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2021年8月 2日 (月)

20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その1)……近鉄鈴鹿市駅をスタート、神戸別院など寺を見て、常夜燈、矢椅神社、宇気比神社あたりへ

210731suzukasi0  7月31日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その1です。この日、桑名では、最高気温33.9℃と相変わらずの猛暑の中、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回に行ってきました。前回(2021年7月17日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編))ゴールした鈴鹿・神戸から同じく鈴鹿の白子まで。具体的には、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から、近鉄名古屋線白子駅まで。三重県では、熱中症警戒アラートが出ていましたが、それをものともせず(苦笑)。同級生K氏と二人、年寄りの冷や水とならないよう、途中、何度も休憩し、水分補給をしつつ、現地では9.3㎞を歩いてきました。冒頭の画像は、この日、歩いたコース。前回に続き、伊勢街道を歩いています。

Img_6566c_20210731191701 Img_6562c_20210802064901  こちらが今日のスタート地点である近鉄鈴鹿市駅。近鉄桑名駅8時42分発の五十鈴川行き急行に乗車。伊勢若松駅に9時6分着。鈴鹿線に乗り換え。伊勢若松駅9時19分発平田町行きで、鈴鹿市駅には、9時24分着。¥500。9時28分にスタート。この時点でたぶん30℃を越えていました。

210731suzukashi1  こちらは、実際に歩いた、詳しいルートマップその1。改めてこれを観て思ったのですが、鈴鹿市駅から、乗ってきた近鉄鈴鹿線の南側を歩いていました。マップに安倍歯科とあるところから先が、伊勢街道になります。真宗高田派神戸別院、願行寺、萬福寺、善導寺、善昌寺とお寺が続きます。少し足を伸ばせば、神戸城跡もあったのですが、この日のコースはいつもより長いので、パス。地子町公民館で道標と常夜燈の竿を探したものの見つからず。村瀬病院のところで常夜燈、矢椅神社、伊勢鉄道を越えて宇気比神社。その先で南向きに進みます。この先、いくつかの山の神があります。

Img_6583c_20210731191701  真宗高田派神戸別院。鈴鹿市駅から340mほど。第16世堯円上人の御代、寛政5(1793)年4月に建立されています。「神戸の御坊さん」と称して親しまれています。明治13(1880)年7月3日、明治天皇の行在所となりました。この年、明治天皇は、山梨・三重・京都に行幸されています。境内には、その御殿が残っているのですが、門が開いておらず、参拝はできませんでした。前回来たときも門は開いていなかった記憶があります(2019年5月4日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編))。

Img_6597c_20210731191701 Img_6604c_20210802071101  神戸別院のほぼ向かいに真宗高田派の高檟山願行寺。光明本尊は、(絵画)は、南北朝時代の作で、中央に光明を放っており、県下でも2点しかない仏画だそうです(市文化財)。享保6(1771)年、神戸町内の161軒を焼いたという信濃屋の火事で類焼し、天明7(1787)年に再建されました。

Img_6611c_20210802071501 Img_6614c_20210731191701  願行寺のすぐ南には、荒木山萬福寺。真宗大谷派。ここには、案内板もありませんし、ネットで検索してもこれという情報は出て来ませんでした。

Img_6608c  こちらは、このあたりの伊勢街道。北から南を向いて撮っています。目の前の大きな建物は、酒屋さん。昔ながらの店。昔はあちこちにこういうスタイルの酒屋さんがありました。「角打ち」といって、店で買ったお酒を店内で立ち飲みする飲み方がありますが、そういうことができそう。中学校の同級生の酒屋もこんな店でしたし、就職してから、近所にもこういう酒屋さんがあり、おじさんたちが明るいうちから升酒や、ワンカップを飲んでいるのを見ました。

231487a4  伊勢街道は、この先で左折して東に向かいます。左折せず細い道を直進すると県立神戸高校(神戸城二の丸跡に校地があります)、その西には神戸城跡があります。神戸城は、天正8(1580)年、神戸信孝(神戸家の養子となった織田信長の三男)が五重の天守閣を築きました。神戸城跡には、野面積みの天守台が残っていて、立ち寄りたいところですが、今日は、マップ上7㎞を超えるコース。先が長いのでパス。左の写真は、神戸城跡。2019年5月4日に来たときの写真(2019年5月4日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編))。ちなみに、桑名城には神戸櫓という櫓がありましたが、ここ神戸城の天守を持ってきたもの。文禄年間(1592~1596年)、一柳直盛(ひとつやなぎなおもり)が桑名城主となったとき、城郭を築く際に、ここ伊勢神戸城の天守閣を移し、後、本多忠勝が本格的に桑名城を築いたときもそのまま残り、神戸櫓と呼ばれました。

Img_6632cImg_6624c_20210802100201  話が逸れました。伊勢街道を左折したところにもお寺が2ヶ所。まずは、終南山善導寺。浄土宗のお寺。山門というべきか、鐘楼門というべきか。やや簡素な造りの門が印象的。鐘がつるせるようになっているのですが、鐘はありません。

Img_6628c_20210731191701 境内もきれいに手入れされていて、本堂も比較的新しそうなのですが、閉まっています。浄土宗の寺院リストには載っているのですが、無住かも知れないという感じがしました。

Img_6635c_20210731191701 善導寺のすぐ東には、善昌寺。真宗高田派。本堂の前で二人の女性が話をしておられましたので、境内には入らず。ここも、案内板はなく、ネット情報もとくにありませんでした。この東にある地子町公民館の敷地に道標(「右いなふ道 左志ろこ道」(元禄2(1699)年建立)と、嘉永2(1849)年建立の常夜燈(ただし、明治18(1885)年の洪水で倒れ、その竿部分だけ)が保存されていると「みえの歴史街道」に説明があったので、探しに行ったものの、分からず。断念。

Img_6651c_20210731191701 Img_6641c_20210802102301  その先に村瀬病院があり、すぐ北に常夜燈。これは、上に書いた嘉永2(1849)年に建てられた常夜燈が、明治18(1885)年の洪水で倒れたため、地元の方が、昭和5(1930)年に再建したもの。それにしても、大きい。

Img_6655c_20210802103301  この常夜燈を過ぎた辺りで、スタートから1㎞。神戸の町にも、ところどころ昔ながらの建物が残っています。

Img_6659c_20210802103301 Img_6667c  矢橋一丁目の交差点を渡って、左手(北)に矢椅(やぎ)神社。主祭神は、大穴牟遅神(おおなむちのかみ;大国主神の別名)。相殿神は、大山祇神。創祀については詳しくは分かりませんが、寛文2(1662)年の棟札に「八王子」とあり、また、「三国地志」にも「俗に八王子と称す」とあり、八王子社と呼ばれていたものと思われます。延喜式内社とされています。

Img_6663c_20210802103301  ここは一の鳥居から拝殿までの参道が長く、また、参道は木々に覆われていて、なかなかよい雰囲気の神社です。それに涼しいのはありがたい。左の写真のような、古い、大きな樹も。ご神木かと思えるくらい。

Img_6677c  矢椅神社から少し歩くと、伊勢鉄道の高架をくぐります。伊勢鉄道伊勢線は、四日市市の河原田駅から津市の津駅までの路線。もとは、国鉄伊勢線として建設されましたが、昭和62(1987)年3月、第三セクター「伊勢鉄道」となっています。もともと、関西本線の名古屋方面と紀勢本線の津以南を短絡する目的でつくられ、現在も特急「南紀」や快速「みえ」がここを経由し、名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されています。ちょうど名古屋行きの快速みえが通過して行きました。このすぐ北に鈴鹿駅があります。

Img_6704c_20210731191801 伊勢鉄道の高架を過ぎてすぐ左(北)に宇気比神社。主祭神は、天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父)。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと;天照大神の子)、天之菩卑能命(アマノホヒノミコト;天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたが、大国主命に味方して復命しなかった)、活津日子根命(いくつひこねのみこと;天の安の河で素戔嗚尊天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト;須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であるとされた)、多紀理毘売命(タキリビメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、沖津宮に鎮座するとされる)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされます)。

Img_6688c_20210731191801  この宇気比神社の創祀、由緒については明らかでありません。「河芸郡史」「神戸平原地方郷 土史」などにも、旧名八王子祠、由緒不詳と記されているのみだそうです。ちなみに、「宇気比(うけい、うけひ)は、古代日本で行われた占い。宇気比、誓約、祈、誓などと書きます。ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断するもの。

Img_6700c_20210802110001 Img_6696c  また、一の鳥居の写真では、宇気比神社の社号標の他に、八幡社のそれも建っているのですが、神社検索三重のサイトでは言及されていませんし、祀られている神様にも八幡様はありません。東に別の鳥居がありますが、これが八幡社の鳥居かという気がします。この鳥居の奥にも、拝殿らしい建物があります。この拝殿の内部は、ほこりも積もっており、普通の神社の拝殿のようではありませんでした。

Img_6692c  さらに、この拝殿の奥には、石組みがあり、社か何かがあったように思われます。八幡社がここにあったのかも知れません。

Img_6712c_20210731191801  宇気比神社の前を通っている、通称「中央道路」を渡ったところに山の神の鳥居と燈籠があります。この先、肥田町から玉垣にかけては、ここを含めて4ヶ所の山の神が祀られています。山の神は、もちろん、山を支配する神ですが、農作をする人々は、春先、山から下り田の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となると信じられています。この先、水田がかなりありますから、このように進行されていたような気がします。

Img_6716c_20210731191801 Img_6727c_20210731191801  スタートから2.4㎞ほど、県道553号線が曲がるところにも山の神と鳥居、燈籠があります。向かい側には、小さな道標。この道標には、「右若松道 ……」と刻まれています。ほとんど読めなくなっています。この道標のところから東に、直線で2㎞ほどのところに、乗り換えてきた近鉄伊勢若松駅があります。このあたりで時刻は、10時半頃。

Img_6721c_20210802111701  長くなりましたので、ここまでとしますが、この山の神、道標の手前のお宅で珍しい植物を見つけました。帰宅してパソコンで写真をよく見たら、「サンシモン」という札が写っていました。多肉植物の一種。モロッコ原産で、和名は「黒法師」です。ホームセンター等でも見た記憶はありません。その2では、国道23号線を越えて、玉垣にある天白神社、正信寺から。

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