20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その2)……水沢道標、大聖院、円楽寺、興正寺、両聖寺と寺が続き、日永神社、長命山薬師堂へ
5月22日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第4回「四日市~日永の追分」のその2です。その1では、近鉄四日市駅をスタートし、崇顕寺、東漸寺と回り、日永に入って、大宮神明社まででした。詳細なマップはその2(左の画像)。日永駅近くを歩いています。水沢道標のあとは、大聖院、延楽寺、興正寺から天白川を渡って、両聖寺と続きます。その先で笹川通りを越えます。平成2(1990)年の4月から平成5(1993)年の3月初めまで、この近くにある笹川団地に住んでいましたので、懐かしいあたり。笹川通りを渡って、日永神社、長命山薬師堂、日永小学校にある表忠碑・稲垣末吉翁頌徳碑、滝川一益の菩提寺・実蓮寺、西昌寺から日永一里塚跡碑へと進みます。
大宮神明社から300mほど、大聖院へ入る角に「水沢(すいざわ)道標」があります。大正12(1923)年9月にあった集中豪雨による水害までは、この碑の手前(南)の道が水沢(四日市市の南西端、鈴鹿山脈の麓、伊勢茶の栽培が盛んな地区)への道でした。碑は、元は東海道との角にありましたが、現在は、少し西に入った民家の庭にあります。
碑表には、「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」とあります。「羽津み」は、江戸中期(1780~1800年頃)の大坂の古銭研究家・河村羽積(はづみ)のこと。碑陰には、「猿丸太夫名歌古跡水澤へ 是より三里」と刻まれています。水沢には、宮妻峡や、もみじ谷という紅葉の名所があります。百人一首にある「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という三十六歌仙の一人である猿丸太夫の読んだといわれる歌の情景を、紅葉の名所・水沢楓谷(もみじだに)に名残を求めたものであろうかと、「日永ものがたり」にあるといいます。水沢の楓谷は昔から紅葉の名所で、菰野藩主の土方公(初代は、土方雄氏(ひじかたかつうじ)」は必ずこの紅葉を愛でたというくらいです。
水沢道標のすぐ西に無動山大聖院(むどうさん だいしょういん)。真言宗醍醐派。ご本尊は不動明王。寺伝によれば、天平10(738)年、行基(天智7(668)~天平勝宝元(749)年)の開山に係る古刹とされ、当初は西方の愛宕山に位置し、塔頭17院を有する大寺であったと言われます。平安時代には醍醐寺座主定海(ていかい)僧正御住坊でした。永禄8(1565)年、松井親蔵法印が千草氏の庇護のもの、一族の守り本尊であった不動明王を奉じ、氏寺として寺院を再興しました。元禄3(1690)年、中興第4世大僧都・海養法印は寺院を現在地に移し、寺名を大聖院と改めました。神戸藩主御祈願寺として信仰を集めましたが、明治初めの廃仏毀釈の風潮が厳しく、寺領地を失い、境内も現在の範囲を残すのみとなったといいます。本尊の不動明王(秘仏)は、鎮守府将軍源頼義公、義家公父子の念持仏で、平安後期のもの。大正4(1915)年、重要文化財に指定されています。他に、県指定有形文化財に指定された絹本著色釈迦三尊十六善神像もあります。
境内には、地蔵堂(左の写真)の他に、庚申(こうしん)堂もあります。庚申とは、十干と十二支とを組み合わせたものの第57番目。庚申信仰は、もとは道教の守庚申より出た庚申(かのえさる) の年または日の禁忌行事を伴う信仰でした。庚申の夜には,人の体内にいる三尸 (さんし)の虫が、その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ、これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なったのです。これが守庚申で、庚申講として伝わっています。
大聖院から100mあまり先に萬松山円楽寺(ばんしょうざんえんらくじ)。天台宗。昔は「延楽寺」とも書かれ、比叡山延暦寺の末寺です。ご本尊は、不動明王。文明2(1470)年の「扶桑鏡銘梵鐘銘文集」にこの寺のことが触れられており、それ以前の創基と考えられるのですが、安政元(1854)年の大地震で倒壊し、また、大正12(1923)年の水害にも遭い、寺の記録は失われているそうです。
境内には、観音堂、地蔵堂(左の写真)のほかに、白龍稲荷大明神も祀られています。禅宗系のお寺に稲荷社が祀られているのをよく見る気がします。何か理由があるのでしょうか。あの有名な豊川稲荷も、正式名は「妙嚴寺」といい、山号を圓福山とする曹洞宗のお寺です。この円楽寺、最近は人形供養で有名のようです(こちら)。
お寺が続きます。こちらは、日永山興正寺(こうしょうじ)。真宗高田派。貞観6(864)年の創建。もとは登城山(現在地から1㎞ほど西、南部丘陵公園のところ)にあり、そのときは天台宗でしたが、文暦元(1234)年、親鸞聖人が当寺に立寄られたとき浄土真宗に改宗。その後200年程して、真宗高田派第十世・真慧(しんね)上人が津の一身田に本山を定められた時に、高田派となっています。天文13(1544)年、真宗高田派第十二世・堯慧(ぎょうえ)上人は、ここ興正寺で「日永千部」というこの寺の復興勧進法要を勤め、興正寺が高田派の有力な末寺になったといいます。天正2(1574)年、現在地に移ってきています。
秀吉、家康の庇護が篤く、また、天正3(1575)年に滝川一益から寺領の寄進と諸役免除を受けているといいます。滝川一益が興正寺に対して出した「日永興正寺四至傍至の事」という寺領を与える文書、豊臣秀吉の寺内「禁制状」などの文書が残っているそうです。寺のそばを流れる天白川が、寺を囲むように曲がっているのも、滝川一益が堀の役目をするようにしたという話もあり、この堤を昔の人は「滝川堤」と呼んだそうです。冒頭のコースマップをご覧いただくと、天白川がこの興正寺の裏手で大きく蛇行しているのが見て取れます。
天白川を渡って150mほどで、林光山弘願院両聖寺(りんこうざん こうがんいん りょうしょうじ)があります。浄土宗のお寺。最初は、天台宗林光山西教院と称していましたが、住職の専阿(せんな)上人が、浄土宗第三祖記主良忠禅師と比叡山で一緒に修行した縁で、宝治2(1248)年、記主良忠禅師がここで浄土教を宣布されたのを契機に、浄土宗に改宗しています。それ故、記主良忠禅師を開基とし、専阿上人を第二代としています。第三代道阿玄忍上人のとき、前期の両聖人に因んで寺号を両聖寺としています。明治40(1907)年、両聖寺の鎮守であった八幡社は分離され、大宮神明社(先に立ち寄った神社)に合祀されています。
両聖寺には、毎年8月に天白川の堤を固めるために行われた「つんつく(堤築)踊り」が今に伝わっています(動画はたとえば、こちらにあります)。踊りながら太鼓を打ち鳴らす踊りで、2020年に発祥400年を迎えました。この起源については、滝川一益の母の隠居所を実蓮寺境内に建築する地固め工事に歌った歌謡と動作を取り入れた踊りであるという伝承や、滝川一益が田畑を流失する農民の困窮を見て、天白川の堤防を築くための地固め、地つきに歌ったとする伝承があります。なお、元和6(1620)年の「清水九朗左衛門手記」に「日永踊之事ツンツクノ事ハ此ノ町地タカメ浪切踊トテ帯ヲ手ニモチ扇ニ而踊浪入也」とあり、近世の初頭には現在のような「つんつくおどり」があったと推測されています。
両聖寺の先で笹川通りを渡ります。この道は、昔、笹川に住んでいた頃よく通りましたし、名古屋に通う通勤のバスの経路でした。写真は、西を向いて撮っています。この先に笹川団地というURと県営住宅等の大規模な団地があります。
笹川通りを越えて、4㎞を過ぎると左手(西側)に日永神社があります。棟札によれば、慶長14(1609)年、天照大御神を当地に勧請し、南市場神明社が創建されました。その後、社名を南神明社と改称。明治40(1907)年、日吉神社、岡山白髭神社、山之神、並びに天正10(1582)年創建と伝えられる追分神明社をそれぞれ南神明社に合祀の上、日永神社と単称するに至っています。明治44(1911)年、日永字蔵屋敷の池鯉鮒(ちりゅう)社、字登城山の稲荷社を合祀しています。江戸時代には神戸藩主本多氏の崇敬厚く、神社は栄えました。
ご祭神は、天照大神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ:天照大神が天岩戸に閉じこもった時、神々は、天岩戸から出てもらうために神事を行い、また天鈿女命(あめのうずめのみこと)が卑猥な踊りをしたところ、神々が爆笑しました。天照大神が不思議に思い、天岩戸を細めに開いたとき、この神が手をとって引き出したといいます)、栲幡千々姫神(たくはたちぢひめのみこと;天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ)、大山咋命、猿田彦命、波邇夜須比売命(はにやすひめのみこと;火之夜芸速男神を産んで死ぬ間際の伊邪那美命の大便から波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の二神が化生した。ハニは土のこと)、菅原道真、大物主神(オオモノヌシノカミ;奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の祭神)、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山をつかさどる神)、道反之大神(チガエシノオオカミ;黄泉の国へとイザナミを迎えに行ったイザナギがそこで、腐り蛆にまみれ穢れたイザナミを見て、逃げ出し、黄泉の国と現世の間に大きな岩(千引き岩)を置いて塞ぎました。その岩のことをいいます)、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ;五穀、食物をつかさどる神)です。天照大神に関わるたくさんの神様がいらっしゃいます。
境内には、追分旧道標があります。明暦2(1656)年に仏性院(四日市市川原町)を開いた恵心という僧によって建てられた、東海道現存最古の道標(全国では5番目、県内では2番目に古いといいます)です。嘉永2(1849)年、今の大きな道標が建てられるまで、日永の追分に建っていたものがここに移設されました(明治40(907)年)。正面に「大神宮」と刻まれ、左面に「山田」、右面に「京」と刻まれています。この「石造旧日永の追分道標」は、四日市市有形文化財に指定されています。
ここにも、皇大神宮遙拝所があります。「皇大神宮」は、もちろん、伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである「内宮」のことです。「遙拝」は、遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむことですから、この方角に伊勢の内宮がある訳です。この皇大神宮遙拝所の石碑は新しいのですが、昭和57(1982)年に建てられています。
日永神社のすぐ南隣に長命山薬師堂があります。市指定文化財である薬師如来座像が納められています。鎌倉時代中期の作とされ、元は伊勢安国寺の旧像。天正年間(1573~1592年)、安国寺炎上の時、日永村の実蓮寺(あとで訪ねています)に運び出され、その境内の小堂で内仏として信仰されていたものが、文化13(1816)年、ここに移されたといいます(説明板による)。
コースマップ#2も、まだ最後まで行っていませんが、長くなりましたので、その2はここまで。日永小学校にある表忠碑・稲垣末吉翁頌徳碑、実蓮寺、西昌寺、日永一里塚跡からその3とします。
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