お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2022年1月

2022年1月31日 (月)

カワセミにミサゴで上出来のバードウォッチング

Img_6700c_20220131191301  早くも1月の末日になりました。ついこの間、正月だったのに、と毎年同じようなことを思います。進歩がないのかも知れません(苦笑)。非常勤の授業のレポート締切の前日です。今日19時現在で、提出率はほぼ50%に達しました。ただ、Wordのファイルまたはテキストファイルでメールに添付して提出と指定したにもかかわらず、pdfやGoogle Docsで送ってくる学生がいたり、レポートのファイルを添付しただけで、メール本文に何も書かずに送ってくる学生がいたりで、けっこう大変です。その都度「教育的指導」を入れていますので、余分な手間がかかります。

Img_6696c_20220131191301  散歩はいつも通り。このいつも通りというのが、重要(微笑)。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と回って6.2㎞。九華公園の奥平屋敷跡に行くまでは、あまりパッとしませんでしたが、それ以降はなかなかでした。散歩友達にもたくさん会うことができました。

Img_6200c_20220131191301 Img_6030c_20220131191401  まずは、カワセミ。九華公園の奥平屋敷跡に登場。最近、ここによくやって来ます。奥平屋敷跡での鳥見をそろそろお開きにしようかという9時頃にやって来ました。ダイビング1回を披露し、たぶん海老を捕まえて、食べていました。ただし、逆光で光ってしまい、はっきりとは写っていません(右の写真)。

Img_6369c  さらに、貝塚公園に向かおうと、九華公園外周遊歩道の東側を歩いていたら、ミサゴがやって来ました。いったんは東の揖斐川方面に飛び去ったものの、再度登場。10分あまりいた間に、ダイビングを1回したのですが、魚を捕るのには失敗。しかし、私のいたところの上空を何度も旋回してくれたので、まあまあの写真を撮れました。

Img_5911c_20220131191401 Img_5915c_20220131191401  さて、話を元に戻します。諸戸氏庭園からはウグイスの地鳴きが聞こえていました。住吉入江にはオオバンが1羽いたのみ。揖斐川、川面は静かでしたが、水鳥は少なく、カンムリカイツブリが1羽。七里の渡し跡には、ヒドリガモのオスが2羽、メスが3羽。三の丸水門のところには、コガモが12羽(左右の写真)。

Img_5946c_20220131191401 Img_5952c  九華公園、今日もヒヨドリはほとんどおらず、静かです。北門から相撲場あたりでは、カワラヒワや、メジロ。シジュウカラの鳴き声も聞こえてきたのですが、姿は見当たりませんでした。ジョウビタキのオスも見たものの、写真は撮れず。

Img_6270c_20220131193701 Img_5938c_20220131191401  カモは、合計76羽。ハシビロガモ(右の写真)は16羽もいました。ヒドリガモは2ペア、他はキンクロハジロ。オオバンも1羽。

Img_6274c  ユリカモメ、合計15羽。今日は餌をくれる人もなく、二の丸堀の西側に降りたり、野球場の外野フェンスの上で休んでいたり。

Img_6000c_20220131191401  奥平屋敷跡では、上記のようにカワセミが来たほか、モズのオス。他には、ハシボソガラスが巣の材料にするのか、木の枝を咥えて飛んでいきました。ヒヨドリは2羽くらい来ただけ。このあと、外周遊歩道の東側でミサゴを見て、貝塚公園へ。

Img_6500c_20220131191301 Img_6558c_20220131191301  貝塚公園では、期待した以上の鳥果でした。公園に着いてすぐ、目の前をモズのオスが飛んでいったのです。追いかけて、追いかけてようやく、左の写真。さらに、公園の北西エリアで、ツグミ。このところ、貝塚公園で割とよくツグミを見るようになりました。ただ、その一方で、シロハラを見なくなって、ちょっと残念。

Img_6585c_20220131191301  内堀公園でベンチで休んでいたら、ジョウビタキのオスが姿を見せました。初めはちょっと離れたところに出て来たのですが、少しずつ移動して、数メートルのところに。さすがに人懐っこい鳥。こちらを十分に意識しているように思えてなりません。新築公園には何もおらず。

Img_6630c_20220131191301 Img_6638c_20220131191301  常信寺には、紅梅が咲いていないかと思って立ち寄ったのですが、まだでした。もうじき綻びそうなのですが、なかなか。期待が高すぎるのかも知れません(苦笑)。私には、せっかちなところがあるのです。ミツマタもつぼみの状態が続いています。

Img_6653c_20220131191301 Img_6681c_20220131191301  寺町交差点からほど近い、住吉入江の南端では、オオバン。玉重橋まで来たら、ツグミが出てきました。このツグミ、拙宅マンション東の住吉入江沿いにある植え込みによくいるツグミと思います。そっと近づくと、3メートル以内くらいまで行けます。

Img_6141c_20220131191401  冒頭に書きましたように、明日がレポートの締切。これから残り50%ほどのレポートが、怒濤のように届くはず。指定通りの書式で届いたものには、すべて「確かに受け取った」旨の返信をしていますし、指定に従っていない場合には修正を指示するメールを送っています。試験をするよりも手間がかかるのですが、まぁやむを得ません。ただ、小声で言いますが、レポート提出にしたので、この分はただ働きかも(苦笑)。試験をすれば、採点をする時間の分はともかく、監督に行く1コマ分の謝金は出るのです。などと書いておくと、レポートの分も忖度して謝金を支払ってくれないでしょうか??

2022年1月30日 (日)

途中から赤須賀方面へ……九華公園に植えられた桜は「薄墨桜」でした

Img_5069c_20220130162701  散歩していた8~9時台は晴れ間もありましたが、その後は曇り空で、肌寒い感じ。1年前の記事を読み返しますと、鎮国守国神社では枝垂れ梅が、また、寺町商店街では河津桜が咲き始めていたのですが(2021年1月30日:薄ら雪化粧……今日もジョウビタキ・デーにして、モズのオスとビンズイにも遭遇、空腹のヒヨドリはパンジーを食べる)、今年はまだまだ。去年の冬より寒いのでしょう。今朝もいつも通り、7時半から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回って、あまり鳥もいませんでしたし、たまには違うところを歩くかと思い、元赤須賀から赤須賀漁港へ。そこから揖斐川の堤防を歩いて、七里の渡し跡、住吉神社と戻って来ました。6.7㎞。

Img_5076c_20220130162701 Img_5123c_20220130162701  諸戸氏庭園前の桜の木にカワラヒワ。他にも数羽が鳴いていました。庭園内からはヒヨドリの鳴き声も聞こえてきます。この時間、住吉キンクロウズもオオバンもいませんでした(帰りにはオスのキンクロハジロが1羽とオオバンが2羽)。住吉水門の外側には、ヒドリガモのペア。水門の壁面についた藻を懸命に食べていました。

Img_5152c_20220130162701  揖斐川にはカンムリカイツブリ。この時間帯は、合計3羽。今日も、シラウオ漁の漁船が何組か出ていましたが、それはまた後ほど。

Img_5201c_20220130162701 Img_5312c_20220130162701  柿安コミュニティパークでメスのモズ。九華公園は、今日も静か。ヒヨドリも極端に少ない上、他の鳥の鳴き声もあまり聞こえません。カワラヒワやムクドリがいたくらい。奥平屋敷跡でも、しばらく何も出てこず。カワセミが来て、二の丸跡へ飛んだのですが、写真はイマイチ(いつものことながら)。まぁ、カワセミに出逢えただけでよし。

Img_5367c_20220130162701 Img_5358c_20220130162701  カモは合計80羽。今日は、ヒドリガモが、オス3羽、メス2羽になっていました。ハシビロガモは15羽。他はキンクロハジロ。

Img_5391c Img_5407c_20220130162601  ユリカモメは15羽。餌をやる人があって、ちょっとした騒ぎ。写真は、餌やりが終わった時のもの。本丸跡で、オスのモズ。他には、ハクセキレイやメジロがいたものの、あまりこれという鳥はいません。貝塚公園でも同様。ツグミもシロハラもいません。

Img_5473c_20220130162601 Img_5489c_20220130162701  そこで、元赤須賀から赤須賀漁港へ。あまり通らない小径を抜けて行きました。左の写真は、瑞宝しぐれの赤須賀店。瑞宝は、昭和50(1975)年創業の比較的新しい会社です。瑞宝しぐれの前を通って、はまぐりプラザの東へ。ここに赤須賀漁港があります。今年は見に来ませんでしたが、正月には漁船に大漁旗が掲げられます。食堂はまかぜもこのはまぐりプラザの中にあります。今の時期は、しらうお丼が食べられます。

Img_5560c_20220130162601Img_5627c_20220130162601  シラウオ漁の漁船です。何度も書いていますが、2隻が1組となり、大きな、目の細かい網をゆっくりと曳いて行きます。今日は、3組ほどが出漁していました。シラウオ漁の漁船にはときどきユリカモメがたかっています。今日は、漁船に降りているユリカモメもいました。ちなみに、左の写真の奥には、小さく木曽御嶽山と乗鞍岳が見えています。

Img_5536c_20220130162601 Img_5564c  漁船のうち1隻は小さなボートを同行させています。このボートで網の終端部を確認して、引き上げ、捉えたしらうおを回収しています。この漁船を見ていた限りでは、あまりたくさん捕れたという印象ではありませんでした。

Img_5642c_20220130162601 Img_5648c_20220130162601  そのまま堤防道路を歩いて帰ってきました。最近はあまり載せたことのない景色をご覧ください。九華公園の北門の東に柿安の本社があります。その東&公園の野球場の北に市民プール。この市民プールの東の堤防から見た景色がこれら。左の写真は北の方角。中央が柿安本社、向かって右に多度山が見えます。右の写真は、九華公園野球場の方角。奥の森が本丸跡や鎮国守国神社。野球場の向こうに公園の堀があり、いつもはそのあたりを歩いています。

Img_5658c_20220130162601 Img_5668c_20220130162601  市民プール越しに鈴鹿の山並みが見えます。右の方は藤原岳、左の方の、藤原岳と同じくらいの高さの山は龍ヶ岳と思いますが、自信はありません。市民プールから少し北へ行くと、拙宅マンションの背後に藤原岳が見えるポイントに達します(右の写真)。望遠レンズの圧縮効果というのは、おもしろいものです。

Img_5698c_20220130162601 Img_5719c_20220130162601  さらに行くと柿安コミュニティパークに戻ってきます(「戻って来ます」というのは、往きにも通っているから)。そこで、ツグミ。「ダルマさんが転んだ」をするように、トコトコと歩いては止まって、餌を探しています。その先は、三の丸公園で、蟠龍櫓があるところ。

Img_5728c_20220130162601 Img_5735c_20220130162501  七里の渡し跡を通って、揖斐川の堤防へ。カンムリカイツブリがあちこちにいます。左の写真に写っているカンムリカイツブリは、すでに夏羽にモデルチェンジ中のように見えます。

Img_5746c_20220130162501 Img_5752c_20220130162501  住吉神社まで戻って来ました。正徳5(1715)年に摂津国「住吉大社」より勧請して建立されました。神社前の石鳥居や石燈篭は江戸神社の材木商たちによって、狛犬は明治中頃に備前・備中や阿波の国の廻船業者たちによって寄進されたものです。桑名宗社(春日さん)の境外末社となっています。このあと、久しぶりに桑名七里の渡し公園を通って帰宅。いつもは往きにこの前を通りますが、開園時刻の遙か前なのです。

Img_5088c_20220130162701  今週は、早くも2月になります。2月1日が、非常勤の授業のレポート締切日。3日(木)は市役所の会議。週末・土曜は、東海道ウォーキングの予定。まぁボチボチです(微笑)。

Img_5344c Img_5331c_20220130162701  余談。九華公園の奥平屋敷跡に桜が2本植えられたと書きました(2022年1月28日 :曇天で鳥果少なし……コロナワクチン第3回接種券が届きましたほか)。今日の散歩でよく見たら「薄墨桜の苗木」という小さなタグが付いていました。散歩友達のおばさまたち3人が「何、何?」と寄ってこられ、「薄墨桜だそうです」と話したら、大コーフン。無事に成長するのを祈ります。

@niftyの「ピックアップブログ」で紹介していただきました

Cocologpickup  このブログは、@niftyのココログを利用していますが、本日(1月30日)、@nityココログのトップページに毎日載っている「ピックアップブログ」でこのブログを取り上げていただいています。画像は、今日のトップページですが、ここに毎日、2つのブログが取り上げられ、紹介されるのです。そのうちの1つが、「猫の欠伸研究室」なのです。「mamekichiさんの“晴歩雨読”の日々。柔和な文と写真で綴られる、バードウォッチングやお散歩の様子に思わず心が和みます」と書いていただきました。皆様には、引き続きお引き立てと、ご交誼のほど、よろしくお願いいたします。

2022年1月29日 (土)

今シーズン初の町屋川プチ遠征……コロナワクチンの第3回接種の予約をしました【鳥名を修正しました(1/30)】

Img_3847c_20220129183101  午前中はほぼ曇りでしたが、四日市港で干潮が9時42分と潮の状況がよかったので、町屋川プチ遠征。風も弱く、川沿いを歩いていても寒くはありませんでした。桑名駅前を8時10分に出る日の出橋行き三交バスに乗車。8時31分着、¥350。帰りは、10時14分に乗るつもりでしたので、1時間40分の時間制限散歩でした。いつものように、伊勢湾岸道の先まで往復。後半は少し明るくなってきたのですが、前半は曇天で、写真がクリアに撮れませんでした。証拠写真も多々ありますが、今シーズン初の町屋川プチ遠征ですから、ご容赦あれ。

Img_3971c_20220129183101  まずは、とても残念なのですが、イマイチ写真しか撮れませんでした。タゲリと思います。今さら?といわれそうですが、初見・初撮影(苦笑)。「田鳧、田計里」で、「田にいるケリ」なのですが、川にいました。と書いてから、朧気な記憶をたどって調べたら、たぶん鳥見の大先輩Sさんから聞いた話で、「昔は、町屋川の日の出橋あたりにタゲリがよくいた」というのがありました(2018年2月26日:ウメジロウ……鳥たちの行動は春めいてきています)。一度見たいと思っていた鳥です。ずいぶん前、いなべ市まで何度か探しに行ったのですが、失敗を重ねていました(2016年11月29日:ミコアイサ、ノスリ、アオサギ……いなべ市両ヶ池へ【写真を訂正(11/30)】)。それと、チドリの仲間です。

Img_3956c_20220129183101   シロチドリ(白千鳥)。全長10~17.5㎝。三重県の県の鳥ですが、個体数が減少してきています。以前にも、ここ町屋川や、長良川河口堰近くの某所で何度か見ています。今日は、曇り空で観察条件はイマイチでしたが、タゲリやシロチドリから始まるとは、なかなかいい感じです。

Img_4167c  川の中央の中洲近くにたくさんいたのは、マガモ(今日は、数は数えていません)。Img_4027c_20220129183101 その他に多かったのは、ヒドリガモ(右の写真)。ヒドリガモは、中洲だけでなく、町屋川右岸の川越町方面に相当の数が集まっていました。

Img_4244c_20220129183001 Img_4440c_20220129183001  コガモもあちこちにいます。左の写真は、コガモのオス。ところどころでイソシギを見ました(右の写真)。腰を上下に振りながら歩き、餌を採っているようでした。夏羽では、頭部に赤褐色や黒色の飾り羽が出ます

Img_4479c_20220129183001  伊勢湾岸道をくぐった先、町屋川が伊勢湾に流れ込んでいるところに巨大な流木があります。そこにアオサギとミサゴ。写真で向かって左に止まっているのがアオサギ、右がミサゴ。

Img_4511c_20220129193201 Img_4449c_20220129193201  いささか余談ですが、湾岸道をくぐって少し進んだあたりからは、ナガシマスパーランド(左の写真、奥)や、JERAの川越火力発電所がよく見えます。毎度毎度書いていますので「耳たこ」という方も多いかも知れませんが、こういう広々とした空間で、水のある景色が広がっているところはとても気持ちよく感じます。

Img_4535c_20220129183001  引き返しながら、バードウォッチングを続けてきました。オカヨシガモのオス(向かって左)、メスのように思います。左岸の堤防下で餌を採っていましたが、私が覗いたので逃げていくところ。

Img_4607c_20220129182901  こちらは、ウミアイサのメス。ウミアイサで確認できたのは、この1羽だけです。かなり広い範囲を泳いでいました。右は、お馴染みのカンムリカイツブリ。こちらも1羽を見ただけ。夏羽への換羽(かんう)がもう始まっているように見えます。夏羽では、頭部に赤褐色や黒色の飾り羽が出てきます。

Img_4637c_20220129194801 Img_4676c_20220129182901  セグロカモメも1羽。町屋川に来ると、セグロカモメがたいてい1羽はいます。この近くには、写真は載せませんが、ハシボソガラスがけっこう沢山。右はオナガガモ。手前がオス、奥がメス。

Img_4716c_20220129182901 Img_4849c_20220129182901  カイツブリも1羽。さらに、右の写真は、イカルチドリ(桑鳲千鳥)。留鳥で、全長19~21cm。和名のイカルは古語で「大きい、厳めしい」の意味だそうです。

Img_4811c_20220129182901 Img_4885c_20220129182801  こちらはハマシギ(浜鷸)と思われます。全長約21㎝。日本では、旅鳥または冬鳥として飛来します。日の出橋から少し離れた下流あたりには、ツグミも干潟になったところに降りて来ています。

Img_4878c Img_4916c_20220129182801  今日見たアオサギは、計6羽。ダイサギは1羽(写真は割愛)。日の出橋のずいぶん下流あたりで、セグロセキレイ1羽。ハクセキレイはあちこちで見かけましたが、これという写真は撮れていません。

Img_4970c_20220129182801 Img_4983c_20220129182801  日の出橋を途中まで渡っていたら、下流側の葦原に何羽もいました。オオジュリンなのかな、と思っていますが、もう少し調べた方がよいかも知れません。

Img_5019c_20220129182801 Img_4927c_20220129182801  ということで、8時半過ぎから10時10分過ぎまで日の出橋から伊勢湾岸道を越えたあたりの町屋川右岸で鳥を見てきました。天候がもう少しよかったらという気がしますので、また機会があれば出かけようと思います。帰りは予定通り、10時14分発の桑名駅前行きに乗車。桑名シティホテル前で降りて(10時29分着、¥350)、アピタ桑名店の新光堂書店に寄って帰宅。

Img_5058c_20220129182801  余談。帰宅後、新型コロナワクチンの第3回接種の予約を済ませて来ました。2月15日(火)午後です。モデルナ製のワクチン。もう少し早い日にちがとれるかと思ったら、皆さん案外、モデルナでよいとお考えになったようです。それでも、桑名ではファイザー製のワクチン接種は、2月21日開始ですから、まぁこれで良し。体調管理に気をつけるのと、感染予防策をきちんと執るというのは、これまで通りです。

【付記(1/30)】 pnさんのご教示により、鳥名を修正しました。

2022年1月28日 (金)

曇天で鳥果少なし……コロナワクチン第3回接種券が届きましたほか

Img_3552c_20220128151901  昼過ぎからはよく晴れてきましたが、散歩をしていた午前中はほぼ曇りで、意気が上がりませんでした。ソーラーパワーは偉大です。とはいえ、午後から晴れていると、我が家のリビングは奥の和室まで陽が入り、暖かくてボーッとしています(苦笑)。そんなこんなで、朝はいつものように7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町を通って、南魚町、殿町から帰宅。このあと、所用を済ませるため、再度出かけ、駅前方面へ往復。7.0㎞を歩きました。

Img_3561c_20220128152001  Img_3515c_20220128151901 こんな天気で、どこも野鳥はほとんどいませんでした。野鳥たちも、ソーラーパワーが欲しいと思っているような気がします。住吉キンクロウは、今日もオスが1羽。住吉水門の内側には、ヒドリガモが1ペアと、オオバンが2羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽。他に多少、ハクセキレイやスズメ、ヒヨドリがいたものの、九華公園に行くまでに出会った鳥も少なし。

Img_3610c_20220128151901  九華公園ではいつものように、奥平屋敷跡で鳥見というか、正確には鳥待ち。1時間ほどの間にやって来たのは、ハシボソガラスを除けば、モズのオス1羽と、カワラヒワ4羽。これですべて(苦笑)。モズが来たのは、「あきらめてそろそろ引き上げようか」という頃。

Img_3644c_20220128151901 Img_3648c_20220128151901  カモは、合計71羽。ハシビロガモが13羽の他は、キンクロハジロばかり。散歩友達のYさんはヒドリガモも見たとおっしゃるのですが、私は未確認。ユリカモメは、9羽が飛んでいましたが、いつも羽を休めている野球場のフェンスのところに行った時には2羽のみ。

Img_3700c_20220128151901 Img_3740c_20220128151901  貝塚公園では、ツグミ1羽。他には、カワラヒワ、ヒヨドリ、メジロ。内堀公園では、ジョウビタキのオスがこっそり出て来ていました(微笑)。「こっそり」というのは、植木の下にある柵にいて、目立たなかったと言うこと。今日の写真は、曇っていてイマイチのオンパレード。

Img_3761c  拙宅近くの住吉入江には、カンムリカイツブリが1羽入ってきていました。冬の間に何回かやって来ます。

Img_3587c_20220128151901 Img_3598c_20220128151901  ところで、九華公園の奥平屋敷跡には、桜の苗木が2本、植えられていました。昨日、造園業者さんが来て、作業をしておられたのです。ところが、これが私の手の小指くらいの太さ(というか、細さ)。大丈夫か? という気がします。もう一つ心配なのは、このあとの世話。以前、KMI桑名さんが指定管理者としてに管理しておられた時は、キチンとされていたのですが、最近は、はっきり書くと「植えっぱなし」。管理者が替わってから、桜の苗木が植えられたことがありますが、植えっぱなしで、枯れてしまったものも複数あります。今は冬ですから、さほど頻回に水やりをする必要はないでしょうが、それでも何日かに1回くらいは、水やりをする必要があるはず。2箇所のうち1箇所(左の写真)は、囲いがありますが、もう1箇所は何もなしで、無事成長するか気になります。

Img_3486c_20220128151901  余談。昨日の郵便で、新型コロナウィルスワクチンの第3回接種券が届きました。モデルナであればすぐに予約が可能で、来週から打てるようですが、ファイザーは2月21日から接種開始で、予約は2月14日からとありました。オミクロン株が蔓延していて、感染の先行きがなかなか見通せないようですが、ファイザーを選ぶと、ピークアウトしてから接種という事態になるんじゃないかという気もします。モデルナは、1・2回目の時の半量を接種するので、副反応は弱いという話ですし、交差接種をしても問題はないそうです。モデルナを選んだ方がよいのかなど、思案しています。

Cocologtop  お知らせ。このブログは、@niftyのココログを利用していますが、このたび、@nityココログのトップページに毎日載っている「ピックアップブログ」でこのブログを取り上げてもらえることになりました。1月30日(日)です。左の画像は、今日のトップページですが、ここに毎日、2つのブログが取り上げられ、紹介されるのです。

Img_3537c_20220128151901  非常勤の授業のレポートの提出状況が気になりますが、まだ、20%未満。2月1日が締切ですから、週明けに一挙に提出されるのかという気がしてきました。学生からのメールには「受け取った」旨を返信し、対面授業が中止になって配布できなかった授業の補足説明をpdfで添付しているのですが、それに対する返信は、今のところたった1通(正直に書きますと、ちょっとガッカリしています)。学生からのメールでも、レポートを添付しただけで、タイトルも本文も何も書かれていないものものあります。いろいろです。週末は、午前中に干潮となりますので、町屋川リベンジに出かけたいと思っています(四日市港潮汐表)。写真は、住吉神社の常夜燈と鳥居。

2022年1月27日 (木)

カワラヒワは巣材を運び、セグロカモメは求愛か?……鳥たちには春が来つつあるようです

Img_3057c_20220127161801  12℃を超えたものの、昼前からは北西の風が出てきて、寒くなってきました。朝は訳あって家事を済ませ、8時15分に散歩に出たのですが、カメラにSDカードを入れ忘れたのに気づいて、諸戸氏庭園前から引き返す始末(苦笑)。10分ほどロス。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と6.4㎞。

Img_3353c_20220127161701  まずは、鳥たちの春の便りから。内堀公園で見かけたカワラヒワのペア。一方が、巣材らしきものを咥えていました。カワラヒワでは、確かメスが巣作りをすると読んだ記憶があります。これはメスなのでしょうか。しかし、ちょっとは屋行きもしますが、次のエピソードからも、鳥たちには春が訪れつつあるようです。

Img_2999c_20220127161801 Img_3017c_20220127161801  揖斐川で、長良川との中洲近くにセグロカモメらしき鳥が2羽。互いが交互に鳴き交わしたり、一方は翼を広げたりしています。求愛行動なのか? と思ったのですが、確信はありません(こちらに似た行動が、やはり求愛行動か?と書かれていました)。

Img_3035c_20220127161801 Img_3095c  旅館山月の裏から七里の渡し跡にかけて、ジョウビタキのメス。逃げられ、追いかけて七里の渡し跡の南で追いつきました(笑)。ふっくら真ん丸。このあと、三の丸水門のところで、イソヒヨドリのオスがいたものの、まったくの逆光で、真っ黒に写ってしまいました。三の丸水門の高水敷で、ツグミ(右の写真)。

Img_3115c_20220127161701 Img_3141c_20220127161701  九華公園に着いたのは、8時40分。いつもより40分遅刻で、散歩友達から「今日は、欠席かと思った」と言われ、苦笑。着いてすぐにオスのモズが登場。15分くらいして、シメもやって来ました。遅刻した割に、成果ありです。

Img_3201c_20220127161701  朝日丸跡でジョウビタキのメス。ちょっと遠かったのですが、ご覧のような写真。逆光気味でもあり、イマイチか(笑)。

Img_3222c_20220127161701 Img_3300c_20220127161701  カモ、今日は、合計83羽。ヒドリガモが1ペア、ハシビロガモが13羽、他はキンクロハジロたち。オオバンも1羽。

Img_3170c_20220127161701  ユリカモメは、11羽。餌をやる人があり、堀に降りて来ていました。

Img_3245c_20220127161701  鎮国守国神社を回って、北門近くのサザンカに行ったら、メジロ。めじろは、よくサザンカの花に蜜を吸いに来ているのですが、なかなか写真が撮れないでいました。これもちょっと陰になっています。このあと、九華公園の外周遊歩道の東で、最近ご無沙汰であったバードウォッチング好きの女性と久しぶりにお目にかかりました。散歩の時間やコースが以前とは違うことが多いとおっしゃっていましたが、お元気そうで安心。

Img_3304c_20220127161701 Img_3315c_20220127161701  貝塚公園では、保育園の子どもたちが遊んでいたのですが、シロハラはいました。ただし、植え込みの下で、超逆光(苦笑)。証拠写真以下ですが、記録のため載せました。シジュウカラも枝かぶりですが……。

Img_3400c_20220127161701  内堀公園では、最初に載せたカワラヒワを撮っていたら、ジョウビタキのオスが登場。ここでは、久しぶりに見ました。新築公園でも、保育園の子どもたちがいて、鳥はゼロ。という次第ですが、出かけるのが遅くなった割には、まあまあ。鳥たちには春が来つつあるようです。

2022年1月26日 (水)

梅はまだか?

Img_2603c_20220126155501  1月26日です。当初の予定では、非常勤先で後期の試験でしたが、繰り返し書いていますように、コロナの感染者数増にともない中止。レポート提出に替わりました。今日は、まだ提出者はありませんが、これまでのところ有資格者の20%足らずが送ってきています。それはさておき、今日もまた、いつも通りに7時半から散歩開始。出かける時は、左の写真のような光景。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、老松公園、寺町と相変わらずのワンパターンで、6.6㎞。けっこうウロウロしています。

Img_2618c_20220126155501 Img_2626c_20220126155501  住吉キンクロウ、今日もオスが1羽のみ。広いところでのびのびと過ごしているように見えますが、どうなのでしょう? 諸戸氏庭園あたりには、カワラヒワやヒヨドリくらい。住吉水門あたり、今日はヒドリガモも、オオバンもいません。住吉神社では、スズメ。

Img_2658c_20220126155501 Img_2684c_20220126155501  揖斐川の川面は鏡のように静かでした。今日は、シラウオ漁の漁船が4組も出ていました。今年は豊漁なのかもしれません。

Img_2700c  そのうち1組の漁船や、漁船が引いている網のあたりにユリカモメが10羽ほどたかっていました。網の中に降りていって、何かを咥えていくユリカモメもいます。なかなか賢い。

Img_2707c_20220126155501  九華公園、静かです。ヒヨドリが少ないのが、その理由。ハクセキレイ、カワラヒワ(左の写真)、スズメなどはいます。ドバトも少ない感じ。

Img_2719c_20220126155401 Img_2808c_20220126155401  奥平屋敷跡は、今日も鳥はあまり来ませんでしたが、散歩&鳥見友達のYさん、前管理人のOさんと1時間近く待機。気が長くなったかも知れません(笑)。その成果は、3種類4羽。まずは、オスのモズ。ツグミは、いったん来たものが、立教小学校の方に去り、しばらくして再登場。

Img_2776c_20220126155401  さらに、ずいぶん久しぶりにハクセキレイのペアがやって来ました。ヒヨドリ、ドバトはそれぞれ3~4羽。ムクドリも来ますが、少数ですので、騒がしくはありません。

Img_2884c_20220126155401  カモは、合計70羽。今日は、ヒドリガモはおらず、ハシビロガモ13羽とキンクロハジロのみ。最近、ヒドリガモは、いたりいなかったりします。ホシハジロが来なくなってしまったのでものたりません。その二の舞にはなって欲しくありません。

Img_2869c_20220126155401 Img_2874c_20220126155401  ユリカモメは、42羽。野球場のライト側フェンスの上で、餌をやる人が来ないか、待機中。残念ながら、今日は、私がいる間に餌をやりに来た人はなし。右の写真、左端のユリカモメはこちらを向いていますが、他は皆お尻を向けています。

Img_2856c_20220126155401  今日の九華公園、野鳥は少なく、他にはビンズイくらい。貝塚公園、内堀公園その他では、スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリ、ムクドリくらいしかいません。新築公園の、愛想のよいジョウビタキも不在で、寂しい(苦笑)。

Img_2893c_20220126155401 Img_2897c  常信寺へは、梅が咲いていないか見に行ったものの、まだでした。この間から「もうじきか?」と期待しているのですが、なかなかです。サンシュユもつぼみは出て来ています(右の写真)。

Img_2908c_20220126155401  住吉入江まで戻って来たら、メジロ。住吉入江の南の端あたりには、メジロ、カワラヒワ、ジョウビタキのオスがよくいます。このあと、拙宅マンション前まで戻って来たら、ツグミが飛んできて植え込みの陰へ。そういえば、昨日は、マンション内の植え込みでシロハラを見ています。

Img_2932c_20220126161501 Img_2945c_20220126164401  16時頃の西の空。久しぶりに「天使の梯子」の写真。1年ぶりくらい(2021年2月5日:イソヒヨドリのオス、モズのメス……散歩友達多数に出会い、3時間半)。以前はもう少しよく撮って、ブログにも載せていましたが、最近はサッパリでした。ついでに夕景。16時40分頃の西の空。日の入りは、17時15分。

2022年1月25日 (火)

今日もアオサギとジョウビタキに遊んでもらいました

Img_1998c_20220125172701 Img_2042c_20220125172601  氷点下になり、九華公園では水たまりに氷が張っていました。藤原岳は、このところズーッと雪景色が続いています。いつもの冬なら、雪がない姿もかなり見られると思うのですが……。寒い中、毎度のことながら7時半から散歩。まさに「判で押したように」というパターン。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町とこれまた同じコース。今日はウロウロしたので7㎞ちょうど。ちなみに、寒いせいか、揖斐川の堤防では私以外に歩いている人は、ほとんどゼロ。いつもすれ違うご夫婦と、ワンちゃんの散歩をしている方お一人。

Img_2023c_20220125172601 Img_2046c  住吉入江や、住吉水門の内側には、何もいませんでしたが、揖斐川にはカンムリカイツブリが合計7羽。左右の写真は、別々のカンムリカイツブリ。右は後ろ姿ですが、バッサバッサーとしているとき。翼の色、模様はこんな風なんだと感心した次第。

Img_2101c_20220125172601 Img_2075c_20220125172601  七里の渡し跡にも何もいません。三の丸水門まで来たら、ツグミと、ホオジロのメス。ホオジロの法は、遠目にはスズメかと思いました。もう1羽、近くにホオジロらしき鳥がいました。柿安コミュニティパークにも鳥は見当たらず。

Img_2353c_20220125172501  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏から、次々とゴイサギが飛び出てきました。成鳥が4羽に、ホシゴイが1羽。最近、まったく見ませんでしたので、私も「一応、確認するか」と思って不用意に覗き込んだら、驚かせてしまったようです。慌ててカメラを向け、シャッターを切ったものの、ピンぼけやら、あらぬ方角を撮っていたやらで写真はありません。

Img_2154c  管理事務所近くで、ハクセキレイ。近くにはオスもいました。奥平屋敷跡では、ツグミが1羽来たものの、枝かぶりでピンぼけ写真。30分以上待っていましたが、他には何も来ず、ガッカリ。ヒヨドリも、ムクドリも、ドバトも姿を見せませんでした。二の丸跡では、モズのオスを見たものの、逃げられ、撮り逃がしました。昨日で、バードウォッチングの運を使い果たしたようです(苦笑)。

Img_2173c_20220125172601 Img_2181c  カモは、83羽とたぶん今シーズン最多。しかし、ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモが13羽とキンクロハジロたちで、メンバーは変わらず。ホシハジロは、まったく来なくなりました。他は、オオバンが羽。

Img_2285c_20220125172601 Img_2238c_20220125172601  ユリカモメは、14羽。今日は九華公園も散歩する人は少なく、餌をくれる人は、私がいた間はゼロ。

Img_2268c_20220125172601 Img_2278c_20220125172601  今日は鳥は少ないなと思って歩いていたら、野球場の南の堀端に何かいるのに気づきました。昨日も来ていたアオサギさんです。そーっと回り込み、外周遊歩道の東の角から撮った写真。今日もかなりのクローズアップが撮れました。

Img_2381c_20220125172501 Img_2400c  九華公園の外周遊歩道では、東側でメジロ2羽。南の、二の丸橋のたもとすぐ南のお宅の屋根にイソヒヨドリのオス。とくにイソヒヨドリのオスは、あまりきれいに撮れず、残念。

Img_2434c_20220125172501  貝塚公園では、ツグミ。ズームして撮ったら、ご覧のように画面いっぱいに写りました。貝塚公園では他にメジロ、カワラヒワ、キジバト、ヒヨドリ。今日は、シロハラの姿はありませんでした。

Img_2547c_20220125172501  内堀公園ではスズメとカワラヒワ。新築公園に行ったら、例のジョウビタキのオスが、今日もまた近くに登場。まるで「写真を撮ってくれ」という感じです(微笑)。このあと、老松公園ではメスのモズがいたものの、遠くて証拠写真。住吉入江沿いに戻って来て、ジョウビタキのオスと、メジロ。これらも写真はイマイチ。

Img_2596c_20220125172501  いったん帰宅して、市役所へ。マイナンバーカードの電子証明書の更新を済ませて来ました。5年間有効の期限が、今年の誕生日なのです。今年は、運転免許証も更新しないといけません。非常勤の授業のレポートは、少しずつ提出が増えてきていますが、たくさんの学生がいると、ごくたまに「エッ!?」と思うこともあります。来月初めの市役所の会議は、コロナ感染状況に鑑み、Zoomでの会議となりました。行かなくてよいのは楽なのですが、年に何回もない会議では、対面での会議の方が議論も盛り上がって、よい気もします。

Img_2307c_20220125172601  ここからは余談というか、オマケというか。まずは、鎮国守国神社。昨日も取り上げましたが、枝垂れ梅が植えられました。本殿の東、旧天守台跡のところです。宮司さんは、今年も咲くでしょうとおっしゃっています。

Img_2105c_20220125172601  カメラのズームレンズの「圧縮効果」で遊んでみました。蟠龍櫓のところから西を撮ったもの。拙宅からさほど遠くないところのマンションのすぐ裏に藤原岳があるように見えます。

Img_2600c_20220125172501  もう一つ。パノラマ写真風にトリミングしたもの。藤原岳方面です。

2022年1月24日 (月)

シロハラも登場して、今日の鳥見はなかなかのラインアップで満足

Img_1994c_20220124162901  雨は夜半前に上がりました。午前中は雲が多かったものの、次第に晴れてきて、久しぶりに12.5℃と暖かくなりました。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、御坊さん、寺町と6.5㎞。初めは曇っていたので、あまり期待しなかったのですが、これがよい方に裏切られました(微笑)。

Img_1831c_20220124162901  まずは、今シーズン初確認のシロハラ。貝塚公園にて。待ちかねていました。例年、貝塚公園の西側エリアの木々が生い茂り、ツツジの植え込みがたくさん並んでいるあたりによくいますので、年末から確認し続けていたのです。

Img_1144c_20220124163101 Img_1209c_20220124163101  話を戻して。まずは、住吉キンクロ、今日もオスが1羽。住吉水門の内側には、ヒドリガモが16羽。右の写真のように休んでいます。水門の内側は、桟橋もあって広くなってます。たぶん休むのにちょうどよいところなのでしょう。右奥は住吉入江につながっています。

Img_1179c_20220124163101 Img_1262c_20220124163001  揖斐川では、シラウオ漁の漁船が2組出ていました。水鳥は、カワウの他には、ヒドリガモが6羽いたのみ。七里の渡し跡では、コガモ。6羽が、石垣に付いた藻を懸命に食べていました。ここには、ヒドリガモもオス2羽、メス3羽と、オオバンが1羽も。

Img_1343c_20220124163001 Img_1374c_20220124163001  三の丸水門まで来たら、ツグミがやって来ました。柿安コミュニティパークに行こうと思ったら、少し近づくと逃げられ、追いかけてを何回か繰り返して撮れたのが右の写真。あまり出来はよくありません。これは、ちょっと運が向いてきたかもしれないと、期待しつつ散歩を続けます。

Img_1390c_20220124163001  コミュニティパークの駐車場近くで、今度はジョウビタキのメスが登場してきました。真ん丸で、まさに「ジョビボール」です。

Img_1420c_20220124163001 Img_1439c_20220124163001  九華公園では、証拠写真ながら、まずは、シジュウカラ。今日はヒヨドリもドバトもカラスも少なく、静か。カモは、合計74羽。ハシビロガモが12羽、ヒドリガモが2ペアとキンクロハジロたち。

Img_1481c_20220124163001  奥平屋敷跡、ここに着いた頃は何もおらず、何か来る雰囲気もなし。2~3度と回っていると、二の丸跡との間にかかっている電線にイソヒヨドリのメス。しばらくじっとしており、5m以内に接近しても大丈夫でした。

Img_1535c_20220124163001 Img_1559c_20220124163001  さらには、花菖蒲園からアオサギが飛び立つのを発見。どこへ行くかと見守っていたら、西側の堀を回って、奥平屋敷跡の南へ。左の写真は、ノートリミング。アオサギを見ていたら、カワセミの鳴き声! ステージの裏の、最近の「定位置」にやって来ました。今日は、バードウォッチングの運を使い果たしたかもしれません(苦笑)。

Img_1513c  いささか余談。ヒヨドリさんが少ないと、この頃よく書いていますが、それはたぶん食べるものがないから。アオサギを見ていたとき2羽のヒヨドリがやって来て、木の葉っぱを毟って食べていました。よほど食べ物に不自由しているのでしょう。毎年、大寒を過ぎた頃には、葉っぱや、雑草、花壇に植えられたパンジーの花を食べるのを見ます。

Img_1691c_20220124170001 Img_1698c_20220124163001  鎮国守国神社を回って、本丸跡に出て来たら、シメの鳴き声がアタマの上から聞こえて来ました。さんざん振り回され、追いかけた挙げ句が、証拠写真のみ(苦笑)。どちらの写真も同じシメさん。

Img_1713c_20220124162901 Img_1625c_20220124170501  ユリカモメは、11羽いました(写真に写っているのは、4羽のみ)。ここで、先ほど奥平屋敷跡にいたアオサギが、吉之丸堀の東の端へ。揖斐川からの導水口の上にやって来ました。よいところに目をつけたのですが、今日は、揖斐川からは水は入れていません。水を入れていれば、魚も一緒に入ってくるのですが……。

Img_1759c_20220124162901  九華公園東の外周遊歩道を歩いていたら、上空にミサゴが飛来。飛びものは、なかなか難しい(苦笑)。今日は、公園上空を3回ほど旋回しただけで、東の揖斐川の方へ飛び去ってしまいました。このあと、南側でジョウビタキのオスに遭遇したものの、写真はうまく撮れず。

Img_1792c_20220124162901 Img_1897c_20220124162901  貝塚公園も静かでしたが、南側エリアでジョウビタキのメス。割と近いところで見られました。このあと、初めの方に載せたように、シロハラに遭遇。内堀公園ではスズメくらい。新築公園へ。最近、ジョウビタキのオスに出逢えていなかったのですが、今日はスゴい! 2~3mのところへやって来ました。右の写真は、ノートリミングです。

Img_1984c_20220124162901  住吉入江に戻って来て、オオバン。拙宅マンション前では、ツグミが飛んできたのですが、すぐに道路脇の植え込みに入ってしまい、出てこず。しかし、今日は、なかなかのラインアップで、満足(微笑)。

Img_1939c_20220124162901 Img_1678c_20220124163001  ところで、常盤町から常信寺に行くとき、めったに通らない路地に入ったら、あるお宅でロウバイがたくさん咲いていました。あたり一帯にあの独特の甘い香りが漂っています。鎮国守国神社では、拝殿の東に枝垂れ梅を植えておられました。久松松平家の家紋が、梅鉢紋であることに因んでたくさんの梅がありますが、宮司さんは梅だけでなく、他の花木も増やし、年中花だけでなく、緑、紅葉・黄葉などさまざまな景色を楽しめるようにしたいとおっしゃっていました。

2022年1月23日 (日)

鳥はおらず、ビンズイくらい……町屋川を偵察したものの、水鳥は少なし

Img_0735c_20220123124101  午後からは雨になりそうです。午前中も曇りで、12時現在の最高気温は3.2℃。冷え冷えとしており、モチベーションも上がりません(苦笑)。藤原岳は、この写真のように雪景色が続いていますし、我が家から見える鈴鹿の山並みも白くなっています。7時半から散歩に出たものの、散歩友達も、鳥も少ないという状況でした。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町公園、寺町と歩いて、いったん帰宅して、町屋川の様子を見てきました。歩いたのは、5.9㎞。

Img_0747c_20220123123801 Img_0753c  久しぶりに住吉キンクロ。オス1羽だけでしたので、単数形(笑)。住吉水門の内側には、ヒドリガモが16羽。寒いためか、みんな保温体制でお休み中。

Img_0803c_20220123123801  揖斐川にはシラウオ漁の漁船が3組も出ていましたが、めげずにカンムリカイツブリが計3羽。三の丸公園、柿安コミュニティパークには、ムクドリやスズメが少数いただけ。

Img_0905c_20220123123801  8時には九華公園に到着。しかし、九華公園も静か。ヒヨドリがほとんどいないのです。これはという野鳥はいません。もっともよく撮れたのは、こちら、ビンズイ。二の丸跡で2羽を見つけました。奥平屋敷跡にはドバトのみ。他には、カワラヒワ、シジュウカラ、ムクドリ、ドバト、メジロくらい。どれも数は少なく、張り合いないくらい。

Img_0826c_20220123123801 Img_0923c_20220123123801  カモは、合計67羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモが12羽、他はキンクロハジロと、いつもと同じ。同じなのは、良いような、悪いような(苦笑)。

Img_0935c Img_0972c_20220123123901  ユリカモメは、8羽のみ。今日は、寒いせいか、餌をくれる人は誰も来ません。公園東の外周遊歩道で、メジロ。貝塚公園では、カワラヒワ、メジロ、ヒヨドリがいたものの、2~3羽ずつ。内堀公園でもカワラヒワ、シジュウカラ、ヒヨドリがわずか。

Img_0993c_20220123123901  立教小学校のところを通ったら、学校の敷地内にツグミが2羽いました。ちょっと遠かったので、今ひとつクリアには撮れませんでした。

Img_1049c_20220123123801 Img_1079c_20220123123801  初めに書きましたように、このあと、いったん帰宅してクルマで町屋川へ。ただし、四日市港潮汐表では満潮が9時21分ですから、水鳥はあまりいないだろうと思って、「偵察」という次第。1月25日までの予定で堤防強化工事が行われていたのですが、早めに終わり、車が堤防を通れるようになったと聞いたのです。国道1号線・町屋橋のところから国道23号線を越え、日の出橋の先までは、工事が終わっていたのですが、福地と福岡町の境目から先ではまだ工事が続いていて(2月19日まで)、通行止め(右の写真)。

Img_1065c_20220123123801 Img_1071c_20220123123801  右上の写真のところで川を覗いたものの、水鳥はあまりいませんでした。町屋川左岸の近いところにヒドリガモ、中洲にはカラスの他、セグロカモメらしき姿が見えました。これくらい(苦笑)。寒かったこともあって、早々に撤退。2月19日以降でないと、いつも行くあたりで鳥見はできそうもありませんが、時期的にちょっと遅いかも。

Img_0946c_20220123123901 Img_1042c_20220123123801  ところで、左の写真は、鎮国守国神社の境内にある白梅のつぼみ。少し膨らんで来ていました。右は、寺町商店街の河津桜。こちらのつぼみはまだ堅そうでした。今週は、対面授業が中止されましたので、予定していた非常勤の授業の試験もなくなりました。学生たちからのレポート提出待ち(締切は、2月1日)。研修会のレジメの締切がありますが、すでにメールで送信済み。

Img_1103c_20220123131701 Img_1109c_20220123131701  オマケの話。正月、家内の実家であれこれ整理をしていたら、「つし」からこれが大量に出て来ました。若い方はたぶんご存じないと思いますが、これは「豆炭(まめたん)」。5㎝四方、厚さは3.5㎝、50グラムほど。石炭や低温コークスなどの粉を混ぜ、結着剤とともに豆状に成形した固形燃料です。子どもの頃、これを燃やして、行火(あんか)やこたつに使っていました。一晩は十分にもった記憶があります。ちなみに、今でも使われているようで、Amazonで調べたら、12㎏を¥3,656で売っています。

2022年1月22日 (土)

ウグイスの証拠写真……桑名市博物館で「やまと絵のしらべ―帆山花乃舎と復古大和絵―」

Img_0724c_20220122170801  今日も朝は冷え、氷点下1.0℃でしたが、日中は10℃を超えています。夜中に息子が「地震が来る」と言って起こしに来て、睡眠不足。朝6時まで寝ていました。桑名と、家内の実家のある津とをYahoo!防災速報に登録しているのですが、津に関しては「緊急地震速報」が届き、震度3の予想でしたが、幸い震度1で済みました。いつもよりやや遅れ7時50分から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園から桑名市博物館に立ち寄り、京町、常信寺、寺町と5.6㎞。帰宅は11時過ぎ。「どこをウロウロしているの?」と叱られました(苦笑)。博物館で今日から始まった「やまと絵のしらべ―帆山花乃舎と復古大和絵―」を見てきたのです。

Img_0305c_20220122171101 Img_0343c_20220122171101  住吉水門の内側にも、外側にもヒドリガモがいました。内側に2ペア、外側に1ペア。揖斐川には、今日もあちこちにカンムリカイツブリの姿が見えます。その数、合計4羽。

Img_0379c  九華公園には8時10分に到着。北門あたりには、ムクドリや、カワラヒワがいました。北門近くの堀に今日は、ハシビロガモが5羽とキンクロハジロ1羽、オオバンも1羽。コサギが上空を通過していきました。

Img_0401c_20220122171001  奥平屋敷跡。散歩友達はWさんと、前管理人のOさん。この頃、ここに来る鳥はかなり少なくなっています。ドバトは多いのですが、スズメはほとんど来ていません。ヒヨドリや、ムクドリもあまり来ません。今日もなかなか来なかったのですが、8時半頃にカワセミが2回ほど近くを通過。9時近くになってモズのオスがやって来ました。これでまぁ、満足。

Img_0417c_20220122171001  二の丸跡で鳥の巣が落ちているのを見つけました。月曜日に奥平屋敷跡で見つけたのと同じような巣(2022年1月17日:梅のつぼみが膨らんで来ていました)。近くに松の木が何本かあります。そこにつくられていたカワラヒワの巣かと思います。ちなみに、この写真に写り込んでいるのは、散歩友達犬のJちゃん。女の子です。いつも寄ってきてくれ、「撫でてちょうだい」というのです。

Img_0424c Img_0487c_20220122171001  ユリカモメ、今日は34羽。例年に比べると少なめですが、今シーズンは多くてもこれくらい。今日は、餌をやる人が何組もあって、ユリカモメは大忙しでした。カモは、写真を撮ってきませんでしたが、合計68羽。ハシビロガモが12羽と他はキンクロハジロで、今日は、ヒドリガモは見当たらず。吉之丸堀にかかる橋を渡っていたら、またもやカワセミが通過。野球場南のしだれ桜の木に止まりました。遠くて、超証拠写真しか撮れず、割愛。

Img_0452c_20220122171001 Img_0529c_20220122184501  再び北門の堀を見に行くと、コサギが降りていました。本丸跡では、カワラヒワが6羽ほど地上に降りてエサ探し。カワラヒワは、公園の外周遊歩道の南でも登場。今日はよく見ました。カワラヒワの近くには、メジロも来たものの、ピンぼけ写真連発。

Img_0538c_20220122184501 Img_0592c  貝塚公園では、証拠写真ながら、ウグイスを捉えました。こんな写真ではあるものの、ここまで撮れるのは珍しい。その他は、ジョウビタキのメス。公園を出たところで、散歩友達のSさんに遭遇。

Img_0637c_20220122170801  内堀公園で一休みし、「そういえば、今日から新しい展覧会だ」と思いだし、このあと桑名市博物館へ。冒頭にも書きましたが、今日から2月27日まで「やまと絵のしらべ―帆山花乃舎と復古大和絵―」が開催されます。高校生以上は、入館料が¥500。桑名市博物館の前身・桑名市立文化美術館の開館50年を記念した展覧会です。

20220106185308  帆山花乃舎(ほやま・はなのや/1823-1894)は桑名にある、りん(舟ヘン+侖)崇寺(りんそうじ/真宗高田派)の住職を務めるかたわら、幕末から明治にかけて“王朝的な美意識”を特徴とする復古大和絵派の絵師として活躍した画僧です。幼いころから絵を好んだそうで、浮田一蕙渡辺清らに師事して土佐派の絵を学んでいます。この展覧会では、桑名市博物館の花乃舎作品とともに、国立博物館所蔵作品の復古大和絵派を代表する絵師たちの作品が見られます。左は展覧会のポスター。桑名市博物館のサイトからお借りしました。余談ではありますが、作品を見ていたら、桑員ホームニュースの記者さんから声をかけられ、写真のモデルになってきました(微苦笑)。2月12日発行のものに載るそうです。

0122yamatoe0 0122yamatoe1  自分の記憶のために出品リストを載せておきます。花乃舎が描いた出品#35の屏風「桜狩」「紅葉狩」の説明に「旧桑名藩主・松平定晴」という方の名前が出て来て、どこかで読んだ記憶はあったものの、思い出せなかったので、質問して来てしまいました(苦笑)。正確には「旧桑名藩主」ではありません。松平定敬の四男で、定教の養子(定教長女・榮子と結婚しています)でした。

0122kuwanacastle  博物館で「桑名城」と題した資料を販売していました。私にとって、これは買うしかありません。¥300。桑名城の歴史についてコンパクトにまとめられ、また、年表が付いています。令和元(2019)年度の市民大学郷土史学科で「城と城下町」の講義を聞きましたが(2019年5月13日:シジュウカラとツバメのヒナ……午後からは市民大学講座「城と城下町-桑名城を中心に-」へ)、それと関連深い内容です。

Img_0645c_20220122170801 Img_0690c_20220122170801  博物館には30分ほど滞在。京町公園で一休みし、常信寺へ。梅はまだでした。寺町の河津桜のつぼみは多少大きくなってきた気はしますが、こちらもまだまだ。住吉入江まで戻って来たら、ツグミがソメイヨシノの木にいました。

Img_0483c_20220122171001  明日は、この間の日曜のリベンジで町屋川でバードウォッチングと行きたいところですが、潮の具合がイマイチ。四日市港潮汐表では、満潮が9時21分、干潮は15時11分。どうしようか思案中。写真は、九華公園の吉之丸堀。

2022年1月21日 (金)

諸戸氏庭園でアトリ、九華公園にはミサゴ

Img_9525c_20220121172401  寒波は明朝までで、日中以降はもう少し気温が上がるという予報ですから、期待しましょう。散歩はいつものように、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園と回り、ここからちょっとコースを変え、内堀南公園、外堀、吉津屋町から大央町を経て新築公園、常信寺、寺町と6.4㎞を歩いてきました。

Img_9404c_20220121172401 Img_9430c_20220121172401  今日のハイライトはこちら。アトリです。漢字では「獦子鳥」または「花鶏」。記紀の時代から親しまれた鳥で、「集まる鳥」という意味だそうです。「獦」は、「狩り」のことで、アトリの大群を狩りのときに大挙して獲物を追い立てる勢子(狩子)に見立てた名前(日本野鳥歳時記による)。日本には冬鳥として、シベリア方面からやって来ます。場所は、諸戸氏庭園の東、桑名七里之渡し公園との境目。2羽いました。アトリは、このあたりでは珍しく、私がこれまでに見たのは、九華公園で3回、諸戸氏庭園で1回のみです(2018年11月17日(九華公園でアトリのメス)、2017年11月12日(ツミ(?)、アトリ(?)にカワセミの証拠写真(苦笑)【鳥の名前について付記しました(11/13)】、九華公園)、2014年11月10日(ジョウビタキのオスとメスに出会い、カモは70羽に増える……6.4�qの散歩【不明の鳥は、アトリ(11/13付記)】、諸戸氏庭園)、2014年10月14日(台風一過……九華公園でアトリや、カワラヒワの幼鳥その他、キンクロは1羽のみ)。

Img_9439c_20220121172401 Img_9459c_20220121172401  その諸戸氏庭園では、ジョウビタキのメスや、メジロも出てきました。諸戸氏庭園には、いろいろな冬鳥が来ているのではないかと思います。前にも書いたと思うのですが、一度でよいので、バードウォッチングをして見たい場所です。住吉水門の内側には、ヒドリガモが2ペアと、オオバンが1羽。

Img_9476c_20220121172401 Img_9519c  揖斐川には、今日もシラウオ漁の漁船が2組出ていましたが、ヒドリガモが30羽くらいと、カンムリカイツブリが計5羽。オオバンも数羽。カモメも2羽が、上流方向に飛んで行くのが見えました。

Img_9577c_20220121172401  柿安コミュニティパークの看板の上にいたのは、イソヒヨドリのメス。

Img_9646c_20220121172401 Img_9634c_20220121172401  九華公園に入ったところで、ツグミ。割とよく見るようにはなったものの、数が少ない。昨シーズンまでは三の丸公園、柿安コミュニティパーク、貝塚公園などあちこちで見たのですが、今年は本当に少ないのです。北門あたりには、スズメ、ドバト、ハクセキレイ、ムクドリなどがいます。

Img_9875c_20220121172401 Img_0007c_20220121172401  その九華公園には、今日もまた、ミサゴが登場。2羽。20分あまりにわたって、九華公園の上空を旋回したり、ホバリングしたり。しかし、私が見ている間にダイビングすることはありませんでした。今年1月7日に4羽が飛来して、ダイビングして魚を捕って以来、ときどきやって来ています(2022年1月 7日 :九華公園にミサゴが4羽も登場……ダイビングシーンも見られ、ジイ様バーダーたちは大興奮(微苦笑))。

Img_9680c_20220121172401 Img_9726c_20220121172401  ミサゴは姿を現したものの、それ以外の鳥は、ほとんどいませんでした。残念。カモは、73羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモは12羽、他はキンクロハジロたち。ユリカモメは、15羽。右の写真には、そのうち12羽が写っています。

Img_9755c  他にいたのは、コサギさん。最初は、野球場にあるフェンスの上(右上の写真、ユリカモメがいるところ)にいたのですが、その後、辰巳櫓跡に近い松の木へ。左の写真は、その松の木の上にいるところ。

Img_0167c_20220121172401 Img_0207c_20220121172401  貝塚公園で、ジョウビタキのオス。内堀南公園や、新築公園では、スズメがいたくらい。住吉入江まで戻って来たら、今日もカイツブリ。

Img_9559c  昨日の余談の続き。柿安コミュニティパークで工事中の桜を植えたところ。まだ石が入ったりするようです。噂では、柿安さんが寄附したといいますが、未確認情報。

Img_0241c_20220121172401  非常勤のレポートは、その後、後が続いていません。まぁ、来週になってからボツボツと届くのだろうと思っています。東海三県には、今日から2月13日までまん延防止等重点措置が適用されました。桑名も含まれています。県境を越える移動の自粛は引き続き求められています。今日の三重県の感染者数は325件、愛知は3,100人を、また、岐阜は500人をそれぞれ超えたようです。まん延防止等重点措置には効果がないとか、感染者数の発表も意味がないという声も聞こえますが、注意喚起という意義はあるのでしょう。私は引き続き、散歩生活ときどき仕事で、基本的な感染予防策をしっかりとる積もりです。

2022年1月20日 (木)

大寒……カワセミ、イソヒヨドリ、若いアオサギなど大いに鳥果あり

Img_9229c_20220120183001  二十四節気で今日は、「大寒」です。最低気温は氷点下1.1℃、最高は8.5℃。午前中、散歩している間は曇りがち、午後からは風が出て、いずれにしても寒い。とはいえ、明日の予報を見たら、最高気温は5℃の予報。今日よりも低い! 今朝は、家事を済ませ、8時15分から散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町と5.9㎞。常信寺では、近いうちに紅梅が咲きそうな感じでした。ここは、私の散歩コースの中でたぶんもっとも早く梅が咲きます。

Img_8915c_20220120184001 Img_8859c_20220120184001  今日のハイライト。九華公園の奥平屋敷跡で、カワセミが大サービス。ここにあるステージの裏あたりに何度も来て、また、かなり長い時間同じところに止まっていて、15分くらい間近で見られました。写真のようにオスのカワセミ。右の写真のように目が合ったりしたのですが、逃げませんでした。

Img_9100c_20220120183001  さらに、イソヒヨドリのオス。こちらは、朝日丸跡を歩いていたら、目の前の枝にやって来ました。これもすぐ近くで、しばらく同じところにいました。

Img_9165c_20220120183001  ついでに、もう1つ。若いアオサギ。九華公園の吉之丸堀の東側のエリア。野球場のすぐ南の堀のところにいました。こういう若いアオサギが来るのは、あまりありません。

Img_8739c_20220120183101 Img_8776c_20220120183101  さて、話を戻して、散歩の最初から。散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園の南のソメイヨシノの木にカワラヒワが1羽。このあたりから桑名七里之渡し公園あたりでは、他にはヒヨドリ。住吉水門の内側にはオオバン。揖斐川にはカモやサギは見られませんでしたが、カンムリカイツブリが計4羽ほど。

Img_8794c  8時半に九華公園に着いて、北門を入ったところのサザンカに、メジロがやって来ていました。北門近くの堀には、カルガモのアーちゃん。ときどき来ています。カワラヒワやヒヨドリ、スズメ、ドバト、ハシボソガラスもいます。このあと、奥平屋敷跡で、カワセミをじっくり観察。ダイビングシーンはありませんでした。

Img_9018c_20220120184701 Img_8992c_20220120183001  朝日丸跡では、ビンズイ2羽とハクセキレイ、そして、上述のようにイソヒヨドリ。ビンズイは、ほぼ毎日見られるようになりました。

Img_8979c_20220120183001 Img_9063c_20220120183001  カモは、72羽。ハシビロガモが12羽にヒドリガモが2ペア、他はキンクロハジロと、いつものメンバー。

Img_9086c_20220120183001  ユリカモメは、4羽のみ。野球場のライト側フェンスの上。

Img_9210c_20220120183001  九華公園の外周遊歩道東で、ジョウビタキのメス。メスを見たのは、久しぶり。ただし、ちょっと遠かったので、ご覧のように証拠写真。近くでも撮れたのですが、後ろ姿のみ。貝塚公園、内堀公園では、これという写真は撮れず。

Img_9290c_20220120183001  Img_9279c 拙宅前まで戻って来たら、住吉入江沿いの植え込みからツグミが登場。昨日見たのと同じツグミかも知れません。電線には、メジロ。体は小さくとも、鳴き声はけっこうよく聞こえます。

Img_9355c_20220120183001  住吉入江には、オオバンが4羽いたほか、カイツブリも。久しぶりです。という次第で、大寒の今日は、鳥果大いにありで満足(微笑)。

Img_9266c_20220120183001  ところで、非常勤先のレポートについては、昨日、学生たちに周知されていますが、昨夜、早速提出してくれた学生もいました。早くてちょっと驚きました(微笑)。

Img_8782c_20220120183001  余談。この間から柿安コミュニティパークで小規模な庭園をつくるような工事が行われています。ここに桜の木が植えられるという話を聞きました。

 Img_9091c_20220120183001 明日から、東海三県も「まん延防止等重点措置」が適用されます。最近は、家庭内で感染する比率が高いようですから、飲食の制限だけでは不十分というか、必ずしも適切ではないと思います。政府対策分科会の尾身会長は、今後の感染対策は「人流抑制ではなく、(会食などの)人数制限がキーワードになる」と述べておられます(こちら)。やはり、基本的な感染予防策をきちんと執り、リスクの高い行動を避けることが重要のようです。

2022年1月19日 (水)

モズのモフモフ……鎮国守国神社にWebサイトができていました

Img_8245c_20220119161501  水曜日ですので、本来でしたら、江戸橋へ非常勤の授業に出かけるところですが、今週から対面授業は実施されません。今日、最後の授業をして、来週は試験を予定していましたが、すべて中止。成績評価は、レポートに替えることになり、今日、課題などが学生に知らされたというメールが非常勤先から届きました。レポートは2月1日締切で、40編前後が、メールで届きます。出かけなくてよいのは、楽といえば楽なのですが、何となく調子が狂った感じ(微苦笑)。「散歩してても良いのか??」という気がしてならないのです。それに「授業ロス」とまではいいませんが、もの足らない気分もしています。写真は、住吉神社にて。

Img_8531c_20220119161501 Img_8294c_20220119161501  それはともかくとして、結局は、いつものように、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.2㎞を歩いて、10時半に帰宅。今朝は、氷点下2℃まで冷え、冷たい朝でした。立ち止まって話していると、足の裏から冷えてきます。左の写真は、内堀公園の入り口で見つけた氷。右は多度山。藤原岳はもちろん雪化粧をしていますが、朝のうちは、多度山の頂上あたりも白くなっていました。

Img_8241c_20220119161501  住吉入江にしばらく前にいた住吉キンクロウズ、最近はサッパリです。住吉水門を通して、揖斐川につながっていますので、食べ物はあると思うのですが、安心できる環境ではなかったのでしょうか。オオバンだけは、1~2羽がたいていいます。今日も2羽のオオバン。揖斐川には、あちこちにカンムリカイツブリ。合計4羽ほど。写真はうまく撮れず。その後、九華公園まで、スズメくらいしか見ませんでした。

Img_8333c_20220119161501 Img_8302c_20220119161501  九華公園には8時に到着。相撲場の近くで、ツグミさんがお迎え(微笑)。九華公園で地上にいるのを見たのは、初めてか、2回目か。まぁ、そもそも今シーズンはなかなか見られませんので。近くには、ハクセキレイ(右の写真)、スズメ、ドバト。メジロの鳴き声もサザンカの木から聞こえたものの、姿は見えず。

Img_8387c_20220119161501  奥平屋敷跡に着いた頃には陰ってきてしまい、寒いこと。寒い中待っていたものの、鳥は出て来ません。今日はヒヨドリもほとんど来ず、ドバト10羽あまりと、ハシボソガラスくらい。30分くらい経って、ようやくモズのオスがやって来ました。いつも来るオスのモズと思いますが、さすがに満を持して登場しただけあって、写真のように、ふっくら、モフモフの姿を見せてくれました(微笑)。

Img_8438c_20220119161501 Img_8431c_20220119161501 カモは、やや多く、80羽。こんなに多いのは、今シーズン初めて。しかも、ヒドリガモが、久しぶりに2ペア来ていました。ハシビロガモは12羽(右の写真はオス)。他はすべてキンクロハジロ。ホシハジロのオスも、カイツブリも年始以来、お見限りです。

Img_8461c_20220119161501 Img_8456c_20220119161501  本丸跡に回ったら、ジョウビタキのオスが出てきました。九華公園でジョウビタキを見るのは、久しぶり。カワラヒワもいました。二の丸跡から本丸跡の方へ、ビンズイらしき鳥が逃げるのを見たのですが、確認できませんでした。

Img_8523c_20220119161501 Img_8503c_20220119164201  公園の外周遊歩道を回って貝塚公園に行こうとしたら、グラウンドの端、揖斐川からの導水路のところで、よく出遭う方が自転車を止めて、何かに見入っておられました。近くに行ったら、「あそこにゴイサギ。ずっとじっとしている」と教えてくださいました。ホシゴイがじっとしており、ときどき、視線を下に向けて、導水路を見ていました。まさか、ここでエサ探し? ホシゴイも、去年以来で、今日は久しぶりが多い。

Img_8582c_20220119161601 Img_8557c_20220119161601  貝塚公園ではメジロくらい。ヒヨドリもいませんでした。ツグミも、シロハラも今年はまだ見ていません。内堀公園で小休止をしていたら、ジョウビタキのオスが出てきました。メジロは証拠写真。ジョウビタキが入って行った植え込みのあたりにメジロも2羽が入って行き、ちょっとしたバトルを展開していました。内堀公園では、他にカワラヒワ。

Img_8640c_20220119161601  新築公園には何もおらず、老松公園ではメジロとヒヨドリ(左の写真)。メジロは、日当たりのよりサザンカの木にいたものの、ちょうどよいところには出てこず、残念。

Img_8687c_20220119161601  拙宅前の住吉入江まで戻って来たら、ツグミがソメイヨシノの木にやって来ました。カメラを構えたらいなくなっており、探したら、入り江を挟んで対岸のソメイヨシノへすでに移動。玉重橋を急いで渡って、撮ったのがこの写真。残念ながら、枝かぶり。

Img_8645c_20220119161601  ところで、年が変わってから、ロウバイが咲いていないかとそれなりに気をつけてみていたのですが、なかなか見つけられませんでした。ごく近所のお宅で毎年咲くのですが、今年はほとんど花がついていません。散歩コースでも見られずにいたのですが、今日、寺町の花屋さんで見つけました。といっても売り物ではないようで、ご自宅玄関の方に鉢に植えられたものが咲いていたのです。

Img_8489c  余談。鎮国守国神社の掲示板にあったポスター。「桑名城址『華まつり』献灯のご案内」とあります。ここ2年ほど、コロナ禍で花見客も減少傾向にある中、是非とも花見の方々を減らすことなく、来城いただきたく本丸址に提灯を掲げて夜の花見もしていただけるよう観光にも力を入れたいという趣旨で、献灯に協力して欲しいということです。ただし、日付は、「令和3年11月」となっており、どうやら私が見逃していただけのようで、すでに受け付けは終了していました。主催は桑名城本丸事務所で、協賛は鎮国守国神社となっています。「あれ?! 桑名城本丸事務所なんて、あったっけ?」と思っていろいろ調べたら、鎮国守国神社のWebサイトができていました(こちら)。なかなか立派なWebサイトになっています。今まで私もよく知らなかったことも書いてありました(本殿が土蔵造りになっていることなど)。ただ、桑名城本丸事務所については、よく分からず。

2022年1月18日 (火)

マイクロムーン……今年一番小さい満月だそうです

Img_8225c_20220118204901 Img_8235c_20220118204901  今日は満月。令和4(2022)年の満月としては、約401,000㎞と最も地球から遠い位置にあり、「マイクロムーン」といいます。逆に、今年、最も近い満月は7月14日で、その時、月は地球から約357,000㎞のところに来るそうです。両者の見え方を比較すると、今回の満月は視直径(天体の見かけの直径を天球上の角度で表現した値)が約11パーセント小さくなります。もちろん、パッと見ただけでは分かりませんし、2つの月を並べて比べられるわけでもありませんが、「マイクロムーン」という気分でご覧くだされば幸いです(微笑)。撮影は、20時46分。Canon PowerShot SX60HS、f/6.5、SS=1/320秒、ISO=250、1,365mmズーム、手持ち撮影。右は「手持ち夜景モード」で撮影。f/3.4、SS=1/8秒、ISO=2500、21mm。

雪で散歩は途中リタイア

Img_8086c_20220118121501  夜中に湿った雪、午前中はみぞれという予報でしたが、午前中も時々雪となっています。朝、資源ゴミの当番を済ませ、7時45分頃から無理矢理散歩に出たものの、1㎞も行かないうちに雪が本格的に降り始め、途中でリタイア(苦笑)。結局、2.1㎞を歩いて、30分で帰宅しました。住吉神社から、九華公園の北門を眺めるだけ眺め、三崎通、住吉入江のコース。

Img_8100c_20220118121501  桑名七里之渡し公園の前で、ハクセキレイ。このあたりを歩いているときは、ほとんど降っていませんでした。うまく行けば、このまま歩けると思っていた頃。

Img_8145c_20220118121501 Img_8114c_20220118121501  住吉神社の前に来たら、だんだんと雲が厚くなってきた感じ。遠くに散歩をしている人がいるのが見えます。揖斐川には、カンムリカイツブリが数羽。他の水鳥は、まったく見えません。

Img_8148c_20220118121501  旅館・山月の裏手、堤防下の高水敷にツグミとハクセキレイとが、接近遭遇しながら、餌を探していました。このあたりから、空模様はさらに怪しくなってきました。

Img_8171c_20220118121901 Img_8199c_20220118121501  こちらは、蟠龍櫓。雪が降っているのが見えると思います。この辺で、鳥もいませんし、空一面が灰色の雲に覆われてしまい、散歩は断念。九華公園を前にしてUターン。今日は、寺町商店街の三八市でしたが、閑散としていました。

Img_8221c_20220118121501  帰宅してしばらくしたら青空が覗いてきましたが、午前中は、晴れ→曇り→雪の繰り返し。実家で使うストーブや灯油を買いに行ったり、雑誌をリサイクルに出したり、あれこれしておりました。午後の方が、天気は良さそうですが、今日は散歩はあきらめ、ご相談ケースの報告書を書くのに専念することにしましょう。

2022年1月17日 (月)

梅のつぼみが膨らんで来ていました

Img_8073c_20220117170201  1月の後半になっています。毎度同じことを書きますが、月日の経つのは早いもの。最高気温は10℃を越えました。午前中、歩いているときはそれなりに暖かいと思っていましたが、昼過ぎからは風も強くなってきて、寒さを感じます。いつものように、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、京町、南魚町、八間通郵便局と6.2㎞。10時半前に帰宅。

Img_7615c_20220117170101 Rimg0032c  揖斐川では、赤須賀漁港のシラウオ漁の漁船が2組、操業していました。1月から3月頃まで見られる冬の光景。はまぐりプラザにある「食堂はまかぜ」で白魚丼が食べられます。今年も¥1,500のようです。私自身は、2015年に1度食べたきりです(2015年2月5日:はまぐりプラザでしらうお丼を食し、ユリカモメを堪能……カンムリカイツブリ、今日も登場)(微苦笑)。白魚の卵とじの丼になっています(右の写真、2015年2月5日のもの)。はまぐりのお吸い物と漬け物が付いていました。白魚その物というよりも、卵と出汁の味という感じでした。季節を味わうということです。

Img_7665c_20220117170101 Img_7643c_20220117171801  漁船が出ていますと、揖斐川にはあまり水鳥はいません。しかしそれでも、カンムリカイツブリが漁船から遠いところに合わせて5羽。カモやオオバン、サギの姿はありません。これらの鳥は、漁船を嫌うのでしょう。三の丸公園でモズに遭遇。証拠写真。近寄ろうとしたら、逃げられ、見失ったという次第。

Img_7712c_20220117170101  九華公園では、今日もビンズイがいました。地上に降りていました。小型の鳥がいるようでしたので、そっと歩いたつもりが、樹上に逃げられました。今日見たのは、2羽。

Img_7818c  奥平屋敷跡では、モズのオス。このところ、毎日来ます。奥平屋敷跡やその周辺を移動しており、姿が見えなくなってもしばらくすると、また登場してきます。他には、今日は、カワラヒワ、メジロ、シジュウカラも来ました。ただし、写真は不出来で、割愛。

Img_7744c_20220117170201 Img_7752c_20220117170201  その奥平屋敷跡で、鳥の巣が落下しているのを見つけました。が、鳥の巣はあまりよく分かりません。「実物日本鳥の巣図鑑」というサイトで調べたものの、イマイチ。近くの松の木から落ちたのではないかと思われます。カワラヒワのものという可能性が高いかと思っていますが、よく分かりません。詳しい方がいらっしゃったら、是非ともご教示いただければ幸いです。

Img_7873c_20220117170201 Img_7930c_20220117170201  神戸櫓跡の松の木、カワウが集合するあたりにダイサギが降りて来ました。南側から見ると、カワウの近くにいるように見えましたが、東から見たら、右の写真のような位置関係でした。それなりに間を空けて止まっていました。

Img_7966c_20220117170201  神戸櫓跡のすぐ下まで行って見上げたら、こんなシーンをゲット。ダイサギがやって来たのは、久しぶりです。

Img_7908c_20220117170201 Img_7962c_20220117170201  カモは合計71羽。ハシビロガモは12羽、他はすべてキンクロハジロ。ユリカモメは、奥平屋敷跡から東を見たときは、30羽くらいが飛び交っているのも見えたのですが、すぐにいなくなって、きちんと数えられたのは6羽。

Img_8022c_20220117170201 Img_8032c_20220117170201  貝塚公園は静かで、メジロの鳴き声が聞こえたくらい。今年は、ここではまだツグミを見ていません。シロハラも来ていません。内堀公園のベンチで一休みしていたら、ジョウビタキのオスが近くに来ました。ふっくらしていますし、アイコンタクトも取れました(ホントか?)。

Img_7953c_20220117170201  ところで、九華公園というか、鎮国守国神社の境内で梅の木をよく見て回ったら、つぼみが膨らんで来ていました。写真は、九華招魂社のところの枝垂れ梅。自然界では、春の準備は着々と進んでいるようです。写真は撮れませんでしたが、ハシボソガラスが、巣材にするような枝を咥えて飛んでいるところも見ました。

Img_8080c_20220117170301  八間通郵便局では、先日届いた印税(普通為替で送付されましたので)を現金化して、受け取り、また、今年のお年玉付き年賀葉書の景品をもらってきました。ただし、当たったのは切手シート7枚。最近は、切手シートしか当たりませんし、7枚というのは、近年、珍しい多さ(苦笑)。シール切手になっていました。パッと見たときは、金額表示がよく見えず、「何じゃこれ!?」状態(爆)。ちなみに、印税はささやかなものですので、「それで食事でもおごれ!」というご要望にはお応えできるほどの金額ではありません。

2022年1月16日 (日)

火山噴火による津波に驚く……散歩ではシメ、カワセミ

Img_7153c_20220116161601 町屋川の堤防工事が日曜休工というので、バードウォッチングに行こうと思っていました。しかし、夜中からスマホに警報メールが何度も届き、眠い目をこすりながら見たら、「トンガで火山が噴火した影響で、津波警報/注意報が出ている」とあるではありませんか。「噴火で津波??」と要領を得ぬまま朝を迎えました。伊勢湾にも津波注意報が出ており、名古屋や鳥羽でも、20~60㎝の津波を観測したといいます。「これくらいなら、大丈夫」とも思ったのですが、これは「正常性バイアス」の可能性が大。正常性バイアスとは、「異常事態に直面しても正常の範囲内であると判断し、平静を保とうとする人間の心理傾向のこと」。自然災害や事故などの非常時には「自分は大丈夫だろう」「大したことにはならないはずだ」などと思い込んで危険を過小評価することにつながりかねません。などなど屁理屈を考えていましたが、ことわざにも「君子危うきに近寄らず」ともいいます。私など、君子ではあり得ませんが、やめておくことにしました。しかし、それにしても、爆発的噴火の衝撃で津波が起こったといいますが、いろいろなことがあるものです。

Img_7161c_20220116161601 やむなくいつものコースへ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、老松公園、寺町と5.7㎞。しかし、考えてみたら、これも住吉神社から柿安コミュニティパークまでは、揖斐川沿いを歩いています(苦笑)。あまり意味がなかったかも知れません。七里の渡し跡にある川口水門は閉ざされていましたが(左の写真)、住吉水門と三の丸水門は、開いたまま。どうなっているのでしょう?

Img_7133c_20220116161601Img_7178c_20220116161601  日陰にはまだ雪が残っています。今日も氷点下まで冷え、公園の雪解け水でできた水たまりは凍っているくらいでした。昨日と同じく、野鳥の姿はありません。揖斐川も、赤須賀漁港の漁船が操業しており、水鳥はゼロ。

Img_7203c_20220116161601Img_7261c_20220116161601  九華公園でも、ヒヨドリもドバトも少なく、静か(苦笑)。北門から管理事務所近くまでの間に見たのは、カワラヒワ。メジロの鳴き声はしたものの、姿は見えず。奥平屋敷跡もなかなか鳥は来ず。10数分待って、カワセミの鳴き声。左の写真は、二の丸跡に降りたところ。このあともう1度来たものの、この証拠写真のみで残念。さらに待つと、シメが静かにやって来ていました。しかし、木のてっぺんあたりにばかりいて、まだ地上には降りてこず。

Img_7344c_20220116161601 そして、モズのオス。いつも奥平屋敷跡に出て来るあのモズ。今日の散歩友達は、Wさんと前管理人のOさんの2人。散歩友達犬のJちゃんにも、今年初めて会いましたが、私のことをよく覚えていて、飼い主さんを引っ張って寄って来て、「撫でてくれ」といいます(微笑)。

Img_7373c_20220116161601 本丸跡で、ビンズイ3羽。昨日は、二の丸跡で見ています。逃げるところを後ろから追いかける形になってしまいました。昨日よりはマシな写真(笑)。

Img_7387c_20220116161601 Img_7456c_20220116161601  ユリカモメは12羽。カモは合計79羽。ハシビロガモがなぜか13羽。他はキンクロハジロばかり。九華橋のところで餌をやる方があり、ユリカモメとかもが入り交じって大騒動。この方、ユリカモメではなく、カモに餌をやりたいと思っておられたのですが、ことごとくユリカモメに取られてしまい、憤慨。こういうときは、フェイントをかけると割とうまく行きます。ユリカモメは、堀に浮いていてもそこからスッと飛び立てます。それを逆手に取るという次第。

Img_7507c_20220116161601  最近、九華公園ではあまりハクセキレイを見ませんが、今日は、外周遊歩道の南で1羽。このあと、貝塚公園、内堀公園、新築公園、老松公園ともヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいませんでした。

Img_7496c_20220116161601  非常勤の対面授業は、先週で打ち切られましたが、何だか気になっています。最近の心理学の教科書には取り上げられなくなっていますが、私の学生時代には「ツァイガルニク効果(Zeigarnik effect)」という実験結果が載っていました。「いくつかの課題を学習するに際して、それらの課題を完全に学習した場合よりも未完了の場合のほうがその課題の種類がよく想起されるという現象。未完了課題にはこれを完了させようとする緊張が残存するために保持度が強まるとされた」というもの。非常勤の授業も、ここでいう「未完了課題」である故、繰り返し想起されるのかも知れません。授業がなくなりましたので、予定もなくなりました(苦笑)。ただ、資源ゴミ当番がありますし、管理組合理事会の細々したこともあります。1月22日(土)からは桑名市博物館で「やまと絵のしらべ―帆山花乃舎と復古大和絵―」が始まります。これ、見逃せません。非常勤先でご一緒する美学の先生もご推薦だそうです。帆山花乃舎(ほやま・はなのや/1823-1894)は桑名にある、りん崇寺(りんそうじ/真宗高田派)の住職を務めるかたわら、幕末から明治にかけて活躍した画僧。

2022年1月15日 (土)

ビンズイの証拠写真(苦笑)……まだ雪が残り、橋の上は凍っています

Img_6844c_20220115145601 Img_7028c  結局、昨日は、15㎝くらいの積雪でした。今朝は、氷点下まで冷えたこともあって、午後になっても日陰や北側の屋根には雪が残っています。7時半から散歩に出ました。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.9㎞ほど。左の写真は、散歩に出たときの拙宅マンション内の小公園。九華公園でもそこかしこに雪が残り、堀にかかる橋の上は、凍っていました。寒いというよりも、冷たい感じ。

Img_6883c_20220115145601  午前中はほぼ曇りで、散歩友達も、野鳥もほとんどいませんでした。ただ、揖斐川には、あちこちにカンムリカイツブリの姿がありました。合計5羽ほど。

Img_6902c_20220115145601  柿安コミュニティパークでツグミが3羽。2羽は飛んで行くのを見ただけでしたが、1羽は駐車場にいました。水曜日に非常勤先や、帰宅途中にツグミの姿を見て、「ようやくツグミが出て来たか」と思ったのですが、散歩コースでもこれから見られるようになるかと期待しています。

Img_6924c_20220115145601 Img_7002c_20220115145601  九華公園で出会った散歩友達は、Wさんお一人。「誰もおらんね」と。ヒヨドリも少なく、代わって割といたのはムクドリとドバト。奥平屋敷跡では、モズのオスが出てきて、いささか楽しませてくれました。二の丸跡では、ビンズイが3羽。なかなかうまい位置に回れず、また、曇天で暗くて、証拠写真。

Img_7032c_20220115145601 Img_7040c_20220115145601  カモは、51羽。今日は、ハシビロガモ12羽とキンクロハジロばかり。ヒドリガモもいませんでした。ホシハジロは、年が改まってからはまったく見ません。年末よくいたカイツブリもすっかりご無沙汰。

Img_7050c_20220115145601  その一方で、ユリカモメが吉之丸堀にかかる橋の欄干に4羽だけが並びました。今日来ていたユリカモメは6羽。以前は、二の丸橋にユリカモメが数10羽並ぶのが、冬の風物詩だったのですがねぇ。

Img_6880c_20220115145601  帰宅してからは、先週の木曜に新調した眼鏡の受け取りへ。夜は、管理組合の会合。明日は、暖かそうですから、町屋川へでも出かけたいと思っています。町屋川では堤防の工事が行われていて、日曜だけが工事が休みだそうです。

2022年1月14日 (金)

またもや大雪……「風雲急を告げる」が現実に【追記しました(1/14)】

Img_6744c_20220114114001 Img_6643c  夜半から午前中まで雪という予報通りでした。予想外だったのは、三重県北部地域に、またもや大雪警報が発令されたこと。最大では、20cm近く積もったかも知れません。左の丸ポストは、諸戸氏庭園の主屋前にあるもの。8時10分頃、ゴミ出しと郵便を投函に行ったときに撮った写真。雪帽子を被ったような印象。右の写真は、朝5時過ぎに朝刊を取りに降りていったときに撮った、拙宅マンション内のプレイロットの様子。こんなに積もるとは思いもしませんでした。正午前のニュースでは、四日市で8㎝、いなべ市北勢町で22㎝の積雪といっています。

Img_6693c_20220114114001Img_6707c_20220114114001  これら2枚の写真は、8時少し前の様子。このときはさほど降っていませんが、雪は断続的に降っており、また、時々はかなり強く降ったりしました。いつもの時間の散歩は、固く禁じられました(苦笑)。

Img_6794c_20220114120601  11時頃には雪も上がり、よく晴れてきました。雨雲レーダーを見ると、まだ少し、琵琶湖から伊吹山の南側を通って、雲が流れてくる様子が見えますが、もう雪は大丈夫でしょう。

Img_6800c_20220114114001  ところで、昨日、「風雲急を告げるというか、予断を許さないというか、そういう状況になってきました」などと書いたのですが、それが現実になってしまいました。10時前、非常勤先からメールがあり、「1月17日(月)から31日(月)まで、対面授業は実施しません。なお、最終週に試験などが予定されていた科目もあろうかと思いますが、すべてレポートなどでの代替手段を講じることになります」という連絡がありました。三重県では、県独自の「感染拡大阻止宣言」も発出されていますから、やむを得ないかも知れません。ただ、急といえば急なことですから、達成感が得られない感じでいます。学生たちも、中途半端で放り出されたような気持ちになっているのではないかと心配します。きちんとしたレポート課題を考えないといけませんが、それは詳細についての連絡が来てからの仕事。

Img_6804c Img_6718c_20220114114001  オマケ。久しぶりに印税をいただきました。退職して11年目になるのに、です。2009年、退職する2年前にF村出版さんから出た「新 医療と看護のための心理学」の重版500部の分です(微笑)。珍しく「普通為替」ですから、郵便局に行かねばなりません。最後の2枚の写真、左は11時過ぎ、右は8時前。諸戸氏庭園の同じあたりを撮ったもの。

【追記(1/14 16時)】 詳細についての連絡が来てからレポート課題について考えるなどとのんびりしたことを書いていたImg_6754c_20220114114001 ら、何と、先ほど15時過ぎに早くもその連絡が来ました。それへの回答は、あのGoogle Formで。いやぁ、遠隔授業が行われるようになってから、非常勤の仕事関係では、このGoogle Formで調査、回答というのが活用されています。レポート課題、字数、締切を決め、学生諸君から直接メールで送ってもらうことにしました。今週の授業の補足説明の配布をどうしようかと迷っていたのですが、このレポート提出への返信&確認のメールに添付してデジタルデータで配ることにします。便利です。まだ、何とかついて行けています(爆)。しかし、表現が悪いのですが、今日は、このドタバタのうちに過ぎた感じ(苦笑)。写真は、諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノが雪化粧したもの。

2022年1月13日 (木)

最強寒波で鳥は少なく、コロナの感染状況が気になります

Img_6268c_20220113184501  今シーズン最強の寒気だそうです。最高気温は8.5℃。7時半に散歩に出たのですが、その頃は気温は低かったものの、風はほとんどありませんでしたので、楽でした。しかし、九華公園で鳥待ちをしていたら、5~6m/sの北西の風。震え上がりました。ということで、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、京町、南魚町と6.1㎞。冒頭の写真は、住吉神社から北の方角。冬の典型的な空。

Img_6281c_20220113184501  住吉水門の内側にヒドリガモが5ペアにキンクロハジロのメスが1羽。しかし、日陰でうまく撮れず。揖斐川では、ダイサギが1羽上空を通過。船津屋の裏手でヒドリガモ14羽(左の写真はその一部)。柿安コミュニティパーク西の堀にオオバンが3羽。

Img_6356c_20220113184501 Img_6368c_20220113184501  九華公園に着いたのは8時前。今日は静かでした。というのも、ヒヨドリの数がかなり少なかったのです。奥平屋敷跡では、まずはオスのモズ。最近、ここでよく見ます。一度出てくると、何度か繰り返し登場します。さらに、今日は、ここにツグミが登場。九華公園で地上にいるのは、今シーズン初めて見ます。ただ、ちっとも落ち着かず、いつもなら「ダルマさんが転んだ」とトコトコ歩いて、しばし止まるのですが、今日はほとんど止まらず。この他、奥平屋敷跡では、カワラヒワ1羽、スズメ2羽、ドバト1羽、ハシボソガラス2~3羽。鳥は少ないのです。

Img_6477c_20220113184501 Img_6431c_20220113184501  カモは、62羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモは12羽(オス、メスとも6羽ずつ)、他はキンクロハジロ。ホシハジロはすっかり姿を見せなくなりました。カイツブリも、年が改まってから私は見ていません。ユリカモメが吉之丸堀の東側に6羽。どうやら今シーズンは、カモも、ユリカモメもこれくらいのような感じがしてきました。両者ともその数はあまり期待できない気がします。このあと、貝塚公園ではシルバー人材センターの方が集まって作業中。鳥はメジロのみ。内堀公園には何もおらず。新築公園では、公園の西のお宅のテレビアンテナにジョウビタキ。しかし、写真は撮れず。ということで、寒い上に、鳥果はあまりなし(苦笑)。

Img_6305c_20220113184501  ところで、新型コロナウィルス感染症は、急激に感染者数が増えてきました。三重県では、昨日(1月12日)は111件、今日(13日)は186件と急増中。三重県は、昨日(1月12日)付けで県独自の「感染拡大阻止宣言」を発出しました(1月31日まで)。この宣言では、「県境を越える移動は、生活の維持に必要な場合等を除いて避けること」が要請されています。非常勤先からも、昨日授業を終えて帰宅した後、夕方メールが届きました。新型コロナウィルス感染症の感染拡大状況を考慮して、後期の授業について次のようにするという連絡でした:①後期終了まで対面授業の継続を予定しており、オンライン授業への切り替えなどは行わない、②ただし、後期授業15回目に該当する授業最終週(1月25日から31日)については、万が一、より厳しい感染状況となった場合には、中止するという判断も想定している、③この場合には、中止となるまでの授業における提出物などで判断し、成績をつけることになるなど。私は、15回目に試験を予定しており、また、これまでレポート提出などは求めていませんでしたので、ちょっと「ヤバい状況」になっています。来週の授業で、授業中に簡単な課題を課すことにして、現在、具体的なことについては検討中。いやはや、大変。

Img_6224c  風雲急を告げるというか、予断を許さないというか、そういう状況になってきました。さらに、実は、1月30日(日)に相談会を予定したのですが、この分では、予定通りに開催するのは難しいかも知れません。私自身、改めて基本的な感染予防策をきちんと採らなければと思っています。

Img_6384c_20220113184501 あまり暗い話で終わるのもどうかと思いましたので、こちらをご覧ください。上にも載せましたが、今日見たオスのモズの正面顔。正面から見ると、思わず微笑むような顔に見えてしまいます。どちら様も、寒波にも、コロナにもご留意、ご自愛ください。

20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その3)……専修寺を出て、聖俗の結界を抜け、仲之町商店街から橋向通を経て、臼井織布さんを見てゴールの伊勢鉄道・東一身田駅へ「完」

220110oshichiya2  1月10日の勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」への本編その3です。その2までで、専修寺境内、窪田の常夜燈、一御田神社などを周り、昼ご飯も済ませ、土産も1つゲットしました。その3では、専修寺の山門を出て南へ。聖俗の結界である釘貫門を抜け、古くからの仲之町商店街へ。ぶらぶらしつつ、岡田屋さんで昔からの本山土産である「桜おこし」をお買い上げ。道標・高札場跡から黒門跡を経て橋向通から伊勢別街道へ。臼井織布さんの外観だけ眺め、ゴールである伊勢鉄道・東一身田駅へ。

Img_5971c_20220112072601  釘貫門に向かう前に、専修寺の山門前、東側にあるお寺。玉保院(ぎょくほういん)。山門から南を向いて、左側にあります。玉保院の向かいには、智慧光院があり、参道は石畳。さらには古い町並みと一体になって、本山の門前にふさわしい雰囲気を醸し出しています。

Img_5975c  釘貫門を越えて振り返って見た山門の方向。釘貫門は、柱を立てて並べ、横に貫を通しただけの簡単な門です。町の入り口に設けられた木戸を示すこともあるようです。一身田寺内町では、現在は、この山門前の釘貫門だけが残っていますが、宝暦年間(1751~63年)の絵図には、他に3カ所の矢来(釘貫門)が描かれています。釘貫門は、写真にあるように、道を挟んで東西に同型同大の2棟からなっています。両方をつなぐ構造や、開閉装置はないものの、専修寺では釘貫門と呼ばれています。この門は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北に位置し、堀に架けられた石橋と併せて「聖俗の結界」をなす役割を担っています。

Img_5990c_20220110175501 Img_6154c_20220110175601  仲之町商店街。江戸期以来から続く伝統ある店が軒を連ねています。「たけやのまんじゅう」の横断幕や、幟旗が歴史を感じさせますし、昔の商店街での大売り出しのイメージがあって、何ともいえません。この商店街にある岡田屋さんで昔からの本山土産である「桜おこし」(ミックス)、¥800を購入。これは、お七夜のときの私の定番土産(微笑)。

Img_5996c_20220112075401  商店街の中程に、見逃しそうな細い水路があります。「旧村界水路」という説明板がありますが、この水路が、旧窪田村と旧一身田村の境界でした。「水路」というと、立派なものをイメージしますが、「溝」といった方が正確でした(笑)。ちなみに、万治元(1658)年に津藩二代藩主藤堂高次が娘を専修寺に輿入れさせるにあたり、この溝の西側の窪田村領地を専修寺に寄進しました。この溝を境に、寺内町の地番は3桁と4桁に分かれるなど、今も村境であった名残が垣間見えます。

Img_6003c_20220112075701  仲之町商店街の東端に近いところに「和菓子京林堂」のお店があります。実は、家内からここで「カレー焼き」を買ってくるようにという指示があったのですが、あいにく休業。津駅近くの羽所町にも同系列の店があるそうです(さかえや)。

Img_6011c_20220110175501  三叉路まで来ると、百五銀行一身田支店の角に道標があります。道標の東側には「右 江戸みち」、南側には「左 御堂並京道」と刻まれています。裏に回ると、西側には「右 さんくう道」、北側には「天保八年酉九月」とありました。天保8年は、1837年。干支は丁酉(ひのととり)、大塩平八郎の乱があった年です。天保元(1830)年には、伊勢御蔭参りが大流行したそうですから、その頃、ここも旅人で賑わったかも知れません。ここは、また、高札場もあったところ。

Img_6023c_20220110175501 Img_6026c_20220112080401  百五銀行の前の南北の通りが、橋向通。ここを右折し、南へ。毛無川に行き当たります。この毛無川も、環濠の一部を形成しています(それにしても、嫌な名前の川だなと、K氏とぼやきました)。

Img_6030c_20220112080401  ここは、黒門跡。一身田寺内町の南側出入り口でした。橋のたもとに番小屋と門があり、門は明け六つ(午前6時)に開かれ、暮れ六つ(午後6時)に閉じられました。門が黒色に塗られていて、黒門。黒門は、現在は、高田幼稚園のところに移設されています。

Img_6032c_20220112080401 Img_6040c_20220113111401  黒門から南の橋向通は、万治元(1658)年以来、25軒が水茶屋の営業を許されましたが、それぞれ遊女を抱えて、遊郭街として繁昌したといいます。滝沢馬琴は、参宮旅行記の中で、「山田の古市、松阪に次ぐ第3の遊郭」と評しているそうです。現在は、遊郭の名残はありませんが、妻入り造りの家があり、その形を留めているといわれます。

Img_6036c_20220113111401  余談気味ですが、黒門跡から少し先のところにこんなものがありました。これはガソリン給油機。現代の給油所では、天井からホースが垂れ下がるタイプと、地面に立っている給油機がほとんどで、いずれにしてもガソリンなどをそれぞれの地下タンクから電動ポンプで吸い上げ、給油します。こういう電動ポンプ型は、昭和30年前後から普及したもので、それまでは手動ポンプが主流でした。手動方式にも、地下タンクからの据え置き型と、移動可能な物の2種類があり、移動型の方が古い形式です。ここで見つけた給油機は、車輪が付いてていますから、移動型。手動で回すところもあります。寅年に合わせたのかどうかは分かりませんが、虎模様にペイントされていました。

Img_6047c_20220110175501  橋向通は、伊勢別街道に通じています。その交差点の東角にあるのが、臼井織布。津の周辺は、絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地でしたが、ここ臼井織布は、現在ただ1軒残っている伊勢木綿のメーカー。伊勢木綿は、綿とは思えないほど暖かく、しわになりにくいのが特徴だそうです。一般の綿は、洗うと硬くなるのに対し、伊勢木綿は洗えば洗うほど風合いが出るといいます。ここには、同級生K氏が行きたいといったのですが、それは、豊田佐吉が大正4(1915)年に発明したY型自動織機(豊田式鉄製小幅動力織機Y式)が、未だに稼動しているから。あいにく、臼井織布さんは、土日祝日は定休日。外観だけ眺めて来ました。

Img_6059c_20220113111401  上に書いたように、臼井織布さんの前の道は、伊勢別街道。関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)の街道です。大和から伊賀を通って伊勢に至る主要ルートでしたし、また、一般の参宮道者も通ったとされる古くからの歴史ある街道です。ここをしばらく歩いて、ゴールに設定した伊勢鉄道・東一身田駅へ。

Img_6062c_20220110175601 Img_6082c_20220110175601  伊勢鉄道・東一身田駅。ここまで7.4㎞を歩いて、14時20分頃に到着。伊勢鉄道は、いわゆる第三セクターなのですが、黒字経営。名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として、JR東海の特急「南紀」や、快速みえがここを通過します。

Img_6118c_20220113113001Img_6103c_20220110175601  伊勢鉄道の車両は、「イセIII形気動車」。平成15(2003)年から平成17(2005)年にかけて富士重工業で製造された軽快気動車だそうで、ローカル鉄道にしては新しくて、気持ちの良い車両。2月28日まで「モータースポーツのまち『鈴鹿』』キャンペーンが行われていて、そのヘッドマークが着いていました。14時44分のJR四日市行き普通に乗車。JR四日市駅には、15時18分に到着。

Img_6136c_20220113113501 Img_6111c_20220110175601  四日市でJR関西線に乗り替え。15時26分発の快速みえに乗り、桑名には、15時37分。東一身田駅から桑名駅まで通しで、¥860。

Img_6125c_20220113113701  JR四日市駅では、伊勢鉄道の発着ホームは、JR線のホームの南端にあります。乗り換えに不便はないのですが、ちょっと端っこに追いやられている印象(微苦笑)。1・2番線の先に、切り欠きのように3番線があって、そこが伊勢鉄道のホームになっています。

Img_6147c  この日の歩数は、18,237歩。現地で7.4㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計9.6㎞を歩きました。

Img_6165c_20220113113901  こちらが土産。左側の2つが岡田屋さんで買ってきた昔からの本山土産である「桜おこし」。右は、専修寺の茶所で買った「高田山ゴーフル」。どちらも好評でした(微笑)。

2022年1月12日 (水)

道草でウミアイサ……ツグミも増えてきたか?

Dscn5112c  今日から金曜日にかけては今シーズン最強の寒波襲来だそうです。朝、我が家あたりでは雪が降っていました。出勤の時間帯には、「吹雪」というともちろん大げさですが、そんな感じ。クルマで駅まで送ってもらったのですが、外に借りている駐車場に行くまでに、自分が真っ白になったくらい(苦笑)。最高気温は、5.9℃。

Dscn5119c  水曜日ですので、江戸橋での仕事。助手の先生や、同じ時間に講義に来ていらっしゃる非常勤の先生と「水曜日になると寒くなりますね」という話をしていました。以前は、「水曜は雨」というジンクスがありましたが、新たなジンクスができたのかも知れません。などと書いていると本当になりかねません。Q&Aのスライドで、一部ミスがあったものの、ほぼ大過なく終えられたと思います。残りは2回になったのですが、今日の三重県の新型コロナウィルスの感染者数は、一気に増えて111名。非常勤先からも、後期終了まで対面授業を続ける方針ではあるものの、2月に入ってからの補講は中止し、感染状況によっては最終週の講義は中止もありえるという連絡が来ています。最終週は、試験を予定していますから、これが中止になると困ってしまいます。う~ん、この連絡で、最後まで無事に授業が行われるよう、祈る気持ちになってきました。

Dscn5126c  さて、いろいろと気になることはありますが、仕事が終わった後は、道草というか、寄り道というか(微笑)。これ、かなり楽しみなので、やめられません。今日は事前に潮汐表を確かめなかったのですが、志登茂川に行ってみれば、写真のような状況。四日市港の潮汐表では、6時57分に干潮で、13時16分に満潮となっていましたから、満潮の1時間くらい前。

Dscn5131c  これはダメかと思ったものの、こちらに遭遇。後頭部がボサボサなので、ウミアイサと思います。まさか、ここで見られるとは思ってもいませんでした。メスなのか、若鳥なのか、もう少し調べたいと思っています。

Dscn5127c Dscn5137c  志登茂川の上流方向には、ユリカモメが浮かんでいました(左の写真)。下流の右岸の堤防には、コサギ、オナガガモ、マガモなどが上陸してお休み中(右の写真)。

Dscn5141c Dscn5135c  邪魔をしないよう、堤防道路の端っこを歩きながら、時々川を見下ろしていました。オナガガモ(左の写真)と、マガモのオス(右の写真)。

Dscn5133c Dscn5151c  キンクロハジロも川の中程に浮いていましたし、数は少なかったものの、ヒドリガモも見られました(右の写真)。このあたりでもっとも多いカモは、今日は、オナガガモ。キンクロハジロとマガモはせいぜい数羽、ヒドリガモは10羽足らずでした。

Dscn5147c  左岸には、セグロカモメらしき姿も見えます。という次第で、「ダメか」と一時は思ったものの、ウミアイサを見られ、結果オーライ。やはり、実際に見に行ってみないと分かりません。

Dscn5160c_20220112200901  ところで、今日は非常勤先のグラウンドや、近くの住宅街でも、桑名駅から自宅までの途中でも、それぞれ複数のツグミを見ました。地上に降りてきていたものもいましたが、大半は、写真のように電線に止まっていたり、屋根にいたりしています。ようやくツグミも増えてくるかも知れません。明日以降の散歩のときによく見てくることにします。

20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その2)……専修寺で御廟、御廟拝堂、納骨堂、外へ出て窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社からランチ

220110oshichiya2  1月10日の勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」への本編その2です。専修寺の境内にいます。その1ではお庭を拝見してから、太鼓門を見て、御影堂と如来堂にお参りし、通天橋を見てきました。その2では、親鸞聖人の御廟にお参りして、納骨堂へ。専修寺には、義父のお骨が納めてありますので、いつもお参りというか、挨拶をしてきます。その後、ちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から仲之町商店街へ。

Img_5827c_20220111172501 Img_5822c_20220111172501  御廟と御廟拝堂。境内の西端に、築地塀に囲まれた親鸞聖人と歴代上人の御廟があります。左の写真では、建物が御廟拝堂で、その奥の中央に親鸞聖人の御廟があります。さらにその周囲を歴代上人の御廟が取り囲んでいます。義父の納骨を行ったときには、この御廟拝堂で納骨の読経をしていただきました。白い玉砂利の広場の向こうに、鬱蒼とした森があって、厳粛な雰囲気を感じます。

Img_5832c_20220111172501 Img_5835c_20220111172501  御廟・御廟拝堂の東を通って、納骨堂に行けます。途中、東側には、先ほど拝観してきた雲幽園・安楽庵が見えます。ここを通るたびにお庭を眺めて、一度は拝見したいなとずっと思って来ました。この日は、その念願が叶ったという次第。

Img_5839c_20220111172501  納骨堂。初めに書きましたように、義父のお骨が納めてありますので、専修寺を訪ねると必ず、ここにお参りします。私にとっては、お参りというか、義父に挨拶に来るというか、そんな感じで訪ねます。この日は、同級生K氏も「婿さんにお世話になっています」と一緒にお参りしてくれ、感謝。

Img_5868c_20220110175501    このあと、休憩所で一服。お茶を飲んで、おやつを少し食べて(微笑)。ときは、11時半頃。おやつも食べ、昼ご飯にはまだ早いということで、唐門を確認。如来堂の正面に建つ門で、天保15(1844)年に棟上げされています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面と背面の軒に大きな唐破風(からはふ)があるため唐門と呼ばれています。すべて欅造りだそうです。華麗で、複雑な構造をしています。

Img_5893c_20220110175501 Img_5889c_20220111175901  境内の外へ出たついでに、さらに専修寺を離れ、窪田へ。JR紀勢線一身田駅を過ぎて少し行くと、伊勢別街道沿いに窪田の常夜燈があります。専修寺から北西に600mほど行ったところです。この常夜燈、右の写真でもお分かりいただけると思いますが、かなり大きいもの。津市でもっとも大きな常夜燈です(高さは、8.6m)。伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。この常夜燈は、近江の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、荷車も壊れ、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに置かれました。

Img_5882c_20220111184401 Img_5897c_20220111184401  余談。専修寺の方へ戻りますが、JR紀勢線の踏切を渡ります。前にも何度か書いていますが、JRの踏切には固有名詞がつけられています。一身田駅北の踏切は、「一身田道踏切」。この一身田道が伊勢別街道のこと。右の写真は、専修寺前のあたりを西から見たもの。以前は、お七夜というと、植木を売っている露店が出ていたのですが、今年はゼロ。義父はお七夜にお参りすると、必ず露店で植木を買って帰ったといいます。今では、こういうところで植木を買う人はいないということなのでしょう。そもそも植木が売れなくなっているとも聞きますし。

Img_5490c_20220111185101  一身田寺内町の館に向かうのですが、その前に、高田幼稚園のところに立派な門があります。以前来たときは、知らなかったのですが、これが後で見に行く黒門跡にあった「黒門」だそうです。

Img_5912c_20220111184401 Img_5900c_20220111184401  高田幼稚園から1本道を挟んで東にあるのが、慈智院。高田派末寺の中で、智慧光院、玉保院とならんで、筆頭三ヵ寺の1つ。本堂の鬼瓦に寛永16(1639)年の覚え書きがあり、このときに建てられたと考えられています。正保2(1645)年にあった一身田大火にも焼け残り、一身田でももっとも古い建築といわれます。

604373d8 Img_5915c_20220110175501  一身田寺内町の館。外観の写真を撮り忘れましたので、左の写真は、2018年9月28日の撮影のもの。ここは、寺内町の文化や歴史を紹介する施設で、寺内町を紹介するビデオの上映もあります。入館は無料で、自由に見学できます。館内には、寺内町の模型もあります。

Img_5920c_20220111190301  続いて、一御田(いちみた)神社。御祭神は、高皇産靈神(タミミムスビノカミ)、神皇産靈神(カムミムスビノカミ)、大日霎貴神(オオヒルメムチノカミ)。高皇産靈神と神皇産靈神はいずれも、天地のはじめに高天原にあらわれた造化三神の一神といいます。大日霎貴神は、天照大神の別称ですから、相当古い神社のように思えます。

Img_5937c_20220110175501  「一身田」という地名は、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあった貴族に対して特別にその身一代に限って与えられた田からきたとも、律令制度の「三世一身の法」で与えられた田からきたとも言われています。一身田に人が集落を形成し始めたのは、寺内町が生まれる前のことと考えられています。それを示す最古の資料として、この一御田神社の棟札に嘉吉3(1443)年という記録が残されているそうで、そのころは農村集落であったと考えられています(こちら)。境内にあった「一御田神社神宝類27点」という説明板には、以下のものが記されていました:室町時代(1336~ 1573年)の能面一面、室町時代の簓(ささら)2組(簓は、竹をこすり合わせて音を出す楽器の一種)、室町時代の田植歌1枚(檜の横板に「大梵天天皇御田歌」と墨書され、現在も御田植神事の際に神職がこの歌詞を読み上げるとあります)、棟札22枚(すべて檜材、嘉吉元(1411)年から寛政12(1800)年迄の銘があり、専修寺が一身田に移る前の様子が伝わる)、扁額1枚(明治4(1871)年に社名を梵天宮から一御田神社に変えたことが記されている)。

Img_5933c_20220111190301 Img_5942c_20220111190301  境内には、天満宮と花山稲荷神社とが祀られています。神社検索(三重)のサイトでは、「御田植祭は当社が神宮御共米供進なる由緒に因み、往古より行われている祭祀で、現在は拝殿前に砂で田の形を造り当該年度当番町の奉仕により各総代数名御田植え神歌を神職の奉唱に復唱して稚子(女)6名の奉仕により松葉数本を一歩づつ後退して植える。神社の創立年月日は不詳であるが、棟札に嘉吉元年(1441)のものがあるので、これ以前と思われる。寛文8年(1668)に往古は天ツ宮と称してきた社号を高野山沙門春深により梵天宮と改称されたが、明治に至り往古の地名により一御田神社と改称した」とあります。

Img_5957c_20220110193601 Img_5961c_20220111190901  一御田神社を出て、13時近く。そろそろ高田会館にある食事処「和彩あかり」も空いてきたかと思い、昼食を摂ることに。混んではおらず、ほとんど待たずに席に案内してもらえました。お七夜期間の特別メニューということで、ランチは右の写真にあるように4種類限定。

Dsc_6292c  ここは、伊勢芋に力を入れており、メニューにも使われていますし、伊勢芋そのものを売っていたりします。それ故、以前から、和彩あかりさんで、伊勢芋を使った料理を食べたいと思っていたのです。そのため、「まぐろとろろ丼」(¥1,300)をチョイス。雲幽園・安楽庵の拝観に続いて、2つ目の念願が叶いました(念願とは大げさですが)。

Img_5968c_20220111152901 Img_6157c_20220110175601  昼食を済ませて、お土産を物色。御影堂前のテントにある臨時店舗も見たのですが、結局、茶所へ。私は、「高田本山専修寺」に来たことがよく分かる土産をと思って、「高田山」と書かれたゴーフルをお買い上げ。定価¥850のところ、賞味期限が迫っていたようで、35%ディスカウントの¥595でした。

 というところで、昼食も食べ、土産も1つ買えましたので、その2はここまで。その3は、専修寺を離れ、聖俗の結界である釘貫門を抜けて、仲之町商店街、百五銀行一身田支店の角にある道標などに向かいます。

2022年1月11日 (火)

「晴歩雨読」の日というか、「雨書」の日でした

Img_6174c_20220111165701  朝8時前から雨模様の天気。17時現在の24時間雨量は、7.0mmですから、大した雨ではありませんが、散歩には出られず、残念(苦笑)。このブログを訪ねてくださる方には先刻ご承知でしょうが、立派な「散歩依存症」なのです。他に用事がないのに、天気が悪くて散歩に出られないと、落ち着かなくなるのです(苦笑)。やむなく「雨読の日」。というか、読む方よりも、考えて、書く方をしておりました。それも、ブログの記事など遊ぶ方だけではなく、仕事関係や、マンションの管理組合のことなど。まずは、明日の授業の内容の確認。また、月末に相談会を入れることにしていたのですが、その日程が確定し、その連絡メールなど。管理組合の方は、今回、役員を引き受けましたので、そのことなど。能率良く、テキパキとやれれば達成感もあるのでしょうが、それがなかなか(苦笑)。

Img_6180c_20220111165701  さて、明日は、その江戸橋での授業第13回。最高気温は5℃台の予報。またもや寒さが戻って来ますから、体調管理に気をつけないといけません。体調管理といえば、新型コロナの三重県での感染状況も気になります。感染者数は、1月9日に42名となったほかは、1月7日以降は20名台が続いています。ちょっと気になる、微妙な感染者数です。三重県では、「感染拡大防止アラート」が発動されています。基本的な感染防止対策を徹底したいと考えています。非常勤の授業や、相談会は無事に終えたいところ。

20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その1)……専修寺でまずはお庭を拝見し、太鼓門、御影堂、如来堂、通天橋へ

Img_5504c_20220110175501  1月10日に行ってきた「高田本山専修寺お七夜」の本編その1です。この日のハイキングが、今年の「ハイキング始め」です。私自身は、専修寺のお七夜は、これまでに何回か出かけています(2018年1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺、2018年1月13日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」、2018年1月16日、勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(予告編)、2020年1月12日:20200112近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策へ」(完)など)。ただ、これまで庭園(雲幽園)と茶室(安楽庵)を拝観する機会がありませんでした。これらは是非一度は見てみたいと思っていました。昨年は、新型コロナで行けませんでしたので、今回是非にと考えたのです。冒頭の写真は、御影堂の遠景。

Img_5470c_20220110175501  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗って、白子駅に9時12分に到着。普通電車の津新町行きに乗り替え。9時14分発車で、最寄り駅の高田本山駅には、9時30分に到着。¥700。途中、おもしろい経験をしました。白塚駅で、「車両の取替をしますので、着いたホームの向かい側の電車にお乗り換えください」ということがあったのです。不具合があったのではなさそうです。9時半過ぎにスタート。今回も、同級生K氏と二人旅。

 こちらが、220110oshichiya0歩いてきたコースの全体マップ。私が拝観したかった雲幽園・安楽庵の案内が10時からと13時からの2回でした。10時に間に合いそうでしたので、参拝する前に庭園の拝観へ。その後、太鼓櫓、御影堂、如来堂など、専修寺境内を周り、そこからちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から仲之町商店街へ。そこでも土産をゲット。百五銀行のところで道標1基を見て、黒門跡から伊勢別街道へ。伊勢木綿の臼井織布の建物を見て、伊勢鉄道・東一身田駅にゴール。

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220110oshichiya2  詳細なルートマップのその1。とはいえ、このマップの範囲では、どこにも立ち寄っていませんし、帰り道の東一身田駅までのルートも入っています(苦笑)。近鉄名古屋線高田本山駅から高田本山までは、西にほぼ一直線で1.3㎞ほど。ということで、右がルートマップその2。高田本山専修寺の境内は、あちこち移動しましたのでルートが複雑になっていますが、順番に書くと、茶所に集合してまずは雲幽園・安楽庵、対付いて、太鼓櫓から御影堂、如来堂、通天橋、御廟拝堂、納骨堂へ。休憩所で一休みしてから、いったん境内の外へ。唐門を眺め、窪田の常夜燈を見て、一身田寺内町の館、一御田神社と回ってから、13時頃に昼食。高田会館にある「和彩あかり」にて。再び境内に戻って、茶所で土産その1をゲット。山門をくぐって釘貫門を抜けて仲之町商店街へ。ここでも私は土産その2をゲットしています(苦笑)。百五銀行一身田支店の角にある道標・高札場跡から、毛無川にかかる橋のところで黒門跡を見て、橋向通を南に向かいます。

Img_5474c Img_5486c_20220111152501  一身田寺内町(いっしんでんじないちょう)は、高田本山専修寺を中心にして発展した寺内町で、特に現在もほぼ完全な形で環濠が残されるなど、多くの文化財や歴史的な町並みを現在に伝えています。高田本山駅から来て、環濠にかかる栄橋を渡ると、高田本山専修寺も目の前。お七夜に出ている露天が見えてきます。

Img_5494c_20220110175501  こちらは、山門。重要文化財。専修寺の総門にあたります。すぐ前には、道をへだてて石畳が伸び、その途中の左右にある玉保院、智慧光院、釘貫門や石橋、さらには古い町並みと一体になっています。山門は、2階建で、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの大きな門。宝永元(1704)年頃に完成したと考えられています。でここに着いたのは、9時50分を過ぎた頃。

Img_5968c_20220111152901  10時からの庭園拝観に行った方が、あとからの行動の自由度が高いと考え、参拝する前に、集合場所の茶所(左の写真)へ。この茶所も重要文化財。湯茶の接待所ですが、中へ入ると、正面が仏間で、大きな仏壇が設けられています。間口18.45m、奥行13.21m、木造平屋建て。山門を入ってすぐ右手にあります。10時に集まっていたのは、お子さんも含め9名。一身田寺内町の館のほっとガイド会の方、お二人が案内してくださいました。

Img_5707c  Img_5565c_20220110175501雲幽園(うんゆうえん)」と呼ばれる庭園は、御影堂・如来堂の背面に接しています。この庭園は、中の島をもつ北寄りの池庭と、二つの小島をもつ南の池庭からなり、これを折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいる池泉回遊式の庭園になっています。一面に杉苔が生え、また、種々の竹の間を通って、茅葺の屋根がある惣門を抜け、左に折れると短冊形をした石橋がかかり、ここから飛び石伝いに茶席「安楽庵(あんらくあん)」に至ります。

Img_5587c_20220111154401 Img_5692c_20220111154701  作庭年代は、南北朝時代以前とする説がありますが、石橋の形式は江戸中期のものです(左の写真。藤堂高虎が持ち込んだという説があるそうです)。この庭園は、水際にも石組みがまったく使われていません。「州浜形(すはまがた)」というそうです。しかし、そもそも庭園の見方をよく知らず、また、通路から外れたり、苔を踏んだりしないようにと注意された中での拝観で、なかなかこれはという撮影スポットに行き当たらず、写真は不出来で苦笑せざるを得ません。

Img_5631c_20220111154901 Img_5641c  安楽庵は、茶席は本席と略席の二棟からなり、二畳半に半畳の鱗板を入れた少人数の席で、主人と客席との間に太鼓張りの襖を入れるなど、珍しい趣向が凝らされているそうです。「そうです」と書いていますが、内部は拝観できず。また、茶道についての心得も知識もありません故、パンフレットと説明で伺った話がネタ元(苦笑)。浅学非才が、露見しています。これについては、千利休の長男道安(どうあん)と織田信長の弟有楽齋の合作のためといわれ、安楽庵の名前もこの二人の名前から取られた、との言い伝えもあります。茶席の由来については、異説もありますが、いずれにしても江戸時代初期の名席とされています。

Img_5679c Img_5651c_20220111155201  左の写真の中央には、「刀掛け」の棚が見えています。武士はここに刀を掛け、写真にもあるにじり口から茶席に進みました。ヘンなところに興味を持ちますから、笑われること必至ですが、右の写真は「砂雪隠」。「雪隠」ですから、今でいえばトイレ。砂雪隠は、 茶の湯で、露地口の内に設けた雪隠。自然石を置き川砂を盛り、杖を添えてあります。本来、貴人の用便のためのものですが、現在では装飾用。広さは一坪内外で、自然石を置き、川砂を盛り、砂かけ用の触杖(そくじょう)を添えるといいます。

Img_5726c_20220111155801  話がヘンな方に逸れましたが、かねてから見たいと思っていたお庭と茶席を見られ、満足。ご興味がおありの方には、機会がありましたら、是非一度拝観されることをお勧めします。ただし、普段は入れません。今年のお七夜期間中は、15日までは10時と13時の2回、16日は10時から案内していただけます。

 Img_5761c_20220111162101 さて、雲幽園・安楽庵から戻って、境内の主なところを見て、御影堂・如来堂にお参りをすることに。まずは、寺の東の端にある太鼓門。平屋建ての長屋門の上に三層の櫓が乗っており、その最上階に大太鼓が吊ってあります。明治5(1872)年の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、この太鼓が町の人々に時刻を知らせていたそうです。太鼓番は、この門の長屋部分に住んで、太鼓を打っていたといいます。少なくとも正徳2(1712)年より時の太鼓が行われたと考えられています。現在の建物はいつの建築か明らかではありませんが、宝暦12(1762)年ころと推定される木版絵図には、現在地に一層だけの櫓をのせた「太鼓門」が描かれており、文久元(1861)年の親鸞聖人600年忌法要の記念事業記録の中に太鼓門を三層に嵩上げした、という記事があるそうですから、このときに大改造されたと思われます。

Img_5772c_20220111162801  こちらは御影堂(みえいどう)。国宝に指定されています。親鸞聖人の木像が、中央須弥壇上に安置され、また、歴代上人の画像が、両脇壇および両余間に敬置されるお堂となっています。 畳780枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中でも五番目の巨大な堂だそうです。内部の写真も撮ることができるのですが、「個人利用に限る」ということで、ネットには載せられません。

Img_5818c  御影堂の西にあるのが、如来堂(にょらいどう)。こちらも国宝。御影堂とならんで南に向いています。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊としています。ちなみに、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。「証拠の如来」といわれる由縁は、こちらにありますが、第10世真慧(しんね)上人の時代のこと、本願寺の中興上人といわれる蓮如上人が、教団を拡張する手段として「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」という名号を配っていました。しかし、中にはこの「無碍(さしさわりのない)」という意味をはきちがえて「この名号を称えておれば、どんな悪事を働いても、往生の障りにはならぬ」といって、集団で乱暴するものがでてきて、蓮如上人も押さえがきかなくなったといいます。そこで真慧上人が比叡山に登って無碍光如来の正しい意味を説明し、7日間にわたって真宗の正意を講じたところ、その博識、弁舌に加えて確かな正意安心(しょういあんじん)に全山の僧侶が感動し、親鸞聖人の再来ではないかとうわさされたそうです。さらに、高田派こそ真宗の教えを正しく受け継ぐ教団であるといい、その証拠にと慈覚(じかく)大師が、一刀三礼で彫り上げた阿弥陀如来尊像を真慧上人に献じました。これが「証拠の如来」といわれる由縁。

Img_5787c_20220110190601 Img_5811c_20220111163801  御影堂と如来堂とを結ぶ通天橋(つうてんきょう)。こちらは、重要文化財。両御堂の縁側にかかっているため高床となっており、板張りで、柱間はすべて吹抜けになっています。内側の天上のあたりには、細部に彫物が多用されており、同一部材でも彫物の図柄や形に変化を持たせ、建物の単調さを防ごうとする工夫が凝らされています(右の写真の細部をご覧ください)。

Img_5795c_20220111163901  通天橋の前に「勘六松のいわれ」と書かれた太い松の切り株が保存されています。その説明書きによれば、如来堂は、享保4(1719)年に建立の発願があって以来、29年の歳月を経て、寛延元(1748)年に落成しました。しかし、軟弱な地盤のため工事は難航したそうです。そんな折、勘六という大工が自ら地突きの穴に飛び込み、人柱となったそうです。その遺徳を偲んで、如来堂正面東側の礎石には法名が刻まれています。その近くに巨大な松が生えていたのですが、残念ながら枯れてしまい、その切り株を保存しているのだそうです。

 このあと、親鸞聖人の御廟と御廟拝堂を見て、納骨所へとなりますが、その1はここまで。御廟、御廟拝堂からはその2にて。

2022年1月10日 (月)

20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(予告編)

 桑名では14℃を越え、風もなく、暖かい日でした。予定通り、「高田本山専修寺のお七夜」へ行ってきました。いつものように同級生K氏と二人旅。今日のところは、予告編。

Img_5470c_20220110175501  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗って、白子駅に9時12分に到着。普通電車の津新町行きに乗り替え。9時14分発車で、最寄り駅の高田本山駅には、9時30分に到着。¥700。高田本山までは、西にほぼ一直線で1.3㎞ほど。9時半過ぎにスタート。

220110oshichiya0  こちらが今日歩いてきたコースの全体マップ。私が拝観したかった雲幽園・安楽庵の案内が10時からと13時からの2回でした。10時に間に合いそうでしたので、参拝する前に庭園の拝観へ。その後、太鼓櫓、御影堂、如来堂など、専修寺境内を周り、そこからちょっと足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から中之町商店街を経て、道標1基を見て、黒門跡から伊勢別街道へ。伊勢木綿の臼井織布の建物を見て、伊勢鉄道・東一身田駅にゴール。

Img_5474c Img_5494c_20220110175501  一身田寺内町(いっしんでんじないちょう)は、高田本山専修寺を中心にして発展した寺内町で、特に現在もほぼ完全な形で環濠が残されるなど、多くの文化財や歴史的な町並みを現在に伝えています。高田本山駅から来て、環濠にかかる栄橋を渡ると、高田本山専修寺も目の前。山門が見えてきます。重要文化財。ここに着いたのは、9時50分を過ぎた頃。

Img_5968c  10時からの庭園拝観に行った方が、あとからの行動の自由度が高いと考え、参拝する前に、集合場所の茶所へ。この茶所も重要文化財。10時に集まっていたのは、お子さんも含め9名。一身田寺内町の館のほっとガイド会の方が案内してくださいました。

Img_5565c_20220110175501 Img_5707c  雲幽園(うんゆうえん)は、御影堂・如来堂の背面にあります。池泉回遊式の庭園で、中ノ島をもつ北寄りの池庭と、二つの小島をもつ南の池庭からなり、これを折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいます。おそらく人があまり入っていないためと思いますが、苔庭が見事。作庭年代は、南北朝時代以前とする説もあるそうですが、石橋の形式は江戸中期のもので、藤堂高虎が持ち込んだといいます。

Img_5641c  雲幽園に茶席「安楽庵」があります。千利休の長男道安と織田信長の弟有楽齋の合作といわれ、安楽庵の名前もこの二人の名前から取られた、という言い伝えもあるそうです。安楽庵の由来には他の説もありますが、いずれにしても江戸時代初期の名席とされています。安楽庵の全体像をうまく捉えられるところがなく、写真撮影には苦労しました。結局、ここは待合というところと思います。

Img_5504c_20220110175501  御影堂。国宝に指定されています。親鸞聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇および両余間に敬置するお堂となっています。 畳780枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中でも五番目の巨大な堂だそうです。内部の写真も撮ることができるのですが、「個人利用に限る」ということで、ネットには載せられません。

Img_5818c  如来堂。こちらも国宝。御影堂の西にあり、御影堂とならんで南に向いています。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊としています。ちなみに、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。

Img_5787c_20220110190601  御影堂と如来堂とを結ぶ「通天橋」。こちらは、重要文化財。両御堂の縁側にかかっているため高床となっており、板張りで、柱間はすべて吹抜けになっています。内側の天上のあたりには、細部に彫物が多用されており、同一部材でも彫物の図柄や形に変化を持たせ、建物の単調さを防ごうとする工夫が凝らされています。このあと、親鸞聖人の御廟と御廟拝堂を見て、納骨所へ。ときどき書いていますように、専修寺には家内の父親のお骨が納めてありますので、必ずお参りというよりは、挨拶をしてきます。

Img_5868c_20220110175501 Img_5893c_20220110175501  いったん境内の外に出て唐門を眺めました。ここから、さらに専修寺を離れ、窪田へ。JR紀勢線一身田駅を過ぎて少し行くと、伊勢別街道沿いに窪田の常夜燈があります。この常夜燈、右の写真でも想像できるかと思いますが、かなり大きいもの。津市でもっとも大きな常夜燈です(高さは、8.6m)。伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。この常夜燈は、近江の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに置かれました。

604373d8 Img_5915c_20220110175501  一身田に戻り、一身田寺内町の館(左の写真は、2018年9月28日の撮影)へ。ここは、寺内町の文化や歴史を紹介する施設。館内には、寺内町の模型もあります。

Img_5937c_20220110175501  続いて、一御田(いちみた)神社。一身田に人が集落を形成し出したのは、寺内町が生まれる前のことと考えられています。それを示す最古の資料として、この一御田神社の棟札に嘉吉3(1443)年という記録が残されているそうで、そのころは農村集落であったと考えられています。ここには、室町時代のものという能面も伝わっています。御祭神は、高皇産靈神(タミミムスビノカミ)、神皇産靈神(カムミムスビノカミ)、大日霎貴神(オオヒルメムチノカミ)。

Img_5957c_20220110193601 Dsc_6292c  再び、専修寺の方へ戻ります。この頃13時過ぎ。そろそろ高田会館にある和彩あかりが空いてきたかと思ったのです。そうです、昼食なのです(微笑)。お七夜で、昼食は4種類のメニューに限定されていました。このあかりで伊勢芋のとろろを食べたいとかねてより思っていたので、「まぐろとろろ丼」(¥1,300)をチョイス。満足。

Img_5975c  茶所で土産を買ってから、山門をくぐって南へ。石畳の道を行くと、「釘貫門(くぎぬきもん)」と石橋があります。釘貫門は、道を挟んで東西に同型同大の2棟からなっています。両方をつなぐ構造や、開閉装置はないものの、専修寺では釘貫門と呼ばれています。この門は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北に位置し、堀に架けられた石橋と併せて「聖俗の結界」をなす役割を担っています。

Img_5990c_20220110175501 Img_6011c_20220110175501  釘貫門から少し南へ行くと、一身田の昔からの商店街・仲之町通。こちらもけっこう賑わっていました。江戸時代から続く商家もあるそうです。ここでは、御菓子司岡田屋さんで、昔ながらの桜おこしを購入。商店街の東の橋には、百五銀行一身田支店があり、そこに道標。道標の東側には「右 江戸みち」、南側には「左 御堂並京道」と刻まれています。西側には「右 さんくう道」、北側には「天保八年酉九月」とありました。天保8年は、1837年。ここは、高札場もあったところ。

Img_6023c_20220110175501  道標の所で右折し、南へ。じきに環濠となっている毛無川に行き当たります。ここは、黒門跡。黒門は、現在は、高田幼稚園の所に移設されているといいます。百五銀行に面した南北の通りを「橋向(はしむかい)通り」と呼びます。黒門から先は、かつて歓楽街で、江戸時代には水茶屋が25軒もあったといいます。滝沢馬琴は、旅行記で「伊勢の古市、松阪に次いで、伊勢国で第3位の遊郭街だった」と記しています。遊郭であったという名残は感じられませんでしたが、古い建物はいくつも残っていました。

Img_6047c_20220110175501  こちらに来たのは、この臼井織布を見るため。津の周辺は、絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地でしたが、ここ臼井織布は、現在ただ1軒残っている伊勢木綿のメーカー。同級生K氏が行きたいといったのですが、それは、豊田佐吉が大正4(1915)年に発明したY型自動織機(豊田式鉄製小幅動力織機Y式)が、未だに稼動しているから。あいにく、臼井織布さんは、土日祝日は定休日。外観だけ眺めて、ゴールに設定した伊勢鉄道・東一身田駅へ。

Img_6062c_20220110175601 Img_6082c_20220110175601  伊勢鉄道・東一身田駅。ここまで7.4㎞を歩いて、14時20分頃に到着。伊勢鉄道は、いわゆる第三セクターなのですが、黒字経営。名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として、JR東海の特急「南紀」や、快速みえがここを通過します。

Img_6103c_20220110175601 Img_6111c_20220110175601  14時44分のJR四日市行き普通に乗車。JR四日市駅には、15時18分に到着。ここでJR関西線に乗り替え。15時26分発の快速みえで、桑名には、15時37分。東一身田駅から桑名駅まで通しで、¥860。

Img_6147c  今日の歩数は、18,237歩。現地で7.4㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計9.6㎞を歩きました。

Img_6157c_20220110175601 Img_6154c_20220110175601  今日の土産。左は、専修寺の茶所で購入した「高田山サブレ」、定価¥850でしたが、賞味期限が近いということで35%ディスカウントで¥595。右は、昔ながらのお七夜土産である「桜おこし」。岡田屋さんで¥800。

 本編は、また明日以降、ボチボチと書いていきます。

2022年1月 9日 (日)

ミサゴ、再び九華公園に

Img_5097c  今朝はあちこちに霜が降りていて、昨日よりも冷えた感じがしました(実際には、昨日は氷点下でしたが、今日は0℃ちょうど)。立ち止まって話をしていたり、鳥を見ていたりすると、足元から冷えてきます。いつものように7時半から散歩を開始。住吉神社につくのは7時40分頃、今の時期、ご覧のように東を向くと鳥居の間から陽が昇ってくるのが見えます。このあとは、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と回って、5.6㎞。

Img_5081c_20220109115001 Img_5089c_20220109115001  住吉入江には、キンクロハジロのオスが1羽。以前は5~6羽いたのに、最近は少ないのです。近くでは、今日はヒヨドリが賑やか。拙宅マンションあたりや、桑名七里之渡し公園では、カワラヒワが何羽か。

Img_5150c_20220109115001  揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽にオオバンも2羽。他には水鳥は見当たりません。三の丸公園でシメ。しかし、枝かぶりで超ピンぼけ。残念。九華公園、今日、カモは合計64羽。ハシビロガモ6ペア12羽、ヒドリガモ2ペア4羽とキンクロハジロ。ホシハジロはずっときていません。カイツブリも見なくなりました。しかし、今日はオオバンが1羽。たぶん今シーズン初お目見え。

Img_5334c_20220109114901 Img_5356c_20220109115001  ユリカモメは26羽も来ていました。これは、今シーズン最多記録。かつては、150~200羽も来ていたのに比べると、かなり少ない。二の丸橋の欄干にユリカモメがズラッと並ぶのが、冬の風物詩だったのに、たぶん去年からそういう光景は見ていません。

Img_5274c_20220109115001  ミサゴは、今日も8時半過ぎに1羽が登場。奥平屋敷跡から見ていたのですが、二の丸橋の東(二の丸堀の東側エリア)の上空を旋回しており、ちょっと遠く、ダイビングしても橋が邪魔でよく見えないところ。2回ほど急降下し始めたのですが、途中で反転してしまい、結果的にはフェイント(苦笑)。10分あまりで揖斐川の方へ飛び去ってしまいました。しかし、一昨日、獲物をゲットしていますから、ヒョッとしたらこれからしばらくは時々来るのではないかと、勝手に期待しています。

Img_5154c_20220109115001 Img_5190c_20220109115001  奥平屋敷跡、今日8時に着いたときは、インコのの声しか聞こえませんでした。ヒヨドリも、ドバトも、ハシボソガラスもゼロ! 参ったなぁと思ってウロウロしていたら、救いの神が登場。モズのオス。他の野鳥がいない中、奥平屋敷跡の中を集会しながら、時々地上に降りて何かを啄んでいるようでした。その後は、メジロが6羽登場。

Img_5373c_20220109115001  貝塚公園に行こうと九華公園の外周遊歩道を歩いていたら、ヒヨドリに混じって、イソヒヨドリのオスがいました。遠くからパッと見ると、似ていますが、ヒヨドリはヒヨドリ科、イソヒヨドリはヒタキ科。貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、メジロくらい。

Img_5406c_20220109114901 Img_5440c_20220109114901  新築公園で久しぶりにジョウビタキのオス。あたかも待ってくれていたかのように目の前に登場(微笑)。勝手な思い込みですが……。老松公園ではメジロ。

Img_5456c_20220109114901  明日は成人の日ですが、桑名の成人式は今日の午後からのようです。散歩中にすでに着物を着た若い女性に出遭いました。私は、明日は、勝手にハイキング「高田本山専修寺お七夜」に出かける予定。お七夜に合わせて、庭園の公開があります。庭園を一度拝見したいと思っていたのです。水曜は、江戸橋での授業の第13回目、週末はマンション管理組合の会議。まぁ、ボチボチ。

Img_5345c_20220109115001 Img_5352c_20220109115001  余談。鎮国守国神社、今年は干支のマスコットがないのかと思っていたら、拝殿の内部に飾られていました。

2022年1月 8日 (土)

2021勝手にハイキング記録

 令和3(2021)年も、新型コロナウィルス感染症の蔓延で、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングはなかなか開催されませんでした。「歩きの虫」と「歴史散歩の虫」がウズウズして堪りませんでしたので、「勝手にハイキング」を8回開催しました。開催というと大げさですが、何ごともそれなりの名前をつけた方がそれらしくなるのです。この記事は、2021年の「勝手にハイキング」のまとめです。実際には、「勝手にハイキング」は4月までとなりましたが、4月9日からは、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」を始めたのがその理由。すなわち、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」は、「勝手にハイキング」の発展バージョンなのです。

1.2021年2月1日:駅西散歩

2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編)

2021年2月3日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その1)……播磨を出発して北別所神明社、高塚山古墳に登るつもりがリタイア、式部泉を通って土佛山聖衆寺へ

2021年2月4日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その2)……秋葉三尺膨大権現、尾畑山城跡、立坂神社旧蹟から円妙寺墓地で松平定良公墓所へ

2021年2月5日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その3)……円妙寺、照源寺から専明寺まで

2021年2月6日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その4)……尾野神社を経て、やっと養老鉄道播磨駅にゴールで「完」

39514a4c 50e82f1c  下調べはしていたものの、日程的には、ほぼ思いつきで出かけてきました。「養老鉄道ハイキング」となったのは、結果論。「くわな史跡巡り」の122~125ページにある「駅西コース:照源寺コース」を参考に、次のようなコースで、現地では6.5㎞を歩きました。播磨郵便局あたりから岸西山の西を通って南下。県道142号線を越えて、北別所神明社、北別所中世墓、高塚第三公園、高塚山古墳(途中で断念)、式部泉あたり、土佛山聖衆寺(右の写真)、立坂神社𦾔跡、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺、東海山照源寺、専明寺、尾野神社と回って、養老鉄道播磨駅にゴール。播磨駅で10分待つと桑名駅行きの電車がありましたので、ここで初めて「勝手に養老鉄道ハイキング」となった次第。桑名駅から自宅が1.2㎞で、合計7.7㎞。歩数は、16,091歩。電車賃は、1駅で¥160。

2.2021年2月6日:桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)

2021年2月6日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)(予告編)

2021年2月8日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その1……能部神社、平田御薗神明社、浄光寺、島田城跡

2021年2月9日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その2……善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓から平群神社へ

2021年2月10日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その3……揚げ雲雀の鳴き声を聞きながら連敬寺、景清屋敷跡、久米まちづくり拠点施設で「完」

567e5bde 3ed98974  令和2(2020)年12月19日に出かけた「2020年12月19日:20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)」の続きで、桑名の八風街道を、東金井から能部まで歩きました。本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。これは、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。この日は、桑名西高校行きの八風バスで能部まで行き、能部神社へ。本来の八風道は、能部バス停から西へ行き、赤尾交差点と進みますが、能部神社からそのまま正和台の団地を通り抜け、平田御薗神明社、浄興寺を回って、八風道に戻り、ゼニス羽田のところで島田城跡を眺め、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓、久米小学校前から平群神社(右の写真)、平群沢溜池公園、連敬寺、景清屋敷跡まで足を伸ばして、ゴールは久米まちづくり拠点施設。ここにある平群神社前のバス停から八風バスで、桑名駅前まで戻って来ました。現地で歩いたのは、6.5㎞ほど。バス代は、往復で¥760。同級生K氏と二人旅。昼食は、桑名駅コンコースにある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)で「とろアジフライランチ(税込み¥980)」。

3.2021年2月27日:美濃街道再び(川口町~下深谷)

2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完)

1f7f86ca B331f5af  新型コロナウィルス感染症によって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングが軒並み中止となったため、「勝手に養老鉄道ハイキング」を企画し、桑名の美濃街道を歩きました(20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編)20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編))。今回、同級生K氏と、昨年と同じルートをもう一度辿ることとし、この日は、川口町から下深谷までを歩いてきました。美濃街道は、七里の渡しから東海道を南へ160mほど下ったところ、川口町と江戸町の間の三叉路が起点となります。ここを9時にスタートし、三崎見附跡、北桑名神社、八丁畷と福島縄手の追分、参宮通、西浄寺、上之輪神社(中江城跡)から、深谷に入って南楽寺、角の地蔵、深江神社、西林寺(北廻城跡)、飛鳥寺と進み、養老鉄道下深谷駅に12時過ぎにゴール。下深谷駅から桑名駅まで養老鉄道で2駅、¥260。昼食は、桑名駅近くの「とんかつ銀座」で「トンカツランチ(¥1,000)」。右の写真は、飛鳥寺からの眺め。

4.2021年3月14日:美濃街道再び(下深谷~多度)

2021年2月27日:2021年3月14日:20210314勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(下深谷~多度)」(完)

9e765b38 Ca665e0a  今回も同級生K氏と二人旅。養老鉄道下深谷駅を9時頃にスタートし、安養寺、法光寺、森大明神社、明光寺、大淀松跡、徳蓮寺(秋篠宮殿下もいらっしゃったお寺)、野志里神社(右の写真)、舟着社、西田家住宅(ここは、前回、コースミスをして見逃したところ)、尾津神社(戸津)、尾津神社(小山)と回って、養老鉄道多度駅に12時45分頃ゴール。現地で歩いたのは、7.9㎞。養老鉄道の電車賃は、往復で¥570。昼食は、桑名駅に戻ってからでしたが、ランチ営業をしているところが少なく、危うくランチ難民になりそうでした。結局、サンファーレにある「なないろ珈琲」で「牛すじカレーランチ」。サラダ、ドリンク付きで¥980。歩数は、20,970歩。

5.2021年3月20日:諸戸水道・駅西を行く

2021年3月20日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編)

2021年3月21日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その1(桑名駅東口から徳成農園跡へ)

2021年3月22日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その2(走井山公園、勧学寺から冷水庵へ)【上野神社について追記しました(3/29)】

2021年3月23日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」)

53ef2622 E2deaea0  「くわな史跡巡り」にあった「諸戸水道・駅西コース」を参考に、“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”として歩いてきました。スタート&ゴールは桑名駅に設定。桑名駅東口を7時35分に歩き始め、桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構(右の写真)、長禅寺、徳成農園跡、走井山公園・勧学寺、上野御膳水、上野神社、上野墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城址、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回り、桑名駅西口には10時半に到着。その後、アピタの新光堂によって文庫本を2冊購入して帰宅。現地で歩いたのは、7.2㎞。自宅から桑名駅往復が、3.1㎞でしたので、今日歩いたのは、10.3㎞。歩数は、18,877歩。

6.2021年3月23日:浪漫の明治村

2021年3月23日:20210323勝手にハイキング「浪漫の明治村へ」

1fa50462 B75e0a99  博物館明治村へ行ってきました。天気もよく、風もほとんどなく、絶好のハイキング日和。新型コロナウィルス感染症が蔓延しており、そんなところへ行って大丈夫かという気もしましたが、クルマで往復。明治村は、屋外施設がほとんど。しかも、空いており、3密はほとんどなしという状況でした。実は、令和2年10月7日に「桑名城惣構ツアー」をご案内したとき(「桑名城惣構ツアー」とバードウォッチング少々……キンクロハジロ飛来、サメビタキ(?)も)、その御礼として、明治村の招待券(2021年3月末まで有効)をいただいており、行くチャンスを窺っていたのです。左の写真は、明治村正門。旧制八高の正門を移したもの(旧制八高は、私の母校の前身なので、親しみがあるのです)。右の写真は、聖ザビエル天主堂

848afbb2 F288250b  ちなみに、この日の昼ご飯は、カレーパン。家内が予め調べて、これに決めていたのです。それ故、他に選択の余地は与えられませんでした(微苦笑)。「食道楽のカレーぱん」というもの。1個¥300なり。明治時代にベストセラーになった小説「食道楽(しょくどうらく/くいどうらく)」(村井弦斎による)で紹介している材料・調理法をもとに再現・アレンジしたカレーの入ったカレーぱんだそうです。この日は、明治154年3月23日だそうでした。明治村で歩いた距離は、測定不能。歩数は、13,900歩でした。たぶん7~8㎞を歩いたと思います。

7.2021年3月31日:西別所・蓮華寺を行く

2021年3月31日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(予告編)

2021年4月1日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その1)……西別所駅をスタートして、延寿院、万機庵跡、照林寺、員弁街道から西別所の八幡神社へ

2021年4月2日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その2)……山神社、蓮花寺、白山神社・蓮花寺西城跡、蓮華寺東城跡、宇賀神社、宇賀遺跡

2021年4月3日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その3)……額田神社(増田)、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(額田)を経て北勢線在良駅にゴール(完)

89d643c5  陽気もよく、桜も満開のもと、この日は、“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”というテーマで歩いてきました。「くわな史跡めぐり」を参考に自分でコースを組み立てました。三岐鉄道北勢線で西別所駅まで行き、8時半から歩き始め、延寿院、万機庵跡、照林寺、八幡神社と回り、西別所城跡を見るつもりが忘れて、蓮花寺に入りました。山神社、蓮花寺、白山神社、宇賀公園、宇賀神社、さらに増田に行き、増田の額田神社、源流寺、そして、額田神社の氏子の方に教えていただいて額田神社旧跡を訪ねました(増田集会所)。これで在良駅にゴールするつもりでしたが、氏子の方に額田神社(本社)の話も聞きましたので、そちらまで足を延ばし、北勢線在良駅には11時10分ころ到着。ました。現地で7.6㎞を歩き、自宅から西桑名駅までの往復が2.3㎞で、合計9.9㎞。電車賃は往復で¥400。

8.2021年4月22日:長島漫歩

2021年4月22日:20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(予告編)……水辺のやすらぎパークでボタンを楽しむ他

2021年4月23日:20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(その1)……光岳寺、花林院、正敬寺から長島城跡へ

2021年4月24日:20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(その2)……稲荷阿岐波神社、道標、長島水辺のやすらぎパークから花市場に立ち寄り、そのまま歩いて伊勢大橋を渡り「完」

72b0e018  水辺のやすらぎパークにある牡丹園を見に行こうというのが、第一の目的で「長島漫歩」に行ってきました。近鉄で長島駅まで行き、9時55分から歩き始め、光岳寺、花林院、正敬寺と寺を回ったあと、長島城跡である長島中学校、長島中部小学校のところを通り、長島川遊歩道を下って、稲荷阿岐波神社から、水辺のやすらぎパークへ。長島幼稚園のところからなばなの里にある花市場に立ち寄って来ました。河口堰はパス。近鉄長島駅に戻って電車で帰るつもりが、国道1号線の伊勢大橋東詰交差点でこのまま歩いて帰った方が早い、と思い直し、伊勢大橋を渡って帰宅。長島駅から自宅までが7.5㎞。自宅から桑名駅までが1.1㎞で、合計8.6㎞の散歩でした。歩数は、15,273歩。桑名駅から近鉄長島駅まで、普通電車で乗車時間はわずかに4分、料金は210円。

ミコアイサに会いにプチ遠征

Img_4776c_20220108170901 Img_4821c  朝は、-1.1℃と冷えましたが、日中は10℃を越え、風も弱く暖かい日になりました。今日は、プチ遠征。ミコアイサが、三ツ又池公園に来ているというので、見に行ってきました。三ツ又池公園に着いたのは、8時20分。着いたときには見当たらなくて、「空振りか」と思ったのですが、公園を一回りしてきたら、オスだけが6羽いました。両ヶ池公園にも来ているようですが、こちらの方が近くから見られます。

Img_4440c_20220108171001 Img_4454c_20220108171001  ということで、まずは三ツ又池公園。薄い氷が張っていました。左の写真のオオバンの手前側あたりには、その氷が見えます。三ツ又池公園といえば、私にとってはまずは、カイツブリのイメージがあります。数は少なかったものの、今日もカイツブリはあちこちにいました。

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Img_4500c_20220108171001  全体としては、水鳥の数は例年に比べかなり少なかったものの、種類はそれなりにいました。左の写真には、ヒドリガモのオス、メスと、カルガモが写っています。カンムリカイツブリも、合計6羽ほど。

Img_4598c_20220108171001 Img_4625c_20220108171001  公園の北側、かつて花菖蒲園があったところの近くには、ダイサギが1羽。ユリカモメは、2羽。

Img_4626c_20220108171001  もっとも数が多かったのは、コガモ。公園のもっとも北のあたりや、中之島の近くに集まっていました。数は数えていませんが100羽以上はいたのではないかと思います。

Img_4631c_20220108171001 Img_4645c_20220108171001  もっとも北のエリアには、ハシビロガモもいます。コガモに混じって休んでいたり、泳ぎ回っていたり、それぞれ。休んでいるように見えても、目はしっかりと開いて、こちらを警戒するように見ていました。

Img_4657c_20220108171001 Img_4665c_20220108171001  ハクセキレイも、中之島近くで。西側の水田には、珍しくケリが2羽。寒い時期、私が出かけるところではほとんど見ません。

Img_4693c_20220108171001 Img_4485c_20220108171001  モズは、中之島で。ちょっと枝かぶりです。三ツ又池公園には、ほぼ1時間滞在し、池の周囲を一回りして、2.8㎞。

Img_4850c_20220108170901 Img_4880c_20220108170901  続いて、長良川河口堰へ。9時45分に到着。東側(長良川左岸)の堰下流側には、キンクロハジロにホシハジロが混じって、ざっと見積もったところでは150~200羽ほど。キンクロハジロは、上流側にも6羽ほどいました。

Img_4892c_20220108172801  堰の中央あたりの上流側には、カンムリカイツブリがいます。合計9羽。堰西側の上流には、Img_5056c_20220108170901 カルガモたちが、40羽以上。

Img_4997c_20220108170901  西側の閘門の下流側には、いつもサギやカワウが集まっているのですが、今日はアオサギが3羽、カワウが2羽くらい。今日は、西も東も、魚道のあたりには何もいませんでした。写真のアオサギは、西側の魚道のあたりにいたもの。

Img_4914c_20220108170901 Img_5020c  揖斐川との中洲の切れ目にあるオレンジ色の柱の上にはミサゴがいるのが見えました。この他、揖斐川の上空を飛んでいるミサゴもいましたので、ミサゴは合計2羽。親水広場も一回りしてきたものの、ヒヨドリの他にいたのは、モズのオスだけ。セキレイなどもまったくいませんでした。河口堰で歩いたのは、2.2㎞で、今日の合計は5.0㎞。

Img_4907c_20220108173201  という次第で、今日のプチ遠征では、ミコアイサを見られましたので、大きな目標は達成(微笑)。三ツ又池公園、長良川河口堰とも野鳥の数が少なかったのは、ちょっと残念。

2022年1月 7日 (金)

九華公園にミサゴが4羽も登場……ダイビングシーンも見られ、ジイ様バーダーたちは大興奮(微苦笑)

Img_4417c_20220107171001  相変わらず寒い日が続きます。いつものように7時半から散歩に出たのですが、初めのうちは風は弱かったのに、9時過ぎから冷たい北西の風が強まり、寒さが一段と身にしみました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.5㎞。11時頃帰宅。空はご覧のように、真冬の北西の季節風が強い空の典型。多度山から雲が湧いて、流れてくるように見えます。

Img_4232c_20220107171201 Img_4240c_20220107171201  今日のハイライトはこちら。膨大な写真を撮ってきたものの、不出来な写真や、空ばかり写ったペケ写真を量産してきました(苦笑)。スキルももちろん不足していますが、超望遠コンデジの非力さを痛感。九華公園上空にミサゴが、最終的には4羽も登場したのです。1羽だけなら、年に1回くらいは飛んで来て、堀の上を千回するのですが、4羽も同時に見たのは、初めて。散歩友達Y、Mさんたちと前管理人Oさんと4人のオッサンというか、ジイ様たち、大興奮でした。ちなみに同級生K氏も、前半は居合わせたのですが、もっとも美味しいところは仕事のため、職場に向かわざるを得ず、見られませんでした。

Img_4103c_20220107171101 Img_4102c_20220107171101  それは、こちら。ただし、野鳥写真としては、不出来も良いところ。何よりも、ピントが甘い(苦笑)。1羽が、1回だけ二の丸堀にダイビングを敢行してくれたのです。まぁ、証拠写真として、想像をたくましくしてご覧くださいm(_ _)m

Img_4183c_20220107171201 Img_4208c_20220107171201  獲物をゲットした瞬間もとらえられたものの、やはりピントは大甘。70~80m先の出来事でしたが、なかなかうまくは捉えられないものです。「もう1回でもダイビングしてくれないか」と期待したものの、今日のショータイムはこれだけ。ミサゴが九華公園上空にいたのは、40分あまり。

Img_3765c_20220107172201 Img_3806c_20220107171101  さて、散歩の初めから。住吉キンクロは、今日はオス1羽のみ。ポンプ場の東に。揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽。

Img_3789c_20220107172301  揖斐長良川の中洲のアオサギの集合場所には、1羽のみ。赤須賀漁港の漁船は出ていなかったものの、波がかなり立っていて、他にはオオバンが1羽見えたのみ。

Img_3828c_20220107171101 Img_3842c_20220107171101  七里の渡し跡まできたら、コガモのオスが2羽、メスが2羽。ヒドリガモが13羽、オオバンが3羽。

Img_3857c_20220107171101 Img_3883c_20220107171101  三の丸公園では、メスのモズ。追いかけたものの、こんな後ろ姿しか撮れませんでした。三の丸水門を覗いたら、オカヨシガモのメスでしょうか。他にも数羽見えたので、オスもいたかも知れません。

Img_3892c_20220107171101 Img_3909c_20220107171101  九華公園では、北門の近くでメジロ2羽。奥平屋敷跡では、ヒヨドリやドバトの他、モズのオス。これまた、後ろ姿で苦笑。モズを見たあと、ミサゴが飛来しているのに気づいて、そちらに「全集中」。

Img_4293c_20220107171101  ミサゴは、初めの方に書きましたように、最終的に4羽も集まって来ました。周りをよく見ていると、カモたちの姿が二の丸堀(南側の堀)からは消えてしまいました。ミサゴがいなくなってから確認すると、吉之丸堀の西端にある旧アヒル小屋のあたりにすべてが集まっていました。その数61羽。おそらく猛禽類の飛来に気づいて、集まったものと思われます。やって来たのはミサゴで、魚しか捕らないということは分かっていないと思います。しかし、集団でいた方が、狙われにくいと考えたのでしょう。他には、ミサゴが来てからは、奥平屋敷跡にいたドバトたちもウロウロして、結局、どこかに飛び去ってしまいました。猛禽類の威力はすごい。

Img_4306c_20220107171101 Img_4324c_20220107171001  ちなみに、カモの内訳は、ハシビロガモが12羽(6ペア)と、ヒドリガモ4羽(2ペア)、他はキンクロハジロでした。ホシハジロのオスは、年末以来、姿を見せていません。カイツブリは、散歩友達のYさんが今年になってから2回ほど見たそうですが、昨日も今日もいません。ユリカモメも、一昨日、30羽ほどいたそうです。

Img_4396c Img_4384c_20220107171001  鎮国守国神社の境内で、ツグミ2羽。カワラヒワも4羽ほど。ツグミは、今シーズン、本当に少ない。他ではまだ見ていません。シメは、一昨日、柿安コミュニティパークに2羽いたそうです(Yさん情報)。ビンズイは1回見ただけ。シロハラはまだ見ていません。貝塚公園でも、ツグミ、シロハラとも未確認。このあと、内堀、新築、老松の各公園ではヒヨドリ、スズメくらいしかおらず。

Img_3867c_20220107171101  アピタ桑名店では本屋に立ち寄って、新書を1冊購入。昨日、眼鏡市場で眼鏡を新調した後、ツタヤに寄って欲しい本を探したものの、1冊しかなかったので、アピタに行ったのですが、やはり欲しいものが揃っているということはありませんでした。まぁこんなものでしょう。水曜日の江戸橋での授業のQ&Aは、今朝早く、チェックを終え、メールで印刷をお願いして完了。年賀状の整理も終えました。

2021年散歩記録

 毎年、恒例の散歩記録ですが、個人的な記録のための令和3(2021)年の散歩の記録です。歩数は毎日、また、散歩などに出かけた日は歩いた距離を記録しています(雨天、非常勤の講義に出かけた日などは距離の記録がありません)。歩数は、Nintendo Ds Liteの生活リズム計で記録していましたが、昨年10月からはスマホのアプリ(ALKOO)に変更しました。歩数は、毎日の記録があります。一方、歩いたルートは、インターネットの「キョリ測」というサイトを利用して、測定しています。雨が降ったり、所要があったりした日を除いて、毎日歩いた距離の記録があります。去年1年間で、歩いた距離の記録があったのは303日。非常勤に出かけた日も記録していませんでしたが、今年からは記録することにします。また、昨年との相違は、①非常勤の授業が、一昨年度はすべて遠隔であったのに対し、昨年度はすべて対面で行われたこと、②友人と「歩いて伊勢参りツアー」に出かけたこと、③それに関連して、昨年も、近鉄ハイキングとJRさわやかウォーキングにはほとんど出かけなかったこと(企画も激減していました)。

2021walkingdistance  こちらのグラフは、月ごとに毎日の平均散歩距離を示したものです。平均の範囲は、5.4(SD=2.0)㎞(5月)~6.6(SD=1.2)㎞(4月)となっていました。雨が降っている時は出かけません。昨年も、新型コロナウィルス感染症の蔓延により、JRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングもほぼ中止。私もほとんど行っていません。年間トータルでの毎日の平均散歩距離は、6.1㎞でした。昨年(2020年)と一昨年(2019年)も6.0㎞、2018年は5.9㎞、2017年は5.0㎞でした。JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングはほとんどなかったものの、「歩いて伊勢参りツアー」に出かけたこともあってか、昨年・一昨年並みの距離を毎日歩いていました。なお、各グラフとも平均値を折れ線グラフで示しています。

2021walkingdistancetotal  次のグラフは、月ごとの合計散歩距離となっています。当然のことながら、最初のグラフとはほぼ似た傾向になります。その範囲は、136.2㎞(12月)~184.7㎞(3月)でした。12月の歩いた日数は23日でした。3月は29日歩きました。年間総散歩距離は、1,826㎞でした。一昨年の1,971.6㎞には及びませんでしたが、その前の2019年(1,762.1㎞で)をやや上回っていました。桑名駅を起点に直線で行くと、台湾の台北市近くまで行ける距離です。ちなみに2018年の年間トータルは1,648.3㎞、2017年のそれは1,355.6㎞でした。

2021walkingsteps  さて、こちらは、月ごとに毎日の平均歩数をグラフにしたものです。平均の範囲は、8,302.3歩(SD=4739.85)(8月)~10,997.4(SD=3824.1)(11月)でした。1年を通じての日々の平均歩数が9,759.5歩でしたから、8月はかなり少なくなっていました。いずれの月も標準偏差(SD)がかなり大きいので、日によって歩数の差が大きいといえます。

 

2021walkingstepstotal   最後のグラフには、月ごとの合計歩数を示しました。248,563歩(1月)~337,134歩(10月)という範囲に散らばっています。去年1年の総歩数は、3,527,615歩でした。昨年は3,431,445歩、一昨年(2019年)は3,369,625歩、2018年は3,199,573歩でしたので、増加傾向にあります。

 以上から、令和3(2021)年は、平均して毎日、6.1㎞、9,759.5歩を歩いていたことになります。年間303日、歩きました。距離の長短、歩数の多寡などはともかく、それなりにしっかり歩いたといえると思います(自画自賛あるいは自己満足の世界ですから、スルーなさってください)。今年、新型コロナウィルス感染症は、新しいオミクロン株が蔓延しつつあります。感染力は強いものの、弱毒化しているという話もありますが、基本的な感染対策をしっかり採った上で、日々の散歩&バードウォッチング、歴史散歩を続け、引き続きしっかり歩くことにします。

2022年1月 6日 (木)

ご近所初詣ツアー(笑)……鳥も散歩友達も少ない

Img_3740c_20220106183601  最低気温1.9℃、最高気温6.3℃、午後3時くらいまでは曇りという、誠にモチベーションも上がらない日でした。天候の話ばかり書いていますが、寒さが一段と身にしみる年齢になったからか、と思っています。平常通り、7時半から散歩したのですが、暗くて、写真もイマイチばかり(スキルはともかくとして)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、桑名宗社、寺町、御坊さん、八間通、参宮町と6.2㎞。年が改まって初めての通常散歩でしたので、ご近所初詣ツアーでした。鳥も、散歩友達もいないので9時半過ぎに帰宅。

Img_3484c_20220106183701  住吉キンクロウズは、散歩に出たときはおらず、帰ってきたら、メスが1羽のみ。諸戸氏庭園や、桑名七里之渡し公園では、ハシボソガラス、ドバト、ハクセキレイくらい。静かでした。揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽だけ。他の水鳥は見えず。住吉水門の内側にも、カモも、オオバンもおらず。七里の渡し跡では、キンクロハジロのメス1羽とオオバン1羽のみ。三の丸公園も静か。

Img_3552c_20220106183701  三の丸水門のところで、イソヒヨドリのメス。他にスズメが数羽。柿安コミュニティパークにはハクセキレイのペアが1組。今日は、ほとんど小型の野鳥もいませんし、水鳥もいません。

Img_3646c_20220106183701 Img_3606c_20220106183701  九華公園では、ユリカモメが6羽。これでも、今シーズンは多い方。カモは、合計62羽。ヒドリガモが2ペアになっていました。ハシビロガモは12羽で、他はすべてキンクロハジロ。ホシハジロのオス、カイツブリはいません。

Img_3634c_20220106183701  吉之丸堀などで、コサギが1羽。公園内をあちこち移動していました。他に九華公園で見たのは、ヒヨドリ、ハシボソガラス、ハクセキレイ、シジュウカラ。散歩友達は、鳥見の大先輩Sさんのみ。カモに餌をやっておられました。このあとの公園でも、これという野鳥はいません。

Img_3511c_20220106183701 Img_3658c_20220106183701  さて、冒頭にも書きましたように、ご近所初詣ツアーでした。左の写真は住吉神社あたり。犬の散歩をしている方がボツボツいたくらい。右の写真は、鎮国守国神社。私がいったときは、どこかの会社の皆さんが集団でお参り。おそらく今日から仕事始めで、それに合わせて御祓いを受けに来られたのでしょう。鎮国さんでは、宮司さんにお目にかかりました。

Img_3701c_20220106183601 Img_3713c_20220106183601  こちらは、桑名宗社。さすがに1月も6日となり、こんな天候ですから、参拝の方はかなり少ない。桑名宗社も、市内の某企業の皆さんが、団体でお参りしておられました。

Img_3721c_20220106183601  御坊さん、正式には、真宗大谷派桑名別院・本統寺。ここも静かでした。と、あちこち回って初詣を済ませてきたのですが、実はわが家のある地域の氏神様は、北桑名神社。そちらはまた今度(微苦笑)。

Img_3564c_20220106183701  ところで、今朝の中日新聞に「桑名で白魚の初競りがあった」という記事が載っていましたが、揖斐川では、シラウオ漁の漁船が1組、操業していました。毎年これについて書いていますが、写真だけでは分かりにくいのが難点。2隻の漁船が並行し、ゆっくりしたスピードで長い網を曳いています。

2022年1月 5日 (水)

2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ

038718b8_20220103071501  令和3(2021)年の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ記事です。桑名から伊勢神宮まで歩いてお参りするハイキングは、令和元(2019)年の近鉄ハイキングで企画があり、それに参加しました。これについては、令和2(2020)年1月2日の記事にまとめがあります(2019年近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り」の記録)。このときは、12回のハイキングで、現地では合計133.8㎞を歩きました(今回と同じ!)。駅がスタート、駅がゴールですから、このすべてが東海道、伊勢街道を歩いた距離ではありません。一部では、コース設定上、重複して歩いたところもあります。支払った近鉄料金の合計は、¥16,880でした(普通運賃のみ)。

 この話を同級生K氏にしたところ、「面白いな、是非行こう!」と話が決まったのです。それは去年の春先のこと。K氏は高校の同級生で、桑名在住。それ以前に、近鉄ハイキングの企画で「酒蔵みてある記」に興味を持ち(酒蔵を回るというところが、味噌)、多度の細川酒造(2020年1月26日:20200126近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」へ……祝ご当選!でめでたく「完」)や、四日市の伊藤酒造(2020年2月8日:20200208近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」へ(一回完結))に出かけていました。が、その頃から、新型コロナウィルス感染症が蔓延し始め、「酒蔵みてある記」はもちろん、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングは軒並み中止。その後は、やむなく、桑名の員弁街道、美濃街道、八風道などを歩いていたのですが、それらも一通り歩いてしまったあと、さて次はどうしようというときに、この「歩いて伊勢参り」に思い至ったのです。「酒蔵巡り」からはかなり離れてしまったものの、同級生二人で、弥次さん喜多さんのような「珍道中」もまた一興というところです。

   このツアーでは、上記の近鉄ハイキングの企画にならって私がコースを設定し、二人で歩くことにしました。ただし、近鉄ハイキングでは、1回の距離が10数㎞になることもありましたので、各回とも、コースマップでは6~7㎞ほどを歩くことにしました。もちろん、物見遊山もありますので、途中の名所旧跡、寺社仏閣などに立ち寄り、1回で10㎞近く歩いたこともあります。4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし、全17回をかけて、12月26日に伊勢神宮・内宮にお参りしました。せっかくこれだけのことを成し遂げましたので、その総まとめをしておきます。以下、17回分のウォーキングについて、歩行距離、所要時間(立ち寄り先での見学なども含みます)、支払った鉄道料金(桑名からの往復)、コース概要、当該ハイキングについてまとめたブログ記事のタイトル(リンクしています)などが列挙してあります。各回の実測ルートマップも載せてあります。

1.令和3(2021)年4月9日:桑名七里の渡し跡~伊勢朝日

2021年4月9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡

2021年4月11日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その2……天武天皇社からゴールの伊勢朝日駅へ(完)

D0407b6d 9a894bb2  七里の渡し跡(右の写真)を9時にスタートし、桑名宗社(春日さん)、歴史を語る公園、京町見附跡、鍛治町の枡形、吉津屋見附跡、十念寺その他の寺、七曲がり見附跡、矢田立場跡、町屋川を超えて、朝日町に入り、縄生、小向と東海道を歩き昼食をたべたのち、13時10分に近鉄伊勢朝日駅にゴール。昼食は「日乃出」という食事処で、「日替わり弁当」(¥700。刺し身、フライ、卵焼きなどに味噌汁付き)。伊勢朝日駅から桑名駅の運賃は、¥210。実際に歩いたのは、約3時間なのに、近鉄の乗車時間は約5分。歩数は、合計16,225歩(自宅~桑名駅往復を含む)。現地で歩いたのは6.7㎞。

2.令和3(2021)年4月25日:伊勢朝日~富田(四日市市)

2021年4月25日:20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第2回「朝日~富田」(予告編)

2021年4月26日:20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その1)……橘守部生誕地遺跡、浄泉坊、西光寺、豊田一色道標、桜並木から多賀大社常夜燈へ

2021年4月27日:20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その2)……松寺の小公園、松寺御厨神明社、タカハシ酒造、松寺立場跡、輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田御厨神明社、長明寺から鏡ヶ池跡へ

2021年4月29日:20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その3)……田村寺、三行寺、富田一里塚跡碑を見て、八幡神社、行啓道路記念碑、吉玉稲荷神社、蓮光寺跡に立ち寄り、近鉄富田駅にゴール(完)

0ac0be65 F5b5a3e7  伊勢朝日駅を8時55分にスタート。朝日町内で浄泉坊、西光寺など寺を周り、朝明川を越えて四日市に入りました。松寺立場跡、蓮証寺、宝性寺、蒔田御厨神明社、長明寺、鏡ヶ池。さらに八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺。三光寺、若宮八幡神社に立ち寄り、冨田一里塚跡碑(右の写真)、八幡神社、行啓道路記念碑と進み、玉吉稲荷神社を経て、12時15分にゴールの近鉄富田駅に到着。現地で歩いたのは、6.9㎞。近鉄富田駅西口の前にある「達磨や」で、「四日市とんてき丼」(¥660)。桑名~伊勢朝日が¥210、富田~桑名が¥260で合計¥470。歩数は、17,100歩(桑名駅~自宅往復の2.2㎞を含む)。

3.令和3(2021)年5月8日:富田(四日市市)~諏訪(四日市市)

2021年5月8日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(予告編)

2021年5月 9日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その1)……近鉄富田駅をスタート、明治天皇御駐輦跡碑、善教寺、薬師寺、常照寺、新設用水道碑・力石、證圓寺から茂福神社と茂福城跡に立ち寄り

2021年5月10日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その2)……八幡常夜燈、八幡地蔵堂、八幡神社跡、かわらずの松、志氐神社一の鳥居と妋石、光明寺を経て国道1号線へ

2021年5月11日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その3)……金場延命地蔵、道標2基、多度神社、三ツ谷一里塚跡碑、法泉寺、仏性院からなが餅笹井屋本店まで

2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」

55ce2b97 Aba7239d  近鉄富田駅を8時50分過ぎにスタート。富田駅から南東へ200mあまり行ったところが東海道。右折して富田小学校敷地内で明治天皇御駐輦跡碑、善教寺、薬師寺、常照寺、新設用水道碑・力石、証円寺と来たところで東海道は、左折し、すぐ右折。その後、茂福神社と茂福城跡へ寄り道。東海道に戻って、八幡常夜燈、八幡地蔵堂・八幡神社跡、かわらずの松。このあたりは羽津。光明寺、金場延命地蔵を眺めて多度神社で小休止。三ツ谷一里塚跡を見て海蔵川を渡り、法泉寺。さらに三滝川を越えて、旧四日市宿の中心部へ。陣屋跡、本陣跡、問屋場跡、札の辻、諏訪神社からスワマエ商店街を出たところで、今日のコースは終了(ここまでで8.3㎞。13時10分過ぎ)。「アレコレ屋」でソースカツ丼、¥968(税込み)を食べて、ゴールの近鉄四日市駅には14時30分にようやく到着。現地で歩いたのは、8.8㎞。桑名・七里の渡し跡から近鉄四日市駅まで3回かけて歩いたのに、たった12分で戻ってこられます。桑名から近鉄富田が¥260、近鉄四日市から桑名までが¥300で、運賃合計は¥560。現地で歩いたのが8.8㎞、歩数は、スマホのALKOOで20,812歩。右の写真は、スワマエ商店街にある大入道のモデル。首が伸びたり縮んだりします。

4.令和3(2021)年5月22日:諏訪(四日市市)~日永の追分(四日市市)

2021年5月22日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(予告編)

2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ

2021年5月24日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その2)……水沢道標、大聖院、円楽寺、興正寺、両聖寺と寺が続き、日永神社、長命山薬師堂へ

2021年5月25日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その3)……日永小学校の表忠碑・稲垣末吉翁頌徳碑、実蓮寺、西昌寺、日永一里塚跡碑から名残の一本松、東海道日永郷土資料館を経て日永の追分へ(完)

A4cbaae6 04b27b42  近鉄四日市駅から9時頃から歩き始め、300mほど東へ行って東海道に入ります。ここは、前回のコースの終わりであったスワマエ商店街から中央通りを挟んだ南のところ。崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺から赤堀を抜け、鹿化川を越えて大宮神明社。水沢道標を見て、大聖院、延楽寺、興正寺、天白川を渡り、両聖寺、日永神社へ。日永小学校で表忠碑と頌徳碑を見て、実蓮寺、西昌寺と行くと、日永一里塚跡碑が建っています。名残の一本松を越え、東海道日永郷土資料館を見たかったものの、閉館していました。日永の追分(右の写真)がこの日の最終目的地。ここは、東海道と伊勢街道の追分。ゴールは、四日市あすなろう鉄道追分駅にしてあり、そこまで6.3㎞。駅近くの洋風食堂モンヴェールで、昼食。日替わりランチのチキンカツのタルタルソースをチョイス(¥950)。桑名から近鉄四日市までが¥300、追分からあすなろう四日市まであすなろう鉄道の運賃が¥270、近鉄四日市から桑名までが、¥300で、合計¥870。ちなみに、あすなろう鉄道は、ナローゲージ(特殊狭軌線:線路幅が762 ㎜)で、三岐鉄道北勢線と同じく、「電車に乗ってるぞ」感が堪りません(微笑)。歩数は、ALKOOで16,632歩。

5.令和3(2021)年7月17日:日永の追分(四日市市)~神戸宿(鈴鹿市)

2021年7月17日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編)

2021年7月18日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の

追分~鈴鹿・神戸」(その1)……四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、内部川を越え、河原田へ

2021年7月19日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その2)……鈴鹿市に入り、階段付常夜燈や神戸見附跡を訪ねる

2021年7月20日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その3)……神戸の町を歩いて、鈴鹿市駅へゴール(完)

D76504e3 9bd91828  この日は、「日永の追分~鈴鹿・神戸」ということで、四日市市追分から、伊勢街道に入り、しばらく立ち寄るところはなくひたすら南へ。四日市市河原田町に入り、河原田神社と忘帰処。鈴鹿市に入り、善誓寺、鈴鹿川沿いで階段付常夜灯(右の写真)を見て、神戸(かんべ)へ。神戸は城下町にして、宿場町。見附跡を通り抜けて、古い旅館加美亭、油伊旅館の他、札の辻など。現地で歩いたのは、8.0㎞。四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートしたのは、9時40分。鈴鹿市駅には、13時15分に到着。昼食を食べるのに適当なところがなく、駅ナカファミマでイートイン。往きは、桑名から近鉄四日市が¥300、あすなろう四日市から追分駅までが¥270、帰りは鈴鹿市から伊勢若松で乗り換えて桑名までが¥500で、合計¥1,070。この日、運賃が始めて¥1,000越え。歩数は、20,145歩。

6.令和3(2021)年7月31日:神戸宿(鈴鹿市)~白子(鈴鹿市)

2021年7月31日:20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(予告編)

2021年8月2日:20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その1)……近鉄鈴鹿市駅をスタート、神戸別院など寺を見て、常夜燈、矢椅神社、宇気比神社あたりへ

2021年8月3日:20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その2)……天白神社、正信寺、道標、弥都加伎神社へ

2021年8月5日:20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その3)……菅原社、老農水原政次翁称功碑、北の端の地蔵堂、役行者神変大菩薩から江島若宮八幡神社にお参りし、久住屋菓舗で「おはらぎ」をゲット、青龍寺、勝速日神社を回って白子駅にゴールで「完」

8a650169 9cf53f09   この日は、鈴鹿・神戸宿から同じく鈴鹿の白子まで。具体的には、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅を9時半頃スタート、願行寺、高田派神戸別院、常夜灯などを見て、天白神社、正信寺、弥都加伎神社(右の写真は、この神社の花手水)、北の端の地蔵堂、役行者神変大菩薩から、江島若宮八幡神社に立ち寄って、久住屋菓舗で小原木とかりんとう饅頭を土産に買い(¥1,200)、勝速日神社を経て、近鉄名古屋線白子駅に13時40分にゴール。年寄りの冷や水とならないよう、途中、何度も休憩し、水分補給をしつつ、現地では9.3㎞を歩いてきました。昼食は、駅西の商店街にある「ラーメンだいどんでん」で「冷やし塩レモン冷麺」、¥980。イタリアンみたいな不思議なラーメン。桑名から鈴鹿市までが¥500、白子から桑名も¥500で、この日の運賃合計はちょうど¥1,000。歩数は、22,426歩。

7.2021年8月22日:白子(鈴鹿市)~千里(津市河芸町)

2021年8月22日:20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(予告編)

2021年8月24日 :20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その1)……近鉄白子駅をスタート、伊勢型紙資料館、龍源寺、高札場跡、久留真神社、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺から子安観音寺へ

2021年8月25日:20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その2)……楳荘翁碑、村社八幡神社、幕板のある旧家、甕釜冠地蔵、本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅へゴールにて「完」

D4d5ba24 474e3309  鈴鹿の白子から津・河芸の千里まで。近鉄白子駅を9時20分にスタート。伊勢型紙資料館、龍源寺を経て、伊勢街道に出ます。高札場跡・旧河芸郡役所跡、久留真神社、唯信寺、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺、子安観音寺(右の写真)、道標2つ、楳荘翁碑、村社八幡神社、津市河芸町に入って、甕釜冠地蔵、八葉山本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅に13時10分頃ゴール。千里駅の前が、今日の伊勢街道の終点。駅近くの創作中華料理・昇龍で冷やし中華。税込み¥858。桑名から白子が¥500、千里から桑名が¥570で、合計¥1,070。電車で片道40分かかり、桑名からそれなりに離れると、旅気分も増してきます。歩数は、19,378歩

8.2021年8月29日:千里(津市河芸町)~一身田(津市)

2021年8月29日:20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(予告編)

2021年9月3日:20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その1)……千里駅をスタートして、田中地蔵を経て、旧上野宿へ

2021年9月4日:20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その2)……旧上野宿から高山地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社、痔神社を経て栗真の町へ

2021年9月5日:20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その3)逆川神社にお参りし、昼食を摂って高田本山駅にゴールで「完」

210828isemairi80_20220104103601 Img_2849c_20210829150801_20220104103601  津市河芸町千里から津市一身田平野まで。近鉄名古屋線千里駅を9時半にスタート。田中地蔵堂、最勝寺、弘法井戸(右の写真)、光勝禅寺、高山地蔵尊、松林寺・中瀬八幡神社、痔神社、善行寺、観音寺から逆川神社を経て、近鉄高田本山駅に13時25分頃到着。ゴール前に、餃子の王将三重大前店で餃子と焼きそばのランチ。¥682。桑名での最高気温は、36.5℃と暑かったものの、ビールは我慢(苦笑)。桑名から千里が¥570、高田本山から桑名が¥700で、合計1,270。この日現地で歩いたのは、8.4㎞。歩数は、19,331歩。

9.2021年9月12日:一身田(津市)~栄町(津市)

2021年9月12日:20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その1)……雨にも負けず、高田本山駅から巡礼道との追分、孟夏の常夜燈を経て、三重大学前へ

2021年9月13日:20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その2)……三重大学前から江戸橋を渡り、上浜の町を通って津駅へゴール(完)

D42086d9 B445b37d  桑名ではあまり降らなかったのですが、津では、雨も本降りとなり、「津・一身田~津新町駅」を歩く予定が、津駅までで打ち切りにしました。予告編はなしで、本編を2回に分けて書いています。電車に乗っている途中、鈴鹿市内からポツポツと降り始め、高田本山駅で降りた時点では、傘が必要(苦笑)。雨の中、高田本山駅を10時10分にスタートし、巡礼道との追分で常夜燈、名残の松、忠魂碑そして道標、孟夏の常夜燈、三重大学前を通って、江戸橋を渡り、伊勢別街道との追分で常夜灯(右の写真)と高田本山への道標、深正寺、阿部家住宅、光蓮寺、小丹(おにの)神社、鶴之宮跡碑を見て、津駅に11時40分に到着。1時間半で4㎞を歩きました。昼食は、駅ビルの津Cham2階にある美濃味匠へ。「お総菜カフェ」なのですが、「たまごわやさしい」弁当をイートイン。¥712。続いて、1階にあるドトールでコーヒータイム。駅ビル1階で「蜂蜜まん」10個入り¥600を土産に購入。桑名から高田本山も、津から桑名も¥700で、合計運賃は¥1,400。歩数は、9,778歩。この日は、四天王寺、津観音、大門商店街などを回って、津新町駅まで行く予定でしたが、それは次回。第10回は、津新町からJR紀勢線の高茶屋までを計画していたのですが、今回の残り(津駅から津新町駅)を加えると、歩く距離が9㎞近くになりますが、チャレンジします。

10.2021年9月25日:栄町(津市)~高茶屋(津市)

2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末

2021年9月26日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その1)……津駅をスタートし、まずは四天王寺など寺巡りをして、塔世橋へ

2021年9月27日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その2)……津の観音さん、大門商店街から浄安寺、閻魔堂、市杵島姫神社から阿漕町神明神社へ

2021年9月28日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その3)……薬師庵跡、松原寺、史跡明治天皇御小休所、香良洲道との追分、4分間待つ信号を経て成就寺

2021年9月29日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その4)……金剛寺、南昌寺から高茶屋神社を経て、高茶屋駅にゴール(完)

Db742f1f 9df4cda8  前回、雨のため、途中、津駅までで断念しましたので、この日は津駅からスタート(津駅は栄町にあります)。初馬寺、四天王寺、津観音寺(右の写真)、閻魔堂、市杵島姫神社(このあたりから、またもや雨)、阿漕町神明神社、明治天皇八幡町御小休所跡、思案橋、香良洲道との追分、4分間待つ信号、成就寺、金剛寺、南昌寺などを回って、JR紀勢本線・高茶屋駅に13時15分に到着。高茶屋駅は紀勢本線とはいえ、昼の電車は1時間に1本で、50分待ち(苦笑)。歩き旅でローカル線を利用すると、気が長くなります(微苦笑)。桑名から津が¥700、高茶屋から津のJR料金が¥200、津から桑名は近鉄で¥700、運賃合計は¥1,600。この日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。信州そば処「そじ坊」で、にしんそば。税込み¥950。歩数は、22,540歩。現地で9.9㎞を歩いています。

11.2021年10月9日:高茶屋(津市)~小津(松阪市)

2021年10月9日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編)

2021年10月15日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ

2021年10月16日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その2)……松阪にて松浦武四郎誕生地、常夜燈、金剛寺を経て月本追分へ

2021年10月17日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その3)……道標、常夜燈などを見ながらブラブラ歩いてJR六軒駅にゴールにて「完」

35c81f43 C0c99c2f  絶好のウォーキング日和でした。JR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅(旧三雲町、広域合併で松阪市になっています)まで、8㎞を歩いてきました。高茶屋駅を10時にスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、島貫常夜灯(右の写真)を見て、雲出川を越え、旧三雲町へ。小野古江渡跡、松浦武四郎生誕地、金剛寺、月本追分、小津一里塚跡と回って、JR紀勢本線・六軒駅へ13時40分にゴール。桑名から津の近鉄が¥700、津から高茶屋へのJRが¥200、六軒から津へのJRが¥240、津から桑名への近鉄が¥700で、合計運賃は¥2,140と、とうとう¥2,000を超えました。3回連続になりますが、津駅の駅ビル・チャムで昼食。豚そば・ぎんやでつけ麺。¥850。歩数は、19,444歩。

12.2021年10月16日」:小津(松阪市)~松阪駅

2021年10月16日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】

2021年10月20日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その1)……JR紀勢線・六軒駅を降りて、市場庄の古い町並みへ

2021年10月22日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その2)……舟木家長屋門、柳福寺、古川水神から薬師寺へ

2021年10月24日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その3)……旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地へ

2021年10月25日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その4)……松阪駅手前で寺めぐりで「完」

324ef739 Ce1dd975  近場を歩いている間は、半日仕事でしたが、さすがに津以遠まで行って帰ってくるとなると、1日かかります。この日は、松阪の小津にあるJR紀勢本線・六軒駅を10時5分にスタート。三度(みわたり)川を渡ったところで初瀬街道(はせかいどう)との追分、ここに道標と両宮常夜燈。市場庄の古い町並みを楽しみ、忘井、舟木家長屋門を経て、松阪の市街地に入ります。小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡(右の写真)、旧長谷川治郎兵衛家見たあと、松阪駅近くで、岡寺山継松寺な度寺めぐり。松阪駅には、14時45分に到着。休憩はしたものの、昼食の機会を逃していました。松阪駅にあったヴィ・ド・フランス松阪店でパンをイートイン。正確な値段は失念したものの、¥600くらい。桑名唐津までの近鉄が¥700、津から六軒までのJRが¥240、帰りは松阪から桑名まで近鉄で¥960、運賃の合計は、¥1,900。歩数は、19,479歩。現地で歩いたのは8.0㎞。なお、ゴールインの前に、駅弁のあら竹本店に立ち寄って、夕食用に。「モー太郎弁当」(1個¥1,500)を娘の分と合わせて、2個ゲットしてきています。

13.2021年10月30日:松阪駅~櫛田(松阪市)

2021年10月30日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(予告編)

2021年11月2日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その1)……松阪駅をスタート、和歌山街道との追分、龍泉寺から管相寺へ

2021年11月4日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その2)……荒神山稲荷、信楽寺、神戸神社、庚申堂、常夜燈、地蔵尊から徳和駅へ

2021年11月5日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完)

16ab9221 Ea791390  松阪駅から櫛田(松阪市)まで8.4㎞を歩きました。松阪駅をスタートし、日野町交差点から伊勢街道に入りますが、そこは和歌山街道と伊勢街道の追分。続いて、愛宕山龍泉寺、管相寺、信楽寺、神戸神社、常夜燈2基、禁酒の神(沖玉の夫婦石)、浄琳寺、おもん茶屋跡と回りました。ゴールは、近鉄山田線の櫛田駅ですが、13時半を過ぎていましたので、先に、松阪市立揥水小学校の南にあった寿司栄さんで、ちらし寿司セット(¥1,100)。近鉄櫛田駅には、14時20分に到着。この日は、「従是外宮四里」という道標に出会っています(右の写真)。いよいよ伊勢も近くなってきたということ。桑名から近鉄松阪が¥960、櫛田から桑名が¥1,020で、合計¥1,980。いよいよ、近鉄の片道料金が、¥1,000を越えました。歩数は、19,638歩。

14.2021年11月6日:櫛田(松阪市)~斎宮(三重県明和町)

2021年11月6日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編)

2021年11月17日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その1)……櫛田駅をスタートし、豊養稲荷社、道標、櫛田川渡場跡を見て、櫛田橋を渡り、松阪市早馬瀬町

2021年11月19日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その2)……壺屋池部清兵衛邸跡、六字名号から祓川を渡って斎宮歴史博物館

2021年11月20日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その3)……斎宮跡を見て回り、斎宮駅にゴール(完)

Fc202433 7449ea1d  10時20分に近鉄・櫛田駅を出てじきに櫛田川を渡り、松阪市早馬瀬町へ。大乗寺、早馬瀬神社や、梵字の六字名号碑などを見て、斎王がお祓いをして、斎宮に入ったとされる祓川に至ります。ここからは、多気郡明和町。外宮への道標で左折し、斎宮歴史博物館へ向かいます。見学したのち昼食を済ませ、斎宮跡を見学(右の写真は、斎宮跡にある1/10模型)。桑名から櫛田までの近鉄が¥1,020、斎宮から桑名までが¥1,090、合計は¥2,110。片道が1時間20分くらいかかるようになり、「電車の乗りで」があります。現地で6.7㎞を歩き、歩数は、17,015歩。

15.2021年11月27日:斎宮(三重県明和町)~明野(伊勢市)

2021年11月27日:20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(予告編)

2021年11月29日:20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(その1)……斎宮駅をスタート、道標・石柱をいくつか見て、竹神社、有明六地蔵、山の神、斎王参向古道標識を過ぎ、安養寺の明星水へ

2021年11月30日:20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(その2)……そうめん坂、水池土器製作遺跡、轉輪寺、八柱神社、外宮への道標、徳浄上人千日祈願の塔からへんばやに立ち寄って明野駅へゴール(完

787013d7A91e0627  この日は、9時55分に斎宮駅をスタートしてすぐに伊勢街道に出て、ほぼ東に向かい、竹神社、有明六地蔵、安養寺で明星水の井戸、そうめん坂、轉輪寺、八柱神社から徳浄上人千日祈願の塔を回って、さらにへんば餅を土産に買うためにへんば屋(右の写真)に足を伸ばしました。へんば屋では、へんば餅5個入り、赤飯弁当と昆布の佃煮の3点、¥1,850を土産に購入。明野駅にゴールする前に、明野高校近くの「お好み焼き・みと」で「豚入りお好み焼き」、¥600をいただいてきました。明野駅には、13時50分にゴール。現地では8.7㎞ほどを歩きました。桑名から斎宮が¥1,090、明野から桑名が¥1,160。運賃合計は、¥2,250。急行電車と普通電車を乗り継ぎますので、片道1時間40分くらいかかります。歩数は、21,003歩。

16.2021年12月11日:明野(伊勢市)~伊勢神宮・外宮

2021年12月11日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編)

2021年12月15日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その1)……明野駅をスタートし、宮川を渡り、神領域へ

2021年12月17日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その2)……茶屋町の道標、筋向橋、旧御師丸岡宗大夫邸、小西萬金丹から伊勢神宮・外宮にお参りして「完」

E27baa94 Dff9dee5 いよいよ伊勢神宮の外宮(右の写真)にお参りします。明野駅を10時にスタートし、前回立ち寄ったへんばやの前を通って庚申堂・常夜燈、紀州藩高札場跡、板田の橋跡・鳥羽藩本陣跡・高札場跡、参宮人見付の石碑を見て、宮川の桜の渡し跡へ。宮川橋に回って、宮川を越え、いよいよ伊勢の神域へ。宮川を越えないと、伊勢に来たと実感しません。茶屋の道標、筋向橋から、旧御師丸岡宗大夫邸へ立ちより。小西萬金丹の店を見て、伊勢神宮の外宮にお参りして、近鉄伊勢市駅まで。9.1㎞。今回は娘が合流。同級生K氏と3人で伊勢外宮参り。正宮の他、土宮、風宮、多賀宮、御下井社と回って、神楽殿で来年の暦をゲット(¥200)。外宮参道にあるいそべや食堂で卵入り伊勢うどん、¥570。桑名から明野が¥1,160、伊勢市から桑名までが¥1,220。土産には、播田屋で絲印煎餅(¥250)。歩数は、19,454歩。

17.2021年12月25日:宇治山田駅~伊勢神宮・内宮~五十鈴川駅

2021年12月25日:20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(予告編)……いよいよ念願の伊勢神宮内宮に参拝

2021年12月29日:20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その1)……宇治山田駅をスタート、沢村栄治像、伊能忠敬測量の地、寿厳院、備前屋跡、大林寺を経て油屋跡へ

2021年12月30日:20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その2)……長峰神社、麻吉旅館、寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から牛谷坂にある両宮常夜燈へ

2021年12月31日:20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その3)……猿田彦神社を経て、念願の伊勢神宮内宮に無事にお参りにて、「完」

E27baa94_2022010521130166f8b149  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も第17回にして、いよいよ伊勢神宮・内宮(右の写真)に参拝。この日は、ちょっとワープして、宇治山田駅を10時10分にスタート、南へ。岡本で伊勢街道に入り、小田橋を渡って、古市の町へと進み、寿厳院、大林寺、長峰神社を周り、麻吉旅館へ。さらに寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から猿田彦神社にお参りし、いよいよおはらい町へ。ここは旧伊勢街道。そして、いよいよ伊勢神宮の内宮へ。内宮には、12時40分に到着。正宮を参拝後、昼食代わりにおはらい町の高橋酒店で「神都麦酒」(¥320)と、伊勢まる天の磯揚げ天(海老マヨ棒)(¥380)をゲット。五十鈴川の畔で祝杯を挙げ、ゴールに設定した近鉄鳥羽線五十鈴川駅には14時30分にゴール。くわなからうじやまだが¥1,220、五十鈴川から桑名が¥1,300、合計¥2,520。現地で歩いたのは、9.3㎞。最終日の土産は、今まで食べたことがないものをと思って、「利休饅頭」(藤屋窓月堂)。6個入りで¥650。歩数は、21770歩。

 ちなみに、全17回の「歩いて伊勢参りツアー」において、現地で歩いた距離の合計は133.8㎞、歩数の合計は322,170歩(ただし、これには現地で歩いた分と自宅~桑名駅往復分(毎回約2,000歩を含みます。約2.2㎞))、払った電車賃の合計は¥24,500、昼食代の合計は¥13,316、土産代の合計は¥5,630でした。また、外宮で来年の暦を授与していただき、¥200で、支払った金額の総合計は¥43,646。

 なお、取り敢えず投稿しています。推敲や読み直しは、投稿時点では十分にはしていません。投稿後、加除修正を行うことがあります。

小寒らしき1日……新年第1回目の非常勤

Dscn5050c Dscn5097c  今日も冷えました。最低気温は0.5℃、最高気温は7.2℃。午前中は風は弱かったのですが、江戸橋での仕事を終えて帰る頃からは、5m/s前後のかなり強い風で、寒さが身にしみました。今日は、二十四節気では「小寒」で、それらしい日ということです。新年第1回の非常勤の授業。出席率は、77%を越え、一安心。この77%も、当初の受講登録者数に対する比率です。これまでに欠席回数超過で、失格とせざるを得なかった学生がいますので、それを除くと93%となります。これなら、上出来(微笑)。今日で、トータル12回目が終了。残すところは、試験1回を含め、3回。この後期も無事ゴールに達することができそうです。

Dscn5052c  今日の授業も無事に終え、いつものように、志登茂川へ道草(微笑)。ちなみに、新年の中日新聞朝刊で、「道草」という連載記事がありますが、我が意を得たり。横道にそれますが、1月3日の第1回記事には、長野県伊那市の伊那中学校では、春秋の年2回、「道草の日」があると書かれていました。当初、生徒たちは「まっすぐ帰るように」と指導されてきたため、「どう道草すればよいのか」と戸惑ったそうです。私が教えている学生たちにも、ときどき「道草」や「寄り道」を勧めています。まれに「志登茂川を回って帰ることがあって、その時、水鳥がいた」などとコメントを書いてくれる、頼もしい学生もいます。

Dscn5054c Dscn5066c  さて、おぼろタオルの工場の脇から堤防に上がったら、もっとも近いところにいたのは、数羽のコガモたち。よく見ると、遠いところにも少しいました。

Dscn5056c Dscn5071c  上流側の合流地点あたりには、ユリカモメの集団。その向こうにも点々といます。右岸の堤防に近いところにも数羽のユリカモメ。

Dscn5089c Dscn5092c  さらに、オナガガモもあちこちにいますし、左岸の方には、セグロカモメらしき姿も。写真は、ちょっと横を向いたところで、ご愛敬。

Dscn5088c Dscn5085c  ホシハジロもオス、メスともにいましたし、キンクロハジロも今日は見られました。なかなかいろいろの種類がいます。

Dscn5093c 近いところにはほとんどいなかったのですが、ヒドリガモも。10分あまりの道草バードウォッチングですが、なかなかの鳥果でした。

Dscn5044c  ところで、小寒ということですが、我が家からも雪化粧した山がよく見えました。こちらは、朝出勤するときに見えた藤原岳。我が家の方を向いている東の斜面は、太平洋セメント藤原鉱山となっていて、石灰石が採掘されて、山容が変わるほどですが、そこにかなりの雪。

Dscn5101c  名古屋駅方面を見ると、日本アルプスの山並みと思われる山々が白くなっているのが見えます。さらに北の方を見ると、木曽御嶽山や、乗鞍岳も冠雪しているのが見えます。眺めはよいものの、こういう眺望が利くときは、冷えたときなのです。

2022年1月 4日 (火)

正月休みは終わり

Img_3229c_20220104191101 Img_3233c_20220104191101  正月も4日。午後、家内の実家から帰宅。5泊6日、実家で過ごしてきました。今日の津は、最大風速が10m/sを越えていました。朝も、4~5m/sの風で、散歩に出たのは8時。いつものように、町内一周で4.1㎞。

Img_3240c_20220104191101 Img_3251c_20220104191101  榊原川湯香里橋でセグロセキレイ。掛子橋では、今日は何もいませんでした。カワガラスの連続確認も4日で途切れました。掛子橋の近くにある、旧国民宿舎紫峰閣のところで、ジョウビタキのオス。

Img_3261c_20220104191101  5日連続で、射山神社に参拝。まぁ、普段の散歩でも、住吉神社や鎮国守国神社にはほぼ毎日参拝していますから、それと同じ。

Img_3294c_20220104191101 Img_3271c_20220104191101  射山神社の東の水田脇でカシラダカ。3羽が一緒にいました。左はオス、右はメス。榊原でカシラダカを見たのは、たぶん初めて。

Img_3382c_20220104191101  圓浄寺にも5日連続お参り。家内の実家のお墓があるのですが、亡義父も呆れているかも知れません。普段はあまり来ないのにと(苦笑)。

Img_3356c_20220104191101 Img_3370c_20220104191101  圓浄寺の近くの榊原川で、アオサギとダイサギ。アオサギは隠れていました。大鷺はこのあと飛び立ったのですが、強風に煽られて、飛びにくそうでした。

Img_3401c_20220104192401  圓浄寺の南では、ツグミ。この年末年始、榊原では初見、初撮影。今シーズン、これまでのところ、ツグミはほとんどいません。ここから帰宅途中、真西からの風をまともに受けて、前に進めないくらいでした。

Img_3419c_20220104192501 Img_3422c_20220104192501  帰宅途中の風景。左の写真は、市の温泉施設「湯の瀬」あたりを見たもの。右手の奥には、青山高原にある風力発電の風車が見えています。右の写真で、中央の山が、昨日登った金比羅山。

Img_3426c_20220104192501  ところで、明日は早速、江戸橋での仕事、新年第1回目にして、通算12回目。明日を入れて、残りは4回(うち、試験が1回)。非常勤先では、今日から授業が再開されています。学生諸君にとっては冬休みが短くて、調子が出ないかも知れません。正月休みは今日で終わり、明日からはいつも通り。

2022年1月 3日 (月)

シカとの接近遭遇、18年ぶりの金比羅山登山にいつもの散歩

Img_2626  寒い、寒いといいつつも、実家暮らしを満喫しています(微笑)。今日も朝8時からは散歩。娘がお供。娘の目的は射山神社。4㎞で町内一周。昼前、かねてからこの正月の間に登ろうといっていた、実家のすぐ東にある金比羅山に登山。とはいえ、標高152.3mという「超低山」。善福寺というお寺近くの表参道から登り(約15分)、裏参道から降りてきました。実家からは往復で合計40分ほど。さらに午後、以前からあった鳥のエサ台にミカンその他をおいて、鳥が来ないか観察していたら、鳥は現れなかったものの、実家裏、東の山にシカを発見! という1日でした。

Img_2979 Img_2990  まずは、シカとの遭遇。その前振りに、鳥のエサ台の話。これは、以前、愚息がつくって実家の裏庭においていました。左の写真のように、食塩不使用のミックスナッツを砕いたものと、ミカンを半分に切ったものを用意。遠景は右のような感じ。左端に写っている白いものは、Wi-Fiカメラ。愚息が買ったもの。スマホからリアルタイムで監視できますし、動きを検知すると録画されます。これで遊ぼうと、実家の裏口で見ていたら、エサ台の奥の山に動くものを見つけたのです。

Img_3145 Img_3184  最初は人かと思ったのですが、あんな斜面に人が来ることはまずありません。よくよく見ていたら、まずは、左のようなものが木々の間に見えたのです。「これは!」とピンときました。シカのお尻と同じ。少しずつ右上の高い方へ異動しながら、地面に顔をつけている様子が見えます。

Img_3205  じっと待っていると、こちらに気づいたようで、シカが我々をガン見(笑)。しばらくシカとにらみ合いをしていました。私には2頭しか見えませんでしたが、息子は4頭がいたといいます。

Img_1454  その2。金比羅山登山。冒頭に書きましたように、標高は152.3m。いつぞや私が登った多度山の半分以下。左の写真は、大晦日の散歩中、金比羅山の南から撮ったもの。頂上に金毘羅宮が祀られていますので、この名前。家内が、正月に登るといっていたのですが、私は本気にはしていませんでした。今日、散歩から帰ったら、「今日は暖かそうだから、登る!」と(爆)。

Img_2830 Img_2836_20220103170401  実家の東にある善福寺という真宗高田派のお寺の近くに表参道の登り口があります。うっかりすると、見逃しそうな登り口です。いきなり急な階段になっています。実は、ここに登って、参拝するのはかなり久しぶり。子どもたちが小学生か、中学生くらい以来。ブログの過去記事を確かめてみますと、2006年の元旦に登っていました(2006年1月1日:散歩始め)。平成でいうと18年の元旦。16年前ですから、私は当時50歳。今から思うと、まだ若かった(苦笑)。

Img_2855Img_2843  参道はよく整備されていて、登りやすくなっています。ただし、勾配はかなり急。子どもたちはさすがに若い! 勢いでサッサと登っていってしまいました。われわれ夫婦は、途中、何度か休みながら行きます。途中、榊原の町がよく見下ろせる場所もあり、和みます。 

Img_2875  登り始めて約15分でなんとか頂上へ。頂上には、金比羅宮が祀られています。なぜここに金毘羅宮があるのか、と思われるでしょう。この金比羅宮は、四国の金刀比羅宮からお札を受け、射山神社の宮司さんに相談したら「海の見える高い山に祀りなさい」といわれ、ここに祀ったものと伝わっています。ただし、四国の金刀比羅さんには、「刀」という文字があるのですが、この榊原の金比羅さんには「刀」の文字がありません。その訳は、「お札はもらってきたけど、刀は忘れてきた」とか。

Img_2883 Img_2895  頂上は、木々が茂っていますが、眺望は聞き、伊勢湾や、青山高原などがよく見えます。ちょっと曇っていましたので、今日は眺めはイマイチでしたが、左の写真は榊原の町、右は伊勢湾方面。

Img_2919 Img_2926  帰りは裏参道へ。こちらは、一応クルマも登れるようになっており、参道や社の整備、正月の行事の時などは軽トラが登ってくるそうです。

Img_2931_20220103171901  国立病院機構榊原病院のところへ降りてこられます。ここは精神科専門の病院。昔、国立療養所S病院に在職していたとき、職員の方と交流がありましたし、入院患者さんを連れて受診に来たこともあります。ちょっと大回りして、善福寺方面に戻って帰宅。

Img_2469  その3。話は最初に戻ってという感じ。8時からの散歩。津の最低気温は4.8℃、最高気温は12.7℃で風もなく、暖かくなりました。いつも通り、西回り。貝石山、射山神社、誓願寺、圓浄寺と4.0㎞ほど。

Img_2204_20220103173401 Img_2269  貝石山は、約1500~2000万年前(新生代)の化石が出土するため、この名がついています。もともと、射山神社のご神体だったと思われ、貝石山の名がつくまでは射山(湯山)と呼ばれていました。麓には榊原川が流れ、散歩コースには、湯香里橋、掛子橋があります。以前、おしどりを見たことがありますし、今回は毎日セグロセキレイとカワガラスを見ています。今日もこれらはいました。

Img_2604  毎日来ている射山神社。リンク先にもありますように、最近は女子のパワースポットとして人気があります。実は、娘もこれを狙って、今日は早起きして、私に着いてきたという次第(微苦笑)。

Img_2619  誓願寺。創建は不詳ですが、古くから信仰の対象になっていた寺院で、御堂には十一面観音像(本尊)や三十三観音像、閻魔像、阿弥陀如来像が安置されています。諸像は、江戸時代初期から中期に彫り込まれたものだそうです。当時は、現在の境内より南西約400mの地にあったのですが、その後、現在地に移され、周囲の観音堂や十王堂に祀られていた仏像が集められました。

Img_2631  榊原口バス停付近で、三重交通のラッピングバス。おやつタウンのラッピングになっています。たぶん津地域でしか走っていないと思います。おやつタウンには行ったことはないのですが、実家からは8㎞弱。クルマで10分あまりのところ。

Img_2639 Img_2723  圓浄寺も4日連続のお参り。娘は、射山神社から帰るかと思ったら、全行程、私に着いてきました。一人で帰るのが嫌なのだそうです(笑)。圓浄寺近くの榊原川・尺ヶ寺橋のところで、ダイサギが2羽。セキレイもいたものの、詳しくは確認できず。

Img_2759  圓浄寺から戻る途中、県道交差点のところの山の神に、祭りの準備がしてありました。榊原ではいちばん身近な神様です。毎年、1月7日に各地区毎に皆さんが集まり、当番が準備をして夜が明けきらないうちから火をたき、餅を焼き、山の神を呼びます。山に閉じ込められている山の神さんを1月2日に奉納した大カギで引き出すというのです。

Img_2767  このあとは、娘の知らないスポットへ。榊原にも、沈下橋があるのです。旅館清少納言の裏手を流れる榊原川にかかっています。この年末年始の散歩でも毎日来ています。アオサギがいたり、セキレイがいたりします。この近くには、現在の温泉の泉源地もあります。

Img_2682 Img_2819  10時頃帰宅。途中、あちこちでトビが旋回するのを見ました。最多で3羽が同時に。左の写真は、圓浄寺の近くにて、右は、帰宅してから、旅館清少納言の裏の電柱に降りたところ。

Img_3018 Img_3133  午後から、エサ台にエサを置き、Wi-Fiカメラを設定していたときにもトビはよく飛んでいました。しかし、いかんせん超望遠コンデジで飛びものを撮るのは、難しい。右は、やはり旅館清少納言の裏にある電柱に降りたところ(上の写真とは別)。

2022年1月 2日 (日)

霜柱が立つ冷え込み

Img_2335  津のアメダスでは、今朝は氷点下0.5℃でしたが、家内の実家あたりは山間にありますから、たぶんもっと冷え込んだと思います。散歩から帰ってから気づいたので、かなり溶けてきてしまっていたのですが、霜柱が立っているのを見つけました(左の写真)。天気予報では最高気温は10℃になるそうですが、11時現在では、まだ4.5℃。

Img_2088 Img_2139  今日も町内一周散歩で、4.2㎞。7時50分スタートで1時間半コース。日が当たっているところを歩いていると、暖かく感じますが、日陰に入ると寒いというか、冷たいくらいでした。いつもは、実家を出て西に向かうのですが、今日は逆回り。

Img_2004 Img_2197  おとといの大晦日から3日連続で、圓浄寺と射山神社へ(苦笑)。徒歩圏内にある名所旧跡、寺社仏閣は多くはないのです。

Img_2011 Img_2046  圓浄寺の近くを榊原川が流れています。尺ヶ寺橋のところで、まずはダイサギ。ダイサギが飛び立った後には、カルガモが2羽登場。

Img_2032  さらに、遠くにカモらしき姿。何でしょう? 遠かったので写真が鮮明ではありませんが、正月から宿題(苦笑)。

Img_2054 Img_2065  圓浄寺から西に向かうと、榊原川が蛇行していますので、再び、榊原川を渡ります。湯の瀬橋のすぐ下流にダイサギ。上流側には、アオサギ。なかなかの鳥果(微笑)。

Img_2108 Img_2125  榊原口のバス停の近くで、ホオジロ。少しずつ離れて、オス2羽とメス1羽。さらにその先にある元食堂の建物のところにも、別のホオジロ2羽。たぶんオスとメスでしたが、写真を撮る前に飛び立たれてしまいました。

Img_2150 Img_2143 さらに西へ。榊原川の支流で、セグロセキレイが2羽。そういえば、こちらに来てからハクセキレイを見ていません。今のところ、キセキレイとセグロセキレイのみ。

Img_2247  榊原川のさらに上流、掛け子橋で、カワガラス。ただし、今日も遠くて、日陰で全くの証拠写真。一度くらいはきれいに撮りたいのですが、ここは昼から遅くにならないと日が当たらないのです。ここでは他にセグロセキレイ。

Img_2422 Img_2437  帰宅して、実家の庭で待っていたら、ジョウビタキのオスと、キセキレイ。他にメジロとヒヨドリ多数。このほか、今日見たのは、スズメ、ムクドリ(群れで水田にいました)など。トビは飛んでおらず、残念。

Img_2277 Img_2282  午後は、寝正月か、読書か。こちらへ来ると、時間がゆったり流れている気がします。のんびり過ごせてありがたいのです。寒いのは、難点ですが……。写真は、山の神。庚申塔もあります。

2022年1月 1日 (土)

明けましておめでとうございます

Img_1036 Img_1051  明けましておめでとうございます。皆様には、良き年をお迎えのことと存じます。旧年中は、皆様方には大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。冒頭の写真は、年末に見てきた津市・辰水神社のジャンボ干支です。この寅で、辰水神社のジャンボ干支も37作目だそうです。ということは、36年前の寅年に始められ、今年から4巡目に入ることになります。

Img_1068  ジャンボ干支の寅は、高さ2メートルの潜り門の上に設置されています。この門をくぐって、さらに180段ほどの階段を上っていくと辰水神社がありますが、この日は失礼してしまいました。

Img_1608  さて、元旦もいつもと同じく、散歩からスタートしています(苦笑)。年中代わり映えしないというか、律儀というか。それはともかく、初日の出、家内の実家あたりは曇っていて、見られず。正月早々あまり暗い写真はどうかと思いますが、こんな風。天使のはしごが見えたので、まあ良し。ちなみに、桑名ではうっすら雪が積もったものの、初日の出は見えたようで、家内のところに友人から、住吉神社で撮った初日の出の写真が届いていました。

Img_1584 Img_1592  元旦の今日は7時20分から散歩開始。初日の出を見ようと思ったため、ちょっと早く出たのです。昨日とほぼ同じコースで、射山神社にお参り。昨年と同じように、福餅をいただけました。これには、家内の母が喜んでくれ、朝早くから出かけた甲斐がありました。

Img_1720 Img_1728  その後は、実家のお寺へ。真宗高田派の高福山清浄光院圓浄寺。亡義父の墓にもお参りしてきました。お寺で蓮の鉢を見たら、氷が張っていました。昨日ほどの強い風はないので、体感的には楽なのですが、寒いのは寒い。この後、町内唯一のコンビニまで足を伸ばして、朝刊をゲット。トータルで5.5㎞の散歩。1時間半。

Img_1711 Img_1801  途中、野鳥もかなり見たのですが、曇天で暗い写真だったり、逃げられたりで、サギの写真を2枚だけ載せておきます。圓浄寺の近くの川でダイサギ、温泉の泉源地付近でアオサギ。このほか、ジョウビタキのオス、セグロセキレイ、カワガラス、ビンズイ、メジロ、トビ、キセキレイ、ムクドリ、ドバト、ハシボソガラスなどなど。写真は、フリーのWebサイト(BULK RESIZE Photo)でリサイズのみ実施しています。

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)