20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その2)……松阪にて松浦武四郎誕生地、常夜燈、金剛寺を経て月本追分へ
10月9日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その2です。その1では、雲出川を渡って、いよいよ松阪市に入りました。詳細なルートマップでは、まだその2の途中です。まずは、本楽寺に寄って、松浦武四郎誕生地へ。
その前に興味深いことを1つ。小野江の町の多くのお宅には、写真のように屋号が表示されています。ご承知の通り、家の通称です。写真のお宅は、「タバコ屋」。以前はたばこ屋さんをなさっていたのでしょう。他にも、本家、籠末などなど。いちいち写真を撮るのも大変で、2~3枚撮っただけでしたが、この「本家」というのは、あとで松浦武四郎誕生地で伺ったら、松浦武四郎のお父さんの実家だったそうで、惜しいことをしました(苦笑)。
本楽寺。真宗高田派。慶長8(1603)年の創建。本尊は、来迎阿弥陀如来。詳しいことは分かりませんでしたが、境内は広くてきれいに整えられていました。
スタートから4㎞、11時30分過ぎに松浦武四郎誕生地に到着。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家です。入館料は、¥110。客は、われわれ二人のみ。係の方に丁寧に案内や、説明をしていただけ、ラッキー。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。このあと、近くにある松浦武四郎記念館も訪ねようと思ったのですが、あいにく改装工事ということでした。来春完成予定とか。
武四郎が13歳のとき、大きな出来事があったといいます。文政のおかげ参りです。日本の人口が約3,200万人と推定される時代に、1年間に約400万人が伊勢へ参宮したのです。ここ松浦家の前の伊勢街道も多くの旅人が行き交ったのです。武四郎は、参宮客から名所図会に出てくるような土地や道中の話を聞いて、見知らぬ土地への憧れ、旅への思いを募らせたと考えられています。16歳のとき、家出して江戸に行ったといいます(山本命著、松浦武四郎入門、月兎舎)。
松浦武四郎の実家は、庄屋だったそうで、屋敷の奥に蔵の他、納屋が残っていました。昔の農機具もおかれています。脱穀機の他、興味深かったのは、「肥たご」(苦笑)。子どもの頃、当然、水洗トイレではなくくみ取り式。オヤジにいわれて、この肥たごをかつがされ、近くの畑へ運んだことがあります。重いのやら、田舎の香水がきついのやら、さらには揺れてチャプチャプとこぼれそうになるのやら、大変な思いをしました。
庭も当時のまま。写真は、離れ屋(武四郎の父の隠居所)の庭。右の燈籠は、武四郎が、明治2年に「開拓判官」に任じられ、「従五位」を授与された記念につくったもの(のちに開拓判官辞任、官位は返上しています)。
屋根に珍しいものがあります。鬼瓦の所に布袋様。「屋根の上の鍾馗様」は、知っていて、桑名でも時々見かけますが、布袋様はここでしか見たことがありません。ネットで検索すると、布袋様や大黒様などの屋根飾りがあるようです(たとえばこちら)。布袋様は、七福神のお一人。もとは、中国、唐末頃のお坊さん。常に杖と布袋とを持歩き、人の吉凶や晴雨を予知し、尊崇されましたから、福の神として祀られているのかという気がします。
詳細なルートマップは、その3へ。金剛寺のところには常夜燈もあります。その先で5㎞を過ぎますが、しばらくは見るところはありません。香良洲道との追分があり、そこに道標。
上述のように、残念ながら松浦武四郎記念館は改装工事中ということで、先に進みますが、参考までに前回訪れた時の写真を載せておきます。写真は、2019年9月22日に近鉄ハイキングで訪ねたときのもの(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その2)……玉造院、明治天皇島貫御小休所跡碑、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館を経て、金剛寺近くにある胎蔵界大日如来にお参り)。松浦武四郎は、身長148cmとかなり小柄でしたが、まさに小さな巨人。
次の金剛寺までの途中、この「市川庄次郎君之碑」があったのですが、詳細は不明。碑陰の撰文を見ると、明治33(1900)年生まれで、小野江村在郷軍人分会長を務めるなど、地方自治に功労のあった方のようです。碑は、昭和34(1959)年7月に建之。撰文は三雲村長・宇野誠一、碑表は当時の三重県知事・田中覚によるものでした。
スタートして4.7㎞のところ、金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。
常夜燈の東に王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山門風にしつらえられていました。槙かと思います。こういうのは、2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。
金剛寺の少し東には、胎蔵界大日如来があります。お地蔵様に見えます。大日如来は、真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味しているそうです。
金剛寺で12時20分を回った頃。歩き始めて2時間半近くですので、小休止をとることに。肥留公会所の軒先を借りました。このあたりの地名は、「肥留」。初めて来たのは、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーの時。何と読むのか分かりませんでした。「こえとめ」?などとあらぬ事を考えたりした記憶があります(苦笑)。右の写真は、このあたりの伊勢街道。北の方(来た方)を見ています。高茶屋あたりまでは、生活道路になっていて車がよく通ったのですが、そこから南は、車も人もほとんど通らなくなり、歩きやすい道になりました。
5.7㎞のところで香良洲道との追分。道標は、「香良洲道道標」。文政4(1821)年の建立。正面には「霊汗阿弥陀如来 仏心」とありますが、よく分かりません。他には、「旅神社 小舟江是より三丁 右からすみち」と刻まれています。
この先、詳しいルートマップはその4。まずは、月本追分へ。その先には、道標や山の神、燈籠があちこちにあります。
月本追分(つきもとおいわけ)。スタートからは6.2㎞。13時頃到着。奈良街道との追分です。ここには旅人や籠かきなどの休憩所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。奈良街道は、ここ月本から久居を経て、津市美里町五百野まで。「伊賀ならみち」ともいいました。左の写真は、南から撮ったもので、向かって左が奈良街道。奥から手前が伊勢街道。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。
「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、江戸の三人が天保年間(1830~43年)に発起し、角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。
追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さ3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。筆者は小津村の中村正雅、石工は市場庄村甚兵衛(石甚)。世話人は、当所の角屋精兵衛ほかならまでの道中旅籠屋4人で、天保13(1842)年に建立。
変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は初瀬街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道、「かうや道」は和歌山街道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述を見つけました(こちらのレファレンス共同データベース)。
詳しいルートマップのその4の途中ですが、キリが良いので、本編の記事その2はここまで。
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