20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その4)……金剛寺、南昌寺、加良比乃神社の石柱、称念寺から高茶屋神社を経て、高茶屋駅にゴール(完)
9月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」の本編その4です。その3では、「4分間待つ信号」から成就寺まで来ました。その4では、成就寺の塔頭であった金剛寺、南昌寺と進みますが、雨がけっこう降ってきて、立ち寄りポイントは眺めただけとか、スルーとかしてしまって、先を急ぎました。マップで三角印を付したところは、立ち寄ろうと思ったものの、この日は断念したところです。
交差点すぐのところに金剛寺。真宗高田派のお寺。もとは、成就寺の金剛坊でした。ここは、ちょっと奥まっていましたので、この日は、この写真を撮っただけ。境内には、念仏塚があります(右の写真。2019年9月22日に撮影)。「寛政六年甲寅季秋中旬勢州一志郡垂水邨法林山金剛教寺」と彫られています。成就寺は真言宗醍醐寺派であるのに、ここと次の南昌寺は、成就寺の塔頭であったにもかかわらず真宗高田派になっているのには疑問がありますが、理由は不明。
こちらが金剛寺の南にある南昌寺。真宗高田派。こちらはとくに由緒あるものはないようでした。
南昌寺から南へ150mほどのところに須賀神社があります。事前の調べでは、「垂水の産土神」ということでした。前回の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の時もパスしてしまったのですが、この日も雨でしたので、この写真だけ撮って、通過してしまいました。主祭神は、建速須佐之男命。他に12柱の神様が合祀されています。由緒は不明ですが、明治時代に加良比乃神社に合祀されていたものを昭和26(1951)年に分祀。これを書くのに再び調べたら、境内に「首切られ地蔵」があるということでした(こちら)。織田信長が北畠家を攻略する際、身代わりになって切られたお地蔵様だそうです。
スタートから7.8㎞の手前に石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社(からびのじんじゃ)への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。加良比乃神社は、垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、神殿を建築して鎮座したところとされます(すなわち、いわゆる「元伊勢」の1つ)。そのとき、この地は水が不便な地であり、この神社のある場所の片側が急な斜面になっているため、樋を用いて泉の水を引いたことから「片桶宮」と称しました。4年を経て、御神記によって他所に遷座されたのですが、この宮跡に御倉板擧神、伊豆能売神を祀り「加良比乃神社」となり、土地の人々が産土神として崇敬してきました。ちなみに、「加良比」は「片樋」のなまったものといわれています。2019年9月22日に訪ねていますので、詳しくはその時の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)。加良比乃神社の参道の途中、南側に円光寺がありますが、ここもパスしています。
城山特別支援学校の東を歩いているはずですが、学校は森の向こうで見えません。伊勢街道の東側に紀念碑がありました。「髙郷井用排水路改修竣工紀念 三重縣知事 田中 覚書」と読めます。「髙郷井」は、江戸時代初期、雲出川に堰を設け、戸木村(現・津市戸木町)から雲出地域まで水路を通し、高茶屋で三分(髙郷井、八寸、揚溝)して水田を潤した水路の一つ。この工事は、津藩2代藩主・藤堂高次公が、西島八兵衛(慶長元(1596)~延宝8(1680)年:藤堂高虎の近習として禄高150石で仕えて以来、高虎の信頼を得て津藩を水利・灌漑の面から支えた人物)に命じて行わせたもの(こちらを参照)。その高郷水を排水する水路を改修したということなのでしょうが、碑陰を見られず、また、ネットでも情報は出てこず、この改修工事そのものについては分かりませんでした。ちなみに、田中 覚(たなか さとる、明治42(1909)~平成14(2002)年)が三重県知事であったのは、昭和30(1955)~昭和47(1972)年)でした。
詳細なルートマップは、いよいよ最後、その6に入ります。残る立ち寄り先は、称念寺と高茶屋神社の2ヶ所。雨は相変わらず降り続いています。この先で伊勢街道から離れ、JR紀勢本線・高茶屋駅へゴール。
天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗。みえの歴史街道(伊勢街道)の資料には、「円光大師二五霊場」とあります。円光大師二十五霊場のリストにはありません。こちらのWeb版浄土宗大辞典によれば、これ以外に、正式なものを模倣して作った「うつし霊場」がいくつかあるそうです。円光大師は、法然上人の勅諡号。寺の前に常夜燈1基と、六阿弥陀堂があると、伊勢街道の資料にあるのですが、常夜燈はどこを見てもありません。
こちらは、六阿弥陀堂。六阿弥陀堂の前にある石碑などのうち、向かって左のものには「薬師堂記念碑 六阿弥陀堂 昭和五十年五月建?」とあります。ちなみに、六阿弥陀(ろくあみだ)は、もともと阿弥陀仏を安置する六つの寺を巡拝すること。元禄年間(1688~1704年)のころから行基作と伝える阿弥陀像を祀る六か寺を春秋の彼岸に参詣して歩くことが盛んに行われたことに始まります(詳細はリンク先をご覧ください)。その後、各地に「○○六阿弥陀」ができたそうです。
称念寺の先に「耕地整理記念碑」がありました。高茶屋村の東部地区の耕地整理は村を一変する大事業として、大正9(1920)年、時の村長服部米次郎の陣頭指揮の下に実現しました。この記念碑は、昭和16(1941)年に建立されていますが、長年の夢が叶って今までの湿田が美田になり、村の明るい将来が約束された喜びが歌われています(碑文は、こちらの7~8ページにあります)。
高茶屋神社(たかぢゃやじんじゃ)。高茶屋(たかぢゃや)は、高台にあり周辺に茶屋が多かったことが名前の由来です。高茶屋神社は、通称、粟嶋さんと呼ばれています。主祭神は、玉柱屋姫命です。志摩郡伊雑村の神である、伊佐波登美命の奥方です。倭姫命を出迎えた神様で、豊受社の神様だそうです。玉は星とすると、屋は夜という意味なので、「星の柱の夜の姫」という意味になります。つまり、天の川のお姫様。
第53代淳和天皇の時代の824年、一志狭山枚男という人が伊雑村の祭神をこの地に祀り、栗嶋神社と称したとされます。粟嶋神というのは、1,500年前、粟で作られた船で航海の折、紀州灘佐之郡という所に漂着し、この神、粟嶋大明神を祀ったところ、人々の病を治したというので、病を治してくれる神様、または薬の神様として伝わっています。昔、高茶屋神社は、玉柱屋姫命の祭神のほかに九ヶ所に祠が奉られその祭神をあわせて、十社宮と呼ばれていました。後に、十社杜、粟嶋神社などを明治41(1908)年に合祀し、高茶屋神社となりました。ちなみに、鎌倉時代、津市には神宮領である御厨・御園が20近くありました。高茶屋神社は、4ヵ月に一度神に塩を献上する神社として指定をうけていたといいます。また、十社の森と呼ばれ、街道の勅使休泊所として使われたそうです。雨でしたので、拝殿まで上がる余裕がありませんでしたので、詳しくは近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)
余談。伊勢街道から最初の鳥居のところにこんなものが。御幣のところに、これは恵比寿様のお顔でしょうか。ウ~ン、いったい何のため??
このあとは、ゴールの高茶屋駅に向かいます。写真は、高茶屋駅に向かって左折するとき、振り返って見た伊勢街道。路面はしっかり雨に濡れています。
雨の中、JR紀勢本線・高茶屋駅には、13時15分に到着。ところが、津方面に向かう亀山行き普通は、13時13分に出たばかり。ここには普通しか止まりません。紀勢本線と呼ぶにもかかわらず、基本的に1時間に1本しか走っていない(爆)。「次は?」と時刻表を見たら、何と14時8分。やむを得ません。待合室で、おやつを食べながら、話をして待つことに。
駅は、明治26(1893)年に参宮鉄道が、津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されたという歴史のある駅。ご覧のように、昭和30~40年代にでもワープしたかのようなレトロ感たっぷりの駅です。同じ紀勢線の駅では、一身田駅に似ています。ちなみに、JRの駅の名前としては、「たかちゃや」。町名は「たかぢゃや」。
高茶屋駅には、切符の販売機もありませんし、トイカなどカードで乗車できる機械もありません。同行のK氏は、「おい、どうやって乗るんだ?!」 駅に掲示があります。1両目の後ろのドアから乗車し、そこにある整理券を取り、降りるときは1両目の前のドアから。整理券と運賃を入れるという、ワンマンバスと同じスタイル。ちなみに、ドアは、ランプのついているボタンを押して開けなければなりません。などなど、心配し、予習した上で、14時8分の亀山行き普通に乗車。ところが、本来は、ワンマン運転なのですが、乗った電車には係員の方が乗車しており、整理券は取る必要がなく、車内で精算してもらえました(微笑)。津駅までは200円。14時18分着。ということは、今日、雨も降る中、3時間45分もかけて歩いてきたのに、10分で戻ってしまうことになります(苦笑)。
今日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。今日は、信州そば処「そじ坊」。雨にも濡れてしまいましたので、温かいそばをということで、にしんそば。税込み¥950。時分時をはずれ、客は我々二人のみ。
食事を済ませ、近鉄で帰ります(左の写真は、JR津駅の駅名表示板)。14時56分発名古屋行き急行に乗車。桑名駅には15時40分に到着。¥700。帰宅は、16時頃。後半、雨に降られてしまい、パスしたところも何ヶ所かあり、ちょっと残念な気もしますが、天気ばかりはやむを得ません。
この日の歩数は、ご覧のように、22,540歩。現地で9.9㎞+α、自宅から桑名駅往復が2.5㎞ですから、合計12.4㎞+αを歩いてきました。これだけ歩くと、さすがにしっかり歩いたなという気がします。
ところで、今回で「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も第10回でした。今年4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし、東海道を歩いて、四日市の日永の追分から伊勢街道に入りました。七里の渡し跡から、目的地の伊勢神宮・内宮まで、どこにも立ち寄らず、ひたすら東海道と伊勢街道とを歩くと、約94㎞あります。どのあたりまで来たかというと、これらの2枚のマップのようになります。左のマップは、コースの全体像。半分は優に超え、2/3に迫るところまで来ています。右は、拡大図。JR高茶屋駅の西で、約56.5㎞です。1回のウォーキングで、コースマップ上(立ち寄り先は含まないで)、6~7㎞を歩いていますが、毎回の積み重ねは大きいといえます。
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