20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その2)……茶屋町の道標、筋向橋、旧御師丸岡宗大夫邸、小西萬金丹から伊勢神宮・外宮にお参りして「完」
12月11日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」の本編その2です。その1では、いよいよ宮川を越えて、神領域へと入り ました。4㎞を過ぎています。JR参宮線の南を歩いていて,ときどき電車が通過したり、踏切の警報器が鳴ったりするのが聞こえてきます。県道60号線の高架をくぐり、茶屋の道標。県道37号線を越え、播田屋に寄って土産を買い、筋違橋、ふと見た瀬古道の案内に見つけた旧御師丸岡宗大夫邸を見て、小西萬金丹の店へ。ここまで来れば、南側に外宮の森が間近に見えています。北御門から入り、せんぐう館で休憩がてら娘の到着待ち。娘と合流して外宮に参拝。外宮参道で伊勢うどんを食べて、伊勢市駅へゴールします。
県道60号線の高架をくぐった先
に、「茶屋町の道標」があります。伊勢街道は、宮川を越えて中川原(宮川町)に入り、茶屋町(常盤町)、堤世古(浦口町)を経て、筋向橋(すじかいばし)に至ります。この道は、正保4(1647)年の開通。茶屋からは大間(おんま)の社(大間国生社(おおまくなりしゃ))への道が分岐していました。分岐点は現在地より一本北側で、この道標も元はそこに建っていたといいます。南面には「すぐ 外宮江 十三丁半/内宮江 壱里三十三丁半」、西面には「左 二見浦 二里十五丁」、北面には「右 宮川渉場 六丁三十九間」とあります。そして、東面には「文政五年壬午孟春 恩師橋村右近太夫/大阪 吹田屋喜兵衛/みさき河喜/美崎香河喜」とあります。文政5年は、1822年。外宮まで13丁半ですので、1.5㎞弱。
このあと、県道60号線を越えて南へ。筋向橋に向かいます。県道に出たところには「伊勢神宮(外宮) 1.4㎞」という案内があります。
筋向橋の手前で、寄り道。播田屋さんです。本店は河崎にあります。ここは浦の口店。江戸末期(万延元(1860)年)に参宮客をもてなす茶店として創業しています。現在では、絲印煎餅をはじめ菓子を製造販売。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を用いて薄く焼き上げた煎餅。その絲印煎餅を買ってきました。
表面には絲印の印影が焼きつけられています。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のことで、小さな鈕(ちゅう)のついた印です。輸入生糸の一荷には、必ず銅印一個をつけ、わが国に到着した後その斤量をあらため、受領証書にこの印を押して、取引の証とする優雅な風習があったといいます。絲印は、合計16種類あるそうです。明治38(1905)年に明治天皇が日露戦争戦勝報告で伊勢神宮に参拝した際、献上品として考案されたのが始まり。サクッとした食感に優しい甘さがじわりと広がります。お茶請け、ちょっとしたおやつには最適(微笑)。5袋入り¥250を買っただけなのに、オマケもいただいてしまいました.右の写真の「十二支 福々開運せんべい」。割れて、売り物にならないからと。
筋向(すじかい)橋です。今は、清川(宮川の支流)は暗渠になっていて(昭和45(1970)年から)、地上には欄干しか残っていません。欄干は、嘉永2(1849)年のもの。元はもう少し北に建っていたといいます。江戸から伊勢までの距離は、日本橋からここ筋向橋までの距離を測ったといいます。筋向橋という名前は、もと道筋と橋の板が筋交い(すじかい)になっていたことから付けられました。古くは反り橋でしたが、大正4(1915)年から平橋になり、昭和3(1928)年にはコンクリート橋になりました。さらにここは、伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていました。往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールである神宮を目ざしたのだとか。われわれ二人も、気合いを入れます。
外宮に向かって歩いていると、「烏帽子世古」という小さな石柱を見つけました。このあたりにはあちこちにこうした「世古」の表示があります。「世古」は小さな路地のこと。よく見たら、右面に「御師丸岡宗大夫邸へ通じる。世古に神殿(こうどの)という社があり、神楽衆が烏帽子をつけて出入りしていた。」とあります。御師丸岡宗大夫邸は、実は、一度見たかったところ。
つい先日、旧知の歴史案内人Kさんが、「この間伊勢に行って、御師丸岡宗大夫邸を見てきた。外宮の近くだ」とおっしゃっていましたし……。瀬古を北へ入って行くと、ありました。
御師丸岡宗大夫は、江戸時代、山田(伊勢市外宮前)のまちづくりと運営を担当し、全国的なお伊勢参りを先導しました。当時、宇治山田に御師の屋敷は、800軒あったそうですが、現在はこの1軒を残すのみとなっています。明治4(1871)年に御師制度が廃止されて以降、多くの資料が市外に流出したといいますが、ここには、貴重な建物をはじめ、文書、器物が残っています。
伊勢まちかど博物館になっていて、一般公開もあるようです。写真にあるような築地塀(ついじべい)も残っています。中も見られると良かったのですが、それはいきなり行っても不可能です。
もとの道に戻り、外宮方面へ。小西萬金丹の店の西に「岡安歯科医院」と看板がある古いお宅があります。大変失礼ながら、ここで今も診療をしていらっしゃるのかと思ってしまいましたが、こちらを見ると週に3日ほど、診療しておられるようです。
歯科のとなりが小西萬金丹のお店。萬金丹(まんきんたん)は伊勢国で伝統的に製造販売されている漢方薬で、主に「野間の萬金丹」「護摩堂明王院に起源する萬金丹」「秋田教方中倉萬金丹」「小西萬金丹」の4つがありました。このうち、21世紀の現在も製造・販売を継続しているのは、ここ小西萬金丹(製造は県外に委託)と、野間の萬金丹の2軒です。野間の萬金丹はおはらい町に屋台がありますが、お店を新築中です(こちらに伊勢くすり本舗のインスタがあります)。
この萬金丹は600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬。万病に効く、お伊勢さんの霊薬とされます。荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹は大人気でした。武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもあったようです。江戸時代には旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっていたといいます。配合されている生薬は、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。こちらに伊勢市立図書館がつくった資料があります。 余談、「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡があるそうです。
NTTの前を歩いて、外宮方面に向かっていたら、「自動交換開始記念碑」という石碑がありました。昭和29(1954)年3月14日、三重県で初めて自動による電話交換サービスがこの地で開始されたのだそうです。何と、われわれが生まれる前のことです。ちなみに、桑名には、市博物館の向かい側に「三重県電話発祥の地」という石碑が建っています。明治33(1900)年4月1日に名古屋電話交換局桑名支局が設けられたのが、その場所です(こちら)。利用客は88名だったとか。
伊勢神宮・外宮の駐車場の脇に「昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱」があります。昭和天皇の御大典が昭和3(1928)年に行われ、その年の11月に両陛下が伊勢神宮に参拝なさいました。それにあわせて、内宮・宇治橋付近から宇治浦田町交差点付近までの間(通称・おはらい町通り)約600mに通信ケーブル架渉用にコンクリート電柱23本が建設されました。その後、おはらい町の再開発にともない、電話線の地中化が行われ、平成4(1992)年10月にすべて取り除かれ、この1本だけが保存されているのです。
いよいよこの日のメイン、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)へ。この日の歩き始めからは、6.5㎞。予想よりも早く、12時15分に到着。この日は、寺社仏閣にほとんど立ち寄っていません。寺社に立ち寄るとあちこち見て回りますので、時間がかかるのです。北御門口からは入らず、表参道へ。左の写真は、表参道の火除け橋。外宮で特別参加の娘と待ち合わせの約束ですが、娘が来るのはたぶん12時50分くらい。13時頃になると思うと伝えたので、この時間。
それまで、せんぐう館の休憩所で一休みすることに。勾玉池の目の前。勾玉池には、マガモやオオバンが来ていました。ここちらに内宮・外宮のマップがあります。
結局、娘は12時55分頃にやって来ました。同級生K氏と娘は初対面。3人揃って、お参りへ。まずは、正宮へ(右の写真)。外宮の方は、正宮が近いのでありがたい(微笑)。
このあと、境内にある土宮、風宮、多賀宮、下御井神社などの別宮にもお参り。左の写真は、土宮(つちのみや)。御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)。水防に功績のある、土地の神様。
私は、この日外宮さんで1つのミッションがありました。それは、来年の暦を授与していただくこと。神楽殿(右の写真。ただし、撮影は、2019年11月)で、¥200を納めて、授与していただきました。このあと、娘が神馬を見たいというので、御厩へ回ったものの、神馬は2頭とも不在。一昨年来たときの写真は、こちら。
4月に七里の渡し跡をスタートし、桑名や四日市を歩いているときには、いつになったが伊勢にたどり着くのか、と思ったものですが、取り敢えずこの日、無事に外宮にお参りでき、いささか感無量(大げさな)。
13時半も過ぎ、お腹もしっかり空いていますので、外宮参道の店で伊勢うどんを食べようということにしました。外宮前の交差点から外宮参道に行こうとしたら、三重交通の連節バス「神都ライナー」を見かけました。慌てたので、こんな写真。令和2(2020)年12月19日よりプレ運行が始まり、現在は伊勢市駅~伊勢神宮外宮~内宮を結ぶ外宮内宮線にて 「特急」 として運行されています。全長は18m、113名乗り。
どこで伊勢うどんを食べようか、迷ったものの、すぐ目の前にある「いそべや食堂」さんへ。伊勢うどんは、好き嫌いがかなりあるだろうと思います。黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い麺に絡めて食べるものが主流です。太い麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられていますが、この食感がうどんとは思えないという人もありますが、好きな方にはこれが堪らないということになります。それぞれの店が独特のだしを用い、具やトッピングが少なく、薬味のネギだけというものが多くなっています。この日は、卵入り¥570をチョイス。昼食を食べたのは13時50分。しばし話をして、伊勢市駅へ。
外宮参道にはいろいろな店、建物などがあり、楽しめるのですが、この日はあとの予定もあって、食べ終わってそのまま伊勢市駅に向かいました。左は、山田館という旅館。現在も営業しています。木造三層楼の古い建物。外宮参道のシンボル的な役割も果たしているようです。創業は、大正時代、およそ100年前といわれています。宮大工の方がご自分で建築した旅館で、戦火を逃れ、このような創業当時のたたずまいを残しています。
伊勢市駅には、14時40分頃到着。15時2分発の名古屋行き急行に乗車。桑名までは1時間20分。16時22分に桑名駅に到着。次回は、いよいよ内宮にお参りで、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」をコンプリートの予定。来週末に予定しています。
この日の歩数は、19,454歩。現地で歩いたのは9.1㎞。今日は、帰りは息子が迎えに来てくれたので、朝、駅まで1㎞を歩いたのみ。合計10.1㎞。
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