20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その2)……専修寺で御廟、御廟拝堂、納骨堂、外へ出て窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社からランチ
1月10日の勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」への本編その2です。専修寺の境内にいます。その1ではお庭を拝見してから、太鼓門を見て、御影堂と如来堂にお参りし、通天橋を見てきました。その2では、親鸞聖人の御廟にお参りして、納骨堂へ。専修寺には、義父のお骨が納めてありますので、いつもお参りというか、挨拶をしてきます。その後、ちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から仲之町商店街へ。
御廟と御廟拝堂。境内の西端に、築地塀に囲まれた親鸞聖人と歴代上人の御廟があります。左の写真では、建物が御廟拝堂で、その奥の中央に親鸞聖人の御廟があります。さらにその周囲を歴代上人の御廟が取り囲んでいます。義父の納骨を行ったときには、この御廟拝堂で納骨の読経をしていただきました。白い玉砂利の広場の向こうに、鬱蒼とした森があって、厳粛な雰囲気を感じます。
御廟・御廟拝堂の東を通って、納骨堂に行けます。途中、東側には、先ほど拝観してきた雲幽園・安楽庵が見えます。ここを通るたびにお庭を眺めて、一度は拝見したいなとずっと思って来ました。この日は、その念願が叶ったという次第。
納骨堂。初めに書きましたように、義父のお骨が納めてありますので、専修寺を訪ねると必ず、ここにお参りします。私にとっては、お参りというか、義父に挨拶に来るというか、そんな感じで訪ねます。この日は、同級生K氏も「婿さんにお世話になっています」と一緒にお参りしてくれ、感謝。
このあと、休憩所で一服。お茶を飲んで、おやつを少し食べて(微笑)。ときは、11時半頃。おやつも食べ、昼ご飯にはまだ早いということで、唐門を確認。如来堂の正面に建つ門で、天保15(1844)年に棟上げされています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面と背面の軒に大きな唐破風(からはふ)があるため唐門と呼ばれています。すべて欅造りだそうです。華麗で、複雑な構造をしています。
境内の外へ出たついでに、さらに専修寺を離れ、窪田へ。JR紀勢線一身田駅を過ぎて少し行くと、伊勢別街道沿いに窪田の常夜燈があります。専修寺から北西に600mほど行ったところです。この常夜燈、右の写真でもお分かりいただけると思いますが、かなり大きいもの。津市でもっとも大きな常夜燈です(高さは、8.6m)。伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。この常夜燈は、近江の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、荷車も壊れ、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに置かれました。
余談。専修寺の方へ戻りますが、JR紀勢線の踏切を渡ります。前にも何度か書いていますが、JRの踏切には固有名詞がつけられています。一身田駅北の踏切は、「一身田道踏切」。この一身田道が伊勢別街道のこと。右の写真は、専修寺前のあたりを西から見たもの。以前は、お七夜というと、植木を売っている露店が出ていたのですが、今年はゼロ。義父はお七夜にお参りすると、必ず露店で植木を買って帰ったといいます。今では、こういうところで植木を買う人はいないということなのでしょう。そもそも植木が売れなくなっているとも聞きますし。
一身田寺内町の館に向かうのですが、その前に、高田幼稚園のところに立派な門があります。以前来たときは、知らなかったのですが、これが後で見に行く黒門跡にあった「黒門」だそうです。
高田幼稚園から1本道を挟んで東にあるのが、慈智院。高田派末寺の中で、智慧光院、玉保院とならんで、筆頭三ヵ寺の1つ。本堂の鬼瓦に寛永16(1639)年の覚え書きがあり、このときに建てられたと考えられています。正保2(1645)年にあった一身田大火にも焼け残り、一身田でももっとも古い建築といわれます。
一身田寺内町の館。外観の写真を撮り忘れましたので、左の写真は、2018年9月28日の撮影のもの。ここは、寺内町の文化や歴史を紹介する施設で、寺内町を紹介するビデオの上映もあります。入館は無料で、自由に見学できます。館内には、寺内町の模型もあります。
続いて、一御田(いちみた)神社。御祭神は、高皇産靈神(タミミムスビノカミ)、神皇産靈神(カムミムスビノカミ)、大日霎貴神(オオヒルメムチノカミ)。高皇産靈神と神皇産靈神はいずれも、天地のはじめに高天原にあらわれた造化三神の一神といいます。大日霎貴神は、天照大神の別称ですから、相当古い神社のように思えます。
「一身田」という地名は、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあった貴族に対して特別にその身一代に限って与えられた田からきたとも、律令制度の「三世一身の法」で与えられた田からきたとも言われています。一身田に人が集落を形成し始めたのは、寺内町が生まれる前のことと考えられています。それを示す最古の資料として、この一御田神社の棟札に嘉吉3(1443)年という記録が残されているそうで、そのころは農村集落であったと考えられています(こちら)。境内にあった「一御田神社神宝類27点」という説明板には、以下のものが記されていました:室町時代(1336~ 1573年)の能面一面、室町時代の簓(ささら)2組(簓は、竹をこすり合わせて音を出す楽器の一種)、室町時代の田植歌1枚(檜の横板に「大梵天天皇御田歌」と墨書され、現在も御田植神事の際に神職がこの歌詞を読み上げるとあります)、棟札22枚(すべて檜材、嘉吉元(1411)年から寛政12(1800)年迄の銘があり、専修寺が一身田に移る前の様子が伝わる)、扁額1枚(明治4(1871)年に社名を梵天宮から一御田神社に変えたことが記されている)。
境内には、天満宮と花山稲荷神社とが祀られています。神社検索(三重)のサイトでは、「御田植祭は当社が神宮御共米供進なる由緒に因み、往古より行われている祭祀で、現在は拝殿前に砂で田の形を造り当該年度当番町の奉仕により各総代数名御田植え神歌を神職の奉唱に復唱して稚子(女)6名の奉仕により松葉数本を一歩づつ後退して植える。神社の創立年月日は不詳であるが、棟札に嘉吉元年(1441)のものがあるので、これ以前と思われる。寛文8年(1668)に往古は天ツ宮と称してきた社号を高野山沙門春深により梵天宮と改称されたが、明治に至り往古の地名により一御田神社と改称した」とあります。
一御田神社を出て、13時近く。そろそろ高田会館にある食事処「和彩あかり」も空いてきたかと思い、昼食を摂ることに。混んではおらず、ほとんど待たずに席に案内してもらえました。お七夜期間の特別メニューということで、ランチは右の写真にあるように4種類限定。
ここは、伊勢芋に力を入れており、メニューにも使われていますし、伊勢芋そのものを売っていたりします。それ故、以前から、和彩あかりさんで、伊勢芋を使った料理を食べたいと思っていたのです。そのため、「まぐろとろろ丼」(¥1,300)をチョイス。雲幽園・安楽庵の拝観に続いて、2つ目の念願が叶いました(念願とは大げさですが)。
昼食を済ませて、お土産を物色。御影堂前のテントにある臨時店舗も見たのですが、結局、茶所へ。私は、「高田本山専修寺」に来たことがよく分かる土産をと思って、「高田山」と書かれたゴーフルをお買い上げ。定価¥850のところ、賞味期限が迫っていたようで、35%ディスカウントの¥595でした。
というところで、昼食も食べ、土産も1つ買えましたので、その2はここまで。その3は、専修寺を離れ、聖俗の結界である釘貫門を抜けて、仲之町商店街、百五銀行一身田支店の角にある道標などに向かいます。
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