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2021年11月30日 (火)

20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(その2)……そうめん坂、水池土器製作遺跡、轉輪寺、八柱神社、外宮への道標、徳浄上人千日祈願の塔からへんばやに立ち寄って明野駅へゴール(完)

Saiku2  11月27日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」の本編その2です。その1では、安養寺で明星水の井戸を見るところまででした。まだ、明和町内を歩いています。上野交差点の先で「そうめん坂」があります。緩い坂を登ったところで、水池土器製作遺蹟に立ち寄り。伊勢街道に戻って、明星山轉輪寺。ここからしばらくは立ち寄るところはなく、1㎞半ほどひたすら歩いて、八柱神社。神社を出たところに外宮への道標そして弘法大師堂。ここまでが、実際に歩いたルートマップその2。

Img_8688c_20211127193301 Img_8692c_20211127193301  大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まります。「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。それにしても、今になってもその名前が残っているのは、おもしろい。このあたりで、スタートから約3㎞、時刻は11時10分くらい。

Img_8726c_20211127193301 Img_8730c_20211129040301  そうめん坂の道標の先に「水池土器製作遺跡」という案内板がありました。ここは、近鉄ハイキングで歩いたときにはパスしていました(2019年11月27日 :20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ)。奈良時代の工人集団の遺跡で、高低差約3m、幅約100m、長さ約200mの傾斜のゆるい場所に、掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成坑16基、土坑11ヵ所、粘土溜り2ヵ所、井戸跡1、溝1条などが見つかっています。

Img_8740c Img_8734c_20211129040301  土器焼成坑(左の写真)はほぼ二等辺三角形で、長さ2.6~4.2m、幅1.2~1.8m、深さ0.2~0.4mの地山を掘っただけの簡単な構造で、壁面や床面は赤く焼けており、炭や灰の交じった土中には多量の土師器(はじき)片があったといいます。掘立柱建物跡(右の写真)を中心に焼成坑が配され、井戸もあって、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示しており、わが国の土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる重要な遺跡であるため、昭和52(1977)年に国の史跡に指定され、昭和58(1983)年度に、その一部が復元・整備されています。

Img_8747c_20211129040901  4㎞の手前に明星山轉輪寺真宗高田派のお寺ですが、まちかど博物館も兼ねています。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた僧・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。古くから、この地には轉輪王が祭られ、信仰されていたためです。ちなみに、真慧上人の導きで真宗高田派に改宗したお寺、この地方では時々あります。

Img_8789c_20211127193301 Img_8758c  天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から工事に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です(左の写真)。庫裏(右の写真)が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。庫裏は、明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。

Img_8751c_20211127193301 Img_8800c_20211129041501  こちらは表門。度会郡玉城町の田丸城から御成門を移築したと伝わっています。梵鐘は、延宝8(1680)年、辻但馬守藤原秀種の作。鐘楼も、延宝8(1680)年に建てられ、梵鐘は、戦時中の供出も免れました。表門、梵鐘、庫裏は、明和町の有形文化財に指定されています。南門は、松坂城から移したという立派な門でしたが、写真を撮り忘れ(苦笑)。

Img_8793c_20211129042401 Img_8769c_20211129042401  左の写真は経蔵。安永6(1777)年の建立。銅製の釈迦如来像、経典、写本が収められています。右の写真は、同級生K氏がいうに、サンシュユの実ではないかということでした。桑名・寺町にある常信寺にサンシュユがあり、いつも花は見に行くものの、実は見たことがありませんでした。しかし、轉輪寺に来たのは、2回目でしたが、由緒もあり、立派な、いい感じのお寺です。

 明和町新茶屋に入って、両谷寺を探したのですが、見つけられず。帰ってからよく調べたら、新茶屋文化遺産マップに「寺の境内には観音堂、地蔵堂、秋葉堂、行者堂、庚申堂などもあります。庚申堂は『北向の庚申』として信仰が篤い」とありました。大きな本堂が見えるものと思い込んでいたのですが、それはないようです(Googlマップで検索すると写真が出て来ます)。

Img_8821c_20211127193301 Img_8832c_20211129043801  こちらは八柱神社。街道から左の写真のように鎮守の森が見えていました。神社検索(三重)には載っていませんでしたが、「新茶屋文化遺産マップ」に説明がありました。新茶屋の集落が成立した江戸時代前期に産土社として牛庭御厨社が建てられ、宝暦2(1752)年に八王子社と改称されました。明治41(1908)年に有爾櫻神社へ合祀されましたが、戦後旧社地である小字御前坂地内(地元ではジゾウヤブと呼ぶ)に分社され、昭和31(1956)年の造替時に現在の場所へ移転しています。

Img_8836c_20211129043801 Img_8841c_20211127193301  御祭神は、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと:素戔嗚尊と天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神。ただしくは、正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天忍穂耳命)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと:天穂日命とも書く。天之忍穂耳命と同じく、五男神の一神)、天津日子根命(あまつひこねのみこと:天津彦根命とも。同じく五男神の一神)、活津日子根命(いくつひこねのみこと:同じく五男神の一神)、熊野久須毘命(くまのくつひのみこと:五男神の一神)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと:田霧姫命とも。天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市寸嶋比賣命(しちきしまひめのみこと:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とも。三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと:湍津姫命とも。三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)の8神。神様が8神いらっしゃるので、八柱神社。平成28(2016)年に遷宮をしたとありました。

Img_8838c_20211129043801 Img_8824c_20211129043801  境内には山の神が4基。ここの山の神様は、すべて「山之神」と彫られていました。一の鳥居のところには、右の写真のように、「為征清軍凱旋紀念」とある石柱が1対ありました。幟旗を立てるポールに添えられています。明治28(1895)年に建てられていますので、日清戦争の戦勝記念と考えられます。

Img_8866c_20211127193301 Img_8870c_20211129061601  八柱神社から伊勢街道に戻ったところに道標があります。正面には「従是外宮二里」と彫られています。とうとう外宮まで2里(約8㎞)のところまでやって来ました。左面には、「宮川江一り」とあります。宮川までは1里(約4㎞)。

Img_8904c_20211127193301 Img_8893c_20211129062901  明和町新茶屋の集落の東端、伊勢街道沿いに弘法大師堂があります。元は江戸時代の文政13(1830)年に新茶屋村の行者心勝によって建立され、現在の石像は明治34(1901)年に新茶屋村の人々によって再建されたもの。大正時代に弘法さんは一度埋められてしまったそうですが、関係者に次々と不幸が起きたため、改めて大事に祀られるようになったといいます。

Img_8910c_20211127193301  弘法大師堂のすぐ先からいよいよ伊勢市に入ります。伊勢市といっても、平成の大合併(2005年11月)までは、度会郡小俣町でした。伊勢街道の最後の宿場として栄えたそうです。

Saiku3  実際のルートマップは、その3になります。残りの立ち寄りスポットは、徳浄上人千日祈願の塔と、へんばや。2ヶ所に行った後、明野駅に向かいますが、その前に昼食。これがちょっと苦労(微苦笑)。

Img_8918c_20211127193301  スタートから6.6㎞ほど、明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊場(根城)にして修行していたのですImg_8933c_20211127193301 が、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧は徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。この塔に向かって右脇には、「廻国供養碑」。かなり風化していますが、碑表には「大乗妙典六十六部廻國供養」、右面に「寛保元(1741)辛酉十月廿一日」、左面には「願主/小俣住人直念」とあります。ちなみに、廻国供養塔とは、日本全国の社寺に法華経を納経する名目で行われた巡礼(日本廻国)に関わった人たちが造立した石造物をいいます。千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。

Img_8936c  ここには、鳥居もあります。説明がなく、よく分からなかったのですが、神社でいうとご神木のような木かと思います。

Img_8946c_20211127193301 Img_8950c_20211127193301  最終目的地は、この日最大のミッションかも知れません(微笑)。同級生K氏が、「へんばやに立ち寄って、へんば餅を10個買ってくるように」という指令を受けてきたのだそうです。こちらがへんばや。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。

Henba2_20211129063801 Img_9066c_20211127193301  「へんば餅」はここの名物(写真は、へんばやさんのサイトからお借りしました)。私にはとくに指令はありませんでしたが、土産を買ってきました。へんば餅(5個入り¥400)、赤飯弁当(一合少々で¥450)、昆布の佃煮(250gで¥1,000)です。へんばやで今日の目的地は、コンプリート。明野駅方面に向かいます。

Img_8957c_20211129064201  途中、踏切の手前でこんな看板。陸上自衛隊明野駐屯地に航空学校があります。旧陸軍飛行学校の歴史を引き継いで、ヘリコプターの訓練が行われています。私たちは、明野航空学校と呼んでいます。1㎞以上先ですから、この日は行っていません。

Img_8964c_20211129064901 Img_8967c_20211129064901  明野駅西の踏切を渡ったところに道標が1基ありました。けっこう風化していて読みにくかったのですが、「すく 明野」「右 新茶屋/左 野依○○(不明) 道」などとありました。

Img_8970c_20211129065601 Img_8973c_20211129065601  この道標のところを右折して、駅の北へ。事前に調べて、「こなつ」といううどんと天むすの店へ行こうと思っていたのですが、臨時休業(涙)。おまけにこの店に向かう途中から、にわか雨。店の前、軒下にベンチがありましたので、勝手に借りて、雨宿り。

Img_8980c 1637987497898c  15分ほどで雨も上がったので、明野高校近くにあるお好み焼き・みとへ。これが大正解。ふわっとした美味しいお好み焼き。豚入りが、¥600。たぶん明野高校の生徒さん御用達のお店。創業42年と伺いました。ときどき、我々のような街道歩きの人も訪れるそうです。みとさんについたのは13時20分頃。30分弱滞在して、駅へ。

Img_8984c_20211127193301 Img_8995c_20211127210901  ゴールの明野駅。ちょうど13時50分頃到着。ここまで8.7㎞ほどを歩いてきました。あいにく我々が駅に着くと同時に、伊勢中川行きの普通電車が出てしまいました。次は、14時23分。やむを得ず、ブラブラ、ウロウロ(笑)。ローカル駅へ行くと、まあこんなもの。退屈しのぎに路線図&料金表を眺めていました。右の写真で、「当駅」とあるのが、ここ明野駅。桑名は、上の方の赤丸のところ。料金は、¥1,160。この路線図でいうと、明野駅から左へ。松阪を経て、伊勢中川まで普通電車で行きます。ここから名古屋行き急行に乗り換え。

Img_9017c  ホームへ上がったら、「」が通過。去年、リニューアルされていました。新しいタイプは、初めて見た気がします。14時23分発の伊勢中川行き普通に乗って、伊勢中川駅には14時50分に到着。

Img_9033c_20211129071101 Isenakagawa  こちらは、伊勢中川駅。近鉄名古屋線、大阪線、山田線の乗換駅。1番線から6番線までありますが、1~5番線間には全てホームがあり、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。15時1分発の名古屋行き急行に乗り替え、桑名には16時4分着。上記のように、¥1,160。

Nakagawashoortcut  余談。伊勢中川駅の構造は、上述の通りなのですが、駅の北西には「中川短絡線」があります。大阪上本町方面と近鉄名古屋方面間を方向転換なしで直通できる単線の短絡線で、名阪特急がここを通過して行きます。

Img_9056c_20211127193301  この日の歩数。21,003歩。現地で8.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計10.9㎞。次回は、外宮へ、その次は内宮へそれぞれお参りできる見込み。年内で、全行程踏破と行きたいところです。

 

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