お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年11月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年11月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年10月

2021年10月31日 (日)

バードウォッチングの吉日

Dsc_6275c  朝方、小雨。アメダスには記録されていませんが、10時頃まで。10時を過ぎて、北西の方には青空も見えてきましたので、10時20分から総選挙の投票がてら、散歩へ。投票所は、子どもたちも通った小学校の体育館。そこから常磐町、京町を通って九華公園へ。いつもとほぼ逆コース。九華公園も、私としては逆回り。立教小学校の体育館の脇から入って、北門から出て、柿安コミュニティパーク、七里の渡し跡、住吉神社と5.0㎞。正午過ぎに帰宅。その頃には上天気。

Img_6999c_20211031150601 Img_7012c_20211031150601  九華公園には、10時55分に到着。写真に向かって右手に立教小学校の体育館、左手は堀を挟んで奥平屋敷跡。二の丸堀の西側には、カモたちが浮いています。他のところにいたものも含め、今日は、合計39羽。ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモが3羽、他はキンクロハジロ。

Img_7167c_20211031150501 Img_7233c_20211031150501  吉之丸堀には、キンクロハジロたちがたくさん。ヒドリガモは、私が奥平屋敷跡にいたら、立教小学校の体育館との間の堀に登場。

Img_7188c_20211031150501  ハシビロさんたち、オス1羽にメス2羽のように思うのですが、エクリプス状態もあって、イマイチ判然と馳せず。

Img_7043c_20211031150601  さて、公園の外周遊歩道の東にあるベンチで一休みしていたら、ジョウビタキが登場。ジョウビタキは尾を振りますので、それが何かに当たる音が聞こえてきて、探しました。けっこう移動したのですが、最終的には撮影に応じてくれました(微笑)。

Img_7113c  さらに大物! 久しぶりに間近で見ました。カワセミのオス。野球場の南の堀端にいたのですが、幸い、外周遊歩道の東から曲がるときに気付いたのです。何度かダイビングしたものの、獲物はなし。次第に西の方に移動して、見失いましたが、しっかりと楽しめました。この他、九華公園では、例によってヒヨドリたちがたくさん。

Img_7284c  柿安コミュニティパークから揖斐川の堤防に出て十万山を見たら、南の端にサギの姿。先端にアオサギ。これはほぼ定位置といってよいところ。その左手にダイサギも1羽。

Img_7315c_20211031150501  三の丸公園を通り過ぎようとしたら、モズの鳴き声が聞こえてきました。一度引き返したものの、見つけられず。しかし、また聞こえて来ましたので、再度引き返して、よくよく探したらいました! いやぁ、今日は遅くから出てきたものの、吉日といって良さそうです。

Img_7346c_20211031150501  同じあたりでは、ジョウビタキの鳴き声も何度か聞こえて来ました。これも探して、ウロウロ。川口水門の奥に係留してある舟に出てきたもののすぐに見失いました。せっかくだからと少し待ったら、東海道に近い方の駐車場に現れました。ちょっと遠かったものの、今シーズン初のメスのジョウビタキ。

Img_7380c_20211031150501 Img_7405c_20211031150501  今日はよかったなぁと思って、七里の渡し跡から旅館山月の裏の堤防へ。揖斐川を見ますと、川に立っている棒の先端が太く見えます。単眼鏡で確かめると、ミサゴでした。たぶん200mほど先。これまたしばらく見ていると、ミサゴがお尻をあげました。カメラの液晶で見たときには、分からなかったのですが、右の写真のように白い物体を放出しているところが、バッチリ写っていました。

Img_7438c_20211031150501  住吉神社前から揖斐長良川の中洲にある「アオサギの集合場所」。ちょっとバラけてはいますが、アオサギが5羽とカワウがいました。今日のバードウォッチングの成果はなかなかのもの。

Img_7502c_20211031150501  と思って、拙宅前の住吉入江まで戻って来たら、そこには何と、キンクロハジロのオスが1羽いるではありませんか。「住吉キンクロウズ」の今シーズン第1号です。という次第で、今日のタイトルは、「バードウォッチングの吉日」であります。

Img_7479c_20211031150501  明日からは、早くも11月。水曜日は、文化の日で、江戸橋の仕事はお休み。金曜は歯科治療。来週の日曜は、JRさわやかウォーキング「大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道~音声案内アプリで巡る散策~」に行きたいと思案中。参宮線・外城田(ときた)駅から、田丸城跡などを歩くコース。田丸城跡は、是非とも尋ねたいところ。昨年も行きたいと思ったものの、行けなかったのです。ただ、松阪からさらに先と、ちょっと遠い。

2021年10月30日 (土)

20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(予告編)

Matsusaka0  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」もいよいよ第13回。今月は、10月9日(20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編))、16日(20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】)に続いて、3回も歩いています。今日は、松阪駅から近鉄山田線の櫛田駅まで、8.4㎞を歩いてきました。これで10月中に津の高茶屋から松阪の櫛田まできました。今日歩いたコースは、冒頭の画像の通り。松阪駅から日野町交差点に出て、そこから伊勢街道をひたすら南東へ進み、櫛田川の手前まで行ったという次第。

Img_6940c_20211030190801 Img_6746c_20211030190801  第13回にしていよいよ/とうとう「伊勢15㎞」という表示に出会いました。櫛田駅南の県道37号線(県道松阪鳥羽線)の交差点です。また、途中、スタートから6㎞の手前に「従是外宮四里」という道標があります。思えば、遠くまで来たものです。

Img_6072c_20211030190701 近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。松阪には9時47分に到着。¥960。9時50分過ぎに松阪駅南口(JR松阪駅)をスタート。松阪駅から南西へ。日野町交差点から伊勢街道に入ります。蒲生氏郷が、天正12(1584)年、伊勢松ヶ島(松阪市)12万石の城主となり、松阪に入ったとき、出身地の近江・日野をはじめ、各地から商人などを招いています。その出身地に由来する町名を付け、それが今に伝わっています。その1つが、ここ日野町。

Img_6091c_20211030190701  そこは和歌山街道伊勢街道の追分で、ヒシナカ薬局のすぐ目の前に道標があります。この道標には、「右わかやま道」「左さんぐう道」とありますが、いつ建立されたかなどは不明です。

Img_6111c_20211030190701  愛宕町まで来て、ちょっと寄り道。街道から北へ100mほどのところにある愛宕山龍泉寺(あたござんりゅうせんじ)です。ここは、神仏習合の雰囲気がとても強いお寺。三門の前に朱い鳥居がありますし、境内にも津島神社、稲荷社などがあります。三門は県指定有形文化財。切り妻造りの薬医門で、時代は安土桃山時代。松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれるようですが、確証はないそうです。三門の手前にある朱塗りの鳥居は、権現鳥居両部鳥居とも)というもの。2本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設け、貫(ぬき)で連結した鳥居で、神仏習合の神社に多いといいます。

Img_6339c_20211030190701 Img_6251c_20211030190701  伊勢街道に戻って、スタートから1㎞の手前、西側に梅松山管相寺(ばいしょうざんかんしょうじ)。臨済宗妙心寺派。愛宕の天神さんとして地元では親しまれています。境内には、松尾芭蕉の句碑「春もやや けしきととのふ 月と梅」があります(右の写真)。他に、本居宣長撰文の「天神之森碑」もありました。お稲荷さんが複数あったり、布袋尊が祀られていたりして、なかなか興味深いお寺でした。

Img_6461c  しばらく立ち寄るところはありません。2.5㎞あたりで名古須川を越えたところの西側に普照山信楽寺(ふしょうざんしんぎょうじ)。天台真盛宗。山門に向かって右隣に閻魔堂があります。もともと、この位置に法延寺という寺があり、奈良の大仏建立の時に建てられたのですが、源平の争乱で焼失し、その後再建されて今の信楽寺となったといいます。山門に向かって右手には、仏足石の石柱が建っています。天明5(1785)年のもので、広瀬栄正寺の名僧・天阿上人が建てたといいます。このような石柱になっている仏足石はここでしか見ていません。

Img_6528c_20211030190801  信楽寺の先に神戸(かんべ)神社。創始については明らかではありませんが、いにしえよりここ、垣鼻町字里中の旧参宮街道沿いにある築山の地にあります。この築山は、古墳という説があるそうです。主祭神は、香具土神(かぐつちのかみ;火の神)。境内には、御乳母稲荷神社。この御乳母稲荷神社は、大津町の金剛川堤防沿いに鎮座し、濃厚の守り神であるとともに、とくに乳幼児の「うば咳(百日咳)」に霊験あらたかとして遠近からの篤い信仰を受けてきたそうです。他に、「大正天皇遙拝所」「明治天皇/神武天皇 遙拝所」「皇大神宮遙拝所」などもあり、ここもおもしろいというと語弊がありますが、興味深い神社です。

Img_6584c_20211030190801 Img_6647c_20211030190801  金剛川を渡り、垣鼻の町を進んで、4㎞の手前に常夜燈。文政12(1829)年、江戸の干鰯(ほしか)問屋が建立したものです。嘉永2(1849)年に修理しているそうです。さらに、JR紀勢線・徳和駅を過ぎたところにも大きな常夜燈があります。万人講常夜燈と呼ばれています。天保2(1831)年の建立。万人講とは、講を組んで神社仏閣に参詣し、堂塔の建立修理などの寄進を行ったそうです。月本追分に伊勢街道でもっとも大きい常夜燈がありましたが、それよりも大きいかと思うほどでした。

Img_6691c_20211030190801  国道42号線の上川西交差点でスタートから5㎞。12時を過ぎた頃。その先に珍しいもの。「禁酒の神 沖玉の夫婦石」という石柱が建っていました。ここは間違っても拝んではいけません(苦笑)。K氏も私も酒を嗜むからです。「帰ってからもカミさんには話はしない方がいいな」といって、見るだけ(笑)。

Img_6714c_20211030190801  八柱神社。名前からして、五男三女神を祀っていると思われます。小高い丘の上にありましたので、お参りして、休憩。松阪から明和あたりの海も見えます。古いソメイヨシノの木が、参道にたくさん植わっていて、春はもっとよい景色と思われました。このあと、6㎞の手前で3枚目の写真にある伊勢神宮外宮へ4里という道標があります。しばし眺めて、感慨にふけってしまいました。

Img_6776c_20211031071401 Img_6799c_20211030190801  道標の先、西側に浄土宗のお寺、東慮山法音院 浄林寺。参道の入り口には、石造りの太鼓橋もあって、なかなか風情のあるお寺です。これで苔生していたりしたら、京都の苔寺にも負けないと思えます。

Img_6859c_20211030190801 Henba2_20211031071801  おもん茶屋跡です。白壁に虫籠窓(むしこまど)という建物。伊勢街道沿いには、この虫籠窓がついた古い家がたくさん残っていて、いかにも街道を歩いている気分にさせてくれます。このおもん茶屋では、へんば餅を名物にしていたといいます(写真は、へんば屋さんのサイトからお借りしました。へんば屋さんの店頭では2個で¥160)。へんば餅は、私の大好物(微笑)。当時、他にも「おかん茶屋」という店もあったそうです。

Img_6933c_20211030190801Dsc_6273c  おもん茶屋跡から、2つのお寺を回ってゴールへ。近鉄山田線の櫛田駅ですが、13時半を過ぎていましたので、先に昼食を摂ることにして、いったん伊勢街道から離れ、県道37号線の方へ。松阪市立揥水小学校の南にあった寿司栄さんで、ちらし寿司セット、¥1,100。サンプル写真よりも、実物の方がはるかに分量が多く、満腹(微笑)。

Img_6953c_20211030190801  近鉄櫛田駅には、14時20分に到着。少し待って、14時34分発の伊勢中川行き急行に乗車。松阪駅に14時40分到着。14時54分の名古屋行き急行に乗り替えて、桑名駅に16時4分。¥1,020。いよいよ、近鉄の片道料金が、¥1,000を越えました。

Img_6687c_20211030190801 Img_6761c_20211030190801  余談。この時期限定の看板。11月7日に熱田神宮から伊勢神宮・内宮まで全日本大学駅伝があります。それによる渋滞予告の看板。松阪市上川町あたりで2つを確認。

Img_6977c_20211030190801  今日の歩数。19,638歩。現地で8.4㎞、自宅から桑名駅の往復が2.2㎞ですので、合計10.6㎞を歩いた結果。次回・第14回では、斎宮まで行く予定。斎宮には、県立斎宮歴史博物館がある他、さいくう平安の杜には昔の建物3棟が復元されていますし、上園歴史広場には斎宮の1/10模型や、いつきのみや歴史体験館もあります。次回のコース設定は、5㎞と短めにしたのですが、かなり見て回るところがあります。

2021年10月29日 (金)

ジョウビタキデー……余談は赤福の「白餅黒餅」(食べました!)

Img_6048c_20211029151901  午前中は北寄りの風がやや強かったのですが、午後からは収まってきました。今日も20℃を越えています。木曽御嶽山が、玄関先から割とよく見えていました。雪は、少し減ったように見えます。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.0㎞ちょうど。

Img_5808c_20211029151901  今日は、まずこちら。ジョウビタキのオス。10月19日にオスのジョウビタキを見て以来、久しぶり。鳥見友達の方は、オスもメスも見たといっていたので、うらやましく思っていたところ。九華公園の外周遊歩道の南にて。かなり追いかけて撮れました。他にも、貝塚公園、寺町北の住吉入江でもオスのジョウビタキを確認し、さらに、我が家前の玉重橋のところではメスのジョウビタキを見ました。ただ、何れも遠くて、まともな写真にはなりませんでした。しかし、これだけやって来ると、これからの散歩が楽しみです。

Img_5637c_20211029151901 Img_5643c  さて、始めに戻って。住吉水門の内側の入り江にヒドリガモが3羽。ここには、割とよくカモがやってきます。飛来してきたばかりなのか、お疲れのように見えました。このあと、揖斐長良川の中洲にも、三の丸公園、柿安コミュニティパークにも、これという鳥はいません。風が強いのがいけないような気がします。

Img_5782c_20211029151901 Img_5883c_20211029151901  九華公園でも、今日は、ハシボソガラス、ヒヨドリ、カワウばかり。カモは、41羽。キンクロハジロがほとんどで、35羽。

Img_5908c_20211029151901 Img_5856c  他は、ヒドリガモが、オス・メスとも2羽ずつ。ハシビロガモは、たぶんオスが2羽。

Img_5739c_20211029151901  本丸跡ではハクセキレイが2羽。いつもオス1羽と、若いハクセキレイが1羽、一緒に行動しています。こういう次第で、鳥はあまりいません。前管理人のOさんに伺ったら、昨日も同じようだったそうです。

Img_5719c_20211029151901  堀には、ヌートリア。シルバー人材センターから草刈り作業に来ていらっしゃるMさんによれば、奥平屋敷跡のすぐ北の花菖蒲園脇にねぐらがあるそうです。石垣が途切れたところがあるのです。今日は、あちこち活発に泳いでいました。今日は、「何年も前からヌートリアはいた」という方に出会ったのですが、他にそういう情報はありません。やはり最近やって来たと考えられます。

Img_5920c_20211029151901 Img_6000c_20211029151901  貝塚公園では、メジロも鳴いていたのですが、姿は見えず。カワラヒワもいましたが、木の高いところでした。内堀公園、新築公園ともハクセキレイが1羽ずつ。右の写真は、新築公園にいたハクセキレイ。内堀公園・新築公園ともに、ジョウビタキも来るところですので、見回ってきたのですが、今日は出逢えず。そうそう、貝塚公園にいたとき、上空をトビが通過。慌てたら、画面の端っこにピンぼけで写っていました(苦笑)。このような次第で、天気がよくとも風が強いと、鳥はあまりいません。

Img_5959c  明日は、桑名でJRさわやかウォーキング「旧東海道の宿場町、桑名の名所を訪ねて」がありますが(10月30日、ウォーキングが終わりますと、リンク切れになります)、それはパスして、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」に行く予定。松阪駅から漕代駅まで。

1635492159929c Shirokuro3 【余談】 赤福オンラインショップ限定の「白餅黒餅」を発注しておいたのですが、今日、届きました(微笑)。記憶では、以前、五十鈴川店限定で売っていたと思います。一度食べてみたいと思っていたのです。まだ開けておりませんので、右の写真は、赤福オンラインショップからお借りしました。

Dsc_6272 【追記】 晩ご飯を食べたにもかかわらず、我慢できずに食べました(微笑)。黑餅は黒砂糖味、白餅は白小豆を使った餅です。両方食べてみましたが、個人的な好みは、白餅です。甘みがさほどでないのが気に入りました。江戸時代から続く味だそうです。

2021年10月28日 (木)

そろそろなんちゃって紅葉の季節

Img_5459c_20211028174801  定例散髪日です(微笑)。以前は、偶数月の最終水曜日午前9時と決めていましたが、江戸橋での仕事がありますので、木曜に変更中。しかも今日は、8時半からいつものS理容院さんに行ってきました。大将も80代に突入してしばらく。Sさんが辞めてしまったら、床屋難民になります。座って「いつものようにお願いします」で刈ってもらえるのが理想なのです。大衆理容チェーン店ではそう行くのでしょうか? 

Img_5424c_20211028174901Img_5441c_20211028174901  講釈はともかく、9時40分に散髪を終え、S理容院さんから九華公園を一回りし、中橋から東海道を北へ。七里の渡し跡から揖斐川堤防、住吉神社と今日はいつものコースとは、敢えて変えてみました。というよりも、鎮国守国神社で散歩友達から、御祭神や、境内にある戦争遺跡について尋ねられ、時間が過ぎてしまったのです。11時15分に帰宅。4.7㎞。

Img_5262c_20211028175001 Img_5326c_20211028175001  時間が遅かったので、野鳥はほとんどいません。休息時間に入っています。九華公園で目立ったのは、カワウとヒヨドリ、そしてカモたち。カワウは、この間も書きましたが、神戸櫓跡の松の木や、野球場の照明灯に集まっています。ヒヨドリは、かなり賑やかになってきました。カモ、今日は、26羽。ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽、ハシビロガモは、エクリプスでよく分かりませんが、オスが2羽と思われます。他は、キンクロハジロ(21羽)。

Img_5383c_20211028174901Img_5393c_20211028174901  ヒドリガモは、3羽が一緒に二の丸堀の南東隅でエサ探し中。毎年、このあたりにヒドリガモはよくいます。お気に入りの場所なのか、ヒドリガモの餌がたくさんあるのか。

Img_5402c_20211028174901 Img_5407c  ハシビロガモ。どちらもオスのエクリプス状態のように見えます。お休み中でした。

Img_5346c_20211028174901  他には、鎮国守国神社の境内でカワラヒワ。ドバト、ハシボソガラス、スズメもいたものの、それ以外の姿はなし。ジョウビタキは、一度見たきり。去年はよく来ていたヤマガラはまだ見ていません。

Img_5420c_20211028174901  中橋のところは、数年前、ゴイサギのコロニーがありました。今年は、繁殖期を過ぎても、九華公園にはゴイサギが戻ってきませんので、ヒョッとしてこちらにいるかと思ったのですが、まったくいませんでした。冒頭から2枚目の写真も中橋のところ。

Img_5428c_20211028182001 Img_5433c_20211028182001  中橋から東海道に出て七里の渡方面に歩いていたら、スープカフェができているのに気付きました。スープカフェコーズというお店。今年4月27日にオープン。レギュラーセット(スープ+パン+ドリンク)が¥900、スープ単品は¥600。帰宅して聞いたら、家内と娘が行きたいと思っていたところだそうです。

Img_5455c_20211028174801  久しぶりに七里の渡し跡にある伊勢一の鳥居を南側から見ました。いつもの散歩では、鳥居の向こう側を通過して行くのです。やはりワンパターンから抜けないといけません。

Img_5466c_20211028174801  七里の渡し跡から揖斐川の堤防に上がって、川を見たらこちらが浮かんでいました。今日は単眼鏡を忘れ、超望遠コンデジで見て、撮って拡大したのですが、現場ではイマイチよく分からず。写真は、65倍ズームで大トリしています。ウミネコの若鳥のような感じ。ウミネコは、町屋川の河口部にもいますから(2020年8月29日:猛暑日一歩手前、プチ遠征……コンバイン祭、アマサギ、ウミネコ、カワウはエイを捕らえる)、このあたりにいても不思議はありません。

Img_5496c_20211028174801 Img_5539c_20211028174801  住吉神社まで来て、揖斐長良川の中洲を見たら、集合場所にアオサギたち、7羽。いよいよ集合場所復活が確実か? と期待が高まります。住吉神社にお参りしていると、西の方からモズの鳴き声。桑名七里の渡し公園の電線にモズのメスがいました。モズは、遠くにいても居場所を教えてくれるありがたい存在(微笑)。

Img_5302c_20211028175001 Img_5600c_20211028174801  昨日の江戸橋での授業のQ&A、今日の夕方、一応仕上げました。プリントアウトして、これから確認して完成。今日も、23.5℃と暖かいというか、今の時期としてはちょっと暑いくらいでした。土曜日までは好天が続くという予報。ありがたい。土曜日は、歩いて伊勢参りツアーの予定。冒頭の写真は、七里の渡し跡から揖斐川堤防に上がったところから見た上流方向。3枚目の写真は、東海道。奥が七里の渡し跡。最後の2枚は、九華公園と諸戸氏庭園の紅葉。ちょっと色づいてきましたが、これがいわゆる「なんちゃって紅葉」の一部。表から見ると、葉っぱが焼けているように見えるのですが、裏モミジとしてみると、それなりの紅葉に見えるのです。

2021年10月27日 (水)

帰りに衆院選挙の期日前投票をしようと思って出かけたのに……

Dscn4654c  10月も最終週。江戸橋での仕事も後期4回目。生活パターンも確立というか、復活。ただ、前期もそうでしたが、一昨年よりも、終わって帰ってくると、疲れた感じが増したように思います。前期高齢者以前と以後とで、疲れ方が違うのかも知れません。また、コロナのため、家を出てから帰宅するまでずっとマスクをしているのもけっこう大変。とくにマスクをして1時間半、講義をするとより疲れる気がします。この間は、ほとんどしゃべり詰めです。軽い酸欠状態になってくる感じ。また、以前よりも大きな声を出さないと、マイクを使っているとはいえ、伝わりにくい印象もあります。

Dscn4656c  それはともかく、前回の積み残しが少しありましたし、講義の最後に「進路選択に対する自己効力感尺度」を実施する予定でしたので、いつもより少しハイペース(苦笑)。しかし、出席票での反応を見ると、学生の皆さんは、きちんとついてきてくれたようでした。気になるのは、受講登録者が50名を越えているのに、出席率が80%を切ることが多いこと。きちんと出席する学生が大半ですが、出欠半々という学生もそれなりにいます。

Dscn4660c  さて、講義を終えて、志登茂川を覗いてきましたが、すぐ近くにカラスが1羽いただけ(苦笑)。四日市港潮汐表では、満潮が9時51分、干潮が14時57分で、そのちょうど合間。上流側のはるか遠くにカモらしい姿が10数羽見えただけ。単眼鏡では、種類は確認できませんでした。残念。

Dsc_6270c Dscn4676c  ここからは余談。桑名駅の東口前広場。まだこれから整備されるのですが、今のところは、単なる広場と、仮のロータリーになっています。先週も一部設置されていましたが、イルミネーションの準備が進んでいます。今日は、右の写真にあるチューリップタイプのイルミのところで男性が作業をしておられました。

1635308801867c  余談というか、失敗というか。昨日の中日新聞朝刊に桑名市は、桑名駅の自由通路に、衆院選挙の「期日前投票所」を設けるというニュースが載っていました。期日前投票は、これまで経験したことがありません。「今までに経験したことがないことにもトライしなくっちゃ」などと大げさなことを考え、帰りに投票しようと思って出かけました。が、近鉄を降りて自由通路を見回しても、何もありませんでした。よくよく確かめたら、夕方5時から8時に投票所を設けるということでした(苦笑)。年をとってから、こういうちょっとした勘違いというか、確認不足というか、よくあるようになってしまいました。やむを得ませんから10月31日、散歩に行くついでに投票に行くことにします。

2021年10月26日 (火)

今日はモズ・デー……九華公園のカモは19羽

Img_5235c Img_5240c_20211026145901  未明には雨は上がり、今日は一転して青空。気温も22.8℃とあがり、散歩をして来たら汗ばんだくらい。木曽御嶽山、乗鞍も(左の写真)、恵那山などもわりとよく見えていました。7時40分からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。

Img_4730c_20211026150101  住吉神社前から揖斐長良川の中洲を見ると、ずいぶん久しぶりにアオサギたちが5羽、集まっていました。木の下にいる4羽にばかり目がいっていましたが、木の上にも1羽いました。以前はここが、アオサギ、ダイサギの集合場所でした。それが、復活してくれないかとずっと思っていました。

Img_4792c_20211026150101  三の丸公園でモズ。メス。七里の渡し跡にいるとき、鳴き声が聞こえてきて急いだものの、いったんどこかへ飛び去ってしまいました。諦めて三の丸水門の方へ行ったとたんに戻って来たようです。また引き返すなどウロウロ(苦笑)。

Img_4799c_20211026150101 Img_5145c_20211026150001  九華公園には8時に到着。最近、鎮国守国神社の社務所の裏にはアオサギは来ません。この春までは、ゴイサギが何羽かいたものの、夏が終わっても戻って来ません。その代わりにはならないのですが、寒くなってきた先週から、カワウが集まってきて、神戸櫓跡の松の木の上や、野球場の照明灯にいます。ときおり、集団で堀に降りて来て、漁をする光景がまた見られるようになりました。

Img_4927c_20211026151201 Img_4874c  奥平屋敷跡、今日もなかなか鳥は来なかったのですが、モズのオスがしばらく移動しつつ、鳴いていました。南側のサンゴ樹の木の中にウグイスのような鳥がいたのですが、ハッキリとは確認できず(右の証拠写真)。白い眉斑が見えて、身体の色はウグイスのように思えましたが、見失ってしまいました。他には、ヒヨドリが賑やか(苦笑)。

Img_5090c_20211026150001 Img_5114c_20211026150001  堀のカモは、今日は激減。19羽。キンクロハジロが15羽。ハシビロガモが2羽。ハシビロは、オス、メス1羽ずつと思うのですが、オスはエクリプス状態ですから、間違っているかも知れません。

Img_4909c_20211026150001 Img_5134c_20211026150001  他は、ヒドリガモのオス、メスが1羽ずつ。つかず離れずで泳いでいますから、ペアなのだろうと思います。一昨日の日曜は、54羽もいたのに、あれはいったい何だったのでしょう?

Img_4992c_20211026150001 Img_5053c  公園内を半周してくると、カワウだけがいた神戸櫓跡の松の木にコサギの姿。ここにはカワウが入れ替わり立ち代わりやって来るのですが、そのたびに首をすくめて避けているのが笑えました。

Img_4983c_20211026150001  チョー証拠写真ですが(爆)。カワセミ。今日は、2度見かけました。1度目は、奥平屋敷跡でカモを見ているときに二の丸堀を北から南へ超スピードで。これは2度目の写真。鎮国守国神社の社務所の裏の堀端にいるのを見つけ、カメラを構えたら逃げられたのです。一昨日に続き、失態(苦笑)。

Img_5081c_20211026150001  九華公園のオマケは、ヌートリア。まだまだいます。今日見かけたのは、二の丸堀と吉之丸堀の間。あちこちで目撃情報がありますし、「ヌートリア、まだいる?」「どこで見た?」が散歩友達の間での「合い言葉」(笑)。

Img_5179c Img_5149c_20211026150001  貝塚公園でもモズ。写真としては不出来。カワラヒワもいました。この他、メジロの鳴き声も盛んに聞こえていたのですが、姿は見えず。ヒヨドリは、この頃どこでも数を増してきています。

Img_5217c_20211026150001  老松公園から寺町に行く途中、南の空を見上げたら、猛禽類が飛んでいました。逆光の位置で、ちょうど太陽の下あたりでしたので、黒っぽく写っていますが、ノスリではなかったかと思います。

Img_4758c_20211026150101  さて、明日は江戸橋での仕事。午前中は晴れて、また22℃くらいになるという予報で、ありがたい(微笑)。ただ、授業の方は、前回時間配分を誤って、少し残ってしまいましたので、そこからやらねばなりません。四日市港潮汐表では、帰る頃、満潮から干潮に移行する時間帯。寄り道もしてくることにします。

2021年10月25日 (月)

冷たい雨の1日

Img_4698c_20211025144601  ほぼ終日雨で、最低気温12.9℃、最高気温15.1℃となっていて、寒い感じの1日です。散歩は早々に諦め、江戸橋での仕事の準備と、「歩いて伊勢参りツアー」のコースマップづくりをしていました。10時半を過ぎてから、駅方面とエディオンに用があったのですが、有給休暇を取って家にいた息子がクルマに乗せていってくれ、あまり濡れずに済みました。楽チンです。午後は読書中。

Img_4627c_20211025144601 Img_4632c_20211025144601  ベランダ園芸もアサガオが終わってしまい、楽しみが激減。お見苦しい写真ですが、今はこのような状態で、少しずつ種を取っていますが、それもまもなく終了の見込み。シラサギカヤツリや、金のなる木、万年青は何れも青々としています。金のなる木はかなり大きくなったのですが、我が家にお金が増える兆候はありません。

Img_4641c_20211025144601  「おつまみ枝豆栽培キット」の枝豆は、7つほど実がなっています。もう食べられそうなものもありますし、未だ成長途中のものもあります。もう少しだけ待つことにしています。

Img_4690c_20211025144601  先週は多用でしたが、今週は今のところ水曜の江戸橋での仕事と、週末、歩いて伊勢参りツアーの13回目を予定しているくらい。しかし、そろそろ来月計画している相談会の資料が届く見込み。資料が来たらまた読み込み、分析を行わなくてはなりません。「散歩生活ときどき、仕事」のペースで行けるのがいいのですが、どうでしょう? 

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その4)……松阪駅手前で寺めぐりで「完」

Rokken4  10月16日に出かけた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」もいよいよ本編のその4。松阪駅の北西で寺めぐりをしていきます。詳しいルートマップは、前回と同じくその4です。継松寺、龍華寺、清光寺、常念寺と回り、駅弁のあらたけ本店とまつさか物産交流館に立ち寄り、松阪駅にゴール。駅にあるパン屋さんでやっと昼食。

Img_1707c_20211016181701   まずは、岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)だけを取り上げます。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。通称「岡寺さん」。天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝わっています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。元来は市内石津町にあったのですが、江戸時代初期の慶長17(1612)年、時の松坂藩主古田重治により現在地に移転されました。

Img_1717c_20211024155901 Img_1724c_20211024155901  継松寺は、厄除け、開運の観音さまとして知られていますし、もう一つは、3月の初午大祭で有名です。初午大祭は、3月初めの午の日を中心に前後3日間に渡って行われ、県内の仏教寺院としては最大の規模だそうです。厄年の男女、特に振袖で着飾った19歳の女性で賑い、厄落としと称してハンカチを境内に落としていく習わしがあります。

28f33192 F33fac53  本堂には、奉納された絵馬がいくつかありました。いずれもかなり古そう。右の写真の絵馬には、「江戸 岩城屋」と書いてあります。調べてみたら、「岩城屋江戸店」の絵馬でした(こちら)。もとは近江商人で、麹町に江戸店があったようです。寺宝もいろいろとあります。それらはこちら
D1b0a86b  継松寺の筋塀(すじべい)。白い水平線が入った土塀で、御所や門跡寺院などに用います。格式により数が増え、5本が最高ですので、岡寺山継松寺は格式の高いお寺ということ。継松寺には、2018年5月26日にも来ています(2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。

Img_1730c_20211024155901  継松寺の南には、弥勒山龍華寺。曹洞宗の養泉寺(このあと訪ねます)の末寺。天正16(1588)年、松ヶ島から現在地に移転しています。当所は、名庵寺と称しましたが、正保4(1647)年、龍華寺と改称。御堂の写真は、残念ながらピンぼけ(苦笑)。正面の御堂の扁額には「豊川稲荷御分霊」とありました。豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を祀っているようでした。寺の本堂はその向かって左手と思われます。

Img_1767c_20211024155901 Img_1751c  龍華寺の南が、その本寺である龍松山養泉寺。曹洞宗。養泉寺の前身も、松ヶ島にあった天台宗のお寺だったそうで、松坂開府とともに職人町に移転され、曹洞宗に改宗されたといいます。ちなみに、曹洞宗で同じ名前のお寺は40ほどあるようで、「精神修行により、心を養い、泉のように満たす」という意味があるそうです。

Img_1776c_20211024155901 Img_1795c  養泉寺の次に、三縁山信阿院清光寺(せいこうじ)。浄土宗のお寺。開山は超誉察道上人。もとは神光寺といい、行基の開基と伝わっています(749年(天平21年・天平感宝元年・天平勝宝元年)創建)。のち真言宗の寺として松ケ島にあったものを、大永3(1523)年、察道上人が浄土宗に改宗。天正年間(1573~1592年)、津川玄蕃(織田信雄の家臣)・蒲生氏郷両氏の菩提所となりました。元和年間(1615~1624年)、紀州藩主・徳川頼宣の帰依にて現在地に移転。本堂は、明治43年(1910)建立。本尊阿弥陀如来座像は重要文化財、観音・勢至両菩薩像は市の文化財となっており、いずれも京都から遷座したものといわれます。

Img_1813c_20211024155901  境内には、参宮線六軒事故(昭和31(1956)年10月15日に参宮線六軒駅で発生した列車衝突事故)で亡くなった42名の追悼碑があります。この事故は、当時は国鉄参宮線、現在はJR紀勢本線の六軒駅で、名古屋発鳥羽行き下り快速列車が安全側線に突っ込み脱線したところへ、鳥羽発名古屋行き上り快速列車が進入し、はみ出ていた下り列車の客車に衝突、これを破壊しながら機関車と客車が脱線転覆した結果、42名の死者、94名の重軽傷者を出す惨事となったものでした。下り快速列車に乗車中で、修学旅行の途上であった東京教育大学附属坂戸高等学校(現在の筑波大学附属坂戸高等学校)の生徒が多数犠牲になっています。横転した蒸気機関車のボイラーから漏れた熱湯を浴びて、ひどい火傷を負った者もいたそうです。

Img_1818c_20211024155901  清光寺には、今では珍しい塔頭(たっちゅう)があります。塔頭は、寺内にある寺。九品院。寺号も山号も九品院となっています。詳細は分かりませんでしたが、九品とは、仏教における九等級の品位のことで、上上品・上中品・上下品・中上品以下、下下品までの9段階をいいます。観無量寿経などに基づいて、浄土へ往生する人のあり方を九品に分けたりするそうです。

Img_1828c_20211024155901 Img_1839c_20211024160001  続いて、清光寺の西にある護法山常念寺。真宗高田派のお寺。ここも立派なお寺ですが、詳細は分かりませんでした。

Img_1858c_20211024160001 Img_1853c_20211024182201  こちらは、本覚寺。真宗高田派。ここも、松阪市中町(旧町名は職人町)にあります。ここも、松坂開府の時に松ヶ島から移築したと伝えられています。高田派の準連枝(じゅんれんし:連枝は、浄土真宗で、法主の一族の称)で代々名僧が住んだと言われます。墓地には宣長の孫・伊豆夫婦の墓があります。

Img_1880c_20211016181701  今日のゴールに設定した松阪駅には、14時45分に到着。左の写真は、JR松阪駅。写真の中央に写っているのは、驛鈴のモニュメント。これは本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(ななこれい;七種鈴とも)」の1つ、驛鈴を模ったもの。宣長から源氏物語の講釈を聴くために松坂を訪れた石見国浜田藩主・松平康定が寛政7(1795)年に宣長に贈ったもの。

Img_1884c_20211017122901  松阪駅の前には、いくつか松阪牛のモニュメントがあります。この日は、ハロウィーン仕様で、マスク着用。

Img_1897c_20211016181701  ここまで休憩はしたものの、昼ご飯は食べておらず。松阪駅にあったヴィ・ド・フランス 松阪店でカレーパンその他をイートイン。お腹が空いていたので、写真を撮る前に食べてしまいました(苦笑)。

Img_1868c_20211016181701 Img_1931c_20211016181701  ゴールインの前に、重要な使命を果たしてきました(苦笑)。まずは、駅弁のあら竹本店。娘に今日は、松阪駅まで歩くといったら、「モー太郎弁当」が食べたい! とキョーレツな要望。¥1,500もする松阪ブランドの黒毛和牛を使った弁当。私は2年前に食べたのですが、その時、家族は実家に行っていて誰も食べてはいません。我が家では「伝説の駅弁」になっていて、今回、強力な要望があった次第。本店に買いに行くと、その場で作ってもらえ、ホカホカでした。

Img_1888c_20211016181701 Saraoi  松阪駅にある「まつさか交流物産館」。いつもここでお土産をゲットしています。とはいえ、私の松阪土産は決まっていて、老伴(柳屋奉善)。今日は、6個入り(¥1,080)を1個。同級生K氏も、私が勧めましたので、これの3個入りを購入。写真は、柳屋奉善さんのサイトからお借りしました。

Img_1909c_20211016181701 Img_1923c  松阪駅を15時17分に発車する名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、16時22分着。1時間5分も乗ってきました。1時間以上乗車すると、さすがに電車に乗ったという気がします。運賃は、¥960。この日の歩数は、19,479歩。現地で歩いたのは8.0㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2㎞。合計10.2㎞を歩いてきました。

Img_1937c_20211016190001  夕食には、モー太郎弁当を美味しくいただきました(微笑)。余談ですが、このモー太郎弁当は、メロディー弁当。どういうことかというと、蓋を開けると、「ふるさと」のメロディーが流れるのです。明るさのセンサーがついていると思います。

2021年10月24日 (日)

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その3)……旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地へ

 Rokken4  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その3です。その2では、市場庄の古い町並みの先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所、さらに薬師寺まできました。その3では、いよいよ松阪の市街地に入り、旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地を見て回り、その後、松阪駅北西にあるお寺を巡ってきました。

Img_1475c Img_1480c  その2で最後に立ち寄った薬師寺の先は、しばらく見るところはありません。しかし、このあたりにも古い家は残っています。左のお宅も、卯建が上がり、幕板があります。川井町3丁目の交差点を過ぎると、いよいよ松阪の市街地に入って行きます。

Img_1500c_20211024045901 Img_1505c_20211024045901  6㎞の手前で阪内川を渡ります。この川は、松坂城の外堀として位置づけられていました。左の写真で、中央に松阪市役所、松阪市民病院が少し見えています。その奥に松坂城跡。

Img_1509c_20211024045901 Img_1565c_20211024050001  大橋を渡ったところに旧小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。

Img_1516c_20211024045901  承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。

Img_1528c_20211024045901 Img_1551c_20211024050001  蔵の一つで「小津家の信仰と年中行事」という秋季企画展が開かれていました。中には、その2で訪ねた慈眼山寿永院柳福寺との関わりを示す史料もあり、興味深く見てきました。いささか余談めきますが、蔵の内部は2階づくり。2階へ上がる階段は、1段の高さがかなりのもの。前期高齢者は、よほど注意して、「ヨイショ」とかけ声をかけないと登れません。いわゆる「階段箪笥」になっているためのようでした。

Img_1534c_20211024045901 Img_1541c_20211024045901  展示品の中には、大正16年(改元されて昭和2(1927)年。大正天皇の崩御が12月25日でしたので、それ以前に作成したのでしょう)1月付けの「大日本資産家一覧鑑」がありました。もちろん、小津家や、このあと訪ねた長谷川家の資料を提示するものですが、よくよく見たら桑名の諸戸家の名前もありました。右の写真で中央あたりに「諸戸清六」「諸戸精太」のお二人のお名前。

Img_1597c_20211024050001  旧小津清左衛門家からは、いったん伊勢街道を離れ、1本西にある魚町の通りへ。松阪肉の牛銀本店の前を通過(笑)。通過しただけで、食べてはおりません。ここは、いつ通っても、人が並んでいます。

Img_1609c_20211016181701 Img_1620c_20211024050001  牛銀本店の少し先、東側に本居宣長旧宅跡があります。本居宣長は、説明するまでもありませんが、江戸中期の有名な国学者、歌人。この宅地は、宣長の曾祖父小津三郎右衛門が承応3(1654)年に本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家が小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、現在は何も残っていません。この宅跡とは溝を隔てて地続きで、裏口で通じていたそうです。宣長旧宅が移築されてからも、春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて当時の名残を今に留(とど)めている。また礎石なども復元され、傍らには宅跡碑が建つ。旧宅そのものは、明治42(1909)年、松坂城跡に移築され、現在もそこにあります。

Img_1616c_20211024050001  本居宣長旧宅跡の向かいには御目見得医で親友の小泉見庵(こいずみけんあん)宅があります。宣長は商人を継ぐ気が全くなく、母親が見庵に相談したところ、「医者にでもしたらよろしかろう」という返事があったというエピソードが伝わっています。

Img_1679c_20211016181701 Hasegawa  旧長谷川治郎兵衛家。スタートから6.2㎞、時刻は13時25分頃到着。魚町一丁目の「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅です。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめました。延宝3(1675)年、3代治郎兵衛政幸を創業の祖とし、後には江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となります。広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。右は、松阪市のサイトからお借りした配置図です。この広大な屋敷構えは、長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたもので、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができます。正面の外観は建ちの低い、つし2階建てで、卯建が上がっていますし、幕板もあります。

Img_1636c_20211024050101  内部も一通り拝見してきましたが、母屋には30以上の部屋があります。蔵は5棟。17世紀後半から20世紀初頭にかけて順次建て増しされたもので、現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るといわれます。

Img_1647c_20211024050101 Img_1644c_20211024050101  蔵の1つでは、長谷川家に伝わるさまざまなものが展示されていました。大判、小判、千両箱などなどもありましたが、右は、千両箱の模型。千両入ったのと同じ重さになっていました。千両箱はその名の通り、小判1,000両などを収納できます。用材は樫木を用い鉄帯や金具で頑丈につくられています。慶長小判は、1枚が約18gですので、箱の重さを含めると約20㎏。ヒョイとかついで、サッサと逃げるというわけにはいきません。

Img_1667c_20211024050101 Img_1659c_20211024050101  こちらは蔵の背後にある庭の池。中の島もありますが、私の個人的な興味は、あるものに集中。それは、カルガモ。20羽かそれ以上いたように思います。旧長谷川治郎兵衛家を訪ねた記事は、他にもあります(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。

Img_1686c_20211024050101  旧長谷川治郎兵衛家を楽しんだあとは、再び伊勢街道に戻り、三井家発祥の地。。三井家は、もちろんあの三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94年)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。

Img_1696c_20211024152201 Ea935f76  時刻は、14時。昼食もまだ食べていません(苦笑)。三井家発祥の地の南にある豪商ポケットパークで小休止。水分補給とおやつ(微笑)。四阿は、かつての三井家に存在した建物の2階部分の屋根をイメージした「寄棟」。四阿の前には「来遠像」が鎮座。来遠は、ライオン。三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として、三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたそうです。三越の前にいるライオンさんです(来遠像の写真は、2018年5月26日に撮影:2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。

 伊勢街道は、豪商ポケットパークのところから直進して、日野町交差点に向かうのですが、この日は、伊勢街道とJR紀勢線との間に並ぶお寺を巡ることにしました。それはその4にて。

河口堰でプチダイビング祭……九華公園のカモは早くも54羽

Img_3897c_20211024130901 Img_3917c_20211024130901  朝は冷えましたが、昨日ほど風は強くありません。そこで、長良川河口堰へ。8時10分着。東側の下流魚道は、昨日、ひらいさんが書いておられた以上にすごい状態と思われます(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。

Img_3949c  一部をズームアップして見ると、すごい数というか、過密状態。とても数えられません(苦笑)。これほど集まっているのを河口堰で見たのは初めてかも知れません。

Img_3963c  管理橋を渡って西に向かう途中、下流側でダイビングしているダイサギを発見したものの、ダイビングシーンは撮れず。しかし、そのダイサギが魚を咥えて東に向かって飛んで行くところは、バッチリ(微笑)。

Img_3997c_20211024131001 Img_4014c_20211024131001  西側の下流魚道には、ダイサギが2羽、アオサギが8羽。こちらは、東側に比べ過疎地帯と思えます。

Img_4036c_20211024131001  遠くて正体不明なのですが、カモのように見えました。西側の下流魚道のところにいました。可もらしき鳥は、これ1羽のみ。まだキンクロハジロも、ホシハジロも来ていませんでした。

Img_4139c_20211024131001 Img_4067c_20211024132001  親水広場は、伊勢大橋の架け替え工事が行われているのと、アユの孵化試験の準備が進んでいましたので、鳥はほとんどいません。

Img_4102c_20211024131001  Img_4173c_20211024131001 ここには、ハクセキレイがいたのみ。管理橋を渡って東に戻る途中、イソシギがやって来ました。西側の上流魚道のところ。

Img_4209c_20211024131001 Img_4257c_20211024131101  再び、東側の下流魚道へ。大規模にではありませんでしたが、ときどきダイビングをしていました。しかし、なかなかタイミングのよいシーンは撮れませんねぇ(苦笑)。一応ダイビングをしていたという証拠としてご覧ください。

Img_4261c_20211024131101 Img_4277c_20211024131101  ダイビングをしたあと、小魚を嘴に刺して戻ってくるところは、それなりに撮れました。この他にもときどきダイビングはするものの、出遅れたり、よそ見をしていたりでした(苦笑)。

Img_4304c_20211024131101  こちらのダイサギさんもいつのまにか、ダイビングをして魚を捕ったようで、小魚をくわえて飛んでいました。サギたちのプチダイビング祭、今シーズンは初めてでした。

Img_4529c_20211024131201  このあと、カモを見てこようと思って、九華公園へ。今日は、昨日からさらに増えて合計54羽。二の丸堀にほとんどがいたのですが、こちら吉之丸堀にも11羽のキンクロハジロたちが泳いでいました。

Img_4448c Img_4601c_20211024131201  ハシビロガモは、オスが1羽。といってもエクリプス状態で、パッと見はオスに見えません。今日、初登場は、ホシハジロのオス。1羽のみ。

Img_4443c_20211024131101  ヒドリガモは、またもやメス1羽のみに逆戻り。ということで、キンクロハジロが51羽、ハシビロガモのオス、ヒドリガモのメス、ホシハジロのオスがそれぞれ1羽。

Img_4543c_20211024131201 Img_4563c_20211024131201  九華公園にいたのは、9時40分から1時間。時間が遅いこともあって、ヒヨドリの天下(苦笑)。カワセミを撮りに来たとおっしゃる男性としゃべっていたら、カワセミが往復したものの、写真は撮れず、残念。他は、本丸跡でハクセキレイ5羽。5羽も一度にいるのは、珍しい。

Img_4388c_20211024131101 Img_4410c_20211024131101  ブロ友のひらいさんの昨日の記事で知ったトリビア(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。こちらに元ネタがあります。左の写真の案内板は、参宮通交差点の南にあります。何度も見ていたのに、私は何も気付かず。右の写真は、国道1号線と八間通の交差点の北にあります。「六・七・九と、遠くに 八、1.3km、1.2km、1.1kmで、-0.1kmずつ」というお話し。しかし、触発されてすぐ見に行く私もどうかしています(爆)。

Img_4418c_20211024131101  余計な追加。国道1号線の八間交差点を左折して、九華公園方面に向かいますと、大垣共立銀行桑名支店の前あたりにある案内板。「七、九、六」になっていますが、まぁこれは当たり前(微苦笑)。距離の差は、同じく0.1㎞ずつで、これも当たり前。

2021年10月23日 (土)

トビとカラスのバトル、カワラヒワ、モズ……桑名市博物館で「特別企画展『本多忠勝と桑名』」も見てくる

Img_3888c_20211023185701  よく晴れましたが、北西の風が強い日でした。散歩の帰り道に桑名市博物館に行ってきたのですが、出て来たら寒いこと(苦笑)。いつもよりやや遅く、7時45分から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀から桑名市博物館へ。今日から始まった「特別企画展『本多忠勝と桑名』」を見てきました。その後は、ちょっと歩き足らなかったので、京町、常磐町、老松公園、寺町と回って、6.4㎞。

Img_3546c_20211023185901  今日は、天気もよくなかなかの鳥果。まず、写真としては不出来ですが、柿安コミュニティパークで散歩友達と話していたらトビが登場。九華公園の上空を悠然と旋回しながら、南の方へ。トビは久しぶり。

Img_3576c Img_3757c_20211023185701  九華公園には8時過ぎに到着。ヒヨドリが公園内のあらゆるところにいます。写真は撮っていません(笑)。左の写真は、相撲場近くにいたカワラヒワ。カワラヒワもたくさんいます。このところ、増えたのはカワウ。右の写真は、神戸櫓跡の松の木の上。ここや、野球場の照明灯の上に、多いと10数羽がいます。また、しばしば堀に数羽で降りて来て、集団で漁をするようになっています。

Img_3586c_20211023185901 Img_3645c_20211023185901  カモは、今日は合計33羽にもなっていました。二の丸堀の東西(二の丸橋を境に東西に分けています)に分かれています。30羽はキンクロハジロ。

Img_3659c_20211023185901 Img_3789c_20211023185701  他に、今日初登場は、ヒドリガモのオス1羽と、ハシビロガモのたぶんオスが1羽。これで、ハシビロガモのメス以外は、去年と同じメンツが、種類としては揃いました。

Img_3723c_20211023191201 Img_3743c_20211023185701  公園内を3/4ほど歩いて、本丸跡の花菖蒲園のところで、散歩友達と話していたら、トビの鳴き声が聞こえてきました。探すと、カラスがトビにちょっかいをかけていました。西からやって来て、東の方へ。途中、もう1羽のカラスが参戦しようとしたようですが、飛翔能力はトビの方が上のようで、最終的にはカラスは諦めたようでした。

Img_3812c_20211023185701 Img_3832c_20211023185701  貝塚公園でもヒヨドリが賑やか。秋から冬にかけて、散歩コースでは本当にヒヨドリがたくさんいます。いても当たり前の鳥なのですが、ヒヨドリは日本と朝鮮半島にしかいないそうで、欧米のバードウォッチャーには人気の野鳥だとか。カワラヒワもいましたが、写真はモズのメス。貝塚公園の西にあるお宅の庭木に。内堀公園では、カワラヒワ。何か食べかけていたようです。

Img_3849c Img_3854c_20211023185701  このあと、桑名市博物館へ。9時半開館で、9時35分頃到着。到着して、ビックリ。入り口の前にちょっとした行列。普段はあり得ない光景です。村正の展示の時以来かと思うくらい。今日から「特別企画展『本多忠勝と桑名』」がスタート。これは見逃せませんし、途中で、展示品の入れ替えがあるということで、とにかく初日にまずは見に行こうと思って来たのです。入り口には、刀剣乱舞の「刀剣男子 桑名江」の等身大パネルが展示されています。通りがかった人の中にも、このパネルだけ写真を撮っていく方があります。

20211023tadakatsu3c  この画像は、ポスターにも、パンフレットにも使われているもの。今日・10月23日から11月28日(日)まで桑名市博物館にて行われています。今年が桑名市博物館創設50周年であり、また、本多忠勝桑名入封420周年ですので、それを記念しての特別展。開館時間は、午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館の30分前まで)。入館料は、大人(高校生以上)が500円、中学生以下は無料。毎週月曜は、休館。徳川四天王・本多忠勝、統治者の横顔、尚武の家風、真田家との絆 小松殿と真田信之、本多家と千姫の5部構成。しばらく前から、歴女とか刀剣女子という方が増えていますが、今日も女性がかなりたくさんいらっしゃいました。

20211023tadakatsu1c 20211023tadakatsu2c  こちらは、出品リスト。前半と後半とで、展示品が一部入れ替えされます。本多忠勝は、天文18(1549)年、三河国で誕生。本多家は代々松平(徳川)家に仕えていますが、忠勝も幼少より徳川家康に仕え、永禄4(1561)年、家康の大高城の兵糧入れに従軍し初陣。忠勝は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いに至るまで50数度の出陣に一度も戦傷を負わなかったといわれ、井伊直政・榊原康政・酒井忠次と共に「徳川四天王」と呼ばれました。天正18(1590)年、家康の関東移封により忠勝は、上総国大多喜に10万石をあたえられ、大名となりました。関ケ原の戦いの戦功により、慶長6(1601)年、大多喜から伊勢国桑名藩10万石に転封。個人的には、市内の立坂神社が蔵する「本多忠勝画像」や、合戦屏風に描かれた忠勝の像、忠勝が使ったという槍(銘 秋広作)などを興味深く見てきました。いつものように図録(¥1,000)を買ってきました。これを読んで、さらに勉強しましょう。

Img_3863c_20211023185701  博物館では、いつものように、1点だけ写真撮影可能なものがありました。「太刀 無銘」とありますが、村正作という伝承がある刀。説明によれば、「鎬造り・庵棟。身幅広く大切先。刃紋はのたれ。不動明王と思われる梵字と剣の彫り物があるが、研ぎ減りしているようで味がある」とあります。

 余談。博物館ではNHKテレビの取材が行われていました。ニュースに写り込むという不始末をしでかさないよう注意しながら、見てきました。夕方18時45分からの「東海地方のニュース」で取り上げられていましたので、チェック。幸い、写り込むという不始末はしでかしておりませんでした。というよりは、前期高齢者のオッサンは、絵的によろしくないので除外されたのかも知れませんが……(苦笑)。

2021年10月22日 (金)

九華公園のカモは23羽……カワセミ、モズは証拠写真

Img_3466c_20211022170801  水曜、木曜と仕事に励んでおりました。今日は、午後から、歯科受診と、定例の内科受診。つかの間の多用も一段落(苦笑)。普段、よくいえばスローペースで、有り体にいうとサボって暮らしていますから、いささか疲れます。歯科では、仮に入れてもらっている歯をいったん外すのに、いつぞやの再現フィルムで、ハンマーでガンガン。もちろん大丈夫なのですが、あれには参ります。内科は、主治医&同級生ですので、今日は世間話に終始(微笑)。

Img_3295c_20211022170801  さて、午前中は、7時半からいつものように散歩。火曜日以来。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。アピタでは、本屋に寄ったものの、欲しかった文庫本はありませんでした。既に売れてしまったようでした。

Img_3325c_20211022170801  午前中は雲が主体の空。気温も上がらず、鳥もおらず(苦笑)。わずかにいた鳥も、証拠写真ばかり。久しぶりにカワセミを見たのですが、遠くに逃げられ、こんな写真のみ。本当は、歩いていたすぐ近くにいたのですが、フェンスと植え込みで気付かず、逃げられるという不始末。

Img_3289c_20211022170801 Img_3366c_20211022170801  カモは、今日は23羽。キンクロハジロが22羽と、ヒドリガモのメスが1羽。奥平屋敷跡でも鳥を待ったものの、ヒヨドリばかり。カワラヒワが2羽やって来たものの、よく見えず。モズの鳴き声も聞こえ、探したのに、見つけられず。奥平屋敷跡には高い木が多いので、離れないと木の上が見えないのです。

Img_3421c_20211022170801  貝塚公園では、モズの証拠写真。ヒヨドリとカワラヒワしかいないので、帰ろうと思って、いったん公園の外に出たら、鳴き声が聞こえてきたのです。そんなこんなで、今日はあまり成果は上がりませんでした。

Img_3253c_20211022170801  ところで、水曜の江戸橋の授業のQ&Aを書かないといけないのですが、木曜が市役所の会議で、帰宅後は疲れてしまい、まだ半分くらい。いつもは、木曜日にはメールで送って、印刷をお願いしています。助手の先生には、月曜になる可能性が高いと伝えて、了解をもらっています。ゆっくりやれば良いのですが、こういうものは勢いに乗るということも必要。明日中には何とかしましょう。

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その2)……舟木家長屋門、柳福寺、古川水神から薬師寺へ

Rokken2  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その2です。その1では、市場庄の町並みを楽しみました。冒頭の画像は、実際に歩いたルートマップその2。近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで市場庄の古い町並みが続きます。その先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所へと進んで行きます。

Img_1139c_20211021074301 Img_1149c_20211021074301  近鉄山田線の高架をくぐるところで、スタートから2.5㎞。時刻は11時15分頃。高架の先、左側(東側)に地蔵尊。この先、松阪市久米町に入りますが、その旧久米村の北の入り口に置かれています。村境にこのようにお地蔵様などをおいて、よくないものが村に入ってこないようにしていたと思います。

Img_1156c_20211021074301 Img_1160c  その先、三叉路のところに庚申堂、行者堂、山の神2基、道標、常夜燈が並んでいます。左の写真で、向かって右が庚申堂、左が行者堂。行者堂に木札があり、「金剛童子蔵王権現不動」とあります。中央は常夜燈。右の写真で、向かって右端は「いおちかんのん」への道標。山の神が2基。

Img_1180c_20211021074301  以前来たとき(2019年10月13日 :20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認)、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップには「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっていたのですが、見当たりませんでした。今回よくよく見たら、たぶんこれがその道標。何ということか、ゴミ捨て禁止などの立て看板が3つほどくくりつけられています。これは、いけません。前回は、まさかこんなことになっているとは思いもしませんでした。これでは、気付かないはず。

Img_1202c_20211021074401 Img_1195c_20211021074401  この三叉路で伊勢街道は左折、すぐに右折。その先に久米公会所。3㎞ほどになりますし、11時40分頃でしたので、ここで小休止。敷地内には、「太田雅城翁頌徳碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。太田雅城翁、本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12(1937)年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。

Img_1206c_20211021074401 Img_1210c_20211021074401  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あります。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_1226c_20211021074401 Img_1234c_20211016181701  続いて、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。門に向かって右には、武者窓もあります。

Img_1287c_20211021074401 Img_1274c_20211021074401  舟木家のすぐ南に慈眼山寿永院柳福寺。浄土宗のお寺です。観音堂に十一面観音があります。また、あとで訪ねる松阪の豪商三井家小津家の帰依を受けていました。

Img_1313c_20211021074501 Img_1298c_20211021074501  立福寺から伊勢街道に戻って、街道が左折するところに、庚申堂と山の神2基が、道を挟んで向かい合っています。これで、近鉄山田線の松ヶ崎駅の西まで来ました。

Img_1335c_20211021192301  スタートから3.7㎞、県道756号線の高架の手前に古川水神常夜燈・遙拝所があるのですが、常夜燈が見当たりません。古い写真(たとえば、こちらのブログの平成17年7月の記事)を見ますと、向かって左の石柱(「古川水神常夜燈」とあるもの)が常夜燈でした。常夜燈は、万延2(1861)年の建立。奥には小さな祠と、そのかたわらに「古川水神遙拝所」という石碑。ただし、この「古川水神」そのものは、情報がなく、よく分かりません。敷地内には、山の神も2基あります。

Rokken3  県道756号線を越えると、実測ルートマップはその3へ。4㎞を過ぎて、百々川のところに両宮常夜燈。その向かいに「富士大権現碑」があるというのですが、これはよく分かりませんでした。JR紀勢本線を渡ると、薬師寺。

Img_1364c_20211021193801  両宮常夜燈の手前に鍛冶屋さんがあります。「かじ栄 山田鉄工所」という看板がかかっています。ここでも農機具などをつくっていらっしゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はほとんど見なくなりました。

Img_1371c_20211021194001 Img_1375c_20211021194001  百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。この常夜燈には、電線が引き込まれていますので、電気で今でも点灯するのかも知れません。この常夜燈の向かい側、百々川の手前を右に入ったところに「富士大権現碑」があるのですが、場所を勘違いして、見てきませんでした。百々川を渡ったところにある小公園にあるものと思い込んでいたのです。不覚をとりました。

Img_1389c_20211021194001 Img_1392c_20211021194001  ちなみにその小公園には、気になるものがありました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もしました。

Img_1411c_20211021194601  利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。かなり傷んでしまっていて、仁王像は近くでは見られませんでした。もともとのものは「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。

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 本堂は修理中でした。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。

Img_1447c_20211021194701  本堂の前には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。

Img_1329c_20211016181701 Img_1321c_20211016181701  キリが良いので、その2はここまでとしますが、余談を一つ。これもまた「歴史散歩」かも知れません(微笑)。古川水神常夜燈・遙拝所の手前(北)で、TE27レビン。カローラレビンの初代モデルが止められていました。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。

 その3では、いよいよ松阪の市街地に入ります。旧小津清左衛門家、旧長谷川治郎兵衛家など、松阪の豪商の旧宅めぐりからとなります。

2021年10月21日 (木)

仕事のついでにシティホールを探索

Dscn4646c Dscn4644c  今日は、予定通り、市役所の仕事に行ってきました。行き先は、NTNシティホール(旧市民会館)。当所は市役所の会議室で行われることになっていたのですが、たぶん総選挙が公示されたため使えなくなったのではないかと思います。シティホールは、大ホールと1階、2階の会議室に何度か行ったことがあるくらい。ここには薄墨桜2世がありますし、散歩でもこのあたりはときどき通っています。

Dscn4648c  会議は9時から始まり、14時半前で終了。「予定より少し早くおわれます」ということでしたが、思っていたよりも早く終了しました。いつものように、詳細は書けませんが、熱心な議論が展開されました。世の中、いろいろとあるものだと思います。

Dscn4652c  昼の休憩時間に以前から、ここシティホールで気になっていたところを確認してきました(微笑)。エントランスのあるところが、左の写真のように円柱状になっていて、その上がバルコニーらしいのです。このバルコニーと覚しきところが、どんなところか、一度見てみたいと思っていました。

Dsc_6263cDsc_6259c  昼食を済ませてから、休憩時間に行ってみました。左の写真は建物からバルコニーに出たところで、東を向いて撮ったもの。けっこうよい眺めでした。右の写真は、バルコニーの端まで行って、同じく東を撮ったもの。目の前には、ファミマがありますし、右手奥には、新築児童公園が見えます。この辺は、散歩でときどき歩いています。「ヘェ~、こんな風に見えるんだ」と感心しきり(笑)。

Dsc_6265c  バルコニーの端から振り返って、建物の方を見ると、こんな感じ。植え込みもあって、広々としていて、気持ちの良い、私好みの空間です。御嶽山も見えていました。

1634785996022c Dscn4642c  余談。今日の昼の弁当(微笑)。ヒレカツ弁当をチョイス。お茶とインスタント味噌汁がついて、¥500。もう一つ。右の写真は、我が家の玄関前から見た木曽御岳山。頂上附近が白くなっているように見えます。御岳ロープウィのサイトによれば、昨日、初冠雪だったそうです。

東海地区K-ABC研究会オンライン研修会のご案内……【重要】不具合の連絡がありました。申し込まれた方はご確認ください

 東海地区K-ABC研究会では、下記のように研修会を予定しています。ご関心がおありの方は、東海地区K-ABC研究会のサイトをご確認の上、東海地区K-ABC研究会のサイトにあります「研究会のご案内・参加お申込」から直接、参加を申し込んでください。今回の研修会では、日本K-ABCアセスメント学会の会員専用ページからしかアクセスできない「オンラインレクチャー動画」を事務局でホストをし、ライブストリーミング配信を行います。

            記

  1. 配信日時:11月21日(日) 13時~ オンライン入室開始、13時30分~ 研修会開始 動画実配信時間は約75分。全体で1時間30分程度のプログラムを予定
  2. 内容:筑波大学教授・熊谷恵子先生による『算数障害の理解と指導』
  3. 配信方式:Zoom
  4. 参加費:無料
  5. 定員:100人(定員になり次第〆切、申込サイトは自動で閉鎖されます)
  6. 申込先:東海地区K-ABC研究会HP(https://toukaikabc.jimdofree.com/)よりお申込下さい。詳細はHPでご確認下さい。
  7. 申込〆切:2021年11月17日(水)
  8. その他:セキュリティの関係上、参加者様全員のご氏名、ご所属を確認します。当研究会HPで作成した申込専用サイトからの申込となりますので、ご協力ください。

【重要なお知らせ】(10/22付記)

 事務局の手違いにより、10月21日10時15分までにお申し込み頂いた方のデータが消失してしまいました。10月21日(木)午前10時15分までに申し込まれた方には、再度お申し込みをお願いします。

2021年10月20日 (水)

20211020満月

Img_3221c_20211020204501  今日・10月20日の満月です。今年は、仲秋の名月が見られませんでしたので(2021年9月21日:カワセミ嬢とメスのモズ……オマケは、昨日のほぼ満月の写真(笑))、その代わり(微苦笑))。10月の満月は、「ハンターズムーン」というのだそうです。ただし、ハンターズムーンには、「何月になるか決まっていない」という特徴があるそうです。この特徴を持つのは、ハーベストムーンとハンターズムーンの2つだけ。ハーベストムーンは「秋分の日に最も近い満月」というルールがあるため、年によって9月だったり10月だったりするのだそうです。さらに、ハンターズムーンは「ハーベストムーンの次の満月」というルールなため、ハーベストムーンの都合次第で10月だったり11月だったりするといいます。それゆえ、例えばハーベストムーンが10月になった時には11月の満月をハンターズムーンと呼んでもいいことになりますが、11月の満月にはビーバームーンという名前が定着しているのが現状とか。

Img_3233c_20211020204501  このようにいろいろと事情はあるそうですが、今年の今日の満月は、ハンターズムーン。アメリカの先住民が季節を把握するために、各月に見られる満月に名前をつけていたのに由来します。10月は、狩猟を始める頃にちなんで、この時期に見える満月をハンターズムーン(狩猟月)と呼んでいたそうです。

志登茂川にヒドリガモ、カルガモ、ダイサギなど……今日も強風の中、寄り道

Dsc_6254c  気温は、19.6℃と上がったものの、北西の風が強く、最大で8m/sを越えました。寒い日が続きます。今日は、江戸橋での仕事、後期3回目でした。なぜか出席者が41名と少なくなっていました。これまでの3回でもっとも多かったのは、47名。まさか、強風や寒さに負けたとか? 昨日が履修申告の確認期間の最終日でしたから、来週には確定した履修者名簿が届くはず。

Dscn4615c  授業が終わったところで、助手の先生から、「今日も、立ち寄って行かれますか?」と聞かれました(微笑)。行動パターンを熟知していらっしゃいます。強風でしたので、ちょっと迷ったものの、覗いてきました。志登茂川です。江戸橋駅まで戻る途中、おぼろタオルの向上の脇をちょっと入ると、志登茂川が見えます。ちょうど干潮が過ぎたくらいの頃合いでした。

Dscn4617c Dscn4619c  上流側でまず目に入ったのは、ダイサギ1羽。コンデジ(Nikon coolpix s7000)と単眼鏡を持っていたのですが、遠くにカモがいたものの、カルガモしか判別できず。パソコンで見たら、カルガモの中にヒドリガモらしきカモが数羽混じっていました(右の写真)。

Dscn4623c  さらに上流側の遠くにもカルガモなどがいるようでしたが、詳しくは分からず。超望遠コンデジや双眼鏡を持って行ければよいのですが、そうすると、いったい何をしにいっているのか分からなくなりますし、荷物が多すぎます(苦笑)。あくまでも仕事帰りの道草としての楽しみですから、ホドホドにしておきましょう。下流側には、アオサギが1羽飛来したものの、遠くて、コンデジではうまく撮れませんでした。

Dsc_6257c  帰宅後は、まず昼食。その後、一息入れて出欠確認。さらに、明日は終日、市役所の仕事ですから、本来ならば、補足説明に手を付けなくてはいけないのですが、何となく疲れてしまい、ついついダラダラと過ごしています(苦笑)。寄る年波のせいか、1コマの授業でも以前より疲れるようになった気がします。

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その1)……JR紀勢線・六軒駅を降りて、市場庄の古い町並みへ

211016isemairiall  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」も10月16日に行ってきた「松阪・小津~松阪駅」で第12回となりました。今年の4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし(20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、6ヶ月かかって松阪駅までやって来ました。冒頭の画像は、コースの全体像。東海道と伊勢街道(参宮街道)のみを通って、桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで辿ったもの。全行程で約94㎞。七里の渡し跡から松阪駅西の日野町交差点までが68.7㎞ありますから残りは25.3㎞。いよいよ内宮に近づいた気がしてきます。

Rokken0_20211019025901  さて、この日歩いたコースは、こちらです。前回のゴールであったJR紀勢線・六軒駅をスタートし、南へ。三渡川(みわたりがわ)を越えて六軒追分。ここは初瀬街道との追分。市場庄の古い町並みを抜けて、松ヶ崎駅近くの舟木家長屋門と柳福寺に立ち寄り、さらに薬師寺。川井町を過ぎるといよいよ松阪市街地に入ります。旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家と名家を廻り、松阪駅の西にある岡寺山継承寺などのお寺を巡って、松阪駅にゴール。歩いたのは、8㎞でした。天気予報では、曇りでしたが、実際には晴れて、暑いくらいでした。

Img_0782c_20211016181701 Img_0775c_20211019035501  いつものように、桑名駅を8時42分に出る近鉄の五十鈴川行き急行に乗車。津駅に9時24分着。JR紀勢線に乗り換えます。前回と同じく9時42分の鳥羽行き普通に乗って、JR六軒駅には、10時ちょうどに到着。近鉄が¥700、JRが¥240。JR六軒駅を10時5分にスタート。余談ですが、JR紀勢線の普通列車は、基本的にワンマン運転。運転台の後部に料金表と料金箱とがあります。列車を降りるのも、1両目の最前部の扉から。乗るのは、1両目の最後部の扉からで、整理券をとります。六軒駅は、参宮鉄道の駅として、明治27(1894年)1月に開業しています。参宮鉄道そのものは、明治26(1893)年12月31日に津~相可(現・多気)~宮川間が開通していますが、六軒駅は建設中でした。

Rokken1 Img_0789c_20211019035901  実際に歩いたルートマップのその1。六軒駅の東からが伊勢街道。三渡橋で三渡川を渡ります。渡ったところが初瀬街道との追分で、道標と常夜燈があります。ここから近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで、2㎞弱にわたって市場庄の古い町並みが続きます。途中2㎞の手前に神楽寺、市場公会所、道十という屋号の江戸時代は茶道具商だった店、そこから少し東に忘井があります。

Img_0802c_20211019040001 Img_0815c_20211019040001  三渡橋。一昨年、近鉄ハイキングで来たときは、橋の架け替え工事中でした(2019年10月1日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ)。左の写真は、下流方向(伊勢湾の方角)。右は橋を渡ったところの西側。

Img_0797c_20211019040001 Img_0806c_20211019040001  最初から余談続きで恐縮ですが、三渡橋でバードウォッチング(微笑)。渡り鳥のヒドリガモのペア1組、アオサギの他、カルガモなどがいました。ときどきブログに書いていますが、バードウォッチングは、いつでもどこでも楽しめます。一緒に歩いている同級生K氏も、最近、私の悪影響をモロに受けて、「オイ、あれはアオサギだな」などというようになりました(微苦笑)。三渡川の名は、中世に渡しが3ヶ所あったことに因みます。

 

Img_0818c_20211019040801 三渡川を渡ったところが、初瀬街道(はせかいどう)との追分。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています(左の写真で、奥の方に続く道が初瀬街道)。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。

Img_0822c Img_0835c  道標には、「い加ごへ追分 六けん茶や/右いせみち六軒茶屋/やまとめぐり加うや道/大和七在所順道」と刻まれています。「い加ごへ追分」のところ、「加」の漢字に濁点がついているという珍しい文字でした。この道標、橋の架け替え工事中は、撤去されていて、その時には探してウロウロした記憶があります(2019年10月1日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ)。その意味では、2年越しでようやく、これを観るという目標をコンプリートできました。

Img_0839c_20211019042401  道標の東には、常夜燈が1基あります。正面に「両宮/常夜燈」、右に「秋九月造建」、左に「文政元年戊寅」とあります。文政元年は、1818年。伊勢街道には、本当にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。

Img_0934c_20211019043201 Img_0860c_20211016181701  ここから市場庄町に入ります。市場庄地区の伊勢街道沿いには、全国的にも珍しいといわれる妻入り(つまいり)と連子格子(れんじこうし)の町並が残り、当時の風情を漂わせています。左の写真は、道十の手前(北)にある合羽屋という屋号のお宅。軒には、雨除け・日除けのための幕板(大垂)もあり、屋号も掲げられています。「ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道(五街道ウォーク・八木牧夫著、山と渓谷社)」に詳しい紹介があります。また、こちらのサイトにも案内マップ。

Img_0916c_20211019044101 Img_0931c_20211019044201  丸ポストも残る伊勢街道を歩いて行きます。途中、「米銀よねぎん)跡」と書かれた蔵らしい建物。外壁がトタン板張りになっていますが、かなり古そうです。トタンで覆ってあるのはちょっと残念な気もしますが、そのさびたトタンにも味がある感じ。「味噌・醤油の米本銀蔵倉庫」の跡です。蔵の前にコンクリート製の用水桶が3つ。また、入り口の庇のデザインもいい感じ。

Img_0962c_20211016181701 Img_0971c  スタートから1.6㎞ほどのところに道十(どうじゅう)という屋号のお宅。このお宅は、妻入り、幕板、連子格子の典型的な建物で、神楽寺の西の三叉路に面しています。江戸時代には、「道十(どうじゅう」という茶道具商でした。道十の向かいにある蔵のところに道標があります。この道標は、米の庄神社への分岐点であり、「忘井之道」とまれています。宝暦元(1751)年に建てられたもの。「忘井」はこの道標から100mほど東にあります。斎王に関わる旧蹟ですから、これも見逃せません。

Img_0980c_20211016181701 Img_0985c_20211019044901  こちらが「忘井(わすれい)」。「忘井」とは、「忘れて捨てられた井戸」という意味なのですが、ここは、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集)。官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトをご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。右の写真で、忘井に向かって右にある石碑には、官女甲斐の和歌が刻まれているように思うのですが、はっきりとは読めませんでした(こちらの記述からすると、たぶん間違いないように思います)。

Img_0994c_20211019045301  忘井の奥には、山の神などがあるのですが、これについては、説明板にも言及はなく、詳細は不明。

Img_1068c_20211019170301 伊勢街道近くまで戻って、 護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)。曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。市場庄公会所の東にあります(というよりも、市場庄公会所が、神楽寺の境内を利用して建てられたとされます)。神楽寺は、古くは旧米ノ庄村の熊野権現社の別当寺として権現坊護国院と称しており、その頃は熊野権現社の祭礼に際し、祭供を司り舞楽を演奏する道場であったといわれています。

Img_1016c_20211019170301  慶長16(1611)年3月、越中新川郡布目村(現富山県富山市)大安寺の5世聖山巌祝が曹洞宗に改め、寺号を神楽寺と改称して開山しました。本堂・山門ともに江戸時代中期の建立とされます。山門(左上の写真)は黄檗宗の山門に似ており、切妻造りの中央部分の屋根を切り上げてつくられています。宝暦7(1757)年の銘がある瓦も残されているそうで、本堂・山門の建立時期もそれ以前と考えられています。

Img_1024c_20211019170301  境内には、村の入り口にあったという青面金剛(ショウメンコンゴウ)像と、庚申塔があります。青面金剛は、帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂(「臂」は腕。六臂は、腕が六本ということ)、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとります。病魔を退散させる威力があり、俗に庚申会(こうしんえ)の本尊で、猿の形相をしているもの。この御堂には、文字庚申も入っています。ちなみに、「庚申」は、もとは道教の守庚申より出た庚申(かのえさる) の年または日の禁忌行事を伴う信仰。庚申の夜には、人の体内にいる三尸(さんし) の虫が、その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ、これを防ぐため道士たちは不眠の行を行いました。これが守庚申で、日本の民間信仰では庚申待、庚申講として伝えられています。

Img_1075c_20211019170301  神楽寺の山門の南には、見事な藤棚があります。

Img_1046c_20211019170301  いささか余談ですが、第11回の歩いて伊勢参りツアーで、円福寺の立派な蘇鉄を見て以来、お寺に行くと蘇鉄が気になるようになりました(2021年10月15日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ)。ここ神楽寺の本堂の前にも立派な蘇鉄がありました。

Img_1061c_20211019170301 Img_1065c_20211019170301  もう一つの余談。「敷居が高い」ということばがあります。「不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい」というのが本来の意味ですが、最近では、「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」と理解している人の方が多くなったそうです。現在、私たちが「敷居」といっているのは、「襖や障子などの建具を立て込むために開口部の下部に取り付ける、溝やレールがついた水平材」ですが、本来「敷居」とは、門の内外を分けるために敷く横木のことです。長々と屁理屈を書いていますが、この神楽寺の山門のところで見つけた、これが、敷居を填めていたところではないかという話になったのです。寺の山門にはこの敷居があるところがありますが、ここのものは、取り外せるようになっていたのだろうと、二人であれこれ思案(微笑)。

Img_1083c_20211019170301  市場庄公会所。大正7(1918)年に建てられ、昭和30(1955)年まで米ノ庄村役場として利用されていました。外壁が下見板張りの寄棟造桟瓦葺平屋建で、正面中央に切妻造起り屋根(むくりやね)の玄関が組み合わされています。建物の門前には、石製の門柱が立てられており、いかにも役場という雰囲気を感じさせます。現在は、公会所として利用されています。

Img_1088c_20211019170301  市場庄公会所の前には、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱があります。これを建てたのは、「帝国在郷軍人會 米ノ庄村分會第二斑」でした(石柱の正面、下に刻まれています)。日付などは読めませんでしたが、現在の上皇陛下がお生まれになったときに、記念植樹をしたのでしょう。石柱の周囲にある木がそれではないかと思います。

Img_1109c_20211019175901 Img_1123c_20211019175901  市場庄公会所の先の伊勢街道。蔵が残っているお宅もたくさんあります。右の蔵のあるお宅で、ちょうどこの家の方が出てこられ、蔵などについていろいろと伺うことができました。維持していくのはかなり大変だそうです。お子さんたちは、結婚を機に独立することも多いそうですが、中には、広い敷地を活かして、離れを建てて同居する方もあるそうです。

 その1はここまで。その2では、近鉄山田線の高架をくぐった先から。市場庄のまち並みの案内や、地蔵尊があります。

2021年10月19日 (火)

ジョウビタキのオスがやって来ました

Img_3191c  午前中、9時頃から昼くらいまではよく晴れていましたが、午後からは雲が広がり、15時半過ぎには、短い時間小雨が降りました。いつも通り、7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南寺町、老松公園、寺町と5.6㎞。もっと歩いた気もするのですが、散歩友達その他とたくさん出会って(10名!)、しゃべっていたからかも(苦笑)。こんなによくしゃべる性格だったか? とときどき思うのです。

Img_2736c_20211019154101 Img_2936c  これはという写真は撮れなかったのですが、今日は、ジョウビタキのオスがやって来ました。柿安コミュニティパークと(左の写真)、九華公園の奥平屋敷跡(右の写真)にて。同じ個体かも知れません。寒くなって(昨日は11月並だったそうです)、冬の鳥がたくさんやって来るかも知れません。

Img_2650c  さて、桑名七里の渡し公園では、雨が降ったのでせせらぎに水がたまり、カワラヒワやハシボソガラスが水浴びに来ていました。水浴びシーンは、残念ながらうまく撮れず。

Img_3023c_20211019154101  九華公園の奥平屋敷跡では、今日はたくさんの鳥がやって来ました。モズのオスは、ここでもっとも高い松の木のてっぺんに2回にわたってやって来ました。目立つところなのですが、奥平屋敷跡にいると、「灯台下暗し」で、うまく見えるところが限られます。それ故、ウロウロ(苦笑)。

Img_2812c_20211019154101 Img_2892c_20211019154101  コゲラも2羽。しばらく奥平屋敷跡を移動していましたが、写真はなかなか撮らせてくれません。シジュウカラも数羽。コゲラと伴に移動していました。こちらも難敵。

Img_2973c_20211019154101 Img_3002c_20211019154101  今日はカワラヒワはすくなく、2羽ほどしか来ず。ハクセキレイもやってきました。この他、メジロもたくさんいたのですが、これまたあいにく、写真はイマイチを量産(苦笑)。ハシボソガラス、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリもいます。

Img_2862c_20211019154101  そして、こちら。さて、誰でしょう? ムシクイの仲間のように思うのですが、明るいところには出てこず、また、鳴きもせずで?? 

Img_3129c_20211019154101 Img_3124c_20211019154101  九華公園のカモ、今日は合計7羽。キンクロハジロのオス、メスがそれぞれ3羽と、ヒドリガモのメスが1羽。左は、二の丸堀に集まっていたキンクロハジロのオス2羽とメス3羽。右は、ヒドリガモのメス。吉之丸堀を泳いでいました。

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Img_3148c_20211019154101  いやぁ、良いですねぇ。堀にカモが浮かぶ光景。しかもまだ寒くはありませんから、のんびりというか、ほのぼのとした光景で、こちらの気持ちもゆったりしてきます。

Img_3167c  貝塚公園では、ヒヨドリ、メジロ、河原鶸の声が聞こえていましたが、撮れたのはカワラヒワのみ。内堀公園、老松公園では、ヒヨドリ、カワラヒワなど。

Img_3098c  オマケ。九華公園のヌートリア。久しぶりに見ました。神出鬼没で、いつどこに現れるか、予測がつきません。前管理人Oさんも「是非見てみたい」とおっしゃっているのですが、まだ遭遇できていないそうです。

Img_3176c_20211019162801  明日は江戸橋での仕事。天気予報は晴れ。しかし気温は上がらない模様。木曜は市役所の仕事と、珍しく多用(微苦笑)。2日続けて散歩&鳥見に行けないのは、カモも、ジョウビタキも来ているのに、ちょっと残念。

2021年10月18日 (月)

九華公園のカモは6羽

Img_2159c_20211018190001  今日の最高気温は、17.5℃で寒い(苦笑)。一気に冬のような感じで、年寄りにはキツい。散歩に出るときは長袖にベストを着たのですが、途中で、ウィンドブレーカーに着替えたくらい。いつものように7時半過ぎに歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、寿町、参宮町、蓮見町と6.6㎞。

Img_2573c_20211018185901 Img_2555c  九華公園、カモが来ていますが、散歩友達に聞いたら、土曜日(10月16日)から来ていたようです。今日は、ヒドリガモのメス1羽(右の写真)と、キンクロハジロのオスが1羽、メスが4羽(うち1羽は、スズガモかも知れません)。

Img_2565c_20211018185901 Img_2581c_20211018185901  何れも二の丸堀にいます。キンクロのメスは、一時、どこかに飛び去ったものの、また戻って来ました。ちなみに、土曜日には、ヒドリガモのオスもいたそうです(複数の散歩友達の情報で、間違いはないでしょう)。

Img_2168c_20211018190001 Img_2197c  さて、散歩の初めに戻って、拙宅マンション前の電線にカワラヒワが1羽。近くでは、ヒヨドリの鳴き声。複数でした。また、メジロの鳴き声も聞こえていました。住吉水門のところでは、ハクセキレイ3羽。この頃、よくこの3羽がいます。

Img_2220c_20211018190001  三の丸公園の電線には、モズ。証拠写真(苦笑)。まぁ、観察記録ですから、きれいに撮れたに越したことはありませんが……。

Img_2273c_20211018190001 Img_2429c_20211018185901  九華公園の奥平屋敷跡では、まずはモズ。ここに着いたら、頭上で鳴いていたので、探しました。このあと、南の方に飛んで行ったので、貝塚公園に行ったかも知れません。奥平屋敷跡では、ほかにメジロが2羽。ただ、サンゴ樹などの木の奥にいて、ピンぼけ写真しか撮れず仕舞い。カワラヒワもいましたが、数は少ない。奥平屋敷跡では、ほかにドバト、キジバト、ヒヨドリ、ムクドリ、ハシボソガラス。

Img_2548c_20211018185901 Img_2289c_20211018190001  アオサギさんは、珍しいところにいました。辰巳櫓跡近くの松の木のてっぺんです。ごくまれにここにいます。見逃しそうでした。散歩友達&鳥見友達のYさんは、土曜日にムシクイの仲間らしき鳥を見たとおっしゃるのですが、私は最近出会っていません。今日は、カワウが10数羽。最近にしては多い。6羽くらいが、堀で集団で漁を行っていました。

Img_2601c_20211018185901  貝塚公園では、モズ。九華公園で見たモズと同じかも知れません。他には、カワラヒワ、キジバト、ヒヨドリなど。四阿でしばらく鳥の出待ちをしたのですが、何も来ず。カワラヒワやヒヨドリの鳴き声が聞こえたくらい。

Img_2623c_20211018185901  アピタ桑名店では新光堂書店へ。昨日、三洋堂書店で買い忘れた文庫本1冊をゲット。この頃、このように「忘れた!」「間違えた!」ということがときどきあります(苦笑)。若い頃にはほとんど考えられなかった事態で、ジジイになったなぁと思っています(まだまだボケていないと、自分では思っています)。余談ですが、江戸橋での授業のレジメ、今週印刷してもらって配布するものも間違えて、先週配ったものを再び送ってしまっていました。助手の先生からは、「先生のうっかりを発見できるなんて、嬉しい」などといってもらえましたが、お恥ずかしい次第。

Img_2205c_20211018190001  ところで、10月16日(土)に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」。超予告編にも書きましたが、写真を1,100枚以上撮って来て、その処理に時間を要していました。1,100枚も撮ったというのは、基本的に連写していて、同じところで同じ写真を3~4枚は撮るからというのが理由の1つ。もう1つの理由は、デジタル写真ですから、不要なものは消せばよいと思って、とにかく写真を撮ってきてしまうから。ようやく、今日の夕方になって処理終了しました。超予告編を予告編に書き直してから本編を書くか、このまま本編に突入するか思案中。

Img_2177c_20211018190001  今週は、水曜日が江戸橋の仕事(レジメ原稿は、正しいものを送り直しました……苦笑)、木曜は市役所の仕事(終日とはならない見込み)、金曜は歯科受診と、私にしては予定が立て込んでいます。土曜日夕方は、マンション管理組合で、エレベーターリニューアルの説明会。今時なら、リモートでやっても良いような気がしますが、集会室にて。

2021年10月17日 (日)

九華公園にカモ飛来……キンクロハジロのオスとヒドリガモのメス

Img_2155c_20211017121701  昼頃からは晴れてきましたが、朝のうちは曇り。散歩途中、九華公園では小雨に見舞われました。家事を済ませ、家内からの指示で赤福がネット限定販売をしている「白餅黒餅」をゲットして、8時15分から散歩。今日は、散歩の後で三洋堂書店に行こうと思って、住吉神社、九華公園、京町、寺町と回って4.8㎞。

Img_2133c_20211017121701 Shirokuromain  天気は今ひとつでしたが、九華公園に行ってよかったと思いました。奥平屋敷跡で1時間近く、散歩友達のWさん、前管理人のOさんと話していたのですが、話し終わって歩き始めたら、二の丸堀にカモが来ているのを発見! 待ちに待ったという感じでしたから、小躍りしてしまいました(苦笑)。

Img_2064c_20211017121701 Img_2081c  キンクロハジロのオスと、ヒドリガモのメス。奥平屋敷跡に着いたとき、二の丸堀もチェックしたのですが、その時は姿は見えませんでしたから、今日の9時前後にここに到着したものと思われます。最初は、別々に離れていたのですが、そのうち、2羽で行動を共にしていました。いよいよ九華公園にもカモの季節がやって来ました(微笑)。

Img_2018c_20211017121701 Img_2030c_20211017121701  しかしながら、その他は、サッパリ(苦笑)。奥平屋敷跡では、ハクセキレイさんが2羽。その他は、ヒヨドリがそれなりにいたのと、ドバトが少数。もうムシクイの仲間や、コサメビタキは見られません。

Img_1995c  ドバトは、九華すずめ食堂に乗って、横着なことをしています。Oさん以外の方が、この本店にも朝日丸跡の支店にもパン屑をおくようになって、ドバトに占領されてしまっています。スズメより遙かに大きいので、そのうち餌台も壊れるのではないかと危惧しています。

Img_2124c_20211017121701  アーちゃん、今日は、野球場の南の堀にある石の上。

Img_1884c_20211017122901  このあといったん戻って、クルマで三洋堂へ。いつも買っているバーダーという雑誌を買いに行ったものの、売っておらずガッカリ。売れてしまったのか、売れないから取り扱いを止めたのか? やむを得ません、アマゾンかどこかで買うことにします。ほかに文庫本3冊と、フィールドノート1冊を購入。写真は、昨日、松阪駅前で撮った松阪牛のモニュメント。ハロウィーン仕様で、マスクを着用していました。

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その3)……道標、常夜燈などを見ながらブラブラ歩いてJR六軒駅にゴールにて「完」

Takachaya4  10月9日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その3です。その2では、松浦武四郎誕生地などを見て、奈良街道と交わる月本追分まで来ました。このあたりの伊勢街道は、JR紀勢線と国道23号線の間を進んでいます。月本追分の先には、道標、常夜燈、山の神が点在しています。

Img_8741c Img_8748c_20211016045501  スタートから6.6㎞、三叉路の手前に道標が1基、建っています。かなり小ぶりですが、「右からす道」と彫られています。左面には「一志驛跡」とありますが、これは後に加えられたもの。「一志驛」は、古代律令制の「駅制」で設けられた駅(30里(約16㎞)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供)。実は、この少し東には、「常夜燈(天保3(1832)年建立)」と、「勅使塚(「吾妻鏡」の中に源氏追討祈願のため伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が、一志驛で急逝したことが記されており、それを元に大正8(1919)年に碑が建てられたもの)」があるのです。しかし、こちらは見に行っていません。いずれにしても、「勅使塚」の説明にあるように、一志驛は律令制の駅で間違いなさそう。

Img_8768c  その先でY字になった三叉路があり、民家のところに道標、燈籠などが並んでいます。どこかよそにあったものをここに集めて並べたような印象があります。これは、みえの歴史街道の伊勢街道のマップには載っていません。向かって右は常夜燈と思います。「太一」と刻まれています。伊勢神宮では、天照大神を「太一」とする解釈がなされることがあり、実際、遷宮の際行われる御木曳の奉曳車には「太一」と記されています。これはおそらく神宮のことを意味しています。中央の道標には、正面に「左さんぐう道」、右に「津みち」とあります。その向かって左にあるものは、山の神と思われます。左端のものは、形を見ると、橋の親柱かという気がします。穴のあいている部分には高欄が通っていたように思います。「山神松」という文字が見えますが、さらに下に文字が隠れている気がします。

Img_8778c_20211016063101 Img_8783c_20211016063201  中道公会所のところには、道標、金毘羅大権現、山の神2基などがあります。伊勢街道は、右の道。石柱が1基と、道標が2基立っています。伊勢街道のマップには、常夜燈もあると書かれていたのですが、それは見当たりません(リンク先のマップは、平成23(2011)年2月現在のもの)。石柱の表には「天白村中道青年團」、裏には「昭和十二年十月建之」とありました。「天白村」は、このあたりにかつてあった村。中道もここの付近の地名ですから、地元青年団が建てたもの。

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Img_8792c  中央にある道標。「右さんぐう道」とあります。この道標、中央に穴があいているという珍しいタイプ。もう一本、向かって右にある道標には、「右からす道」と刻まれていますが、ちょっと不鮮明になっています。「天白村中道青年團」の石柱の東に金毘羅大権現と、山の神が2基あります。由来などは、説明板もなく、不明。

Img_8795c  中道公会所のすぐ先、民家のブロック塀の角に埋まるようにして、もう1基、道標があります。「左からす道」とあります。「からす」は何度も出て来ますが、「香良洲」。平成18(2006)年旧・津市など10市町村で合併するまでは、一志郡香良洲町でした。雲出川古川、雲出川、伊勢湾に挟まれた小さな町。郊外通勤農村といわれます。伊勢神宮の御薗で、塩を奉納していたところ。香良洲神社の参詣者で賑わいましたので、あちこちに道標があると思われます。香良洲神社の御祭神は、天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」とされました。

Takachaya5  詳しいルートマップも、いよいよ最後、その5になります。中道公会所の先には、その昔的屋などがあったところ。国道23号線南濃バイパスをくぐったところに小津一里塚跡。小津公会所の先に道標と常夜燈があり、今回の伊勢街道歩きはここまで。右折して、この日のゴールに設定したJR紀勢線・六軒駅に向かいます。

Img_8802c_20211016064201  国道23号線南勢バイパスをくぐる手前のあたりの様子。この附近は、街道沿いにからくり的、射的、文楽などがあり、土産も売られていたといいます。国道23号線は、このあたりで中勢バイパスから南勢バイパスへと変わります。中勢バイパスは、鈴鹿市 北玉垣町交差点からここ松阪市小津町交差点まで(鈴鹿市内の一部が未開通)。中勢バイパスは、家内の実家に行くときに利用しています。

Img_8808c_20211009192701 Img_8812c_20211009192701  小津一里塚跡は、本当に小さいので、見逃しそうです。国道23号線の高架を潜って200mも行かないところに「小津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、気付かずに通り過ぎそうです。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。

Img_8819c_20211009192701 Img_8835c_20211009192701  今日のゴールに予定していた六軒駅の東、スタートからは7.7㎞のところに道標と常夜燈。常夜燈は、明治45(1912)年建立。入母屋型竿長。明治の終わり頃、参宮鉄道が開通しても、白装束の参宮客は六軒駅で降り、ここを曲がって伊勢まで歩いて行ったといいます。道標はかなり読みにくくなっていますが、「右松阪及山田○○」「左津及香良洲○○」とあります。下部が埋まってしまっていて、文字は一部不明。大正3(1914)年の建立。この日の伊勢街道歩きは、ここまで。右は、この常夜燈・道標のところから、歩いてきた道を振り返った写真。道中、ずっと晴天。「日に焼けると疲れる」とか、「それは陽に当たると疲れるのだ」とかいいながら歩いてきました。

Img_8843c_20211009192701Img_8860c_20211016064901  ゴールのJR紀勢線・六軒駅。スタートからは8㎞、時刻は、13時40分。いってはいけませんが、いかにも田舎の駅。味というか、風情があります。建物があるだけで、切符の販売機も、飲料の自販機もありません。

Img_8857c_20211016064901 Img_8872c_20211009192701  JR紀勢本線とはいうものの、普通電車しか止まりません。津方面の亀山行き普通は14時ちょうど。1時間に1本が基本ですので、すぐに電車がなければ、近くの近鉄山田線伊勢中原駅に回ろうかと思っていたのですが、14時の電車に乗ることにします。スタートした高茶屋駅からはたったの1駅。下っていくと、次の駅は松阪駅。いよいよ遠くまでやって来た気がします。

Img_8878c_20211009192701  こちらの写真は、跨線橋から津方面を見た写真。気持ちの良い景色が広がっています。

Img_8893c_20211009192701Dsc_6246c_20220427070101  津駅には14時18分に到着。¥240。3回連続になりますが(笑)、津駅の駅ビル・チャムで昼食。今回は、豚そば・ぎんやでつけ麺。¥850。つけだれはちょっと辛かったものの、美味しく食べられました。

Img_8897c_20211009204101 Img_8909c_20211009192701  昼食を済ませ、津からは近鉄。15時16分発名古屋行き急行で、桑名には16時4分着。今日の歩数は、19,444歩。現地で8㎞、自宅~桑名駅往復が2.2㎞で、計10.2㎞。天気もよかったので、いささか日に焼け、ちょっと疲れたかなと思っています。

Img_8887c_20211016065601 Img_8889c_20211016065601  出発前に桑名駅の切符売り場で、同級生K氏がしみじみと路線図を眺めていました。「毎回歩く距離は知れているが、回数を重ねるとずいぶん遠くまで来たんだな」と。その通りです。次回は、いよいよ松阪駅まで。全行程の2/3を越えたはず。年内に伊勢神宮・内宮まで達するでしょうか?

2021年10月16日 (土)

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】

Rokken0_20211019025901  前回の伊勢参りツアー(2021年10月 9日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編))の記事が終了していないにもかかわらず、今日は、その第12回で「松阪・小津~松阪駅」に行ってしまいました(苦笑)。近場を歩いている間は、半日仕事でしたが、さすがに津以遠まで行って帰ってくるとなると、1日かかります。松阪から桑名まで近鉄急行で戻ってくると1時間以上かかり、帰宅したのが16時半過ぎ。また、今日は、写真を何と1,100枚以上も撮って来てしまい、とても整理がついていません。それ故、今日は、「超」がつく予告編。冒頭の画像は、実際に歩いた今日のコースの全体像。

Img_0782c_20211016181701  いつものように、桑名駅を8時42分に出る近鉄の五十鈴川行き急行に乗車。津駅に9時24分着。JR紀勢線に乗り換えます。前回と同じく9時42分の鳥羽行き普通に乗って、JR六軒駅には、10時ちょうどに到着。近鉄が¥700、JRが¥240。JR六軒駅を10時5分にスタート。

Img_0860c_20211016181701  三度川を渡ったところが、初瀬街道(はせかいどう)との追分。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ・松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。実際にこのように歩くことで、今まで学んだり、見てきたりした歴史が実際につながっていく気がします。写真は、追分を通り過ぎたところで撮っています。左端に道標が小さく見えます。その左に初瀬街道が続きます。向かって右に見える常夜燈は、両宮常夜燈。文政元(1818)年のもの。伊勢街道には、実にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。このあたりからは市場庄のまち並みに入ります。古い家などたくさん残っていますし、松阪市小野江町あたりと同様に、それぞれの家に屋号が表示されています。

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 このお宅は、妻入り、連子格子の典型的な建物。神楽寺の西の三叉路に面しています。「道十(どうじゅう」という屋号で、江戸時代には茶道具商だったところ。こちらのマップにあった説明に、「『六軒茶屋まで送りましょう……』とはお伊勢参りの旅人と、うたかたに親しんだ遊女がその別れを惜しみ伊勢音頭の一節として歌ったもの」だそうです。そんなことをいわれてみたい気になりますが、さもありなんと思わせる、情緒あふれるまち並みが続きます。

Img_0980c_20211016181701  道十のところから東に入ると、忘井があります。ここの「忘井」は、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集に載っています)。官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトをご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。

Img_1234c_20211016181701  途中、少し端折って、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続くという名家。津の藤堂家の家老や御殿医を務めた家柄。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。

Img_1577c_20211016181701  阪内川を越え、松阪の市街地に入ります。川を越えたすぐのところに旧小津清左衛門家。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。

Img_1609c_20211016181701  続いては、伊勢街道からはいったんはずれ、1本西の道に入ります。松阪肉で有名な牛銀本店のある通り。旧長谷川治郎兵衛家の斜向かいに、本居宣長旧宅跡があります。宣長の曾祖父・小津三郎右衛門が、承応3(1654)年、本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家(こことは、溝を距てて地続きで、裏口で通じていたそうです)が、小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、そちらには、現在は何も残っていません。宣長の息子・春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて、当時の名残があります。

Img_1679c_20211016181701  旧長谷川治郎兵衛家。卯建が上がる立派な邸宅。というのも、松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅なのです。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめています。江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となり、広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。

Img_1707c_20211016181701  このあとは、松阪駅の北西にある寺を巡ってきました。予告編の今回は、岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)だけを取り上げます。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。通称「岡寺さん」。天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝わっています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。元来は市内石津町にあったが、江戸時代初期の慶長17(1612年)年、時の松坂藩主古田重治により現在地に移転されました。ここは初午で有名。このあと、近くの寺を巡ってきましたが、今まで知らなかった立派なお寺がたくさんありました。

Img_1880c_20211016181701 Img_1897c_20211016181701  今日のゴールに設定した松阪駅には、14時45分に到着。ここまで休憩はしたものの、昼ご飯は食べておらず。松阪駅にあったヴィ・ド・フランス 松阪店でパンをイートイン。お腹が空いていたので、写真を撮る前に食べてしまいました(苦笑)。

Img_1868c_20211016181701 Img_1931c_20211016181701  ゴールインの前に、重要な使命を果たしてきました(苦笑)。まずは、駅弁のあら竹本店。娘に今日は、松阪駅まで歩くといったら、「モー太郎弁当」が食べたい! とキョーレツな要望。¥1,500もする松阪ブランドの黒毛和牛を使った弁当。私は2年前に食べたのですが、その時、家族は実家に行っていて誰も食べてはいません。我が家では「伝説の駅弁」になっていて、今回、強力な要望があった次第。

Img_1888c_20211016181701 Saraoi  松阪駅にある「まつさか交流物産館」。いつもここでお土産をゲットしています。とはいえ、私の松阪土産は決まっていて、老伴(柳屋奉善)。今日は、6個入り(¥1,080)を1個。同級生K氏も、私が勧めましたので、これの3個入りを購入。

Img_1909c_20211016181701 Img_1923c  松阪駅を15時17分に発車する名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、16時22分着。1時間5分も乗ってきました。運賃は、¥960。今日の歩数は、19,479歩。現地で歩いたのは8.0㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2㎞。合計10.2㎞を歩いてきました。

Img_1937c_20211016190001  夕食には、モー太郎弁当を美味しくいただきました(微笑)。まだ写真整理にもほとんど手を付けていませんし、実際に歩いたルートマップもつくっていません。明日以降、これらを処理した上で、予告編もバージョンアップしようと思っています。今日のところは、取り急ぎ「超予告編」でお茶を濁しておきます。

Img_1329c_20211016181701 Img_1321c_20211016181701  余談。松阪市内のとあるところで見つけたクルマ。TE27レビン。カローラレビンの初代モデル。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。

【追記(10/19)】 10月18日になってようやく写真整理を終えられました。写真が多すぎたところに、いつも使っているCorel Paintshop Pro2022のアップデートをしたら、メニューバーが変わってしまい、使いにくくなったことも影響。冒頭のルートマップは、実際に歩いたものに更新し、文章も一部、加筆修正しました。

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その2)……松阪にて松浦武四郎誕生地、常夜燈、金剛寺を経て月本追分へ

Takachaya2  10月9日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その2です。その1では、雲出川を渡って、いよいよ松阪市に入りました。詳細なルートマップでは、まだその2の途中です。まずは、本楽寺に寄って、松浦武四郎誕生地へ。

Img_8547c_20211009192501  その前に興味深いことを1つ。小野江の町の多くのお宅には、写真のように屋号が表示されています。ご承知の通り、家の通称です。写真のお宅は、「タバコ屋」。以前はたばこ屋さんをなさっていたのでしょう。他にも、本家、籠末などなど。いちいち写真を撮るのも大変で、2~3枚撮っただけでしたが、この「本家」というのは、あとで松浦武四郎誕生地で伺ったら、松浦武四郎のお父さんの実家だったそうで、惜しいことをしました(苦笑)。

Img_8558c_20211009192601 Img_8550c_20211009192601  本楽寺。真宗高田派。慶長8(1603)年の創建。本尊は、来迎阿弥陀如来。詳しいことは分かりませんでしたが、境内は広くてきれいに整えられていました。

Img_8611c_20211009192601  スタートから4㎞、11時30分過ぎに松浦武四郎誕生地に到着。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家です。入館料は、¥110。客は、われわれ二人のみ。係の方に丁寧に案内や、説明をしていただけ、ラッキー。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。このあと、近くにある松浦武四郎記念館も訪ねようと思ったのですが、あいにく改装工事ということでした。来春完成予定とか。

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 武四郎が13歳のとき、大きな出来事があったといいます。文政のおかげ参りです。日本の人口が約3,200万人と推定される時代に、1年間に約400万人が伊勢へ参宮したのです。ここ松浦家の前の伊勢街道も多くの旅人が行き交ったのです。武四郎は、参宮客から名所図会に出てくるような土地や道中の話を聞いて、見知らぬ土地への憧れ、旅への思いを募らせたと考えられています。16歳のとき、家出して江戸に行ったといいます(山本命著、松浦武四郎入門、月兎舎)。

Img_8600c Img_8589c  松浦武四郎の実家は、庄屋だったそうで、屋敷の奥に蔵の他、納屋が残っていました。昔の農機具もおかれています。脱穀機の他、興味深かったのは、「肥たご」(苦笑)。子どもの頃、当然、水洗トイレではなくくみ取り式。オヤジにいわれて、この肥たごをかつがされ、近くの畑へ運んだことがあります。重いのやら、田舎の香水がきついのやら、さらには揺れてチャプチャプとこぼれそうになるのやら、大変な思いをしました。

Img_8570c_20211015071801 Img_8566c_20211015071801  庭も当時のまま。写真は、離れ屋(武四郎の父の隠居所)の庭。右の燈籠は、武四郎が、明治2年に「開拓判官」に任じられ、「従五位」を授与された記念につくったもの(のちに開拓判官辞任、官位は返上しています)。

Img_8606c_20211015071801 屋根に珍しいものがあります。鬼瓦の所に布袋様。「屋根の上の鍾馗様」は、知っていて、桑名でも時々見かけますが、布袋様はここでしか見たことがありません。ネットで検索すると、布袋様や大黒様などの屋根飾りがあるようです(たとえばこちら)。布袋様は、七福神のお一人。もとは、中国、唐末頃のお坊さん。常に杖と布袋とを持歩き、人の吉凶や晴雨を予知し、尊崇されましたから、福の神として祀られているのかという気がします。

Takachaya3  詳細なルートマップは、その3へ。金剛寺のところには常夜燈もあります。その先で5㎞を過ぎますが、しばらくは見るところはありません。香良洲道との追分があり、そこに道標。

Img_0932c_20190922201601_20211015175601 Img_0939c_20211015175601  上述のように、残念ながら松浦武四郎記念館は改装工事中ということで、先に進みますが、参考までに前回訪れた時の写真を載せておきます。写真は、2019年9月22日に近鉄ハイキングで訪ねたときのもの(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その2)……玉造院、明治天皇島貫御小休所跡碑、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館を経て、金剛寺近くにある胎蔵界大日如来にお参り)。松浦武四郎は、身長148cmとかなり小柄でしたが、まさに小さな巨人。

Img_8640c_20211015185101  次の金剛寺までの途中、この「市川庄次郎君之碑」があったのですが、詳細は不明。碑陰の撰文を見ると、明治33(1900)年生まれで、小野江村在郷軍人分会長を務めるなど、地方自治に功労のあった方のようです。碑は、昭和34(1959)年7月に建之。撰文は三雲村長・宇野誠一、碑表は当時の三重県知事・田中覚によるものでした。

Img_8651c_20211009192601  スタートして4.7㎞のところ、金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。

Img_8680c_20211009192601 Img_8656c_20211009192701  常夜燈の東に王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山門風にしつらえられていました。槙かと思います。こういうのは、2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。

Img_8663c  金剛寺の少し東には、胎蔵界大日如来があります。お地蔵様に見えます。大日如来は、真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味しているそうです。

Img_8683c_20211015185701 Img_8686c  金剛寺で12時20分を回った頃。歩き始めて2時間半近くですので、小休止をとることに。肥留公会所の軒先を借りました。このあたりの地名は、「肥留」。初めて来たのは、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーの時。何と読むのか分かりませんでした。「こえとめ」?などとあらぬ事を考えたりした記憶があります(苦笑)。右の写真は、このあたりの伊勢街道。北の方(来た方)を見ています。高茶屋あたりまでは、生活道路になっていて車がよく通ったのですが、そこから南は、車も人もほとんど通らなくなり、歩きやすい道になりました。

Img_8689c_20211009192701  5.7㎞のところで香良洲道との追分。道標は、「香良洲道道標」。文政4(1821)年の建立。正面には「霊汗阿弥陀如来 仏心」とありますが、よく分かりません。他には、「旅神社 小舟江是より三丁 右からすみち」と刻まれています。

Takachaya4  この先、詳しいルートマップはその4。まずは、月本追分へ。その先には、道標や山の神、燈籠があちこちにあります。

Img_8731c_20211009192701  月本追分(つきもとおいわけ)。スタートからは6.2㎞。13時頃到着。奈良街道との追分です。ここには旅人や籠かきなどの休憩所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。奈良街道は、ここ月本から久居を経て、津市美里町五百野まで。「伊賀ならみち」ともいいました。左の写真は、南から撮ったもので、向かって左が奈良街道。奥から手前が伊勢街道。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。

Img_8716c_20211009192701  「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、江戸の三人が天保年間(1830~43年)に発起し、角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。

Img_8705c_20211009192701  追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さ3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。筆者は小津村の中村正雅、石工は市場庄村甚兵衛(石甚)。世話人は、当所の角屋精兵衛ほかならまでの道中旅籠屋4人で、天保13(1842)年に建立。

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 変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は初瀬街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道、「かうや道」は和歌山街道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述を見つけました(こちらのレファレンス共同データベース)。

 詳しいルートマップのその4の途中ですが、キリが良いので、本編の記事その2はここまで。

2021年10月15日 (金)

カワラヒワは集団見合いの季節か?

Img_0728c_20211015163201  アメダスのデータでは、最高気温は26.9℃なのですが、日当たりのよい我が家のリビングでは午後から、30℃を越えていました。本当に暑い(苦笑)。真夏に比べると、太陽の高さが低くなり、部屋の奥まで日差しが入るようになって、リビングに居候している我がデスクは、日差したっぷりの状態なのです。いささかげんなりしています。日曜からは気温が下がるようですが、10月中旬なのにこの暑さは堪りません。

Img_0347c_20211015163301 Img_0338c  昨日は、江戸橋での授業のQ&A、推薦図書の選定、相談会に関する連絡などと、多用でした。一通り、キリがつき、今日はいつも通り散歩。7時40分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、京町、常磐町、老松公園、八間通、参宮町と回って6.8㎞。揖斐長良川の中洲には、今日もダイサギの姿が1羽。河口堰にほど近いところですので、住吉神社の前からは500m以上のところ。

Img_0378c Img_0382c_20211015163301  三の丸公園から三の丸水門、さらに揖斐川右岸の高水敷では、このところ、草刈り作業が行われています。前にも見たことがありますが、乗用草刈り機。シバウラのSH-1750(ハンマーナイフモア)という機種。かなりハイスペックで、河川を始め、スキー場などの急斜面で快適に、また、安全に除草作業ができるというのがセールスポイント。こういう働くクルマ、子どもみたいでお恥ずかしいのですが、どうも気になります。

Img_0422c_20211015163201  九華公園には8時過ぎに到着。アオサギさんは、また、九華橋近くの樹上にいました。掃除を担当しておられる女性が、「あんなにズーッとじっとしていられるなんてすごい!」とおっしゃっていました。確かにそうです。ヒヨドリの他にメジロの鳴き声も聞こえています。

Img_0451c_20211015163201 Img_0521c_20211015163201  奥平屋敷跡では、散歩友達のYさん、Wさん。Yさんは鳥見友達でもあります。二人で鳥を見て回っていたら、Wさんが「今日もか?」と冷やかしてきます(苦笑)。そうです、今日もあまりいないのか? という意味。「パチンコみたいで、大当たりもあれば、スッカラカンもありますからねぇ」とお返し(微笑)。天気はよかったものの、メジロとカワラヒワ。ただし、カワラヒワは10羽くらいの群になって、賑やかでした。ものの本によれば、カワラヒワは秋に集団見合いをするといいますから、それなのかも知れません。ちなみに、ここ2~3日ドバトもほとんど来ません。「スズメも来ないなぁ」と話していたら、シルバー人材センターから草刈り作業に来ているMさんが、「スズメならおれんところの近くの田んぼに仰山おるでぇ」と。かねてから想像していたように、田んぼ方面に行っているようです。

Img_0533c_20211015163201 Img_0549c_20211015163201  二の丸跡でもカワラヒワたち。左の写真のカワラヒワ、松の種のようなもをくわえていました。Yさん曰く、「今日は、カワラヒワ・ショーだ」。

Img_0610c_20211015163201 Img_0602c_20211015163201  朝日丸跡では、ハクセキレイ2羽。右の写真に写っているハクセキレイさんは、片脚。右足がありませんでした。チョンチョンと飛ぶように移動していましたので、よく見たらこんなハンディを持っていました。

Img_0555c_20211015163201  アーちゃん、今日も元アヒル小屋のところでお休み中。ここか、野球場の南の堀かが好みの場所。

Img_0640c_20211015163201  鎮国守国神社にお参りし、北門から社務所裏をもう一度チェックして野球場の南に来たら、別の散歩友達のご夫婦に会い、話をしていたら、頭上からハクセキレイさんが、会話に入ってきました(苦笑)。けっこうよく通る、大きな声で鳴くので、ビックリ。

Img_0684c_20211015163201  貝塚公園。あちこちで知り合いに会って、話していたので、10時前に到着。もう何もいないかと思ったのですが、オスのモズがいて、救われました(微笑)。他にはカワラヒワ、ヒヨドリなど。九華公園でも、貝塚公園でも、ムシクイの仲間やコサメビタキを見なくなりました。もう抜けて行ってしまったのかも知れません。

Img_0700c_20211015163201  内堀公園に行く途中で撮ったヒヨドリ。最近、散歩コースでも増えてきました。時に20羽とかの集団で飛んでいるのを見ます。これからさらに増えて、賑やかになることと思います。

Img_0704c_20211015163201  寺町近くの花屋さんの店頭にあまり見たことがない植物がありました。今回もGoogle画像検索で調べたところ、「フォックスフェイス(ツノナス)」と判明。熱帯アメリカ原産の一年草だそうです。黄色いのは、実ですが、観賞用だそうです。

Img_0742c_20211015163201  九華公園には、カモはまだ来ていませんでした。河口堰はどうかと思い、帰宅して、玄関先から65倍ズームで撮影。写真のあたりにいつもキンクロハジロなどが集まっているのですが、今のところまだまったく見えませんでした。

Img_0720c_20211015163201  オマケ。九華公園前管理人のOさんに久しぶりにお目にかかり、このようなものをいただきました。「東海道 桑名宿」と書いた木製の名札(私などには、迷子札か?)。ただし、名前などは、テプラのようなもので印刷して貼った方が良さそうです。いつもながら、器用でいらっしゃる。Oさん、あの桑名城御城印をゲットしてこられたそうですが、「mamekichiさん、買うのは止めときな。印刷やったけど、ちょっとなぁ……」だったとか。

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ

Takachaya0  10月9日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その1です。仕事があったりして、書き始めるのが遅くなりました。この日は、絶好のウォーキング日和でした。前回、前々回と雨に祟られていましたが、やはりウォーキングは天気の良い日でなくてはなりません。前回ゴールしたJR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅まで。桑名のアメダスでは、最高気温は29.2℃。現地では、暑いくらいでかなり汗を掻きました。高茶屋駅からほぼまっすぐ南下。旧三雲町(広域合併で、松阪市になっています)へ。今日も同級生K氏と。

Img_8216c_20211009192401 Img_8211c_20211009192401  桑名から津まで近鉄。桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。津駅には、9時24分着。¥700。ここでJR紀勢本線に乗り換え。9時42分の鳥羽行き普通で、高茶屋駅まで。高茶屋には、9時52分着。¥200。10時にスタート。右の写真は、高茶屋駅の跨線橋から見た津方面。

Img_8204c_20211013071401  列車は、ジーゼルの2両編成。ワンマン運転ですので、降車は、1両目の前の扉から。普通なら、ランプのついた緑のボタンを押して、ドアを開けるのですが、幸い、係員の方が添乗していて、その必要はありません。ワンマンの電車の乗り方にもずいぶん慣れました(微笑)。

Takachaya1 Img_8227c_20211013071501  こちらは、歩いたコースの詳しいルートマップその1。高茶屋駅を出て左折したところからが伊勢街道。国道165号線の高架をくぐり、JR紀勢本線の踏切を渡って南へ。玉造院、社跡と回って、その後しばらくは立ち寄るところはありません。右の写真は、伊勢街道に入ったところ。南向きで撮っています。

Img_3236c_20211013071701  Img_8234c_20211013071501 ちなみに(いきなり余談)、JRの駅名は、「たかちゃや」なのですが、地名は「たかじゃや」。左の写真は、前回撮ったもの(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。右は、町名表示板。“Takajaya”とあります。

Img_8296c_20211009192401 Img_8255c_20211009192401  最初の立ち寄り先は、スタートから700mほどのところにある龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。みえの歴史街道のマップや、ネット検索ではこれという情報は出て来ません。

Img_8259c_20211013072401 Img_8274c_20211013072401  境内には四国八十八所霊場巡りの石仏が並んでいます。これについての説明はありませんでしたが、石仏を納めた小堂には、寄進者の名前が刻まれていました。信者の方々の寄進によってつくられたものと思われます。

Img_8304c_20211013072701 Img_8311c_20211013072701  玉造院からすぐ南、伊勢街道から西に入ったところには、社跡があります。ここも詳しいことは分かりませんが、集落の南北の入り口にあったという山の神が4基、移設されていました。

Img_8317c_20211009192401 Img_8324c_20211013073001  この先、しばらく立ち寄るところはありません。田園地帯をひたすら歩いて行きます。稲刈りが済んでいないところもけっこうありました。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらいです。かつては造船所でした。西の空を見ると、まるで夏のような青空と白い雲。

Takachaya2  詳細なルートマップは、その2になります。雲出市民館を通り過ぎ、雲出島貫町の中心へ。明治天皇島貫御小休所跡碑・雲出宿柏本陣跡、円福寺、毘沙門堂跡・島貫の松、島貫の常夜燈と見て回り、いよいよ雲出川を渡ります。ここで津市から松阪市に入り、小野古江渡り跡、常夜燈を経て、本楽寺から松浦武四郎誕生地へ。

Img_8336c_20211013073801 Img_8357c_20211013172401  雲出市民館の先に津市殿木地区圃場整備事業記念碑と紀念碑。圃場整備事業紀念碑は、津市長岡村初博の揮毫。岡村市長は、昭和49(1974)~平成6(1994)年に市長在職。紀念碑は、風化していてよく読めません。碑陰には「殿木區民建設之」、さらに「第二次移住者」として4名の方の名前が刻まれていました。明治33(1900)年の建立。新しく開発し、移住して農業を始めたということかと思われます。紀念碑は、現在地の北200mの所から平成8(1996)年に移設。2つの碑の間には、よく見ると山の神が2基。どういうわけか、向かい合って建てられています。想像するに、集落の南北の入り口にあったものを、そのままの向きでここへ移設したのか? という気がします(当てずっぽうです)。

Img_8363c_20211009192401  旧雲出宿に入っていきます。スタートから2㎞を過ぎたところに、明治天皇島貫御小休所跡碑があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。今は、かつて宿場であったことを伺わせるものはないように思えます。

Img_8375c_20211009192501 Img_8379c_20211014071501  この奥に槙の木の大木と、山の神が2基あります。正式に「マキ」と呼ばれる木はなく、複数の酒類をまとめて呼ぶ名称だそうです。多くの場合は、イヌマキを「マキ」と呼ぶことが多いそうです。マキで大木をあまり見たことはないと思ったのですが、イヌマキは、高さ20mほどになるそうです。

Img_8396c_20211009192501 Img_8410c_20211009192501  いったん伊勢街道に戻って少し先を入ったところに寿光山円福寺。真宗高田派の寺。境内に、立派な蘇鉄があります。ここの蘇鉄は、10数本の株が伸びており、最も太い幹は2m近くあるといいます。県下でももっとも古い蘇鉄で、樹齢400年以上になると推定されています。津市天然記念物。

Img_8384c_20211009194801  円福寺に入っていく伊勢街道のかたわらに道標が1基あります。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_8434c Img_8439c_20211014072101  この先で伊勢街道は、雲出川に行き当たります。堤防に上がる前に、1ヶ所寄り道。すぐに毘沙門堂跡。「開運毘沙門天霊場 三十三ヶ所観世音分身安置 北畠大納言の守護尊」と石碑に刻まれています。北畠大納言は、北畠顕泰(きたばたけあきやす)。南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿・武将。右大臣北畠顕能の二男。父から伊勢国司を継ぎ、南朝方として多気を拠点に活躍したのですが、南北朝合一後は室町幕府に帰順しています。ここに毘沙門堂があり、その境内に33の観音堂があったということ。観音堂は、今は、この石碑の北側に並んでいました。

Img_8444c_20211009192501 Img_8448c_20211015043401  また、ここには、「島貫の松」の碑があります。毘沙門堂の境内にあったもので、伊勢湾台風で枯れるまで、立派な松の木があったそうです。今の松の木は、その代わりに植えられたものと思われます。

Img_8463c_20211015043701  雲出川。奈良県境にある三峰山から伊勢湾まで55㎞を流れています。川の名前の由来は、河口部一帯にある塩田の塩釜から立ち上る煙の様子が雲のように見えたことという説と、上流山地部に雲が多く、渦を巻く様子が下流部からよく見えたからという説と2つあるそうです。津市と松阪市の境。

Img_8475c_20211009192501  3㎞を過ぎて、雲出川にかかる雲出橋。北のたもとには、島貫の常夜燈。天保5(1834)年建立。宮立型。元は、ここから200mほど戻った、渡しの北岸にあったものを雲出橋の架け替えの時移設。天保元(1830)年にはお蔭参りが流行しましたが、旅人の安全を祈願して建てられています。上でも少し触れましたが、島貫は伊勢街道の宿場で栄えたところでした。昭和の初めまでは旅籠も何軒か残っていたのですが、参宮鉄道が敷設された頃から寂れてしまいました。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さは4.6mという立派なもの。

Img_8500c Img_8498c  雲出橋を渡って、いよいよ松阪市に入ります。この日の朝、同級生K氏が駅の路線図をマジマジと見て、「だいぶ歩いたな」といっていましたが、本当にそうです。今回で、全体の行程の2/3を越えるはず。

Img_8507c_20211009192601  雲出橋を渡った西側には、小野古江渡(おののふるえわたり)跡。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。慶長19(1614)年頃までは川越場から人馬によって川越をしていたといいます。江戸時代のおかげ参りでは、全国から多いときには500万人もの人が往来したそうです。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。

Img_8511c_20211009192501  小野古江渡跡の向かいにも常夜燈があります。寛政12(1800)年に雲出川の川端に建てられたもので、元はここから200mほど下流にあった伊勢街道の渡し場にありました。平成12(2000)年に雲出橋が新しくなるとき、ここに移設されています。幾度かの大地震で倒れたものの、そのたびに建て直されています。近年では昭和19(1944)年の東南海大地震で倒壊し、火袋が補修されました。宮立型という形で、高さは4.7m、花崗岩製。この常夜燈の西面には「常夜燈」、東面には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」、北面に「京都○講大坂屋藤七(○の部分は、○に漢数字の一)」、さらに南面には「腰山市左衛門 藤忠三」と刻まれています。常夜燈を見て、雲出川を下流方向に少し歩いて、堤防から降り、右折し小野江の町に入って行きますが、長くなりましたので、その1はここまで。その2は小野江の町や、松浦武四郎誕生地から。

2021年10月14日 (木)

大車輪でやってはいるものの、効率は低下(苦笑)

Img_9931c_20211014192901  日曜日からは最高気温が20℃くらいになるそうですが、今日はまだ26.7℃。日向を歩いていると暑く感じます。昨日はスッキリしませんでしたが、今日は上天気。仕事に行くとき上天気の方がよいような、仕事の時は、天気は少々悪くてもよいような、微妙。7時半から散歩開始。すべていつも通り(苦笑)。規則正しい? 住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町から新築公園、常磐町、老松公園、寺町商店街と5.9㎞。汗ばむくらい。

Img_9942c_20211014192901 Img_0001c_20211014192901  諸戸氏庭園のところでメジロが数羽。ちょっと遠かったのですが。他には、あのヒヨドリ。最近、賑やかです。揖斐長良川の中洲には、ダイサギが1羽。まぁまぁ(微笑)。

Img_0027c_20211014192901 Img_0035c_20211014192901 今日は、住吉水門が賑やかでした。まずは、ハクセキレイが3羽。戯れるようにして飛び回っていました。

Img_0046c  ハクセキレイに気をとられていたのですが、ふと見たらイソヒヨドリのメス。メスはちょっとくすんだような色ですが、今日は陽がよく当たって、それなりにきれいに見えました。

Img_0090c_20211014192901  九華公園では、今日は、アオサギは不在。コサギが1羽飛んで行くのが見えたのですが、降りては来ず。奥平屋敷跡では、なかなか鳥は来なかったのですが、シジュウカラ。しかし、証拠写真で、これだけ。カワラヒワは来たものの、ここでは撮れず。今日は、ドバトもムクドリもいません。ヒヨドリの天下。

Img_0148c_20211014193901 Img_0169c  カワラヒワの写真は、二の丸跡にて。その後、カワラヒワは朝日丸跡や本丸跡で見たくらい。キジバトも同様。例によって、天気はよいのに、鳥がいないパターン。アーちゃんは、野球場の南の堀にて。何ごともなかなか思うようにというか、期待通りには行かないもの(苦笑)。

Img_0199c_20211014192901  貝塚公園では、モズのオス。頭上で鳴いていたものの、なかなかよいアングルで撮れるところがなく、ウロウロ。ここでもヒヨドリは賑やか。他には、カワラヒワとキジバト。キジバトもあらゆるところにいます。老松公園では、ヒヨドリ。

Img_0153c_20211014192901  さて、昨日の授業の後処理。昨日は出欠確認だけで、やる気切れ(苦笑)。前期の頃も何度も書きましたが、マスクをして、1時間半授業をするのは、やはり疲れます。「寄る年波」もそこに加わっていますし。今日、散歩から帰ってきて、大車輪でQ&Aに着手。17時前に一通り終了。この作業、調べたり、考えたりしなくてはならず、けっこう大変なのです。後で見直すつもり。他に非常勤関係では、後期の担当科目の推薦図書を連絡する必要がありました。予算¥10,000以内で、その科目に関連する参考図書を図書館に推薦するのです。Q&Aを終えてから調べ、仕上げてこれはメールで連絡終了。しかしながら、目もショボショボ(苦笑)。

Img_0072c_20211014192901  明日も好天のようですから、散歩生活。「何はなくとも散歩」です。鳥がたくさん見られると良いのですが……。そろそろカモが来るかとか、今年はまだヤマガラが来ないなとか、いろいろと思うところがあります。土曜日は、「歩いて伊勢参りツアー」第12回の予定。今のところ曇りの予報。JR紀勢線・六軒駅から松阪駅まで。そういえば、前回のツアーの記事の本編がまだ書けていません(苦笑)。忙しいとはいえない日々ですが、効率が低下しているのです。

2021年10月13日 (水)

行きはよいよい 帰りは怖い(苦笑)

Dscn4597c  水曜日、後期の非常勤の授業の2回目でした。朝6時台から7時台にかけてそれなりに降っていたのですが、出勤する頃には青空が見えてきました。天気予報は、芳しくなかったものの、これなら大丈夫かと思ったら、江戸橋に近づくにつれ、雲が増えてくる始末。それでも、非常勤先に着くまではセーフ。同じ時間に非常勤で授業をしていらっしゃる女性の先生が、「昼過ぎまで、天気が持ちますかね?」とおっしゃっていたのですが、講義をしている最中から空模様が怪しくなってきました(苦笑)。

Dscn4605c  講義を終えて、外に出ると小雨。これでは、志登茂川への寄り道もできません。江戸橋駅に着いて、電車を待っていたら、また空が明るくなってきたという、ちょっと忙しい天気で、タイトルのように「行きはよいよい 帰りは怖い」です(苦笑)。桑名へ帰ってきたら、薄曇り。朝降って以来、降っていないようでした。

Dscn4604c  今日の授業の出席者は47名と、前回から4名増加。前回来て、今日来ていない学生や、その逆もあります。明日から「履修登録確認期間」で、まだ受講者名簿は確定しません。担当の先生から、来年度も、同じ科目について非常勤講師の依頼がありました。非常勤講師の定年は確か70歳ですので、丈夫で、不始末をしでかさなければ、今しばらく講義をさせてもらえそうです。

Img_9883c 帰宅後は昼食を済ませ、取り敢えず出欠確認だけを終了。一息ついていたら、動きたくなくなっています(爆)。明日中にQ&Aが書き上げられればよいかなどと思っています。写真は、昨日の散歩の時、総合福祉センターのところで撮ったコスモス。

1634031784484-1c 1634031830844c  余談。「おつまみ枝豆栽培キット」のその後。枝豆は、現在のところ、4つ登場しています。とはいえ、そのうち1つは、豆粒くらい(豆に向かって「豆粒」とはこれいかに?)。御用とお急ぎでない方は、右の写真を篤とご覧ください。葉っぱの裏側、手前に小さくあるのが、お分かりいただけると思います。食べるには、まだもうちょっとというところ。

2021年10月12日 (火)

証拠写真を撮りに行ったのか?(苦笑)

 朝から湿度が高く、蒸し暑く感じます。最高気温は、28.3℃Img_9920c_20211012163701 。晴れ間もありましたが、ほぼ薄曇り。朝早くには少し雨という天候。家事を済ませ、8時20分から散歩。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.1㎞。

Img_9670c_20211012163701 Img_9685c  今日は、諸戸氏庭園あたりには、ヒヨドリしかいませんでした。ヒヨドリはこの頃、あちこちで増えています。カワラヒワはおらず、「これは、今日は鳥はいないかも」と思わされます。揖斐長良川の中洲にも、揖斐川の堤防にもサギはいません。蟠龍櫓まで来て、イソヒヨドリのメス。柿安コミュニティパークでハクセキレイ。若い鳥のようです。

Img_9702c_20211012163701 Img_9743c_20211012163701  九華公園には、8時40分到着。アオサギさんは、今日もまた、神戸櫓跡の松の木の上。好みの場所が変わったのか、違うアオサギなのか? 奥平屋敷跡へ行くと、散歩友達のYさん、Wさん、Mさんが集まっていて、「オ~イ、あそこにモズがいるぞ」と。残念ながら、証拠写真(苦笑)。オスのモズ。奥平屋敷跡、今日はこの他には、ドバトばかり。まぁ、モズを見られただけで良しとせざるを得ないようです。

Img_9750c_20211012163701 Img_9767c_20211012163701  二の丸跡、朝日丸跡にもめぼしい鳥はおらず。朝日丸跡でハクセキレイと、カワラヒワ。諸戸氏庭園前で想像したとおり、鳥はいません。こういう天候のときは、ダメなのかも知れません。去年は、ヤマガラなどもよく来ていたのに、今年はまだサッパリ。

Img_9783c_20211012163701  吉之丸堀の橋・四阿を歩いていたら、本丸跡の花菖蒲園近くを、またもやヌートリアが泳いでいました。最近、九華公園を散歩する人たちの間で、話題の主になっています。「ヌートリア、見た?」が合い言葉。

Img_9791c_20211012163701  鎮国守国神社を経て、神戸櫓跡近くに来たら、アオサギの鳴き声。飛びながら「ギャァ~」というような声を出します。見回しても、見当たらず。上を見たら、またもや、神戸櫓跡の松の木に降りて来ていました。というのも、いったんいなくなっていたのです。

Img_9836c  アーちゃんは、また、野球場の南の堀にある石の上でお休み。ときどき、渡り鳥と勘違いしている人がいますが、留鳥。夏場はよそへ行っているようです。

Img_9840c  貝塚公園に近づいたら、モズの鳴き声。しかし、九華公園で撮った以上に証拠写真(苦笑)。こんな日は、こんなもの。他にはカワラヒワがいて、メジロの鳴き声もしたものの姿は見えず。

Img_9899c_20211012165301Img_9895c  ところで、今日もまた、帰りに諸戸氏庭園の祭車庫の工事の様子を見てきました。専門的なことは分かりませんが、子どもの頃から、こういう工事現場や、職人さんが働いているところを見るのは好きでした。できることなら、1日ズーッと見ていたいと思うこともあります。

Img_9874c_20211012163701  明日は、江戸橋の仕事、後期の2回目。江戸橋での仕事というと、天気が気になります(苦笑)。散歩でしたら、雨が降ったら行きませんが(行けませんが)、仕事となるとそうは行きません。自宅から駅往復は、片道15分弱。江戸橋駅から非常勤先は10分あまりなのですが、仕事に行くときに濡れるのはどうも嫌なのです(苦笑)。気象協会の予報では、午前中の桑名は、今のところ曇りで、最高気温25℃ほど。さぁ、どうなりますか?

2021年10月11日 (月)

今頃アサガオが発芽してきました(驚)

Img_9594c_20211011171601  一昨日は「歩いて伊勢参りツアー」、昨日は出張相談と出かけることが続き、いささかお疲れ(苦笑)。しかし、散歩は欠かせません(微笑)。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南寺町、老松公園、寺町と歩いて来ました。我が家の前まで帰ったのは10時半。そこで知り合いに会って話し込んでしまい、帰宅は11時(笑)。午後から、郵便局まで出かけ、歩いたのは、合計6.6㎞。出がけは曇っていたものの、9時過ぎから晴れてきて、28.1℃。さすがに真夏ほど汗は掻かなくなりました。

Img_9082c_20211011171601 Img_9110c_20211011171601  諸戸氏庭園前で、カワラヒワが数羽。このあたりでも、九華公園でもしばらくカワラヒワはあまり見ませんでした。「戻って来た」という感じ。これは、ひょっとすると今日は、鳥がたくさんいるかもと、勝手に期待を高めます。桑名七里の渡し公園は、休園日で植栽管理作業。ふと見たら、ススキが目に入りました。最近、散歩コースではあまりススキは見ない気がします。

Img_9144c_20211011171601  住吉神社の前から揖斐川を眺めたら、アオサギさん。川口水門の少し下流、右岸の堤防の上に堤防を向いて佇んでいました。たいていは、川に向かっているのに、変わったヤツ。このあと、柿安コミュニティパークを歩いていたら、かなり上空を猛禽類が通過。写真は不鮮明(苦笑)。大きさはカラスくらいか、それよりやや小さめ。シルエットは、翼が短めで尾が長いものでした。

Img_9241c_20211011171601  九華公園。いつもの九華橋のところにはアオサギはおらず。神戸櫓跡の高い松の木のてっぺんにいました。以前は、カワウがよく集まっていたところ。あちこちきちんとチェックしないと行けません。見逃します。

Img_9197c_20211011171601 Img_9284c_20211011171601  奥平屋敷跡。今日は、コサメビタキとムシクイの仲間がいたのですが、これが実によく動く。ちっとも落ち着いていないのです。さらに、曇ったり、照ったり。曇っているときれいに撮れませんし、色が出ません。ヘンに照っていると、右の写真のようになってしまいます。そのため、証拠写真を量産(苦笑)。

Img_9348c_20211011171601  奥平屋敷跡では、今日は、カワラヒワもたくさん。二の丸跡のクスノキのてっぺんには、モズがいるのが見えました。野球場では、ハクセキレイ。と、ほぼ諸戸氏庭園前で期待したとおりの展開になってきました。が、写真の出来は、必ずしも満足できませんねぇ。なかなか思うようには行かない、ということ。

Img_9435c Img_9470c  鎮国守国神社にお参りして、北門から社務所裏の堀に行ったら、コサギ。堀に降りていたのですが、社務所裏の木に移動。アオサギさん、この時はいつもの、九華橋近くの樹上でお休み中。

Img_9474c_20211011171601  アーちゃんは、元アヒル小屋のところでお休み中。それなりに鳥たちもいましたし、コサメビタキやムシクイも回数だけは十分見られましたので、まぁこれで良し。

Img_9487c_20211011171601  野球場の南の堀には、こちらのカメさん。ミドリガメではありませんが、顔はイシガメのような感じですが、色が違います。クサガメとも違います。雑種なのかも知れません。

Img_9495c_20211011171601 Img_9547c_20211011171601  貝塚公園も丁寧に見て回りましたが、ヒヨドリの他、カワラヒワ、メジロ、シジュウカラが確認できたのみ。ここでも、写真はイマイチ。フライキャッチャーや、ムシクイ、キビタキなどは今日はまったく見られず。

Img_9056c_20211011171701 Img_9063c_20211011171701  余談その1。諸戸氏庭園の祭車庫。土壁で修復されると書きましたが、壁塗りがかなり進んできていました。壁土の色が黒っぽい気がします。実家も土壁でしたが、もっと、いわゆる「黄土色」の薄い色だった記憶があります。歴史散歩で、田舎へ行くと土壁の家が残っていますが、それらも同様。特別な土を使っているのか、何か混ぜてあるのか? 知りたいですねぇ。

Img_9027c Img_9033c_20211011171701  余談その2。ベランダ園芸のアサガオ。2鉢とも、たぶんほぼ終了。もうホントにつぼみはなさそうです。ときどき、種を取っていますが、今朝よく見たら、今頃発芽してきていました! 大きい方の鉢です。かなり出遅れていますが、どうしたのでしょう? また、これからどうなる?? 水はやり続けようと思っていますが……。

Img_8050c_20211011181301  昨日の出張相談、今日、報告書を仕上げて郵送してきました。お子さんの特徴に合わせ、必要な説明は尽くしたと自分では思うのですが、お役に立つと良いなと思います。今週は、水曜日の江戸橋の仕事があるのみ。週末にまた「歩いて伊勢参りツアー」に行くかも知れません。写真は、しばらく前にとった、貝塚公園の渋柿。

2021年10月10日 (日)

カワセミの証拠写真……午後からは出張相談

Img_8912c_20211010172601  昨日とは打って変わって、曇天の1日でした。気温は、27.8℃でしたが、南からの湿った風で何となく蒸し暑い気がします。午前中は、8時から散歩。ただし、昼頃から出かける予定でしたので、時間制限散歩。住吉神社、九華公園、京町、寺町と4.1㎞。1時間半ほどで帰宅。

Img_8930c_20211010172601 Img_8938c  住吉神社前から揖斐川を見ると、揖斐長良川の中洲にダイサギの姿。揖斐川右岸の堤防、住吉水門と川口水門との間にもダイサギが1羽。今日は、赤須賀漁港からの漁船が9隻も出ていたのに、ダイサギたちは平気のようでした。人の姿が目立たなければ、大丈夫なのでしょうか? 今ひとつよく分かりません。

Img_8960c_20211010172601  今日も鳥は少なく、柿安コミュニティパークでハクセキレイ2羽。他には、スズメとムクドリ。九華公園についても、アオサギも、ヌートリアもおらず。

Img_8976c_20211010172601  奥平屋敷跡を一周していたら、カワセミに遭遇。ステージ裏から立教小学校の方の堀際へ。この写真を撮った跡すぐに飛び去ってしまい、証拠写真。しかし、カワセミを見たのは、久しぶり。flychatcherも飛んでいたのですが、一瞬。コサメビタキのような気がするものの、気がするだけ(微笑)。奥平屋敷跡では他は、ドバトとヒヨドリばかり。シジュウカラ、カワラヒワは鳴き声のみ。

Img_9007c  野球場にもハクセキレイが1羽。鎮国守国神社にお参りしてから、再び相撲場近くへ。鎮国さんの方からコゲラの鳴き声が聞こえてくるのですが、所在不明。公園の外周遊歩道の東では、イソヒヨドリの鳴き声。しかし、今日は、鳴き声ばかり(苦笑)。

Dscn4574c Dscn4581c  午後からは、予定通り、出張相談。ここから、名鉄電車に乗って行きます。交通費に特別車料金もいただいたので、特急の特別車を使わせていただきました(微笑)。

Dscn4590c  先頭車で、しかも展望車も付いていました。展望車の方がよかったと思うのですが、ホームにあったミューチケット自販機では、指定はできず残念。

Dscn4589c  出かけたのは、こちら方面(どこだ? という疑問は、恐縮ながらスルーさせてもらいます)。相談では、ほとんどの場合、お子さん御本人とまず話をします。お母様は、「話をきちんと聞くか」と大変心配していらっしゃったのですが、30分ほど話をしましたので、驚いておられました。私自身は、お子さん御本人に会って、話をするのが楽しみなのです。ご両親からのいろいろなご質問にもお答えし、疑問の多くを解消していただけたようでした。

2021年10月 9日 (土)

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編)

Takachaya0  絶好のウォーキング日和でした。今日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第11回。「津・高茶屋~松阪・小津」に行ってきました。前回、前々回と雨に祟られていましたが、やはりウォーキングは天気の良い日でなくてはなりません。前回ゴールしたJR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅まで、8㎞を歩いてきました。桑名のアメダスでは、最高気温は29.2℃。現地では、暑いくらいでかなり汗を掻きました。冒頭の画像は、コースの全体マップ。高茶屋駅からほぼまっすぐ南下。旧三雲町(広域合併で、松阪市になっています)へ。今日も同級生K氏と。まずは、予告編。

Img_8216c_20211009192401 Img_8211c_20211009192401  桑名から津まで近鉄。桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。津駅には、9時24分着。¥700。ここでJR紀勢本線に乗り換え。9時42分の鳥羽行き普通で、高茶屋駅まで。高茶屋には、9時52分着。¥200。10時にスタート。

Img_8231c_20211009192401  高茶屋駅のすぐ西で左折して、伊勢街道に入ります(左の写真)。国道165号線の高架をくぐり、紀勢本線の踏切を越えて行きます。地名は、雲出島貫町。

Img_8296c_20211009192401 Img_8255c_20211009192401  スタートから700mほどで龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。境内には四国八十八所霊場巡りの石仏が並んでいます。

Img_8300c  玉造院から南へ100mあまりの所、西側に少し入って「社跡」を見てきました。集落の両側の入口から移設した山ノ神が4基ありました。今日、このあとにもたくさんの山の神を見てきましたが、昔はあちこちに山の神様が祀られていたのだということがよく分かります。

Img_8317c_20211009192401  このあたりは田園地帯。稲刈りが済んでいないところもけっこうありました。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらいです。かつては造船所でした。

Img_8363c_20211009192401  円福寺というお寺の近くに「明治天皇島貫御小休所跡碑」があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。

Img_8384c_20211009194801  明治天皇の御小休所跡のすぐ先、円福寺の参道入り口に道標。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_8396c_20211009192501 Img_8410c_20211009192501  寿光山円福寺。真宗高田派の寺。ここの境内には、立派な蘇鉄があります。ここの蘇鉄は、10数本の株が伸びており、最も太い幹は2m近くあるといいます。県下でももっとも古い蘇鉄で、樹齢400年以上になると推定されています。津市天然記念物。

Img_8431c Img_8444c_20211009192501  円福寺の先で雲出川に行き当たり、伊勢街道は右折。右折してすぐに毘沙門堂跡。「開運毘沙門天霊場 三十三ヶ所観世音分身安置 北畠大納言の守護尊」と石碑に刻まれていて、その北に、33の観音堂が並んでいました。また、ここには、「島貫の松」の碑があります。伊勢湾台風で枯れるまで、立派な松の木があったそうです。

Img_8475c_20211009192501 Img_8500c  3㎞を過ぎて、雲出川にかかる雲出橋。北のたもとには、島貫の常夜燈。天保5(1834)年建立。宮立型。元は、ここから200mほど戻った、渡しの北岸にあったものを雲出橋の架け替えの時移設。天保元(1830)年にはお蔭参りが流行しましたが、旅人の安全を祈願して建てられています。雲出橋は、450mほどもある長い橋。川には、コイかフナかと思われる、けっこう大きな魚が悠然と泳いでいました。また、アオサギ、コサギが群れになって飛び立ってきていました。

Img_8507c_20211009192601 Img_8511c_20211009192501  雲出橋を渡った、南のたもと、西側には「小野古江渡跡(おののふるえのわたりあと)」があります。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。その向かいにも、常夜燈。こちらは、寛政12(1800)年に建てられたもの。元は、ここから200mほど下流の渡し場にありました。昭和19(1944)年の東南海大地震で崩壊し、再建。宮立型花崗岩製。

Img_8547c_20211009192501  雲出橋を渡って左折し、堤防から降りて南へ。次回歩く予定の市場庄あたりにもあったと思いますが、この小野江町の街道沿いのお宅には、かつての「屋号」が表示してあり、眺めていくといろいろと想像も膨らみ、楽しいものがあります。

Img_8611c_20211009192601  スタートから4㎞、11時半を過ぎた頃に松浦武四郎誕生地松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家。入館料¥110を払い、内部も拝見してきました。客は、われわれ二人のみ。係の方に丁寧に案内や、説明をしていただけ、ラッキー。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。このあと、近くにある松浦武四郎記念館も訪ねようと思ったのですが、あいにく改装工事ということでした。来春完成予定とか。

Img_8651c_20211009192601  金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。

Img_8656c_20211009192701 Img_8680c_20211009192601  常夜燈の東に王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山門風にしつらえられていました。槙かと思います。こういうのは、2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。

Img_8663c  金剛寺の少し東には、胎蔵界大日如来があります。お地蔵様に見えます。大日如来は、真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味しているそうです。

Img_8731c_20211009192701  少し飛ばして、月本追分(つきもとおいわけ)。スタートからは6㎞を過ぎています。奈良街道との追分です。左の写真(南から北を向いて撮っています)で、奥から来るのが伊勢街道、左手が奈良街道。ここには旅人や籠かきなどの休憩所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。

Img_8716c_20211009192701 Img_8705c_20211009192701  「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、天保年間(1830~43年)に角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さ3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は奈良街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道。「かうや道」は和歌山街道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述がありました。

Img_8745c_20211009192701  月本追分を出て、さらに南へ。5.5㎞を過ぎたところに道標が1基。かなり小ぶりですが、「右からす道」と彫られています。左面には「一志驛跡」とありますが、これは後に加えられたもの。「一志驛」は、古代律令制の「駅制」で設けられた駅(30里(約16㎞)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供)。実は、この少し東には、「常夜燈(天保3(1832)年建立)」と、「勅使塚(「吾妻鏡」の中に源氏追討祈願のため伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が、一志驛で急逝したことが記されており、それを元に大正8(1919)年に碑が建てられたもの)」があるのです。

Img_8768c  6.8㎞のところに三叉路。伊勢街道は、左手に向かうのですが、そこに道標、常夜燈、他1基があります。これは、伊勢街道のマップにはありません。他にあったものをここに集めたような気がします。向かって右は常夜燈で、「太一」と刻まれています。伊勢神宮では、天照大神を「太一」とする解釈がなされることがあり、実際、遷宮の際行われる御木曳の奉曳車には「太一」と記されています。これはおそらく神宮のことを意味しています。中央の道標には、正面に「左さんぐう道」、右に「津みち」とあります。向かって左にあるものは、形を見ると、橋の親柱かという気がします。穴のあいている部分には高欄が通っていたように思います。「山神松」という文字が見えますが、さらに下に文字が隠れている気がします。

Img_8775c_20211009192701  さらにすぐに中道公会所があり、石柱が1基と、道標が2基立っています。伊勢街道のマップには、常夜燈もあると書かれているのですが、それはありません(リンク先のマップは、平成23(2011)年2月現在のもの)。石柱の表には「天白村中道青年團」、裏には「昭和十二年十月建之」とありました。「天白村」は、このあたりにかつてあった村。中道もここの付近の地名ですから、地元青年団が建てたもの。中央にある道標には「右さんぐう道」とあります。この道標、中央に穴があいているという珍しいタイプ。もう一本、向かって右にある道標には、「右からす道」と刻まれていますが、ちょっと不鮮明。「天白村中道青年團」の石柱の東に金毘羅大権現と、山の神が2基ありました。

Img_8795c  中道公会所のすぐ南の民家のブロック塀の角に道標。「左からす道」とあります。「からす」は何度も出て来ますが、「香良洲」。平成18(2006)年、旧・津市など10市町村で合併するまでは、一志郡香良洲町でした。雲出川古川、雲出川、伊勢湾に挟まれた小さな町。伊勢神宮の御薗で、塩を奉納していたところ。香良洲神社の参詣者で賑わいましたので、あちこちに道標があると思われます。香良洲神社の御祭神は、天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」とされました。

Img_8808c_20211009192701 Img_8812c_20211009192701  国道23号線の高架を潜って200mも行かないところに「小津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、危うく見逃すくらい小さい。引いて撮ると左のような景色。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。

Img_8819c_20211009192701  今日のゴールに予定していた六軒駅の東、スタートからは7.7㎞のところに道標と常夜燈。常夜燈は、明治45(1912)年建立。入母屋型竿長。明治の終わり頃、参宮鉄道が開通しても、白装束の参宮客は六軒駅で降り、ここを曲がって伊勢まで歩いて行ったといいます。道標はかなり読みにくくなっていますが、「右松阪及山田○○」「左津及香良洲○○」とあります。下部が埋まってしまっていて、文字は一部不明。大正3(1914)年の建立。

Img_8835c_20211009192701  今日の伊勢街道歩きは、ここまで。この常夜燈・道標のところから、歩いてきた道を振り返った写真。道中、ずっと晴天。「日に焼けると疲れる」とか、「それは陽に当たると疲れるのだ」とかいいながら歩いてきました。

Img_8843c_20211009192701 Img_8878c_20211009192701  ゴールのJR紀勢線・六軒駅。スタートからは8㎞、時刻は、13時40分。いってはいけませんが、いかにも田舎の駅。味というか、風情があります。建物があるだけで、切符の販売機も、飲料の自販機もありません。右の写真は、跨線橋から津方面を見た写真。気持ちの良い景色が広がっています。

Img_8872c_20211009192701  津方面の亀山行き普通は14時ちょうど。1時間に1本が基本ですので、すぐに電車がなければ、近くの近鉄山田線伊勢中原駅に回ろうかと思っていたのですが、14時の電車に乗ることにします。スタートした高茶屋駅からはたったの1駅。下っていくと、次の駅は松阪駅。いよいよ遠くまでやって来た気がします。津駅には14時18分に到着。¥240。

Img_8893c_20211009192701 Dsc_6246c  3回連続になりますが、津駅の駅ビル・チャムで昼食。今回は、豚そば・ぎんやでつけ麺。¥850。つけだれはちょっと辛かったものの、美味しく食べられました。

Img_8897c_20211009204101 Img_8909c_20211009192701  昼食を済ませ、津からは近鉄。15時16分発名古屋行き急行で、桑名には16時4分着。今日の歩数は、19,444歩。現地で8㎞、自宅~桑名駅往復が2.2㎞で、計10.2㎞。天気もよかったので、いささか日に焼け、ちょっと疲れたかなと思っています。本編は、いつも通り、また明日以降ユルユルと書いていきます。

2021年10月 8日 (金)

今日は、モズ・デー

Img_7655c_20211008171801 Img_8156c  上天気で、朝夕は秋のような空なのですが(冒頭の写真)、日中は、夏の空(右の写真)。季節が入り交じっているというか、1日の間に交代するというか。散歩も後半になると、暑く感じました。今日の最高気温は、29.4℃。私は公園や、日陰のある街中を歩いていますが、揖斐川右岸の堤防を伊勢大橋まで往復する散歩友達は、日陰がなくてフラついたといっていました。いつものように7時半から歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.1㎞。帰宅は11時(笑)。自宅前に戻ってきたところで散歩友達に会い、30分も話し込んでいました。

Img_7751c_20211008171801 Img_8035c_20211008171801  今日は、モズ・デーでした。九華公園、貝塚公園、老松公園でそれぞれオスのモズを1羽ずつ確認。九華公園と貝塚公園で見たモズは、ひょっとすると同一個体かも知れません。九華公園から貝塚公園は、直線距離で300mほど。九華公園にいたモズが、立教小学校を越えて、貝塚公園方面に飛んで行くのをときどき見ます。左の写真は、九華公園で見たモズ。右は、貝塚公園でのモズ。

Img_8142c_20211008171801  こちらは、老松公園にいたモズ。九華公園からは直線距離で600m以上。600m離れていると、たぶん別のモズ(縄張りも別)と思うのですが、秋~春先の縄張りの広さがどれくらいなのでしょう? 「繁殖期の行動圏の広さは、止まり場所の分布などによるが,およそ1~4ha.」というデータがありました(こちら)。1ヘクタールは、100m四方の広さ。こちらのブログには、観察結果から、「秋の縄張りの範囲は、400〜500mくらいなのでは?と思いました」とあります。

Img_7858c_20211008171801 Img_7916c_20211008171801  さらに、九華公園には、今日は3羽のアオサギさんがいて、ビックリ。3羽同時には見られなかったのですが、鎮国守国神社にお参りしてから、再び北門の方から、相撲場あたりに来たら、次々と3羽が出て来たのです。左右の写真のアオサギさんは、別の個体。3羽もいたのは、たぶん初めて。

Img_7695c_20211008171801  さて、散歩の初め、住吉神社の前から揖斐川右岸の堤防を見たら、住吉水門のところにダイサギが1羽。写真を撮ろうと堤防の上から見下ろしたら、逃げられました。逃げた先は、七里の渡し跡の川口水門の上流側へ。そこからさらに下流側には、アオサギ。

Img_7719c_20211008171801  蟠龍櫓のところに来たら、イソヒヨドリのメスが飛んで来て、櫓に。久しぶり。鳥は少ないものの、ここまででダイサギ、アオサギ、イソヒヨドリを見られれば、上出来(微笑)。

Img_7960c_20211008171801 Img_7977c_20211008171801  九華公園では、この頃カワラヒワがほとんど見られません。ヒヨドリは、このところだんだんと増えてきています。他には、ドバト、キジバトくらい。今日は、ハシボソガラスもいません。モズ、アオサギ以外に見たのは、ハクセキレイ(野球場)、アーちゃん(野球場南の堀)。

Img_7811c_20211008171801 Img_7833c  九華公園には、今日もヌートリアがいました。見つけたのは、昨日と同じく、北門を入ったところの堀。南からやって来て、堀に落ちているブロックの上に乗って、身繕い。汚い水でも平気なようですが、身繕いは入念に行っていました。案外きれい好きなのかも知れません。草刈り作業に来ていらっしゃるシルバー人材センターの方に伺うと、柿安コミュニティパーク西の堀にも出没していたようです。

Img_8100c_20211008171801  貝塚公園、勝手に「重点観察地域」に指定しましたので、かなり粘ったものの、モズの他には、カワラヒワのみ。いつぞやも書いたのですが、天気がよいと野鳥も多いと期待したくなるのですが、そうそうおいしい話はありません。

Img_8050c_20211008171801  貝塚公園には、柿の木が何本かあるのですが、こちら、実がたくさん残っていますし、鳥もほとんど食べに来ません。散歩友達がいうには、渋柿だそうです。九華公園の外周遊歩道南にある柿の木、去年、「柿の木レストラン」と呼んでいたところは、今年は柿の実が少なく、鳥も集まって来ません。

Img_7640c_20211008171801  午後からは、歯科治療。今回は、下の歯すべてを治してもらってます。歯はガタガタ(苦笑)。「歯がなくなって、ジジイの道まっしぐら」であります。亡くなったオヤジの体質をしっかりを受け継いでいるようで、やむを得ません。

Img_8168c_20211008171901  余談。au Walletのショッピングで、これを買ってしまいました。難だったか忘れたのですが、3,000ポイントをもらって、その有効期限が今月末。あれこれ探したところ、この蓬莱 渡辺酒店の「日欧米5大酒類コンクール金賞受賞酒飲み比べセット」が、送料込みでちょうど¥3,000。さらに、500円引き(微笑)。なので、買ってしまったという次第。ホドホドにしないといけません。

Img_7769c_20211008171801  明日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第11回の予定。津・高茶屋から松阪・六軒まで歩きます。最近は、雨に祟られていましたが、久しぶりに晴れ予報。濡れる心配をせずに歩けそうです。明日のコースには、松浦武四郎の生家や、その記念館があります。

2021年10月 7日 (木)

今日は、ヌートリア・ウォッチング@九華公園(笑)

Img_7364c_20211007144601  夜半から未明にかけて雨。日中は曇天。気温は26.6℃で昨日ほど上がりませんでしたが、ちょっと蒸す感じ。昨日の授業のQ&Aは、早く目が覚めて、夜明けまでに完了。朝食後、家事の合間にチェックして送りました。今書いたように、今朝は、故あって、家事を一通りこなし、8時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園から内堀、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.1㎞。遅く出たのと、九華公園で久しぶりに元管理人のOさんとKさんに出遭い、ずいぶん長い時間しゃべっていた結果、鳥はあまり見られず。そもそもいなかったのか、もう遅かったのか、定かではありません。

Img_7449c_20211007144501 Img_7464c  先週の土曜(10月2日)に九華公園でヌートリアの目撃情報がありました。今日、9時45分頃、吉之丸堀にかかる橋にいた散歩をしている人が、「しっぽの長い変な生き物が泳いでいる!」と騒いでいました。遠かったのですが、どうもヌートリアらしい。

Img_7484c_20211007145401  鎮国守国神社を回って、北門の方から相撲場に行こうとしたら、南から泳いでくる生き物。さっきの生き物です。やはりこれは、ヌートリア。散歩友達のご夫婦も、これを見つけて追いかけて、戻って来たくらい(微笑)。元管理人のKさんもやって来ました。

Img_7488c_20211007144601 Img_7519c  堀の北の端で水から上がって身繕いをしたり、堀の中から落ちていた木の枝か根を拾って、食べていました。けっこう可愛らしく見えてしまいます。沼狸(しょうり、ぬまたぬき)、海狸鼠(かいりねずみ)、洋溝鼠(ようどぶねずみ)、舶来溝鼠(はくらいどぶねずみ)などとも呼んだそうですが、ネズミ目(齧歯目)ヌートリア科。草食性。南アメリカ原産の特定外来生物。餌をやったりすることはで来ません。

Img_7386c_20211007144601 Img_7400c_20211007150201  さて、時間もずれていたので、野鳥はあまりいません。住吉神社のあたりにはスズメが10羽以上。三の丸公園ではヒヨドリ。ヒヨドリは、暑い間はほとんど姿を見ませんでしたが、徐々に戻って来ている印象があります。右の写真は、他に鳥がいないと行けないと思ってとった「保険」(苦笑)。柿安コミュニティパークにはハクセキレイ2羽。成鳥のオスと、若者。

Img_7564c_20211007144501 Img_7571c_20211007144501  九華公園でもヒヨドリの声がよく聞こえます。奥平屋敷跡にはドバト、カワラヒワ、ハシボソガラス。ここで話に夢中になり、バードウォッチングは疎かに。その後、公園内では、キジバトなど。グラウンドでは、ハクセキレイ。グラウンドの南の堀には、アーちゃん。

Img_7534c  鎮国守国神社にお参りしてから、ヌートリアを見たあと。社務所の裏にアオサギが飛んできました。今日は、重役出勤のようです。

Img_7579c_20211007144501  貝塚公園も静かだったのですが、「重点観察地域」に指定しましたので(苦笑)、諦めずに鳥の出待ち。四阿で待っていたら、コサメビタキがやって来てくれました。いやぁ、待ってよかった。

Img_7609c_20211007144501  そのあと、内堀南公園のところを歩いていたら、北の内堀の方からモズの鳴き声。民家の屋根の上のテレビアンテナに止まっていました。

Img_7354c  アサガオ、まだ今日も1輪。葉っぱはほとんど枯れてしまい、花は小さくなっていますが、咲いています。

Img_7423c_20211007144601 余談。九華公園の管理事務所に写真のようなポスターが貼ってありました。しばらく前から人気のある「御城印」。ついに桑名城にも登場し、昨日から、宿場の茶店ハジメ桑名市物産観光案内所で販売されています(九華公園ではないのが、不思議ですが、管理会社に販売を委託できないのでしょう)。1枚¥300。ずいぶん以前から、旧桑名城である九華公園の管理事務所にも問い合わせがあったり、直接訪ねてこられたりしていたそうです。せっかくだから1枚買っておこうかと思ったり、もったいないよねと考え直したりしています。本多忠勝入封420周年記念で発売されました(こちらに情報があります)。

2021年10月 6日 (水)

速報:枝豆の実がなりました(微笑)

 夕方気づきましたので、速報(とはいえ、まったく個人的な興味、関心ですから、お気遣いなく)。

Img_7353c_20211006202201  あの「おつまみ枝豆栽培キット」に実が1つなりました。このキット、8月24日に種を蒔きました(2021年8月24日:天気はまだスッキリせず……枝豆栽培キットに挑戦(微笑))。説明書によれば、「発芽から約1ヶ月半後から節ごとに実がつきます。実が大きく膨らんだら、実が柔らかいうちに収穫しましょう」となっています。今日はまだこの1つ。実とはいえ薄くて、ペラペラ。節ごとに実がつくといいますから、もっと実がついてくるはず。ちなみに、発芽したのは、8月29日(2021年8月29日:枝豆が発芽しました……九華公園にはコゲラとシジュウカラが登場)。発芽から今日までは、1ヶ月と8日です。食べられるのは、もう少し先。

後期、江戸橋での仕事が始まりました

Dscn4530c  10月6日、水曜日。後期の江戸橋での非常勤の授業開始日でした。昨日も書きましたが、当初の予定では、先週から開始でしたが、コロナ・ワクチンの職域接種が遅れ、10月1日が後期開始。私の授業は、今日から。前期は、8月4日が定期試験でしたので、ほぼ2ヶ月ぶりに出かけて来ました。こちらは、裏門。いつも裏門から入ってきます。グラウンドを横切って、正面に見える管理棟に向かうのですが、工事中。フェンスをつくると書いてありました。

Dsc_6240c  授業は、10時半から12時。今日は、オリエンテーション。前期と同じく、透明アクリル板に囲まれています(微苦笑)。このアクリル板には、慣れたような、慣れないような微妙な感じ。学生との間には、数メートル以上の距離があります(今も昔も、学生たちは、前の方を空けて、後ろの方に着席することが多いのです)から、アクリル板がなくてもソーシャルディスタンスは保てますが……。受講者は40名あまり。過去の受講者数から推測したよりも10名以上少ない。「人気が落ちたか?」とも思ったりしましたが、まぁ気にしない。終了後、4年制大学に編入して心理学を勉強したいという学生が二人、話をしに来てくれました。

Dscn4542c Dscn4544c  帰り道、12時20分の電車には間に合いそうもありませんでしたので(というか、最初から確信犯なのですが)、志登茂川に寄り道。授業が終わって、潮汐表をスマホでチェックしたのです。ご覧のように、ちょうど干潮時刻。サギやカモの姿がありました。

Dscn4548c Dscn4560c  まず、上流側(上右の写真)には、ダイサギが2羽。下流側(上左の写真)には、ちょっと遠いところにアオサギさんが1羽。

Dscn4551c  下流側にはカモが3羽。一瞬、もう渡ってきたかと思ったのですが、ぬか喜び。よくよく見たら、カルガモのようでした。まぁ、まだ10月の初めで、今日など桑名では31.2℃もありましたから。またこれからも、返りに寄り道というか、道草をするつもり。それにしても、仕事のついでにバードウォッチングができるとは、何と恵まれた職場でしょう。ちなみに、今日は非常勤講師室の窓の外でモズやハクセキレイの鳴き声が聞こえていました(微笑)。

Dscn4565c  志登茂川経由で江戸橋駅まで行くと、これを観てこなくてはなりません(微笑)。伊勢街道と伊勢別街道の追分にある常夜燈と道標。何度みたか分からないくらいくりかえし見ています。津市内最古の常夜燈と、高田本山への道標。

Dscn4567c  12時40分の電車で帰宅。桑名までの乗車時間は、約40分ですので、片道の通勤時間は徒歩を含め1時間弱。まぁ、ちょうどよいくらい。出席チェックは終了。今日、自己理解の演習として実施した「シャイネス尺度」の集計も終えました。これから、あのQ&A作業。今回は、オリエンテーションですので、比較的短時間で済む見込み。

2021年10月 5日 (火)

九華公園でコサギとコサメビタキ……貝塚公園も重点観察地域に勝手に指定(微笑)

Img_7328c_20211005162601  9月並の陽気が続いています。今日も、29.6℃まで気温は上がって、蒸し暑く感じます。朝は、20.4℃でしたから、10℃近く差があり、ちょっと堪えます。いつも通り、7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と、一応6.2㎞。貝塚公園で鳥を追いかけて、グルグル回りましたので、たぶんこれよりたくさん歩いています。帰宅は11時(苦笑)。いつもならサッサと通り過ぎる貝塚公園で1時間もいたのが、長くなった理由。

Img_6764c_20211005162801 Img_6787c_20211005162801  桑名七里の渡し公園の上空をコサギらしき鳥が1羽、通過。揖斐長良川の中洲には、ダイサギ1羽と、その従者のように控えるカルガモ1羽。七里の渡し公園には、モズがいたものの、カメラを構えている間にいなくなってしまいました。住吉神社に行ったとき、公園の方からモズの鳴き声が聞こえたのですが、どこにいるかは分からず。

Img_6834c_20211005162801 Img_6855c_20211005162801  十万山の南端には、今日もアオサギさんがいました。65倍ズームで撮って、かなりトリミングしています。昨日もいたアオサギではないかという気がしますが、遠くて分かりません。柿安コミュニティパークには、スズメが数羽。

Img_6888c_20211005162801  九華公園には8時に到着。今日は、アオサギがいなかった代わりにコサギ1羽。最初は、堀で餌を探していたのですが、私が通ったら、鎮国守国神社の社務所の裏の木に逃げました。写真はその時のもの。私が通り過ぎて、九華橋から見ると、再び堀に降りていました。

Img_6953c_20211005162801  奥平屋敷跡は、今日も静か(苦笑)。写真が撮れたのは、ハクセキレイ1羽のみ。カワラヒワは上空を通過するだけ。南の端で、コサメビタキらしき鳥を見かけたものの、確認できず。ハシボソガラス、ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ、キジバトなどいつものメンツは揃っていました。メジロの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見当たらず。

Img_6982c Img_7024c_20211005162801  二の丸跡では、キジバトとヒヨドリ。ヒヨドリは、少しずつ増えてきました。朝日丸跡に来たら、コサメビタキ。2羽いたように思うのですが、確信はありません。さらに、朝日丸跡と二の丸跡の間にあるクスノキにムシクイの仲間。ただ、これはまさに証拠写真(苦笑)。

Img_7048c_20211005162701  吉之丸堀には、アーちゃん。遠くから見たら、他の種類のカモのように見え、一瞬、ぬか喜び(苦笑)。早い年には、今頃もうカモがやってくるのです。日曜日に木曽川にコガモ、ヒドリがもがいたとひらいさんが書いておられましたので(2021.10.03 お散歩日報(ウェルカモ))、もうすぐと期待が高まっています。

Img_7056c Img_7060c_20211005162701  九華公園の外周遊歩道の南にあるソメイヨシノの木に鳥の巣があったと、散歩友達のYさんが教えてくださったので、確認。何の巣か、確認中。「実物 日本鳥の巣図鑑」というサイトがあるのです。判明したら、追記します。

Img_7099c_20211005162701  貝塚公園では、まず、モズ。北門を入って正面の高い木のてっぺんにいました。モズは、高い木などのてっぺんにいて、自分がどこにいるか教えてくれます(微笑)。このあと散歩友達Sさんと、女性のバードウォッチャーさん(以前もここで出遭った方)。このバードウォッチャーさんに、コサメビタキ、ムシクイ、キビタキがいたと教えてもらい、モチベーションがアップ。

Img_7148c_20211005162701 Img_7155c_20211005162701  いろいろと見たものの、写真は、うまく行かず。リベンジが必要。本来なら載せるようなものではありませんが、自分自身を奮起させるためと、記憶のために、チョー証拠写真ですが、載せておきます(「お前、何をやってんだ!?」といわれることは覚悟)。キビタキのオス。左の写真では、中央に小さく写っています(取り敢えず、シャッターを押したという次第)。右は、ピンぼけ。

Img_7218c_20211005162701 Img_7237c_20211005173501  左は、ムシクイの仲間。女性バードウォッチャーさんは、2種類いたとおっしゃいました。右は、コサメビタキ。その他にも、このあたりではほとんど見ない鳥がいるともおっしゃっていました。これからしばらくは、貝塚公園もじっくり見て回ることにします。

Img_7310c_20211005162601  他には、メジロとシジュウカラ。あまりペケ写真ばかり載せるのもどうかと思いますので、メジロは割愛。

Img_6941c_20211005162801  ヒガンバナは、花はすっかりオシマイ。「葉見ず花見ず」の別称通り、花が終わりましたので、葉っぱがでてきています。花が終わって、秋に鱗茎1個から長さ30~50 cm の細い葉をロゼット状に数枚出して、緑を保ったまま冬を越し、ほかの植物が葉を茂りだす初夏(4 - 6月頃)に葉を枯らして、地上部は見えなくなります。

Img_7134c_20211005162701 Img_7140c_20211005162701  こちらは、貝塚公園で咲いている花。ずっと以前から気になっていたのですが、写真を撮ろうと思うと、花が傷んでいたりして、チャンスを逃し続けていました。Google Imageで検索したら、すごいですね、出て来ました(今頃、分かったのか!?)。ユッカ蘭だそうです。厚葉君が代蘭(あつばきみがよらん)が和名。リュウゼツランの仲間。これでスッキリ(微笑)。ということで、貝塚公園内を1時間ほどウロウロ(爆)。

Img_7069c_20211005162701  ところで、明日は、いよいよ非常勤の後期の講義が始まります。予定から1週間遅れ。遅れたのは、大学で行うコロナワクチンの職域接種が遅れたため。当初は、8月中旬に職域接種だったのが、1ヶ月ずれ込んだのです。接種翌日は、休みにするため、オリエンテーション日程が取れなくなって……という次第。結局、講義15回+試験1回が、講義15回の中で試験を実施となって、マイナス1回。新しい内容を考えていたのですが、今年度は必要なくなりました。講義の内容&レジメは、4回分を準備済み(微笑)。

2021年10月 4日 (月)

九華公園でコサメビタキ……午後は歴史講座へ

Img_6713c_20211004162901 Img_6699c_20211004162901  好天が続いています。今日も上天気で、気温も29.0℃。朝はいつものように散歩、午後からは、忘れずに市民大学郷土史学科の講義に行ってきました(微笑)。しかし、今日の空は、夏の空のようでした。冒頭の2枚は、何れも散歩帰りに撮ったもの。右の写真は、住吉入江のところから見た東の空。夏の雲です。

Img_6344c  さて、朝はいつも通り、7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.8㎞。相変わらず、鳥は少ないのです。ブロ友のひらいさんは、昨日、木曽川でコガモとヒドリガモのメスを確認したそうですから(2021.10.03 お散歩日報(ウェルカモ))、そのうち九華公園や大山田川にもやって来るかと思います。

Img_6395c_20211004162901 Img_6407c_20211004162901  証拠写真からですが(苦笑)、揖斐長良川の中洲には、ダイサギとアオサギ。ダイサギは、長良川河口堰に近いところに、また、アオサギは、中洲・十万山の南端に、それぞれいました。この十万山の南端のところは、ときどきアオサギが佇んでいます。好みの場所なのか、餌が取れるのか、と思えます。

Img_6446c_20211004162901  九華公園にもアオサギさん。いつも通り、九華橋の近くの樹上。近くでメジロを見かけたものの、撮影には失敗。ヒヨドリの鳴き声がよく聞こえるようになってきました。

Img_6497c_20211004162901 Img_6522c_20211004162901  奥平屋敷跡では、コサメビタキ。太陽の光に白く輝く、小さなものが見えました。それがコサメビタキのお腹。数分、このあたりを移動してから、どこかに去ってしまい、それっきり。

Img_6543c_20211004162901  キジバト。珍しくない鳥ですが、木の枝を折ってはくわえていきます。キジバトの繁殖は、ほぼ周年だそうですから、今から営巣するのでしょう。この他、カワラヒワもいたものの、写真が撮りやすいところには来ず。

Img_6563c_20211004162901 Img_6572c_20211004162901  今日も鳥が少ないので、やむを得ず、スズメとカワウ。スズメは、しばらく前よりはよく見るようになった気がします。カワウについて、最近ほとんど取り上げていませんが、ずっと前から2~3羽ずつくらいしかいないようになっています。堀で漁をする姿もまったくといってよいほど見なくなっています。河口堰でも少なく、このあたりにはあまり来なくなったのではないかと思います。

6e3f28c0  ところで、散歩友達のYさんが、10月2日(土)、野球場の南の遊歩道の堀で、ヌートリアを目撃したそうです。前から来ていることがあったかも知れませんが、私としては初めて(スマホ写真も見せていただきました)。左の写真は、2019年2月15日に弥富の三ツ又池公園で撮ったもの(河口堰とM池公園へ……セグロカモメ、ホオジロ、ミコアイサ、ケリ、帰りにプチ歴史散歩)。揖斐川からの導水路の流入口近く、いつもアーちゃんがいる石の上にいたとか。揖斐川からやって来たのかも知れません。ちなみに、アーちゃんは、今日は不在。ヌートリアを嫌がったか?

Img_6664c_20211004162901  貝塚公園では、シジュウカラ。モズの鳴き声も聞いたような気がしたものの、姿はなし。他には、ヒヨドリ、メジロ、カワラヒワ。

Img_6671c_20211004162901  貝塚公園の近くのお宅で、キンモクセイ。今シーズンは、ウッカリしていて確認し忘れていました。先月からあちこちで咲いていたはずなのに(微苦笑)。

Dscn4526c Img_6731c_20211004162901  午後からは、パブリックセンターでの市民大学郷土史学科の講座へ。先月は(9月6日の予定)、まん延防止等重点措置が発令されていて、休講でしたから2ヶ月ぶり。今日からは、戊辰戦争の話ですが、まずはそのバックグラウンドということで、殿様の関連系図の話。将軍家、御三家、御三卿、桑名藩などの殿様を中心とした関連系図をみながら、きょうだい、姻戚、養子縁組などの話。ひと言でいうと、江戸後期の幕政を担った人や、中心人物は、(養子なども含め)かなり血縁関係があったとなります。この系図が力作。講師の先生、いつも系図や年表を詳しくつくってくださいます。9月の休講の分は、11月29日になりました。レギュラーが、11月22日と12月6日ですので、この間、3週連続して、市民大学郷土史学科があることになります。いやぁ、アタマが爆発せずについて行けるか、心配ですねぇ。

Img_6334c_20211004172501 Img_6721c_20211004172501  オマケ。アサガオ、先日、もうオシマイかと書きましたが、まだまだ。今朝は、1輪。明日咲きそうなつぼみも1つ。

Img_6390c_20211004172901  どうでもよい(ホントは、よくはないかも)余談。パブリックセンターから帰宅して1時間。ゆっくりしていたら、センターから電話がありました。こういうときはあまりよくないことが浮かびます。「知らないうちに、何か不始末をしでかしてきたか?!」などと(爆)。「靴を間違えてお帰りになりませんでしたか?」と尋ねられました。大丈夫、今のところ、今日、何番の靴箱に入れたかまで覚えています(微笑)。しかし、何ごとも「明日は我が身」です。気をつけないと。それにしても、センターの方、お疲れ様です。

2021年10月 3日 (日)

午前中は名古屋で特別支援教育支援員養成講座の講師……伊勢茶安永餅の感想も

Dscn4509c Dscn4511c  今日も好天ですが、今日午前中は、名古屋で特別支援教育支援員養成講座。10時~12時の2時間、ウィルあいちで「心理検査でわかること 検査の支援への活かし方」についてお話ししてきました。受講者の方は、コロナ以前に比べると若干少なめでしたが、皆さん、熱心に聞いてください、質問もかなりたくさん出していただき、いつもながら気持ちよくお話をしてきました。

Dscn4489c  ウィルあいちには早めについてしまいましたので、向かいにある名古屋市市政資料館で一休み。ここは、私の好きなところの1つ。ここで散歩したり、中を見学したりするほどの時間はありませんでしたので、建物正面のベンチでボンヤリ(微笑)。大正11(1922)年に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設された建物。もう何度も来ていますが、飽きません(たとえば、2018年3月11日:ウィルあいちで支援員養成講座の講師……終わって市政資料館で留置場を見て、名古屋ウィメンズマラソンにも遭遇)。

Dscn4499c Dscn4501c  玄関ホールから少しだけ中に入って、ステンドグラスだけ見てきました。ここは、赤い煉瓦と白の花崗岩が組み合わせられた、荘重で華やかなネオ・バロック様式の外観も素晴らしいのですが、内部には、昔の法廷が再現されていますし、1階の奥まったところにある「留置場」もおもしろい。喫茶室もあります(2019年2月24日:今日は、支援員養成講座で名古屋へ)。

Dscn4516c Dscn4522c  研修講座修了後は、直帰(笑)。ゆっくりしていますが、今日のおやつは、昨日、なばなの里でゲットしてきた「伊勢茶安永餅」。「お茶が入っている」という感じはあまりしなかったのですが、お茶の香りがします。食べてみると、後味がサッパリしていました。普通の安永餅ですと、食べたあと、口の中に餡子の甘さが残ります。それがないのです。これはなかなか良いと思います。

Img_5973c_20211002170001  ところで、今週は、明日午後は市民大学郷土史学科。先月は、コロナで休講でしたので、何だか忘れそうな気がして怖い(苦笑)。水曜は後期の非常勤の授業がスタート。金曜午後は歯科治療、土曜は伊勢参りツアー、日曜日は訪問面談と忙しい。いつも書くように、「怠け者の節句働き」。皆様方が休んでいらっしゃるという意味ではなく、「普段、怠けている者に限って……」というところに重点を置いております。

2021年10月 2日 (土)

20211002長良川河口堰・なばなの里

Img_6312c_20211002170201  好天。風は、北寄りの風が、5m/sほどとかなり強いものの、お出かけ日和。気温は、30℃を越えましたが、さほど暑い感じはしません。ブロ友のひらいさんのブログ2021.09.29 臨時更新)で、長良川河口堰にサギがたくさん集まっている写真がありましたので、今日は河口堰へ行こうと計画していました。そこへ、ひらいさんから、ついでになばなの里へもというお誘いをいただき、タイトルのように、長良川河口堰で待ち合わせ、ひらいさんの年間パスポートでなばなの里へ連れていっていただきました(微笑)。なばなの里では、ダリヤ・コスモスまつりを開催中。

Img_5238c_20211002165601 Img_5266c_20211002165601  長良川河口堰へ行く前に上之輪新田に立ち寄って来ました。そろそろ稲刈りが行われ、サギが来ていないかと思ったのです。北半分は稲刈りが済んでいましたが、いたのは、ダイサギが1羽のみ。その他、ハクセキレイ、キジバトを1羽ずつ。モズの鳴き声を聞いたのですが、姿は確認できませんでした。

Img_5271c  鳥を探していたら、大阪へ向かう「ひのとり」が通過。ひのとりを見ると、反射的に写真を撮ってしまうのです(笑)。滞在15分ほどで長良川河口堰へ向かいます。

Img_5369c_20211002165701Img_5452c_20211002165701  長良川河口堰には9時前に到着。ひらいさんとは、ここで9時過ぎくらいに待ち合わせ。管理橋の上は、さすがに風が強い。帽子が飛ばされそうなくらい。何度も書いていますが、このように広々としていて、水があるところは、本当に気持ちが良い。心が解放される気がします。

Img_5315c_20211002171401 Img_5325c_20211002171401  長良川左岸(東側)の魚道上流側には、ダイサギ1羽と、コサギが6~7羽。覗いたら、コサギたちは驚いて、飛び回り、どこかへ飛び去ったものや、魚道の別の所に移動したものなどがいます。

Img_5351c_20211002165701 Img_5448c_20211002165701  同じく左岸下流側では、コサギが1羽、魚道に降りてエサ探し中。管理橋の上では、ハクセキレイが数羽、戯れていました。

Img_5500c_20211002165801 Img_5470c_20211002165801  西側へ移動。堰の下流側にあるオレンジ色の柱の上に猛禽類らしき姿。この写真は、65倍ズームで撮った上にトリミング。それでもこれくらいにしか写りません。ミサゴが、かなり大きな魚を捕まえてきて、食餌中でした。その前、閘門の上流側には、ひっそりとアオサギさんがいました。

Img_5403c Img_5560c_20211002165801  親水広場に降りていったのですが、新伊勢大橋の架け替え工事が、始まっていました。令和6年度完成見込みだそうです。工事は、10月以降、川の水が少なくなる時期に行われます。工事は、親水広場の北の端、ちょうど伊勢大橋の中堤交差点のすぐ南で行われています。

Img_5541c_20211002172201 Img_5529c_20211002165801  また、親水広場にあるアユの孵化試験を行う水路では、孵化試験に向けて準備が行われていました。こういう具合でしたので、親水広場には鳥はほとんどいません。見かけたのは、イソシギ2羽と、ヒヨドリの群れのみ。いつもならたいていいるハクセキレイもいません。管理橋の西側に戻るときに、ひらいさんと出会い、なばなの里へ。今の時期、10時開園なのです。

Img_6281c_20211002170201 Img_5651c_20211002165801  花市場には来ていたものの、なばなの里に入るのはたぶん、去年の4月21日以来(2020年4月21日:その後の御衣黄、河口堰でコムクドリ、某所でケリは営巣……なばなの里は花ひろばのみ公開中)。この1週間前にも行っています(2020年4月14日:御衣黄、ベゴニアガーデンそして押し寿司……藤が丘デザイン公園となばなの里へ)。冒頭にも書きましたが、現在、ダリヤ・コスモスまつりを開催中。そして、ひらいさんのブログで見ていたオオオニバスとオニバスを是非とも見たいと思っていたのです。

Img_5667c_20211002165801  まずは、オリーブの木。樹齢1,000年といわれるオリーブの大樹です。スペイン・カタルーニャ州からやって来て、2019年6月にここ(地ビール園前ひろば)に植樹されたもの。幹囲約4m、高さ3.5mあるそうですが、植樹されたときの写真と比べると、向かって左や中央のところは枯れてきているように見えます。

Img_5700c Img_5709c_20211002165801  オオオニバス。チャペルの南、ベゴニアガーデンの入り口の東の池にあります。右は、その花。浮水葉は、直径2m以上になるそうです。花も大型で、直径30cmにもなるといいます。

Img_5809c_20211002165901  こちらは、花ひろば方面に向かう橋の南にあるオオオニバス。葉っぱは、やはり大きい。大人でも葉っぱに乗れそうな気がします。

Img_5741c_20211002165901 Img_5781c  オニバス。全国的にも珍しいオニバス(鬼蓮)の生息地で、三重県で見られるのはなばなの里だけだそうです(こちら)。

Img_5789c_20211002165901 Img_5796c_20211002165901  オオオニバスにもあるようですが、オニバスの葉には鋭いトゲがあります。これは、遊歩道の所に説明のために置かれていたものを撮影。たしかに痛そうなトゲがたくさん生えています。

Img_5862c_20211002175601 Img_6033c  いよいよ花ひろばへ。ここでダリヤ・コスモスまつりが行われています。右の写真は、もっとも奥にある展望台の1階から見たもの。この花ひろばは、「日本最大級」とか。確かに広いのです。かなり歩き回りました。

Img_6110c_20211002170101 Img_6114c_20211002170101  コスモスは、ほぼ満開。眺めながら歩く人、スマホやカメラで写真を撮る人、皆さんそれぞれに楽しんでおられます。私も、あちこちでたくさん写真を撮って、しっかり楽しませてもらいました。ちなみに、今日1日で1,000枚以上の写真を撮ってきて、娘に呆れられました(苦笑)。

Img_5923c_20211002170001  ダリヤは、まだこれからという印象でしたが、それでもたくさんの品種が咲いていました。もともと植物には疎いのですが、ダリヤには園芸品種がかなりあるようで、とてもフォローしきれません。名札がないと、名前はサッパリ見当がつかず。もっとも、その品種をつくり出した人が、独自に命名しているのでしょうから、それもやむを得ないかも。

Img_5916c_20211002170001 Img_5908c_20211002170001  ここからはひらいさんにご教示いただいたネタ(ひらいさんのブログにも記事がありました)。これは、「大恋愛」という種類のダリヤ。

Img_5893c Img_5897c_20211002170001  その少し西にこちら「愛の旅路」という種類のダリヤが咲いています。

Img_5901c_20211002170001 Img_5905c_20211002181301
 そして、これら2種類の間に「浮気心」というダリヤが植えられているのです。残念ながら、「浮気心」はまだ咲いておらず。これら3品種、毎年並んで植えられているのだそうです。さすが、なばなの里の熱心なファンのひらいさん、目の付けどころが違います。

Img_6047c_20211002170101 Img_6052c_20211002170101  イルミネーションは、まだ工事中。今年は、10月23日(土)からの予定。メインテーマは、いつもより低いもののようです。しかし、左右の幅は広そうだといいます。メインは、たぶん山。それ以上は、さすがのひらいさんも、まだ想像がつかないとか。

Img_6240c  ひらいさんのお蔭でなばなの里をしっかり楽しんできました。せっかく来たからには、行楽気分を少しでも味わいたいと思い、ソフトクリーム。¥400。ルタオのジャージーミルクです。ルタオは、北海道・小樽にある洋菓子店「小樽洋菓子舗ルタオ」。

Img_6232c_20211002170201 Img_6242c_20211002170201  さらに、去年春のリベンジ(微苦笑)。去年の春は、永餅屋老舗のなばなの里限定「さくら安永餅」があるはずだったのですが(2020年4月14日:御衣黄、ベゴニアガーデンそして押し寿司……藤が丘デザイン公園となばなの里へ)、コロナで閉園その他でゲットできなかったのです。今日は、「伊勢茶安永餅」を売っていましたので、それを土産に買ってきました(8本入り、税込み¥1,000:長島温泉限定のようです。ここの他には、ジャズドリーム長島でも売っているそうです)。賞味期限は、10月4日ですが、今日はまだ食べておりません。食レポは、明日にでも。

Img_6324c_20211002185701 Img_6319c_20211002170201  ということで、秋の行楽を楽しんできました。歩いた距離は、測定不能ですが、歩数は帰宅した時点で10,091歩。6㎞近くは歩いたと思います。右は、我が家の玄関先から見た長良川河口堰となばなの里。父方の叔父がかつて、「お前は良いところに住んだなぁ」といいましたが、本当にそう思います。

Img_6162c_20211002170201  明日は、午前中、名古屋で特別支援教育支援員養成講座で講師を務めてきます。行楽気分から、気持ちを切り替えないといけません。

2021年10月 1日 (金)

アオサギとアーちゃんが救いの神、今朝のバードウォッチング(お粗末)……ヤモリの赤ちゃんを発見

Img_4798c_20211001161301  我が家あたりでは、台風の影響はほとんどなく済みましたが、昼前からは、吹き返しの風(台風も来ていないのに吹き返しというのもヘンですが)が数m/s吹いています。午後から気温が上がって、27.8℃。午後から晴れてくるという予報でしたが、今のところは曇天。曇天ではありますが、朝は、木曽御嶽山や恵那山も見えていました。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。今日は九華公園をほぼ2週。

Img_4884c_20211001161301 Img_4902c_20211001161301  小型の野鳥が出て来そうで、なかなか出てこないという日々が続いていて、ちょっとしたフラストレーション(微苦笑)。揖斐長良川の中洲では、まず、三の丸水門の東にはダイサギが1羽。十万山の南端には、アオサギが1羽。これでも、今日はとくに貴重な鳥さんたち。

Img_5037c_20211001161401 Img_5080c_20211001161401  九華公園に着いたものの、最初の感想は「今日は、一段と静かだなぁ」というもの。ドバトが少しいただけ。そういう中、あおさぎさんだけはきょうもいてくれました。さらに、しばらく見ていると、あれこれ芸をしてくれ、退屈せず。左の写真は、痒くて掻いていたとき。右の写真は、身繕いの後ストレッチをしている一コマ。

Img_4952c_20211001161401  最近、アオサギがよくいる場所は、こちら。右端に写っているのが、九華橋。手前の堀は、北門を入って、相撲場と鎮国守国神社の社務所との間にある堀。赤丸の中にアオサギがいるのが写っています。ときどき「よく見つけるなぁ」といわれますが、だいたいいるところは決まっています。他の小型野鳥では、動くか、鳴くかしてくれないと気づかないこともよくあります。

Img_5083c_20211001161401  奥平屋敷跡。今日は、何も来ず。いつもなら、ハシボソガラス、ドバト、ムクドリくらいはいるのですが、今日はサッパリ。「いやぁ~、参ったなぁ」というのが正直な感想。いつものように二の丸跡、朝日丸跡、鎮国さんの境内と回ってもサッパリ。二度目の相撲場のところで、カワラヒワ数羽。これだけ(爆)。やむなく、奥平屋敷跡の鳥小屋の様子。最近、セキセイインコのひなが2羽ほど、巣箱から出て来ました。よく動くので数えられませんが、オカメインコと合わせると、50羽を越えたと思います。

Img_5096c Img_5102c_20211001161401  管理人さんが、鳥小屋の掃除中、珍しいものを見つけました。ヤモリの赤ちゃんと思います。鳥小屋の床で保護されました。セキセイインコも、オカメインコも、植物性の餌を食べますから、食べられるということはないでしょうが、鳥小屋本体からは外へ放されました。

Img_5115c_20211001161401  アーちゃんは、今日も、野球場南の堀の、決まった石の上に。これは、お休み体勢。このところ、アオサギさんとカルガモ・アーちゃんがバードウォッチングの救いの神。今日の鳥は以上(爆)。

Img_5151c_20211001161401 Img_5157c  諸戸氏庭園の祭車庫の工事の状況。祭車庫の内部は、2階建てのようになっています。その2階部分の内側は、壁が塗られているように見えました。今日は、作業が行われていましたので、住吉入江の土手越しの撮影。

Img_4792c_20211001161301  ネタがありませんので、余談で埋めます(苦笑)。アサガオ、もうつぼみはないと書きましたが、見逃していました。今朝は1つ咲いています。花の大きさは、5cmに足りないくらい。

Img_3306c  メダカの餌。メーカーは変えていないのですが、最近は、このように「にんにく配合」「納豆菌配合」というタイプにしてみました。メダカたちの食いつきは上々(微笑)。ニンニクと納豆菌が入っているなら、人の身体にも良さそうな気がしたりして、恐ろしい(苦笑)。

Img_4813c_20211001161301 Img_4809c_20211001161301  住吉神社の拝殿前。ほとんど見たことがない光景。御神酒があがっていました。それも、「純金箔入」「上撰」。何かとくにお願いしたいことがおありだったのでしょう。

Img_5128c_20211001161401  超余談。岸田文雄さん、「聞く力」があるといったことをおっしゃっていたのですが、いったい誰の話を聞くことがお得意なのでしょう? われわれ国民の話を「聞く耳」も是非とも持っていただきたいと強く願います。

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

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    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)