20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その2)……楳荘翁碑、村社八幡神社、幕板のある旧家、甕釜冠地蔵、本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅へゴールにて「完」
8月22日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」の本編その2です。その1では、子安観音寺から、その近くの道標2つを見たところまで来ました。左は、詳細マップその2。道標2つの先で、われわれが歩いてきた古い伊勢街道は、新しい伊勢街道に合流します。そこからちょっと戻ったところに楳荘翁碑。堀切川にかかる逢来橋のところに道標1基があります。その先、国道23号線を地下道で渡り、磯山に入ります。磯山までは鈴鹿市。しばらく立ち寄るところはなく、ひたすら歩いて、5㎞を過ぎたところに村社八幡神社。その先に「幕板」のある旧家。
上記のように、伊勢街道の新旧ルートが合流するあたりに、楳荘翁碑。「楳荘翁」とは、儒者・別府梅荘翁の碑です。別府梅荘は、文政10(1827)年、河芸郡上野村(現在の津市河芸町上野)に生まれました。ここ寺家(じけ:鈴鹿市寺家)の住人で若い頃から絵をよくし、生け花や煎茶にも優れたそうです。明治28(1895)年、京都で没。門人らが明治29(1896)年12月、この碑を建てています。碑の撰は、富岡鉄斎の筆によります。その先で堀切川にかかる逢来橋。伊勢街道はこの橋の手前で左折し、西に向かいますが、そこに道標が1基。西面に「右いせみち」と刻まれているものの、他には何もありません。道標についての詳細は不明。右の写真で道標の手前にあるのは、「鼓ヶ浦」と刻まれた石碑。このあたりの東(鈴鹿市伝統産業会館の南あたり)は、鼓ヶ浦海岸で、海水浴場などもあるところ。
近鉄名古屋線の踏切を渡り、すぐに国道23号線に行き当たります。国道は、地下道をくぐって越えます。ここから鈴鹿市磯山。国道23号線の西側を進みますが、しばらく立ち寄るところはありません。
スタートから5㎞を過ぎて、右手に村社八幡神社。主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)、金山毘古尊(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、素戔之男命(すさのおのみこと)、菅原道真、大山祇之命(おおやまつみのみこと;山の神)。当社の創祀は不詳ですが、社伝によれば正安元(1299)年に社が創建されたとされているそうです。
太田忠左衛門という人の先祖が、御神体を字六人彫りの堀切川下流から背おって来て、安置したと伝わります。その時、獅子(狛犬と思います)も一緒だったそうですが、忠左衛門の枕元に現れ「別保へ連れてって」というので、隣村の神社へ連れていったためこの神社には獅子がいないといいます。確かに狛犬というか、獅子はありませんでした(上左の鳥居の写真、左の写真をご覧ください)。境内にある木、2本の根元には、右の写真のように赤い、小さな鳥居が置かれていましたが、これについては不明ですが、ご神木を意味しているのかも知れません。神社のすぐ先に、真宗高田派の専照寺があったのですが、ガイドブックにも、ネットにも特に情報がなく、パス。
少し歩いたところに「幕板のある旧家」。「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」に載っていたのですが、Googleのストリートビューで調べてもよく分からず。現地で見たところ、たぶんこのお宅。「幕板」は、軒先の庇の下にさらに庇を追加した建築様式で、板暖簾、大垂(おおだれ)ともいわれます。これは、雨除け、日除けの役割を果たすもの。
詳細マップは、その3になります。幕板のある旧家の先で再び、国道23号線を越えます。今度は、東向。中ノ川橋を渡り、津市河芸町に入ります。この「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」も、桑名、朝日、四日市、鈴鹿と来て、5つ目の市町。地元を離れ、だんだん旅気分も増してきます。東千里で、甕釜冠地蔵、本福寺、尾前神社石碑、丹羽君碑を見て、今日の立ち寄り先はコンプリート。近鉄千里駅にゴールします。
左の写真は、国道23号線をくぐる手前。ここはまだ鈴鹿市磯山。くぐって、しばらく国道23号線を歩きます。右の写真は、東千里交差点。この先で、伊勢街道は国道からそれ、東に入って行きます。
国道からそれて、近鉄名古屋線の踏切を越えます。すぐに小川を渡るのですが、その端の名前が「瓶冠橋」とちょっと変わったもの。この橋を越えたところで、道路は追分になっています。伊勢街道は右手の道を行くのですが、左手の道は、巡礼道は、下街道あるいは浜街道とも呼ばれ、伊勢古街道です。
伊勢街道を進んですぐ右手に、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵。変わった名前の地蔵堂ですが、先ほどの橋は、この地蔵堂に因んで命名されたもの。ここは、近鉄ハイキングに来たときにもとても印象深かったところ。この堂はもと光明院といって伊勢参宮の旅人の休憩所で、旅の無事安穏を祈願した場所でした。宝形造りの仏堂の屋根の上には、露盤と宝珠を置くのが普通ですが、この堂は炊事用の釜と水甕が伏せてあり、これが堂の名前の由来となっています。なぜこのような変わった建築をしたのか理由について諸説があり、確かなことはわかりません。個人的には、旅人にお茶を提供した時に使った甕や釜に由来するのかと思えます。
伊勢街道と巡礼道との間に、いくつかのお寺と神社とがありますが、この日は蒸し暑くて、疲れ気味でしたので、ほとんどパスしてしまい、真宗大谷派の八葉山本福寺だけ立ち寄って来ました。というのも、ここには、「親鸞上人御𦾔跡」という石碑があるのです。碑陰には、「文化○○」とあるのですが、読めませんでした。文化年間(1804~1817年)に建てられたということかと思います。ネットでは情報は得られませんでした。ここ本福寺は、親鸞の弟子だった西念房が創建したといいます。西念房(井上三郎貞親)は、6歳の時、父(信州高井郡井上城主・井上五郎盛長)が討死し、一門の多くが出家しました。貞親は越後で親鸞聖人の教えを受け、西念房という法名を授かり、その後、親鸞聖人に従って関東に入り、生涯聖人を思いながら念仏をひろめたといいます(こちらを参照しました)。
尾前(おざき)神社石碑。尾前神社は、この碑から東に200mほど入ったところにあります。4年に1度を舞い年と決めた「獅子舞神楽」が有名だそうです。これは東千里の氏子の中から選ばれた20数人が、1月1日から3日まで家内安全・五穀豊穣の門舞いを行うもの。保存会の手によって800年の伝統が受け継がれています(こちら)。
この日最後の立ち寄り先、7㎞ほどのところに「丹羽君碑」。この辺りには、江戸時代に紀州藩白子の大庄屋だった丹羽家があり、円応寺組十五か村の大庄屋を務め、また、兄弟で廻船問屋を営み、五十人同心として港を差配していたといいます。この碑は丹羽家何代目かの主を顕彰したもののようですが、碑文も風化して読めず、不明です。
13時10分、7.3㎞を歩いて、近鉄千里駅にゴール。伊勢街道は、このさき近鉄名古屋線と、国道23号線を越えて行きますが、それはまた次回。
この日の昼食は、事前リサーチで、駅近に飲み屋さんと、中華料理屋さんが、23号線沿いにあることが分かっていたのですが、結局、創作中華料理の昇龍へ。台湾料理がメインのようでした。暑かったので、今日も冷やし中華をチョイス。税込み¥858。ちょっと辛かったものの、美味しい。13時過ぎで空いていました。黙食。次の電車待ちで、食べてからは店のテレビで、高校野球観戦。
千里駅からは14時15分発の名古屋行き普通に乗車。14時22分に白子駅に到着。14時28分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には15時2分着。蒸し暑くて、疲れましたが、雨に降られることなく歩くことができてラッキーでした。というのも、帰宅後16時過ぎには大雨と雷。今日の歩数は、ご覧のように19,378歩。現地で7.3㎞、昇龍へ往復が0.6㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞、合計10.1㎞を歩きました。
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