お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年11月

2021年11月30日 (火)

エレベーター点検のため早足散歩……本の整理中

Img_0034c_20211130161101  午前中はもう少し晴れ間があるかと思ったら、曇りがちでした。夜には雨という予報。明日の朝までのようですから、出勤の頃には上がっていると期待しています。今日は、10時から12時までエレベーター点検が予定されていました。9階までまだ階段で登れますが、できれば避けたいので、10時までに帰宅ということでいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.0㎞。無事に9時45分に帰宅。

Img_0111c_20211130161501 Img_0058c_20211130161101  住吉水門の内側にオオバン1羽と、キンクロハジロのメスが2羽。7時半過ぎですと、まだ陽が当たっていないので、暗い写真になります。

Img_0076c_20211130161001 Img_0068c_20211130161101  揖斐長良川の中洲には、アオサギが5羽。この頃、例の「集合場所」に割と早い時間からアオサギが集まるようになっています。カンムリカイツブリは、2羽見られました。

Img_0145c_20211130161001 Img_0125c_20211130161001  七里の渡し跡では、コガモのオスが2羽とメスが3羽、オオバンが1羽。オオバンがあちこちで見られるようになってきました。

Img_0207c_20211130161001  九華公園、今日はダイサギ、コサギ、アオサギはいませんでしたが、カイツブリは連日の登場。居着いているようです。そういえば、昨年でしたか、今頃やはりカイツブリが来ていました(2020年11月26日:九華公園に久しぶりにカイツブリが登場……ホシハジロのメスも)。奥平屋敷跡では、一瞬、カワセミを見たものの、すぐに姿を消してしまいました。

Img_0281c_20211130161001 Img_0289c_20211130161001  カモは、合計58羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモは2ペア(日によって、オスが来たり、来なかったりしています。これもちょっと不思議)、ハシビロガモは12羽。他はキンクロハジロ。上記のリンクにもありますが、去年はホシハジロのメスも来たのに、今年はまだ見ていません。ユリカモメは、今日もまったく見ませんでした。

Img_0251c_20211130161001 Img_0301c_20211130161001  カワラヒワは、鎮国守国神社の境内にはいたものの、公園の方にはやってきません。公園の外周遊歩道の東で、ジョウビタキのメス。ジョウビタキは、ときどき、挨拶しに来たというか、顔見せに来たというか、そんな感じで登場する気がします。貝塚公園では、ヒヨドリ、カワラヒワ、メジロがいたくらい。

Img_0348c_20211130161001 Img_0382c_20211130161001  新築公園で待っていたら、ジョウビタキのオスが近くにやって来ました。こちらの様子を窺いにやって来たような気もします(微笑)。寺町から、住吉入江に戻って来たら、オオバンが2羽。

0569acd1 Img_0395c_20211130175901  帰宅後、本の整理。退職したときに購入したスライド書棚が(2011年11月11日:今日は、これくらいで勘弁しておくか(笑))、不調。8年ほど前にも不調を来したのですが(2013年12月1日:今日は、スライド書棚修復と、本の整理、入れ替えでオシマイ)、その後も少しずつ傾いてきていました(左の写真は、2013年のもの。右が現状。これでも格納した状態)。これはいけないということで、このスライド書棚も、また、ついでに本もかなり処分して、スッキリさせようと決心したのです(苦笑)。小説の類いはほとんど処分。新書、専門書も使わない、読まないものを中心に処分する予定。残しておくのは、非常勤や相談で使いそうなもの、昔の本でここで手放したら、再入手が困難と思われるものという基準です。自分としては、かなり思い切るつもりですが、家内などからは「まだまだ」とだめ出しが出る可能性は大(爆)。どうなりますか?

Img_0132c_20211130161001  明日は、江戸橋の仕事、後期8回目。明日を乗りきると、折り返し。

20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(その2)……そうめん坂、水池土器製作遺跡、轉輪寺、八柱神社、外宮への道標、徳浄上人千日祈願の塔からへんばやに立ち寄って明野駅へゴール(完)

Saiku2  11月27日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」の本編その2です。その1では、安養寺で明星水の井戸を見るところまででした。まだ、明和町内を歩いています。上野交差点の先で「そうめん坂」があります。緩い坂を登ったところで、水池土器製作遺蹟に立ち寄り。伊勢街道に戻って、明星山轉輪寺。ここからしばらくは立ち寄るところはなく、1㎞半ほどひたすら歩いて、八柱神社。神社を出たところに外宮への道標そして弘法大師堂。ここまでが、実際に歩いたルートマップその2。

Img_8688c_20211127193301 Img_8692c_20211127193301  大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まります。「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。それにしても、今になってもその名前が残っているのは、おもしろい。このあたりで、スタートから約3㎞、時刻は11時10分くらい。

Img_8726c_20211127193301 Img_8730c_20211129040301  そうめん坂の道標の先に「水池土器製作遺跡」という案内板がありました。ここは、近鉄ハイキングで歩いたときにはパスしていました(2019年11月27日 :20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ)。奈良時代の工人集団の遺跡で、高低差約3m、幅約100m、長さ約200mの傾斜のゆるい場所に、掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成坑16基、土坑11ヵ所、粘土溜り2ヵ所、井戸跡1、溝1条などが見つかっています。

Img_8740c Img_8734c_20211129040301  土器焼成坑(左の写真)はほぼ二等辺三角形で、長さ2.6~4.2m、幅1.2~1.8m、深さ0.2~0.4mの地山を掘っただけの簡単な構造で、壁面や床面は赤く焼けており、炭や灰の交じった土中には多量の土師器(はじき)片があったといいます。掘立柱建物跡(右の写真)を中心に焼成坑が配され、井戸もあって、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示しており、わが国の土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる重要な遺跡であるため、昭和52(1977)年に国の史跡に指定され、昭和58(1983)年度に、その一部が復元・整備されています。

Img_8747c_20211129040901  4㎞の手前に明星山轉輪寺真宗高田派のお寺ですが、まちかど博物館も兼ねています。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた僧・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。古くから、この地には轉輪王が祭られ、信仰されていたためです。ちなみに、真慧上人の導きで真宗高田派に改宗したお寺、この地方では時々あります。

Img_8789c_20211127193301 Img_8758c  天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から工事に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です(左の写真)。庫裏(右の写真)が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。庫裏は、明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。

Img_8751c_20211127193301 Img_8800c_20211129041501  こちらは表門。度会郡玉城町の田丸城から御成門を移築したと伝わっています。梵鐘は、延宝8(1680)年、辻但馬守藤原秀種の作。鐘楼も、延宝8(1680)年に建てられ、梵鐘は、戦時中の供出も免れました。表門、梵鐘、庫裏は、明和町の有形文化財に指定されています。南門は、松坂城から移したという立派な門でしたが、写真を撮り忘れ(苦笑)。

Img_8793c_20211129042401 Img_8769c_20211129042401  左の写真は経蔵。安永6(1777)年の建立。銅製の釈迦如来像、経典、写本が収められています。右の写真は、同級生K氏がいうに、サンシュユの実ではないかということでした。桑名・寺町にある常信寺にサンシュユがあり、いつも花は見に行くものの、実は見たことがありませんでした。しかし、轉輪寺に来たのは、2回目でしたが、由緒もあり、立派な、いい感じのお寺です。

 明和町新茶屋に入って、両谷寺を探したのですが、見つけられず。帰ってからよく調べたら、新茶屋文化遺産マップに「寺の境内には観音堂、地蔵堂、秋葉堂、行者堂、庚申堂などもあります。庚申堂は『北向の庚申』として信仰が篤い」とありました。大きな本堂が見えるものと思い込んでいたのですが、それはないようです(Googlマップで検索すると写真が出て来ます)。

Img_8821c_20211127193301 Img_8832c_20211129043801  こちらは八柱神社。街道から左の写真のように鎮守の森が見えていました。神社検索(三重)には載っていませんでしたが、「新茶屋文化遺産マップ」に説明がありました。新茶屋の集落が成立した江戸時代前期に産土社として牛庭御厨社が建てられ、宝暦2(1752)年に八王子社と改称されました。明治41(1908)年に有爾櫻神社へ合祀されましたが、戦後旧社地である小字御前坂地内(地元ではジゾウヤブと呼ぶ)に分社され、昭和31(1956)年の造替時に現在の場所へ移転しています。

Img_8836c_20211129043801 Img_8841c_20211127193301  御祭神は、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと:素戔嗚尊と天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神。ただしくは、正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天忍穂耳命)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと:天穂日命とも書く。天之忍穂耳命と同じく、五男神の一神)、天津日子根命(あまつひこねのみこと:天津彦根命とも。同じく五男神の一神)、活津日子根命(いくつひこねのみこと:同じく五男神の一神)、熊野久須毘命(くまのくつひのみこと:五男神の一神)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと:田霧姫命とも。天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市寸嶋比賣命(しちきしまひめのみこと:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とも。三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと:湍津姫命とも。三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)の8神。神様が8神いらっしゃるので、八柱神社。平成28(2016)年に遷宮をしたとありました。

Img_8838c_20211129043801 Img_8824c_20211129043801  境内には山の神が4基。ここの山の神様は、すべて「山之神」と彫られていました。一の鳥居のところには、右の写真のように、「為征清軍凱旋紀念」とある石柱が1対ありました。幟旗を立てるポールに添えられています。明治28(1895)年に建てられていますので、日清戦争の戦勝記念と考えられます。

Img_8866c_20211127193301 Img_8870c_20211129061601  八柱神社から伊勢街道に戻ったところに道標があります。正面には「従是外宮二里」と彫られています。とうとう外宮まで2里(約8㎞)のところまでやって来ました。左面には、「宮川江一り」とあります。宮川までは1里(約4㎞)。

Img_8904c_20211127193301 Img_8893c_20211129062901  明和町新茶屋の集落の東端、伊勢街道沿いに弘法大師堂があります。元は江戸時代の文政13(1830)年に新茶屋村の行者心勝によって建立され、現在の石像は明治34(1901)年に新茶屋村の人々によって再建されたもの。大正時代に弘法さんは一度埋められてしまったそうですが、関係者に次々と不幸が起きたため、改めて大事に祀られるようになったといいます。

Img_8910c_20211127193301  弘法大師堂のすぐ先からいよいよ伊勢市に入ります。伊勢市といっても、平成の大合併(2005年11月)までは、度会郡小俣町でした。伊勢街道の最後の宿場として栄えたそうです。

Saiku3  実際のルートマップは、その3になります。残りの立ち寄りスポットは、徳浄上人千日祈願の塔と、へんばや。2ヶ所に行った後、明野駅に向かいますが、その前に昼食。これがちょっと苦労(微苦笑)。

Img_8918c_20211127193301  スタートから6.6㎞ほど、明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊場(根城)にして修行していたのですImg_8933c_20211127193301 が、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧は徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。この塔に向かって右脇には、「廻国供養碑」。かなり風化していますが、碑表には「大乗妙典六十六部廻國供養」、右面に「寛保元(1741)辛酉十月廿一日」、左面には「願主/小俣住人直念」とあります。ちなみに、廻国供養塔とは、日本全国の社寺に法華経を納経する名目で行われた巡礼(日本廻国)に関わった人たちが造立した石造物をいいます。千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。

Img_8936c  ここには、鳥居もあります。説明がなく、よく分からなかったのですが、神社でいうとご神木のような木かと思います。

Img_8946c_20211127193301 Img_8950c_20211127193301  最終目的地は、この日最大のミッションかも知れません(微笑)。同級生K氏が、「へんばやに立ち寄って、へんば餅を10個買ってくるように」という指令を受けてきたのだそうです。こちらがへんばや。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。

Henba2_20211129063801 Img_9066c_20211127193301  「へんば餅」はここの名物(写真は、へんばやさんのサイトからお借りしました)。私にはとくに指令はありませんでしたが、土産を買ってきました。へんば餅(5個入り¥400)、赤飯弁当(一合少々で¥450)、昆布の佃煮(250gで¥1,000)です。へんばやで今日の目的地は、コンプリート。明野駅方面に向かいます。

Img_8957c_20211129064201  途中、踏切の手前でこんな看板。陸上自衛隊明野駐屯地に航空学校があります。旧陸軍飛行学校の歴史を引き継いで、ヘリコプターの訓練が行われています。私たちは、明野航空学校と呼んでいます。1㎞以上先ですから、この日は行っていません。

Img_8964c_20211129064901 Img_8967c_20211129064901  明野駅西の踏切を渡ったところに道標が1基ありました。けっこう風化していて読みにくかったのですが、「すく 明野」「右 新茶屋/左 野依○○(不明) 道」などとありました。

Img_8970c_20211129065601 Img_8973c_20211129065601  この道標のところを右折して、駅の北へ。事前に調べて、「こなつ」といううどんと天むすの店へ行こうと思っていたのですが、臨時休業(涙)。おまけにこの店に向かう途中から、にわか雨。店の前、軒下にベンチがありましたので、勝手に借りて、雨宿り。

Img_8980c 1637987497898c  15分ほどで雨も上がったので、明野高校近くにあるお好み焼き・みとへ。これが大正解。ふわっとした美味しいお好み焼き。豚入りが、¥600。たぶん明野高校の生徒さん御用達のお店。創業42年と伺いました。ときどき、我々のような街道歩きの人も訪れるそうです。みとさんについたのは13時20分頃。30分弱滞在して、駅へ。

Img_8984c_20211127193301 Img_8995c_20211127210901  ゴールの明野駅。ちょうど13時50分頃到着。ここまで8.7㎞ほどを歩いてきました。あいにく我々が駅に着くと同時に、伊勢中川行きの普通電車が出てしまいました。次は、14時23分。やむを得ず、ブラブラ、ウロウロ(笑)。ローカル駅へ行くと、まあこんなもの。退屈しのぎに路線図&料金表を眺めていました。右の写真で、「当駅」とあるのが、ここ明野駅。桑名は、上の方の赤丸のところ。料金は、¥1,160。この路線図でいうと、明野駅から左へ。松阪を経て、伊勢中川まで普通電車で行きます。ここから名古屋行き急行に乗り換え。

Img_9017c  ホームへ上がったら、「」が通過。去年、リニューアルされていました。新しいタイプは、初めて見た気がします。14時23分発の伊勢中川行き普通に乗って、伊勢中川駅には14時50分に到着。

Img_9033c_20211129071101 Isenakagawa  こちらは、伊勢中川駅。近鉄名古屋線、大阪線、山田線の乗換駅。1番線から6番線までありますが、1~5番線間には全てホームがあり、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。15時1分発の名古屋行き急行に乗り替え、桑名には16時4分着。上記のように、¥1,160。

Nakagawashoortcut  余談。伊勢中川駅の構造は、上述の通りなのですが、駅の北西には「中川短絡線」があります。大阪上本町方面と近鉄名古屋方面間を方向転換なしで直通できる単線の短絡線で、名阪特急がここを通過して行きます。

Img_9056c_20211127193301  この日の歩数。21,003歩。現地で8.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計10.9㎞。次回は、外宮へ、その次は内宮へそれぞれお参りできる見込み。年内で、全行程踏破と行きたいところです。

 

2021年11月29日 (月)

まだまだ紅葉……珍鳥はいないものの、「普通種」で十分楽しむ

Img_9634c_20211129182301  11月ももう終わり。毎度毎度のことながら、月日が経つのは速いこと。水曜日からは12月です。とはいえ、何はなくとも江戸紫ではなく、散歩。今日も7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と回ってきました。歩いた距離が短いのは、午後から、市民大学郷土史学科があり、しかも歩いて行こうと思ったから。合計7.7㎞も歩きました。冒頭の写真は、住吉神社にて。7時40分の写真。いつもとはパターンを変えようということです。元旦には、鳥居の中央から日が昇るという話です(一度も実際に見に行ったことはありません)。

Img_9650c_20211129182301 Img_9679c_20211129182301  揖斐長良川の中洲には、アオサギさんの姿。例の集合場所には2羽、この少し下流にももう1羽。ちょっと遠いものの、ここにアオサギがいてくれるのは嬉しい。しばらく見なかったカンムリカイツブリも2羽ほどを確認。私が歩いているのは、揖斐川右岸。こちらには、カンムリカイツブリは中々寄って来ませんが、今日は珍しくすぐ目の前に浮かんできたのです。

Img_9697c_20211129182301  七里の渡し跡、今日は、コガモが3羽。オスが2羽にメスが1羽。どういう組合せかは、不明。九華公園のヒドリガモも、たいていはオス1羽にメス2羽が一緒に行動しています。こちらも関係はよく分かりません。

Img_9753c_20211129182301  柿安コミュニティパークで、メスのジョウビタキ。画面の上の方に写ってしまったので、トリミングしたら、窮屈な写真になってしまいました。目の前に来たのですが、あまり近いのも撮るには難しい。

Img_9803c_20211129182301  九華公園に着いたら、北門のところの堀に、ダイサギ&コサギの名コンビ。ダイサギ同士、あるいは、コサギ同士は、餌をとる場所取りでよくトラブっているのを見ますが、「異種格闘技」はあまり見ない気がします。大きさの違いがよく分かる写真になりました。凸凹コンビという感じ。

Img_9815c_20211129182201 Img_9877c_20211129182201  奥平屋敷跡では、ヒヨドリ、ドバトがいたものの、前管理人Oさんがいらしたら、皆飛び立ってどこかに行ってしまいました。たぶん因果関係はなく、たまたま。たまにはヒヨドリも載せないと僻むかも(笑)。ハクセキレイは、いつも来ている個体。

Img_9826c_20211129182201 Img_9839c  カモ、今日は合計42羽とやや少なめ。ホシハジロのオスは1羽、ヒドリガモはオスが1羽にメスが2羽、ハシビロガモは12羽でした。キンクロハジロが少ないことになります。

Img_9847c_20211129182201 Img_9853c_20211129182201  奥平屋敷跡にいたら、ダイサギが二の丸跡にやって来ました。堀を覗き込んで、ダイビングでも見せてくれるかと勝手に期待したものの、堀に降りただけ(右の写真)。「白鳥の湖」ならぬ、「ダイサギの堀(爆)」。魚を捕るところも見せてはくれず。

Img_9905c_20211129182201 Img_9898c_20211129182201  相変わらず鳥は少なくて、ちょっと残念。ツグミ、シメは今日も姿は見られず。鎮国守国神社にお参りして、再び、北門の方へ。公園西側の堀、舟入橋の近くでカイツブリ。そこへ、アオサギ登場。

Img_9925c_20211129182201  さらにその近くには、コサギ。北門のところの堀にいたコサギと思います。コサギは、足でつつくような動作を繰り返していました。これは、獲物を追いだして採ろうとしているのです。私は、ドジョウすくいの動作を思い出してしまいます。残念ながら動画は撮ってきませんでした。

Img_9934c_20211129182201  野球場の南の堀のところでは、ハシビロガモとヒドリガモが全部で15羽ほど集まって、休憩中。写真は、その一部。

Img_0018c_20211129182201  貝塚公園の西のお宅でジョウビタキのメス。贅沢をいってはいけませんが、ちょっと明るすぎました。

Img_9891c_20211129182201 Img_9894c_20211129182201  まだまだしつこく紅葉。左の写真は、鎮国守国神社の「なんちゃって紅葉」。右は、ドウダンツツジ。真っ赤にならないかと期待しているのですが、なかなか。

Dscn4829c 午後からは、パブリックセンターにて市民大学郷土史学科。昨日も書きましたが、3週連続の2回目。通算6回目ですが、9月にコロナで中止になった分が今日でした。来週月曜は、レギュラーというか、当初からの予定通りで最終回。今日まで6回は連続して出席していますので、今年も修了証書がいただけるはず。桑名藩の事件簿というテーマで、今日は、戊辰戦争についての話の3回目。

20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(その1)……斎宮駅をスタート、道標・石柱をいくつか見て、竹神社、有明六地蔵、山の神、斎王参向古道標識を過ぎ、安養寺の明星水へ

Saiku  前回から3週間をおいて(2021年11月 6日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編))、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第15回に行ってきました。天気予報では、この日は寒くなるといわれましたが、桑名では最高気温は10.9℃。北風も吹いていましたし、ゴールの明野ではにわか雨に見舞われました(苦笑)。冒頭の画像は、今日のコース全体図。近鉄山田線斎宮駅からすぐに伊勢街道に出て、ほぼ東に向かいます。主なところでは、竹神社、有明六地蔵、安養寺で明星水の井戸、そうめん坂、轉輪寺、八柱神社から徳浄上人千日祈願の塔を回って、さらにへんばやさんに足を伸ばし、明野駅にゴール。現地では、8.7㎞を歩いてきました。

Img_8363c_20211127193201 Img_8379c_20211127193201  近鉄桑名駅8時22分発の伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時23分着。ここで賢島行き普通電車に乗り換えて(9時28分発)、斎宮駅には9時49分に到着。9時55分にスタート。南へ100mあまり行くと、伊勢街道に出ます。前回、祓川を渡ってすぐの「外宮道標」で左折して、斎宮歴史博物館に向かいました。そこからここまで1㎞あまり、伊勢街道を歩いていない空白区間があります。

Saiku1  詳しいルートマップその1。伊勢街道に入ってすぐに「斎王宮之遺跡」と刻まれた石碑。この奥に公民館と秋葉神社・庚申堂。その先で竹神社。1㎞を過ぎると、「天満宮乃道」石碑、有明六地蔵と続きます。笹笛川の手前で、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王墓従是五丁」の2基の石柱。川を越えると、済生会明和病院の北に「斎王参向古道標識」があります。

Img_8398c_20211127193201 Img_8410c_20211127193201  高宮歯科の先に「斎王宮之遺蹟」という石碑があります。ここを入って行くと、正面に牛場公民館があり、その西に秋葉神社と庚申堂が並んでいます。秋葉神社は、鳥居から祠からすべて石造。由緒などは不明ですが、リンク先の記述では、「明治2年大海田水代大刀自神社として勅使が宇田の明神に奉幣するはずであつたが社殿がないので取りやめた。御神体は牛葉組の秋葉神社(当社)へ合祀されたという」とあります。庚申堂について、詳細は不明。

Img_8521c  続いて、竹神社。第11代垂仁天皇の御代、竹連(たけのむらじ、竹氏という豪族)の祖・宇加之日子の子の吉日古が、天照大神を奉じて伊勢御巡行中の倭姫命のお供をしてこの地に留まり、多気郡一円を領して斎宮に住んだといいます。この竹氏の子孫が、祖神宇加之日子・吉日古を祀ったのが竹神社です。もとは、旧伊勢街道(参宮街道)の竹川から北へ約300m進んだ松林Img_8433c_20211127193201 の中(斎宮歴史博物館南側駐車場前の奥の林)にあったのですが、明治44(1911)年、旧斎宮村内の23社を合祀し、現在の地に遷っています。当社は旧斎宮全村はおろか多気郡全体の総祖神とされ、延喜式内社でもあります。御祭神は、長白羽神(ながしらはのかみ;伊勢麻績(いせのうみ)の祖。天照大神が天の岩屋にこもったとき青和幣(あおにきて;麻製の幣(ぬさ))をつくった。私にとって、初めての神様です)、天照大御神建速須佐之男命、八柱神応神天皇地主神(ジヌシガミ;その土地や屋敷を守護する神)、火産霊神(ほむすびのかみ;迦具土神(かぐつちのかみ))、宇迦御霊神大己貴命、天棚機姫命(あめのたなばたひめのかみ;天照大神を天の岩戸からさそいだすために神衣を織った)、八千々姫命(あめのやちちひめ;機織を司る神)、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ;祓い浄めの女神)となっています。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。

Img_8441c_20211128185401 Img_8448c_20211128185401  以前から気になっているのが、左の写真にある、拝殿前の石垣。一昨年、近鉄ハイキングの伊勢参りツアーで来たときに伺ったものの、残念ながら、「結論が出ていない」ということでした(2019年11月26日:20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その1)……竹神社、有明六地蔵、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王之墓従是五丁」道標、安養寺と明星水の井戸)。右の写真は、東側から見たもの。これをみると、「蕃塀(ばんぺい)」のような気がしますが、ここは、もとは斎宮城があったと伝わるところでもあり、それにまつわるものかも知れません。竹神社についての詳しいことは、2019年6月9日の記事(20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索)をご覧ください。

Img_8508c_20211128190901 Img_8483c_20211127193201  この日、目立ったのは、手水舎にあった花手水。最近、あちこちで見ますが、ここのものは丁寧に飾られている気がします。

Img_8541c  スタートから1㎞を過ぎたところに道標があります。「天滿宮乃道 北入四丁」とあります(4丁は約436m)。かつて存在した北野天満宮への道案内です。新しく建て替えられたもので、昔は、ここに黒木(樹皮を付けたままの木)の鳥居があったといいます。東面には「斎宮」と刻まれています。ちなみに向かって左の小川は、エンマ川(絵馬川)。
Img_8549c_20211128192301  天満宮への道案内から100mも行かないところに「有明六地蔵」があります。ここは、笛川地蔵院の跡地で、中町公民館があります。この地は伊勢神宮の「神領」であったため、明治時代の神仏分離令は大きな影響を及ぼしました。斎宮にあったほとんどの寺院は廃せられ、この笛川地蔵院も例外ではなかったのです。当時を偲ぶものとしては、わずかに六地蔵石幢が残るのみです。

Img_8553c_20211127193201 Img_8557c_20211128192401  室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととり)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。六角形に削られた龕部(がんぶ;仏像を納めるため岩壁を掘りくぼめた場所)に六地蔵を刻んであります。六地蔵とは、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに衆生救済のため檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵が配されています。

Img_8574c_20211128192501  有明六地蔵のあるところには、庚申堂らしきものが3つありました。現地の案内板には、「宝永7(1710)年の銘のある地蔵菩薩立像が安置され、現在も8月に地蔵盆が行われ、地域の篤い信仰を受けています」とあります。

Img_8589c_20211127193201  スタートから1.5㎞ほどのところ、左側に道標が2基建っていました。手前のものには「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と、奥のものには「斎王隆子女王之墓従是五丁」と刻まれています。「斎宮旧蹟蛭澤之花園」の方は、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内(2019年6月 2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。奥の道標は、明治41(1908)年建立。天延2(974)年、病気のため斎宮で亡くなった第43代斎王・隆子女王の墓への案内。隆子女王(醍醐天皇の孫女)は、わずか5歳で選ばれているのですが、斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、わずか在位3年で疱瘡(天然痘)で亡くなったといいます。

Img_8603c_20211127193201  この200m先の勝見交差点の北西側には、山の神が3基、集められていました。こうして歩いてあちこちを見て回っていると、町かどや神社、たまに寺院の境内に本当にいくつもの山の神様が祀られています。昔は、村のそこかしこにあったものと思われます。

Img_8619c_20211127193201 Img_8623c_20211128193401  勝見交差点を過ぎると、南側に「斎王参向古道」という案内板があります。斎王が、伊勢神宮に赴く官道でした。そのルートは確定できていないようですが、済生会明和病院の敷地を取り巻くあたりや、あとで訪ねた水池土器製作遺跡付近を通っているようです。余談ですが、済生会明和病院には「明和病院なでしこ」という重症心身障害の施設が併設されています。私も大変お世話になった小児神経科医の故H先生や、児童指導員の先輩であったO先生が勤務していらしたところ。済生会明和病院は旧国立療養所明星病院の移譲を受けてできた病院なので、旧国立療養所鈴鹿病院で働いていた私にとっても、何となく懐かしい感じがするのです。

Img_8629c_20211127193301 Img_8641c_20211127193301  長松山安養寺というお寺があります。10時40分。臨済宗東福寺派に属する大寺院で、東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。鎌倉時代のことです。かつては、現在の済生会明和病院のところにあり、その最盛期には、「百間四方の境内の周りには堀が巡らされ、その中には多くの堂塔が立ち並ぶ大寺院であった」といい、京の五山に準ずる格式の寺だったといいます。室町時代には幕府や伊勢国司の北畠氏から手厚い保護を受けていましたが、天正4(1576)年、戦火で焼失したと伝えられています。その後、天正16(1588)年、蒲生氏郷によって伊勢街道が付け替えられた頃、現在の場所に移されました。こちらに明和町の文化財解説シートがあります。その後、明治3(1870)年にいたって、廃仏毀釈のあおりで廃寺になったのですが、明治12(1879)年、当時の上野村の努力で再興されました。

Img_8660c_20211127193301  この安養寺境内にある井戸を「明星水」と呼び、この水を求めて多くの人が詣でたといわれます。この明星水は、「明星」の8b9da6a8.jpg 地名の由来と伝えられています。後に、門前の在家が「如来清浄の禅に導き入れる」として明星水を使って茶店を商い、繁盛したそうです。この安養寺の火を使った湯茶には清めの力があると明星が降臨するといわれ、日本三霊水の一つに数えられたこともあります。

 その1は、ここまで。その2は、そうめん坂の案内板から。

2021年11月28日 (日)

今朝は冷えました

Img_9080c_20211128140401 Img_9092c_20211128140401  今朝は冷えました。最低気温、2.5℃。昨日の方が、山はもっと白くなっていました。昨日の朝、出かける頃は、鈴鹿山脈は雪雲に覆われていました。近鉄電車に乗っているときには、今日よりもっと白くなっているのが見えたのです。左は御在所岳、右は藤原岳。何れも今朝の様子。

Img_9106c_20211128140401  ちなみに御嶽山もこんな風でした。朝、家事を済ませて散歩に出たのは、8時10分。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、老松公園、八間通、住吉入江と5.7㎞。2時間余り。風は、3~4m/s吹いていましたが、陽が当たっていると、暖かく感じます。

Img_9160c Img_9142c_20211128140401  住吉水門の内側の住吉入江には、オオバンが1羽。住吉神社の東にある揖斐長良川の中洲、アオサギの集合場所には、2羽のアオサギ。アオサギは、もう少し下流にも1羽。

Img_9174c_20211128140401  七里の渡し跡には、今シーズン初。コガモが登場。オスが1羽。大山田川にやって来てから、たいてい1ヶ月あまりすると、ここにも姿を見せます。

Img_9201c_20211128140401 Img_9206c_20211128140401  九華公園の北門を入った堀では、ダイサギとコサギが仲良く、漁の最中。いつも来ている2羽と思います。

Img_9227c_20211128140401  相撲場近くの樹上には、カワラヒワ。木の実をいっぱいくわえています。そこへ散歩友達のWさん。「今日は、誰も来てないぞ。ハトだけや」と。しばし話したあと、「ハトの顔でも見てきます」といって奥平屋敷跡へ。

Img_9265c_20211128140401 Img_9288c_20211128140401  確かにドバトしかいません。他にはヒヨドリと、ハクセキレイ2羽。このハクセキレイもいつも来ているペアのようです。一瞬カワセミを見たのですが、逃げられました。二の丸堀の西側エリアには、今日もカイツブリ。ずっといるか、来ているようです。

Img_9344c_20211128140401  カモは、今日は合計56羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは9羽。他はキンクロハジロ。ユリカモメの姿は、今日も見られません。ついでながら、ツグミも、シメも見ず。

Img_9380c_20211128140401  公園の外周遊歩道、東側でイソヒヨドリのオス。九華公園で、イソヒヨドリを見ることはありますが、このあたりで見るのは、初めて。

Img_9413c_20211128140401 Img_9435c_20211128140401  その近くで、ジョウビタキのメス。ソメイヨシノの木を移動。近くにモズがやって来たのですが、双方驚いて逃げました。モズのオスは、野球場のライト側のフェンスへ。

Img_9500c_20211128140401 Img_9493c_20211128140401  シジュウカラは、証拠写真ですが、貝塚公園にて。新築公園では、ジョウビタキのオス。挨拶でもするかのように、ちょっと離れたところへやって来ました。

Img_9553c_20211128140401 Img_9558c_20211128140401  老松公園では、ハクセキレイとモズのメス。モズは、追いかけたものの、こんな写真しか撮れませんでした。すぐに見失ってしまいました。

Img_9593c_20211128140401  帰ってきて、玄関先から見た木曽御嶽山(向かって左)と乗鞍岳。よく見えていました。こういう景色を見ると、冬になったことを実感します。

Img_9125c_20211128140401  ところで、散歩に出たとき、カメラのズームが不調。スムーズに動かず、ズームアップすると一気に65倍までいってしまい、逆にマクロ側に動かすと広角いっぱいの位置まで戻ってしまうのです。「とうとう壊れたか? 昨日、ちょっと雨に濡れたのがいけなかったか?」などなど思ったのですが、しかし、途中、九華公園の外周遊歩道あたりで気づいたら、不調は回復していました。元通りスムーズに移動するようになり、しかも、思ったところでズーミングが止まるようになっていました。あとからよく考えてみると、何も操作しないとき、ズームレバーの位置がいつもとは異なったところにあったような気がします。今朝の冷え込みの影響もあったのかも知れませんが、カメラが不調ですと、自分自身も調子が出ないような気がします(苦笑)。困ったもの。写真は、諸戸氏庭園の紅葉。桑名七里之渡し公園の方から撮ったもの。

Img_9598c_20211128140401  今週は、明日また、市民大学郷土史学科の講座。3週連続の2回目。水曜は、江戸橋での仕事。そうそう、火曜日は午前中にエレベーター点検。確か10時から。10時までに散歩から帰ってこられるか/くるか? う~ん、なかなか難しい。

2021年11月27日 (土)

20211127「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第15回「斎宮~明野」(予告編)

Saiku  前回から3週間をおいて(2021年11月 6日 :20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編))、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第15回に行ってきました。「満を持して」ということではありません、単に二人の予定が合うのが今日だったということ。今日は寒くなるといわれましたが、桑名では最高気温は10.9℃。北風も吹いていましたし、ゴールの明野ではにわか雨に見舞われました(苦笑)。冒頭の画像は、今日のコース全体図。近鉄山田線斎宮駅からすぐに伊勢街道に出て、ほぼ東に向かいます。主なところでは、竹神社、有明六地蔵、安養寺で明星水の井戸、そうめん坂、轉輪寺、八柱神社から徳浄上人千日祈願の塔を回って、さらにへんば屋さんに足を伸ばし、明野駅にゴール。現地では、8.7㎞を歩いてきました。

Img_8363c_20211127193201 Img_8379c_20211127193201  近鉄桑名駅8時22分発の伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時23分着。ここで賢島行き普通電車に乗り換えて(9時28分発)、斎宮駅には9時49分に到着。9時55分にスタート。南へ100mあまり行くと、伊勢街道に出ます。前回、祓川を渡ってすぐの「外宮道標」で左折して、斎宮歴史博物館に向かいました。そこからここまで1㎞あまり、伊勢街道を歩いていない空白区間があります。

Img_8398c_20211127193201  伊勢街道に入ってすぐ、左側に「斎王宮之遺蹟」と刻まれた石碑があります。ここは、牛場公民館の入り口です。この正面に公民館があり、それに向かって左手奥に秋葉神社と庚申堂がありました。

Img_8433c_20211127193201 Img_8483c_20211127193201  スタートから500mほどで竹神社。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。御祭神は、長白羽神天照大御神建速須佐之男命他9柱。手水舎では、この頃よく見られる「花手水」。

Img_8541c  スタートから1㎞を過ぎたところに道標があります。「天滿宮乃道 四丁」とあります(4丁は約436m)。かつて存在した北野天満宮への道案内です。新しく建て替えられたもので、昔は、ここに黒木(樹皮を付けたままの木)の鳥居があったといいます。東面には「斎宮」と刻まれています。

Img_8549c_20211128192301_20220819045701  天満宮への道案内から100mも行かないところに「有明六地蔵」があります。ここは、笛川地蔵院の跡地で、中町公民館があります。この地は伊勢神宮の「神領」であったため、明治時代の神仏分離令は大きな影響を及ぼしました。斎宮にあったほとんどの寺院は廃せられ、この笛川地蔵院も例外ではなかったのです。当時を偲ぶものとしては、わずかに六地蔵石幢が残るのみです。室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととり)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。六角形に削られた龕部(がんぶ;仏像を納めるため岩壁を掘りくぼめた場所)に六地蔵を刻んであります。

Img_8589c_20211127193201  斎宮駅から1.5㎞ほどのところ、左側に道標が2基建っていました。手前のものには「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と、奥のものには「斎王隆子女王之墓従是五丁」と刻まれています。「斎宮旧蹟蛭澤之花園」の方は、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内。奥の道標は、明治41(1908)年建立。天延2(974)年、病気のため斎宮で亡くなった第43代斎王・隆子女王の墓への案内。隆子女王(醍醐天皇の孫女)は、わずか5歳で選ばれているのですが、斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、わずか在位3年で疱瘡(天然痘)で亡くなったといいます。

Img_8603c_20211127193201 Img_8619c_20211127193201  この200m先の勝見交差点の北西側には、山の神が3基、集められていました。こうして歩いてあちこちを見て回っていると、町かどや神社、たまに寺院の境内に本当にいくつもの山の神様が祀られています。昔は、村のそこかしこにあったものと思われます。勝見交差点を過ぎると、南側に「斎王参向古道」という案内板があります。斎王が、伊勢神宮に赴く官道でした。そのルートは確定できていないようですが、済生会明和病院の敷地を取り巻くあたりや、この近くにある水池土器製作遺跡付近を通っているようです。

Img_8629c_20211127193301 Img_8641c_20211127193301  スタートから2.2㎞ほどのところ、北側に長松山安養寺というお寺があります。臨済宗東福寺派に属する大寺院で、東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。鎌倉時代のことです。かつては、現在の済生会明和病院のところにあり、その後、天正16(1588)年、蒲生氏郷によって伊勢街道が付け替えられた頃、現在の場所に移されました。こちらに明和町の文化財解説シートがあります。その後、明治3(1870)年にいたって、廃仏毀釈のあおりで廃寺になったのですが、明治12(1879)年、当時の上野村の努力で再興されました。

Img_8660c_20211127193301  この安養寺境内にある井戸を「明星水」と呼び、この水を求めて多くの人が詣でたといわれます。この明星水は、「明星」の地名の由来と伝えられています。後に、門前の在家が「如来清浄の禅に導き入れる」として明星水を使って茶店を商い、繁盛したそうです。この安養寺の火を使った湯茶には清めの力があると明星が降臨するといわれ、日本三霊水の一つに数えられたこともあります。

Img_8688c_20211127193301 Img_8692c_20211127193301  大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まり、「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。

Img_8726c_20211127193301 Img_8740c  そうめん坂の道標の先に「水池土器製作遺跡」という案内板がありました。ここは、近鉄ハイキングで歩いたときにパスしていました。奈良時代の工人集団の遺跡で、高低差約3m、幅約100m、長さ約200mの傾斜のゆるい場所に、掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成坑16基、土坑11ヵ所、粘土溜り2ヵ所、井戸跡1、溝1条などが見つかっています。土器焼成坑(右の写真)はほぼ二等辺三角形で、長さ2.6~4.2m、幅1.2~1.8m、深さ0.2~0.4mの地山を掘っただけの簡単な構造で、壁面や床面は赤く焼けており、炭や灰の交じった土中には多量の土師器(はじき)片があったといいます。掘立柱建物跡を中心に焼成坑が配され、井戸もあって、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示しており、わが国の土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる重要な遺跡であるため、昭和52(1977)年に国の史跡に指定されました。

Img_8751c_20211127193301  水池土器製作遺跡のすぐ先には、明星山轉輪寺。真宗高田派のお寺。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた桑・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。

Img_8789c_20211127193301 Img_8758c  天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割Img_8650c も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から工事に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です。庫裏(右の写真)と表門、梵鐘は明和町有形文化財。庫裏が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。また、表門(上左の写真)は、度会郡玉城町の田丸城から移築したと伝わっています。

Img_8866c_20211127193301  轉輪寺がスタートから約3.2㎞でしたが、このあと1.5㎞ほど、ひたすら歩いたのです。4.7㎞ほど、明星郵便局を過ぎ、八柱神社の近くに「従是外宮二里」という道標があります。嘉永6(1853)年の建立。ここは、明野への分岐点です。

Img_8821c_20211127193301 Img_8841c_20211127193301  道標の南を入ると、八柱神社。こちらによれば、新茶屋の集落が成立した江戸時代前期に産土社として牛庭御厨社が建てられ、宝暦2(1752)年に八王子社と改称されました。明治41
(1908)年に有爾櫻神社へ合祀されましたが、戦後旧社地である小字御前坂地内(地元ではジゾウヤブと呼ぶ)に分社され、昭和31(1956)年の造替時に現在の場所へ移転しています。

Img_8904c_20211127193301  弘法大師堂。新茶屋の集落の東端、伊勢街道沿いにあります。元は江戸時代の文政13(1830)年に新茶屋村の行者心勝によって建立され、現在の石像は明治34(1901)年に新茶屋村の人々によって再建されたもの。大正時代に弘法さんは一度埋められてしまったそうですが、関係者に次々と不幸が起きたため、改めて大事に祀られるようになったといいます。

Img_8910c_20211127193301  スタートから6㎞を過ぎて、いよいよ伊勢市に入ります。といっても平成の大合併(2005年11月)までは、度会郡小俣町でした。伊勢街道の最後の宿場として栄えたそうです。

Img_8918c_20211127193301 Img_8933c_20211127193301  明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊場(根城)にして修行していたのですが、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧のはを徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。

Img_8950c_20211127193301 Img_8946c_20211127193301  このあと、同級生K氏が、「へんばやへ行って、へんば餅を買っていかないと」ということで、明野交差点を右折し、へんばやへ。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。「へんば餅」はここの名物。土産を買ってきました。へんばやで今日の目的地は、コンプリート。明野駅方面に向かいます。

Img_8980c 1637987497898c  昼食を食べようと最初に行った店は、臨時休業。このころにわか雨に降られ、このお店の軒下のベンチで勝手に雨宿り。青空が出て来たので、明野高校近くのお好み焼き・みとへ。たぶん明野高校の生徒さんがたくさん訪れる店。「豚入りお好み焼き」、¥600をいただいてきました。創業42年とおっしゃっていました。

Img_8984c_20211127193301 Img_8995c_20211127210901  近鉄山田線明野駅には、13時50分にゴール。現地では8.7㎞ほどを歩いてきました。ちょうど伊勢中川行きの普通電車が出たところで、14時23分の伊勢中川行きまで30分待ち。伊勢中川駅には、14時50分に到着。15時1分発の名古屋行き急行に乗り替え。桑名には、16時4分着。¥1,160。ちなみに、右の写真は、明野駅にあった路線図&料金表。「当駅」が明野駅。桑名は、上部の中央あたりの赤丸をつけたところ。遠かった(微苦笑)。

Img_9056c_20211127193301 Img_9066c_20211127193301  今日の歩数。21,003歩。現地で8.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計10.9㎞。土産は、へんばやで買ってきたへんば餅、赤飯昆布の佃煮。次回は、外宮へ、その次は内宮へそれぞれお参りできる見込み。年内で、全行程踏破と行きたいところです。

2021年11月26日 (金)

諸戸氏庭園の祭車庫は、土蔵造りで修復らしい

Img_8323c_20211126171801  だんだんと寒気が入ってきて明日から月曜にかけてはかなり寒くなるそうです。とくに月曜の朝は、名古屋あたりでは、最低気温が3℃ほどの予想とか。もう来週は、12月ですから、寒いのも当然でしょうね。今日も、いつも通り、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、寺町、八間通郵便局と6.3㎞。3時間コース。

Img_7920c_20211126171901 Img_7926c_20211126171901  蟠龍櫓あたりの揖斐川の堤防を歩いていたら、カワウの大群。気づいたときには、ご覧のような様子で、下流方向に飛んで行きました(写真、右手へ)。何でも、たくさんいるのは、あまり気持ちのよいものではありません。

Img_7942c_20211126171901 Img_7947c_20211126171901  九華公園。今日は散歩友達もほとんどいません。北門を入ろうとしたらアオサギが飛んできました。珍しく西側の堀に張り出した松の木に降り立ったのが右の写真。

Img_7997c_20211126171901  相変わらず、小型の野鳥は少なめ。ユリカモメ、ツグミはその後、姿を見ませんし、シメもまだ見ていません。奥平屋敷跡でもヒヨドリとハクセキレイしか来ません。二の丸跡、朝日丸跡でもヒヨドリが少しいたくらい。

Img_8035c_20211126171901  堀には、今日もカイツブリがいました。たぶんずっと同じ個体。カモとは少し距離を置いて、潜水を繰り返しています。

Img_7977c_20211126171901 Img_8072c_20211126171901  カモは今日は合計67羽。ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ハシビロガモはオス7羽、メス6羽。他はキンクロハジロたち。ハシビロガモと、キンクロハジロが少し増えたり減ったりしています。

Img_8155c_20211126171901 Img_8165c_20211126171901  ダイサギ、今日もいたのですが、右の写真のように、神戸櫓跡の松の木に。先日も書いたように、カワウと行動を共にしているうちに、カワウに同一視をしているような気もします。

Img_8109c_20211126171901  アオサギは、今日も辰巳櫓跡近くの松の木にいました。九華公園に私が着いたとき、北門近くにやって来たのと同じアオサギかどうかは不明。最近、2羽、3羽と同時に来ていることもあります。このあと、公園の外周遊歩道を歩いていたら、目の前のサクラの木にカワセミがやって来たものの、私に気づいたようで、すぐさま飛び去ってしまい、カメラを向ける暇もなし。

Img_8180c_20211126171901 Img_8224c_20211126171901  貝塚公園では、ジョウビタキのオス。他にはヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ。新築公園の近くのお宅のナンテンにカワラヒワ(右の写真)。ムシャムシャと食べていたのが丸わかりで、笑えます。カワラヒワや、シメなど、アトリ科の鳥は、食いしん坊のように見えてしまいます。

Img_8234c_20211126171901 Img_8275c_20211126171901  諸戸氏庭園関係の話題を2つ。1つは、紅葉。昨日の記事の末尾から2枚目の写真のところ。去年までも、ここの紅葉の写真は載せていたと思います。まぁ、「なんちゃって紅葉」の1つ。

Img_8312c_20211126171901 Img_8308c_20211126171901  もう1つは、諸戸家の祭車庫。石取祭に使う祭車を入れておく蔵。ときどき、修復工事の様子を載せていました。昨日、歴史案内人のKさんにお目にかかって伺ったところ、本格的な土蔵の作り方で修復されているそうです。私の理解が十分ではないところがありますが、柱の中心から片側だけで14cmほど壁の厚さがあるとか。さらに壁の土塗りの際には、ソフトボール大の土を「投げつけて」いたそうです。たぶん仕上げは漆喰で塗り上げられると思います。要チェックです。

Img_8271c_20211126185101  今日の午後は、歯科治療。今日で終わるかと密かに期待したものの、まだでした。次は、「有り金をはたいて」支払う必要がありそうで、今日の支払いの時に予告がありました。明日は、「歩いて伊勢参りツアー」の第15回の予定。近鉄山田線斎宮駅から明野駅までの予定。相談会その他の準備もしなければなりません。「よく学びよく遊べ」と行きたいところ。ちなみに、この「よく遊びよく学べ」は、「学ぶときは一生懸命学び、遊ぶときは思いきり遊びなさい」(ことわざを知る辞典)という意味ですが、「よく遊びよく学べ」とか、バリエーションがいろいろあるようです。「よく学びよく遊べ」は、英語のことわざのWork while you work, play while you play.の翻訳とコトバンクにはありますし、外山滋比古さんは、「イギリスのことわざの翻訳ではないかということ。 All work no play makes Jack a dull boy.(勉強ばかりで遊ばないとこどもはバカになる)」と書いておられたと思います(知的生活習慣)。

2021年11月25日 (木)

久しぶりにカワセミ、そして近場の紅葉めぐり

Img_7246c_20211125165801  風も弱く、気温も17℃を越え、暖かい1日でした。寒暖の差に気をつけなくてはなりません。朝、家事を済ませ、散歩に出られたのは8時半。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.3㎞。2時間半。冒頭の写真は、六華苑の大イチョウ。

Img_7232c_20211125165801 Img_7274c_20211125165801  住吉水門の内側の住吉入江にオオバンが1羽。冬になるとここにオオバン達がやって来ます。ヒドリガモがいることもよくありますが、今日は、ヒドリガモは水門の外側の堤防の上に4羽。逆光でした。

Img_7287c_20211125165801  揖斐川にはオオバンが5羽(写真に写っているのは、4羽のみ)。他には水鳥の姿は確認できませんでした。カモメらしき鳥が、下流方向に飛んで行ったくらい。

Img_7329c_20211125165801  三の丸水門のところでイソヒヨドリのメス。フェンスの隙間から覗き込んで撮りましたので、こんな写真。

Img_7340c_20211125165801  九華公園に着いたのは、9時前。いつもより1時間遅れ。ヒヨドリの鳴き声が聞こえたくらいで、小型の野鳥の姿はあまりありません。アオサギさんがいたのは、神戸櫓跡の樹上。カワウの集合場所のすぐ下。

Img_7437c_20211125165801 Img_7450c_20211125165801  ダイサギは、今日もいました。やはり、カワウが集団で漁をするところに付いて回っています。辰巳櫓の近くの松の木にもアオサギが1羽。目の後ろあたりの模様を見ると、微妙に異なっており、上の写真のアオサギとは別の個体と思います。今日は、奥平屋敷跡その他で見たのは、ヒヨドリ、キジバト、ハクセキレイくらい。ツグミは1回見たきり。シメもまだ見ていません。

Img_7494c_20211125165801 Img_7508c_20211125165801  カモは、55羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは10羽で、他はキンクロハジロ。九華橋近くの吉之丸堀、二の丸堀の西側、野球場南の吉之丸堀と3ヶ所に分かれています。カイツブリは、今日は見ませんでした。

Img_7566c_20211125165801 Img_7620c_20211125165801  鎮国守国神社にお参りし、野球場の南を歩いていたら、カワセミを見つけました。私が歩いていた近くから、朝日丸跡へ飛んだのです。何度かダイビングをして、3回目くらいでエビを捕まえてきました。ダイビングシーンは、ちょっと撮れず。石にたたきつけて弱らせてから、食べ、朝日丸跡の東の方へ飛び去りました。移動しながら、餌をとっていくようです。

Img_7778c_20211125165801 Img_7782c_20211125165801  貝塚公園、内堀公園、新築公園、老松公園では、ヒヨドリやメジロがいたくらい。写真のハクセキレイは、老松公園で撮ったもの。

Img_7786c_20211125165801 Img_7827c_20211125165701  住吉入江まで戻って来たら、数羽のメジロの群が、桜の木に。賑やかでよく移動しますので、中々写真に撮れません。故に、証拠写真。他にカワラヒワも近くにいました。そして、住吉入江には、キンクロハジロのメスが1羽。完全に寝ているようでした(微笑)。

Img_7377c Img_7388c_20211125165801  散歩コースの紅葉は、盛りから、ちょっと盛りを過ぎてきた感じです。まず、これらの2枚は、九華公園にて。二の丸跡(左)と、朝日丸跡(右)で撮ったもの。撮り方によっては、それなりに見えますから、これもあの「なんちゃって紅葉」の一つ。

Img_7461c_20211125165801 Img_7471c_20211125172101  こちらは、鎮国守国神社の拝殿前の元祖「なんちゃって紅葉」。ドウダンツツジも色づいてきてはいるものの、今ひとつ。今年はきれいに赤くなるか、ちょっとアヤシい感じ。

Img_7764c_20211125165801 Img_7772c_20211125165801  貝塚公園の西側の紅葉。ここもアングルを選ぶとまあまあ見られる紅葉になります。こんなのばかりですが、名所ではありませんから、やむなし。

Img_7250c_20211125165801 Img_7844c_20211125165701  諸戸氏庭園の黄葉&紅葉。イチョウは、六華苑の入り口に近い方にあります。右の写真は、拙宅玄関前から見下ろした写真。今年も庭園内の紅葉は、あまりきれいではないような話を伺いました。右の写真の中央に写っているあたりがいいかも知れません。

Img_7308c_20211125165801  ところで、昨日の江戸橋での授業のQ&Aは、昼までに書き終え、午後からチェックし、メールで送って印刷などをお願いしました。相談を承っている方が4人いらっしゃいます。こちらに注力しなければなりません。

2021年11月24日 (水)

天気晴朗なれど、風強し【追記があります】

Dscn4802c  桑名では最高気温は、14.4℃になったものの、朝方は強風。最大風速は、7.1m/s。午前中は、5~6m/sくらいの風で、体感温度はかなり低い。慌ててコートとマフラーを出してきました。いつものように、桑名駅を8時40分に出る五十鈴川行き急行で江戸橋まで仕事に。冒頭の写真は、近鉄名古屋線の高田本山駅と江戸橋駅の間の西側の景色。中央の奥に見える山は、たぶん経ヶ峯(きょうがみね)。標高819m。津市内の布引山地にあります。山頂近くに大石で葺いたかなり大きな経塚があるそうです。ハイキングコースも設定されています。

Dscn4810c  今日で7回目の授業。授業もいよいよ佳境に入ってきたという感じ。今日は、「親密な人間関係」というテーマで、対人魅力や愛などについても話しました(オマエが「愛」について語れるとは……と呆れられるかも知れませんが、あくまでも愛についての心理学の話)。学生諸君にとっては関心が高いテーマのようで、一段と熱心に聞いてくれていたように思います。出席率は70%台後半でほぼ安定。ただし、前回と今日とで、6回以上欠席の欠席となる学生たちも見られました。何か事情があるにしては多い感じですので、取り敢えず受講登録したものの、やはりやめた/続かなかったということかと理解しています。

Dscn4816c Dscn4818c  帰りは、これまたいつも通り、志登茂川を覗いてきました。四日市港潮汐表では8時51分に満潮、14時13分に干潮という条件でした。これらの2枚は上流方向の写真。遠くにダイサギ、アオサギ、コサギらしい姿と、カモたちがいるのは分かるのですが、どのカモかはよく分かりません。カルガモはいるような感じ。

Dscn4821c Dscn4823c  こちらは、下流方向。江戸橋のすぐ上流にカモが集まっているものの、やはり何がいるかは、不明。おぼろタオルの工場のところから見たのですが、上流も下流も水鳥たちがいたのは200m以上先。強風でもあり、単眼鏡も取り出さずに早々に撤退してきました。

Dscn4812c  帰宅して昼食を摂って、出欠確認は終了。非常勤先で授業までの時間に来年度のシラバス原稿を確認してきましたので、修正してメールで送りました。記述形式に問題がなければ、これでシラバスの件はオーケー。これからQ&Aに着手します。左の写真は、校舎から見た北西の空。山は、たぶん長谷山。標高は320mで、経ヶ峯よりかなりハードルも低く、ここなら私でも登れるかも知れません(微笑)。南西中腹には藤堂高虎ゆかりの石仏が祀られている近田山長谷寺(きんでんざんちょうこくじ:臨済宗相国寺派)もあるそうです。ここなら、家内の実家からも近い。

【追記(11/24夜)】 喪中葉書が送られてくる季節です。今日届いた中に、前職の時、大学院での教え子であった女性が亡くなったというものがあり、衝撃を受けています。享年47。あまりにも若い。以前から、病気であったことは知っていましたが、まさかこれほど早くに永遠に会えなくなってしまうとは思ってもいませんでした。ちょっと迷いましたが、敢えてこの追記を書いています。このブログの古い記事にI助手として登場する女性です。大学院の第1期生でした。彼女が院生であった頃から助手の時代、私は多忙を極めており、体調もよくなかった頃でした。ブログの記事ではかなり茶化して書いていますが、彼女の天性の明るさにずいぶん助けられ、救われていました。これからしばらく、彼女のことを思い出すことが多いと思いますが、それが彼女のご冥福を祈ることになると信じています。

2021年11月23日 (火)

いよいよ本格的な冬か!?

Img_6903c_20211123154501  12月上旬から中旬並みの気候だそうです。最高気温は、14.0℃。北西の風が3~4m/s。散歩のスタイルも、冬の初めの装備にモデルチェンジして、いつも通り、7時半から。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、御坊さん、寺町と6.0㎞。歩き始めてから、あちこちで子どもたちが遊んでいるのを見て、祝日だったのを思い出すような有様(我が家の子どもたちは、祝日に関係なく仕事に行くので)。写真は、住吉水門のあたりから撮った北の空。雲の流れ方は、冬バージョンです。

Img_6898c_20211123154501 Img_6907c_20211123154501  住吉水門のところで、ハクセキレイ3羽。オス1羽にメス2羽。風があって、揖斐川はところどころで白波が立っています。水鳥がいるか判別しにくいのですが、よくよく老眼を凝らすと、カンムリカイツブリが2羽、確認できました。他にもいたかも知れませんが、今日は、チェックが難しい。

Img_6940c_20211123154501  七里の渡し跡でオオバンが2羽。追いかけて撮る形になったので、証拠写真。ここは、冬になるとオオバンや、コガモがやってきます。コガモは、まだ見ていません。

Img_7047c_20211123154501  三の丸公園や柿安コミュニティパークにはドバト、ムクドリが少し。九華公園でも、鳥は少なめ。奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオスがよく出てくるあたりで、待っていたら、出て来ました。少しずつ近づいたら、目の前まで行けました。しかし、奥平屋敷跡では、今日はこれだけ(ヒヨドリ、ドバト、ハクセキレイ以外には)。

Img_6987c_20211123154501 Img_7096c_20211123154501  ダイサギは、神戸櫓跡の松の木に。いつも来ていて、カワウの集団漁の追っかけをしているダイサギと思いますが、ここは、冬はカワウの集合場所。まさか、自分をカワウと思っていないでしょうねぇ(苦笑)。アオサギは、辰巳櫓跡近くの松の木に。コサギは、今日は見ず。

Img_7136c_20211123154501Img_6954c_20211123154501  カモは、今日は合計71羽(ただし、よく移動していましたので、ダブってカウントしたかも知れません)。ホシハジロのオスが1羽(メスの姿は、まだ見ていません)、ヒドリガモは今日は2ペア、ハシビロガモはオス6羽、メス5羽。他はキンクロさん。

Img_7062c_20211123154501  カイツブリ、今日は、吉之丸堀の東側エリアにいました。ここしばらく、毎日のように見ています。居着いてくれたなら、ありがたい。

Img_7186c_20211123154401  貝塚公園ではヒヨドリとカワラヒワ。内堀公園でジョウビタキのオス。電線にいたので待っていたら、降りて来ました。内堀公園あたりにも、このオスのジョウビタキがよくいます。新築公園では、今日はヒヨドリのみで、ジョウビタキの登場はなし。老松公園もヒヨドリだけ。

Img_7198c_20211123154401 このあと、御坊さんへ(桑名別院本統寺)。今日は、オヤジの命日なのです。勤労感謝の日が命日ですから、忘れようがありません(と書きつつ、祝日を忘れているので、アヤシい)。寺町は、三八市で賑わっていました。散歩途中で会った知り合いの高齢女性も、「三八市だから、行ってこないと」と自転車で走って行かれました。昔、「ジバ団のパラダイス」などと悪口をいっていましたが、年配の方にとっては社交場のような役割を果たしています。

Img_7201c_20211123154401  明日は、江戸橋での仕事。天気は良さそうですが、気温は今日より低いくらいの予報。風がなければ、さほど寒くは感じないのでしょうが、どうなるでしょう。写真は、御坊さんの紅葉。

2021年11月22日 (月)

雨天で、市民大学郷土史学科に出かけたのみ

Dsc_6284c  朝8時前から雨が降り続いています。16時現在の24時間雨量は、19.5㎜。最高気温は、早朝3時過ぎに記録した14.6℃、最低気温は今のところ(16時過ぎ)、12.5℃(正午過ぎ)。予想通り、散歩には行けていません。午前中は、ご相談資料の読み込み、知能検査結果のデータ整理など。現在、4名の方のご相談をいただくという、大繁盛状態(微笑)。かつてなかった状況を呈しています。

Dsc_6285c  午後からは、市民大学郷土史学科へ。今年度のテーマは、「桑名藩の事件簿」。今日は、「戊辰戦争」の第2回。前回は、戊辰戦争に関わる大名などの関連系図の話を聞いています。今日は、幕末の大政奉還や、戊辰戦争に至った経緯について。帰りに三洋堂書店桑名店に回って、買い忘れていた今月号のバーダーをゲット。特集が、「“映える野鳥写真”を撮りたい!」なのです。普段、テキトーに撮っていますが、もう少し向上したいという気持ちはあります。

Img_6352c  Img_6357c_20211121165001 雨は夜までには上がって、明日は、朝から晴れるという予報です。やはり、散歩に行きたいものですが、明日の最高気温予想は12~13℃。一気に気温が下がりますから、体調管理に気をつけないといけません。写真は、船津屋さんの裏手の紅葉。昨日撮ったものですが、ここもマイ紅葉スポット。

2021年11月21日 (日)

九華公園でもプチダイビング祭

Img_6489c_20211121165001  昼過ぎから曇ってきました。気温は18℃を越えたものの、日が陰ると寒い感じがします。明日はやはり雨のようです。まぁ、天気のことは仕方ありません。今日もいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、老松公園、寺町と5.7㎞。冒頭の写真は、奥平屋敷跡のイチョウの木。

Img_6416c_20211121165001 Img_6418c_20211121165001  今日は、こちらから。九華公園でも、ダイサギがダイビングしたと昨日、書きました(2021年11月20日:九華公園に再びユリカモメが1羽)。今日は、その現場を押さえられたのです(微笑)。いつも九華公園に来て、カワウの集団漁を追いかけているダイサギさんと思います。

Img_6422cImg_6428c_20211121165001   4枚連続で載せておきますが、この時は、残念ながら、空振りでした。場所は、吉之丸堀の西側エリア。神戸櫓跡と元アヒル小屋の間。

Img_6399c_20211121165001  このダイビングの前にもダイブして、その時は、見事魚をゲットしていました。カワウが集団で漁をすると、魚が逃げ回り、見つけやすくなるのでしょう。

Img_6388c_20211121165001  さて、散歩の初めから。今日は、揖斐川あたりでは、ほとんど鳥はいませんでした。三の丸水門のところで、イソシギらしき鳥が逃げるのを目撃しただけ。ときどき見ます。鳴き声などからして、たぶんイソシギ。九華公園には7時50分着。鎮国守国神社の社務所の裏でアオサギが出迎え。ただし、すぐにいったん飛び去りました。このあと、ダイサギのダイビングを目撃。

Img_6477c_20211121165001  奥平屋敷跡では、今日は、ジョウビタキのオスが登場。ただ、逆光の位置だったり、木の枝かぶりの一だったりして、なかなかこれはという写真は撮れません。証拠写真(苦笑)。奥平屋敷跡、今日は、ヒヨドリもドバトも少なく、カワラヒワは来ず。

Img_6540c_20211121165001 Img_6554c_20211121165001  二の丸跡へ移動するとき、神戸櫓跡の松の木にダイサギを発見。さらに二の丸跡を歩いていたら、辰巳櫓跡の近くの松の木にアオサギ。最近、サギたちには松の木が人気のようです(ホントか?)。

Img_6438c_20211121165001 Img_6619c_20211121165001  カモ、今日は66羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモは2ペア。オスのヒドリガモが1羽、増えたり、減ったりしています。ハシビロガモは、オス6羽、メス5羽。他はキンクロさんたち。

Img_6567c_20211121165001 Img_6584c_20211121165001  辰巳櫓跡近くでハクセキレイのペア。このハクセキレイさん、堀を覗き込んで、何やら考えているような感じ。鎮国守国神社を回って、北門近くの堀から相撲場へ。九華橋の近くの樹上にアオサギ。これで延べ3羽を見たのですが、実際に3羽なのかどうかは不明。

Img_6711c_20211121165001 Img_6665c  公園の外周遊歩道を歩いていたら、またもや南側エリアでカイツブリを発見。昨日の再現フィルム。さらに、これまた昨日と同じあたりで、ジョウビタキのオス。柿の木があるお宅で。

Img_6663c_20211121165001  このお宅には、シジュウカラも2羽。軒下やら、枝の多いところやらを移動して、撮影には苦労。

Img_6735c Img_6759c_20211121164901  貝塚公園では、ヒヨドリの他、メジロ、カワラヒワ。内堀南公園のところで、電線にシジュウカラ。この頃、シジュウカラも割とよく見るようになりましたが、今シーズンはヤマガラをまったく見ません。内堀南公園の先のお宅の庭にはジョウビタキのメス。「見返り美人(微笑)」。

Img_6811c  新築公園でも、今日も、ジョウビタキのオス。たぶんいるだろうと思って、待っていたら、予想通りでした。ジョウビタキたちもそれぞれに居場所が決まったのではないかと思います。

Img_6846c_20211121164901  我が家の前の住吉入江まで戻って来たら、「住吉キンクロウズ」。メスのキンクロハジロが2羽で、まさに複数形の「キンクロウズ」(勝手に命名しているのです)。

Img_6372c_20211121165001  余談その1。今日は、揖斐川堤防で「桑名走りまShoren」というマラソンイベントがありました。といっても走ってきたというワケはありません(笑)。コミュニティパークが集合場所。先着987名で、2㎞コースと、10㎞コースとがあり、10㎞コースでは旧元気村まで往復だそうです。散歩友達の某氏は、準備をしていたスタッフの方から「走りませんか?」と誘われたそうですが、丁重に断ったとか。ちなみに、この方、私より8歳年長。

Img_6831c_20211121164901  余談その2。寺町交差点のところで目撃しました。西から東へ向かって、疾走。しかし、Uber Eatsは、三重では、津と四日市だけで、桑名ではまだ営業していないようです(こちら)。出前館は、桑名でもあるそうです。しかし、この方、足の筋肉がすごい!

Img_6823c_20211121164901  今日は、午後からは、東海地区K-ABC研究会のオンライン研修会でした。明日は、市民大学郷土史学科の講座。第5回。11月のレギュラーなのですが、いつもの第1月曜ではありません。この歴史講座、コロナで中止になった分が、来週。12月のレギュラーが再来週と、3週連続で開催されます。水曜は、江戸橋での仕事。金曜は歯科治療で、土曜は「歩いて伊勢参りツアー」の予定。写真は、御坊さん(桑名別院本統寺)のイチョウ。三重同朋会館の南側にあります。

 

2021年11月20日 (土)

九華公園に再びユリカモメが1羽

Img_5663c_20211120153501  天気予報では、今日までは好天ですが、明日は雲が広がり、月曜は雨。雨の後は寒くなるそうです。これだけ暖かかったあと、いきなり寒いのは体にこたえそうです。今日もいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.7㎞。

Img_5589c_20211120153401  拙宅マンションを出た住吉入江の植え込みでジョウビタキのメス。慌てましたので、ピントも色もイマイチ。虫を捕まえて、食べようとしていました。同じ植え込みには、メジロとシジュウカラの姿もありました。

Img_5616c_20211120153401 Img_5625c_20211120153701  住吉水門のところには、若いアオサギ。もっと引いて撮ると右のような感じ。奥に見えるのは、伊勢大橋と長良川河口堰。アオサギ、揖斐川を見ていますが、ここで魚を捕るのでしょうか?

Img_5675c_20211120153401  その揖斐川には、今日もあちこちにカンムリカイツブリの姿が見えます。住吉神社のところから十万山の南端あたりまでで、計5羽。他には、キンクロハジロが点在。こちらは、合わせて6羽ほど。

Img_5698c_20211120154001 Img_5715c_20211120153401  九華公園の北門の堀には、ダイサギ1羽と、コサギ1羽。最近、毎日のように来ている個体と思います。ダイサギは、例によってカワウのあとを追いかけて、獲物を手に入れようとしています。

Img_5806c_20211120153401  奥平屋敷跡では、シジュウカラが2羽。他にメジロも来たものの、写真には撮れず。メジロの撮影にも苦労しました。今日は、ここにはヒヨドリもカラスもドバトもほとんどいませんでしたので、静か(苦笑)。

Img_5821c Img_5827c_20211120153401  他に来たのは、これまたいつものハクセキレイのペア。見える範囲では、ここ奥平屋敷跡と、堀を挟んだ外周遊歩道の辺り(立教小学校の北側)を往き来しています。

Img_5857c Img_5864c_20211120153401  奥平屋敷跡から二の丸跡へ渡る橋に移動。神戸櫓跡の下の花菖蒲園のところにダイサギが2羽。仲はあまりよろしくないようで、接近しすぎると、これらの写真のように追い払おうとします。しかし、どちらもカワウの集団漁を追いかけていますので、近づいてしまうこともよくあります。

Img_5945c_20211120153401 Img_5950c_20211120153401  このあと、管理事務所南の花菖蒲園のところに2羽とも移動。そのうち1羽が、堀に降りて(浅いので、ダイビングしたとはいえませんが)、ボラと思われる魚をゲット。菖蒲園の柵の陰出会ったり、後ろ向きであったりして分かりにくいのですが、ご想像くださいm(_ _)m

Img_5957c_20211120153401  こちらも後ろからの写真ですが、ボラらしき魚を咥えています。このあと、丸呑みしていました。

Img_5894c Img_5908c_20211120153401  ダイサギを見ている間に、ユリカモメが1羽飛来しました。私が見ている範囲では、今シーズン2回目で、2羽目。同じ頃、久しぶりにモズのオスが登場。管理事務所南のイチョウの木。さらに写真はとても撮れなかったのですが、この間、カワセミも矢のようなスピードで通過。今日は、なかなか楽しめます。

Img_6101c_20211120154901  カモは、合計81羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオス1羽にメス2羽、ハシビロガ。他は、キンクロハジロ。他は、キンクロハジロ。

Img_6088c  鎮国守国神社を経て、社務所の裏に来たら、九華橋近くの樹上にアオサギさん。このときにもカワセミを目撃したのですが、やはり写真は撮れず仕舞い。

Img_6128c_20211120153401 Img_6178c  九華公園を一回りし、外周遊歩道の南を歩いていたら、二の丸堀にカイツブリ。毎日のように見ます。今日、私は、離れた木陰から覗いていましたので、気づかれなかったようです。潜ったり、浮いたりを繰り返しています。居着いているのか、毎日来るのかは不明。同じあたりで、ジョウビタキのオス。南側の民家のところ。

Img_6290c_20211120153401  貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ、キジバトくらい。内堀南公園には何もいません。ここはたいてい、いてもスズメくらい。新築公園では、ジョウビタキのオス。しばらく近くを移動しつつ、相手をしてもらえたという印象(微笑)。老松公園にはヒヨドリのみ。

Img_6060c_20211120153401  ということで、今日は、ジョウビタキをよく見られましたし、カイツブリ、ダイサギの漁とバトルにも出会い、まあまあでした。写真は、いつもの「なんちゃって紅葉」です(鎮国守国神社の拝殿の南)。

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その3)……斎宮跡を見て回り、斎宮駅にゴール(完)

Kushida4  11月6日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」の本編その3です。その2では、祓川を渡って斎宮歴史博物館まで来ました。博物館の見学を終え、13時頃、博物館の前庭で昼食を摂りました。このあとは、斎宮跡を見て回ります。塚山古墳群は、博物館の敷地とその東側に広がっています。歴史の道を少しだけ通って、斎王の森へ。さらに、上園芝生広場にある斎宮史跡1/10模型、さいくう平安の杜にある復元された建物を見て、いつきの宮歴史体験館を覗いて、近鉄斎宮駅へゴール。

Img_0254c_20211106203401 Img_0261c_20211119181401  塚山古墳群は、斎宮歴史博物館および周辺に分布する群集墳で、5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。塚山古墳群については、一昨年6月2日の近鉄ハイキングで斎王まつりを訪ねた記事に詳しくあります(2019年6月8日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その1)……斎宮駅を出発して、いつきのみや歴史体験館、古代伊勢道、斎宮歴史博物館、塚山古墳群を見て、歴史の道から北野公園でお昼)。

Img_0264c_20211119181801 Img_0267c_20211119182001  歴史の道。古代の代表的な歌人が読んだ斎宮に関する和歌24首が、12本の擬木に刻みこまれています。歴史の道の途中で右折し、上園芝生広場の北側を歩いて、斎王の森へ向かいます。このあたりは、史跡公園として整備されていて、散歩に好適と思われます。

Img_0305c_20211107071901  「史跡公園斎王の森」です。斎宮跡のシンボルゾーンともいえるところ。南北朝の動乱によって斎王の派遣が途絶え、斎王のいない斎宮は荒廃してしまい、15世紀中頃には斎宮は地名だけが残るのみとなったといいます。しかし、ここは地元では斎王の御殿のあった場所として伝承されてきました。江戸時代の「伊勢参宮名所図会」にも紹介されています。森林に囲まれ、静寂とした雰囲気、神秘的な感じさえします。

Img_0281c_20211106183901  鳥居をくぐって入って行くと、「斎王宮趾」と刻まれた石碑があります。これは、昭和42(1967)年11月に建てられたもので、碑文は神宮祭主・北白川房ヱ内親王の御染筆。この斎王の森は、発掘調査の結果、斎宮の方各地割の外側であることが判明したのですが、その北西にあたることから、北東にあった丑寅神社とあわせ、外部の穢れから斎宮をまもる役割を果たした可能性があるといいます(現地の説明板による:丑寅神社旧蹟については、2019年6月9日の記事を参照ください:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索)。

Img_0298c_20211119182901  斎王の森の背後には、最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ:大伯皇女とも。天武天皇の娘)の歌碑が建っています。大伯皇女は、ひそかに伊勢へ訪ねきて京に帰る弟・大津皇子の身を案じ、「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡(ぬ)れし」と詠んでいます。皇位継承の問題があり、皇子は、帰京後まもなく謀反の罪を着せられ、自害しています。平成5(1993)年9月の建立。書は、歌人・岡野弘彦さん(三重県のご出身)。

Img_0285c_20211119182901 Img_0291c_20211119182901  歌碑の近くには、「掘立柱建物跡」や、「井戸跡」があります。発掘調査によってその存在が明らかにされたものが、その場所にこのようにつくられています。

Img_0318c_20211119192301  次に、斎宮史跡1/10模型。左の写真は、遠景。史跡全体を10分の1のスケールで再現しています。斎宮の広大な規模と当時の姿がかなり具体的にイメージできるところとなっています。発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物も配置されています。

Img_0334c_20211106184001 Img_0331c_20211106184001  近景。なかなかのクオリティ。ガリバーになった気分というか(微笑)。以前は、斎王らしき人形も置いてあった記憶があります。

Img_0411c_20211119192901  サイズが実感できないかと思いますので、あまりよい写真ではありませんが、人が写ったものも。ただし、人も入れて写すという気がありませんでした。この写真は、いつきの宮歴史体験館から撮ったもの。

Img_0350c_20211106184001 Img_0357c_20211106184201  こちらはさいくう平安の杜。平安時代の建物3棟が復元されています。斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられる3棟の建物、

Img_0364c_20211119193501 Img_0360c_20211119193501  正殿を復元した建物。斎宮寮の長官が儀式を行ったり、都や神宮からの
使いを出迎えるために使われたと考えられています。「斎王まつり」の時も、ここでセレモニーが行われていました(2019年6月9日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索))。

Img_0395c_20211119193601Img_0386c_20211119193601  左の写真は西脇殿、右は東脇殿。西脇殿は、3棟の中でもっとも大きな建物。ここでは、屋内での儀式や都や神宮からの使いをもてなす宴会などが開かれたと考えられています。東脇殿は、儀式の前に斎宮寮の役人が待機したり、儀式の準備に使われた建物だったといいます。

Img_0415c_20211106184201 Img_0421c_20211106184001  最後にいつきの宮歴史体験館。斎王制度は天皇の代ごとに替わって、飛鳥時代から鎌倉・南北朝時代まで660年間続いたのですが、その中でもっとも華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。右の写真の中央に写っているのは、「葱花輦(そうかれん)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴かれるときにも使われました。葱花輦は、斎宮歴史博物館にもあります。

Img_0436c  斎宮駅は、いつきの宮歴史体験館のすぐ南。14時45分にゴール。6.7㎞を歩いてきました。14時58分の伊勢中川行きに乗車。松阪に15時11分着。15時17分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には、16時22分に到着。¥1,090。かなり乗りでがあります(微苦笑)。次回からは、もう少し早い時間から歩き始めたいと思うので、もう1本早い電車で行った方が良さそうです。

Img_0457c_20211106184001 こちらがこの日の歩数。現地で6.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞ですので、合計8.9㎞ですから、17,015歩はまあまあ妥当。今日も無事に行ってこられ、しっかり楽しめました(微笑)。次回は、11月下旬の見込み。内宮までは、残り16㎞ほど。あと3回でお参りできるはず。年内にゴールできるか、初詣になるか、どうでしょう?

2021年11月19日 (金)

20211119部分月食は出遅れました(苦笑)

Img_5570c  今日、11月19日は部分月食。部分月食とはいえ、月がほとんど(約97%)欠けて見えるという部分月食。数日前から調べて、撮影条件も確認してスタンバイしていました。しかし、満月ですから、19時を過ぎないと、南側のベランダからは見えないと決め込んでいて、出遅れました(苦笑)。待っても待っても見えてこないので、北側の玄関先の階段の踊り場に出たら、既にこんな風(苦笑)。この写真は、19時53分(カメラの時刻)の撮影。いやはや、段取りが悪くなりました。Canon Powershot SX-60HSで、65倍ズーム、f=8、SS=1/640秒、ISO400、ホワイトバランスはオート。ノートリミング。

円通寺の大イチョウ……法盛寺で渡部平太夫の墓、顕本寺でもイチョウを見てきました

Img_4716c_20211119164801  朝はやや寒かったものの、日中は今日も18℃を越え、散歩日和。いつも通り、散歩に出たのですが、思いついて、円通寺や顕本寺、法盛寺まで足を伸ばしてきました。円通寺の大イチョウを見てこようと思った次第。というのも、我が家のベランダから見ると、黄葉してきているように見えたのです。法盛寺は、去年行ったときに渡部平太夫の墓を見忘れたので、ついでに立ち寄って来ました。ということで、7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園から堤原を通って、まず法盛寺へ。次いで顕本寺(ここにも大きなイチョウの木がありましたので)、円通寺といって、帰り道は旧東海道を京町まで。寺町を通って11時に帰宅。何と7.8㎞も歩いてきました。

Img_5407c_20211119164601 Img_5438c_20211119164601  まずは、円通寺の大イチョウ。我が家のベランダから見ると、黄葉していたのですが、木全体からすると、まだ上の方だけでした。結果的には、ちょっと早すぎました。去年も見に行ったのですが、それは12月9日でした(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。高さは30m、幹囲は5.7m、樹齢は400年以上だといいます(リンク先では300年となっていますが、6年前に尋ねたときお寺の方に400年以上と伺いました)。ちなみに、法城山円通寺は、真宗本願寺派の寺。元亀3(1572)年、江場城主の子・佐藤秀道が出家して教円と名乗り、開基したと伝わります。

Img_5485c_20211119164601  自栄山顕本寺。日蓮宗のお寺。檀家には桑名藩士が多く、関連する墓が多数現存します。中でも、吉村又右衛門宣充の墓と、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されています。また、服部半蔵の墓もあります。「半蔵」は、服部半蔵家の歴代当主の通称の名乗りです。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義の墓。顕本寺については、2018年7月10日の記事に詳しくあります(アンパンマンバスに乗って「東海道旧蹟撮影」へ)。ここのイチョウも大きかったのですが、高さは円通寺の方がはるかに高いものでした。

Img_5352c_20211119164701 Img_5357c_20211119164601  さらに、法盛寺。桑名坊舎柳堂と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。東御坊の本統寺に対し、西御坊とも呼ばれます。法盛寺について、詳しいことは、去年の円通寺の大イチョウの記事にあります(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。元は三河国矢矧(やはぎ)(現岡崎市)にあり、応仁2(1468)年、桑名郡益田庄に移ったのち現在地に移っています。明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内には寺内寺が7ヵ寺あったといいます。

Img_5370c_20211119164601  ここの墓地に渡部平太夫の墓があります。渡部平太夫(天明4(1784)~嘉永元(1848)年)は、「桑名日記」の著者です。桑名藩士、桑名城米蔵の算用係で十石三人扶持の下級武士(十石は、それだけ米が取れる知行地があるということ。三人扶持は、3人分の扶持米が与えられるということ。一人扶持は一日あたり玄米五合、年間で一石七斗七升=5.4石。1石は10斗=100升=約180リットル。 米1石の重さは約140~150kg)。矢田磧八幡瀬古庚申堂近く(現在の桑名市矢田町真教寺の南付近)に住んでいました。平太夫が、桑名藩の飛び領地である柏崎(新潟県柏崎市)に赴任した息子・勝之助に宛てた日記が「桑名日記」です。天保10(1839)~嘉永元(1848)年の10年間、毎日欠かさず書かれています。平凡社新書で「下級武士の米日記-桑名・柏崎の仕事と暮らし(加藤 淳子)」という本が出ています。また、名古屋大学教育学部の教授でいらした小嶋秀夫先生は、この日記から「子育ての伝統を訪ねて(新曜社)」という本を書いていらっしゃいます。法盛寺には、やはり桑名藩士であった高木貞作の墓もあるというのですが、墓地改修があったためか、探したものの分かりませんでした。

Img_4734c_20211119164801 Img_4788c_20211119164801  さて、散歩前半のバードウォッチング。拙宅マンションを出てすぐ、住吉入江沿いのソメイヨシノにメジロ。3羽ほど。せわしなく動き、なかなか撮れず。桑名七里之渡し公園では、モズのメス。

Img_4865c_20211119164801  柿安コミュニティパークでも、メスのモズ。ちょっとピントが甘い(苦笑)。

Img_4921c_20211119164701 Img_5049c  九華公園では、ダイサギがあちこちに出没。カワウが群れになって漁をするところを追いかけています。魚がいるのが、分かりやすいためと思われます。左の写真は、公園西側(三之丸町側)の堀。右は、神戸櫓跡の木に来たところ。右下にいるのは、コサギ。この2羽、先日から九華公園によく来ているコンビ。

Img_4940c_20211119164701 Img_4982c  奥平屋敷跡には、いつものハクセキレイのペア。右のメス、いつもは片脚で移動しているのですが、今日は両脚を使って歩いているところも見られました。いったいどうなっているのか? 他には、メジロ、ヒヨドリ、キジバト、ドバト、ハシボソガラス、カワラヒワ。メジロは5~6羽いたものの、高い木の上の方で移動して、うまく撮れず。

Img_5204c_20211119164701 Img_5211c_20211119164701  カモ、今日は、合計66羽。ホシハジロのオスが1羽(右の写真)、ヒドリガモ、今日は2ペア、ハシビロガモは、オス6羽、メス5羽。他はキンクロハジロ。ハシビロガモのクローズアップでは(左の写真)、嘴にある食物を漉し採る「ブラシ」までよく見えています。

Img_5171c_20211119164701  吉之丸堀の東側エリアに、今日も、カイツブリが登場。ただ、遠くにいるのに、すぐに潜って逃げます。それ故、証拠写真(苦笑)。

Img_5252c_20211119164701 Img_5278c_20211119164701  アオサギは、たぶん1羽。飛び回っていたかと思ったら、神戸櫓跡に降り立ちました(左の写真)。ちょっと目を離したらいなくなり、探したら、鎮国守国神社の社務所の裏へ(右の写真)。たぶん同じ個体。ダイサギにも、アオサギにも振り回されました(苦笑)。

Img_5126c_20211119164701 Img_5135c_20211119164701  余談というか、本当は重要。九華公園の二の丸跡の南側、石垣が膨らんで一部崩れかけています。木の根が押してきているのか、何ヶ所かで膨らんでいますし、そのうち一ヶ所は崩れかけています。大雨でも降ったら、一気に崩れそう。

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その2)……壺屋池部清兵衛邸跡、六字名号から祓川を渡って斎宮歴史博物館へ

Kushida2  11月6日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第14回「櫛田~斎宮」の本編その2です。その1では、櫛田川を渡って、松阪市早馬瀬町まで来ました。大乗寺、早馬瀬神社、地蔵と見てきました。その2では、松阪市稲木町へと入って行きます。壺屋池辺清兵衛邸跡は、残念ながら、太陽光発電のパネルが並んでいました。その先、漕代駅近くで梵字による六字名号碑、小さなお社と見ていき、祓川へ。この小さなお社、ガイドブックその他には載っていません。その形や大きさから勝手に「神棚のような社」と命名しました。

Img_0066c_20211118195801  スタートから2.1㎞を過ぎたところの南側に壺屋池部清兵衛邸跡があります。壺屋池部清兵衛は、伊勢参宮の名物土産として人気が高かった、壺屋紙(つぼやがみ)製の煙草入れを製造販売していました。壺屋紙は、和紙を固め、油を引き、型押しした「擬革紙(ぎかくし)(革に擬(なぞら)えた紙)」。油紙で作られた煙草入れは、使い込むほどに革のように柔らかくなるそうですが、伊勢国で、このことに着目した堀木忠次郎(三忠)が貞享元(1684)年、油紙を改良して擬革紙の製造を始めたと伝わっています。その後、池部清兵衛(壺屋)が煙草入れに加工し売り出したところ、当時は皮革が貴重であったことから、擬革紙の煙草入れが伊勢参りのみやげ物として大流行したのです。江戸の狂歌師・蜀山人が、「夕立や いせの稲木の煙草入れ ふるなる光る つよいかみなり」と詠んでいます。ちなみに、擬革紙は近年、参宮ブランド「擬革紙」の会によってその技法が復興され、「伊勢擬革紙」として製品が販売されています。それにしても、太陽光発電場所となってしまったのは、残念。

Img_0077c_20211106183901  大稲木交差点を越え、2.4㎞を過ぎたところの北側に梵字による六字名号碑があります。これは、参宮旅の途中で亡くなった人々を供養するため、文化14(1817)年に建てられたもの。

Img_0085c Img_0093c  この六字名号碑のすぐ先には、左の写真のようなもの。みえの歴史街道の伊勢街道のマップにも、「ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道」にも、これは出て来ません。前回来たときに見つけ(2019年11月1日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その3)……櫛田川を越え、大乗寺、早馬瀬神社、野仏地蔵、梵字による六字名号を見ていよいよ祓川を越え、斎宮跡、斎宮歴史博物館を回って、斎宮駅にゴール(完))、「神棚のような社」と勝手に命名しています。同行のK氏も、かなり興味を持っていたようで、感心しきり。神棚のようなものがおさめられ、津島神社の御札も入っています。詳細は不明。ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひともご教示をお願いします。

Img_0097c_20211119040901 Img_0105c_20211119040901  ちょっと余談。次の祓川の少し手前にある旧家でおもしろいものを見つけました。それは、右の写真。古いホーロー看板その他がいくつか並んでいました。ホーロー看板、興味がありますので、見つけるとついつい眺めてしまいます。結納屋さんの看板はよく見ます。左上の「江戸屋」(松阪市日野町)もそうです。おもしろかったのは、右上の看板。

Img_0101c_20211119040901  こちら、アップ写真。よくよく見たら、「寿司栄」とあります。このお寿司屋さんは、前回(10月30日の第13回歩いて伊勢参りツアー)、お昼ご飯を食べたお寿司屋さんの看板でした(20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))。「御寿司のご用命は冨田屋分店寿司栄 出前迅速」とあります。かなり古い看板で、冨田屋という店の分店であったことや、このあたりまでで前のエリアだったことが分かります。松阪市曽原町(中勢バイパスの北)に冨田屋という寿司屋さんがあり、創業35年となっていました。

Img_0108c_20211106183901 Img_0114c_20211106183901  スタートから2.7㎞、11時20分頃、祓川(はらいがわ)に到着。この川が、松阪市と明和町の境。「祓川」は、「神仏に参拝するとき、身を清めるために禊(みそぎ)する川」という意味で、普通名詞として用いられますし、あちこちにこの名前の川があります。ここは、斎王が、群行の際、祓いをして斎王宮に入ったのでこの名が付いています。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性です。歴史に見られる斎王制度は、天武2(674)年、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ:大伯皇女)を神に仕える御杖代(みつえしろ;神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として伊勢に遣わしたことに始まります。ここまで来ると、いよいよ斎宮に来たと実感します。この祓川、江戸初期以降、冬から春の渇水期には仮板橋をかけ、夏から秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭、舟銭を徴収していたそうです。

Img_0130c_20211119040701  ちなみに、祓川の堤防はほとんど自然のままの林や竹藪になっていて、多種多様な生物が生息していて、日本の重要湿地500選の1つになっています。たしかに、護岸工事が行われて、コンクリートで固められているところはほとんど見えませんでした。祓川橋の南たもとには、サクラの花が返り咲き。

Kushida3  ここで、実際に歩いたルートマップはその3へ。外宮への道標で左折し、神宮橋、祓戸広場から斎宮歴史博物館の敷地へ。祓戸跡・小倉神社跡を見て、博物館の見学へと進みます。

Img_0142c_20211106201901 Img_0154c  祓川の少し先、街道の東には外宮への道標が建っています。「従是外宮三里」と刻まれています。前回、外宮まで4里の道標がありましたので(2021年11月5日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))、1里進んだということ(微笑)。この道標の先を左折し、水田の中の道を斎宮歴史博物館に向かいます。途中、右の写真にも見えていますが、近鉄山田線の線路をくぐって行きます。

Img_0157c_20211119042601Img_0179c_20211119042601  近鉄山田線の線路の先。遊歩道のように整備されていて歩きやすくなっています。祓戸広場の近くまで来たら、「しまかぜ」が通過。「しまかぜ」や「ひのとり」が通ると、反射的に写真を撮ってしまいます(苦笑)。

Img_0168c_20211119043901 Img_0171c_20211119043901  祓戸広場の手前で、ちょっとまた祓川を覗いてきました。ここには神宮(じぐ)橋がかかっていますが、もともとの橋は、昭和53(1978)年に流失。昨年(令和2(2020)年8月にかけ直され、今年度から利用できるようになっています。ここは、「奈良古道」と呼ばれる古代伊勢道の渡河地点だったと考えられているそうです。斎宮跡から近鉄漕代駅へ行けます。話が逸れましたが、このあたりにはカワセミ、オイカワ、カワムツ、ニゴイなど多種多様な生物が生息しているそうです。 

Img_0161c_20211119042601 Img_0188c_20211107070201  祓戸広場。2年前に来たときには、確かここでまだ発掘作業が行われていました(2年前の記事に写真があります:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完))。その後、祓戸広場として整備されています。築山、ビオトープがあり、ウワミズザクラが植えられていました。

Img_0197c_20211106183901 Img_0206c_20211106183901  祓戸広場の先の森の中に祓戸跡という標柱が立っています。説明によると、「斎王が斎宮に入られるにあたり竹川(祓川)で祓を行われた。また5月と11月にも竹川祓を行われた。そのため河畔に祓殿が特設されていた」とあります。さらにこの標柱の奥に入ると、「小倉神社跡」という石碑が建っています。明治40(1907)年5月、竹神社に合祀されるまでここに小倉神社がありました(こちら)。この小倉神社は、もとは天王と呼ばれていた神社が改称したもので、この小倉神社が竹川の産土神という説があるそうです。

Img_0216c_20211119061301 Img_0220c_20211119061301  さて、斎宮歴史博物館に向かうのですが、途中で、こんな標識に気づきました。前回来たときには何気なく歩いた道なのですが、奈良時代の道路跡が、歩道として復元されているというのです。発掘調査で確認された道路跡。

Img_0230c_20211106183901  三重県立斎宮歴史博物館。斎宮は、飛鳥時代から南北朝時代まで、およそ660年続いた国の機関でしたが、資料が少なく、詳細は分からないまま、いつの頃からか「幻の宮」と称されてきました。しかし、昭和45(1970年)に始まった宅地造成に伴う発掘調査が契機となり、斎宮の存在が改めて確認され、その規模や変遷が次第に明らかにされて来ました。ここは、「斎宮」の解明に、文献資料と考古学の両面から取り組み、また、斎宮を介して歴史の面白さ、文化財の大切さを伝えている博物館です。

Img_0226c_20211119062901 私は確か4回目の訪問。同級生K氏もここを訪ねるのを楽しみにしていたといいます。この日は、常設展の他、「特別展斎宮平安五種競技-弓・馬・鞠・鷹・相撲-」を見てきました。両方合わせて¥790。鞠のところに「打毬」も展示されていました。「打毬」といえば、桑名にも「打毬戯(だきゅうぎ)」が伝わっています。桑名の打毬戯は、桑名藩・藩校立教館で行われていたものが、立教小学校に引き継がれています。立教小学校で練習風景を見たことがあります(2021年3月3日:春日神社で「金龍桜」の若木、立教小学校で「打毬戯」を見る)。

Img_0238c_20211106183901 Img_0246c_20211106183901  斎宮歴史博物館でほぼ4㎞、見終えて13時。ここで松阪駅のあら竹商店の売店で買ってきた弁当で昼食。気持ちが良いので、博物館前の広場のベンチで、「モー太郎寿司」(¥1,000)をいただきました。松阪牛のしぐれ煮が巻いてあります。もっと大きいと思ったら、案外小ぶりでしたが、これも絶品。これで、私は、あら竹商店さんの三大売れ筋弁当のすべてを制覇しました(他の2種類は、「モー太郎弁当」、「元祖特選牛肉弁当」)。

 マップには、塚山古墳群がありますが、長くなりましたので、それはその3にて。その3では斎宮史跡を見て回ります。

2021年11月18日 (木)

我が家近くにアオサギ登場、九華公園では俄「サギ山」出現

Img_4500c_20211118191401  今日もよい天気で暖かくなりました。土曜まではこのような天候のようです。いつも通りの散歩生活。朝は家事を済ませ、8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.1㎞。10時半には帰宅。その後は、昨日の授業のQ&A書きの続き。夕方までには仕上げて、メールで送って印刷をお願いしました。これでスッキリ(微笑)。冒頭の写真は、鎮国守国神社の楽翁殿の前にある「なんちゃって紅葉」。

Img_4302c_20211118191401 Img_4307c_20211118191401  今日は、散歩に出たとき、諸戸氏庭園前にあるポストに葉書を投函しに行ったら、拙宅マンションの敷地と諸戸氏庭園の間にある水路のところに若いアオサギが来ているのを見つけました。ごくまれにこの水路や、拙宅前の住吉入江にアオサギが来ることがあります。

Img_4365c_20211118191401  揖斐川では、5羽ほどのカンムリカイツブリが点在。いよいよバードウォッチングシーズンという気がするのですが、冬鳥の飛来状況は、今ひとつ。ツグミは11月15日に見たものの(2021年11月15日 :ダイサギの獲物はボラか?……九華公園にツグミが来たものの、写真は撮れず残念)、その後はサッパリ。ユリカモメも同様で、11月5日に1羽を見て以来(2021年11月 7日 :立冬に冬の使者ユリカモメが飛来)、まったく見かけません。シメはまだ来ません。

Img_4399c_20211118191401  九華公園には、8時40分に到着。いつもより40分遅れ。アオサギは、いつものように、九華橋近くの樹上にいました。これは、カワウが上空を飛んでいくのを、警戒して眺めているところ(と思います)。奥平屋敷跡には、ヒヨドリ、キジバトくらい。昨日も同じようだったそうです。

Img_4406c_20211118191401 Img_4428c_20211118191401  諦めて二の丸跡に行こうと思ったら、神戸櫓跡にカワウの他に、ダイサギが8羽もいるのを見つけました。いつからサギ山になった?? と思ったり。カワウとダイサギの姿勢がシンクロしていたりして、なかなか楽しめます。

Img_4456c_20211118191401 Img_4436c_20211118191401  しばらく8羽がいたのですが、そのうち、5羽が揖斐川の方へ飛び去っていきました。最終的には20分もしないうちにここにはいなくなっていました。しかし、明日以降もこんな光景が見てみたいですねぇ。毎日でも構いません(微笑)。

Img_4496c_20211118191401  その後、鎮国守国神社にお参りしたりして、北門近くの堀へ。ダイサギが1羽、エサ探し中。あんなにたくさんいたのに、ここに来たのはこの1羽。たぶんほぼ毎日来ているダイサギ。

Img_4475c_20211118191401 Img_4550c_20211118191401  カモは、今日は合計63羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモは1ペア、ハシビロガモはオス6羽、メス5羽。他はキンクロハジロ。カイツブリの目撃情報もあったのですが、私自身は見られず。この他、外周遊歩道の南で、ハクセキレイやジョウビタキのオスを見たものの、写真は撮れませんでした。

Img_4568c_20211118191401  貝塚公園ではヒヨドリ、キジバト、カワラヒワ。内堀公園では、カワラヒワ6羽が枝先にずっと止まっていました(左の写真)。

Img_4663c_20211118191401 Img_4596c_20211118191401  新築公園では、ジョウビタキのオス。ここにある樹木にいついているようで、ときどき見かけます。他に、スズメ10羽ほど。スズメはここでいつも見られます。今日は、暖かったのにちょっとふっくら。正面から見ると、スズメの顔もかなりおもしろい。

Img_4699c_20211118191401  寺町から住吉入江に来たら、ソメイヨシノのてっぺんにカワラヒワ。今日のバードウォッチングは、まあ上出来に近いかという気がします。

Img_4527c_20211118191401 Img_4523c_20211118194501  冒頭に書きましたように、授業のQ&A書きが割と早めに済みましたので、気が楽になっています。時間的余裕もできましたので、歩いて伊勢参りツアーの記事を進めようと思っています。この写真は、「なんちゃって紅葉」を表側から見たもの。中央下に見えるのは、ドウダンツツジ。ドウダンツツジの紅葉はまだまだ。というか、今年はきれいに真っ赤になるか、楽しみ。

2021年11月17日 (水)

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(その1)……櫛田駅をスタートし、豊養稲荷社、道標、櫛田川渡場跡を見て、櫛田橋を渡り、松阪市早馬瀬町へ

Kushida0 11月6日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第14回「櫛田~斎宮」の本編その1です。忘れていたわけではありませんが、あくまでも仕事優先(微笑)。11月13日の相談会の準備を優先していたのです。この日は、近鉄山田線の櫛田駅から同じく斎宮駅まで現地では、6.7㎞を歩いてきました。櫛田駅を出発してじきに櫛田川を渡り、松阪市早馬瀬町へ。大乗寺、早馬瀬神社や、梵字の六字名号碑などを見て、祓川に至ります。ここは、斎王がお祓いをして、斎宮に入ったとされる川。ここから、明和町に入ります。外宮への道標で左折し、斎宮歴史博物館へ向かいます。見学したのち昼食を済ませ、斎宮跡を見学してきました。距離は短めでしたが、中身は濃いという感じ。

Img_9834c_20211106184001 Img_9838c_20211106183801  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分着。伊勢市・宇治山田方面への普通電車に乗り換えるのですが、10時10分の鳥羽行き普通まで時間があります。かねてから計画していた(企んでいた?)ように、JR紀勢線の1番ホームへ。ここに駅弁のあら竹商店の売店があるのです。斎宮跡で食べようということで、今日は駅弁をゲット。10時10分の鳥羽行き普通に乗って、櫛田駅には、10時16分に到着。¥1,020。

Kushida1  この日歩いた詳しいルートマップのその1。櫛田駅を出て、松阪市立揥水小学校の西を通って、県道37号線へ。櫛田郵便局のところで左折。ここからが、この日の伊勢街道。豊養稲荷社、道標、里程標と見て回ります。伊勢街道もこのルートを辿っていました。櫛田橋で櫛田川を渡り、漕代地区へ。大乗寺、早馬瀬神社、彰功碑を見て、地蔵尊。

Img_9842c Img_9851c  櫛田駅から歩き始めたのは、10時20分頃。松阪市立揥水小学校の西を通って行きます。初めてこのあたりに来たとき、「揥水」というのは珍しい名前だと思いました。「揥水」は、「櫛田川」のことでした。名付けたのは、江戸時代の儒学者・奥田三角(さんかく)。奥田(元禄16(1703)~天明3(1783)年)は、江戸時代中期の儒者。伊勢出身。はじめ、柴田蘋州(ひんしゅう)に、享保6(1721)年、京都に出て伊藤東涯(とうがい)に師事。享保16(1731)年、伊勢津藩に迎えられ、50年余にわたり4代の藩主につかえました。この時は、まったく失念していたのですが、櫛田郵便局の前には「奥田三角邸跡」という表示がありました。三角はこの奥田家の14代、あるいは15代とされています。三角の4代前の奥田忠重(ただしげ)は、越前豊原(現在の福井県坂井市丸岡町豊原)から櫛田川沿いのこの地にたどり着き、ここを豊原と名付けて地域を開拓した人物です。奥田邸は「豊原陣屋」と呼ばれる豊原組大庄屋でした。その跡地が、現在の櫛田郵便局付近にあたるということで、右の写のように、「奥田三角邸跡」という案内が掲げられているのです。ちなみに、屁理屈で恐縮ですが、「揥」は櫛を意味しています。

Img_9854c_20211106183801 Img_9859c_20211117202001  郵便局の角を左折すると、すぐに豊養稲荷社があります。神社検索(三重)にはリストアップされていません。こちらのサイトによれば、大櫛神社の旧地といいます。江戸時代には大櫛社と称していたのです。ちなみに、左の写真が伊勢街道です。

Img_9863c_20211117202001 Img_9867c_20211117202001  鳥居の脇に「式内大櫛神社」の石碑があります(左の写真)。その脇にもう1つ、石柱がありました(右の写真)。こちらは、かつてこのあたりで開かれていた櫛田大市の碑でした。この近くに(あとで出てくる道標の近く)紅葉屋という旅籠があり、そこから櫛田橋にかけて200mに及ぶ大規模な市が開かれたそうです。

Img_9875c_20211106183801  豊養稲荷社の前を進むと、道標に行き当たります。櫛田川の堤防のすぐ下です。文政2(1819)年、京の商人が寄進したもの。「左さんくうみち 右けかうみち」とあります。「さんくうみち」は「参宮道」ですが、「けかうみち」には、前回来たときも悩みました。「外宮」かとも思ったりしましたが、その時は、「下向(げこう)」と結論しています。「下向」は、①高い所から低い所へおりていくこと、②都から地方へ行くことといった意味(デジタル大辞泉)。さらに調べたら、goo辞書に「参り下向」ということばが載っていました「まいりげこう」、旧仮名遣いでは「まゐりげかう」で、「参上することと下向すること。また、神社や寺院に参詣すること」とありました。正しいことをご存じの方がいらっしゃったら、是非ともご教示ください。

Img_9894c_20211106183801  道標で左折し、突き当たって右折し、櫛田川の堤防の下に行くと、里程標があります。そういえば、このあたり、近鉄ハイキングの伊勢参りツアーできたときには、道を間違えてウロウロした記憶があります(2019年10月31日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ)。ここは、櫛田川の渡し場があったところで、これは大正3(1914)に建てられた里程標。正面には「距宇治山田元標三里二十町四十一間/距津元標六里十二町十八間」と、右には「距松坂元標一里二十九丁三十四間」、左には「距齋宮元標二十五町三十一間」とあります。裏は「大正三年三月建之」と読めました。斎宮(の元標)まで25町31間ですから、約2.8㎞。同行の同級生K氏は、この間から「早く斎宮に行ってみたいな」といっていたのですが、もうすぐそこという感じになってきました。

Img_9903c_20211106183801 Img_9913c_20211117203901  江戸時代はこのあたりから櫛田川の対岸に渡しがあったのですが、今は、県道37号線(鳥羽松阪線)の櫛田橋に回らなければなりません。

Img_9919c_20211117204501  櫛田川は、三重県中部の中央構造線沿いを西から東に流れている一級河川。その名は、あの倭姫命の故事に因みます。「倭姫命世記」では倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際、この地で櫛を落とされたことから地名が櫛田と名付けられ、それが川名の由来ともなったとされます。それから歴代の斎王は、群行の際に櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたといいます。櫛田橋は、300mほどの長さ。

Img_9927c_20211107063701  櫛田橋南詰交差点で左折し、漕代地区へ。町名は、早馬瀬町。何やら由緒がありそうな地名です。ここの交差点には、左の写真にあるような案内板が掲げられていました。我々がこのあたりを歩いた翌日が全日本大学駅伝で、この県道37号線を選手が走って行くのです。

Img_0821c_20211117205001  これまた講釈で重ねて恐縮ですが、櫛田橋を渡ってすぐ右のところには、常夜燈があったのですが、これは、松坂城跡に移設されています(左の写真)。平成30(2018)年11月3日の近鉄ハイキング(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)の時に見てきたこの常夜燈がそれだと思います(こちらのサイトの説明による)。

Img_9938c_20211106183801 Img_9943c_20211117205401  早馬瀬(はやまぜ)町に入って、漕代地区市民センターの西に医王山善福院大乗寺があります。浄土宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。本堂はかなり古い建物に見えましたが、境内は綺麗に整えられていました。明治初期には、ここに寺子屋があったといいます(こちら)。本堂に向かって左手(西)には、山の神が13基集められていました。お寺にあるのは珍しい。

Img_9946c_20211117205601  その奥には、石碑が1基。「平和之礎」と読めます。碑表には、20名の方々のお名前と「満州国」「比島」「ビルマ」などの地名、昭和20年4月6日などの日付が刻まれていました。第二次世界大戦で戦没された方々の慰霊碑でした。碑陰には回りませんでしたので、建立されたのがいつかや、どなたが建てられたかは確認できませんでした(三重県遺族会のリストにもありません)。

Img_0016c_20211106184301 Img_0014c_20211106183901  大乗寺の隣にというか、境内を共有している感じで早馬瀬神社があります。この神社について、詳しいことは分かりませんが、こちらのサイトを参照すると、かつて「早馬瀬の奇祭『よいよい神事』が毎年2月に行われていたようです。この行事は、従来から地区に居住する特定の家のうち、「番」に当たった「家長」(男であること)が大乗寺のお堂に篭って、誰にも見せてはいけないという「何かのこと」を行っているのだそうです。神社ですので、厄除けや、豊作祈願なのかという気がします。この神社、右の写真のように拝殿の前に扉があります。以前来たときには、「蕃塀」なのかと思ったのですが、どうも違うようです。

Img_9950c_20211117210601  南側の裏参道に当たるところの両側には、道標が建てに2つに割れた(割った?)ものが左右に建っていました。向かって右に建つものには「右けかう……」(……部分は、地中に埋まっています)。左に建つものには正面に「文化十三丙子春 櫛田川 越場…/同志…」とあります(こちらによる)。その左側に「左さんくう……」(……は同様に地中に埋まっています)。この道標、元は、渡し場付近にあったものをここに移設しています。文政13(1816)年建立。いや、それにしても不思議なというか、興味深い神社です。

Img_0020c_20211117212001  さらに早馬瀬神社の南には、大正11年建立の篤農家田所寅吉翁の彰功碑があります。詳細は不明。碑文も薄れていて、詠みにくいものでした。

Img_0043c_20211106183901 Img_0051c_20211118195001  早馬瀬神社から伊勢街道に戻って、すぐのところにお地蔵様があります。このお地蔵様には、「天保九戊年十月一日 施主 正木五良兵ェ時尋」と刻まれています。天保9年は、1838年。機殿(はたどの)神社への機殿道への分岐に立っているのですが、何を願って正木五良兵衛が立てたのかは、不明です。「伊勢参りの途中で亡くなった旅人の供養に立てたという話もあります(こちら)。ちなみに、機殿神社、現在は、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)と神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の2社になっていますが、元々は同じ場所に鎮座していました。いずれも皇大神宮(内宮)所管社で、ここから櫛田川に沿ったさらに下流にあります。いずれも、神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する神が祀られています。冒頭のマップでは、このお地蔵様から北へ向かう道が、機殿道と思われます(右の写真)。

 その1は、ルートマップ通り、ここまで。その2は、稲木町へと進みます。

志登茂川でバードウォッチング、さらに近鉄百貨店四日市店にも寄り道(微笑)

Dscn4744c  水曜日、江戸橋での仕事の日です。今日で、後期も6回目。出席率は芳しくありませんが(70%代半ば)、推測するに「とにかく登録だけしておこう」と思った学生がいつもより多かったのではないかという気がします。もちろん、何らかの理由でドロップアウトしてしまう学生もいますので、それはそれで気になります。今日は、「自己と他者」というテーマ。自尊感情、自己評価の維持、社会的比較、自己開示、自己呈示などについて話をし、最後に、自尊感情の測定演習。自尊感情を測定した結果は、来週フィードバックします。

Dscn4746c Dscn4749c  さて、天気はよく、風も弱く、さらに、潮の具合もまあまあということで、志登茂川に寄り道してきました(あれこれ屁理屈を並べているだけで、結局、寄ってくるのです)。四日市港潮汐表では、10時41分が干潮で、16時42分が満潮。数は多くはなかったものの、あちこちにサギやカモが点在。まず、上流方向。右の写真、嘴が黒く、さほど大きくありませんので、コサギと思われます。

Dscn4751c Dscn4752c  コサギのさらに上流側には、アオサギと、たぶんオカヨシガモと思います。アオサギさんは、魚を捕ったところのようです。カモは、水面に頭をつけて、餌をとっているようでしたが、なにぶんにも遠い。コンデジ(Nikon coolpix s7000)の20倍ズームや、単眼鏡(8倍)ではよく分かりません。アオサギたちからほど近いところには、これはセグロカモメか?

Dscn4759cDscn4763c  対岸には、アオサギ。日の光がよく当たりすぎて、白く写っています。少し下流側の右岸よりには、ヒドリガモたちが10羽ほど。という次第で、いろいろと見てきましたが、何となく、「一応、見てきた」という感じが強い寄り道鳥見でした。

Dscn4787c Dscn4789c  電車に乗って桑名に向かったのですが、四日市で途中下車して、さらに寄り道。近鉄百貨店四日市店へ。ここ数年、毎年秋の恒例行事にしています。恵那寿や栗きんとんを買いに行ってきたのです。6個入りで¥1,728でした。この地方で栗きんとんといえば、川上屋など他にも有名店がありますが(似たような名前もたくさんあって、私には、区別がついていない面もあります)、我が家の好みは、ここ恵那寿やさんのもの。ここは毎年、近鉄百貨店四日市店で出張販売があるのです。ちなみに、今日は、近鉄百貨店四日市店にはあの「へんば屋」(へんば餅)も出店していましたが、それはまた、歩いて伊勢参りツアーの時に本店に立ち寄ろうと思っています。

Dscn4739c  帰宅後は、取り敢えず出欠チェックと、今日実施してきた自尊感情尺度の結果の集計を済ませました。あとはQ&A。とはいえ、これがなかなか労力と時間を要します。しかし、今日の学生のコメントに、「他の学生が何を考えているか知ることで、自分だけが心配しているんじゃないと分かって安心した」とか、「毎回みんなが書いた感想をまとめてレジメにしてもらえると分かりやすい。たくさんの量があって大変なのに、返事もしっかりつけてもらってありがとうございます」といったコメントもあり、何とも嬉しいことでした。

2021年11月16日 (火)

オオバン、今シーズン初見

Img_3671c_20211116195101  朝方は寒いものの、日中は暖かくなるという日々が続いています。冒頭の写真は、住吉神社の前から北の方角をみたもの。11月になってから、平日の朝7時半過ぎは歩いている人が激減しました。私は、いつも通り、7時半過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、老松公園、寺町と5.8㎞を歩いてきました。

Img_3660c_20211116195101  我が家を出てすぐ、住吉入江に何か飛んで来たと思ったら、イソシギでした。ここでイソシギを見るのはたぶん初めて。このあと住吉神社から揖斐川右岸の堤防を歩いていたのですが、ヒドリガモやキンクロハジロらしきカモたちや、オオバンかと思う水鳥がいるのが見えました。写真は撮ったものの、遠くて、何だか判別するのは難しいので、割愛。

Img_3726c_20211116195101 Img_3735c  七里の渡し跡でオオバンが1羽。オオバンを見るのは、今シーズン、今日が初めて。七里の渡し跡近くで、ジョウビタキのメス。いったん七里の渡し跡近くに出て来て、何か餌をとって、南にある駐車場の木に行ったところ。

Img_3788c_20211116195101  三の丸水門に来たら、イソヒヨドリのメスがやって来ました。他にはドバトやハクセキレイ。

Img_3843c Img_3823c_20211116195101  九華公園。北門近くの堀、私が着いたときにはダイサギやコサギはいませんでしたが、すぐにダイサギがやって来ました。アオサギは、九華橋近くの樹上に。私は、コサギはみなかったのですが、散歩友達のYさんは吉之丸堀にいたとおっしゃいます。

Img_3939c_20211116195101  奥平屋敷跡では、久しぶりに、メジロ、シジュウカラ、カワラヒワがけっこうたくさんやって来ました。メジロは数羽がしばらく滞在。メジロはご承知のように、花の蜜や汁を好むのですが、今日は珍しく虫を捕まえて食べていました。ピントが甘いのですが、証拠として載せておきます。虫は、育雛期には雛に与えますが、それ以外のシーズン、こういうところを見るのはまれです。いつものハクセキレイペアも来ていました。

Img_4048c_20211116195101 Img_4137c_20211116195101  シジュウカラは、2羽が奥平屋敷跡で小1時間過ごしていました。あちこち移動して、餌を探したりしていましたが、それでも小1時間もいるのは珍しいことです。右の写真は、カワラヒワ。

Img_4154c_20211116195001 Img_3839c_20211116195101  カモは、今日は合計55羽。メンツは代わりありません。ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモは1ペア、ハシビロガモは8羽ほど。オスが5羽、メスが3羽。ユリカモメは、1度来ただけで、その後は見ません。

Img_4176c_20211116195001 Img_4181c_20211116195001  吉之丸堀の上を通っている電線にハクセキレイ。たぶんペア。奥平屋敷跡に来るのとは別のペアと思います。

Img_4213c  九華橋近くにいるアオサギをもう一度見にいったら、すぐ近くにゴイサギがいました。最近ときどき見るようになったものの、昨シーズンのようにたくさんはいません。

Img_4259c_20211116195001  貝塚公園ではモズのオス。いったん地上に降りてきて、昆虫を捕まえたようでした。他には、カワラヒワ、ヒヨドリなど。このあと、内堀南公園、新築公園ではとくに野鳥はおらず。老松公園ではヒヨドリのみ。

Img_4244c_20211116195001 Img_4286c_20211116195001  貝塚公園に行く前に、はあぶ工房Togetherでミカンを売っていたので、お買い上げ。約1㎏で¥350。皮はちょっと固かったのですが、予想以上に美味しいミカンでした。

Img_4275c_20211116195001  相談会の報告書は仕上げましたので、明日にでも投函する予定。その明日は、江戸橋での仕事。6回目になります。四日市港潮汐表では、10時41分が干潮。授業が終わって行くと、だんだん潮が満ちてきている頃。水鳥がいるかも知れません。この写真は、貝塚公園にて。

 

2021年11月15日 (月)

ダイサギの獲物はボラか?……九華公園にツグミが来たものの、写真は撮れず残念

Img_3311c_20211115165301  11月も15日。前半が過ぎてしまいます。早いものです。朝は7.1℃と寒かったのですが、日中は19.8℃と気温が上がりました。いつも通り、7時半から散歩。寒いからもう少し遅くしたらといわれたものの、習慣となっています。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、八間通郵便局と6.0㎞ちょうど。冒頭の写真は、六華苑にある大イチョウ。かなり色づいてきています。

Img_3520c_20211115165201 Img_3541c_20211115165201  今日はベストショットから。公園内を半周して、神戸櫓跡近くの花菖蒲園に来たら、ダイサギ。例によって、集団で漁をしているカワウのあとを追いかけていました。実は、この直前に堀にダイブして、この魚を捕ったのですが、それは残念ながら花菖蒲園の柵の陰で見えませんでした。左の写真は、65倍ズームでノートリミング。右は、少しトリミングしていますが、丸呑み直前。魚は、ボラの子どもと思います。

Img_3345c  さて、散歩の初めから。桑名七里之渡し公園にモズがいたものの、近くにいたドバトにピントが合ってしまい、ピンぼけ写真。揖斐川にカンムリカイツブリが1羽(左の写真)。揖斐川にカンムリカイツブリがいるのを見ると、「冬近し」という気がしてきます。今日は、揖斐川や、長良川との中洲には、他に鳥はいませんでした。三の丸公園にもモズがいたのですが、シャッターを押す直前に逃げられてしまいました。

Img_3482c_20211115165201  九華公園。ヒヨドリが賑やか。奥平屋敷跡でもヒヨドリがたくさん。メジロ、カワラヒワがいたものの写真には撮れず。ハクセキレイの写真もイマイチ。左の写真のカワラヒワは、二の丸跡にて。このあと、写真は撮れなかったのですが、朝日丸跡でツグミを2羽目撃しました。今シーズン初めて。その後も、鳴き声を追ったのですが、今日は、写真は撮れず、残念。

Img_3434c_20211115165201 Img_3574c_20211115165201  カモは、57羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは計6羽。他は、キンクロハジロと、いつものメンバー。今日は、あちこちに分散していました。

Img_3565c_20211115165201  そして、珍しく、カイツブリが1羽。二の丸堀の西側エリアに来ていました。写真は、このシーンの1枚のみ。私に気づいて、潜って逃げてしまい、見失いました。いくら探しても見つからないので、幻を見たのかと思ったくらい(笑)。

Img_3592c_20211115165201  貝塚公園でカワラヒワ。他にヒヨドリ、メジロ。内堀公園には、何もいません。

Img_3598c_20211115171101 Img_3602c_20211115171101  郵便局から住吉入江に戻って来たら、シジュウカラとメジロの混群。苦労したものの、どちらも証拠写真。シジュウカラをみたのは、久しぶり。他にハクセキレイも2羽いたのですが、これもイマイチ写真。

Img_3494c_20211115165201 Img_3498c_20211115165201  鎮国守国神社では、今日、11月15日は、高竈神社のお祭り。水神様というか、龍神様というか。松平定綱公が、本丸に井戸を掘り、高竈神を崇め、桑名城鎮護、延命長寿、子授け、子育てを願って祀ったとあります。

Img_3487c_20211115165201  午後からは、歯科受診。あと1~2回で治療が終わる見込み。土曜日の相談会の報告書を早急に仕上げなければなりません。明日には終えたいと思っています。写真は、鎮国守国神社の「なんちゃって紅葉」。

2021年11月14日 (日)

カワセミ嬢に、今日も三者揃い踏み

Img_3299c_20211114152801  昨日、散歩で歩いたのは、4.6㎞でしたが、午後から名古屋まで出かけたため、13,000歩も歩いていました。今日の午前中、9時台はよく晴れたのですが、それ以外の時間帯は雲が多くて、寒く感じました。しかし、いつも通り、7時半から散歩です。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町とちょうど6.0㎞。

Img_2919c_20211114152901  住吉神社の前から揖斐長良川の中洲を見ると、7時半過ぎだというのに、アオサギが集合中。この写真のところに6羽。他にこの右手(南側)にもう1羽。キンクロハジロも写っていますが、このあたりで計6羽。

Img_2956c_20211114152801 Img_2958c_20211114152801  冬になるとときどき見られる光景ですが、カワウの大集合。まったくテキとーな見積もりですが、200~300羽くらいいる感じでした。このあと、集団で漁をしていました。

Img_3012c  その近くにカモが4羽。250mか、それ以上先。シルエットや、かろうじて見える模様からは、オカヨシガモかという気がしますが、これも当てずっぽうに近い(苦笑)。

Img_2981c_20211114152801  三の丸公園では、オスのジョウビタキ。ここでオスのジョウビタキを見るのは、今シーズン初めて。コミュニティパークではハクセキレイ2羽と、ドバト多数。

Img_3050c_20211114152801 Img_3100c_20211114152801  九華公園には8時前に到着。連続4日目になりますが、北門近くの堀には、ダイサギとコサギ。

Img_3136c_20211114152801  ダイサギさんは、うまく魚を捕まえるところを見ますが、コサギの漁は、ここではまだ見ていません。この写真、背後からになってしまいましたが、ダイサギが魚を呑み込もうとするところ。

Img_3163c  奥平屋敷跡は、今日もヒヨドリ天国。他には、ドバトが少しと、ときどきハシボソガラスがやって来るくらい。今日もダメか、と思っていたら、二の丸跡にカワセミ嬢出現。贅沢をいうのも、何ですが、日当たりがよすぎるところに来たので、こんな写真。なかなか難しい。

Img_3141c_20211114152801 Img_3149c_20211114152801  他に奥平屋敷跡では、いつものハクセキレイ2羽。このあと、朝日丸跡ではカワラヒワ数羽。

Img_3240c_20211114152801  再び、北門すぐの堀を見に行くと、三者揃い踏み。いつも同じ個体が集まって来ているように思えます。貝塚公園では、ヒヨドリとメジロの鳴き声。内堀公園には何もおらず。新築公園ではスズメ、老松公園ではヒヨドリ。寺町商店街を出たところで、散歩友達のOさんとずいぶん久しぶりに遭遇し、しばし歓談。出会うと「吉日」と思える方。

Img_2990c_20211114152801  今週は、明日は歯科受診、水曜は江戸橋での仕事。土曜日は、管理組合の会合で、日曜日に東海地区K-ABC研究会の研修会。11月6日に行ってきた「歩いて伊勢参りツアー」の第14回の本編の記事に手がついていません(20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編))。相談会準備を優先していたためですが、週明けくらいからボツボツ書けると思います。

2021年11月13日 (土)

散歩、相談会、ひのとり、そして桑名駅前のイルミネーション

Dscn4738c Dscn4734c   午前中は、時間制限で散歩、午後からは、相談会で名古屋へという1日。名古屋からの帰りの電車、桑名駅には18時前に到着。ようやく桑名駅前のイルミネーションを見てこられました。ブロ友のひらいさんのブログ(2021.11.03 シミュレーション後の気晴らし散歩)や、インスタでは見ていましたが、やはりこの目で見たいと思っていました。実際に見てみると、なかなかのものです。長島観光開発の協力で、なばなの里のイルミネーションを担当している会社の協力と聞いています。

Dsc_6282c 1636791837854c  さらに、帰りの近鉄名古屋駅では、あの「ひのとり」をマジマジと見てきました。17時25分発の難波行きが停車していたのです。今まで、走っているのや、駅のホームで電車を待っているときに通過して行くのは見ていましたが、間近でゆっくり見ても、カッコいいですねぇ。一度は乗ってみたいと思うものの、桑名に止まるのは、22時59分の名古屋行きだけ。名古屋から大阪へ行くひのとりは、名古屋を出ると次の停車駅は津。ちなみに、「しまかぜ」にも乗りたいと思いつつ、こちらもまだ実現していません。しまかぜ、四日市には止まるものの、桑名はパスなのです。

Img_2731c_20211113191401  相談会の方は、無事に終えられたと思います。お二組とも、お子さんご本人も来てくださり、直接お話しができました。お子さんとお目にかかって、直接話をするのは、私の楽しみなのです。これから報告書を仕上げてお送りしなければなりませんが、今日の面談が少しでもお役に立てば幸いと思っています。

Img_2575c_20211113191401  さて、朝の散歩写真。家事を済ませ、散歩に出られたのは8時15分。住吉神社、九華公園から、今日は桑名宗社、寺町と4.6㎞。こちらの写真は、住吉神社の前から長良川河口堰方面を見たもの。よい天気で、気持ちが良い日。10寺前に帰宅して、相談会に向けて最終チェック。

Img_2588c_20211113191401 Img_2594c_20211113191401  揖斐川には鳥の数は少なかったものの、まずは、キンクロハジロが6羽。さらに中洲のすぐ西には、カルガモが3羽。

Img_2630c_20211113191401 Img_2623c_20211113191401  さらに三の丸水門近くまで来たら、今日ははっきりとカンムリカイツブリを確認できました。冬のバードウォッチングの季節が来たな、と思えます。三の丸公園と、三の丸水門では、ハクセキレイを1羽ずつ。写真は、水門のところにいたハクセキレイ。

Img_2638c_20211113191401 Img_2650c_20211113191401  三の丸水門から中洲の方を見たら、アオサギさん。そして、柿安コミュニティパークで散歩友達のWさんと話していたら、ちょっと離れたソメイヨシノの木にモズが来ました。それ故、証拠写真。メスのモズのようで、いつも三の丸公園やコミュニティパークにいるモズであろうと思います。

Img_2666c_20211113191401 Img_2685c_20211113191401   九華公園には8時半過ぎに到着。今日もまた、北門を入ったところの堀にはダイサギ。よほど気に入ったと見えます。月曜(11/8)にもいましたし、一昨日からは3日連続。コサギもいましたが、写真には撮れず。コサギも3日連続の登場でした。九華橋近くの樹上には、アオサギさん。いつもと違う感じのところを撮れました。

Img_2739c_20211113191401 Img_2804c_20211113191301  奥平屋敷跡や二の丸跡にはヒヨドリだけ。朝日丸跡では、ヒヨドリの他、メジロの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見えず。朝日丸跡にいるときに、上空の高いところをコサギらしき鳥が、2羽通過。鎮国守国神社を通って、再び北門から相撲場のあたりに来たら、別のアオサギが北から飛来。九華橋近くにいたアオサギのすぐ上に降り立ちました。ということで九華公園にアオサギが2羽。

Img_2829c_20211113191301 Img_2835c_20211113191301  カモは、今日は、44羽。ヒドリガモのオス1羽にメス2羽、ホシハジロのオスが1羽、ハシビロガモのオスが5羽、メスは1羽。他はキンクロハジロたち。ユリカモメは、今日も姿は見られませんでした。

Img_2746c_20211113191301 Img_2853c  九華公園には、モミジの木は多くはありません。紅葉もイマイチという感じです。それ故、裏から見て「なんちゃって紅葉」などと、いつもふざけています(微苦笑)。イチョウは何本かありますが、今年は黄葉が遅い気がします。

Img_2861c_20211113191301 Img_2891c_20211113194601  今日は寺町商店街が、三八市でしたので、賑わっているところを避けてという意味もあって、桑名宗社へ。久しくお参りもしていませんでしたので、たまにはということもあります。七五三参りの方が何組かいらっしゃいました。

05504dee 1636795740651c  オマケ。今日の夕食は、桑名駅自由通路にある「伊勢ノ国ダイニングしちり」のテイクアウト。「海老天重」、¥900。海老が3尾。ご飯にも甘だれがかかっていて、最後まで美味しく食べられます。魚城の玉子焼きと漬物もついています。

1636774420476c 1309bc4f  このお店、以前、桑名の八風街道を歩いたときにランチをしたのですが(2021年2月10日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その3……揚げ雲雀の鳴き声を聞きながら連敬寺、景清屋敷跡、久米まちづくり拠点施設で「完」)、この「お持ち帰り駅弁」もずーっと気になっていて、食べてみたかったのです(微笑)。ちなみに、ランチをしたときは、「とろアジフライランチ(税込み¥980)」をチョイスしたのですが、大きくて、部厚いアジフライを堪能しました。

 

2021年11月12日 (金)

アオサギ、ダイサギ、コサギの揃い踏みシーン……ダイサギの漁失敗とそのリベンジも

Img_2103c_20211112163801  今朝はちょっと寒いくらいで、7.1℃。アメダスでは6時台に雨が記録されていますが、8時前までは小雨が降っていました。空模様を眺め、雨雲レーダーをチェックして、8時からいつものように散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園から寺町を通って、6.4㎞。今日は、九華公園内で、「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ、サギにつられてウロウロでした(微笑)。冒頭の写真は、散歩に出たときのもの。

Img_2115c Img_2140c_20211112163801  住吉入江に、キンクロハジロのメス。昨日もいたキンクロさんのように思えます。ただし、散歩から帰って来た10時半過ぎには姿はありませんでした。揖斐川にも、キンクロハジロの姿。ただし、揖斐川にカモがいる場所は、長良川との中洲に近いあたり(左岸)で、私が歩いている右岸からは、250mほどのところ。右の写真は、超望遠コンデジ(Canon SX-65HS)の65倍ズームで撮ってノートリミング。もう少し明るいと、多少はマシな写真になると思います。

Img_2174c_20211112163801 Img_2161c  雨上がりのためか、途中、ほとんど野鳥は見ません。九華公園の北門を入ったところの堀には、今日も、ダイサギ、コサギが1羽ずつ。ここは堀の行き止まりで、かなり浅くなっています(九華公園の堀は、そもそも全体に浅いのです)。たぶん餌がとりやすいので来ていると思います。ダイサギは、魚を捕ったものの、呑み込むのにくわえ直そうとしたとき、落としてしまいました(あとでリベンジシーンも見ています)。

Img_2207c_20211112163701 Img_2217c_20211112163701  いつものように奥平屋敷跡へ向かったら、花菖蒲園のところに散歩友達のWさん、前管理人のOさん、シルバー人材センターから来ているMさんが集まっていました。シルバーの方は、今日、この花菖蒲園の草取りをする予定だったそうですが、それに先だって、ヌートリアが勝手に作業をしていました(笑)。我々が見ているところから数メートルまで平気で近寄ってきます。

Img_2259c_20211112163701 Img_2497c_20211112163701  奥平屋敷跡には、いつもより30分以上遅れて到着。そのためかどうか分かりませんが、ヒヨドリがいたくらい。私が行く前には、ジョウビタキ、メジロ、アオサギがいたらしく、残念。二の丸跡、朝日丸跡を歩いていたら、アオサギが神戸櫓跡と辰巳櫓跡の間の松の木にいるのを見つけました。昨日もこの近くの松の木にアオサギがいました。このアオサギ、このあと、何を思ったのか、公園内をあちこちウロウロ。飛び回ったあと、九華橋近くの樹上に移動。いったん止まったものの、さらに飛び立ってどこかへ。

Img_2302c_20211112163701 Img_2318c  朝日丸跡で、カワラヒワ8羽ほどの群れ。あまり鳴かず、ほぼ同じところにいて、採餌中でした。メジロの鳴き声も聞いたものの、姿は見つけられませんでした。

Img_2244c_20211112163701 Img_2505c_20211112163601  カモ、他のことに気をとられ、今日はあまり写真は撮ってこず。数は、合計45羽。ホシハジロのオス1羽は変わりなし。ヒドリガモは、オスが1羽に戻り、メスは昨日と同じく2羽。ハシビロガモは5羽。

Img_2383c_20211112163701  九華橋のところに行ったら、朝一番にダイサギとコサギがいたところで、こんな状況が展開されていました。アオサギ、ダイサギ、コサギが集まっている前で、カワウが魚をゲットしていたのです。サギたち、うらやましそうに見ている気もします(笑)。アオサギは、松の木にいたものとは別の、若い個体。最近、アオサギは3羽いることもあります。

Img_2457c Img_2483c_20211112163701  ダイサギは、先ほど、捕った魚を落としたのと同じダイサギと思われます。鎮国守国神社にお参りして、再び、公園の北門の方からそっと近づいてみていたら、ちゃんとリベンジしていました。捕まえたところから呑み込むところまで、すべて見せてもらえたのです(微笑)。

Img_2543c_20211112163601  貝塚公園に着いたのは、もう10時前。ヒヨドリや、カワラヒワ、キジバトの他、モズ。モズの声が聞こえるなと思っていたら、87歳で、一人暮らしだという女性が話しかけてこられ、なかなか解放してもらえず、ヤキモキ(苦笑)。話し相手が欲しかった様子。子どもの頃から私は、おばあちゃんにモテるようでしたし、最近は、「明日は我が身」と思ってしまいますので、話を伺っておりました。幸い、モズはちょっと移動しただけ。ただし、写真が撮りにくいところに止まっていたので、ここでもウロウロしてようやく撮ったのがこれ。

Img_2550c_20211112163601  他の公園では何もいないか、スズメだけ。寺町の北の住吉入江では、ハクセキレイ。入り江の護岸にやって来たところ。

Img_2546c_20211112163601  江戸橋での授業のQ&Aは、早朝にチェックしてメール送って、完了。ヤレヤレと思っていたら、学生部から早くも来年度のシラバス作成依頼が届きました。いつもより1ヶ月も早いのですが、書類を確認したら、書式が変更されていました。明日の午後は、名古屋で相談会。

2021年11月11日 (木)

鳥見運、復活かなぁ……写真をパソコンで見て気づいたものもあり、微妙

Img_2099c_20211111192601  昼過ぎまではよく晴れていましたが、14時を回った頃から雲も広がってきました。気温は、最高18.7℃で、日が陰らなければさほど寒くは感じません。いつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、老松公園、寺町と5.8㎞。密かに毎日6.0㎞を目標にしているのですが、若干足りませんでした。

Img_1439c_20211111192601 Img_1456c_20211111192601  今日も鳥見はそれなりに充実しました。我が家の前の住吉入江では、キンクロハジロが1羽。10月31日(バードウォッチングの吉日)に続いて、第2号。諸戸氏庭園と桑名七里之渡し公園の境の木には、ジョウビタキのメス。ちょっと距離がありました。

Img_1474c_20211111192601 Img_1482c_20211111192601  住吉神社にお参りして、揖斐川を眺めたら、まずはキンクロハジロたちが目に入りました。その数は、9羽。さらに、何気なく「アオサギの集合場所」の写真を撮ったのですが、帰宅してパソコンで見たら、それにカンムリカイツブリが写っていました。現地ではまったく気づかず。右の写真で、右下に写っている白い点のようなものがそれ(自分の記録のためですので、不出来な写真はご容赦あれ)。

Img_1485c_20211111192601  さらに揖斐川の下流にもカモたちの姿。中洲に近く、単眼鏡ではどの種類かよく分からず。これまた帰宅してパソコンで見たら、マガモらしき姿がありました。マガモ以外のカモもいるのですが、判然としません。中央にいる2羽は、マガモのオスに見えます。

Img_1506c_20211111192601 Img_1553c_20211111192601  三の丸公園には、いつものハクセキレイが2羽。左の写真はそのうちの1羽。三の丸水門まで来て、「この間は、ここでイソヒヨドリのメスを見たな」と思ったら、今日はまさにグッドタイミングでイソヒヨドリのオスがやって来ました。こんなこと、あるのか?!というくらい絶妙のタイミング。

Img_1563c Img_1585c_20211111192601  九華公園に着いて、北門を入ってすぐの堀にダイサギ、コサギ、ゴイサギの三者が揃い踏み。最近、コサギやダイサギが来ていることがありますので、いつも以上に慎重に堀に近づいた成果(微笑)。ゴイサギを見たのは、春先以来。先日(11月7日)、ブログの記事には書き忘れたのですが、ホシゴイが1羽、鎮国守国神社の社務所の裏にあるビワの木から飛び出てきたことがありました。ゴイサギ、ホシゴイは少数、このあたりに潜んでいるような気がします。

Img_1666c_20211111192601 Img_1619c_20211111192601  ダイサギも、コサギも、いったん逃げてまた戻ったりしていました。10分ほど見ていたのですが、どのサギも獲物はありませんでした。

Img_1771c_20211111192701  奥平屋敷跡、今日は一段と静か。最初のうちは、ヒヨドリも、ドバトもほとんどいませんでした。小1時間いるうちにヒヨドリも、ドバトもやって来ましたし、ハクセキレイ、カワラヒワ、メジロも来ました。ただし、少数。左の写真は、いつもここに来る片脚のハクセキレイ(右足はいつも曲げています)。

Img_1785c_20211111192701 Img_1819c_20211111192701  奥平屋敷跡の中や周囲を歩いて、鳥を探しまくったら、神戸櫓跡の東にある高い松の木にアオサギがいるのを見つけました。アオサギは、思わぬところにいることがときどきあります。朝日丸跡でジョウビタキのオス。

Img_1760c_20211111192701 Img_1829c_20211111192701  カモたち、今日はかなり活発に動き回っていました。合計49羽。ハシビロガモは、オス6羽、メス5羽に増えていました。ヒドリガモもオスが1羽増えて、2ペアに。ホシハジロのオスは1羽で変わらず。他はキンクロハジロ。

Img_1866c_20211111192701 Img_2021c_20211111192701  このあと、いつものように鎮国守国神社にお参りし、社務所裏などをもう一度見てきました。アオサギは、もう1羽がいました(計2羽)。ダイサギは、同じダイサギが、公園内のあちこちを移動していました。右の写真は、朝日丸跡に来たところ。このところ、ダイサギがときどき来ているのですが、見ていると、カワウが、堀で集団で漁をしているのを付いて回っているように思えることがあります。

Img_2040c  九華公園の外周遊歩道で、再びジョウビタキのオス。朝日丸跡で見たオスと同じ個体かも知れません(200mも離れていないところですので)。貝塚公園では、ヒヨドリとカワラヒワのみ。他の公園では、何もおらず。

Img_1956c_20211111192701  散歩から帰ってからは、昨日の授業のQ&A書きに邁進。昨日は、「青年期の人間関係の悩み」がテーマでしたので、学生諸君の感想、コメントもかなりの分量になっていました。Q&Aを書くのもけっこう大変でしたが、一応完成。明日の朝にでもチェックして、仕上げ。

Img_1943c_20211111192701 Img_1947c  オマケ。オマケ扱いしているとお叱りがあるかも知れませんが……。柿安さん、11月8日に創業150周年を迎えたということです。中日新聞は、昨日の朝刊・三重版にその記事が載っていました。明治4(1871)年に桑名市で、牛鍋店として開業しています。記念碑には、初代・赤塚安次郎氏の写真が載っています。津藩藤堂家の家老の血筋で、柿の商いから牛鍋屋に転じたとあります。初代・安次郎氏が果樹園において柿を栽培しており、「柿の安さん」「柿安」と評判になり、「柿の安次郎」から「柿安」になったのが社名の由来だそうです(こちら)。

2021年11月10日 (水)

志登茂川寄り道に、津駅ビルで本屋、土産に平治煎餅……いったい何をしに行ったのか(^_^)

Dscn4695c  2週間ぶりに江戸橋での仕事の日でした。近鉄江戸橋駅を降りて、非常勤先に向かっていたら、西の空に虹が出ていました。路面も濡れていて、9時前に雨が少し降ったようでした。授業は5回目でしたが、今日も出席状況は、芳しいとはいえず、気になります。5回目といえば、1/3が終わったことになります(終わることばかり考えているのか!?とツッコミが入りそうですが、無事に終わることを考えているのです)。

Dscn4704c  授業を終え、話をしに来てくれた学生とちょっとやりとりをして、江戸橋駅へ。風がかなり強かったのですが、もちろん志登茂川経由。下流側には何もおらず、写真は上流側。いつものようにおぼろタオルの工場の脇から上がったところ。手前の右岸には何もいませんでしたが、中央から反対側の左岸にかけてカモの姿がありました。今日は、サギはいません。

Dscn4710c Dscn4712c  もっともたくさんいたのは、カルガモたち。一昨年は、こんなにたくさんいたかな?と思うくらい(昨年度は遠隔授業でしたので、寄り道不可)。川にも、堤防下にもたくさん。他には、オナガガモがそれなりにいたのと、ヒドリガモらしい姿も見えました。写真は、今日もコンデジ(Nikon coolpix S7000)。光学20倍ズームです。

Dscn4722c Dscn4724c  江戸橋駅から、今日は「津新町行き普通」に乗車。帰るのとは、逆方向なのですが、津駅まで行って、駅ビルの津チャムにある別所書店津駅店に行ってこようという魂胆。昨日買い損ねた文庫本と、アピタの本屋では扱っていない出版社の文庫本をゲット。その他、新書なども物色したものの、これはというものはなし。12時56分の名古屋行き急行で帰宅。いつもより遅い電車。

Syohin_img1_20211110173101  電車を待っているとき覗いた駅ナカファミマで、思わず平治煎餅を買ってきてしまいました(微笑)。これも好物です(トラディショナルな和菓子が好きなのかもしれません)。写真は、平治煎餅本店のサイトからお借りしました。これから、授業のQ&Aを作成し、相談会準備にも勤しみます。

2021年11月 9日 (火)

予防接種と本屋のみ

Dscn4694c  天気予報通り、朝8時台まで雨でした。その後はしばらくスッキリとしませんでしたが、10時前からは青空も見えてきましたので、外出。インフルの予防接種と、本屋へ。インフルの予防接種は、いつもの内科に行けば、予約なしで打ってもらえるのですが(前回の定例受診のときにも、「今日、打っていく?」と聞かれました)、ずっと別のお医者さんでお願いしています。ここは、入ってくる数が限られているので、予約が必要。しかも、1バイアルが2人分となっているようで、いつも知り合いの方と「ワンセット」。

Dscn4685c  徒歩圏内にある本屋は、アピタ桑名店の新光堂書店のみ。三洋堂桑名店にも歩いて行けますが、片道1.5㎞ほどあります。大山田川方面に散歩に行ったなら、帰りに立ち寄れますが、わざわざ行くのにはちょっと遠い。アピタなら800mほど。今日発売の文庫の新刊を買おうと思ったのですが、10時半過ぎに行ったら、既に売り切れ。たぶん入荷はせいぜい5冊。人気のある時代小説ですから、やむを得ません。そのまま、常磐町から、休みの寺町商店街を通り抜けて、住吉入江まで小散歩。2.6㎞。

Dscn4686c   少しばかり家事をしたほかは、相談会の準備。明日は、江戸橋での仕事。木曜にかけては、Q&A書きもしなければなりませんので、少しでも進めておこうという次第。いつものような散歩には行っていませんが、住吉入江のところで、オスのジョウビタキを目撃。残念ながら、コンデジしか持っておらず、写真は撮れず。まぁ、ジョウビタキを見られただけで良し。

2021年11月 8日 (月)

尻すぼみでした(苦笑)

Img_1290c_20211108172401  明日の未明から午前にかけて雨の予報です。今日は、散歩に行った以外は、相談会の準備に専念。集中して考えることが必要かつ重要なのですが、昔ほどは、効率はよくありません(苦笑)。その昔は、まだ元気がありましたので、力任せにやっていただけかも知れませんが……。冒頭の写真は、鎮国守国神社の「なんちゃって紅葉」。まだまだこれからです。

Img_1012c_20211108172401  さて、7時半過ぎからは、いつものように散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町商店街と6.1㎞。ほぼ平均の距離。寺町商店街では今日は、三八市。小学生たちが、買い物学習に来ていました。

Img_1051c_20211108172401 Img_1076c_20211108172401  船津屋さんの裏手でジョウビタキの鳴き声が聞こえたものの、探しても姿は見つからず。三の丸公園まで行ったら、オスのジョウビタキがやって来ました。なかなかよいところには止まってくれず、ちょっと振り回されました。柿安コミュニティパークで、モズのメス。こちらもソメイヨシノの木を移動していて、よいところに来てくれませんでした。

Img_1132c_20211108172401 Img_1170c_20211108172401  九華公園について、鎮国守国神社の社務所の裏にいたら、ダイサギがやって来ました。私は、じっと立っていましたので、気付かれなかった様子。獲物を探していたのですが、10分あまり見ていても、漁をする様子はありませんでした。ダイサギの近くには、カルガモのアーちゃんと、ヌートリアが登場。右は、アーちゃんと、ヌートリアのコラボ写真。珍しいとは思うものの、果たして価値はあるのか、アヤシい(笑)。

Img_1248c_20211108172401 Img_1254c_20211108172401  これを書いていて、改めて気づいたのですが、今日、奥平屋敷跡では、鳥の写真をまともに撮っていませんでした。ヒヨドリは多数いたものの、カワラヒワやメジロは、チラッと姿を見せただけ。他に来たのは、ハシボソガラスのみ。昨日、今日とドバトも来ません。スズメは最近、サッパリ。カモは、合計53羽。ヒドリガモのオス1羽、メス2羽(どういう組合せか、相変わらず不明)、ホシハジロはオス1羽、ハシビロガモはオス2羽とメス3羽。他はキンクロさん。昨日1羽だけやって来たユリカモメ、今日は姿はありません。

Img_1320c_20211108172401  公園内を半周して再び鎮国守国神社の社務所の裏に行ったら、ヌートリアが再登場。堀の壁面から生えた雑草を食べていました。この少し前には、花菖蒲園に上がって、やはり草を食べていたそうです。貝塚公園にいたのは、ヒヨドリ、カワラヒワ、メジロ。内堀南公園、新築公園は鳥はゼロ。

Img_1361c_20211108172401  老松公園では、近所の屋根にハクセキレイ。最近よく、保育園の子どもたちがたくさん来て遊んでいますので、鳥は寄って来ません。今日の鳥見は、最初はよかったものの、尻すぼみでした(苦笑)。

2021年11月 7日 (日)

立冬に冬の使者ユリカモメが飛来

Img_0855c_20211107161101  九華公園に冬の使者であるユリカモメがやって来ました。私としては、今シーズン初確認。1羽のみでした。去年は、11月6日に5羽を確認しています(2020年11月6日:九華公園にユリカモメ飛来……去年より半月早い)。去年の記事のタイトルにあるように、一昨年は11月22日でした。ちなみに、今日は暦の上では立冬ですから、まさにユリカモメは、「冬の使者」です。

Img_0983c_20211107161101  さて、散歩はいつもよりやや遅く、7時45分からスタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ、常磐町、寺町と6.8㎞。歩いた距離がやや長いのは、アピタに寄ったのもありますが、九華公園で鳥を追いかけてウロウロしたためもあります。それは後ほど。

Img_0518c_20211107161101 Img_0500c_20211107161101  三の丸水門のところで、イソヒヨドリのメス。イソヒヨドリは、久しぶり。ここで、揖斐川の上空をミサゴが通過したものの、写真は撮れず、残念。ハクセキレイは、三の丸公園に2羽。三の丸公園にもたいていハクセキレイがいます。

Img_0553c_20211107161101  九華公園には8時過ぎに到着。カルガモのアーちゃんが出迎え。というか、実はたぶん餌をもらおうと思って寄って来たのです。

Img_0690c_20211107161101 Img_0646c  奥平屋敷跡は、今日はそれなりに賑やかでした。まずは、ジョウビタキのオス。地鳴きの声で少し離れたところからも見つけられます。モズのオスは、二の丸跡にやって来たところをとらえました。

Img_0575c_20211107161101 Img_0611c_20211107161101  あの片脚を痛めたハクセキレイも、ほぼ毎日やって来ています。他には、カワラヒワが数羽。今日は珍しく、ドバトやハシボソガラス、ムクドリが不在。ヒヨドリは、相変わらず賑やかで、飛び回っています。

Img_0738c_20211107161101  二の丸跡に行こうと思ったら、コサギが飛んでいるのを発見。コサギを追いかけて、奥平屋敷跡から鎮国守国神社の社務所の裏などへウロウロ。これが歩数が伸びた要因の1つ。

Img_0774c_20211107161101 Img_0778c_20211107161101  カモは合計58羽。ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ホシハジロはオス1羽、ハシビロガモは6羽。オスはたぶん2羽。

Img_0929c_20211107161101  貝塚公園では、ジョウビタキのメス。このメスも、木に止まって尾を振っていたので、音がしてここでもまた追いかけました。

Img_0804c_20211107161101  アピタでは欲しいものはなく、他へ出直し。今週は、火曜日の午前中にインフルの予防接種を予約してあります。水曜日は、江戸橋での仕事。土曜日の午後には名古屋で相談会。今風の言い方をすると、「準備を加速」しなければなりません。

2021年11月 6日 (土)

20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編)

Kushida0  今日は、先週に続いて、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第13回に行ってきました。松阪市の櫛田から明和町の斎宮跡まで。近鉄の駅でいうと、山田線の櫛田駅から斎宮駅までです。冒頭の画像は、今日歩いたコースの全体像。櫛田駅を出発してじきに櫛田川を渡り、松阪市早馬瀬町へ。大乗寺、早馬瀬神社や、梵字の六字名号碑などを見て、祓川に至ります。ここは、斎王がお祓いをして、斎宮に入ったとされる川。ここからまた、明和町に入ります。外宮への道標で左折し、斎宮歴史博物館へ向かいます。見学したのち昼食を済ませ、斎宮跡を見学してきました。

Img_9834c_20211106184001 Img_9838c_20211106183801  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分着。伊勢市・宇治山田方面への普通電車に乗り換えるのですが、10時10分の鳥羽行き普通まで時間があります。かねてから計画していたように、JR紀勢線の1番ホームへ。ここに駅弁のあら竹商店の売店があるのです。斎宮跡で食べようということで、今日は駅弁をゲット。10時10分の鳥羽行き普通に乗って、櫛田駅には、10時16分に到着。¥1,020。

Img_9854c_20211106183801  10時20分にスタート。櫛田駅から県道37号線に出て、櫛田郵便局の前から伊勢街道に入りました。このあたりの伊勢街道は、ももともとクネクネしていたようで、2年前に来たときには、道を間違えた記憶があります(2019年10月31日 :20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ)左の写真で、朱い鳥居が見えています。これが、豊養稲荷神社。こちらのサイトによれば、大櫛神社の旧地といいます。江戸時代には大櫛社と称しており、鳥居の脇に「式内大櫛神社」の石碑。石柱は、もう1つ「櫛田大市」と刻まれたものもありました。かつてこのあたりで市が開かれていたのです。

Img_9875c_20211106183801 Img_9894c_20211106183801  豊養稲荷から直進すると、道標に行き当たります。櫛田川の堤防のすぐ下です。文政2(1819)年、京の商人が寄進したもの。「左さんくうみち 右けかうみち」とあります。「さんくうみち」は「参宮道」ですが、「けかうみち」には、前回来たときも悩みました。その時は、「下向(げこう)」であろうという、取り敢えずの結論。「下向」は、①高い所から低い所へおりていくこと、②都から地方へ行くことといった意味(デジタル大辞泉)。さらに調べたら、goo辞書に「参り下向」ということばが載っていました「まいりげこう」、旧仮名遣いでは「まゐりげかう」で、「参上することと下向すること。また、神社や寺院に参詣すること」とありました。正しいことをご存じの方がいらっしゃったら、是非ともご教示ください。道標のところで左折、次の角を右折すると、里程標(右の写真)があります。ここは、櫛田川の渡し場があったところで、大正3(1914)年に建てられた里程標。正面には「距宇治山田元標三里二十町四十一間/距津元標六里十二町十八間」と、右には「距松坂元標一里二十九丁三十四間」、左には「距齋宮元標二十五町三十一間」とあります。裏は「大正三年三月建之」と読めました。斎宮(の元標)まで25町31間ですから、約2.8㎞。

Img_9903c_20211106183801 Img_9927c_20211107063701  かつてはこの里程標のところの渡し場から櫛田川を渡ったのですが、現代は、少し上流の櫛田橋に回ります。ここは、明日(11/7)の全日本大学駅伝のコースでもあります。橋を渡ったところには、その看板。

Img_9938c_20211106183801  早馬瀬町に入り、漕代地区市民センターの東に、まず、医王山善福院大乗寺。浄土宗のお寺。詳しいことは分かりませんが、明治7(1874)年、学制発布により、本堂を後者として早馬瀬学校が開校されたそうです。

Img_0016c_20211106184301 Img_0014c_20211106183901  その南にというか、寺の境内にというか、早馬瀬神社。小さな神社ですが、拝殿の前に、右の写真のように扉があります。開くようになっていました。境内には、櫛田川の渡しにあったという道標があります(文化13(1816)年建立のもの)。ただし、この道標は、2つに割ってあり、門柱のようになっていました。

Img_0043c_20211106183901  この先の四差路には、お地蔵様。ここは、機殿(はたどの)神社につながる機殿道への分岐点。現在は、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の2社になっていますが、元々は同じ場所に鎮座していました。いずれも皇大神宮(内宮)所管社で、ここから櫛田川に沿ったさらに下流にあります。いずれも、神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する神が祀られています。冒頭のマップでは、このお地蔵様から北へ向かう道が、機殿道と思われます。

Img_0077c_20211106183901 Img_0085c  さらに街道を進み、大稲木交差点を過ぎると、左手(北側)に梵字で六字名号を刻んだ碑があります。これは、参宮旅の途中で亡くなった人々を供養するため、文化14(1817)年に建てられたもの。この六字名号碑のすぐ先には、右の写真のようなもの。伊勢街道のマップには出て来ません。前回来たときに見つけ、「神棚のような社」と勝手に命名しています。同行のK氏も、かなり興味を持っていたようで、感心しきり。神棚のようなものがおさめられ、津島神社の御札も入っています。詳細は不明。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示をお願いします。

Img_0108c_20211106183901 Img_0114c_20211106183901  スタートから3㎞の手前で祓川に来ます。斎王が京の都から巡行してきて、斎宮に入る手前のここで禊ぎをしたといいます。祓川は、平安時代以前は、櫛田川の本流で、もっと広い川であったと伝わっています。今も、護岸は自然のまま残っているところが多く、動植物が豊富にいる/あるところ。この川を越えると、明和町。

Img_0142c_20211106201901 Img_0188c_20211107070201  ほぼ3㎞地点に外宮への道標。「従是外宮三里」と刻まれています。前回、外宮まで4里の道標がありましたので、1里進んだということ(微笑)。この道標の先を左折し、水田の中の道を斎宮歴史博物館に向かいます。途中、右のように「祓戸広場」がつくられていました。ここは、2年前に来たときには、発掘作業が行われていたところ。

Img_0197c_20211106183901 Img_0206c_20211106183901  その先で林を通ります。そこにも「祓戸跡」という表示。「祓戸(はらえど/はらいど)」は、 祓えをするための場所。主として、神官が祓えを行なうところ。この表示の奥に石碑が見えましたので、見てきました。「小倉神社跡」とあります。斎王が祓えをしたところに神社が建っていたのではないかと思います。

Img_0230c_20211106183901  そして、いよいよ斎宮歴史博物館に到着。櫛田駅からほぼ4㎞、時刻は11時50分。ここでは、常設展示と、現在行われている特別展「斎宮 平安五種競技」、さらに映像展示も見て、ほぼ1時間滞在。入館料は、常設展と特別展の2つセットで¥790。

Img_0238c_20211106183901 Img_0246c_20211106183901  斎宮歴史博物館を出て、昼食を摂ることにしました。気持ちが良いので、博物館前の広場のベンチで、朝買ってきた弁当を広げることに。あら竹商店の「モー太郎寿司」。松阪牛のしぐれ煮が巻いてあります。もっと大きいと思ったら、案外小ぶりでしたが、これも絶品。これで、あら竹商店さんの三大売れ筋弁当のすべてを制覇しました(他の2種類は、「モー太郎弁当」、「元祖特選牛肉弁当」)。

Img_0254c_20211106203401  昼食後は、斎宮跡を一巡り。まずは塚山古墳群。斎宮歴史博物館の敷地内から東にかけて古墳が点在しています。5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。

Img_0305c_20211107071901 Img_0281c_20211106183901  続いて、斎王の森。斎宮がここにあったことを示すシンボル的な森。鳥居をくぐると、「斎王宮跡」の石碑があります。また裏手には、最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ:大伯皇女とも。天武天皇の娘)の歌碑が建っています。大伯皇女は、ひそかに伊勢へ訪ねきて京に帰る弟・大津皇子の身を案じ、「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡(ぬ)れし」と詠んでいます。

Img_0331c_20211106184001 Img_0334c_20211106184001  続いて、上園芝生広場にある斎宮跡の1/10史跡全体模型。これ、実によくできています。家族に写真を送ったら、娘などは「本物?」と勘違いしたくらい。斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物などが、つくられています。

Img_0350c_20211106184001 Img_0357c_20211106184201  さらに、さいくう平安の杜には、建物3棟(正殿、西脇殿、東脇殿)が、発掘調査で発見された一そのままで、復元されています。一昨年訪ねた斎王まつりは、この正殿とその前の広場をメイン会場として開催されていました(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。

Img_0421c_20211106184001 Img_0415c_20211106184201  斎宮駅に行く前に、いつきの宮歴史体験館も覗いてきました。斎王制度は天皇の代ごとに替わって、飛鳥時代から鎌倉・南北朝時代まで660年間続いたのですが、その中でもっとも華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。右の写真の中央に写っているのは、天皇、皇后そして斎王しか乗ることができなかった「葱花輦(そうかれん)」。斎宮歴史博物館にもあります。

Img_0436c  斎宮駅は、いつきの宮歴史体験館のすぐ南。14時45分にゴール。6.7㎞を歩いてきました。14時58分の伊勢中川行きに乗車。松阪に15時11分着。15時17分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には、16時22分に到着。¥1,090。かなり乗りでがあります(微苦笑)。次回からは、朝はもう1本早い電車で行った方が良さそうです。もう少し早い時間から歩き始めたいと思うのです。

Img_0457c_20211106184001  こちらが今日の歩数。現地で6.7㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞ですので、合計8.9㎞ですから、17,015歩はまあまあ妥当。今日も無事に行ってこられ、しっかり楽しめました(微笑)。次回は、今月下旬の見込み。

2021年11月 5日 (金)

今日はダイサギの日

Img_9820c_20211105172101  明日まではよい天気という予報です。今日も、22.3℃で好天。いつも通り(いつも、いつも通りがほとんどで我ながら笑えますが)、7時半過ぎから散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と、6.3㎞。まあまあの散歩距離。

Img_9551c_20211105172201  揖斐川沿いを歩いていると、中洲近くにカモらしき姿が見えます。単眼鏡や、超望遠コンデジのズームでは今ひとつはっきりしませんが、キンクロハジロのようでした。16羽ほど。揖斐川にキンクロハジロが姿を見せ始めると、次は、カンムリカイツブリの番。すでに長良川河口堰には来ているという話ですから、期待が高まります。

Img_9571c  三の丸公園では、ハクセキレイ2羽。ペアでいました。このオスは、虫のようなもを捕まえて、くわえていました。今日は、モズは見当たりません。

Img_9591c_20211105173101 Img_9599c_20211105172101  九華公園には8時前に到着。白いサギが2羽飛んでいました。鎮国守国神社の社務所の裏の木に降りて来たのですが、1羽はダイサギ(左の写真)、もう1羽はコサギでした。この2羽、このあとも、公園内や近くを飛び回っていました。

Img_9696c_20211105172101  ダイサギの方は、このあと、奥平屋敷跡から二の丸跡に行く橋の欄干に降りてきたり、写真のように、神戸櫓跡のすぐ東の高い松の木のてっぺんに降りたり。昨日のポンプ修理は無事に終わったようで(新品に交換されたという話があります)、堀にはいつも通り水が入っていましたので、ダイサギたちは堀には降りなかったように思います。

Img_9635c  奥平屋敷跡では、今日は、メジロとカワラヒワ、ヒヨドリ、そして、このハクセキレイくらい。ジョウビタキも、モズも姿は現しませんでした。どちらも、登場した頃はよく見かけるのですが、その後いったん姿が見えなくなるというのは、いつもの年のパターンです。カワセミも、奥平屋敷跡の東で2回見たものの、すぐに飛び去ってしまい、写真は撮れず仕舞い。

Img_9749c_20211105172101 Img_9778c_20211105172101  カモは、今日は、57羽とかなり増えました。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオス1羽とメス2羽、ハシビロガモは6羽。他はキンクロハジロ。ユリカモメはまだ姿を見ていません。

Img_9736c_20211105172101  鎮国守国神社の境内にある「なんちゃって紅葉」スポット。ちょっとずつ色づいてきています。ドウダンツツジは、まだこれから。

Img_9782c_20211105172101  貝塚公園ではメジロ、ヒヨドリ、内堀公園ではスズメ。新築公園では、ジョウビタキのオス。新築公園では、ときどきジョウビタキを見かけるのです。この「ときどき」というのが、曲者。パチンコで大当たりが出るのと同じ。つまり、心理学でいう「間歇強化」。何か自発的行動をするとき、ときどきご褒美が得られるというのが、その行動が長続きするのです(苦笑)。

Img_9812c_20211105174101  このあと、桑名別院にお参り。11月は、私の父と家内の父の命日があるのです。

Img_9713c  明日は、歩いて伊勢参りツアーの第14回の予定。先週土曜日に続いて、近鉄山田線の櫛田駅から斎宮駅まで。斎宮は、斎王の宮殿と斎宮寮という役所のあったところです。斎宮歴史博物館など見どころがたくさんあります。

20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その3)……万人講常夜燈、大日寺寺標、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄林寺、おもん茶屋跡からゴールの櫛田駅へ(完)

Matsusaka3  10月30日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」、第13回「松阪駅~櫛田」の本編その3です。その2では、JR紀勢本線の徳和駅まで来ました。徳和駅の先は、東に向かい、上川町西交差点の手前で万人講常夜燈と大日寺寺標、その先で、沖玉の夫婦石・禁酒の神、八柱神社、外宮への道標、浄琳寺、おもん茶屋跡、願證寺、光応寺と見どころがあります。

Img_6647c_20211030190801 Img_6664c_20211030190801  真盛川にかかる加茂川橋のたもとにとても大きな常夜燈があります。天保7(1841)年に建立されたもの(みえの歴史街道伊勢街道のマップには、天保2年とありますが、裏を見ると、後述のように天保7年となっていました)。正面には「三社燈籠/万人講」とあります。左側には「講元 河州諸元 松沢作兵衛/諸方 世話人中」と、また、右側には「諸方/神社仏閣」と刻まれています。裏には「干時天保七年/丙申九月吉日」。この常夜燈の南側、加茂川橋のたもとには、「大日寺の町石」があります。「片岡山大日如来是より三丁 願主□」と刻まれています。三丁は、約327m。大日寺は、ここから南西に600mあまりのところにある高野山真言宗のお寺。

Img_6687c_20211030190801  国道42号線松阪多気バイパスの上川町西交差点。その手前に全日本大学駅伝にともなう渋滞予告の看板。今年の全日本大学駅伝は、11月7日。熱田神宮から伊勢神宮・内宮まで走ります。この時期限定のレア看板。

Img_6691c_20211030190801 Img_6706c_20211104180501  スタートから5.5㎞の手前、街道の西側に「沖玉の夫婦石・禁酒の神」がありました。酒井家の敷地内に禁酒の神が祀られていますが、昔は、夫婦石は屋敷東の池のそばにあって、この石にお酒をかけて困りごとをお祈りすると不思議にも願いがかなうということでとても評判になったそうです。この夫婦石はお酒が好きで、ここの神様にお酒をかけ、酒を預かっていただくようお祈りをすると、だんだんお酒を飲まなくなるといわれています。ここは、見学するだけ。間違っても拝んではいけません(苦笑)。なぜならば、K氏も私も酒を嗜むからです。「帰ってからもカミさんには話はしない方がいいな」と約束(笑)。

Img_6722c_20211104181201 Img_6714c_20211030190801  その先に八柱神社。名前からして、五男三女神を祀っていると思われます。小高い丘の上にありましたので、お参りして、休憩。松阪から明和あたりの海まで見えました。古いソメイヨシノの木が、参道にたくさん植わっていて、春はもっとよい景色と思われました。

Img_6730c_20211104181201  この神社の参道の脇には、明和5(1768)年の常夜燈と、青面金剛像をおさめた庚申堂があります。

Img_6746c_20211030190801  そして、いよいよ5.9㎞の手前にこの道標があります。「従是外宮四里」とあります。ここから伊勢神宮の外宮まで4里。15.7㎞。4月9日に桑名・七里の渡し跡をスタートし(2021年4月9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、13回目にしてここまで来たという次第。次回から3回目に外宮、4回目に内宮にそれぞれお参りできる見込みです。

Img_6761c_20211030190801  この道標の先で、また、全日本大学駅伝による渋滞予告の案内板。

Img_6824c_20211105062701 Img_6821c_20211105062701  スタートからほぼ6㎞、12時40分頃に東慮山法音院浄林寺。浄土宗のお寺。参道の入り口には、ご覧のような、石造りの太鼓橋もあって、なかなか風情のあるお寺です。山門も、本堂もなかなかのものでした。しかしながら、ここも由緒書きはなく、ネットで検索してもこれという情報は出て来ません。

Img_6781c_20211105062901  境内には、「武平林」という石碑がありました。そばにあった碑によれば、「去んぬる戦の時 國策により境内風致の樹木盡くを供木 平和となりて元の森の姿を願いつゝ いち早く自ら車を引き出して 汗をのごい 力をふりしぼりて 八八〇本の苗木を運び寄進せらるげに篤実妙好の善男子なり」と、橋本武兵衞翁(明治24(1891)年生まれ)の功績を顕彰しています(平成17(2005)年、第13世悠誉代)。

Img_6799c_20211030190801 Img_6813c_20211105063101  境内はかなり広いのに、手入れが行き届いていました。これで苔生していたりしたら、京都の苔寺にも負けないと思えます。

Img_6859c_20211030190801  浄林寺から1㎞ほど、街道沿いに白壁で、虫籠窓のある旧家があります。ここがおもん茶屋跡。おもん茶屋では、へんば餅を名物にしていたといいます。「へんば餅」は、伊勢市小俣町明野にあるへんば屋の名物。へんば屋は、安永4(1775)年、参宮街道宮川のほとりに茶店として創業。当時駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がここで休憩し、ここから馬を返し参宮されたため、「へんば(返馬)餅」と名づけられています。ちなみに、私の大好物(微笑)。当時、このあたりには、他にも「おかん茶屋」という店もあったそうです。

Img_6868c_20211105065101 Img_6888c_20211105065101  おもん茶屋跡の西にある路地を入って行くと、慈日山願證寺があります(左の写真)。真宗高田派のお寺。このお寺も詳しいことは不明。無住のようでしたが、境内はきれいになっていました。願證寺の東には、光応寺(右の写真)。臨済宗興聖寺派のお寺。こちらも詳しいことが分かりません。

Matsusaka4  この先からは、詳細なルートマップはその4になります。その3と一部重複しています。予め設定した立ち寄りヶ所はありません。ゴールの近鉄山田線・櫛田駅を目指します。

Img_6916c_20211105065501  光応寺の先で、民家の門柱に櫛田橋の親柱が使ってありました。門柱のように建っているのです。どうしてここにあるのか? それも普通のお宅の玄関先に? 謎なのですが、どなたもいらっしゃいませんし、コースマップにも、伊勢街道のマップにも記載はありません。世の中にはいろいろあるものです(微笑)。

Img_6933c_20211030190801 Dsc_6273c  この櫛田橋の親柱を見たお宅のあたりで13時20分頃でした。櫛田駅にゴールする前に昼食を摂ることとし、いったん伊勢街道から離れ、県道37号線の方へ行きます。伊勢街道は、直進し櫛田交差点を過ぎ、クルクルと回る道になります。そのあたりは、次回のコース。松阪市立揥水小学校の南にあった寿司栄さんへ。ここで、ランチのちらしセット。¥1,100。サンプル写真よりも、実物の方がはるかに分量が多く、満腹(微笑)。

Img_6940c_20211030190801  昼食を終え、県道37号線の交差点に出ると、そこには、「伊勢15㎞」の交通案内板。この日は、「従是外宮四里」という道標もありましたし、いよいよ伊勢の近くまで来たという実感が湧いてきます。今回で、櫛田川を渡る手前まで来ました。

Img_6953c_20211030190801  近鉄山田線の櫛田駅には、14時20分に到着。少し待って、14時34分発の伊勢中川行き急行に乗車。松阪駅に14時40分到着。14時54分の名古屋行き急行に乗り替えて、桑名駅に16時4分。¥1,020。いよいよ、近鉄の片道料金が、¥1,000を越えました。

Img_6977c_20211030190801 Img_8080c_20211105071501  この日の歩数。19,638歩。現地で8.4㎞、自宅から桑名駅の往復が2.2㎞ですので、合計10.6㎞を歩いた結果。次回・第14回では、斎宮まで行く予定。斎宮には、県立斎宮歴史博物館がある他、さいくう平安の杜には昔の建物3棟が復元されていますし、上園歴史広場には斎宮の1/10模型や、いつきのみや歴史体験館もあります。次回のコース設定は、5㎞と短めにしたのですが、かなり見て回るところがあります。

 このその3で歩いたあたりは、2019年10月27日の近鉄ハイキングとほぼ同じコース。そちらの記事もご参照ください(20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ)。

2021年11月 4日 (木)

九華公園にダイサギ2羽……余談は、「六・七・九」交通案内板の別バージョン

Img_9340c_20211104165501  今日も好天で、22.6℃。午後からは北西の風がやや強くなりましたが、午前中は散歩日和。いつものように、7時半過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町、田町、三崎通から殿町と5.9㎞。ウィンド・ブレーカーを着ていたら、汗を掻いたくらい。冒頭の写真は、九華公園の朝日丸跡にて。

Img_9015c_20211104165501 Img_9047c_20211104165501  旅館山月の裏の揖斐川に浮いていました。嘴の先が赤いので、セグロカモメと思われます。七里の渡し跡、三の丸公園を通り過ぎてから、モズの鳴き声が聞こえました。三の丸公園の西の端にあるソメイヨシノの木のてっぺんにいました。そこまで戻る気にならず、蟠龍櫓の南から証拠写真。

Img_9089c_20211104165501 Img_9066c_20211104165501  九華公園の北門を入ったところの堀で、ハクセキレイ。さらに、九華橋近くの樹上には、アオサギさん。鎮国守国神社の社務所の裏、例年なら、ゴイサギが集まっているのですが、今年は夏過ぎからまったく姿を見ていません。

Img_9109c_20211104165501  公園の西側の入り口にある電柱には、ジョウビタキのオス。これまたちょっと遠くて、証拠写真。こんなのばかり(苦笑)。

Img_9140c_20211104165501 Img_9269c_20211104165501  奥平屋敷跡は、静かでした。というのも、今日は、ドバトもヒヨドリもほとんどいなかったのです。やって来たのは、カワラヒワ数羽や、ハクセキレイ2羽。左の写真のカワラヒワは、桜の木の芽(たぶん花芽)を食べていました。ハクセキレイはいつもここに来るペア(メスの方が、右足を痛めているハクセキレイ)。カワセミも飛んだのですが、写真は撮れず、残念。

Img_9416c_20211104165401 Img_9186c  二の丸堀には、珍しくダイサギが2羽やって来ました。というのも、今日は、柿安コミュニティパークにある水門の排水ポンプを修理するために水が抜かれていたのです。

Img_9231c_20211104165501  ダイサギのうち1羽は、二の丸橋の近くで餌取り。奥平屋敷跡から見ていましたので、ちょっと距離があったのですが、小魚を2回にわたって捕っているのが見えました。

Img_9197c_20211104165501  ダイサギ2羽は、餌取りの場所争いをしたのか、トラブっていました。見ていたら、結局は、この写真で向かって右にいた方が勝ったようで、左のダイサギは逃げていきました。

Img_9319c_20211104165501 Img_9401c  カモ、今日は、合計51羽。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは6羽。うち、オスは1羽と思います。他は、キンクロハジロ。堀の水が減ってしまい、活動範囲が制限されてしまっていて、ちょっと気の毒。

Img_9437c_20211104165401  貝塚公園も静か。ここでもヒヨドリが少なかったのです。他にはカワラヒワ。内堀南公園では、ジョウビタキのメスを見たものの、写真は撮れず。このジョウビタキのオスは、内堀公園にて。

Img_9488c_20211104165401  余談。「六・七・九」の交通案内板の別バージョン(2021年10月24日:河口堰でプチダイビング祭……九華公園のカモは早くも54羽)。県道617号線の南魚町にあります(伊勢大橋に向かう方向から見えます)。写真にも写っていますが、花乃舎という和菓子屋さんの手前(南)の西側。ここにあるのは知っていたのですが、最近、このあたりを通っていなかったのです。

Img_9388c_20211104165401  余談その2。九華公園の堀のポンプの修理風景。向かって右が、柿安コミュニティパーク。手前右に本多忠勝の銅像があります。奥の水門に堀の水を排水するポンプがありますが、かなり古いものだそうで、よく故障しています。

20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その2)……荒神山稲荷、信楽寺、神戸神社、庚申堂、常夜燈、地蔵尊から徳和駅へ

Matsusaka2  10月30日に歩いてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」の第13回「松阪駅~櫛田」編のその2です。その1では、松阪駅をスタートし、和歌山街道との追分、龍泉寺、管相寺と回って、三角公園まで来ましたが、まだ、1.7㎞ほどしか来ていません。今回は、2㎞をかなり過ぎて、名古須川を渡ったところから。垣鼻町で荒神山稲荷、信楽寺、神戸神社から、庚申堂を見て、下村町に入って常夜燈、地蔵尊を見て、JR紀勢本線徳和駅へ。

Img_6375c_20211103201501 Img_6381c  名古須川を渡ってすぐ左手(東)に鳥居があります。ここが荒神山稲荷。地図によっては荒神山稲荷教会とあります。右の写真で、鳥居に向かって右手に石碑があります。「伊勢の國司遺跡 荒神山稲荷 斎藤昇書」とありました。伊勢国司とは、南北朝時代、南伊勢五郡(一志・飯高・飯野・多気・度会)を中心に勢力を保ち、南朝方を支えた戦国大名・北畠家のことです。さらに、斎藤昇は、三重県出身の政治家。参議院議員を4期務め、運輸大臣、厚生大臣などを歴任しています。

Img_6386c Img_6399c  近鉄ハイキングでも訪ねていますが(2019年10月29日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その1)……早々に松阪牛の弁当と土産を買い、和歌山街道の道標、信楽寺、荒神山稲荷神社から神戸神社へ)。鳥居をくぐった先には広場と、古い2階建てのアパート。かなり古びた朱い鳥居の下に百度石。鳥居を潜って、先を見るとこれまた、かなり傷んだお社が、伸び放題の草木の奥にありました。北畠家ゆかりの神社としては、ちょっと残念な雰囲気。

Img_6461c Img_6466c_20211103201601  荒神山稲荷から道を挟んで西に普照山信楽寺(しんぎょうじ)。天台真盛宗の寺。山門の隣に閻魔堂があります。信楽寺・閻魔堂とも、由緒などは説明板もなく、ネット検索でもこれという情報はなく、「信楽寺 天台真盛宗の名刹」とあるだけでした。ただ、県立松阪高校の総合学習のサイト(こちら)に「もと、この位置に法延寺という寺があり、奈良の大仏建立の時に建てられたが、源平の争乱で焼失し、その後再建されて今の信楽寺となった(夕刊三重「松阪の伝説」より)」とあります。閻魔堂(右の写真)には、けっこう色鮮やかな閻魔様が御鎮座。

Img_6411c_20211103201601  信楽寺の山門に向かって右手には、仏足石が建っています。天明5(1785)年のもので、広瀬栄正寺の名僧・天阿上人が建てたといいます。伊勢街道マップには「仏足石は都市に近い村里では珍しい」とありましたが、私には、このような石柱になっている仏足石は他で葉見ていません。ちなみに、ネットで検索すると、「愛染寺の初代住持・天阿上人」がヒットしますが、この僧は1598~1674年の方で、仏足石の建立年とは一致しません。

Img_6475c_20211103201601 Img_6479c_20211103201601  信楽寺からほぼ100m先に神戸神社(かんべじんじゃ)。創始は不明ですが、いにしえよりここ、垣鼻町字里中の旧参宮街道沿いにある築山の地にあります。この築山は、古墳という説があるそうです。右の写真は拝殿に向かって左のあたり。これは何となく、古墳のように思えます。明治41(1908)年3月、垣鼻町字世古出の八雲神社(須佐之男命)ほか12社を合祀し、神社名も香具土神社から神戸神社へと改称しています。

Img_6497c_20211103201601 Img_6482c_20211103201601  境内には、御乳母稲荷神社、たくさんの山の神・庚申塔、「八幡大菩薩/天照皇大神宮/春日大明神」と刻まれた石碑、「大正天皇遙拝所」、「明治天皇/神武天皇 遙拝所」、「皇大神宮遙拝所」もあります。以前、神社はワンダーランドと書いたことがありますが、まさにその通り。ここも近鉄ハイキングで来ていますので、詳細は割愛します(2019年10月29日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その1)……早々に松阪牛の弁当と土産を買い、和歌山街道の道標、信楽寺、荒神山稲荷神社から神戸神社へ)。

Img_6548c_20211103203501 Img_6551c_20211103203501  神戸神社の辺りは登り坂(徳和坂)。それを上り詰めた、住宅街の真ん中、小高いところに庚申堂があります。ここには青面金剛(しょうめんこんごう;庚申待の本尊)の石像が祀られています。

Img_6558c_20211103203601 Img_6562c_20211103203601  ここからまたしばらく、立ち寄りスポットはありません。左の写真は、この庚申堂の先の伊勢街道の様子。右は、その先にある金剛川にかかる金剛橋。

Img_6584c_20211030190801  スタートから3.8㎞、九手川を越えたところ、西側に常夜燈が1基。文政12(1829)年の建立。江戸干鰯(ほしか)問屋などの寄進によるものといいます。嘉永2(1849)年に修理されています。金剛橋から極門橋のあたりは、江戸時代、「徳和畷」と呼ばれ、白酒を名物とする店が数軒立ち並んでいたそうです。

Img_6605c_20211103204201  その先、4.3㎞ほどのところに神戸保育園がありました(2年前にはまだ存在していましたが、今回は取り壊されて更地になっていました)。そこに地蔵尊。陽刻地蔵尊とあるだけで、詳しいことは分かりません。お地蔵様はあちこちにありますが、詳しいことが分からないものもたくさんで、ちょっと残念な気がします。

Img_6618c_20211103204501 Img_6630c_20211103204501  JR紀勢本線・徳和駅です。同級生K氏が、「こういう田舎の駅は、見て行かなくっちゃ」というので立ち寄った次第。この伊勢参りツアーのシリーズでは、JR紀勢本線の高茶屋駅、六軒駅を利用しましたが、それらと同じような駅。

Img_6622c Img_6634c_20211103204601  Wikipediaには、ちゃんと記述がありました(こちら)。明治26(1893)12月に参宮鉄道の津~相可(現・多気)~宮川間が開通しましたが、徳和駅はその1年後(明治27(1894)年12月に開業。昭和17(1942)年までは、廃止された関西急行鉄道伊勢線(旧・伊勢電気鉄道本線)との接続駅でした。相対式ホーム2面2線があります。平成初期(1994年以前)まで、大正4(1915)年3月改築の駅舎が存在していたそうです。旧駅舎に掲げられていた、駅鈴を模した駅名看板が駅の入り口にあります(上左の写真がそれ)。

Img_6641c_20211103204601 B0e83cf3  ちなみにというか、余談というか、JR線の踏切には、すべて固有名詞がつけられています。徳和駅の北にある踏切は、「徳和踏切」。たとえば、JR関西線の桑名駅の北にある踏切は、「八丁畷踏切」(右の写真)。八丁畷は、美濃街道から照源寺に向かう道のことで、八丁畷踏切はその道にあります。近鉄では「駅名+番号」で踏切の名称がつけられています。駅から上り方向に順に番号がついているのです。サンプル写真を探したのですが、見つかりませんでした。

 その2は、キリが良いのでここまで。その3は、徳和駅の先にある万人講常夜燈や、大日寺寺標から。

2021年11月 3日 (水)

20211103朝日・川越同時サプライズ花火

Img_8979c_20211103194801  19時30分から10分間、三重県朝日町と川越町とで、同時サプライズ花火が上がりました。朝明商工会の主催と思います(こちらをご参照ください)。「同時サプライズ花火」とはいえ、花火がまさに同時に打ち上がったのは、数少なく、撮影には苦労しました。超望遠コンデジCanon SX60-HSの「手持ち夜景モード」で三脚を使用して撮影しました。撮影条件は、f/4.5、SS1/6秒、ISO3,200。ちなみに、去年は、11月1日にありました(2020年11月1日:20201101三重県朝日町・川越町同時サプライズ花火)。

世界最大の野鳥観察データベース「eBird」の日本語版「eBird Japan」が公開されました

Ebirdjapan  世界最大の野鳥観察データベース“eBird”の日本語版「eBird Japan」が公開されました。“eBird”は、インターネットを介して世界中のバードウォッチャーの記録を集約する、世界最大の市民参加型の野鳥観察記録データベースです。左の画像は、日本野鳥の会のサイトにある、「eBird Japan」の紹介。

Ebirdaccount  さっそく「eBird Japan」に登録してみました。アカウントができると、パソコンではこの画像が表示されます。

 スマホ用アプリは以下からダウンロードできます:

 このうち、「Merlin野鳥識別」は、eBirdに蓄積された野鳥観察情報を利用して、識別をサポートする無料アプリです。見た鳥の場所や時期、特徴、写真などから、世界中の8,000種以上の鳥類を識別することができるといいます。私は、まだ使っていませんが、実際に使った方のレポートによれば(こちら)、「Merlin野鳥識別」の写真の識別率は高く、「Google レンズ」よりも正解率が高いかもしれないそうです。ただし、使うに当たっては、「設定」で、「鳥の種別の言語」を「日本語」に設定する必要があるといいます。

九華公園でアオサギ2羽……バードウォッチング運は衰退気味か?

Img_8952c_20211103152701  相変わらずの好天が続いています。今日は、文化の日。江戸橋での仕事も休み。いつもなら「祝日も、土日も関係ない」などと嘯いていますが、今日ばかりは休みでよかったと思っています(微苦笑)。休みでもいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築町、常磐町、老松公園、八間通、住吉入江と6.5㎞。最高気温22.8℃で、風も弱く、散歩日和。

Img_8554c_20211103152801 Img_8559c  先日から、バードウォッチングの運が続いていましたが、さすがにちょっと衰退傾向かも知れません。三の丸公園あたりまで、揖斐川でアオサギが飛ぶのを見ただけ。三の丸公園で、ハクセキレイ2羽。左はオスの成鳥、右は、メスのような気がします。

Img_8566c_20211103152701  通り過ぎようとしたら、高いところから呼ぶ鳥が(笑)。モズのメス。三の丸公園の橋にある電柱のところ。今日は、ジョウビタキは見かけません。

Img_8620c_20211103152701  九華公園では、北門を入ったところの堀にコサギがいたのですが、ピンぼけ写真ばかり(苦笑)。九華橋のところには、久しぶりにアオサギが来ていました。

Img_8686c_20211103152701 Img_8696c_20211103153701  奥平屋敷跡で鳥を見ていたら、散歩&鳥見友達のYさんが、「松のてっぺんにアオサギがいる」と。灯台もと暗しとはまさにこのこと。私がいたところにある松の木のてっぺんにいました(右の写真の赤丸のところ。さすがに、アオサギは白い…西か見えません)。

Img_8734c_20211103152701  今日は、奥平屋敷跡は静か。ハクセキレイは来たものの、これまたピンぼけ写真。我ながらイヤになります。カワラヒワが4羽ほど。静かに松の実を啄んでいました。

Img_8769c_20211103152701 Img_8868c_20211103152701  カモは、今日は合計46羽。ホシハジロのオスが1羽、ハシビロガモが5羽。オス1羽とメス4羽(たぶん。明るかったので見間違えはないと思います)。ヒドリガモはオスが1羽、メスが2羽。他はキンクロハジロ。ただ、今日は堀の水が一段と少なく、カモたちにとっては迷惑。

Img_8805c_20211103152701  朝日丸跡で、ハクセキレイ2羽。こちらもペアなのでしょう。ジョウビタキの鳴き声もしたものの、姿は見られず。ヒヨドリは相変わらず賑やか。

Img_8932c  貝塚公園でもヒヨドリ、カワラヒワが目立ちました。メジロは少しだけ。他の公園では、ほとんど鳥はいません。野鳥たちもお休みモードかも(苦笑)。

Img_8546c_20211103152801  帰宅後は、相談会準備を継続中。昨日の記事の末尾に書いたような作業を進めています。お子さんたちの表面に現れた特徴だけに目を奪われると、本質が分からなくなります。あれこれグラフを描き、ながめ、親御さんからいただいたお子さんの実態についての資料と照らし合わせ、アタマを捻っています。

Dsc_6276c  オマケ。昨日収穫した枝豆。晩酌のつまみになるほどの数はありませんが、自分でつくったものですから、味わって食べました(微笑)。まだ種はありますが、冬に向かう今からこれを育てるのはできないでしょうから、また来年(鬼に笑われています)。

2021年11月 2日 (火)

20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(その1)……松阪駅をスタート、和歌山街道との追分、龍泉寺から管相寺へ

Matsusaka0  10月30日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」の本編その1です。この日は、好天で暖かくなり、まさにウォーキング日和でした。これで、10月は、10月9日(20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編))、16日(20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】)に続いて、3回も歩いたことになります。この日は、松阪駅から近鉄山田線の櫛田駅まで、8.4㎞を歩いてきました。これで10月中に津の高茶屋から松阪の櫛田まで歩けました。この日歩いたコースは、冒頭の画像の通り。松阪駅から日野町交差点に出て、そこから伊勢街道をひたすら南東へ進み、櫛田川の手前まで行ったという次第。

Img_6940c_20211030190801 Img_6746c_20211030190801  第13回にしていよいよ/とうとう「伊勢15㎞」という表示に出会いました。櫛田駅南の県道37号線(県道松阪鳥羽線)の交差点です。また、途中、スタートから6㎞の手前に「従是外宮四里」という道標があります。思えば、遠くまで来たものです。

Img_6072c_20211030190701 Img_6076c_20211101065501  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分に到着。乗車時間は、1時間を越え、1時間5分。「電車に乗ったぞ!」という気分。運賃は、¥960。9時50分過ぎに松阪駅南口(JR松阪駅)をスタートします。松阪駅前には、駅鈴(えきれい)のモニュメントがあります。駅鈴は、本居宣長が好んだといいます。律令制の頃、公務出張に際し朝廷から与えられた鈴で、駅馬(えきば)の供与を受ける資格を証明し、これを鳴らしながら旅行しました。

Matsusaka1  こちらが実際に歩いた詳細なルートマップのその1。松阪駅南口(JR松阪駅)を出て、ベルタウン沿いに南西へ。日野町交差点を右折して、伊勢街道に入ります。愛宕町で寄り道2ヶ所。その先しばらくは、立ち寄るところはありません。

Img_6080c_20211101070701  蒲生氏郷が、天正12(1584)年、伊勢松ヶ島(松阪市)12万石の城主となり、松阪に入ったとき、出身地の近江・日野をはじめ、各地から商人などを招いています。その出身地に由来する町名を付け、それが今に伝わっています。その1つが、ここ日野町。

Img_6091c_20211030190701  その日野町交差点は、和歌山街道伊勢街道の追分です。南の角にあるヒシナカ薬局のすぐ目の前に道標があります。この道標には、「右わかやま道」「左さんぐう道」とありますが、いつ建立されたかなどは不明です。江戸時代、松阪は紀州藩の領地で、和歌山街道は、和歌山の本城と松阪城を結んだ街道。ちなみに、松阪は、蒲生氏郷が、天正18(1590)年の小田原征伐の功として会津若松へ移封した翌年、服部一忠(はっとりかずただ)が3万5000石で入封し、松阪藩ができます。文禄4(1595)年、古田重勝(しげかつ)が城主となります。慶長5(1600) 年に2万石が加増され、2代続いたのち、元和5(1619) 年、石見・浜田(島根県)へ転出し、廃藩となり松阪は和歌山藩領となりました。

Img_6098c Img_6101c  途中、湊町あたりでおもしろいもの2つ。道路の西側を歩いていたら、東側の歩道に朱い鳥居。神様か?と思ってわざわざ見に行ったら、桜の木に「夢を叶える樹」という看板。この他3ヶ所にもあり、それで十字形をなし、「四方の桜めぐり」という説明がありました。もう1つは、右の写真。愛宕川となっています。愛宕川は今も流れているのですが、このあたりは暗渠になっていました。橋がかかっていたことを示すモニュメントでしょう。

Img_6106c_20211101114301  スタートして900mほどで愛宕町西交差点に来ます。ここで伊勢街道を外れて、寄り道。街道から北へ100mほどのところにある愛宕山龍泉寺(あたござんりゅうせんじ)です。ここは、神仏習合の雰囲気がとても強いお寺。三門の前に朱い鳥居があります。鳥居には「愛宕山」という扁額。また、境内にも津島神社、稲荷社などがあります。三門は県指定有形文化財。切妻造薬医門で、時代は安土桃山時代。松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれますが、確証はないそうです。三門の手前にある朱塗りの鳥居は、権現鳥居両部鳥居とも)というもの。2本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設け、貫(ぬき)で連結した鳥居で、神仏習合の神社に多いといいます。ちなみに、三門の右側の妻の破風には、焦げた跡が残っています。これは、昭和26(1951)年の松阪大火のときのものだそうです。

Img_6144c_20211101114401 Img_6189c_20211101114401  高野山真言宗のお寺。龍泉寺の開創は、聖武天皇(在位:724~49年)が行基に勅し、一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりと伝わっています(滝野川寺)。その後、永禄年間(1558~69年)、各地で戦が起こり、その影響を避けるため、永禄11(1568)年、松ヶ島平尾村に移り、「瀧泉寺」となったということです。さらに、松ヶ島城が松阪城に移り替えの際、時の住職良宗上人が現在の地に移建しました(こちら)。左の写真は愛宕権現殿、右の写真は愛染明王をお祭りする御堂。龍泉寺のサイトには、次のように書かれています:

当山は、昔から「お伊勢に七度 熊野に三度 愛宕さんへは月参り」とうたわれ、火防安住、商売繁盛、良縁祈願所として当地の人々から信心を集め「あたごさん、あたごさん」と親しまれています。ご本尊は、火防(ひぶせ)の霊神『愛宕大権現』と御分身の敬愛慈悲佛 『愛染明王』あいぜんみょうおうをお祀りする寺院です。また、三重四国八十八霊場の「第八十番札所」であり、伊勢乃国・松阪霊地七福神 「毘沙門天」びしゃもんてん をお祀りする寺院でもあります。

Img_6148c_20211101114401  愛宕権現殿には、絵馬などが奉納されています。左は、昭和35(1960)年1月、三重修験道会が奉納した絵馬。修験道は、奈良時代の役小角 (えんのおづぬ) (役行者 (えんのぎようじや) )を祖とする日本古来の山岳信仰と平安時代の密教が習合して成立した呪術的宗教です。仏教の一派とされますが、神仏ともに仕えるといいます。

Img_6203c_20211101114401  境内には、実にさまざまなものがありますが、私がここを訪ねたのは、たぶん3回目。過去の記事と重複しますので、割愛します。近鉄ハイキングで氏郷まつりに来たときの記事に詳しいので、そちらをご覧ください(2018年11月9日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その2)……愛宕山龍泉寺)。左の写真は、三門の説明に載っていた「伊勢参宮名所図会」の「龍泉寺」。かなり大きな寺院だったことが分かります。龍泉寺のある愛宕町は、江戸時代には川井町とともに遊郭として栄えたところだそうです。

Img_6118c_20211101114301  今まで気づかなかったものを1つだけ。山門に向かって右手に、この「正親町天皇天正九年勅願所」という石碑がありました。天正9(1581)年春、松ヶ島より愛宕大権現を松阪へ遷ったのですが、同年、正親町天皇の御綸旨を下し勅願所となり「愛宕山 上福院 龍泉寺」と称するにいたったのです。

Img_6214c_20211102193501  愛宕町西交差点近くには、シャッターにこんな絵が描かれていました。名高い映画監督小津安二郎は、「子どもは環境のいい郷里で育てたい」という父の考えにより、9歳から19歳までの青春期を松阪で過ごしています。今年4月3日、松阪市立歴史民俗資料館2階に小津安二郎松阪記念館が新設されています。

Img_6218c_20211101182501  伊勢街道に戻り、スタートから1.5㎞のところから南にお寺が見えます。梅松山管相寺です。ここは、まだお参りしたことがありませんでしたので、ここにも立ち寄り。臨済宗妙心寺派。愛宕の天神さんとして地元では親しまれています。菅原道真を祀る天満宮の別当寺であったといいます。

Img_6339c_20211101182501  元来この地は、伊勢神宮の神領、飯高郡神戸垣鼻(現在は、松阪市垣鼻町と思われます)に接し、松や梅が生い茂っていたので「天神ノ森」とも「梅の森」ともいわれていたそうです。後世、天神信仰が盛んになるにつれ、天神祠がありました。元和5(1619)年、和歌山藩領となり、当時の代官長野九左衛門清貞が、この地方の開墾を企てたのですが、そのためにはここにあった塚をどうしても取り除かねばなりませんでした。しかし、その古墳は昔から霊験あらたかで、これを汚したりすると祟りがあるといって敬遠されていました。そこで、代官の清貞自らが鍬入れをしたところ、一大音響と共に、約3m下から宝剣が現れ、その剣に触れた者に神懸りがあり、「我こそは天満天神である!夢おろそかにしてはならぬぞ!」と、ご神託を蒙ったといいます。代官は、大いに恐れ畏み、すぐさまこの話を藩主に伝えたところ、不思議なことに藩主にも、同じようなお告げがあったそうで、一同は大変その霊異に打たれ、早速宮殿を建て、寛永2(1625)年、宝剣を天満大自在天神として奉杞したというのが、松阪天神の起こりです。その後、正保4(1647)年、天神祠を再建し、寒松院という寺を建て、愛宕山龍泉寺の僧が守っていました。藩主が鷹狩に来たときに立ち寄り、梅松山菅相寺(ばいしょうざんかんしょうじ)という寺号を賜っています。その後いったんは衰えたものの、宝永7(1710)年に天神社が再興され、諸堂も整備されました。以上、長くなりましたが、管相寺のブログにあった記事からの引用です(昭和35年8月25日発行 菅相寺パンフレット編集:梅森香月(十六世住職)、森田利吉。発行:松阪天神奉賛会)。

Img_6251c_20211030190701  境内には、松尾芭蕉の句碑「春もやや けしきととのふ 月と梅」があります(右の写真)。元治元(1864)年3月の建立。この句の出典は『薦獅子集』(巴水編)で、元禄6(1693)年1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にあるといいます(こちら)。木因は岐阜大垣の廻船問屋の主人。ちなみに、春、月、梅と季語が3つもあります。

Img_6324c_20211101182501  本居宣長撰文の「天神之森碑」もありました。これは、寛政8(1796)年、本居宣長の撰文、橘千蔭(たちばなちかげ:1735~1808年)の揮毫により、文政9(1826)年に石工根来惣右衛門が刻したもの。碑文は、古墳が点在し、松梅生い繁る原野であったこの辺りを、寛永2(1625)年、紀州藩松阪城代長野九左衛門が「民之家地」にするため、古墳を取り除いて開墾したとき、光輝く刀剣が出土し、それを天満天神として永く祀ることになった由来が記されています。橘千蔭は、賀茂真淵の門人で江戸在住の国学者、『万葉集略解』30巻を著し、万葉学の普及に功があったと言われ、晩年には宣長と交流があったそうです。

Img_6246c_20211101182501 Img_6307c_20211101182501  こちらには、布袋様が祀られていました。松阪霊地七福神の一つ。本堂の前にも、立派なお腹をした布袋様の像が鎮座。

Img_6332c_20211102194001  他にも、お稲荷さんが複数あったり、いろいろなものがありましたが、私が個人的に興味を持ったのは、この岩。「甌穴(おうけつ)」のある岩です。

Img_6349c_20211102194401  管相寺を出て、伊勢街道に戻ります。伊勢街道の手前のお宅の外壁のところに車輪がいくつか置いてあります。大きなものは、木製の車輪に鉄の輪が嵌まっているようです。たぶん大八車の車輪。

Img_6356c_20211102194401  この先、しばらく立ち寄るところはありません。写真は、管相寺の先、垣鼻町交差点のところにある三角公園。キリが良いので、その1はここまで。その2は、2.6㎞を過ぎ、名古須川を越えたところにある荒神山稲荷などから。
 

ジョウビタキ・デー……オマケは収穫祭(微笑)

Img_8468c_20211102142401  穏やかな日が続いています。今日も好天で、23℃を越え、散歩日和。いつもの年なら、もう終わっているように思いますが、まだ、ところどころでキンモクセイの香りが漂っています。7時半過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園、老松公園、寺町と5.9㎞を歩いてきました。ちょうど3時間。

Img_7943c_20211102142501 Img_7973c_20211102142501  揖斐長良川の中洲には、ダイサギの姿が1羽だけ。「アオサギの集合場所」には何も来ていません。8時前にはまだ来ないようです。遠く河口堰を見ると、あちこちにダイサギやコサギなど白いサギがいるのも見えます。ブロ友のひらいさんによれば、キンクロハジロも来ているはずですが、さすがに小さくてそれらは見えません。十万山の南の端には、今日もアオサギが佇んでいます。

Img_8022c_20211102142501 Img_8059c_20211102142501  柿安コミュニティパークまで来たら、ジョウビタキのメスがいました。それも、なぜか2羽がすぐ近くに一緒にいるのです。ジョウビタキは、縄張り意識が強い鳥なのに、ちょっと不思議。近くには、ハクセキレイもいて、3羽のコラボシーンも見られました。

Img_8092c_20211102142501 Img_7985c_20211102142501  さらにその近くに、モズのメスもやって来ました。三の丸公園によくいるメスのモズのように思います。コミュニティパークには、もう1羽、ハクセキレイもいました。オス。バードウォッチングの運は、まだ続いているような気がします(微笑)。

Img_8106c_20211102142401 Img_8131c_20211102142401  九華公園には8時に到着。オスのモズは、今日は、管理事務所に近い松の木にいました。奥平屋敷跡で、散歩&鳥見友達のYさんたちと、いつものように1時間ほど鳥見。まずやって来たのは、ハクセキレイ。秋が深まって、よく来るようになっています。

Img_8192c_20211102142401 Img_8221c_20211102142401  待っていると、ジョウビタキのオスが登場。ただし、今日はあまり見やすいところには出てくれず、木の中を移動。ようやく撮ったのがこちら。メジロも来るのですが、高くて、葉っぱの中を移動しています。上を見上げているので、首た痛くなります(苦笑)。年が年ですから、ひっくり返らないよう気をつけなくてはなりません。

Img_8244c  このところあまり来なかったカワラヒワも登場。しかし、登場したところが、最近、モズがよく止まっている松の木のてっぺんで、一瞬、「モズが来た」と勘違いした散歩友達も(微笑)。

Img_8273c_20211102142401Img_8268c_20211102142401     カモ、今日は合計38羽。ホシハジロのオスが、1羽、久しぶりにお目見得。他には、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽。ハシビロガモは3羽。他の31羽がキンクロハジロ。

Img_8328c_20211102142401  朝日丸跡でも、ジョウビタキのメスを2羽目撃。コミュニティパークで見たジョウビタキのように思えます。

Img_8366c_20211102142401 Img_8388c_20211102142401  鎮国守国神社にお参りしていたら、ジョウビタキやカワラヒワの鳴き声が聞こえて来ました。ジョウビタキのオスは、拝殿の上。葵の御紋があるところにいて、あたりを睥睨しているのには笑えます。カワラヒワは、木の実をムシャムシャ。嘴が汚れてしまっています。

Img_8113c_20211102142401 Img_8264c_20211102144601  今日は、ヌートリアが活発に動いていました。8時過ぎに見つけたところは、管理事務所から奥平屋敷跡に行くところにある花菖蒲園。脇目も振らず、草を食べていました。このあと、三之丸町内側の堀から二の丸堀を泳いで、奥平屋敷跡すぐ北の花菖蒲園の東へ。石垣が途切れているあたり(右の写真)。シルバー人材センターから草刈りに来ているMさんが、「ここをねぐらにしている」とおっしゃったところ。そっと近づくと、すぐ目の前に行っても平然としています。

Img_8446c_20211102142401  貝塚公園に行く途中、はあぶ工房前の電線にもジョウビタキのオスがいました(写真は割愛)。貝塚公園では、メジロの群れ。20羽くらいはいたでしょう。他には、ヒヨドリとカワラヒワ。このあとの公園では、スズメがいたくらい。

Img_7969c_20211102145201  明日は、文化の日で、江戸橋での仕事は休み。ちょっと気が楽です(微笑)。その代わりではありませんが、来週の土曜(11/13)には相談会を予定しています。その資料が届いていますので、読み込み、お子さんのアセスメントを進めなくてはなりません。いつものように、検査結果をグラフに描き、あれこれと考え、仮説をひねり出します。それとお子さんの苦戦、実態とを結びつけ、合理的な説明ができるか、さらにアタマを捻って、その仮説を検証するのです。最近、勘違いやつまらないミスをしでかしますから、この作業は慎重に、何度か確認をする必要があります。

Img_7920c  備忘のため。我が家のお隣の諸戸氏庭園。秋の特別公開が、11月6日(土)から始まります。12月5日まで、原則として月曜が休み。大人一人¥500。いつも、紅葉を見に行きます。たいてい旧知の歴史案内人の方に見ごろを伺ってから(微笑)。今月末の公開終了間際が見ごろだろうと思います。

Img_8480c_20211102153201 Img_8505c_20211102153201 【オマケ】 「おつまみ枝豆栽培キット」、本日、無事に収穫祭を迎えました(微笑)。8月24日に種を蒔き(天気はまだスッキリせず……枝豆栽培キットに挑戦(微笑))、8月29日に発芽(枝豆が発芽しました……九華公園にはコゲラとシジュウカラが登場)、10月6日に実がなりました(速報:枝豆の実がなりました(微笑))。

2021年11月 1日 (月)

バードウォッチングの運は使い果たしたか?!……桑名発達臨床研究室10周年

Img_7796c_20211101155401Img_7841c_20211101155401  総選挙の開票も終わりました。いろいろとありますが、個人的におもしろかったのは、マスコミの調査による予想がかなり外れたこと(「おもしろかった」などと書くとお叱りを受けるでしょうが。どういう調査をしたのか、投票先未定がかなり多かったのですが、それが影響したのかなどなど)。自民党の高齢議員その他で小選挙区落選が話題になっていますが、立憲民主党も負け戦。幹部、実力者の顔ぶれ、こちらも代わり映えしないと思われたような気もします。小選挙区で落選した候補者が、比例代表で復活というのは、微妙な感じがしてなりません。以上、勝手なつぶやき(苦笑)。写真は、文章の内容とは関連しません(左は、メジロのお尻、右はハシビロガモの欠伸?)。

Img_7561c_20211101155301  さて、私自身は、いつも通り、散歩生活。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.0㎞。なのに、帰宅は11時。あちこちで散歩友達に会ったほか、帰り際、歴史案内人のKさんに久しぶりにお目にかかり、少し話をしてきたのです。

Img_7585c_20211101155301  昨日は、野鳥に恵まれました。昨日で「バードウォッチングの運」を使い果たしてしまったのではないかと心配しつつ歩いていました。三の丸公園までで見た鳥は、キジバトのみ(苦笑)。「やっぱりな」と思ったのですが、三の丸公園でモズ。柿安コミュニティパーク近くまで来たら、オスのジョウビタキが目の前を横切りました。写真は撮れなかったものの、「運は残っているかも知れない」という気がしてきます。

Img_7626c_20211101155301 Img_7723c_20211101155401  九華公園の奥平屋敷跡、まずは、モズのオスが登場。いつもと同じ松の木のてっぺん。このあたりは、このオスが縄張りを確保したようです。三の丸公園のモズは、メスですから、三の丸公園あたりはあのメスのモズの縄張りということ。さらに、奥平屋敷跡にはジョウビタキのオスもやって来ました。いったんどこかに行ったものの、すぐに戻って来て、まるでパトロールをしていたかのようです。この他、メジロも数羽がいて(写真は撮れず)、今日の鳥果はまあまあ。

Img_7648c_20211101155401 Img_7680c_20211101155401  奥平屋敷跡では、ハクセキレイも。2羽。これらのハクセキレイは、ここ奥平屋敷跡によく来ていると思います。左のハクセキレイは、以前も見ました。というのも、左足1本で移動しているのです。右足は欠けてはおらず、曲げています。傷めたかも知れません。

Img_7743c_20211101155401 Img_7597c_20211101155301  カモは合計39羽。ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモが3羽と他33羽がキンクロハジロ。

Img_7787c_20211101160501 Img_7811c_20211101155401  相撲場から鎮国守国神社に行こうとしたら、九華橋のところに、ずいぶん久しぶりにアオサギさん。北門近くで、メジロが2羽(冒頭の写真と同じ個体)。

Img_7732c_20211101155401  そうそう、久しぶりにアーちゃんも確認。旧アヒル小屋のところで休憩中。ヌートリアは、今日は見ていません。

Img_7867c_20211101155401 Img_7881c_20211101155401  貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワがいたくらい。内堀公園の西のお宅のテレビアンテナにジョウビタキのオス。新築公園では、ハクセキレイ。ここに最近よく来ています。老松公園には何もおらず。

Img_7856c_20211101155401  ところで、今日は、桑名発達臨床研究室発足記念日です。10年前(平成23(2011)年10月31日)退職し、その翌日付で桑名発達臨床研究室を立ち上げています(2011年10月31日:本日付で退職致します m(_ _)m)。綾小路きみまろさんの決めぜりふではありませんが、「あれから10年」であります。10年前に書いた所感のように過ごしてきたのでしょうか? 体調はこの間に回復し、たぶん年齢相応の元気さはあります。これから先の見通しは、加齢にともない難しいところがありますが、仕事(といっても超パートタイマー)は70歳までかと思っています。ただし、これは、現在お世話になっている非常勤講師の定年が70歳ですので、漠然とそう考えているだけです。写真は、貝塚公園にて。

Img_7838c_20211101155401  「不良老年」になりたいと書いたこともありました(たとえば、2013年7月18日:今日も睡いなぁ……早く“不良老年”になりたい)。ただし、これまでこれが自分がなりたい「不良老年」像を書いたことはありません。今さら、という気もしますが、まあ理想を書けば「何ごとにも縛られず、何ごとにもとらわれないで生きる」ということでしょうか。あくまでも理想、理念、目標であります。話が逸れたり、広がり過ぎたりしました。 

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    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

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    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)