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2021年11月 6日 (土)

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編)

Kushida0  今日は、先週に続いて、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第13回に行ってきました。松阪市の櫛田から明和町の斎宮跡まで。近鉄の駅でいうと、山田線の櫛田駅から斎宮駅までです。冒頭の画像は、今日歩いたコースの全体像。櫛田駅を出発してじきに櫛田川を渡り、松阪市早馬瀬町へ。大乗寺、早馬瀬神社や、梵字の六字名号碑などを見て、祓川に至ります。ここは、斎王がお祓いをして、斎宮に入ったとされる川。ここからまた、明和町に入ります。外宮への道標で左折し、斎宮歴史博物館へ向かいます。見学したのち昼食を済ませ、斎宮跡を見学してきました。

Img_9834c_20211106184001 Img_9838c_20211106183801  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分着。伊勢市・宇治山田方面への普通電車に乗り換えるのですが、10時10分の鳥羽行き普通まで時間があります。かねてから計画していたように、JR紀勢線の1番ホームへ。ここに駅弁のあら竹商店の売店があるのです。斎宮跡で食べようということで、今日は駅弁をゲット。10時10分の鳥羽行き普通に乗って、櫛田駅には、10時16分に到着。¥1,020。

Img_9854c_20211106183801  10時20分にスタート。櫛田駅から県道37号線に出て、櫛田郵便局の前から伊勢街道に入りました。このあたりの伊勢街道は、ももともとクネクネしていたようで、2年前に来たときには、道を間違えた記憶があります(2019年10月31日 :20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ)左の写真で、朱い鳥居が見えています。これが、豊養稲荷神社。こちらのサイトによれば、大櫛神社の旧地といいます。江戸時代には大櫛社と称しており、鳥居の脇に「式内大櫛神社」の石碑。石柱は、もう1つ「櫛田大市」と刻まれたものもありました。かつてこのあたりで市が開かれていたのです。

Img_9875c_20211106183801 Img_9894c_20211106183801  豊養稲荷から直進すると、道標に行き当たります。櫛田川の堤防のすぐ下です。文政2(1819)年、京の商人が寄進したもの。「左さんくうみち 右けかうみち」とあります。「さんくうみち」は「参宮道」ですが、「けかうみち」には、前回来たときも悩みました。その時は、「下向(げこう)」であろうという、取り敢えずの結論。「下向」は、①高い所から低い所へおりていくこと、②都から地方へ行くことといった意味(デジタル大辞泉)。さらに調べたら、goo辞書に「参り下向」ということばが載っていました「まいりげこう」、旧仮名遣いでは「まゐりげかう」で、「参上することと下向すること。また、神社や寺院に参詣すること」とありました。正しいことをご存じの方がいらっしゃったら、是非ともご教示ください。道標のところで左折、次の角を右折すると、里程標(右の写真)があります。ここは、櫛田川の渡し場があったところで、大正3(1914)年に建てられた里程標。正面には「距宇治山田元標三里二十町四十一間/距津元標六里十二町十八間」と、右には「距松坂元標一里二十九丁三十四間」、左には「距齋宮元標二十五町三十一間」とあります。裏は「大正三年三月建之」と読めました。斎宮(の元標)まで25町31間ですから、約2.8㎞。

Img_9903c_20211106183801 Img_9927c_20211107063701  かつてはこの里程標のところの渡し場から櫛田川を渡ったのですが、現代は、少し上流の櫛田橋に回ります。ここは、明日(11/7)の全日本大学駅伝のコースでもあります。橋を渡ったところには、その看板。

Img_9938c_20211106183801  早馬瀬町に入り、漕代地区市民センターの東に、まず、医王山善福院大乗寺。浄土宗のお寺。詳しいことは分かりませんが、明治7(1874)年、学制発布により、本堂を後者として早馬瀬学校が開校されたそうです。

Img_0016c_20211106184301 Img_0014c_20211106183901  その南にというか、寺の境内にというか、早馬瀬神社。小さな神社ですが、拝殿の前に、右の写真のように扉があります。開くようになっていました。境内には、櫛田川の渡しにあったという道標があります(文化13(1816)年建立のもの)。ただし、この道標は、2つに割ってあり、門柱のようになっていました。

Img_0043c_20211106183901  この先の四差路には、お地蔵様。ここは、機殿(はたどの)神社につながる機殿道への分岐点。現在は、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の2社になっていますが、元々は同じ場所に鎮座していました。いずれも皇大神宮(内宮)所管社で、ここから櫛田川に沿ったさらに下流にあります。いずれも、神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する神が祀られています。冒頭のマップでは、このお地蔵様から北へ向かう道が、機殿道と思われます。

Img_0077c_20211106183901 Img_0085c  さらに街道を進み、大稲木交差点を過ぎると、左手(北側)に梵字で六字名号を刻んだ碑があります。これは、参宮旅の途中で亡くなった人々を供養するため、文化14(1817)年に建てられたもの。この六字名号碑のすぐ先には、右の写真のようなもの。伊勢街道のマップには出て来ません。前回来たときに見つけ、「神棚のような社」と勝手に命名しています。同行のK氏も、かなり興味を持っていたようで、感心しきり。神棚のようなものがおさめられ、津島神社の御札も入っています。詳細は不明。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示をお願いします。

Img_0108c_20211106183901 Img_0114c_20211106183901  スタートから3㎞の手前で祓川に来ます。斎王が京の都から巡行してきて、斎宮に入る手前のここで禊ぎをしたといいます。祓川は、平安時代以前は、櫛田川の本流で、もっと広い川であったと伝わっています。今も、護岸は自然のまま残っているところが多く、動植物が豊富にいる/あるところ。この川を越えると、明和町。

Img_0142c_20211106201901 Img_0188c_20211107070201  ほぼ3㎞地点に外宮への道標。「従是外宮三里」と刻まれています。前回、外宮まで4里の道標がありましたので、1里進んだということ(微笑)。この道標の先を左折し、水田の中の道を斎宮歴史博物館に向かいます。途中、右のように「祓戸広場」がつくられていました。ここは、2年前に来たときには、発掘作業が行われていたところ。

Img_0197c_20211106183901 Img_0206c_20211106183901  その先で林を通ります。そこにも「祓戸跡」という表示。「祓戸(はらえど/はらいど)」は、 祓えをするための場所。主として、神官が祓えを行なうところ。この表示の奥に石碑が見えましたので、見てきました。「小倉神社跡」とあります。斎王が祓えをしたところに神社が建っていたのではないかと思います。

Img_0230c_20211106183901  そして、いよいよ斎宮歴史博物館に到着。櫛田駅からほぼ4㎞、時刻は11時50分。ここでは、常設展示と、現在行われている特別展「斎宮 平安五種競技」、さらに映像展示も見て、ほぼ1時間滞在。入館料は、常設展と特別展の2つセットで¥790。

Img_0238c_20211106183901 Img_0246c_20211106183901  斎宮歴史博物館を出て、昼食を摂ることにしました。気持ちが良いので、博物館前の広場のベンチで、朝買ってきた弁当を広げることに。あら竹商店の「モー太郎寿司」。松阪牛のしぐれ煮が巻いてあります。もっと大きいと思ったら、案外小ぶりでしたが、これも絶品。これで、あら竹商店さんの三大売れ筋弁当のすべてを制覇しました(他の2種類は、「モー太郎弁当」、「元祖特選牛肉弁当」)。

Img_0254c_20211106203401  昼食後は、斎宮跡を一巡り。まずは塚山古墳群。斎宮歴史博物館の敷地内から東にかけて古墳が点在しています。5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。

Img_0305c_20211107071901 Img_0281c_20211106183901  続いて、斎王の森。斎宮がここにあったことを示すシンボル的な森。鳥居をくぐると、「斎王宮跡」の石碑があります。また裏手には、最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ:大伯皇女とも。天武天皇の娘)の歌碑が建っています。大伯皇女は、ひそかに伊勢へ訪ねきて京に帰る弟・大津皇子の身を案じ、「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡(ぬ)れし」と詠んでいます。

Img_0331c_20211106184001 Img_0334c_20211106184001  続いて、上園芝生広場にある斎宮跡の1/10史跡全体模型。これ、実によくできています。家族に写真を送ったら、娘などは「本物?」と勘違いしたくらい。斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物などが、つくられています。

Img_0350c_20211106184001 Img_0357c_20211106184201  さらに、さいくう平安の杜には、建物3棟(正殿、西脇殿、東脇殿)が、発掘調査で発見された一そのままで、復元されています。一昨年訪ねた斎王まつりは、この正殿とその前の広場をメイン会場として開催されていました(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。

Img_0421c_20211106184001 Img_0415c_20211106184201  斎宮駅に行く前に、いつきの宮歴史体験館も覗いてきました。斎王制度は天皇の代ごとに替わって、飛鳥時代から鎌倉・南北朝時代まで660年間続いたのですが、その中でもっとも華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。右の写真の中央に写っているのは、天皇、皇后そして斎王しか乗ることができなかった「葱花輦(そうかれん)」。斎宮歴史博物館にもあります。

Img_0436c  斎宮駅は、いつきの宮歴史体験館のすぐ南。14時45分にゴール。6.7㎞を歩いてきました。14時58分の伊勢中川行きに乗車。松阪に15時11分着。15時17分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には、16時22分に到着。¥1,090。かなり乗りでがあります(微苦笑)。次回からは、朝はもう1本早い電車で行った方が良さそうです。もう少し早い時間から歩き始めたいと思うのです。

Img_0457c_20211106184001  こちらが今日の歩数。現地で6.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞ですので、合計8.9㎞ですから、17,015歩はまあまあ妥当。今日も無事に行ってこられ、しっかり楽しめました(微笑)。次回は、今月下旬の見込み。

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コメント

おユキさん、こんにちは。

斎宮まで到達しました。
七里の渡し跡から内宮まで、街道のみで94㎞あまりありますが、これで78㎞ほどきました。
残りは16㎞。
これを3回で歩く予定です。
うまく行くと、年内に内宮参拝となります。

斎宮はおもしろいところですよ。

斎王の森は、おっしゃるように厳かな雰囲気のあるところです。

斎宮跡1/10模型は、よくできています。
残念ながら、観光客は少なかったので、幸か不幸か人が写った写真はありません。

あら竹弁当、駅の売店ではこの3種類しか売っていないのです(笑)。
頼んでおけば、本店がすぐ駅前ですから、用意してくれるとは思いますが。

松阪牛がもっとも高いんですか?
それは知りませんでした。
もとは、但馬牛です。
但馬で買ってきたものを育てて、松阪牛になります。

投稿: mamekichi | 2021年11月 7日 (日) 11時54分

mamekichi先生、おはようございます。

いよいよ、とうとう、斎宮まで辿り着いてしまったのですね。
この調子では、年内に伊勢神宮参拝できてしまいそう。
こうなると、ちょっと邪魔をしたくなってしまいます(笑)。
だからといって、雨乞いなどしませんので、ご安心ください。

斎王の森の入り口?(鳥居)から、斎王宮跡の石碑を収めた写真、なんとも霊験あらたかな雰囲気がありますね。
お墓かな、と思うほど、存在感がすごいです。

斎宮跡の1/10模型、こういうの、大好きです(笑)。
本編では、ぜひ、どなたか人が写り込んで、実際のスケールが分かるものも拝見したいです。
(リンク先を見ると、建物は人の肩ほどの高さなのですね。)

あら竹商店さんの三大売れ筋弁当制覇も、羨ましいことです。
先日、松坂・近江・神戸と、三大ブランド牛を見比べていたのですが、松坂牛が一番高いのですね。
どれが一番美味しく感じるかは、人によると思いますが、「松坂、強いねぇ。」と、息子と改めて感心していたところです。

投稿: おユキ | 2021年11月 7日 (日) 09時36分

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