20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その1)……千里駅をスタートして、田中地蔵を経て、旧上野宿へ
ようやく(苦笑)、8月28日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その1です。三重県にも新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が発令されています。こういう中で街道歩きなどをするのは、不届き千万といわれかねません。しかし、繁華街に出かける訳ではありません。この日も猛暑でしたが、旧街道歩きをしている酔狂な人はいません。電車も換気が行われていますし、かなり空いています。3密回避、マスク着用など感染予防には十分注意した上で出かけてきました。この日は、津市河芸町から津市一身田平野までの8.4㎞。コースは、冒頭の画像の通り、近鉄名古屋線千里駅をスタート。田中地蔵堂、最勝寺、弘法井戸、光勝禅寺、高山地蔵尊、松林寺・中瀬八幡神社、痔神社、善行寺、観音寺から逆川神社を経て、近鉄高田本山駅まで。ルートは、ほぼ国道23号線にそっています。ゴール前に、餃子の王将三重大前店でランチ。桑名での最高気温は、36.5℃。コースは、割と海に近いので、風が多少はあったものの、やはり暑くて疲れました。帰宅後は、午睡というより、爆睡。
この日も、近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時12分に到着し、9時14分発の津新町行き普通に乗り換え。千里駅には9時21分に到着。¥570。9時半にスタート。ちなみに、千里駅で下車したのは、我々2人だけ。
まずは、詳細なルートマップその1。千里駅の目の前が伊勢街道。そこから近鉄名古屋線の踏切、国道23号線の千里駅交差点を越えて、西に向かいます。田中地蔵堂、田中川を大蔵橋で渡ると、田中川河川改修竣功記念碑と常夜燈の跡、上野公民館のところは明治天皇御休所址、上野神社の社号標を見て、最勝寺へ。虫籠窓と連子格子のある旧家から弘法井戸、枡形・道路改修記念碑を経て、満流寺と進みます。
千里駅を出て、近鉄名古屋線の踏切を越え、さらに国道23号線千里駅前交差点(左の写真)を渡って西へ。伊勢街道は、交差点を渡ってすぐに左へカーブ。少し行ったところの道の西側に田中地蔵堂。スタートからは300m。民家の間に立っていますが、由緒などは不明。近くを流れる川が田中川であるための名前かという気がします。このお堂の屋根はごく普通のもの。前回見てきた甕釜冠地蔵堂(2021年8月22日:20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(予告編))のそれが珍しいものであることが納得していただけると思います。
田中地蔵堂の先、大蔵橋で田中川を渡ります。渡ったところが、上野宿の北の入り口。橋を渡ったところに「田中川河川改修竣功記念碑(昭和59年の建立)」。昭和49(1974)年7月25日に豪雨があり(三重県亀山市では、19時間のうちに3ヶ月分の雨が降ったそうです)、その水害からの復旧工事が終わったことを記念するものです。この脇に小さな説明板があります。2年前の5月にここを歩いたときには気づきませんでしたが、そこには、「常夜燈があり、向かい側には接待所・光明院もあった」と書かれていました。常夜燈は今はありません。「接待所・光明院」は、前回見た「甕釜冠地蔵」のところが光明院であったと「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、こちらのサイトにも書かれています。「みえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップには、甕釜冠地蔵は「茶を供した休憩所」としかありません。ときどき、リソースによって説明などが違っていたりします。
上野宿には、古い建物がかなりたくさん残っています。歩きながら、あちこち眺めて、楽しめます。左は、橋本商店という酒屋さん。リノベーションしてはあるものの、もとは中二階のある、昔ながらの建物。街道沿いですから、普通の高さの2階建てを建てるのは、憚られたのでしょう。
スタートから1.1㎞ほどのところに上野公民館。伊勢街道・上野宿の説明が詳しく書かれていて、参考になります。上野宿は、上野藩主・分部光嘉(わけべみつよし)が城下町として整備した約2㎞の町
並みです。元和5(1619)年に分部氏が、近江国大溝藩(おおみぞはん:現在の滋賀県高島市)へ転封になり、上野城は廃城となりますが、その後も伊勢街道の宿場として発展したといいます。延享2(1745)年の記録では、家数313軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠13軒、茶屋29軒、酒屋5軒があったそうです。説明板には、問屋・御七里(七里飛脚か?)があり、妓楼も7~8軒あったと書かれていました。宿内の街道は防衛のため3ヶ所で屈折しており(枡形)、道幅は9尺だったそうです。さらに、ここは、「秋田家住居址で、明治天皇御小休所(二回)」という案内板もありました。明治天皇の三重県行幸は、明治13(1880)年7月などに行われ、また、伊勢神宮参拝は、明治2(1869)年3月12日(新暦では4月23日)、明治5(1872)年、明治13(1880)年、明治38(1905)年の4回行われています。このいずれかの時、ここにあった秋田家でお休みになったということでしょう。いささか余談なのですが、上野公民館の手前に切妻連子格子の旧家があったはずですが、見当たりませんでした。あったはずのところは、更地になってしまっていました。
上野公民館の先に上野神社社号標の石碑。上野神社は、2019年2月2日の近鉄ハイキングで訪ねました(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ)。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられていまする(建徳2(1371)年という説があります)。主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)。上野神社の近くには、円光寺もありますが、ここから200mほど登って行く必要がありますので、この日はパス。この写真の奥にお寺が写っています。最勝寺で、ここは今まで行っていませんでしたので、訪ねてみました。
金光山最勝寺。真宗高田派のお寺。明応4(1493)年の創建とされます。ここは近鉄電車からもよく見えます。ということはお寺からの眺めは良好のはず。それが右の写真。伊勢湾までよく見えました。
境内には、伊勢上野城にあった地蔵を延命地蔵として安置しています。と書きつつ、見て、写真を撮ったと思ったものの、帰って確認したら、お地蔵様の写真はありませんでした。山門をくぐってすぐ右手に地蔵堂はありました。
最勝寺から再び伊勢街道に降りて、しばらく行くと、虫籠窓(むしこまど)に連子格子、土蔵のある旧家があります。虫籠窓は、虫籠のように目のこまかい格子をつけた窓。こういう古いお宅を見ると、旧街道を歩いているなと実感します。
上野神社の鳥居から300mほどのところ、東側に弘法井戸があります。石造の弘法大師を祭る御堂の前に井戸家形があり、中は深さ2mほどの貯水槽になっています。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。付近の家々で井戸講を組織し、清掃管理や法要を営んでいます。伊勢街道が出来て、多くの人が通るようになり井戸の水が旅人に利用されるようになり、この大師堂も出来たものと思われます。
左の写真では、手前にあるのが貯水槽。水がたたえられていました。井戸家形内部には、由来が書かれています。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しか出ないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。それを村人が「弘法井戸」と称して大切に使ってきました。伊勢街道を旅する人々も立ち寄り、この水で疲れを癒やしたそうです。昭和35(1960)年、町営上水道が開設されるまでは生活用水として重要な役割を果たしてきました。
弘法井戸のすぐ先に枡形があります。千里方面から来ると、2つ目の枡形です。左の写真は、千里側から見たもの。右は、いったん通り過ぎてから振り返ったもの。
先にも書きましたが、上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。ちなみに、1つ目の枡形のところも、クランクが緩やかになっていました。
スタートから1.8㎞の手前に伊勢上野城跡への登り口があります。民家の前の細い道を上っていきます。標高40mほどのところに伊勢上野城跡があり、今は、本城山青少年公園となっています。伊勢上野城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したもの。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包は豊臣秀吉によって改易されますが、光嘉は豊臣家の直参となり、伊勢上野城1万石を領し、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりました。元和5(1619)年、光嘉の養嗣子・光信は近江国大溝藩(現在の高島市周辺)へ移封となったため、廃城となりました。その後、津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。ちなみに、浅井長政(お市の夫、三姉妹(茶々、初、江)の父;天文14(1545)~天正元(1573)年)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだのが、この伊勢上野城とされていますが、近年の研究では、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。私は、これまでに2回登っています(たとえば、2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。この日は、暑さもあり、また、標高40mを登るを嫌がってパス(苦笑)。
スタートから2㎞の手前に「道路元標跡」。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、現物は損傷が激しいので、河芸中央公民館に保管されています。本体は木製の四角柱、頂上部は銅板製だそうです(こちらにその写真があります)。
道路元標跡のすぐ先に、満流寺。真宗高田派のお寺。ここは、ネットでも、ガイドブックでもとくに情報は出て来ませんでしたので、写真を撮っただけでお参りはしていません。キリが良いので、その1はここまで。その2は、光勝禅寺から。
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