20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編)
東海地方は、今日になってやっと梅雨明けが宣言されました。梅雨期の日数が62日と昭和26(1951)年の統計開始以降最長だったそうです。梅雨明けは、平年より2日、昨年より15日それぞれ早かったのですが、今年は梅雨入りが5月16日と平年より21日も早かったので、最長ということになったようです。梅雨明けを記念して、ということではありませんが、5月22日以来の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」に行ってきました(2021年5月22日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(予告編))。今日は第5回。「日永の追分~鈴鹿・神戸」ということで、四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅まで。桑名では最高気温は31.6℃でしたが、風が吹いていて「猛暑」という感じではありませんでした。今日は、いつものように「予告編」。同級生K氏との二人旅の続きです。
こちらが今日歩いてきたコースの全体図。四日市市追分から、鈴鹿に入り神戸(かんべ)まで、実際に歩いたのは、8㎞+α。追分駅からほぼひたすら南に歩くというコース。今日からは、伊勢街道(参宮街道)になります。今日は、立ち寄りポイントはあまりなく、ひたすら歩くという感じでした。しかし、あちこち立ち寄らなかったせいか、コースマップ上の距離は、これまでで最も長かったものの、さほど疲れたという感じはありません。
桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。近鉄四日市駅で下車し〈8時55分着、¥300)、四日市あすなろう鉄道に乗り換え。あすなろう四日市駅9時23分の内部線の電車で追分駅まで行きます。追分駅には、9時35分着、¥270。左は、四日市あすなろう鉄道あすなろう四日市駅、右は、今日のスタートである四日市あすなろう鉄道追分駅。9時40分にスタート。
追分三丁目の交差点から伊勢街道(県道13号線)に入ります。左の写真で向かって左から来て、手前に曲がりました。写真奥の方が、日永の追分。追分が見えないかと思ったのですが、道がカーブしていますので、残念ながら追分にある伊勢二の鳥居などは見えず。ここからしばらくは、立ち寄るところもありません。故にひたすら工場地帯の間を歩いて行くことになります。道沿いにある流れを時々眺めて、魚などが泳いでいないかを確かめるくらい。
スタートから2㎞地点で内部川を渡ります。旧伊勢街道では、木橋がかかっていたのですが、今はありません。そのため、県道13号線にかかる河原田橋を渡ります。内部川を渡ると、河原田の町に入っていきます。
河原田に入ってすぐに又兵衛橋。内部川のすぐ南側にある谷川を跨ぐ幅5.8m,長さ6.8mの小さな橋です。名前の由来は、橋の改修に尽力された石崎又兵衛という方からきています。昭和13(1938)年に鉄筋コンクリートで造られ、当時としては、数少ない石橋で河原田自慢の橋であったそうです(こちら)。
又兵衛橋をわたったところから眺めた伊勢街道。県道13号線は、道幅も広く、交通量も多いので、昔の街道というイメージはほとんど感じられませんでしたが、このあたりからはいかにも旧街道という感じになります。
スタートから2.4㎞ほど、河原田の郵便局の近くに里程標があります。ここは、采女道との交差点。「距 名古屋市 十五里十一町 守山町 十七里十五町」、「距 宇治山田市 十七里四町 久居町 八里三十二町」、「距 津市 六里三十二町 海蔵村 二里八町」と刻まれています。中央あたりで割れたのか、継いだ跡があります。これを観ていたら、散歩していた地元の高齢者の方が声をかけてこられました。「伊勢街道を歩いているの? この里程標は、20年の地震で折れてつないだんや」とおっしゃいました。20年の地震というのは、三河地震(昭和20(1945)年1月13日)かと思って尋ねたのですが、耳が遠いようで、返事はいただけませんでした。
その先に河原田小学校。敷地を囲うフェンスに「河原田小学校校歌」の他、伊勢街道や、近くの名所旧跡を示す絵が掲げられていました。たぶん子どもたちの手書き。こういうのは微笑ましくていい感じ。街道沿いの敷地内には、二宮金次郎像や、「孝女森田いく刀自像」がありました。また、河原田小学校の敷地南西隅には、伊勢街道最初の一里塚があり、西側には松、東側にはエノキが植わっていたそうですが、今は何もありません。
河原田小学校のすぐ南、2.6㎞あたりのところの西に河原田神社があります。明治42(1909)年6月、八幡社(河原田村大字内堀中屋敷)と須賀社(河原田村大字貝塚字一ノ縄)を三神社(河原田村大字河原田字三神山)へ合祀し、村社河原田神社と改名しました。平成10(1998)年12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼し、平成12(2000)年に再建されています。ご祭神は、天照大神、大国主神、弥都波能売神(ミツハノメノカミ;伊奘冉尊が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神としてまつられます)、猿田毘古神、宇迦之御魂神、建速須佐之男命、五男三女神、天児屋根命、品陀和気命、上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、仁徳天皇、木花之開耶姫命、市杵島比売命の他、神社検索三重のサイトによれば、不詳八座とあります。
河原田神社の西の、さらに高いところには忘帰處(ぼうきしょ)があります。ここは河原田随一の景勝地だそうで、田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁宅を訪れた際に、この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということからと名づけられています。標高41mあまりの山上に建てられている記念碑は、伯爵自らの筆によるもので、昭和8(1933)年10月、88歳になった熊沢市兵衛翁が建てています。山上からの眺めは一望千里に渡り、晴れた日には、知多半島から木曾御岳の山並みも望み見ることができる絶好の名勝地とされます。ただ、今は、左の写真のように、木が生い茂ってしまい、眺めが少し妨げられています。ここは、2019年4月11日に近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り」で尋ねています(というか、そもそもこの伊勢詣りハイキングが、近鉄ハイキングのこの企画を再現しています(20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編))。
河原田神社、忘帰處から伊勢街道に戻り、続いて光明山常超院に立ち寄りました。伊勢街道からは外れて、県道13号線に面しています。昇平3(応安元(1368))年に僧湛空の創建により、天台宗でしたが、寛永元(1624)年に真宗高田派に属しています。鐘楼門が大変立派なものでした。記憶では、平成10(1998)年につくられています。「鐘楼門といいながら、上がれないな。どうやって鐘をつくんだ?」などと思っていたら、門の内側に鐘をつくためのロープ(?)が下がっていました(苦笑)。伊勢街道には戻らず、そのまま県道13号線を進みます。
スタートから4㎞の手前で鈴鹿市に入りました。思えば、桑名を出発したのが、4月9日でした(20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)。朝日町、四日市市を経てここまで来られました。
鈴鹿に入って最初の立ち寄り先は、善誓寺。臨済宗妙心寺派のお寺。近鉄ハイキングの時にも立ち寄ったのですが、記事では言及していません。平成30(2018)年の台風21号で大きな被害を受けたようで、山門、本堂、鐘楼とも立ち入らないようにという注意書きがありました。ネット検索では詳しい情報は出て来ません。
善誓寺の先、県道103号線をくぐったところで大福田寺(臨済宗東福寺派)、高岡神社に立ち寄ろうと思ったものの、河原田神社と同じく、かなり階段を登っていかないといけないことが判明。断念しました(苦笑)。ここは、高岡城址。高岡城は神戸城の北の支城として築かれた城で、神戸城主・神戸友盛の家老、山路弾正種常が城主をつとめ、永禄10(1567)年と翌年の2度にわたって北伊勢に侵攻してきた織田信長の軍勢に攻められたものの、落城しませんでした。その後、三男・織田信孝の養子を条件に両者は和睦しました。その後、謀反の企てなどがあったのですが、失敗に終わり、信孝の異母兄弟にあたる小島兵部が城主となっています。本能寺の変後に、信孝が岐阜城主になると兵部は神戸城へ移り、廃城となり、現在は、城址の一部が「高岡城跡公園」として整備されており、わずかに土塁や空掘が残っているといいます。
高岡橋で鈴鹿川を渡ります。江戸時代には、この高岡橋あたりは、嘉永6(1853)年に無銭渡しの木橋がかけられるまでは、橋はなく、大変不便であったといいます。橋は、現在の高岡橋よりも少し西(上流側)にあったようです。ほとんど余談ですが、高岡神社の一の鳥居当たりから、この高岡橋を渡ったところまでは、ウグイスがたくさんいて、あちこちで鳴いていました。
高岡橋を渡って、スタートから5.5㎞ほどのところに常夜燈。この常夜燈には、点火用の階段がついています。「太神宮常夜燈」「国土安穏」などと刻まれています。文化4(1807)年の建立。点火用の階段がついた常夜燈は、ここでしか見た記憶がありません。階段部分は傷んでしまったようで、平成11(1999)年に修復されています。「平成十一年十月吉日修復 大泉源之」とありました。平成の世の中になっても、こういうものを修復してくださる奇特な方がいたんだと感激しました。
常夜燈のところから下って、高岡の町に入っていきます。「みえの歴史街道」の伊勢街道のマップの説明には、このあたりは「古代条里制の面影が残り、一直線に進んでいる」という説明があります。
スタートから6.6㎞、十宮(とみや)に入ったところに常夜燈。文化14(1817)年に建立されたもの。大正9(1920)年に再建されています。十宮村三軒屋の入り口にあります。
7.1㎞を過ぎたところ、常楽寺の東に神戸見附跡があります。伊勢街道神戸宿の入り口にあたり、両側に土塁と石垣を築いたものです。町の治安を守るために番人がいて、夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたといわれています。明治2(1869)年の絵図にこの見付の様子が描かれています。街道の両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っています(右の写真)。この溝、近鉄ハイキングで来たときには見つけられませんでした(苦笑)。
ここ、神戸見附跡の西側は、小公園として整備されています。ゴールまで1㎞もありませんでしたが、今まで休憩を取っていませんでしたので、ここで小休止。12時15分から30分ほど。桜の木がたくさん植えられており、春には花見ができそうです。風がよく通って、暑かったものの、気持ちよいところでした。
神戸見附跡のすぐ先、西側に、旅館加美(かみ)亭。今も営業しており、1泊4,000円。神戸は、十日市町(現神戸2丁目)が中心で、本陣や問屋もそこに集中していました。幕末には旅籠は19軒あり、常磐町(現神戸8丁目)に14軒もあったといいます。賀美亭は、当時は「紙屋」という屋号だったといいます。こちらに実際に泊まった方のブログ記事があります。
7.5㎞地点で近鉄鈴鹿線を越えます。その先に大橋。神戸小学校の手前、六郷川という小さい川を渡る橋です。このあたりは、かつては神戸藩士の水練場であったといいます。今では、こんなところで泳げたのか、という気がするくらいです。しかし、これは現代のわれわれの感想に過ぎません。ここはまた、蛍の名所でもあったそうです。
大橋から200m、札の辻が見えてきます。江戸時代には、高札場があったところ。油伊(あぶい)旅館がありますが、その手前に里程標と道路元標があります。里程標には、「大正三年拾壱月 三重縣」、「日永村へ 壱里貳拾町拾六間 白子町へ 壱里貳拾貳町四拾四間 神戸町」、「距 津市元標五里参拾四町拾七間」、「距 三重縣桑名郡長島村大字押付管轄境七里参拾壱町五拾間」とあります。また、里程標の手前にあるのが、「神戸町道路元標」で、大正3(1914)年の建立。
油伊旅館も営業しています。築150年。素泊まりは¥4,000~だそうです。3年前に内装と水回りのリフォームを終えているといいます。先ほどの加美亭といい、この油伊旅館といい、こういうところに一度は泊まってみたいものです。
油伊旅館の先で、今日の伊勢街道歩きは区切り。ゴールに設定した近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅に向かいます。と書きましたが、昼食を摂るところを探して、若干ウロウロしました(苦笑)。予め調べて行ったものの、行列ができていたり、店に入ったものの店の方がいなかったり(^_^)。近鉄ハイキングで来たときに入った喫茶店は、営業していませんでした(休業や閉店ではなさそうでしたが)。ウロウロした結果、駅横ファミマで軽食をゲットし、イートイン(神戸見附跡で休憩したときに、おやつをかなり食べたのです……爆)。
鈴鹿市駅あたりには13時15分頃に着いたのですが、このようにウロウロした結果、結局、電車は、13時38分発の伊勢若松行きに乗車。伊勢若松に13時42分着。ここで名古屋線の急行に乗り換え。名古屋行き急行は、13時55分。待ち時間がそれなりにありますが、まあ遊びに来ていますから、気になりません。桑名駅には、14時22分に到着。¥500。
今日の歩数。スマホのALKOOのデータでは、20,145歩。20,000歩越えは久しぶり。よく歩きました。あすなろう追分駅から近鉄鈴鹿市駅までが8㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞。合計10.2㎞を歩いたという次第。暑くなって大丈夫かとちょっと心配しましたが、日頃の修行の成果はあるようです。以上、予告編でした。明日以降、本編を書きます。
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コメント
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ひらいさん、おはようございます。
昨日は梅雨明けで、結構暑くなりましたが、風があり、比較的楽でした。
2ヶ月ぶりのハイキングでしたが、無事に歩き通せました。
河原田~鈴鹿市当たりもよくいらっしゃるんですね。
鈴鹿市駅のところでは結局、昼食場所がなく、苦労しました。
昔、鈴鹿に住んでいた頃に比べると、駅前は寂れてしまっています。
通りかかった方は、我々よりかなり年配の方で、20年というのはたぶん昭和20年だと思うのですが、返事はなくそのまま去って行かれました。
平成19年の地震は、記憶がありませんでしたが、調べて見たら、桑名でも震度3とけっこう大きな地震だったですね。
投稿: mamekichi | 2021年7月18日 (日) 04時51分
mamekichiさん、こんばんは!
久しぶりのハイキング、暑い中お疲れ様でした、この辺り、河原田~鈴鹿市駅の間は、良く車で通るところですが、記憶にあるのは小学校くらいでした。(^^;; 鈴鹿市駅は良く遊びに行ってます、近くのラーメン屋でカレーを食べるのがお気に入りです。(笑)
20年の地震、昔、亀山で震度5くらいの地震が有りましたが、平成19年でした。近鉄塩浜駅の鉄道祭り会場も騒然としていた思い出です。(まだ鉄オタだった頃です)
投稿: ひらい | 2021年7月17日 (土) 20時58分