20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その3)……菅原社、老農水原政次翁称功碑、北の端の地蔵堂、役行者神変大菩薩から江島若宮八幡神社にお参りし、久住屋菓舗で「おはらぎ」をゲット、青龍寺、勝速日神社を回って白子駅にゴールで「完」
7月31日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その3です。その2では、弥都加伎(みずがき)神社で休憩し、12時過ぎから再び歩き始めました。その後、道標、山の神を見て、岸岡町に入ります。フジクラ鈴鹿事業所のところで菅原社。このあたりを歩いているとき、北の空には入道雲がモクモク。雷鳴も聞こえていましたが、ほとんど降られず、ラッキー。老農水原政次翁称功碑を見て、近鉄名古屋線を越えたところで、北の端の地蔵堂と役行者神変大菩薩へ。
フジクラ鈴鹿事業所。昔は、藤倉電線といいました。今は、エネルギー、情報通信、エレクトロニクスなども手がけているようです。
そのフジクラ鈴鹿事業所の隣に菅原社。主祭神は、菅原道真、相殿神は宇迦之御魂神。神社検索三重のサイトによれば、創祀の事情やその年代は不詳です。集落の産土神として古くから信仰を集めており、地区民の心のより処となってきたといいます。境内には忠魂碑があります。第2次世界大戦に、打越地区から出征され、戦死なさった8名の方の慰霊のためのもの。ここでスタートから6㎞。
その先に「老農水原政次(まさし)翁称功碑」があります。ここは、近鉄ハイキングで来たとき、見逃してしまっていたのです。こんな大きなものを見逃すとは、ウッカリも良いところなのですが、話に夢中になっていて通り過ぎてしまったのが真実。水原政次翁は、弘化4(1847)年、現在の市内木田町に生まれ、青年時代農業を営み、上京して農学社に学び、32才から30余年、三重県農事試験場や県農会に勤め、農事に関する知識の普及や農事改良につくし、県下初の農事試験場長になっています。退職後、64才の時、現在の東旭が丘地域に水原新田を開拓し、近郷や県下の農業者に新しい米策栽培などを啓発指導したそうです。晩年には失明したものの、「昼まだに くらきめしひも嬉しきは 物にまよはぬこころなりけり」と農事にかけた心意気を詠っています。碑は、農学博士・横井時敬(ときたか)の筆により、水原翁の功績を称え、大正13(1924)年に建てられています。これで、2年越しの宿題をやった気分。
近鉄名古屋線の踏切を渡るあたりから、東江島町に入ります。踏切を渡ってすぐのところに、北の端の地蔵堂。約800年前、鎌倉時代のものだそうです。石像本体周囲に六體の菩薩が刻まれています。「六體」とは、五翼の優世に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身を表しています。この地蔵は、江戸時代から北の端の地蔵と呼び、お守り寺である悟真寺(ごしんじ;浄土宗のお寺、白子本町にあります(白子駅の北東))の古記録にも「霊験あらたかで願うこと叶わざるなし、遠近の信者多く毎年8月24日の縁日は善男善女の参詣が列を作る」などとされているといいます。江戸時代、寺家、白子などから江戸方面に伊勢型紙等の行商に出る人らはこのお地蔵さんで道中の無事を祈りました。
北の端の地蔵堂から道を1本はさんですぐ東には、役行者神変大菩薩。役行者(えんのぎょうじゃ)は、役小角(えんのおづぬ)ともいわれ、奈良時代の山岳呪術者。寛政 11(1799) 年に修験道の開祖と仰がれ、朝廷から「神変大菩薩」の諡号(しごう)を受けましたた。ここの社は、この修験道の開祖である「役行者神変大菩薩」が祀られています。役小角(舒明天皇6(634)年伝~ 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、修験道の開祖とされています。 実在の人物だそうですが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きいといいます。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承があります。鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという言い伝えもあり、なかなか面白い。しかし、なぜここにこういう役行者神変大菩薩が祀られているのでしょう?
さて、詳細なルートマップも、いよいよその5、最後になります。伊勢街道からは少し外れますが、江島若宮八幡神社に立ち寄ります。参拝し、常夜燈を見て、伊勢街道に戻ります。江島本町で、小笠原侯屯所跡、江島陣屋跡、安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡を見て回り、久住屋菓舗で土産。青龍寺、勝速日神社に行って、この日の目的地はコンプリート。
江島若宮八幡神社。鈴鹿市内で2番目に広い境内を持つ神社(最も広いのは、椿大神社です)。主祭神は、大鷦鷯命(オオササキノミコト、仁徳天皇)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)。これらを始め、17柱の神様が祀られています。平安時代初期、禁中に奉祀せられていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の分霊)を醍醐天皇が、神意に問いて伊勢宗廟(皇大神宮)の戌亥の方なる当地に奉遷せられたことに始まります。明治42(1909)年5月には、大宝天社、湊守社、稲荷社、風の宮、愛宕社が合祀されました。なお、すべての御祭神は、こちらにあります(2018年3月22日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その4)……芙蓉館から江島若宮八幡神社へ(まだ続きます))。
実は、拝殿その他の写真を撮り忘れました(苦笑)。これらの写真は、2019年5月4日に撮ったもの(20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その3))。また、この日(7月31日)は、この神社では夏越しの大祓でしたが、茅の輪の写真も撮り忘れ(爆)。
この日は、閉まっていて見られなかったのですが、江島若宮八幡神社には、奉納された絵馬がたくさん保存されています。白子の町は、湊として繁栄した歴史があり、回船業で賑わいました。あの大黒屋光太夫も、白子湊から出航しています。航海の安全を祈願するなどのため、多数の絵馬が奉納されており、そのうち、江戸時代の71面は三重県指定有形民俗文化財です。弁財天、武者絵、町絵図、帆前船などの図柄のものがあります(写真は、2019年3月23日に撮影したもの(20190323近鉄ハイキング「早春の海風を感じて おひなさまめぐりと海の幸」へ(完)))。
境内にある稲荷社の拝殿は、ちょっとした見物。眷属の狐はもちろん、拝殿まですべて石造りなのです。さらに、拝殿脇の狐さんは、右の写真のように、他では見ない、カワイイもの。
江島若宮八幡神社の南にある常夜燈。この常夜燈は、文政3(1820)年初秋、白子から江戸に出帆する廻船問屋の船、また江戸から白子に来る船の航海安全を祈願して、江戸にあった大伝馬町組と白子組の船荷取扱い関係者(江戸橋)が寄進したものです。その頃、この常夜燈の東南は、港の入江の「小浜」と呼ぶ波打ち際で、灯台の役目を果たしていたといいます。
常夜燈を見て、伊勢街道に戻ります。伊勢街道に出るところに、江島神社という社号標。大正15(1926)年10月に建てられています。江島本町に入っています。右は、伊勢街道沿いの民家。このあたりにも何となく、昔風の建物が残っています。
江島本町の中心あたり、ランバーハウジングという会社の前に「江島陣屋跡」という案内板があります。江島村は、江戸時代初期(正保年間、1644~1648年)までは天領。その後紀州藩の旗本の領地となり、享保年間(1716~1736年)には小笠原肥前守の知行地になり、この地に陣屋が建てられたのです。明治2(1869)年3月14日には、明治天皇が伊勢神宮参拝の帰路、ここで小休止されたといいます。
江島陣屋跡の手前、西側の路地の入り口に「小笠原侯屯所跡」という案内板があります。この江島村は、上記のように、享保年間には小笠原肥前守の知行地でしたが、紀州・亀山両藩の領地にはさまれていました。この両藩を含む、領地の住民らの治安維持を目的として、ここに屯所が設けられたのです。両藩の同心、御用聞き、目明かしらが詰めていたそうです。
さらにその先、現在の白子コミュニティセンターの敷地は、安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡でした。明治時代になって私有財産権が認められ、住民の土地田畑の所有権を公に登記する必要な行政機関として、国内各地にその役所が置かれました。それが、治安裁判所で、白子地区には明治21(1888)年10月に設置されました。その後、明治25(1892)年には役所が新設され、名称も登記所に変更。さらに、その後、法務局になっています。
久住屋菓舗さん。大はら木(おはらぎ)(右の写真:久住屋菓舗さんのサイトからお借りしました)とかりんとまん(かりんとう饅頭)をゲット。このあたり、久住屋菓舗さんの他、大徳屋長久さん、田中観月堂さんで銘菓「おはらぎ」が売られています。伊勢街道を通ったら、どこかで「おはらぎ」を買って帰ります。また、かりんとう饅頭は娘の大好物で、白子へ行くというと買ってくるよう指令が出るのです。これで重大な任務も果たせました(微苦笑)。ちなみに、3店舗の「おはらぎ」は、すべて食べたことがありますが、甲乙付け難し。好みによると思います。
ゴールの白子駅を目指すのですが、その前に2箇所、さらに立ち寄ります。まずは、體用山(たいゆうざん)青龍寺。真宗高田派。天長7(830)年、弘法大師によって開創。寛正元(1460)年、真慧上人に帰依し、真宗高田派に改宗しています。このお寺には、徳川吉宗作の「紅梅白梅図(掛け軸)」、「弘法大師の手形」、第11次朝鮮通信使(延享3(1746)年)の通訳官・朴徳源の肉筆による「體用山」の額があります。徳川吉宗作の「紅梅白梅図(掛け軸)」は、白子が紀州藩領だったこともあり、徳川吉宗とも縁があったと思われます。「弘法大師の手形」は、弘法大師(空海)が護摩(ごま)の修行で出た灰を固めて作ったとされます。朴徳源の肉筆による「體用山(たいゆうざん)」の額は、平成15(2003)年に、本物であることが確認されているそうで、朝鮮通信使が書いた扁額は、全国的にも少ないので、貴重な文化財です。ただ、鈴鹿は朝鮮通信使のルートからは外れているのに、何故ここにこれがあるのかは不明。
最終目的地は、勝速日(かつはやひ)神社。神社の由緒書きによれば、文明年間(1469~1486年、室町時代)の創建。主祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト。この神様は、天之忍穂耳命と同じで、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父)。相殿神は、天御蔭命(アマノミカゲノミコト:天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同じであり、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神)、素盞嗚命(スサノオノミコト:出雲神話の祖神。伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊の子。天照大神の弟)、稲田姫命(クシナダヒメノミコト:八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)、武甕槌命 (タケミカヅチノカミ:伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。鹿島神宮の祭神)、経津主命(フツヌシノカミ:磐筒男神(イワツツノオノカミ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト:天児屋命の妻)。
鈴鹿サーキットでF1グランプリが行われますが、レース関係者がこの神社の名前と、御祭神に注目して、必勝祈願に訪れるそうです。正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、稲穂の神、農業神として信仰されることが多いようですが、「正勝吾勝(マサカツアカツ)」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「勝速日(カチハヤヒ)」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられています」(Wikipediaから)。これで、この日の目的地は、コンプリート。
ゴールに設定した近鉄名古屋線白子駅には、13時40分に到着。スタートからここまで8.9㎞を歩いてきました。途中、フジクラ鈴鹿事業所の辺りでは、北の空でゴロゴロと音がしていましたが、雨には降られず。猛暑の中をよく歩いてきたと思います。
昼食は、白子駅の自由通路を渡って、駅西の商店街へ。私が鈴鹿で働いていた頃は、かなり賑やかな商店街だったのですが、今はご多分に漏れず、シャッター商店街化してきています。探したら、ラーメン屋さんがあり、冷麺がメニューに載っていましたので、ここ「ラーメンだいどんでん」へ。「冷やし塩レモン」をチョイス。¥980。イタリアンみたいな不思議なラーメン。とても美味しい。絶品といえるかもしれません。
白子駅を14時28分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には15時2分着。¥500。15時半前に帰宅。今日の歩数は、22,426歩。現地で、昼食を含め9.3㎞を歩き、自宅から桑名駅往復が2.4㎞、合計11.7㎞。
« 今日は、前期の期末試験……帰りに津駅の本屋へ行ったら伊勢街道ガイドブックを発見して喜ぶ | トップページ | ダイサギ2羽、アオサギさん、カワラヒワなどそれなりに……採点、成績評価は一応終了 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 久しぶりに九華公園でゴイサギ(2023.11.16)
- 非常勤の講義は、半分を終えました(2023.11.15)
- 強風の1日……午後は市民大学郷土史学科へ(2023.11.13)
「散歩」カテゴリの記事
- ミコアイサはいなかったものの、カワセミに遭遇@三ツ又池公園(2023.12.02)
- アオサギ、ダイサギ、コサギのそろい踏み……楊貴妃メダカをゲット(2023.12.01)
- ご近所イチョウ巡りツアー(2023.11.30)
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 久しぶりの「柿ジロウ」(2023.11.28)
「神社」カテゴリの記事
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)(2023.11.05)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)(2023.11.03)
- 20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)(2023.11.02)
「寺院」カテゴリの記事
- ご近所イチョウ巡りツアー(2023.11.30)
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)(2023.11.05)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)(2023.11.03)
「地蔵」カテゴリの記事
- 20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで(2023.07.07)
- 20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その2)……卜全塚に寄り道のあと、存徳寺、八幡神社へ(2023.04.12)
- 20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(予告編)(2023.04.09)
- 20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その1)……多度駅をスタートし、空念寺と宇賀神社へ【空念寺について追記(1/29)】(2023.01.22)
- 20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編)(2023.01.21)
「歴史散歩」カテゴリの記事
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)(2023.11.05)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)(2023.11.03)
- 20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)(2023.11.02)
「名所旧跡」カテゴリの記事
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)(2023.11.05)
- 20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)(2023.11.03)
- 20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)(2023.11.02)
「勝手にハイキング」カテゴリの記事
- 20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ(2023.11.29)
- 20231125「菰野ウォーキング」(予告編)(2023.11.25)
- 20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)(2023.11.02)
- 20231028名古屋ウォーキング(その1)……JR名古屋駅をスタートし、白山神社、那古野神社、名古屋東照宮、愛知県護国神社へ(2023.10.31)
- 20231028名古屋ウォーキング(予告編)(2023.10.28)
« 今日は、前期の期末試験……帰りに津駅の本屋へ行ったら伊勢街道ガイドブックを発見して喜ぶ | トップページ | ダイサギ2羽、アオサギさん、カワラヒワなどそれなりに……採点、成績評価は一応終了 »
コメント