20210731「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第6回「鈴鹿・神戸~鈴鹿・白子」(予告編)
桑名では、最高気温33.9℃と相変わらずの猛暑の中、今日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第6回に行ってきました。前回(2021年7月17日:20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編))ゴールした鈴鹿・神戸から同じく鈴鹿の白子まで。具体的には、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から、近鉄名古屋線白子駅まで。三重県では、熱中症警戒アラートが出ていましたが、それをものともせず(苦笑)。年寄りの冷や水とならないよう、途中、何度も休憩し、水分補給をしつつ、現地では9.3㎞を歩いてきました。冒頭の画像は、今日歩いたコース。前回に続き、伊勢街道を歩いています。
こちらが今日のスタート地点である近鉄鈴鹿市駅。近鉄桑名駅8時42分発の五十鈴川行き急行に乗車。伊勢若松駅に9時6分着。鈴鹿線に乗り換え。伊勢若松駅9時19分発平田町行きで、鈴鹿市駅には、9時24分着。¥500。9時28分にスタート。この時点でたぶん30℃を越えていました。
鈴鹿市駅から340mで真宗高田派神戸別院。堯円上人の御代、寛政5(1793)年4月に建立されています。「神戸の御坊さん」と称して親しまれています。明治13(1880)年7月3日、明治天皇の行在所となりました。境内には、その御殿が残っているといいます。門が開いておらず、参拝はできませんでした。
神戸別院の先に、真宗高田派願行寺(左の写真)。光明本尊は、南北朝時代の作といいます。享保6(1771)年、神戸町内の161軒を焼いたという信濃屋の火事で類焼し、天明7(1787)年に再建されました。右の写真は、荒木萬福寺。真宗大谷派。
萬福寺の先で伊勢街道は、左折。すぐに終南山善導寺。浄土宗。山門が写真のように、鐘楼門のような簡素な門であるのが、印象的。境内はきれいに手入れされていたのですが、無住のような印象(確認はしていません)。善導寺の隣には、善昌寺。真宗高田派。鐘楼も本堂も真新しい感じでした。このあと地子町公民館に道標(元禄2(1699)年建立)と、嘉永2(1849)年に建立され、明治18(1849)年の洪水で倒れ、竿部分だけ残った常夜燈があるというので見に行ったものの、分からず。帰ってから確認すると、もう少し南にあったようでした。
村瀬病院の北に道標。上述の、嘉永2(1849)年に建立され、明治18(1849)の洪水で倒れた後、地元・地子町の人々が再建した常夜燈です。それにしても大きい常夜燈です。
1㎞を過ぎて、矢橋一丁目交差点を渡ったところに矢椅(やぎ)神社。主祭神は、大穴牟遅神(おおなむちのかみ:大国主命の別名)。寛文2(1662)年の棟札には八王子社とあり、そう呼ばれていたと思われます。式内社。
矢椅神社の先で伊勢鉄道の高架をくぐります。ちょうど名古屋行きの快速みえが通過して行きました。このすぐ北に鈴鹿駅があります。
伊勢鉄道をくぐると、宇気比(うけひ)神社。主祭神は天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)。交通安全、海上安全の神様として崇敬されています。由緒は明らかではありませんが、「河芸郡史」「神戸平原地方郷 土史」などには、旧名八王子祠、由緒不詳と記されているそうです。
宇気比神社前の交差点を渡ったところに、山の神の鳥居、燈籠があります。ここから先、何ヶ所か山の神があります。右の写真は、1.5㎞を過ぎたところにあるもの。
この山の神の先には、道標(左の写真)。「右若松道……」とありますが、読めなくなっている部分もあります。国道23号線を肥田町交差点のところで地下道をくぐって越えます。その先に天白神社(右の写真)。ここには、他に山の神と表忠碑があります。表忠碑は、木々に覆われてしまって見えなくなっていますし、土台部分などが崩れかかっているところもありました。
4㎞ほどのところに正信寺。真宗高田派。本堂の前に大きな楠があります。本堂は、大正3(1914)年の建立。正信寺の手間、道をはさんだ右側に道標があります。「右さんくう道」とあります。文化4(1807)年に建てられています。
伊勢街道は再び国道23号線の近くを通って左折。スタートから4.5㎞ほどで、弥都加伎(みずかき)神社。ここの主祭神は、大土御祖神。土を司る神様です。天平13(741)年に創祀。山田原の土宮の御霊を海部村に勧請し、その後現地へ奉祭したといいます。「山田原の土宮」は、伊勢神宮の外宮の別宮である「土宮(つちのみや」かと思います。土宮の説明には、「御祭神は大土乃御祖神。古くから山田原の鎮守の神でした」という記述があります。延喜5(905)年に社名を土宮から現名称へ変更。
弥都加伎神社の境内では、花手水や、傘のオブジェなどがありました。インスタ映えスポットです。境内で休憩していたら、若い女性の二人連れの方が、写真を撮りに来ていました。手水舎には風鈴も下げられていて、涼やかな音を響かせていました。
4.5㎞を過ぎると、左手(東側)にフジクラの事業所があります。その西側を進み、6.5㎞地点に菅原社。主祭神はもちろん、菅原道真。創祀の事情及び年代は不詳ですが、集落の産土神(うぶすながみ)として古くから信仰を集め、地区民の心のより処となってきたそうです。
5.5㎞ほどのところ、白子保育所の北東に「老農水原政次翁彰功碑」があります。これは、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーで通ったときには、見逃しています。水原政次は、弘化4(1847)年、鈴鹿市木田町に生まれ、農業をなし、上京して農学社に学び、32才から30余年、三重県農事試験場などに勤め、農事に関する知識の普及や農事改良に尽くしました。この碑は、農学博士横井時敬(ときたか)の筆によって翁の功績を称え、大正13(1924)年に建てられました。
7㎞地点で近鉄名古屋線の線路を越え、そこに北の端の地蔵堂。約800年前、鎌倉時代のもの。石像本体周囲に六體の菩薩が刻まれていました。六體とは五翼の優世に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身を表します。この地蔵は、江戸時代から北の端の地蔵と呼ばれ、江戸時代、寺家、白子などから江戸方面に型紙等の行商に出る人らはこのお地蔵さんで無事を祈り、見送りをしたといいます。「北の端」というのは、白子の町から見ると北の端にあったからのようです。
北の端の地蔵堂から道をはさんだ東に役行者神変大菩薩があります。修験道の開祖である「役行者神変大菩薩」が祀られたお社。寛政11(1799)年に、朝廷から役行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られています。
さらに伊勢街道を進むと、江島若宮八幡神社に着きます。主祭神は、大鷦鷯命、品陀和気命、息長帯比売命。平安時代初期、禁中に奉祀せられていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の分霊)を醍醐天皇が、神意に問いて伊勢宗廟(皇大神宮)の戌亥の方なる当地に奉遷せられたことに始まります。ちょうど今日が、夏越しの大祓で、茅の輪が設けられていました。今年3回目の茅の輪くぐりをしてきました(何回お祓いをしたらよい位の汚れがあるのか?(爆))。右は、この江島若宮八幡神社の南にある常夜燈。江戸時代、神社の東南まで入江があり、この常夜燈は灯台の役割も兼ねたようです。
伊勢街道に戻ります。街道沿いに、江島陣屋跡、安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡などがあります。このあたりは、天領だったこともありますが、その後は、紀州藩や亀山藩の藩領になっています。江島村は、紀州藩旗本の小笠原肥前守の知行地で、享保年中、このあたりに陣屋が建てられたのです。明治になって、私有財産権が認められたことにともない、土地田畑等の登記を行うのに、明治21(1888)年ここに登記所が置かれました。
このあと、久住屋菓舗さんに立ち寄って、大はら木(おはらぎ)とかりんとまん(かりんとう饅頭)をゲット。このあたり、久住屋菓舗さんの他、大徳屋長久さん、田中観月堂さんで銘菓「おはらぎ」が売られています。伊勢街道を通ったら、どこかでおはらぎを買って帰ります。また、かりんとう饅頭は娘の大好物で、白子へ行くというと買ってくるよう指令が出るのです。
久住屋菓舗さんからは、體用山(たいゆうざん)青龍寺。真宗高田派。天長7(830)年、弘法大師によって開創。寛正元(1460)年、真慧上人に帰依し、真宗高田派に改宗しています。このお寺には、徳川吉宗作の「紅梅白梅図(掛け軸)」、「弘法大師の手形」、第11次朝鮮通信使(延享3(1746)年)の通訳官・朴徳源の肉筆による「體用山」の額があります。
最終の立ち寄りポイントは、勝速日(かつはやひ)神社。通称は、「勝手さん」だそうです。近鉄白子駅の北東にあり、すぐ裏を近鉄名古屋線が通っています。神社の由緒書きによれば、文明年間(1469~1486年、室町時代)の創建といわれ、創建時には八重賀岐神社として素戔嗚尊(スサノオノミコト、牛頭天王)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)が祀られていました。寛永11(1671)年、八重垣神社の神域に龍源寺の境内に祀られていた勝手明神(天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)、天御蔭命(アマノミカゲノミコト)の2柱を遷し、元禄に至るまで2社を並べて祭祀していました。元禄以降、一社殿としています。さらに、明治41(1908)年、春日神社他附近の小祀6社を合祀しています。
13時40分、今日のゴールである近鉄名古屋線白子駅に到着。スタートからここまで8.9㎞を歩いてきました。途中、フジクラ鈴鹿事業所の辺りでは、北の空でゴロゴロと音がしていましたが、雨には降られず。猛暑の中をよく歩いてきたと思います。
昼食は、白子駅の自由通路を渡って、駅西の商店街へ。私が鈴鹿で働いていた頃は、かなり賑やかな商店街だったのですが、今はご多分に漏れず、シャッター商店街化してきています。探したら、ラーメン屋さんがあり、冷麺がメニューに載っていましたので、ここ「ラーメンだいどんでん」へ。「冷やし塩レモン」をチョイス。¥980。イタリアンみたいな不思議なラーメン。とても美味しい。絶品といえるかもしれません。
白子駅を14時28分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には15時2分着。¥500。15時半前に帰宅。今日の歩数は、22,426歩。現地で、昼食を含め9.3㎞を歩き、自宅から桑名駅往復が2.4㎞、合計11.7㎞。今日のところは、予告編。明日以降、またいつものように、本編をボチボチと書くつもり。
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