20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その1)……橘守部生誕地遺跡、浄泉坊、西光寺、豊田一色道標、桜並木から多賀大社常夜燈へ
4月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」の本編その1です。今回のハイキングは、桑名から伊勢神宮まで、10数回に分けて、歩いてお参りに行こうというもの。平成31(2019)年に近鉄ハイキングの企画で開催された「昔も今もお伊勢参り」(2020年1月2日:2019年近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り」の記録)に再挑戦。4月9日に第1回として、桑名・七里の渡し跡から朝日町にある近鉄伊勢朝日駅まで歩きました(2021年4月 9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡、2021年4月11日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その2……天武天皇社からゴールの伊勢朝日駅へ(完))。
第2回の今回は、近鉄伊勢朝日駅から朝日町を歩き、四日市へ。松寺、大矢知、蒔田を経て、近鉄富田駅までの6.9㎞を歩いてきました。この日のコース全体のマップ。伊勢朝日駅をスタート。駅の側にポケットパークがあり、そこに樹齢300年以上のエノキ。朝日町内で浄泉坊、西光寺など寺を周り、北勢バイパスの手前で多賀大社常夜燈。朝明川を越えると、四日市に入ります。そこに小公園。松寺の御厨神明社のあと、酒造会社を見つけ、行ったものの直売所は休み(残念)。松寺立場跡・輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田の御厨神明社へ。ここで小休止の後、長明寺、鏡ヶ池跡。さらに八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺。続いて、三光寺を出たところで、鳥居を見つけ、若宮八幡神社にも立ち寄り、冨田一里塚跡碑、八幡神社、行啓道路記念碑と進み、玉吉稲荷神社。ゴールの近鉄富田駅に向かっていたとき、大きな松の木を見つけ、またもや道草。そこは蓮光寺跡でした。
こちらは、詳細なコースマップその1。伊勢朝日駅から多賀大社常夜燈まで。朝日町は、小さな町ですが、見どころはいろいろあります。ただし、この日歩いた東海道筋には、橘守部生誕地遺跡、浄泉坊、西光寺、豊田一色道標、桜並木(昔は松並木)、多度大社常夜燈くらい。朝日町は、何回か歩きに来ています(たとえば、2020年12月11日:20201211勝手にJRさわやかウォーキング三重・朝日町へ……朝日町歴史博物館の「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」を見て、井後神社、善照寺、移田神社、井後神社旧址へ、2018年6月24日:20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」)。ちなみに、朝日町という地名は、日本書紀に、天武天皇が壬申の乱のときに、この付近で朝日を拝んだという記述があるためだそうです。
近鉄桑名駅を8時44分に出る四日市行き準急に乗車。スタートの伊勢朝日駅は、2駅目。8時52分に到着、¥210。伊勢朝日駅のホームは対面式で、駅舎も上下線が別にあります。下りの改札を出たすぐが、東海道。8時55分にスタート。
踏切を越えてじきにポケットパークがあります。と書きましたが、調べたら、改修されて令和2年4月から「語らいの広場」という名前に変わっていました(写真は、朝日町のサイトからお借りしました)。木陰がもう少しあるといいなとは思ったものの、よい公園です。この公園の南端には樹齢300年以上といわれるエノキがあります。このあたり、小向(おぶけ)にも、焼き蛤を売る茶屋があり、立場になっていたといいます。東海道中膝栗毛にも、小向や縄生(なお)の地名とともに、蛤が名物であることが出てきます。
スタートから800mほど、ちょうど朝日町役場の北の東海道沿いに「橘守部生誕地遺跡」があります(写真は、2017年10月5日撮影:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。橘守部(1781~1849年)は、江戸後期の国学者。17歳のとき、一家離散のため江戸に下り、20歳を過ぎてから学問を志したのですが、香川景樹、平田篤胤、伴信友とともに「天保の国学四大家」の一人に数えられるに至っています。ここの裏手にある町役場の敷地の一角に「橘守部翁生誕の地」の石碑が建っています。
この遺跡からすぐ、朝日跨線橋東交差点の手前、西側に小向山浄泉坊(おぶけさんじょうせんぼう)。浄土真宗本願寺派のお寺。由来書きによれば、正治元年(1199)年、正治寺として小向御厨神明宮の別当寺として建てられました。当初は禅宗であったといいます。その後、愛洲宗貫が小向に城を構え、延元4(1339)年に朝明郡の地頭職に補せられ、伊勢守を名乗り、この寺を菩提寺にして愛洞山と称しました。寛正の頃(1460~1465年)、伊勢左衛門尉真弘のの末裔が出家して小向坊浄泉と言って、正治寺に住み、応仁元(1467)年、蓮如上人が関東から帰洛の際、その教化を受けたと言います。天正年間、沼木宗喜、飯田庄之助の城が寺院付近にあり、それを攻めた滝川一益の兵火にかかって焼失しました。慶長8(1603)年に、伊勢慶昭が小向にあった正治寺を再興し、小向山浄泉坊と改称し、寛永15(1638)年、西本願寺から木仏と寺号の公称を受けています。
徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺になっていたことがあるといわれ、本堂の棟や、山門に徳川家の定紋三ツ葉葵が入っています。そのため参勤交代の大名はこの寺の門の前では駕籠から降りて一礼したと伝えられます。
ここは何度か訪ねたのですが、いつもすっかり失念して、見ていないところがあります(かといって、突然行っても見られないと思うのですが)。この寺の書院が、旧桑名城の三の丸御殿を移築したものだといわれているのです(西羽晃著「郷土誌を訪ねて」,pp.134~135)。
境内には、「明治廿七八年戦役従軍者紀念碑(大迫尚敏書)」、「日露戦役従軍者記念碑(大山巌書)」「殉難之碑(と私には読めますが、かなりアヤシい)(靖国神社宮司 筑波藤麿為)」の3つの碑があります。大山元帥が揮毫したこういう碑、この地方でもかなりよく見ます。いったいどのくらい書かれたのでしょう。
朝日跨線橋東交差点を渡ってさらに進み、スタートから1.2㎞のところに朝明山西光寺。真宗大谷派のお寺。確実な証跡はないものの、現存する絵像ご本尊の裏書きからは、明応5(1496)年に開基されたと考えられています。その後、貞享2(1685)年、大谷派に転じ現在に至ったといいます。現在の建物は、明治10~23年にかけて建立されたもの。
このお寺、以前立ち寄ったときには、街道沿いに立派な松があり、松並木の名残かという気がしたのですが、この日は、松の木は見当たりませんでした。写真は、平成29(2017)年10月5日に撮ったもの(朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。一昨年の近鉄ハイキング「昔も今も伊勢参り」で通ったときも松はありました(2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)。ちょっと残念な気がしつつ、歩き続けます。
スタートから1.5㎞のところで、東海道は左折となります。そこに「東海道はこちらでござる」という看板。地元の方の手作りと思いますが、ありがたいご配慮。4年ほど前にみたものと違って、新しくなったなと思ったら、やはりそうでした(右の写真は、2017年11月9日に撮影:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))。
その先、1.8㎞あたりの道路脇に、見逃しそうな小さな道標があります。「豊田一色」への道を示しています。豊田一色は、川越町の地名。ここから南東側にあります。道標から、柿交差点のところまでは、現在は桜並木になっていますが(右の写真。ただし、これは2017年11月9日に撮影:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))、明治の地図では、このあたりは、東海道の両側は水田だったようです。「ホントに歩く東海道」の解説には、「当時は民家は一軒もなかった。郷土資料「大矢知地区幕末・明治生まれの実話」には、「追い剥ぎ、辻切り、乞食」の出没する寂しい道だったとある」と書かれています。
柿交差点の西に多賀大社常夜燈があります。弘化3(1846)年に、滋賀県の多賀大社から勧請して祀られた神社(現在は、井後(いじり)神社に合祀)の神殿前に建てられていたものといいます。元々は、東海道沿いにあったものでしたが、昭和46 (1971)年に街道から30m西の現在地に移転されています。「お多賀さんの灯籠」と親しまれ、かつては燈籠番が毎夜、火を灯していたそうです。ここは、伊勢湾岸自動車道や、北勢バイパスの高架のすぐ下。右手(西)には、鈴鹿の山並みがよく見えますが、今でも水田がたくさんあり、江戸時代などは、さみしいところだったと思われます。
柿交差点を渡り、伊勢湾岸自動車道&北勢バイパスの高架をくぐると、朝明橋で朝明川を渡ります。東征中の日本武尊が当地で夜明けを迎え、朝明川の水で口をすすいだことから川の名が付いた、とする伝承があります。右の写真は、朝明川の上流方向。鈴鹿の山並みも見えます。
キリが良いので、その1は、朝日町内を歩いた、ここまで。その2では、四日市に入り、松寺、大矢知、蒔田と進みます。
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