20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その3)……旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地へ
10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その3です。その2では、市場庄の古い町並みの先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所、さらに薬師寺まできました。その3では、いよいよ松阪の市街地に入り、旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地を見て回り、その後、松阪駅北西にあるお寺を巡ってきました。
その2で最後に立ち寄った薬師寺の先は、しばらく見るところはありません。しかし、このあたりにも古い家は残っています。左のお宅も、卯建が上がり、幕板があります。川井町3丁目の交差点を過ぎると、いよいよ松阪の市街地に入って行きます。
6㎞の手前で阪内川を渡ります。この川は、松坂城の外堀として位置づけられていました。左の写真で、中央に松阪市役所、松阪市民病院が少し見えています。その奥に松坂城跡。
大橋を渡ったところに旧小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。
承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。
蔵の一つで「小津家の信仰と年中行事」という秋季企画展が開かれていました。中には、その2で訪ねた慈眼山寿永院柳福寺との関わりを示す史料もあり、興味深く見てきました。いささか余談めきますが、蔵の内部は2階づくり。2階へ上がる階段は、1段の高さがかなりのもの。前期高齢者は、よほど注意して、「ヨイショ」とかけ声をかけないと登れません。いわゆる「階段箪笥」になっているためのようでした。
展示品の中には、大正16年(改元されて昭和2(1927)年。大正天皇の崩御が12月25日でしたので、それ以前に作成したのでしょう)1月付けの「大日本資産家一覧鑑」がありました。もちろん、小津家や、このあと訪ねた長谷川家の資料を提示するものですが、よくよく見たら桑名の諸戸家の名前もありました。右の写真で中央あたりに「諸戸清六」「諸戸精太」のお二人のお名前。
旧小津清左衛門家からは、いったん伊勢街道を離れ、1本西にある魚町の通りへ。松阪肉の牛銀本店の前を通過(笑)。通過しただけで、食べてはおりません。ここは、いつ通っても、人が並んでいます。
牛銀本店の少し先、東側に本居宣長旧宅跡があります。本居宣長は、説明するまでもありませんが、江戸中期の有名な国学者、歌人。この宅地は、宣長の曾祖父小津三郎右衛門が承応3(1654)年に本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家が小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、現在は何も残っていません。この宅跡とは溝を隔てて地続きで、裏口で通じていたそうです。宣長旧宅が移築されてからも、春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて当時の名残を今に留(とど)めている。また礎石なども復元され、傍らには宅跡碑が建つ。旧宅そのものは、明治42(1909)年、松坂城跡に移築され、現在もそこにあります。
本居宣長旧宅跡の向かいには御目見得医で親友の小泉見庵(こいずみけんあん)宅があります。宣長は商人を継ぐ気が全くなく、母親が見庵に相談したところ、「医者にでもしたらよろしかろう」という返事があったというエピソードが伝わっています。
旧長谷川治郎兵衛家。スタートから6.2㎞、時刻は13時25分頃到着。魚町一丁目の「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅です。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめました。延宝3(1675)年、3代治郎兵衛政幸を創業の祖とし、後には江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となります。広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。右は、松阪市のサイトからお借りした配置図です。この広大な屋敷構えは、長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたもので、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができます。正面の外観は建ちの低い、つし2階建てで、卯建が上がっていますし、幕板もあります。
内部も一通り拝見してきましたが、母屋には30以上の部屋があります。蔵は5棟。17世紀後半から20世紀初頭にかけて順次建て増しされたもので、現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るといわれます。
蔵の1つでは、長谷川家に伝わるさまざまなものが展示されていました。大判、小判、千両箱などなどもありましたが、右は、千両箱の模型。千両入ったのと同じ重さになっていました。千両箱はその名の通り、小判1,000両などを収納できます。用材は樫木を用い鉄帯や金具で頑丈につくられています。慶長小判は、1枚が約18gですので、箱の重さを含めると約20㎏。ヒョイとかついで、サッサと逃げるというわけにはいきません。
こちらは蔵の背後にある庭の池。中の島もありますが、私の個人的な興味は、あるものに集中。それは、カルガモ。20羽かそれ以上いたように思います。旧長谷川治郎兵衛家を訪ねた記事は、他にもあります(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。
旧長谷川治郎兵衛家を楽しんだあとは、再び伊勢街道に戻り、三井家発祥の地。。三井家は、もちろんあの三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94年)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。
時刻は、14時。昼食もまだ食べていません(苦笑)。三井家発祥の地の南にある豪商ポケットパークで小休止。水分補給とおやつ(微笑)。四阿は、かつての三井家に存在した建物の2階部分の屋根をイメージした「寄棟」。四阿の前には「来遠像」が鎮座。来遠は、ライオン。三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として、三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたそうです。三越の前にいるライオンさんです(来遠像の写真は、2018年5月26日に撮影:2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。
伊勢街道は、豪商ポケットパークのところから直進して、日野町交差点に向かうのですが、この日は、伊勢街道とJR紀勢線との間に並ぶお寺を巡ることにしました。それはその4にて。
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