20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その1)……近鉄白子駅をスタート、伊勢型紙資料館、龍源寺、高札場跡、久留真神社、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺から子安観音寺へ
8月22日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回です。今回は、本編その1。三重県も新型コロナの感染者数が急増してはいますが、この時期、旧街道歩きをしている人はめったにいません。電車も換気が行われていますし、昼食は時間がずれていて、店は空いており、しかも黙食。感染予防には十分注意した上で、この日は、鈴鹿の白子から津・河芸の千里まで、7.3㎞。コースは、左の画像の通り。近鉄白子駅から伊勢型紙資料館、龍源寺を経て、伊勢街道に出ます。高札場跡・旧河芸郡役所跡、久留真神社、唯信寺、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺、子安観音寺、道標2つ、楳荘翁碑、村社八幡神社、津市河芸町に入って、甕釜冠地蔵、八葉山本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅にゴール。千里駅の前が、今日の伊勢街道の終点。駅近くの創作中華料理・昇龍でランチ。桑名では最高気温30.9℃。雨には降られずに済みましたが、湿度が高く、蒸し暑く、けっこう疲れました。
詳細なマップその1。 桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行で白子駅に9時12分に到着。¥500。駅の東口を9時20分にスタートします。日曜日でしたが、電車は空いていました。駅も閑散としています。
伊勢街道に出るまでに、伊勢型紙資料館と龍源寺に立ち寄ります。写真は、伊勢型紙資料館。残念ながら、開館は10時で入れず。ここは、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった「寺尾斎兵衛家」の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館しています。寺尾家は江戸時代から、伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商をしていたそうです。寺尾家住宅は、型紙関係の商家として、また町家建築の代表例として、市史跡に指定されています。
伊勢型紙資料館の東100mほどのところに瑞雲山龍源寺。臨済宗妙心寺派のお寺。ご本尊は、拈華釈迦如来像(ねんげしゃかにょらいぞう)。開創は平安時代と伝わっているものの、由緒は不詳。しかし、境内には平家ゆかりの「青葉の笛(平敦盛秘蔵の笛)」に関わる旧跡「青葉の竹林」が伝承されています。また、鎌倉時代の「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」なども所蔵しているそうですから、800年の歴史があると思われます。こちらに寺の由緒があります。
江戸中期には、臨済宗中興の祖・白隠禅師(はくいんぜんじ:貞享2(1686)~明和5(1769)年)と、その高弟・東嶺禅師(とうれいぜんじ)が滞在して禅を説いたといいます。枯山水のお庭もあります。
龍源寺の先で伊勢街道に出ます。四日市方向に少しだけ戻って、白子東町公園にある旧河芸郡役所跡。明治になり県政が敷かれ、明治26(1893)年4月ここに河芸郡役所が置かれたそうです(大正12(1923)年まで)。
その東北に高札場跡があります。江戸時代、白子代官所が高札を掲示したところでした。高札場跡のあるところは、伊勢街道は枡形になっています。白子は、天領であったこともありますし、徳川御三家の一つ、紀州藩領であったこともあります。そのためか、あちこちに枡形が残っています。
伊勢街道を下っていきます。旧河芸郡役所跡の先に「語らい館よこた」。町角博物館の1つ。ここも10時から開館でしたので、開いていません。明治18(1885)年に造られた町屋づくりの家を、間取りを変えずにリフォームし、天井が低い、レトロなミニギャラリーになっています。「横田材木店」という看板が出ています。
この語らい館よこたの前に古いものが置いてあります。その1つは、水車。水田に水を入れるのに使ったのかという気がします。この水車は、右の写真のように、「自転車サイドカー(正式名称が分かりません。運搬車というかも知れません)」に載せられています。この「自転車サイドカー」は、子どもの頃に見た記憶があります。リアカーとは違って、自転車の横に荷物を積むところがあるのです。
語らい館よこたの先で、1㎞を過ぎ、伊勢街道は、白子漁港につながる小さい川を渡りますが、そこの道も枡形のようになっています。スタートから約1.3㎞で久留真神社。主祭神は、大己貴尊(オオアナムチノカミ)、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称だそうです。往昔は大已貴尊と須世理姫尊(スセリビメノミコト、大国主命の妻)の2柱の神さまを通称伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして福徳さんと称え奉ったそうです。
元は福徳天皇社と称し、現在の白子小学校の東付近にあったのですが、寛永(1634)年、その地が白子代官所となったため現在地に移転しています。江戸期に和田の勝手明神との間に式内の本社を争う訴訟があり、文政4(1821)年に「福徳の宮久留真神社」と改称しました。淡路島に別宮(伊勢久留麻神社)がありますし、境内社が多数あり(稲荷社、護国神社、石上神社、四柱神社)、なかなか興味深い神社でした。
境内にあるご神木。現在は、三代目ですが、「福徳の松」と呼ばれています。上記のように現在地に移ったとき、紀州候の名により、二代目福徳の松を植樹賜ったといいます。右は、手水。「変わっているな、石造りか?」と思ったのですが、ご多分に漏れず、感染予防のため、普通の手水鉢に樹脂製の蓋を被せ、手前の3つの口から水が出るようにしてありました。ちょうど氏子総代の方がいらっしゃり、実演してもらえました。
久留真神社の先に山中山唯信寺。真宗高田派のお寺。ここは、ガイドマップや、みえの歴史街道にも情報は出て来ません。本堂はコンクリート造りで、鐘楼堂や、梵鐘も新しい。唯信寺のところも枡形。
唯信寺の北に道標があります。「さんぐう道」「神戸(かんべ:鈴鹿市神戸(かんべ)四日市道」と刻まれ、指のかたちの矢印が描かれています。このあたりは曲がり角が多いため、参宮客などが迷わないようにということで、道標を和田さんという方が建てたのだそうです。何度も倒され、立て直しを繰り返した結果、現在は(昭和30年代以降)、高さ2mあまりとなったそうです(説明板による)。
その先、スタートから1.7㎞ほどのところに同心屋敷跡と、目付役所跡があります。同心屋敷は、伊勢街道をはさんで東西両側に5軒ずつ建っていたといいます。目付は、政事や家臣の非遺糾察(ひいきゅうさつ:非違は違法行為、糾察は吟味、尋問)、秩序維持を目的とする観察。代官以下庄屋に至るまでの人の素行、品行、身持ちを監視する役人。俸禄200~250石、2年ほどで交代しました。敷地の規模は5反(4,559平方メートル)ほど。役所の建物の他、馬部屋などもあったそうです。
釜屋川を渡って、鈴鹿市伝統産業会館へ立ち寄り。同級生K氏が、「伊勢型紙についてちゃんと知りたい」ということで、鈴鹿市伝統産業会館へ立ち寄りました。ここは、鈴鹿市が誇る「鈴鹿墨」と「伊勢形紙」の伝統工芸を紹介して、優れた技術を後世に伝えるために、昭和58(1983)年に開設。鈴鹿墨や、小紋・友禅などの図柄を着物の生地に染めるために用いる伊勢形紙の作品・製造道具などが展示紹介されています。ちょうど、伊勢型紙を彫る伝統技能士の方がデモンストレーションをしておられ、いろいろと伺うことができました。伊勢型紙のビデオを見たりして、30分ほど滞在。小休止しようと思ったら、目の前に「飲食禁止」の貼り紙(爆)。10時半から30分ほど滞在。
伊勢街道に戻ります。釜屋川の先で、伊勢街道は、新旧2つのルートに分かれます。直進するのが、新しい伊勢街道。この日は、子安観音寺へ立ち寄るため、右折して、古い伊勢街道を辿ります。西方寺に行く前に、以前通ったときには昭和湯という銭湯を営んでいたところがあったのですが(2019年5月27日:20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その1)……伊勢型紙資料館、大徳屋長久さんで早くも土産を買い、久留真神社、道標、目付役所跡、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺で山口誓子句碑を見て、子安観音寺へ)、建物はなくなっていました。西方寺は真宗高田派のお寺。
境内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります(右の写真)。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。ちなみに、誓子は肋膜炎の療養の為に昭和16(1941)年から28(1953)年まで、12年間、三重県の四日市市富田、天ヶ須賀海岸、そして鈴鹿市白子の鼓ヶ浦に居住していました。ここ鼓ヶ浦には、昭和23(1948)~28(1953)年の5年間いました。
スタートから2.9㎞、11時15分、子安観音寺に到着。地元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。既に歩き始めて2時間近くなので、30分ほど小休止。
「仁王門」は、三重県指定文化財(昭和47(1972)年に指定)。仁王門は、元禄16(1703)年に建立されたもので、正面両脇に鎌倉様式の金剛力士が配されています。江戸時代の楼門の典型とされる、堂々とした構えです。高さは12.37m、桁行は7.42m、本瓦葺の立派なものです。
こちらが本堂。中央に写っているのは、マスコットキャラクターでしょうか。中に入ると、「子安」と大書された大きな提灯が頭上に下がっています正面の上には、「白子山 観音寺大聖院 ご本尊 白衣観音」などと描かれた額が掲げられていました。
境内の中央にあるのが、三重県指定有形文化財の「銅燈籠」。寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作です。辻越後は、藤堂高虎の頃、近江から津の釜屋町に来た鋳物師。高田本山専修寺には、その三代目である辻越後守陳種が作った銅燈籠がありますし、初代・家種の作になる梵鐘が津観音にあります。
境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されています(大正12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。この不断桜の葉の虫食い跡をみて伊勢型紙を思いついたというエピソードも残っています。子安観音は、2018年3月19日の記事に詳しくあります(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】)。句碑などについても言及しています。
子安観音寺からは古い伊勢街道を辿りますが、今は住宅街の中を通っています。ここで、道標2基。左のものは、弘化4(1847)年建立。「左くわんおん道」「右さんくう道」とあり、子安観音寺と伊勢街道とを示すもの。右は、民家の手前にある小さな道標。「左いせみち」と刻まれています。頂上部分と北面はすり減ったくぼみがありますが、これは伊勢型紙彫りに使う砥石をならした跡といわれているそうです。
いつものことながら、長くなりました。その1はここまで。その2は、新しい伊勢街道と合流し、その近くにある楳荘翁碑から。
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