20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その2)……旧上野宿から高山地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社、痔神社を経て栗真の町へ
8月28日に歩いてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その2です。その1では、旧上野宿の満流寺まで来ました。スタートからほぼ2㎞、時刻は、10時20分頃です。スタートしたのが9時半でしたから、まだ1時間も歩いていません。冒頭の画像は、詳細なルートマップのその2。その2では、光勝禅寺にお参りして、朝陽中学校前で河芸郡役所跡、国道23号線を東に渡って、高山地蔵尊、地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社と回って行きます。
輝雲山光勝禅寺。伊勢上野城跡から700mほどのところにあります。伊勢街道からは少し西に入っています。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。
境内には、観音堂があり、そこに祀られている馬頭観音は初午観音と呼ばれ信仰を集めています。右の写真は、2019年2月 2日の撮影(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。これで、上野宿を見て回ってきたことになります。
津市立朝陽中学校のところまで来ました。ここには、かつて安芸郡河芸町(あげぐんかわげちょう)役場がありました。ほぼ3㎞地点。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年)で津市と合併。役場の庁舎は、それに先だって平成12(2000)年に移転し(現在の津市河芸支所)、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。朝陽中学校の前で国道23号線を地下道でくぐります。
国道23号線を越えてすぐに、高山地蔵尊。ここは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。右は、その先ある別の地蔵尊。こちらの由緒は不明。この2つの地蔵尊は、リソースによって写真and/or説明が入れ替わっていたりして、過去にはちょっと混乱しましたが、この記述で間違いないと思います。それにしても、右の写真の地蔵尊、由緒不明の割に屋根が立派。
2つの地蔵尊を見て、さらに伊勢街道を進みます。詳細ルートマップその2には書きませんでしたが、松林寺の手前に「常夜燈」と彫られた石柱が建っています。省略してしまいましたが、その1で書いた上野神社の社号標のところにも同じようなものがありました。もちろん、この石柱が常夜燈ではありません。ここに常夜燈があったということなのでしょうか。街道歩きをしていても、あちこちにちょっと考えるとよく分からないもの・ことがあります。
玉光山松林寺。4㎞地点の手前で、11時頃。松林寺と中瀬八幡神社とが隣り合っています。松林寺は、天台真盛宗のお寺。詳細については、不明。
その隣に中瀬八幡神社。ここは、中瀬金城の守護神。明治41(1908)年、上野神社に合祀されたものの、昭和26(1951)年に分祀されました。ここで11時頃でしたので、休憩したのですが、草ぼうぼうでヤブ蚊がたくさん。蚊に刺されながら、20分ほど滞在(苦笑)。
座るところがありませんでしたので、失礼して拝殿前に腰を下ろして、ヤブ蚊を追い払いながら水分補給とおやつ。休憩しながら、目の前の景色を見ていたら、何となく、「子どもの頃見た、夏休みの景色」という感じがして写真を撮ったものの、私のイメージからはかなり離れた写真しか撮れず。さほどマジメに写真のトレーニングに励んできた訳ではありませんが、改めて「写真は難しいなぁ」と独り言。
ヤブ蚊から逃げるため、いつもの休憩よりも早く退散。伊勢街道は、国道23号線中瀬交差点で、その23号線と同じルートを辿るのですが、この中瀬交差点の東にあるのが、痔神社。私自身は、2度ほど訪ねています(たとえば、2019年9月 6日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈)。
痔神社の起源、由来については不明ですが、土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説があります。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。
ご神体は、影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、ここから北東へ700mほど行ったところにある八雲神社であろうと思います。国道23号線中瀬交差点に戻るときに気づいたのですが、右の写真のように、「ぢ神参道」という石柱が建っていました。こういう石柱が建っているということは、かなりたくさんお参りする人があったのだろうと思えます。
中瀬交差点からは1㎞ほど国道23号線を歩きます。日陰もないので、暑いこと。さらに、歩道は車道とは分離されているとはいえ、近くを車がビュンビュン走るのは、あまり気持ちの良いことではありません。スタートから5㎞を過ぎ、栗真小川町に入って、伊勢街道は国道23号線から右(西)に逸れて行きます。
栗真小川町に入ってしばらく行くと、民家の敷地に地蔵堂。地蔵堂は、あちこちにありますが、由来が分からないものもたくさんあります。地元の方に伺うと分かるのでしょうが、街道マップやネット情報には、よほど有名でないものは出て来ません。ここも由来は不明。
スタートから6㎞ほどで、栗真山善行寺。真宗高田派。境内に道標があり、「是より尓しい志てん道」と刻まれていると「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、「みえの歴史街道」のみえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップにもあったのですが、見つけられず。境内にあるとか、裏庭にあるとか、情報源によっていろいろ(苦笑)。迷います。
善行寺のすぐ南に観音寺が見えています。宗派や、詳細については不明。熊野勧進十界曼荼羅図(津市文化財)が一幅収められています。これは、江戸時代初めのもので、縦132.2cm、横126.2cmの地獄・極楽の絵。熊野信仰の布教と関わって描かれたもので、熊野比丘尼が折りたたんで携行し、勧進や布教の道具として使用したといいます。熊野勧進十界曼荼羅図は三重県に数多く残っているそうです。
境内には、いろいろのものがありました。まずは、馬頭観音の石碑。馬頭観音は、観世音菩薩の化身で、六観音の一つ。人身で、頭が馬のものと、馬の頭飾りを戴くものとがあり、馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされます。しかし、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されています。馬頭観音の石碑の脇に小さい石碑。「子」という文字が見えますので、「子安観音」かという気がします。この他、彰功碑、地蔵堂があります。彰功碑は、小菅宣弘を顕彰する碑です。小菅氏は、この観音寺を再建するに当たってとくに功績があったと刻まれています。再建3周年を記念して、昭和45(1970)年3月に建立されています。
観音寺の門前(南側)には、常夜燈があります。竿石の正面には「太神宮」、右側に「権現」、碑陰に「文化三丙寅年六月」、左側には「金比羅大権現」とあります。文化3年は、1806年。「太神宮」はもちろん、伊勢神宮のこと。この常夜燈の西側には石柱が建っています。が、かなり風化が進み読めません。「七月三日」という文字は分かりましたが、他は残念ながら不明。碑陰も読めませんでした。常夜燈は、火袋が失われています。伊勢街道沿いにあったのかも知れません。
その2は、ここまで。その3では、逆川神社を訪ね、昼食を摂ってから、近鉄高田本山駅へゴールの予定。
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