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2021年10月22日 (金)

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その2)……舟木家長屋門、柳福寺、古川水神から薬師寺へ

Rokken2  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その2です。その1では、市場庄の町並みを楽しみました。冒頭の画像は、実際に歩いたルートマップその2。近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで市場庄の古い町並みが続きます。その先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所へと進んで行きます。

Img_1139c_20211021074301 Img_1149c_20211021074301  近鉄山田線の高架をくぐるところで、スタートから2.5㎞。時刻は11時15分頃。高架の先、左側(東側)に地蔵尊。この先、松阪市久米町に入りますが、その旧久米村の北の入り口に置かれています。村境にこのようにお地蔵様などをおいて、よくないものが村に入ってこないようにしていたと思います。

Img_1156c_20211021074301 Img_1160c  その先、三叉路のところに庚申堂、行者堂、山の神2基、道標、常夜燈が並んでいます。左の写真で、向かって右が庚申堂、左が行者堂。行者堂に木札があり、「金剛童子蔵王権現不動」とあります。中央は常夜燈。右の写真で、向かって右端は「いおちかんのん」への道標。山の神が2基。

Img_1180c_20211021074301  以前来たとき(2019年10月13日 :20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認)、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップには「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっていたのですが、見当たりませんでした。今回よくよく見たら、たぶんこれがその道標。何ということか、ゴミ捨て禁止などの立て看板が3つほどくくりつけられています。これは、いけません。前回は、まさかこんなことになっているとは思いもしませんでした。これでは、気付かないはず。

Img_1202c_20211021074401 Img_1195c_20211021074401  この三叉路で伊勢街道は左折、すぐに右折。その先に久米公会所。3㎞ほどになりますし、11時40分頃でしたので、ここで小休止。敷地内には、「太田雅城翁頌徳碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。太田雅城翁、本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12(1937)年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。

Img_1206c_20211021074401 Img_1210c_20211021074401  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あります。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_1226c_20211021074401 Img_1234c_20211016181701  続いて、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。門に向かって右には、武者窓もあります。

Img_1287c_20211021074401 Img_1274c_20211021074401  舟木家のすぐ南に慈眼山寿永院柳福寺。浄土宗のお寺です。観音堂に十一面観音があります。また、あとで訪ねる松阪の豪商三井家小津家の帰依を受けていました。

Img_1313c_20211021074501 Img_1298c_20211021074501  立福寺から伊勢街道に戻って、街道が左折するところに、庚申堂と山の神2基が、道を挟んで向かい合っています。これで、近鉄山田線の松ヶ崎駅の西まで来ました。

Img_1335c_20211021192301  スタートから3.7㎞、県道756号線の高架の手前に古川水神常夜燈・遙拝所があるのですが、常夜燈が見当たりません。古い写真(たとえば、こちらのブログの平成17年7月の記事)を見ますと、向かって左の石柱(「古川水神常夜燈」とあるもの)が常夜燈でした。常夜燈は、万延2(1861)年の建立。奥には小さな祠と、そのかたわらに「古川水神遙拝所」という石碑。ただし、この「古川水神」そのものは、情報がなく、よく分かりません。敷地内には、山の神も2基あります。

Rokken3  県道756号線を越えると、実測ルートマップはその3へ。4㎞を過ぎて、百々川のところに両宮常夜燈。その向かいに「富士大権現碑」があるというのですが、これはよく分かりませんでした。JR紀勢本線を渡ると、薬師寺。

Img_1364c_20211021193801  両宮常夜燈の手前に鍛冶屋さんがあります。「かじ栄 山田鉄工所」という看板がかかっています。ここでも農機具などをつくっていらっしゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はほとんど見なくなりました。

Img_1371c_20211021194001 Img_1375c_20211021194001  百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。この常夜燈には、電線が引き込まれていますので、電気で今でも点灯するのかも知れません。この常夜燈の向かい側、百々川の手前を右に入ったところに「富士大権現碑」があるのですが、場所を勘違いして、見てきませんでした。百々川を渡ったところにある小公園にあるものと思い込んでいたのです。不覚をとりました。

Img_1389c_20211021194001 Img_1392c_20211021194001  ちなみにその小公園には、気になるものがありました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もしました。

Img_1411c_20211021194601  利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。かなり傷んでしまっていて、仁王像は近くでは見られませんでした。もともとのものは「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。

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 本堂は修理中でした。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。

Img_1447c_20211021194701  本堂の前には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。

Img_1329c_20211016181701 Img_1321c_20211016181701  キリが良いので、その2はここまでとしますが、余談を一つ。これもまた「歴史散歩」かも知れません(微笑)。古川水神常夜燈・遙拝所の手前(北)で、TE27レビン。カローラレビンの初代モデルが止められていました。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。

 その3では、いよいよ松阪の市街地に入ります。旧小津清左衛門家、旧長谷川治郎兵衛家など、松阪の豪商の旧宅めぐりからとなります。

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