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2021年11月20日 (土)

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その3)……斎宮跡を見て回り、斎宮駅にゴール(完)

Kushida4  11月6日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」の本編その3です。その2では、祓川を渡って斎宮歴史博物館まで来ました。博物館の見学を終え、13時頃、博物館の前庭で昼食を摂りました。このあとは、斎宮跡を見て回ります。塚山古墳群は、博物館の敷地とその東側に広がっています。歴史の道を少しだけ通って、斎王の森へ。さらに、上園芝生広場にある斎宮史跡1/10模型、さいくう平安の杜にある復元された建物を見て、いつきの宮歴史体験館を覗いて、近鉄斎宮駅へゴール。

Img_0254c_20211106203401 Img_0261c_20211119181401  塚山古墳群は、斎宮歴史博物館および周辺に分布する群集墳で、5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。塚山古墳群については、一昨年6月2日の近鉄ハイキングで斎王まつりを訪ねた記事に詳しくあります(2019年6月8日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その1)……斎宮駅を出発して、いつきのみや歴史体験館、古代伊勢道、斎宮歴史博物館、塚山古墳群を見て、歴史の道から北野公園でお昼)。

Img_0264c_20211119181801 Img_0267c_20211119182001  歴史の道。古代の代表的な歌人が読んだ斎宮に関する和歌24首が、12本の擬木に刻みこまれています。歴史の道の途中で右折し、上園芝生広場の北側を歩いて、斎王の森へ向かいます。このあたりは、史跡公園として整備されていて、散歩に好適と思われます。

Img_0305c_20211107071901  「史跡公園斎王の森」です。斎宮跡のシンボルゾーンともいえるところ。南北朝の動乱によって斎王の派遣が途絶え、斎王のいない斎宮は荒廃してしまい、15世紀中頃には斎宮は地名だけが残るのみとなったといいます。しかし、ここは地元では斎王の御殿のあった場所として伝承されてきました。江戸時代の「伊勢参宮名所図会」にも紹介されています。森林に囲まれ、静寂とした雰囲気、神秘的な感じさえします。

Img_0281c_20211106183901  鳥居をくぐって入って行くと、「斎王宮趾」と刻まれた石碑があります。これは、昭和42(1967)年11月に建てられたもので、碑文は神宮祭主・北白川房ヱ内親王の御染筆。この斎王の森は、発掘調査の結果、斎宮の方各地割の外側であることが判明したのですが、その北西にあたることから、北東にあった丑寅神社とあわせ、外部の穢れから斎宮をまもる役割を果たした可能性があるといいます(現地の説明板による:丑寅神社旧蹟については、2019年6月9日の記事を参照ください:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索)。

Img_0298c_20211119182901  斎王の森の背後には、最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ:大伯皇女とも。天武天皇の娘)の歌碑が建っています。大伯皇女は、ひそかに伊勢へ訪ねきて京に帰る弟・大津皇子の身を案じ、「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡(ぬ)れし」と詠んでいます。皇位継承の問題があり、皇子は、帰京後まもなく謀反の罪を着せられ、自害しています。平成5(1993)年9月の建立。書は、歌人・岡野弘彦さん(三重県のご出身)。

Img_0285c_20211119182901 Img_0291c_20211119182901  歌碑の近くには、「掘立柱建物跡」や、「井戸跡」があります。発掘調査によってその存在が明らかにされたものが、その場所にこのようにつくられています。

Img_0318c_20211119192301  次に、斎宮史跡1/10模型。左の写真は、遠景。史跡全体を10分の1のスケールで再現しています。斎宮の広大な規模と当時の姿がかなり具体的にイメージできるところとなっています。発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物も配置されています。

Img_0334c_20211106184001 Img_0331c_20211106184001  近景。なかなかのクオリティ。ガリバーになった気分というか(微笑)。以前は、斎王らしき人形も置いてあった記憶があります。

Img_0411c_20211119192901  サイズが実感できないかと思いますので、あまりよい写真ではありませんが、人が写ったものも。ただし、人も入れて写すという気がありませんでした。この写真は、いつきの宮歴史体験館から撮ったもの。

Img_0350c_20211106184001 Img_0357c_20211106184201  こちらはさいくう平安の杜。平安時代の建物3棟が復元されています。斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられる3棟の建物、

Img_0364c_20211119193501 Img_0360c_20211119193501  正殿を復元した建物。斎宮寮の長官が儀式を行ったり、都や神宮からの
使いを出迎えるために使われたと考えられています。「斎王まつり」の時も、ここでセレモニーが行われていました(2019年6月9日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索))。

Img_0395c_20211119193601Img_0386c_20211119193601  左の写真は西脇殿、右は東脇殿。西脇殿は、3棟の中でもっとも大きな建物。ここでは、屋内での儀式や都や神宮からの使いをもてなす宴会などが開かれたと考えられています。東脇殿は、儀式の前に斎宮寮の役人が待機したり、儀式の準備に使われた建物だったといいます。

Img_0415c_20211106184201 Img_0421c_20211106184001  最後にいつきの宮歴史体験館。斎王制度は天皇の代ごとに替わって、飛鳥時代から鎌倉・南北朝時代まで660年間続いたのですが、その中でもっとも華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。右の写真の中央に写っているのは、「葱花輦(そうかれん)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴かれるときにも使われました。葱花輦は、斎宮歴史博物館にもあります。

Img_0436c  斎宮駅は、いつきの宮歴史体験館のすぐ南。14時45分にゴール。6.7㎞を歩いてきました。14時58分の伊勢中川行きに乗車。松阪に15時11分着。15時17分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には、16時22分に到着。¥1,090。かなり乗りでがあります(微苦笑)。次回からは、もう少し早い時間から歩き始めたいと思うので、もう1本早い電車で行った方が良さそうです。

Img_0457c_20211106184001 こちらがこの日の歩数。現地で6.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞ですので、合計8.9㎞ですから、17,015歩はまあまあ妥当。今日も無事に行ってこられ、しっかり楽しめました(微笑)。次回は、11月下旬の見込み。内宮までは、残り16㎞ほど。あと3回でお参りできるはず。年内にゴールできるか、初詣になるか、どうでしょう?

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コメント

ミリオンさん、こんにちは。

伊勢への行き帰り、斎宮駅の東に「斎宮」と書いた大きな看板がありますし、近鉄線に近いところに復元された3棟の建て桃のが見えますね。

私は、あの「斎宮」という大きな看板がずっと気になっていました。

2年前に斎王まつりに行きましたが、なかなか見事でしたよ。
いつきの宮歴史体験館へいくと、十二単を着る体験もできます(今は、コロナで中止中ですが)。
博物館の展示もなかなかおもしろかったです。

投稿: mamekichi | 2021年11月20日 (土) 14時49分

伊勢志摩方面に行った時斎宮駅周辺で歴史的建造物を電車の中からみます。
眺めるだけで一度も斎宮駅で降りたことはないです。
平安時代の衣装を着た斎王まつりは見てみたいです。

投稿: ミリオン | 2021年11月20日 (土) 13時22分

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