お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年8月

2021年8月31日 (火)

三の丸水門近くでエナガに遭遇

Img_4215c_20210831165601  8月も末日。空は秋の空のイメージになりました。最高気温も33.4℃で、風は北西の風と、真夏日になったとはいえ、昨日までよりも楽です。朝一番に、愛車コペンのタイヤをチェックしたのち、8時過ぎから散歩開始。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.7㎞。10時過ぎに拙宅前まで戻って来たのですが、ボランティアの方と散歩をしておられた高齢女性と話し込んでしまい、帰宅は10時半。この女性、近くの施設に入所していらっしゃるのですが、何と御年95歳。耳は遠いものの、しっかりとしておられます。

Img_3981c_20210831165701  昨日までとは違い、住吉神社や、三の丸公園あたりには、散歩する人の姿があります。ただ、ほとんどはいつも出会う人たち。諸戸氏庭園からは、ヒヨドリの鳴き声がよく聞こえていました。他には、スズメが少し。このところ、いつも書きますが、散歩コースではスズメはあまり見ません。

Img_4049c_20210831165701  三の丸水門まで来たら、聞き覚えのある鳴き声。揖斐川の方から10羽あまりの集団で飛んで来ました。それは、エナガ。久しぶりに見ました。三の丸水門脇の木でしばらく餌を探していたようです。なかなかよいところには出てこず、見られる写真はあまり撮れませんでした。このあと、エナガたちは、九華公園の方に少しずつ移動していき、鎮国守国神社の境内に消えていきました。

Img_4124c_20210831165701 Img_4132c_20210831165701  今日の九華公園は、鳥には恵まれず。アオサギは来ていませんでしたし、カワラヒワは奥平屋敷跡に2~3羽いたものの、はっきりとは見えず。スズメはほとんど来ていません。昨日いたヒヨドリも見られず。散歩友達のYさんは、立教小学校の体育館近くでカワセミや、シジュウカラを見たそうですが、私は見られず。写真は、奥平屋敷跡の様子。右の写真にあるステージ(ここの南東端にあります)の上から眺めると、比較的全体が眺められ、鳥探しにうってつけの場所。左の写真には、散歩友達や管理人さんが写っています。

Img_4138c_20210831165701 こちらは、朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。Oさんによれば、昨日置いた餌がそのまま残っていたそうです。奥平屋敷跡の九華すずめ食堂、餌はわずかに残っていたくらい。スズメはやはり、九華公園などにはほとんど来ていないようです。

Img_4192c_20210831165601  貝塚公園では、シジュウカラの鳴き声も聞こえたものの、やはり姿は見えず。よく探したら、ヒヨドリのヒナらしき姿。もう少しすれば、もっと小型の野鳥たちが戻ってくると期待しています。

Img_4154c_20210831165701  鳥がいないので、アキアカネやチョウチョでも撮ろうと思ったのですが、さすがに飛んでいるトンボは、超望遠コンデジでは難しい。寺町商店街近くで、ツマグロヒョウモンのオス。

Img_4196c  午後からは、歯科受診。先日の歯科検診で、治療が必要なところが2ヶ所ありましたので、しばらく通う必要があります。その他、ご相談ケースの報告のまとめ作業。アタマを捻っております。どのように伝えると、よく分かっていただけるかというのが、思案のポイント。写真は、立教小学校で見た百日紅。

Img_3961c_20210831165701  アサガオ、今朝は7輪。今のところ、この薄い紫色の花しか咲きません。去年は、ブルー系統の花も咲いたはず。

Img_3969c_20210831172801 Img_3977c_20210831172801  余談。朝、車のタイヤをチェックしたと書きました。いつ交換したのか記憶がないくらい前に交換。前回の点検では、まだ溝があるから変えなくてもよいといわれたのですが、古いのは確か。最近、娘がタイヤが傷んでいて、空気も減っているかもと言い始めたのです。確かにひびが入ってきています。空気圧は大丈夫。コペンにはスペアタイヤが載っていない代わりに、簡易型のコンプレッサーがあり、空気圧をチェックし、また、空気を入れられるのです。今朝、このコンプレッサーでチェックし、規定値まで空気を入れ、家内にタイヤ交換に行ってもらったという次第。

 

2021年8月30日 (月)

暑くて歩いている人はいません……アサガオは8輪開花、カワセミは撮り逃がす

Img_3668c_20210830164401  連日の猛暑でいささかウンザリします。今日は、最高気温35.4℃。風は午前中は北寄りでしたが、昼前からは南風。午後からは、エアコンの効いた室内にいても、やる気が出ません(苦笑)。夕方になって、日が傾いてくると、少しモチベーションが湧いてくるのですが……。コロナが増えたためか、猛暑のためか、歩いている人はごくわずか。冒頭の写真は、住吉神社の前で撮りましたが、今日はここから柿安コミュニティパークまで、人にはすれ違わず。こんなことは珍しいのです。

Img_3665c_20210830164401  さて、散歩はいつも通り、7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常磐町、寺町商店街と5.9㎞。10時半近くに帰宅。汗だくとまでは行きませんでしたが、かなり汗ビッショリ。九華公園では、いきなりカワセミが飛ぶのを目撃。相撲場近く、鎮国守国神社の社務所裏です。2回。しかし、写真は撮れず。カワセミはこのあと、貝塚公園に行くのに九華公園の外周遊歩道を歩いていたら、南側にも登場。そっと近寄って、シャッターを押した、まさにその瞬間、飛び立たれました。急いで確認したものの、カワセミの姿は写っておらず。残念。

Img_3744c_20210830164401  その九華公園、アオサギは今日も来ていました。ヘン顔(微笑)。アオサギの目は、下の方を見やすい位置についていますので、ヘン顔になります。アオサギはいつも楽しませてくれます。

Img_3758c Img_3791c_20210830164401  奥平屋敷跡では、今日も、カワラヒワが数羽。いずれも若い個体のようで、3~5羽くらい。写真のように、松の木のてっぺんあたりによくいますので、真上を見上げたりして、見るのも、写真を撮るのも大変。首が痛くなりますし、ひょっとしたら、ひっくり返るかと思ったりします(微苦笑)。

Img_3815c_20210830164401 Img_3804c  また、今日の奥平屋敷跡には、ヒヨドリの若い個体も来ていました。親鳥と思われる成鳥と一緒。自分でも、木の実を啄んでいましたが、親鳥が捕まえたアブラゼミをもらったりもしています。右の写真は、木の実を啄んでいたのですが、その後、まるで親鳥を呼ぶかのように大きな声で鳴いていたとき。逆に親鳥が「こっちへ来い」という感じで鳴いているのに、微動だにしないシーンもあって、なかなか見物でした。

Img_3751c_20210830164401  九華すずめ食堂は、昨日、Oさんが与えた餌は、きれいサッパリなくなっていました。しかし、餌を与えてしばらく(30~40分くらい)見ていても、その間にはスズメはやって来ません。管理人さんに伺うと、昼にはなくなっているということです。我々が去った後、スズメが来るのかと思っています。

Img_3875c_20210830164301  セミは、クマゼミはほとんどいなくなりました。今の主役は、ツクツクボウシですが、割と高いところにいて、姿は見えず。アブラゼミはまだそれなりにいます。

Img_3895c_20210830164301  九華公園も散歩する人は、いつものメンバーのみで、静か。子どもたちの姿はありません。今日出会った散歩友達もWさん、Yさん、前管理人のOさんと、ほとんど毎日顔を合わせる方たち。ベンチに座って一休みしながら、空を見上げると、いかにも夏休みの空という感じなのですがねぇ。

Img_3913c_20210830170801 Img_3916c_20210830164301  貝塚公園では、散歩友達のSさん。「暑いなぁ」と(苦笑)。いつも歩数比べをするのですが、今日は私が、この時点で約7,000歩と圧勝(微笑)。寺町商店街は、月曜定休。暑いときは、このアーケードが助かります。

Img_3934c_20210830164301 Img_3931c_20210830171901  散歩終わりは、拙宅前の住吉入江で一休み。ここにあるベンチが、いつも「休んでいけ、休んでいけ」というのです(^_^)  これは、以前にも何度か書いたことがあると思いますが(たとえば、2020年8月12日:九華公園で、アオサギ再び)、心理学用語で「アフォーダンス」といいます。

Img_3945c_20210830164301 Img_3948c_20210830164301  アサガオは、今日は、今シーズン最多記録。といっても、8輪。2鉢あり、あちこちに咲いていますので、全体像は1枚には収まりません。

Img_3954c_20210830164301  「おつまみ枝豆栽培キット」は、支柱というと大げさですが、立てました。ヒョロヒョロと伸びてきましたので、倒れそうだったのです。これからは日が多少とも当たるようにしないといけません。カーテン越しでも構わないそうです。しかし、これ1本だけでは、ビールのつまみにはほど遠いでしょうねぇ。

Img_3902c_20210830164301  余談。非常勤先から、前期の授業について、学生諸君からの授業評価の結果が届き、コメントを書いて送るようにという連絡がありました。ただ、登録学生42名中、回答者は8名(回答比率19%)。いかにも少ない。いつもは、授業でアンケート用紙を配って行うのですが、今回は、オンラインで実施。そのため、回答者が少なかったのでしょうが、19%ではねぇというのが、正直なところ。それに、自分の授業の評価結果しか知らされませんので、正直なところをいえば、「あぁ、そうですか」で終わってしまいます。つまり、比較の対象が何もないので、何ともコメントに困るのです。

 

2021年8月29日 (日)

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(予告編)

210828isemairi80  8月28日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」の予告編です。三重県も新型コロナの感染者数が急増し、緊急事態宣言が発令されています。しかし、この猛暑の時期に旧街道歩きをしている人はめったにいません。電車も換気が行われていますし、かなり空いています。3密回避、マスク着用など感染予防には十分注意した上で出かけてきました。この日は、津市河芸町から津市一身田平野までの8.4㎞。コースは、冒頭の画像の通り、近鉄名古屋線千里駅をスタート。田中地蔵堂、最勝寺、弘法井戸、光勝禅寺、高山地蔵尊、松林寺・中瀬八幡神社、痔神社、善行寺、観音寺から逆川神社を経て、近鉄高田本山駅まで。ルートは、ほぼ国道23号線にそっています。ゴール前に、餃子の王将三重大前店でランチ。桑名での最高気温は、36.5℃。コースは、割と海に近いので、風が多少はあったものの、やはり暑くて疲れました。

Img_2737c_20210829150701  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時12分に到着し、9時14分発の津新町行き普通に乗り換え。千里駅には9時21分に到着。¥570。9時半にスタート。ちなみに、千里駅で下車したのは、我々2人だけ。千里駅から近鉄名古屋線の踏切、国道23号線の千里駅交差点を越えて、西に向かいます。

Img_2750c_20210829150701 Img_2767c_20210829150701  300mほどで田中地蔵堂。民家の間に建っていますが、由緒などは不明。地蔵堂の名前は、近くを流れる田中川に由来するかと思います。このすぐ先、大蔵橋で田中川を渡ります。渡ったところが、上野宿の北の入り口。橋を渡ったところに「田中川河川改修竣功記念碑(昭和59年の建立)」。昭和49年の水害からの復旧工事が終わったことを記念するものですが、その脇に小さな説明板があります。2年前の5月にここを歩いたときには気づかず。その説明板には、「常夜燈があり、向かい側には接待所・光明院もあった」と書かれていました。常夜燈は今はありません。「接待所・光明院」は、前回見た「甕釜冠地蔵」のところが光明院であったと「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、こちらのサイトにも書かれています。「みえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップには、甕釜冠地蔵は「茶を供した休憩所」としかありませんが……。後で触れる高山地蔵尊の説明も、リソースによって違っていたりします。

Img_2789c  スタートから1.1㎞ほどのところに上野公民館。伊勢街道・上野宿の説明が詳しく書かれていて、参考になります。上野宿は、上野藩主・分部光嘉(わけべみつよし)が城下町として整備した約2㎞の町並みです。元和5(1619)年に分部氏が、近江国大溝(現在の滋賀県高島市)へ転封になり、上野城は廃城となりますが、その後も伊勢街道の宿場として発展したといいます。家数300余軒、本陣・脇本陣・問屋・御七里(七里飛脚か?)があり、宿も27軒を超え、妓楼も7~8軒ありました。宿内の街道は防衛のためヶ所で屈折しており、道幅は9尺だったそうです。さらに、ここは、「秋田家住居址で、明治天皇御小休所(二回)」という案内板もありました。明治天皇の三重県行幸は、明治13(1880)年7月などに行われ、また、伊勢神宮参拝は、明治2(1869)年3月12日(新暦では4月23日)、明治5(1872)年、明治13(1880)年、明治38(1905)年の4回行われています。このいずれかの時、ここにあった秋田家でお休みになったということでしょう。

Img_2796c_20210829150701  公民館のすぐ先に上野神社の社号標。上野神社は、この先、坂を200mほど登ったところにあります。またその近くには、圓光禅寺もあります。圓光禅寺は、紅葉の名所。いずれも2019年2月2日の近鉄ハイキングで訪ねましたので(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ)、パス。この写真で奥に写っている最勝寺へ入ったことがありませんでしたので、そこへ。

Img_2806c_20210829150701 Img_2810c_20210829150701  金光山最勝寺。真宗高田派のお寺。明応4(1493)年の創建とされます。境内には、伊勢上野城にあった地蔵を延命地蔵として安置しています(と書きつつ、見ては来たものの、写真は撮り忘れ)。ここは近鉄電車からもよく見えます。ということはお寺からの眺めは良好のはず。それが右の写真。伊勢湾までよく見えました。

Img_2832c_20210829150801 Img_2839c  最勝寺から伊勢街道に戻り、スタートから1.5㎞ほどのところに、虫籠窓と連子格子、土蔵のある旧家。この他、旧上野宿あたりの伊勢街道沿いには、古い家がたくさん残っていて、情緒があります。

Img_2863c_20210829150801 Img_2849c_20210829150801  弘法井戸。上野神社社号標から300mほどのところ、東側に弘法井戸。石造の弘法大師を祭る御堂の前に井戸家形があり、中は深さ2mほどの貯水槽になっていて、清水を湛えています。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しかでないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。付近の家々で井戸講を組織し、清掃管理や法要を営んでいます。伊勢街道が出来て、多くの人が通るようになり井戸の水が旅人に利用されるようになり、この大師堂も出来たものと思われます。伊勢街道を旅する人々も立ち寄り、この水で疲れを癒やしたといいます。昭和35(1960)年、町営上水道が開設されるまでは生活用水として重要な役割を果たしてきたそうです。

Img_2866c_20210829150801 Img_2872c  弘法井戸のすぐ先に、枡形と「道路改修記念碑」があります。伊勢上野城跡へ上る細い道の手前。この伊勢街道・上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。

Img_2879c  伊勢上野城跡への登り口。民家の前の細い道を上っていきます。標高40mほどのところに伊勢上野城跡があり、今は、本城山青少年公園となっています。伊勢上野城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したもの。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包は豊臣秀吉によって改易されますが、光嘉は豊臣家の直参となり、伊勢上野城1万石を領し、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりました。元和5(1619)年、光嘉の養嗣子・光信は近江国大溝藩(現在の高島市周辺)へ移封となったため、廃城となりました。その後、津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。ちなみに、浅井長政お市の夫、三姉妹(茶々、初、江)の父;天文14(1545)~天正元(1573)年)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだのが、この伊勢上野城とされていますが、近年の研究では、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。私は、これまでに2回登っています(たとえば、2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。この日は、暑さもあってパス。

Img_2886c_20210829150801  スタートから2㎞の手前に「道路元標跡」。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、現物は損傷が激しいので、河芸中央公民館に保管されています。本体は木製の四角柱、頂上部は銅板製だそうです(こちらにその写真があります)。

Img_2956c_20210829150801 Img_2926c_20210828200101  続いて、輝雲山光勝禅寺臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は、文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、7代の寂現和尚により光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。

Img_2973c_20210829150901  津市立朝陽中学校の前までやって来ました。ほぼ3㎞地点。ここにはかつて旧・河芸町役場がありました。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年、津市と合併)。役場の庁舎は平成12(2000)年に移転し、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。朝陽中学校の前で国道23号線を地下道でくぐります。

Img_2985c Img_2993c_20210829150901  高山地蔵尊。ここは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。伊勢上野城は、元亀元(1570)年、織田信包が津城(安濃津城)の仮城として分部光嘉に築城させた城です。右は、その先にある地蔵堂。こちらの由緒は不明。近鉄ハイキングの伊勢詣りのときは、資料によって説明が違って、混乱しましたが、今回の写真、説明が正しいと思われます(2019年9月 6日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈)。

Img_3007c_20210829150901 Img_3019c_20210829150901  4㎞地点の手前で、11時頃。松林寺と中瀬八幡神社とが隣り合ってあります。まずは、玉光山松林寺。天台真盛宗のお寺。詳細については、不明。中瀬八幡神社は、中瀬金城の守護神。明治41(1908)年、上野神社に合祀されたものの、昭和26(1951)年に分祀されました。中瀬八幡神社で休憩したのですが、草ぼうぼうでヤブ蚊がたくさん。蚊に刺されながら、30分弱の休憩(苦笑)。

Img_3030c Img_3039c_20210829164101  国道23号線中瀬交差点で、東に立ち寄り。あの痔神社です。私自身は、2度ほど訪ねています(たとえば、2019年9月 6日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈)。起源、由来については不明。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。

Img_3065c_20210829150901  国道23号線に戻り、1㎞ほど国道を歩きます。日陰もないので、暑いこと。さらに、歩道は車道とは分離されているとはいえ、近くを車がビュンビュン走るのは、あまり気持ちの良いことではありません。栗真小川町に入って、伊勢街道は国道23号線から右(西)に逸れて行きます。

Img_3082c_20210829150901  スタートから約6㎞のところに栗真山善行寺。真宗高田派。境内に道標があり、「是より尓しい志てん道」と刻まれていると「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、「みえの歴史街道」のみえの歴史街道」の「伊勢街道のマップにもあったのですが、見つけられず。

Img_3109c_20210829151001 Img_3119c_20210829151001  善行寺のすぐ南に権現山観音寺。宗派や、詳細については不明。熊野勧進十界曼荼羅図(津市文化財)が一幅収められています。馬頭観音の石碑、彰功碑、地蔵堂があります。寺の南に「太神宮」と刻まれた常夜燈があるのですが、火袋が失われています。伊勢街道沿いに合ったのかも知れません。

Img_3137c_20210829151001 Img_3150c_20210829151001  逆川(さかがわ)神社。主祭神は、伊邪那美命。後一条天皇の頃(11世紀前半)の創建と伝わっています。この神社は、しもやけの宮として知られ、境内にある弁天池や逆川の水を、土用の丑の日にくみ取り手足につけるとひびやしもやけ、下の病に効くといわれ、昭和の初期ごろまでは、はるばる東京・大阪・京都からもこの水を取りに来る人がいたといいます。社殿の裏手には弁天池があります。かつては立派な松林があったそうです。

Img_3160c_20210829151001 Img_3180c_20210829151001  こちらが、社殿の背後にある弁天池。今はきれいではありません。珍しい名称の神社ですが、その由来は、この神社の南側に逆川が流れていることから。この川は東から西へ流れているので、逆川と名付けられました。このあたり、ほとんどの川は、西から東へ流れ、伊勢湾に注ぐのですが、流れが逆向きということです。写真は、神社の南で撮ったもの。ただし、以前に来たときと同様、水がよどんでいて、流れてはおらず、西に流れているのかどうかは確認できませんでした。これで、この日の立ち寄り先はコンプリート。

Img_3187c_20210829151001  逆川神社の南あたりの伊勢街道。津の地酒である「寒紅梅酒造」の看板があって気になりますが、酒蔵巡りではありませ(苦笑)。安政元(1854)年創業で、現在で7代続いているそうです。「寒紅梅」というお酒は、飲んだことがありません。酒屋さんで見つけたら試してみましょう。

Img_3199c_20210829151001 1630122847678c  ゴールの前に、昼食。国道23号線栗真中山町交差点近くにあった餃子の王将三重大前店へ。スタートからは7.8㎞、12時40分頃。この日は、ことのほか暑かったので、「餃子でビールを1杯やったら堪らないだろなぁ」といいつつ、餃子と焼きそばに留めました(苦笑)。¥682。もっと若かったら、ビールを飲んだと思いますが、前期高齢者がこの状況で飲んだら、しばらく動かなくなりそうです。13時15分頃昼食を済ませ、近鉄高田本山駅へ。

Img_3208c_20210829151001  駅の手前で志登茂川を渡ります。この下流で、非常勤先の近くを流れています。また、江戸橋もかかっています。その江戸橋は、伊勢街道。次回、江戸橋を渡ります。

Img_3228c Img_3238c_20210828200001  ゴールの高田本山駅には、13時25分頃到着。駅の手前の踏切で、ちょうど「ひのとり」が通過。何度見てもカッコイイ電車です。ちなみに、真宗高田派本山の専修寺は、ここから西へ1.4㎞ほど。13時34分発四日市行き普通に乗車。白子駅に13時49分に到着。13時51分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には、14時22分着。¥700。

Img_3278c_20210828200101  この日現地で歩いたのは、8.4㎞。歩数は、19,331歩。これには、自宅から桑名駅往復の2.2㎞も含みますので、この日のトータルの歩行距離は、10.6㎞。さすがに疲れ、帰宅後は、午睡(というか、爆睡していました)。予告編なのに、かなりの長編になってしまいました。本編は、また明日以降、ボチボチと。

枝豆が発芽しました……九華公園にはコゲラとシジュウカラが登場

Img_2703c  正午に36.0℃になっています。相変わらずの猛暑。昨晩は、熟睡。お蔭で昨日の疲れも残っておらず、いつも通り、7時25分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と、今日は5.2㎞。10時帰宅。微妙な距離です。8,000歩暗い歩けば良いかと思ったがため(笑)。

Img_3635c  今日のビッグニュースは、こちら。8月24日に種まきをした「枝豆栽培キット」(2021年8月24日:天気はまだスッキリせず……枝豆栽培キットに挑戦(微笑))。散歩から帰ったら、娘が「注意喚起」してくれました。「1~3週間で発芽する、3週間で発芽しなければ、リベンジ」と説明書にありましたが、5日ほどで無事に発芽したという次第(微笑)。娘経由で、これをくれた娘の友達にも報告。喜んでもらえました。

Img_3315c_20210829125201  さて、散歩の話題。暑いせいか、日曜のせいか、新型コロナの感染者数が増えているせいか、散歩する人はほとんどありません。北西の風がずっと吹いていますので、暑くてたまらないとか、汗だくになるということはありません。

Img_3335c_20210829125201  柿安コミュニティパークで、ハクセキレイ1羽をみたのち、スズメ。今年巣立った若鳥ですが、実は、親から餌をもらった直後。もう自立していてもよいはずですが……。ハクセキレイは逃げられ、写真はなし。

Img_3373c_20210829125201  九華公園。今日もアオサギさんが1羽。いつもの場所。このあと、公園内を半周して戻ったら、もういなくなっていました。先日も同様でした。暑さのせいでしょうか。ゴイサギは、まだ来ていません。

Img_3405c Img_3391c_20210829125301  奥平屋敷跡。左の写真は、南東エリアにあるステージの上から撮ったもの。たぶんこのアングルの写真は初めて載せます。九華すずめ食堂の餌はなくなっていました。Oさん、昨日はいらっしゃらなかったといいます。スズメが食べたのか、ハトに食べられたのかは不明。

Img_3432c_20210829125201 Img_3438c_20210829125201  スズメは来ているものの、すずめ食堂には寄ってきません。奥平屋敷跡の東側あたりで餌を拾ったり、砂浴びをしたり。カワラヒワは、今日も数羽が来ていましたが、写真を撮りやすいところには来てくれず。逆光の位置にばかりいました。

Img_3445c_20210829130901  朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。Oさんが餌を置いて行かれたあとの写真ですが、今日は、スズメもドバトもこの時点では来ておらず。

Img_3519c_20210829125301 Img_3467c_20210829125301  今日も鳥はいないのかと思って歩いていたら、辰巳櫓の近くの柳の木にコゲラとシジュウカラ。朝日丸跡にいたときも両者の鳴き声が聞こえていました。コゲラ、シジュウカラとも先日、鳴き声を聞いていますが、姿をきちんと見たのはずいぶん久しぶり。シジュウカラは、証拠写真ながら、取り敢えずは見ただけでそれなりに満足。

Img_3448c_20210829125301  今日の散歩友達は、Wさんと前管理人のOさん。現管理人のNさんにも会いましたが、他には歩く人は数えるくらいで、そのほとんどは毎日歩いている方たち。公園内、奥平屋敷跡は、堀を越える風が吹いてきて、木陰にいると涼しいくらいです。ずっといても良いと思えます(微笑)。このあと、貝塚公園でもカワラヒワを目撃し、シジュウカラとコゲラの鳴き声を確認しましたが、写真は撮れず。しかし、そろそろ鳥たちが、散歩コースにも戻って来つつあるようで、嬉しい限り。

Img_3574c_20210829125201 Img_3604c_20210829125201  寺町では、今日も御坊さんに立ち寄って来ました。暑いのと、お盆が終わってまだ日が経っていませんので、お参りする人は少ない。住吉入江の南あたりで、ハクセキレイが飛んで来たのですが、私に出くわして驚いて、逃げていってしまいました。入り江では、ボラの子と思いますが、何匹も飛び跳ねていました。載せられる写真は撮れませんでしたが、水面からジャンプして、背中から着水している様子が映っていました。寄生虫を取り除くために跳ねるという話ですが、本当でしょうか?

Img_3607c_20210829125201 Img_3564c_20210829125201  相変わらずの猛暑ですから、午後はおとなしくしているつもり。ご相談の方の報告のとりまとめもしなければなりませんし、非常勤の後期の授業の準備が滞っています。まだ1ヶ月ありますが、ボンヤリしていると「光陰矢のごとし」ですぐにその日がやって来ますから(苦笑)。火曜くらいまではまだ猛暑のようです。どちら様にもご自愛のほどお祈り申し上げます。

2021年8月28日 (土)

20210828伊勢詣りツアー第8回「千里~高田本山」……行ってきたというアリバイ記事(微苦笑)

Chisato0 Img_3278c_20210828200101  緊急事態宣言が出ておりますが、今日も感染予防策を厳重にとった上で、伊勢詣りツアーの第8回に行ってきました。今日は、近鉄名古屋線千里駅から同じく高田本山駅まで。桑名のアメダスでは、最高気温は36.5℃。こんな炎天下、旧街道歩きをするなど、物好きも良いところ(苦笑)。さすがに疲れ、帰宅後は、まずは午睡というか、爆睡というか。写真や歩いたルートの整理などが終わらず。取り敢えず、「行ってきました」報告。予告編は、また明日にでも書きます。冒頭の画像は、歩くに当たって用意したコースマップの全体像。マップ上は、6.9㎞でしたが、実際に歩いたのは、8.4㎞ほど。歩数は、19,331歩。これには、自宅から桑名駅往復の2.2㎞も含みますので、今日のトータルの歩行距離は、10.6㎞。

Img_2737c_20210828200001  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時12分に到着し、9時14分発の津新町行き普通に乗り換え。千里駅には9時21分に到着。¥570。9時半にスタート。今日のルートは、ほぼ国道23号線にそっています。田中地蔵堂、最勝寺、弘法井戸、光勝寺、高山地蔵尊、松林寺、中瀬八幡社、痔神社、善行寺、観音寺、逆川神社などを回って来ました。電車はガラガラ。伊勢街道を歩いている酔狂な人は、我々だけ。

Img_2852c_20210828200801  いくつか、簡単に立ち寄り先を紹介しておきます。これは、津市河芸町上野にある弘法井戸。石造の弘法大師を祭る御堂の前に井戸家形があり、中は深さ2mほどの貯水槽になっていて、清水を湛えています。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しかでないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのですが、弘法大師の時代、まだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。

Img_2926c_20210828200101  光勝禅寺。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝(29歳で亡くなったといいます)の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。

Img_3030c Img_3035c_20210828200901  痔神社。2度ほど訪ねています。起源、由来については様々な言い伝えがあり、真実は不明。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、八幡神社であろうと思います。直線距離にして、北東へ700m足らず。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。

Img_3199c_20210828200101 1630122847678c  今日は、ゴール前に昼食。国道23号線栗真中山町交差点近くにあった餃子の王将三重大前店へ。めちゃめちゃ暑かったので、「餃子でビールを1杯やったら堪らないだろなぁ」といいつつ、餃子と焼きそばに留めました(苦笑)。もっと若かったら、ビールを飲んでも大丈夫なのでしょうが、もはやロートル。この状況で飲んだら、しばらく動かなくなりそうですから。

Img_3228c Img_3238c_20210828200001  ゴールの高田本山駅には、13時25分頃到着。駅の手前の踏切で、ちょうど「ひのとり」が通過。何度見てもカッコイイ電車です。ちなみに、真宗高田派本山の専修寺は、ここから西へ1.4㎞ほど。13時34分発四日市行き普通に乗車。白子駅に13時49分に到着。13時51分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には、14時22分着。¥700。

Img_2707c_20210828202601  きちんとした予告編は、冒頭にも書きましたように、また明日にでも。本編は、来週。“coming soon”ということで。

2021年8月27日 (金)

猛暑日、アオサギにカワラヒワ

Img_2686c_20210827172201  36.9℃でした。散歩に出たのは、いつも通り、7時半でしたが、たぶんこの頃、すでに30℃近い気温だったと思います。ただ、今日はずっと、北西からの風が3~5m/sほど吹いていて、多少は楽でした。例によって、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、寺町商店街と5.5㎞。暑さは厳しかったものの、よく晴れて、風もあって、それなりに気持ちのよい散歩でした。

Img_2363c_20210827172701 Img_2333c_20210827172301  猛暑予報で、熱中症警戒アラートも出ていましたので、散歩する人は多くはありません。住吉入江近くで、トンボ。赤とんぼ(アキアカネ)ももうたくさん飛んでいますし、草むらからは秋の虫の声が聞こえてきます。九華公園近くまでは、鳥はほとんどいません。揖斐長良川の中洲にもサギの姿は見えず。

Img_2368c  九華公園では、今日もアオサギさん。去年の今頃は、コサギが来たり、ゴイサギが戻って来たりしたのですが、今のところ、このアオサギのみ。カワセミを一瞬見たものの、どこへ行ったかは見失ってしまいました。残念。最近、ときどき見るだけで、写真には撮れていません。

Img_2460c_20210827172201 Img_2533c_20210827172201  奥平屋敷跡では、今日はムクドリがたくさん。20羽以上いたと思います。他には、今日も、カワラヒワが出て来ていました。若い個体がほとんどでした。ただ、あまり鳴き声が聞こえず、とくに樹上にいると、探すのに苦労します。しかし、今日は、右の写真のように、目の前数メートルのところにも来たりと、サービスもあり(微笑)。

Img_2485c_20210827172201  スズメはあまり来ません。散歩コース全体でスズメは少ないのです。田んぼで稲が実っていますから、そういうところへ行っているのかも知れません。左の写真では、カワラヒワの向こうで、スズメが砂浴びをしています。

Img_2423c_20210827172301 Img_2623c_20210827173401  九華すずめ食堂。奥平屋敷跡に行ったときには、昨日とほとんど変わらず。餌が残っていました。ここに小1時間いたのですが、1時間ほど経った頃、やっとスズメが4~5羽寄って来たものの、餌の食べ具合はあまりよくありません。餌台の中には入らず、入り口で少しつついているスズメがいたくらい。ひょっとして、ヘビでも来たりしたのかという気がします。

Img_2656c_20210827172201 Img_2663c_20210827172201  朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。餌はなくなっていました。それによく見たら、ハト防止のために横に渡した桜の枝が1本、なくなっていました。ハトが除けたかどうかは分かりません(たぶんそれはないだろうと思います)。餌はないのに、ドバトはやって来ていました。

Img_2674c_20210827172201  このあと、冒頭に書いたようなコースを歩いてきたのですが、今これを書きながら、今日は花の写真を撮ってないなと気づきました(苦笑)。暑さでボケているのかも知れません。散歩友達は、Yさんと、昨日のワンちゃん他1名。帰りは、日差しを避けるのに寺町商店街の中を通過。三八市をしていて混雑しているときは通りません。

Img_2340c_20210827175801  去年の今日は、九華公園にサギ3羽、カワセミも登場という日でした(2020年8月27日:九華公園で「三猿」ならぬ「三サギ」……カワセミには2度も遭遇するも写真は撮れず仕舞い【付記あります(8/27)】)。それに、非常勤先の後期の授業も、遠隔が決定したと連絡があったのもこの日。今年の後期はどうなるのでしょう? 非常勤先は、9月に入ってから例の「職域接種」が行われます。ワクチンが打てていなければ、非常勤講師やその家族も対象にしてもらえます。まとまりませんが、去年の今頃は、頼まれて「桑名城惣構え」の調べをしていました。資料をチェックして、暑い中、実地調査に歩いていましたっけ。

2021年8月26日 (木)

アオサギとカワラヒワ……残暑が戻って参ります

Img_2027c_20210826154701  最高気温は34.0℃になりました。名古屋や岐阜では、36℃になるという予報でした。朝のうちは雲が多かったのですが、8時半くらいからよく晴れて、暑くなり、参りました(苦笑)。散歩は、いつも通り、7時半スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築町、寿町で所用を済ませ、八間通、住吉入江と、今日は6.2㎞。九華公園の堀の中にある二の丸跡、奥平屋敷跡では涼しい風が吹いてくることもあってよいのですが、町中は蒸し暑い。寄る年波のせいか、気候の変化に体がついて行きにくい気がします。午後から、しばし爆睡していました(苦笑)。モチベーションも低下しています。

Img_2045c_20210826154701 天気がよいのはありがたいのですが、再びの残暑というか、猛暑というか、何度も書いてしまいますが、参ります。歩く人も少ない。こちらは、いつもの住吉神社前の様子。雨が終わったら、鳥も出てくるかと思ったのですが、我が家からこの住吉神社前のあたりまでは、ほとんど何もいません。

Img_2068c_20210826154601  柿安コミュニティパークのところまで来たら、カワラヒワが1羽。電線の上に。若い個体のようでした。そういえば、ここまでクマゼミの鳴き声はほとんど聞きませんでした。ところどころで、ツクツクボウシが鳴いていただけ。散歩コースの木々、先日までは近くを通ると、セミが逃げ惑っていましたが、今日はほとんどいません。

Img_2275c_20210826154601  九華公園では、久しぶりにアオサギさん。最近の定位置は、北門を入った堀の南東の隅、高い木の上。以前よくいた鎮国守国神社の社務所裏には、行かなくなりました。ゴイサギは、サッパリ。

Img_2106c_20210826154601 Img_1906c_20210825172701  奥平屋敷跡の九華すずめ食堂。ここ3日ほどは、開店休業状態。スズメが寄って来ません。というよりも、スズメたちが、非常に少ないのです。左は、今日の写真、右は、昨日の写真の再掲。餌がそのまま残っていると思えます。

Img_2200c_20210826154601 Img_2228c  鳥は少なかったのですが、奥平屋敷跡ではカワラヒワが、延べ10羽以上。これは良い兆しです(微笑)。過剰な期待を抱くのは禁物ですが、そのうち他の鳥たちも戻ってくるかな、くらいに思っておくことにします。

Img_2145c  スズメはいたものの、数は少ない。この他は、ヒヨドリ、ハシボソガラス、ムクドリがそれぞれ少数。散歩友達は、Wさん、Yさん、Oさんを初め、6組7人と1匹(笑)。1匹というのは、ワンちゃん。最近、仲良くなったのです。私の姿を見ると、しっぽを振って寄って来てくれます。このようにときどき、「ワンちゃんの散歩友達」ができます。

Img_2235c_20210826154601 Img_2243c_20210826154601  朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。Oさんが、ハトが入らないようにと横に桜の枝を2本通したのですが、あまり効果はなかったようです。奥には入り込めないと思いますが、このように入り口あたりから食べるのは防げないようです。

Img_2300c_20210826154601 Img_2304c_20210826154601  このあとは、初めに書きましたが、寿町で用事を済ませ、八間通へ。途中、精義小学校の隣にある旧精義幼稚園&精義公園で一休み。「旧」と書いたのは、市立幼稚園は統廃合されて、中学校区に1箇所になってしまい、ここは廃園。園舎を老人会が、ときどき行事その他で使っているくらい。建物、園庭はきれいに維持されています。

Dsc_6219c Dsc_6218c  ところで、アサガオ、今朝は1輪(スマホ写真)。明日、咲きそうなつぼみはありません。まぁ、ボチボチ。右は、今朝5時頃の朝焼け。朝5時頃、朝刊を取りに降りていくのですが、その時に撮ったもの。今日の四日市港での日の出は5時21分、日の入りは18時28分。夏至の頃に比べれば、早くなったなと思いますが、すでに2ヶ月も経っています。それに8月も、もう末です。やる気スイッチを探して、入れ直さないと(微苦笑)。

 何となくモヤモヤしているので、余計なひと言(苦笑)。どうぞスルーなさってください。管首相の記者会見については、「メッセージが伝わらない」との指摘が絶えません。昨日(2021年8月25日)の記者会見でも、「明かりははっきりと見え始めている」と発言したそうですが、これについても批判、疑問が続出しているとか。私もニュースでこのことばを聞いたときには、耳を疑いました。政治家の記者会見というのは、国民とのコミュニケーションの場でしょう。コミュニケーションの目的は、情報をきちんと共有することです。情報のやりとりは、目的ではなく、手段です。情報をきちんと共有しないことには、共通した目的に向かって進んだり、課題を解決したりするなど、その先に進むことはできません。以前にも書いたことがあると思いますが、自分のモヤモヤ解消のために再度。ぼやきですねぇ(爆)。

2021年8月25日 (水)

20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その2)……楳荘翁碑、村社八幡神社、幕板のある旧家、甕釜冠地蔵、本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅へゴールにて「完」

Shiroko12  8月22日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」の本編その2です。その1では、子安観音寺から、その近くの道標2つを見たところまで来ました。左は、詳細マップその2。道標2つの先で、われわれが歩いてきた古い伊勢街道は、新しい伊勢街道に合流します。そこからちょっと戻ったところに楳荘翁碑。堀切川にかかる逢来橋のところに道標1基があります。その先、国道23号線を地下道で渡り、磯山に入ります。磯山までは鈴鹿市。しばらく立ち寄るところはなく、ひたすら歩いて、5㎞を過ぎたところに村社八幡神社。その先に「幕板」のある旧家。

Img_1253c_20210822173001 Img_1259c_20210825062901  上記のように、伊勢街道の新旧ルートが合流するあたりに、楳荘翁碑。「楳荘翁」とは、儒者・別府梅荘翁の碑です。別府梅荘は、文政10(1827)年、河芸郡上野村(現在の津市河芸町上野)に生まれました。ここ寺家(じけ:鈴鹿市寺家)の住人で若い頃から絵をよくし、生け花や煎茶にも優れたそうです。明治28(1895)年、京都で没。門人らが明治29(1896)年12月、この碑を建てています。碑の撰は、富岡鉄斎の筆によります。その先で堀切川にかかる逢来橋。伊勢街道はこの橋の手前で左折し、西に向かいますが、そこに道標が1基。西面に「右いせみち」と刻まれているものの、他には何もありません。道標についての詳細は不明。右の写真で道標の手前にあるのは、「鼓ヶ浦」と刻まれた石碑。このあたりの東(鈴鹿市伝統産業会館の南あたり)は、鼓ヶ浦海岸で、海水浴場などもあるところ。

Img_1276c_20210825063301 Img_1272c_20210825063301  近鉄名古屋線の踏切を渡り、すぐに国道23号線に行き当たります。国道は、地下道をくぐって越えます。ここから鈴鹿市磯山。国道23号線の西側を進みますが、しばらく立ち寄るところはありません。

Img_1306c_20210822173001  スタートから5㎞を過ぎて、右手に村社八幡神社。主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)、金山毘古尊(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、素戔之男命(すさのおのみこと)、菅原道真大山祇之命(おおやまつみのみこと;山の神)。当社の創祀は不詳ですが、社伝によれば正安元(1299)年に社が創建されたとされているそうです。

Img_1296c_20210822173001 Img_1292c_20210825064001  太田忠左衛門という人の先祖が、御神体を字六人彫りの堀切川下流から背おって来て、安置したと伝わります。その時、獅子(狛犬と思います)も一緒だったそうですが、忠左衛門の枕元に現れ「別保へ連れてって」というので、隣村の神社へ連れていったためこの神社には獅子がいないといいます。確かに狛犬というか、獅子はありませんでした(上左の鳥居の写真、左の写真をご覧ください)。境内にある木、2本の根元には、右の写真のように赤い、小さな鳥居が置かれていましたが、これについては不明ですが、ご神木を意味しているのかも知れません。神社のすぐ先に、真宗高田派の専照寺があったのですが、ガイドブックにも、ネットにも特に情報がなく、パス。

Img_1320c_20210822173001  少し歩いたところに「幕板のある旧家」。「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」に載っていたのですが、Googleのストリートビューで調べてもよく分からず。現地で見たところ、たぶんこのお宅。「幕板」は、軒先の庇の下にさらに庇を追加した建築様式で、板暖簾、大垂(おおだれ)ともいわれます。これは、雨除け、日除けの役割を果たすもの。

Shiroko13  詳細マップは、その3になります。幕板のある旧家の先で再び、国道23号線を越えます。今度は、東向。中ノ川橋を渡り、津市河芸町に入ります。この「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」も、桑名、朝日、四日市、鈴鹿と来て、5つ目の市町。地元を離れ、だんだん旅気分も増してきます。東千里で、甕釜冠地蔵、本福寺、尾前神社石碑、丹羽君碑を見て、今日の立ち寄り先はコンプリート。近鉄千里駅にゴールします。

Img_1336c_20210825065801 Img_1343c_20210825065801  左の写真は、国道23号線をくぐる手前。ここはまだ鈴鹿市磯山。くぐって、しばらく国道23号線を歩きます。右の写真は、東千里交差点。この先で、伊勢街道は国道からそれ、東に入って行きます。

Img_1349c Img_1354c_20210825065801  国道からそれて、近鉄名古屋線の踏切を越えます。すぐに小川を渡るのですが、その端の名前が「瓶冠橋」とちょっと変わったもの。この橋を越えたところで、道路は追分になっています。伊勢街道は右手の道を行くのですが、左手の道は、巡礼道は、下街道あるいは浜街道とも呼ばれ、伊勢古街道です。

Img_1360c_20210822173101 Img_1365c_20210822173101  伊勢街道を進んですぐ右手に、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵。変わった名前の地蔵堂ですが、先ほどの橋は、この地蔵堂に因んで命名されたもの。ここは、近鉄ハイキングに来たときにもとても印象深かったところ。この堂はもと光明院といって伊勢参宮の旅人の休憩所で、旅の無事安穏を祈願した場所でした。宝形造りの仏堂の屋根の上には、露盤と宝珠を置くのが普通ですが、この堂は炊事用の釜と水甕が伏せてあり、これが堂の名前の由来となっています。なぜこのような変わった建築をしたのか理由について諸説があり、確かなことはわかりません。個人的には、旅人にお茶を提供した時に使った甕や釜に由来するのかと思えます。

Img_1383c_20210822173101 Img_1386c_20210822173101  伊勢街道と巡礼道との間に、いくつかのお寺と神社とがありますが、この日は蒸し暑くて、疲れ気味でしたので、ほとんどパスしてしまい、真宗大谷派の八葉山本福寺だけ立ち寄って来ました。というのも、ここには、「親鸞上人御𦾔跡」という石碑があるのです。碑陰には、「文化○○」とあるのですが、読めませんでした。文化年間(1804~1817年)に建てられたということかと思います。ネットでは情報は得られませんでした。ここ本福寺は、親鸞の弟子だった西念房が創建したといいます。西念房(井上三郎貞親)は、6歳の時、父(信州高井郡井上城主・井上五郎盛長)が討死し、一門の多くが出家しました。貞親は越後で親鸞聖人の教えを受け、西念房という法名を授かり、その後、親鸞聖人に従って関東に入り、生涯聖人を思いながら念仏をひろめたといいます(こちらを参照しました)。

Img_1390c_20210825071901  尾前(おざき)神社石碑。尾前神社は、この碑から東に200mほど入ったところにあります。4年に1度を舞い年と決めた「獅子舞神楽」が有名だそうです。これは東千里の氏子の中から選ばれた20数人が、1月1日から3日まで家内安全・五穀豊穣の門舞いを行うもの。保存会の手によって800年の伝統が受け継がれています(こちら)。

Img_1406c_20210822173101  この日最後の立ち寄り先、7㎞ほどのところに「丹羽君碑」。この辺りには、江戸時代に紀州藩白子の大庄屋だった丹羽家があり、円応寺組十五か村の大庄屋を務め、また、兄弟で廻船問屋を営み、五十人同心として港を差配していたといいます。この碑は丹羽家何代目かの主を顕彰したもののようですが、碑文も風化して読めず、不明です。

Img_1436c_20210822173101  13時10分、7.3㎞を歩いて、近鉄千里駅にゴール。伊勢街道は、このさき近鉄名古屋線と、国道23号線を越えて行きますが、それはまた次回。

Img_1433c_20210825071501 Dsc_6216c  この日の昼食は、事前リサーチで、駅近に飲み屋さんと、中華料理屋さんが、23号線沿いにあることが分かっていたのですが、結局、創作中華料理の昇龍へ。台湾料理がメインのようでした。暑かったので、今日も冷やし中華をチョイス。税込み¥858。ちょっと辛かったものの、美味しい。13時過ぎで空いていました。黙食。次の電車待ちで、食べてからは店のテレビで、高校野球観戦。

Img_1447c  千里駅からは14時15分発の名古屋行き普通に乗車。14時22分に白子駅に到着。14時28分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には15時2分着。蒸し暑くて、疲れましたが、雨に降られることなく歩くことができてラッキーでした。というのも、帰宅後16時過ぎには大雨と雷。今日の歩数は、ご覧のように19,378歩。現地で7.3㎞、昇龍へ往復が0.6㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞、合計10.1㎞を歩きました。

2回目の梅雨明けか?

Img_2018c_20210825172701  「2回目の梅雨明け」のような感じです。午前中は雲が多かったのですが、午後からはよく晴れてきたのです。明日からはよく晴れて、猛暑という予報。まったく敵いません。8月12日からほぼ2週間、ずっと梅雨のような天候が続いたうえで、再び猛暑とは……。参ります。体調管理に気をつけなくてはなりません。

Img_1937c_20210825172701 Img_1885c_20210825172801  さて、今日は、定例散髪日。自分のパターンに固執しているわけではありませんが、偶数月の最終水曜日の午前中に散髪に行くことにしているのです。こうしておけば、「いつ散髪に行こう?」と考える必要がありません。ということで、朝8時半から、例によって、S理容院さんで散髪。9時半に終わって散歩開始。九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、寺町と5.2㎞。11時過ぎに帰宅。9時半からでは、野鳥はいません。ただでさえ少ない時期ですから。ただし、今日は、九華公園でシジュウカラ1羽が鳴いているのを発見。証拠写真ですが(爆)。スズメ、ドバト、ムクドリも少ない。ヒヨドリの鳴き声は少しだけ聞こえていました。アオサギも、ゴイサギも来ず。

Img_1906c_20210825172701 Img_1921c_20210825172701  奥平屋敷跡。いつもより1時間以上遅いので、いつもの散歩友達はいません。九華すずめ食堂は、餌がそのまま。たぶんOさんは今日も来て、餌を置いて行かれたと思いますが、雨などで期間が空いたので、スズメがよってくるにはもう少し時間がかかるかも知れません。朝日丸跡の支店の方は、今日また、「ハト食堂」になりそうでした。ちなみに、時間がずれたお蔭で、最近会っていなかった、別の散歩友達2組3名の方と会えました。

Img_1972c_20210825172701 Img_1976c_20210825172701  九華公園、とくに変わったことはありません。クマゼミはほとんどいなくなりました。アブラゼミはそれなりに鳴いています。セミの鳴き声で目立つのは、ツクツクボウシ。夏の終わりというイメージですが、明日からの猛暑でどうなりますか。

Img_1894c_20210825172801 Img_1929c_20210825172701  奥平屋敷跡(左の写真)と、鎮国守国神社の境内(右の写真)には、ハギが1本ずつあります。奥平屋敷跡の方は、お盆前からチラホラ咲いていましたが、鎮国守国神社の方は、ごく最近、咲き始めました。コロナだ、豪雨だ、オリパラだと世間はいろいろとありますが、自然はごく普通に、季節が進んでいます。ある意味、ちょっと安心したりします。先日書きましたように、柿の実も色づいてきていますし。

Img_2010c_20210825172701 Img_1987c_20210825172701  困ったときの話題は、ベランダ園芸(微苦笑)。まずは、アサガオ。しばらく花は咲いていませんでしたが、また明日くらいには咲くかというつぼみが出ています。細々と楽しめています。小さい鉢の方も、つぼみが出て来ています。

Img_2003c_20210825172701 Img_2007c_20210825172701  ベランダ園芸仲間でもっとも元気なのは、「金のなる木」。年金生活でお金はないのに、葉っぱはよく繁り、青々として、肉厚。緑色も濃いのです。万年青も一段と成長しています。ただし、花を期待したものの、咲く様子はありません。

Img_1957c_20210825172701  ところで、新型コロナの感染者数、三重県、今日は430件(こちら)。過去2番目の多さ。明後日からは、緊急事態宣言が適用されますし(こちら)、三重とこわか国体は中止決定。国体中止は、きわめて妥当な判断と思います。愛知県も、1,851件で過去最多。床屋政談で、「管さんは結局、自分が総理大臣を続けたいことしか考えていなくて、国民がどういう苦労をしているか、全く眼中になさそうだ。腹が立つ」というような話。緊急事態宣言も、日にちで区切るのは、まったく納得のいかない話。具体的な、数値的指標で判断するのが、常識。皮肉なことに、やはり「自助」が第一のようです。

 思いついたので、付記。上に「管さんは結局、自分が総理大臣を続けたいことしか考えていない」と書きましたが、総理大臣の地位にある人が、「公より私を優先している」というのが丸わかりなのです。歴代総理にもそういうことはあっただろうと思うのですが、「私を優先している」としても、それなりに皆を納得させるような説得力があれば、コロナその他にまた違った対応もあったでしょうに。

2021年8月24日 (火)

20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(その1)……近鉄白子駅をスタート、伊勢型紙資料館、龍源寺、高札場跡、久留真神社、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺から子安観音寺へ

210822shiroko0  8月22日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回です。今回は、本編その1。三重県も新型コロナの感染者数が急増してはいますが、この時期、旧街道歩きをしている人はめったにいません。電車も換気が行われていますし、昼食は時間がずれていて、店は空いており、しかも黙食。感染予防には十分注意した上で、この日は、鈴鹿の白子から津・河芸の千里まで、7.3㎞。コースは、左の画像の通り。近鉄白子駅から伊勢型紙資料館、龍源寺を経て、伊勢街道に出ます。高札場跡・旧河芸郡役所跡、久留真神社、唯信寺、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺、子安観音寺、道標2つ、楳荘翁碑、村社八幡神社、津市河芸町に入って、甕釜冠地蔵、八葉山本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅にゴール。千里駅の前が、今日の伊勢街道の終点。駅近くの創作中華料理・昇龍でランチ。桑名では最高気温30.9℃。雨には降られずに済みましたが、湿度が高く、蒸し暑く、けっこう疲れました。

Shiroko11  詳細なマップその1。Img_0948c_20210822172901 桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行で白子駅に9時12分に到着。¥500。駅の東口を9時20分にスタートします。日曜日でしたが、電車は空いていました。駅も閑散としています。

Img_0951c_20210822172901  伊勢街道に出るまでに、伊勢型紙資料館と龍源寺に立ち寄ります。写真は、伊勢型紙資料館。残念ながら、開館は10時で入れず。ここは、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった「寺尾斎兵衛家」の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館しています。寺尾家は江戸時代から、伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商をしていたそうです。寺尾家住宅は、型紙関係の商家として、また町家建築の代表例として、市史跡に指定されています。

Img_0963c_20210822172901 Img_0975c_20210822172901  伊勢型紙資料館の東100mほどのところに瑞雲山龍源寺臨済宗妙心寺派のお寺。ご本尊は、拈華釈迦如来像(ねんげしゃかにょらいぞう)。開創は平安時代と伝わっているものの、由緒は不詳。しかし、境内には平家ゆかりの「青葉の笛(平敦盛秘蔵の笛)」に関わる旧跡「青葉の竹林」が伝承されています。また、鎌倉時代の「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」なども所蔵しているそうですから、800年の歴史があると思われます。こちらに寺の由緒があります。

Img_0969c_20210824182201 Img_0979c_20210824185701  江戸中期には、臨済宗中興の祖・白隠禅師(はくいんぜんじ:貞享2(1686)~明和5(1769)年)と、その高弟・東嶺禅師(とうれいぜんじ)が滞在して禅を説いたといいます。枯山水のお庭もあります。

Img_0992c  龍源寺の先で伊勢街道に出ます。四日市方向に少しだけ戻って、白子東町公園にある旧河芸郡役所跡。明治になり県政が敷かれ、明治26(1893)年4月ここに河芸郡役所が置かれたそうです(大正12(1923)年まで)。

Img_0997c_20210822172901 Img_1001c_20210822172901  その東北に高札場跡があります。江戸時代、白子代官所が高札を掲示したところでした。高札場跡のあるところは、伊勢街道は枡形になっています。白子は、天領であったこともありますし、徳川御三家の一つ、紀州藩領であったこともあります。そのためか、あちこちに枡形が残っています。

Img_1011c_20210824190301  伊勢街道を下っていきます。旧河芸郡役所跡の先に「語らい館よこた」。町角博物館の1つ。ここも10時から開館でしたので、開いていません。明治18(1885)年に造られた町屋づくりの家を、間取りを変えずにリフォームし、天井が低い、レトロなミニギャラリーになっています。「横田材木店」という看板が出ています。

Img_1013c_20210824190301 Img_1016c_20210824190301  この語らい館よこたの前に古いものが置いてあります。その1つは、水車。水田に水を入れるのに使ったのかという気がします。この水車は、右の写真のように、「自転車サイドカー(正式名称が分かりません。運搬車というかも知れません)」に載せられています。この「自転車サイドカー」は、子どもの頃に見た記憶があります。リアカーとは違って、自転車の横に荷物を積むところがあるのです。

Img_1071c_20210824191201  語らい館よこたの先で、1㎞を過ぎ、伊勢街道は、白子漁港につながる小さい川を渡りますが、そこの道も枡形のようになっています。スタートから約1.3㎞で久留真神社。主祭神は、大己貴尊(オオアナムチノカミ)、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称だそうです。往昔は大已貴尊と須世理姫尊(スセリビメノミコト、大国主命の妻)の2柱の神さまを通称伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして福徳さんと称え奉ったそうです。

Img_1029c_20210822172901 元は福徳天皇社と称し、現在の白子小学校の東付近にあったのですが、寛永(1634)年、その地が白子代官所となったため現在地に移転しています。江戸期に和田の勝手明神との間に式内の本社を争う訴訟があり、文政4(1821)年に「福徳の宮久留真神社」と改称しました。淡路島に別宮(伊勢久留麻神社)がありますし、境内社が多数あり(稲荷社、護国神社、石上神社、四柱神社)、なかなか興味深い神社でした。

Img_1061c_20210824191701 Img_1065c_20210824191701  境内にあるご神木。現在は、三代目ですが、「福徳の松」と呼ばれています。上記のように現在地に移ったとき、紀州候の名により、二代目福徳の松を植樹賜ったといいます。右は、手水。「変わっているな、石造りか?」と思ったのですが、ご多分に漏れず、感染予防のため、普通の手水鉢に樹脂製の蓋を被せ、手前の3つの口から水が出るようにしてありました。ちょうど氏子総代の方がいらっしゃり、実演してもらえました。

Img_1075c_20210822173001 Img_1079c_20210824192501  久留真神社の先に山中山唯信寺。真宗高田派のお寺。ここは、ガイドマップや、みえの歴史街道にも情報は出て来ません。本堂はコンクリート造りで、鐘楼堂や、梵鐘も新しい。唯信寺のところも枡形。

Img_1089c_20210822173001  唯信寺の北に道標があります。「さんぐう道」「神戸(かんべ:鈴鹿市神戸(かんべ)四日市道」と刻まれ、指のかたちの矢印が描かれています。このあたりは曲がり角が多いため、参宮客などが迷わないようにということで、道標を和田さんという方が建てたのだそうです。何度も倒され、立て直しを繰り返した結果、現在は(昭和30年代以降)、高さ2mあまりとなったそうです(説明板による)。

Img_1101c_20210824193301 Img_1107c_20210824193301  その先、スタートから1.7㎞ほどのところに同心屋敷跡と、目付役所跡があります。同心屋敷は、伊勢街道をはさんで東西両側に5軒ずつ建っていたといいます。目付は、政事や家臣の非遺糾察(ひいきゅうさつ:非違は違法行為、糾察は吟味、尋問)、秩序維持を目的とする観察。代官以下庄屋に至るまでの人の素行、品行、身持ちを監視する役人。俸禄200~250石、2年ほどで交代しました。敷地の規模は5反(4,559平方メートル)ほど。役所の建物の他、馬部屋などもあったそうです。

Img_1114c_20210822173001 Img_1117c_20210822173001  釜屋川を渡って、鈴鹿市伝統産業会館へ立ち寄り。同級生K氏が、「伊勢型紙についてちゃんと知りたい」ということで、鈴鹿市伝統産業会館へ立ち寄りました。ここは、鈴鹿市が誇る「鈴鹿墨」と「伊勢形紙」の伝統工芸を紹介して、優れた技術を後世に伝えるために、昭和58(1983)年に開設。鈴鹿墨や、小紋・友禅などの図柄を着物の生地に染めるために用いる伊勢形紙の作品・製造道具などが展示紹介されています。ちょうど、伊勢型紙を彫る伝統技能士の方がデモンストレーションをしておられ、いろいろと伺うことができました。伊勢型紙のビデオを見たりして、30分ほど滞在。小休止しようと思ったら、目の前に「飲食禁止」の貼り紙(爆)。10時半から30分ほど滞在。

Img_1152c_20210822173001 Img_1141c  伊勢街道に戻ります。釜屋川の先で、伊勢街道は、新旧2つのルートに分かれます。直進するのが、新しい伊勢街道。この日は、子安観音寺へ立ち寄るため、右折して、古い伊勢街道を辿ります。西方寺に行く前に、以前通ったときには昭和湯という銭湯を営んでいたところがあったのですが(2019年5月27日:20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その1)……伊勢型紙資料館、大徳屋長久さんで早くも土産を買い、久留真神社、道標、目付役所跡、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺で山口誓子句碑を見て、子安観音寺へ)、建物はなくなっていました。西方寺は真宗高田派のお寺。

Img_1125c_20210824194801 Img_1129c_20210822173001  境内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります(右の写真)。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。ちなみに、誓子は肋膜炎の療養の為に昭和16(1941)年から28(1953)年まで、12年間、三重県の四日市市富田、天ヶ須賀海岸、そして鈴鹿市白子の鼓ヶ浦に居住していました。ここ鼓ヶ浦には、昭和23(1948)~28(1953)年の5年間いました。

Img_1163c_20210822173001  スタートから2.9㎞、11時15分、子安観音寺に到着。地元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。既に歩き始めて2時間近くなので、30分ほど小休止。

Img_1167c_20210824195801  「仁王門」は、三重県指定文化財(昭和47(1972)年に指定)。仁王門は、元禄16(1703)年に建立されたもので、正面両脇に鎌倉様式の金剛力士が配されています。江戸時代の楼門の典型とされる、堂々とした構えです。高さは12.37m、桁行は7.42m、本瓦葺の立派なものです。

Img_1193c Img_1205c_20210824195901  こちらが本堂。中央に写っているのは、マスコットキャラクターでしょうか。中に入ると、「子安」と大書された大きな提灯が頭上に下がっています正面の上には、「白子山 観音寺大聖院 ご本尊 白衣観音」などと描かれた額が掲げられていました。

Img_1190c_20210824200001  境内の中央にあるのが、三重県指定有形文化財の「銅燈籠」。寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作です。辻越後は、藤堂高虎の頃、近江から津の釜屋町に来た鋳物師。高田本山専修寺には、その三代目である辻越後守陳種が作った銅燈籠がありますし、初代・家種の作になる梵鐘が津観音にあります。

Img_1210c_20210824200101  境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されています(大正12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。この不断桜の葉の虫食い跡をみて伊勢型紙を思いついたというエピソードも残っています。子安観音は、2018年3月19日の記事に詳しくあります(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】)。句碑などについても言及しています。

Img_1224c_20210822173001 Img_1243c  子安観音寺からは古い伊勢街道を辿りますが、今は住宅街の中を通っています。ここで、道標2基。左のものは、弘化4(1847)年建立。「左くわんおん道」「右さんくう道」とあり、子安観音寺と伊勢街道とを示すもの。右は、民家の手前にある小さな道標。「左いせみち」と刻まれています。頂上部分と北面はすり減ったくぼみがありますが、これは伊勢型紙彫りに使う砥石をならした跡といわれているそうです。

 いつものことながら、長くなりました。その1はここまで。その2は、新しい伊勢街道と合流し、その近くにある楳荘翁碑から。

天気はまだスッキリせず……枝豆栽培キットに挑戦(微笑)

Img_1547c_20210824170801  最高気温は、30.4℃。午前中は曇っていましたが、午後になって晴れ間も出て来ました。しかし、まだスッキリとした天気にはなりません。日本海には前線が残っていますし、台風から変わった低気圧があるからと思われます。いつもより少し遅く、7時45分から散歩。25℃くらいでしたが、やや湿気がある感じ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、新築公園、常磐町、寺町商店街と5.7㎞。2時間ほどで帰宅。というのも鳥はおらず。散歩友達は少し。

Img_1553c_20210824170801  住吉神社の東、揖斐川上空をコサギが1羽。南からやって来て、東に向きを変え、揖斐長良川を渡って長島方面へ飛び去って行きました。九華公園に着くまで、この他にはハシボソガラス、スズメが少し。しばらく前までは、揖斐川の高水敷の草地にツバメが飛んで来ていましたが、それも見なくなりました。

Img_1654c_20210824170801 Img_1667c_20210824171501  九華公園。アオサギ、ゴイサギはいません。少し探したものの、カワセミもサッパリ。奥平屋敷跡ではスズメの他、カワラヒワが5羽くらい。鳴かず、飛ばずで見つけるのに苦労。天気もイマイチで、はっきりした写真にはなりません(苦笑)。散歩友達は、Wさん、Yさんと前管理人のOさん。九華すずめ食堂本店は、餌を置いて30分近く経っても、スズメは来ません。下にこぼれた餌は、2~3羽が拾いに来るものの、餌台には来ません。

Img_1680c_20210824170801 Img_1747c_20210824170801  九華すずめ食堂支店の方、今日はドバトはやってこず、本来の「すずめ食堂」に戻っていました。それなりに賑わっています。

Img_1677c_20210824170801 Img_1772c_20210824170801  天気が悪いせいか、また、新型コロナの感染者数が激増したせいか、散歩する人はわずか。セミも、クマゼミはかなり少なくなり、アブラゼミが少し。声が目立つのは、ツクツクボウシ。しかし、霊によって姿はなかなか見つけられません。

Img_1802c  九華公園の外周遊歩道の南にあるお宅の柿の木。色づき始めています。もっと色づいたものは、鳥がつついたらしく、半分くらい食べられて、遊歩道に落ちている実もありました。ヒヨドリが戻りつつありますから、ヒヨドリが犯人と思います。こんな風で、散歩友達少し、鳥はほとんどおらずという、今日の散歩。帰宅後は、読書や、依頼をいただいているご相談のお子さんの資料を眺め、あれこれと思案中。

Img_1824c Img_1830c_20210824170701  余談。娘の友達が、かなり前にくれたプレゼント。本来私にというものを家内が、ちょうだいといってしばし家内の所有物だったのですが、なかなか手を付けないのに娘が業を煮やし、本来の宛先である私のところに回って来たというか、戻って来たというか(微苦笑)。はせがわさとう商店の「おつまみ枝豆栽培」キット。ペットボトルで枝豆が栽培できるというものです。

Img_1842c_20210824170701 Img_1843c_20210824170701  ペットボトルに90%ほぼ水を入れ、専用のキャップを装着。キャップにはスポンジが装着されていて、水を吸い上げるようになっています。

Img_1852c_20210824170701 Img_1858c_20210824170701  このキャップのスポンジ部分に枝豆の種を1個置きます。付属の砂を被せ、そこに少し水をたらして、砂が濡れるようにします。これで準備は、ほぼ完了。写真を撮りながらやっていましたが、10分あまり(あっけない)。つくり方はここにあります。

Img_1865c_20210824170701  発芽までには、1~3週間ほど要するそうです。それまでは暗所に置くようにという指示がありましたので、部屋の隅に。3週間経っても発芽しない場合には、リベンジが必要だそうです。本葉が出たら、添付された肥料を与えるとか、水が減ったら追加するとか、1週間に1回は水を入れ替えるようにとか、世話が必要ですので、忘れないようにしないといけません。さて、うまく行くかどうか?

 

2021年8月23日 (月)

処暑だそうですが……

Img_1521c  今日は、二十四節気では処暑。厳しい暑さも峠を越す頃で、朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてくる時期。秋の虫の鳴き声は、散歩をしていても聞こえますが、朝夕に涼しい風というのはまだ。それに、今週後半からは、再び残暑だそうです。ただ、ちょっと季節が変わりかけてきたかなと思ったのは、ソメイヨシノの葉が色づいてきていることです。九華公園にて。青空は、木曜日以降とか。厳しい残暑はイヤですが、青空には早く戻ってもらいたいところ。

Img_1452c_20210823160801  さて、今日は朝7時台にかなり強い雨が、短時間降りました。そのため、散歩に出たのは8時15分頃。雨が降ったせいで蒸し暑いこと。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園と回り、久しぶりに、そこから内堀公園、京町、寺町商店街と5.1㎞。昨日の疲れはありませんが、蒸し暑かったので短め。2時間弱で帰宅。

Img_1504c_20210823160801 Img_1485c_20210823161201  今日もまた、鳥はいません。毎年、今の時期からはボチボチ、サギや、ハクセキレイなどごく普通の野鳥ではあるものの、出てくるのですが、今日はサッパリ。九華すずめ食堂本店、この写真を撮った後、Oさんがいらっしゃり、餌を置いたものの、スズメはなかなかやって来ません。食べ残しがありますが、スズメならこれほど残しませんので、ここも「ハト食堂」になっているような気がします。

Img_1509c  朝日丸跡にある「九華すずめ食堂」支店の方は、今日も、「ハト食堂」化していました。ハトは、写真のようにやって来て、頭を餌台に突っ込んで餌を食べていきます。Oさんと相談していたのですが、今のところ、写真で手前側の入り口に横棒を通してハトが頭を突っ込めないようにするとよいかという話になっています。貝塚公園、内堀公園とも鳥影はなし。ツクツクボウシ、アブラゼミ、クマゼミが鳴いているだけ。

Img_1536c_20210823160801  帰りがけ、寺町から住吉入りに来たところで、散歩友達S氏。貝塚公園あたりから伊勢大橋を回ってきたとか。1万歩くらいになるということですから、5~6㎞歩いているのでしょう。私より少し年長のはず。元気です。その住吉入江で、今シーズン初撮影。ギンヤンマの交尾&産卵シーン。

Img_1528c  午後からは、定例の歯科検診。検診だけのつもりだったのが、当てが外れ(苦笑。よくあるパターン)、要治療箇所が2ヶ所も発見されました。主治医&友人のS氏が、かつて「歯が抜けて、だんだんジジイ」といっていましたが、このままでは「ジジイ街道まっしぐら」。イヤになりますが、やむを得ません。来週から、しばらく治療に通うことになります。

2021年8月22日 (日)

20210822「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第7回「鈴鹿・白子~河芸・千里」(予告編)

210822shiroko0  曇りで、午後3時過ぎから雨という予報でした。昨日から順延した「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回に行ってきました。三重県も新型コロナの感染者数が急増し、まん延防止等重点措置が発令されてはいますが、旧街道歩きをしている人はめったにいません。とくにこの暑い時期は、街道歩きの人はほぼゼロ。電車も換気が行われていますし、昼食は時間がずれていて、店は空いており、しかも黙食。感染予防には十分注意した上で、今日は、鈴鹿の白子から津・河芸の千里まで、7.3㎞。コースは、左の画像の通り。近鉄白子駅を9時20分にスタート。伊勢型紙資料館、龍源寺を経て、伊勢街道に出ます。高札場跡・旧河芸郡役所跡、久留真神社、唯信寺、道標、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺、子安観音寺、道標2つ、楳荘翁碑、村社八幡神社、津市河芸町に入って、甕釜冠地蔵、八葉山本福寺、丹羽君碑を見て、近鉄千里駅にゴール。千里駅の前が、今日の伊勢街道の終点。駅近くの創作中華料理・昇龍でランチ。桑名では最高気温30.9℃。雨には降られずに済みましたが、湿度が高く、蒸し暑く、けっこう疲れました。

Img_0948c_20210822172901  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行で白子駅に9時12分に到着。¥500。駅の東口を9時20分にスタートします。閑散としていました。

Img_0951c_20210822172901  まずは、伊勢型紙資料館を目指したものの、残念ながら、開館は10時。ここは、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった「寺尾斎兵衛家」の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館しています。寺尾家は江戸時代から、伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商をしていたそうです。

Img_0963c_20210822172901 Img_0975c_20210822172901  伊勢型紙資料館の東100mほどのところに瑞雲山龍源寺臨済宗妙心寺派のお寺。開創は平安時代と伝わっているものの、由緒は不詳。しかし、境内には平家ゆかりの「青葉の笛(平敦盛秘蔵の笛)」に関わる旧跡「青葉の竹林」が伝承されています。また、鎌倉時代の「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」なども所蔵しているそうですから、800年の歴史があると思われます。こちらに寺の由緒があります。白隠禅師(貞享2(1686)~明和5(1769)年)、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)がこのお寺に来たことがあったといいます。

Img_0992c 龍源寺の先で伊勢街道に出ます。ちょっと戻って、白子東町公園にある旧河芸郡役所跡。明治になり県政が敷かれ、明治26(1893)年4月ここに河芸郡役所が置かれたそうです。

Img_0997c_20210822172901 Img_1001c_20210822172901  その東に高札場跡があります。江戸時代、白子代官所が高札を掲示したところでした。高札場跡のあるところは、伊勢街道は枡形になっています。白子は、天領であったこともありますし、徳川御三家の一つ、紀州藩領であったこともあります。そのためか、あちこちに枡形が残っています。

Img_1071c_20210822172901 Img_1029c_20210822172901  こちらは、久留真神社。主祭神は、大己貴尊(オオアナムチノカミ)。大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称。往昔は、已貴尊と須世理姫尊(スセリビメノミコト、大国主命の妻)の2柱の神さまを通称伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして福徳さんと称え奉ったそうです。久留真神社で9時50分過ぎ、スタートから1.3㎞ほど。

Img_1075c_20210822173001 Img_1089c_20210822173001  久留真神社の西には、山中山唯信寺。真宗高田派のお寺。ここは、ガイドマップや、みえの歴史街道にも情報は出て来ません。本堂はコンクリート造りで、鐘楼堂や、梵鐘も新しい。唯信寺のところも枡形。寺の西には、道標。「さんぐう道」「神戸(かんべ:鈴鹿市神戸(かんべ)四日市道」と刻まれ、指のかたちの矢印が描かれています。このあたりは曲がり角が多いため、参宮客などが迷わないようにということで、道標を和田さんという方が建てたのだそうです。何度も倒され、立て直しを繰り返した結果、現在は(昭和30年代以降)、高さ2mあまりとなったそうです(説明板による)。

Img_1114c_20210822173001 Img_1117c_20210822173001  このあと、同級生K氏が、「伊勢型紙についてちゃんと知りたい」ということで、鈴鹿市伝統産業会館へ立ち寄りました。ここは、鈴鹿市が誇る「鈴鹿墨」と「伊勢形紙」の伝統工芸を紹介して、優れた技術を後世に伝えるために、昭和58(1983)年に開設されました。鈴鹿墨や、小紋・友禅などの図柄を着物の生地に染めるために用いる伊勢形紙の作品・製造道具などが展示紹介されています。ちょうど、伊勢型紙を彫る伝統技能士の方がデモンストレーションをしておられ、いろいろと伺うことができました。伊勢型紙のビデオを見たりして、30分ほど滞在。小休止しようと思ったら、目の前に「飲食禁止」の貼り紙(爆)。

Img_1152c_20210822173001 Img_1129c_20210822173001  伝統産業会館は、伊勢街道からちょっと外れます。戻って、子安観音寺に向かいますが、ここで、伊勢街道は2つに分かれます。というか、新旧2つのルートがあります。子安観音に向かうのは、古い道。その途中で、西方寺に立ち寄ります。真宗高田派のお寺。境内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります(右の写真)。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。

Img_1163c_20210822173001 Img_1185c_20210822173001  西方寺の西に子安観音寺。地元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。境内には山口誓子の句碑、不断桜など見どころがいくつもあります。子安観音寺でほぼ3㎞、ここに着いたのは11時15分。既に歩き始めて2時間近くなので、30分ほど小休止。

Img_1243c Img_1224c_20210822173001  子安観音寺の先で、道標2基。左のものは、弘化4(1847)年建立。「左くわんおん道」「右さんくう道」とあり、子安観音寺と伊勢街道とを示すもの。右は、民家の手前にある小さな道標。「左いせみち」と刻まれています。頂上部分と北面はすり減ったくぼみがありますが、これは伊勢型紙彫りに使う砥石をならした跡といわれているそうです。

Img_1253c_20210822173001  堀切川の手前で新しい方の伊勢街道と合流します。そのすぐ東に楳荘翁碑。「楳荘翁」とは、儒者・別府梅荘翁の碑です。別府梅荘は、文政10(1827)年、河芸郡上野村(現在の津市河芸町上野)に生まれました。ここ寺家(鈴鹿市寺家)の住人で若い頃から絵をよくし、生け花や煎茶にも優れたそうです。明治28(1895)年、京都で没。門人らが明治29(1896)年12月、この碑を建てています。碑の撰は、富岡鉄斎の筆によります。このあと、近鉄名古屋線、国道23号線を越えて、鈴鹿市磯山地区に進みます。しばらくは立ち寄るところもありません。

Img_1306c_20210822173001 Img_1296c_20210822173001  スタートから5.2㎞で、磯山にある村社八幡神社。主祭神は、誉田別尊、金山毘古尊、素戔之男命、菅原道真、大山祇之命。太田忠左衛門という人の先祖が、御神体を字六人彫りの堀切川下流から背おって来て、安置したと伝わります。その時、獅子も一緒だったそうですが、忠左衛門の枕元に現れ「別保へ連れてって」というので、隣村の神社へ連れていったためこの神社には獅子がいないといいます。当社の創祀は不詳ですが、社伝によれば正安元(1299)年に社が創建されたとされているそうです。確かに狛犬というか、獅子はありませんでした。

Img_1320c_20210822173001  八幡神社の先、伊勢街道沿いの旧家。先日(江戸橋での仕事の最終日)、ゲットした伊勢参宮街道のガイドマップに、「幕板の旧家がある。軒先の庇の下にさらに庇を追加した建築様式で、板暖簾、大垂(おおだれ)ともいう。雨除け、日除けの役割を果たす」とあったのが、たぶんここ。磯山の先で国道23号線に出て、中ノ川を渡って、津市河芸町に入ります。

Img_1360c_20210822173101 Img_1365c_20210822173101  東千里交差点から東にそれ、近鉄名古屋線の踏切を渡ったところに、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵があります。ここは、近鉄ハイキングに来たときにもとても印象深かったところ。この堂はもと光明院といって伊勢参宮の旅人の休憩所で、旅の無事安穏を祈願した場所でした。宝形造りの仏堂の屋根の上には、露盤宝珠を置くのが普通ですが、この堂は炊事用の釜と水甕が伏せてあり、これが堂の名前の由来となっています。なぜこのような変わった建築をしたのか理由について諸説があり、確かなことはわかりません。ちなみに、この甕釜冠地蔵の手前で、伊勢街道と巡礼道との追分があります。巡礼道は、下街道あるいは浜街道とも呼ばれ、伊勢古街道です。

Img_1383c_20210822173101 Img_1386c_20210822173101  伊勢街道と巡礼道の間に寺がいくつかあるのですが、今回は、蒸し暑くて疲れていたこともあってパス。真宗大谷派の八葉山本福寺だけ立ち寄って来ました。というのも、ここには、「親鸞上人御𦾔跡」という石碑があるのです。碑陰には、「文化○○」とあるのですが、読めませんでした。文化年間(1804~1817年)に建てられたということかと思います。ネットでは情報は得られませんでした。ここ本福寺は、親鸞の弟子だった西念房が創建したといいます。西念房は、生涯聖人を思いながら念仏をひろめたといいます(こちらを参照しました)。

Img_1406c_20210822173101  スタートから7㎞ほどのところに「丹羽君碑」。この辺りには、江戸時代に紀州藩白子の大庄屋だった丹羽家があり、円応寺組十五か村の大庄屋を務め、また、兄弟で廻船問屋を営み、五十人同心として港を差配していたといいます。この碑は丹羽家何代目かの主を顕彰したもののようですが、碑文も風化して読めず、不明です。 

Img_1436c_20210822173101  7.3㎞で近鉄千里駅。ここが今日のゴール。伊勢街道は、このさき近鉄名古屋線と、国道23号線を越えて行きますが、それはまた次回。ゴールしたのは、13時10分頃。

Img_1432c_20210822173101 Dsc_6216c  ゴールした後は、昼食。事前のリサーチで、国道23号線沿いに飲み屋さん1件と、創作中華料理の店が1軒あることが分かっていたのですが、中華料理の昇龍へ。台湾料理がメインのようでした。暑かったので、今日も冷やし中華をチョイス。税込み¥858。ちょっと辛かったものの、美味しい。

Img_1447c  千里駅からは14時15分発の名古屋行き普通に乗車。14時22分に白子駅に到着。14時28分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には15時2分着。蒸し暑くて、疲れましたが、雨に降られることなく歩くことができてラッキーでした。というのも、帰宅後16時過ぎには大雨と雷。今日の歩数は、ご覧のように19,378歩。現地で7.3㎞、昇龍へ往復が0.6㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞、合計10.1㎞を歩きました。電車で40分かかり、桑名からそれなりに離れると、旅気分も増してきます。本編は、また明日以降、書いていきます。

2021年8月21日 (土)

何それ!? 「九華ハト食堂」になってる!

Img_0671c_20210821142601  相変わらず、はっきりしない天気が続きます。今日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第7回「近鉄白子駅~千里駅」を予定していたのですが、天気予報があまりよくなかったので、順延。が、今のところ、雨は降っていません。鈴鹿市内ですから、桑名とは違うかも知れませんが、結果的には「行けたなぁ」と思っています(微苦笑)。代わりに、いつものコースへ、7時50分出発。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、常磐町、寺町で常信寺、御坊さんと、ほぼフルスペックの散歩。5.6㎞、2時間半。

Img_0717c_20210821142601 Img_0689c_20210821142601  こちら、アオサギさん。お盆、雨もあって、九華公園では8月11日以来(2021年8月11日:朝からベランダバードウォッチング(微笑))。草の向こうにいますが、ここは、管理事務所南の花菖蒲園。その西側にいるのです。ここへ来る前、管理事務所の西から見つけていたのですが(右の写真)、最初は、アオサギとは認識できず、「何かヘンなものがあるぞ!」と思えました。

Img_0784c Img_0750c_20210821142601  九華すずめ食堂、今日は設置者の前管理人のOさんが、久しぶりに登場。餌をやって行かれたのですが、これが大変なことに(爆)。何と、勝手に「九華ハト食堂」にモデルチェンジしているではありませんか(朝日丸跡の支店)。ドバトが餌台に乗ることはないだろうと思い込んでいたのですが、ドバトもさるものでした。ドバトは追い払ってもすぐにやって来ますから、支店の方は今日はドバトが餌を食べ尽くしたでしょう。右は、本店。久しぶりに餌が置かれましたので、スズメたちは30分ほど待ってもやってこず。忘れられたということはないと思いますが、どうでしょう? こちらの餌台にもドバトが乗っていたという目撃情報があります。こればかりは気をつけても仕方ありませんねぇ。

Img_0674c_20210821142601  さて、散歩の初めから。といっても、鳥は相変わらず、あまり見られません。桑名七里の渡し公園あたりでムクドリ、船津屋さん裏手でスズメを見たくらい。柿安コミュニティパークで、ずいぶん久しぶりにハクセキレイのオスが1羽登場。いつ以来か、よく分からないくらい久しぶり。

Img_0738c_20210821142601  九華公園の話に戻りますが、アオサギ、スズメ、ドバト、ハシボソガラスくらいしかおらず。何れも、多くはいません。散歩友達は、今日は、Yさん、Mさん、前管理人のOさんと3人。「鳥はいないねぇ」とぼやくばかり(苦笑)。

Img_0812c_20210821142601  しょうがないので、最近ほとんど目を向けていなかった「旅ネコ」さん。目を向けなかったというのもありますが、そもそも、ここ数年は、数が相当減ってしまっているのです。以前は、10匹以上いたこともありますが、最近見かけるのは、2~3匹がせいぜい。写真を撮ったら、手前の薦樽の上にいた猫、ビックリして飛び降り、隣の猫がそれで驚いて、ちょっとした騒ぎ。

Img_0824c Img_0849c  入江葭町交差点。降りそうな雲ですが、ちょっとパラパラッとしたくらい。このあと、常信寺へ。5月の終わり頃、ヤマボウシの花を何度か見に行っています(2021年5月30日:花菖蒲写真あれこれと、ヤマボウシ)。そろそろ、このヤマボウシに実がついているだろうと思ったのです。けっこうたくさんの実がついていて、半分くらいが色づいてきていました。あまり好んで食べる人はいないそうですが、実は食べられます。果肉は甘いとか。ということで、内緒で1個、いただいてきました。まだ食べてみてはいません。

Img_0902c_20210821142601  拙宅マンション前まで戻って来たら、頭上からイソヒヨドリの鳴き声が。11階建ての屋根の端っこにいました。メスのイソヒヨドリ。

Img_0827c_20210821142601  ところで、新型コロナの感染者数、昨日、三重県は388名で、4日連続最多記録を更新。桑名でも50名でした。緊急事態宣言も視野に入れていると知事はいいます。こうした中、三重県は、9月25日から予定されている「三重とこわか国体」を中止で調整するそうです(こちら)。「新型コロナウイルス感染の急拡大を受け、開催は難しいと判断した」ということで、今日午後から鈴木知事が会見します。どこかのオリパラに比べ、きわめて妥当な判断と思います。「そういうことをしている場合ではない」と思います。

2021年8月20日 (金)

今日も天気に振り回される

Img_0641c_20210820171501 Img_0654c_20210820171501  今日も天気には振り回されました。が、かなり小さな声で言いますが、ヘンな人に振り回されるよりははるかにマシ(爆)。ヘンな人に振り回されますと腹も立ちますし、何といてもドッと疲れます。しかし、天気のことなら、まぁあきらめがつくのです。左の写真は、九華公園を歩いているとき、雨に降られ、吉之丸堀の四阿というか、浮御堂というか、そこで雨宿り中のとき。右は、帰宅してしばらくしたときの南の空。午後も早い時間は晴れていたものの、15時半頃からは、一時、豪雨。

Img_0520c_20210820171601  さて、朝7時半頃、雨が降っていなくて、しばらく降りそうもないと(雨雲レーダーをチェックします)、散歩に行きたくなります。この時間から散歩するのが、すっかり日課になっているというか、別の言い方をすると、融通が利かないというか(苦笑)。今日も、いつも通り散歩開始。住吉神社、九華公園と行ったものの、九華公園内を3/4周くらいしたところで、雨に降られました。しばし雨宿り。Yahoo!天気をスマホで見たら、「しばらく降り続く」とあって、撤退。田町、寺町交差点、住吉入江から帰宅。4.2㎞、2時間弱。

Img_0560c_20210820171501  こんな天気で鳥はいなかったのですが、旅館山月の避雷針にイソヒヨドリ(証拠写真)。他には、スズメ、ドバト、ハシボソガラスくらい。中洲にもサギは見えません。歩く人もほとんどなし。

Img_0575c_20210820171501  九華公園には、8月16日以来(2021年8月16日:雨に降られそうで、「高速散歩」(微苦笑))。堀の水が、かなり減っていてビックリ。管理人さんに伺ったら、排水ポンプを修理するためだそうです。市役所の担当者の方も来るという話でしたが、このあと雨になりましたので、どうなったでしょう? 公園の状況、利用具合を市役所の担当者の方は、少なくとも月に1回くらいは確認に来て欲しいと思います。

Img_0581c  散歩友達は、Yさんのみ。「何もいないねぇ」とお互いに苦笑。奥平屋敷跡で30分ほどウロウロしたものの、スズメ、ドバト、ハシボソガラス、ヒヨドリがわずかに姿を見せたのみ。左は、久しぶりに見た九華すずめ食堂本店。草が生えていました! 誰かが草を置いたのかとも思ったのですが、どうやらスズメの食べ残しから芽が出たのが真相のようです。その証拠に、板の隙間に根を張っていたのです。逞しい。見倣わないと(爆)。

Img_0615c_20210820171501  奥平屋敷跡で見たヒヨドリ。少しずつ戻って来ている印象ですが、まだ数はかなり少ない状況。公園内を回って、いつものように、再び、九華橋まで来たら、カワセミが飛ぶのが見えたのですが、すぐに見失ってしまいました。去年も、今頃何度か見たことがありますが、この時期でもタイミングが合えば、九華公園でカワセミを見られます。このすぐあと、雨が降りだして、結局撤収せざるを得なくなりました。草刈りに来られるシルバー人材センターの方も、皆さん出勤されたものの、雨が降り続くという予報で、帰宅して行かれました。

Img_0565c  午後は、定例の内科受診。待っていたら、後から来られた高齢の女性が、「今日、私は誕生日なの」とおっしゃり、周りにいた数人で「おめでとうございます」と盛り上がりました(微笑)。「87歳なのよ」とおっしゃったのですが、付き添いのお嫁さんらしき方が、「88歳でしょ」と訂正。一同、爆笑。待ち時間の退屈さが吹っ飛びました。その他は、相談をいただいた方の資料を読み込み、一部はサマリー作成に着手。明日も天気は安定しない予報ですから、歩いて伊勢詣りツアーは、難しいかも。

2021年8月19日 (木)

散歩に行けず、アサガオ観察(苦笑)

210819amedas Img_0499c_20210819173601  今日もほぼ終日雨。雨模様になったのは、8月12日以来。三重県の新型コロナの感染者数は、とうとう300名を越え、311名で3日連続最多を更新。散歩にも行けませんので、気分が滅入りそうです。「カメラを持たず、傘を差して散歩に行ったら」といわれますが、私にとって、カメラは散歩の必需品。あちこち何かおもしろいものがないかと思って歩くのも楽しみですから、雨の日はどうもねぇというところ。

Img_0484c_20210819173601  今日は散歩には行かず。午前中、100均ショップとホームセンターに行っただけ。100均ショップでは、写真のものを買ってきました。とあるブログで、パソコンのキーボードの汚れが驚くほどよく取れる(こちら)と書いてあったのです。以前は、エアダスターを使っていたのですが、どうも今ひとつ使いにくいのと、期待したほど簡単にはきれいにならない気がします。本当は、短時間噴射を繰り返して使うものだそうですが、ついつい継続噴射して、缶が冷え、勢いがなくなったり、逆さにしてしまい、うまく出なくなったりします。このDaisoのジェルクリーナー、税込み¥110ですから、お試しということ。失敗しても、この値段ならいいかということです。今日はあれこれあって、まだ使っておりません。上記のリンク先には、実際の使用体験がありますので、お急ぎの方はそちらをご覧ください。ホームセンターでは、メダカの餌と、水草をお買い上げ。あれこれあった内のもう1つは、このコロナ禍ではありますが、ご相談の依頼を1件いただいて、今日、資料が届きましたので、そのチェックをしていたのです。

Img_0517c_20210819173601  ところで、今日のアサガオは、3輪。もっとたくさん咲いてくれても良いのにとか、他の色の花も見てみたいという気もしますが、ボチボチでちょうどいいのでしょう。

Img_0410c_20210819173601  幸か不幸か、朝、かなり早くから目が覚めましたので、ちょっと遊んでみました。「朝顔」といいますから、朝、咲くのですが、いったい何時頃から花が開くのかと思ったのです。左の写真は、今朝3時45分のもの(苦笑)。「そんなに早くから起きるのか?」といわれると思いますが、そのまままた寝るときもありますし、眠れず、そのまま起きてしまうこともあります(ジジイの証拠)。アサガオの花は、開いたというには微妙。

Img_0419c_20210819173601  こちらは、4時過ぎの様子。まだ真っ暗です。今日の日の出は、名古屋で5時15分。6月半ば、夏至の前の頃は4時37分でしたから、そろそろほのかに明るくなってくる時間でした。花の開き具合は、3時45分の時と、ほとんど変わらない印象。

Img_0427c_20210819173601 Img_0430c_20210819173601  4時36分ころのアサガオの花。けっこう、花が開いてきました。右の写真は、左下というか、手前の花のクローズアップ。まだ真っ暗ですので、フラッシュを焚いています。

Img_0439c_20210819173601 Img_0441c_20210819173601  5時になると、まだ完全に咲いたとはいえないものの、9割方開いたという感じ。

Img_0450c  この時間の東南の空。超望遠コンデジ(PowerShot SX60 HS)を手持ち、Autoで撮っていますので、ボンヤリした写真(苦笑)。曇っていなければもう少し明るいはず。

Img_0457c_20210819180601  5時半のアサガオ。ほぼ咲いたといえる気がします。5時半頃になるとフルに花が開くのか、日の出を過ぎた頃にそうなるのかは定かではありません(よく調べると分かるかも知れませんが、今のところそこまではしていません)。今度は、タイムラプスを撮ってみるとおもしろいかも知れませんが、スマホで撮るか、もう1台のコンデジ(Nikon coolpix s7000)で撮るか、暗い内はフラッシュが使えるかなど、調べてみないと。

Img_0514c_20210819173601  明日から三重県では、まん延防止等重点措置が適用され、桑名も重点措置区域になります(こちら)。六華苑、博物館、図書館、パブリック・センターなど市の施設は軒並み休館。9月12日までですから、9月6日に予定されている市民大学郷土史学科もたぶん、休み。博物館では、8月29日まで「神社の来歴-棟札を中心とした長島八幡のご神宝-」・「刀剣コレクションⅡ-多度大社の宝刀-」が開催されるはずでしたが、途中でオシマイ(2021年8月 8日:今日の桑名の気温は全国10位……暑い中、桑名市博物館へも)。いやはや。外出機会も半減するようにといわれていますが、混雑した場所、時間を避けて、いつものような散歩は構わないようです。自分で楽しみをつくる必要がありますが、久波奈名所図会の解読や、参拝した神社リストの作成などボチボチとやることにしましょう。

2021年8月18日 (水)

目まぐるしい天気変化……慌てる散歩は貰いが少ない(苦笑)

Img_0366c_20210818161301  予報では雨ときどき曇りでしたが、実際には、晴れあり、曇りあり、雨ありでした。今日も散歩はダメかと思っていたら、9時前から、南に青空も見えてきました。ナウキャストを見ると、しばらくは雨は降りそうもありませんでしたので、「ちょっとだけでも歩いてくるか」と散歩に。途中、スマホのYahoo!天気を見ながら。初めは「10時頃から雨」でしたので、サッサと回るつもりで、住吉神社、七里の渡し跡、川口町、江戸町から田町を回って帰ってくるつもりでした。しかし、寺町交差点あたりでもう一度確認したら、「11時頃から雨」になっていました。「何だ、慌てることはなかったか」と思ったものの、今さら九華公園方面に戻るのも面倒で、結局、堤原、参宮通から蓮見町を通って帰宅。ほぼ1時間、3.0㎞散歩。写真は、八間通交差点にて。南西の空。

Dscn4450c Dscn4467c  まずは、8時半頃に撮った写真から。揖斐・長良川には、川霧が発生していました。左は、長良川河口堰あたり。右は、南東の空。赤い橋は、国道23号線揖斐長良大橋。中央の少し右にある建物は、赤須賀にあるはまぐりプラザ。はまぐりプラザの右手前は貝塚公園の森。向かって左のもりが、九華公園。いつもこのあたりをウロウロしているということになります。

Img_0333c_20210818161301 Img_0336c_20210818161301  桑名七里の渡し公園の百日紅。普段の散歩では、7時半過ぎに通りますから、開園時間の遙か前。今日は、中に入って、すぐ近くで見てきました。芝生のところで、他に木がない中で、紅い花が咲いているため、気になるのかと思います。

Img_0343c_20210818161301  住吉神社。いつもとは違うアングルで(笑)。鳥居の北側からです。歩いている人はほとんどいませんし、今日は、スズメやカラスもいません(苦笑)。中洲にもサギの姿はありません。ということで、今日は野鳥写真はゼロ。

Img_0363c_20210818161301 Img_0369c  途中、小雨がパラついてきましたので、急いだため、写真を撮る余裕なし。寺町近くまで来て、青空復活。左の写真は、海蔵寺。曹洞宗のお寺で、薩摩義士の墓所があります。右は、北桑名総社。壬申の乱の時、大海人皇子と妃の鸕野讃良皇女(持統天皇)が桑名に来ていますが、その関係でここは、「持統天皇𦾔跡」となっています。我が家の氏神様。

Img_0321c  ということで、雨の止み間にと思って、急いだ散歩で、何をしにいったのかよく分かりません(爆)。見てきたところ、ものを並べているだけ(まぁ、いつもそうなのですが)。こちらは、諸戸氏庭園の祭車庫の修復工事現場。8月11日の記事でも取り上げていますが(2021年8月11日 :朝からベランダバードウォッチング(微笑))、今日は、工事が行われていて、扉が開いていましたので、中を覗いてみたという次第。写真を撮ったときは、作業が始まってすぐ(9時過ぎ)くらいで、とくに何かをしている様子は見られませんでした。

Dscn4454c Img_0395c_20210818161201  アサガオ日記。今日は、咲いていません。つぼみはあります。明日には咲きそうなつぼみも複数あります。まぁ、それなりに楽しめればよいのです(微笑)。

Dscn4459c Dscn4461c  その他、ベランダ園芸。左の写真は、いわゆる「お金のなる木」。お金はなくとも、元気いっぱいです。右は、万年青。こちらも、その名前の通り、青々として、よく伸びてきています。夏ごろ葉の間から花茎を伸ばし淡い黄緑の小さな花を円筒状に密生させるというのですが、今のところ、その気配はなさそう。

Img_0373c_20210818161301  コロナ。毎日の新規感染者数を見て、一喜一憂するのはどうかと思いますが、今日の三重県の感染者数は、276件(こちら)。昨日の208件を大幅に上回り、さらに最多記録を更新。愛知は1,227件、岐阜は338件とやはり最多記録。こうも一気に増えてくると、これからいったいどうなるのか? と心配になります。

2021年8月17日 (火)

体がなまりそう(苦笑)……今朝はアサガオは5輪

0817amedas  Dscn4446c 15時過ぎからは、かなり明るい空も見えてきましたが、朝から雨模様。11時半過ぎに雨の止み間を見て、近所のスーパーの100均ショップへ出かけたのですが、その帰りは大雨。傘は持っていたものの、濡れるくらい(苦笑)。今日は、天気に関しては運がないようです。明るくなっては来たものの、散歩に出かけようとは思わず、おとなしくしていることにします。

Img_0302c_20210817155101 B8dc296c  今朝は、ベランダのアサガオが5輪咲いていました(写真に写っているのは3輪)。ちょっと小ぶりの花で、紫色。実家へ帰省していた8月14日に咲き始めたと思われるのですが、昨日は咲かず。朝、咲いているのを確認できたのは、今シーズンは今日が初めて。ちなみに、昨年は9月になってから咲きました(2020年9月8日:遠隔授業講習会のついでに新しい桑名駅もチェック)。右の写真は、去年、最初に咲いたときのもの。去年取った種を蒔いていますから、同じ色。

0821weeklyforecast  午前中は、後期の非常勤の授業準備に勤しんでおりました。昨日の続きで、プラス1コマの内容について作成中。一通り終えられましたので、印刷して、寝かせてあります。少し時間をおいてからチェックし、加除修正をします。それ以外は、読書。散歩に行けないと、体がなまりそうな気がしてなりません(苦笑)。しかし、雨マークがなくなるのは、週末・土曜あたりからという予報。8月21日(土)には、伊勢詣りツアー第7回(近鉄白子駅~千里駅)を計画していますが、果たして予定通り、出かけられるでしょうか。

210817covid 【追記(8/17)】 三重県では、今日の新型コロナの感染者数が208名となり、過去最多を記録するとともに、とうとう200人台に突入しました(こちら)。津、四日市でそれぞれ40名以上。鈴鹿が38名、桑名は24名。愛知県も967名、岐阜県も324名と何れも過去最多を記録しており、何だかイヤな感じです。愛知県はこれまでの最多から200名以上増え、また、岐阜県では一気に倍以上に増えています。三重、岐阜はまん延防止等重点措置の追加対象となり、8月20日から9月12日まで適用されます。政府のやっていることは、はっきりいってほぼ無策。東京オリンピックを強行開催したことと、新型コロナの感染者数の激増とは無関係といってはいるものの、国民には移動を控えるよう要請しながら、選手・関係者多数の入国を認め、大規模なイベントを開催しているようでは、辻褄が合わないのは明らか。論理的に破綻しているのは、小学生にも分かると思います。昨日の記事に内田樹さんのブログを引用しましたが、単に「無意味耐性が高い」だけでなく、政府そのものがどうしたらよいのか、訳が分からなくなっているのではないかと疑いたくなります。こういう状況では、個人でできる感染対策を徹底するしかないのでしょう。もちろんキョーレツな皮肉なのですが、管首相がいつぞやいっていたように「自助」が第一となってきました。都道府県別感染者数のデータは、NHKのサイトからお借りしました。

2021年8月16日 (月)

雨に降られそうで、「高速散歩」(微苦笑)

Img_0259c  天気のことばかり書いていますが、予報通り、曇りときどき雨です。最高気温は、何と24.0℃。肌寒くさえ感じます。午前中は、ほぼ曇りということでしたので、7時20分から歩き始めたものの、九華公園で小雨が降ってきました。スマホでYahoo!天気を見ると、「すぐにやみます」ということでしたから、そのまま歩いていたら、雨が少し強くなり、雨宿り。この時には「9時頃から雨が降ります」と。カメラを持って歩いていますので、本格的に降られるのは嫌です。そこから「高速モード」に突入(苦笑)。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園、常磐町、寺町、御坊さんと5.8㎞を歩いたのに9時に帰宅。1時間40分。さすがに散歩友達も少なく、お二人に会っただけ。

Img_0146c_20210816153301 Img_0155c_20210816153301  住吉神社前で、まず、揖斐長良川の中洲にダイサギ。以前、アオサギがよく集まっていたあたり。そのまま七里の渡し跡方面に歩いていたら、コサギが揖斐川上空を下流方向に飛んで行きました。こんな証拠写真ばかり載せていますが、今日はそれほどに鳥がいなかったのです。

Img_0166c_20210816153301  柿安コミュニティパークでは、今朝も子どもたちがサッカーの練習。「早朝練習」のようで、8時頃には終わっています。夏休みに入ってから続いており、最初は初歩的なパス練習をしていたと思いますが、今日は、2対1になってボールキープの練習(正しくは何というのかは知りません)。だんだんレベルアップしている気がします。

Img_0250c_20210816153301  九華公園。静かです。今日は拙宅あたりでも、三の丸公園、柿安コミュニティパークでも、クマゼミは鳴いていません。九華公園の相撲場近くから鎮国守国神社の社務所裏を見ようとすると、桜の木々の下をくぐっていきます。今の時期、セミを驚かせ、セミたちが逃げ惑うのですが、今日はアブラゼミばかり。

Img_0171c_20210816153301  九華公園も鳥は少なく、張り合いありません。あまりに少ないので、また、たまにはカワウさん。カワウも最近は多くないのです。揖斐川から導水するのですが、管理会社が変わってからそれが減っているのです。したがって、揖斐川から魚もあまり入ってこないと思われます。ということは、カワウにとっては餌が少ない結果になっていると推測しています。

Img_0196c_20210816153301  吉之丸堀の上を通る電線にツバメの若鳥が1羽。何だかポツンと、寂しげに止まっていました。しばらく見ていましたが、親鳥らしきツバメは来ず。この他に九華公園で見たのは、ドバト、ハシボソガラス、ヒヨドリ、スズメ、カワラヒワ。天気も悪く、鳥も少なく、散歩友達もすくないという、悪い方の三拍子が揃いました。苦笑せざるを得ず。

Img_0221c_20210816153301 Img_0211c_20210816153301  旧のお盆も終わりですし、弔事もありましたから、御坊さん(桑名別院本統寺)へ。菩提寺は実家の方、墓はもともとありませんので、お彼岸やお盆、命日などには、御坊さんにお参りすることを習慣にしています。寺町商店街は定休日。御坊さんも、商店街も静かでした。

Img_0263c_20210816153201  帰宅して、玄関先から長良川河口堰方面を見ると、水量は多く、川の水は濁っています。9時頃の写真ですが、この時間、ゲートはフルオープン。こちらにゲートの状況が、また、ライブカメラはここにあります。

Img_0270c Img_0273c_20210816153201  今朝のアサガオの様子。今日は、咲いていません。右の写真のようにつぼみはありますから、また2~3日すると咲くと期待しています。

Img_0235c_20210816153301  お盆も終わりましたから、後期の非常勤の授業の準備に手を付けなくてはなりません。昨年度は遠隔授業でコマ数が少なかったのですが、今年は15回。一昨年から1コマ増えますので、1コマ分、新しい内容を追加する必要があるのです。早速、着手。並行して、既存の内容も、昨年の遠隔授業バージョンから対面授業バージョンにモデルチェンジ中。

Img_0207c_20210816153301  余談。内田樹さんが、ブログで興味深い記事を書いておられます。「無意味耐性の高い人たち」というのがそれです。内田さんが書いておられることが妥当だとすると、何だか恐ろしくなってきます。8月6日の広島での平和記念式典で、菅首相がスピーチの一部を読み違えたとともに、原稿を1枚読み飛ばしたことについての考察です。管首相はあの時、7ヶ所で読み間違えたほか、スピーチ原稿1枚分=約120字を読み飛ばしています。普通、120字を読み飛ばせば、意味が通らなくなって気づきます。少なくとも、「あれ、変だな?」くらいは思います。原稿が糊でくっついていたなどというのは、かなり下手くそな言い訳というか、通りもしない屁理屈。内田さんは、記事の中で、次のように書いています(ご興味が湧いた方は、いつものように、是非、元の記事をすべてお読みになることをお勧めします)。

首相はそこで立ち止まることをせず、無味をなさない文を平然と読み続けた。これはかなり深刻な問題だと私は思う。というのは、この事実から私たちは首相が「意味をなさない言葉を人前で堂々と話しても気にならない人」だということを知るからである。
 いや、たしかにそういう人は世の中にいる。大勢いる。あるいはもう日本人の過半がそうなのかも知れない。そうでなければ、そういう人が総理大臣に上り詰めるはずがない。

「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。これは現代日本ではある種の「社会的能力」として高く評価されている。

上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。トップが下したまるで無意味な命令が、途中で「ちょっと待って。これ何の意味があるの? オレはそんな無意味な仕事はやりたくないぜ」というタイプの抵抗に出会うことなく、末端まで遅滞なく示達される組織は「完璧なトップダウンが実現されている」とみなされる。そして、現代日本ではそれが組織の理想なのである。

 

2021年8月15日 (日)

お盆休み……実家に行っていました

Img_0108c  8月12日(木)から今日・15日(日)までは、お盆休み(毎日毎日休みだろう、といわれること必至ですが)で、家内の実家へ行っておりました。今日の午後こそ、晴れてきましたが、ほとんどずっと雨でした。冒頭の写真は、今日、帰宅してから撮ったもの(16時過ぎ)。

Img_9890c_20210815183601  12日は朝から出かけたのですが、実家近くに着く頃から降り始めました。各地で豪雨の被害が出ていますし、桑名など三重県北勢地方にも大雨警報が出ていました。写真は、8月12日の昼前、実家で撮ったもの。写真でも分かるくらいよく降っています。今日までの間、雨の止み間を見て、買い物や墓参りには行ったものの、それ以外はほとんど外に出られず。当然、散歩は不可で、読書三昧。

Img_9902c_20210815183601  今朝は、10時過ぎには雨も上がり、空には明るいところも見えてきましたので、11時から、実家で町内一周散歩。11日以来の散歩で、ほぼ3㎞。左の写真は、実家の田んぼ。かなり実ってきています。もちろん我が家では作れませんので、お願いして米を作ってもらっています。ずっと以前は、自家米でしたが、今は玄米で農協から買って、精米をしています。

Img_9914c_20210815183601 Img_9918c_20210815183601  こちらは、湯香里橋。貝石山という天然記念物の山がありますが、その麓あたりの榊原川にかかっています。川は増水していて、いつもなら見られるハクセキレイなどは、まったくいません。

Img_9935c_20210815183601 Img_0004c_20210815183601  実家の氏神様である射山神社に参拝。実家に行ったときは、必ず一度はお参りしています。

Img_9939c  ここは、旧久居市なのですが、境内にこんな幟旗が。「久居誕生350年事業」だそうです。久居は、寛文9(1669)年、津藩主・藤堂高次の三男・藤堂高通(たかみち)が、父の領地のうち、伊勢国(一志、河曲、三重、安濃、安芸、鈴鹿郡)など計11郡5万石を分与され、翌年、久居に居所を営み、久居藩を立藩しています。

Img_0018c_20210815183601Img_0035c_20210815183601 射山神社近くのお宅で、イソヒヨドリのオス。この他、今日見たのは、トビ、スズメ、ヒヨドリ、ツバメ。イソヒヨドリは、かなり以前から実家あたりでも見かけるようになっています。右は、榊原温泉おもてなし館。昔はなかったのですが、レンタル自転車が置かれるようになっていました。

Img_0105c_20210815183601 Img_0112c_20210815183601  午後から帰宅。露出調整を失敗したのですが、アサガオが咲いていた証拠写真(苦笑)。昨日咲き始めたようです。昨日は4輪、今日は3輪咲いたと思われます。大雨の被害はとくになかったのですが、メダカが1匹飛び出していました。

Img_9862c_20210815183601 コロナに豪雨被害では堪りません。私も気をつけますが、皆様にもご自愛くださいますようお祈り申し上げます。コロナは三重県でも5日連続で、最多感染者数を更新しています(今日は、151名)。弔事が出来したのですが、コロナの感染状況や、それにともなって知事から県境を越えての移動を自粛するよう要請がありますので、失礼させていただくことにしました。明日は曇り予報ですが、秋雨前線はいったん南下しただけで、また北上するようです。週の後半まで梅雨のような天候が続きそうです。明日は、散歩に行きたいものです。

2021年8月11日 (水)

朝からベランダバードウォッチング(微笑)

Img_9483c   午前中は晴れ間が多かったものの、次第に雲が広がってきました。明日からは、梅雨のような天候が続くという予報です。お盆なのに、嫌ですが、天気ばかりは何ともしようがありませんから。それはさておき、今日も今日とて、7時20分から散歩です。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園、吉津屋町、京橋、寺町と5.6㎞、3時間弱。昨日と同じく、歩いている間はほぼ西北の風で、汗びっしょりにはならずに済みました。最高気温は、31.6℃。雲が広がっているためでしょう、これまでよりやや低め。

Img_9304c Img_9320c_20210811150101  まずは、こちら。これが、朝からベランダバードウォッチングの主役です。朝6時半頃、ベランダからイソヒヨドリのきれいな鳴き声が聞こえてきたので、そっと覗いてみたら、お隣のベランダにイソヒヨドリが2羽。前から、ごくまれにお隣や、我が家とお隣の境目のパネルのところにやって来ることがあるのです。手前は、若い鳥のようですが、奥はメスの成鳥のようです。

Img_9374c_20210811150101 Img_9424c_20210811150101  左の写真が、上の写真で奥にいたメスの成鳥。すらっとしていてきれいです。右の写真は、上の写真で手前にいた若鳥。尾羽に近いところが、青く見えますので、オスの若い鳥のようです。いや、朝から良いものが見られました(微笑)。

Img_9514c_20210811150201  こちらは、桑名七里の渡し公園。「♫この木なんの木、気になる木♫」ではありませんが、気になる木なのです。中央にある百日紅。もちろん名前は知っていますが、花が咲いてから気になるようになったのです。なぜ気になるのか、自分でもよく分かりません。他に花が咲いていないのに、真っ赤な花が咲いているからかも知れません。

Img_9523c_20210811150201 Img_9551c_20210811150201  住吉神社の前から見た多度山、揖斐川の上流の方向。空と雲は、秋のイメージ。蟠龍櫓のところを通ったら、陽がよく当たってきれいでした。これくらいよく撮れたら、観光写真に使えるかも知れません(微苦笑)。櫓の向こうに見えるのは、七里の渡し跡

Img_9647c_20210811150201 Img_9768c_20210811150201  九華公園では、8月7日以来のアオサギさん。以前は、鎮国守国神社の社務所の裏が定位置だったのですが、最近はそこから少し南の木の高いところがお好み。右の写真は、ハシボソガラスが接近したときに威嚇した直後の様子。さすがにカラスも、アオサギの大きさにはたじろいだ様子。

Img_9707c_20210811150201 Img_9726c_20210811150201  奥平屋敷跡では、スズメ、ハシボソガラスの他に、カワラヒワが数羽。写真が撮りやすいところには、なかなか来てくれません。若いカワラヒワもよく見かけます。散歩友達のYさん、昨日も奥平屋敷跡で出遭ったのですが、その帰りに、鎮国守国神社の社務所裏でカワセミ2羽を同時に見たとおっしゃっていました。以前からの経験でも、真夏でもときどき見かけます。ただ、タイミングが合わないのです。今日も、目を皿のようにして探したものの、見つからず。求めても得られず、気を抜いたときにひょっと遭遇するという具合。それこそ「淡々と飽きもせず」の精神で通って、コツコツ探すしかありません。

Img_9490c_20210811150101 Img_9574c_20210811150201  クマゼミ、アブラゼミは相変わらず鳴いていますが、やはりその勢いは、立秋以前ほどではなくなってきています。ニイニイゼミも探しているものの、姿は見えず。ツクツクボウシ、ミンミンゼミの鳴き声は聞かず。ヒグラシは、散歩コースでは聞いた記憶がありません。

Img_9493c_20210811150201 Img_9498c_20210811150201  ところで、記憶のための写真です。諸戸氏庭園が、修復工事中というのはときどき書いています。主屋の修復工事もまだ進行中ですが、その東にある祭車庫(石取祭の祭車を保管しておく蔵)の修復もかなり進んでいます。屋根、覆いがかけられ建物の壁は取り払われています。土壁の部分もあります。

Img_9811c_20210811150301  お盆も近くなりました。ブログもしばしお盆休みをいただくことになるかと思います。残暑お見舞い申し上げます。

 

2021年8月10日 (火)

強風の後で珍鳥を期待するも、そんなにうまい話はありません……アサガオにやっとつぼみ

Img_9134c  今日も風が比較的強いのですが、西北から吹いており、蒸し暑くはありません。昨日、サボりましたので、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀、内堀公園、新築公園、常磐町、寺町と6.1㎞。2時間半あまりで帰宅。汗はかいたものの、汗だくとまではなりませんでした。今のところ、最高気温は、32.8℃。

Img_9191c_20210810131101  昨日の強風で、珍しい野鳥でも吹き飛ばされてきていないかと、密かに期待したのですが、残念ながらそういううまい話はありませんでした(苦笑)。それどころか、いつも割とよく見るスズメ、ドバト、ムクドリ、ハシボソガラスなどもほとんどいないという有様。このところ割とよく見られたアオサギも、ホオジロもいません。写真に撮れたのは、スズメのみ。

Img_9175c_20210810131101 Img_9205c_20210810131101  九華公園では、強風のため、こんな風になっていました。まず、九華すずめ食堂の本店の屋根が吹き飛んでいました。ただし、もともと餌を置きやすくするため、屋根は取り外し式。数メートル離れたところにひっくり返っていたので、このあと戻してきました。公園内の各所では、松ぼっくりが落ちたり、松などの木の枝が折れて散乱したり。ちなみに、散歩友達のうちお二人は、昨日の強風をものともせず、いつも通り散歩に来たそうでした。強者です。

Img_9233c_20210810131101  一昨日、内堀で見つけたツバメのヒナがまだいるか、確認してきましたが、もういませんでした。かなり大きくなっていましたので、巣立って行ったものと思います。という次第で、今日は、バードウォッチングにはならない散歩でした(苦笑)。

Img_9258c Img_9241c  帰り道、再び、御坊さんへ。お盆の頃、あまり天気がよくなさそうな予報でしたので、予めお参りという次第。境内の池には、スイレンが一輪のみ。

Img_9275c_20210810131101 Img_9131c_20210810131101  散歩友達も多くはありませんでしたし、鳥もいませんでしたから、比較的早く歩いてきてしまいました。クマゼミは、まだよく鳴いているものの、少し前に比べると、その数は減ってきた印象があります。アブラゼミもよく見かけるのですが、クマゼミの鳴き声にかき消されるのか、あまり鳴き声を聞かない気がします。

Img_9296c_20210810164001 Img_9286c_20210810164001 【追記(8/10)】 夕方、16時半頃、アサガオを眺めていたら、つぼみが出て来ているのに気づきました。繁る一方で、咲かないのか? と心配したのですが、ようやく咲きそうになって来ました(微笑)。去年は、7月4日に九華公園の花菖蒲の株分け会でアサガオの苗をもらってきて(2020年7月4日:九華公園の株分け会で花菖蒲とアサガオをいただいてきました)、咲いたのは9月8日でした(2020年9月8日:遠隔授業講習会のついでに新しい桑名駅もチェック)。今年は、5月17日に第1回の種まきをしています(2021年5月17日:梅雨入り2日目、アサガオの種まきと歴史調べ)。種を蒔いて70~80日で咲くといいますが、90日あまりかかっていることになります。

2021年8月 9日 (月)

温帯低気圧の影響で、強風の1日

Img_9084c_20210809155101 Img_9087c_20210809155101  台風9号から変わった温帯低気圧の影響で、強風の1日です。我が家あたりでは、雨は、短かい時間強かっただけで、ほとんど降っていませんが、早朝からずっと強風が吹きまくっています。冒頭の写真は、諸戸氏庭園の主屋の修復工事が行われているところに掲げられている吹き流しの写真。12時過ぎに撮ったものですが、真横に流れています。この状態ですと、風速は10m/s以上だということです。これが、しばらく見ていたら、右の写真のような状態になったときもありました。このばあい、いったいどのくらいの風速が出ているのでしょう?

0809amedasc Img_9076c  こちらはアメダスのデータ。5時前後にもかなり降っていたのですが、それは記録には表れていません。14時過ぎには、雨雲レーダーに赤く映るような雲が西から来て、かなり降りました。天気予報でもさほど強い雨は降らないということでしたので、「これは、散歩に行けるかも」と思ったものの、この強風ではさすがに諦めました。アメダスの記録では、今日の最大風速は、9.0m/sですが、冒頭の写真のように10m/s以上の風が続いています。風に煽られてひっくり返ったりしたら、大変です。カメラを持って出ても、被写体となる鳥はいないでしょうし、カメラが風に煽られて写真どころではなさそうだと判断した次第。右は、やはり昼頃の揖斐川、長良川、長良川河口堰方面の写真。白波がかなり立っていました。

Img_9101c_20210809155101  やむなく蟄居生活。いつぞや書いたことがありますが、コツコツと「久波奈名所図会」を勝手に解読中(微笑)。上中下の3巻本として昭和52(1977)年に出版された「影印校注本」を古本で入手しています。もとの本は、桑名市伝馬町にある真宗本願寺派の長圓寺の第11代住職・魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)が著したもの。自序には享和2(1802)年8月、奥書には文化元(1804)年6月の日付。桑名市の指定文化財になっています。

Img_9105c_20210809155101 Img_9110c_20210809155101  影印校注本ですから、原寸のまま写真複製されています。義道による文章の他、鍋屋町に住んでいたという工藤麟渓の絵がかなりたくさん挿入されています。左は、「船場(ふなば)」とありますが、現在の七里の渡し跡附近。伊勢一の鳥居、本陣(現在の船津屋のところ)、住吉神社などが描かれています。右は、本文。「川口」「川口御番所」「御高札場」「一の鳥居」など、左の絵の辺りの説明になっています。古文書が読めるようになりたいという気があって、入門書を読んだこともありますが、なかなか(苦笑)。

Img_9114c_20210809155101  幸い、この本には「釈文(もとの意味は、「仏教の経論を解釈した文句」)」が添付されています。本来であれば、右上の写真にある、もとの文章を読まないと、「久波奈名所図会」を読んだことにはならないかも知れませんが、取り敢えずは、こちらの「釈文」で読んでいます。実際には、釈文をスキャナで読み込み、OCRソフトでpdfに変換したものから、テキストをWordにコピペ。これをまずは、原典の釈文と照らし合わせて、私にとっての「原文」をつくります。変換精度はまあまあですが、旧字体があると、トンでもない変換があります。また、原典には、注釈のように、本来1行のところに2行で文が書かれていたりしており、こういうところを変換したものは、2行の文が1文字おきに入り乱れてしまったりします。それゆえ、「原文」をつくるのに、まずそれなりの時間がかかります(見落としもあって、解読中に気づいて修正することもたびたび)。

Img_9118c_20210809155101  先日、上巻の第一次解読が終えられました。6月の初めからやっていましたので、2ヶ月がかり。A4サイズで160ページの分量があります。一度プリントアウトして、読み直すことにしています。若い頃に比べ、老眼は進行し、さらに、能率低下も甚だしい上に、ケアレスミスも頻繁にやらかすようになりました。自分でも嫌になるくらいですが、自分の楽しみのためですから、まあボチボチと、ある程度作業が進んだら、「現地調査」をしましょう(散歩で、久波奈名所図会に取り上げられているところはかなり歩いて、見てきてはいますが、この久波奈名所図会に書かれた視点からチェックしてみたいと思うのです)。

2021年8月 8日 (日)

今日の桑名の気温は全国10位……暑い中、桑名市博物館へも

Img_8881c_20210808164401  猛烈に暑くなるという予報でしたが、16時現在の最高気温ランキングを見ると、岐阜県多治見市で40.6℃を記録したとあります(13時34分)。多治見が暑いときは、桑名も暑くなる傾向があります。今日の桑名の最高気温は、38.2℃で(13時47分)、愛知県岡崎市と共に全国10位。ちなみに、ランキングのトップ10は、すべて東海3県が占めていました。こういうのはありがたくないですねぇ。冒頭の写真は、九華公園の野球場。

Img_8789c  朝の予報では、最高気温は37℃とありましたので、いつもより30分早く、7時に散歩を開始。それでも後から調べたら、この時間ですでに30℃を越えていました。あまり意味はなかったかも知れません(苦笑)。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀、内堀公園と回り、この時点で9時10分。桑名市博物館で開催している「神社の来歴-棟札を中心とした長島八幡のご神宝-」・「刀剣コレクションⅡ-多度大社の宝刀-」が9時半から。内堀公園で時間をつぶし、9時半に桑名市博物館へ。その後、京町、御坊さん(桑名別院本統寺)、寺町と6.1㎞。南風ではあったものの、5~6m/sの風があり、昨日ほど汗だくということはありませんでした。

Img_8797c_20210808164401 Img_8816c_20210808165201  揖斐長良川の中洲には今日は、鳥影はなし。潮が満ちていて水位が高かった影響もあると思います。船津屋さんの裏手でホオジロのオスを見たものの、逃げられ、写真はありません。代わりにという訳ではありませんが、ハクセキレイ。若い個体のように思えます。このところ、ハクセキレイもあまり見なくなっていました。台風に備えてか、揖斐川沿いの水門はすべて閉まっています。右の写真は、川口水門。七里の渡し跡にある水門。左手の建物は、旅館山月。

Img_8865c_20210808164401 Img_8857c_20210808164401  時間が早いのと、暑いのとでか、今日も、散歩友達はごく少数。九華公園ではMさんとKさん。貝塚公園ではSさん。Mさん、Sさんは昨日も会いました。九華公園、今日はアオサギさんはいませんでした。というか、私が九華公園に着いたのが7時半前で、アオサギの出勤前だったような気がします。

Img_8891c_20210808164401 Img_8850c_20210808164401  昨日に引き続いて、今年巣立ったとツバメの若鳥。ツバメは3羽いたのですが、そのうち2羽は確実に若鳥。今日は、吉之丸堀の上を通る電線にて。その他、スズメ、ドバト、ハシボソガラスは少数いたものの、他の鳥は見当たりません。右の写真は、久しぶりにみたウチワヤンマ

Img_8921c_20210808164401 Img_8937c_20210808164501  貝塚公園に行く途中、スズメがテレビのアンテナに。さらに、貝塚公園から内堀公園に行く途中、普段は通らない路地を歩いていたら、内堀のあるお宅で、今まで気づかなかったツバメの巣があり、ヒナが2羽。かなり成長していますので、巣立ちも近そうです。

Img_8994c_20210808164501 Img_8997c_20210808164501  お盆も近いので、御坊さんへお参り。今日は、寺町商店街が三八市で、境内は駐車場と化していました。左の写真は、菩提樹。実がなっています。以前にも書きましたが、これで数珠をつくるそうです。右は、スイレン。境内の池に咲いています。この池は湧き水だと聞いています。

Img_8962c_20210808164501 0808museum  桑名市博物館。9時半に入って、10時近くまで。市民大学郷土史学科の講師でいらっしゃる大塚先生が受付をしておられ、ビックリ。今日見てきた展示は、2階において「学習支援展示」として行われています(8月29日まで、月・火は休館、高校生以上¥150)。夏休みの子どもたち向けの展示ということです。「神社の来歴-棟札を中心とした長島八幡のご神宝-」の方では、長島八幡神社(桑名市長島町西外面)にある棟札と、刀、弓矢、神面の合計28点。棟札が何かはもちろん知ってはいたものの、これだけの数があるのかというのと、神様を勧請したり、境内の修補をしたときにも掲げるのかと驚きました。長島八幡神社には、獅子舞が伝わっています。「刀剣コレクションⅡ-多度大社の宝刀-」には、室町時代後期の村正が一振り、また、三品廣房(みしなひろふさ)の刀も三振り。

Img_5718c_20210808172101  三品廣房は、現在も桑名市鍛冶(かじ)町で「廣房打刃物店」として続いています。リンク先にもありますが、廣房は、天保12(1841)年、日本刀の刀匠として当地にて始まり、明治に入り、日本刀の伝統を取り入れ、包丁、鋏など諸刃物造りに入り、現在に至っています。写真は、7月25日に撮影。最近、新装開店しています。

Img_8969c_20210808172301  桑名市博物館では、毎回、1点だけ撮影可の展示があります。あまりよく撮れませんでしたが、これは「剣銘  勢州住千子正重(せいしゅうじゅうせんごまさしげ)/天和三癸亥年(てんなさんみずのといどし) 十一月吉日」(多度大社蔵)。正重は、村正を祖とする刀工集団「千子派(せんごは)」門人。室町時代後期から江戸時代前期にかけて作例があります。正重による剣は非常に希少で、しかもこの刀は銘に制作年紀があることから、資料的価値が高いものだそうです。

Img_9032c_20210808164501  今日は山の日で、明日は振替休日だそうです。東京オリンピックも、今夜、閉会式とか。今朝、札幌で行われた男子マラソンでは、棄権した選手が30人というニュースもありました。私は、結局、中継はまったく見ませんでした。テレビのニュースで目に入ってきたくらいですし、新聞のオリンピック関係の記事も見出しをチラッと眺めたのみ。宴が終わって、気づいたら、新型コロナに制覇されていたとなっていないかと思ったりしています。非常勤も終わりましたので、当分、仕事の予定はありません。今週は、旧のお盆。お盆が終わったら、後期の非常勤の授業準備に本格的に着手したいと思っています。サギソウは失敗しましたので、代わりに「シラサギカヤツリ」(微笑)。

2021年8月 7日 (土)

立秋の今日も、暑い

Img_8369c  二十四節気では、今日は、立秋です。暦の上だけではありますが、秋になりますから、これ以降の暑さは、「残暑」。とはいえ、暑いのには、変わりません。今日の最高気温は、今のところ(15時)、33.9℃(10時38分)。いつもより少し早く、7時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、寺町と回って、6.2㎞。10時過ぎに帰宅。「立秋らしい景色」と思ったのですが、この暑さではさすがに見つかりませんねぇ(爆)。

Img_8384c_20210807144501 Img_8398c_20210807145401  住吉神社の前から揖斐長良川の中洲を見たら、あの場所にダイサギが1羽。先日、以前はアオサギなどがたくさん来ていたのにとぼやいたところ。この写真では分かりにくいのですが、ダイサギの周りには、カルガモが少なくとも4羽いました。

Img_8432c_20210807144501  七里の渡し跡の手前、旅館山月の裏手で、あのホオジロのオス。やはりこのあたりに居着いているようです。船津屋さんの裏から山月の裏までは、木々がたくさん植えられていますから、それなりに暮らしていけるのでしょう。

Img_8566c_20210807144501  九華公園は、今日も散歩する人はほとんどいません。いつもお目にかかる女性3人と、散歩友達のMさんのみ。「さすがに暑いので、誰も来ないな」とMさん。「もう、早く帰るか」といって帰って行かれました。公園に来たときにはいなかったのですが、もう1度見に行ったら、例の場所にアオサギさん。他には、カワセミが飛ぶのが見えて、追いかけたものの、見失ってしまい、残念。

Img_8601c_20210807144501  スズメ、ムクドリ、ドバト、ハシボソガラスくらいしかいないかと思っていたら、辰巳櫓跡近くの電線にツバメ2羽。今年巣立った若鳥のようです。これでちょっと機嫌がよくなりました(苦笑)。

Img_8645c  貝塚公園では、今日も散歩友達のSさんと遭遇。このところ、毎日会います。いつも15分くらい、世間話。今日の話題は、新型コロナの感染者数が増えたこと。そういえば、散歩友達の間で、オリンピックの話はほとんど出ません。テレビで中継を見ているということも聞きません。前回の東京オリンピックの時、私は、小学生。学校の視聴覚教室で、あの頃で始めたカラーテレビで中継を見た記憶があります。あの時はさすがに感動しましたが、今回は、諸々あって、どうもイマイチ気が乗らないというのが正直なところ。それ以前に、最近、スポーツ番組自体をほとんど見なくなっていますし。

Img_8661c_20210807144501  寺町交差点の北にあるお宅で、再びノウゼンカズラが咲き始めました。ここのお宅のノウゼンカズラは、梅雨入り前と、立秋頃と2回咲きます。

Img_8683c_20210807144501 Img_8678c_20210807144501  拙宅前の住吉入江まで戻って来て、一休み。サクラの木などが植わっていますので、セミを探してきます。今日も、ニイニイゼミを発見。色模様が、木の幹に同化していて、なかなか見つけられません。ちょっと静かになったかなという気がしますが、クマゼミはまだまだ元気。

Img_8529c_20210807144501  という次第で、立秋の今日も暑くて、午後からはなかなかやる気も出ずに過ごしています。暑い時期、午前中に散歩をしてくると、「一仕事終えた気分」になってしまうのです(苦笑)。昨日書きましたが、「夏休み気分」だから、まぁいいかと思うのであります。残暑厳しき折から、皆様にもご自愛の程、お祈り申し上げます。

【追記(8/7夕方)】 夕方、ふと「今年、ナガシマスパーランドの花火は?」と思って調べたら、“2021年「長島温泉 花火」 開催 見送り のお知らせ”が、ナガシマスパーランドのWebサイトにありました。残念。去年は、疫病退散の願いを込めて実施されたのに(2020年8月9日:20200809ナガシマスパーランド花火大競演)。桑名水郷花火大会も、11月20日(土)に予定されていたのですが、こちらも中止。石取祭も、祭車曳き回し行事は休止で、暑い中、静かな夏が過ぎていくということですねぇ。

【さらなる追記(8/7夜)】 精神病理学の権威で、京都大名誉教授の木村敏(きむら・びん)先生が4日、老衰のため90才で亡くなられたというニュースが流れていました(こちら)。精神病理学の権威でいらっしゃいます。学生時代からしばらく、木村先生のご著書を何冊か読んでいました。たとえば、自覚の精神病理、人と人との間、異常の構造、分裂病の現象学、自己・あいだ・時間-現象学的精神病理学-、時間と自己、分裂病と他者 、心の病理を考えるなど。精神医学分野における京都学派のお一人で、ハイデガーや西田幾多郎の哲学に影響を受けておられ、ご著書は決して読みやすいものではありませんでした。あの頃は自分もかなり背伸びしていたということです。

2021年8月 6日 (金)

これで「夏休み気分」(微笑)

Img_7975c  8月6日、広島の原爆記念日ですが、マスコミはオリンピック一色で、例年に比べ取り扱いは小さくなっています。管総理は、式典で読み間違えたり、読み飛ばしたりだそうで、気持ちが入っていないのでしょう(すなわち、被爆にほとんど関心がないのが露呈しただけ。ここにも「今だけ、自分だけ、お金だけ」が反映されていると私はみます)。今日も暑くなっていますが、いつも通りの散歩生活。7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.2㎞。後述のように、散歩友達も少なく、2時間あまりで帰宅という「高速」散歩。冒頭の写真は、住吉神社の前から見た揖斐川の上流方向。誰も歩いていません(苦笑)。いよいよ、散歩する人は少なくなりました。今日は、三の丸水門近くに行くまで、誰ともすれ違わず。

Img_8130c_20210806124601 Img_8125c_20210806124601  人はいませんでしたが、鳥は少しだけ。船津屋さんの裏手の高水敷でホオジロのオス。右の写真のように、高水敷に1本だけ生えている木にいました。この頃、この辺から三の丸水門あたりで見るホオジロでしょう。真夏の時期にいてくれるのは、ありがたい。

Img_8210c_20210806124601  九華公園。散歩友達、今日はゼロ。公園で出会ったのは、管理人Fさんと、シルバー人材センターから草刈りなどに来ておられるMoさん、Muさんの3人のみ。前管理人のOさんも、私がいる間には来られず、九華すずめ食堂は準備中のまま。

Img_8232c_20210806124601 Img_8296c_20210806124601  本丸跡では、カワラヒワのヒナたち。ヒナというか、今年巣立った若鳥たち。若鳥たちだけで5~6羽の群れをなしていました。

Img_8279c_20210806124601  アオサギさんは、今日もいました。最近のお気に入りの場所。相撲場の近くからですと遠いのですが、九華橋西側のたもと近くの堀端に行くと、割と近くから見えます。ただし、足場が悪いので、ジジイには注意が必要。堀に転落する危険性なきにしもあらず(笑)。

Img_8262c_20210806124601 Img_8333c_20210806124601  他はスズメ。今年巣立ったヒナも、ずいぶん成長した感じになってきました。あちこちで見られます。その後、貝塚公園では散歩友達のSさん。「出て来たばかりなのに、もうベンチで休憩してるんや」と苦笑。内堀公園、新築公園、老松公園、どこもクマゼミ、アブラゼミばかり。

Img_8162c_20210806124601  猛暑の日の午後は、エアコンの効いた室内にいても、イマイチモチベーションが湧きません。寝っ転がって、読書が一番かという気がしています。

Img_7968c_20210806124701  ところで、一昨日の試験については、今朝早くに成績評価を再度確認し、メールで非常勤先に提出しました。先方からも受け取った旨、返事をいただけましたので、これで前期の仕事はコンプリート。しばし、夏休み気分が味わえます。週1コマの非常勤の授業とはいえ、それなりに責任があります。それをどうやら果たせたと思うと、ちょっとばかり開放された気になるのです(苦笑)。後期のスタートは、9月27日(月)の週から。後期の準備は少しずつ始めてはいますが、本格的には旧のお盆明けからやるつもり。写真は、桑名七里の渡し公園の百日紅、1つ前は、九華公園・奥平屋敷跡の萩。

【つぶやきを追記(8/6)】 冒頭に広島での平和記念式典で管総理が、読み間違えたり、読み飛ばしたりしたことについて少しだけ触れました。そこに「関心がないのが露呈しただけ」と書きましたが、たぶん、新型コロナで国民がどうなっているかにも関心がないのでしょう。それは、人の痛みに思いを致すということがないのか、そもそも他者の存在に関心がないからなのかも知れません。自分と、自分の身内のことにしか視野に入っていないのだろうなという気がします。

2021年8月 5日 (木)

ダイサギ2羽、アオサギさん、カワラヒワなどそれなりに……採点、成績評価は一応終了

Img_7663c_20210805143801  全国的に危険な暑さだそうで、13時までに38℃を越えたところもあるそうです。桑名では、14時現在、34.3℃。それにしても、暑い日が続きます。一昨日は雨、昨日は仕事であまり歩いていませんので、今日はいつも通りに散歩。7時半スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町と5.6㎞。さすがに汗だく。

Img_7690c_20210805143801 Img_7703c_20210805143801  揖斐長良川の中洲に、ダイサギが2羽。久しぶりにここでダイサギを見ました。以前は、ダイサギの他、アオサギもたくさん来たのですが、最近はサッパリ。ちなみに、一頃はあんなによく鳴いていたオオヨシキリの鳴き声は、この頃はまったく聞こえません。

Img_7713c_20210805143801  三の丸水門の近くで、ハクセキレイ。ただし、遠くへ逃げられましたので、あくまでもいたというだけの証拠写真(ダイサギの写真も同様ですが……)。

Img_7722c_20210805143801  柿安コミュニティパークでは、夏休みに入ってから、子どもたちがサッカーの練習をしているのを見ます。暑いのに、元気です。「子どもは風の子」といいますが、「太陽の子」でもあります。ここまで、散歩する方はきわめて少数(苦笑)。さすがにこの暑さでは、「止めておこう」となるのでしょう。

Img_7734c_20210805143801  九華公園には、7時50分に到着。最近の「例の場所」に、アオサギさん。鎮国守国神社の社務所の真裏から、「お気に入りの場所」を変えたようです。もう少し南にある、櫓の跡と思われるところに近い樹上。ここが新しいお気に入りの場所のようで、最近はここによくいます。堀の対岸からは、ちょっと遠いのが難点。

Img_7792c_20210805143801  奥平屋敷跡では、散歩友達のW、Y両氏と、前管理人Oさん。ここでは、スズメなど鳥が出てくるのと、Oさんがやってこられるのを待っています。Oさんが来られると、九華すずめ食堂が開店するのです(微笑)。スズメたちは今日もたくさん集まってきます。

Img_7758c_20210805143801  奥平屋敷跡では、珍しくというか、久しぶりにというか、カワラヒワが登場。若いカワラヒワのように見えます。この1羽のみ。他にいたのは、ムクドリ、ハシボソガラス、ドバト、キジバト。ツバメも、ときどき上空を飛んでいきます。鳥小屋のセキセイインコのヒナは、すべて巣立ったそうです。

Img_7896c_20210805143801  九華公園で見た鳥は、以上の通り。スズメ、カワラヒワ、ツバメ、ハシボソガラス、ドバト、キジバトのみ。左の写真は、朝日丸跡の九華すずめ食堂支店。こちらも、そこそこ賑わっています。

Img_7821c_20210805143801 Img_7857c_20210805143801  奥平屋敷跡では、珍しい光景を見ました。Oさんが持っているエサ箱からこぼれた餌を狙ってドバトが集まって来たのですが、ドバト同士でトラブル発生。5羽ほど集まっていたのですが、そのうち1羽が、近くに寄ってくるドバトに次々に突っかかっていったのです。

Img_7865c_20210805143801 Img_7893c_20210805143801  ドバト同士がときどき揉めているのは何度も見たことがありますが、これほどのトラブルは初めて。最初に翼をいきなり広げ、たぶんまずは音で威嚇。自分の姿を大きく見せようといういともあるかも知れません。それから、突き当たってつついたり、相手の上にのしかかったりしていました。このトラブルの様子もおもしろかったのですが、もっとおもしろかったのは、そばにいる他のドバト。「関係ないも~ん」という感じで、餌をつついているのです。

Img_7908c_20210805143801  こちらは、鎮国守国神社の鳥居の近くで見かけたスズメの若鳥。暑いので、口を開けています。カラスなども同じ行動をします。私の散歩も、今の時期は、耐暑訓練というか、修行というか、そのようなものですが、鳥たちにも暑さは応えるのでしょう。このあと、貝塚公園では散歩友達Sさんと出会い、先日に続き、スマホ教室。今日は、スマホとパソコンの接続について。10時20分頃帰宅。

Img_7679c_20210805143801  ところで、昨日の試験の採点その他。朝早く目が覚めましたので、採点の確認は、朝食までに済ませました。帰宅後、点数をExcelに入力。すでに江戸橋に非常勤に行き始めた頃から、レポートと試験の点数を入力すると、それらの合計点を求め、その合計点から成績評価を自動的に生成するよう、ワークシートに関数が入力してあります。平均点、標準偏差、最高点、最低点を求める他、秀・優・良・可・不可の人数もカウントするようにしてあります(などと書くと、さもよく使えるような印象かも知れませんが、これくらいは、まったくの初歩レベルで威張れたものではありません)。このあと、入力した点数にミスがないかを確認し、成績評価を一通り個別にチェック。今日はここまで。明日、もう一度、最終的に確認して、成績を提出する予定。ここまで終えられると、本当に前期の仕事がコンプリート。

Img_7904c_20210805143801  週末から来週にかけては、台風が2つ、続けて襲来するという予報が出ています。やれやれ、猛暑の後は、台風2つかぁとぼやきたくなります。

Img_7926c_20210805143801  余談。九華公園の隣に市民プールがあります。今年は、夏休み期間だけ営業しているのですが、閑古鳥が鳴いています。一昨年は、平日の朝でも賑わっていた記憶があります。これも、コロナの影響なのでしょうか。ちょっと寂しい気がします。

【追記(8/5)】 台風はその後(15時)に11号も発生し、3つとなっています。11号は、日本の東にあって、北に進んでいるそうですから、直接の影響はなさそうです。

20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その3)……菅原社、老農水原政次翁称功碑、北の端の地蔵堂、役行者神変大菩薩から江島若宮八幡神社にお参りし、久住屋菓舗で「おはらぎ」をゲット、青龍寺、勝速日神社を回って白子駅にゴールで「完」

210731suzukashi4  7月31日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その3です。その2では、弥都加伎(みずがき)神社で休憩し、12時過ぎから再び歩き始めました。その後、道標、山の神を見て、岸岡町に入ります。フジクラ鈴鹿事業所のところで菅原社。このあたりを歩いているとき、北の空には入道雲がモクモク。雷鳴も聞こえていましたが、ほとんど降られず、ラッキー。老農水原政次翁称功碑を見て、近鉄名古屋線を越えたところで、北の端の地蔵堂と役行者神変大菩薩へ。

Img_6937c_20210731191801  フジクラ鈴鹿事業所。昔は、藤倉電線といいました。今は、エネルギー、情報通信、エレクトロニクスなども手がけているようです。

Img_6945c_20210803103501 Img_6948c_20210731191801  そのフジクラ鈴鹿事業所の隣に菅原社。主祭神は、菅原道真、相殿神は宇迦之御魂神。神社検索三重のサイトによれば、創祀の事情やその年代は不詳です。集落の産土神として古くから信仰を集めており、地区民の心のより処となってきたといいます。境内には忠魂碑があります。第2次世界大戦に、打越地区から出征され、戦死なさった8名の方の慰霊のためのもの。ここでスタートから6㎞。

Img_6965c_20210731191801  その先に「老農水原政次(まさし)翁称功碑」があります。ここは、近鉄ハイキングで来たとき、見逃してしまっていたのです。こんな大きなものを見逃すとは、ウッカリも良いところなのですが、話に夢中になっていて通り過ぎてしまったのが真実。水原政次翁は、弘化4(1847)年、現在の市内木田町に生まれ、青年時代農業を営み、上京して農学社に学び、32才から30余年、三重県農事試験場や県農会に勤め、農事に関する知識の普及や農事改良につくし、県下初の農事試験場長になっています。退職後、64才の時、現在の東旭が丘地域に水原新田を開拓し、近郷や県下の農業者に新しい米策栽培などを啓発指導したそうです。晩年には失明したものの、「昼まだに くらきめしひも嬉しきは 物にまよはぬこころなりけり」と農事にかけた心意気を詠っています。碑は、農学博士・横井時敬(ときたか)の筆により、水原翁の功績を称え、大正13(1924)年に建てられています。これで、2年越しの宿題をやった気分。

Img_6975c_20210731191801 Img_6983c_20210731191801  近鉄名古屋線の踏切を渡るあたりから、東江島町に入ります。踏切を渡ってすぐのところに、北の端の地蔵堂。約800年前、鎌倉時代のものだそうです。石像本体周囲に六體の菩薩が刻まれています。「六體」とは、五翼の優世に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身を表しています。この地蔵は、江戸時代から北の端の地蔵と呼び、お守り寺である悟真寺(ごしんじ;浄土宗のお寺、白子本町にあります(白子駅の北東))の古記録にも「霊験あらたかで願うこと叶わざるなし、遠近の信者多く毎年8月24日の縁日は善男善女の参詣が列を作る」などとされているといいます。江戸時代、寺家、白子などから江戸方面に伊勢型紙等の行商に出る人らはこのお地蔵さんで道中の無事を祈りました。

Img_6995c_20210731191801  北の端の地蔵堂から道を1本はさんですぐ東には、役行者神変大菩薩役行者(えんのぎょうじゃ)は、役小角(えんのおづぬ)ともいわれ、奈良時代の山岳呪術者。寛政 11(1799) 年に修験道の開祖と仰がれ、朝廷から「神変大菩薩」の諡号(しごう)を受けましたた。ここの社は、この修験道の開祖である「役行者神変大菩薩」が祀られています。役小角(舒明天皇6(634)年伝~ 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、修験道の開祖とされています。 実在の人物だそうですが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きいといいます。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承があります。鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという言い伝えもあり、なかなか面白い。しかし、なぜここにこういう役行者神変大菩薩が祀られているのでしょう?

210731suzukashi5  さて、詳細なルートマップも、いよいよその5、最後になります。伊勢街道からは少し外れますが、江島若宮八幡神社に立ち寄ります。参拝し、常夜燈を見て、伊勢街道に戻ります。江島本町で、小笠原侯屯所跡、江島陣屋跡、安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡を見て回り、久住屋菓舗で土産。青龍寺、勝速日神社に行って、この日の目的地はコンプリート。

Img_7017c_20210731191901  江島若宮八幡神社。鈴鹿市内で2番目に広い境内を持つ神社(最も広いのは、椿大神社です)。主祭神は、大鷦鷯命(オオササキノミコト、仁徳天皇)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)。これらを始め、17柱の神様が祀られています。平安時代初期、禁中に奉祀せられていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の分霊)を醍醐天皇が、神意に問いて伊勢宗廟(皇大神宮)の戌亥の方なる当地に奉遷せられたことに始まります。明治42(1909)年5月には、大宝天社、湊守社、稲荷社、風の宮、愛宕社が合祀されました。なお、すべての御祭神は、こちらにあります(2018年3月22日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その4)……芙蓉館から江島若宮八幡神社へ(まだ続きます))。

Aa97b202 B4fd9963  実は、拝殿その他の写真を撮り忘れました(苦笑)。これらの写真は、2019年5月4日に撮ったもの(20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その3))。また、この日(7月31日)は、この神社では夏越しの大祓でしたが、茅の輪の写真も撮り忘れ(爆)。

88026e5b  この日は、閉まっていて見られなかったのですが、江島若宮八幡神社には、奉納された絵馬がたくさん保存されています。白子の町は、湊として繁栄した歴史があり、回船業で賑わいました。あの大黒屋光太夫も、白子湊から出航しています。航海の安全を祈願するなどのため、多数の絵馬が奉納されており、そのうち、江戸時代の71面は三重県指定有形民俗文化財です。弁財天、武者絵、町絵図、帆前船などの図柄のものがあります(写真は、2019年3月23日に撮影したもの(20190323近鉄ハイキング「早春の海風を感じて おひなさまめぐりと海の幸」へ(完)))。

Img_7006c_20210803111301 Img_7013c_20210803111301  境内にある稲荷社の拝殿は、ちょっとした見物。眷属の狐はもちろん、拝殿まですべて石造りなのです。さらに、拝殿脇の狐さんは、右の写真のように、他では見ない、カワイイもの。

Img_7024c_20210731191901  江島若宮八幡神社の南にある常夜燈。この常夜燈は、文政3(1820)年初秋、白子から江戸に出帆する廻船問屋の船、また江戸から白子に来る船の航海安全を祈願して、江戸にあった大伝馬町組と白子組の船荷取扱い関係者(江戸橋)が寄進したものです。その頃、この常夜燈の東南は、港の入江の「小浜」と呼ぶ波打ち際で、灯台の役目を果たしていたといいます。

Img_7030c_20210803111901 Img_7034c_20210803112101  常夜燈を見て、伊勢街道に戻ります。伊勢街道に出るところに、江島神社という社号標。大正15(1926)年10月に建てられています。江島本町に入っています。右は、伊勢街道沿いの民家。このあたりにも何となく、昔風の建物が残っています。

Img_7044c_20210731202401  江島本町の中心あたり、ランバーハウジングという会社の前に「江島陣屋跡」という案内板があります。江島村は、江戸時代初期(正保年間、1644~1648年)までは天領。その後紀州藩の旗本の領地となり、享保年間(1716~1736年)には小笠原肥前守の知行地になり、この地に陣屋が建てられたのです。明治2(1869)年3月14日には、明治天皇が伊勢神宮参拝の帰路、ここで小休止されたといいます。

Img_7040c_20210803113201  江島陣屋跡の手前、西側の路地の入り口に「小笠原侯屯所跡」という案内板があります。この江島村は、上記のように、享保年間には小笠原肥前守の知行地でしたが、紀州・亀山両藩の領地にはさまれていました。この両藩を含む、領地の住民らの治安維持を目的として、ここに屯所が設けられたのです。両藩の同心、御用聞き、目明かしらが詰めていたそうです。

 Img_7050c さらにその先、現在の白子コミュニティセンターの敷地は、安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡でした。明治時代になって私有財産権が認められ、住民の土地田畑の所有権を公に登記する必要な行政機関として、国内各地にその役所が置かれました。それが、治安裁判所で、白子地区には明治21(1888)年10月に設置されました。その後、明治25(1892)年には役所が新設され、名称も登記所に変更。さらに、その後、法務局になっています。

D2903db4 Oharagi  久住屋菓舗さん。大はら木(おはらぎ)(右の写真:久住屋菓舗さんのサイトからお借りしました)とかりんとまん(かりんとう饅頭)をゲット。このあたり、久住屋菓舗さんの他、大徳屋長久さん、田中観月堂さんで銘菓「おはらぎ」が売られています。伊勢街道を通ったら、どこかで「おはらぎ」を買って帰ります。また、かりんとう饅頭は娘の大好物で、白子へ行くというと買ってくるよう指令が出るのです。これで重大な任務も果たせました(微苦笑)。ちなみに、3店舗の「おはらぎ」は、すべて食べたことがありますが、甲乙付け難し。好みによると思います。

Img_7060c_20210731191901 Img_7064c  ゴールの白子駅を目指すのですが、その前に2箇所、さらに立ち寄ります。まずは、體用山(たいゆうざん)青龍寺。真宗高田派。天長7(830)年、弘法大師によって開創。寛正元(1460)年、真慧上人に帰依し、真宗高田派に改宗しています。このお寺には、徳川吉宗作の「紅梅白梅図(掛け軸)」、「弘法大師の手形」、第11次朝鮮通信使(延享3(1746)年)の通訳官・朴徳源の肉筆による「體用山」の額があります。徳川吉宗作の「紅梅白梅図(掛け軸)」は、白子が紀州藩領だったこともあり、徳川吉宗とも縁があったと思われます。「弘法大師の手形」は、弘法大師(空海)が護摩(ごま)の修行で出た灰を固めて作ったとされます。朴徳源の肉筆による「體用山(たいゆうざん)」の額は、平成15(2003)年に、本物であることが確認されているそうで、朝鮮通信使が書いた扁額は、全国的にも少ないので、貴重な文化財です。ただ、鈴鹿は朝鮮通信使のルートからは外れているのに、何故ここにこれがあるのかは不明。

Img_7088c_20210731191901  最終目的地は、勝速日(かつはやひ)神社。神社の由緒書きによれば、文明年間(1469~1486年、室町時代)の創建。主祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト。この神様は、天之忍穂耳命と同じで、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父)。相殿神は、天御蔭命(アマノミカゲノミコト:天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同じであり、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神)、素盞嗚命(スサノオノミコト:出雲神話の祖神。伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊の子。天照大神の弟)、稲田姫命(クシナダヒメノミコト:八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)、武甕槌命 (タケミカヅチノカミ:伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。鹿島神宮の祭神)、経津主命(フツヌシノカミ:磐筒男神(イワツツノオノカミ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト:天児屋命の妻)。

Img_7084c_20210731191901 Img_7080c_20210803120101  鈴鹿サーキットでF1グランプリが行われますが、レース関係者がこの神社の名前と、御祭神に注目して、必勝祈願に訪れるそうです。正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、稲穂の神、農業神として信仰されることが多いようですが、「正勝吾勝(マサカツアカツ)」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「勝速日(カチハヤヒ)」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられています」(Wikipediaから)。これで、この日の目的地は、コンプリート。

Img_7092c_20210731191901  ゴールに設定した近鉄名古屋線白子駅には、13時40分に到着。スタートからここまで8.9㎞を歩いてきました。途中、フジクラ鈴鹿事業所の辺りでは、北の空でゴロゴロと音がしていましたが、雨には降られず。猛暑の中をよく歩いてきたと思います。

1627707106964c Img_7097c_20210731191901  昼食は、白子駅の自由通路を渡って、駅西の商店街へ。私が鈴鹿で働いていた頃は、かなり賑やかな商店街だったのですが、今はご多分に漏れず、シャッター商店街化してきています。探したら、ラーメン屋さんがあり、冷麺がメニューに載っていましたので、ここ「ラーメンだいどんでん」へ。「冷やし塩レモン」をチョイス。¥980。イタリアンみたいな不思議なラーメン。とても美味しい。絶品といえるかもしれません。

Img_7112c_20210731191901  白子駅を14時28分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には15時2分着。¥500。15時半前に帰宅。今日の歩数は、22,426歩。現地で、昼食を含め9.3㎞を歩き、自宅から桑名駅往復が2.4㎞、合計11.7㎞。

2021年8月 4日 (水)

今日は、前期の期末試験……帰りに津駅の本屋へ行ったら伊勢街道ガイドブックを発見して喜ぶ

Dscn4391c  連日の猛暑です。今日も、桑名では34.2℃で、三重県には熱中症警戒アラートが発令されていました。朝5時半から、冒頭の写真のような空。当然のように、熱帯夜でした(25.2℃)。

Dscn4414c  今日は、江戸橋での前期の仕事の最終日。試験を行ってきました。非常勤先としても、今日が前期試験の初日。猛暑ですから、学生諸君もその準備には大変だったであろうと思います。受験資格のある学生たちは、皆出席。前列に座っていた女子学生に、「どう?」と聞いたら、「ヤバいです」だそうでした。「試験範囲が多い」ともいっていました。試験時間は1時間。30分経ったら退出可です。30分経過したところで、半数以上が退出していきました。出来具合は、一昨年に比べ割とよい印象。

Dscn4406c  採点は、帰宅して昼食を摂って、一休みしてから怒濤の勢いで、一通り終えました。詳細はもちろん、ここには書けませんが、筆記試験の平均点数は、満点の70%弱。平均点から見ると、難易度としてはまあまあでしょう。明日以降、採点を見直して、成績を評価し、その成績評価も再確認する予定。これが終わると、前期のdutyを果たせますので、安心して「夏休み」に入れます。後期は、9月の最終週から。この写真は、試験を終えて、帰る前に教室から南の方角を撮ったもの。三重県総合文化センターや、県立博物館がある辺り。

Dscn4399c Dscn4404c  前期最終日ですので、非常勤先にあるツバメの巣もよく見たのですが、非常勤講師控え室前のコシアカツバメはもういないようでした(左の写真)。校舎2階の通路のところの巣からは、スズメが飛び出していくのを確認(右の写真)。藁を敷いていたのは、やはりスズメでした。廃物利用というか(微笑)。桑名でも、養老鉄道をまたぐ高架橋の下にあったイワツバメの巣をスズメが利用しているのを見たことがあります。

Dscn4419c Dscn4423c  いつもより20分ほど早く終えることができましたので、江戸橋駅から松阪行き急行に乗車。反対方向です。津駅まで行き、駅ビルのChamへ。ここの3階に別所書店という大きな本屋さんがあるのです。帰りに桑名駅から歩いて、アピタ桑名店に寄ってもよいのですが、暑いので、津駅の本屋に行った方がよいと考えた次第。欲しかった文庫本の他、地元についての本のコーナーを見たら、伊勢街道のガイドブックを発見! いや、やはり津駅まで行ってよかった(爆)。本を3冊買って、とんぼ返り。いつも12時に講義を終えたとき、江戸橋から乗る電車に乗れました。

Dscn4425c  しかし、桑名駅からの帰り道の暑かったこと。左の写真は、桑名駅を降りて、自由通路から見た南の空。天気、よすぎます(苦笑)。ちょうど歩いて帰る頃が、今日の最高気温を記録した時間です。マスクをして歩いていると、けっこうしんどいくらい。

Dscn4395c Dscn4415c  余談。往きに江戸橋駅から非常勤先に行くとき、住宅街を通っていきます。ハクセキレイをよく見ますが、今日は、こんなシーンが撮れました。コンデジの割によく撮れました。もう1つの余談。非常勤先の近くに「ミエハク工業」という会社があります。講義に行き始めた頃から、何の会社か気になっていたのです。というのも、麦か大豆かを発酵させてような匂いがしていたのです。最近になってやっと調べたら、押し麦、麦茶など大麦を使った製品を主に作っているところでした。納得。

【オマケのつぶやき】 東京オリンピックも、政府のコロナ対策もグダグダになっています。いつぞや、令和の時代、諸々の背景にあるのは、「今だけ、自分だけ、お金だけ」という原理だと書きましたが、まさにその通り。さらに、このグダグダの背景にもう1つあるのは、根拠なき楽観主義のように思います。思いを語っておけば、あとは何もしなくても何とかなるとでも考えているのでしょう。今回の緊急事態宣言についての管総理の記者会見もひどい。あの「ご飯論法」以下というか、以前というか。「危機感を共有するために何が必要か」と問われて、「共有することが必要」と答えていました。トートロジー(同語反復)に過ぎません。学生の答案にトートロジーがあったら、当然、説明にはなっていませんから、バッテン。

2021年8月 3日 (火)

やむなく「雨読」の日

0803amedasImg_7656c_20210803151401  アメダスの記録には出ていないところもありますが、概ね15時前までは雨。12時台にはかなり降りました。雨が止んだら散歩に行こうと思っていた目論見は、見事はずれました(苦笑)。それに、娘から「代引きで宅配が届くから、お願い」といわれ、渋々在宅せざるを得なかったというのもあります(苦笑)。荷物は、結局14時過ぎに到着。使命は果たしました。15時過ぎにこれを書いています。雨はもう大丈夫そうで、15時過ぎには青空も見えてきたものの、今日は、散歩はなし。

Img_7639c_20210803151401  ということで、蟄居&居職生活。昨日の歴史講座の資料を整理したり、7月31日に行って来た「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」のブログ記事の続きを書いたりしています。明日の江戸橋での試験ですが、問題の印刷は事務室にお願いしてありますので、準備はもうないなと思っていたら、非常勤先から相次いでメール。試験の座席配置表と、前期成績評価表などが届きました。試験で学生に座席を指定するなら、この「座席配置表」を自分で完成させて、掲示しなければなりません。

Img_7589c_20210802165101  本当は、散歩ついでに本屋も覗いてきたかったものの、それはまた明日の江戸橋の帰りにでも。3枚目の写真は、我が家のベランダ園芸の様子。相変わらずアサガオは咲きません。左の写真は、昨日の散歩途中見かけた白花百日紅。

20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その2)……天白神社、正信寺、道標、弥都加伎神社へ

210731suzukashi2  7月31日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回、「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その2です。その1では、鈴鹿市駅をスタートし、肥田町にある宇気比神社や、山の神2ヶ所、道標のあるところまで来ました。スタートからは2.4㎞ほど歩き、時刻は、10時半頃。詳細なルートマップは、その2。しばらく立ち寄るところはありません。金沢川(かなさいがわ)を渡り、国道23号線を地下道でくぐって玉垣へ。天白神社、正信寺へ向かいます。途中、もう1ヶ所の宇気比神社がありましたが、パス。正信寺のところには道標が1つあります。

Img_6744c_20210731191801  国道23号線の手前の景色。肥田橋のところから南西の空を見ています。県道8号線と国道23号線の交差点の方面。マックスバリューやカーマが見えます。夏の空。

Img_6750c Img_6753c_20210803071301  この先で国道23号線に行き当たります。ここは、地下道をくぐって、国道23号線の東側へ行きます。ここで、3㎞。

Img_6776c_20210803072901  じきに天白神社が右手(西側)にあります。ここは、神社検索三重のサイトにも載っていませんし、説明板もありませんので、詳細は不明。と思ったのですが、このあと訪ねた弥都加伎神社のサイトを見たら、この天白神社は、弥都加伎神社の境外末社とされていました(こちら)。御祭神は、奥津鳴比賣命(おきつしまひめのみこと)、狭依比賣命(さよりひめのみこと:市寸島比売命のこと)、多氣津比賣命(たぎつひめのみこと)。この鳥居の奥に拝殿があります。

Img_6769c_20210731191801  天白神社の手前にも鳥居があり、こちらは山の神。Img_6762c_20210803073401その1にも書きましたが、このあたりには山の神がたくさん祀ってありますし、しかもそれぞれ大切にされている印象があります。

Img_6766c_20210731191801 32e8201a  天白神社・山の神のところには表忠碑があるのですが、 左の写真のような状況。 2年前の5月4日に来たときには(2019年5月14日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その2))、表忠碑が見えていました(右の写真)。表忠碑の土台の石垣も膨らんで来ていたり、ちょっと危なっかしい状態。年月が経つと、こうも変わるものかと思います。表忠碑は、玉垣地区が英霊280柱のために建てたもの。

Img_6801c_20210803074001 Img_6797c_20210731191801  玉垣幼稚園、玉垣小学校の西を進んでいくと、伊勢街道は枡形になっています。突き当たったところに浄土真宗高田派のお寺があります。圓融山正信寺。本堂の前に大きな楠があります。本堂は、大正3(1914)年に建立されたもの。

Img_6805c_20210803074701 Img_6809c_20210731191801  正信寺の手前、道をはさんで西側の角に道標があります。「右さんくう道」とあります。文化4(1807)年に建てられています。

210731suzukashi3  ここから、詳細なルートマップはその3へ。国道23号線にほぼ沿って南へ進みます。弥都加伎神社、道標、山の神とあります。

Img_6814c_20210803075301  伊勢街道は西玉垣町を南へ。国道23号線の西玉垣町交差点のところで左折し東南に向かいます。実は、この西玉垣町交差点のところに道標が1つあったのですが、見逃してしまいました。たまたま交差点の写真を撮っておいた中に、かろうじて写っていました(苦笑)。ここには、「左さんくう道」と彫られています。

Img_6816c  スタートから4.5㎞、11時20分に弥都加伎(みずがき)神社に到着。近鉄ハイキングで始めてきたときに、「カッコイイ名前の神社だ」と思った記憶があります。主祭神は、大土御祖神(おおつちみおやのかみ;土を司どる神)。相殿神は、埴安比売神(ハニヤスヒメノカミ;火之夜芸速男神を産んで死ぬ間際の伊邪那美命の大便から化生した二神のうちの一神。「ハニ」(埴)とは土のこと)、素盞嗚命大山祇命菅原道真天忍穗耳命(アマノオシホミミノミコト)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)、多紀理比売命(タキリビメノミコト)、市寸島比売命、事比羅神(コトヒラノカミ?;大物主神のことで、大和の三輪山に鎮座する神、大国主命の協力者)、速玉之男命(はやたまのおのかみ;絶命して黄泉国へ去ったイザナミを連れ戻しにいったイザナギは、見ないでくれといわれたイザナミを見てしまい、妻と別れることになったのですが、その別れ際に唾を吐きました。その唾を吐く神をハヤタマノオと呼びます。唾を約束をかためる意につかっているようです)、奧津島比売命(オキツシマヒメノミコト;「沖の島」の「姫神」という意味。 古事記では多紀理毘売命の異名)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、大日霊命(オオヒルメノムチ;天照大神の異称)、狹依比売命(さよりひめのみこと;イチキシマヒメノミコトのこと)。旧村社。いらっしゃる神様は、重複があったり、いろいろでややこしい。神社検索三重のサイトでは、「特に土に携わる職業の方々の安全繁栄」に御神徳があるとされています。

Img_6820c_20210731191801  天平13(741)年の創祀。山田原の土宮の御霊を海部村に勧請し、その後現地へ奉祭したとあります。「山田原の土宮」は、伊勢神宮の外宮の別宮である「土宮(つちのみや」と思います。土宮の説明には、「御祭神は大土乃御祖神。古くから山田原の鎮守の神でした」という記述があります。宝亀元(770)年、土之御祖神、埴安比売命を合祀。延喜5(905)年、社名を土宮から現名称へ変更していますが、それ以前には土御前とも呼ばれたといいます。陶器、左官、粘土、土木工事各業のほか、農民はもとより土に携わる職業の人達、また、豊受宮に糀を奉献したことにより酒、みそ等の職業の人達の多くの崇敬をあつめていたようです。慶長19(1614)年、造営。明治2(1869)年3月、明治天皇御東幸の途次、勅使が奉弊代拝しています。この地は玉垣御厨だったといいますから、伊勢神宮の領地であったということでしょう。延喜式内社。

Img_6841c_20210803082901 Img_6869c_20210803082901  境内には、弥都加伎稲荷社。稲荷社の祭日は、3月23日で、五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全、芸能上達などの祈願と餅撒き神事が行われるそうです。

Img_6857c_20210803082901 Img_6854c_20210803082901  また、鎮魂碑もあります。ただし、これは、戦争で亡くなられた方の御霊を鎮めるためのものではなく、氏子の方で亡くなられた方や、先祖代々の御霊祭を行いうためのものだそうです。不要になった人形・ぬいぐるみ・結納飾り・筆・針等々の霊も鎮め、安心立命を祈願するといいます。実際、小さなお子さんを連れた、若いお母さんもお参りしておられました。

1627700298820c Img_6901c_20210803084301  手水舎には、花手水が飾られていました。こちらは、弥都加伎神社本社の方の手水舎。上を見上げると、風鈴もいくつかつり下げられています。猛暑の中、一服の清涼剤という印象。

Img_6906c_20210803084301 Img_6892c_20210803084301  この花手水、実によく工夫されていて、楽しめます。いわゆる「インスタ映え」します。私も写真を結構たくさん撮ってきました。同行のK氏は、「これはブログに載せないといかんなぁ」というくらい(微笑)。

Img_6833c Img_6880c_20210731191801  境内には、他にも和傘を使ったオブジェがあちこちに飾られていました(上の鎮魂碑の写真にも写っています)。左の写真は、「夫婦岩」に見立てた岩のところにあったもの。こちらもインスタ映えします。実際、われわれが一休みしていたら、若い女性のお二人連れが、スマホ片手に写真を撮って行かれました。

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 ここ、弥都加伎神社で、コースマップ上ほぼ中間地点でしたので、30分ほど休憩。水分補給とおやつ(微笑)。元気を取り戻して、12時過ぎに再スタート。

Img_6924c_20210803085401 Img_6928c_20210803085401  弥都加伎神社のすぐ南に、自然石でできた、丸い道標があります。明治2(1869)年に建てられたもの。「式内 弥都加伎神社」と刻まれています。この年、明治天皇が神宮を参拝されましたが、その際、弥都加伎神社に勅使が派遣され、奉弊代拝の処遇を受けたことを記念しています。

Img_6933c_20210803085401  スタートから5㎞を過ぎたところにも、山の神・鳥居・燈籠があります。ここは、これまでの3ヶ所とは異なり、赤い木造の鳥居と、同じく赤い木造の燈籠、いずれもかなり古びたものが建っていました。

 その2は、ここまで。その3は、岸岡町に入り、菅原社から。フジクラ鈴鹿事業所のところにあります。

2021年8月 2日 (月)

午前中は時間制限法で散歩……午後からは市民大学郷土史学科へ

Img_7576c_20210802165101  相も変わらず、暑い日が続いています。今日も33.5℃。今日は、諸々あって、7時半から9時までの「時間制限法」による散歩。まずは、9時半から12時の間にガスの安全点検が来ることになっていました。午後は、13時30分から市民大学郷土史学科の第3回目。6月の分が、新型コロナ感染者数の増加によって、まん延防止等重点措置が発令され、中止になっていたのです。7時半から住吉神社、九華公園、京町、寺町商店街と4.6㎞。9時前に帰宅。ガスの安全点検は、東邦ガスの方が来てくださったのですが、室内のコンロ、ガス栓などは、「コロナもあるから、とくに希望があればする」ということで、外のメーターボックス内のみ。1~2分で終了(あっけなし)。点検結果は、玄関ドアの郵便受けに入れてもらいました。

Img_7461c Img_7446c_20210802165101  暑くて、鳥はいませんが、九華公園には、今日もアオサギさんが1羽。鎮国守国神社の社務所裏のやや南。高い木の上で、いたところも同じ。最近は、以前よくいた社務所の真裏には来ません。社務所裏の堀には、カメが甲羅干し。ミドリガメではなく、イシガメのように見えますが、典型的なイシガメとはちょっと違う気がします。

Img_7496c  散歩友達は、Yさんに会ったのみ。前管理人のOさんは、時間が早かったので、まだ。九華すずめ食堂の方はスズメはいません。奥平屋敷跡の鳥小屋のセキセイインコのヒナは、今日もまだ巣箱の中。親鳥も世話をしています。いったいどうなっているのでしょう? 明日は朝まで雨の予報。散歩に行けたら、じっくりと観察してきましょう。

Img_7479c_20210802165101 Img_7582c  九華公園その他、あちこちセミばかり。アブラゼミも数は増えてきたものの、鳴き声があまり聞こえない気がします。

Img_7508c  暑いので、散歩する人は減っています。いつも会う人ばかり。最近、新たに散歩友達になったワンちゃんがいます(微笑)。ときどき、散歩友達になるワンちゃんがいます。ワンちゃんで散歩友達とみなす条件は、向こうが私のことを覚えていて、寄ってくるとか、撫でてくれと要求してくるとか、そういう行動が見られたときに、散歩友達に認定しているのです。

Img_7594c_20210802171401  帰り道は、寺町商店街経由。暑い夏、アーケードになっているので、日陰になって楽チンでした。ただし、今日は、定休日。ここの和菓子屋さん、桑名かき氷街道に参加しているところが2軒あります。今のうちに行かないと、食べ損ないそうです。

Dscn4385c Dscn4386c  午後からは、猛暑の中、市民大学郷土史学科へ。桑名パブリックセンターで13時半から。今年は、桑名の事件簿というテーマ。今日は、自然災害の話。江戸時代、かなりの頻度で地震、台風、火事に襲われています。桑名城も、町屋から出火した火事で本丸、二ノ丸、三の丸が燃えています。元禄14(1701)年に天守閣も焼けてしまい、その後、再建されていません。それと、今日の話で興味深かったのは、江戸時代、桑名城のあった辺りは、海抜5mくらいの高さだったそうです。現在、管理事務所のところには、「海抜1m」という表示があります。ということは、4mも地盤沈下している!? 九華公園前管理人のOさんに伺うと、揖斐長良川の中洲である十万山は、「子どもの頃は、もっと近くにあった」とおっしゃいます。やはり、地盤沈下しているのでしょう。旧東海道も、比較的高いところを通しているそうです。市内では、とくに大福あたりは、国道1号線から見るとかなり高いところを通っています。またいつものように、資料をスキャンしてpdf化。講義録をつくるつもり。

20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(その1)……近鉄鈴鹿市駅をスタート、神戸別院など寺を見て、常夜燈、矢椅神社、宇気比神社あたりへ

210731suzukasi0  7月31日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」の本編その1です。この日、桑名では、最高気温33.9℃と相変わらずの猛暑の中、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回に行ってきました。前回(2021年7月17日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編))ゴールした鈴鹿・神戸から同じく鈴鹿の白子まで。具体的には、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から、近鉄名古屋線白子駅まで。三重県では、熱中症警戒アラートが出ていましたが、それをものともせず(苦笑)。同級生K氏と二人、年寄りの冷や水とならないよう、途中、何度も休憩し、水分補給をしつつ、現地では9.3㎞を歩いてきました。冒頭の画像は、この日、歩いたコース。前回に続き、伊勢街道を歩いています。

Img_6566c_20210731191701 Img_6562c_20210802064901  こちらが今日のスタート地点である近鉄鈴鹿市駅。近鉄桑名駅8時42分発の五十鈴川行き急行に乗車。伊勢若松駅に9時6分着。鈴鹿線に乗り換え。伊勢若松駅9時19分発平田町行きで、鈴鹿市駅には、9時24分着。¥500。9時28分にスタート。この時点でたぶん30℃を越えていました。

210731suzukashi1  こちらは、実際に歩いた、詳しいルートマップその1。改めてこれを観て思ったのですが、鈴鹿市駅から、乗ってきた近鉄鈴鹿線の南側を歩いていました。マップに安倍歯科とあるところから先が、伊勢街道になります。真宗高田派神戸別院、願行寺、萬福寺、善導寺、善昌寺とお寺が続きます。少し足を伸ばせば、神戸城跡もあったのですが、この日のコースはいつもより長いので、パス。地子町公民館で道標と常夜燈の竿を探したものの見つからず。村瀬病院のところで常夜燈、矢椅神社、伊勢鉄道を越えて宇気比神社。その先で南向きに進みます。この先、いくつかの山の神があります。

Img_6583c_20210731191701  真宗高田派神戸別院。鈴鹿市駅から340mほど。第16世堯円上人の御代、寛政5(1793)年4月に建立されています。「神戸の御坊さん」と称して親しまれています。明治13(1880)年7月3日、明治天皇の行在所となりました。この年、明治天皇は、山梨・三重・京都に行幸されています。境内には、その御殿が残っているのですが、門が開いておらず、参拝はできませんでした。前回来たときも門は開いていなかった記憶があります(2019年5月4日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編))。

Img_6597c_20210731191701 Img_6604c_20210802071101  神戸別院のほぼ向かいに真宗高田派の高檟山願行寺。光明本尊は、(絵画)は、南北朝時代の作で、中央に光明を放っており、県下でも2点しかない仏画だそうです(市文化財)。享保6(1771)年、神戸町内の161軒を焼いたという信濃屋の火事で類焼し、天明7(1787)年に再建されました。

Img_6611c_20210802071501 Img_6614c_20210731191701  願行寺のすぐ南には、荒木山萬福寺。真宗大谷派。ここには、案内板もありませんし、ネットで検索してもこれという情報は出て来ませんでした。

Img_6608c  こちらは、このあたりの伊勢街道。北から南を向いて撮っています。目の前の大きな建物は、酒屋さん。昔ながらの店。昔はあちこちにこういうスタイルの酒屋さんがありました。「角打ち」といって、店で買ったお酒を店内で立ち飲みする飲み方がありますが、そういうことができそう。中学校の同級生の酒屋もこんな店でしたし、就職してから、近所にもこういう酒屋さんがあり、おじさんたちが明るいうちから升酒や、ワンカップを飲んでいるのを見ました。

231487a4  伊勢街道は、この先で左折して東に向かいます。左折せず細い道を直進すると県立神戸高校(神戸城二の丸跡に校地があります)、その西には神戸城跡があります。神戸城は、天正8(1580)年、神戸信孝(神戸家の養子となった織田信長の三男)が五重の天守閣を築きました。神戸城跡には、野面積みの天守台が残っていて、立ち寄りたいところですが、今日は、マップ上7㎞を超えるコース。先が長いのでパス。左の写真は、神戸城跡。2019年5月4日に来たときの写真(2019年5月4日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編))。ちなみに、桑名城には神戸櫓という櫓がありましたが、ここ神戸城の天守を持ってきたもの。文禄年間(1592~1596年)、一柳直盛(ひとつやなぎなおもり)が桑名城主となったとき、城郭を築く際に、ここ伊勢神戸城の天守閣を移し、後、本多忠勝が本格的に桑名城を築いたときもそのまま残り、神戸櫓と呼ばれました。

Img_6632cImg_6624c_20210802100201  話が逸れました。伊勢街道を左折したところにもお寺が2ヶ所。まずは、終南山善導寺。浄土宗のお寺。山門というべきか、鐘楼門というべきか。やや簡素な造りの門が印象的。鐘がつるせるようになっているのですが、鐘はありません。

Img_6628c_20210731191701 境内もきれいに手入れされていて、本堂も比較的新しそうなのですが、閉まっています。浄土宗の寺院リストには載っているのですが、無住かも知れないという感じがしました。

Img_6635c_20210731191701 善導寺のすぐ東には、善昌寺。真宗高田派。本堂の前で二人の女性が話をしておられましたので、境内には入らず。ここも、案内板はなく、ネット情報もとくにありませんでした。この東にある地子町公民館の敷地に道標(「右いなふ道 左志ろこ道」(元禄2(1699)年建立)と、嘉永2(1849)年建立の常夜燈(ただし、明治18(1885)年の洪水で倒れ、その竿部分だけ)が保存されていると「みえの歴史街道」に説明があったので、探しに行ったものの、分からず。断念。

Img_6651c_20210731191701 Img_6641c_20210802102301  その先に村瀬病院があり、すぐ北に常夜燈。これは、上に書いた嘉永2(1849)年に建てられた常夜燈が、明治18(1885)年の洪水で倒れたため、地元の方が、昭和5(1930)年に再建したもの。それにしても、大きい。

Img_6655c_20210802103301  この常夜燈を過ぎた辺りで、スタートから1㎞。神戸の町にも、ところどころ昔ながらの建物が残っています。

Img_6659c_20210802103301 Img_6667c  矢橋一丁目の交差点を渡って、左手(北)に矢椅(やぎ)神社。主祭神は、大穴牟遅神(おおなむちのかみ;大国主神の別名)。相殿神は、大山祇神。創祀については詳しくは分かりませんが、寛文2(1662)年の棟札に「八王子」とあり、また、「三国地志」にも「俗に八王子と称す」とあり、八王子社と呼ばれていたものと思われます。延喜式内社とされています。

Img_6663c_20210802103301  ここは一の鳥居から拝殿までの参道が長く、また、参道は木々に覆われていて、なかなかよい雰囲気の神社です。それに涼しいのはありがたい。左の写真のような、古い、大きな樹も。ご神木かと思えるくらい。

Img_6677c  矢椅神社から少し歩くと、伊勢鉄道の高架をくぐります。伊勢鉄道伊勢線は、四日市市の河原田駅から津市の津駅までの路線。もとは、国鉄伊勢線として建設されましたが、昭和62(1987)年3月、第三セクター「伊勢鉄道」となっています。もともと、関西本線の名古屋方面と紀勢本線の津以南を短絡する目的でつくられ、現在も特急「南紀」や快速「みえ」がここを経由し、名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されています。ちょうど名古屋行きの快速みえが通過して行きました。このすぐ北に鈴鹿駅があります。

Img_6704c_20210731191801 伊勢鉄道の高架を過ぎてすぐ左(北)に宇気比神社。主祭神は、天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父)。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと;天照大神の子)、天之菩卑能命(アマノホヒノミコト;天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたが、大国主命に味方して復命しなかった)、活津日子根命(いくつひこねのみこと;天の安の河で素戔嗚尊天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト;須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であるとされた)、多紀理毘売命(タキリビメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、沖津宮に鎮座するとされる)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされます)。

Img_6688c_20210731191801  この宇気比神社の創祀、由緒については明らかでありません。「河芸郡史」「神戸平原地方郷 土史」などにも、旧名八王子祠、由緒不詳と記されているのみだそうです。ちなみに、「宇気比(うけい、うけひ)は、古代日本で行われた占い。宇気比、誓約、祈、誓などと書きます。ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断するもの。

Img_6700c_20210802110001 Img_6696c  また、一の鳥居の写真では、宇気比神社の社号標の他に、八幡社のそれも建っているのですが、神社検索三重のサイトでは言及されていませんし、祀られている神様にも八幡様はありません。東に別の鳥居がありますが、これが八幡社の鳥居かという気がします。この鳥居の奥にも、拝殿らしい建物があります。この拝殿の内部は、ほこりも積もっており、普通の神社の拝殿のようではありませんでした。

Img_6692c  さらに、この拝殿の奥には、石組みがあり、社か何かがあったように思われます。八幡社がここにあったのかも知れません。

Img_6712c_20210731191801  宇気比神社の前を通っている、通称「中央道路」を渡ったところに山の神の鳥居と燈籠があります。この先、肥田町から玉垣にかけては、ここを含めて4ヶ所の山の神が祀られています。山の神は、もちろん、山を支配する神ですが、農作をする人々は、春先、山から下り田の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となると信じられています。この先、水田がかなりありますから、このように進行されていたような気がします。

Img_6716c_20210731191801 Img_6727c_20210731191801  スタートから2.4㎞ほど、県道553号線が曲がるところにも山の神と鳥居、燈籠があります。向かい側には、小さな道標。この道標には、「右若松道 ……」と刻まれています。ほとんど読めなくなっています。この道標のところから東に、直線で2㎞ほどのところに、乗り換えてきた近鉄伊勢若松駅があります。このあたりで時刻は、10時半頃。

Img_6721c_20210802111701  長くなりましたので、ここまでとしますが、この山の神、道標の手前のお宅で珍しい植物を見つけました。帰宅してパソコンで写真をよく見たら、「サンシモン」という札が写っていました。多肉植物の一種。モロッコ原産で、和名は「黒法師」です。ホームセンター等でも見た記憶はありません。その2では、国道23号線を越えて、玉垣にある天白神社、正信寺から。

2021年8月 1日 (日)

今日は、本来であれば石取祭……アオサギはいたものの、鳥は少なし

Img_7366c_20210801121001 Img_7301c_20210801121001

 正午で32℃を越え、今日も暑くなっています。8月の第一日曜日。本来であれば、石取祭本楽の日ですが、今年も祭車曳き回し行事は休止。ただし、御神事は行われています。たとえば、7月17日に町屋川で川原祓式が斎行されました。町屋川の清らかな石を採って、祭地を浄めるため春日神社に石を奉納するのが石取祭。春日さん(桑名宗社)のインスタに奉納された石の写真が載っていましたので、見てきました。

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Img_7292c_20210801121001  拝殿前の鳥居をくぐった先の両側に、町内ごとに町屋川から採ってきたものが、このように奉納されるのです。私が参拝拝殿では、各町内の石取祭の役員の方が集まって、御神事が行われていました。

Img_7396c さて、散歩はいつも通り、7時半スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町から春日さんに立ち寄って、田町、三崎通と5.9㎞。3時間コース。途中で水分&塩分を補給するとともに、日陰で風が通るところで休憩しながら歩いています。

Img_7127c_20210801123601Img_7142c_20210801121001  住吉神社の屋根の上にハシボソガラス。暑いので、口を開けています。毎年、夏によく見かける光景。カラスの写真を載せているということは、鳥がいなくて、鳥の写真が撮れていないということです(苦笑)。散歩する人は少ないのですが、ときおり走って行くという、元気な若い人もあるります。

Img_7165cImg_7203c_20210801121001  九華公園では、アオサギさん。見逃すところでした。鎮国守国神社の社務所の南にある樹上にいます。奥平屋敷跡でも、鳥は少なく、スズメ、ドバト、ムクドリくらい。O参は、今日はお休みのようで、九華すずめ食堂は臨時閉店。

Img_7191c_20210801121001  あの出たり入ったりしていた、セキセイインコのヒナは、今日もまだ巣箱暮らし。管理人さんによれば、ここには3羽のヒナが入っていたそうですが、他の2羽はすでに巣立ったといいます。金曜日、もう1羽が後ろから、“「オイ、早く出て行ってよ。僕が出られないじゃないかぁ」とでもいっているような雰囲気”と書きましたが、想像通りの展開(爆)(2021年7月30日:ニイニイゼミをやっと見つけました……奥平屋敷跡の鳥小屋のセキセイインコのヒナ、出るのか出ないのか??)。ちなみに、今日現在で、セキセイインコの数は49羽。オカメインコは、4羽。

Img_7219c Img_7255c_20210801124701  九華公園、相変わらずセミの鳴き声があちこちでよく聞こえます。松の木の下でふと見上げたら、こんな光景が展開されていました。スッゴイ数のセミの抜け殻。暑さを著しく増してくれます。

Img_7273c_20210801121001  京町Mのツバメの巣。残っていた2羽のヒナも巣立っていったようです。これで、今年の散歩コースにあるツバメの巣からは、皆巣立って行き、ツバメの巣観察は終了です。黙って巣立って行ってしまうのは、ちょっと寂しい。

Img_7371c_20210801121001 Img_7352c_20210801121001  このあと、春日さんに行ってきました。初めに書きましたように、今年も祭車曳き回し行事は休止。桑名水郷花火大会もありませんから、静かに夏が過ぎていきます。

Img_7266c_20210801121001  8月に入りました。明日午後は、市民大学郷土史学科があります。6月の講座が、まん延防止等重点措置が発令されていたため中止になりましたので、その代わり。最初の予定では、夏休みとなっていました。水曜は、江戸橋での仕事。この日は、期末試験を予定しています。学生諸君の努力に期待しているところです(微笑)。

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  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)