20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その1)……松阪駅をスタート、和歌山街道との追分、龍泉寺から管相寺へ
10月30日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」の本編その1です。この日は、好天で暖かくなり、まさにウォーキング日和でした。これで、10月は、10月9日(20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編))、16日(20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】)に続いて、3回も歩いたことになります。この日は、松阪駅から近鉄山田線の櫛田駅まで、8.4㎞を歩いてきました。これで10月中に津の高茶屋から松阪の櫛田まで歩けました。この日歩いたコースは、冒頭の画像の通り。松阪駅から日野町交差点に出て、そこから伊勢街道をひたすら南東へ進み、櫛田川の手前まで行ったという次第。
第13回にしていよいよ/とうとう「伊勢15㎞」という表示に出会いました。櫛田駅南の県道37号線(県道松阪鳥羽線)の交差点です。また、途中、スタートから6㎞の手前に「従是外宮四里」という道標があります。思えば、遠くまで来たものです。
近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分に到着。乗車時間は、1時間を越え、1時間5分。「電車に乗ったぞ!」という気分。運賃は、¥960。9時50分過ぎに松阪駅南口(JR松阪駅)をスタートします。松阪駅前には、駅鈴(えきれい)のモニュメントがあります。駅鈴は、本居宣長が好んだといいます。律令制の頃、公務出張に際し朝廷から与えられた鈴で、駅馬(えきば)の供与を受ける資格を証明し、これを鳴らしながら旅行しました。
こちらが実際に歩いた詳細なルートマップのその1。松阪駅南口(JR松阪駅)を出て、ベルタウン沿いに南西へ。日野町交差点を右折して、伊勢街道に入ります。愛宕町で寄り道2ヶ所。その先しばらくは、立ち寄るところはありません。
蒲生氏郷が、天正12(1584)年、伊勢松ヶ島(松阪市)12万石の城主となり、松阪に入ったとき、出身地の近江・日野をはじめ、各地から商人などを招いています。その出身地に由来する町名を付け、それが今に伝わっています。その1つが、ここ日野町。
その日野町交差点は、和歌山街道と伊勢街道の追分です。南の角にあるヒシナカ薬局のすぐ目の前に道標があります。この道標には、「右わかやま道」「左さんぐう道」とありますが、いつ建立されたかなどは不明です。江戸時代、松阪は紀州藩の領地で、和歌山街道は、和歌山の本城と松阪城を結んだ街道。ちなみに、松阪は、蒲生氏郷が、天正18(1590)年の小田原征伐の功として会津若松へ移封した翌年、服部一忠(はっとりかずただ)が3万5000石で入封し、松阪藩ができます。文禄4(1595)年、古田重勝(しげかつ)が城主となります。慶長5(1600) 年に2万石が加増され、2代続いたのち、元和5(1619) 年、石見・浜田(島根県)へ転出し、廃藩となり松阪は和歌山藩領となりました。
途中、湊町あたりでおもしろいもの2つ。道路の西側を歩いていたら、東側の歩道に朱い鳥居。神様か?と思ってわざわざ見に行ったら、桜の木に「夢を叶える樹」という看板。この他3ヶ所にもあり、それで十字形をなし、「四方の桜めぐり」という説明がありました。もう1つは、右の写真。愛宕川となっています。愛宕川は今も流れているのですが、このあたりは暗渠になっていました。橋がかかっていたことを示すモニュメントでしょう。
スタートして900mほどで愛宕町西交差点に来ます。ここで伊勢街道を外れて、寄り道。街道から北へ100mほどのところにある愛宕山龍泉寺(あたござんりゅうせんじ)です。ここは、神仏習合の雰囲気がとても強いお寺。三門の前に朱い鳥居があります。鳥居には「愛宕山」という扁額。また、境内にも津島神社、稲荷社などがあります。三門は県指定有形文化財。切妻造の薬医門で、時代は安土桃山時代。松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれますが、確証はないそうです。三門の手前にある朱塗りの鳥居は、権現鳥居(両部鳥居とも)というもの。2本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設け、貫(ぬき)で連結した鳥居で、神仏習合の神社に多いといいます。ちなみに、三門の右側の妻の破風には、焦げた跡が残っています。これは、昭和26(1951)年の松阪大火のときのものだそうです。
高野山真言宗のお寺。龍泉寺の開創は、聖武天皇(在位:724~49年)が行基に勅し、一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりと伝わっています(滝野川寺)。その後、永禄年間(1558~69年)、各地で戦が起こり、その影響を避けるため、永禄11(1568)年、松ヶ島平尾村に移り、「瀧泉寺」となったということです。さらに、松ヶ島城が松阪城に移り替えの際、時の住職良宗上人が現在の地に移建しました(こちら)。左の写真は愛宕権現殿、右の写真は愛染明王をお祭りする御堂。龍泉寺のサイトには、次のように書かれています:
当山は、昔から「お伊勢に七度 熊野に三度 愛宕さんへは月参り」とうたわれ、火防安住、商売繁盛、良縁祈願所として当地の人々から信心を集め「あたごさん、あたごさん」と親しまれています。ご本尊は、火防(ひぶせ)の霊神『愛宕大権現』と御分身の敬愛慈悲佛 『愛染明王』あいぜんみょうおうをお祀りする寺院です。また、三重四国八十八霊場の「第八十番札所」であり、伊勢乃国・松阪霊地七福神 「毘沙門天」びしゃもんてん をお祀りする寺院でもあります。
愛宕権現殿には、絵馬などが奉納されています。左は、昭和35(1960)年1月、三重修験道会が奉納した絵馬。修験道は、奈良時代の役小角 (えんのおづぬ) (役行者 (えんのぎようじや) )を祖とする日本古来の山岳信仰と平安時代の密教が習合して成立した呪術的宗教です。仏教の一派とされますが、神仏ともに仕えるといいます。
境内には、実にさまざまなものがありますが、私がここを訪ねたのは、たぶん3回目。過去の記事と重複しますので、割愛します。近鉄ハイキングで氏郷まつりに来たときの記事に詳しいので、そちらをご覧ください(2018年11月9日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その2)……愛宕山龍泉寺)。左の写真は、三門の説明に載っていた「伊勢参宮名所図会」の「龍泉寺」。かなり大きな寺院だったことが分かります。龍泉寺のある愛宕町は、江戸時代には川井町とともに遊郭として栄えたところだそうです。
今まで気づかなかったものを1つだけ。山門に向かって右手に、この「正親町天皇天正九年勅願所」という石碑がありました。天正9(1581)年春、松ヶ島より愛宕大権現を松阪へ遷ったのですが、同年、正親町天皇の御綸旨を下し勅願所となり「愛宕山 上福院 龍泉寺」と称するにいたったのです。
愛宕町西交差点近くには、シャッターにこんな絵が描かれていました。名高い映画監督小津安二郎は、「子どもは環境のいい郷里で育てたい」という父の考えにより、9歳から19歳までの青春期を松阪で過ごしています。今年4月3日、松阪市立歴史民俗資料館2階に小津安二郎松阪記念館が新設されています。
伊勢街道に戻り、スタートから1.5㎞のところから南にお寺が見えます。梅松山管相寺です。ここは、まだお参りしたことがありませんでしたので、ここにも立ち寄り。臨済宗妙心寺派。愛宕の天神さんとして地元では親しまれています。菅原道真を祀る天満宮の別当寺であったといいます。
元来この地は、伊勢神宮の神領、飯高郡神戸垣鼻(現在は、松阪市垣鼻町と思われます)に接し、松や梅が生い茂っていたので「天神ノ森」とも「梅の森」ともいわれていたそうです。後世、天神信仰が盛んになるにつれ、天神祠がありました。元和5(1619)年、和歌山藩領となり、当時の代官長野九左衛門清貞が、この地方の開墾を企てたのですが、そのためにはここにあった塚をどうしても取り除かねばなりませんでした。しかし、その古墳は昔から霊験あらたかで、これを汚したりすると祟りがあるといって敬遠されていました。そこで、代官の清貞自らが鍬入れをしたところ、一大音響と共に、約3m下から宝剣が現れ、その剣に触れた者に神懸りがあり、「我こそは天満天神である!夢おろそかにしてはならぬぞ!」と、ご神託を蒙ったといいます。代官は、大いに恐れ畏み、すぐさまこの話を藩主に伝えたところ、不思議なことに藩主にも、同じようなお告げがあったそうで、一同は大変その霊異に打たれ、早速宮殿を建て、寛永2(1625)年、宝剣を天満大自在天神として奉杞したというのが、松阪天神の起こりです。その後、正保4(1647)年、天神祠を再建し、寒松院という寺を建て、愛宕山龍泉寺の僧が守っていました。藩主が鷹狩に来たときに立ち寄り、梅松山菅相寺(ばいしょうざんかんしょうじ)という寺号を賜っています。その後いったんは衰えたものの、宝永7(1710)年に天神社が再興され、諸堂も整備されました。以上、長くなりましたが、管相寺のブログにあった記事からの引用です(昭和35年8月25日発行 菅相寺パンフレット編集:梅森香月(十六世住職)、森田利吉。発行:松阪天神奉賛会)。
境内には、松尾芭蕉の句碑「春もやや けしきととのふ 月と梅」があります(右の写真)。元治元(1864)年3月の建立。この句の出典は『薦獅子集』(巴水編)で、元禄6(1693)年1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にあるといいます(こちら)。木因は岐阜大垣の廻船問屋の主人。ちなみに、春、月、梅と季語が3つもあります。
本居宣長撰文の「天神之森碑」もありました。これは、寛政8(1796)年、本居宣長の撰文、橘千蔭(たちばなちかげ:1735~1808年)の揮毫により、文政9(1826)年に石工根来惣右衛門が刻したもの。碑文は、古墳が点在し、松梅生い繁る原野であったこの辺りを、寛永2(1625)年、紀州藩松阪城代長野九左衛門が「民之家地」にするため、古墳を取り除いて開墾したとき、光輝く刀剣が出土し、それを天満天神として永く祀ることになった由来が記されています。橘千蔭は、賀茂真淵の門人で江戸在住の国学者、『万葉集略解』30巻を著し、万葉学の普及に功があったと言われ、晩年には宣長と交流があったそうです。
こちらには、布袋様が祀られていました。松阪霊地七福神の一つ。本堂の前にも、立派なお腹をした布袋様の像が鎮座。
他にも、お稲荷さんが複数あったり、いろいろなものがありましたが、私が個人的に興味を持ったのは、この岩。「甌穴(おうけつ)」のある岩です。
管相寺を出て、伊勢街道に戻ります。伊勢街道の手前のお宅の外壁のところに車輪がいくつか置いてあります。大きなものは、木製の車輪に鉄の輪が嵌まっているようです。たぶん大八車の車輪。
この先、しばらく立ち寄るところはありません。写真は、管相寺の先、垣鼻町交差点のところにある三角公園。キリが良いので、その1はここまで。その2は、2.6㎞を過ぎ、名古須川を越えたところにある荒神山稲荷などから。
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