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2021年4月 2日 (金)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その2)……山神社、蓮花寺、白山神社・蓮花寺西城跡、蓮華寺東城跡、宇賀神社、宇賀遺跡

210331nisibessho2 3月31日に行ってきた“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の本編その2です。その1では、西別所の八幡神社まででした。今回は、蓮花寺地内を巡った話し。地蔵堂のところで、員弁街道は城下橋を渡り、蓮花寺川の南を進みます。私は、そのまま蓮花寺川に沿って西へ。川は北へ向かいますが、直進。三岐鉄道北勢線・蓮花寺駅の北あたりで右折し、山神社、蓮花寺、白山神社(マップのもとにしたキョリ測では、宇賀神社となっていますが、そこは白山神社です)、蓮花寺東城跡を見てから南へ、宇賀公園にある宇賀神社にお参りして、宇賀遺跡があったところへ。  

Img_1249c_20210402065301 Img_1252c_20210331172201  蓮花寺川沿いの景色。向こうに見えているのは、在良小学校。よく晴れて見通しも利き、川沿いで広々としていて、とても気持ちよく歩けました。蓮花寺駅の北あたりで右折しましたが、そこに地蔵堂と、個人の方の慰霊碑。陸軍一等歩兵として従軍され、亡くなられた方のもの。碑陰は確認しませんでしたが、日清戦争か、日露戦争のものかと見ました。

Img_1262c_20210331172201 Img_1274c_20210331172201  スタートから2.9㎞、9時半過ぎに山神社。事前の調べでは、由緒もある神社でしたので、もっと立派なものを予測していました。御祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ、山を司る神)。正親町天皇の天正年間(1573~92年)以前の創始だそうです。蓮花寺村宇賀の城山(あとから訪ねる白山神社あたりか?)に内山源吾が城主として居城し、奉祀したといいます。天正年間、織田勢に滅ぼされたものの、その後も氏子の方々が「山の神」と称し、祭祀してきました。民家のまん中にあり、ブロック塀に囲まれた神社というのも珍しいのですが、氏子の方に祭祀されてきたというのが、よく分かる気がします。次の目的地、蓮花寺は、山神社のすぐ裏なのですが、細い道にクルマが止まっていたりして、結局、回り道。

Img_1286c_20210331172201  回り道をしたお陰で、「珍百景」に遭遇。普通のお宅と思うのですが、庭にスワンボートが置いてある光景。建物の中にも、富士山のような形のものが置いてあるのも見えました。「ナニコレ珍百景」に相当しそうな感じがします。

Img_1294c_20210402175901  このお宅のすぐ先に鳥居があります。この写真を撮った方からくぐるようになっていますので、このあと行くつもりの白山神社のものと思われます。大正9(1920)年の建立。車が通るには不便な気がします。この鳥居をくぐってすぐに右手に入る細い道があり、そこを行くと、蓮花寺でした。

Img_1297c Img_1306c_20210331172201  総仏山蓮花寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。第二次世界大戦までは、総仏堂という説教所でした。在良村郷土誌によれば、蓮花寺先々代の紀伊浩洋は、漢籍で名高い人物であったそうです。堂は、先代が昭和33(1958)年に建て変え、旧村名(蓮花寺村)をとって総仏山蓮花寺と名づけたといいます。寺にある鐘は、戦時中に金属供出として出されたもの(今は、中里ダムの湖底に沈んだ深尾山薬王庵の持ち物)を譲り受けたといいます。かつてこの近くには、地名の語源となった「蓮華寺」がありました(ここ蓮花寺とは別の寺。蓮華寺は、後述の白山神社の西北西あたりにあったといいます)。蓮華寺村も、寺も、鎌倉時代にはかなり繁栄したそうですが、住宅開発に埋もれ、蓮華寺の寺跡は窺い知れません。蓮華寺には、無住国師(むじゅうこくし、あるいは、無住道暁(ムジュウドウギョウ))が住み、正和元(1312)年、87歳で没したといいます(異説あり)。無住国師は、臨済宗の僧で、中世文学の説話として代表的著作「沙石集」、「聖財集」、「雑談(ぞうだん)集」などを著しました。

Img_1313c_20210331195001 Img_1320c_20210331172201  蓮花寺からさらに坂を登っていくと、白山神社に出ますが、その手前に白山会館と小公園があり、そこに見事なソメイヨシノ。ちょうど満開。花見の名所にはほとんど行きませんが、こういうところで思いがけず、見事な桜に出遭うのもまたよし、という感じ。

Img_1328c_20210331172201  白山神社です。私がいつも使う「キョリ測」には、ここに、白山神社と宇賀神社があるとなっていますが、由緒書きによれば、ここに鎮座するのは白山神社。宇賀神社は、ここから南150mほどのところにあると書いてありました。

Img_1332c_20210331172201  白山神社の御祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神。水を恵み、ものごとの和合・仲介・招福の神)。由緒書きによれば、白山権現菊理姫社と称し、正親町天皇の永禄年間(1558~70年)以前からあったといいます。境内社には、津島神社、火産霊社が、また、別宮には、護国神社があります。ここ、白山神社があるところは、蓮花寺西城(城山城)跡といわれ、内山源吾正則が居城したといいます。織田信長に滅ぼされています。現在、城の遺構はありません。

Img_1397c_20210331172301 Img_1407c  白山神社の北に神田池という大きな灌漑池があります。その南の端あたりが、蓮花寺東城(宇賀城)跡といわれます。蓮華寺東城には、後藤庄左衛門氏篤が居城しましたが、こちらも永禄年間に織田信長に滅ぼされています。城の遺構は、ここもありません。何となくもの足らない気もしますが、やむを得ません。

Img_1419c_20210331172301 Img_1423c  蓮花寺東城跡から白山神社の南にある宇賀神社を目指します。宇賀神社は、宇賀公園の中。このあたりで、スタートから4㎞、10時頃。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神霊)。ここも創始は不詳ですが、正親町天皇の御代(1557~86年)以前と伝えられ、蓮花寺西城(城山城)主・後藤庄左衛門の崇敬が厚かったといいます。この公園で小休止。

Img_1441c_20210331172301  宇賀神社の南あたりが宇賀遺跡。公園の南にある住宅地から、コミュニティバスの「マザック前」停留所のあたりにと思われます。縄文時代から中世にかけての複合遺跡です。弥生時代の遺構からは、井堰が見つかっており、稲の穂積みに使う木包丁も出土し、稲作が行われていたと考えられています。

 今回は、短めですが、キリが良いのここまで。その3では、額田神社(本社、増田)、額田神社旧跡と源流寺。

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