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2021年11月19日 (金)

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その2)……壺屋池部清兵衛邸跡、六字名号から祓川を渡って斎宮歴史博物館へ

Kushida2  11月6日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第14回「櫛田~斎宮」の本編その2です。その1では、櫛田川を渡って、松阪市早馬瀬町まで来ました。大乗寺、早馬瀬神社、地蔵と見てきました。その2では、松阪市稲木町へと入って行きます。壺屋池辺清兵衛邸跡は、残念ながら、太陽光発電のパネルが並んでいました。その先、漕代駅近くで梵字による六字名号碑、小さなお社と見ていき、祓川へ。この小さなお社、ガイドブックその他には載っていません。その形や大きさから勝手に「神棚のような社」と命名しました。

Img_0066c_20211118195801  スタートから2.1㎞を過ぎたところの南側に壺屋池部清兵衛邸跡があります。壺屋池部清兵衛は、伊勢参宮の名物土産として人気が高かった、壺屋紙(つぼやがみ)製の煙草入れを製造販売していました。壺屋紙は、和紙を固め、油を引き、型押しした「擬革紙(ぎかくし)(革に擬(なぞら)えた紙)」。油紙で作られた煙草入れは、使い込むほどに革のように柔らかくなるそうですが、伊勢国で、このことに着目した堀木忠次郎(三忠)が貞享元(1684)年、油紙を改良して擬革紙の製造を始めたと伝わっています。その後、池部清兵衛(壺屋)が煙草入れに加工し売り出したところ、当時は皮革が貴重であったことから、擬革紙の煙草入れが伊勢参りのみやげ物として大流行したのです。江戸の狂歌師・蜀山人が、「夕立や いせの稲木の煙草入れ ふるなる光る つよいかみなり」と詠んでいます。ちなみに、擬革紙は近年、参宮ブランド「擬革紙」の会によってその技法が復興され、「伊勢擬革紙」として製品が販売されています。それにしても、太陽光発電場所となってしまったのは、残念。

Img_0077c_20211106183901  大稲木交差点を越え、2.4㎞を過ぎたところの北側に梵字による六字名号碑があります。これは、参宮旅の途中で亡くなった人々を供養するため、文化14(1817)年に建てられたもの。

Img_0085c Img_0093c  この六字名号碑のすぐ先には、左の写真のようなもの。みえの歴史街道の伊勢街道のマップにも、「ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道」にも、これは出て来ません。前回来たときに見つけ(2019年11月1日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その3)……櫛田川を越え、大乗寺、早馬瀬神社、野仏地蔵、梵字による六字名号を見ていよいよ祓川を越え、斎宮跡、斎宮歴史博物館を回って、斎宮駅にゴール(完))、「神棚のような社」と勝手に命名しています。同行のK氏も、かなり興味を持っていたようで、感心しきり。神棚のようなものがおさめられ、津島神社の御札も入っています。詳細は不明。ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひともご教示をお願いします。

Img_0097c_20211119040901 Img_0105c_20211119040901  ちょっと余談。次の祓川の少し手前にある旧家でおもしろいものを見つけました。それは、右の写真。古いホーロー看板その他がいくつか並んでいました。ホーロー看板、興味がありますので、見つけるとついつい眺めてしまいます。結納屋さんの看板はよく見ます。左上の「江戸屋」(松阪市日野町)もそうです。おもしろかったのは、右上の看板。

Img_0101c_20211119040901  こちら、アップ写真。よくよく見たら、「寿司栄」とあります。このお寿司屋さんは、前回(10月30日の第13回歩いて伊勢参りツアー)、お昼ご飯を食べたお寿司屋さんの看板でした(20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))。「御寿司のご用命は冨田屋分店寿司栄 出前迅速」とあります。かなり古い看板で、冨田屋という店の分店であったことや、このあたりまでで前のエリアだったことが分かります。松阪市曽原町(中勢バイパスの北)に冨田屋という寿司屋さんがあり、創業35年となっていました。

Img_0108c_20211106183901 Img_0114c_20211106183901  スタートから2.7㎞、11時20分頃、祓川(はらいがわ)に到着。この川が、松阪市と明和町の境。「祓川」は、「神仏に参拝するとき、身を清めるために禊(みそぎ)する川」という意味で、普通名詞として用いられますし、あちこちにこの名前の川があります。ここは、斎王が、群行の際、祓いをして斎王宮に入ったのでこの名が付いています。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性です。歴史に見られる斎王制度は、天武2(674)年、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ:大伯皇女)を神に仕える御杖代(みつえしろ;神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として伊勢に遣わしたことに始まります。ここまで来ると、いよいよ斎宮に来たと実感します。この祓川、江戸初期以降、冬から春の渇水期には仮板橋をかけ、夏から秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭、舟銭を徴収していたそうです。

Img_0130c_20211119040701  ちなみに、祓川の堤防はほとんど自然のままの林や竹藪になっていて、多種多様な生物が生息していて、日本の重要湿地500選の1つになっています。たしかに、護岸工事が行われて、コンクリートで固められているところはほとんど見えませんでした。祓川橋の南たもとには、サクラの花が返り咲き。

Kushida3  ここで、実際に歩いたルートマップはその3へ。外宮への道標で左折し、神宮橋、祓戸広場から斎宮歴史博物館の敷地へ。祓戸跡・小倉神社跡を見て、博物館の見学へと進みます。

Img_0142c_20211106201901 Img_0154c  祓川の少し先、街道の東には外宮への道標が建っています。「従是外宮三里」と刻まれています。前回、外宮まで4里の道標がありましたので(2021年11月5日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))、1里進んだということ(微笑)。この道標の先を左折し、水田の中の道を斎宮歴史博物館に向かいます。途中、右の写真にも見えていますが、近鉄山田線の線路をくぐって行きます。

Img_0157c_20211119042601Img_0179c_20211119042601  近鉄山田線の線路の先。遊歩道のように整備されていて歩きやすくなっています。祓戸広場の近くまで来たら、「しまかぜ」が通過。「しまかぜ」や「ひのとり」が通ると、反射的に写真を撮ってしまいます(苦笑)。

Img_0168c_20211119043901 Img_0171c_20211119043901  祓戸広場の手前で、ちょっとまた祓川を覗いてきました。ここには神宮(じぐ)橋がかかっていますが、もともとの橋は、昭和53(1978)年に流失。昨年(令和2(2020)年8月にかけ直され、今年度から利用できるようになっています。ここは、「奈良古道」と呼ばれる古代伊勢道の渡河地点だったと考えられているそうです。斎宮跡から近鉄漕代駅へ行けます。話が逸れましたが、このあたりにはカワセミ、オイカワ、カワムツ、ニゴイなど多種多様な生物が生息しているそうです。 

Img_0161c_20211119042601 Img_0188c_20211107070201  祓戸広場。2年前に来たときには、確かここでまだ発掘作業が行われていました(2年前の記事に写真があります:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))。その後、祓戸広場として整備されています。築山、ビオトープがあり、ウワミズザクラが植えられていました。

Img_0197c_20211106183901 Img_0206c_20211106183901  祓戸広場の先の森の中に祓戸跡という標柱が立っています。説明によると、「斎王が斎宮に入られるにあたり竹川(祓川)で祓を行われた。また5月と11月にも竹川祓を行われた。そのため河畔に祓殿が特設されていた」とあります。さらにこの標柱の奥に入ると、「小倉神社跡」という石碑が建っています。明治40(1907)年5月、竹神社に合祀されるまでここに小倉神社がありました(こちら)。この小倉神社は、もとは天王と呼ばれていた神社が改称したもので、この小倉神社が竹川の産土神という説があるそうです。

Img_0216c_20211119061301 Img_0220c_20211119061301  さて、斎宮歴史博物館に向かうのですが、途中で、こんな標識に気づきました。前回来たときには何気なく歩いた道なのですが、奈良時代の道路跡が、歩道として復元されているというのです。発掘調査で確認された道路跡。

Img_0230c_20211106183901  三重県立斎宮歴史博物館。斎宮は、飛鳥時代から南北朝時代まで、およそ660年続いた国の機関でしたが、資料が少なく、詳細は分からないまま、いつの頃からか「幻の宮」と称されてきました。しかし、昭和45(1970年)に始まった宅地造成に伴う発掘調査が契機となり、斎宮の存在が改めて確認され、その規模や変遷が次第に明らかにされて来ました。ここは、「斎宮」の解明に、文献資料と考古学の両面から取り組み、また、斎宮を介して歴史の面白さ、文化財の大切さを伝えている博物館です。

Img_0226c_20211119062901 私は確か4回目の訪問。同級生K氏もここを訪ねるのを楽しみにしていたといいます。この日は、常設展の他、「特別展斎宮平安五種競技-弓・馬・鞠・鷹・相撲-」を見てきました。両方合わせて¥790。鞠のところに「打毬」も展示されていました。「打毬」といえば、桑名にも「打毬戯(だきゅうぎ)」が伝わっています。桑名の打毬戯は、桑名藩・藩校立教館で行われていたものが、立教小学校に引き継がれています。立教小学校で練習風景を見たことがあります(2021年3月3日:春日神社で「金龍桜」の若木、立教小学校で「打毬戯」を見る)。

Img_0238c_20211106183901 Img_0246c_20211106183901  斎宮歴史博物館でほぼ4㎞、見終えて13時。ここで松阪駅のあら竹商店の売店で買ってきた弁当で昼食。気持ちが良いので、博物館前の広場のベンチで、「モー太郎寿司」(¥1,000)をいただきました。松阪牛のしぐれ煮が巻いてあります。もっと大きいと思ったら、案外小ぶりでしたが、これも絶品。これで、私は、あら竹商店さんの三大売れ筋弁当のすべてを制覇しました(他の2種類は、「モー太郎弁当」、「元祖特選牛肉弁当」)。

 マップには、塚山古墳群がありますが、長くなりましたので、それはその3にて。その3では斎宮史跡を見て回ります。

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