お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年12月

2021年12月31日 (金)

よいお年をお迎えください

Img_1415  実家、2日目。今日は大晦日。寒いので起き出すのは遅く、6時前(苦笑)。陽が出てきたら散歩しようということで8時過ぎにスタート。町内4㎞を歩いてきました。天気は良いのに、今日も強風。手袋をしていても、手が冷たい。カメラを構えると、強風であおられるという散歩。ジョウビタキ、トビ、カワガラス、メジロ、ジョウビタキ、セキレイと出会ったものの、ほとんどものにならず。

Img_1364  氏神様にお参りしてきました。射山神社大己貴命少彦名命の二座を温泉大明神として古くから祀っています。境内の裏手にある湯之瀬川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体としています。

Img_1380 Img_1349  バードウォッチングについては、初めに書いたとおり、何種類か見たものの、写真はイマイチを量産。これらも「証拠写真」ではありますが、何もないのも寂しいというくらいで、載せておきます。右は、カワガラスのはず。遠くて、暗いのでこんなふう。メジロは、射山神社にて。

1640934431722  追記。午後からは雪がちらついていました。義母の希望で、今年も年越しそばを手打ち。とはいえ、ごくたまにしか打たないので、できあがりはそれなり(苦笑)。間違っても、私の打ったそばを食べたいなどとおっしゃらないでください。

Img_1371  今年1年間、皆様にはこのブログをお訪ねくださり、ありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。皆様、お元気でよいお年をお迎えください。

20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その3)……猿田彦神社を経て、念願の伊勢神宮内宮に無事にお参りにて、「完」

Ujiyamada3  12月25日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」の本編その3です。その2では、古市の町を歩いて、牛谷坂にある両宮常夜燈まで来ました。その3では、宇治惣門跡を見たのち、猿田彦神社にお参りして、いよいよ伊勢神宮の内宮に至ります。

Img_9702c_20211230032801  牛谷坂をほぼ下りきったところに宇治惣門跡があります。ここは、明治維新頃まで黒門を構え、番所を設けて罪人等の通行を取り締まっていたといいます。旧参宮街道の牛谷坂と宇治岳道の町並みとの間に設けられ他番所。滝倉川に架かる橋を黒門橋といいその名残となっており、ここで古市参宮街道の終わりとなります。

Img_9720c_20211230033401  宇治惣門跡の先で御木本道路に出ます。あの真珠王・御木本幸吉が、昭和20(1945)年に米寿を迎えたことから、外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供し、整備された道路。その終点に猿田彦神社があります。

Img_9731c_20211225185601  猿田彦神社。スタートから約4.0㎞、12時15分頃到着。猿田彦神(サルダヒコノカミ;サルタヒコノカミともいいます)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際し道案内をした怪異な容貌の神様で、のちにここ伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したといいます。古事記、日本書紀などでは「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。猿田彦神社では、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神として祀っています。

Img_9723c_20211230033701  境内には、天鈿女命を祀った佐瑠女(さるめ)神社があります。天鈿女命は、天照大御神が天岩戸に籠もられたとき、神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天照大御神が再び現れたといいます。天孫降臨に際しては、天八衢(あめのやちまた)にて猿田彦神と最初に対面し、高千穂の峰に至る道を啓いています。そして、その後は猿田彦神が五十鈴の川上の地に赴かれるとき、共に来て、その功により「猨女君」(さるめのきみ)と称号を受けたのです。芸能の神様として信仰が篤く、佐瑠女神社には、芸能人の方が奉納された幟旗もたくさんあります。

Img_9738c_20211230033901  猿田彦神社を出てすぐ先にある宇治浦田町交差点です。国道23号線にある交差点で、ここは、御幸道路と呼ばれています。外宮と内宮を結ぶ、伊勢のメインストリートといってよい道路。明治43(1910)年に開通。天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用されます。過去の近鉄ハイキングなどでは、この御幸道路から内宮に行ったのですが、今回は「伊勢街道を歩く」というテーマがあります。伊勢街道は、浦田交差点の少し先から始まる「おはらい町」がそれ。

Img_9746c_20211230034101 Img_9752c_20211225185601  こちらがそのおはらい町への入り口。そのイメージがあまり感じられないかも知れません。ここを進んで行くと、徐々に賑わいが見られるようになります。途中、おかげ横丁の案内も出て来ます。このあたりから少しずつ人が多くなりました。

Img_9800c_20211225185601 Dsc_0183c  いよいよというか、とうとうというか、宇治橋の鳥居のところまでやって来ました。念願の伊勢神宮の内宮です。4月から17回に分けて、東海道と伊勢街道とを歩いてここまで来たかと思うと、感慨もひとしお。同級生K氏と、交代で記念撮影(微笑)。たまには顔出し写真もということと、参拝したという証拠写真を載せておきます(微苦笑)。

Img_9804c_20211230035201  さあ、宇治橋を渡って、内宮の正宮参拝へ。宇治橋を渡るとき、いつも、何というか聖なる場所へ入っていくというか、神の領域にお邪魔するというか、厳粛な気分になります。

Img_9811c_20211230034701 Img_9815c_20211230034701  橋を渡ったところには、正月に向けてかがり火がすでに準備されていました。その先に五十鈴川の御手洗場がありますが、この日、ここはパス。内宮は、外宮と違って、正宮までの距離がありますので、けっこう歩きます。

Img_9826c_20211225185601  12時50分、正宮に到着。同級生K氏ともども、無事にお参りを済ませられました。「東海道と伊勢街道を歩く」、また、「歩いて伊勢神宮にお参りする」という2つのテーマを持って4月から17回をかけて、ここまで事故にも遭遇せず、無事にお参りできたのは、ありがたいことです。同級生K氏は、ここまで歩くことに不安もあったようですが、これで自信がついたといっています。

Img_9839c_20211230035901  内宮の境内にも別宮がいくつかあるのですが、この日は「まぁいいか」ということになり(正宮にお参りできたことで、かなり満足したというところ)、これら別宮には失礼してしまいました。おはらい町か、その近くで昼食をということになったのですが、もう一つ、K氏に見せたかったのが、こちら。「国道23号線 終点」という珍しい交通標識。これもウケました(微笑)。

Img_9843c_20211230040101 Img_9849c_20211225185601  昼食はあれこれ考えた末、結局、おはらい町で「買い食い」をしようということに。さらに、せっかくゴールしたのだから、祝杯を挙げようと、まずは、酒屋さん探し(苦笑)。高橋酒店で、「神都麦酒」を購入。¥320。ペールエールなのですが、伊勢志摩産の古代米も入っています。二軒茶屋餅で有名な二軒茶屋餅角屋本店が販売(製造は新潟県の会社)。

Img_9847c_20211230040601 Img_9854c_20211225185601  つまみは、伊勢磯あげまる天の海老マヨ。これは、ここの人気商品。カロリーが気になるところですが、今日ばかりは、そんなことは気にしない(笑)。赤福本店の東の五十鈴川縁に降りて、二人で乾杯!

Img_9789c_20211230041401  この日、おはらい町は、かなり賑わっていましたが、一昨年、近鉄ハイキングで来たときに比べると(2019年12月15日:20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その3)……猿田彦神社からいよいよ内宮へ、おはらい町で食べ歩いて萬金丹の店により、三重交通Gスポーツの杜伊勢から、月読宮を経て五十鈴川駅にゴール(完))、やはり人出は少ない感じ。コロナの影響があると思われます。

Img_9924c_20211225185601 Img_0255c_20211230041701  土産、私は、これまで食べたことのないものをと思って、藤屋月窓堂の利休饅頭。6個入りで¥650。明治の初めに、伊勢の茶人達が千家の宗匠を招き大神宮献茶会を催したときに、この店が宗匠好みの饅頭をつくってお茶の伴に出したところ、その床しき風味に感じ「利休饅頭」と名付けられたといいます。小豆こし餡入りの紅、うずらこし餡入りの白の2種類があります。右の写真は、白。この利休饅頭、美味しく、家族皆が絶賛していました。伊勢土産というと赤福のイメージがありますが、私個人は、あれは宣伝がうまかったからあれほど広がったのだと思っています。他にも、昔からのお菓子はたくさんあります。

Img_9866c_20211230042101 Img_9862c_20211230042101  同級生K氏は、今回もへんば餅。正月にお子さん、お孫さんが帰省されるときにということ。おはらい町にもへんばやさんの店があります。店頭に馬の人形があり、「へんば餅」の由来が書かれています。

Img_9876c  これで土産も買えましたので、帰途へ。その前に、伊勢くすり本舗の薬局カフェが新しくできたというので、ちょっと確認。あの萬金丹のお店。おはらい町に入っていくところのすぐ西にありますが、この日は見るだけ。萬金コーラとかいろいろあるようです。

Ujiyamada2  内宮からもっとも近い近鉄の駅は、五十鈴川駅。五十鈴川駅までのルートは、ルートマップその2にありますので、再掲。月読宮の脇を通って行くのですが、おはらい町を出たのが14時過ぎでしたので、この日はパス。

Img_9885c_20211230042301 Img_9891c_20211230042701  前回も見た三重交通の連節バス。おはらい町から先は、この日は立ち寄るところはなく、緩い登り坂をひたすら歩いて行きます。

Img_9896c_20211225185601  近鉄鳥羽線五十鈴川駅には、14時25分を過ぎた頃に到着。ここから名古屋まで直通の急行は1時間に1本。次は15時過ぎ。そこで、14時36分発の伊勢中川行き普通に乗車することにしました。伊勢中川駅には15時20分に到着、25分発の名古屋行き急行に乗り替え、桑名駅には16時22分に戻って来ました。運賃は¥1,300。

Img_9917c  この日の歩数は、21,000歩を越えました。現地で歩いたのが9.3㎞。自宅から桑名駅までの往復が2.3㎞で、合計は何と11.6㎞でした。よく歩きましたし、念願の伊勢神宮内宮にもお参りでき、これにて年内のハイキング、ウォーキングイベントは完了。「歩いて伊勢参りツアー」の記事も、どうにかこうにか、年内に完成して何より(微笑)。

 ちなみに、17回の「歩いて伊勢参りツアー」で、現地で歩いた距離の合計は133.8㎞、払った電車賃の合計は¥24,500、昼食代の合計は¥13,316、土産代の合計は¥5,630でした。総合計は¥43,446。いずれまた、まとめを書こうと思っています。来年は、1月半ばに真宗高田派の高田本山専修寺で行われる「お七夜 報恩講」がハイキング始めの予定。

2021年12月30日 (木)

実家でバードウォッチング……津市・辰水神社のジャンボ干支も見てきました

Img_1062  気温は11.9℃まで上がり、陽もよく照っているものの、強風。最大風速は、10m/sを超えています。ただし、これはアメダスのデータですので、今来ている家内の実家では、体感的にもっと寒い。家内の実家は、山間の地でよく冷えるのです。普段は、自宅マンションでぬくぬくと暮らしていますので、寒さが身にしみます。冒頭の写真は、津市にある辰水神社のジャンボ干支。来年の干支である寅。いつものように、実家に来る途中、見てきました。長さ4メート、高さ2メートル、重さは200㎏。ちゃんとした写真は、元旦に載せます。ちなみに、ここで同級生&主治医S氏夫婦とばったり遭遇。

Img_1138 Img_1187  昼前にこちらに着きました。昼食まで、実家のあたりで鳥探し。すぐにジョウビタキの鳴き声が聞こえてきて、探したところ、オスがいました。いったん姿が見えなくなっても、しばらくすると再登場してくれました。上空にはトビが舞っていました。このあたりには、たくさんのトビがいます。なお、写真は、ブラウザ上でリサイズしてくれるWebサイトを利用して、サイズのみダウンしています。トリミングや修正はしていません。

Img_1158 Img_1214  水田の方からはセキレイの鳴き声。2羽のキセキレイがいます。水田や、道路を挟んだ実家の方を行ったり来たり。電線にもやってきました。お腹の黄色、とてもきれいです。

 実家で年越しの予定。今日は、散歩には行っていませんが、明日は行くつもり。

20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その2)……長峰神社、麻吉旅館、寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から牛谷坂にある両宮常夜燈へ

Ujiyamada2 12月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」の本編その2です。その1では、「油屋騒動」に関わる大林寺にお参りし、油屋跡まで来ました。近鉄鳥羽線を越えると、長峰神社、麻吉旅館、寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館と見どころが続きます。伊勢自動車道を越え、「月よみの宮さんけい道」道標、雪峰稲荷、両宮常夜燈と見て、牛谷坂を下ります。

Img_9485c_20211229170501 Img_9488c_20211229170501  近鉄鳥羽線を越えたところから先の伊勢街道の様子。このあたりは、海抜32.8m。古市あたりで、もっとも高いところです(33mを越えるところもありましたが)。宇治山田駅のあたりから比べると、30mほど登ってきたことになります。

 長峰神社Img_9494c_20211229170501 Img_9506c「長峰」は、文字通り、長く続く峰。外宮と内宮を結ぶ、この古市の地形に因む名称。御祭神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)。天照大御神が天岩屋に隠れられた時、天鈿女命は神懸かりして舞を舞い、大御神のお出ましをいただいたと伝わっています。それ故、歌舞伎役者や伊勢音頭の遊女の祖神として、芸能の神様とされる天鈿女命を祀っていたのです。長峰神社は、この街道の(旧)中之地蔵町に鎮座していた宇須賣社(うずめのやしろ)を明治3(1871)年に、久世戸町・古市町・中之町・桜木町の4町の協議によって現在地に鎮座し、長峰の産土神として祀ってきたものです。その後、一帯に鎮座していたお社や祠の神々も合祀しています。相殿神は、木花開那姫命天津彦火瓊々杵命宇迦之御魂神、春日大神八衢比古神久郡戸神(くなどのかみ;もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神で、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されています)、菅原道真公。

Img_9514c_20211225185501  長峰神社から350mほど先を東に入ったところにあるのが、麻吉(あさきち)旅館。創業は明らかではありませんが、天明2(1782)年の「古市街並図」にその名前があるといいます。インスタ映えするというか、フォトジェニックというか、魅力的な建物。現在は、5棟の建物があり、懸崖造りで最上階までは6層。朝熊山や二見まで見えるそうです。

Img_9542c_20211225185501 Img_9545c_20211229172201  同級生K氏にも是非見てもらおうと思い、案内しました。お陰様で、好評(微笑)。伊勢自動車道の方まで降りて見てきました。ここは、一見の価値、十分あります。近くへいらしたら、立ち寄ることをお勧めします。もう少し天気がよいと、見栄えもよくなります。2019年2月4日の記事に晴天のもと、きれいに撮れた写真と説明があります(20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その2)……麻吉旅館、浅香つづら稲荷、寂照寺、古市参宮街道資料館、猿田彦神社など)。

Img_9619c_20211229172301 Img_9587c_20211229172301  麻吉旅館から伊勢街道に戻ってすぐ、となりといってもよいところに栄松山寂照寺。浄土宗のお寺。ご本尊は、阿弥陀如来。創建は延宝5(1677)年。寂照知鑑上人(知恩院第37世)が、千姫(2代将軍・徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室)の菩提を弔うため開いたのが始まりとされます。その後衰退したものの、安永3(1774)年、月僊上人により再興されました。現在の山門、八角輪蔵は月僊が再建したものと伝わっています。月僊は、円山応挙に師事したとされ、仏涅槃図や藤の図が残されています。ちなみに、千姫は、元和元2(1615)年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰る途中、桑名で本多忠政の長子忠刻と巡り合い、再婚しています。また、月僊は求めに応じて絵を描いては報酬を集めていましたので、批判する人もいました。しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使ったというエピソードが伝わっています。山門は、薬医門形式で、寛政9(1797)年に月僊上人によって建立されたもの。登録有形文化財。

10265c74  月僊は、寛保元(1741)年、尾張名古屋の味噌商人の家に生まれ、7歳のとき剃髪し、10代で江戸の増上寺に入りました。生まれつき絵が好きで、修行の傍ら桜井雪館(せつかん)という画家について絵を学びました。増上寺の大僧正定月は、彼の絵の才能や修行ぶりを誉めて、自分の名の一字を取って「月僊」の号を与えました。その後、月僊は、京都の浄土宗総本山知恩院に修行することとなり、写生表現を重視した円山応挙の門に入り、与謝蕪村を尊敬し、中国の絵画をも学んだといいます。安永3(1774)年、月僊34歳のとき、知恩院の大僧正に頼まれ、当時荒れ果てていた伊勢の栄松山寂照寺を立て直すため、そこの住職となったという次第。月僊上人の絵はきちんと見たことがありません。機会があれば、是非と思います。

 Img_9598c_20211229172301こちらは観音堂。やはり登録有形文化財。宝蔵として開基以来唯一存在する建物だそうです。寛政9(1797)年の伽藍再興の際境内北東に宝蔵を新築し、それ以来この建物は米蔵として使われました。昭和の中頃、増改築をし、観音堂となっています。観音堂の手前にあるのは、月僊上人之碑。

Img_9634c_20211225185601 Img_9638c  寂照寺の先、スタートから2.8㎞ほどのところに伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館があります。参宮街道や江戸と上方の役者の登竜門でもあった伊勢歌舞伎、古市妓楼などの関係資料が1階の展示室に展示されています(無料、月曜定休)。

Img_9645c_20211229185601 Img_9649c_20211229185601  資料館を過ぎると伊勢自動車道の上を越えます。越えた先に「月よみの宮さんけい道」と彫られた道標があります。冒頭のマップを見ていただくとお分かりになりますが、内宮の別宮である月読宮は、ここからほぼ真東にあります。そこへの道標です。右面には、「建設主 田村吉兵衛」、碑陰には「明治廿七年六月」とありました。明治27年は1894年。さほど古いものではありませんが、文字は読みにくくなっています。

Img_9654c_20211229185601 Img_9657c_20211229185601  雪峰稲荷。昔から「浅間さん」と呼ばれた土地だそうです。以前は、木花開那姫命を祀る桜木神社であり、さらにその前は浅間神社だったといいます。木花開那姫命は、浅間神社の御祭神。平成29(2017)年に造替されています。
Img_9669c_20211229190901 Img_9665c_20211229190901  さらに進むと、富樫公園の南に「奉献両宮常夜灯」。奉献は「東京神田旭町・富樫文治」。大正3(1914)年2月に建立。管理者は油屋旅館と彫られています。富樫文治は、日本銀行小樽支店の施工者だそうです(こちらのブログ)。石柱の碑表には、「奉献 両宮常夜燈 東京神田旭町 富樫文治」とあります。向かって左には、「管理者 油屋旅館」と。あの「油屋」と関係があるのでしょう。「大正三(1914)年二月二十七日建」とあります。大正時代になってもこんな大きな常夜燈2基を寄附する方がいらっしゃったというのはスゴい。

Img_9661c_20211229190901  この両宮常夜燈の向かい側には、神宮司庁頒布部があります。ここは、「大麻(たいま・おおぬさ)」と呼ぶお神札(ふだ)や暦(こよみ)を奉製する部署。前回、外宮で授与していただいた「神宮暦」もここでつくられているはず(2021年12月11日 :20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編))。

Img_9694c_20211229191601  このあたりは、牛谷坂といいます。この名は、この付近に牛鬼という怪物がいたという牛鬼伝説「枕返し物語」の由来によります。かつての参宮路は、ここより手前の「月よみの宮さんけい道」の道標にそって左に曲がりました。この牛谷坂は、延宝2(1674)年、内宮長官の藤原氏富が、山田奉行桑山丹後守貞政の許可を受け、数百両の私財を投じて改修しました。このため、参拝者は、内宮への近道となるこの牛谷坂を利用するようになったといいます。ただ、当時の道は、今のようなまっすぐな坂道ではなかったため、元禄10(1805)年、古市の妓楼「千束(ちづか)屋」の主人りと(当時65歳)が、山田奉行の許可を得て、千両余りを投げ出して本格的な改修工事を行ったのが、現在の牛谷坂です。

 その2はここまで。その3は、宇治惣門跡から、猿田彦神社へ。

2021年12月29日 (水)

今日はシメが登場……カワウは欲張り

Img_1013c_20211229163201  いよいよ押し詰まってきました。12月も29日。今日は、気温が上がらず(最高でも7.9℃)、底冷えする感じ。午前中は雲が多かったこともあって、散歩中、知人と出会って、立ち止まって話していると足の裏から冷えて来ました。その散歩は、いつも通り。年末でも変わりはありません。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、寺町と回り、その後、クルマに乗って三洋堂書店へ。歩いたのは、5.2㎞。

Img_0597c_20211229163301  27日に積もっていた雪、まだ残っています。写真は、拙宅マンション内のプレイロット。

Img_0831c_20211229163201  今日の話題は、まずは、シメが登場したこと。昨日も、九華公園で見た気がするのですが、確信が持てませんでした。今日は、奥平屋敷跡への入り口で見つけ、追いかけたら、管理事務所近くのイチョウの木に止まりました。ちょっと枝かぶりになってはいますが、今シーズン初。ちなみに、昨日見たビンズイ、今日はおらず。

Img_0773c_20211229163201  さらに、もう1つ。大きな魚を捕まえたカワウ。しかし、いくら何でも大きすぎました、というか、欲張りすぎ(笑)。到底丸呑みできるサイズではありません。このあとすぐに放棄。魚は、コイか、フナか、淡水系の魚と思いますが、私には知識がありません。

Img_0635c_20211229163301 Img_0647c_20211229163301  さて、散歩の初めに戻って、住吉キンクロウズは、オスが2羽。他に近くにはヒヨドリやハシボソガラス。七里の渡し跡に来て、コガモのオスが1羽とメスが2羽、オオバンが1羽。

Img_0703c_20211229163301  揖斐川の中洲には、アオサギが2羽。他にダイサギが飛ぶのも見えましたが、クリアな写真は撮れず。

Img_0683c_20211229163301 Img_0725c_20211229163301  川口水門の奥の杭にイソヒヨドリのメス。懸命に身繕いをしていました。その間の一瞬の写真。三の丸水門の先の揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽。三の丸公園や、柿安コミュニティパークには、鳥はおらず。コミュニティパーク西の堀には、オオバンが2羽。オオバンが少しずつ増えてきている感じ。

Img_0849c_20211229163201 Img_0934c_20211229163201  九華公園についたら、北門近くのサザンカからメジロの鳴き声。この頃、割と翌サザンカに蜜を吸いに来ます。が、写真を撮る前に逃げられました(苦笑)。カモは、合計49羽。ハシビロガモ12羽と、他はキンクロハジロばかり。ホシハジロのオスも、ヒドリガモもいません。カイツブリも見なくなりました。

Img_0751c_20211229163301  カモを見ていたら、東の空にカワウの大群。V字編隊で南の方に飛んで行くところ。全体では、この倍以上の数でした。

Img_0877c_20211229163201  奥平屋敷跡近くの花菖蒲園で、モズのオス。この直前、奥平屋敷跡でも見たのですが、暗くて、真っ黒に写ったので、撮り直しができてよかった(微笑)。公園内の鳥は、他には本丸跡でハクセキレイのペアを見たくらい。そうそう、もっとも元気だったのは、今日もまたヒヨドリたち。雪がどかっと降って、山から鳥が下りてくるかと思ったものの、どうもそういうことはなし。

Img_0922c_20211229163201 Img_0927c_20211229163201  鎮国守国神社の楽翁殿にも、門松。鳥居のところよりも、ミニサイズ。これも、氏子の方の手作り。散歩友達のYさんも日曜日に、門松づくりに参加されたそうです。

Img_0918c_20211229163201  拝殿にある薦被りの上には、旅ネコ2匹。この上は、暖かいのでしょうね、きっと。

Img_0940c_20211229163201 Img_0990c  公園の外周遊歩道の東のお宅で、シジュウカラが数羽。フェンスの合間から撮ったもの。右は、内堀公園で出会ったジョウビタキのオス。ふっくらしています。

Img_0720c_20211229163301 Img_1016c_20211229163201  午後からは、仏壇の掃除を済ませ、これでdutyはすべてコンプリート。大掃除や、新年を迎える準備はとくにしなくなりました(苦笑)。何があっても、なくても新しい年は来ますから(微笑)。霊仙山も、藤原岳も雪が積もっています。

20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(その1)……宇治山田駅をスタート、沢村栄治像、伊能忠敬測量の地、寿厳院、備前屋跡、大林寺を経て油屋跡へ

Img_9826c_20211225185601  12月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」の本編その1です。この4月に桑名の七里の渡し跡をスタートし(2021年4月9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、何とか年内に伊勢神宮の内宮にお参りしたいと願っていましたが、無事にその目標を達成できました。前回第16回では、外宮に参拝し、伊勢市駅にゴールしています(2021年12月11日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編))。この日は、ちょっとだけワープして、近鉄山田線宇治山田駅から古市を通って、伊勢神宮の内宮に参拝することができました。

Ujiyamada0  こちらが、この日歩いたコース。近鉄宇治山田駅から南へ。岡本で伊勢街道に入りました。小田橋を渡って、古市の町へと進みます。寿厳院、大林寺、長峰神社を周り、麻吉旅館へ。さらに寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から猿田彦神社にお参りし、いよいよおはらい町へ。ここが旧伊勢街道。そして、いよいよ伊勢神宮の内宮へ。参拝後、昼食代わりにおはらい町でビールとつまみをゲット。五十鈴川に降りて、祝杯を挙げ、ふたたびおはらい町を通って、ゴールに設定した近鉄鳥羽線五十鈴川駅へ。

Img_9230c_20211229072101  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。山田線宇治山田駅には10時4分の到着。¥1,220。乗った電車は、左の写真のように、斎宮と近鉄がコラボしたラッピングトレイン(こちら)。一般社団法人明和観光商社による、アフターコロナにおける、斎宮・明和町への観光誘客を目指す「神宮ゲートウェイ」プロジェクトの一環で、近鉄の協力を得て、1300年の歴史を紡ぐ斎宮・斎王をイメージしたデザインの特別車両の運行を実施しているそうです。斎王は、壇蜜さんだそうですが、私が見たのは、この写真のあたりだけ。来年7月まで走るそうですから、またじっくり見る機会があるでしょう。

Ujiyamada1  詳しいルートマップのその1。前回のゴールは伊勢市駅でしたが、この日は1駅先の宇治山田駅からスタート。駅前で沢村栄治像と、旧渡會府庁跡を見て、南へ。御幸道路(岩淵交差点で東西に走っています)を越え、岡本交差点を左折すると伊勢街道に入ります。小田橋は勢田川に架かっています。ここに伊能忠敬測量の地の説明板。その先から緩やかな登り道。寿厳院、間の山お杉お玉の標柱、備前屋跡を見て、大林寺に至ります。このあたりから昔、繁華街であった古市の町。

Img_9274c_20211229072101 Img_9232c_20211229072101 近鉄宇治山田駅。ここは、私のお気に入りの駅。何度来ても、いい感じだと思います。昭和6(1931)年の参宮急行電鉄線(のちの近鉄大阪線・山田線)全通に際し、宇治山田市(現・伊勢市)の新たな玄関口として、また、伊勢神宮最寄りのターミナル駅として開設されました。貴賓室があり、天皇や内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。宇治山田駅について、詳しいことは、2019年12月 8日の記事にあります(20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その1)……宇治山田駅をスタートし、古市参宮街道を行き、大林寺、油屋跡をみる)。

Img_9249cImg_9280c_20211229115301  10時10分に宇治山田駅をスタート。まずは、駅前にある戦前、戦中のプロ野球で活躍した名投手・沢村栄治(大正6(1917)~昭和19(1944)年)の銅像を確認。同級生K氏は、学生時代、野球をしていたので、これを是非見たいといっていたのです。令和元(2019)年5月に建てられたもの。この像は、令和元(2019)年5月30日に建てられたもの。沢村は、ここ三重県伊勢市の出身。駅前の明倫商店街に出生地とその記念碑があります。銅像は沢村の身長とほぼ同じで、約1.7m。左足を大きく上げた独特のフォームをかたどっています。沢村は、旧・京都商業を卒業し、昭和9(1934)年に巨人の前身球団に入り、プロ野球初の無安打無得点試合を達成するなど活躍しましたが、昭和9年に3度目の兵役に住持し、台湾沖で戦死しました(27歳)。

Img_9281c_20211229115301  沢村栄治の銅像を見てから旧渡會(わたらい)府庁跡へ。慶応3(1867)年の大政奉還を受けて、翌年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が知事となり、小林(おはやし)村の旧・山田奉行所に着任しました。余談ですが、山田奉行といえば、18代奉行であった大岡越前守忠相が有名です。度会府は、明治2(1869)年に度会県と改称され、翌3(1870)年、県庁舎は、箕曲(みの)町(ここ岩淵2丁目)に移ってきました。度会県は、一志、飯高、飯野、多気、度会、答志、英虞、南牟婁、北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分していました。その後、明治9(1876)年4月、三重県(安濃津県から改称)と合併し、度会県の歴史は幕を閉じています。

Img_9310c_20211229123001 Img_9314c_20211229123201  御幸道路を越えて次の岡本で信号交差点を左折すると伊勢街道(古市参宮街道)にはいります。すぐに勢田川に行き当たり、そこに小田橋が架かっています。勢田川は昔、御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。

Img_9322c  ここには、「伊能忠敬測量の地」についての説明板もあります。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。「凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝し、続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。

Img_9326c_20211229123601  さぁ、古市の町へ歩きだそうとしたら、小田橋の欄干にアオサギが登場。向こうも驚いたでしょうが、こちらもビックリ。互いに固まって、しばし見合っていました(苦笑)。

Img_9406c_20211229124001 スタートから1㎞ほどのところ、南側に隠岡山寿厳院というお寺があります。浄土宗。歩き始めて間もないので、「行こう、寄っていこう」と軽い気持ちで行ったら、ご覧のように、階段をかなり登らねばならず、苦笑。いきなりエネルギーを使いました。

Img_9383c_20211229124001 Img_9365c_20211229123901  寺の由緒書きによれば、元和元(1615)年、縁蓮社欣誉寿厳上人の開基によります。宝永3年(1706)年の大火から中興、その後、山下にあったものを山上の現在地に移築し、明治の廃仏毀釈にも耐えて、今日に至りました。境内には「眼地蔵」と「身代わり地蔵」とがあり(たぶん右の写真のお地蔵様)、眼地蔵は不眠症や子どもの夜泣きに、身代わり地蔵は病人の身代わりになってくれると伝わっています。

Img_9355c_20211229123901 Img_9358c_20211229123901  また、三浦樗良(ちょら:江戸中期の俳人。志摩国鳥羽に生まれ、少年時代に父とともに伊勢国山田に移住した)(1729~1780)の落葉塚、神風館十一世野篠寸大(1726~1807)らの句碑もありました。右が樗良の句碑。通称、落葉塚。「わか庵は榎はかりのおちは哉」とあります。この句は宝暦12(1762)年、山田岡本里に無為庵を結んだときの句。庵の場所は不明ですが、虎尾山麓ではないかと云われています。句碑は、明治29(1896)年の建立。野篠寸大の句は、「水仙や蓮より清き居所」。神風館は、寛文年間(1661~1673)に外宮神官の足代弘氏が創始した伊勢俳諧の宗統ともいうべき由緒ある館号です(こちら)。

Img_9416c_20211229142701 Img_9420c_20211229142701  寿厳院からすぐのところに「間の山 お杉お玉」と刻まれた標柱が立っています。「間(あい)の山」とは、江戸時代、伊勢神宮の内宮と外宮の中間の、このあたりをさしました。ここ間の山に小屋掛けをして、三味線・胡弓などを弾いて歌い、旅人から銭をもらっていた女芸人を「お杉お玉」と称したのです。このあたりから緩い坂が続き、歩くのも楽ではありません(苦笑)。何ヶ所かに石柱が建っていて、栄えた頃が偲ばれます。

Img_9429c_20211229143001  スタートから1.7㎞ほどのところには、備前屋跡という標柱があります。天明年間(1781~1788年)、古市には妓楼が70あまり、遊女約1,000人がいたそうです。この備前屋は、牛車楼とも呼ばれたといい、古市では著名な妓楼であったといいます。油屋、備前屋、杉本屋が古市の三大妓楼と呼ばれ、内部には舞台のついた広間があり、毎晩、伊勢音頭を唄い踊り(こちらのNHKのサイトもご覧ください)、客への顔見世にしました(伊勢古市参宮街道資料館のサイトもご参照ください)。

Img_9438c_20211229143301 Img_9441c_20211225185501  備前屋跡からほど近い浄土宗西山禅林寺派大琳寺に到着。信空大和尚が、寛永2(1625)年に開いたお寺。浄土宗西山禅林寺派は、京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派です。ご本尊は阿弥陀如来。この境内には、歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」として今に伝えられている遊郭「油屋」で起こった刃傷沙汰「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」が建ち、供養しています。

Img_9455c_20211225185501  油屋騒動は、寛政8(1796)年5月4日の夜更けに起こりました。事件は27歳の町医者・孫福斎(まごふくいつき)という男が、古市有数の伎楼「油屋」で、なじみの遊女・お紺(16歳)をめぐり、恋の嫉妬に 狂い、刀を振り回し、3人を斬り殺し、6人を負傷させたというもの。斉は後に自殺(27歳)。お紺は49歳で病死します。左の写真が境内にある「比翼塚(ひよくづか)」。向かって左がお紺の墓、右が孫福斎の墓、中央は六地蔵。昔は、塚にはほこら「愛染堂」が、建てられていましたが、残念ながら、 伊勢湾台風により全壊してしまいました。今でも、油屋騒動を題材に舞台などが行われると、出演する芸人さんなどが必ずこの菩提にお参りされるといいます。お紺の墓は文政12(1829)年、板東彦三郎によって、また、孫福斉の墓は昭和4(1929)年、実川延若によってそれぞれ建てられています。

Img_9465c_20211229143601  愛染堂にあった愛染明王(あいぜんみょうおう)は、現在は新しいお堂に安置されています。この愛染明王は遊廓の街・古市にあって、遊女たちの守り神として信仰がありました。現在でも水商売等に携わるかたがたのお参りも続いているそうです。

Img_9452c_20211229143601 Img_9448c  境内には、このほか、地蔵堂、庚申塔、稲荷社が並んでいます。お地蔵様は、田井戸地蔵。高さ約80cmの立像と、約20cmの座像があります。Img_1759 その年代、由緒とも明らかではありませんが、永代山の田井戸にあったものを大林寺へ預けられたものです。灌漑用の水祈願のために建立されたものとされます。稲荷社には、「寒中御見舞」と書かれた札がたくさん貼られています。「家内安全、町内円満、商売繁盛」などとも書かれ、伊勢市内の町の講の名前になっています。この「寒中御見舞」は、伊勢の風習のようで、お稲荷さんに貼られるようです。詳細はよく分かりませんが、たとえばこちらをご参照ください。「寒中御見舞」の札は、近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングであちこちを歩きましたが、これまでのところ、伊勢市内の稲荷社でしかみたことがありません。

Img_9468c_20211225185501  大林寺の先で近鉄鳥羽線の上を越えますが、その手前に「油屋跡」の標柱がありました。ここが「油屋騒動」のあった、油屋という妓楼があったところ。

 詳細なルートマップその1の範囲はここまで。その2は、近鉄鳥羽線を越えて、長峰神社や麻吉旅館から。

2021年12月28日 (火)

九華公園にビンズイ、初登場

Img_0418c_20211228153401  昨日の大雪から一夜明けましたが、まだあちこちに雪が残っています。今日の気温は、7.7℃になっていますが、雲も多く寒い日となっています。今年のdutyが2つ残っていました。まずは、散髪。8時半から、いつものS理容院さんへ。大将といろいろと話していたのですが、最近(といってもかなり以前から)、年末だからとか、正月になるからといって散髪に来る人は激減しているそうです。何十年か前には、12月30日は夜中過ぎまで、31日は朝5時から営業したそうです。その朝5時には、店の前に何人かお客さんが並んでいたとか。また、大晦日など、夜10時頃に電話があって、「今から掛け取りにいって、それが済んだら散髪に行くからよろしく」という話もあったそうです。もっとも、そういう時代は、正月の半月くらいはお客さんは来ず、暇を持て余し、稼ぎもなかったそうで、大将曰く、「ボツボツお客さんがあるのが、一番いい」とか。

Img_0451c_20211228153401  まずは、今日のハイライト。とはいえ、まったくの証拠写真(苦笑)。九華公園の管理事務所北で、ビンズイを1羽発見したのです。このあとそっと近づいたものの、鎮国守国神社方面に逃げられ、撮れた写真はこれだけ。

Img_0436c_20211228153401  さて、散歩は、散髪を終えて9時半から11時前まで。九華公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、御坊さん、寺町と5.0㎞。左の写真は、田町交差点。昨日もここの写真を載せましたが、まだ雪が残っています。南側の歩道は、家々の陰になって、まだ雪が溶けていないどころか、凍っていて、歩くのはアブナイくらいでした。

Img_0447c_20211228153401 Img_0506c_20211228153401  九華公園もあちこちで雪が残っていますし、堀にかかる橋は、凍っています。雪が降ったら、山から小型の野鳥が下りてくるか、と期待したのですが、今日のところはそういうことはありませんでした。いつもより少ないくらい。北門の堀のところには、コサギ1羽。

Img_0514c_20211228153401 Img_0527c_20211228153401  カモは合計44羽しかいませんでした。それもやはり、ホシハジロも、ヒドリガモもおらず、ハシビロガモ12羽とキンクロハジロだけ。鳥は、他にはメジロ、カワラヒワ、ハシボソガラスくらい。もっとも元気なのは、あの暴れん坊のヒヨドリたち。

Img_0463c_20211228153401  ユリカモメは、たった1羽。昔のアヒル小屋の屋根に止まって、辺りを見回しています。公園では、管理人さんのほか、シルバー人材センターの方、お二人が作業中。シルバーの方は、これで仕事納め。来年3月まではお休みだそうです。散歩友達は、前管理人のOさんと、もと畳職人のAさんのみ。

Img_0485c_20211228153401 Img_0489c_20211228153401  鎮国守国神社にも、門松が立てられていました。これは、毎年、氏子の皆さんが自ら材料を集めて、手作りしておられます。とても素人仕事とは思えません。今年は、26日の日曜に、雪がちらつく中で作業をなさったとか。

Img_0476c_20211228153401  午後からは、いよいよ年賀状の作成に着手。とはいうものの、枚数はかなり減らしてしまい、65枚ほど。デザインは朝早くにほぼ完成していましたので、少しだけ手直し。65枚ですと、印刷も早い! 2時間もかからずにできあがり、すでに投函してきました。「プリンタのメンテナンスボックスが、もうじきいっぱいになるので準備しろ」という指示が出ていました。ビックカメラで発注。明日夕方には届きます。便利な世の中です。これでdutyはほぼ完了。明日、仏壇の掃除をしたら、コンプリート。

Img_0574c_20211228153401 Img_0422c_20211228153401  ところで、藤原岳にはまだかなりの積雪。いなべ市の北部に住む娘の友人のところは、雪が1mも積もったそうです。多度山も、朝は、右の写真のように、薄ら白くなっていました。正月が単なる大型連休のようになってしまって久しいのですが、年の暮れも、余りそういう感じがしなくなって、ちょっと残念な気がします。まぁ、「淡々と飽きもせず……」がモットーですから、それでもよいのかも知れませんが。

2021年12月27日 (月)

20211227大雪

Dsc_0187c Dsc_0194c  昨晩から三重県北部地域には大雪警報が出ていましたが、その通り、大雪でした。冒頭の2枚の写真は、朝5時に新聞を取りに降りていったときに撮ったもの。ざっと15㎝くらいでしょうか。いなべ市では65㎝、四日市市では17㎝の積雪だったそうです。

Img_0009c_20211227173501 Img_0008c_20211227173501  6時45分頃の南西方向の様子。よく見たら、パワーショベルで除雪している方がありました(右の写真)。どうやら、この右手にある駐車場の持ち主の方で、このあと駐車場の中を除雪しておられました。

Img_0076c_20211227173601 Img_0066c_20211227173601  アメダスの記録には残っていませんが、午前中は断続的に雪が降っていました。諸戸氏庭園(左の写真)はまるで雪国のようでした。右は、諸戸氏庭園南あたりの様子。もっとも手前の木は、拙宅マンションのもの。その向こうは、マイソメイヨシノ。樹氷のような感じ。

Img_0261c_20211227173501  こちらは10時半を過ぎた頃。午前中は、昨日の相談会の報告書を最終的に確認して、加除修正を行っていました。年を越してはいけませんが、慎重に確認もしなければなりません。昼までに完了し、午後一番にチェックを終え、郵便局まで行って投函してきました。これで年内のdutyはほぼ完了。あとは、散髪と年賀状。これは明日の課題。

Img_0283c_20211227173501  八間通郵便局に行きがてら少し歩いてきました。郵便局から春日神社、三崎通、住吉神社と回って、2.2㎞。あちこちまだ雪がかなり残っています。左の写真は、田町交差点のところ。

Img_0309c_20211227173501 Img_0296c_20211227173501  春日神社には、門松が設置されていました。例年通り、桑名建築組合の方々が奉納されたもの。ここで、散歩友達のMさんに遭遇。というか、ご自宅が神社のすぐ近くなのです。

Img_0313c_20211227173501 Img_0325c  住吉神社へは、いつもは通らない船場町側、すなわち、住吉入江&住吉水門の南側から。たぶんこれらの景色は今まで載せたことはないと思います。

Img_0334c_20211227173501 Img_0329c_20211227173501  住吉水門の外側にキンクロハジロ2羽と、ホシハジロのメスが1羽(右の写真)。ホシハジロのメスは、今シーズン初めて見ました。この他、拙宅前の入江にもキンクロハジロが3羽。今日の鳥は、これがすべて。

Img_0403c_20211227173501  拙宅マンションまで戻って来て、公園を見たら、雪だるまとかまくらが作られていました。冒頭の写真を撮ったところが公園(正式には、プレイ・ロットといった記憶があります)です。

2021年12月26日 (日)

寒波襲来の中、相談会にて名古屋へ……明朝は大雪か?

Img_9937c_20211226161001  今日は、午前中、名古屋にて相談会を予定していましたが、朝7時半過ぎから、雪がちらついてきました。予報では、もう少し遅い時間から雪となっていたのに、ちょっと早い。

Dscn5006c Dscn5014c  8時45分の準急名古屋行きに乗るべく自宅を出た頃にも、けっこう降っていました。左の写真は、途中、弥富あたりの様子。しかし、富吉を過ぎると雪は少なくなってきましたし(右の写真)、青空が見えてきました。

Dscn5020c  名古屋駅に着く直前。駅前の高層ビルが青空の下、よく見えています。雪なんか、まったくありません(苦笑)。どこかの田舎から出て来た気分です。近鉄名古屋駅には9時15分に到着。

Dscn5023c Dscn5024c  会場は、名古屋国際センタービル。名古屋駅からは地下街を通って、徒歩。いつものところで、いつものように、10時からお二組のご相談。ただし、いつもなら、終了後、コーディネートしてくださる先生と、25階にある中華料理・東天紅でランチをしてくるのですが、今日は休業。昨日から年末までは休みだそうです。眺めがよくて、気持ちの良いレストランなのですが、残念。桑名まで帰ってきて、伊勢ノ国ダイニングしちりに行ってきました。しかし、時刻は13時半に近く、お腹が空いていたので、写真を撮るのも失念して食べてしまいました。「天ぷらとかけそばランチ」、¥1,280。

Dscn5033c 1226amedas  桑名駅からの帰り道、我が家近くまで来たら、とあるお宅の車庫にこちら。イソヒヨドリのオス。降りて来て、何かを咥えて壁に上がったり降りたり。このあたりではときどき、イソヒヨドリを見かけます。寒い中(今日の最高気温は3℃)、仕事に出かけたご褒美ということで(微笑)。

Img_9944c_20211226163201  天気予報では、明日の午前中まで雪。夜からはよく降るといいますと書きかけて、外を見たら、かなり降ってきて、屋根が白くなっています(16時30分頃)。この調子で降ったら、明日の朝は、このあたりにしては大雪になりそうです。

Dscn5008c  ちょっと嬉しかった話。今日、相談したお子さんのお一人から、相談が終わったときに、「先生、はい、お手紙」といって折りたたんだメモ用紙をもらいました。相談ではまずお子さんと話をし、そのあと保護者の方と話をしています。その間に、お子さん自身が書いてくれたものでしたが、「○○先生に、mamekichi先生だいすき すきなものをかいてください。うらでもいいです。○○より」と書いてありました。初めにある「○○先生」は、コーディネーターの先生のこと。

2021年12月25日 (土)

20211225「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第17回「宇治山田駅~内宮~五十鈴川駅」(予告編)……いよいよ念願の伊勢神宮内宮に参拝

Img_9826c_20211225185601  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も第17回にして、いよいよ伊勢神宮・内宮に参拝してきました。この4月に桑名の七里の渡し跡をスタートし(2021年4月9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、何とか年内に大願成就に至りたいと思っていましたが、見事達成できました。前回第16回では、外宮に参拝し、伊勢市駅にゴールしています(2021年12月11日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編))。今日は、ちょっとワープして、近鉄山田線宇治山田駅から古市を通って、伊勢神宮の内宮に参拝することができました。今日のところは、予告編です。

Ujiyamada0  こちらが、今日歩いてきたコース。近鉄宇治山田駅から南へ。岡本で伊勢街道に入りました。小田橋を渡って、古市の町へと進みます。寿厳院、大林寺、長峰神社を周り、麻吉旅館へ。さらに寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館から猿田彦神社にお参りし、いよいよおはらい町へ。ここは旧伊勢街道。そして、いよいよ伊勢神宮の内宮へ。参拝後、昼食代わりにおはらい町でビールとつまみをゲット。五十鈴川に降りて、祝杯を挙げ、ゴールに設定した近鉄鳥羽線五十鈴川駅へ。

Img_9254c_20211225185501  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。山田線宇治山田駅には10時4分の到着。¥1,220。10時10分に宇治山田駅をスタート。まずは、駅前にある戦前、戦中のプロ野球で活躍した名投手・沢村栄治(大正6(1917)~昭和19(1944)年)の銅像を確認。同級生K氏は、学生時代、野球をしていたので、これを是非見たいといっていたのです。令和元(2019)年5月に建てられたもの。沢村栄治の銅像を見てから南へ。御幸道路を越えて次の岡本で信号交差点を左折。ここからが伊勢街道(古市参宮街道)。

Img_9325c_20211225185501  この小田橋は勢田川に架かっています。勢田川は伊勢神宮への物資を運ぶ水路でした。ここに「伊能忠敬測量の地」という説明。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(180Fc5004b1 5)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。ちなみに、小田橋を渡ろうと思ったら、目の前にある端の欄干にアオサギが降りて来ました。向こうも驚いたでしょうが、こちらもビックリ。しばし、両者とも固まってしまっていました(苦笑)。

Img_9441c_20211225185501 Img_9455c_20211225185501 Img_9455c_20211225185501   浄土宗西山禅林寺派の大琳寺。信空大和尚が、寛永2(1625)年に開いたお寺。浄土宗西山禅林寺派は、京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派です。ご本尊は阿弥陀如来。この境内には、歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」として今に伝えられている遊郭「油屋」で起こった刃傷沙汰「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」が建ち、供養しています。

Img_9468c_20211225185501  油屋騒動は、寛政8(1796)年5月4日の夜更けに起こりました。事件は27歳の町医者・孫福斎(まごふくいつき)という男が、古市有数の伎楼「油屋」で、なじみの遊女・お紺(16歳)をめぐり、恋の嫉妬に 狂い、刀を振り回し、3人を斬り殺し、6人を負傷させたというもの。斉は後に自殺(27歳)。お紺は49歳で病死します。大林寺のすぐ先の伊勢街道沿い、近鉄鳥羽線の高架橋脇に「油屋跡」の石碑があります。

Img_9514c_20211225185501 Img_9542c_20211225185501  続いて、麻吉旅館。創業は明らかではありませんが、天明2(1782)年の「古市街並図」にその名前があるといいます。これまでに私は、2回来ていますが、何度来ても魅力的な建物(2019年12月13日:20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その2)……長峰神社、フォトジェニックな麻吉旅館、寂照寺を見て古市参宮街道資料館、牛谷坂の常夜燈、伊藤小坡美術館を見て宇治総門跡まで)。現在は、5棟の建物があり、懸崖造りで最上階までは6層。朝熊山や二見まで見えるそうです。

Img_9634c_20211225185601  伊勢古市参宮街道資料館です。参宮街道や、江戸と上方の役者の登竜門でもあった伊勢歌舞伎、 日本三大妓楼のひとつとして著名であった古市妓楼などの関係資料を展示しています。

Img_9731c_20211225185601  県道32号線に出たところには猿田彦神社があります。猿田彦神(サルダヒコノカミ;サルタヒコノカミともいいます)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際し道案内をした怪異な容貌の神様で、のちにここ伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したといいます。古事記、日本書紀などでは「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。猿田彦神社では、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神として祀っています。

Img_9752c_20211225185601 Img_9758c  一昨年の近鉄ハイキングでの伊勢参りツアーでは、ここから国道23号線を歩いたのですが、旧伊勢街道は、その少し東のおはらい町の方なのです。今日は、そちらから内宮に向かいます。写真を撮った辺りは、まだ内宮まで少しあるところなのですが、ここから内宮に近づくにつれ、人が増え、周りに注意して歩かねばならないほどでした。

Img_9800c_20211225185601  内宮・宇治橋前の鳥居。ここに到着したのは、12時40分頃。ほぼ5㎞を歩いてきました。Img_9826c_20211225185601 早速、内宮の正宮に向かいます。コロナの影響からまだ抜けきっていないようで、一昨年の12月に来たときよりも空いていました(年末が近いためかも知れませんが)(2019年12月15日:20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その3)……猿田彦神社からいよいよ内宮へ、おはらい町で食べ歩いて萬金丹の店により、三重交通Gスポーツの杜伊勢から、月読宮を経て五十鈴川駅にゴール(完))。これで、めでたくミッション・コンプリート。

Img_9854c_20211225185601 Img_9849c_20211225185601  昼食を食べようということになり、考えたものの、おはらい町で食べ歩きをすることにし、まずは、高橋酒店で「神都麦酒」(¥320)をゲット。二軒茶屋餅角屋本店が販売。つまみにはまる天の磯揚げ天(海老マヨ棒)、¥380。いったん五十鈴川の畔に降りて、食べ、土産を買うため、再びおはらい町へ。

Img_9924c_20211225185601 9fdad7f84b18db5c5ad6b324ae9cd698_4d71315  今日は、今までかったことがないものをと思って、「利休饅頭」(藤屋窓月堂)。6個入りで¥650。明治の初め、伊勢の茶人達が千家の宗匠を招き大神宮献茶会を催した折、この店が宗匠好みの饅頭をつくってお茶の伴に用いたところ、その床しき風味に感じ「利休饅頭」と名付けられたといいます(右の画像は、藤屋窓月堂さんのWebサイトからお借りしました)。

Img_9896c_20211225185601  近鉄鳥羽線五十鈴川駅には、14時30分少し前に到着。名古屋まで直通の急行は1時間に1本。次は15時過ぎ。そこで、14時36分発の伊勢中川行き普通に乗車することにしました。伊勢中川駅には15時20分に到着、25分発の名古屋行き急行に乗り替え、桑名駅には16時22分に戻って来ました。運賃は¥1,300。

Img_9917c  本日の歩数は、21,000歩を越えました。現地で歩いたのが9.3㎞。自宅から桑名駅までの往復が2.3㎞で、合計は何と11.6㎞でした。よく歩きましたし、念願の伊勢神宮内宮にもお参りでき、これにて年内のハイキング、ウォーキングイベントは完了。今日、桑名での最高気温は13.8℃。伊勢も暖かく、ウォーキング日和でした(若干汗を掻くくらいでした)。本編は、また明後日くらいからボチボチと書いていきます。

2021年12月24日 (金)

大寒波の前に、つかの間のポカポカ陽気

Weatherforecast  週末には大寒波襲来だそうです。左の画像は、12月26日(日)の桑名の天気予報。みぞれとか、雪となっています。夕方、三重県からも警戒するようメールが届きました。日曜は、午前中に名古屋で相談会の予定。その前に、明日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の最終回、いよいよ伊勢神宮の内宮に到着の見込み。今夜から明日未明は雨のようですが、午前中は曇り、午後からは晴れ、最高気温は11℃台の予想ですから、出かけられると思っています。

Img_8684c  さて、今日はいつものように、散歩。7時半スタート。住吉神社(左の写真)、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、京町、南魚町、西魚町、三崎通、桑名七里之渡し公園と、後半、ちょっとコースを変えてみました。6.8㎞。南魚町から西魚町あたりでは、昨シーズン、メジロに与えるのに、ミカンが置いてあるお宅が何軒かあったので、今年の様子を見てきたという次第。今日は、13.6℃を越え、ポカポカ陽気。

Img_8688c_20211224172001 Img_8700c_20211224172001  今朝も住吉キンクロウズは、3羽がいました(写真は割愛)。住吉神社の前には、ハクセキレイ(左の写真)。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ていましたので、水鳥は少なく、集合場所にもアオサギはいません。住吉水門のすぐ外にヒドリガモのペア(右の写真)。他には、オオバン2羽もいました。

Img_8737c_20211224172001  七里の渡し跡がある川口水門のところにも漁船が来ており、今日は水鳥はいません。三の丸公園では、ジョウビタキのオス。いつもの年なら、ツグミが何羽かいるのですが、今日はゼロ。

Img_8768c_20211224172001 Img_8784c  三の丸水門のところで、イソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのメス。イソヒヨドリは、若い感じがします。ジョウビタキの写真は、ピントがかなり甘くなりました(苦笑)。この2羽、ときどきこのあたりで見ます。

Img_8830c  九華公園ではまず、コサギ。他にメジロ2~3羽、ヒヨドリたくさん、ハシボソガラスなどが、相撲場あたりにいます。

Img_8855c_20211224172001  奥平屋敷跡では、今日は珍しく、散歩友達はゼロ。シルバー人材センターの方と世間話。立教小学校の方にはシジュウカラが2羽いましたが、こちらには来ず。

Img_8939c_20211224171901 Img_8942c_20211224171901  いつものハクセキレイは、奥平屋敷跡とよそとを往ったり来たり。散歩友達も、鳥も少ない(苦笑)。

Img_9098c_20211224171901 Img_8884c  カモは70羽。ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ハシビロガモが12羽、他はキンクロハジロ。ホシハジロのオスは、このところずっと見ていません。他へ移ってしまったのでしょうか。ホシハジロ、好きなカモなのに残念。カイツブリも、ここ数日見なくなりました。19日の日曜までは、九華公園にいたのですが、20日火曜は、住吉入江で見ました(2021年12月21日 :久しぶりにツグミ……遅くから歩いたのにそれなりの鳥果あり(微笑))。

Img_9019c_20211224171901 Img_9036c_20211224171901  ユリカモメは、2羽。今シーズンになってから10数羽いたこともあると聞くのですが、私はまだそれだけの数は見ていません。右の写真のユリカモメは、片脚。釣り糸がからんでいるように見えます。

Img_9087c_20211224171901 Img_9109c_20211224171901  九華公園の外周遊歩道では、ヒヨドリと、カワラヒワ。カワラヒワは2羽いました。貝塚公園、内堀公園ではヒヨドリ、ムクドリ、メジロなど。

Img_9153c_20211224171901   新築公園で、久しぶりにジョウビタキのオス。かなり近づけました(微笑)。3m以内くらい。

Img_9083c_20211224171901  午後は、歯科受診。前回までの治療で下の歯のブリッジが終了したので、そのチェックとクリーニング。年内に終えられて、ヤレヤレ(苦笑)。

2021年12月23日 (木)

ダブルジョビ君と、目の前に来たツグミ……今日のバードウォッチングは吉日

Img_8623c_20211223192501  冬至も過ぎ、いよいよ令和3年も残り少なくなってきました。昨日の江戸橋での授業のQ&Aは、午後になって仕上げ、助手の先生に送って、印刷などをお願いしました。日曜日の相談会の準備も一通り終えられました。年賀状は、まだ買ってきてもいません(苦笑)。時間切れアウト!という可能性もあります。散髪には何とか行ってこないといけません。などなどいろいろありますが、何はなくとも散歩です。7時半からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園(御坊さんの報恩講で臨時駐車場になっていました)、寺町と6.2㎞。3時間コース。

Img_8463c_20211223192501  今日のベストショットは、2枚あります(日本語がヘンですが、ツッコミはなしでお願いします。自分では、甲乙つけがたいシーンと思っています)。どちらも内堀公園で撮影したもの。左の写真は、ご存じのツグミ。渡ってきたばかりでまだ警戒心があまりないのか、3mほどのところまで近寄れました。

Img_8588c_20211223192501  もう1枚は、こちら。これも内堀公園で撮ったものです。オスのジョウビタキ2羽が、互いにとても近いところにいたのです。名付けて、「ダブルジョビ君」。奥にいるジョウビタキの方は、何となく緊張して、低姿勢、また、ふっくらしたままで固まってしまっている感じ。手前のジョウビタキの方が、社会的地位が高いのかも知れません。縄張り意識が強い鳥だと思いますが、トラブっている様子はありませんでした。

Img_8016c_20211223192501 Img_8034c_20211223192501  さて、散歩のスタートから。住吉キンクロウズ、今朝出かけるときは3羽、帰ってきたときには6羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽。他には、ヒドリガモが7羽ほど。中洲にはアオサギはおらず。

Img_8138c_20211223192501 Img_8094c_20211223192501  七里の渡し跡にはオオバンが2羽(左の写真)と、キンクロハジロのメスが1羽。三の丸水門のところで、ジョウビタキのメスがやって来ました。

Img_8222c_20211223192501 Img_8273c_20211223192501  九華公園では、いつものように、奥平屋敷跡で散歩友達のYさん、前管理人のOさんと小1時間、鳥の出待ちをしたものの、シジュウカラが1羽と、モズが1羽。シジュウカラはここにときどき1羽だけがやって来て、他のシジュウカラを呼ぶように鳴いています。しかし、仲間は集まってきません。モズは、そろそろお開きと思ったときに出て来ました。1時間待っていたご褒美。

Img_8203c_20211223192501 Img_8305c_20211223192501  他に奥平屋敷跡に来たのは、いつものハクセキレイのペアと、ヒヨドリ、ムクドリ。ヒヨドリやムクドリは、センダンの実を食べるようになってきています。二の丸跡では、メジロ。数羽の群でした。

Img_8366c_20211223192501 Img_8293c_20211223192501  カモ、今日は66羽。ヒドリガモが復活。オス1羽にメス2羽ですので、ずっとここにいた個体と思われます。他は、ハシビロガモが12羽とキンクロハジロ。ホシハジロのオスは、最近ずっと不在。

Img_8327c_20211223192501 Img_8321c_20211223192501  朝一番に公園に来たとき、コサギがいたのですが、どこかに飛び去ってしまっていました。しかし、公園を回って、外周遊歩道に行ったら、東側の揖斐川からの導水口のところにいました。しばらく見ていたのですが、猫がやって来て逃げられました。ユリカモメは、今日は見ていません。

Img_8392c_20211223192501  貝塚公園ではモズのオスの他、ヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ。ここではまだツグミも、シロハラも見ていません。そうそう、西門のところでウグイスを目撃しました。植え込みを移動しながら、地鳴き。残念ながら、今日は写真は撮れていません。

Img_8144c Img_8148c_20211223194701  遊んだ写真。毎年、似たようなものを載せています(苦笑)。我が家のすぐ近くにあるマンション、藤原岳の目の前にあるように見えてしまいます。少し引いて撮ると右のような感じ。右手前は蟠龍櫓。向かって中央のやや左手には七里の渡し跡にある伊勢一の鳥居も写っています。

Img_8111c_20211223192501  明日は午後から、歯科受診。この秋から冬にかけて治した歯のかみ合わせその他のチェック。明後日・土曜日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参り」ツアーの最終回を予定。近鉄山田線宇治山田駅から伊勢神宮・内宮まで歩くつもり。予報では、伊勢市は未明から早朝にかけて弱い雨が降るものの、その後は曇りのち晴れとか。最高気温も13℃を越えるといいます(翌日の日曜からは、寒波襲来だとか)。何とか年内に完歩したいものです。

2021年12月22日 (水)

冬至の今日は、年内最後の江戸橋での仕事

Dscn4948c  12月22日、今日は冬至です。失念していたのですが、非常勤講師控え室で美学の先生から「冬至ですね」といわれて思い出しました(苦笑)。四日市港潮汐表では、日の出6時57分、日の入り16時46分。ただし、日の入りが最も早いのは、冬至よりも前の時期で、一方、日の出が最も遅くなるのは冬至よりも後の時期で、ちょうどお正月の頃にあたるそうです。確かに、初日の出を撮影すると、7時を少し過ぎた頃に陽が昇ってきます。

Dscn4943c  さて、年内最後の江戸橋での仕事でした。今日で、後期も11回目の授業。出席率は、前回とほぼ同じく、70%台後半。「健康増進のコミュニケーション」というテーマで、コミュニケーション、態度変容などの話。最後に一般セルフエフィカシー尺度を実施し、自己効力感を測定。ときどき、こういう質問紙を実施して、学生諸君の自己理解を促すようにしています。人間関係では、建設的な自己、他者の理解がベースになるからです。

Dscn4952c Dscn4957c  帰りは、いつも通り、道草。四日市港で、干潮が8時過ぎ、満潮は13時過ぎ。授業は12時までで後片付けなどをすると、志登茂川へ着くのは、12時15分頃。水鳥は、けっこういたものの、今日も遠い(苦笑)。比較的近いところにいたのは、コガモ。写真は2羽だけですが、遠くにもたくさんいます。

Dscn4960c Dscn4963c  左の写真は、上流の合流場所近くの干潟。写真を拡大してみると、ダイサギ、コサギの他にコガモ、オナガガモなどがいるのが分かります。右の写真は、左の写真の中央からやや右寄りをクローズアップしたもの。

Dscn4965c Dscn4972c  こちらは下流側。オナガガモがたくさんいました。今日はあまり集まってはおらず、あちこちに点在。

Dscn4979c  対岸には、オナガガモとユリカモメの姿も見えます。と思っていたら、いきなりカモや、ユリカモメが飛び立ったのです。

Dscn4983c  「何だ?!」と思ったら、ミサゴが登場。さすが猛禽類。学生&院生時代、動物行動学も学んだのですが、水鳥たちは、猛禽類のシルエットが見えると、本能的に逃げるという話がありました。ちなみに、このミサゴさん狩りには失敗。この写真は、そのあと志登茂川の上流方向に飛び去るときに撮ったもの。望遠コンデジ(Nikon coolpixs7000)では決定的瞬間は撮れません。さらにこのあと、トビもやって来たのですが、トビはピンぼけでした。

Dscn4987c  他には、セグロカモメらしき鳥も見えました。セグロカモメはたいてい1羽はいます。帰宅後は、出欠チェック、今日実施した一般セルフエフィカシー尺度の集計を済ませ、Q&Aに着手。明日中には仕上げて送ろうと思っています。

 

2021年12月21日 (火)

久しぶりにツグミ……遅くから歩いたのにそれなりの鳥果あり(微笑)

Img_8009c_20211221172601  昨日たくさん歩きすぎましたので、というわけではありませんが、今日の散歩は、4.4㎞。朝一番で、定例の内科受診&特定健診に行ったのです。9時半過ぎに帰宅し、10時から散歩。そのため、住吉神社、九華公園、久しぶりの歴史を語る公園、京町、寺町と歩いただけでした。11時45分帰宅。いつもなら、そろそろ帰宅かという時間から歩き始めましたので、鳥も、散歩友達もいないかと思ったものの、そうでもありませんでした。

Img_7683c_20211221172701 Img_7700c_20211221172701  今日は、こちらから。ずいぶん久しぶりにツグミ2羽を確認しました。三の丸公園の西側にあるセンダンの木にいました。12月4日に拙宅前の住吉入江沿いの桜の木にいるのを見て以来(2021年12月 4日:モズ、ジョウビタキのオス・メス、メジロ……キンクロさんは獲物をくわえて追いかけっこ)。声は聞いていたものの、姿はなかなか見られなかったのです。

Img_7570c_20211221172801 さて、散歩の初めから。住吉キンクロウズは、5羽。5羽くらいが固定メンバーのようです。ここには4羽しか写っていませんが、たいていオス2羽とメス3羽がいます。

Img_7578c_20211221172801  桑名七里之渡し公園の南を通過しようとしたら、ウグイスの地鳴きが聞こえて来ました。植え込みの中にいるのですが、見えにくく、割とよく動きます。ここだ! とテキトーに当たりをつけてシャッターを切ったら、写っていました(微笑)。中央あたりに上を向いたウグイスの顔が見えます。

Img_7588c_20211221172801 Img_7618c_20211221172801  住吉神社の前から中洲を見たら、いつもの集合場所付近には、アオサギが5羽。住吉水門の下流、右岸の堤防のところにヒドリガモが上がって、休憩中。

Img_7647c_20211221172701 Img_7634c_20211221172701  七里の渡し跡。今日ここにいたのは、コガモのオス1羽。私の姿を見て、慌てて逃げていく途中。別にとって食おう等とは思っていないのに……。

Img_7705c_20211221184301 Img_7778c_20211221172701  三の丸公園でツグミを見ていたら、近くにジョウビタキのオス。一瞬、どっちを撮ろうと迷いました。が、何とか両方ゲット。続いて、柿安コミュニティパークでは、ジョウビタキのメス。いやぁ、遅く出て来た割には、ここまで順調な鳥果。

Img_7784c_20211221172701 Img_7804c_20211221172701  九華公園には10時25分に到着。いつもなら、帰宅している時間。まずはメジロの証拠写真。北門を入ってすぐのあたりにて。さらに、ここでもジョウビタキのオスが登場。

Img_7822c_20211221172601 Img_7842c_20211221172601  奥平屋敷跡にはヒヨドリが数羽いたのみ。ハクセキレイもおらず。二の丸跡に行こうとしたら、神戸櫓跡の松の木にコサギ。コサギを撮っていたら、何やら小さい鳥が、コサギのいるところの下に。モズのオスでした。65倍ズームで撮って、大トリしてあります。

Img_7901c  カモは、今日もハシビロガモとキンクロハジロのみ。合計66羽。ハシビロガモは12羽、6ペア。たぶんこれで確定。数は、まあまあいるのですが、このところ、ホシハジロのオスも、ヒドリガモたちもいなくなってしまい、ちょっと寂しい。

Img_7879c Img_7883c_20211221172601  珍しくユリカモメの姿。合計4羽。朝日丸跡からズームして撮ったもの。近くまで回って撮ろうと思ったら、公園上空を一回りして、揖斐川方面に飛んで行ってしまいました。ユリカモメも少ない! 

Img_7894c_20211221172601  本丸跡でハクセキレイ。ここまで散歩友達には会わなかったのですが、Aさんに久しぶりに会い、しばし世間話。神社の役員をしておられ、年末年始に向け、落ち葉の整理をしておられました。

Img_7915c_20211221172601  さらに今日はまだ久しぶりがあります。歴史を語る公園。内堀公園の北にあるのですが、最近は来ていませんでした。冬になると、オオバンやキンクロハジロがいることがあります。今日は、キンクロさんが1羽。以前は、カワセミも見たことがあります。写真の右手に堀があります。堀の東側には、旧桑名城の石垣がそのまま残っています。

Img_7919c Img_7924c_20211221172601  御坊さん(桑名別院本統寺)にも立ち寄って来ました。昨日から23日まで報恩講報恩講は、浄土真宗の開祖親鸞上人の忌日に、報恩謝徳のために行われる法会。高田派では、お七夜。津市にある高田本山専修寺で営まれます。などと書いたのは、来年1月のお七夜に行きたいと思っているのです。昨年は、コロナで自粛しました。お七夜のときには、御非時がいただけたのですが、今年も来年もコロナで中止。それが残念。雲幽園・安楽庵を拝見できるので、それには是非と思っているのです。話が飛びました(苦笑)。

Img_7942c_20211221172601 Img_7972c  住吉入江に戻って来たら、カイツブリ。今日、九華公園にいなかったのですが、これ、いつも九華公園にいたカイツブリに似ている気がします。気がするだけで、客観的な証拠はありません。

Img_7602c_20211221172801  ところで、明日は、江戸橋の仕事。今年最後で、11回目。来年残すところ4回になります。明日も天気は良さそうで、さほど寒くもない予報でありがたい。後期は比較的天気に恵まれている気がします。 

2021年12月20日 (月)

モズ・デー……余談は、新型コロナワクチン接種証明書アプリ

Img_7532c_20211220180201 Img_7535c_20211220180101  藤原岳はまだ雪化粧していますが、日中は12℃を越え、風も強くはなく、暖かい日でした。午前中はまずは、いつも通りに散歩。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寿町で銀行に立ち寄り、1号線を歩いて参宮通から帰宅。銀行では、別の銀行の自分の口座に振り込んだつもりが、ちょっとしたミスをやらかし、再度銀行に歩いて行って、修正依頼(苦笑)。朝早くに目が覚め、ボンヤリしていたためと思いますが、ヒョッとしたらアヤシいかも知れません(苦笑)。そのため、結局、9.4㎞もウロウロ。伊勢参りツアー並にたくさん歩けてよかったと思うことにします。

Img_7119c_20211220180101 Img_7166c_20211220180101  拙宅前の入江には、今日も住吉キンクロウズが5羽。桑名七里之渡し公園には、写真のようにヒヨドリがいたほか、キジバト、カワラヒワ、メジロとちょっと賑やか。揖斐川には、あちこちにカンムリカイツブリ(右の写真)。合計5羽。他には、キンクロハジロ5羽や、ヒドリガモ3羽も。七里の渡し跡にも、キンクロハジロが3羽。

Img_7196c_20211220180101 Img_7229c  柿安コミュニティパークまで来たら、まずは、ジョウビタキのメスが登場。前にも書いたと思いますが、ジョウビタキが登場するとき、何となく挨拶に来たという感じがします。コミュニティパークのサクラの木では、モズのメスがバトルを展開中。右の写真はそのうちの1羽。以前より、三の丸公園からコミュニティパークあたりにはメスのモズがいましたので、もう1羽がそのテリトリーに侵入してきたものと思います。写真のモズが、残りましたので、これが元々ここにいたモズかという気がします。

Img_7266c_20211220180101 Img_7257c_20211220180101  九華公園の奥平屋敷跡、今日は(も、ですね)、なかなか小型の野鳥は現れず。ヒヨドリが少しとドバト多数。途中でハシボソガラスが数羽来たくらい。待っていたらモズのオスが2~3回やって来ました。地上に降りて何か啄んでは樹上へ。さらにいったん立教小学校の方へ去って、また戻って来るということの繰り返し。虫のようなものを咥えていたと思うのですが、確認はできません。他に来たのは、いつものハクセキレイのペア。

Img_7296c_20211220180101 Img_7341c_20211220180101  カモは、今日もハシビロガモ12羽とキンクロハジロのみ。合計58羽。ホシハジロのオス、ヒドリガモはこの間から来なくなっています。珍しくユリカモメが2羽。ユリカモメは、ときどき2~4羽くらいが偵察に来ているような印象です。去年以来のコロナのせいか、餌をやる人が激減していますので、カモが増えないのも、ユリカモメが来ないのも、その影響かも知れません。

Img_7366c_20211220180101 Img_7379c_20211220180101  鎮国守国神社の境内には、カワラヒワ。珍しく、小さな群で。北門の方に回ってサザンカのところにメジロが1羽。

Img_7406c_20211220180101 危うく見逃しそうになりましたが、ゴイサギ。鎮国守国神社の宮司さん宅の裏。先日もいたあたり。身繕い中でした。

Img_7416c_20211220180101 Img_7456c_20211220180101  九華公園の外周遊歩道でモズを見つけ、追いかけました。公園の東側にある空き地へ。モズを一所懸命撮っていたら、別の鳥も通過し、電線へ。気になったのでそちらを確認したら、イソヒヨドリのオスでした。鳥はあまりいないかと思ったのですが、モズを延べ4羽(この写真のモズは、奥平屋敷跡にいたのと同じモズかも知れません)、ジョウビタキのメス、ユリカモメとみられましたので、まあまあ。ただし、このあと、貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ、内堀公園には何もいませんでした。

Img_7553c_20211220180101 Img_7563c_20211220180101  ところで、お分かりの方も多いかも知れませんが、私には「新しいもの好き」なところがあります(微苦笑)。今日から、新型コロナワクチン接種証明書アプリが利用できるようになったということで、早速試してみました。マイナンバーカードの読み取りに1度失敗したものの、数分で完了。正しい情報が登録されていました。マイナンバーカードとスマホが必要。証明書を取得はしましたが、どこかで会食するとか、イベントに参加するとか、そういう機会はありません(笑)。子どもみたいに「オレ、持ってるぞぉ!」といいふらしたいだけです。

2021年12月19日 (日)

氷点下の冷え込みで、みんなふっくら

Img_7095c_20211219152301  今シーズン初めて、氷点下の冷え込みになりました。ー0.6℃。日中は晴れ間もありましたが、午後からは雲が広がって、いかにも寒そうな空です。最高気温は、9.8℃。今朝は10時から用事がありましたので、時間制限で散歩。いつも通り、7時半から住吉神社、九華公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.2㎞、2時間ほど。藤原岳は、真っ白。藤原岳のあるいなべ市では、昨日、18㎝の積雪があったそうです。

Img_6687c_20211219152401 Img_6710c_20211219152401  拙宅マンション前の住吉入江には、住吉キンクロウズが5羽。散歩から帰ってくる頃には、さらに2~3羽増えていることがあります。桑名七里之渡し公園の電線には、カワラヒワ。何となくふっくらしている気がします。揖斐川には、キンクロハジロが10羽ほどと、ヒドリガモが1ペア。今日は、漁船が出ていましたので、カンムリカイツブリも、アオサギもいません。

Img_6793c_20211219152401 Img_6832c_20211219152401  三の丸公園では、モズを見つけて追いかけたものの、写真は撮れずに見失いました。柿安コミュニティパークでハクセキレイとジョウビタキのメス。ハクセキレイがふっくらしているのは、あまり見ませんが、ちょっと丸い気がします。ジョウビタキは、まさにジョビボール。

Img_6882c_20211219152401  九華公園は割と静か。ヒヨドリがいつもより少ない気がしますし、今日は、ドバトとムクドリを見ませんでした。奥平屋敷跡では、30分弱待っていたのですが、ヒヨドリ数羽と、カワラヒワの鳴き声がしたくらい。ヒヨドリは、ときどきセンダンの実を啄んでいきます。

Img_6874c_20211219152401 Img_6912c_20211219152401  他には、いつものハクセキレイのペアが奥平屋敷跡にやって来ました。こちらも、ふっくらしています。今日は、鳥たちも結構寒さを感じているようです。

Img_6917c_20211219152401  二の丸跡へ行こうとしたら、モズのオスが登場。そっと、ゆっくり追いかけたつもりですが、少しずつ逃げられ、こんな枝かぶりの証拠写真しか撮れませんでした。このあと、鎮国守国神社の境内でツグミを見かけたのですが、木の中に逃げ込まれ、写真は撮れません。今年は、本当にツグミが少ない。散歩コースでは「珍鳥」です(苦笑)。いつもならとっくにやって来ているシロハラやシメ、ビンズイは、今年は「幻の鳥」。

Img_6863c Img_6844c_20211219152401  カモは、62羽。ホシハジロとヒドリガモがいなくなっています。ハシビロガモが12羽と他は、すべてキンクロハジロ。ホシハジロは、泳ぎ回りながら餌を食べています。今日は、左の写真のように、「四重連」シーンも見られました(微笑)。

Img_7063c_20211219152301 Img_7031c_20211219152301  カイツブリは、一昨日は見なかったのですが、今日は二の丸堀にいました。吉之丸堀に浮かんだ落ち葉が溜まったところにハクセキレイのペア。体重は、24グラムくらいだそうですから、こんなところでも大丈夫なのでしょう。

Img_7068c  このあとは、内堀公園でジョウビタキのオス。これもまた、ジョビボール。モズもいたのですが、逃げられました。今日は、時間制限がありましたので、しばらく待っている訳にもいかず、残念。こういうときに限って、あちこちでいろいろと出て来ます(苦笑)。しかし、氷点下に冷えたこともあってか、鳥たちは皆真ん丸でした。

Img_6774c_20211219154401 Img_6769c_20211219154501  冒頭の冠雪した藤原岳の写真を載せましたが、散歩コースのあちこちで雪をかぶった山が見えます。左の写真は、霊仙山。滋賀県米原市にありますが、住吉神社から三の丸水門あたりから見えます。住吉神社と多度山の間に、です。ずっと以前はよく調べもせず、伊吹山かと思っていたのですが、伊吹山はこのあたりでは多度山の陰になって見えません。左の写真は、右の写真で中央やや左にある住吉神社のところをズームしたもの。

Img_7042c_20211219152301 Img_7037c_20211219152301  こちらは、鈴鹿の山。九華公園の外周遊歩道の東から撮ったもの。望遠レンズによる「圧縮効果」で九華公園や、桑名の市街地のすぐ向こうにあるように見えます。右の写真の中央をズームアップすると、左の写真になります。

Img_6713c_20211219152401  ところで、12月もというか、今年も残り少なくなってきました。今週は、水曜が江戸橋での年内最終の仕事。他には、内科の定例受診、歯科治療のフォローにも行かねばなりませんし、週末は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の最終回も予定しています。次の日曜は、相談会も! 私にしては、用事が多い(微苦笑)。散髪にも行って、年賀状も書かないと、スッキリして新年を迎えられませんねぇ。

2021年12月18日 (土)

初雪にて、結局、終日蟄居

Img_6610c_20211218103601 Img_6605c_20211218103601  9時45分に三重県北部に大雪警報が出ました。が、我が家あたりは、一応雪は積もったものの、大雪ではありません。ときおり強く降るくらい。大雪警報のメインは、いなべ市や菰野町あたりと思います。冒頭の写真は、9時20分頃に撮影したもの。奥に見える多度山は真っ白になっています。本来であれば、左端に藤原岳が見えるのですが、厚い雪雲の向こうになってまったく見えません。藤原岳のあるいなべ市方面は、かなり雪が積もっていると思います。

Img_6512c_20211218103601 Img_6451c_20211218103601  こちらは、6時50分を過ぎた頃、ベランダから見た南西の景色。白くなっているだけです。7時過ぎには、一時的にかなり降りましたが、右の写真くらい。一応、今シーズンの初雪。

12180700snowc 121810amedas  朝から空模様と、雨雲レーダーを眺めているのですが、ズーッと左の画像のような感じ。桑名で雪が降るときは、ほぼ決まって伊吹山の方から雪雲が流れ込んでくるのです。たぶん午前中は、こんな風なのでしょう。散歩は、今日は難しいかも知れません。午前中は、蟄居して、市民大学郷土史学科の復習&まとめをボチボチしていますが、今のところ、最高気温も3℃に行かないくらいで、ファンヒーターを使っていても、底冷えする感じです。皆様も、ご自愛のほどお祈り申し上げます。

 結局、最高気温は5.1℃で、冷たい北風が吹いて、午後からも在宅し、終日蟄居と相成りました(苦笑)。市民大学のまとめの続きをして、一通りできあがりました。A4で169ページ(笑)。「桑名藩の事件簿」というテーマ。夜は、マンションの管理組合総会があり、出席してきます。来期、役員を務めることになる予定。

2021年12月17日 (金)

遅い時間の散歩なのに、カワセミに遭遇してラッキー

Img_6061c  アメダスのデータでは、6時台まで雨量の記録がありますが、実際には8時過ぎまで降っていました。駅前で所用があったのと、雨雲レーダーを見ているとまだしばらく降りそうでしたので、いつもの時間から散歩に出るチャンスを失いました。雨雲は、このあたりにかかりそうになる前に消滅するのを繰り返していました。結局、10時に出て、まずは駅前で用事を済ませ、10時半頃から散歩。八間通を通って九華公園へ。九華公園を一回りして、柿安コミュニティパークから七里の渡し跡、住吉神社前を通って12時前に帰宅。5.3㎞。冒頭の写真は、国道1号線八間交差点で見あげた空。この頃にはときどき青空も出てきていました。

Img_6064c Img_6068c_20211217182701  たまには、いつもは載せない景色を(微笑)。左の写真は、八間通。東を向いています。右の写真は、寺町交差点のすぐ西。バス停が並んでいます。手前の2つは、コミュニティバスのもの。奥が三重交通の市内循環バスのもの。

Img_6082c_20211217182701  九華公園には、10時40分過ぎに到着。写真は、北門。柿安本社や、柿安コミュニティパークがあります。空模様はスッキリしません。

Img_6228c_20211217182601  今日は、ラッキーでした。時間が遅かったので、何もいないと思ったら、カワセミに遭遇。公園を一回りして帰ろうと思いつつ、もう一度、鎮国守国神社の社務所裏を見ていこうと思ったら、カワセミの鳴き声が聞こえたのです。

Img_6097c_20211217182701 Img_6083c_20211217182701  話を戻して、北門を入ってすぐに、昨日と同じところにゴイサギ1羽。風が吹いて、頭がモシャっています。その下の堀には、カルガモのアーちゃん。毎日はいませんが、かなりの頻度で見られます。

Img_6107c_20211217182601 Img_6130c_20211217182601  時間が時間ですから、小型の野鳥でいたのは、ヒヨドリとカワラヒワ。カモは、61羽。ホシハジロのオスはいませんでしたが、ヒドリガモはオス1羽にメス3羽。ハシビロガモはオス、メスとも5羽ずつの10羽。他はキンクロさん。

Img_6166c_20211217182601  ハシビロガモたちは、元気に泳ぎ回りながら、餌を採っています。

Img_6263c_20211217182601 Img_6307c_20211217182601  柿安コミュニティパークではハクセキレイが合計3羽。七里の渡し跡では、カモが15羽。キンクロハジロのメスが3羽、ヒドリガモは2ペア、小ガモが8羽。

Img_6384c_20211217182601  揖斐川沿いに出て、中洲を見たら、あの集合場所にはアオサギが5羽。風が強かったので、皆前傾姿勢になって、風を避けています。

Img_6356c_20211217182601  このとき、空はこんな風。冬の典型的パターン。この頃、風は北西から吹いていましたが、気温はまだ比較的高く、寒くはありませんでした。

Img_6399c_20211217182601  住吉入江には、キンクロハジロが合計11羽。オスが4羽にメスが7羽。オオバンも1羽。

Img_6416c_20211217182601  午後からは、相談会の準備。仮の報告書を送ろうと思って、その最終チェック。ほぼできあがりましたが、もう一度見直してからお送りしようと思っています。日付が変わる頃から、雪とか、みぞれとか。リソースによって違いますが、「三重県北中部は、最大20㎝の積雪もある」という予報もあります。いずれにしても、気温は、今日から10℃近くも下がる見込み。散歩に行けるでしょうか?

20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その2)……茶屋町の道標、筋向橋、旧御師丸岡宗大夫邸、小西萬金丹から伊勢神宮・外宮にお参りして「完」

Akeno3  12月11日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」の本編その2です。その1では、いよいよ宮川を越えて、神領域へと入り ました。4㎞を過ぎています。JR参宮線の南を歩いていて,ときどき電車が通過したり、踏切の警報器が鳴ったりするのが聞こえてきます。県道60号線の高架をくぐり、茶屋の道標。県道37号線を越え、播田屋に寄って土産を買い、筋違橋、ふと見た瀬古道の案内に見つけた旧御師丸岡宗大夫邸を見て、小西萬金丹の店へ。ここまで来れば、南側に外宮の森が間近に見えています。北御門から入り、せんぐう館で休憩がてら娘の到着待ち。娘と合流して外宮に参拝。外宮参道で伊勢うどんを食べて、伊勢市駅へゴールします。

 県道60号線の高架をくぐった先Img_3758c_20211212181601 Img_3769c_20211217064601 に、「茶屋町の道標」があります。伊勢街道は、宮川を越えて中川原(宮川町)に入り、茶屋町(常盤町)、堤世古(浦口町)を経て、筋向橋(すじかいばし)に至ります。この道は、正保4(1647)年の開通。茶屋からは大間(おんま)の社(大間国生社(おおまくなりしゃ))への道が分岐していました。分岐点は現在地より一本北側で、この道標も元はそこに建っていたといいます。南面には「すぐ 外宮江 十三丁半/内宮江 壱里三十三丁半」、西面には「左 二見浦 二里十五丁」、北面には「右 宮川渉場 六丁三十九間」とあります。そして、東面には「文政五年壬午孟春 恩師橋村右近太夫/大阪 吹田屋喜兵衛/みさき河喜/美崎香河喜」とあります。文政5年は、1822年。外宮まで13丁半ですので、1.5㎞弱。

Img_3779c_20211217064601 Img_3791c_20211217064601  このあと、県道60号線を越えて南へ。筋向橋に向かいます。県道に出たところには「伊勢神宮(外宮) 1.4㎞」という案内があります。

Img_3809c_20211217064601Img_9269c_20211217065701  筋向橋の手前で、寄り道。播田屋さんです。本店は河崎にあります。ここは浦の口店。江戸末期(万延元(1860)年)に参宮客をもてなす茶店として創業しています。現在では、絲印煎餅をはじめ菓子を製造販売。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を用いて薄く焼き上げた煎餅。その絲印煎餅を買ってきました。

Img_9273c_20211217065701 Img_3806c_20211217064601  表面には絲印の印影が焼きつけられています。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のことで、小さな(ちゅう)のついた印です。輸入生糸の一荷には、必ず銅印一個をつけ、わが国に到着した後その斤量をあらため、受領証書にこの印を押して、取引の証とする優雅な風習があったといいます。絲印は、合計16種類あるそうです。明治38(1905)年に明治天皇が日露戦争戦勝報告で伊勢神宮に参拝した際、献上品として考案されたのが始まり。サクッとした食感に優しい甘さがじわりと広がります。お茶請け、ちょっとしたおやつには最適(微笑)。5袋入り¥250を買っただけなのに、オマケもいただいてしまいました.右の写真の「十二支 福々開運せんべい」。割れて、売り物にならないからと。

Img_3814c_20211212182001 Img_3832c_20211217064701  筋向(すじかい)橋です。今は、清川(宮川の支流)は暗渠になっていて(昭和45(1970)年から)、地上には欄干しか残っていません。欄干は、嘉永2(1849)年のもの。元はもう少し北に建っていたといいます。江戸から伊勢までの距離は、日本橋からここ筋向橋までの距離を測ったといいます。筋向橋という名前は、もと道筋と橋の板が筋交い(すじかい)になっていたことから付けられました。古くは反り橋でしたが、大正4(1915)年から平橋になり、昭和3(1928)年にはコンクリート橋になりました。さらにここは、伊勢街道伊勢本街道熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていました。往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールである神宮を目ざしたのだとか。われわれ二人も、気合いを入れます。

Img_3848c_20211212182201  外宮に向かって歩いていると、「烏帽子世古」という小さな石柱を見つけました。このあたりにはあちこちにこうした「世古」の表示があります。「世古」は小さな路地のこと。よく見たら、右面に「御師丸岡宗大夫邸へ通じる。世古に神殿(こうどの)という社があり、神楽衆が烏帽子をつけて出入りしていた。」とあります。御師丸岡宗大夫邸は、実は、一度見たかったところ。Img_3852c_20211211220901 つい先日、旧知の歴史案内人Kさんが、「この間伊勢に行って、御師丸岡宗大夫邸を見てきた。外宮の近くだ」とおっしゃっていましたし……。瀬古を北へ入って行くと、ありました。

Img_3856c_20211217064701 Img_3859c_20211217064701  御師丸岡宗大夫は、江戸時代、山田(伊勢市外宮前)のまちづくりと運営を担当し、全国的なお伊勢参りを先導しました。当時、宇治山田に御師の屋敷は、800軒あったそうですが、現在はこの1軒を残すのみとなっています。明治4(1871)年に御師制度が廃止されて以降、多くの資料が市外に流出したといいますが、ここには、貴重な建物をはじめ、文書、器物が残っています。

Img_3874c_20211217064701  伊勢まちかど博物館になっていて、一般公開もあるようです。写真にあるような築地塀(ついじべい)も残っています。中も見られると良かったのですが、それはいきなり行っても不可能です。

Img_3880c  もとの道に戻り、外宮方面へ。小西萬金丹の店の西に「岡安歯科医院」と看板がある古いお宅があります。大変失礼ながら、ここで今も診療をしていらっしゃるのかと思ってしまいましたが、こちらを見ると週に3日ほど、診療しておられるようです。

Img_3907c_20211217064801  歯科のとなりが小西萬金丹のお店。萬金丹(まんきんたん)は伊勢国で伝統的に製造販売されている漢方薬で、主に「野間の萬金丹」「護摩堂明王院に起源する萬金丹」「秋田教方中倉萬金丹」「小西萬金丹」の4つがありました。このうち、21世紀の現在も製造・販売を継続しているのは、ここ小西萬金丹(製造は県外に委託)と、野間の萬金丹の2軒です。野間の萬金丹はおはらい町に屋台がありますが、お店を新築中です(こちらに伊勢くすり本舗のインスタがあります)。

Img_3887c_20211212182401Img_3895c_20211217075201  この萬金丹は600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬。万病に効く、お伊勢さんの霊薬とされます。荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹は大人気でした。武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもあったようです。江戸時代には旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっていたといいます。配合されている生薬は、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。こちらに伊勢市立図書館がつくった資料があります。 余談、「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡があるそうです。

Img_3921c_20211217064801  NTTの前を歩いて、外宮方面に向かっていたら、「自動交換開始記念碑」という石碑がありました。昭和29(1954)年3月14日、三重県で初めて自動による電話交換サービスがこの地で開始されたのだそうです。何と、われわれが生まれる前のことです。ちなみに、桑名には、市博物館の向かい側に「三重県電話発祥の地」という石碑が建っています。明治33(1900)年4月1日に名古屋電話交換局桑名支局が設けられたのが、その場所です(こちら)。利用客は88名だったとか。

Img_3935c_20211217064801 Img_3931c_20211217064801  伊勢神宮・外宮の駐車場の脇に「昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱」があります。昭和天皇の御大典が昭和3(1928)年に行われ、その年の11月に両陛下が伊勢神宮に参拝なさいました。それにあわせて、内宮・宇治橋付近から宇治浦田町交差点付近までの間(通称・おはらい町通り)約600mに通信ケーブル架渉用にコンクリート電柱23本が建設されました。その後、おはらい町の再開発にともない、電話線の地中化が行われ、平成4(1992)年10月にすべて取り除かれ、この1本だけが保存されているのです。

Img_3939c_20211217064801  いよいよこの日のメイン、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)へ。この日の歩き始めからは、6.5㎞。予想よりも早く、12時15分に到着。この日は、寺社仏閣にほとんど立ち寄っていません。寺社に立ち寄るとあちこち見て回りますので、時間がかかるのです。北御門口からは入らず、表参道へ。左の写真は、表参道の火除け橋。外宮で特別参加の娘と待ち合わせの約束ですが、娘が来るのはたぶん12時50分くらい。13時頃になると思うと伝えたので、この時間。

Img_3979c_20211212182801  それまで、せんぐう館の休憩所で一休みすることに。勾玉池の目の前。勾玉池には、マガモやオオバンが来ていました。ここちらに内宮・外宮のマップがあります。

Img_3983c_20211217064801 Img_3996c_20211211220901  結局、娘は12時55分頃にやって来ました。同級生K氏と娘は初対面。3人揃って、お参りへ。まずは、正宮へ(右の写真)。外宮の方は、正宮が近いのでありがたい(微笑)。

Img_4017c  このあと、境内にある土宮、風宮、多賀宮、下御井神社などの別宮にもお参り。左の写真は、土宮(つちのみや)。御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)。水防に功績のある、土地の神様。

Img_4087c_20211212183201 Img_9026c_20191128072101_20211217082501  私は、この日外宮さんで1つのミッションがありました。それは、来年の暦を授与していただくこと。神楽殿(右の写真。ただし、撮影は、2019年11月)で、¥200を納めて、授与していただきました。このあと、娘が神馬を見たいというので、御厩へ回ったものの、神馬は2頭とも不在。一昨年来たときの写真は、こちら

Img_4023c_20211217064901  4月に七里の渡し跡をスタートし、桑名や四日市を歩いているときには、いつになったが伊勢にたどり着くのか、と思ったものですが、取り敢えずこの日、無事に外宮にお参りでき、いささか感無量(大げさな)。

Img_4034c  13時半も過ぎ、お腹もしっかり空いていますので、外宮参道の店で伊勢うどんを食べようということにしました。外宮前の交差点から外宮参道に行こうとしたら、三重交通の連節バス「神都ライナー」を見かけました。慌てたので、こんな写真。令和2(2020)年12月19日よりプレ運行が始まり、現在は伊勢市駅~伊勢神宮外宮~内宮を結ぶ外宮内宮線にて 「特急」 として運行されています。全長は18m、113名乗り。

Dsc_6290c Img_4045c_20211217083201  どこで伊勢うどんを食べようか、迷ったものの、すぐ目の前にある「いそべや食堂」さんへ。伊勢うどんは、好き嫌いがかなりあるだろうと思います。黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い麺に絡めて食べるものが主流です。太い麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられていますが、この食感がうどんとは思えないという人もありますが、好きな方にはこれが堪らないということになります。それぞれの店が独特のだしを用い、具やトッピングが少なく、薬味のネギだけというものが多くなっています。この日は、卵入り¥570をチョイス。昼食を食べたのは13時50分。しばし話をして、伊勢市駅へ。

Img_4047c_20211217065001  外宮参道にはいろいろな店、建物などがあり、楽しめるのですが、この日はあとの予定もあって、食べ終わってそのまま伊勢市駅に向かいました。左は、山田館という旅館。現在も営業しています。木造三層楼の古い建物。外宮参道のシンボル的な役割も果たしているようです。創業は、大正時代、およそ100年前といわれています。宮大工の方がご自分で建築した旅館で、戦火を逃れ、このような創業当時のたたずまいを残しています。

Img_4050c_20211217065001  伊勢市駅には、14時40分頃到着。15時2分発の名古屋行き急行に乗車。桑名までは1時間20分。16時22分に桑名駅に到着。次回は、いよいよ内宮にお参りで、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」をコンプリートの予定。来週末に予定しています。

Img_4076c_20211212183201  この日の歩数は、19,454歩。現地で歩いたのは9.1㎞。今日は、帰りは息子が迎えに来てくれたので、朝、駅まで1㎞を歩いたのみ。合計10.1㎞。

2021年12月16日 (木)

イソヒヨドリのメスが目の前に!

Img_6038c_20211216155901  午前中は晴れ間も多かったのですが、午後からは雲が広がってきました。夜には雨だそうです。家事を済ませ、8時20分から11時にかけて、いつものコースを散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、アピタ、常磐町、老松公園、寺町と6.3㎞。アピタは100均ショップと本屋を覗いたものの、めぼしい本はなし。

Img_5692c Img_5718c_20211216160001  拙宅前の住吉入江には、今朝も住吉キンクロウズ。あちこちに点在していたものの、オス2羽、メス4羽。住吉神社から揖斐長良川の中洲を見ると、アオサギさんが1羽のみ。

Img_5743c_20211216160001  揖斐川には、キンクロハジロ数羽とカンムリカイツブリが2羽ほど見えました。三の丸公園でオスのモズを見付、追いかけたものの、ピンぼけ写真(苦笑)。最近、近視&乱視用のメガネの度が合わなくなってきた感じで、メガネをかけたまま液晶ファインダーを覗いても、ピントがあっているのかどうかよく分からないのです。

Img_5870c_20211216155901 Img_5772c_20211216160001  九華公園に着いて、北門を入ってすぐの堀のところで、ずいぶん久しぶりにゴイサギが1羽いました。ビワの木などの奥にいるのかも知れませんが、こんな目立つところにいるのは珍しいこと。奥平屋敷跡では、散歩&鳥見友達のYさん。「何もおらんねぇ」とひと言。確かに(苦笑)。ヒヨドリも、ドバトも少なく、いつもいるハシボソガラスは不在。見たのは、カワラヒワ1羽。メジロは鳴き声は聞こえていたものの、飛んで行くところが見えただけ。

Img_5837c_20211216155901  アオサギさんは、辰巳櫓跡の松の木。最近は、ここによくいます。本丸跡ではハクセキレイ、鎮国守国神社の境内はヒヨドリの天下。今日も、ツグミやシロハラ、シメ、ビンズイなど冬の鳥の姿はまったくありません。このあと、九華公園の外周遊歩道の南を歩いていたら、イソヒヨドリのオスらしき鳥が東の方へ。戻っても見つけられそうになかったので、遠いところにいるのを一応写真に撮ったのですが、近くにいたヒヨドリと見間違え、肝心のイソヒヨドリは画面の端っこにかろうじて写っていただけ(苦笑)。いやはや。

Img_5796c_20211216161801 Img_5916c_20211216155901  カモ、今日は合計72羽もいたのですが、ホシハジロのオスと、ヒドリガモは1羽もおらず。キンクロさんが60羽と、ハシビロガモが12羽(オス、メスとも6羽ずつ)。ユリカモメはさっぱり。

Img_5922c_20211216155901  ハシビロガモのメス、首のあたりが痒いのか、盛んに掻いていました。

Img_5957c_20211216155901  貝塚公園も静かで、ヒヨドリ、メジロ、カワラヒワのみ。ここも毎年、ツグミやシロハラが来るのですが、今年はまだまったく見ていません。

Img_6010c  老松公園から御坊さんの北を通って寺町に向かっていたら、目の前にイソヒヨドリのメスが飛び出てきました。4mほど先に来たのです。こんなに近いのは、めったにありません。

Img_6042c Img_6038c_20211216155901  ところで、我が家のお隣の諸戸氏庭園については、ときどき書いていますが、修復工事が進んでいます。昨日、玄関先から見下ろしたとき、何だか景色がちょっと違うなという気がしたのですが、よく分かりませんでした。今朝、マジマジと見たら、修復のため、移動されていた大門(だいもん)がたぶんほぼ元の位置に戻ってきていました。工事のために覆われている主屋の左下のところです。リンク先に修復工事に入る以前の写真が載っています。

Img_5684c_20211216160001 Img_5680c_20211216160001  こちらの写真は、大門のすぐ南から撮ったもの。明治27(1894)年頃、御殿とともに作られたものと考えられているそうです。薬医門形式で、4本の柱の上に切妻屋根が組まれています。門の中心が前方に片寄っているのが特徴。

Dsc05403 Dsct7  自分で撮った写真を探したら、ありました。平成19(2007)年5月5日(土)の撮影。このブログにマイフォトがあります。そこの「諸戸氏庭園(その1)」に載せておいたものです(ここ)。ちなみに、この頃は、SONYのDSC-T7というコンデジを使っていました。当時の世界最薄9.8mmで、有効画素数は、今からは信じられませんが、510万画素、光学3倍ズームでした。いや、懐かしい。右の写真は、SONYさんのサイトからお借りしました。

Img_5758c_20211216160001  昨日の江戸橋での授業のQ&Aは、今日の午後、一通り完了。印刷してありますので、後ほど確認して、今日中に助手の先生にメールで送って、印刷をお願いしようと思っています。相談会の準備もかなり進みました。こちらは、面談に先立って仮の報告書をお送りしようと思っています。明日くらいに発送できないかという段階。

 

2021年12月15日 (水)

今日の志登茂川は野鳥いろいろ……ちなみに、あくまでも寄り道です

Dscn4893c  好天で風もさほど強くはなく、散歩日和ですが、江戸橋での仕事の日(微苦笑)。今日で、後期10回目の授業。これで2/3を、たぶん無事に終えられました。年内は、残すところあと1回。年明けは、1月5日からと早い始まりで、試験を含め4回あります。今日は、試験問題の印刷もお願いしてきましたし、あの「会計年度任用職員任用申込書」も提出してきました。前回、最少出席者数を記録しましたが、今日は、回復。約80%の出席率。

Dscn4895c Dscn4899c  帰りは、津駅まで行って本屋に立ち寄ろうかとも思ったのですが、やはり志登茂川に足が向きました(微笑)。干潮から潮が満ちてくる途中。上流方向、近いところにはダイサギがいたものの、ピンぼけ写真でした。明るいところで、液晶パネルの写真は見にくくて、ピントがあったのかどうかよく分かりません。持っているのはいつも、Nikon coolpix S7000なのです。さらに遠いところにも白いサギやカモがいたのですが、何だか判別できず。

Dscn4907c Dscn4918c  下流側で目立ったのは、こちら。久しぶりに見ました。拙宅前の住吉入江にも過去に来たことがありますが、ハジロカイツブリ。近いところに来ましたので、コンデジでもまあまあの写真になりました。対岸近くには、ダイサギと、マガモのオスが見えました。マガモは、木曽川や、両ヶ池などには来ますが、九華公園では、もう10数年以上前に見ただけ。

Dscn4920c Dscn4910c  もう少し下流側に歩いたら、堤防の下にはオナガガモが上がってきて休んでいました。ここは、一昨年もオナガガモが結構たくさんいました(去年は、遠隔授業でまったく見に来ていません)(左の写真は、何度やり直しても、向きが回転してしまいます。ただし、クリックして拡大すると正しい向きで表示されるようです。後ほど修正を試みます)。オナガガモがいた対岸には、セグロカモメらしき姿が1羽。

Dscn4926c Dscn4932c  オナガガモは、泳いでいるものも数羽。オスは、すらっとしていて、なかなかカッコいいカモだと思います。

Dscn4914c Dscn4938c  左はホシハジロのメス。3羽ほどいました。九華公園、今年はオスのホシハジロしか来ていませんので、懐かしい。さらに、ヒドリガモのオスが1羽。今日の志登茂川、結構たくさんの種類がいて、しっかりと楽しめました。本屋に行かなくてよかった(笑)。

Dscn4939c  帰宅後は、出欠チェックを済ませたものの、Q&Aはまだこれから。年賀状もつくらなくっちゃと思うだけで、まだ必要枚数も確認していません(苦笑)。喪中の連絡をいただいた方の確認だけ済んでいます。我ながら、大丈夫かなと思い始めました(が、心の片隅に、間に合わなければ、今回はもう良いかという気持ちもあるような……。いっそのこと、前期高齢者になったとき「全廃宣言」でもすればよかったかも)。本の整理整頓もまだ途中などなど、課題は多々ありますが、まぁ済んでいなくても、新しい年は来ますから、と思う今日はすでに12月15日です(爆)。写真は、伊勢街道と伊勢別街道との分岐にある江戸橋常夜燈と高田本山への道標。ここを通ると必ず写真を撮ってきます。

20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その1)……明野駅をスタートし、宮川を渡り、神領域へ

Img_3996c_20211211220901  今年4月にスタートした「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も、12月11日で第16回を迎え、「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」となりました。この回で、伊勢神宮の外宮にお参りできました。当日、予告編を書いて、緊張がやや低下したのと、相談会の準備に専念していて、本編の記事が遅れましたが、ボツボツと書いて行くことにします。

Akeno0  こちらが、第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」のコース全体のマップ。明野駅を10時にスタートし、前回立ち寄ったへんばやの前を通って庚申堂・常夜燈、紀州藩高札場跡、板田の橋跡・鳥羽藩本陣跡・高札場跡、参宮人見付の石碑を見て、宮川の桜の渡し跡へ。宮川橋に回って、宮川を越え、いよいよ伊勢の神域へ入って行きます。宮川を越えると、伊勢に来たと実感します。伊勢の市街地に入って、茶屋の道標、筋向橋から、旧御師丸岡宗大夫邸の案内を見つけたので、予定外で立ちより。小西萬金丹の店を見て、伊勢神宮の外宮へ。ここまでで6.5㎞ほど、12時15分。正宮の他、土宮、風宮、多賀宮、御下井神社と回って、神楽殿で来年の暦をゲット。外宮参道にあるいそべや食堂で伊勢うどんの昼食。伊勢市駅に14時40分にゴール。神宮の中を結構歩きましたので、9.1㎞。

Img_3475c  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時23分着。ここで賢島行き普通電車に乗り換えて(9時28分発)、明野駅には9時56分に到着。¥1,160。明野駅をスタートしたのは、10時。好天で、しかも暖かくて歩きやすい日でした。

Akeno1  詳しいルートマップのその1。明野駅の南にある明野交差点からが伊勢街道。前回、「へんば餅を買おう」ということで、へんばやにはすでに立ち寄って来ています。さらに南下して、相合橋をわたって、新出交差点の先で庚申堂と常夜燈を見ます。

Img_3493c_20211212175201 Img_3488c_20211212175201  へんばやさん。へんば餅は大好物なのですが、さすがについこの間買ってきて食べましたので、この日はパス。へんばやさんの前、道を挟んだところにシイの大木があります。「椎の辻」と呼ばれたそうで、ここの椎の木に触れると祟りがあったといいます。今はそんなことはないとは思うものの、写真を撮っただけ(微笑)。

Img_3509c_20211215065601 Img_3516c_20211215065601  へんばやさんの南に、相合川にかかる相合橋があります。江戸時代には、土橋がかかっていたそうです。広々とした景色が広がっています。左手の方を見ると、伊勢の朝熊山も見えてきました。朝熊山は、我が家のベランダからも、天気が良いと良く見えます。遠くまで来たものです。

Img_3531c_20211212175701 Img_3535c_20211215070001  新出交差点を過ぎると左手に新出の庚申堂と常夜燈。スタートからほぼ1㎞。庚申堂は、安永年間(1772~1781年)の建立で、ここは新出村の南口。悪いものが入ってこないようにということであろうと思います。庚申堂の前に大木。同級生K氏が「○○の木だな。こんなに大きいのは見たことがない」といっていたのですが、何の木か、失念(苦笑)。ここからしばらくはひたすら歩くのですが、暖かくて、汗ばんできましたので、ここでジャケットを脱いだくらい。

Akeno2  早くも、実際に歩いたルートマップは、その2へ。外城田川まで1㎞弱の間は見るところはImg_3545c_20211215071101 ありません。小俣小学校の前に旧小俣町の道路元標、その先は、紀州藩と鳥羽藩の領地が入り組んでいたということで(江戸時代の小俣村は、紀州藩領と鳥羽藩領に分かれていました)、両藩の高札場跡がありますし、浄土寺、鳥羽藩本陣跡、板田の橋跡、参宮人見付石碑から、いよいよ宮川の桜の渡し跡へ。宮川橋を渡ったところに、その桜の渡し跡の説明板があります。右の写真は、小俣町あたりの伊勢街道の様子。

Img_3570c_20211215071101 Img_3553c_20211215071101  外城田川。玉城町の方から流れてくる川ですが、普段は水量が乏しく、雨が降ると一気に水が増えたことから、「貧乏川」と呼ばれたそうです。なかなかおもしろいネーミング。橋は、惣之橋。小俣宿の江戸口にあったことから、江戸橋といわれたといいます。「江戸橋」という名前の橋は、あちこちにあるものです。ここで、ダイサギやアオサギがいるのが見えました。

Img_3587c_20211215071501 Img_3591c_20211215071501  小俣小学校の前に「小俣町道路元標」があるということだったのですが、事前にGoogleのストリートビューで予習したときには、見つけられませんでした。本当にあるのか不安でしたが、ありました(苦笑)。思っていたより小さかったので、ストリートビューでは見逃していたようです。

Img_3582c_20211215071501  余談ですが、小俣小学校に二宮金次郎の像がありました。ずっと以前にも興味を持って、あちこち見て回ろうかと思ったことがありますが、この金次郎像は、やや小ぶりの印象。いろいろなバリエーションがあるようです。

Img_3595c_20211212175901  小学校の先、スタートから2.2㎞あたりで伊勢街道は左折し、東に向かいます。そこは札の辻となっていて、 紀州藩高札場跡の石柱が立っています。以前来たときには、「どんぐり」という喫茶店があったのですが、更地になっていて、「売り地」の看板がありました(2019年11月27日:20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ)。事前によく調べて行かなかったのですが、この先に離宮院跡がありました(JR宮川駅の南)。延暦16(797)年、斎王が神宮へ赴く際の宿泊施設として、離宮が造営され、一時は斎宮となったそうです。承和6(839)年、焼失し多気に戻っています。土塁が残っていて、官舎神社があるそうです。ちょっと惜しいことをしたかも知れません。

Img_3609c_20211215073101 Img_3619c_20211215073101  このすぐ先で、伊勢街道は右折しますが、その北に浄土宗の照国山浄土寺があります。以前、近鉄ハイキングのときはパスしてしまいましたので、この日は立ち寄って来ました。由緒などは、不明ですが、ここには、県文化財の「紙本著色熊野観心十界曼荼羅」があります。中世から近世にかけて、「熊野比丘尼(くまのびくに)」が、熊野信仰を広めるための絵解きに用いた曼荼羅(まんだら)である。現在は軸装になっているそうでが、折り畳んだ痕跡があり、熊野比丘尼が携帯して持ち運ばれていたことがうかがえるといいます。縦143cm、横133.7cmで、裏面に文化12(1815)年に修理したことが墨書されているそうです。

Img_3626c_20211215073101  こちらが本堂。山門などは新しくなっていましたが、本堂は歴史を感じさせる建物でした。伊勢街道は、浄土寺の前から南へ、さらに離宮前のバス停で左折していきます。

Img_3647c Img_3658c_20211212180801  板田の橋跡の石碑。「板田の橋跡」碑の右面には、「名木 板田の薄紅葉跡」とありますが、今は、橋も紅葉もありません(リンク先に、昭和11(1936)年の絵はがきの画像がありました。紅葉の大木が写っています)。本当は、この手前に鳥羽藩本陣跡があったのですが、場所を勘違いして見逃していました。近鉄ハイキングのときにも、同様のボケをかましており、いやはや(苦笑)。このすぐ先に鳥羽藩高札場跡の石碑。

Img_3665c_20211212181101  スタートからは3㎞になります。宮古橋の西のたもとに参宮人見付石碑が建っています。江戸時代、伊勢神宮のおかげがいただけるありがたい年として「おかげ参り」が約60年毎に起こり、たくさんの人々が伊勢神宮へと押しかけました。そのため治安が乱れ、警備のため見張り所を造り、不審者をチェックしたのが「参宮人見附」です。これを観て不思議なもののように思ったのですが、ここに建っているものは、昭和54(1979)年7月に付近の側溝の底から発見されたといいます。もとは、柱石角柱、火袋屋根木製の常夜燈だったと考えられますが、ほぼ半分に割られています。宮川の渡から遠くないところです。

Img_3676c_20211215075701  余談。宮古橋を渡ったところに自動車学校があります。三重県南部自動車学校ですが、キャッチフレーズが「ほめちぎる教習所」で、笑えます。私が運転免許を取った、今から40年前など、教習所の指導員の先生は、怖い人ばかりだったような気がしますが、それは今は昔のことのようです。

Img_3684c_20211212181201Img_3708c_20211215080201  自動車学校のすぐ南が、宮川。延長91kmは、三重県のみを流れる川としてはもっとも長く、また、国土交通省の一級河川水質調査で、過去11回(2006年からは6年連続)1位となっており、清流で知られています。神宮式年遷宮のお白石持行事に使用する石は、この宮川の河原から採集されます。

Img_3688c_20211212181201  ここに桜の渡し跡があるのですが、残念ながら、工事中で近くまではいけませんでした。宮川は、伊勢に入るときは必ず渡らなければなりません。川を渡るのは、すべて渡し船を利用しました。宮川の渡しは、上の渡し(川端町)、下の渡し(小俣町)、磯の渡し(磯町)と3個所あり、とくに小俣と伊勢とを結ぶ、ここ下の渡し(別名・桜の渡し)がもっとも多く利用されました。春には桜花が美しく咲き、堤に沿っては茶屋が並び、御師の出迎えの看板が林立したといいます。また、めでたく参宮を終えて帰る伊勢講の人々を送る道中歌も響きました。

Img_3730c_20211215080601 Img_3737c  宮川橋に回って宮川を越えます。橋を渡った先にも「桜の渡し説明板」があります。桜の渡しは、明治30(1897)年、参宮鉄道が開通するまで生き続けてきた渡し場です。参宮鉄道は、現在のJR東海の紀勢本線・参宮線の津~山田(現伊勢市)間を結びました。明治40(1907)年には、国有化されています。

2021年12月14日 (火)

今日はいろいろの種類の鳥が見られました

Img_5671c_20211214194001  風も弱く、よく晴れて暖かい日でした。最低気温は1.4℃だったのに、最高気温は12.1℃でした。こうも寒暖差があると、体調を崩しそうな気がします。いつも通り、判で押したかのように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.6㎞。

Img_4988c_20211214194101 Img_5002c_20211214194101  散歩に出てすぐ、住吉入江には住吉キンクロウズが5羽。オスが1羽、メスが4羽。住吉水門の内側には、オオバンが1羽。

Img_5087c_20211214194101 Img_5024c_20211214194101  今日は風がほとんどなく、揖斐川の川面は穏やか。住吉神社のところから眺めたら、セグロカモメが1羽浮いていました。他には、キンクロハジロや、オオバンも見えました。

Img_5132c_20211214194101 Img_5129c_20211214194101  七里の渡し跡には、コガモが7羽。オスが4羽、メスが3羽。

Img_5155c_20211214194101Img_5166c_20211214194101  揖斐川には、カンムリカイツブリも5羽ほど。三の丸水門近くにいたカンムリカイツブリは、魚をゲット。その時、近くにいた別のカンムリカイツブリが乱入。カワウやユリカモメと同じく、他の仲間が餌をゲットすると、横取りしようとする輩が登場するのです。

Img_5204c_20211214194101 Img_5208c_20211214194101  8時前に九華公園に到着。相撲場近くの樹上にカワラヒワ。アオサギは、神戸櫓跡の西の木に。ここにいるのは、たぶん初めて見ました。

Img_5349c_20211214194001 Img_5246c_20211214194101  奥平屋敷跡では、まずは、カワセミが小魚をゲットして、目の前のソメイヨシノの木にやって来たのですが、私を見つけてすぐにどこかに飛び去ってしまいました。写真は撮れず。モズのオスは、ハクセキレイを追いかけ回していました。ヒヨドリは、センダンの実を啄み始めました。今シーズンは、今日初めて確認。

Img_5332c Img_5319c_20211214194001  いつものハクセキレイのペアも奥平屋敷跡にやって来ました。オスの方が、モズに追いかけられていました。このあたりをテリトリーにしているようで、毎日登場します。南側の九華公園の外周遊歩道もよくいます。

Img_5367c_20211214194001  奥平屋敷跡では他にシジュウカラ。1羽のみ。仲間を呼ぶような感じで盛んに鳴いていました。しかし、仲間は現れず。メジロ、カワラヒワもいましたが、これという写真は撮れません。ここに着いたとき、カワセミが小魚をくわえて、目の前のソメイヨシノの木にやって来たのですが、私に驚いて、逃げました。

Img_5413c_20211214194001 Img_5433c_20211214194001  二の丸堀に、今日もカイツブリ。カモたちが良くやっている「バッサバサー」も見せてくれました。

Img_5484c_20211214194001  ときどき、カイツブリをカモの子どもと思う方がいらっしゃいますが、別の種類です。キンクロハジロの近くに行ったところを撮影できました。大きさはかなり違います。

Img_5519c_20211214194001 Img_5543c_20211214194001  カモは、合計69羽。今日はまたホシハジロのオスがいませんでした。ヒドリガモはオス1羽、メス2羽、ハシビロガモはオス・メスとも5羽ずつ。残りはキンクロハジロ。今日は、ユリカモメは見ていません。

Img_5496c_20211214194001  吉之丸堀にかかる橋にある四阿。屋根の上にはハクセキレイが1羽。このあと、北門から再び九華公園に入ったら、コサギが北門近くの堀で漁の最中でした(写真はピンぼけ)。

Img_5631c 公園の外周遊歩道の南、柿の木があるお宅でメジロ。今年は、ここの「柿の木レストラン」にはあまり鳥はやって来ません。

Img_5646c_20211214194001  貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ、シジュウカラがいましたが、写真に上手くおさめられず。内堀公園ではヒヨドリ。新築公園ではジョウビタキのオスはおらず。老松公園でも同様、ヒヨドリがいたくらい。

Img_5663c_20211214194001  寺町から住吉入江のほとりに戻ってきました。入り江を見ると、キンクロハジロが5羽。今年は、住吉キンクロウズが定着するのでしょうか。以上のように、今日は比較的多くの種類の鳥を見られました。

2021年12月13日 (月)

強風で寒い……鳥は少なし

Img_4953c_20211213180801 Img_4949c  寒くなったのに、いかにも冬という写真から始めるのもどうかとは思いましたが、雪景色から。夕方、16時20分頃撮ったもの。左の写真は、木曽御嶽山。かなり低いところまで雪が積もっています。右は、名古屋駅前の高層ビル群に向かって左手に白くなった山並みが見えます。日本アルプスだと思いますが、何という山々か、不勉強にして分かりません。ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ともご教示ください。

Img_4494c_20211213180901  さて、最低気温は8.2℃でしたが、散歩していた頃は5m/s前後の風が吹いていました。日が陰ることもあって、体感温度はかなり低め。7時半から、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、八間通、住吉入江と6.2㎞。今日は、三八市でしたので、寺町は通らず。左の写真は、六華苑の大イチョウ。葉はすっかり落ちていました。

Img_4506c_20211213180901 Img_4520c_20211213180901  こういう強風の日は、これまでの経験でもあまり鳥はいませんが、拙宅前の住吉入江や、住吉水門の内側には、川が波立っているのを避けてか、キンクロハジロが7羽、ヒドリガモが3ペア、オオバンが1羽来ていました。揖斐川は強風で波がかなりあり、水鳥の姿はまったく見えません。

Img_4585c_20211213180901 Img_4574c_20211213180901  七里の渡し跡にも、カモが合計23羽も。ヒドリガモが4ペア、キンクロハジロが1羽、コガモが14羽でした。ここにこれだけの数がいたのは、今シーズン初。

Img_4626c_20211213180901  九華公園に着いたら、北門を入ってすぐの堀にコサギ。九華公園では久しぶりのサギ。ただし、今日もアオサギやダイサギは見られませんでした。

Img_4720c_20211213180801 Img_4752c_20211213180801  奥平屋敷跡では、まず、シジュウカラ1羽と、カワラヒワ5~6羽。どちらも高いところにいて、なかなかよいポジションには降りて来ません。

Img_4773c_20211213180801  奥平屋敷跡には、ハシボソガラスがたいてい3~4羽来ます。たまにはということで、ハシボソガラスの写真。他には、いつものハクセキレイのペア。

Img_4648c_20211213180901 Img_4661c_20211213180901  堀には、ユリカモメが9羽。私が見た範囲では、今シーズン最多。そういえば、去年も12月の間は、多くても17~18羽くらいしか来ず、年が明けてからは30羽、50羽という日もあったくらいでした。過去には、150羽、200羽という記録もありますので、「激減した」というイメージになっているのかも知れません。

Img_4678c_20211213180801 Img_4674c_20211213182501  カモは合計60羽ほど。ホシハジロのオス1羽が戻って来ていました。他は、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは10羽といつも通り。残りはキンクロハジロ。今日は、カイツブリは確認できませんでした。

Img_4862c_20211213180801 Img_4909c_20211213180801  このあと、貝塚公園、内堀公園ではほとんど鳥はおらず。新築公園で、ジョウビタキのオス。ふっくらしています。老松公園でも何もいません。住吉入江まで戻って来たら、シジュウカラが1羽。

Img_4643c_20211213180901  明日の天気予報を見たら、最低気温が1.5℃の予想になっています。最高気温は11℃くらいまでは上がりそうですが、朝はかなり寒そうです。寒くなるのはどうもねぇと思いますが、これで野鳥が増えてくれたら、喜ばしいのですが……。今さら紅葉の写真はと思いましたが、九華公園にて。陽の当たり具合がよくて、まあまあかと思ったのです(微笑)。

2021年12月12日 (日)

カワセミの証拠写真(微苦笑)

Img_4441c_20211212165501  午前中は晴れ間もあったのですが、雲の多い日。それでも気温は、15.5℃まで上がりました。昨日は、「歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野~外宮~伊勢市」に行き、現地では9.1㎞を歩いてきました。夜は、親しい友人と「特定ごく少数」で忘年会。今朝は、いつも通りに散歩に出ました。ただし、8時スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.9㎞。

Img_4109c_20211212165501 Img_4131c_20211212165501  我が家の前の住吉入江には、キンクロハジロのメスが3羽。帰宅したときには、メス4羽、オス1羽に増えていました。住吉水門の内側には、オオバンが1羽。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ており、水鳥の姿はありません。

Img_4150c_20211212165501 Img_4175c  七里の渡し跡には、コガモが10羽。オス、メスとも5羽ずつ。三の丸水門の近くでは、スズメの群れ。このあたりや、柿安コミュニティパークではスズメの群を見るのですが、九華公園にはあまり来ていません。九華すずめ食堂も、休業中です。

Img_4219c_20211212165501 Img_4242c_20211212165501  九華公園、今日は静か。奥平屋敷跡の周りでカワセミを何度か見たものの、証拠写真しか撮れず、残念。その奥平屋敷跡では、ヒヨドリも、カラスも少なく、静かで、ちょっと寂しい(苦笑)。いつものハクセキレイのペアが来たくらい。

Img_4266c_20211212165501 Img_4368c_20211212165501  カモは、50羽。ホシハジロのオスがいなくなっています。昨日もいなかったそうです。ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ハシビロガモのオスが5羽、メスが5羽。他はキンクロハジロ。

Img_4290c_20211212165501 Img_4346c_20211212165501  珍しく、ユリカモメが4羽飛来。今年は、本当に「珍しく」になっています。カイツブリは、今日もいました。鎮国守国神社の境内でも、ヒヨドリが少しいたくらいで、九華公園の野鳥、今日は以上(苦笑)。

Img_4400c_20211212165501  貝塚公園でもヒヨドリがいたのみ。内堀公園で休んでいたら、近くの電線にモズのメス。新築公園ではスズメとカワラヒワのみで、いつもいるジョウビタキは見当たりませんでした。老松公園でもヒヨドリが2~3羽のみ。今日は、鳥さんたち、いません。

Img_4308c_20211212165501 Img_4302c_20211212165501  今週は、水曜日の江戸橋での仕事のみ。来年度の「会計年度任用職員」の任用申込書を提出し、後期の試験問題の印刷をお願いしてこないといけません。週末は、マンションの管理組合の総会。来年度は、理事が回って来ます。10年ごとに、です。鎮国守国神社のドウダンツツジ、ほぼ真っ赤になりましたが、一部は葉が枯れてきたりしていました。ピークは昨日だったようです。

 昨日の「歩いて伊勢参りツアー」の「超予告編」は、加筆修正して「予告編」にバージョンアップしました。

2021年12月11日 (土)

20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」……(予告編)

Akeno0  今日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第16回に行ってきました。コースは、近鉄山田線明野駅から伊勢神宮の外宮にお参りして、近鉄伊勢市駅まで。9.1㎞を歩いてきました。明野駅から、前回立ち寄ったへんばやの前を通って庚申堂・常夜燈、紀州藩高札場跡、板田の橋跡・鳥羽藩本陣跡・高札場跡、参宮人見付の石碑を見て、宮川の桜の渡し跡へ。宮川橋に回って、宮川を越え、いよいよ伊勢の神域へ入って行きます。宮川を越えないと、伊勢に来たと実感しません。伊勢の市街地に入って、茶屋の道標、筋向橋から、旧御師丸岡宗大夫邸の案内を見つけたので、予定外で立ちより。小西萬金丹の店を見て、伊勢神宮の外宮へ。ここまでで6.5㎞ほど。娘とせんぐう館で待ち合わせ。娘と合流し、同級生K氏と3人で伊勢外宮参り。正宮の他、土宮、風宮、多賀宮、御下井社と回って、神楽殿で来年の暦をゲット。外宮参道にあるいそべや食堂で伊勢うどんの昼食。伊勢市駅にゴール。

Img_3475c  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時23分着。ここで賢島行き普通電車に乗り換えて(9時28分発)、明野駅には9時56分に到着。¥1,160。明野駅をスタートしたのは、10時。

Img_3493c_20211212175201 Img_3488c_20211212175201  へんばやさんには、前回立ち寄って土産を買っていますので、今日はパス。へんばやの前の辻は、その昔「椎の辻」と呼ばれ、椎の大木があったそうです。その椎に触れると祟りがあったといいます。

Img_3531c_20211212175701  新出の庚申堂と常夜燈。庚申堂は、安永年間(1772~1781年)の建立で、ここは新出村の南口。悪いものが入ってこないようにということであろうと思います。ここからしばらくはひたすら歩きます。

Img_3595c_20211212175901  小俣小学校を過ぎて、2.2㎞あたりに紀州藩高札場跡があります。以前来たときには、「どんぐり」という喫茶店があったのですが、更地になっていました(2019年11月27日:20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ)。

Img_3629c_20211212180401  その先で、浄土宗照國山浄土寺に立ち寄り。近鉄ハイキングの伊勢参りの時はパスしています。由緒などは不明ですが、県文化財の「紙本着色熊野観心十界曼荼羅」という中世から近世にかけて熊野比丘尼が絵解きに用いた曼荼羅があるそうです。

Img_3647c Img_3658c_20211212180801  板田の橋跡(左の写真)。碑の右面には、「名木 板田の薄紅葉跡」とありますが、今は、橋も紅葉もありません。昭和の初めまでは、板田の薄紅葉がありました(こちら)。右の写真は、鳥羽藩の高札場跡の案内。このあたりは、紀州藩と鳥羽藩の領地が入り組んでいたそうです。鳥羽藩本陣跡も前は通ったものの、場所を勘違いしていて、写真はありません。

Img_3665c_20211212181101  汁谷川を宮古橋で渡ります。橋の西のたもとに「参宮人見附」と刻まれた石柱が建っています。江戸時代、「おかげ参り」が約60年毎に起こり、たくさんの人々が伊勢神宮へと押しかけました。そのため治安が乱れ、警備のため見張り所を造り、不審者をチェックしたのが「参宮人見附」です。これは、昭和54(1979)年7月に付近の側溝の底から発見されたもので、もとは、柱石角柱、火袋屋根木製の常夜燈だったと考えられますが、ほぼ半分に割られています。

Img_3684c_20211212181201 Img_3688c_20211212181201  この先で宮川に行き当たります。堤防に上がったところから、桜の渡し跡が見えるのですが、残念ながら工事中で、近くまではいけません。以前来たときの記事をご参照ください(2019年11月29日 :20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その3)……宮川・桜の渡し跡から伊勢の町へ、茶屋町の道標、街道の分岐点である筋向橋、小西萬金丹を見て、いよいよ外宮参拝を果たし、ゴールの宇治山田駅へ(完))。宮川は、伊勢に入るときは必ず渡らなければなりません。川を渡るのは、すべて渡し船を利用します。宮川の渡しは、上の渡し(川端町)、下の渡し(小俣町)、磯の渡し(磯町)と3個所あり、とくに小俣と伊勢とを結ぶ、ここ下の渡し(別名・桜の渡し)がもっとも多く利用されました。春には桜が美しく咲き、堤に沿っては茶屋が並び、御師の出迎えの看板が林立したといいます。

Img_3762c  県道60号線の高架をくぐったところに、「茶屋町の道標」があります。伊勢街道は、宮川を越えて中川原(宮川町)に入り、茶屋町(常盤町)、堤世古(浦口町)を経て、筋向橋(すじむかいばし)に至ります。この道標は、もとは、現在地より一本北側の道路に建っていたといいます。南面には「すぐ 外宮江 十三丁半/内宮江 壱里三十三丁半」、西面には「左 二見浦 二里十五丁」、北面には「右 宮川渉場 六丁三十九間」とあります。文政5(1822)年の建立。外宮まで13丁半ですので、1.5㎞弱。

Img_3814c_20211212182001  県道37号線を越え、百五銀行の向かいに筋向(すじかい)橋。今は、清川(宮川の支流)は暗渠になっていて(昭和45(1970)年から)、地上には欄干しか残っていません。欄干は、嘉永2(1849)年のもの。元はもう少し北に建っていたといいます。筋向橋という名前は、もと道筋と橋の板が筋交い(すじかい)になっていたことから付けられました。古くは反り橋でしたが、大正4(1915)年から平橋になり、昭和3(1928)年にはコンクリート橋になりました。さらにここは、伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていました。往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールである神宮を目ざしたのだとか。いよいよ「神領域」が近づいた気分です。

Img_3848c_20211212182201 Img_3852c_20211211220901  予定はしていなかったのですが、歩いていたら「烏帽子瀬古」という昔の瀬古道の案内があり、そこに「御師丸岡宗大夫邸への通り道」とあって、せっかくだからと立ち寄って来ました。一度見てみたかったところで、寄り道して良かったと思います。

Img_3887c_20211212182401  小西萬金丹萬金丹(まんきんたん)は伊勢国で伝統的に製造販売されている漢方薬で、4軒がありました。このうち、現在も製造・販売を継続しているのは、ここ小西萬金丹(製造は県外に委託)と、野間の萬金丹(伊勢くすり本舗)の2軒です。野間の萬金丹は、おはらい町に店があります。余談ですが、萬金丹というと、私には、「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡が浮かんできます(苦笑)。

Img_3996c_20211211220901 Img_3979c_20211212182801  12時15分には伊勢神宮外宮の北御門口に到着。今日は、寺社仏閣など見て回るような所がほとんどなく、かなりスムーズに歩いて来られたのです。今日はここで娘と待ち合わせ。このツアー、同級生K氏と一緒なのですが、今日は外宮のせんぐう館で休憩がてら、娘の到着待ち。我々が外宮に着くのは13時頃と思っていたのですが、寄り道しなかったので、予定よりかなり早く着いたのです。娘がやって来たのは、13時前。それから、正宮の他、別宮(土宮、風宮、多賀宮、下御井神社)にもお参りしてきました。外宮のマップは、こちら

Dsc_6290cImg_4050c_20211211220901  伊勢に来たからにはということで、昼食は伊勢うどん。いそべや食堂さんで、卵入り伊勢うどん、¥570也。昼食を食べたのは13時50分。しばし話をして、伊勢市駅へ。14時40分頃到着。15時2分発の名古屋行き急行に乗車。桑名までは1時間20分。16時22分に桑名駅に到着。次回は、いよいよ内宮にお参り。年内に行けるか?

Img_4076c_20211212183201  今日の歩数は、19,454歩。現地で歩いたのは9.1㎞。今日は、帰りは息子が迎えに来てくれたので、朝、駅まで1㎞を歩いたのみ。

Img_4087c_20211212183201 Img_4089c_20211212183201  伊勢神宮では、来年のを授与していただきました(¥200)。今日の土産は、播田屋さんの「絲印(いといん)煎餅」。玉子煎餅です。明治38(1905)年に明治天皇が日露戦争戦勝報告で伊勢神宮に参拝した際、献上品として考案されたのが始まり。サクッとした食感に優しい甘さがじわりと広がります。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のことで、小さな鈕(ちゅう)のついた印です。

2021年12月10日 (金)

インコの鳥小屋が気になるモズのオス

Img_3461c_20211210163801  雲が多めでしたが、今日も16℃を越えました。午前中はいつも通りに7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、老松公園、寺町と5.8㎞。九華公園でウロウロしましたから、もう少し歩いているような気はしますが、そこまで細かいことは測定不能(スマホのアプリは、過大評価しているように思えてなりませんので距離計測には使っていません)。

Img_2989c_20211210163901 Img_3025c_20211210163901  散歩に出てすぐ、住吉入江には、今朝も住吉キンクロウズ2羽。何れもメス。住吉水門の内側には、ヒドリガモのペア(左の写真)。揖斐長良川の中洲には、アオサギが1羽。揖斐川にはキンクロハジロ数羽、カンムリカイツブリ5羽ほど。

Img_3041c_20211210163901 Img_3058c  七里の渡し跡には、コガモのオスが2羽。休憩というか、保温姿勢。寝てはいません。ときどき目を相手周りを確認しています。お隣の三の丸公園には、ジョウビタキのオス。すぐに逃げられ、このショットしかありません。

Img_3066c_20211210163901 Img_3084c_20211210163901  三の丸水門では、昨日と同じく、イソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのメス。昨日は、どちらも比較的ゆっくり撮らせてくれましたが、今日は急いでいたようです。

Img_3129c_20211210163901  九華公園、今日も鳥は少なく、サギはまったく見ず。ヒヨドリは鎮国守国神社の境内には多かったものの、公園の方は少なめ。ドバトもあまりいません。スズメ、ムクドリもいるのですが、数はかなり少ない。ツグミは1羽、声だけ。シロハラ、ヤマガラ、シメはいません。そういえば、カワウも少なめでした。ヌートリアは、その後まったく見かけません。カイツブリは、神戸櫓跡西の堀にいました。

Img_3133c_20211210163901  奥平屋敷跡も静かでしたが、今日はオスのモズがいて、楽しませてくれました。あまり高い木には行かず、地上2mほどのソメイヨシノの木と地面を往復したり。

Img_3222c_20211210163801 Img_3249c_20211210163801  さらに、インコのいる鳥小屋の南の手すりに何度も来ていました。見ていると、どうもインコが気になるようです。先日も、三の丸公園で、モズがハクセキレイを追い回しているところを見たことがありますが、インコを捕らえたいのか? という気がします。

Img_3263c  しかしながら、金網があってインコの方には行けないということは何となく理解しているようで、突っ込むといった暴挙には出ません。インコの方もそれが分かっているのか、そのうち、モズがいるところの近くに集まって来たりしていました。

Img_3289c_20211210163801Img_3366c_20211210163801  カモは、今日は合計65羽。メンツはまったく同じ。ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモのオス1羽にメス2羽、ハシビロガモは微妙に数が違いますが、今日は10羽。私が行く時間、ハシビロガモは、結構あちこち移動しながら採餌していますので、カウントミスがあると思います。他は、キンクロハジロ。

Img_3391c_20211210163801 Img_3416c_20211210163801  九華公園の外周遊歩道の南で、シジュウカラが2羽。これは虫の卵か何かと思いますが、そこにクチバシを突っ込んで何かつまみ出していました。貝塚公園は、鳥はサッパリ。ヒヨドリ、メジロがいたくらい。ここにもツグミも、シロハラも来ていません。外堀あたりで、電線にジョウビタキのメス。

Img_3452c_20211210163801  新築公園に入るところで、ジョウビタキのオスが、東の方に飛んで行ってしまい、今日は、チラッと見ただけ。スズメやカワラヒワの他にいたのは、ハクセキレイ1羽。ここのハクセキレイはたいてい1羽でいます。

Img_3300c  昨日も載せましたが、鎮国守国神社のドウダンツツジ。かなり赤くなってきました。もう1~2日で真っ赤になるかも知れないと思います。

Img_3357c_20211210163801 Img_3354c_20211210163801  こちらもですが、松の木の幹から生えたイロハモミジ。根元はこんな風になっています。イロハモミジの種は、翼果になっていますから、ここに上手く飛んで来たのではないかと思いますが、どうでしょう?

Img_3036c_20211210163901  午後は歯科治療。下の歯の治療は終わり。2週間後にかみ合わせのチェック。結構時間と費用がかかりました(微笑)。明日は、「歩いて伊勢参りツアー」の第16回を予定。近鉄山田線明野駅(伊勢市小俣町明野)をスタートして、伊勢神宮の外宮にお参りする予定。伊勢市あたりの天気予報は晴れ、最高気温は16℃くらい。今日と同じく、今の時期にしては暖かい。

2021年12月 9日 (木)

先週土曜日以来のいつものコースの散歩

Img_2959c_20211209171801  今日は好天で、暖かくなりました。最高気温は、16.7℃。午後からなど、上着がいらないくらいです。いつものコースの散歩は、12月4日の土曜以来。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.9㎞。

Img_2422c_20211209171801 Img_2476c_20211209171801  桑名七里之渡し公園でメジロ。遠くから鳴き声が聞こえていましたが、いたのはこの1羽。住吉水門の内側には、ヒドリガモが7羽。オス3羽、メス4羽。揖斐川にはオオバン2羽や、キンクロハジロ1羽、カンムリカイツブリ1羽が浮かんでいました。あの集合場所、今日はアオサギの姿はありません。

Img_2554c_20211209171801 Img_2580c_20211209171801  三の丸水門のところで、イソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのメスが同じ木に。どっちも撮りたいと、少々焦ったものの、しばらくそのあたりにいてくれ、両方撮れました。ただし、ジョウビタキの方は、ちょっとだけ枝かぶり。

Img_2709c_20211209171801 Img_2734c_20211209171801  九華公園には8時に到着。久しぶりにカモたちに餌をやる人があり、ちょっとした騒ぎ。パン屑がまかれたら、ユリカモメ2羽が登場。それまで姿は見なかったような気がします。

Img_2646c Img_2767c_20211209171801  カモは今日は合計53羽。ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモのオス1羽にメス2羽、ハシビロガモは合計10羽。他はキンクロハジロ。これらの写真は、ハシビロガモ。ハシビロガモは水に潜れませんので、水中の餌を採るときは、右の写真にあるように逆立ち。

Img_2670c_20211209173601  あのカイツブリは、今日もいました。二の丸橋の南側のたもと近く。奥平屋敷跡から撮った写真です。グルッと回ったら、もういなくなっていました。

Img_2661c_20211209173401 Img_2780c_20211209171801  奥平屋敷跡では、メジロ2羽。今日は、ヒヨドリも、ドバトも、ハシボソガラスも少ない。昨日も、ほとんど何もいなかったそうです。ツグミは鳴き声は聞いたものの、姿は見えず。シメ、シロハラはまだ見ていません。アオサギさんは、辰巳櫓跡近くの松の木の上。以前は、九華橋近くの樹上によくいたのですが、葉っぱが落ちてしまったためか、そこには来なくなりました。

Img_2808c_20211209171801 Img_2819c_20211209171801  鎮国守国神社にあるドウダンツツジ。全体的にかなり真っ赤になってきています。左の写真は、社務所近くの松の木に生えているイロハモミジ。紅葉してきています。「宿り木」ではありませんが、松の幹の窪みに種が落ちて、松の幹から生えてきているのです。

Img_2847c_20211209171801 Img_2900c_20211209171801  貝塚公園ではヒヨドリとメジロの声。内堀公園では、一瞬ジョウビタキのオスが見えたものの、見失いました。代わりにスズメ。新築公園では、いつものジョウビタキのオス。

Img_2946c_20211209171801  住吉入江に戻って来たら、キンクロハジロのメス1羽。住吉キンクロウズです(微笑)。

Img_2512c_20211209171801  昨日の授業のQ&Aは、午後、一通り完成しました。夜、チェックして完了の見込み。学生たちは質問、感想を寄せてくれる他、授業で取り上げたテーマに関連する自分たちの体験などを教えてくれます。Q&A書きは、大変なのですが、なかなかおもしろいのです。明日午後は、歯科受診。歯の治療が終わるはず(と思っています)。

2021年12月 8日 (水)

非常勤先にクリスマスツリー登場

Dscn4868c  雨は上がりましたが、強風の1日でした。桑名では、終日6~7m/sの風。晴れ間はあるものの、曇りがち。風は強いのですが、冷たい風ではなく、まだ助かります。水曜ですので、江戸橋での仕事。いつも通り、桑名駅発8時40分の五十鈴川行き急行で出かけ、江戸橋駅発12時42分の名古屋行き急行で帰宅。

Dscn4870c  授業は今日で9回目なのですが、またもや出席率最低記録を更新。失格者を除くと、出席率は72%ほど。皆出席は40%くらい。皆出席以外の学生たちが、交代で休んでいるようなイメージ。コロナは落ち着いていますから、感染が怖いという理由ではなさそう。いったいどういうことなのでしょう? 学生の出席票の感想などからすると、授業がつまらないということではないような気がしているのですが……。今日は、非言語行動が授業のテーマでした。

Dscn4872c  毎年恒例のようですが(後期に対面授業に出かけるのは、2019年に次いで2回目です。昨年度は、全面的に遠隔授業でしたから)、校舎棟の玄関にクリスマスツリーが登場しました。以前ここに勤務しておられた事務局のトップの方が、退職されるときか何かに、ご自宅にあったものを寄附されたというような話を聞きました。それにしてもデカい。これほど大きなクリスマスツリーがご自宅にあったとは、よほどの大邸宅か? と思ったものです。

Dscn4873c Dscn4875c  授業終了後は、お約束どおり、おぼろタオルの工場脇から路地を入って、志登茂川のチェック。これらの写真は、上流方向。志登茂川と毛無川(左の写真で向かって左手。嫌な名前の川ですが、高田本山の方から流れてきます)・五六川の合流点あたりにユリカモメらしき姿が見えます(今日もまた、単眼鏡を忘れました)。

Dscn4883c Sitomoriver  こちらは、下流方向。割と近いところにユリカモメが10数羽浮いていました。他には、ホシハジロのオスも1羽いたのですが、黒く写ってしまったので、割愛。場所は、右の画像の通り。濃いブルーのマークを入れたあたりにユリカモメがいました。新江戸橋は国道23号線、そのすぐ北にある橋が旧伊勢街道にかかる江戸橋。ちなみに、おぼろタオルのタオルはなかなかのもの。かつて近鉄ハイキングで立ち寄ったとき、「おぼろガーゼタオル」をいただいて、それを家内の母に進呈したところ、大喜びされました(2018年01月13日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」)。

Dscn4889c  今日は、帰り道、江戸橋駅のところで重要なミッションがありました。来年度も非常勤講師のご依頼をいただいているのですが、最近は、「会計年度任用職員」という立場です。先方から依頼されているはずなのに、その「任用申込書」を毎年提出しなければならないのです(役所のすることは、どうもよく分かりません)。書類には、写真を貼付する必要があり、それを撮ってくるというミッション。写真を撮るのは好きなのですが、撮られるのは大嫌いなので、自分の写真は手元にはありません(爆)。それ故、やむなく、¥800を払って撮ってきたという次第。データでもらうと¥400でしたので、後から「データでもらっておけばよかった」と反省。

2021年12月 7日 (火)

今日も「晴歩雨読」

211207amedas  天気予報通り、終日雨です。いくら「晴歩雨読」がモットーであるといっても、2日連続で降り込められるのは、参ります。散歩依存症なのです(苦笑)。それに今日は、二十四節気では「大雪」ですが、雨ではしゃれになりません。朝からずっと、小雨が続いています。

Dscn4860c  朝一番に、出かける家内にクルマに乗せてもらい、アピタへ。今日発売の文庫本の新刊を買おうと思って、雨の中勇んで出かけたのに、肩すかしを食いました。田舎の本屋のためか、この時点では入荷しておらず。帰りは、雨の中、まさにトボトボと歩いて帰宅。アピタでウロウロしたものの、歩いたのは、たかだか1㎞あまり。17時現在の歩数は、4,000歩ほど。3.1㎞歩いたことになっていますが、この距離はたぶん過大評価。結局、文庫本は、アマゾンで買いました。定価で買って、送料がいらずに宅配してくれるのですから、ついついポチってしまいます。これでホントに良いのかな、という気はしています。

Dscn4864c Dscn4866c  アピタから帰って、午前中は相談会の準備。午後からは、市民大学郷土史学科のまとめ資料づくりに勤しんでいました。「勤しんでいた」などと書くと、懸命に、脇目も振らず邁進していたように思えますが、まぁ、ボチボチとやっていたというのがホントのところ。テキトーにパソコン画面を撮りましたので、見にくい写真ですが……。いったんつくったものは、見直して推敲しないといけませんが、推敲作業はまだまだ初めの方のところで遅々として進まず。老眼の進行、能率の低下にともない、年内には終わらないかも知れません(苦笑)。

Img_1517c  明日は、晴れる予報。気温も14℃くらいになって、散歩日和なのですが、江戸橋での仕事に行かねばなりません。dutyですし、週1回、若い人たちに会える貴重な機会でもあります。「淡々と飽きもせず……」で行かねば(微笑)。ジョウビタキの写真は、12月4日、新築公園で撮ったものです。

2021年12月 6日 (月)

市民大学郷土史学科で修了証

120608rain 211206amedas  朝からずっと小雨が降り続いています。雨雲レーダーを見ると、多少変動はあるものの、朝から現在(16時過ぎ)まで左の画像のようなパターン。雨量そのものは多くはありません(右にアメダスのデータ)。当然、散歩には行けておりません。「雨読の日」でありますが、カビなどが生えるということはありません。午前中は、仕事に邁進していました(微笑)。相談会の準備であります。月末に予定していますが、ご依頼から時間が長いので、事前に「仮報告書」をお送りして、それを読んで面談に来ていただくという手はずにしています。

Img_2407c_20211206161601  午後からは、予定取り、市民大学郷土史学科の講座へ。今年度は、「桑名藩の事件簿」というテーマで、今日が全7回の最終回でした。事件には、台風、地震などの自然災害も含まれていますし、江戸時代の幕府からの「手伝い」の命令もあるなどさまざまですが、桑名藩史上最大の事件は、やはり「戊辰戦争」です。当時の藩主・松平定敬公は、京都所司代。実の兄の会津藩主・松平容保公は京都守護職で、行動をともにしていました。意図せずに朝敵になってしまい、桑名藩国元はさんざん揉めた挙げ句に、前藩主定猷公の嫡男・萬之助を立てて恭順したのですが、藩主・定敬公と一部の藩士たちは、最終的には、箱館まで行って、戊辰戦争最後の戦いであった箱館戦争に参加しています。桑名は戦災には遭わなかったものの、鳥羽・伏見の戦いに負け、11万石から6万石に減じられるなど、受難の時を過ごしています。毎年のことですが、受講した内容を基に自分でも調べを進め、勝手に「講義録」をつくっています。今年も少しず作業を進めています。

21shusseki 21shuuryoushou  その郷土史学科、今年も皆出席でした。新型コロナのまん延のため、1回は中止、延期となりましたが、お陰様で、すべて出席しましたので、今年も「修了証」をいただいてきました。何ということはない修了証ではありますが、こういうものをいただけると励みになります。ただ、ちょっと贅沢をいえば、名前を入れていただけると良かったなと思います。

Img_2402c_20211206161601  明日も、今のところ、ほぼ終日雨の予報で、残念。相談会の準備と、市民大学の資料整理を進めることにしましょう。

 余談。帰りにコンビニに立ち寄ったのですが、店から出たらクルマの上にイソヒヨドリのメスが止まっていました。慌ててスマホを取り出したものの、写真は撮れず。大変残念。

2021年12月 5日 (日)

ミコアイサはおらず……プチ遠征【老害について付記しました(12/5)】

Img_1641c_20211205151001 Img_1661c_20211205151001  朝8時過ぎからは晴れてきました。今日は、予定通り、プチ遠征。弥富の三ツ又池公園と長良川河口堰。河口堰は10月24日以来、三ツ又池公園はヒョッとしたら1年ぶりくらいかも。冒頭の写真は、三ツ又池公園のメタセコイア。さすがに紅葉には遅い(苦笑)。8時過ぎに到着小1時間、鳥を見ながらあるいてきました。

Img_1652c_20211205151001 Img_1666c_20211205151001  まずは、オオバン。遊水池のあちこちにいます。岸に上がって草を食べているものもたくさんいます。そして、三ツ又池公園といえば、カイツブリ。今日見たのは、7~8羽。

Img_1707c_20211205151001 Img_1720c_20211205151001  公園の遊歩道を反時計回りに歩いてきたのですが、東にある運動広場近くでイソシギ。ここでイソシギを見たのは、たぶん初めて。中之島の北あたりを見ると、カルガモが10数羽。

Img_1733c_20211205151001 Img_1728c_20211205151001  さらに進んでいくと、池の中央あたりにまずは、ヒドリガモ。7~8羽が見えます。遊歩道の近くには、なかなか来てくれません。

Img_1781c_20211205151001  カンムリカイツブリは、5~6羽。河口堰や揖斐川では、遠くにしか見えませんが、ここでは、割と岸辺に近いところにもやって来ます。

Img_1748c_20211205151001 Img_1816c_20211205150901  ハシビロガモも池の中央あたりを泳ぎ回って、餌を食べていました。公園の北の端にあった花菖蒲園の近くでは、ハシビロガモやコガモが休憩中。

Img_1807c_20211205150901 Img_1883c_20211205150901  さらに西側に進もうと思っていたら、ヌートリアが泳いでいました。以前もここで何度か見ています。九華公園のヌートリアは、最近姿を見なくなりました。話が飛びますが、ここ三ツ又池公園の西側に行ったら、ヌートリアの子どもが4匹。ということは、つがいでいて、はんしょくしたということ。

Img_1887c_20211205150901 Img_1894c_20211205150901  子どものヌートリアに近づいたら、最初は気づかれなかったのですが、気づいた途端、池に注ぐ水路のところに、たぶんこれで逃げたつもり(笑)。さらに近づいたら、右のように。他の2匹は、岸の下へ行った模様。

Img_1860c_20211205150901  このあたりで南の水田の方を見たら、何やら蠢くものが……。現地では、何か生き物であるとは思ったもの、その正体は不明でした。帰宅してパソコンで見ていたときに、気づきました。これは、先ほど泳いでいたヌートリアの親。草でも食べていたのです。

Img_1855c_20211205150901 Img_1956c_20211205150901  ヌートリアが泳いでいるのを見た直後、対岸の手すりにモズのオス。モズはこのあと、間近にも来たものの、ピンぼけ写真(苦笑)。中之島に渡る橋の北側、日当たりのよいところにコガモが30羽ほどお休み中。

Img_1998c_20211205150901 Img_1992c_20211205150901  池の南端で、ハクセキレイ。戯れあったりしていました。

Img_2009c  三ツ又池公園、本当は、ミコアイサが来ていないかと期待していったのですが、残念ながらその姿はありませんでした。

Img_1792c Img_1797c_20211205151001  途中、遠くの景色も見ていたのですが、左の写真に写っているのはたぶん伊吹山。右の写真は、御在所岳。気象観測のドームや、御在所ロープウェイの白い鉄塔もよく見えました。

Img_2019c_20211205150801 Img_2030c_20211205150801  長良川河口堰には9時15分に到着。東側には、ほとんど野鳥はいませんでしたが、下流側の魚道脇にコサギ(右の写真)。さらに下流にはダイサギも1羽がいましたが、これだけ。ちょっと拍子抜け(苦笑)。

Img_2050c Img_2058c  カモは、堰の下流側に200羽以上。とても数えられません。キンクロハジロがほとんどですが、ホシハジロがごく一部、混じっていました。上流側にも、キンクロハジロが10羽。

Img_2075c_20211205150801 Img_2106c_20211205150801  川の中程の上流側にカンムリカイツブリが10羽あまり。その近くには、カルガモの群が、30数羽。いつもの冬の光景です。

Img_2110c  オオバンが1羽だけ泳いでいました。

Img_2165c_20211205150801 Img_2206c_20211205150801  西側の下流の閘門へのアプローチのところには、アオサギが8羽ほど。上流側の魚道脇には、まず、アオサギ。

Img_2208c_20211205150801  さらにダイサギが2羽。親水広場には鳥はほとんどいませんでした。イソシギとモズを見かけたものの、慌ててまたもやピンぼけ写真(苦笑)。管理橋に戻るときにはイソヒヨドリのオスにも遭遇したものの、逆光で真っ黒。残念。

Img_2372c_20211205150801  河口堰の東側に戻って来たら、魚道観察室のところにコサギが1羽。魚道観察室は、たぶん今も閉鎖されたままです。河口堰には、1時間あまり滞在。イソシギ、モズ、イソヒヨドリを撮れなかったのは、残念です。2ヶ所で歩いたのは、5.2㎞ほど。

Img_2071c_20211205150801  今週、明日の午後は、3週連続のいよいよ最後、市民大学郷土史学科。今年度最終回が行われます。修了証がいただけるはず。水曜は江戸橋での仕事、土曜日は伊勢参りツアーの第16回。外宮にお参りできる見込み。写真は、河口堰から見た多度山、藤原岳方面。

【老害についての付記(12/5)】 自戒を込めてというか、そういうことに陥らないようにという予防の意味を込めての付記です(既にそうなっているのに、何をいっているのか、というツッコミがあるかも知れませんが)。日刊ゲンダイに「サンモニ降板の張本勲氏、AKB妊娠発言の徳光和夫…“困った高齢者”が抱える共通項」という記事があるのを見つけました。ご興味がおありの方は、是非ともリンク先をお読みください。以下は、部分的引用です:

老害発言をする高齢者には共通する3つの要素があるという。

「1つ目は孤独。これは『寂しいから何か言わずには気が済まない』という行動に直結します。2つ目は執着。昔の価値観にしがみついていて、それを手放すことができない。3つ目は自己顕示欲。これは孤独の裏側でもありますが、『俺の話を聞いてくれ』『俺が正しいんだから、言うことを聞くべきだ』と自分を尊重してほしいという心理です。この3つのどれかの心理がすごく強いと、いわゆる“老害”と呼ばれる傾向が高くなります。(安藤俊介氏)

 孤独、執着、自己顕示欲の3つに要注意ということ。「老いては子に従え」といいます。「年老いた後は、何事も子どもにまかせ、その方針に従うがよい」という意味ですが、もともとは、中国の「礼記」や仏典に由来する三従の教えで、「若い時は親に従い、盛りにしては夫に従い、老いては子に従う」といい、日本でも古くから女子教育の規範であったそうです。しかし、江戸初期には、最後の部分が独立して使われるようになり、女性だけでなく、むしろ男性に対して多く使われるようになったといいます。その背景には、古くから行われていた隠居制度の影響があるようです。私自身は、老いたら、若い人に任せた方がよいという風に考えようと思います。

 また、「老兵は死なずただ去りゆくのみ」ともいいます。これは、あのマッカーサー将軍(Douglas MacArthur)の言葉として知られています。マッカーサーが1951年、アメリカ議会で軍人としての活動を引退する際のスピーチで述べた言葉ですが、元々はアメリカ軍で歌われていた歌の歌詞であったものだそうです。戦場で死ぬことなく軍を去ることになった自身のことを指したといいます。英語では、“Old soldiers never die; they just fade away.”。もとの歌詞の前後の文脈を総合すると、「老いぼれ兵たちは戦場で死ぬことはなく(去っていく)、最前線で死ぬのは自分たち若者だけだ」というような意味のようですが、これも、個人的には勝手に「年寄りは、いつまでもヘンに気張っているのではなく、フェードアウトしていった方がよい」と解釈したいと思っています。

 まぁ、屁理屈・講釈好きが、連想で書いたことですから、何卒お気になさらず m(_ _)m

2021年12月 4日 (土)

モズ、ジョウビタキのオス・メス、メジロ……キンクロさんは獲物をくわえて追いかけっこ

Img_1201c_20211204182201  晴れたり曇ったりの1日。風は日中はさほどでもありませんでしたが、夕方からよく吹いています。今日は、昨日考えたように、いつも通りの散歩。7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町から新築公園、老松公園、寺町、御坊さんと5.9㎞。冒頭の写真は、7時40分、住吉神社から撮ったもの。最近、この景色が好みです。

Img_1152c_20211204182201  住吉キンクロウズ、今日は、5羽。オス2羽にメス3羽。7時半過ぎにここにいるということは、昨日の夕方以降、ここにいたと思われます。

Img_1180c_20211204182201 Img_1183c_20211204182201  住吉入江沿いのソメイヨシノの木にツグミ。2羽がいました。ツグミが来るのが遅れていましたが、そろそろ増えてくるのを期待します。

Img_1217c Img_1236c_20211204182201  住吉神社から見た揖斐長良川の中洲には、アオサギ4羽。左の写真をパソコンで拡大してみると、長良川河口堰の下流側に、カモがたくさんいるのが見えます。揖斐川には、あちこちにキンクロハジロ。数えた範囲では合計20羽ほど。カンムリカイツブリも4羽ほどを確認。

Img_1272c_20211204182101  三の丸水門のところから見た北の空。雲の流れ方が、まさに冬の典型パターン。このとき、風はさほど強くはなく、寒さもあまり感じませんでした。住吉神社から柿安コミュニティパークまでは、揖斐川右岸の堤防にある遊歩道を歩いてきますので、風が強いと寒いのです。

Img_1316c_20211204182101 Img_1328c_20211204182101  九華公園には8時前に到着。ヒヨドリ、ドバトなどが出迎え。奥平屋敷跡では、ヒヨドリとドバトが少し。いつものハクセキレイのペアも。左の写真はそのメス。右足が不自由なようで、ほとんど左足1本で行動。ウロウロしながら待っていたら、モズのオスが登場。実は、相撲場のところでモズに遭遇したものの、ピンぼけ写真でした。同じモズのような気がします。

Img_1322c_20211204182101  奥平屋敷跡では、落葉盛んで、ほとんど葉が落ちた木もあります。鳥の巣らしきものを発見。葉が落ちてよく見えるようになったため。何の巣でしょう? このあたりで営巣し、しかもこのような巣をつくるのは、キジバトでしょうか? 実物日本野鳥の巣図鑑こちらにあるものと似ているような気がします。

Img_1446c_20211204182101 Img_1458c_20211204182101  カモは、今日は合計58羽。メンツはいつも通り。ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ハシビロガモは7羽。他はキンクロハジロ。私も移動しつつカウントしていますし、カモたちも移動しますので、58羽には誤差が十分にあり得ます。

Img_1381c_20211204182101 Img_1358c_20211204182101  カイツブリは、今日もいました。今日は、二の丸堀でカモたちのそば。ときどき、「あれは、カモの子どもか?そうではありません。

Img_1433c_20211204182101 Img_1410c_20211204182101  鎮国守国神社の境内を回って、九華公園の北門近くに来たら、サザンカの木にメジロの群れ。相変わらず、賑やかでチョコマカ忙しい(苦笑)。

Img_1466c_20211204182101 Img_1541c_20211204182101  公園の外周遊歩道では、ジョウビタキのメス。わざと姿を見せに来たような気さえします。貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、キジバト。内堀南公園は、たいてい鳥はいません。いてもスズメがメイン。新築公園では、今日もジョウビタキのオス。昨日も書きましたように、ずいぶん慣れてきたような印象で、今日もすぐ近くまで行けました。右の写真は5m以内で撮影、ノートリミングです。もっと仲良しになりたいと思っています。

Img_1562c_20211204182101 Img_1561c_20211204182101  我が家の前の住吉入江まで戻って来ました。住吉キンクロウズは、そのままいました。オスのキンクロハジロ2羽が、追いかけっこをしています。よく見たら、前にいるキンクロさんが魚のようなものを咥えており、もう1羽が横取り狙いなのか、それを追いかけているという状況。

Img_1593c_20211204182101 Img_1602c_20211204182101  すぐ横のソメイヨシノの木には、シジュウカラとメジロの混群が登場。散歩の最後まで楽しませてくれました。

Img_1623c_20211204182101  散歩から帰ってからは、相談会の準備。最近は、読み書きに障害のあるお子さんの相談が多くなっています。読み書きに障害がある場合、音韻意識に弱さがあります。これがあると、英語が苦手になります。とくに英単語の綴りは、読み書きとも苦手になります。小学校で英語教育が行われていますが、読み書きが苦手なお子さん(発達性読み書き障害のお子さん)にとっては不利な状況になっていると思います。日本語の読み書きがきちんとできるようにしておかないと、パソコンでいえばOS(オペレーティングソフト)がきちんとしないまま、アプリを導入するようなものですから、よろしくありません。また、読み書き障害がある場合、小学校低学年のうちにきちんと支援をして、読み書きがスムーズになるようにしておかないと、国語だけでなく、他の教科の学習にも支障を来します。しかしながら、このあたり教育分野では十分には認識されていない印象があります。

Img_1401c_20211204185201  明日は、風が穏やかであれば、長良川河口堰や弥富の三ツ又池方面へプチ遠征したいなと思っています。パンダガモ、来ていないかなときたいしています。

2021年12月 3日 (金)

ツグミ、今シーズン初撮影

Img_0691c  風も弱く、雲も少なく、暖かい1日でした。よく書いていますが、ソーラーパワーは偉大です(微笑)。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.3㎞。九華公園で鳥を追ってウロウロして、少し長めでした。

Img_0808c_20211203184301  今日はまずは、これ。見たのは今シーズン3回目で、延べ5羽目。きちんと撮影できたのは、今シーズン初。ツグミです。九華公園の管理事務所近くに登場。近くにもう1羽がいました。インスタで群馬の方に伺ったところ、やはり少ないとおっしゃっていました。ただ、その方のところではシメも来ているそうで、うらやましい。

Img_0697c_20211203184301 Img_0710c  住吉水門の内側には、今日も住吉キンクロウズのメスが3羽。揖斐川は、川面は穏やかでしたが、今日は、赤須賀漁港の出漁日。漁船が出ていると、水鳥は来ません。見た範囲ではゼロ(苦笑)。

Img_0728c_20211203184301  七里の渡し跡にも漁船が入っていて、今日はコガモもオオバンもいません。昨日(12/2)、桑名駅前でバナナマンのせっかくグルメのロケが行われていたそうですが、今日はここにもテレビの取材クルーらしき方が3人いらっしゃいました。ただし、どこの曲の方かなどは不明。タレントさんはいません(写真の右端に小さく3人、写っています)。

Img_0724c_20211203184301  三の丸公園では、モズがハクセキレイを追い回していました。もちろん(苦笑)、写真はありませんというか、私のスキルではとても撮れません。結局モズが諦めたのですが、そのモズも、枝の多いところで写真はピンぼけ。お粗末。写真は、伊勢一の鳥居です。

Img_0768c_20211203184301  九華公園、今日はダイサギが飛ぶのを見たものの、降りては来なかったようです。また、鎮国守国神社の宮司さんのお宅の裏にあるビワの木あたりからホシゴイが飛び出してきて、あたりを一周。これも写真は撮れず。昨年までは、9月以降、ゴイサギ、ホシゴイが数羽いたのですが、今年はほとんど見当たりません。カイツブリは、吉之丸堀の西側エリアにいました。と思って、散歩友達のYさんがいらしたので、「今、カイツブリがいた」といったら、もうどこかに姿を消していました。神出鬼没。

Img_0823c_20211203184301 Img_0815c_20211203185801  このあと、ツグミを確認し、奥平屋敷跡へ。今日は、ヒヨドリも少なく、ここにいた後半の時間帯にはまったくいなくなりました。カラスもドバトも来ません(苦笑)。ハクセキレイ2羽とメジロ2羽を見て、「今日はこれくらいか」ということになりました。

Img_0842c_20211203184301 Img_0863c_20211203184301  朝日丸跡で一瞬モズを見たものの、東の方に逃げられました。鎮国守国神社はヒヨドリで大賑わい。カモは、今日は合計55羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ハシビロガモは8羽。他はキンクロさんたち。

Img_0910c_20211203184301  吉之丸堀の西側エリアに、松の木が水平に伸びている(というより、実は、徐々に倒れてきて、今は水平になっているのです)ところにハシビロガモ。そこにホシハジロのオスが近づいてきました。何がしたかったのかは不明ですが、たぶん餌を探してのことでしょう。

Img_0923c  たまにはカワウさんも登場させましょう。冬になるとたくさん集まってきて、堀で集団で漁をしています。今日は、集団での漁シーンはなし。左のカワウさん、婚姻色を呈しています。

Img_0968c_20211203184301 Img_1008c_20211203184301  貝塚公園では、モズ。ただし、チョー証拠写真。新築公園では、ジョウビタキのオス。2回に1回くらいはここで会えます。最近慣れてきたのか、そっと近づくと5m以内まで行けます。

Img_1047c  NTNシティホールの東を歩いていたら、イソヒヨドリの鳴き声が聞こえてきました。探したら、シティホールの上にオスがいました。オスを見るのは、久しぶり。

Img_1068c_20211203184301  拙宅近くの住吉入江まで戻って来たら、メジロの群れ。九華公園で撮ったものよりも、少しマシな写真(微笑)。

Img_0873c_20211203184301 Img_0933c_20211203184301  12月になっていますが、遅れてきた紅葉写真も(微苦笑)。左は、鎮国守国神社にある稲荷社のところ。右は、貝塚公園にて。

Img_0936c  そろそろ一度、パンダガモが来たか見に行きたいところ。まずは近場で、弥富の三ツ又池公園かと思うのですが、明日は風が強いという予報。明日は、いつも通りに散歩することにします。日曜は、風が収まって穏やかになるといいますので、プチ遠征は日曜日にでもと思っています。この写真は、貝塚公園にて。

2021年12月 2日 (木)

鳥果少なし

Img_0685c_20211202170501  今朝は、とくに冷えたような感じがしました。日が出て来て、日向にいると多少は暖かい感じがします。最高気温は、11.7℃。12月中旬くらいの気候でしょうか。冒頭の写真は、散歩から帰ってきたときのものですが、多度山から雲が流れて来ています。これを観ると、冬だなと実感するのです。朝は、家事を済ませ、8時20分から散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.7㎞。九華公園でウロウロしなかったので、若干短め。というのも、今日はどこもあまり鳥がいなかったのです。

Img_0441c_20211202170501 Img_0480c_20211202170501  住吉水門の内側にはキンクロハジロのメスが4羽に、オオバンが1羽。揖斐川にはあちこちにキンクロハジロ。その数20羽以上。カンムリカイツブリも、4羽ほどが点在。左の写真は、アオサギさんの集合場所。今日はいません。手前にキンクロハジロが見えています。もとの写真をパソコンで拡大してみると、奥に見える長良川河口堰の下流にもカモがたくさんいるのが見えます。

Img_0492c_20211202170501  三の丸公園、柿安コミュニティパークあたりは、ドバト、ムクドリ、スズメなど。コミュニティパーク西の堀にもキンクロハジロが4羽。九華公園には、ヒヨドリ、ドバトなど。奥平屋敷跡ではジョウビタキのオス(左の写真)。他にハクセキレイも2羽。二の丸堀の上空には、ユリカモメが1羽飛んで来たものの、すぐにいなくなりました。偵察に来たのかという感じ。公園内他のところを回ったものの、ヒヨドリ、ドバト、キジバト、ムクドリくらいしかいません。ツグミ、シメ、シロハラ、ビンズイなどは来ていません。今日は、サギもまったくおらず。

Img_0558c_20211202170501 Img_0564c_20211202170501  カモは、合計55羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモが12羽。他は、キンクロハジロ。今日のカモの写真は、キンクロハジロのアップ(左がオス、右がメス)。

Img_0599c_20211202170501  カイツブリは今日もいました。二の丸堀を西から東に潜水と浮上を繰り返しながら移動しています。このあと、貝塚公園ではメジロ、ヒヨドリ、キジバトくらい。他の公園にはヒヨドリがいたのみ。鳥果はあがりませんでした。

Img_0669c_20211202170501 Img_0674c_20211202170501  こちらは、藤原岳。上半分くらいが、少し雪化粧。藤原岳の雪を見ても、やはり冬を実感します。秋は暖かかったのに、急に寒くなりました。体調管理に気を遣わないといけません。

Img_0642c_20211202170501  昨日の授業のQ&Aは、午後になって完了。プリントアウトしたものを後ほどチェックします。パソコンの画面だけで見ていると、ミスに気づきにくいのです。12月になりましたが、26日(日)に相談会を予定していますので、その準備も進めないといけません。年賀状も準備しないといけませんが、娘が「もうやめたら」といっております。65歳になる時にずいぶん減らしたのですが、どうしたものでしょう?

2021年12月 1日 (水)

江戸橋での仕事は、半分を終了

Dscn4858c  夜半から未明まで、よく降って、良く吹きました。2時か3時頃、ベランダに置いておいたクーラーボックスが強風で煽られて飛んだ音がしていました(こんな音で目が覚めるのですから、年をとったものです)。しかし、出勤する頃には青空もでてきて、助かりました。今のところ、今日の最高気温は、16.9℃ですが、これが夜中の0時32分の記録。最低気温は、8時半の9.6℃というヘンな感じ。という師走の入りです。

Dscn4838c  さて、江戸橋での仕事は、今日が第8回目。全15回ですから、半分を無事に終えられました。が、出席率が、今期最低記録を更新。寒くなって、学生諸君、朝起きられなくなったのか、体調を崩したのか、気になります。しかし、出席している学生達は皆熱心に聴講しています。私語はありませんし、スマホで遊んでいたり、飲食をしていたりする学生も皆無。きちんと休まず出てくる学生が大半です。

Dscn4840c Dscn4844c  帰りには、いつも通り、志登茂川で道草。しかし、四日市港潮汐表で干潮が9時16分、満潮が15時24分と、ちょうど潮が満ちてくる時間帯。野鳥観察にはあまり条件は良くありません。上流側(左の写真)、下流側ともにほとんど鳥影はありません。下流側では、貝採りをしていると思われる方がお一人。

Dscn4842c Dscn4848c  対岸方向を見ると、カルガモが数羽。上流の遠いところには、オナガガモと思われるカモが4羽ほど。今日は、サギも、カモメも見えません。残念、ちょっと覗いただけで江戸橋駅に向かいました。一昨年は、潮が引いているときに、オナガガモがたくさん堤防のすぐしたにいたこともありました。

Dscn4850c  帰宅して、昼食を摂って、一休み(短時間、昼寝をしていました……苦笑)。その後、出欠を整理して、今日の授業で実施した社会的スキル尺度の結果の整理。平均、標準偏差、度数分布の算出をするのです。現役の頃は、SPSSなどという統計パッケージを使いましたが、今はネットでフリーで使える“js-STAR XR”を使ってます。ブラウザ上で動作しますので、WindowsでもMacでも利用可能。最近は、スマホ版もあります。R(アール)を使おうとしたことも一時期あったものの、今では記述統計しかやりませんので、js-ATARで十分です。データ整理のあとは、いつも通り、Q&Aに着手。明日の昼過ぎくらいには終わらせたいと思っていますが、さてどうなりますか? 以前は(たぶん2~3年以上前)、その日のうちにQ&Aの下書きは終えていたと思うのですが、体力、気力、持続力が低下したのか、早くても翌日(木曜)までかかるようになりました。下手をすると、金曜までかかることもあります。いやはや(苦笑)。

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)