20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その2)……松寺の小公園、松寺御厨神明社、タカハシ酒造、松寺立場跡、輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田御厨神明社、長明寺から鏡ヶ池跡へ
4月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」の本編その2です。朝明川を越えて四日市へ入ります。松寺の御厨神明社のあと、酒造会社を見つけ、行ったものの直売所は休み(残念)。松寺立場跡・輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田の御厨神明社へ。ここで小休止の後、長明寺、鏡ヶ池跡。その2はここまで。このあと、八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺に行ったりしましたが、これ以降はその3にて。
朝明川を渡ったところにある小公園。ここで2.6㎞。東海道の案内板、力石、ベンチなどが配されています。案内板には、「ここは四日市の東海道北玄関 松寺」とあり、簡単な地図が添えられています。なぜかシーボルトがここを通ったという説明もあります。シーボルトは、文政9(1826)年、オランダ商館長の江戸参府に随行し、同年3月26日夜遅く四日市に着き、翌27日、朝9時頃ここを通ったといいます。
こちらは、公園内に保存されている力石。江戸末期から明治初期にこの地で営まれていた茶店「橋南(はしみなみ)のつる」の主・大久保つるが残したものだそうです。石には「二十七メ」と刻まれ、その目方が27貫目(約100㎏)と思われます。北勢地方では、力石は神社仏閣の境内にあることが多いのですが、これは数少ない民家の軒先にあったものです。
公園の先で朝明川の河岸段丘を降りて、東海道は緩くカーブし、じきに松寺の御厨神明社があります。御厨という名称ですから、伊勢神宮に関わりのある土地であったことがわかります。主祭神は、豊受姫命(とようけひめのみこと:食物をつかさどる女神、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大御神と同じとされる)、相殿神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)。創立年代は不詳。静かで、小さな神社。
境内には、山の神様が1基ありました。この神明社を過ぎると、薬師堂があると「ホントに歩く東海道」の地図にはあったのですが、見逃してしまいました。前回ここを歩いたときも見ていません。細い道の奥に入っていく必要があるのです(苦笑)。
次の目的地である蓮証寺に向かって歩いていたら、御厨神明社を出て100mあまりで、東海道の東に醸造所らしき建物。気になりました(微笑)。気づいたところや、気になったところは見てくるというのが、原則(笑)。タカハシ酒造でした。文久2年の創業だそうですから、1862年。江戸末期の激動の頃。直売所があったのですが、あいにく日曜は定休で残念。天遊琳・伊勢・伊勢物語・伊勢の白酒などの酒を造っています。今度見かけたら、買って、試してみることにしましょう。
蓮証寺の手前、東側に松寺立場跡という案内板と、輝子頌徳記念碑とがあります。江戸時代、桑名宿と四日市宿との間には、5カ所の立場があり、その一つがここ松寺でした。タカハシ酒造の南側あたりに立場があったと書かれていました。
立場跡の案内板の奥に「輝子頌徳記念碑」があります。碑には「佐藤輝子碑」とあります。佐藤輝子は、大矢知村字松寺で佐藤庄九郎の娘として、弘化3(1846)年に生まれました。25歳の時に夫が他界した後は、裁縫の教育に携わり、門者は千数百人に及んだと言います(実際には三千人ほどの子弟がいたとも言われます)。輝子は、大正6(1917)年に亡くなったのですが、翌年3月門人によってこの碑が建てられました。女性の頌徳碑というのは、比較的少ないと思います。
松栄山蓮証寺。真宗本願寺派。400年くらい前、ここにお堂があり、本堂も200年くらい前に建てられたといいます。松栄山蓮証寺という山号・寺号の最初と最後の文字をとると「松寺」となり、何か関係があるかと案内板にありました。
この寺で気になったものは、左の写真。手水鉢だと思うのですが、どうでしょう? 右は境内にあった碑。「昭和三十三年 御巡教記念」とあります。碑の左には「勝如上人御手植月桂樹(これまたちょっとアヤシい)」。勝如上人(明治44(1911)~平成14(2002)年)は、真宗本願寺派23世門主。
また、こういう石碑もあります。「畢竟依」とあります。K氏と「どう読む?」という話になったのですが、「ひっきょうえ」という読みが浮かんできました。真宗の御経にあったような記憶があったものの、この時点では自信がありません。「畢竟(ひっきょう)」は、仏語で、「畢」も「竟」も終わる意味ですから、究極、至極、最終ということになります。などと調べていたら、「畢竟絵を帰命せよ」という文言が浮かんできました。親鸞上人の「浄土和讃」にあることば(最近、勤行をサボっていますので、記憶が朧気になっていました……苦笑。罰が当たるかも)。「畢竟依(ひっきょうえ)」とは、究極の依り所ということです。
さらに進み、松寺から蒔田に入りました。スタートから3.7㎞、10時35分、御厨神明社と、蒔田観音 龍王山宝性寺という2つの標柱が建ったところに来ます。中に入ると、鳥居の向こうにお寺の本堂があるという景色。以前に2回ほど来ていますので、私はどういうところか知っていましたが、初めて見ると、お寺と神社の名前が並んでいるので、不思議に思うかも知れません。隣り合ってというか、同じ境内にというか、神社とお寺があるのです(左の写真は、2017年11月10日に撮影したもの:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。
まずは、龍王山宝性寺。本堂の建物は市の文化財。享保4(1719)年の棟札が残り、また、鬼瓦には文化十一年正月吉日の刻銘がありますので、本堂は文化11(1814)年に建立され、棟札はそれ以前にあった堂のものと考えられています。重層になった本堂は、立派です。言い伝えによると、宝性寺は天平12(740)年に聖武天皇の勅願によって創建されました。永禄11(1568)年に織田信長の家臣・滝川一益が、長島一向一揆を攻略した際、戦火に遭い、焼失した後、小堂が建立されたものの、正徳元(1711)年に再び焼失したといいます。境内には、阿弥陀堂もあります(右の写真)。現在は、蒔田第一自治会が管理しています。
これは、「舟止石」だそうです。高さは約60㎝。変形した穴が通る硅灰岩(珪灰石か?)で、穴に縄を通し、海中に投入して、船の碇にしたと説明されています。この寺のご本尊と近江国石山寺の開基である良弁(ろうべん)僧正の縁により、石山寺から運ばれたものと思われるともありました。
こちらは、御厨神明社。松寺のものと区別するため、蒔田の御厨神明社ともいわれます。『勢陽五鈴遺響』に「文治建久中(1185~1198年)富田庄六箇村ノ内の一でもある」と伝わっています。主祭神は、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ:食物をつかさどる女神、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大御神と同じとされる)。相殿神は、大山祇命(おおやまつみのみこと:山の神)、応神天皇、天児屋根命(あまのこやねのみこと:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。境内には、山の神が1基あります。
宝性寺と御厨神明社を一緒に撮った写真。お寺は、西に向かって拝むように造られています。神社は、南を向いています。伊勢神宮の方を向いているのかという気がしますが、それが本当かどうかは分かりません。
宝性寺と御厨神明社のすぐ南に朝明殿長明寺があります。浄土真宗本願寺派。立派な山門があるのと、寺の周りが、素掘りの環濠で囲まれているのが特徴(右の写真。これは、2017年11月10日に撮影したもの:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。環濠に囲まれているのは、ここは文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が居城した、蒔田城(まいた)跡といわれるからです。
創立年代、開基などは不明ですが、寺誌によると、もと真言宗潮音寺と称し、近郷の豊田村(川越町豊田)にあったと考えられています。川越町豊田には、字長恩寺という地名があり、そこが旧地と伝わっています。文明4(1485)年、画像本尊を下付されたそうですので、その頃真宗に改宗したと思われます。慶安4(1651)年、領主松平隠岐守(松平定綱公と思います)から現在の寺地を賜り、翌年寺基を移したといいます。本堂は、昭和31(1956)年に再建。鐘楼は、延宝年間(1637~801年)に建立と伝わっています。
山門(昭和初年に建立)の前に石柱。何だか分からなかったのですが、山門前にある寺の案内板を読んで、分かりました。ヒントは、右の写真。新しい橋の下に古い、石造の橋があります。これが、案内板にある「文化3(1806)年に築造された参詣橋」と考えられます。左の写真の石柱には、「文化三年 丙寅二月」と刻まれています。ということは、これは橋の親柱なのでしょう。ちなみにこの寺の塀には、4本の筋が入っています。かなり格式の高いお寺と思います。
長明寺を出てすぐにスタートから4㎞。その先で蒔田交差点。蒔田交差点を渡ってすぐ東(左)に鏡ヶ池跡。ここは、聖武天皇ゆかりの地です。聖武天皇の伊勢行幸の際(天平12(740)年11月23日に朝明郡の頓宮(とんぐう)にお着きになったといいます)、このあたりで天皇の笠が風で飛んで池に落ちたのを洗濯をしていた娘が拾い上げたそうです。翌日、旅立つ天皇と見送る娘の姿が池に映り、それが鏡のようだったとして鏡池と言うようになったとか。馬上豊かな天皇の姿と、天皇を伏し拝む少女の姿が共に池に映って絵に描いたような美しい光景だったと伝わっています。文明年間に東海道のコースが代わり、この池の真ん中を通るようになり、池は分断されました。明治末期まで東海道の両脇にしばらくは池が残っていたそうですが、現在では、この昭和8(1933)年建立の碑だけになっています。
その2はここまで。マップには、三光寺と田村寺がありますが、それはその3にて。
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