« 河口堰、サギ山そして「緑の桜」チェック | トップページ | スーパーセンターで散歩はならず(苦笑) »

2021年4月 3日 (土)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その3)……額田神社(増田)、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(額田)を経て北勢線在良駅にゴール(完)

210331nisibessho3 210331nisibessho4  3月31日に出かけた“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の本編その3です。今回で終了するはず(微笑)。その2では、蓮華寺地内で神社、寺、城跡、遺跡のあったところを見て回りました。今回は、北勢線、県道63号線を越えて、南へ。増田にある額田神社と、源流寺を回る予定でした。しかし、額田神社でここの世話をしていらっしゃる氏子の方に出会い、いろいろとこの神社のことを教えていただきました。増田の集会所に額田神社旧跡の石碑があると伺ったのでそこへ。さらに、神社の由来の話を聞いて、額田にある額田神社の本社もついでにお参りしようと思い立ち、時間も早かったので足を延ばして、北勢線・在良駅にゴールとしました。詳細マップは、その3・4です。

Img_1478c_20210331172301  増田の額田神社です。この神社には、いろいろと由来があります。氏子の方の話と「桑名市史 本編(pp.53~54)」によれば、次の通り。もともと、この神社は、桑名郡額田村・増田村両村の鎮守として祭祀し、初めは、増田村にあったものを額田村の宮山に移遷しました。移遷の理由は、旧地が町屋川のすぐ側にあり、洪水によく遭ったということです。その後、増田村から宮山まで参詣するのに不便だということで、額田にある本社からこの増田の額田神社を文政8(1825)年に分祀奉遷したそうです。ただし、「桑名市史 本編」には、古社は本来宮山にあり、一時の事情によって増田に移遷したのを、再びその故地に復遷したという説があるとも書かれています。ここで、神社の世話をしておられる氏子の男性の方に出会い、この経緯や、あとで訪ねる旧社地のことなどを教えていただきました。こういう出会いはありがたいことですし、ハイキングの醍醐味の一つです。

Img_1487c Img_1503c  増田神社の御祭神は、意富伊我都命(おおいがつのみこと、または、おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖)。相殿神は、天照皇大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと:)。氏子の男性の許しをいただいて、左の写真の背後にある本殿にも入らせていただいて、お参りしてきました(右の写真)。この中に3つの社が祀られています。

Img_1495c_20210403045401Img_1499c_20210403045401  境内には、文政年間に分祀奉遷したことに関わる「鬼瓦」が保存されています。この鬼瓦には「文政十歳丁亥四月」と刻まれていま(文政10年は1827年)す。その下には、さらに人の名前らしきものもありました。ちなみに、この鬼瓦には、桑名宗社(春日神社)の中臣神社で用いられている「大」の文字が入った印が入っています。天津彦根命は、桑名宗社の桑名神社の御祭神でもあります。両神社に何かつながりがあるかも知れません。

Img_1515c_20210331172301 Img_1491c_20210403045401  もう1つの鬼瓦には、菊の御紋章らしきものが入っています。いや、なかなかおもしろい神社でした。東名阪自動車道にほど近い、水田地帯の中に鎮守の森があります。せっかく額田神社旧跡について教えていただいたので、そちらにも回ってみることにしました。

Img_1518c_20210331172301 Img_1531c_20210331172301  神社から東へ直線距離で200mほど、増田の町の中に増田集会所があります。氏子の方の話では、この敷地内に「額田神社御旧跡」の石碑があるということでした。探したら、建物の裏手にひっそりとそれは建っていました。ここが、旧増田村の中心ということで、神社があったものと思われます。なお、集会所の敷地内には地蔵堂もありましたが、詳細は分かりません。

Img_1554c Img_1565c_20210331172301  増田集会所から再び西へ。額田山源流寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。このお寺の詳細については、調べた範囲ではよく分かりませんでしたし、「桑名市史 本編」にも出て来ません。以上で、当初の目的地はコンプリートしたのですが、初めにも書きましたように、増田の額田神社でお目にかかった氏子の方から、額田神社(本社)についても話を伺い、興味が湧いてきました。別の機会に行こうと思っていたのですが、この時点でまだ10時40分。額田神社までは、さほど遠くはありませんでしたので、お参りすることにしました。その前に、在良駅のすぐ東、東名阪自動車道の高架下に地蔵堂があると「くわな史跡めぐり」にあったので、見に行ったのですが、見当たりませんでした。

Img_1740c_20210331172401  左の写真は、濃州道沿いに建つ額田神社の社号標。右面には、「従是三丁五間」とあります(336mあまり)。明治14(1881)年10月28日の建立(写真は、額田神社にお参りし、在良駅に向かう途中で撮影)。

Img_1612c_20210331172301 Img_1621c_20210331172301  額田神社は、上の社号標のところから北にあります。北勢線を越えたところには額田神社の常夜燈。さらにそこから、長い参道を歩いて、前方の小高い丘の麓まで行きます。

Img_1720c_20210331172401  スタートから6.8㎞、時刻は10時55分。額田神社に到着。延喜式内社。御祭神は、意富伊我都命(おおいかつのみこと、おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖、天津彦根神の孫)、天照大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと)。第19代允恭天皇の頃(440年)、奉斎されたといいます。ちなみに、額田部氏は大和の額田郷から移住してきた一族で、付近には小さな古墳がいくつかあったという伝承があります。その他、増田の額田神社のところに書いたとおりです。

Img_1668c Img_1694c_20210403115201  額田神社には、一本松竜王社、火産霊社、猿王社、春日社、座(蔵)王社などの境内社がありました。一本松竜王社(額田山一本松御魂竜神(黒竜神))、火産霊社(八天宮、相殿秋葉山本宮神)および猿王社(猿の御魂)、春日社(春日明神四座(武甕槌神経津主神天児屋根神比売神))は、本殿に向かって右に(左の写真)、また、座(蔵)王社(広国押武金日命(安閑天皇)素戔嗚尊宇迦之御魂神市杵島比売神)は向かって左に(右の写真)御鎮座。それぞれ説明があります。

Img_1700c_20210403123501  さらに、境内にはこちら。いったい何か、見ただけではよく分からなかったのですが、説明には、「この一本松(群・村の境界大木)は道路開発により伐採されじ来(?)当神社に根幹を保存しておりました。永年の風雨雪により朽度甚だしく今度大地に返すことと<以下不明>/尚 御<不明>奉斎しています」とあります(一部、墨書きが薄れ、読めません)。

Img_1753c_20210403124201  額田神社にお参りを終えて、11時5分頃。急げば、11時15分在良駅発の西桑名行き電車に乗れます。員弁街道に出て、上に載せた社号標を見て、在良駅へ。左の写真は、額田神社の社号標のあるところから、在良駅方面の員弁街道を見たもの。

Img_1756c_20210331172401 Img_1760c_20210331172401  三岐鉄道北勢線・在良駅。東名阪自動車道の高架下にあります。11時10分をわずかに過ぎた頃、到着&ゴール。無事に11時15分発の電車に乗れました。西桑名駅までは、4駅、¥210。11時26分に西桑名駅に到着。

Img_1803c_20210331172401  この日のALKOOによる歩数のデータ。17,884歩。現地で歩いたのが7.6㎞、自宅から西桑名駅までの往復が2.3㎞、合計9.9㎞を歩いた結果。

| |

« 河口堰、サギ山そして「緑の桜」チェック | トップページ | スーパーセンターで散歩はならず(苦笑) »

旅行・地域」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

勝手にハイキング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 河口堰、サギ山そして「緑の桜」チェック | トップページ | スーパーセンターで散歩はならず(苦笑) »