20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その1)……宇治山田駅をスタート、沢村栄治像、伊能忠敬測量の地、寿厳院、備前屋跡、大林寺を経て油屋跡へ
12月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」の本編その1です。この4月に桑名の七里の渡し跡をスタートし(2021年4月9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、何とか年内に伊勢神宮の内宮にお参りしたいと願っていましたが、無事にその目標を達成できました。前回第16回では、外宮に参拝し、伊勢市駅にゴールしています(2021年12月11日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編))。この日は、ちょっとだけワープして、近鉄山田線宇治山田駅から古市を通って、伊勢神宮の内宮に参拝することができました。
こちらが、この日歩いたコース。近鉄宇治山田駅から南へ。岡本で伊勢街道に入りました。小田橋を渡って、古市の町へと進みます。寿厳院、大林寺、長峰神社を周り、麻吉旅館へ。さらに寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から猿田彦神社にお参りし、いよいよおはらい町へ。ここが旧伊勢街道。そして、いよいよ伊勢神宮の内宮へ。参拝後、昼食代わりにおはらい町でビールとつまみをゲット。五十鈴川に降りて、祝杯を挙げ、ふたたびおはらい町を通って、ゴールに設定した近鉄鳥羽線五十鈴川駅へ。
桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。山田線宇治山田駅には10時4分の到着。¥1,220。乗った電車は、左の写真のように、斎宮と近鉄がコラボしたラッピングトレイン(こちら)。一般社団法人明和観光商社による、アフターコロナにおける、斎宮・明和町への観光誘客を目指す「神宮ゲートウェイ」プロジェクトの一環で、近鉄の協力を得て、1300年の歴史を紡ぐ斎宮・斎王をイメージしたデザインの特別車両の運行を実施しているそうです。斎王は、壇蜜さんだそうですが、私が見たのは、この写真のあたりだけ。来年7月まで走るそうですから、またじっくり見る機会があるでしょう。
詳しいルートマップのその1。前回のゴールは伊勢市駅でしたが、この日は1駅先の宇治山田駅からスタート。駅前で沢村栄治像と、旧渡會府庁跡を見て、南へ。御幸道路(岩淵交差点で東西に走っています)を越え、岡本交差点を左折すると伊勢街道に入ります。小田橋は勢田川に架かっています。ここに伊能忠敬測量の地の説明板。その先から緩やかな登り道。寿厳院、間の山お杉お玉の標柱、備前屋跡を見て、大林寺に至ります。このあたりから昔、繁華街であった古市の町。
近鉄宇治山田駅。ここは、私のお気に入りの駅。何度来ても、いい感じだと思います。昭和6(1931)年の参宮急行電鉄線(のちの近鉄大阪線・山田線)全通に際し、宇治山田市(現・伊勢市)の新たな玄関口として、また、伊勢神宮最寄りのターミナル駅として開設されました。貴賓室があり、天皇や内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。宇治山田駅について、詳しいことは、2019年12月 8日の記事にあります(20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その1)……宇治山田駅をスタートし、古市参宮街道を行き、大林寺、油屋跡をみる)。
10時10分に宇治山田駅をスタート。まずは、駅前にある戦前、戦中のプロ野球で活躍した名投手・沢村栄治(大正6(1917)~昭和19(1944)年)の銅像を確認。同級生K氏は、学生時代、野球をしていたので、これを是非見たいといっていたのです。令和元(2019)年5月に建てられたもの。この像は、令和元(2019)年5月30日に建てられたもの。沢村は、ここ三重県伊勢市の出身。駅前の明倫商店街に出生地とその記念碑があります。銅像は沢村の身長とほぼ同じで、約1.7m。左足を大きく上げた独特のフォームをかたどっています。沢村は、旧・京都商業を卒業し、昭和9(1934)年に巨人の前身球団に入り、プロ野球初の無安打無得点試合を達成するなど活躍しましたが、昭和9年に3度目の兵役に住持し、台湾沖で戦死しました(27歳)。
沢村栄治の銅像を見てから旧渡會(わたらい)府庁跡へ。慶応3(1867)年の大政奉還を受けて、翌年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が知事となり、小林(おはやし)村の旧・山田奉行所に着任しました。余談ですが、山田奉行といえば、18代奉行であった大岡越前守忠相が有名です。度会府は、明治2(1869)年に度会県と改称され、翌3(1870)年、県庁舎は、箕曲(みの)町(ここ岩淵2丁目)に移ってきました。度会県は、一志、飯高、飯野、多気、度会、答志、英虞、南牟婁、北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分していました。その後、明治9(1876)年4月、三重県(安濃津県から改称)と合併し、度会県の歴史は幕を閉じています。
御幸道路を越えて次の岡本で信号交差点を左折すると伊勢街道(古市参宮街道)にはいります。すぐに勢田川に行き当たり、そこに小田橋が架かっています。勢田川は昔、御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。
ここには、「伊能忠敬測量の地」についての説明板もあります。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。「凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝し、続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。
さぁ、古市の町へ歩きだそうとしたら、小田橋の欄干にアオサギが登場。向こうも驚いたでしょうが、こちらもビックリ。互いに固まって、しばし見合っていました(苦笑)。
スタートから1㎞ほどのところ、南側に隠岡山寿厳院というお寺があります。浄土宗。歩き始めて間もないので、「行こう、寄っていこう」と軽い気持ちで行ったら、ご覧のように、階段をかなり登らねばならず、苦笑。いきなりエネルギーを使いました。
寺の由緒書きによれば、元和元(1615)年、縁蓮社欣誉寿厳上人の開基によります。宝永3年(1706)年の大火から中興、その後、山下にあったものを山上の現在地に移築し、明治の廃仏毀釈にも耐えて、今日に至りました。境内には「眼地蔵」と「身代わり地蔵」とがあり(たぶん右の写真のお地蔵様)、眼地蔵は不眠症や子どもの夜泣きに、身代わり地蔵は病人の身代わりになってくれると伝わっています。
また、三浦樗良(ちょら:江戸中期の俳人。志摩国鳥羽に生まれ、少年時代に父とともに伊勢国山田に移住した)(1729~1780)の落葉塚、神風館十一世野篠寸大(1726~1807)らの句碑もありました。右が樗良の句碑。通称、落葉塚。「わか庵は榎はかりのおちは哉」とあります。この句は宝暦12(1762)年、山田岡本里に無為庵を結んだときの句。庵の場所は不明ですが、虎尾山麓ではないかと云われています。句碑は、明治29(1896)年の建立。野篠寸大の句は、「水仙や蓮より清き居所」。神風館は、寛文年間(1661~1673)に外宮神官の足代弘氏が創始した伊勢俳諧の宗統ともいうべき由緒ある館号です(こちら)。
寿厳院からすぐのところに「間の山 お杉お玉」と刻まれた標柱が立っています。「間(あい)の山」とは、江戸時代、伊勢神宮の内宮と外宮の中間の、このあたりをさしました。ここ間の山に小屋掛けをして、三味線・胡弓などを弾いて歌い、旅人から銭をもらっていた女芸人を「お杉お玉」と称したのです。このあたりから緩い坂が続き、歩くのも楽ではありません(苦笑)。何ヶ所かに石柱が建っていて、栄えた頃が偲ばれます。
スタートから1.7㎞ほどのところには、備前屋跡という標柱があります。天明年間(1781~1788年)、古市には妓楼が70あまり、遊女約1,000人がいたそうです。この備前屋は、牛車楼とも呼ばれたといい、古市では著名な妓楼であったといいます。油屋、備前屋、杉本屋が古市の三大妓楼と呼ばれ、内部には舞台のついた広間があり、毎晩、伊勢音頭を唄い踊り(こちらのNHKのサイトもご覧ください)、客への顔見世にしました(伊勢古市参宮街道資料館のサイトもご参照ください)。
備前屋跡からほど近い浄土宗西山禅林寺派の大琳寺に到着。信空大和尚が、寛永2(1625)年に開いたお寺。浄土宗西山禅林寺派は、京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派です。ご本尊は阿弥陀如来。この境内には、歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」として今に伝えられている遊郭「油屋」で起こった刃傷沙汰「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」が建ち、供養しています。
油屋騒動は、寛政8(1796)年5月4日の夜更けに起こりました。事件は27歳の町医者・孫福斎(まごふくいつき)という男が、古市有数の伎楼「油屋」で、なじみの遊女・お紺(16歳)をめぐり、恋の嫉妬に 狂い、刀を振り回し、3人を斬り殺し、6人を負傷させたというもの。斉は後に自殺(27歳)。お紺は49歳で病死します。左の写真が境内にある「比翼塚(ひよくづか)」。向かって左がお紺の墓、右が孫福斎の墓、中央は六地蔵。昔は、塚にはほこら「愛染堂」が、建てられていましたが、残念ながら、 伊勢湾台風により全壊してしまいました。今でも、油屋騒動を題材に舞台などが行われると、出演する芸人さんなどが必ずこの菩提にお参りされるといいます。お紺の墓は文政12(1829)年、板東彦三郎によって、また、孫福斉の墓は昭和4(1929)年、実川延若によってそれぞれ建てられています。
愛染堂にあった愛染明王(あいぜんみょうおう)は、現在は新しいお堂に安置されています。この愛染明王は遊廓の街・古市にあって、遊女たちの守り神として信仰がありました。現在でも水商売等に携わるかたがたのお参りも続いているそうです。
境内には、このほか、地蔵堂、庚申塔、稲荷社が並んでいます。お地蔵様は、田井戸地蔵。高さ約80cmの立像と、約20cmの座像があります。Img_1759 その年代、由緒とも明らかではありませんが、永代山の田井戸にあったものを大林寺へ預けられたものです。灌漑用の水祈願のために建立されたものとされます。稲荷社には、「寒中御見舞」と書かれた札がたくさん貼られています。「家内安全、町内円満、商売繁盛」などとも書かれ、伊勢市内の町の講の名前になっています。この「寒中御見舞」は、伊勢の風習のようで、お稲荷さんに貼られるようです。詳細はよく分かりませんが、たとえばこちらをご参照ください。「寒中御見舞」の札は、近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングであちこちを歩きましたが、これまでのところ、伊勢市内の稲荷社でしかみたことがありません。
大林寺の先で近鉄鳥羽線の上を越えますが、その手前に「油屋跡」の標柱がありました。ここが「油屋騒動」のあった、油屋という妓楼があったところ。
詳細なルートマップその1の範囲はここまで。その2は、近鉄鳥羽線を越えて、長峰神社や麻吉旅館から。
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