お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年9月

2021年9月30日 (木)

九華公園にコサメビタキ……今日も証拠写真が多くて苦笑

Img_4778c  散歩から帰りがけに青空が出ていた時間帯もあったのですが、今日は、基本的には曇り空。台風16号の影響があるのでしょう。いつも通りの散歩生活です。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.0㎞。同じようなところを歩いていても、歩いた距離は異なります。これは、主に九華公園でどれだけ鳥を探して/追いかけて(引っ張り回されて、の方が正しいかも)ウロウロしたかによります。今日も、奥平屋敷跡では、鳥があまりおらず、何度もグルグル回っていました(笑)。

Img_4293c_20210930165101  揖斐長良川の中洲で、ずいぶん久しぶりにアオサギ。最初は、ゴミが引っかかっているように見えたのですが、念のため、単眼鏡で確認したら、アオサギだったという次第。若い個体と思います。その他、九華公園に行くまでに見たのは、ハシボソガラスのみ。もうちょっといてくれても良いのに。

Img_4539c_20210930165101  九華公園。ここにもいつものところにアオサギさん。九華橋の近くの樹上。昨日は、神戸櫓跡の松の木の上にいたという情報がありました。普段はアオサギはおらず、たまにカワウがいるところ。奥平屋敷跡では、小1時間過ごしたのですが、ハシボソガラス、ドバト、ヒヨドリばかり。カワラヒワも姿は見せたものの、よく見えず、写真も撮れません。

Img_4467c_20210930165101  諦めて、他へ行こうと思って歩き始めたら、二の丸跡にかかる橋のたもとのモミジ、ソメイヨシノあたりにシジュウカラとメジロが入り交じってやって来ていました。シジュウカラは、枝かぶり、ピンぼけばかり。メジロも証拠写真も良いところ(苦笑)。このあと、二の丸跡では、エゾビタキかコサメビタキと思われる鳥がいて、追いかけたものの、確認できず。とても残念。

Img_4499c_20210930165101 Img_4524c_20210930165101  と思っていたら、朝日丸跡で、こちらと遭遇。これは、コサメビタキですね。正面からの写真がもう少しクリアに撮れていればいうことがなかったのですが。去年の今頃は、エゾビタキ、コサメビタキを九華公園で見られました。コサメビタキは、貝塚公園などにも出て来ていました。今年も、これからに期待しましょう。

Img_4567c_20210930165101 Img_4600c_20210930165001  鎮国守国神社から、再び相撲場を廻り、辰巳櫓跡の松の木で、カワラヒワ。さらに、野球場の南の遊歩道では、ハクセキレイ。若いように見えます。

Img_4596c_20210930165001  アーちゃんは、いつものところ。野球場の南の遊歩道脇の堀。今日は、眠そうに見えます。

Img_4624c Img_4673c_20210930165001  貝塚公園では散歩友達と話をしていたら、頭上からモズの鳴き声。オスのモズが来ていました。先日、ここで見たのはメスのモズでした。まだ縄張りが確定していないのか、このオスが乗っ取ったのか? 貝塚公園では、さらにシジュウカラの証拠写真。このところ、証拠写真が多い(苦笑)。

Img_4731c_20210930165001  拙宅前の住吉入江の所まで戻って来たら、メジロの姿がチラチラ。よく動きますので、なかなかついて行けず。2羽がいっしょにいました。今日は、証拠写真も多かったものの、小型野鳥もまあまあ出て来て、それなりに満足(微笑)。明日からは10月になりますが、この調子で鳥たちが増えてほしいもの。また、10月も後半になると冬鳥も登場するでしょう。過剰な期待はよくありませんが、それなりに期待しましょう。

Img_4285c_20210930165101  10月は、6日(水)から後期の非常勤の授業が始まります。その前に、3日(日)は、名古屋で支援員養成講座がありますし、21日(木)は市役所の会議もあります。「歩いて伊勢参りツアー」は、津市から松阪市に入っていく予定。今年中に伊勢神宮・内宮まで行けるでしょうか? それとも、今年4月から歩いて、来年の初詣ということになるでしょうか(爆)。まぁ、何ごとも「淡々と飽きもせず……」、「散歩生活/晴れときどき仕事」のモットーでやりましょう。

Img_4235c_20210930165101  余談。アサガオはそろそろ限界かも知れません。新しいつぼみは、今日は見えていません。「おつまみ枝豆栽培キット」のその後は、右の写真の通りImg_4781c_20210930172701 。芽が伸びてきて、クルッと1回まわして、その後は勝手にさせています(≒放置)。水は足したり、換えたりしています。枝豆が収穫できるのはいったいつのことやら(爆)。これまた、「淡々と飽きもせず……」です。

 超余談。自民党総裁選も終わり、岸田文雄さんが新総裁に選出されました。総裁選が始まった頃はそれなりに関心があったものの、途中から、興味を失っていました。マスコミに踊らされているような気がしたのです。そういう中、プレジデントオンラインで、こんな記事を見つけました:本性が完全にバレた…候補者4人が機関紙「自由民主」で党員にこっそり見せた"必死の形相"ーTV討論では言わない「政治的隠語」ー(大沼 みずほ)。「候補者は機関紙『自由民主』で党員だけに向けた、テレビ討論とは別の顔を見せ、必死のアピールをしている」という話。まぁ、対外的にというか、フォーマルにというかいう話と、仲間内の話とが違うというのは、どこにでもあることでしょうが、岸田さんも、機関紙「自由民主」では、建設族や農林水産業に向けて強烈なアピールを書いているそうです。マスコミが取り上げている、あるいは、マスコミ向けに候補者がしゃべっていることだけ見ていてはいけないということでしょう。ちなみに、この記事には、「『自民党の党員』とは何者なのか?」という内容もあって、おもしろく読みました。

2021年9月29日 (水)

天気はよいものの、証拠写真ばかりで苦笑……余談は、諸戸家祭車庫の修復の様子

Img_4163c  よく晴れた1日です。最高気温は、28.3℃。ちょっと暑いかなというくらい。朝一番には家事従事(微笑)。8時から散歩開始。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と6.7㎞。けっこうあちこちウロウロしています(苦笑)。しかし、その割に、今日は(も?)鳥はおらず。

Img_3975c_20210929152701  桑名七里の渡し公園、揖斐長良川の中洲など鳥影はなし。柿安コミュニティパークのところまで来て、草むらからホオジロのオスが出てきて、サクラの木に止まったものの、写真は撮れず。ときどきこのあたりにいます。九華公園についても、ドバト、ムクドリ、スズメがいたのですが、今日はアオサギさんは休み。

Img_4009c_20210929151901  奥平屋敷跡でも、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリくらい。カワラヒワもなかなか来ず。と残念がっていたら、遠く、二の丸跡の東の端にあるクスノキのてっぺんにモズのオス。しかし、遠すぎて、証拠写真。これでも、一応、今シーズン、九華公園でモズ初見。

Img_4023c  二の丸跡では、メジロ、カワラヒワ、シジュウカラ、コゲラといたものの、写真が撮れたのは、コゲラのみ。野球場にハクセキレイがいたものの、これまた遠い。鎮国さんの中には何もおらず。再び北門から相撲場近くに行ったら、今日はこのあたりで草刈り、枯葉掃除の最中で、鳥はいません。

Img_4064c_20210929151901 Img_4102c_20210929151901  神戸櫓の上から、カワラヒワの鳴き声が盛んに聞こえて来ます。しかし、高いところで姿はよくは見えず。やっとそれなりに撮れたのが、こちら。アーちゃんは、今日も、野球場の南の堀の石の上。ここがお気に入りというか、定位置というか。近づいても逃げません。

Img_4119c_20210929151901  こんな具合で、今日はあまり成果がないなと思って、外周遊歩道を歩いて二の丸橋のたもとへ。前方(西の方)にイソヒヨドリらしき姿。慌てて撮ったのが、この証拠写真。今日は、本当に証拠写真ばかり。

Img_3952c_20210929151901  アサガオ、まだ咲いています。今朝は、1輪のみ。しかし、もうそろそろ限界かも。次のつぼみが見当たりません。

Img_3986c_20210929151901  自民党総裁選では、決選投票の結果、岸田文雄さんが選出されたそうです。決選投票の結果は、岸田前政調会長257票、河野行政改革担当相170票とか。さて、これからどんな風になるのでしょう? 大きく変わるのか、今までの路線が続くのか? 河野さんがもう少し票を取るかと思っていました。個人的には、それよりも、ゴルゴ13の作者であるさいとうたかおさんが亡くなられたことの方が衝撃的で、残念です。ゴルゴ13は、さいとうプロダクションで続けられるそうですが、こちらもこれからの展開が気になります。

Img_4168c_20210929155101 Img_4173c_20210929155101 【余談】 我が家のお隣の諸戸氏庭園では、修復工事が進んでいます。比較的最近、石取祭の祭車が保管してある祭車庫の修復に着手されています。興味を持ったのは、壁。土壁なのです。もう、古いものは取り除かれてしまっています。

Img_4207c_20210929155101 Img_4192c_20210929155101  竹の骨組みを縄で組み(竹小舞(たけこまい))、藁などを練り込んだ土で塗り込めた壁が使われていたのですが、修復もさすがに元と同じようにするようで、土壁になるようです。今は、新たに竹小舞が組まれています。しかし、今でもこういう工事をする左官職人さんがいらっしゃるものなんですね。

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その4)……金剛寺、南昌寺、加良比乃神社の石柱、称念寺から高茶屋神社を経て、高茶屋駅にゴール(完)

Tsu5  9月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」の本編その4です。その3では、「4分間待つ信号」から成就寺まで来ました。その4では、成就寺の塔頭であった金剛寺、南昌寺と進みますが、雨がけっこう降ってきて、立ち寄りポイントは眺めただけとか、スルーとかしてしまって、先を急ぎました。マップで三角印を付したところは、立ち寄ろうと思ったものの、この日は断念したところです。

Img_3118c_20210925195701 1e5ac82d  交差点すぐのところに金剛寺。真宗高田派のお寺。もとは、成就寺の金剛坊でした。ここは、ちょっと奥まっていましたので、この日は、この写真を撮っただけ。境内には、念仏塚があります(右の写真。2019年9月22日に撮影)。「寛政六年甲寅季秋中旬勢州一志郡垂水邨法林山金剛教寺」と彫られています。成就寺は真言宗醍醐寺派であるのに、ここと次の南昌寺は、成就寺の塔頭であったにもかかわらず真宗高田派になっているのには疑問がありますが、理由は不明。

Img_3122c_20210925195701 Img_3124c_20210928041801  こちらが金剛寺の南にある南昌寺。真宗高田派。こちらはとくに由緒あるものはないようでした。

Img_3131c_20210925195701  南昌寺から南へ150mほどのところに須賀神社があります。事前の調べでは、「垂水の産土神」ということでした。前回の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の時もパスしてしまったのですが、この日も雨でしたので、この写真だけ撮って、通過してしまいました。主祭神は、建速須佐之男命。他に12柱の神様が合祀されています。由緒は不明ですが、明治時代に加良比乃神社に合祀されていたものを昭和26(1951)年に分祀。これを書くのに再び調べたら、境内に「首切られ地蔵」があるということでした(こちら)。織田信長が北畠家を攻略する際、身代わりになって切られたお地蔵様だそうです。

Img_3134c_20210925195701  スタートから7.8㎞の手前に石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社(からびのじんじゃ)への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。加良比乃神社は、垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、神殿を建築して鎮座したところとされます(すなわち、いわゆる「元伊勢」の1つ)。そのとき、この地は水が不便な地であり、この神社のある場所の片側が急な斜面になっているため、樋を用いて泉の水を引いたことから「片桶宮」と称しました。4年を経て、御神記によって他所に遷座されたのですが、この宮跡に御倉板擧神、伊豆能売神を祀り「加良比乃神社」となり、土地の人々が産土神として崇敬してきました。ちなみに、「加良比」は「片樋」のなまったものといわれています。2019年9月22日に訪ねていますので、詳しくはその時の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)。加良比乃神社の参道の途中、南側に円光寺がありますが、ここもパスしています。

Img_3151c  城山特別支援学校の東を歩いているはずですが、学校は森の向こうで見えません。伊勢街道の東側に紀念碑がありました。「髙郷井用排水路改修竣工紀念 三重縣知事 田中 覚書」と読めます。「髙郷井」は、江戸時代初期、雲出川に堰を設け、戸木村(現・津市戸木町)から雲出地域まで水路を通し、高茶屋で三分(髙郷井、八寸、揚溝)して水田を潤した水路の一つ。この工事は、津藩2代藩主・藤堂高次公が、西島八兵衛(慶長元(1596)~延宝8(1680)年:藤堂高虎の近習として禄高150石で仕えて以来、高虎の信頼を得て津藩を水利・灌漑の面から支えた人物)に命じて行わせたもの(こちらを参照)。その高郷水を排水する水路を改修したということなのでしょうが、碑陰を見られず、また、ネットでも情報は出てこず、この改修工事そのものについては分かりませんでした。ちなみに、田中 覚(たなか さとる、明治42(1909)~平成14(2002)年)が三重県知事であったのは、昭和30(1955)~昭和47(1972)年)でした。

Tsu6  詳細なルートマップは、いよいよ最後、その6に入ります。残る立ち寄り先は、称念寺と高茶屋神社の2ヶ所。雨は相変わらず降り続いています。この先で伊勢街道から離れ、JR紀勢本線・高茶屋駅へゴール。

Img_3161c  天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗。みえの歴史街道(伊勢街道)の資料には、「円光大師二五霊場」とあります。円光大師二十五霊場のリストにはありません。こちらのWeb版浄土宗大辞典によれば、これ以外に、正式なものを模倣して作った「うつし霊場」がいくつかあるそうです。円光大師は、法然上人の勅諡号。寺の前に常夜燈1基と、六阿弥陀堂があると、伊勢街道の資料にあるのですが、常夜燈はどこを見てもありません。

Img_3168c_20210928064801  こちらは、六阿弥陀堂。六阿弥陀堂の前にある石碑などのうち、向かって左のものには「薬師堂記念碑 六阿弥陀堂 昭和五十年五月建?」とあります。ちなみに、六阿弥陀(ろくあみだ)は、もともと阿弥陀仏を安置する六つの寺を巡拝すること。元禄年間(1688~1704年)のころから行基作と伝える阿弥陀像を祀る六か寺を春秋の彼岸に参詣して歩くことが盛んに行われたことに始まります(詳細はリンク先をご覧ください)。その後、各地に「○○六阿弥陀」ができたそうです。

Img_3171c_20210928065201  称念寺の先に「耕地整理記念碑」がありました。高茶屋村の東部地区の耕地整理は村を一変する大事業として、大正9(1920)年、時の村長服部米次郎の陣頭指揮の下に実現しました。この記念碑は、昭和16(1941)年に建立されていますが、長年の夢が叶って今までの湿田が美田になり、村の明るい将来が約束された喜びが歌われています(碑文は、こちらの7~8ページにあります)。

Img_3194c  高茶屋神社(たかぢゃやじんじゃ)。高茶屋(たかぢゃや)は、高台にあり周辺に茶屋が多かったことが名前の由来です。高茶屋神社は、通称、粟嶋さんと呼ばれています。主祭神は、玉柱屋姫命です。志摩郡伊雑村の神である、伊佐波登美命の奥方です。倭姫命を出迎えた神様で、豊受社の神様だそうです。玉は星とすると、屋は夜という意味なので、「星の柱の夜の姫」という意味になります。つまり、天の川のお姫様。

Img_3186c_20210925201101  第53代淳和天皇の時代の824年、一志狭山枚男という人が伊雑村の祭神をこの地に祀り、栗嶋神社と称したとされます。粟嶋神というのは、1,500年前、粟で作られた船で航海の折、紀州灘佐之郡という所に漂着し、この神、粟嶋大明神を祀ったところ、人々の病を治したというので、病を治してくれる神様、または薬の神様として伝わっています。昔、高茶屋神社は、玉柱屋姫命の祭神のほかに九ヶ所に祠が奉られその祭神をあわせて、十社宮と呼ばれていました。後に、十社杜、粟嶋神社などを明治41(1908)年に合祀し、高茶屋神社となりました。ちなみに、鎌倉時代、津市には神宮領である御厨・御園が20近くありました。高茶屋神社は、4ヵ月に一度神に塩を献上する神社として指定をうけていたといいます。また、十社の森と呼ばれ、街道の勅使休泊所として使われたそうです。雨でしたので、拝殿まで上がる余裕がありませんでしたので、詳しくは近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ

Img_3182c  余談。伊勢街道から最初の鳥居のところにこんなものが。御幣のところに、これは恵比寿様のお顔でしょうか。ウ~ン、いったい何のため??

Img_3197c_20210928112601  このあとは、ゴールの高茶屋駅に向かいます。写真は、高茶屋駅に向かって左折するとき、振り返って見た伊勢街道。路面はしっかり雨に濡れています。

Img_3206c_20210925201601 Img_3211c_20210928112701  雨の中、JR紀勢本線・高茶屋駅には、13時15分に到着。ところが、津方面に向かう亀山行き普通は、13時13分に出たばかり。ここには普通しか止まりません。紀勢本線と呼ぶにもかかわらず、基本的に1時間に1本しか走っていない(爆)。「次は?」と時刻表を見たら、何と14時8分。やむを得ません。待合室で、おやつを食べながら、話をして待つことに。

Img_3214c_20210925201601 Img_3236c_20210928112801  駅は、明治26(1893)年に参宮鉄道が、津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されたという歴史のある駅。ご覧のように、昭和30~40年代にでもワープしたかのようなレトロ感たっぷりの駅です。同じ紀勢線の駅では、一身田駅に似ています。ちなみに、JRの駅の名前としては、「たかちゃや」。町名は「たかぢゃや」。

Img_3253c_20210925201601 Img_3249c_20210925201601  高茶屋駅には、切符の販売機もありませんし、トイカなどカードで乗車できる機械もありません。同行のK氏は、「おい、どうやって乗るんだ?!」 駅に掲示があります。1両目の後ろのドアから乗車し、そこにある整理券を取り、降りるときは1両目の前のドアから。整理券と運賃を入れるという、ワンマンバスと同じスタイル。ちなみに、ドアは、ランプのついているボタンを押して開けなければなりません。などなど、心配し、予習した上で、14時8分の亀山行き普通に乗車。ところが、本来は、ワンマン運転なのですが、乗った電車には係員の方が乗車しており、整理券は取る必要がなく、車内で精算してもらえました(微笑)。津駅までは200円。14時18分着。ということは、今日、雨も降る中、3時間45分もかけて歩いてきたのに、10分で戻ってしまうことになります(苦笑)。

Img_3259c_20210925201601 Dsc_6237c  今日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。今日は、信州そば処「そじ坊」。雨にも濡れてしまいましたので、温かいそばをということで、にしんそば。税込み¥950。時分時をはずれ、客は我々二人のみ。

Img_3256c  食事を済ませ、近鉄で帰ります(左の写真は、JR津駅の駅名表示板)。14時56分発名古屋行き急行に乗車。桑名駅には15時40分に到着。¥700。帰宅は、16時頃。後半、雨に降られてしまい、パスしたところも何ヶ所かあり、ちょっと残念な気もしますが、天気ばかりはやむを得ません。

Img_3269c_20210925201601  この日の歩数は、ご覧のように、22,540歩。現地で9.9㎞+α、自宅から桑名駅往復が2.5㎞ですから、合計12.4㎞+αを歩いてきました。これだけ歩くと、さすがにしっかり歩いたなという気がします。

Isemairiallc Isemairi8c  ところで、今回で「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も第10回でした。今年4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし、東海道を歩いて、四日市の日永の追分から伊勢街道に入りました。七里の渡し跡から、目的地の伊勢神宮・内宮まで、どこにも立ち寄らず、ひたすら東海道と伊勢街道とを歩くと、約94㎞あります。どのあたりまで来たかというと、これらの2枚のマップのようになります。左のマップは、コースの全体像。半分は優に超え、2/3に迫るところまで来ています。右は、拡大図。JR高茶屋駅の西で、約56.5㎞です。1回のウォーキングで、コースマップ上(立ち寄り先は含まないで)、6~7㎞を歩いていますが、毎回の積み重ねは大きいといえます。

2021年9月28日 (火)

九華公園にコサギ

Img_3557c  午後からやや雲が多めの空になっていますが、それでも晴れ。最高気温も、27.2℃と暑くてたまらないというほどではありません。台風16号の進路予想も、上陸はしない見込みだそうです。いつものごとく、7時半から散歩開始。今日も、好天のもと、「散歩生活」であります。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南寺町、常磐町、老松公園、八間通、参宮町と回って、6.2㎞。

Img_3840c  今日のトピックス。といっても大したことでも、珍しいことでもありません。小型野鳥の出が悪い中では、目立つのです。九華公園にコサギさんがやってきた、それだけですが(苦笑)。コサギは珍しくはありませんが、九華公園にはさほど来る鳥ではありません。年に2~3回も見られれば、回数が多いのです。鎮国守国神社の社務所の裏にいました。

Img_3648c_20210928154501  さて、話を戻して。柿安コミュニティパークに行くまで、鳥影なし(苦笑)。スズメも、ムクドリも、ドバトもいません。コミュニティパークで、ハシボソガラスがいて、メジロの鳴き声が遠くから聞こえたくらい。九華公園では、ドバトが出迎え。アオサギさんは、九華橋の近くの樹上に。クチバシに羽毛をくわえているのか、取れなくなったのか? 遊んでいるような気もしました。

Img_3736c_20210928154601 Img_3676c_20210928154601  いつものように、奥平屋敷跡で小1時間、鳥待ち。しかし、なかなかやってきません。ハシボソガラス、ドバト、ムクドリ入るのですが、それ以外が来ません。ハクセキレイ、カワラヒワ、シジュウカラ、スズメが何れもチラッと姿を見せたくらい。鳥小屋では、またセキセイインコの新顔幼鳥が巣箱から顔を覗かせています。これを含め、2羽の幼鳥がこの巣箱にいるといいます。二の丸跡でも、カワラヒワ、シジュウカラがいたものの、写真は撮れず。

Img_3893c_20210928154501  アーちゃんは、今日も、野球場南の堀でお休み。この石の上がどうやらお気に入り。今日は、カメさんといっしょ。あまり鳥がいないので、去年の今日の記事を見たら(2020年9月28日:エゾビタキ、メジロの食事、カワセミの証拠写真……バードウォッチングが楽しめる季節になってきました)、タイトルにもあるように、エゾビタキ、メジロ、カワセミのほか、イソヒヨドリ、コサギ(コサギはいつも今頃来るのかもしれません)、アオサギ、アーちゃんではないカルガモ2羽を九華公園で見ました。これに比べると、少ないですねぇ。まぁ、自分の努力で何とかなるものでもありませんから、コツコツと出かけ、観察を続けるしかありません。

Img_3911c_20210928154501  ところで、三重県にも緊急事態宣言が出されていますが、9月30日で全国一斉に解除の方針だそうです。一部では、管首相が、ご自身の任期中の解除にこだわっているという話もありますが、そんな考え方で本当に大丈夫か? という気がします。私自身の行動は、解除されても変わりません。あちこち旅行や外食に行く訳ではありません。もともと旅行や、外食はほとんどしません。「『GO TO』を利用しないのは損だ」とたびたびいわれたこともありますが、損得で行動しようという気はあまりありません。10月以降で、行動パターンが変わるのは、後期の非常勤の授業が始まることくらい。もちろんワクチン接種は済ませていますが、マスク、手洗い・うがい、3密を避けるのはしっかり身に付いていますので、淡々と続けます。

Img_3941c_20210928154501  自民党の総裁選挙は、明日投開票だそうです。候補者は、いろいろと政策を訴えていますが、政権与党にずっといた(いる)ワケですから、ことさら今になって大声で主張する必要はなく、重要だと思うなら、今までそれが実現できるようにすればよいのに、とちょっと皮肉な、斜めに構えた見方をしてしまいます。「選挙の顔だ」とか、あれこれいわれますが、ズレているような気がしてなりません。などなど、久しぶりにぼやいてみましたが、もともとが「不要不急な存在」である高齢者の戯言(苦笑)。せめて他人様に必要以上の迷惑をかけないように振る舞うことにしたいと思っているのです。

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その3)……薬師庵跡、松原寺、史跡明治天皇御小休所、香良洲道との追分、4分間待つ信号を経て成就寺へ

Tsu3_20210927181801 9月25日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」の本編その3です。その2では、阿漕町神明神社まで来ました。このあたりの伊勢街道沿いには、古い家も多くのこっており、いかにも街道歩きをしているという気分を味わえます。冒頭の画像は、詳しいルートマップのその3。阿漕町から藤方に入っていきます。薬師庵跡、松原寺、史跡明治天皇御小休所、思案橋・香良洲道との追分を経て、国道23号線を越え、垂水へ。4分間待つ信号から成就寺に進んで行きます。

Img_8575c_20190911112601_20210927183101  当日は、そのまま通り過ぎてしまったのですが、その2で訪ねた阿漕町神明神社から200mほど南の交差点が、昔、安濃郡と一志郡との境界だったといいます。写真は、2019年9月7日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の時に撮ったもの。薬師庵跡の前から北を向いて撮っています。奥に見えている交差点がそれです(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完))。

Img_3032c_20210925185001 Img_3029c_20210927183501  スタートから5.5㎞ほどのところに薬師庵跡。「水子 子育 地蔵菩薩」という幟が掲げられた山門があります。山門をくぐってすぐ左手に地蔵堂。これが水子地蔵。

Img_3023c_20210927183601 Img_3026c_20210927183601  空き地の奥に石碑が建っており、北畠国主の祈願仏であった薬師如来の庵があったところと書かれていました。永禄12(1569)年、兵乱により家士等が如来様をゆかりのある一志郡松崎村の船乗りを業とする者に預け、厨子に入れたまま小船に乗せ、ここ八幡の地に安置すべく、新たに庵室を建てました。しかし、平成18(2006)年に、この南にある松源寺とともに火災で焼失してしまったのだそうです。

Img_3035c_20210925185001 Img_8576c_20210927184101  こちらは、八幡山松原寺(しょうげんじ)。天台真盛宗。2019年9月7日にも訪ねているのですが、山門と地蔵堂が一新されていました(右の写真は、その2019年9月7日に撮影したもの:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完))。山門は、簡素化されたというとお叱りをいただくかも知れませんが、そんな印象。

Img_3041c_20210925185001  地蔵堂は、山門脇にあったものが奥に新設。地蔵は、弘法大師作と伝わります。宝暦年間(1751~1761年)、松源寺に立ち寄ったあと、富士参りに向かった度会郡の人が富士山中で道に迷っていたら、旅僧に姿を変えたこの地蔵に助けられたという逸話が伝わっています。

Img_3048c  松源寺から南へ200mほど行った、右側(西側)の民家の庭に「史跡 明治天皇津八幡町御小休所(めいじてんのうやはたごこやすみどころ)」という石碑が建っています。明治13(1880)年7月9日、明治天皇はこの地を通られ休憩されました。この頃、明治天皇は、三重県内を行幸されています。7月4日~6日には三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧、願王寺(寒松院)に行在所が設けられました(津の寒松院に「明治天皇行在所跡」の石碑があります;2018年4月29日:20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その1)……津新町駅界隈、松菱百貨店、藤堂家墓所の寒松院)。7日に伊勢神宮に御親謁され、その後は、一身田の高田本山にお泊まりになられました(2018年1月19日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その2)専修寺の境内を歩く(前半))。さらに、7月11日・12日に、亀山で大阪鎮台・名古屋鎮台の合同演習(軍事訓練)をご覧になっています。ここでスタートからほぼ6㎞、。12時を過ぎています。

Img_3060c_20210927193001 その先100mほどのところに八幡神社(津八幡宮)の社号標があります。伊勢街道を下る方向からいうと、左折すると、八幡神社の表参道に至ることを示しています。ここから東へ250mほど入ったところに八幡神社の表参道があります。八幡神社は、2019年4月28日の近鉄ハイキングの時にちょっとだけ立ち寄っています(2019年5月10日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。ちなみに、八幡神社は、垂水村(現在の津市垂水)千歳山にあった八幡神社(京都・石清水八幡宮から、伊勢国へ初めて分霊された神社)を寛永9(1632)年、津藩主・藤堂高次公がこの地に遷祀されたのに始まります。主祭神は、応神天皇と神功皇后。相殿神は、住吉大神(すみよしのおおかみ;航海の神)、藤堂高虎公です。寛永21(1644)年には、藤堂家の鎮守神社となり、この頃からの氏神祭が、現在は、津まつりとして続いています。

Img_3074c_20210925185001Img_3075c_20210927193901  さらに進み、スタートから6.4㎞のところに、香良洲道との追分があります。この写真では、左に入っていく道が、香良洲道(からすみち)、手前から右上に通っているのが伊勢街道です(東から西を向いて撮っています)。香良洲道とは、香良洲神社へお参りする道。「からす詣らな片参宮」といわれ、伊勢神宮の往路か復路に多くの人が香良洲神社を訪れたといいます(ちなみに多度大社にも、「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば片参り」といわれています)。香良洲神社の主祭神は、天照大神の分身または妹神とされる稚日女尊(わかひるめのみこと)。この橋のところで、香良洲神社に参ろうかどうか思案したところから、思案橋と呼ばれたのです。

Img_3079c_20210928031701  香良洲道との追分の先で、国道23号線を垂水南交差点で越えます。雨は、強まったり、弱まったりしてはいるものの、相変わらず降り続いています。

Img_3088x  紀勢本線の踏切を越えた先に「4分間待つ信号」。近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング」で来たときにもコースマップにわざわざ「4分間待つ信号」と書いてありました(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完))。このあたりの伊勢街道は道も狭く、車の対向はできません。路線バスも通りますので、交互通行式になっていて、ここが赤信号ですと約4分待つ必要があるのです。

Img_3114c  7㎞を過ぎた交差点(ここの信号も一体になって、4分間待つ信号を形成。両信号の間は、200mあまりあります)のところに垂水山成就寺。写真で、向かって左に見えるこんもりした森がそれ。

Img_3100c_20210925195701  真言宗醍醐寺派。ご本尊は行基によって見いだされた、平安後期(12世紀後半)に作られた大日如来座像(こちらに写真があります)。行基(668~749年)は伊勢参宮の途中、このあたりの山中から仏像を掘り出し、堂を建てて安置しました。垂水は水に恵まれないところであったものの、この仏像が出現した跡地から「香水(こうずい)」と称する一切の痛みのある病を治す水が湧き出し、それを白河法皇に献上したところ病気が治癒したことから、七堂伽藍が建てられ、200人近くの僧侶が修行に励んでいたといいます。しかし、織田信長による焼き討ちに遭い、残ったのが成就寺と清水不動院、南晶寺、金剛寺だけでした(南昌寺、金剛寺はこのあと立ち寄ります。清水不動院は、ここから西に400mほどのところにあり、2019年9月22日の近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング」で通っています(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)。水に恵まれなかったここ垂水で、良質な水が出て、街道を通る人も水を求めて立ち寄ったといいます。

Img_3104c_20210928033101  西行法師も立ち寄り、歌を残しています。境内には、その西行法師ゆかりの「さる稚児桜」の孫の木が残っています。西行法師が伊勢参りの途中、成就寺に立ち寄ったとき、境内で一人の子どもが遊んでいたが、西行の姿に気づくと、そばにあった桜にスルスルと登り、高い枝に腰をかけました。あまりに見事な木登りに西行は思わず、「さるちごとみるより早く木にのぼり」と上の句を口ずさんだところ、木の上の子どもが、「犬のようなる法師来たれば」とすかさず下の句を付けて返したといいます。歌人西行法師と田舎の子どもの痛快なやりとりがあったこの桜は、その後、「さる稚児桜」と呼ばれ、成就寺の名木となっています。

F17858f7 Img_3093c_20210928040201  境内に上がっていく階段の手前、お地蔵様の脇に道標があります。半ば埋もれているのですが、碑表と右側には「大日如来出現所香水道 従是/四丁」とあり、大日如来が出現した香水道がここから4丁(約436m)であることを示しています。左側には「安永二癸巳歳/九月吉日建之」、碑陰には「津魚町施主/栄四建之」とあります。安永2年は、1773年。なお、「伊勢参宮名所図会」に載っている成就寺の記述や、西行法師が訪ねた様子が、三重大学付属図書館のライブラリで見られます(ここ)。

 成就寺の前の交差点からすぐ南に、成就寺の塔頭であった金剛寺、南昌寺がありますが、長くなりましたので、それはその4にて。その3はここまで。

2021年9月27日 (月)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その2)……津の観音さん、大門商店街から浄安寺、閻魔堂、市杵島姫神社から阿漕町神明神社へ

Tsu2  9月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」、その2です。その1では、津駅をスタートし、四天王寺など寺巡りをして(というか、この間、お寺しか見るところがありません)、塔世橋を渡りました。冒頭の画像は、詳しいルートマップのその2です。塔世橋からしばらく国道23号線を歩き、2㎞地点で左折し、東に入ります。津観音寺にお参りし、大門商店街を通り、フェニックス通りを越えて岩田川を観音橋で渡ります。

Img_2778c_20210927040401  いきなり余談から。国道23号線から東に入るところに松阪肉の朝日屋があります。たぶん三重県では有名。東京にも支店があるようですが……。有名というのは、たとえば、大晦日にすき焼きを食べるということはよくあると思いますが、ここは大人気の店で、たくさんのお客さんが買いに来る光景が、ローカルニュースで毎年、取り上げられるのです。

Img_2781c_20210927040401  さて、国道23号線から東に入ったあたりの伊勢街道の様子。国道からいうと、1本裏道ということ。国道沿いとはずいぶん雰囲気も変わってきます。ちなみに、この辺を歩いている頃から、空には雲ばかりになってきます。

Img_2787c_20210927040401  観音寺に行くのですが、西側の門から入るため、2.3㎞地点で左折し、いったん伊勢街道からは離れます。観音寺に行く途中、津大門シネマがあります。平成13(2001)年4月に閉館した津東宝劇場の建物や設備を用いて、平成16(2004)年3月に津大門シネマとして開館。しかし、平成21(2009)年7月に閉館。大門シネマと同じビルに入っている喫茶サンモリッツ(ここも歴史があるようです)は、営業しています。

Img_2834c_20210925185001 Img_2805c_20210925184901  恵日山観音寺。地元では、「津の観音さん」と呼ばれています。真言宗醍醐寺派。本尊は聖観音菩薩。日本三大観音の一つとされます(ちなみに他の2つは、浅草観音、大須観音)。和銅2(709)年の建立とされ、室町時代の永享2(1430)年に、将軍足利義教が勅命を奉じ境内に三重塔や恵音院を建立したり、延徳2年(1490)には天台真盛宗の開祖、真盛上人が山内不動院に滞在し、観音堂に於いて説法され天台真盛宗を広められたといいます。ここは、2度ほど訪ねています。四天王寺の詳しいことは、3年前の「勝手にハイキング」の記事にあります(2018年5月 1日 :20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その2)……乱歩の墓のある浄明院、阿漕平治に関わる上宮寺、西来寺、大門商店街から津観音、2018年5月 2日:20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その3)……津観音から、蜂蜜まん本舗、千寿で天むすをゲットし、お城公園へ)。

Img_2840c_20210925185001 Img_2862c_20210927040601  津観音から南に出ると、大門商店街。観音寺の先の四つ角に道標があります。「すぐ こうのあみだ 左 げこうみち・右 さんぐうみち 左 こうのあミだ」とあります。碑陰には、「明治廿五年十二月立之□セハ松田傳兵衛/桝田伊蔵」。「こうのあみだ」は、津観音寺を指しています。明治25(1892)年建立。大門商店街は、ご多分に漏れず、往時の賑わいはありません。

Img_2868c_20210927040601  道標から西に入ったところに、平治煎餅本店があります。平治煎餅は、津の銘菓の1つ。よくあるカステラ生地の薄焼き煎餅。桑名でいえば、かぶら煎餅。平治煎餅の由来は、こちら。この由来にある平治のエピソードから「阿漕な」ということばができています。店だけ見てきました。さらにこの近くには、蜂蜜まん本店天むすの千寿などがあります。千寿は、天むす発祥の店。ただし、今日は、どれも食べてはいません(笑)。

Img_2860c_20210925185001 Img_2865c_20210925185001  大門商店街には、津宿の本陣跡と、脇本陣跡があります。ただし、今はまったく別の店になっています。本陣跡は百五銀行、脇本陣跡はニューマツザカヤというブティック。

Img_2868c_20210927040601  もう1店。大門商店街の南の端に「とらや本家」。ここは、いちご大福などが名物というか、いちご大福発祥の店だそうです。そのいちご大福が生まれたのは昭和61(1986)年。とらや本家のご主人とおかみさんが、たまたま休憩のときに、あまった大福餅にいちごをのせて食べたところ、これが意外に美味しかったことから、約1ヶ月の 研究を重ね、その年の2月13日から販売を開始。その後も、お客さんへの店頭での試食やアンケートを重ねて今のスタイルになったということです。他にもさまざまなフルーツ大福があり、近鉄ハイキングで立ち寄ったときに、「なし大福」を食べたことがあります(2019年9月11日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その2)……平治煎餅本店、津観音寺、大門商店街、とらや本家、閻魔堂、市杵島姫神社から「まんどさん」)。この日は、「もも大福」という看板が出ていましたが、立ち寄っていません。

Img_2872c_20210925185001  フェニックス通りを渡ります。津市中央と津市なぎさまちとを結んでいます。中央分離帯にフェニックスが植えられていますから、このように呼ばれています。近鉄道路までは、昭和42(1967)年に開通しています。フェニックスは八丈島産で、6m間隔で99本植えられているそうです。

Img_2882c_20210925185001  スタートから3.3㎞で岩田川に行き当たります。本来の予定では、前回、ここまで歩いて、近鉄津新町駅に向かうはずでした(笑)。なので、ここまでは、前回の宿題をしていた感じ。岩田川にかかる観音橋を渡っていきます。この橋について詳しいことは分かりませんが、その名前からして、観音寺の参道というような意味合いがあるのかも知れません。

Img_2884c Img_2894c_20210927040601  観音橋の数10m上流に国道23号線の岩田橋がかかっています。橋の北詰には、松菱百貨店。昭和11(1936)年5月、三重県初の大型百貨店である大門百貨店として開業した老舗。駐車場に車が溢れていましたが、この日は「全国うまいもん博」を開催していたためか? 岩田橋南詰の西側には、百五銀行本店(右の写真の中央のビル)。明治11(1878)年12月、旧津藩(藤堂氏)の武士たちにより、国立銀行条例に基づく第百五国立銀行として設立されています。

Img_2898c_20210927065801 Tsu3  岩田橋のところからが、本来の第10回伊勢詣りツアーのスタート。詳細なルートマップはその3へ。津球場の東あたりは、国道23号線を歩きます。浄安寺に立ち寄ってから、岩田交差点で左折し、東へ。真教寺、市杵島姫神社、教圓寺と進み、阿漕の町へ入ります。阿漕の町には古い家並みが残っています。ここで、阿漕町神明神社にお参り。

Img_2938c_20210927065801 Img_2917c  ノーチェックでしたが、岩田山浄安寺。浄土宗。国道から立派な鐘楼門が見えましたので、立ち寄って来ました。室町時代末期の永禄3(1560)年、玉蓮社瑞誉上人秀等大和尚により創建されました。桶狭間の戦いがあった年です。

Img_2921c_20210927065801  本堂の前に法輪があり、「法輪をまわしましょう」という説明がありました。法輪があるのは、初めて見ました。車の輪が回り続けるように、未来に向かって永遠に広められていく仏の教え、すなわち仏法を象徴しているということです。法輪をまわすと、お釈迦様の御経をすべて読んだことになるそうです。

Img_2927c_20210927065801  また、境内には平子鐸嶺(ひらこたくれい)の墓所があります。平子鐸嶺(明治10(1877)~明治44(1911)年)という方は知りませんでしたが、三重県出身の明治時代の美術史家。東京美術学校を卒業。若くして亡くなっています。内務省古社寺保存会委員で、法隆寺非再建論をとなえました。

Img_2931c_20210927065801  平子鐸嶺墓所のとなりに「聯芳塔(れんぽうとう)」というものがありました。墓のようですが、現地ではよく分かりませんでした。これを書くに当たって、ネットでいろいろ調べてみたら、お寺の歴代住職の墓をこう呼ぶことがあるようです。なるほどと思うと同時に、知らないことは、本当にたくさんあるものだとも思います。

Img_2960c  岩田交差点を左折し、東南へ向かいます。この頃から空模様が一段と怪しくなり、雨が当たってきました(苦笑)。真教寺につく前からやむなく、傘を差して歩き始めるほど。スタートから5㎞を歩いて、阿古木山真教寺(あこぎざんしんきょうじ)。天台宗。通称は、「閻魔堂」。慶長19(1607)年、津藩第2代藩主である藤堂高次公が建立したと伝わっています。ここは、津城下への南の入り口に当たります。悪霊や疫病が津の町に入らないようにという願いが込められているのです。

Img_2952c_20210927165601 Img_2949c_20210927165701  御堂の中には、閻魔王座像や、円空作という十一面観音立像が安置されています。十一面観音立像は、総高236cmで円空仏としては屈指の大きさだそうです。左の写真では、正面が閻魔王座像、向かって左が円空作の十一面観音立像。余談ですが、この目の前に三重交通のバス停があり、その名もまさに「エンマ堂前」。我々が閻魔堂の中を覗いて降りようと思ったら、ちょうどバスが来て、乗車扉が開きました(苦笑)。乗ってしまうと、この日のゴールである高茶屋駅のすぐ近くにあるイオンモール津南まで行けたのですが、いくら何でもそういう訳にはいきません。

Img_2946c_20210927165601  閻魔堂には、その手前に(西に)地蔵堂もあります。中には、お地蔵様が3体いらっしゃいました。

Img_2973c_20210927170801  閻魔堂に並んで、市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)があります。この写真で、向かって左が閻魔堂、右が市杵島姫神社

Img_2963c_20210925185001  市杵島姫神社は、通称「弁財(べざい)さん」。それによって、このあたりの地名が、津市下弁財(しもべざい)町。この付近にあった庚申塚の境内に、建武年間(鎌倉時代から室町時代(南北朝時代)にかけての1334~1336年まで、後醍醐天皇の代の元号)、伊勢の国司であった北畠氏が守り本尊としていた市杵島姫大神を祀って町の産土神として崇めたといいます。主祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。相殿神は、建速須佐之男命、宇迦之御魂命、大物主神、猿田毘古神、大山津見命、天照皇大御神、徳川家康、事比良神。万物の生命をつかさどる水の神、音楽芸能、子孫繁栄の神様として崇敬されています。この神社には、青銅製の「湯立釜」があります(市指定文化財)。釜屋町(現・北丸之内)の辻氏と並び称された中山村(現・津市栗真中山町)の鋳物師・阿保氏の作(元文5(1740年鋳造)。

Img_2968c  境内には樹齢が、400年とも500年ともいわれる、大きなイチョウの御神木があります。周囲は約4m。昭和20(1945)年の津空襲の時、湯気のようにもうもうとしたものが出て御神殿をつつみこみ焼失を防ぎ、風の向きも変え、火の手を止めたといわれています。

Img_2986c_20210925185001 Img_2984c_20210927165801  市杵島姫神社からすぐのところに一乗山教圓寺。真宗高田派のお寺。落ち着いた良い感じのお寺ですが、由緒などは不明(案内板はなく、ネット検索でも情報は出て来ません)。

Img_2990c_20210927165801  閻魔堂や市杵島姫神社から南の伊勢街道沿いには、古い家がかなりたくさん残っていて、風情を感じます。たとえば、こちらのお宅。大垂があり、連子格子になっています。

Img_3010c_20210925185001  教圓寺から南へ150mほどのところに阿漕町神明神社があります。ここは一風変わった神社で街道脇に鳥居があるのですが、そのすぐ奥が拝殿となっています。鳥居も拝殿も小振り。江戸時代の絵図には「一万度祓(いちまんどはらい)納社」として描かれているそうです。説明板によると、悪病が流行して町中がとても苦しんだ時に、人々が相談して阿漕町の中心部に神社を祭り祈祷したところ、病が治まったことから、町の守護として信仰を集めるようになり、毎年4月8日に大祭が催されるようになったといいます。

56aa99c5 50fe27db  珍しいことに、御祭神(大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト;天照大神の異称)は屋根に作られた天窓の上に祭られています。これら2枚の写真は、2019年5月10日に撮影したもの(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。この近鉄ハイキングの時は、氏子の方がいらっしゃり、許可をいただいて、拝殿前でかがみ込んで見上げて撮ったもの。このように天窓の上に神様がいらっしゃるので、地元では「まんどさん」と呼ばれています。

Img_2996c_20210925185001 Img_3000c_20210927180701  「まんどさん」がどんな風になっているのか疑問だったのですが、以前はこの両側に家が建っていて裏側は覗けませんでした。この日は、向かって右が更地になっていましたので、裏に回れました。ご覧のように、奥(東側)の屋根から出た柱に本殿(といっていいのでしょうが)が固定されていました。この本殿を、上左の写真にあるように、拝殿にある天窓から拝むという仕組み。なぜ、わざわざこのようなスタイルにしたのでしょう? きっと理由はあったと思うのですが、ネットで調べる限りは不明。その2はここまで。その3は、阿漕町神明神社殻150mほど先にある薬師庵跡、松原寺など阿漕を歩いて、国道23号線を西に越え、垂水に入っていきます。

天気がよいとついつい期待するものの……

Img_3525c_20210927151101  よく晴れて、気持ちの良い日です。最高気温も、26.9℃とさほど暑くもありません。できれば、昨日の分も歩きたいくらいですが(苦笑)、欲張るのはいけません。7時半からいつも通りに散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店(新光堂書店)、寿町、末広町と回って来ました。いったん帰宅してから、再度、桑名駅方面に用事で出かけ、合計7.8㎞。普段の散歩では、さすがに2日分は歩けません。

Img_3354c_20210927151101  天気がよくて気持ちよいと、鳥もたくさん出てくると思いたくなるのですが、そうそううまい話はありませんでした。我が家を出てから九華公園までで見た鳥は、ほぼゼロ。聞いた鳴き声は、ヒヨドリくらい。

Img_3373c_20210927151101 Img_3378c_20210927151101  九華公園の奥平屋敷跡。個人的鳥見スポットなのですが(先日つくった「九華公園の野鳥たち(改訂3版)」でも、かなりの数の野鳥を奥平屋敷跡で撮影しています)、今日は、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリばかり。スズメは1羽のみ、カワラヒワも3羽くらい。ヒヨドリも1羽。

Img_3401c_20210927151101  本丸跡、鎮国守国神社でもカワラヒワとハクセキレイがいたくらいで、これという写真は撮れず。やむなく、北門近くにいたスズメを撮ったくらい。

Img_3455c_20210927151101 Img_3474c_20210927151101  朝イチ、来たときにはいなかったのですが、アオサギさんがやって来ていました。そして、野球場の南の堀には、アーちゃんことカルガモさん1羽。今日の鳥の写真は、以上(苦笑)。パッとしませんねぇ。明日に期待しましょう。

Img_3479c_20210927151101  公園の外周遊歩道。東側エリアにて。ここには桜並木があります。桜の葉っぱは、既にかなり前から紅葉、落葉しています。秋の雰囲気。

Img_3491c_20210927151101 Img_3494c_20210927151101  さらに南側に行くと、去年でしたか、「柿の木レストラン」と勝手に名付けたところがあります(たとえば、2020年10月12日:鳥果大いにあり、吉日(微笑)……ヤマガラ、並んだメジロ、コサメビタキ、エゾビタキ、セグロセキレイ【鳥名についての付記(10/13)】)。柿の木が3本ほどあるのですが、今年は、いかにも実が少ない。去年ほど繁盛はしないかも知れません。

Img_3514c_20210927152901  アピタ桑名店では、例によって、新光堂書店に立ち寄って来ました。新刊の文庫本を探しに行ったものの、売れてしまったようです。代わりに他のものを2冊。散歩のついでに行ける本屋は、ここしかないのです。三洋堂書店桑名店も歩いて行けるものの、いつも散歩コースとは、まったく方角が異なるのです。大山田川、上之輪新田方面に行くなら、ついでに行けるのですが……。

Img_3326c_20210927151101  いよいよ今週で9月も終わり。10月に突入します。10月に入ると非常勤の後期の授業が始まります。その前に、来週日曜は、名古屋で支援員養成講座。良いのか悪いのか分かりませんが、緊急事態宣言は月末で解除されそうな雲行き。「夏休みもオシマイ」と自らに言い聞かせないといけません。

 

 

2021年9月26日 (日)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その1)……津駅をスタートし、まずは四天王寺など寺巡りをして、塔世橋へ

Tsu0  9月25日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回、「津・栄町~津・高茶屋」の本編その1です。予告編でも書きましたが、この日は、微妙な天気予報でした。微妙というのは、桑名など三重県北勢地域は晴れか曇り、津から南は弱い雨となっていたのです。しかし、翌日(9月26日)の予報はもう少し悪いものでしたので、思い切って出かけたという次第。前回(2021年9月12日:20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その1)……雨にも負けず、高田本山駅から巡礼道との追分、孟夏の常夜燈を経て、三重大学前へ、2021年9月13日 :20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その2)……三重大学前から江戸橋を渡り、上浜の町を通って津駅へゴール(完))、降雨コールドゲームではありませんが、津新町駅まで行く予定が、途中、津駅までで断念しましたので、今日は津駅からスタート(津駅は栄町にあります)。前回の残りが、初馬寺、四天王寺、観音寺、大門商店街など。ゴールは、高茶屋。JR紀勢線・高茶屋駅に設定。冒頭の画像が、この日歩いたコースの全体像。現地で歩いたのは、9.9㎞+α。スタートした津駅あたりでは晴れ間もあったのですが、途中、5㎞地点の閻魔堂・市杵島姫神社に着く前から雨が降り始め。その後は、強弱はあったものの、ゴールの高茶屋駅までほとんど雨。前回の再現フィルムのような感じ。同級生K氏と二人旅が続いています。

Img_2554c_20210926163201  桑名駅を8時42分に発車する五十鈴川行き急行に乗車。津駅には9時24分着。いつも非常勤に行くときと同じ時間帯の電車。津駅東口に出て、9時半にスタート。スタートしたときは、ご覧のように青空。正面が津駅。駅ビル(津チャム)になっています。その右手の高い建物が、アスト津“UST津”、「明日都津」だそうです。ホテル、公共施設、飲食店、さまざまなショップが入っているそうですが、未だに行ったことはありません。ちなみに、高さは地上94mで、三重県内では2番目に高い建築物です(三重県内トップは、四日市港ポートビルの100m)。

Tsu1  詳しいルートマップのその1。津駅から東に向かい、国道23号線の1本西(手前)の道が伊勢街道。右折して、善徳寺、初馬寺、心覚寺、四天王寺とお寺が続きます。安濃川を塔世橋で渡ります。橋を渡った南詰西側に旧塔世橋高欄が保存されています。

Img_2556c_20210926163201 Img_2562c_20210926163201  上述のように、津駅から東に向かい、伊勢街道に入ります。左の写真で中央の道が、前回歩いてきた伊勢街道。奥の方が江戸橋でそちらから来ています。この左手が津駅。右の写真は、津駅から来て右折し、伊勢街道に入ったところ。

Img_2572c_20210926163201 Img_2566c_20210926163201  右折してすぐに寿福山善徳寺(じゅふくざんぜんとくじ)。真宗高田派。開基は、無碍光院善明といいます。善明と寺の沿革の詳細は不明だそうですが、開山以来400年近く経ていると考えられています。「考えられています」というのは、このお寺は、宝暦11(1761)年秋と明治16(1883)年3月に焼失し、古い資料が残っていないのです。第9世住職真源が、明治42(1909)年10月、前住真鏡とともに本堂を再建しています。なお、この真源は、明治31(1898)~37(1904)年まで、札幌別院輪番を拝命し、在任中に別院を創建したそうです。墓地がなかったのですが、昭和47(1972)年、偕楽霊園に移っています。

Img_2576c_20210926164701 Img_2593c_20210926164701  善徳寺の脇の道を西に入ったところに。馬寶山蓮光院初馬寺真言宗御室寺派。掲げられていた縁起によれば、聖徳太子が42歳の時、四天王寺(後述)を建立するため当地を訪ねたとき、病気になられ、自ら本尊馬頭観世音菩薩を彫られ、また、大日如来阿弥陀如来を師である高麗の僧・恵慈と慧聡に彫刻させ、奈良・法興寺の善徳僧正を召されて厄除除難の法を修したところ、病もよくなり、事業も進展したといいます。元和3(1617)年には国家鎮護の道場となり、その後、津藩主が藤堂高虎の時、藩主祈願所となっています。通称は、津の初午さん。三重四国八十八ヶ所第64番札所伊勢西国三十三所観音霊場第17番札所。ご本尊の馬頭観世音は、中日新聞のWeb「田中ひろみの仏像大好き」で取り上げられています(こちら)。

Img_2589c_20210926164701 Img_2590c_20210926164701  伊勢の津七福神巡りの霊場にもなっています。第3の恵比寿天。右の写真では、向かって左手に恵比寿様。中央には、「水掛魚藍観世音」。私としては、こちらの観音様の方が気になりました。魚籃観音(ぎょらんかんのん)は、三十三観音の一つで、魚を入れたかごを手にさげています。大魚に乗っている像もあるそうです。羅刹(らせつ:人をたぶらかし、血肉を食うという悪鬼)・毒龍の害を除く功徳があるといいます。ここにあった説明板によれば、「九鬼浦の漁業不漁のみぎり當観音の霊感を得て奉祝祈願するに大漁を得たりという」とありました。また、「魚に携わる料理、旅館、飲食等の商いをなすもの、繁昌したりという」ともあります。九鬼浦は、尾鷲市九鬼町でしょう。

Img_2618c_20210926172101 Img_2611c_20210926172101  初馬寺から伊勢街道に戻り、スタートから600mほどのところに心覚寺。真宗高田派。このお寺については、詳しいことは分かりませんでした。境内には、「経石塚」という大正3(1914)年建立の石碑がありました。経石塚(きょうせきづか)は、おそらく、何かの願望成就のため、お経を小石に書写して塚を築いたもの。

Img_2625c_20210926173001  スタートから800mあまりのところで県道10号線を渡ります。この西には三重県庁(中央の焦げ茶色の建物)や県議会の議事堂(その左手)が見えます。

Img_2628c_20210926173001 Img_2634c  信心深い訳ではありませんが、さらにお寺が続きます。スタートからほぼ1㎞で、塔世山四天王寺曹洞宗の中本山。推古天皇の勅願によって、聖徳太子が建立したといいます。用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れたため、太子は四天王尊像を刻み、勝利すれば寺塔を建立するという誓願をたてました。その結果、守屋の軍を破ることができたので、誓願どおり四つの四天王寺を建立し、その一つがこの寺とされています。しかし、度重なる兵火によって焼失を繰り返し、はっきりしたことは分かっていません。以前訪れた時に聞いた話では、ここは東の四天王寺で、大阪にある四天王寺は、「西の四天王寺」だそうです。写真の山門は、市の有形文化財。全体に使われている木が太く、高さもあり、均整のとれた美しい姿です。この形に再建されたのは、寛永18(1646)年、二代藩主・高次公の時代。

Img_2636c_20210926175201 Img_2667c_20210925184901  戦火で荒廃と復興を繰り返していましたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓があります。その他、藤堂高虎夫人の九芳院の墓、斎藤拙堂らの学者・文化人の墓、幕末の写真家で藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎(くわじろう)の墓などがあります。さらに、芭蕉翁文塚など詩文に関係深い碑も数多い。詳細は、2019年9月7日に近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング」で訪ねたときの記事をご覧ください(2019年9月10日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ)。

Img_2671c_20210925184901  この日見てきたのは、まずは、花屋寿栄禅尼(かおくじゅえいぜんに)こと、織田信長信包の生母の墓。信長、信包の生母は土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、生年不詳~文禄3(1594)年)。墓が津にあるのは不思議に思えます。本能寺の変で信長と孫の信忠が自害した後は、孫の信雄の庇護のもとにありましたが、天正18(1590)年の信雄の改易後は、伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、ここで亡くなったのです。

Img_2679c_20210926175901  こちらは、藤堂高虎の夫人・久芳院の墓。高虎の正室・久芳夫人は、大坂夏の陣の翌元和2(1616)年8月20日、高虎の留守を守る津城で亡くなり、ここ四天王寺に葬られています。内助に徹したその生涯を偲び、肖像画とともに、菩提供養に思いのこもった高虎の文書が残っているそうです。久芳院は、 一色義直の娘といわれています。

Img_2692c_20210926180001  前回見逃したところもありました。これは、目洗い地蔵。長く目を患っていた男性が、四天王寺にやって来て、本堂に向かって歩いているときに、目が痛み出し、その場にうずくまりました。「せめてこの痛みだけでも何とかなれば……」と思ってじっとしていると、どこかからか水の流れる音が聞こえてきて、その水で何度か目を洗ったところ、痛みがすっかりなくなったといいます。昔々、インドの阿育王が仏教を広めるためにあちこちに建てさせた塔の一つが津の町にあり、聖徳太子はこの塔のそばにこの四天王寺を建てました。その塔は、しばらくして、江州の不塔山に移され、台石だけが四天王寺に残され、男の目を治した水はこの台石から流れ出ていたそうです。今はこの台石もありませんが、案内の石が残っています。

Img_2722c_20210926180801  山門の北、芭蕉翁文塚や二日坊杖塚のあるところに「史跡 地蔵堂跡 平景清鎧掛松 定行書」とある碑が建っています。これについては、2020年2月 6日の記事(20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(補遺編)……比佐豆知神社と四天王寺)に書いてあります。地蔵堂跡については不明ですが、「平景清鎧掛松」については、「津市案内記」(津市役所発行)と「津市郷土読本」(津市教育会)には、「四天王寺の七不思議として、『血天井・景清鎧掛松・亀の甲の三尊像・蛇の鱗・薬師堂の瓦・風呂神・生佛』がある」とされているようです(こちら)。景清は、平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平景清と呼ばれますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいいます。「悪七兵衛」(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛であったそうです。平景清については、あちこちに伝説が残り(こちらを参照)、桑名市志知にも「景清屋敷跡」があります。

Img_2663c_20210926175201 Img_2662c  四天王寺は、聖徳太子が建立したのですが、今年が「聖徳太子御聖忌千四百年遠忌」に当たるそうで、境内には左の写真のような法要の案内が掲げられていました。この大遠忌の参拝記念のパネルまで設置されています。

Img_2751c_20210926183901 Img_2765c  四天王寺には20分あまり滞在。伊勢街道には戻らず、そのまま南に向かい安濃川に行き当たります。安濃川を塔世橋(とうせばし)で渡ります。最初の橋は江戸時代に土橋として架けられ、現在は、平成4(1992)年3月のもの。

Img_2754c_20210926183901 Img_2763c_20210926184201  橋の途中には、「唐人踊り」のモニュメントがあります。唐人踊りは、江戸時代に朝鮮から幕府へ派遣された朝鮮通信使の身なりをまねていると伝わっています。喜怒哀楽の面をつけ、黄・白・赤色の上着、虎皮模様のズボン、笠、わらじをつけて、ラッパや笛、かね、太鼓のはやしで町を練り歩くそうです。毎年10月の津まつりで行われます。

Img_2767c_20210926183901 Img_2771c  塔世橋を渡った南詰の西側には、旧塔世橋高欄が保存されています。戦災の傷跡を残しています。この旧塔世橋高欄は、万成花崗岩(御影石の一種)を使ったもので、昭和9(1934)年の建設当時は斬新なデザインでした。昭和20(1945)年724日の空襲により橋脚・橋桁ともに被爆しました。これは、津市内に残る数少ない戦災の遺蹟であるということで、ここに移築、保存されたものです。まだ、本当は前回歩いたところのはずですが、長くなりましたので、その1は、ここまで。

終日雨にて、蟄居を強いられる

210926amedas Img_3292c_20210926153001  未明から降り始め、ほぼ終日雨のようです。やむを得ません、こういう日は蟄居生活。雨に降られると弱い(苦笑)。活動を制限されます。まぁ、昨日、長い距離を歩いてきましたので、休養日ということです。雨のせいもあってか、気温も上がらず、23.0℃。しかもこの最高気温は、夜中の1時台に記録しています。

Img_3280c_20210926153001 Img_3317c_20210926162301  朝刊を取りに降りたくらいで、外に行けませんので、ベランダ園芸の話。アサガオも終盤を迎えています。咲く花の数は減ってきましたし、花のサイズも小さくなってきています。今日は、花は咲いていません。つぼみは小さいものが1つありましたので、明日はそれが咲くと思います。

Img_3283c_20210926153001  今年は、去年の反省に立って(2020年10月17日:雨読の日は、地道に仕事(微笑)……【上之輪新田のかつてあったコスモス畑の様子についての付記(10/17)】)、「ジャングル」化しないようかなり間引いて、2つの鉢ともに3本ずつにしたのですが、結局、同じようなパターンに陥っていました(苦笑)。多少はマシか、というくらい。反省が足らなかったようで、反省しています(爆)。

Img_3286c_20210926153001  金のなる木と、万年青は青々として、大きく育っています。蟄居生活を強いられましたので、昨日の伊勢詣りツアーの写真の整理と、読書。それに、かねてから疑問だった、「禅宗のお寺には、稲荷社が併設されていることが多い気がする」理由を調べていました。これは、あちこち歩いて見て回って感じた疑問。宗教関係の文献を持っていませんので、ネット検索した範囲では、神仏習合の影響で、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと))と、空海(弘法大師)が中国からもたらした真言密教荼枳尼天(だきにてん)とが同一視されたことが関わっているかというところまで来ています。本地垂迹説でいえば、荼枳尼天が、稲荷神の本地仏とされたことが関わっていると思われます。まぁ、暇つぶしだろうといわれれば、それまで。

2021年9月25日 (土)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末

Tsu0   天気予報が微妙でしたが(微妙というのは、桑名など三重県北勢地域は晴れか曇り、津から南は弱い雨)、エイヤッと、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回に行ってきました。前回、降雨コールドゲームではありませんが、途中、津駅までで断念しましたので、今日は津駅からスタート(津駅は栄町にあります)。前回の残りで津市の岩田川あたりまでがプラス。ゴールは、高茶屋。JR紀勢線・高茶屋駅に設定。冒頭の画像は、今日歩いたコースの全体像。現地で歩いたのは、9.9㎞+α。スタートした津駅あたりでは晴れ間もあったのですが、途中、5㎞地点の閻魔堂・市杵島姫神社に着く前から雨が降り始め。その後は、強弱はあったものの、ゴールの高茶屋駅までほとんど雨。前回の再現フィルムのような感じ。今日は、予告編。同級生K氏と二人旅が続いています。

Img_2551c_20210925184901  桑名駅を8時42分に発車する五十鈴川行き急行に乗車。津駅には9時24分着。いつも非常勤に行くときと同じ時間帯。津駅東口に出て、9時半にスタート。東に向かい、国道23号線の1本手前を右折し、伊勢街道に入ります。スタートしたときは、ご覧のように青空。

Img_2580c_20210925184901  右折してまもなくさらに右折し、寄り道。馬寶山蓮光院初馬寺真言宗御室寺派。聖徳太子が厄除け、病気平癒のため開創したという伝承があります。通称は、津の初午さん。三重四国八十八ヶ所第64番札所。津藩主が藤堂高虎の時、藩主祈願所となっています。

Img_2634c Img_2667c_20210925184901  伊勢街道に戻って、スタートからほぼ1㎞で、塔世山四天王寺。曹洞宗。推古天皇の勅願によって、聖徳太子が建立したといいます。戦火で荒廃と復興を繰り返していましたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓があります。その他、藤堂高虎夫人の九芳院の墓、斎藤拙堂らの学者・文化人の墓、幕末の写真家で藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎(くわじろう)の墓などがあります。さらに、芭蕉翁文塚など詩文に関係深い碑も数多い。

Img_2671c_20210925184901  こちらは、織田信長、信包の生母である、土田御前のお墓。土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、?~ 文禄3(1594)年)は、天正18(1590)年、信包を頼って伊勢安濃津城に移り、文禄3(1594)年に死去、ここ四天王寺に祀られました。

Img_2834c_20210925185001 Img_2805c_20210925184901  四天王寺からは、伊勢街道に戻らず、そのまま安濃川へ出て、塔世橋を渡ります。しばらく国道23号線を進み、松阪肉の朝日屋のところから国道を外れ、東へ。スタートから2㎞を過ぎると、恵日山観音寺。通称、「津の観音さん」。真言宗醍醐寺派。和銅2(709)年の建立とされ、室町時代の永享2(1430)年に将軍・足利義教が勅命で三重塔などを建立しています。

Img_2840c_20210925185001  観音寺の南には、大門商店街がありますが、ご多分に漏れず、往時の賑わいはありません。観音寺のすぐ南に道標が1基。「すぐ こうのあみだ 左 げこうみち・右 さんぐうみち 左 こうのあミだ」とあります。この近くには、平治煎餅本店蜂蜜まん本店天むすの千寿などがあります。今日は、どれも食べてはいません(笑)。

Img_2860c_20210925185001 Img_2865c_20210925185001  大門商店街には、津宿の本陣跡と、脇本陣跡があります。ただし、今はまったく別の店になっています。本陣跡は百五銀行、脇本陣跡はニューマツザカヤというブティック。

Img_2872c_20210925185001 Img_2882c_20210925185001  フェニックス通りを越えて、観音橋を渡ります。観音橋は岩田川にかかっており、この近くには、百五銀行本店や、松菱百貨店があります。岩田橋の南たもとに出て、そのまま国道23号線をしばらく進みます。

Img_2960c Img_2963c_20210925185001  津球場を超えた、国道23号線岩田交差点の先で、伊勢街道は左折し、柳山に入っていきます。スタートから5㎞程のところに、阿古木山真教寺(通称、閻魔堂)と、市杵島姫神社が並んでいます。閻魔堂には、閻魔王座像や円空作十一面観音立像などがあります。江戸時代、このあたりは津の南の端で、津藩2代藩主・藤堂高次公が建立したものです。津の城下に悪霊や疫病が入り込まないようにという願いが込められています。市杵島姫神社は、通称「べざいさん」。建武年間(650年程前)からこの地にあり、伊勢の国司であった北畠氏が守り本尊としていたご神体が、ここに遷ったといいます。主祭神は、市杵島姫命。

Img_3010c_20210925185001  阿漕町神明神社。江戸時代、悪病が流行して町中がとても苦しんだとき、人々が相談して阿漕町中心部に神社を祀って、祈祷したところ、病が治まったといいます。ここの通称は「まんどさん」。拝殿の天井中央あたりに天窓があり。その向こうに 大日孁貴命(おおひめむるちのみこと:天照大神の異称)が祀られています。

56aa99c5 50fe27db  こちらがその「まんどさん」。拝殿の内部を撮影したものです。天井の中央あたりに天窓があり、そこだけ明るくなっているのがお分かりいただけると思います。拝殿の手前にしゃがみ込んで、見上げて撮った写真が右のもの(これらの写真は、2019年5月10日に撮影したもの:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。

Img_2996c_20210925185001  「まんどさん」がどんな風になっているのか疑問だったのですが、以前はこの両側に家が建っていて裏側は覗けませんでした。今日は、向かって右が更地になっていましたので、裏に回れました。この写真のようになっていました。これって、バラしたらマズい情報でしょうか?

Img_3032c_20210925185001 Img_3035c_20210925185001  神明神社の先には薬師庵跡、松原寺と続きます。薬師庵跡は、この山門をくぐったところ。地蔵堂と、空き地の奥に石碑が建っており、北畠国主の祈願仏であった薬師如来の庵があったのです。永禄12(1569)年、兵乱により家士等が如来様をゆかりのある一志郡松崎村の船乗りを業とする者に預け、厨子に入れたまま小船に乗せ、ここ八幡の地に安置すべく、新たに庵室を建てたのですが、平成18(2006)年に、この南にある松源寺とともに火災で焼失してしまいました。その松源寺は、天台真盛宗のお寺で、代々の津藩主の位牌が祀られているそうです。ここの山門と地蔵堂は、以前に来たときから一新されていました(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完))。山門は、簡素化されたというとお叱りをいただくかも知れませんが、そんな印象。地蔵堂は、山門脇にあったものが奥に新設。地蔵は、弘法大師作と伝わります。宝暦年間(1751~1761年)、松源寺に立ち寄ったあと、富士参りに向かった度会郡の人が富士山中で道に迷っていたら、旅僧に姿を変えたこの地蔵に助けられたという逸話が伝わっています。

Img_3048cImg_3074c_20210925185001  その先で、「史跡明治天皇津八幡町御小休所」という石碑が、民家の敷地内に建っています。さらに進み、国道23号線南垂水交差点の手前に、小さな橋と追分。右の写真で、小さな橋(これが思案橋)の手前から左に入る道が、香良洲(からす)道といい、香良洲神社に行けます。「からす詣らな片参宮」といわれ、伊勢参宮の往路か復路に多くの人が香良洲神社を訪ねたといいます。この橋のところで、香良洲神社に参ろうかどうか思案したところから、思案橋と呼ばれたのです。

Img_3088c_20210925185001 国道23号線を越えてしばらく行くと、このような表示のある信号に出ます。このあたりの伊勢街道は、道幅が狭く、また、バス路線にもなっています。そのため、この信号機は、交互通行式になっています。赤の時は、4分間待つ必要があり、そのように表示されています。

Img_3114cImg_3100c_20210925195701  この「4分間待つ信号」は、さらに先の成就寺のところの信号とも一体となっています。成就寺は、真言宗醍醐寺派。ご本尊は大日如来座像。白河法皇によって建立され、七堂伽藍の大きな寺でした。水に恵まれなかったここ垂水で、良質な水が出て、街道を通る人も水を求めて立ち寄ったといいます。西行法師も立ち寄り、歌を残しています。

Img_3118c_20210925195701 Img_3122c_20210925195701  成就寺の先には、かつて成就寺の塔頭であった金剛寺と南昌寺があります。理由は定かではありませんが、どちらも現在は、真宗高田派となっています。このあたりでは、雨がけっこう降っていましたので、先を急ぎ、ゆっくりお参りはしていません。

Img_3131c_20210925195701 Img_3134c_20210925195701  南昌寺から南へ150mほどのところに須賀神社があります。ここは、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーで来たときもパスしました。また来る機会があるだろうと思ったのですが、今日も雨で、結局パス。「垂水の産土神」です。その先、伊勢街道脇に、石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社(からびのじんじゃ)への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。近鉄ハイキングできたこともあり、今日は雨でもありでパス。こちらに近鉄ハイキングで来たときの記事があります。垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、神殿を建築して鎮座したところとされます。

Img_3161c Img_3194c  雨で先を急いでしまっています。天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗のお寺。称念寺のすぐ先に高茶屋神社。高茶屋という名前は、高台にあり、周辺に茶屋が多かったことに由来。鳥居のところに常夜燈があります。文久3(1863)年のもので、「十三社 常夜燈」とあります。

Img_3186c_20210925201101  ここも、2019年9月22日に来ていますので(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)、拝殿の下まで行って、後はパスしてきました。

Img_3206c_20210925201601 Img_3207c_20210925201601  雨の中、JR紀勢線・高茶屋駅には、13時15分に到着。ところが、津方面に向かう亀山行き普通は、13時13分に出たばかり。ここには普通しか止まりません。紀勢本線と呼ぶにもかかわらず、基本的に1時間に1本(爆)。「次は?」と時刻表を見たら、何と14時8分。やむを得ません。待合室で、おやつを食べながら、話をして待つことに。

Img_3214c_20210925201601 Img_3249c_20210925201601  駅は、明治26(1893)年に参宮鉄道が、津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されたという歴史のある駅。ご覧のように、昭和30~40年代にでもワープしたかのようなレトロ感たっぷりの駅です。同じ紀勢線の駅では、一身田駅に似ています。14時8分の亀山行き普通に乗車。本来は、ワンマン運転ですが、乗った電車には係の方も同乗。整理券は取る必要がなく、車内で精算してもらえました。津駅までは200円。14時18分着。ということは、今日、雨も降る中、3時間45分もかけて歩いてきたのに、10分で戻ってしまうことになります(苦笑)。

Img_3259c_20210925201601 Dsc_6237c  今日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。今日は、信州そば処「そじ坊」。雨にも濡れてしまいましたので、温かいそばをということで、にしんそば。税込み¥950。時分時をはずれ、客は我々二人のみ。

Img_3269c_20210925201601  食事を済ませ、近鉄で帰ります。14時56分発名古屋行き急行に乗車。桑名駅には15時40分に到着。¥700。帰宅は、16時頃。今日の歩数は、ご覧のように、22,540歩。現地で9.9㎞+α、自宅から桑名駅往復が2.5㎞ですから、合計12.4㎞を歩いてきました。これだけ歩くと、さすがにしっかり歩いたなという気がします。本日は、予告編ということで以上。本編はまたボチボチ書くことにします。

Img_2848c_20210925185001  余談を1つだけ。ブロ友のひらいさんの好物(微笑)。TASTERという会社が、KINGのブランドで展開しているオリジナル自販機オリジナル商品は安いのです。180mlの缶コーヒーは¥80。大門商店街の一角に置いてありました。

2021年9月24日 (金)

天気はよくても、サッパリ

Img_2382c  今日もよく晴れて、気温はまたもや30℃ちょうど。昨日と同じ。こういう天気の良い日は、野鳥がいるのを期待するのですが、さほどでもないというのが、このところの経験則(苦笑)。いつも通り、7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南寺町、常磐町、老松公園、八間通、住吉入江と5.9㎞を回って来ました。「さほどでもない」どころか、サッパリに近い(苦笑)。冒頭の写真は、九華公園にて。

Img_2339c_20210924145301  柿安コミュニティパークには、なぜかハクセキレイが7羽も集合。しかし、遠くにいたり、けっこう動き回ったりで、うまく撮れず。

Img_2347c_20210924145301  九華公園に入ったところで、カワセミの鳴き声。鎮国守国神社の社務所の裏の対岸、相撲場近くのサクラの木あたりから飛び出し、九華橋の方へ。見ただけ。奥平屋敷に足を踏み入れたら、またもやカワセミの鳴き声。奥平屋敷跡の西側から、セキセイインコの鳥小屋の裏を抜けて、吉之丸堀方面へ。追いかけたものの、見失いました。残念。その奥平屋敷跡、今日も鳥はあまり来ず。左は、カワラヒワの証拠写真。他には、ドバト、ムクドリ、スズメ、ハシボソガラス。今日は、ここでの鳥見は30分ほどで断念。

Img_2420c_20210924145301 Img_2462c_20210924145301  二の丸跡では、二の丸橋のたもとにある木にメジロの姿。しかしこれまた証拠写真。こんなのばっかり。本丸跡にも何もおらず。鎮国さんにお参りして、相撲場のところを通り過ぎようとしたら、アオサギが隠れているのに気づきました。いつもの九華橋の方ではなく、社務所裏ですが、普段アオサギは来ないところ。こちらも、あまりクリアには撮れず。

Img_2491c_20210924145301  これに対して、貝塚公園では、バッチリ。9月21日と同じく、メスのモズ(2021年9月21日:カワセミ嬢とメスのモズ……オマケは、昨日のほぼ満月の写真(笑))。いた場所もほぼ同じ。同じ個体かも知れません。これが、今日のベストショット。内堀公園には何もおらず。老松公園では、草刈り作業が続いていましたので、何もいませんでした。

Img_2394c_20210924145301  去年の今日は、七里の渡し跡でカワセミを見たり、貝塚公園でシジュウカラとヤマガラを見たりしています(2020年9月24日:七里の渡し跡でカワセミ、九華公園でイソヒヨドリ……寺の掲示板に子規の句)。また、九華公園ではイソヒヨドリを初めて見たのも、この日でした。まぁ、毎日歩いていると、またよいこともあるでしょうから、「淡々と飽きもせず……」の精神で(微笑)。写真は、九華公園の朝日丸跡にて。

Img_2430c_20210924145301  明日は、伊勢詣りツアー第10回で、津駅からJR紀勢線高茶屋駅まで行こうと計画しています。しかし、桑名は終日よく晴れるという予報なのに、津は、晴れのち雨の予報。朝は晴れているものの、昼頃から弱雨、小雨となっています。微妙です。明日の朝にでも決めましょう。ヒガンバナは、鎮国守国神社の境内にある旧桑名城天守台にて。

2021年9月23日 (木)

アオサギも伸びをしたくなるよね……「九華公園の野鳥たち(第3版)」完成

Img_1991c_20210923155601  久しぶりに真夏日、30℃ちょうどになりました。朝からよく晴れて、散歩日和。野鳥がいるのを期待してしまいます(微笑)。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、八間通、住吉入江と5.8㎞。期待したものの、揖斐長良川の中洲にも、三の丸公園にも、柿安コミュニティパークにも鳥はおらず。三の丸水門の下流にアオサギさんが飛来したものの、堤防道路からは見えないところ(苦笑)。

Img_2026cImg_2027c_20210923155501  九華公園では、いつものところにアオサギ。今日は、何やら芸でもしてくれる雰囲気。と思ったら、翼を広げ、頭から首を下げ、どうやら伸びをしている様子。たいてい、木鶏のごとく、じっとしているので、人間でいえば、肩も凝るのでしょう。

Img_2041c_20210923155601  このあとは、こんな姿勢で、左右順番に翼を伸ばします。その翼の下には、足も添えられています。

Img_2068c_20210923155501  奥平屋敷跡では、散歩友達のYさん。いつも一緒にバードウォッチングをしています。ドバト、ムクドリ、ハシボソガラスはそれなりに来たものの、他がサッパリ。カワラヒワは1~2羽。スズメも数羽。九華すずめ食堂の餌は、きれいになくなっていました。昨日見られたフライキャッチャーは、今日はいません。

Img_2129c_20210923155501  諦めて、二の丸跡へ行こうと思ったところへ、カワセミ嬢が登場したものの、写真はイマイチ。もうちょっと明るいところに出てくれるとよかったのに(苦笑)。このあと、朝日丸跡ではシジュウカラがいたものの、カメラを構えた途端、逃げられました。今日のバードウォッチングは以上。貝塚公園、内堀公園、新築公園には鳥はおらず。老松公園では、草刈り作業中。ということで、期待は見事に裏切られました。なかなか思うようには行かないもの。

Img_2196c  鎮国守国神社の裏手で、ヒガンバナ。ちょうど今日は、お彼岸の中日。

Img_2253c_20210923155501 Img_2259c_20210923155501  余談その1。アサガオの種。茶色くなって、乾燥してきたものがけっこうありましたので、「収穫」。1つに種は、2~5個入っています。10個以上収穫しましたので、40個前後の種があります。難点は、今年は花の色が一色のみであったこと。去年ものもがまだ残っていますから、来年は両方を混ぜて蒔くことにします。

Img_1934c_20210923155501 Greyheron  余談その2。「九華公園の野鳥たち(第3版)」、完成しました。というか、キリがないので、エイヤッと終わらせ、印刷し、クリアフォルダーに収納しました、というのが正確。第2版から11種類増えて、合計67種類を掲載。これまでに九華公園で、67種類を確認したということです。朝の散歩の時、九華公園の管理事務所に立ち寄り、管理人さんに前のものと入れ替えをお願いしてきました。公園事務所でご覧いただけます。

Wildbird1 Wildbird2  ちなみに掲載した鳥のリストは、これら2枚の画像にあります。写真は、基本的には九華公園で撮影したものを使っています。同じものをpdfにしてありますので、ご希望があればそれを差し上げますので、このブログの「メール送信」または私のメールアドレスにご連絡ください。

2021年9月22日 (水)

鳥はおらず、証拠写真ばかり……意気の上がらない天候

Img_1655c_20210922162101  上天気はなかなか続かないようです。今日は、ほぼ曇りですが、ときどき雨。散歩中も、霧雨に何度か見舞われました。いつも通り7時半から歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、春日さん(桑名宗社)、三崎通、寺町、御坊さん(桑名別院)と6.3㎞。けっこう蒸し暑くて、汗をかきました。

Img_1677c_20210922162501 Img_1683c  鳥はいるような、いないような(苦笑)。揖斐長良川、今朝は、満潮が6時23分(四日市港)で水が多く、昨日のように、ダイサギやアオサギは来ていません。七里の渡し跡ではスズメ。ここにはいつも数羽のスズメがいます。柿安コミュニティパークでは、ムクドリが数羽いたほか、ハクセキレイも1羽。

Img_1726c_20210922162101  九華公園には8時前に到着。アオサギは、九華橋の近くの樹上で、身繕いに懸命。翼をきちんと手入れしておかないと、いざというときに飛ぶのに差し障りがでるのだそうです。今日は、カワセミがいないどころか、北門から相撲場のあたりには、キジバト、ドバトが少しいただけ。曇天で、雨も降りそうですから、こんな日は鳥見にはあまり向きません。

Img_1772c_20210922162101  奥平屋敷跡でも、ドバト、ムクドリばかり。ハシボソガラスもあまり来ませんし、カワラヒワもほとんどいません。奥平屋敷跡の北側で、何かがパッと飛んでは戻るという動きを繰り返していました。ヒョッとしたらと思い、しばらく見ていたら、フライキャッチャーが登場。しかし、遠くて、暗くて、また、向こう向きの位置ばかりで、コサメビタキなのか、エゾビタキなのかなど、判然とはせず。チョー証拠写真(苦笑)。

Img_1780c_20210922162101 Img_1784c_20210922162101  二の丸跡、朝日丸跡でも鳥はいません。九華すずめ食堂支店の屋根は、修理どころかリノベーションされて、元管理人Oさんが持ってこられました。「石を載せたらどうだ」といった方があって、そのようになりました。今日は、久しぶりに餌も置いて行かれたのですが、私が見ていた間には、鳥は来ず。

Img_1813c_20210922162101 Img_1821c_20210922162101  カルガモのアーちゃんは、元気でした。このところ、毎日います。吉之丸堀の東側のエリアが気に入っているようです。貝塚公園でも、証拠写真。シジュウカラが2羽。今日は、やはりバードウォッチングには不向き。

Img_1854c Img_1868c_20210922162101  そういうことだからではありませんが、春日さんに寄って来ました。社務所の改修工事が始まったとインスタに投稿されていたのです。

Img_1861c_20210922162101 Img_1865c_20210922162101  不勉強にも知らなかったのですが、春日さんの社務所は、明治天皇が宿泊された明治時代の旧船津屋の建物を移築したものだそうです(昭和35(1961)年に移築)。宿泊された部屋が残っており、随所に菊の紋が使われているとか。『明治天皇御製』の掛け軸もあるといいます。左の写真で手前の「社務所」の看板がある建物がそれ。向かって左奥の建物は取り壊されます。社務所は、改修の上、来春に一般公開の予定。村正のレプリカなどもここで常設展示されると聞いています。

Img_1884c_20210922162101  お彼岸なので、御坊さんへお参り。私にとっての恒例行事。実家方面へ行くと菩提寺はあるのですが、いかにも遠い。何度か書きましたが、墓はありません。そのため、いつも御坊さんにお参りしています。

Img_1533c_20210922165501  今日のような天候ですと、意気が上がりません(苦笑)。毎度のことですが、ソーラーパワーは偉大だといつも思います。「九華公園の野鳥たち」の改訂作業を進めていますが、悪い癖が出て、いったんやり始めるとあちこち気になってしまい、なかなか収拾がついていません(爆)。野鳥の説明文を修正したり、もっとマシな写真はなかったかと過去のブログを探したり、です。後期の授業準備は、第3回のレジメを修正し終えました。自分で自分にカツを入れるため、鎮国さんの狛犬のドアップ写真を載せておきます。

2021年9月21日 (火)

カワセミ嬢とメスのモズ……オマケは、昨日のほぼ満月の写真(笑)

Img_1624c_20210921161701  16時を過ぎて細かい雨が落ちてきました。午前中は晴れ、午後から曇り。この空模様では、仲秋の名月&満月は、たぶん拝めないでしょう。朝は、いつもと同じく、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園から内堀公園、紺屋町、新築公園へ。そこからアピタ桑名店の本屋に立ち寄って、寿町、八間交差点、参宮通と国道1号線を歩いて帰宅。何と、6.9㎞も歩いてきました。冒頭の写真は、国道1号線・寿町2丁目の交差点。奥に行くと、桑名駅方面。

Img_1209c_20210921161801  今日は、鳥に恵まれました。まずは、九華公園に着いて、北門を入ってすぐにカワセミ嬢が登場。しばし、鎮国守国神社の社務所の裏の堀の辺りを往き来してくれましたので、しっかり楽しませてもらいました。

Img_1611c_20210921161701  さらに、貝塚公園の四阿で鳥待ちをしていたら、頭上から、モズの鳴き声。慌てて四阿から出て、周りを回って探すと、メスのモズがいました。これで、今シーズンは、モズのオスに続いて(2021年9月16日:老松公園にモズが登場【九華公園のカルガモについて付記(9/18)】)、メスも確認できました。

Img_1173c_20210921161801 Img_1177c_20210921161801  さて、散歩の初めに戻って。住吉神社の東の揖斐長良川の中洲を見ると、サギが4羽。以前よくアオサギが集まっていた木が生えているところのやや下流。ダイサギが2羽と、草に隠れるようにしてアオサギが2羽。ウ~ン、前のように、このあたりにサギが集まってくれないかと思います。

Img_1515c_20210921161701  九華公園では、上述のようにカワセミ嬢。さらに、いつものように、九華橋に近いところにはアオサギさん。左の写真は、「寝落ち寸前」のところ。このあと、顔を胸元に突っ込んで、お休みになりました。写真は撮れなかったのですが、カワセミを見ている時、鎮国さんの社務所裏の木から、サギのものらしい糞が落下。そちらも気になったものの、やはりカワセミが優先。カワセミを見ていたら、ホシゴイが1羽飛び出してきて、西の方へ飛んで行きました。ホシゴイも来ていることは確認。

Img_1493c Img_1419c_20210921161701  奥平屋敷跡では、昨日よりもややマシな成果(微笑)。カワラヒワはやはり、高い松の木のてっぺんあたりに数羽。写真が撮りやすいところにはなかなかやって来ず。先日から、ドバトがある木にたかっているのが気になっていました。想像通りでしたが、熟した木の実を食べようと必死。まだ青い実は、パス。右の写真では分かりにくいのですが、ドバトの先に実があるのです。

Img_1393c_20210921161701 Img_1435c_20210921161701  奥平屋敷跡にあるステージの前、以前椅子が並んでいたところにハシボソガラスがやって来て、何かを食べています。ペットフードのようです。まさか、カラス用のペットフードはありません。猫の餌を置いていく人がいるようですから、たぶんキャットフード。カラスは逞しい(苦笑)。他には、ハクセキレイが1羽。今日は、ムクドリも、スズメも現れず。

Img_1493c  朝日丸跡では、ムシクイの仲間を見たものの、超ピンぼけ写真しか撮れず、しかも逃げられました。本丸跡の神戸櫓跡近くでは、カワラヒワがたくさん。今日の鳥見は、以上。種類は少なかったものの、カワセミ嬢とメスのモズが見られ、満足。

Img_1620c_20210921161701  アピタ桑名店。いつものように、ここに入っている新光堂書店で、気になっている新書が売っていないかと思って立ち寄ったのですが、残念ながら置いてありませんでした。時代小説の文庫本の新刊があったので、それを購入。

Img_1633c_20210921161701  そのまま、たまにはいつもと違うところをと思って、国道1号線沿いを参宮通まで歩いたという次第。思わぬ収穫がありました。「思わぬ収穫」というか、このあたりは何度も通っていたのに、今まで気づかなかったのが不思議(苦笑)。デパールというイタリア料理店の近くのお宅の屋根に、鍾馗様が乗っていたのです。見つけると写真を撮っているのですが、一度、これまで見つけたものを整理してみるとよいかも知れません。

Img_1123c_20210921161801  オマケ。アサガオ、葉っぱはかなり枯れてきていますが、まだまだ毎日1~3輪くらいずつ咲いています。もう少し楽しめるでしょう。

Img_1083c_20210921165901 Img_1121c_20210921165901  オマケその2。今日は、天気が悪くて、仲秋の名月は見られないという予報でしたので、昨晩、予め月の写真を撮っておきました(苦笑)。満月は、今日の午前9時だそうですから、「ほぼ満月」の写真。昨日・9月20日(月)の18時45分頃の撮影。左の写真は、超望遠コンデジCanon Powershot SX60 HSで撮影。1,365mm、トリミングはしていません。f/6.5、SS1/640秒、ISO-400、ホワイトバランスはオート。右の写真は、同じくSx60 HSの夜景モードで撮影。いずれも手持ちです。

2021年9月20日 (月)

旗日、鳥はおらずガッカリ

Img_1066c_20210920163101 珍しく、国旗が掲げられていました。官公庁がどうかは知りませんが、最近、普通のお宅や商店などでは祝日に掲げられているのは、珍しいです。バロー桑名東店にありました。家内は、改装オープンから1年経ったからだといいますが、違うと思います。日の丸を見ると、昔は祝日を「旗日」といっていたのを思い出します。

Img_1070c_20210920163101 さて、朝のうちは曇り、9時過ぎから晴れてきました。28.3℃ですが、だんだんと南風に変わり、湿度は少し高い気がします。今日は、いつものコースをいつも通りに散歩。7時半出発で、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、田町、三崎通から船場町と廻り、バローにある100均ショップワッツへ行って帰宅。6.3㎞。お彼岸の入りでしたが、御坊さんへお参りするのを忘れていました(苦笑)。

Img_0823c_20210920163201Img_0861c_20210920163601  最近、鳥が良く出て来ますので、期待して散歩に行ったものの、まったくの当て外れで苦笑せざるを得ず。律儀にいてくれたのは、アオサギさんだけ。九華公園のいつもの場所。奥平屋敷跡では、一瞬カワラヒワを見たものの、まったくの証拠写真(右)。奥平屋敷跡では待てど暮らせど、来たのは、ハシボソガラス、ムクドリ、ドバト、イソヒヨドリ。スズメも来ず。一回りして、相撲場で、知り合いの女性の鳥好きの方とその後主人に出遭ったら、「カワセミが飛んだ!」と聞いたものの、サッパリ。

Img_0951c_20210920163101 貝塚公園では、今日もムシクイの仲間を見られたのですが、うまくピントが合わず仕舞い。ここでもしばらく四阿で待ったものの、ヤブ蚊が寄って来て、あちこち刺され、早々に撤退(苦笑)。今日のバードウォッチングは、以上。

Img_1021c_20210920163101Img_1042c  県道613号線沿いでヒガンバナチェック。あのシロバナヒガンバナは、満開になっていました。これも、下から見上げて撮ってみました。

Img_0996c_20210920163101Img_1053c_20210920163101  その近くには、普通のヒガンバナもあります。今日は、初めの方にも書きましたが、彼岸の入り。いよいよ秋も深まって来ます。右のススキは、ちょっと穂が大きい気がしますので、昔からのものではないかも。

Img_1059c_20210920163101  バローの100均ショップでは、「九華公園の野鳥たち(第3版)」を入れるクリアフォルダーを買ってきました。編集は、既に終了。もっと時間がかかるかと思ったのに(微笑)。他には、「おつまみ枝豆栽培キット」の支柱を作れないかと思い、細い針金も入手してきたのですが、今日は、昼寝に爆睡して、トライする時間がなくなりました。また明日以降。

Kohler 【余談】 本文があまりにも短いので、思い出した余談。スペイン領のカナリア諸島で火山が噴火したというニュースが伝わっています(こちら)。この地名から、学生時代のことが蘇ってきました。学生時代、実験心理学を学んだのですが、当時、母校の研究室ではゲシュタルト心理学の流れを汲んでいました。ゲシュタルト心理学は、心理学の学派の一つで、知覚や認知の形成に関して、対象の部分や構成要素ではなく、構造や全体性に重きをおく立場をとります。ウェルトハイマー(Wertheimer,M.)を創始者として1910年代にドイツで生まれ、ブント(Wundt,W.)に代表される「要素の総和から構成される心的現象」という「要素主義」の考え方を「モザイク仮説」「束仮説」と称して否定しました。ウェルトハイマーがケーラー(Köhler,W.)コフカ(Koffka,K.)の協力を得て実験を行なった「仮現運動」に関する論文を発表した1912年に成立しました。そのケーラーは、このカナリア諸島(テネリフェ島)の類人猿研究所で類人猿の研究に取り組んでいたのです。チンパンジーがそれまで試みたことのない方法で天井から吊り下がった目標物(バナナ)をとることを観察し、洞察(insight)の重要性を説いています。これによってケーラーは、試行錯誤による学習ではなく、場所全体を見わたしその場の力を重視する学習理論をつくったのです。この研究は『類人猿の智慧(恵)試験』(Kőhler,1921)として出版され、学生時代に読んだのですが、この本で、カナリア諸島という名前も覚え、今回のニュースでそれが蘇って来たというワケ。連想ゲームのようなお話しで、恐縮です。

Köhler, W.(1921):Intelli-genzpru¨fungen an Menschenaffen. 2nd ed. Berlin : Springer.(ケーラーW. 宮孝一(訳)(1962):類人猿の智慧試験.岩波書店.)

2021年9月19日 (日)

河口堰でカワセミ、イソヒヨドリ、イソシギなどを見て上機嫌

Img_0016c_20210919145701  午後からは雲が広がってきましたが、午前中は、まさに上天気。31.0℃でしたが、午前中は北からの風でさほど暑くはありませんでした。週末しか自分のクルマが使えない中、その週末は、天気が悪かったり、他に出かけたりでなかなか行けなかったのですが(2021年7月11日:船頭平河川公園でハスとチョウトンボ、ウグイス、治水神社でダイサギコロニー……上之輪新田のケリは稲が伸びてきて確認できず、残念)、7月11日以来の河口堰その他へプチ遠征に行ってきました。朝一番に家事を済ませ、長良川河口堰に8時5分着。1時間あまり滞在。その後、長島町内でサギを探したのですが、サギはたくさんいたものの、クルマを止められるところではなく、ちょっとだけ写真を撮って、上之輪新田へ。10時半頃帰宅。あまり歩いてはいません。3.0㎞ほど。

Img_0304c_20210919145701 Img_0323c_20210919150801  久しぶりの河口堰でしたが、いろいろと楽しめました。まずは、カワセミ。河口堰西側の親水広場や、魚道のところで。最初は、親水広場の東で、ハクセキレイやイソシギと場所争いをしているのが見られましたが、写真は撮れず。管理橋に上がる坂道から魚道をしげしげ眺めながら歩いていたら、幸運にも、そこで発見。魚道の護岸の石垣にへばりついていました。カワセミ、少し前、九華公園で何度も見ながら、写真を撮れず、フラストレーション状態でしたが、これで解消。

Img_0024c_20210919145701 Img_0028c_20210919145701  さて、話を最初に戻して。河口堰東側の上流の魚道のところには、アオサギとコサギが1羽ずつ。サギがいるか心配でしたので、これでまずは安心。アオサギさんは、東を向いて、翼を広げ、「ヘンなおじさん」ポーズ。下流側の魚道のところにも、コサギが2羽。ただし、これらは遠いところに逃げてしまいました。

Img_0119c_20210919145701  15分あまりで西側の閘門、魚道のところへ。下流側にコサギ5羽、ダイサギ1羽、アオサギが3羽。広い範囲に散らばっていましたので、代表してコサギ1羽の写真を載せておきます。

Img_0146c_20210919145701  この坂道を降りた先に親水広場があります。親水広場の北は、伊勢大橋の中堤交差点のすぐ近くにまで達しています。正面遠くに見えているのは多度山。その左の方には、藤原岳も小さく写っています。親水広場をまず一周したものの、何もおらず、ガックリ。ハクセキレイはいたものの、逃げられました。

Img_0239c_20210919145701 Img_0213c_20210919145701  「もう一回りするか」と思い直し、また、東の長良川沿いを歩き始めたのが、ラッキーの始まり。まずは、イソシギが1羽登場。これを眺め、写真を撮っていたら、ハクセキレイ1羽とカワセミ1羽が登場し、場所争いのような状況を呈したのです。このため、いったんはどの鳥もあちこちに散ってしまいます。その後、アユの孵化試験をする水路にハクセキレイが2羽やって来ました。

Img_0247c_20210919145701 Img_0275c_20210919145701  もう少し北の方にイソシギや、カワセミが行ったような気がしましたので、確認に。すると、孵化試験の水路と人工河川の境あたりにイソヒヨドリのオスが見えました。植え込みの陰からそっと覗いて撮ったのが、左の写真。毛虫のようなものを咥えていますので、苦手な方はご注意ください。戻ってくる途中に、ハクセキレイ。ハクセキレイは、延べ6~7羽。このあと、管理橋に上がる坂道から魚道を見たときに、カワセミを見つけたのです。

Img_0360c_20210919145701  カワセミを見つけた直後、再びイソシギ。小さいカニを加えてやって来ました。落としたり、またくわえたりを繰り返していましたが、最終的に食べたのかどうかは、確認できませんでした。いや、一時は、サギを見てオシマイかと思ったのですが、「もう一回りするか」と思い直したのが、幸運の始まりでした。先日、老松公園でモズを見たときのような「勘働き」がまだあるのかも(微笑)。

Img_0493c_20210919145601  管理用を渡って、東へ。上流の魚道にいたアオサギと、コサギはそのままいました。下流側の魚道では、コサギが獲物を探しているところでした。

Img_0054c_20210919152701 Img_0064c_20210919152701  河口堰には、久しぶりに来ましたが、ここは私の好みの場所。広々としていて、水もあり、空も広くて気持ちよいのです。気持ちがパーッと開放される気分が味わえます。左の写真は、堰下流の長良川。ずっと先にナガシマスパーランドが見えます。右は、そのクローズアップ。

Img_0460c_20210919152801  こちらは、閘門近くから見た北東の方角。この時間、風も弱く、水門も穏やかで、さらに良い気分でした。左の写真で橋や塔が見えます。これは閘門のところ。奥に見える山は多度山。

Img_0521c_20210919153101  堰の上流東側(長良川左岸)には魚道観察室があるのですが、新型コロナウィルス感染症のまん延でずっと閉鎖されています。その名のように、魚道が観察できますし、うまく行くと、サギが餌を採るところが間近で見られるのです。

Img_0528c_20210919145601 Img_0568c_20210919145601  続いて、長島町内を巡視。本当は、もう少し早く来て、稲刈りが行われているところを見たかったのです。あの「コンバイン祭」「トラクター祭」が開かれていると、サギたちが集まって、後追いながら餌を採るシーンが見られるのです(2020年8月29日:猛暑日一歩手前、プチ遠征……コンバイン祭、アマサギ、ウミネコ、カワウはエイを捕らえる)。稲刈りはかなり終わっていて、ちょっと遅い。それでも2~3箇所でサギが数羽~10数羽集まっているのが見えました。クルマを止められるところがなかったので、近くで確認はできませんでした。アマサギを見たかったのですがねぇ……。

Img_0694c_20210919145601 Img_0722c_20210919145601  さらに、上之輪新田へ。ここは田植が遅かったので、まだ稲刈りがされていないかも知れないと思ったら、その通り。稲刈りが終わっていれば、サギなどが来ていると期待したのですが、残念。グルッと一回りしてみたところ、ダイサギ2羽と、ハクセキレイ多数。モズの鳴き声も聞こえたものの、姿は見えず。

Img_0664c_20210919153701 Img_0676c  ちょうど名古屋行きのひのとりが通る時間でしたので、またもや「俄撮り鉄」。

Img_0640c_20210919145601  上之輪新田の稲。稲穂がかなり実って、頭を垂れていました。稲刈りは近いかも。また近いうちに出直しです。

Img_0732c_20210919145601 Img_0736c  台風一過で空気も澄んだのか、今日午前中は、木曽御嶽山や、恵那山までよく見えていました。左の写真は御嶽山。右の写真で、向かって右手に写っている高い山が恵那山。これから秋が進むと、これらの山が見える日が多くなります。

Img_0619c_20210919145601  昨日からシルバーウィークだそうですが、ほとんど縁がありません。今週は、お彼岸に入り、木曜は秋分の日。その前に、9月21日(花)は、中秋の名月にして、満月だそうです。「中秋の名月」とは、旧暦の8月15日の夜に見える月ですが、満月と重なるとは限らないそうです。週末に伊勢詣りツアー第10回を予定している以外、予定はありません。後期の授業準備を少しでも進めることにしましょう。ヒガンバナは、上之輪新田にて。

2021年9月18日 (土)

コサメビタキにゴイサギ、今シーズン初登場……余談は、カップヌードルスーパー合体シリーズ

Dsc_6231c 0918amedas  台風14号は、我が家あたりにはとくに大した被害はもたらしませんでした。強い雨は朝6時過ぎまで。その後は曇りときどき雨で、午後からは晴れ間も出て来ました。台風一過で、スッキリ晴天とは行きませんでしたが、14時過ぎから散歩をしてきました。

Img_9660c_20210918175101  散歩は、14時15分から。住吉神社、九華公園、貝塚公園を見て、内堀公園、京町、寺町と4.8㎞。午後からでしたので、知り合いや散歩友達には会わないだろうと思ったら、大間違い(苦笑)。九華公園の管理人さんも含め、6組8人と1匹に会いました。帰宅は、16時25分。途中、娘からLineがあって、「どこまで散歩に行っているのか?」と(爆)。老人扱いして、心配しているようです。けしからんことです。

Img_9879c  時間が時間でしたし、台風のあとですから、鳥はいないだろうと思ったのですが、これが「豈図らんや」。まずは、写真としては不出来なのですが、おそらくコサメビタキ。九華公園の本丸跡にいました。シジュウカラやコゲラの鳴き声がしていたので探していたら、別の方角に「何か、いる!?」と思ったら、これだったのです。今シーズン初登場。

Img_9681c_20210918175101 Img_9696c_20210918175101  その前、奥平屋敷跡では、ステージの裏にアオサギさん。ここは、その昔、アオサギさんのお立ち台だったところ。「初代お立ち台(日本語としてはへンですが)。15mほどのところから見て、撮影できました。どちらの写真もノートリミング。写真を撮ったあと、飛んで行ってしまいました。

Img_9716c_20210918175101  二の丸堀には、カルガモのアーちゃん。やはり夏場はどこかに避暑に行っていたようです。アーちゃんを撮っていたら、散歩友達のワンちゃん登場(微笑)。撫でてくれという感じで寄って来てくれます。

Img_9833c_20210918175101 Img_9843c_20210918184201  鎮国守国神社にお参りして、再び相撲場あたりを見に行くと、アオサギさんが隠れていました。奥平屋敷跡にいたアオサギがここに移動したような気がします。場所は、これまた以前、アオサギがよくいた社務所の裏の木。ただし、ちょっと高いところ。このアオサギさん、見ていたら、上を見上げて何だか気になる様子。別のアオサギが飛来。左のアオサギさんの頭上で旋回して、鎮国さんの東の方へ飛んで行きました。

Img_9746c  さらに、さらに(微笑)、ゴイサギも1羽やって来ました。上左の写真のアオサギがいたところの上に降り立ったのです。ゴイサギも、夏を過ぎてから初登場。今日の散歩では、野鳥は期待しなかったのですが、見事に裏切られました。こういう裏切りは大歓迎です。

Img_9672c_20210918175101 Img_9914c_20210918175101  ところで、ヒガンバナは、散歩コースではほぼ満開になってきています。左は、九華公園の管理事務所の南にて。逆光で撮ったのがいい感じかも。右は、シルバー人材センターにて。

Ffbb7a35  ところで、午前中は、雨読に励んでいました。とはいえ、読書ではなく、「九華公園の野鳥たち(第2版)」が、ついこの間改訂したと思っていたのですが、4年前のことに気づき(2017年2月4日、ジョビボール、シロハラ・オン・パレード……立春の散歩)、第3版をつくろうかと考え、この4年間に新たに見た鳥のチェックをしていました。ブログ記事を見直しています(写真は、2017年2月4日のもの)。今のところ、イカル、イソシギ、イソヒヨドリ、オオヨシキリ、カシラダカ、ケリ、コシアカツバメ、ダイサギ、ツツドリ、ニュウナイスズメの10種類(柿安コミュニティパークまで含めると、ササゴイ幼鳥も)を追加候補としてリストアップ。これで、計67種類になるはず。

Img_9599c_20210918175101  オマケ。カップ麺、最近はほとんど食べないのですが、日清食品からカップヌードル発売50周年記念商品ということで、カップヌードルスーパー合体シリーズが4種類発売されています。近くのスーパーバローで、そのうち3種類を買ってきました。

Img_9602c_20210918175101 Img_9615c_20210918175201  どんなものかということで、今日の昼に私は、カップヌードル&しおを試してみました。「カップヌードル」と「カップヌードルしお」を合体したもの。「間違いない味×間違いない味=絶対間違いない味!」「いつもの「カップヌードル」が燻製オリーブの香る、やみつきスープに」というキャッチコピーです。美味しいとは思ったのですが、メチャクチャ美味しいかというと、そこまででもないかなというのが感想。税別で1個¥193とか。

2021年9月17日 (金)

今日もモズのオス

Img_9539c_20210917180201  台風14号は九州に上陸し、三重県には明日の午前中、最接近するという予報です。今の進路予想では、志摩半島あたりを通過して行くとなっています。上陸するのは、今年3つ目。被害のないことを願いますが、皆様もお気をつけください。我が家では、ベランダ園芸のものなどを室内に入れています。冒頭の写真は、我が家の東にある住吉入江。台風襲来に備えて、赤須賀漁港の漁船が5隻、避難してきています。

Img_9527c_20210917180201  今日のトピックスは、こちら。モズ。「また、モズ?」といわれそうですが(苦笑)、他にこれという鳥には出会わなかったのです。写真を撮ったのは、御坊さん北側の道。昨日、オスのモズを見た老松公園から50mほどのところ。散歩途中、外堀あたりを歩いているとき、そこまでであまり鳥がいませんでしたので、「今日も、老松公園に行ってみるか」と思い立ったのです。こういう勘は、重要(微笑)。

Img_9371c_20210917180201  さて、午前中はまだ降らないという予報でしたので、いつも通りに、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.9㎞。今日も鳥も、散歩友達も少なく、2時間半で帰宅。

Img_9398c  九華公園に行くまで、これまた最近はいつものことになっていますが、ほとんど鳥は見かけません。諸戸氏庭園からコゲラとカワラヒワの鳴き声が聞こえ、住吉神社のところでハシボソガラスを見たくらい。九華公園には、今日は、アオサギさんが1羽。九華橋にほど近い、樹上の、いつものところ。

Img_9440c_20210917180201  奥平屋敷跡では、ハクセキレイが来たものの、写真は撮れず。カワラヒワは、左の写真のように、いるのは分かるものの、まともには見えず。それ故、証拠写真。他には、ドバト、ハシボソガラス、ヒヨドリ、キジバト。今日は、ムクドリ、スズメは来ず。

Img_9445c_20210917180201  朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。何と、屋根が壊れてきていました。2つのルーフィングは、ヒモでつないであったのですが、それが切れてしまい、バラバラになりかけ。ドバトがこの上によく乗っていたのですが、その影響もあるかも知れません。管理人Nさんが「修理します」と事務所に持って帰って行かれました。このあとは、初めの方に書きましたように、御坊さん近くでモズを見ただけ。

Img_9498c_20210917180201 Img_9490c_20210917180201  ヒガンバナ。桑名市シルバー人材センターの敷地で、これはシロバナヒガンバナといってよいのでしょう。1輪だけ咲き始めていました。去年も、ここでシロバナヒガンバナを見ています。他に、同じところには普通のヒガンバナも何輪か咲いています。

Img_9472c_20210917180201 Img_9467c_20210917180201  こちらは、鎮国守国神社の本殿の裏。普通に散歩する人は、こんなところまで入っては行きませんが、ここにヒガンバナがたくさんあるのです。今日は、花というよりは、球根(鱗茎)の写真を載せようという次第。普通、ヒガンバナの球根(鱗茎)は地中に埋まっていますが、ここは地表に露出していて、逸れもたくさん「転がっている」のです。右の写真をご覧ください。球根からヒガンバナの茎が伸びているのが分かっていただけます。

Img_9574c_20210917180201  帰宅後は、後期の授業のレジメつくり。1回目、2回目のレジメを完成。プラス1回分をつくらなくてよくなりましたので、気も楽に(微苦笑)。午後からは、歯科治療。以前被せたところを外してもらい、仮の歯を入れてもらいます。その以前のものを外すのに、今日は、大変! ハンマーで叩いて外してもらいました。通常の治療手技だとは思うのですが、歯や顎が壊れるかと思うくらいの衝撃(爆)。イヤ、大変。その昔、「芸能人は歯が命」というフレーズがありましたが、一般人も同様です。歯が弱点というあたり、オヤジの血を引いているようで、参ります。

【超余談】 あまりにも驚いたので、余談として。まぁ、よほどのことがないと使わないとは思いますが、「公衆電話から携帯にSMS(ショートメール)が送れる」方法があるのだそうです。入力方法はポケベル打ちと同じだそうです。今となっては面倒な方法だと思いますが、あの頃は、携帯に文章を送るときも、同じ入力方法を使ったと思います。ちなみに、料金は、ケータイに普通に電話をかけるのと同じのようですから、「早打ち」が必須。

2021年9月16日 (木)

老松公園にモズが登場【九華公園のカルガモについて付記(9/18)】

Img_9327c_20210916155001  朝7時頃、一時的によく降りましたが、その後は曇りときどき晴れ間。気温も27.6℃。昨日の上天気に比べると、ちょっとモチベーションが落ちますが、いつも通りに散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園とこのあたりまではいつも通り。その後、紺屋町、新築公園、常磐町から、思いついて老松公園を経て、寺町へ。八間通郵便局に立ち寄って切手を買い、三崎通、宝殿町から桑名七里の渡し公園と回って、6.7㎞も歩いてきました。3時間コース。

Img_9239c_20210916155001  老松公園に立ち寄ったのは、大正解。オスのモズが待っていてくれたからです(微笑)。モズは、今シーズン初めて。去年はもっと早く見たと思い込んでいましたが、9月23日に初確認でした(2020年9月23日:貝塚公園でモズのメス)。まだ山から下りてきたばかりという様子で、すぐ近くに行っても逃げず、辺りを物珍しそうに見回していました。

Img_8887c  さて、散歩の初めから。ずっと野鳥は見当たらず。揖斐長良川の中洲にも見えません。七里の渡し跡まできてスズメたち。今年巣立った若鳥の集まりのように見えます。向かって左から2羽目のスズメさん、「股覗き」をしています。いったい何をしているのでしょう? 身繕い途中?という気もします。

Img_8945c_20210916155001  三の丸水門を過ぎて、柿安コミュニティパークへ入ろうと思ったとき、何かが飛んで来て、蟠龍櫓のてっぺんへ。多分そうだろうと思ったら、まさにその通り、イソヒヨドリのメス。蟠龍櫓のところの草むらでは、ホオジロらしき鳥も見たのですが、写真は撮れず。

Img_8971c_20210916161101 Img_8994c_20210916155001  九華公園。今日はアオサギは来ず。昨日、コムクドリやムシクイの仲間がいたので、今日も期待したのですが、天気に恵まれなかったためか、今日はほとんど鳥は出てこず。ムクドリの群れはいたので、丁寧に見たものの、ホントのムクドリばかり。奥平屋敷跡では、メジロが出て来たのが、今日の九華公園ベスト(微苦笑)。

Img_9063c_20210916155001 Img_9157c_20210916155001  他には、アーちゃん。吉之丸堀の東北、野球場の南の石の上がお気に入りスポット。元気そうですし、人に慣れていますので、逃げません。この他でも、野鳥はほとんど見ません。内堀公園の近くのお宅で、ハクセキレイのオス。鳥は、これで全部。

Img_9097c_20210916155001 Img_9273c_20210916155001  ヒガンバナは、ちょっと飽きてきました(微苦笑)。それ故、1本だけ。九華公園の二の丸橋の南のところ。右は、春日町の県道沿い。たぶんシロバナヒガンバナが咲くと思い、楽しみにしているのです。今年、散歩コースでは、シロバナヒガンバナはここだけ。

Img_9182c  オシロイバナ。よく見かけるのですが、花が咲いているところにはなかなか出会わなかったのです。新築公園にて。屁理屈、講釈好きなので、お許しいただきたいのですが、黒い種子を割ると、白い粉質のもの(胚乳にあたる部分)があって、それがおしろいの粉のようなので、その名がついたとか。

Img_8912c  ところで、台風14号、当初の予報では、今日、明日にでも低気圧になるということでしたが、昨夜の内に勢力を盛り返し、台風のまま上陸し、日本列島を進むそうです。我が家あたりには、明日の夜から明後日の朝にかけて最接近だそうです。気をつけなくてはなりません。明日は、雨読の日になりそう。まぁ、後期の授業の準備をして、そろそろきちんとしたレジメにすることにしましょう。

Img_9101c_20210916164001  もう1つ。昨日、最初に勤務したS病院から郵便が届きました。「今頃、いったい何?」と思ったら、「S病院 療育指導室 年報 研究業績集」をいただきました。療育指導室は、児童指導員や保育士が所属する部署。2014年4月~2020年3月の間に発表された研究の報告や抄録がまとめられています。なぜ私がいただいたかというと、ここに載せられたの研究のうち、いくつかに参加させてもらったからです。S病院は、私の職業生活、研究生活のスタートの場であり、また今から思うと、遅れてきた青春時代を楽しんだところで、ちょっと懐かしい気持ちに。スタッフの皆さんのこれからの活躍をお祈りします。

【九華公園のカルガモについて付記(9/18)】 カルガモについてコメントをいただきましたが、9月19日、九華公園でこの4年ほど新たに確認した鳥についてチェックしていて、古い記事を思い出しました。2017年10月14日の記事「アオサギさんは、やはり芸達者……楽しませてくれます」に次のような記述がありました。

散歩途中で知り合った、80歳過ぎの男性から、今日、九華公園のカルガモの由来について伺いました(左の写真は、昨日撮影)。この写真で手前に写っている個体は、数年前(3~4年前という話でした)、近所の方がここに放したものだそうです。鴨撃ちをなさっていた方が、カルガモの雛5羽を保護したのですが、そのうち4羽は巣立ったものの、この1羽がいつまでも居残ったため、ここに放したということです。後ろのカルガモは、それ以前から九華公園に居着いており、「仲良くしてくれるのではないか」と期待してのことだったそうです。

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2021年9月15日 (水)

コムクドリ、ムシクイの仲間とバードウォッチングは充実……野鳥につられてたくさん歩きました(苦笑)

Img_8078c_20210915190401  上天気(微笑)。気温も30℃にはならず、28.9℃止まり。ちょっと暑いものの、散歩日和。7時半スタートで、いつものコース。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、京町、南魚町、田町、三崎通、春日町などから、桑名七里の渡し公園を経て帰宅。6㎞(ただし、九華公園内で、鳥を追いかけてウロウロしましたので、もう少し歩いた気がします)、3時間。冒頭の写真は、蟠龍櫓

Img_8234c_20210915190301  九華公園でウロウロした理由は、2つというか、3つというか。まずは、奥平屋敷跡にて。左の写真の鳥さん、2羽が写っていて、1羽ははっきり分かりますが、コムクドリのオス。首から下しか見えていないもう1羽も似た鳥。これを追いかけて、奥平屋敷跡をあちこち動き回りました(苦笑)。いったんよそへいったものの、また戻って来たり。なかなか写真が撮りやすいところには来てくれず。コムクドリは、去年(2020年)4月21日、長良川河口堰で見ています(その後の御衣黄、河口堰でコムクドリ、某所でケリは営巣……なばなの里は花ひろばのみ公開中)。

Img_8106c_20210915190301  こちらも奥平屋敷跡にて。上に載せた2羽よりも先に見つけました。ギンムクドリ?などと思わないこともなかったのですが(ギンムクドリは、まれにしか見られません)、たぶんコムクドリのメス。ひょっとしたら、上左の写真で、下半身が写っているのがこれかも知れません。ということは、京見たのは、コムクドリのオス、メスそれぞれ1羽ということになります。

Img_8137c_20210915192101  この他、奥平屋敷跡では、コゲラも登場。写真は、逆さまではありません。というか、真上を見上げて撮ったので、この位置で写ったという次第。真上を見上げると、首も痛くなりますし、長く見上げているとふらつきそうです(苦笑)。

Img_8215c_20210915192401  奥平屋敷跡、今日はスズメも、カワラヒワもほとんど来ず。ドバト、ムクドリ多数に、ハシボソガラスくらい。二の丸跡を見たら、カワラヒワが3羽。証拠写真(苦笑)。

Img_8551c_20210915190301  その二の丸跡では、こちら。ウ~ン、ムシクイの仲間(微笑)。この鳥だけで100数十枚の写真を撮ったのですが(今日は、合計で800枚以上)、見られるのは2~3枚。まさに「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式の成果(といえるか?)。先日、貝塚公園で見たのも、ムシクイの仲間だったかも知れません(2021年9月13日 :ホオジロ、シジュウカラ、メジロにウグイス(?)……そろそろ野鳥たちは戻るか?)。

Img_8393c_20210915190301  二の丸跡では、シジュウカラの小さな群れも。ただ、こちらもじっとしていないので、なかなか写真は撮れず、苦労。シジュウカラの群には、コゲラも混じっていました(たぶん2羽)。シジュウカラにも振り回されました。しかし、今日は鳥を見るにも、写真を撮るにも苦労しましたが、久しぶりにバードウォッチングを堪能し、存分に楽しんだという感じ。

Img_8703c_20210915190301  アオサギさんを忘れるところでした(苦笑)。九華公園に到着したときには不在。公園内を半周して、再び見に行ったらやって来ていました。重役出勤です。今日の野鳥の写真は、以上。貝塚公園の四阿でもしばらく待ったのですが、今日は、ここへ来た時間が9時50分といかにも遅い。ヒヨドリがいたくらい。

Img_8095c_20210915190301  九華公園のヒガンバナ。左は、管理事務所の南のところに出てきているもの。

Img_8633c_20210915190301 Img_8646c_20210915190401  こちらは、鎮国守国神社の境内。柿安本社の駐車場へ行く通路のところにて。

Img_8760c_20210915190301  宝殿町あたりの県道613号線の歩道に、これはたぶんシロバナヒガンバナ。昨年は、シルバー人材センターの敷地内でも咲いたのですが、どなたかが抜いて、持ち帰ったようで、今年は出て来ません。

Img_8775c_20210915190201  昨日、非常勤の後期の授業開始が遅れるらしいという話を書きました。今朝、郵便受けを確認したら、郵便でその旨連絡が来ていました。忘れられていた訳ではありませんでした。3週間後から後期の授業がスタートで、全15回。試験は、この15回の授業ないで実施するということです。そろそろ、マジメに資料(レジメ)の準備をしましょう。「よく遊びよく学べ」であります(笑)。写真は、桑名七里の渡し公園の百日紅。

2021年9月14日 (火)

弱い雨の中、散歩に行くもアオサギとカルガモのみ(苦笑)

Img_7808c_20210914144401  8時半前くらいから、アメダスには記録されないくらいの弱い雨が続いています。7時過ぎにはまだ降っていませんでしたので、7時20分頃から散歩に出て来ました。今日は、降られることを覚悟の上で(苦笑)。住吉神社、九華公園あたりでは、ときどき細かい雨粒が落ちていました。貝塚公園の四阿で鳥を待っていた頃から、それなりに降ってきましたので、内堀公園、京町、寺町商店街を通って帰宅。1時間半、5.1㎞の散歩でした。

Img_7838c_20210914144301 Img_7956c_20210914144301  こんな日ですから、野鳥はほとんどいません。九華公園で、アオサギとカルガモ。これくらい。もちろん、ムクドリやハシボソガラスなどには出会いましたが、めぼしい鳥はいません。カルガモは、再び九華公園に居着いたようです。

Img_7859c_20210914144801 Img_7866c_20210914144801  九華すずめ食堂支店(左の写真)は、今日も、ハト食堂でした。本店の方は(右の写真)、昨日、ハトが餌を食べ尽くしたようです。

Img_7852c_20210914145001 Img_7878c_20210914144301 九華公園の管理事務所の南(左の写真)や、鎮国守国神社の境内(右の写真)、ではヒガンバナがグングンと伸びてきています。週末には満開になりそうな勢い。

Img_7926c_20210914144401 Img_7893c_20210914145701  左の写真は、咲き始めたヒガンバナの花。散形花序(さんけいかじょ)(花序は、複数の花が集団をなしているもの。散形花序は、花序軸の頂端に、ほぼ同じ長さの花柄をもつ多数の花が放射状についている花序)で真っ赤な6弁の花を放射状(輪状)に数個つけて咲きます。この数個の花は、一度には咲かないようで、順番に咲いていきます。おしべ、めしべはともに長く伸びています。毎日よく見ていると、いろいろなことに気づきます(微笑)。ちなみに、花茎を伸ばし、地上から顔を出してから1週間ほどで花を咲かすということです。

Img_7977c_20210914145801  九華公園の外周遊歩道の南あたりは、やはり今年はポツポツとしか出て来ていません。何らかの理由で球根(鱗茎)が失われたのでしょうか? 草刈り作業で球根まで除去することは考えられませんし。余談ですが、別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」といわれるのは知られています。これは、サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味だそうです。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からついた名前(こちら)。また、「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」とも呼ばれることは、相当以前に書いた記憶があります。秋の彼岸の頃、いきなり茎が伸びて花を咲かせ、そして一週間ほどして花が終り茎も枯れてしまうと、今度は葉が伸びてきて緑のまま冬越しをします。春に球根に栄養をため、夏が近づくと葉は枯れて休眠期に入り、やがて彼岸の頃にまた一気に花を咲かせますが、花のあるときに葉はなく、葉のあるときに花はないという不思議な特徴から、このように呼ばれるのです。

Img_8003c_20210914144301 Img_8007c_20210914144301  寺町商店街。本来定休日である昨日・月曜日、三八市でしたので、今日はお休み。この間まで、旗が夏バージョンだったのですが、秋バージョンのモミジのデザインに変わっていました。

Img_7985c_20210914150601  帰宅後は、雨読の日。後期の非常勤の授業についてときどき書いていますが、昨日、助手の先生から「後期の日程が変更になっている」という情報が寄せられました。これを書いている時点では、正式な連絡がまだないのですが(ひょっとしたら、忘れられているか、連絡漏れかも知れません)、授業開始が1週間遅れ、筆記試験を実施するなら全15回の授業の中で実施することになるようです。非常勤先では、先週土日に、新型コロナのワクチンの「職域接種」第1回が行われています。モデルナ製ワクチンですので、第2回は、4週間後の10月9、10日に予定されています。この関係で、日程が遅れるようです。私は筆記試験をする予定ですので、授業回数は、1回減となります。正式連絡はないものの、これに対応すべく、授業資料の修正を始めたという次第。ついでに、見直し2回目(微笑)。明日は、晴れの予報ですから、フルスペックの散歩に出たいと思います。

2021年9月13日 (月)

ホオジロ、シジュウカラ、メジロにウグイス(?)……そろそろ野鳥たちは戻るか?

Img_7198c_20210913150801  朝一番は雲が多かったのですが、9時頃から晴れてきました。最高気温は、31.3℃になったものの、北寄りの風でさほど暑い気はしません。今朝は、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀から、京町、南魚町、田町、三崎通と県道613号線沿いを歩いて、桑名七里の渡し公園前から帰宅。6.1㎞。もう少し長く歩いた気もします。

Img_7272c_20210913150801  平日のためか、散歩する人はあまりありませんし、今日もなかなか鳥には遭えません。途中で見たのは、ハシボソガラスくらいという状態で、三の丸水門まで。そこで、ホオジロのオス。久しぶりに見ました。

Img_7325c_20210913150801  九華公園には7時50分頃到着。相撲場に近い、鎮国守国神社の社務所の裏と、九華橋に近い樹上と、2箇所にアオサギさん。ごくたまにアオサギが2羽来ていますが、今日もそうでした。しかし、社務所裏にいたアオサギは、カメラを向けた途端に逃げて行きました。たいていのアオサギは、すぐ逃げる、しかも逃げ足は速いのです。こちらは、九華橋に近いところにいたアオサギさん。

Img_7367c_20210913150901 Img_7433c_20210913150901  奥平屋敷跡では、松の木の高いところにカワラヒワが、合計すると数羽。低いところにはあまり出てこず、観察するのにかなり苦労します。とくに8時から9時頃は、奥平屋敷跡の東側エリアにある高い松の木にいます。ちょうど逆光の位置にもなり、いるのは分かるのですが写真を撮っても黒っぽかったり、ピントが合わなかったり。ハクセキレイのオスは久しぶりにやって来ました。

Img_7400c_20210913154301 Img_7412c_20210913154301  カワラヒワが松の木の高いところにいると書いていますが、何をしているかというと、松ぼっくり(松かさ)にクチバシを突っ込んで、松の種を引っ張り出して、食べているようです。さらに確認が必要ですが、カワラヒワは、植物の種を食べます。ちょっと暗いものの、その様子は分かるかと思います。

Img_7359c_20210913150901 Img_7466c_20210913150901  九華すずめ食堂、昨日、Oさんがいらして、餌を置いて行かれたようです。しかし、肝心のスズメは現れず。そのうち、ドバトがやって来ました。最初は、右の写真のように、恐る恐るエサ台を覗いていたのですが、このあと、2羽のドバトが占拠して、ズーッと餌を食べ続けていました。朝日丸跡の九華すずめ食堂支店も、「ハト食堂」になっていました(苦笑)。

Img_7574c Img_7595c_20210913153001  鎮国守国神社にお参りし、再び相撲場の方へ行くと、シジュウカラの鳴き声が聞こえて来ました。ちょっと粘ったら、松の木の上の方に姿を現しました。アーちゃん(カルガモ)は、今日も吉之丸堀にいます。夏の、暑い間、どこかに行っていたということなのかも知れません。

Img_7620c_20210913150901  九華公園の外周遊歩道の東で、メジロの小さな群に遭遇。あのチョコマカした動きになかなかついて行けず、苦労しました。シジュウカラ、メジロと出て来ましたので、そろそろ小型の野鳥が戻って来てくれるかと、どうしても期待してしまいます。

Img_7330c_20210913150901 Img_7564c_20210913150901  九華公園、鎮国守国神社の境内では、ヒガンバナが実にたくさん出て来ています。左の写真は公園管理事務所の南あたり。右の写真は、鎮国守国神社の境内、九華稲荷社の裏手。鎮国さんの拝殿、招魂社の裏も、ヒガンバナが大量にニョキニョキ出て来て、ちょっと気持ち悪いくらい(苦笑)。

Img_7532c_20210913150901 Img_7654c_20210913150901  左の写真は、鎮国守国神社の本殿の裏。ヒガンバナが咲いています。右の写真は、二の丸堀にかかる二の丸橋の南あたり。以前はこの辺にもたくさんヒガンバナが咲いたのですが、今年は、今のところ3本くらいしか出てきていません。

Img_7724c_20210913151001  貝塚公園では、南東側の四阿のあるエリアで、小型の野鳥が動くのを発見。四阿に上がって静かに待っていたら、まずは、シジュウカラ。2羽がいて、餌を食べたりしていました。

Img_7732c_20210913151001  さらに、もう1種類。なかなかピントが合わなかったのですが、何とか見られる写真はこちら。ウグイスのように見えます。貝塚公園でシジュウカラとウグイス(?)を見て、上に書いた期待はさらに高まります。明日からも、じっくりと見て回ることにします。

20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その2)……三重大学前から江戸橋を渡り、上浜の町を通って津駅へゴール(完)

210912takadahonzan0  9月12日、雨の中を出かけてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第9回「津・一身田~津駅」のその2です。4㎞しか歩いていませんので、今回のマップは1枚。三重大学の前(西)の国道23号線を歩いています。雨は本降りに近いくらい。国道23号線の新江戸橋の手前で、伊勢街道に架かる江戸橋の方に逸れ、上浜の町へ入っていきます。ここは、津宿の北の入り口。お寺2箇所、阿部家住宅、小丹神社、鶴之宮跡碑を見て行きます。雨が弱まるかと期待したのですが、それはなさそうでしたので、津新町駅まで行くのを諦め、津駅をゴールに変更。

Img_7016c_20210913031301 Img_7019c_20210913031301  三重大学の西の国道23号線。その東側に大学のキャンパスが広がっています。スタートから2㎞ほど。10時50分過ぎ。ここに教育学部、生物資源学部、工学部、人文学部、医学部、医学部付属病院(右の写真)が集まっています。

Img_7027c_20210913031301  医学部付属病院の北、23号線から見ると、左に風力発電の風車が見えます。愚息は、この風車の勉強をしていました。大型の3枚羽根のものの他、縦型のコンパクトな風力発電の風車もあります。これは、左の写真で、大型の風車の左手前に見えているのですが、写真では分かりにくいかも知れません。

Img_7031c_20210913031401 Img_7044c_20210913031401  2.4㎞のところで、国道23号線から右(西)に逸れて行き、江戸橋を渡ります。志登茂川にかかっています。津にあるのに、なぜ江戸橋というのか?という疑問がおありかも知れません。津藩主・藤堂氏が参勤交代で江戸に向かうとき、家臣などがこの橋のたもとまで見送りに来たことから江戸橋と名づけられたとされます。橋には、右の写真のような参勤交代のレリーフが飾られています。こちらの江戸橋は、市道に架かるもの。4年ほどの架け替え工事を経て、平成31(2019)年の春、新しい橋が完成しています。

42755caa Img_7048c_20210913031401  近鉄江戸橋駅から三重大学に通う学生の皆さんなどの利用が多いので、写真のように車道と、自転車道、歩道とが分離され、しかも、自転車歩行者専用道の部分がかなり広くなっています(左の写真は、2019年9月1日に撮影)。江戸時代には橋は架けられていたといいます。余談ですが、ここはまたバードウォッチングのスポットでもあります。令和元年度の後期は、授業の帰りにバードウォッチングに立ち寄っていました(たとえば、2019年10月30日:非常勤の帰りに志登茂川でバードウォッチング)。今年度後期も授業に来る予定ですから、また、ここで冬鳥を見られると思います。

Img_7059c_20210913031401 Img_7063c_20210913031401  江戸橋を渡ったところの交差点の北東には、常夜燈と、高田本山への道標が立っています。常夜燈は、安永6(1777)年に建立された、津市内最古の常夜燈です(津市指定文化財)。高田本山への道標には「左 高田本山道」と刻まれています。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。

Img_7071c_20210913031401 Img_7075c_20210913031401  この常夜燈と道標のある交差点が、伊勢別街道との追分で、伊勢別街道の終着点。伊勢別街道は、亀山市にある関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、ここまでの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)。伊勢街道はこの交差点で左折し、南に向かいます。左の写真で、左手が江戸橋。伊勢街道は、写真奥の方向に進みます。右の写真で、右の方に続く道が伊勢別街道。冒頭のマップと合わせてご覧ください。

Img_7079c_20210913031401 Img_7083c  交差点を左折して、伊勢街道を上浜の町へと進みます。スタートから2.8㎞のところにあるのが、真宗高田派の深正寺(じんしょうじ)。「お寺も1箇所くらい、寄って行くか」という次第。雨で歩きにくかったのですが、ここのお寺は庭もあり、緑も多くて、雨に濡れて、風情がありました。県の有形文化財に指定されている「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」を所蔵しています。これは、14世紀中頃の製作と考えられ、鎌倉時代来迎図の成立事情を示す極めて貴重な資料だそうです。

Img_7091c_20210913031401 Img_7105c_20210913031501  深正寺を出てすぐの左手(西側)に阿部家住宅があります。醸造業の大店。このあたりは、醸造業を営む者が多かったといいます。阿部家は、江戸時代から伊勢街道沿いに店を構える商家で、もとは酒造業でしたが、明治時代に味噌醤油醸造業に変わっています。その主屋は典型的な大店の商家建築で、市の文化財に指定されています。主屋は伊勢街道に面して東向きに建っています。主屋の間口は7間半(13.5m)で、外観は切妻造、桟瓦葺きの大屋根となっています。さらに、右の写真でわかるように、卯建(うだつ)が上がっていますし、庇の下には「おおだれ(雨除け)」があります。その他、大戸、荒格子、千本格子など、大店の格式と貫禄が窺えます。上記のリンク先に詳しい説明や、図面があります。建築様式から見て、江戸時代後期の建物と考えられています。現在も、阿部喜兵衛商店として営業しています。機会があれば内部も是非見たいところです。

Img_7122c_20210913035501  こちらの写真は、このあと訪ねた光蓮寺から見た阿部家住宅。主屋の南側には倉庫などに使われた南棟が付属しているのがよく見えます。主屋に向かって右、松の木が見えているところには、高塀と木戸があります。

Img_7109c_20210913031501 Img_7119c  阿部家住宅の先、東側には、真宗本願寺派の宝池院八葉山光蓮寺。広い駐車場の奥に山門があります。境内にはよく手入れされた、枝振りのよい松。なかなか落ち着いた感じのお寺でした。

Img_7136c  3.1㎞を過ぎたところ、右手(西側)に小丹(おにの)神社の拝殿。2年前、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーで来たときには、よく分からなかった神社です(2019年9月 8日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その3)……阿部家住宅、鶴之宮跡碑から近鉄津駅にゴールして、美濃味匠でランチ(完))。本社は、上浜西の山上に鎮座しています。延喜式内社で、埴夜須毘売命(はにやすひめのみこと)大山祇神を祀っています。景行天皇(第12代天皇。垂仁天皇の第3皇子)の時代に鎮座したといいます。

Img_7144c_20210913031501  上浜町一丁目の上浜南公園に「鶴之宮跡碑」があります。津藩の第2代藩主・藤堂高次公が、この場所で狩りをしていて鶴を射止めたちょうどそのとき、朝廷より官位昇進の知らせが届き、大変めでたいことであったので、その射止めた鶴を埋めて、社殿を造り、祀ったということによります。しかし、神社は、明治40(1907)年に小丹神社(津市上浜町6丁目、JR紀勢線・近鉄名古屋線の西)に合祀され、社殿はなくなりました。現在は、この石碑が建っています。碑は、昭和7(1932)年9月に建之。こういうところに鶴がいたのかと思うのですが、江戸時代初期は、このあたりは原野だったそうです。

Img_7158c_20210913031501 Img_7161c_20210913031501  上浜町の南端から栄町あたりにかけての伊勢街道。このあたりは、鈴鹿で働いていた頃から、知らないところではないのですが、もっと古い家などが建て込んでいて、道も狭かった記憶があります。一帯は再開発され、きれいになっていて、昔の面影はありません。途中、「伊勢参宮街道」という、新しい石碑もあります。

Img_7163c_20210913031501 Img_7169c_20210913031501  国道23号線・津駅東交差点のすぐ西。この日の伊勢街道歩きは、ここまで。写真の左手が国道23号線。ここで右折すると、すぐに津駅。JR紀勢線と近鉄名古屋線、伊勢鉄道が乗り入れています。

Img_7174c  11時40分に到着。1時間半で4㎞を歩いてきました。写真は、東口で、こちら側がJRと伊勢鉄道の津駅。

Img_7181c_20210913031501 Img_7179c_20210913031501  食事をして帰ることにして、駅ビルの津Cham2階へ。蕎麦屋、サイゼリア、パン屋などあるのですが、いつもの美濃味匠へ。「お総菜カフェ」。弁当などを売っているのですが、イートインができるのです。この日は、「たまごわやさしい」弁当。たまご、まめ、ごま、わかめ、やさい、さかな、しいたけ、いもの頭文字で、バラエティに富んだ、栄養バランスのよい弁当。その場で暖かいしいたけご飯を入れてもらえ、¥712。

1631416392316c  続いて、1階にあるドトールでコーヒータイム。1階には津銘菓を売っている土産物屋さんがあるのですが、ちょっと覗いて、蜂蜜まんの話をしていたら、店員さんが、近鉄の切符売り場の前で売っていると教えてくれました。

1631417804701c Main  こちらが、蜂蜜まんの出張販売店舗。こしあんを、蜂蜜風味の皮が包んでいます。本店で焼き立てをほおばると皮がぱりっとしていて、美味しいのです。緊急事態宣言が出たため営業していないという話も聞いていたので、これはラッキーでした。10個入り¥600を土産に購入。これでお分かりのように、1個¥60。津の方のソウルフードといってもよいでしょう(蜂蜜まんの写真は、レッ津ゴー旅サイトからお借りしました)。

Img_7185c_20210913031501  津駅を12時40分発の名古屋行き急行に乗車できました(電車が少し遅れていたお蔭)。桑名駅には、13時22分着。桑名の方は、雨はあまり降らなかったようです(苦笑)。まぁ、こんなもの。駅までクルマで迎えに来てもらい、帰宅途中に、知事選挙・県会議員補欠選挙の投票に行ってきました。

Img_7191c_20210913031501  4㎞しか歩いていませんでしたので、歩数は、ご覧のように、9,778歩と伸びていません。「雨にも負けず」の伊勢詣りツアー第9回は、これにて「完」。四天王寺、津観音、大門商店街などを回って、津新町駅まで行く予定でしたが、それは次回に回します。次回は、津新町からJR紀勢線の高茶屋までを計画していました。今回の残りを加えると、歩く距離が9㎞近くになりますが、チャレンジしてみよう、ダメなら途中で、近鉄南が丘駅までにしようという相談がまとまっています。

2021年9月12日 (日)

20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その1)……雨にも負けず、高田本山駅から巡礼道との追分、孟夏の常夜燈を経て、三重大学前へ

210912takadahonzan0  今日は、三重県知事選挙と三重県議会議員桑名市・桑名郡選挙区の補欠選挙の投票日ですが、昨日から順延した「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第9回に行ってきました。連絡不十分があって、出発が少し遅れました。さらに、桑名ではあまり降らなかったのですが、津では、雨も本降りとなり、「津・一身田~津新町駅」を歩く予定が、津駅までで打ち切りにしました。4㎞しか歩いていませんので、予告編はなしで、本編を2回に分けて書くつもりです。

Img_6936c_20210912171301  桑名駅を9時2分に出る松阪行き急行に乗車。高田本山駅まで行くのですが、普通電車しか停車しませんので、白子駅で乗り換え。白子には、9時32分着。白塚駅まで行く普通電車は9時36分にあったのですが、高田本山はあいにく白塚の一駅先。9時54分の津新町行き普通まで待って、高田本山駅には10時10分に到着。途中、鈴鹿市内からポツポツと降り始め、「ヤバいかな」と思っていました。高田本山駅で降りた時点では、傘が必要(苦笑)。

Img_6939c_20210912171301 Img_6945c_20210912171301  高田本山駅から志登茂川を渡って(左の写真)東へ。国道23号線の栗真町屋交差点(右の写真)へ。前回は、この交差点のところまで伊勢街道を歩いています。冒頭のマップにも書いてありますが、このあたり、旧伊勢街道は、国道23号線で分断されています。

Img_6956c_20210912171301 Img_6959c_20210912171301  国道23号線に出ると、右手(西側)に前回、昼食を摂った餃子の王将三重大前店があります。その手前の細い道が伊勢街道。この先、国道の東側にあるファミリーマートのところから伊勢街道に入ります。右の写真で、ファミマに向かって左に入っていく道が、伊勢街道です。

Img_6963c_20210912171301  しばらく立ち寄るところはありません。雨の中、淡々と歩いて行きますと書きたいところですが、同行のKさんとあれこれしゃべりながら、であります。

Img_6993c_20210912171301  スタートから1.3㎞で、巡礼道との追分に来ます。写真はいったん通り過ぎて、南側から撮っています。向かって左の道が伊勢街道。奥から手前に向かって歩いてきました。向かって右の道が、巡礼道。巡礼道は、8月22日に白子から千里まで歩いたとき(2021年8月22日:20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(予告編))、あの甕釜冠地蔵の手前(北)に「伊勢街道と巡礼道との追分がある」と書きましたが、その巡礼道とここで合流するのです。巡礼道は、古伊勢街道です。下街道、浜街道とも呼ばれます。巡礼道は、甕釜冠地蔵のある津市河芸町千里から白塚を経てここに通っています。

Img_6970c_20210912171301 Img_6986c_20210912171401  ここには、常夜燈、名残の松、忠魂碑そして道標があります。常夜燈は、高さ4.2m、笠の南面に「両宮常夜燈」、東面に「天保10(1839)年巳亥正月」と刻まれています。武州(武蔵国)の木綿業者が寄進したもので、西面に「武州 岩槻 木綿問屋中」と彫られています。当時の伊勢国は、木綿の産地として有名だったようで、武蔵国の木綿問屋が伊勢にも来ていたのかもしれません。常夜燈の写真は、西から東を向いて撮ったもの。道標には「右 白塚豊津道」、「左 上野 白子 神戸 四日市道」とあります。「青年會町屋支部」が建てたもの。道標の写真は、南から北向きに撮りましたので、「右 白塚豊津道」とある方が、巡礼道を示しています。

Img_6975c_20210912171401  石碑の碑表はほとんど読めませんでした。碑陰の撰文(左の写真)をざっと読むと、数名の兵士の名前と、日清戦争(1894~95年)に従軍した旨が刻まれていました。明治35(1902)年5月に建立されています。日清戦争に参戦された方の顕彰碑か、忠魂碑と思われます。ネットでも調べてもこれについての情報は出て来ませんでした。碑表の写真は撮り忘れました。雨のせいということにしておきます。

Img_6997c_20210912171301 Img_7002c_20210912171301  この先、スタートから1.5㎞あたりに「孟夏の常夜燈」があります。一身田中学校国児分校の西。かなり荒い彫りの山燈籠で、高さは約2.8m。正面に「両宮常夜燈」とあります。「嘉永四年辛亥孟夏 五穀成就」とあります(1851年)。飢饉が続いたあと、ようやく穀物が実った喜びの表現と思われます。ちなみに「孟夏」とは、初夏あるいは陰暦4月の異称だそうで、これが「孟夏の常夜燈」といわれる所以でしょう。このような山燈籠には何か親しみを覚えます。

Img_7006c_20210912181801 Img_7010c_20210912181801  孟夏の常夜燈の先はすぐに、国道23号線三重大学前の交差点になります。この交差点を東に入ると、三重大学の正門になります。右の写真で、正面奥が正門。正門近くには、確か教育学部や生物資源学部の校舎があるはず(キャンパスマップ)。教育学部には、昔、三重県臨床心理士会の会議や、教育学研究科での集中講義のために何度も来ました。余談ですが、右の写真、交差点の向こう、左側にパン屋さんがあります。「パン工房パンリッチ」といい、愚息が学生時代から大好きなパン屋さんです。私が臨床心理士会や集中講義で通った頃からあるパン屋さんなのですが、愚息が三重大学に入るまで食べたことはありませんでした。

Img_7013c_20210912181801  ウィークデイ、このあたりの国道23号線は渋滞の名所。三重大学前の交差点で国道23号線の西側に渡って、さらに進みますが、その1はここまで。今回は、4㎞しか歩いていませんので、次回のその2で完結の見込み。

2021年9月11日 (土)

午後から散歩では鳥はいない……スズメ、カルガモ、ダイサギ

Img_6791c_20210911155701  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第9回「津・一身田から津新町」に行こうと思っていたのですが、朝7時過ぎから雨。雨雲レーダーを見ると、三重県から西の方には大きな雨雲。「午前中は雨か」と思って、今日は断念。午前中は、昨日の「WISC-Ⅴの最新情報」についての研修の復習をしていました。いつものように、元の資料から自分なりのものをつくり出したのです。これをすると、内容がかなりアタマに入る気がするのです。「気がするだけ」かも知れませんが……。雨は10時を過ぎてからは上がってしまい、これなら時間を遅らせたら、出かけても大丈夫でしたが、まぁ、また明日考えることにしています。

Img_6907c_20210911155701  午後になって、散歩の虫を押さえられず、13時40分から歩いてきました。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、住吉入江と5.2㎞ほど。気温は28℃でしたが、ちょっと蒸し暑い感じ。土曜の午後ということもあってか、あちこちに家族連れやら、若いカップルやらが出て来ていました。

Img_6806c_20210911155701  こんな時間ですと、野鳥は期待できません(と書きつつ、密かにいないかなとは思うのですが)。住吉神社の東の揖斐長良川の中洲にダイサギが1羽。

Img_6865c_20210911155701 Img_6898c_20210911155701  九華公園では、奥平屋敷跡へ行こうとしたとき、「お、珍鳥かも!」と勝手に盛り上がったのですが、よく見たらスズメ。翼の一部が白っぽくなっているだけでした。若い鳥のような感じ。吉之丸堀には、カルガモさん。ドバトやハシボソガラスもいましたし、カワラヒワの鳴き声も聞こえていたものの、めぼしい鳥はスズメとカルガモだけ(苦笑)。

Img_6826c Img_6883c_20210911155701  ヒガンバナは九華公園のあちこちで芽が出て来ていました。左は、管理事務所の近くの堀端にて。右は、鎮国守国神社の境内で。個人的には、あまり好きな花ではありませんが、季節のものとしては気になります。

Img_6910c_20210911155701  立教小学校の横を通り過ぎようとしたら、こちらが咲いているのが見えました。ヤイトバナ(灸花)とか、サオトメバナ(早乙女花)という別名もありますが、「ヘクソカズラ(屁糞葛)」という、誠にありがたくない名前がついています。葉などをつぶすと、強い悪臭を放つのだそうですが、恐ろしくて試みたことはありません。花自体は、可憐なのに。

Img_6782c_20210911155701  三重県では、新型コロナの感染者数は、今日は、85件とかなり減りました。市内での新規感染者も1桁の数が続いています。しかし、病床使用率は昨日時点で55.3%と警戒レベル(30%)を大きく上回っています。まだしばらくは注意が必要です。自民党は、総裁選挙一色でコロナ対策が疎かになっている気がします。思うところもありますが、それは割愛しておきます。1つだけ、総理を辞めたような人やかなりのお年の方は、もうおとなしくして、若い人たちに任せた方がよいのではないかという気がします。

2021年9月10日 (金)

ヒガンバナがニョキニョキ……野鳥はいません

Img_6645c_20210910161601  朝からよく晴れて、良い天気。31.0℃。午前中は、北寄りの風で真夏の蒸し暑さはありませんでした。良い天気ですと、鳥がいるのを期待してしまいます。いつも通り、7時半から歩き始め、これまたいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.2㎞。九華公園の奥平屋敷跡でウロウロして鳥を探したので、ちょっと長め。

Img_6676c_20210910161601 Img_6687c_20210910161601  期待が高まると、それにともなわないことが多いのですが、今日はまさにその典型(苦笑)。左は七里の渡し跡で見たスズメ。ここまで、出会ったのはハシボソガラス1羽。右は、柿安コミュニティパークにいたホオジロのオス。伸びきった雑草の茂みから鳴き声がしていたのです。

Img_6709c_20210910161601  九華公園では、ドバト、ムクドリばかり。カワラヒワ、スズメもいたものの、まともな写真はありません。アオサギさんは、今日はお休み。カワセミも一瞬見たものの、すぐに見失いました。最近、カワセミには恵まれません。目撃はしても、写真がまったく撮れていないのです。左の写真は、奥平屋敷跡。中央左に鳥小屋の裏側が見えています。高い松の木が見えますが、この木の上の方にカワラヒワがよくやって来ますが、下からはなかなかうまく見えないのです。ちょっと離れると、この写真のように遠い。今まで、この時期には、モズ、コサメビタキ、キビタキ、シジュウカラ、メジロなどが見られたのですが、今年はなかなか。

Img_6725c_20210910161601 Img_6729c_20210910161601  鎮国守国神社の境内では、やっとヒガンバナがニョキニョキと出て来ました。写真をよく見ていただくと、球根(鱗茎)が並んでいるのが見えます。これからもっとたくさん出てくるはず。

Img_6761c_20210910161601  このあと鳥が見られたのは、新築公園で、ハクセキレイ。先日もここでハクセキレイを見ています。

Img_6738c_20210910161601  午後からは、歯科治療。まだ何回か通わなければなりません(涙)。夜は、Zoomでオンライン研修会の予定。WISC-Ⅴについて。近々刊行の運びと聞いています。理論的にはさらに洗練されて、CHC理論に沿った検査にバージョンアップします。関連指標や補助指標も充実し、学習や読み書きの問題にもかなり対応しそうです。今日は、その詳しい話を聞くことができるはずです。

2021年9月 9日 (木)

休憩中、目の前にカワセミが登場したものの……

Img_6634c_20210909173001  雨のち曇りのち晴れ。夜明け前にはよく降りました。昼前から晴れてきて、最高気温は31.7℃。9時過ぎくらいまで降っていましたので、9時50分頃から散歩に出ました。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.6㎞。11時半過ぎに帰宅。いつもより時間が遅く、雨上がりですから、野鳥はいない時間帯。野鳥たち、休憩タイムにはいっています。

Img_6415c_20210909173001  こちらは、散歩に出るときに眺めた長良川河口堰方面。満潮は、四日市港で7時08分ですから、水が多かったのは、雨がたくさん降ったということでしょう。河口堰のゲートは降りていますが、長良川の水はオーバーフローしています。案の定、野鳥はおらず、九華公園までで見たのは、ハシボソガラスとスズメくらい。

Img_6471c Img_6496c  九華公園には、今日もアオサギが、鎮国守国神社の社務所の裏にいました。身繕いをしたり、ストレッチをしたり(本当にストレッチかどうかは分かりませんが)。公園内は、歩く人も少なく、鳥も少なくという風。右は、奥平屋敷跡にいたキジバト。「デデッポポー デデッポポー」という鳴き声が木の上から聞こえて来ますが、その主。

Img_6520c_20210909173001 Img_6568c_20210909173001  吉之丸堀には、いつものカルガモさん。本丸跡では、シジュウカラ。ただし、なかなかよいところには出てこず、証拠写真。コゲラの鳴き声もしていたものの、姿は見つかりません。

Img_6584c_20210909173901  貝塚公園ではヒヨドリが鳴いていただけ。内堀南公園に珍しく、シジュウカラ。しかし、これも証拠写真。この頃、11時。やっと西の方に青空が見えてきました。雨上がりですので、少しずつ蒸し暑くなって来ます。

Img_6624c_20210909173001  拙宅前の住吉入江には、11時半前に戻って来ました。ベンチに座ってお茶を飲んでいたら、ハシボソガラスともう1種類何か飛んだなぁと思っていたら、いきなり目の前にカワセミが登場。写真の中央下に、入江の堤防に船をつなぐための銀色の金具が見えていますが、ちょうどそのあたり。ビックリ。向こうも驚いたようで、すぐに奥にある住吉ポンプ場の方へ逃げていきます。追いかけたのですが、最終的には、諸戸氏庭園の方に行ってしまいました。残念至極。目の前3mほどのところに現れたのです。願ってもないチャンスだったのですが、気を抜いていました。

Img_6592c_20210909173001  後期の授業のレジメを見直しています。今朝は、追加した1回の分。どうも気に入らず、大幅改訂中。今のところは、加筆していますが、分量が多くなりますから、かなり削除、修正も必要になります。この回の授業は、鬼が笑いますが、来年1月の予定。まぁゆっくりやりましょう。明日は朝から晴れて、また、暑くなるという予報。散歩日和。

2021年9月 8日 (水)

アオサギさんは、枝で遊んでいる?

Img_6396c_20210908154701  散歩から帰ってくる10時頃から雨が落ちてきました。ほとんど降られずに済んで、ラッキー。7時40分からいつも通りのところを歩いてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.8㎞。

Img_6163c_20210908154601  これまたいつものように、九華公園までほとんど鳥はおらず。ハシボソガラス、スズメくらいでした。九華公園では、まず、アオサギさん。以前よくいた、鎮国守国神社の社務所の裏の木にいました。ただし、一昨日までいたアオサギとは、目の周りの模様が微妙に違うような気もします。継続して、よく見ることが必要です。

Img_6210c_20210908154601  奥平屋敷跡では、コゲラ。松の木の下に行ったら、木をつつく音が聞こえてきて、よく見たら見つけられました。其の後、別の木に移動したところがこれ。こちらは、何となく、昨日貝塚公園で撮ったコゲラに似ている気がします。ただし、確証はありません。奥平屋敷跡では、他にスズメ、カワラヒワも、数羽ずついたものの、松の木の高いところで、よく見えず。

Img_6257c_20210908154601 Img_6276c_20210908155901  公園内は、ソメイヨシノの落ち葉がたくさん。何だか秋の景色を見ているような気がしてきて、不思議な感じ。今日の最高気温は、23.3℃ですが、今年は秋が早いのでしょうか。右は、朝日丸跡で見つけた人形。遊歩道脇に「置いてある」感じ。「落ちている」のではなさそう。誰かこんな風に置いていったのでしょうか。ちょっと気味が悪い気もしないではありません。

Img_6286c_20210908154601 Img_6293c  鎮国守国神社の境内で、拝殿の裏をよく見て回ってきました。というのも、このあたりにはヒガンバナがニョキニョキと出て来ますし、イチョウの木があって、ギンナンがたくさん落ちてくるところなのです。ギンナンはすでにそれなりの数が落ちて、散らばっていましたが、ヒガンバナはまだまったく出て来ていませんでした。

Img_6329c_20210908154701 Img_6339c_20210908154701  鎮国守国神社にお参りしてから、再び、相撲場、鎮国守国神社の社務所の裏あたりへ。アオサギはまだいて、しかも不思議な行動を見せていました。木の上の方に移動して、枝を嘴にくわえて、折り取っています。さらに、それを加えたまま下の方に向かって首を伸ばして、枝を落とすのです。まるで枝で遊んでいるような雰囲気。

Img_6357c_20210908154701 Img_6335c_20210908154701  これも、その後のシーン。折り取った枝を木の幹の股に置いたのです。こういう行動を何度か繰り返していました。いったい何をしていたのでしょう? 繰り返しになりますが、遊んでいるようにも見えます。遊びは、「行動それ自体の喜びや楽しみのための内発的動機づけによる自己目的的で自由な自発的行動」です。別の目的や報酬獲得のための道具的手段として行なわれるものではありません。このアオサギさんの行動、他に目的があるようには見えませんでした。右の写真のように、けっこう真剣な表情でやっている気がします。

Img_6371c Img_6391c  カルガモさんは、公園内野球場の南の堀にある石の上でお休み。昨日と同じところ。このあとは、雨が降りそうな感じで、急いで回って来ました。こういうとき、寺町商店街のアーケードは、助かります。今日は、三八市開催中でしたが、雨に降られるのもイヤで、通過してきました。

Img_6097c_20210908154701  拙宅前に戻って来た頃にはけっこう雨が降ってきましたが、本格的には降られず、ヤレヤレ。後期の非常勤の授業のレジメは、一通り確認、修正を終えられました。新たに追加する1回分については、もう少し入念にチェックしようと思っています。

Img_6253c_20210908154701  そうそう、予定を1つ忘れていました。金曜の夜には、ある知能検査の研修会がオンラインであります。オンラインでというのは、楽チン(微笑)。出かけなくても、最新の情報が得られます。ちなみに、今日のアサガオは2輪。

2021年9月 7日 (火)

コゲラだけ……九華公園のセキセイインコは60羽!

Img_5865c_20210907144701  午前中はよく晴れていましたが、午後からは雲が広がって、最高気温は25.9℃。涼しいくらい。15時半過ぎには雨。この間の猛暑が嘘のようです。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、南魚町、田町、三崎通、宝殿町、桑名七里の渡し公園と6.0㎞。3時間しっかり歩いたと威張りたいところですが、久しぶりに会った知人と話し込んでいたのです(苦笑)。

Img_5872c_20210907144701  朝は20.8℃。これくらいの気候なら、鳥もいるに違いないと期待したものの、九華公園に着くまでに出会った鳥は、スズメ、キジバト、ドバトのみ。それもわずかずつ。九華公園でも、アオサギさんは不在。勝手に要求水準を高めてしまっていたようです(苦笑)。

Img_5929c Img_5898c_20210907144701  奥平屋敷跡でも、ドバト、ムクドリ、ハシブトガラス、ヒヨドリ(左の写真)などばかり。カワラヒワは来たものの、松の木の高いところに入ってしまい、行方不明。1時間あまりいたものの、鳥果なし。九華すずめ食堂は、このところ、前管理人のOさんがお忙しいようで、いらっしゃいません。スズメもほとんどいません。

Img_5910c_20210907144701  奥平屋敷跡にある鳥小屋には、オカメインコとセキセイインコとがいるという話は、しばらく前に何度か書きました。今日、管理人のNさんに伺ったら、オカメインコは4羽で、増減なし。セキセイインコは60羽ほどになっているそうです。他に3羽のヒナが巣箱にいます。かなり増えました。来年には100羽を越えそうな勢いだという評判。

Img_5971c_20210907144701 Img_5981c_20210907144701  公園内を回っているとき、コゲラや、シジュウカラの鳴き声が聞こえて来ました。コゲラは飛んでいるところを目撃したものの、写真は撮れず。吉之丸堀のところでスズメとカルガモが撮れただけ。

Img_5965c_20210907144701  鎮国守国神社の境内や、公園南の外周遊歩道で、あたりをじっくり見てきました。例年、ヒガンバナが咲くところです。しかし、まだどこにも芽は出ていませんでした。あとでも書きますが、田町交差点北の県道沿いにもありませんでした。ということは、シルバー人材センターのところだけ、やたら早く咲いたということ。何か訳があるような気もしますが、今のところ不明。

Img_6014c_20210907144701  貝塚公園では、コゲラ。このコゲラ、たぶん九華公園からやって来たもの。というのも、九華公園の二の丸橋の辺りから、立教小学校横などを歩いているとき、頭上をコゲラが鳴きながら飛んで行ったのが、貝塚公園の方角なのです。

Img_6053c_20210907144701 Img_6065c_20210907144701  田町交差点から住吉神社の方に向かって、県道613号線。宝殿町、春日町あたりの街路樹の根元にヒガンバナが出るのです。去年は、シロバナヒガンバナも見られました(2020年10月1日:九華公園でカワセミ(飛び出しシーンも)、モズ)。じっくりと見て来たものの、このあたりもヒガンバナの芽は、まだまったく出て来ていません。

Img_6079c_20210907144601  桑名七里の渡し公園。百日紅の木が2本。真っ赤な花ですが、盛りを過ぎると、花も色あせるようです。9月3日に見たのが、この木(秋雨の一日……アオサギのシークレット写真(笑))。ピンク色の花に見えたのは、色あせた赤い花だったということでした。

Img_5746c_20210907150201 Img_5750c_20210907150201  余談。雲の写真。空をよく見上げるのですが、昨日の夕方の雲はなかなかおもしろいと思いました。北側の玄関先から見た東の空。右は、そのクローズアップ。

Img_5779c_20210907150201 Img_5767c_20210907154801  左の写真も、上左の写真の雲のクローズアップ。右の写真は、同じく北側の玄関先から見た、長良川河口堰方面の空。

Img_5787c Img_5798c  もう1つ、余談。先日、アサガオは、花が咲いたときもきれいだが、つぼみも美しいと書きました。昨日、夕日が当たっているところを撮ったのが、これらの2枚。

2021年9月 6日 (月)

メジロは、悔しいことにチョー証拠写真

Img_5458c_20210906152801  朝からよく晴れています。最高気温は29.5℃と今日も30℃には届かず。風は、午後からは南風になったものの、9階にあるわが家では、玄関ドアと、リビングの窓を開けておくと、よく風が通って気持ちよい感じです。朝早く目が覚めたので、一仕事(苦笑)。後期の非常勤の授業資料を見直して、必要な修正をしています。半分くらいの進捗状況。1回増える分の資料は、一通りつくってありますが、まだ見直していません。9月最終週から後期が始まるのです。

Img_5497c  散歩は、全くいつも通り。昔、「判で押したように」という言い方がありましたが、まさにその通り。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.0㎞。住吉神社~貝塚公園は決まっており、その後が少しバリエーションがあります。今朝は、我が家あたりでも鳥は鳴いておらず、散歩に出ても、ハシボソガラスを見たくらいで、九華公園までほとんど鳥はいません。九華公園では、いつものところにいつものように、アオサギさん。

Img_5543c_20210906152801 Img_5552c_20210906152801  奥平屋敷跡では、南の端の方を歩いていたら、メジロが2羽やって来ました。ところが、これが難物。木の実を食べに来たのですが、枝や葉っぱの向こうにばかりいて、私のいた方には出て来ません。枝や葉っぱの向こうは、堀。回り込むこともできず。故に、こんなチョー証拠写真。

Img_5536c_20210906153801 Img_5577c_20210906152801  他には、ドバト、ムクドリがかなりと、ごく少数のスズメ、カワラヒワ、ヒヨドリ(右の写真)。散歩&鳥見友達のYさんと、「まぁ、メジロが見られたから良しとしますか」という話にしました。

Img_5622c_20210906152801 Img_5597c_20210906152901  吉之丸堀の四阿のところを歩いていたら、堀に下がって来て、水面すれすれに幹ががある松の木に何かがいました。先日、ここにカワセミがいたという情報もあったので、意気込んだものの、ミドリガメの甲羅干しで、脱力。

Img_5646c_20210906152901Img_5360c  昨日、シルバー人材センターでヒガンバナが咲いていましたので、九華公園内でも、いつもヒガンバナが出るあたりをよく見てきたのですが、まだ、芽も出て来ていません。シルバー人材センターのところだけやけに早いということです。昨日、真上からの写真を失敗したので、リベンジ(左の写真)。右の見上げた写真は、昨日撮ったもの。散歩コースで他にヒガンバナがたくさん咲くのは、田町交差点から住吉神社に通じる県道沿い。近くに住んでいる方があちこちで植えているのです。これもまた見てこなくては。

Img_5720c_20210906152801  真夏の散歩は、暑さに耐える意味で「修行」ですが、少し涼しくなってきました。今の散歩は、鳥が出てくる/戻ってくるのをひたすら待つという意味で「修行」(笑)。去年は、ゴイサギが既に戻って来ていたのですが、今年はまだ。去年の今日は、九華公園に突如、カイツブリの若鳥が現れて喜んでいました(2020年9月6日:九華公園に珍客……カイツブリの若鳥が飛来)。もう少しすると、シジュウカラやメジロがよく見られ、ヤマガラも来るかも知れません。カワセミは、ちょくちょく目撃するのですが、写真が撮れていません。

Img_5425c_20210906152801  アサガオ、今日は1輪のみ。まだまだつぼみ予備軍はたくさんあります。

Img_5728c_20210906160101 Img_5737c  「おつまみ枝豆栽培キット」はさらに伸びて、左の写真のような様子。これはちょっとマズい。しかし、支柱は買っていません。よいのかどうか分かりませんが、ちょっと工夫して、グルッと一巻きしてみました(右の写真)。明日、散歩のとき、100均ショップにいって、適当なものがないか見てくることにします。

Img_5731c  こちらは、根っこの様子。主根はかなり伸びて、ペットボトルの底に届くくらい。主根からは、側根がたくさん出て来ています。さてさて、この先、どうなりますか?

2021年9月 5日 (日)

ヒガンバナが咲きました……鳥果は上がらず、苦笑

Img_5418c_20210905161401  夕方になって曇ってきましたが、朝からよく晴れました。気温は、29.4℃。青空は、やはり気持ちが良い。朝早く、ベランダに出たら、近所からシジュウカラの鳴き声が聞こえてきました。「これは、今日は野鳥がいるかも知れない」と期待が高まります。散歩は、7時40分スタート。プチ遠征も考えたものの、昨日は歩いていませんので、いつものコースへ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.7㎞。

Img_5347c_20210905161401  貝塚公園の北東にあるシルバー人材センターの敷地では、早くもヒガンバナが2輪、咲いていました。九華公園で、ここ数日、ヒガンバナの芽が出ていないか見ていたのですが、見つけられずにいました。ちょっと「穴場」でした(笑)。去年、ヒガンバナは遅く、お彼岸には咲いていませんでした(2019年9月19日:彼岸の入りを前にヒガンバナは見当たらず)。

Img_5189c_20210905161501 Img_5206c_20210905161501  さて、話を戻して。シジュウカラの鳴き声から野鳥を期待したものの、さほどではありませんでした(苦笑)。住吉神社のところに行くまでに見たのは、カラス1羽。揖斐長良川の中洲にダイサギが1羽。

Img_5228c_20210905161501  柿安コミュニティパークまで来たら、電柱の上にカワウが1羽。他にも、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、カワラヒワが少しだけ。期待しすぎたのかも知れません。

Img_5313c_20210905161501  九華公園では、今日も、アオサギさんがいました。本当に、バードウォッチングの「救いの神」です。奥平屋敷跡で小1時間、鳥が来るのを待ったのですが、ヒヨドリ、ムクドリ、カラスばかり。スズメやカワラヒワは、2~3羽がちょっと来ただけでした。

Img_5266c_20210905161501 Img_5280c_20210905161501  左の写真は、ヒヨドリの若い個体。ヒヨドリは、ここ数日前から散歩コースや、我が家の近所に戻って来ています。奥平屋敷跡には、若い個体がけっこうたくさんいました。右は、いうまでもなくスズメ。散歩コースでも、公園でもあまり見ません。今日のバードウォッチングは、以上(苦笑)。なかなか思うようには行かないものです。ちなみに、去年の今日は、九華公園でコサギ、ゴイサギ、シジュウカラを見て、コゲラの鳴き声を聞いています(散歩友達は、この時、カワセミを見たとおっしゃっていました)。

Img_5399c_20210905161401 Img_5410c_20210905163701  帰り際、寺町から来た住吉入江で、ギンヤンマの交尾&産卵シーン。去年まではよく見たのですが、今年はこれが2回目。トンボやチョウを見るのも減った気がします。セミは激減しています。ごくまれにツクツクボウシが鳴いているくらい。クマゼミ、アブラゼミはほとんど声を聞かなくなりました。

Img_5298c_20210905163901  今週は、明日、市民大学郷土史学科の予定でしたが、緊急事態宣言発令中のため、中止。金曜日は、歯科治療。イヤだなぁという気持ちがあるのですが、仕方ありません。非常勤の後期の授業が、予定通り対面で行われるのか、それとも、遠隔になるのか、気になっています。三重県の新型コロナの感染者数は、500名を越えるところまで行きましたが、その後は漸減し、今日は137件。大学の方も状況の推移を見ているのでしょう。

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その3)逆川神社にお参りし、昼食を摂って高田本山駅にゴールで「完」

210828isemairi84  8月28日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その3です。その2では、津市栗真小川町に入り、善行寺、観音寺と回って来ました。約6㎞を歩いています。観音寺の先で近鉄名古屋線の踏切を渡ります。そのすぐ先に逆川神社。ずっと以前、鈴鹿で働いていた頃から、近くの国道23号線を通ると、「逆川神社前」という交差点があり、変わった名前の神社だなと思っていました。ここにお参りして、この日の目的地はコンプリート。ゴールは近鉄高田本山駅にしてあったのですが、その前に餃子の王将三重大前店に立ち寄って昼食を摂った後、志登茂川を渡って、ゴール。

Img_3137c_20210829151001 Img_3134c  逆川(さかがわ)神社。スタートから7㎞ほど。時刻は、12時20分頃。主祭神は、伊邪那美命。他に、高御産巣日神(たかみむすびのみこと;高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神とともに高天原を主宰する)、豊宇気比売命(トヨウケビメノカミ;豊受大神の異称)、豊玉毘売命(トヨタマビメ;海神豊玉彦神の娘。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)の妻となる)、神産巣日神(かんみむすひのみこと;別天神(ことあまつかみ)の一神で、天御中主神、高皇産霊尊とともに造化三神をなす)、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト;天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、鏡を作った神)、大国主命建速須佐之男命菅原道真大山祇命天之菩毘能命を祀っています。

Img_3150c_20210829151001 Img_3160c_20210829151001  後一条天皇の頃(11世紀前半)の創建と伝わっています。この神社は、しもやけの宮として知られ、境内にある弁天池や逆川の水を、土用の丑の日にくみ取り手足につけると、ひびやしもやけ、下の病に効くといわれ、昭和の初期ごろまでは、はるばる東京・大阪・京都からもこの水を取りに来る人がいたといいます。社殿の裏手には弁天池があります。かつては立派な松林があったそうです。

Img_3154c_20210904075301 Img_3170c_20210904075301  境内は広く、かつては立派な松林があったといいます。境内西側には、橿原神宮遙拝所が(左の写真)、また、南東側には、神宮遙拝所がありました(右の写真。こちらはもちろん、伊勢神宮を遙拝するところ)。

Img_7661c_20210904075501  「かっこ踊」の絵馬2面が津市指定文化財となっています。この踊りは、津市内の何カ所かで伝承されています(かんこ踊というところもあります)。田植えの装束に身を包んだ「かんこ」と呼ばれる踊り手が、胸に「かっこ」(太鼓)を吊り、背中に18本の「しで」を背負いながら、豊作や厄病退散などを祈願し踊るもの。ちなみに、家内の実家の辺りでは、「かんこ踊」として伝わっており、地区ごとに行われていました。結婚してしばらくの頃に見に行ったことがあります。

Img_3180c_20210829151001  珍しい名称の神社ですが、その由来は、この神社の南側に「逆川」が流れていることから。この川は東から西へ流れているので、逆川と名付けられました。すなわち、このあたり、ほとんどの川は、西から東へ流れ、伊勢湾に注ぐのですが、流れが逆向きということです。写真は、神社の南で撮ったもの。ただし、以前来たときと同様、水はよどんでいて、流れてはおらず、西に流れているのかどうかは確認できませんでした。

Img_3187c_20210829151001  これでこの日の目的地は、ほとんどコンプリート。栗真中山町の伊勢街道を国道23号線栗真中山町交差点に向かって歩いて行きます。途中の民家のところに、津の地酒である「寒紅梅酒造」の看板があって気になりました。三重大学ブランドの日本酒もつくっていますが、酒蔵巡りではありませ(苦笑)。安政元(1854)年創業で、現在で7代続いているそうです。「寒紅梅」というお酒は、飲んだことがありません。酒屋さんで見つけたら試してみましょう。

Img_3199c_20210829151001 1630122847678c  ゴールの前に、昼食。国道23号線栗真中山町交差点近くにあった餃子の王将三重大前店へ。スタートからは7.8㎞、12時40分頃。この日は、ことのほか暑かったので、「餃子でビールを1杯やったら堪らないだろなぁ」といいつつ、餃子と焼きそばに留めました(苦笑)。¥682。もっと若かったら、ビールを飲んだと思いますが、ロートルがこの状況で飲んだら、しばらく動かなく(動けなく?)なりそうです。13時15分頃昼食を済ませ、近鉄高田本山駅へ。

Img_3208c_20210829151001 Img_3211c  駅の手前で志登茂川を渡ります。この下流で、非常勤先の近くを流れています。また、江戸橋もかかっています。その江戸橋は、伊勢街道にかかっています。次回、江戸橋を渡り、津の市街地に入ります。

Img_3228c Img_3238c_20210828200001  ゴールの高田本山駅には、13時25分頃到着。トータルで4時間ほどかかりました。駅の手前の踏切で、ちょうど「ひのとり」が通過。何度見てもカッコイイ電車です。ちなみに、真宗高田派本山の専修寺は、ここから西へ1.4㎞ほど。13時34分発四日市行き普通に乗車。白子駅に13時49分に到着。13時51分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には、14時22分着。¥700。

Img_3278c_20210828200101  この日現地で歩いたのは、8.4㎞。歩数は、19,331歩。これには、自宅から桑名駅往復の2.2㎞も含みますので、この日のトータルの歩行距離は、10.6㎞。さすがに疲れ、帰宅後は、午睡(というか、爆睡していました)。次回、第9回は、9月11日の予定。高田本山駅からスタートし、江戸橋を渡り、伊勢別街道との追分から津駅前を通って、四天王寺、津観音、大門商店街などを経て、津新町駅まで7.1㎞の予定。

2021年9月 4日 (土)

蟄居&雨読の日

Img_5141c_20210904163701  曇りときどき雨の1日。蟄居生活というか、雨読生活というか(苦笑)。散歩依存症としてはつらい日です。雨の止み間に散歩に出ようかと思い、ときどきナウキャストを眺めていたのですが、西の方から次々雨雲がやって来る様子しか見えず、断念しました。今のところの予報では、明日の方がまだ良さそうですから、明日に期待しましょう。

Img_5132c_20210904163701  室外に出たのは、朝、新聞を取りに行ったのと、ベランダに出入りしただけ。ほとんど歩いていません。アサガオは、今日は4輪。ずっとこの色の花しか咲きません。適当に選んで、去年の記事を見ますと、もっと赤い花も咲いていました(2020年9月20日:10時過ぎからの散歩……アオサギ、コサギ、ゴイサギ、ホシゴイにメジロの大股開き(微笑))。

Img_5144c_20210904163701  アサガオについては、花が咲いたところもきれいだと思うのですが、次の日に咲きそうなつぼみも、けっこう美しいと思っています。この巻き具合といい、薄緑色のところに、渦巻き状に赤いラインが見えているのといい、きれいだと思うのです。夕方になって、翌日咲きそうなつぼみを見て、数を数えるのも密かな楽しみといえます。

Img_5156c_20210904163701  「おつまみ枝豆栽培キット」。肥料を与え、窓越しに陽が入るところ(テレビの裏ですが)に置いていますが、グングン伸びてきました。支柱がヤバい(苦笑)。何か対策を考えないといけません。

Archive  オマケ。こういう日など、時間があって退屈しているときの暇つぶしに好適なのが、自分のブログの昔の記事を拾い読みする事です。このブログをお読みいただいている皆様には、必ずしもお勧めできることではありませんが……。自分で書いたことながら、「忘却の彼方」にあることがかなりあります(苦笑)。このブログは、2005(平成17)年10月26日から書き続けています(2005年10月26日:Blog事始め)。@niftyのココログの容量制限によって、古い記事はLivedoorの「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移して保存してあります(こちらは、無料で容量無制限という太っ腹)。ここからテキトーに選んで読むのです。自分で書いた記事なのに、「ヘェ~?」「フ~ン」と思うもの多々あるのです。もっと年を取って、ヨボヨボになって散歩ができなくなったら、これを読んで暇つぶし&「回想療法」を自分でして、ボケ防止にもなるかもと思っていますが(爆)、その予行演習なのです(笑)。ブロ友さんが、「自分史」とコメントしてくださったことがあるのですが、まさにそれ。日記もあるのですが、ランダムにテキトーに楽しむのはこちらがベストと思います。

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その2)……旧上野宿から高山地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社、痔神社を経て栗真の町へ

210828isemairi82  8月28日に歩いてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その2です。その1では、旧上野宿の満流寺まで来ました。スタートからほぼ2㎞、時刻は、10時20分頃です。スタートしたのが9時半でしたから、まだ1時間も歩いていません。冒頭の画像は、詳細なルートマップのその2。その2では、光勝禅寺にお参りして、朝陽中学校前で河芸郡役所跡、国道23号線を東に渡って、高山地蔵尊、地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社と回って行きます。

Img_2956c_20210829150801 Img_2926c_20210828200101  輝雲山光勝禅寺。伊勢上野城跡から700mほどのところにあります。伊勢街道からは少し西に入っています。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。

Img_2933c_20210903174801Img_1241c_20210903175101  境内には、観音堂があり、そこに祀られている馬頭観音は初午観音と呼ばれ信仰を集めています。右の写真は、2019年2月 2日の撮影(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。これで、上野宿を見て回ってきたことになります。

Img_2973c_20210829150901 Img_2979c_20210903180201  津市立朝陽中学校のところまで来ました。ここには、かつて安芸郡河芸町(あげぐんかわげちょう)役場がありました。ほぼ3㎞地点。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年)で津市と合併。役場の庁舎は、それに先だって平成12(2000)年に移転し(現在の津市河芸支所)、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。朝陽中学校の前で国道23号線を地下道でくぐります。

Img_2985c Img_2993c_20210829150901  国道23号線を越えてすぐに、高山地蔵尊。ここは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。右は、その先ある別の地蔵尊。こちらの由緒は不明。この2つの地蔵尊は、リソースによって写真and/or説明が入れ替わっていたりして、過去にはちょっと混乱しましたが、この記述で間違いないと思います。それにしても、右の写真の地蔵尊、由緒不明の割に屋根が立派。

Img_2999c_20210904032601 2つの地蔵尊を見て、さらに伊勢街道を進みます。詳細ルートマップその2には書きませんでしたが、松林寺の手前に「常夜燈」と彫られた石柱が建っています。省略してしまいましたが、その1で書いた上野神社の社号標のところにも同じようなものがありました。もちろん、この石柱が常夜燈ではありません。ここに常夜燈があったということなのでしょうか。街道歩きをしていても、あちこちにちょっと考えるとよく分からないもの・ことがあります。

Img_3003c_20210829150901 Img_3007c_20210829150901  玉光山松林寺。4㎞地点の手前で、11時頃。松林寺と中瀬八幡神社とが隣り合っています。松林寺は、天台真盛宗のお寺。詳細については、不明。

Img_3017c_20210829150901 Img_3019c_20210829150901  その隣に中瀬八幡神社。ここは、中瀬金城の守護神。明治41(1908)年、上野神社に合祀されたものの、昭和26(1951)年に分祀されました。ここで11時頃でしたので、休憩したのですが、草ぼうぼうでヤブ蚊がたくさん。蚊に刺されながら、20分ほど滞在(苦笑)。

Img_3023c_20210904034301  座るところがありませんでしたので、失礼して拝殿前に腰を下ろして、ヤブ蚊を追い払いながら水分補給とおやつ。休憩しながら、目の前の景色を見ていたら、何となく、「子どもの頃見た、夏休みの景色」という感じがして写真を撮ったものの、私のイメージからはかなり離れた写真しか撮れず。さほどマジメに写真のトレーニングに励んできた訳ではありませんが、改めて「写真は難しいなぁ」と独り言。

210828isemairi83 Img_3030c  ヤブ蚊から逃げるため、いつもの休憩よりも早く退散。伊勢街道は、国道23号線中瀬交差点で、その23号線と同じルートを辿るのですが、この中瀬交差点の東にあるのが、痔神社。私自身は、2度ほど訪ねています(たとえば、2019年9月 6日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈)。

Img_3043c Img_3039c_20210829164101  痔神社の起源、由来については不明ですが、土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説があります。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。

Img_3035c_20210828200901 Img_3045c_20210904035801  ご神体は、影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、ここから北東へ700mほど行ったところにある八雲神社であろうと思います。国道23号線中瀬交差点に戻るときに気づいたのですが、右の写真のように、「ぢ神参道」という石柱が建っていました。こういう石柱が建っているということは、かなりたくさんお参りする人があったのだろうと思えます。

Img_3065c_20210829150901  中瀬交差点からは1㎞ほど国道23号線を歩きます。日陰もないので、暑いこと。さらに、歩道は車道とは分離されているとはいえ、近くを車がビュンビュン走るのは、あまり気持ちの良いことではありません。スタートから5㎞を過ぎ、栗真小川町に入って、伊勢街道は国道23号線から右(西)に逸れて行きます。

Img_3072c_20210904040601  栗真小川町に入ってしばらく行くと、民家の敷地に地蔵堂。地蔵堂は、あちこちにありますが、由来が分からないものもたくさんあります。地元の方に伺うと分かるのでしょうが、街道マップやネット情報には、よほど有名でないものは出て来ません。ここも由来は不明。

Img_3082c_20210829150901  スタートから6㎞ほどで、栗真山善行寺。真宗高田派。境内に道標があり、「是より尓しい志てん道」と刻まれていると「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、「みえの歴史街道」のみえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップにもあったのですが、見つけられず。境内にあるとか、裏庭にあるとか、情報源によっていろいろ(苦笑)。迷います。

Img_3115c_20210829151001 336da59c 善行寺のすぐ南に観音寺が見えています。宗派や、詳細については不明。熊野勧進十界曼荼羅図(津市文化財)が一幅収められています。これは、江戸時代初めのもので、縦132.2cm、横126.2cmの地獄・極楽の絵。熊野信仰の布教と関わって描かれたもので、熊野比丘尼が折りたたんで携行し、勧進や布教の道具として使用したといいます。熊野勧進十界曼荼羅図は三重県に数多く残っているそうです。

Img_3109c_20210829151001Img_3100c_20210829150901  境内には、いろいろのものがありました。まずは、馬頭観音の石碑。馬頭観音は、観世音菩薩の化身で、六観音の一つ。人身で、頭が馬のものと、馬の頭飾りを戴くものとがあり、馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされます。しかし、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されています。馬頭観音の石碑の脇に小さい石碑。「子」という文字が見えますので、「子安観音」かという気がします。この他、彰功碑、地蔵堂があります。彰功碑は、小菅宣弘を顕彰する碑です。小菅氏は、この観音寺を再建するに当たってとくに功績があったと刻まれています。再建3周年を記念して、昭和45(1970)年3月に建立されています。

Img_3119c_20210829151001 観音寺の門前(南側)には、常夜燈があります。竿石の正面には「太神宮」、右側に「権現」、碑陰に「文化三丙寅年六月」、左側には「金比羅大権現」とあります。文化3年は、1806年。「太神宮」はもちろん、伊勢神宮のこと。この常夜燈の西側には石柱が建っています。が、かなり風化が進み読めません。「七月三日」という文字は分かりましたが、他は残念ながら不明。碑陰も読めませんでした。常夜燈は、火袋が失われています。伊勢街道沿いにあったのかも知れません。

 その2は、ここまで。その3では、逆川神社を訪ね、昼食を摂ってから、近鉄高田本山駅へゴールの予定。

 

2021年9月 3日 (金)

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その1)……千里駅をスタートして、田中地蔵を経て、旧上野宿へ

210828isemairi80  ようやく(苦笑)、8月28日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その1です。三重県にも新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が発令されています。こういう中で街道歩きなどをするのは、不届き千万といわれかねません。しかし、繁華街に出かける訳ではありません。この日も猛暑でしたが、旧街道歩きをしている酔狂な人はいません。電車も換気が行われていますし、かなり空いています。3密回避、マスク着用など感染予防には十分注意した上で出かけてきました。この日は、津市河芸町から津市一身田平野までの8.4㎞。コースは、冒頭の画像の通り、近鉄名古屋線千里駅をスタート。田中地蔵堂、最勝寺、弘法井戸、光勝禅寺、高山地蔵尊、松林寺・中瀬八幡神社、痔神社、善行寺、観音寺から逆川神社を経て、近鉄高田本山駅まで。ルートは、ほぼ国道23号線にそっています。ゴール前に、餃子の王将三重大前店でランチ。桑名での最高気温は、36.5℃。コースは、割と海に近いので、風が多少はあったものの、やはり暑くて疲れました。帰宅後は、午睡というより、爆睡。

Img_2737c_20210829150701  この日も、近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時12分に到着し、9時14分発の津新町行き普通に乗り換え。千里駅には9時21分に到着。¥570。9時半にスタート。ちなみに、千里駅で下車したのは、我々2人だけ。

210828isemairi81  まずは、詳細なルートマップその1。千里駅の目の前が伊勢街道。そこから近鉄名古屋線の踏切、国道23号線の千里駅交差点を越えて、西に向かいます。田中地蔵堂、田中川を大蔵橋で渡ると、田中川河川改修竣功記念碑と常夜燈の跡、上野公民館のところは明治天皇御休所址、上野神社の社号標を見て、最勝寺へ。虫籠窓と連子格子のある旧家から弘法井戸、枡形・道路改修記念碑を経て、満流寺と進みます。

Img_2744c_20210903161401 Img_2750c_20210829150701  千里駅を出て、近鉄名古屋線の踏切を越え、さらに国道23号線千里駅前交差点(左の写真)を渡って西へ。伊勢街道は、交差点を渡ってすぐに左へカーブ。少し行ったところの道の西側に田中地蔵堂。スタートからは300m。民家の間に立っていますが、由緒などは不明。近くを流れる川が田中川であるための名前かという気がします。このお堂の屋根はごく普通のもの。前回見てきた甕釜冠地蔵堂(2021年8月22日:20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(予告編))のそれが珍しいものであることが納得していただけると思います。

Img_2757c_20210903161801 Img_2767c_20210829150701  田中地蔵堂の先、大蔵橋で田中川を渡ります。渡ったところが、上野宿の北の入り口。橋を渡ったところに「田中川河川改修竣功記念碑(昭和59年の建立)」。昭和49(1974)年7月25日に豪雨があり(三重県亀山市では、19時間のうちに3ヶ月分の雨が降ったそうです)、その水害からの復旧工事が終わったことを記念するものです。この脇に小さな説明板があります。2年前の5月にここを歩いたときには気づきませんでしたが、そこには、「常夜燈があり、向かい側には接待所・光明院もあった」と書かれていました。常夜燈は今はありません。「接待所・光明院」は、前回見た「甕釜冠地蔵」のところが光明院であったと「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、こちらのサイトにも書かれています。「みえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップには、甕釜冠地蔵は「茶を供した休憩所」としかありません。ときどき、リソースによって説明などが違っていたりします。

Img_2774c_20210903162701 Img_2783c_20210903162901  上野宿には、古い建物がかなりたくさん残っています。歩きながら、あちこち眺めて、楽しめます。左は、橋本商店という酒屋さん。リノベーションしてはあるものの、もとは中二階のある、昔ながらの建物。街道沿いですから、普通の高さの2階建てを建てるのは、憚られたのでしょう。

Img_2792c_20210903162901  スタートから1.1㎞ほどのところに上野公民館。伊勢街道・上野宿の説明が詳しく書かれていて、参考になります。上野宿は、上野藩主・分部光嘉(わけべみつよし)が城下町として整備した約2㎞の町Img_2789c 並みです。元和5(1619)年に分部氏が、近江国大溝藩(おおみぞはん:現在の滋賀県高島市)へ転封になり、上野城は廃城となりますが、その後も伊勢街道の宿場として発展したといいます。延享2(1745)年の記録では、家数313軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠13軒、茶屋29軒、酒屋5軒があったそうです。説明板には、問屋・御七里(七里飛脚か?)があり、妓楼も7~8軒あったと書かれていました。宿内の街道は防衛のため3ヶ所で屈折しており(枡形)、道幅は9尺だったそうです。さらに、ここは、「秋田家住居址で、明治天皇御小休所(二回)」という案内板もありました。明治天皇の三重県行幸は、明治13(1880)年7月などに行われ、また、伊勢神宮参拝は、明治2(1869)年3月12日(新暦では4月23日)、明治5(1872)年、明治13(1880)年、明治38(1905)年の4回行われています。このいずれかの時、ここにあった秋田家でお休みになったということでしょう。いささか余談なのですが、上野公民館の手前に切妻連子格子の旧家があったはずですが、見当たりませんでした。あったはずのところは、更地になってしまっていました。

Img_2796c_20210829150701  上野公民館の先に上野神社社号標の石碑。上野神社は、2019年2月2日の近鉄ハイキングで訪ねました(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ)。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられていまする(建徳2(1371)年という説があります)。主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)。上野神社の近くには、円光寺もありますが、ここから200mほど登って行く必要がありますので、この日はパス。この写真の奥にお寺が写っています。最勝寺で、ここは今まで行っていませんでしたので、訪ねてみました。

Img_2806c_20210829150701 Img_2810c_20210829150701  金光山最勝寺。真宗高田派のお寺。明応4(1493)年の創建とされます。ここは近鉄電車からもよく見えます。ということはお寺からの眺めは良好のはず。それが右の写真。伊勢湾までよく見えました。

Img_2817c_20210829150701  境内には、伊勢上野城にあった地蔵を延命地蔵として安置しています。と書きつつ、見て、写真を撮ったと思ったものの、帰って確認したら、お地蔵様の写真はありませんでした。山門をくぐってすぐ右手に地蔵堂はありました。

Img_2832c_20210829150801 Img_2839c  最勝寺から再び伊勢街道に降りて、しばらく行くと、虫籠窓(むしこまど)に連子格子、土蔵のある旧家があります。虫籠窓は、虫籠のように目のこまかい格子をつけた窓。こういう古いお宅を見ると、旧街道を歩いているなと実感します。

Img_2849c_20210829150801 Img_2852c_20210828200801  上野神社の鳥居から300mほどのところ、東側に弘法井戸があります。石造の弘法大師を祭る御堂の前に井戸家形があり、中は深さ2mほどの貯水槽になっています。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。付近の家々で井戸講を組織し、清掃管理や法要を営んでいます。伊勢街道が出来て、多くの人が通るようになり井戸の水が旅人に利用されるようになり、この大師堂も出来たものと思われます。

Img_2863c_20210829150801 左の写真では、手前にあるのが貯水槽。水がたたえられていました。井戸家形内部には、由来が書かれています。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しか出ないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。それを村人が「弘法井戸」と称して大切に使ってきました。伊勢街道を旅する人々も立ち寄り、この水で疲れを癒やしたそうです。昭和35(1960)年、町営上水道が開設されるまでは生活用水として重要な役割を果たしてきました。

Img_2866c_20210829150801 Img_2875c_20210903165501  弘法井戸のすぐ先に枡形があります。千里方面から来ると、2つ目の枡形です。左の写真は、千里側から見たもの。右は、いったん通り過ぎてから振り返ったもの。

Img_2872c  先にも書きましたが、上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。ちなみに、1つ目の枡形のところも、クランクが緩やかになっていました。

Img_2879c  スタートから1.8㎞の手前に伊勢上野城跡への登り口があります。民家の前の細い道を上っていきます。標高40mほどのところに伊勢上野城跡があり、今は、本城山青少年公園となっています。伊勢上野城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したもの。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包は豊臣秀吉によって改易されますが、光嘉は豊臣家の直参となり、伊勢上野城1万石を領し、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりました。元和5(1619)年、光嘉の養嗣子・光信は近江国大溝藩(現在の高島市周辺)へ移封となったため、廃城となりました。その後、津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。ちなみに、浅井長政お市の夫、三姉妹(茶々、初、江)の父;天文14(1545)~天正元(1573)年)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだのが、この伊勢上野城とされていますが、近年の研究では、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。私は、これまでに2回登っています(たとえば、2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。この日は、暑さもあり、また、標高40mを登るを嫌がってパス(苦笑)。

Img_2886c_20210829150801  スタートから2㎞の手前に「道路元標跡」。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、現物は損傷が激しいので、河芸中央公民館に保管されています。本体は木製の四角柱、頂上部は銅板製だそうです(こちらにその写真があります)。

Img_2902c_20210903171001  道路元標跡のすぐ先に、満流寺。真宗高田派のお寺。ここは、ネットでも、ガイドブックでもとくに情報は出て来ませんでしたので、写真を撮っただけでお参りはしていません。キリが良いので、その1はここまで。その2は、光勝禅寺から。

秋雨の一日……アオサギのシークレット写真(笑)

Img_5128c_20210903152001 Img_5120c_20210903152001  25℃にもならず、曇りのち雨。ほぼ予報通り。それに、今日は、9時半からエレベーター点検が11時まで予定されていました。9階まで階段を登れないことはないのですが、なるべくなら避けたい(苦笑)。ということで、いつも通り7時半にスタートし、最初から「高速散歩」。幸い、野鳥も散歩友達も少なく、9時20分に帰宅。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町商店街といつも通り、5.7㎞を回って来ました。「いつもなら3時間もかかっているのは、いったい何だ?」といわれそうですが……。

Img_4885c_20210903152101Img_4899v  九華公園では、カワセミを今日も目撃したのですが、またもや写真は撮れず仕舞い。祟られているのか、という気もしますが、その代わりのスクープ。いつものところにアオサギさんがいたのですが、見ていたら、左の写真のようなポーズ! 「これは、きっと間違いない」と思って待ち構えて撮ったのが、右の写真です。さて、何でしょう? 白いラインが写っています。これ、実は、アオサギさんの排泄シーン。バッチリです(微笑)。尾籠な写真で恐縮至極 m(_ _)m

Img_4822c_20210903152101 Img_4806c_20210903152101  さて、話を戻して、住吉神社の前でイソヒヨドリのメス。高水敷のフェンスに止まっていました。住吉神社の境内では、スズメたちが数羽。右の写真は、クチバシに黄色いところが残っていますので、たぶん今年生まれの若鳥。

Img_4851c_20210903152101  蟠龍櫓近くまで来て、揖斐長良川の中洲を見たら、ダイサギが1羽。

Img_4910c_20210903152101 Img_4922c  九華公園には7時50分頃到着。アオサギの他には、ドバト。あまり何もいないので、たまにはということで、ドバトを撮影(苦笑)。逃げません。奥平屋敷跡の九華すずめ食堂、餌は少しずつ減っていますが、私たちが見ている間にはやって来ません。しばらく待ったものの、今日は、ドバト、ムクドリ、ハシボソガラスくらい。カワラヒワやスズメは現れず。

Img_5007c_20210903152001 Img_4983c_20210903152001  公園内をグルッと回って、本丸跡に来たら、シジュウカラ。2羽いました。さらに、堀には久しぶりにカルガモ。シルバーの方が「あーちゃん」と呼んでかわいがっているカルガモと思います。昔からずっといるカルガモ。

Img_5085c_20210903152101  さらに高速で歩いて、新築公園で、ハクセキレイのオス1羽。ここは、普段はスズメくらいしかいませんが、たまにハクセキレイや、冬にはジョウビタキがいることがあります。

Img_5094c_20210903152101  寺町商店街は、今日は、三八市。三八市の時は、それなりに賑わっています。が、人混みはパス。横切っただけ(笑)。

Img_4794c_20210903152101  ところで、桑名七里の渡し公園で、百日紅を見たのですが、同じ木から真っ赤な花と、ピンクな花が咲いているように見えました。往きでしたので、まだ開園前。中に入って確かめることはできませんでした。

Img_4918c_20210903152101  余談。三重県では、現在、知事選挙の期間中。 鈴木英敬知事が、衆議院選挙に立候補するため、辞任するのです。さらに、桑名では、今日、県会議員の補欠選挙が告示されました。たぶんお二人が、立候補。お一方は、九華公園の北門の向かいにある本多忠勝像のところで第一声。もうお一人は、三八市が開催されている寺町交差点で演説の準備をしておられました。何れも投票は、9月12日。

Img_4768c_20210903152201 Img_4782c  アサガオ。左の写真は、何も加工はしていません。リビングの室内から磨りガラス越しに撮ったもの。今日は、4輪咲いているのですが、何れも葉っぱの奥の方で咲いています。

 

2021年9月 2日 (木)

カワセミは見ただけ(苦笑)……おつまみ枝豆、成長中

Img_4763c_20210902174301 Img_4591c_20210902174801  曇りときどき雨、最高気温は28.4℃。我が家あたりは、雨量は大したことはありませんが、秋雨前線が停滞中。起きたとき、未明に降った雨で路面は濡れていました。雨に降られるかも知れないとは思いつつ、散歩の虫を押さえるのは難しい(苦笑)。いつも通り、7時半スタート。折りたたみ傘持参で、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.4㎞。貝塚公園で散歩友達Sさんと会った頃から、霧雨模様。こんな天気では、今日もまた歩く人も、野鳥も少ないのです。

Img_4611c_20210902174301  三の丸水門のところで、カワラヒワ。ここまで野鳥はほとんどいませんでした。ほとんど「いました」という証拠写真(苦笑)。まぁ、何も野鳥がいないよりはマシというくらい。

Img_4639c_20210902175101 Img_4727c_20210902174301  九華公園では、今日もアオサギさんはいました。アオサギさんがいれば、かなり満足。初めは、こちらに完全に背を向けていましたが、そのうち視線もくれるようになりました。やはり役者です。

Img_4664c_20210902174401  続いて、奥平屋敷跡へ。九華すずめ食堂を確認しようと近づいたら、この餌台のすぐ南の石垣の上にカワセミ! 不用心に近づいたら、当然ながら、逃げられました。が、このあと、奥平屋敷跡の3箇所でも目撃。しかし、写真は撮れず。最近、カワセミの姿は見るものの、写真が撮れないという状況が続いています。残念。九華すずめ食堂の方は、昨日より少し餌は減った印象。今日、奥平屋敷跡には、スズメ、カワラヒワがいたものの、極端に少なく、写真もありません。

Img_4677c_20210902174401 Img_4735c_20210902174301  朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。餌はなくなっていますが、ドバトは餌欲しげにやって来ています。しかし、今日は、本当に野鳥は少ない。スズメもいません。野球場のフェンスでやっと1枚撮ったものの、これまた超証拠写真。

Img_4747c_20210902174301 Img_4750c_20210902180301  初めに書きましたが、貝塚公園でSさんと出会ったのですが、空模様があやしくなり、ここからは「高速散歩」(苦笑)。京町公園で小休止。細かい雨が降っていましたので、寺町商店街のアーケードを通過していたら、久しぶりに散歩友達のOkさんに遭遇。「少し涼しくなったので、出て来た」とおっしゃいます。私より一回り年長でいらっしゃるのですが、好奇心旺盛で、いろいろなことに取り組んでおられます。8月には、ヒヨドリのヒナを拾って、しばらく面倒見ていたとか。ベランダ沿いに鳥かごを置いていたら、親鳥が餌を運んで来たそうです。鳥かごの出入り口を開けておいたら、親鳥とともに巣立って行ったとおっしゃっていました。

Dsc_6229c  「おつまみ枝豆栽培キット」の様子。水を足して、ついでに添付されていた肥料を与えました。根もかなり伸びていて、ペットボトルの底に届くくらい。「支柱」に使っているのが、「串」で、ちょっと不安定なのが気になりますが、しばらくはこのままでというつもり(支柱も¥150で売っているのですが、これだけを買うのもなぁと思っています)。

Img_4691c_20210902174401  明日は午前中は曇りで、午後から雨という予報。散歩に行きたいところですが、仕事も残っています。10月に予定されている研修会のレジメは、今日、少し修正を入れました。プリントアウトして、寝かせてあります。しばらくしてから再度見直して、問題がなければ送る予定。ご相談ケースは、緊急事態宣言で面談ができませんので、仮報告書を作成中。ほぼできあがってきていますが、もう少し。8月28日に行ってきた「伊勢詣りツアー」の記事も書きたいのですが、そこまで手が回りかねています。

2021年9月 1日 (水)

9月になり、空は秋、ソメイヨシノは落葉

Img_4266c_20210901184101  9月になりました。最高気温も30℃は超えたものの、猛暑日にはならず、30.6℃。雲がけっこう広がっていましたし、雲は秋のもの。夜には雨も降るという予報です。いつも通り、7時半から、いつものコースを散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と5.7㎞。6㎞くらい歩いてきた感じでしたが、伸び悩み(笑)。

Img_4267c_20210901184101 Img_4284c  揖斐長良川の中洲にダイサギと、アオサギと1羽ずつ。65倍ズームでノートリミング。雲が多くて、ちょっと暗い写真。以前は、住吉神社の東の中洲にアオサギが集合していたのですが、ここ3~4年あまり見なくなりました。

Img_4313c Img_4323c_20210901184101  九華公園では、今日もアオサギさん。左は、見つけたとき。寝ていると思いますが、大きな声をかけると、起きます。が、またすぐ、お休み体勢に戻ります。野鳥を含め、動物たちは、食事をするか、休むかのようです。

Img_4356c_20210901184101 Img_4374c_20210901184101  奥平屋敷跡には、今日は久しぶりにハクセキレイのオスが1羽やって来ました。グラウンドにもいたという話があります。カワラヒワも10羽くらいいたのですが、あまり動かず、ほとんど鳴かずで、見つけにくい。スズメ、ドバト、ムクドリ、ハシボソガラスはほとんど来ません。ヒヨドリは2羽。

Img_4344c_20210901184101 Img_4415c_20210901184101  そのせいか、九華すずめ食堂本店の餌はほとんど残っています。朝日丸跡の九華すずめ食堂支店の方は、今日はすっかりなくなっていました。朝日丸跡の方が、スズメがたくさんいますから、そのためのように思います。今日は、散歩途中も、九華公園でも鳥は少なめ。

Img_4452c_20210901184101  久しぶりに立ち寄った老松公園では、ヒヨドリとシジュウカラが見られました。ときどきは、行ってみるものです。

Img_4419c_20210901184101 Img_4296c_20210901184101  ところで、意外に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、ソメイヨシノの葉っぱは色づいていて、かなり散ってきています。立秋を過ぎて、月が変わる頃になるとよく思い出すのが、古今和歌集に収録されている歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」です。まだ暑さが残る夏の終わりにも、秋を感じることがあります。

Img_4437c_20210901184101  月が変わりましたから、気合いを入れ直さないといけません。暑さ疲れなのか、年のせいなのか、それとも単に怠け癖なのか、どうも今ひとつ「さぁやるぞ!」という風になりません(苦笑)。10月に依頼された研修会のレジメの締切が迫っています。今月の最終週からは、後期の非常勤の授業が始まります。などなど、半隠居生活ながら、いくつかは、やらなければならないことがあります。百日紅は、寺町近くにある覚専坊という真宗大谷派のお寺にて。

 

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

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    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)