20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その3)……日永小学校の表忠碑・稲垣末吉翁頌徳碑、実蓮寺、西昌寺、日永一里塚跡碑から名残の一本松、東海道日永郷土資料館を経て日永の追分へ(完)
5月22日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」の本編その3です。その2では、コースマップ#2の途中でしたが、日永神社とそのとなりにある長命山薬師堂まででした。#2の残りの日永小学校にある表忠碑・稲垣末吉翁頌徳碑、実蓮寺、西昌寺、日永一里塚跡碑を回り、続いて、コースマップ#3に入り、名残の一本松を見て、東海道日永郷土資料館から日永の追分まで。日永の追分は、東海道と伊勢街道(参宮街道)の追分。次回からは、伊勢街道を歩きます。
長命山薬師堂からすぐというか、日永神社のすぐ南に日永小学校があります。小学校の敷地内に「表忠碑」と「稲垣末吉翁頌徳碑」とがあります。表忠碑は、戦没者の遺徳をたたえ、永遠に顕彰するため、明治42(1909)年8月に、日永村在郷軍人の方々が発起人となって、日永村が建立しています。揮毫者は、元帥公爵の大山巌(天保13(1842)~大正5(1916)年、明治期に活躍した陸軍軍人)。稲垣末吉は、日永の追分まで自費で配管を敷設して、水を旅人達に供した方です。稲垣は、明治時代、東京で製錨工場を創設。後に製鋼工場となり、巨万の富を築きました。地元に戻り、地域社会のために、社会福祉、寺社建立、学校建設にも尽力し、さまざまな寄付をするなど貢献された方です。日永小学校の前身である日永尋常小学校の講堂も、明治42(1909)年に稲垣の寄附でできているそうです。
日永小学校の東に普光山証明院実蓮寺(ふこうざん しょうめいいん じつれんじ)があります。ここは初めて来たのですが、滝川一益に関わりがあって、前から一度訪ねたかったところです。浄土宗のお寺。開山の由来は不明ですが、昔は、登城山にあったものが、承久2(1220)年、現地に移転したといいます。当時、尼御所(内親王や摂関家の女子が出家し、一寺の住持となった際の、その寺、またはその尼の敬称)と称されていて、寺領は日永地内に37ヶ所あり、6,000石を領していました。大永2(1522)年に伏見宮皇女今日姫が入寺したといいます。その後、寺は一時荒廃したものの、滝川一益が北勢5郡の領主に任じられたとき、一益は、寺領20石を与えて菩提寺とし、母の位牌と墓碑を安置しています。慶長年間(1596~1625年)にも、宮家の尼公が住しており、世間では尼御所といわれていたのですが、その後、寺領を失い、寺は衰退しています。大正11(1922)年、宮内省は今日姫の事跡を調査し、皇室御内緒寺院となっています。
滝川一益の母の墓碑は、よく調べていかなかったのですが、こちらのサイトによれば、右の写真で中央にある大きなものがそれのようです。お寺は無住のように思ったのですが、実蓮寺のインスタによれば、ご住職は倒れてリハビリ中で、息子さんが世話をしておられるようです。
実蓮寺を出て東海道に戻ったところに雲祥山西唱寺(うんしょうざん さいしょうじ)。真宗高田派。永禄2(1559)年、僧・玄聖(げんしょう)の開創で、もとは安立院という浄土宗のお寺でした。江戸時代初期、誓宅が住持の時に、專修寺第14世尭秀(ぎょうしゅう)上人に帰依して真宗高田派となり、上人から本尊を賜っています。寛文元(1661)年には西唱寺と改められました。正徳2(1712)年、中川十兵衛尉が、聖徳太子の木造を奉じて当山に立ち寄り、伝法法師に願ってここに留まり、享保2(1717)年、ここで没しています。
西昌寺には、寺宝がたくさんあったそうですが、昭和20(1945)年6月18日の四日市空襲によって本堂や庫裏、太子堂、書院などが全焼してしまい、寺宝、古文書等は一切灰燼に帰してしまいました。戦後、昭和21(1946)年から35(1960)年にかけて順次、庫裏、梵鐘、本堂、書院が再建されて今日に至っています。境内には、安政6(1859)年、近隣の有志で登城山(白鬚神社の北)から竹管で水道を引いた「水道記念碑」があります(右の写真)。現在、その水源は公園になり、碑はそこから移されたそうです(ホントに歩く東海道 四日市~石薬師による)。この記念碑、ようやく見られました。というのも、4年前のJRさわやかウォーキングのときも(2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))、一昨年の近鉄ハイキングのときも(2019年4月27日:20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その2)……興正寺、両聖寺、日永神社、頌徳碑と表忠碑)見忘れたのです。4年越しで宿題を終えた感じ(笑)。
西昌寺のすぐ南、スタートから4.7㎞地点に「日永一里塚址」の石碑が建っています。県指定史跡。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました(富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり))。日永の一里塚は、江戸からちょうど百里。塚はもとは5m四方で高さ2.5mの塚が街道の両側に築かれていたそうです。「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」(文化3(1806)年)によれば、西側の塚に松の木3本、エノキ1本、東側の塚にエノキ1本が描かれています。西側の塚にはエノキが残っていたのですが、明治2(1869)年には伐採され、塚自体もすでにありません。家屋と倉庫の境界のわずかな空き地に細い標柱が立っているのみですから、見逃しそうです。
コースマップ#3に入ります。5㎞を過ぎたところに「東海道名残の一本松」。旧・東海道の東側に立派な松の木が一本、立っていて、いかにも松並木の名残という雰囲気。かつて、ここ日永の集落と泊村の集落との間は、家は一軒もなく、道の両側に低い土手が築かれ、松並木が植えられていたといいます。このような場所は縄手と呼ばれており、この松はその縄手の名残りで、往時の東海道や日永の歴史の一端を今に伝える貴重なものです。松は、今では、この一本だけが残っています。そのため「東海道名残の一本松」と呼ばれているのです。たくさんあった松は、戦時中、松根油を採ったためほとんどなくなったといいます。縄手の道幅は、土手も入れて約5間(9m)でした。旧東海道の道幅は、3間(約5.5m)で、これは現在も変わっていません。写真はいったん通り過ぎて、南から撮ったもの。
今日のゴールにかなり近づいてきました。とはいえ、今日は、マップ上は5㎞弱。「駅から駅」が基本ですのでこうなっています。それはさておき、さらに東海道を下っていくと、伊勢蔵(いせぐら)という醸造屋さんがあります。以前JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングで2回訪ねています(2018年6月2日:「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ(完)、2017年12月17日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1))。
直売所もあります。立ち寄るつもりはなかったのですが、敷地内に気になるものが見えましたので、確認(微笑)。味噌仕込みに使っていた30石の桶。直径210cm、高さ194cmで、1回の仕込み量は約5,000㎏。味噌汁を作ったら、30万人分が作れる量だそうです。創業は大正3(1914)年。味噌、醤油を醸造しておられます。
続いて、東海道日永郷土資料館に立ち寄ろうと思ったのですが、閉まっていました。新型コロナのためかと思ったら、「令和3年には家主に返却するため、令和2年9月から片付け、移転で休館」ということでした。ここは土蔵付きの商家の建物を借りて日永郷土史研究会が営んでいました。「日永足袋」「日永うちわ」をはじめ、地域に残る歴史・民俗・文化・街道(東海道・伊勢街道)などに関わるさまざまな資料を、古代から昭和30年代ごろまで時代別、テーマごとに展示していました。
そして、いよいよ、今日の最終目的地である「日永の追分」に到着。スタートから6㎞、時刻は12時22分。ここもJRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングで何度か来ていますし(たとえば、2019年4月30日:20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その3)……日永の追分から伊勢街道に入り、河原田神社)、その昔は、この交差点はクルマで何度も通っていました。鳥居は桑名の七里の渡しに建てられた「伊勢一の鳥居」に対して「二の鳥居」と呼ばれます。鳥居は、安永3(1774)年に一志郡須ヶ瀬村(現在の津市)出身の伊勢商人渡辺六兵衛が東海道を往来する人のために遥拝鳥居として建てさせたのが最初。その後たびたび建替えが行われ、現在のものは、平成28(2016)年10月に、伊勢神宮の遷宮にあたり、内宮の別宮である伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を移建しています。当初は伊勢街道をまたぐように建てられていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横を迂回して、鳥居をくぐらずに進めるようになり、また、昭和48(1973)年の移建時に周りが公園化されました。
現在の追分には、常夜燈、道標、清めの手水所があります。元々あった道標は、明暦2(1656)年に建てられたもので、現存する東海道の道標としてはもっとも古いものです。これは、現在は、日永神社の境内に移されています(日永神社で見て来まし た)。今ここにあるものは、嘉永2(1849)年に桑名・魚町の尾張屋文助が建てたとあります。現在、桑名・魚町に尾張屋という屋号の店はないと思いますが、近くの吉津屋には仏壇屋さんが(昨年、廃業しました)、北寺町には酒屋さんがそれぞれ同じ屋号であります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。手水所の水は、西に位置する丘陵地(泊山(登城山))からの湧水です。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。稲垣末吉の頌徳碑が、日永小学校にありました。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。私も一口飲んでみました。まったくの個人的印象では、お茶や珈琲を入れるのに適している感じ(もっと冷たいと、生で飲んでも美味しいと感じた気がします)。これで、今日の目的地はコンプリート。帰りは、四日市あすなろう鉄道に乗って帰るのですが、時間も時間ですから、電車の時刻を確かめて、昼食にします。四日市行きは、12時38分、13時8分、13時38分。
昼食は、予めリサーチしておいた洋風食堂モンヴェールにて。けっこう人気の店のようです。今日は、日替わりランチのチキンカツのタルタルソースをチョイス(¥950)。いや、美味しかったです。カツの揚げ具合が絶妙でしたし、タルタルソースも美味しい。他のテーブルを見ると、ハンバーグや、オムライスを食べている方も多く、それもよかったかも知れません。
ゴールの四日市あすなろう鉄道追分駅には、13時30分着。ここまでで6.3㎞。券売機の上にこにゅうどうくんのイラスト。これ、飛び出しているように見えますが、いわゆる「だまし絵」。楽しめます。この路線は、元は近鉄内部線でしたが、平成27(2015)年4月1日に四日市あすなろう鉄道が内部線及び八王子線の運営を引き継ぎました。社名の「あすなろう」には、未来への希望(明日にむかって)や、内部・八王子線の特徴であるナローゲージ(特殊狭軌線:線路幅が762 ㎜)、将来にわたり市民とともに育てていく鉄道という思いが込められています。
13時38分発のあすなろう四日市駅行きに乗車。13時52分に四日市着。¥270。今日は、ほぼあすなろう鉄道の路線に沿って歩いてきましたので、車窓からそれらを眺めながら乗ってきました。ちなみにここもナローゲージの電車。ナローゲージは、全国で3ヶ所残っているそうですが、そのうち2ヶ所が三重県、しかも北勢地方にあります。もう1ヶ所の三岐鉄道北勢線と同じく、「電車に乗ってるぞ」感が堪りません(微笑)。
四日市駅から近鉄に乗り換え。14時10分発の名古屋行き急行に乗車。桑名には、14時22分着、¥300。近鉄四日市駅の改札口近くに、こにゅうどうくん。これは、ホントに立体。萬古焼でできているそうです。
この日の歩数は、ALKOOで16,632歩。現地で6.3㎞、自宅から桑名駅までの往復が2.2㎞、計8.5㎞でした。この日で、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」も4回目。東海道は歩き終えました。次回からは、伊勢街道に入ります。桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮までは、どこにも立ち寄らず、ひたすら東海道・伊勢街道だけを歩いて約94㎞。日永の追分は、20㎞地点の少し前。ということは、まだ74㎞以上残っています。まぁ、仕事ではありませんから、慌てず、ゆっくりと参ることにします。
« 今日も、シジュウカラのヒナ【オリンピックについて余計なつぶやきを追加(5/25)】 | トップページ | 授業の後片付けに手間取って、寄り道バードウォッチング【付記あります(5/27)】 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」、(2024.11.07)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう(2024.11.04)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)(2024.11.03)
- エゾビタキ、ジョウビタキ、カワセミ、イソヒヨドリ、イソシギと豪華バードウォッチングでした(2024.11.01)
- 20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」(2024.10.28)
「散歩」カテゴリの記事
- 揖斐川にカンムリカイツブリが登場(2024.11.04)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう(2024.11.04)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)(2024.11.03)
- エゾビタキ、ジョウビタキ、カワセミ、イソヒヨドリ、イソシギと豪華バードウォッチングでした(2024.11.01)
- カワセミとジョウビタキの日でした(微笑)(2024.10.31)
「寺院」カテゴリの記事
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」、(2024.11.07)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)(2024.11.03)
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
「歴史散歩」カテゴリの記事
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」、(2024.11.07)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう(2024.11.04)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)(2024.11.03)
- 20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」(2024.10.28)
- 20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その1)……井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロット(亀山茶畑)へ(2024.10.27)
「名所旧跡」カテゴリの記事
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」、(2024.11.07)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう(2024.11.04)
- 20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)(2024.11.03)
- 20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」(2024.10.28)
- 20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その1)……井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロット(亀山茶畑)へ(2024.10.27)
「勝手にハイキング」カテゴリの記事
- 20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)(2024.06.08)
- 20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)(2024.05.17)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」(2024.04.02)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ(2024.04.01)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ(2024.03.31)
« 今日も、シジュウカラのヒナ【オリンピックについて余計なつぶやきを追加(5/25)】 | トップページ | 授業の後片付けに手間取って、寄り道バードウォッチング【付記あります(5/27)】 »
コメント