20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」
5月8日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」の本編その4です。旧四日市宿の中心部へと進み、建福寺、四日市陣屋跡、黒川本陣跡、問屋場跡、帯屋脇本陣跡、札の辻、道標と回ります。この道標のあたりから諏訪神社のところまで、短い区間ですが、昔の街道は失われています。諏訪神社からスワマエ商店街を出たところで、今日の東海道のコースは終了。昼食を摂り、ゴールの近鉄四日市駅へ。
笹井屋本店の先、市立中部西小学校の北にお寺の屋根が見えます。曹洞宗のお寺、東冥山建福寺です。一昨年の近鉄ハイキングの伊勢詣りでは、道を間違えて、この寺に立ち寄っています(2019年3月31日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その4)……四日市宿中心部(建福寺、四日市陣屋跡、黒川本陣跡、帯屋脇本陣跡、問屋場跡、札の辻)、道標を見て、諏訪神社からゴールの近鉄四日市駅へ(完))永和3(1377)年、曹洞宗の僧・竺堂了源が開創したと伝えられます。3代目蔵海令珍の時に、周囲の地を会下と称し、数百の人家が移住し、毎月4日を初日にして門前に市がたち、これから四日市の地名が生まれたといわれています。
その後、文明2(1470)年、浜田城を築城した田原(俵)忠秀がその菩提寺である建福寺の伽藍を再興し、七堂伽藍の大寺としました。しかし、天正3(1575)年、織田信長軍によって浜田城は落城し、建福寺も兵火に遭い、大伽藍も烏有(うゆう)に帰し、その後、安政の地震、明治38(1905)年の大火、第2次大戦の空襲の被害で、すべてを失っています。現在の本堂は、昭和52(1977)年に再建されました。
山門を入って左手には、「安政元年震災惨死者之碑」があります。安政元年には、東海地震と南海地震とが、32時間をおいて起きています。この震災で亡くなられた300人あまりの方々の五十回忌法要を執り行ったときに建てたものと碑陰にありました(明治36(1903)年建立)。前回と同様、よく調べずに立ち寄ったため、境内に残っているという、芭蕉句碑には気づきませんでした(芭蕉の句碑は、本堂に向かって右手のソテツのあたりにあったようです)。また、泗水の井戸(四日市陣屋の辺りに4ヶ所あった良質な井戸のうち、1つが現存するというのです。これか?と思ったものはあったのですが、それは違いました)も見られませんでした。ちょっと残念。やはり、下調べは重要(微苦笑)。
このあと、中部西小学校の西側を回って、四日市陣屋跡へ。中部西小学校は、四日市陣屋跡にあります。四日市は天領でしたので代官所が置かれました。慶長5(1600)年、徳川家康が水谷光勝を四日市の代官に任じて天領を管理させ、陣屋は、 慶長8(1603)年、水谷光勝によって築かれました。右に案内板にあった陣屋の絵図の部分だけの写真を載せています。時期によって建物には変更があったようですが、この絵図には42の部屋が描かれており、白洲もあります。享保9(1724)年、和郡山の松平吉里の領地となりますが、享和元(1801)年には再び天領となり、以後は多羅尾氏が代々代官を世襲しました。明治維新後は度会県の支所が置かれ、明治5(1872)年から翌年まで三重県庁となっています。しかし、明治9(1876)年に勃発した伊勢暴動によって焼打ちされ焼失してしまいました。ここ中部西小学校の辺りが代官所跡ですが、学校の正門に案内板があるのみで遺構は残っていません。「水谷光勝」という名前に記憶がありましたので、調べてみたら、彼の墓は桑名・萱町の顕本寺にありました(こちら)。
陣屋跡を見て、旧・東海道に戻ります。東海道に戻るあたりでスタートから7㎞。写真が札の辻。江戸時代には、高札場があったところ。あちこちに「札の辻」という地名が残っています。また、ここは、「菰野道」のスタート地点。菰野道は、菰野町菰野まで続く11㎞の街道です。四日市宿の中心で、このあたりに本陣、脇本陣、問屋場がありました。
黒川本陣跡は、現在、黒川農薬商会になっています(左の写真)。黒川本陣は、第二本陣で、第一本陣として清水本陣がありました。 第一本陣は清水太兵衛家が代々なり、高札場のあった札の辻北角に明治10(1877)年頃まで続きました。黒川本陣は、二番本陣で、文化8(1811)年頃から脇本陣だった黒川彦兵衛がついています。東京遷都の際、明治元(1868)年9月24日を初めとして明治天皇はこの黒川本陣を合計4回行在所として利用されたといいます。調べたところ、黒川本陣の門が、明治末期に薬師寺に移転されたとありました。その遺構が戦災にも遭わず残っているといいます。しかし、その薬師寺、今は、住職も亡く、表札の「薬師寺」の文字も朽ち果てているようです。場所は、黒川農薬商会から北西へ、国道1号線を渡ったところ。
この近藤建材店が脇本陣の帯屋跡とされています(写真は、2019年3月24日撮影)。その根拠となる資料は必ずしも明確ではないようで、角川日本地名大辞典(旧地名編)の「辻の西南角に脇本陣の帯屋があった」という記述にしたがうと、この近藤建材店のところと考えられるということです。四日市は、海軍第二燃料廠をはじめ多くの工場群を擁した四日市は、アメリカ軍の重要攻撃目標とされ、昭和20(1945)年6月18日午前0時45分には、アメリカ軍B-29戦略爆撃機89機が焼夷弾11,000発・567.3トンを投下しています。このとき、人的被害は、被災者47,153人、死者736人、負傷者1,500人、行方不明者63人。約1時間の絨毯爆撃で全市の35%が焼失、市街地は焦土と化しました。このように空襲に遭ったがため、昔の宿場などは残っていないのだと思います。四日市空襲については、こちらを参照。
問屋場跡。もとは福生医院という耳鼻咽喉科医院でしたが、現在は、東海道四日市宿資料館になっています。現在は、残念ながら新型コロナのため閉館中。こちらも根拠となる資料がないようで、角川日本地名大辞典(旧地名編)の「北町(近世~近代)」に、「清水家の西隣に問屋場が、辻の西南角に脇本陣の帯屋があった」との記述があり、また、東海道分間延絵図には辻の西南角辺りに脇本陣と問屋場が描かれています。これで旧四日市宿の中心部を一通り見てきたことになります。
参考までに、こちらは、四日市陣屋跡の案内板にあった「東海道分間延絵図」の四日市宿の部分。「東海道分間延絵図」は、江戸幕府が東海道の状況を把握するために、道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図です。地図の中央にあるのが、札の辻で、ここが東海道(東西=左右に伸びています)と菰野道(北に向かう道)の交差点。菰野道はここがスタート。札の辻の右下には四日市陣屋が描かれています。陣屋に向かって右(東)は、三滝川。橋がかかっています。ちなみに四日市は、東海道五十三次43番目の宿場。
柳通を越えたところの民家の角に道標が建っています。文化7(1810)年に建立された道標で、「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」とあります。元々は、札の辻にあったようです。また、ここに現在建っている道標は、もとの道標が戦災で損傷したのを惜しんで、昭和28(1953)年頃、地元の人・大西清之助が稲葉町の永田石材店でこしらえた複製道標です(『四日市市史研究・すぐ江戸道の札の辻』より)。もとの道標は、昭和20(1945)年の戦火に遭って破損しています。その道標は、慶安(1650年)の頃、問屋役を務めていた吉田角左右衛門兼武の子孫の方の中庭に、鉄枠で補強されて休んでいるといいます(四日市市史研究第3号『“すぐ江戸道”の札の辻』より;情報源はこちら)。この道標については、いろいろな状況があるようですが、詳細はリンク先をご覧ください。
ちなみに、この道標は、写真(2019年3月24日撮影)にある仏壇店の道をはさんだ右角にあります。ここは、旧南町京方入口付近で、旧東海道が消失する地点です(ここから、諏訪神社の門前までの旧・東海道約50mは、国道1号線を通したため、消失。旧・東海道は、このお宅を斜めに通っていたと思われます。
国道1号線諏訪神社前交差点を渡って、諏訪神社へ。諏訪神社は、旧・東海道に面しています。鎌倉時代初期の建仁2(1202)年、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっています。主祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト;事代主神(コトシロヌシノカミ)ともいいます)で、四日市・浜田の総産土神とされます。ここは、すでに2度ほど来ています。境内社には、稲荷社、山津見社、天神社がありますし、伊勢神宮と明治神宮の遙拝所、さらには明治天皇の御製歌碑もあります。諏訪公園には、誓文御柱(五箇条の御誓文を刻んだ塔)も。境内は一通り見て来ましたが、詳細は割愛します。こちら(20180323近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ(オマケ)……四日市旧港の「波止改築記念碑」、諏訪神社の伊勢神宮遙拝所、諏訪公園の「誓文御柱」)をご覧ください。
諏訪神社に隣接して諏訪公園があります(写真は、2017年11月28日の撮影)。中世ヨーロッパ調の中庭をイメージした公園として、中央にせせらぎと噴水があります。トリビアですが、公園の地下には、大きな「雨水調整池」があるそうです。すわ公園交流館の係員の方が教えてくださいました。この付近でたびたび洪水が起こり、その水がなかなかひかなかったことから整備されました。平成5(1993)年にできた「諏訪公園雨水調整池」は、長さ48m、幅33.6m、深さは深いところで23mもあり、20,400立方メートルの雨水を貯めることができるといいます。
公園の北側エリアに、「すわ公園交流館」があります。様々なイベントを企画・開催し、中心市街地活性化をはかるための施設として活用されています。登録有形文化財。もとは、実業家の熊澤一衛が昭和天皇御大典記念事業として、鉄筋コンクリート赤レンガ造り2階建て一部塔屋付きの図書館建物を寄付し、四日市市立図書館として、昭和4(1929)年に開館したもの。
諏訪神社の先の東海道は、商店街になっています。その名もスワマエ商店街。諏訪神社の前にある商店街ですし、ここが諏訪神社の表参道の位置づけ。左の写真でアーケードの商店街になっていますが、この道が旧・東海道です。営業していない店もありますが、全体としてはけっこう活気がある商店街です。この商店街で見逃せないのは、大四日市祭に登場する「大入道」の人形(首が伸び縮みします。見たときも伸び縮みしていました)。任下用の前にいるのは、四日市のキャラクターである「こにゅうどうくん」。この商店街を出たところが、今日の東海道歩きの終点。ここまでで8.3㎞。13時10分を過ぎた頃。
近鉄四日市駅方面に向かい、一番街で昼食を食べるところを探しました。いろいろと店があって迷ったのですが、なぜか飲み屋さんへ(笑)。本当はここの2階にある「三重人」がいいかと思ったのですが……。アレやコレ屋というお店。隣のテーブルで美味しそうにビールを飲んでいる方も会ったのですが、ランチのみ。ソースカツ丼、¥968(税込み)。美味しかったものの、前期高齢者には、量がやや多く、カツが固め(苦笑)。1時間ほど滞在。
ゴールの近鉄四日市駅には、14時30分に到着。北口。14時51分の名古屋行き急行に乗車。桑名には、15時03分着。七里の渡しから近鉄四日市駅までは、3日間(3回)に分けて歩いたのに、たった12分で戻ってこられます(微苦笑)。¥300。現地で歩いたのが8.8㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞で、合計11.0㎞。歩数は、スマホのALKOOで20,812歩。よく歩きました。ということで、「完」。
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