20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その2)……天白神社、正信寺、道標、弥都加伎神社へ
7月31日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回、「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その2です。その1では、鈴鹿市駅をスタートし、肥田町にある宇気比神社や、山の神2ヶ所、道標のあるところまで来ました。スタートからは2.4㎞ほど歩き、時刻は、10時半頃。詳細なルートマップは、その2。しばらく立ち寄るところはありません。金沢川(かなさいがわ)を渡り、国道23号線を地下道でくぐって玉垣へ。天白神社、正信寺へ向かいます。途中、もう1ヶ所の宇気比神社がありましたが、パス。正信寺のところには道標が1つあります。
国道23号線の手前の景色。肥田橋のところから南西の空を見ています。県道8号線と国道23号線の交差点の方面。マックスバリューやカーマが見えます。夏の空。
この先で国道23号線に行き当たります。ここは、地下道をくぐって、国道23号線の東側へ行きます。ここで、3㎞。
じきに天白神社が右手(西側)にあります。ここは、神社検索三重のサイトにも載っていませんし、説明板もありませんので、詳細は不明。と思ったのですが、このあと訪ねた弥都加伎神社のサイトを見たら、この天白神社は、弥都加伎神社の境外末社とされていました(こちら)。御祭神は、奥津鳴比賣命(おきつしまひめのみこと)、狭依比賣命(さよりひめのみこと:市寸島比売命のこと)、多氣津比賣命(たぎつひめのみこと)。この鳥居の奥に拝殿があります。
天白神社の手前にも鳥居があり、こちらは山の神。
その1にも書きましたが、このあたりには山の神がたくさん祀ってありますし、しかもそれぞれ大切にされている印象があります。
天白神社・山の神のところには表忠碑があるのですが、 左の写真のような状況。 2年前の5月4日に来たときには(2019年5月14日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その2))、表忠碑が見えていました(右の写真)。表忠碑の土台の石垣も膨らんで来ていたり、ちょっと危なっかしい状態。年月が経つと、こうも変わるものかと思います。表忠碑は、玉垣地区が英霊280柱のために建てたもの。
玉垣幼稚園、玉垣小学校の西を進んでいくと、伊勢街道は枡形になっています。突き当たったところに浄土真宗高田派のお寺があります。圓融山正信寺。本堂の前に大きな楠があります。本堂は、大正3(1914)年に建立されたもの。
正信寺の手前、道をはさんで西側の角に道標があります。「右さんくう道」とあります。文化4(1807)年に建てられています。
ここから、詳細なルートマップはその3へ。国道23号線にほぼ沿って南へ進みます。弥都加伎神社、道標、山の神とあります。
伊勢街道は西玉垣町を南へ。国道23号線の西玉垣町交差点のところで左折し東南に向かいます。実は、この西玉垣町交差点のところに道標が1つあったのですが、見逃してしまいました。たまたま交差点の写真を撮っておいた中に、かろうじて写っていました(苦笑)。ここには、「左さんくう道」と彫られています。
スタートから4.5㎞、11時20分に弥都加伎(みずがき)神社に到着。近鉄ハイキングで始めてきたときに、「カッコイイ名前の神社だ」と思った記憶があります。主祭神は、大土御祖神(おおつちみおやのかみ;土を司どる神)。相殿神は、埴安比売神(ハニヤスヒメノカミ;火之夜芸速男神を産んで死ぬ間際の伊邪那美命の大便から化生した二神のうちの一神。「ハニ」(埴)とは土のこと)、素盞嗚命、大山祇命、菅原道真、天忍穗耳命(アマノオシホミミノミコト)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)、多紀理比売命(タキリビメノミコト)、市寸島比売命、事比羅神(コトヒラノカミ?;大物主神のことで、大和の三輪山に鎮座する神、大国主命の協力者)、速玉之男命(はやたまのおのかみ;絶命して黄泉国へ去ったイザナミを連れ戻しにいったイザナギは、見ないでくれといわれたイザナミを見てしまい、妻と別れることになったのですが、その別れ際に唾を吐きました。その唾を吐く神をハヤタマノオと呼びます。唾を約束をかためる意につかっているようです)、奧津島比売命(オキツシマヒメノミコト;「沖の島」の「姫神」という意味。 古事記では多紀理毘売命の異名)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、大日霊命(オオヒルメノムチ;天照大神の異称)、狹依比売命(さよりひめのみこと;イチキシマヒメノミコトのこと)。旧村社。いらっしゃる神様は、重複があったり、いろいろでややこしい。神社検索三重のサイトでは、「特に土に携わる職業の方々の安全繁栄」に御神徳があるとされています。
天平13(741)年の創祀。山田原の土宮の御霊を海部村に勧請し、その後現地へ奉祭したとあります。「山田原の土宮」は、伊勢神宮の外宮の別宮である「土宮(つちのみや」と思います。土宮の説明には、「御祭神は大土乃御祖神。古くから山田原の鎮守の神でした」という記述があります。宝亀元(770)年、土之御祖神、埴安比売命を合祀。延喜5(905)年、社名を土宮から現名称へ変更していますが、それ以前には土御前とも呼ばれたといいます。陶器、左官、粘土、土木工事各業のほか、農民はもとより土に携わる職業の人達、また、豊受宮に糀を奉献したことにより酒、みそ等の職業の人達の多くの崇敬をあつめていたようです。慶長19(1614)年、造営。明治2(1869)年3月、明治天皇御東幸の途次、勅使が奉弊代拝しています。この地は玉垣御厨だったといいますから、伊勢神宮の領地であったということでしょう。延喜式内社。
境内には、弥都加伎稲荷社。稲荷社の祭日は、3月23日で、五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全、芸能上達などの祈願と餅撒き神事が行われるそうです。
また、鎮魂碑もあります。ただし、これは、戦争で亡くなられた方の御霊を鎮めるためのものではなく、氏子の方で亡くなられた方や、先祖代々の御霊祭を行いうためのものだそうです。不要になった人形・ぬいぐるみ・結納飾り・筆・針等々の霊も鎮め、安心立命を祈願するといいます。実際、小さなお子さんを連れた、若いお母さんもお参りしておられました。
手水舎には、花手水が飾られていました。こちらは、弥都加伎神社本社の方の手水舎。上を見上げると、風鈴もいくつかつり下げられています。猛暑の中、一服の清涼剤という印象。
この花手水、実によく工夫されていて、楽しめます。いわゆる「インスタ映え」します。私も写真を結構たくさん撮ってきました。同行のK氏は、「これはブログに載せないといかんなぁ」というくらい(微笑)。
境内には、他にも和傘を使ったオブジェがあちこちに飾られていました(上の鎮魂碑の写真にも写っています)。左の写真は、「夫婦岩」に見立てた岩のところにあったもの。こちらもインスタ映えします。実際、われわれが一休みしていたら、若い女性のお二人連れが、スマホ片手に写真を撮って行かれました。
ここ、弥都加伎神社で、コースマップ上ほぼ中間地点でしたので、30分ほど休憩。水分補給とおやつ(微笑)。元気を取り戻して、12時過ぎに再スタート。
弥都加伎神社のすぐ南に、自然石でできた、丸い道標があります。明治2(1869)年に建てられたもの。「式内 弥都加伎神社」と刻まれています。この年、明治天皇が神宮を参拝されましたが、その際、弥都加伎神社に勅使が派遣され、奉弊代拝の処遇を受けたことを記念しています。
スタートから5㎞を過ぎたところにも、山の神・鳥居・燈籠があります。ここは、これまでの3ヶ所とは異なり、赤い木造の鳥居と、同じく赤い木造の燈籠、いずれもかなり古びたものが建っていました。
その2は、ここまで。その3は、岸岡町に入り、菅原社から。フジクラ鈴鹿事業所のところにあります。
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ミリオンさん、こんにちは。
猛暑の中、9㎞以上も歩いたなど、物好きとしかいいようがありません(苦笑)。
弥都加伎は、みずがきとは読めませんね。
でも、最初に行ったとき(これは2回目)、カッコイイ名前の神社だと思いました。
花手水、きれいでしたよ。
インスタ映えします。
若い女性も写真を撮りに来ていました。
投稿: mamekichi | 2021年8月 3日 (火) 14時06分
こんにちは、暑い中東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアーお疲れさまでした。
弥都加伎をみずがきとは読めません、神社の名前は難しいです。
花手水がカラフルで綺麗ですね、和傘やうさぎの人形など映えます~!
投稿: ミリオン | 2021年8月 3日 (火) 13時04分