時から案内していただけます。
さて、雲幽園・安楽庵から戻って、境内の主なところを見て、御影堂・如来堂にお参りをすることに。まずは、寺の東の端にある太鼓門。平屋建ての長屋門の上に三層の櫓が乗っており、その最上階に大太鼓が吊ってあります。明治5(1872)年の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、この太鼓が町の人々に時刻を知らせていたそうです。太鼓番は、この門の長屋部分に住んで、太鼓を打っていたといいます。少なくとも正徳2(1712)年より時の太鼓が行われたと考えられています。現在の建物はいつの建築か明らかではありませんが、宝暦12(1762)年ころと推定される木版絵図には、現在地に一層だけの櫓をのせた「太鼓門」が描かれており、文久元(1861)年の親鸞聖人600年忌法要の記念事業記録の中に太鼓門を三層に嵩上げした、という記事があるそうですから、このときに大改造されたと思われます。
こちらは御影堂(みえいどう)。国宝に指定されています。親鸞聖人の木像が、中央須弥壇上に安置され、また、歴代上人の画像が、両脇壇および両余間に敬置されるお堂となっています。 畳780枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中でも五番目の巨大な堂だそうです。内部の写真も撮ることができるのですが、「個人利用に限る」ということで、ネットには載せられません。
御影堂の西にあるのが、如来堂(にょらいどう)。こちらも国宝。御影堂とならんで南に向いています。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊としています。ちなみに、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。「証拠の如来」といわれる由縁は、こちらにありますが、第10世真慧(しんね)上人の時代のこと、本願寺の中興上人といわれる蓮如上人が、教団を拡張する手段として「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」という名号を配っていました。しかし、中にはこの「無碍(さしさわりのない)」という意味をはきちがえて「この名号を称えておれば、どんな悪事を働いても、往生の障りにはならぬ」といって、集団で乱暴するものがでてきて、蓮如上人も押さえがきかなくなったといいます。そこで真慧上人が比叡山に登って無碍光如来の正しい意味を説明し、7日間にわたって真宗の正意を講じたところ、その博識、弁舌に加えて確かな正意安心(しょういあんじん)に全山の僧侶が感動し、親鸞聖人の再来ではないかとうわさされたそうです。さらに、高田派こそ真宗の教えを正しく受け継ぐ教団であるといい、その証拠にと慈覚(じかく)大師が、一刀三礼で彫り上げた阿弥陀如来尊像を真慧上人に献じました。これが「証拠の如来」といわれる由縁。
御影堂と如来堂とを結ぶ通天橋(つうてんきょう)。こちらは、重要文化財。両御堂の縁側にかかっているため高床となっており、板張りで、柱間はすべて吹抜けになっています。内側の天上のあたりには、細部に彫物が多用されており、同一部材でも彫物の図柄や形に変化を持たせ、建物の単調さを防ごうとする工夫が凝らされています(右の写真の細部をご覧ください)。
通天橋の前に「勘六松のいわれ」と書かれた太い松の切り株が保存されています。その説明書きによれば、如来堂は、享保4(1719)年に建立の発願があって以来、29年の歳月を経て、寛延元(1748)年に落成しました。しかし、軟弱な地盤のため工事は難航したそうです。そんな折、勘六という大工が自ら地突きの穴に飛び込み、人柱となったそうです。その遺徳を偲んで、如来堂正面東側の礎石には法名が刻まれています。その近くに巨大な松が生えていたのですが、残念ながら枯れてしまい、その切り株を保存しているのだそうです。
このあと、親鸞聖人の御廟と御廟拝堂を見て、納骨所へとなりますが、その1はここまで。御廟、御廟拝堂からはその2にて。
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