20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(予告編)
前回から3週間をおいて(2021年11月 6日 :20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編))、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第15回に行ってきました。「満を持して」ということではありません、単に二人の予定が合うのが今日だったということ。今日は寒くなるといわれましたが、桑名では最高気温は10.9℃。北風も吹いていましたし、ゴールの明野ではにわか雨に見舞われました(苦笑)。冒頭の画像は、今日のコース全体図。近鉄山田線斎宮駅からすぐに伊勢街道に出て、ほぼ東に向かいます。主なところでは、竹神社、有明六地蔵、安養寺で明星水の井戸、そうめん坂、轉輪寺、八柱神社から徳浄上人千日祈願の塔を回って、さらにへんば屋さんに足を伸ばし、明野駅にゴール。現地では、8.7㎞を歩いてきました。
近鉄桑名駅8時22分発の伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時23分着。ここで賢島行き普通電車に乗り換えて(9時28分発)、斎宮駅には9時49分に到着。9時55分にスタート。南へ100mあまり行くと、伊勢街道に出ます。前回、祓川を渡ってすぐの「外宮道標」で左折して、斎宮歴史博物館に向かいました。そこからここまで1㎞あまり、伊勢街道を歩いていない空白区間があります。
伊勢街道に入ってすぐ、左側に「斎王宮之遺蹟」と刻まれた石碑があります。ここは、牛場公民館の入り口です。この正面に公民館があり、それに向かって左手奥に秋葉神社と庚申堂がありました。
スタートから500mほどで竹神社。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。御祭神は、長白羽神、天照大御神、建速須佐之男命他9柱。手水舎では、この頃よく見られる「花手水」。
スタートから1㎞を過ぎたところに道標があります。「天滿宮乃道 四丁」とあります(4丁は約436m)。かつて存在した北野天満宮への道案内です。新しく建て替えられたもので、昔は、ここに黒木(樹皮を付けたままの木)の鳥居があったといいます。東面には「斎宮」と刻まれています。
天満宮への道案内から100mも行かないところに「有明六地蔵」があります。ここは、笛川地蔵院の跡地で、中町公民館があります。この地は伊勢神宮の「神領」であったため、明治時代の神仏分離令は大きな影響を及ぼしました。斎宮にあったほとんどの寺院は廃せられ、この笛川地蔵院も例外ではなかったのです。当時を偲ぶものとしては、わずかに六地蔵石幢が残るのみです。室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととり)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。六角形に削られた龕部(がんぶ;仏像を納めるため岩壁を掘りくぼめた場所)に六地蔵を刻んであります。
斎宮駅から1.5㎞ほどのところ、左側に道標が2基建っていました。手前のものには「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と、奥のものには「斎王隆子女王之墓従是五丁」と刻まれています。「斎宮旧蹟蛭澤之花園」の方は、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内。奥の道標は、明治41(1908)年建立。天延2(974)年、病気のため斎宮で亡くなった第43代斎王・隆子女王の墓への案内。隆子女王(醍醐天皇の孫女)は、わずか5歳で選ばれているのですが、斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、わずか在位3年で疱瘡(天然痘)で亡くなったといいます。
この200m先の勝見交差点の北西側には、山の神が3基、集められていました。こうして歩いてあちこちを見て回っていると、町かどや神社、たまに寺院の境内に本当にいくつもの山の神様が祀られています。昔は、村のそこかしこにあったものと思われます。勝見交差点を過ぎると、南側に「斎王参向古道」という案内板があります。斎王が、伊勢神宮に赴く官道でした。そのルートは確定できていないようですが、済生会明和病院の敷地を取り巻くあたりや、この近くにある水池土器製作遺跡付近を通っているようです。
スタートから2.2㎞ほどのところ、北側に長松山安養寺というお寺があります。臨済宗東福寺派に属する大寺院で、東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。鎌倉時代のことです。かつては、現在の済生会明和病院のところにあり、その後、天正16(1588)年、蒲生氏郷によって伊勢街道が付け替えられた頃、現在の場所に移されました。こちらに明和町の文化財解説シートがあります。その後、明治3(1870)年にいたって、廃仏毀釈のあおりで廃寺になったのですが、明治12(1879)年、当時の上野村の努力で再興されました。
この安養寺境内にある井戸を「明星水」と呼び、この水を求めて多くの人が詣でたといわれます。この明星水は、「明星」の地名の由来と伝えられています。後に、門前の在家が「如来清浄の禅に導き入れる」として明星水を使って茶店を商い、繁盛したそうです。この安養寺の火を使った湯茶には清めの力があると明星が降臨するといわれ、日本三霊水の一つに数えられたこともあります。
大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まり、「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。
そうめん坂の道標の先に「水池土器製作遺跡」という案内板がありました。ここは、近鉄ハイキングで歩いたときにパスしていました。奈良時代の工人集団の遺跡で、高低差約3m、幅約100m、長さ約200mの傾斜のゆるい場所に、掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成坑16基、土坑11ヵ所、粘土溜り2ヵ所、井戸跡1、溝1条などが見つかっています。土器焼成坑(右の写真)はほぼ二等辺三角形で、長さ2.6~4.2m、幅1.2~1.8m、深さ0.2~0.4mの地山を掘っただけの簡単な構造で、壁面や床面は赤く焼けており、炭や灰の交じった土中には多量の土師器(はじき)片があったといいます。掘立柱建物跡を中心に焼成坑が配され、井戸もあって、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示しており、わが国の土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる重要な遺跡であるため、昭和52(1977)年に国の史跡に指定されました。
水池土器製作遺跡のすぐ先には、明星山轉輪寺。真宗高田派のお寺。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた桑・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。
天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割Img_8650c も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から工事に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です。庫裏(右の写真)と表門、梵鐘は明和町有形文化財。庫裏が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。また、表門(上左の写真)は、度会郡玉城町の田丸城から移築したと伝わっています。
轉輪寺がスタートから約3.2㎞でしたが、このあと1.5㎞ほど、ひたすら歩いたのです。4.7㎞ほど、明星郵便局を過ぎ、八柱神社の近くに「従是外宮二里」という道標があります。嘉永6(1853)年の建立。ここは、明野への分岐点です。
道標の南を入ると、八柱神社。こちらによれば、新茶屋の集落が成立した江戸時代前期に産土社として牛庭御厨社が建てられ、宝暦2(1752)年に八王子社と改称されました。明治41
(1908)年に有爾櫻神社へ合祀されましたが、戦後旧社地である小字御前坂地内(地元ではジゾウヤブと呼ぶ)に分社され、昭和31(1956)年の造替時に現在の場所へ移転しています。
弘法大師堂。新茶屋の集落の東端、伊勢街道沿いにあります。元は江戸時代の文政13(1830)年に新茶屋村の行者心勝によって建立され、現在の石像は明治34(1901)年に新茶屋村の人々によって再建されたもの。大正時代に弘法さんは一度埋められてしまったそうですが、関係者に次々と不幸が起きたため、改めて大事に祀られるようになったといいます。
スタートから6㎞を過ぎて、いよいよ伊勢市に入ります。といっても平成の大合併(2005年11月)までは、度会郡小俣町でした。伊勢街道の最後の宿場として栄えたそうです。
明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊場(根城)にして修行していたのですが、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧のはを徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。
このあと、同級生K氏が、「へんばやへ行って、へんば餅を買っていかないと」ということで、明野交差点を右折し、へんばやへ。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。「へんば餅」はここの名物。土産を買ってきました。へんばやで今日の目的地は、コンプリート。明野駅方面に向かいます。
昼食を食べようと最初に行った店は、臨時休業。このころにわか雨に降られ、このお店の軒下のベンチで勝手に雨宿り。青空が出て来たので、明野高校近くのお好み焼き・みとへ。たぶん明野高校の生徒さんがたくさん訪れる店。「豚入りお好み焼き」、¥600をいただいてきました。創業42年とおっしゃっていました。
近鉄山田線明野駅には、13時50分にゴール。現地では8.7㎞ほどを歩いてきました。ちょうど伊勢中川行きの普通電車が出たところで、14時23分の伊勢中川行きまで30分待ち。伊勢中川駅には、14時50分に到着。15時1分発の名古屋行き急行に乗り替え。桑名には、16時4分着。¥1,160。ちなみに、右の写真は、明野駅にあった路線図&料金表。「当駅」が明野駅。桑名は、上部の中央あたりの赤丸をつけたところ。遠かった(微苦笑)。
今日の歩数。21,003歩。現地で8.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計10.9㎞。土産は、へんばやで買ってきたへんば餅、赤飯、昆布の佃煮。次回は、外宮へ、その次は内宮へそれぞれお参りできる見込み。年内で、全行程踏破と行きたいところです。
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