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2021年11月19日 (金)

円通寺の大イチョウ……法盛寺で渡部平太夫の墓、顕本寺でもイチョウを見てきました

Img_4716c_20211119164801  朝はやや寒かったものの、日中は今日も18℃を越え、散歩日和。いつも通り、散歩に出たのですが、思いついて、円通寺や顕本寺、法盛寺まで足を伸ばしてきました。円通寺の大イチョウを見てこようと思った次第。というのも、我が家のベランダから見ると、黄葉してきているように見えたのです。法盛寺は、去年行ったときに渡部平太夫の墓を見忘れたので、ついでに立ち寄って来ました。ということで、7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園から堤原を通って、まず法盛寺へ。次いで顕本寺(ここにも大きなイチョウの木がありましたので)、円通寺といって、帰り道は旧東海道を京町まで。寺町を通って11時に帰宅。何と7.8㎞も歩いてきました。

Img_5407c_20211119164601 Img_5438c_20211119164601  まずは、円通寺の大イチョウ。我が家のベランダから見ると、黄葉していたのですが、木全体からすると、まだ上の方だけでした。結果的には、ちょっと早すぎました。去年も見に行ったのですが、それは12月9日でした(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。高さは30m、幹囲は5.7m、樹齢は400年以上だといいます(リンク先では300年となっていますが、6年前に尋ねたときお寺の方に400年以上と伺いました)。ちなみに、法城山円通寺は、真宗本願寺派の寺。元亀3(1572)年、江場城主の子・佐藤秀道が出家して教円と名乗り、開基したと伝わります。

Img_5485c_20211119164601  自栄山顕本寺。日蓮宗のお寺。檀家には桑名藩士が多く、関連する墓が多数現存します。中でも、吉村又右衛門宣充の墓と、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されています。また、服部半蔵の墓もあります。「半蔵」は、服部半蔵家の歴代当主の通称の名乗りです。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義の墓。顕本寺については、2018年7月10日の記事に詳しくあります(アンパンマンバスに乗って「東海道旧蹟撮影」へ)。ここのイチョウも大きかったのですが、高さは円通寺の方がはるかに高いものでした。

Img_5352c_20211119164701 Img_5357c_20211119164601  さらに、法盛寺。桑名坊舎柳堂と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。東御坊の本統寺に対し、西御坊とも呼ばれます。法盛寺について、詳しいことは、去年の円通寺の大イチョウの記事にあります(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。元は三河国矢矧(やはぎ)(現岡崎市)にあり、応仁2(1468)年、桑名郡益田庄に移ったのち現在地に移っています。明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内には寺内寺が7ヵ寺あったといいます。

Img_5370c_20211119164601  ここの墓地に渡部平太夫の墓があります。渡部平太夫(天明4(1784)~嘉永元(1848)年)は、「桑名日記」の著者です。桑名藩士、桑名城米蔵の算用係で十石三人扶持の下級武士(十石は、それだけ米が取れる知行地があるということ。三人扶持は、3人分の扶持米が与えられるということ。一人扶持は一日あたり玄米五合、年間で一石七斗七升=5.4石。1石は10斗=100升=約180リットル。 米1石の重さは約140~150kg)。矢田磧八幡瀬古庚申堂近く(現在の桑名市矢田町真教寺の南付近)に住んでいました。平太夫が、桑名藩の飛び領地である柏崎(新潟県柏崎市)に赴任した息子・勝之助に宛てた日記が「桑名日記」です。天保10(1839)~嘉永元(1848)年の10年間、毎日欠かさず書かれています。平凡社新書で「下級武士の米日記-桑名・柏崎の仕事と暮らし(加藤 淳子)」という本が出ています。また、名古屋大学教育学部の教授でいらした小嶋秀夫先生は、この日記から「子育ての伝統を訪ねて(新曜社)」という本を書いていらっしゃいます。法盛寺には、やはり桑名藩士であった高木貞作の墓もあるというのですが、墓地改修があったためか、探したものの分かりませんでした。

Img_4734c_20211119164801 Img_4788c_20211119164801  さて、散歩前半のバードウォッチング。拙宅マンションを出てすぐ、住吉入江沿いのソメイヨシノにメジロ。3羽ほど。せわしなく動き、なかなか撮れず。桑名七里之渡し公園では、モズのメス。

Img_4865c_20211119164801  柿安コミュニティパークでも、メスのモズ。ちょっとピントが甘い(苦笑)。

Img_4921c_20211119164701 Img_5049c  九華公園では、ダイサギがあちこちに出没。カワウが群れになって漁をするところを追いかけています。魚がいるのが、分かりやすいためと思われます。左の写真は、公園西側(三之丸町側)の堀。右は、神戸櫓跡の木に来たところ。右下にいるのは、コサギ。この2羽、先日から九華公園によく来ているコンビ。

Img_4940c_20211119164701 Img_4982c  奥平屋敷跡には、いつものハクセキレイのペア。右のメス、いつもは片脚で移動しているのですが、今日は両脚を使って歩いているところも見られました。いったいどうなっているのか? 他には、メジロ、ヒヨドリ、キジバト、ドバト、ハシボソガラス、カワラヒワ。メジロは5~6羽いたものの、高い木の上の方で移動して、うまく撮れず。

Img_5204c_20211119164701 Img_5211c_20211119164701  カモ、今日は、合計66羽。ホシハジロのオスが1羽(右の写真)、ヒドリガモ、今日は2ペア、ハシビロガモは、オス6羽、メス5羽。他はキンクロハジロ。ハシビロガモのクローズアップでは(左の写真)、嘴にある食物を漉し採る「ブラシ」までよく見えています。

Img_5171c_20211119164701  吉之丸堀の東側エリアに、今日も、カイツブリが登場。ただ、遠くにいるのに、すぐに潜って逃げます。それ故、証拠写真(苦笑)。

Img_5252c_20211119164701 Img_5278c_20211119164701  アオサギは、たぶん1羽。飛び回っていたかと思ったら、神戸櫓跡に降り立ちました(左の写真)。ちょっと目を離したらいなくなり、探したら、鎮国守国神社の社務所の裏へ(右の写真)。たぶん同じ個体。ダイサギにも、アオサギにも振り回されました(苦笑)。

Img_5126c_20211119164701 Img_5135c_20211119164701  余談というか、本当は重要。九華公園の二の丸跡の南側、石垣が膨らんで一部崩れかけています。木の根が押してきているのか、何ヶ所かで膨らんでいますし、そのうち一ヶ所は崩れかけています。大雨でも降ったら、一気に崩れそう。

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