20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ
10月9日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その1です。仕事があったりして、書き始めるのが遅くなりました。この日は、絶好のウォーキング日和でした。前回、前々回と雨に祟られていましたが、やはりウォーキングは天気の良い日でなくてはなりません。前回ゴールしたJR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅まで。桑名のアメダスでは、最高気温は29.2℃。現地では、暑いくらいでかなり汗を掻きました。高茶屋駅からほぼまっすぐ南下。旧三雲町(広域合併で、松阪市になっています)へ。今日も同級生K氏と。
桑名から津まで近鉄。桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。津駅には、9時24分着。¥700。ここでJR紀勢本線に乗り換え。9時42分の鳥羽行き普通で、高茶屋駅まで。高茶屋には、9時52分着。¥200。10時にスタート。右の写真は、高茶屋駅の跨線橋から見た津方面。
列車は、ジーゼルの2両編成。ワンマン運転ですので、降車は、1両目の前の扉から。普通なら、ランプのついた緑のボタンを押して、ドアを開けるのですが、幸い、係員の方が添乗していて、その必要はありません。ワンマンの電車の乗り方にもずいぶん慣れました(微笑)。
こちらは、歩いたコースの詳しいルートマップその1。高茶屋駅を出て左折したところからが伊勢街道。国道165号線の高架をくぐり、JR紀勢本線の踏切を渡って南へ。玉造院、社跡と回って、その後しばらくは立ち寄るところはありません。右の写真は、伊勢街道に入ったところ。南向きで撮っています。
ちなみに(いきなり余談)、JRの駅名は、「たかちゃや」なのですが、地名は「たかじゃや」。左の写真は、前回撮ったもの(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。右は、町名表示板。“Takajaya”とあります。
最初の立ち寄り先は、スタートから700mほどのところにある龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。みえの歴史街道のマップや、ネット検索ではこれという情報は出て来ません。
境内には四国八十八所霊場巡りの石仏が並んでいます。これについての説明はありませんでしたが、石仏を納めた小堂には、寄進者の名前が刻まれていました。信者の方々の寄進によってつくられたものと思われます。
玉造院からすぐ南、伊勢街道から西に入ったところには、社跡があります。ここも詳しいことは分かりませんが、集落の南北の入り口にあったという山の神が4基、移設されていました。
この先、しばらく立ち寄るところはありません。田園地帯をひたすら歩いて行きます。稲刈りが済んでいないところもけっこうありました。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらいです。かつては造船所でした。西の空を見ると、まるで夏のような青空と白い雲。
詳細なルートマップは、その2になります。雲出市民館を通り過ぎ、雲出島貫町の中心へ。明治天皇島貫御小休所跡碑・雲出宿柏本陣跡、円福寺、毘沙門堂跡・島貫の松、島貫の常夜燈と見て回り、いよいよ雲出川を渡ります。ここで津市から松阪市に入り、小野古江渡り跡、常夜燈を経て、本楽寺から松浦武四郎誕生地へ。
雲出市民館の先に津市殿木地区圃場整備事業記念碑と紀念碑。圃場整備事業紀念碑は、津市長岡村初博の揮毫。岡村市長は、昭和49(1974)~平成6(1994)年に市長在職。紀念碑は、風化していてよく読めません。碑陰には「殿木區民建設之」、さらに「第二次移住者」として4名の方の名前が刻まれていました。明治33(1900)年の建立。新しく開発し、移住して農業を始めたということかと思われます。紀念碑は、現在地の北200mの所から平成8(1996)年に移設。2つの碑の間には、よく見ると山の神が2基。どういうわけか、向かい合って建てられています。想像するに、集落の南北の入り口にあったものを、そのままの向きでここへ移設したのか? という気がします(当てずっぽうです)。
旧雲出宿に入っていきます。スタートから2㎞を過ぎたところに、明治天皇島貫御小休所跡碑があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。今は、かつて宿場であったことを伺わせるものはないように思えます。
この奥に槙の木の大木と、山の神が2基あります。正式に「マキ」と呼ばれる木はなく、複数の酒類をまとめて呼ぶ名称だそうです。多くの場合は、イヌマキを「マキ」と呼ぶことが多いそうです。マキで大木をあまり見たことはないと思ったのですが、イヌマキは、高さ20mほどになるそうです。
いったん伊勢街道に戻って少し先を入ったところに寿光山円福寺。真宗高田派の寺。境内に、立派な蘇鉄があります。ここの蘇鉄は、10数本の株が伸びており、最も太い幹は2m近くあるといいます。県下でももっとも古い蘇鉄で、樹齢400年以上になると推定されています。津市天然記念物。
円福寺に入っていく伊勢街道のかたわらに道標が1基あります。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。
この先で伊勢街道は、雲出川に行き当たります。堤防に上がる前に、1ヶ所寄り道。すぐに毘沙門堂跡。「開運毘沙門天霊場 三十三ヶ所観世音分身安置 北畠大納言の守護尊」と石碑に刻まれています。北畠大納言は、北畠顕泰(きたばたけあきやす)。南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿・武将。右大臣北畠顕能の二男。父から伊勢国司を継ぎ、南朝方として多気を拠点に活躍したのですが、南北朝合一後は室町幕府に帰順しています。ここに毘沙門堂があり、その境内に33の観音堂があったということ。観音堂は、今は、この石碑の北側に並んでいました。
また、ここには、「島貫の松」の碑があります。毘沙門堂の境内にあったもので、伊勢湾台風で枯れるまで、立派な松の木があったそうです。今の松の木は、その代わりに植えられたものと思われます。
雲出川。奈良県境にある三峰山から伊勢湾まで55㎞を流れています。川の名前の由来は、河口部一帯にある塩田の塩釜から立ち上る煙の様子が雲のように見えたことという説と、上流山地部に雲が多く、渦を巻く様子が下流部からよく見えたからという説と2つあるそうです。津市と松阪市の境。
3㎞を過ぎて、雲出川にかかる雲出橋。北のたもとには、島貫の常夜燈。天保5(1834)年建立。宮立型。元は、ここから200mほど戻った、渡しの北岸にあったものを雲出橋の架け替えの時移設。天保元(1830)年にはお蔭参りが流行しましたが、旅人の安全を祈願して建てられています。上でも少し触れましたが、島貫は伊勢街道の宿場で栄えたところでした。昭和の初めまでは旅籠も何軒か残っていたのですが、参宮鉄道が敷設された頃から寂れてしまいました。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さは4.6mという立派なもの。
雲出橋を渡って、いよいよ松阪市に入ります。この日の朝、同級生K氏が駅の路線図をマジマジと見て、「だいぶ歩いたな」といっていましたが、本当にそうです。今回で、全体の行程の2/3を越えるはず。
雲出橋を渡った西側には、小野古江渡(おののふるえわたり)跡。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。慶長19(1614)年頃までは川越場から人馬によって川越をしていたといいます。江戸時代のおかげ参りでは、全国から多いときには500万人もの人が往来したそうです。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。
小野古江渡跡の向かいにも常夜燈があります。寛政12(1800)年に雲出川の川端に建てられたもので、元はここから200mほど下流にあった伊勢街道の渡し場にありました。平成12(2000)年に雲出橋が新しくなるとき、ここに移設されています。幾度かの大地震で倒れたものの、そのたびに建て直されています。近年では昭和19(1944)年の東南海大地震で倒壊し、火袋が補修されました。宮立型という形で、高さは4.7m、花崗岩製。この常夜燈の西面には「常夜燈」、東面には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」、北面に「京都○講大坂屋藤七(○の部分は、○に漢数字の一)」、さらに南面には「腰山市左衛門 藤忠三」と刻まれています。常夜燈を見て、雲出川を下流方向に少し歩いて、堤防から降り、右折し小野江の町に入って行きますが、長くなりましたので、その1はここまで。その2は小野江の町や、松浦武四郎誕生地から。
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