20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】
前回の伊勢参りツアー(2021年10月 9日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編))の記事が終了していないにもかかわらず、今日は、その第12回で「松阪・小津~松阪駅」に行ってしまいました(苦笑)。近場を歩いている間は、半日仕事でしたが、さすがに津以遠まで行って帰ってくるとなると、1日かかります。松阪から桑名まで近鉄急行で戻ってくると1時間以上かかり、帰宅したのが16時半過ぎ。また、今日は、写真を何と1,100枚以上も撮って来てしまい、とても整理がついていません。それ故、今日は、「超」がつく予告編。冒頭の画像は、実際に歩いた今日のコースの全体像。
いつものように、桑名駅を8時42分に出る近鉄の五十鈴川行き急行に乗車。津駅に9時24分着。JR紀勢線に乗り換えます。前回と同じく9時42分の鳥羽行き普通に乗って、JR六軒駅には、10時ちょうどに到着。近鉄が¥700、JRが¥240。JR六軒駅を10時5分にスタート。
三度川を渡ったところが、初瀬街道(はせかいどう)との追分。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ・松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。実際にこのように歩くことで、今まで学んだり、見てきたりした歴史が実際につながっていく気がします。写真は、追分を通り過ぎたところで撮っています。左端に道標が小さく見えます。その左に初瀬街道が続きます。向かって右に見える常夜燈は、両宮常夜燈。文政元(1818)年のもの。伊勢街道には、実にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。このあたりからは市場庄のまち並みに入ります。古い家などたくさん残っていますし、松阪市小野江町あたりと同様に、それぞれの家に屋号が表示されています。
このお宅は、妻入り、連子格子の典型的な建物。神楽寺の西の三叉路に面しています。「道十(どうじゅう」という屋号で、江戸時代には茶道具商だったところ。こちらのマップにあった説明に、「『六軒茶屋まで送りましょう……』とはお伊勢参りの旅人と、うたかたに親しんだ遊女がその別れを惜しみ伊勢音頭の一節として歌ったもの」だそうです。そんなことをいわれてみたい気になりますが、さもありなんと思わせる、情緒あふれるまち並みが続きます。
道十のところから東に入ると、忘井があります。ここの「忘井」は、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集に載っています)。官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトをご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。
途中、少し端折って、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続くという名家。津の藤堂家の家老や御殿医を務めた家柄。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。
阪内川を越え、松阪の市街地に入ります。川を越えたすぐのところに旧小津清左衛門家。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。
続いては、伊勢街道からはいったんはずれ、1本西の道に入ります。松阪肉で有名な牛銀本店のある通り。旧長谷川治郎兵衛家の斜向かいに、本居宣長旧宅跡があります。宣長の曾祖父・小津三郎右衛門が、承応3(1654)年、本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家(こことは、溝を距てて地続きで、裏口で通じていたそうです)が、小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、そちらには、現在は何も残っていません。宣長の息子・春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて、当時の名残があります。
旧長谷川治郎兵衛家。卯建が上がる立派な邸宅。というのも、松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅なのです。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめています。江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となり、広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。
このあとは、松阪駅の北西にある寺を巡ってきました。予告編の今回は、岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)だけを取り上げます。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。通称「岡寺さん」。天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝わっています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。元来は市内石津町にあったが、江戸時代初期の慶長17(1612年)年、時の松坂藩主古田重治により現在地に移転されました。ここは初午で有名。このあと、近くの寺を巡ってきましたが、今まで知らなかった立派なお寺がたくさんありました。
今日のゴールに設定した松阪駅には、14時45分に到着。ここまで休憩はしたものの、昼ご飯は食べておらず。松阪駅にあったヴィ・ド・フランス 松阪店でパンをイートイン。お腹が空いていたので、写真を撮る前に食べてしまいました(苦笑)。
ゴールインの前に、重要な使命を果たしてきました(苦笑)。まずは、駅弁のあら竹本店。娘に今日は、松阪駅まで歩くといったら、「モー太郎弁当」が食べたい! とキョーレツな要望。¥1,500もする松阪ブランドの黒毛和牛を使った弁当。私は2年前に食べたのですが、その時、家族は実家に行っていて誰も食べてはいません。我が家では「伝説の駅弁」になっていて、今回、強力な要望があった次第。
松阪駅にある「まつさか交流物産館」。いつもここでお土産をゲットしています。とはいえ、私の松阪土産は決まっていて、老伴(柳屋奉善)。今日は、6個入り(¥1,080)を1個。同級生K氏も、私が勧めましたので、これの3個入りを購入。
松阪駅を15時17分に発車する名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、16時22分着。1時間5分も乗ってきました。運賃は、¥960。今日の歩数は、19,479歩。現地で歩いたのは8.0㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2㎞。合計10.2㎞を歩いてきました。
夕食には、モー太郎弁当を美味しくいただきました(微笑)。まだ写真整理にもほとんど手を付けていませんし、実際に歩いたルートマップもつくっていません。明日以降、これらを処理した上で、予告編もバージョンアップしようと思っています。今日のところは、取り急ぎ「超予告編」でお茶を濁しておきます。
余談。松阪市内のとあるところで見つけたクルマ。TE27レビン。カローラレビンの初代モデル。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。
【追記(10/19)】 10月18日になってようやく写真整理を終えられました。写真が多すぎたところに、いつも使っているCorel Paintshop Pro2022のアップデートをしたら、メニューバーが変わってしまい、使いにくくなったことも影響。冒頭のルートマップは、実際に歩いたものに更新し、文章も一部、加筆修正しました。
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ひらいさん、こんにちは。
津から向こうへ行くと、本当に遠くまで来たなという気がします。
年内に伊勢神宮に達するかどうか、というところですが、がんばって続けるつもりです。
松阪は商人の町で、江戸店を持っていた豪商もたくさんいました。
三井はもちろん、小津家も今も続いているそうです。
モー太郎弁当、以前テレビか何かで見て、2年前に試しに食べてみましたが、けっこう美味しいですよ。
TE27レビンは、私が高校生の頃のクルマで、クルマに興味を持ち始めた頃でしたので、よく印象に残っています。
このクルマ、ナンバーもついていて、今も現役バリバリと思えました。
23号線の橋、有料だったですね。
私も従弟に乗せてもらって通ったことがあります。
投稿: mamekichi | 2021年10月17日 (日) 11時50分
mamekichiさん、おはようございます!
随分南の方まで来ましたね、伊勢までもうちょっと、頑張って続けて下さい!
この辺りには100年以上前の建物とは思えないくらい綺麗で立派な建物が多いですね、維持するのも大変そうです。
モー太郎弁当と言うのが有るんですね、入れ物も立派ですし、美味しそうです、行く機会が有れば買わなければなければなりませんね。
最後に古い車、骨董品級の車ですね、動くのであれば、更に凄いです、こちらも維持するのも大変そうです、子供の頃見た記憶は有りますが、余り覚えてないです、自分の親父がスバル360に乗っていたのですが、その車で長島温泉に行ったのを覚えています、まだ23号線の橋が有料だったはず。
投稿: ひらい | 2021年10月17日 (日) 09時46分