お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年4月

2021年4月30日 (金)

九華公園でセンダイムシクイ、揖斐川沿いでホオジロ

Img_2437c_20210430153701  昨日とは打って変わってよく晴れ、22℃を越えました。2日間行けませんでしたので、何はなくとも、散歩です(微笑)。7時半からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、南魚町、田町、三崎通、船場町、桑名七里の渡し公園と6.3㎞。ほぼ3時間コース。

Img_2087c_20210430153801 Img_2105x  今日は、何といってもこちらから。九華公園の奥平屋敷跡にセンダイムシクイが数羽いました。「チヨ チヨ ビィー」と聞こえる声でさえずっていましたから、間違いなし。この鳴き声、「焼酎1杯グイ」「鶴千代君(つるちよぎみ)」と聞きなしがされています。九華公園でムシクイの仲間を見たのは、3年ぶり(2018年10月17日:休耕田のコスモス畑発見……モズ、カワセミ、ゴイサギ、ムシクイ、ヤマガラ、エゾビタキ、ミサゴ、ジョウビタキと鳥も盛りだくさん(微笑)、2018年5月28日:歌行燈本店のアジサイ、野花菖蒲に桑名別院の菩提樹の花、2018年4月22日:研究会で某女子大へ……東名阪自動車道のサギ山、九華公園でセンダイムシクイ(?))。小1時間、楽しめました。

Img_2152c_20210430153801 Img_2148c  コゲラの巣の話し。先日書いた巣は、結局、2~3日後からコゲラが来なくなってしまいました。今日、そこから少し離れた別の木で巣穴を発見。この下には、新しい木くずが散乱していますので、新たにここに巣をつくっていると思われます。

Img_1938c_20210430163401  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園あたりにはカワラヒワ、桑名七里の渡し公園にはムクドリ(あの白変種の1羽もいました)。住吉入江にも、揖斐川にも水鳥の姿はなくなりました。しかし、揖斐長良川の中洲からは、複数のところからオオヨシキリの鳴き声が聞こえていました。毎年、大型連休の頃から聞こえるようになります(2020年5月4日:オスのキンクロハジロ1羽は、居残りか?)。河口堰まで行くと姿が見られます。長島方面でケリのヒナや、抱卵、コアジサシも見られるそうですから、プチ遠征したいところ。

Img_1962cImg_1975c_20210430153801  揖斐川の堤防を歩いていたら、船津屋さんの裏手でホオジロのペア。最初にオスを見つけたのですが、遠目には「何だ、スズメか」と思ってしまいました(苦笑)。少し近づいたら、ホオジロであると判明。オスは虫を咥えているようでしたが、メスは巣材にするのか、枯れ草か何かを運んでいました。このあたりで繁殖するのかも知れません。

Img_2003c_20210430153801  七里の渡し跡や、三の丸公園、柿安コミュニティパークあたりには野鳥はほとんどいません。コミュニティパークにドバトが10羽ほどいたのと、三の丸水門にハクセキレイが1羽いたくらい。

Img_2054c  九華公園も、野鳥は少なく、北門から相撲場あたりでは、カラスの鳴き声が聞こえてくるのと、カワラヒワやスズメが少しいただけ。奥平屋敷跡に近づいたら、初めの方に書きましたように、あちこちからセンダイムシクイの鳴き声が聞こえ、小躍りしてしまいました(笑)。その奥平屋敷跡では、コゲラも1羽登場。

Img_2204c_20210430153801 Img_2165c_20210430153801  さらに今日は、スズメのほかに、カワラヒワの姿が割とよく見られました。ただし、ヒナは未確認。そして、メジロがあたりに響き渡るような大きな声で囀っていました。ちょっと驚くくらい。

Img_2240c Img_2231c_20210430153801  スズメのヒナがそろそろ出てこないかと待っているのですが、今日はまだ見られませんでした。親スズメはけっこうあちこちで見ますし、餌が欲しそうな感じで近くに寄ってきます。九華公園の堀、カモの姿はありません。皆、帰ってしまったものと思われます。オオバンが1羽だけ、まだやって来ています。

Img_2277c_20210430153701 Img_2263c_20210430153701  貝塚公園では、ツグミがまだ1羽いました。ひょっとしたらいるかも知れないとは思ったのですが、ちょっとうれしい(微笑)。ここでも、カワラヒワの鳴き声がよく聞こえていました。しかし、ヒナの姿はありませんでした。

Img_2323c_20210430153701 京町から田町、三崎通では、ツバメの巣チェック。左の写真は、博物館にある巣。先日、巣の補修途中だと書きましたが(2021年4月27日:カモはいなくなりました@九華公園……カワラヒワのヒナ、3ヶ所で巣に就くツバメ)、それは終わったようで、2羽のツバメが来ていました。

Img_2357c Img_2378c_20210430153701 京町のあるお宅でも、親ツバメが巣に就いていました。ここは毎年ツバメが来ますし、先日も、巣に就いており、また、近くにもう1羽がいました(2021年4月27日:カモはいなくなりました@九華公園……カワラヒワのヒナ、3ヶ所で巣に就くツバメ)。さらに、もう1軒のお宅でも、ツバメが巣に就いていました。ここのお宅では、今シーズン、ツバメが近くに来ているのは見ていませんでした。田町、三崎通あたりの3箇所の巣には、今日はツバメは来ていません。近くでも見当たりませんでした。

Img_2412c_20210430153701Img_2416c  桑名七里の渡し公園。昨日、大雨が降りましたので、せせらぎに水がたまって、鳥が水浴びに来ているのではないかと思って見に行ったのですが、残念。今日は、小学生が遠足に来ていて賑やか。鳥の姿はほとんどありませんでした。そういえば、ここに遠足で子どもたちが来ているのを見たのは、初めて。休憩所には、右の写真のように、「七里の渡し公園休憩所」という看板が出ていました。

Img_2259c_20210430153701 午後からは、定例の内科受診。主治医&友人のところへ。「ワクチン、打つ?」と聞かれ、「そのつもり」と答えたら、予約方法について説明してくれました。5月10日から予約可能ですが、当座は混雑するでしょうから、少し経ってから予約することにします。しかし、河野大臣が説明しているように、連休明けからは、ワクチンは順調に入ってくるんでしょうねぇ??

Img_2235c_20210430153801  コロナ対策もアヤシい、オリンピックがホントのところ、どうなるのか、どうしたいのかよく分かりません。もろもろアヤシいこと、ワケが分からないこと多々あります。合理的な説明をほとんどしないことと、やってることの辻褄が合っていないことが、今の政権の特徴と思います。合理的な説明は、それをしないのではなく、できないのでしょう。説明できないことや、辻褄の合わないことは、やってはいけないと個人的には考えています。コロナについては、個人のレベルでは今のところ、自分でできる感染予防対策をきっちりするしかないと考えています。

Img_2255c_20210430153701  ぼやきはともかく、天気は下り坂のようですが、プチ遠征したいと思っています。唐突ですが、鯉のぼりの季節です。九華公園近くのお宅で見つけて、思い出しました。最近は、散歩していても、鯉のぼりが上がっているのをほとんど見なくなりました。

 

2021年4月29日 (木)

よく降っています……散髪の他は、昨日のQ&A書き

Dscn3825c 0429rader  雨がよく降っています。16時現在での24時間雨量は、32.0mm。せっかくの祝日、しかもゴールデンウィークがスタートする日なのにと思います。我々のようなジジイはまぁ良いのですが、若い方や、小さいお子さんがいらっしゃるご家庭などでは、出かけられなくて困っておられるかも知れません。ただし、新型コロナ感染者数も多いので、微妙です。先ほど、テレビのニュースショーをチラッと見たら、「出るな来るなのゴールデンウィーク」というテロップが出ていました。不謹慎ではありますが、ウマいこというなと思ってしまいました。

Dscn3817c  「晴歩雨読」のモットーですが、今日はちょっとだけ例外。「偶数月の最終週に散髪に行く」という原則を優先(苦笑)。ホントは「偶数月の最終週の水曜に散髪に行く」なのですが、非常勤の授業がありますから、それは無理になっています。9時から10時、いつものS理容院さんへ行って、サッパリしてきました。その他は、モットー通り、読書と昨日の授業の質問へのQ&A書き。ただし、雨がよく降っていて、どうもテンションが上がらず(苦笑)。Q&A書きになかなか取りかかれず、やり始めても能率があがらないこと。疲れのためなのか、寄る年波のせいなのか? まぁそれでも一通り書き終えましたので、明日の朝にでもチェックして、助手の先生に送ることにします。

Dscn3829c  話題に困ったときのベランダ園芸(笑)。あのサギソウ、お陰様で、今のところは順調です。合計8本を植えています。ベランダに置いていますから、半日弱くらいは陽に当たります。水は、毎日はやりませんが、常に湿っているように気をつけています。肥料は、月に1回くらい液肥を与えます。5月になりますから、そろそろアサガオの種を蒔く準備もしようと思っています。明日は、天気は良さそうですから、いつも通り散歩へ。

20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その3)……田村寺、三行寺、富田一里塚跡碑を見て、八幡神社、行啓道路記念碑、吉玉稲荷神社、蓮光寺跡に立ち寄り、近鉄富田駅にゴール(完)

Iseasahi3  4月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」の本編その3です。四日市市内で、松寺、蒔田と歩いて、聖武天皇ゆかりの鏡ヶ池跡まで来ました。このあと、八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺へ。東海道に戻って、三光寺。ここで鳥居を見つけ、若宮八幡神社に立ち寄り、冨田一里塚跡碑、八幡神社、行啓道路記念碑と進み、玉吉稲荷神社。ゴールの近鉄富田駅に向かっていたとき、大きな松の木を見つけ、またもや連光寺跡に道草。

Img_1039c_20210425170001  蒔田交差点の次の交差点で、東海道は、八風街道と交わります。八風街道を少し富田の方向に行ったところに弘法山田村寺があります。ついでだから行ってみようということになり、寄り道。田村寺は、八風街道を200mほど東南に行ったところにあります。真言宗醍醐派。ここは、2度ほど訪ねています(たとえば、2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))。冬至のとき、中風封じが行われ、巨大カボチャで有名。「かぼちゃ大師の日」といわれています。

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 田村寺の創立は江戸時代末期(1850年頃~)。寺伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂公が東征の帰途、この地で休息した際、村人のもてなしに感謝し、田村の姓を下賜され(それ故、この地区には田村姓が多いようです)、江戸時代に坂上田村麻呂公の霊を弔い、草庵を開いたといいます。明治時代、大慈遍照二世の大導師が弘法大師を信奉し、信徒ともに厄除け大師の恩恵に浴し、大師堂を建立。さらに真養大和尚により寺格を整え、弘法山・田村寺と称し、真言宗醍醐派に属することになったといいます(別の伝承もあります。こちらもご覧ください)。

Img_1043c_20210425170001 Img_1066c_20210428070601  東海道に戻って関西本線の踏切を渡り、三岐鉄道三岐線の高架をくぐると、木下山三光寺。真宗本願寺派のお寺。平安時代末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めた蒔田相模守宗勝の墓碑があります。承久3(1221)年、法名を祐善とした宗勝が示寂し、富田郷木下にあった江戸法徳寺(真言宗)の分地に埋葬されました。子々孫々その菩提を弔い、11代正了の時、真宗8代門主・蓮如上人の教理に触れ、一宇の坊舎を建立したのが始まりと伝わります。慶長11(1606)年、長福寺という寺名で本願寺の末寺に列し、現在地に寺院を建立したのですが、寺名が江戸幕府に忌避され、享保2(1717)年に三光寺と改名。翌年、寺院御堂が建立されたものの、安政大地震により破壊され、再建されたのですが、昭和37(1962)年には火災で焼失。現在の本堂は、昭和47(1972)年に建てられています。

Img_1046c_20210428065601  こちらが境内にある蒔田相模守宗勝の墓碑。

Img_1074c_20210428071001 Img_1079c_20210425170001  三光寺の先で東海道は左折するのですが、右を見たら、鳥居が見えました。年寄りの割に好奇心旺盛で、またもや行ってみようとなりました。若宮八幡神社です。元治元(1864)年、「氏子相計り應神天皇を鎮め神として奉祀」だそうです。主祭神は、応神天皇。相殿神は、大山祇命、護国の英霊。

Img_1093c_20210425170001 602593e9  東海道に戻り(このあたりで5㎞を過ぎています)、三岐鉄道三岐線と近鉄名古屋線の高架をくぐったところに富田一里塚跡碑があります。日本橋からは98里。縄生の一里塚よりも立派な石碑が建っています。県指定の史跡(昭和12(1937)年11月指定)。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました。ここ富田の他、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめた先)です。いずれも、すでに塚はありません。私がこれまで歩いてみてきた中で、塚が残っていたのは、亀山の野村一里塚と、名古屋の笠寺一里塚。右に亀山の野村一里塚の写真を載せておきます(2019年6月 9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))。野村一里塚は、県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。

Img_1117c_20210425170001Img_1114c_20210428190401  さらに進み、6㎞を過ぎたところに八幡神社があります。弘安2(1279)年に勧請されたのが始まりといいますから、鎌倉時代。かつては、このあたりを八幡と呼んだと伝わっています。明治42(1909)年、鳥出神社に合祀され、社殿址に「八幡神社址」の石碑が建立されたものの、昭和40(1965)年頃、現在の社殿が再建され、富田西町の産土神として戻っています。神社の説明板には、昔は、東海道五十三次の富田立場の西端がここ八幡の森で、昼でも暗く鬱蒼と樹木が茂っていたといいます。

Img_1106c_20210428190401  境内には、江戸時代から若者たちがトライしてきたという力石があります。力石は、鎌倉の頃から大正時代頃まで時代を超えて、若者たちに愛され、継承されてきました。八幡神社の力石は、約100㎏。体力を養うことを目的にしたもので、この石に触れることによって健康長寿への親交を深めたであろうと説明板にありました。

Img_1124c_20210425170001 Img_1121c_20210428192001  八幡神社から100mほど、東海道が緩く左折する角に「行啓道路記念碑」。大正天皇が皇太子時代にこの道路を通られたことを記念して建てられたものです(現在の石碑は、昭和2(1927)年に再建されたもの)。明治43(1910)年、第三師団第十五師団の対抗演習を見学のためいらした皇太子殿下は、三重県立第二中学校(旧制富田中学校・現四日市高校)に立ち寄られました。全校生徒が迎える中、御座所に入られ、授業を参観し、成績品陳列室を回られ、最後に校庭において4・5年生の中隊分列行進をご覧になってお帰りになられたといいます。県立二中は、明治32(1899)4月に創立されたばかりで、そこに「皇太子殿下をお迎えすることはまさに破天荒の出来事であり、職員・生徒はもちろん富田の住民の感激は大変なものであった」と伝えられています。右の写真に写っているところが、この行啓道路と思われます。今のJR関西線富田駅から近鉄名古屋線近鉄富田駅の南東に続く道です。

Img_1130c 33190a17  6.3.㎞あたりで東海道は右折します。曲がるところには、手作りの「右 東海道⇒」という看板が掲げられています。これは助かります。また、桑名のことを書きますが、桑名市内にも東海道を表示する石柱が建っているのですが、これが格好はよいものの、目立ちません。たとえば、右のもの。桑名市内、吉津屋見附跡の少し先に建っているもの(2019年3月10日の撮影:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)。

Img_1133c_20210428192801 Img_1137c_20210428192801  右折して100mあまり、県道8号線との交差点までが、今日の東海道歩き。東海道は、このまま直線で富田地区の市民センターや、富田小学校の方向に続きますが、ここで右折して、ゴールに設定してある近鉄富田駅に向かいます。ここの角にある寺村薬局のところに里程標があります。大正3(1914)年11月、三重県が建てています。津市の元標までは「拾里(約39.3㎞)」、四日市大字四日市までは「壱里八町(4.8㎞)」、桑名郡桑名町大字桑名へは「貳里貳拾町(約10㎞」などとあります。

Img_1140c_20210425190501  近鉄富田駅に向かって100m足らずのところに吉玉稲荷神社。神社検索三重には出て来ません。四日市の富田地区がつくっている「とみだまちあるきマップ」には、「稲荷社(吉玉稲荷、鎮火稲荷)」として載ってます。それによれば、京都の伏見稲荷神社から明治39(1906)年に勧請されたもの。本殿には三種の神器「別格大々祀式」の書簡があります。また、境内には天地龍神の石碑もあります。「別格大々祀式」は、神社の格式と思われます。「大々祀式」については、こちらに言及がありました(以下、引用)。

万延元年の伏見稲荷での分祀に関しての式料と供物代がありましたのでご紹介します。大々祀式料20両(供物3両)、大祀式料7両2分(供物1両)、本祀式料3両(供物3分)、中祀式料2両(供物2分)、小祀式料1両(供物1分)、略祀式料3分(供物2朱)、大略祀式料2分(供物2朱)の7段階で、それぞれの神璽(印鑑もそれぞれ大きさが異なっている)を捺したお札を分祀してもらっています。

 要するに勧請する(分祀してもらう)にあたって、どれだけの式料、供物料を収めたかによるランクづけでしょう。万延元年は、1860年。桜田門外の変が起きた年。

Img_1144c_20210425170101 Img_1147c  これで事前に調べた立ち寄り先は、すべてコンプリートと思って、近鉄富田駅に向かって歩き始めたのですが、K氏が「あの大きな松は何だ?」と。私自身、何回か見た記憶はあるのですが、さほど疑問を持たずにいました(苦笑)。やはり一人で行くよりも同行者がある方が、見ているものが違って、よいのです。冨松山(ふしょうざん)蓮光寺跡でした。この寺は、かつての冨田城主南部家ゆかりの寺でした。富田城主3代・頼武は、寛正元(1460)年、真宗高田派の10世・真慧上人がこのあたりを巡化されたとき帰依し、大矢知村青木谷に光明寺を再興し、奉献しました。上人は下野国専修寺から光明寺に移していた親鸞聖人座像を下賜され、頼武はそれを南部家の念持仏として城内に安置。それから100年を経て、永禄12(1569)年、5代金綱は松坂木造城で戦死、南部家も滅亡します。座像は、戦火を逃れ、富田城の堀に埋められたのですが、7代忠次がこの座像を彫りだし、この地に留まって仏門に入りました。忠次の長男・兼治は一宇と建立し、本尊阿弥陀如来を迎え、この座像を脇仏として蓮光寺の前身である南部堂を起こしました。蓮光寺は、平成10(1998)年に茂福に移転しています。ここは、現在は、富田中公園になっています。

Img_1151c_20210425170101 Img_1155c_20210428195901  これで本当にすべてコンプリート。ゴールの近鉄富田駅には、12時15分頃到着。スタートからは6.9㎞を歩いてきました。左の写真は、東口。右は、西口。西口の駅舎は新しくなっています。鳥出神社の鯨取神事に因んで鯨をモチーフにしています。

Img_1163c_20210425170101 1619322033863c  例によって昼食を食べていくことにし、近鉄富田駅のあたりを見て回ったのですが、結局、東口側にある達磨やへ。地元の方や、四日市高校の運動部の生徒さんたちがよく行く店のように思われます。私は、四日市とんてき丼をチョイス。食後の珈琲がついて¥660。とんてきは、いわゆるB級グルメで、四日市名物。リンク先にある「四日市とんてき」の定義からすると、ちょっと外れるところはあった(厚切りの豚肉ではありませんでした)ものの、味はまさにとんてきでした。満足。とんてきは、大学院を修了してすぐ就職した鈴鹿のS病院時代、昼食にときどき食べに行きました。鈴鹿の自由が丘というところにある「名物とんてき来来憲」というお店でした。

Img_1189c_20210425192001  昼食を終え、近鉄富田駅12時56分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、何と13時03分に到着。あっけない(苦笑)。¥260。この日は、現地で6.9㎞を歩き、桑名駅~自宅往復が2.2㎞、合計9.1㎞を歩いて、17,100歩でした。これで、歩いて伊勢詣りツアーの2回目も無事に終了。とはいえ、まだ、最終目的地の伊勢神宮内宮には80数㎞残っています。第3回目は、5月上旬の予定。5月中に日永の追分を過ぎて、伊勢街道に入れるでしょうか?

2021年4月28日 (水)

案の定、雨(苦笑)……コロナワクチン接種券届く

Dscn3812c  案の定、雨になりました(苦笑)。昼くらいまではもつか、と期待したのですが、出勤する頃からポツポツと降ってきて、江戸橋駅で電車を降りる頃には、傘が必要なくらい降っていました。帰りは、往きよりも空は明るかったものの、出勤時と同じくらいの雨。折りたたみ傘で十分な降り方でしたから、まだよい方と思いましょう。授業の方は、いささか時間が押してしまい、最後はちょっと端折り気味。授業の始めに、前回の質問、感想についての補足説明を行うのですが、今日は、それに時間を取り過ぎました。しかし、学生の皆さんの反応(出席票に書く質問、感想の内容や、量から見て)は悪くはないと思います(自己評価ですから、高めに捉えているかも)。透明アクリル板には少しは慣れた気がしますが、マスクをして1時間半の講義をするのは、相変わらず疲れますし、暑くて参ります。

Dscn3810c  今年度初めての時にも見たのですが、今日も非常勤先のグラウンドでヒバリを目撃(微笑)。オスが鳴いていましたし、姿もしっかり確認。まさに「バードウォッチングができる学校」です。校内で今までに見ているのは、ヒバリ、ツバメ、ハクセキレイ、モズ、スズメなど。今日はハクセキレイの写真を紹介し、グラウンドや住宅地、駅にもいると話したのですが、次はヒバリを取り上げないと(微笑)。

Dscn3815c  ところで、昼過ぎに帰宅したら、市役所から「新型コロナウィルスワクチン 無料接種券」が届いていました。接種券の他、接種のお知らせ、説明書(ファイザー社製)、予診票2部、市からの案内(新型コロナウィルスワクチン接種について)、接種日について(65歳以上)が同封されています。桑名市の高齢者対象のワクチン接種は、かかりつけ医で受けることになっています。予約開始は5月10日、接種開始は5月19日以降。高齢者を優先するのが、本当によいかどうか分かりませんが、せっかくのことですから、ありがたくワクチンを接種してもらおうと考えています。週末には、内科の定例受診に行くつもりですから、その時に相談することにします。

2021年4月27日 (火)

20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その2)……松寺の小公園、松寺御厨神明社、タカハシ酒造、松寺立場跡、輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田御厨神明社、長明寺から鏡ヶ池跡へ

Iseasahi2  4月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」の本編その2です。朝明川を越えて四日市へ入ります。松寺の御厨神明社のあと、酒造会社を見つけ、行ったものの直売所は休み(残念)。松寺立場跡・輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田の御厨神明社へ。ここで小休止の後、長明寺、鏡ヶ池跡。その2はここまで。このあと、八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺に行ったりしましたが、これ以降はその3にて。

Img_0871c_20210425165901 Img_0875c_20210427065801  朝明川を渡ったところにある小公園。ここで2.6㎞。東海道の案内板、力石、ベンチなどが配されています。案内板には、「ここは四日市の東海道北玄関 松寺」とあり、簡単な地図が添えられています。なぜかシーボルトがここを通ったという説明もあります。シーボルトは、文政9(1826)年、オランダ商館長の江戸参府に随行し、同年3月26日夜遅く四日市に着き、翌27日、朝9時頃ここを通ったといいます。

Img_0879c_20210427065801 Img_0885c_20210427071201  こちらは、公園内に保存されている力石。江戸末期から明治初期にこの地で営まれていた茶店「橋南(はしみなみ)のつる」の主・大久保つるが残したものだそうです。石には「二十七メ」と刻まれ、その目方が27貫目(約100㎏)と思われます。北勢地方では、力石は神社仏閣の境内にあることが多いのですが、これは数少ない民家の軒先にあったものです。

Img_0891c_20210425165901 Img_0895c_20210427071901  公園の先で朝明川の河岸段丘を降りて、東海道は緩くカーブし、じきに松寺の御厨神明社があります。御厨という名称ですから、伊勢神宮に関わりのある土地であったことがわかります。主祭神は、豊受姫命(とようけひめのみこと:食物をつかさどる女神、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大御神と同じとされる)、相殿神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)。創立年代は不詳。静かで、小さな神社。

Img_0898c_20210427071901  境内には、山の神様が1基ありました。この神明社を過ぎると、薬師堂があると「ホントに歩く東海道」の地図にはあったのですが、見逃してしまいました。前回ここを歩いたときも見ていません。細い道の奥に入っていく必要があるのです(苦笑)。

Img_0905c_20210425182901 Img_0911c_20210425165901  次の目的地である蓮証寺に向かって歩いていたら、御厨神明社を出て100mあまりで、東海道の東に醸造所らしき建物。気になりました(微笑)。気づいたところや、気になったところは見てくるというのが、原則(笑)。タカハシ酒造でした。文久2年の創業だそうですから、1862年。江戸末期の激動の頃。直売所があったのですが、あいにく日曜は定休で残念。天遊琳・伊勢・伊勢物語・伊勢の白酒などの酒を造っています。今度見かけたら、買って、試してみることにしましょう。

Img_0933c_20210425165901 Img_0917c_20210427162001  蓮証寺の手前、東側に松寺立場跡という案内板と、輝子頌徳記念碑とがあります。江戸時代、桑名宿と四日市宿との間には、5カ所の立場があり、その一つがここ松寺でした。タカハシ酒造の南側あたりに立場があったと書かれていました。

Img_0921c_20210427162001  立場跡の案内板の奥に「輝子頌徳記念碑」があります。碑には「佐藤輝子碑」とあります。佐藤輝子は、大矢知村字松寺で佐藤庄九郎の娘として、弘化3(1846)年に生まれました。25歳の時に夫が他界した後は、裁縫の教育に携わり、門者は千数百人に及んだと言います(実際には三千人ほどの子弟がいたとも言われます)。輝子は、大正6(1917)年に亡くなったのですが、翌年3月門人によってこの碑が建てられました。女性の頌徳碑というのは、比較的少ないと思います。

Img_0937c_20210425165901Img_0944c  松栄山蓮証寺。真宗本願寺派。400年くらい前、ここにお堂があり、本堂も200年くらい前に建てられたといいます。松栄山蓮証寺という山号・寺号の最初と最後の文字をとると「松寺」となり、何か関係があるかと案内板にありました。

Img_0941c_20210427170801 Img_0948c_20210427171401  この寺で気になったものは、左の写真。手水鉢だと思うのですが、どうでしょう? 右は境内にあった碑。「昭和三十三年 御巡教記念」とあります。碑の左には「勝如上人御手植月桂樹(これまたちょっとアヤシい)」。勝如上人(明治44(1911)~平成14(2002)年)は、真宗本願寺派23世門主。

Img_0952c_20210427171401  また、こういう石碑もあります。「畢竟依」とあります。K氏と「どう読む?」という話になったのですが、「ひっきょうえ」という読みが浮かんできました。真宗の御経にあったような記憶があったものの、この時点では自信がありません。「畢竟(ひっきょう)」は、仏語で、「畢」も「竟」も終わる意味ですから、究極、至極、最終ということになります。などと調べていたら、「畢竟絵を帰命せよ」という文言が浮かんできました。親鸞上人の「浄土和讃」にあることば(最近、勤行をサボっていますので、記憶が朧気になっていました……苦笑。罰が当たるかも)。「畢竟依(ひっきょうえ)」とは、究極の依り所ということです。

5bf441c1 Img_0994c_20210425170001  さらに進み、松寺から蒔田に入りました。スタートから3.7㎞、10時35分、御厨神明社と、蒔田観音 龍王山宝性寺という2つの標柱が建ったところに来ます。中に入ると、鳥居の向こうにお寺の本堂があるという景色。以前に2回ほど来ていますので、私はどういうところか知っていましたが、初めて見ると、お寺と神社の名前が並んでいるので、不思議に思うかも知れません。隣り合ってというか、同じ境内にというか、神社とお寺があるのです(左の写真は、2017年11月10日に撮影したもの:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。

Img_0972c_20210425170001Img_0988c_20210427180201  まずは、龍王山宝性寺。本堂の建物は市の文化財。享保4(1719)年の棟札が残り、また、鬼瓦には文化十一年正月吉日の刻銘がありますので、本堂は文化11(1814)年に建立され、棟札はそれ以前にあった堂のものと考えられています。重層になった本堂は、立派です。言い伝えによると、宝性寺は天平12(740)年に聖武天皇の勅願によって創建されました。永禄11(1568)年に織田信長の家臣・滝川一益が、長島一向一揆を攻略した際、戦火に遭い、焼失した後、小堂が建立されたものの、正徳元(1711)年に再び焼失したといいます。境内には、阿弥陀堂もあります(右の写真)。現在は、蒔田第一自治会が管理しています。

Img_0991c_20210427180201  これは、「舟止石」だそうです。高さは約60㎝。変形した穴が通る硅灰岩(珪灰石か?)で、穴に縄を通し、海中に投入して、船の碇にしたと説明されています。この寺のご本尊と近江国石山寺の開基である良弁(ろうべん)僧正の縁により、石山寺から運ばれたものと思われるともありました。

Img_0984c Img_0980c_20210427180201  こちらは、御厨神明社。松寺のものと区別するため、蒔田の御厨神明社ともいわれます。『勢陽五鈴遺響』に「文治建久中(1185~1198年)富田庄六箇村ノ内の一でもある」と伝わっています。主祭神は、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ:食物をつかさどる女神、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大御神と同じとされる)。相殿神は、大山祇命(おおやまつみのみこと:山の神)、応神天皇天児屋根命(あまのこやねのみこと:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。境内には、山の神が1基あります。

Img_0999c  宝性寺と御厨神明社を一緒に撮った写真。お寺は、西に向かって拝むように造られています。神社は、南を向いています。伊勢神宮の方を向いているのかという気がしますが、それが本当かどうかは分かりません。

Img_1006c_20210425170001 C1b3df07  宝性寺と御厨神明社のすぐ南に朝明殿長明寺があります。浄土真宗本願寺派。立派な山門があるのと、寺の周りが、素掘りの環濠で囲まれているのが特徴(右の写真。これは、2017年11月10日に撮影したもの:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。環濠に囲まれているのは、ここは文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が居城した、蒔田城(まいた)跡といわれるからです。

Img_1023c_20210427192001  創立年代、開基などは不明ですが、寺誌によると、もと真言宗潮音寺と称し、近郷の豊田村(川越町豊田)にあったと考えられています。川越町豊田には、字長恩寺という地名があり、そこが旧地と伝わっています。文明4(1485)年、画像本尊を下付されたそうですので、その頃真宗に改宗したと思われます。慶安4(1651)年、領主松平隠岐守(松平定綱公と思います)から現在の寺地を賜り、翌年寺基を移したといいます。本堂は、昭和31(1956)年に再建。鐘楼は、延宝年間(1637~801年)に建立と伝わっています。

Img_1010c_20210427192001 Img_1020c  山門(昭和初年に建立)の前に石柱。何だか分からなかったのですが、山門前にある寺の案内板を読んで、分かりました。ヒントは、右の写真。新しい橋の下に古い、石造の橋があります。これが、案内板にある「文化3(1806)年に築造された参詣橋」と考えられます。左の写真の石柱には、「文化三年 丙寅二月」と刻まれています。ということは、これは橋の親柱なのでしょう。ちなみにこの寺の塀には、4本の筋が入っています。かなり格式の高いお寺と思います。

Img_1026c_20210425170001  長明寺を出てすぐにスタートから4㎞。その先で蒔田交差点。蒔田交差点を渡ってすぐ東(左)に鏡ヶ池跡。ここは、聖武天皇ゆかりの地です。聖武天皇の伊勢行幸の際(天平12(740)年11月23日に朝明郡の頓宮(とんぐう)にお着きになったといいます)、このあたりで天皇の笠が風で飛んで池に落ちたのを洗濯をしていた娘が拾い上げたそうです。翌日、旅立つ天皇と見送る娘の姿が池に映り、それが鏡のようだったとして鏡池と言うようになったとか。馬上豊かな天皇の姿と、天皇を伏し拝む少女の姿が共に池に映って絵に描いたような美しい光景だったと伝わっています。文明年間に東海道のコースが代わり、この池の真ん中を通るようになり、池は分断されました。明治末期まで東海道の両脇にしばらくは池が残っていたそうですが、現在では、この昭和8(1933)年建立の碑だけになっています。

 その2はここまで。マップには、三光寺と田村寺がありますが、それはその3にて。

カモはいなくなりました@九華公園……カワラヒワのヒナ、3ヶ所で巣に就くツバメ

Img_1446c_20210427153501  朝は7.9℃と、この時期にしては冷えましたが、その後は19℃を越えました。今週、よい天気は今日までという予報。明日は、江戸橋での仕事ですが、昼前から雨の可能性もあるとか(苦笑)。いつぞや、水曜日に江戸橋に行くときに限って雨という年があったのを思いだしてしまいます。それはさておき、今日もいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀、京町、寺町と6.2㎞。京町あたりでは、ツバメの巣チェックをしてきました。

Img_1616c  今日も、鳥は少なく、桑名七里の渡し公園ではムクドリとカワラヒワ、住吉神社あたりでスズメとヒヨドリ、柿安コミュニティパークでドバト。九華公園につくまではこれだけ。九華公園も静かで、ヒヨドリの鳴き声はせず、メジロの鳴き声は聞こえたものの、木の高いところからで、姿は見えません。スズメは、公園内のところどころで見かけ、餌をねだるように近くへ寄ってきます。

Img_1518c_20210427153501 Img_1539c_20210427153501  奥平屋敷跡で待っていると、今日もカワラヒワのヒナが出て来ました。見ていると、1つのファミリーでヒナが2羽いるように見えます。鳥が少ない中、1時間ほど見ていたのですが、奥平屋敷跡やその周囲を移動しつつ、親が餌を採っては運んで来ているのが見えました。

Img_1620c_20210427153501 Img_1675c_20210427153501  ちょっと距離がありましたので、はっきりとは捕らえられていませんし、枝かぶりになってしまいましたが、これらの写真が撮れました。向かって左が、カワラヒワのヒナ。羽ばたいて、鳴き声を上げて餌をねだっています。右の写真は、餌をもらう瞬間。証拠写真であるのが、残念。

Img_1496c_20210427153501  シジュウカラも、1羽が、奥平屋敷跡や、二の丸跡を移動しています。声高らかに囀っているオスです。ペアの相手がまだ見つかっていないのかと、ちょっと気になります。余計なお節介ではありますが(苦笑)。上にも書きましたが、メジロの鳴き声は、九華公園でも、貝塚公園でも何か所かから聞こえるのですが、木の高いところからです。卵を抱いているか、ヒナの世話をしているのか、どちらかでしょうか。九華公園でのバードウォッチングは、以上(微苦笑)。ちなみに、昨日までいたキンクロハジロ、今日は見当たりませんでした。また、ツグミの姿もありませんでした。

Img_1486c_20210427155201 Img_1755c_20210427153501  公園内も、木々の葉が青々としてきています。左は、奥平屋敷跡の様子。今日も、九華公園で同級生K氏が、ツツジを見ていこうと思ったというのに出会いました。「お前の写真できれいそうだったからな」というのです(笑)。きれいなところを選んで写真を撮っていますので、「真を写している」ことに間違いはないのですが、全体ではなく、あくまで部分です。

Img_1790c  貝塚公園には、まだツグミがいました。その数、4羽ほど。しかし、例年の様子からすると、そろそろ姿は見られなくなる頃です。

Img_1764c_20210427153401 Img_1775c  少し前からトンボが飛び始めています。貝塚公園で、シオカラトンボを撮ってきました。左は、石に止まったメス。そして、何とすでに交尾をしているカップルがいたのには、ちょっと驚きました。考えてみれば、子孫を残すのが、大目的ですから、チャンスがあれば交尾するというのは当然かも知れません。

Img_1808c_20210427153401Img_1835c  ツバメの巣チェック。京町あたりで4箇所。左の写真は、桑名市博物館にある巣。3つありますが、そのうち1つの巣が、修復されているようでした。ここは、去年も繁殖していたところですから、今年も期待できます。右の写真は、京町にある呉服屋さんの巣。ここも3つの巣がありますが、そのうち1つに親がいました。

Img_1818c_20210427153401 Img_1832c_20210427153401  もう1ヶ所、京町のあるお宅の巣。ここでも、親ツバメが巣に就いていました。近くの電線にはもう1羽、ツバメの姿があります。田町、三崎通あたりの巣は、今日は見ていませんが、何回か見てきた限りでは、3ヶ所にある巣のうち、ツバメが来ていたのは、1ヶ所のみ。

Img_1895c_20210427153401  京町公園で一休みしていたら、イソヒヨドリの鳴き声が聞こえてきました。京橋町にある商店の屋上にいました。先日、御坊さん(桑名別院本統寺)の近くでも見ましたが、寺町、吉津屋町、拙宅近くから国道1号線の東側あたりを縄張りにしていると思います。今朝も、我が家の南の方角で早くから鳴き声が聞こえていました。

Nectablet  余談です。昨年末に、ちょっと迷った上でタブレットPCを新調しました(2020年12月24日:貝塚公園で今シーズン初めてシロハラ(ただし、証拠写真のみ)……年賀状は印刷、タブレットPCを新調)。NECのTE710/KAWです。快調に使っていたのですが、昨日、購入したビックカメラから葉書で、「不具合のお知らせ」が届きました。フルセグチューナーがついていて、地デジが見られるのですが、その不具合とか(ワンセグは見られるものの、TV機能の設定不良によりフルセグでのTV視聴ができないのだそうです)。タブレットPCで地デジは見ませんので、気づいていませんでした。フルセグだけの不具合なら、そのまま放置しておいてもいいなと思っていますが、どうしたものでしょう?

2021年4月26日 (月)

20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」(その1)……橘守部生誕地遺跡、浄泉坊、西光寺、豊田一色道標、桜並木から多賀大社常夜燈へ

 4月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第2回「朝日~富田」の本編その1です。今回のハイキングは、桑名から伊勢神宮まで、10数回に分けて、歩いてお参りに行こうというもの。平成31(2019)年に近鉄ハイキングの企画で開催された「昔も今もお伊勢参り」(2020年1月2日:2019年近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り」の記録)に再挑戦。4月9日に第1回として、桑名・七里の渡し跡から朝日町にある近鉄伊勢朝日駅まで歩きました(2021年4月 9日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡、2021年4月11日:20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その2……天武天皇社からゴールの伊勢朝日駅へ(完))。

Iseasahi0   第2回の今回は、近鉄伊勢朝日駅から朝日町を歩き、四日市へ。松寺、大矢知、蒔田を経て、近鉄富田駅までの6.9㎞を歩いてきました。この日のコース全体のマップ。伊勢朝日駅をスタート。駅の側にポケットパークがあり、そこに樹齢300年以上のエノキ。朝日町内で浄泉坊、西光寺など寺を周り、北勢バイパスの手前で多賀大社常夜燈。朝明川を越えると、四日市に入ります。そこに小公園。松寺の御厨神明社のあと、酒造会社を見つけ、行ったものの直売所は休み(残念)。松寺立場跡・輝子頌徳記念碑、蓮証寺、宝性寺、蒔田の御厨神明社へ。ここで小休止の後、長明寺、鏡ヶ池跡。さらに八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺。続いて、三光寺を出たところで、鳥居を見つけ、若宮八幡神社にも立ち寄り、冨田一里塚跡碑、八幡神社、行啓道路記念碑と進み、玉吉稲荷神社。ゴールの近鉄富田駅に向かっていたとき、大きな松の木を見つけ、またもや道草。そこは蓮光寺跡でした。

Iseasahi1  こちらは、詳細なコースマップその1。伊勢朝日駅から多賀大社常夜燈まで。朝日町は、小さな町ですが、見どころはいろいろあります。ただし、この日歩いた東海道筋には、橘守部生誕地遺跡、浄泉坊、西光寺、豊田一色道標、桜並木(昔は松並木)、多度大社常夜燈くらい。朝日町は、何回か歩きに来ています(たとえば、2020年12月11日:20201211勝手にJRさわやかウォーキング三重・朝日町へ……朝日町歴史博物館の「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」を見て、井後神社、善照寺、移田神社、井後神社旧址へ、2018年6月24日:20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」)。ちなみに、朝日町という地名は、日本書紀に、天武天皇が壬申の乱のときに、この付近で朝日を拝んだという記述があるためだそうです。

Img_0791c_20210425165901   近鉄桑名駅を8時44分に出る四日市行き準急に乗車。スタートの伊勢朝日駅は、2駅目。8時52分に到着、¥210。伊勢朝日駅のホームは対面式で、駅舎も上下線が別にあります。下りの改札を出たすぐが、東海道。8時55分にスタート。

201022155014_3 Img_0796c_20210425165901  踏切を越えてじきにポケットパークがあります。と書きましたが、調べたら、改修されて令和2年4月から「語らいの広場」という名前に変わっていました(写真は、朝日町のサイトからお借りしました)。木陰がもう少しあるといいなとは思ったものの、よい公園です。この公園の南端には樹齢300年以上といわれるエノキがあります。このあたり、小向(おぶけ)にも、焼き蛤を売る茶屋があり、立場になっていたといいます。東海道中膝栗毛にも、小向や縄生(なお)の地名とともに、蛤が名物であることが出てきます。

Img_5871c_20210426131301  スタートから800mほど、ちょうど朝日町役場の北の東海道沿いに「橘守部生誕地遺跡」があります(写真は、2017年10月5日撮影:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。橘守部(1781~1849年)は、江戸後期の国学者。17歳のとき、一家離散のため江戸に下り、20歳を過ぎてから学問を志したのですが、香川景樹、平田篤胤、伴信友とともに「天保の国学四大家」の一人に数えられるに至っています。ここの裏手にある町役場の敷地の一角に「橘守部翁生誕の地」の石碑が建っています。

Img_0805c_20210425165901Img_0836c_20210426132201  この遺跡からすぐ、朝日跨線橋東交差点の手前、西側に小向山浄泉坊(おぶけさんじょうせんぼう)。浄土真宗本願寺派のお寺。由来書きによれば、正治元年(1199)年、正治寺として小向御厨神明宮の別当寺として建てられました。当初は禅宗であったといいます。その後、愛洲宗貫が小向に城を構え、延元4(1339)年に朝明郡の地頭職に補せられ、伊勢守を名乗り、この寺を菩提寺にして愛洞山と称しました。寛正の頃(1460~1465年)、伊勢左衛門尉真弘のの末裔が出家して小向坊浄泉と言って、正治寺に住み、応仁元(1467)年、蓮如上人が関東から帰洛の際、その教化を受けたと言います。天正年間、沼木宗喜、飯田庄之助の城が寺院付近にあり、それを攻めた滝川一益の兵火にかかって焼失しました。慶長8(1603)年に、伊勢慶昭が小向にあった正治寺を再興し、小向山浄泉坊と改称し、寛永15(1638)年、西本願寺から木仏と寺号の公称を受けています。

Img_0808c_20210426132201  徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺になっていたことがあるといわれ、本堂の棟や、山門に徳川家の定紋三ツ葉葵が入っています。そのため参勤交代の大名はこの寺の門の前では駕籠から降りて一礼したと伝えられます。

Img_0812c  ここは何度か訪ねたのですが、いつもすっかり失念して、見ていないところがあります(かといって、突然行っても見られないと思うのですが)。この寺の書院が、旧桑名城の三の丸御殿を移築したものだといわれているのです(西羽晃著「郷土誌を訪ねて」,pp.134~135)。

Img_0823c_20210426132201  境内には、「明治廿七八年戦役従軍者紀念碑(大迫尚敏書)」、「日露戦役従軍者記念碑(大山巌書)」「殉難之碑(と私には読めますが、かなりアヤシい)(靖国神社宮司 筑波藤麿為)」の3つの碑があります。大山元帥が揮毫したこういう碑、この地方でもかなりよく見ます。いったいどのくらい書かれたのでしょう。

Img_0839c Img_0842c_20210425165901  朝日跨線橋東交差点を渡ってさらに進み、スタートから1.2㎞のところに朝明山西光寺。真宗大谷派のお寺。確実な証跡はないものの、現存する絵像ご本尊の裏書きからは、明応5(1496)年に開基されたと考えられています。その後、貞享2(1685)年、大谷派に転じ現在に至ったといいます。現在の建物は、明治10~23年にかけて建立されたもの。

31a68bfc  このお寺、以前立ち寄ったときには、街道沿いに立派な松があり、松並木の名残かという気がしたのですが、この日は、松の木は見当たりませんでした。写真は、平成29(2017)年10月5日に撮ったもの(朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。一昨年の近鉄ハイキング「昔も今も伊勢参り」で通ったときも松はありました(2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)。ちょっと残念な気がしつつ、歩き続けます。

Img_0846c_20210425165901 7ba5b98a  スタートから1.5㎞のところで、東海道は左折となります。そこに「東海道はこちらでござる」という看板。地元の方の手作りと思いますが、ありがたいご配慮。4年ほど前にみたものと違って、新しくなったなと思ったら、やはりそうでした(右の写真は、2017年11月9日に撮影:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))。

D0a511fe  341a785e その先、1.8㎞あたりの道路脇に、見逃しそうな小さな道標があります。「豊田一色」への道を示しています。豊田一色は、川越町の地名。ここから南東側にあります。道標から、柿交差点のところまでは、現在は桜並木になっていますが(右の写真。ただし、これは2017年11月9日に撮影:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))、明治の地図では、このあたりは、東海道の両側は水田だったようです。「ホントに歩く東海道」の解説には、「当時は民家は一軒もなかった。郷土資料「大矢知地区幕末・明治生まれの実話」には、「追い剥ぎ、辻切り、乞食」の出没する寂しい道だったとある」と書かれています。

Img_0854c  柿交差点の西に多賀大社常夜燈があります。弘化3(1846)年に、滋賀県の多賀大社から勧請して祀られた神社(現在は、井後(いじり)神社に合祀)の神殿前に建てられていたものといいます。元々は、東海道沿いにあったものでしたが、昭和46 (1971)年に街道から30m西の現在地に移転されています。「お多賀さんの灯籠」と親しまれ、かつては燈籠番が毎夜、火を灯していたそうです。ここは、伊勢湾岸自動車道や、北勢バイパスの高架のすぐ下。右手(西)には、鈴鹿の山並みがよく見えますが、今でも水田がたくさんあり、江戸時代などは、さみしいところだったと思われます。

Img_0861c_20210426173301 Img_0864c_20210425173201  柿交差点を渡り、伊勢湾岸自動車道&北勢バイパスの高架をくぐると、朝明橋で朝明川を渡ります。東征中の日本武尊が当地で夜明けを迎え、朝明川の水で口をすすいだことから川の名が付いた、とする伝承があります。右の写真は、朝明川の上流方向。鈴鹿の山並みも見えます。

 キリが良いので、その1は、朝日町内を歩いた、ここまで。その2では、四日市に入り、松寺、大矢知、蒔田と進みます。

目に青葉の季節、野鳥は少なし【花の名前を訂正しました(4/27)】

Img_1440c_20210426154201  「目に青葉」という季節になってきました。緑が鮮やかですし、その緑にもいろいろな色があるのがよく分かります。母校の大学のスクールカラーが、濃緑でした。旧帝大の1つでしたが、その中でもっとも新しい大学ということだったのだろうと思います。今日も、いつも通り、7時半から散歩。用事も2つほどありましたので、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町から、中央町、寿町、常磐町、寺町、三崎通、殿町とあちこち回って、7.2㎞も歩きました。用事と、いささか歩きすぎで、疲れました(苦笑)。

Img_1211c_20210426154201 Img_1238c_20210426154201  さて、時節柄、野鳥はいません。繁殖に勤しんでいるものと思います。散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園前の桜並木で、コゲラの超証拠写真。何とかコゲラであることは分かると思います。カワラヒワもいました。桑名七里の渡し公園では、ムクドリの、たぶん白変種。これもピントが甘く、あまりよい写真ではありません。このあと、柿安コミュニティパークでムクドリを見るまで、鳥には遭遇せず。

Img_1301c  九華公園も、きわめて静か。ヒヨドリやカラスの鳴き声もしませんし、ドバトもいません。奥平屋敷跡では、散歩友達のYさん、前管理人のOさんと「スズメ観察会」を開いていました(苦笑)。スズメしかこないのです。コゲラやカワラヒワも見たのですが、通過して行きます。他には、ツバメがかなり飛び交っていたくらいで、ヒヨドリも1羽だけ。

Img_1337c_20210426154201  二の丸跡ではツグミ1羽を見たものの、ピンぼけ写真を量産。シジュウカラが登場したのですが、動き回っているので、写真が撮れず。これまた、「見ました」というだけの写真。コゲラが鳴いていましたが、姿は見えず。朝日丸跡では、スズメのみ。

Img_1369c  カモは、キンクロハジロのメスが2羽。一昨日は、ペアでいましたが、入れ替わっています。このほかは、オオバンが1羽と、カルガモが1羽。堀はすっかり静かになりました。

Img_1406c_20210426154301  貝塚公園では、ツグミを3羽見ましたが、写真を撮れたのは1羽のみ。本当に今日は鳥がいません。もう少しして、連休の頃になるとスズメのヒナが登場するのではないかと期待するしかありません。

Img_1433c_20210426154201  京町と、三崎通あたりでツバメの巣チェックをしてきました。6ヶ所のうち、親ツバメが巣にいたのは、京町の呉服屋さんのみ。6ヶ所のうち、1回でも親ツバメが近くにいるのを見たのは、4ヶ所。まだ卵は産んでいないような気がします。

Img_1271c_20210426154201  ところで、九華公園にはハリエンジュ(針槐)があります。管理事務所の南に白い花が咲くかなり高い2本の木です。数mの高さだと思います。青空に白い花が映えて、鮮やか。

Img_1414c_20210426154201 Img_1418c_20210426154201  内堀公園にも白い藤の花が咲く藤棚。花は少ないものの、右の写真のように、房が長いところもあって、それなりに景色になっています。

Img_1411c_20210426154301  その内堀公園にも、ツツジがあります。昨年、剪定作業が行われなかったようですが、これはこれで味があると思います。

Img_1382c_20210426154301  今週は、江戸橋での仕事3回目。少し調子が出てくる頃ですが、来週はゴールデンウィークで休み。今年度前期の受講者数は、おそらく40名前後。あまり多くもなく、これくらいが適切かと思っています。授業の最後に、気分転換にバードウォッチングで撮った鳥の写真などを2枚ほど見せています。野鳥にも興味を持ってくれる学生がいれば、うれしいのですが、無理強いはしていません。

Img_1375c_20210426160901  新型コロナについて、三重県では今日、県独自の「緊急警戒宣言」を抜本的に強化することになりました。「まん延防止等重点措置」を先取りし、実質的にスタートするということです(こちら)。10万人あたりの新規感染者数は多いようですから、気をつけなくてはなりません。ワクチンについて、桑名市では今日、高齢者に接種券が発送されるそうで、5月10日から予約開始だそうですが、開業医さんなどはまだ接種が完了していないようです。もろもろどうなるのか気になるところですが、大切なことは、基本的な感染予防策をしっかりとることかと考えています。

【付記(4/27)】 藤の木と思った白い花が咲く木は、ハリエンジュでした。じゅほうさんにご教示いただきました。御礼申し上げます。記述を訂正しました。

2021年4月25日 (日)

20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第2回「朝日~富田」(予告編)

 本日・4月25日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第2回に行ってきました。前回の終点である近鉄伊勢朝日駅から東海道を歩いて、近鉄富田駅まで。第1回のときは、1回で完結できるだろうと書き始めたものの、予想外に記述が長くなり、急遽2回の記事になりました。反省して(微笑)、今日のところは、予告編。この伊勢詣りツアー、同級生K氏と二人旅。

Iseasahi0  こちらが、今日のコース全体のマップ。伊勢朝日駅をスタートしますが、伊勢朝日駅は東海道に沿ったところにあります。駅の側にポケットパークがあり、そこに樹齢300年以上のエノキ。朝日町内で浄泉坊、西光寺など寺を周り、北勢バイパス側で多賀大社常夜燈。朝明川を越えると、四日市に入ります。そこに小公園。御厨神明社のあと、酒造会社を見つけ、行ったものの直売所は今日は休み(残念)。松寺立場跡、蓮証寺、宝性寺、蒔田御厨神明社、長明寺、鏡ヶ池。さらに八風街道をちょっと冨田方向に道草して、田村寺。三光寺を出たところで、鳥居を見つけ、若宮八幡神社に立ち寄り、冨田一里塚跡碑、八幡神社、行啓道路記念碑と進み、玉吉稲荷神社。ゴールの近鉄富田駅に向かっていたとき、大きな松の木を見つけ、またもや道草。蓮光寺跡でした。現地で歩いたのは、6.9㎞。

Img_0791c_20210425165901 Img_0796c_20210425165901  スタートの近鉄伊勢朝日駅。桑名駅を8時44分に出る四日市行き準急に乗車。8時52分着、¥210。8時55分に伊勢朝日駅をスタート。ホームは対面式で、駅舎も上下線が別にあります。東海道に出てすぐに踏切を渡ります。その先にポケットパークがあり、この公園の南端に樹齢300年以上といわれるエノキ。東海道を往来した旅人たちを見てきたと思います。街道の並木としては、松が一般的で、朝日町内も同様だったのですが、エノキのような「雑木」も混じっていたそうです。

Img_0805c_20210425165901  朝日町役場の北で「橘守部生誕地遺跡」を見たあと(今回は割愛)、浄泉坊。スタートから800mほど。真宗本願寺派。桑名藩にゆかりのあるお寺で、山門などに三ツ葉葵のご紋があります。参勤交代の大名は、ここで駕籠を降りて黙礼したと伝わります。朝日跨線橋東の交差点を過ぎ、JR関西線朝日駅の東に西光寺。真宗大Img_0842c_20210425165901 谷派。安永6(1777)年の銘のある梵鐘があります。ここのお寺には、以前来たときには、立派な松があり、松並木の名残かと思ったのですが(2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼、2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)、今日は見当たりませんでした。切られてしまったのでしょうか。

Img_0800c_20210425172501 Img_0846c_20210425165901  朝日町内にも、東海道を案内する標識、看板がたくさんあります。左の写真は、浄泉坊より伊勢朝日駅よりにある小向神社を案内する社号標ですが、その脇に東海道の案内板が見えます。「みえ歴史街道」とありますから、行政が建てたものでしょう。西光寺の先、スタートから1.5㎞ほどのところで東海道は左折します。右の写真は、そこにあるもの。これは手作りですから、どなたかが掲げてくださったものと思います。

Img_0854c Img_0864c_20210425173201  スタートから2.2㎞で、伊勢湾岸自動車道&北勢バイパスの高架に来ます。柿交差点の北西に多賀大社常夜燈。弘化3(1846)に建立され、かつては燈籠番が毎夜火を灯したそうです。この先で、高架をくぐり、朝明川を朝明橋で渡ります。東征中の日本武尊が、このあたりで夜明けを迎え、朝明川の水で口をすすいだことから川の名が付いたという伝承もあります。さらに、余談というか、講釈というか(笑)。朝日町という地名、日本書紀に、天武天皇が壬申の乱のときに、この付近で朝日を拝んだという記述があるためだそうです。

Img_0871c_20210425165901 Img_0891c_20210425165901  四日市に入ってすぐ、川沿いに小公園。「ここは四日市の東海道 北玄関 松寺」と看板にあります。なぜかシーボルトが通ったことが取り上げて書かれています。近くには、力石。100㎏だそうです。2.8㎞地点に御厨神明社。「御厨」は、伊勢神宮の神領をいいます。「神明社」は、天照大神を御祭神とする神社。他の地方のことは承知していませんが、三重県北勢地方ではあちこちに「御厨神明社」があります。ここは松寺の御厨神明社、あとで蒔田の御厨神明社も訪ねています。

Img_0905c_20210425182901 Img_0911c_20210425165901  御厨神明社を出て100mあまりで、東海道の東に醸造所らしき建物。見つけたらからには見に行かないといけません(笑)。タカハシ酒造でした。文久2年の創業だそうですから、1862年。江戸末期の激動の頃。直売所があったのですが、あいにく日曜は定休。残念。

Img_0933c_20210425165901 Img_0937c_20210425165901  その先に松寺立場跡と「輝子頌徳記念碑」。桑名宿から四日市宿までの間に、立場は5つあったといいます。朝日町小向、四日市の富田などです。「輝子頌徳記念碑」は、大矢知村で弘化3(1846)年に生まれた佐藤輝子を検証するもの。若くして夫を亡くしたものの、裁縫などを千数百人以上に教えたといいます。右の写真は、松栄山蓮証寺。真宗本願寺派。400年くらい前、ここに御堂があったといいます。

Img_0972c_20210425170001 Img_0984c  大矢知に入って、まずは、龍王山宝性寺と、蒔田の御厨神明社。隣り合って建っています。宝性寺は、天平12(740)年に聖武天皇の勅願で創建されたのが始まり。現在は、蒔田第一自治会が管理しています。本尊は十一面観音菩薩。本堂は市の文化財。阿弥陀堂もあります。本堂に向かって右手(北)に蒔田の御厨神明社。

Img_1006c_20210425170001  宝性寺と御厨神明社のすぐ南に朝明殿長明寺があります。浄土真宗本願寺派。立派な山門があるのと、寺の周りが、素掘りの環濠で囲まれているのが特徴。環濠に囲まれているのは、ここは文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が居城した、蒔田城(まいた)跡といわれるからです。

Img_1026c_20210425170001  蒔田の交差点を渡ったところに鏡ヶ池跡。聖武天皇が朝明頓宮に入る途中、池に差しかかられたとき、突風で天皇の笠が池に吹き落とされたのを村の少女が進み出て笠を拾い上げ、天皇に渡したという話が伝わっています。文明年間に東海道のコースが代わり、この池の真ん中を通るようになり、池は分断されたといいます。明治末期まで東海道の両脇にしばらくは池が残っていたそうです。

Img_1039c_20210425170001  鏡ヶ池の先で、東海道は八風街道に交わります。弘法山田村寺の話をしたら、行ってみようということになり、寄り道。八風街道を200mほど東に行ったところにあります。真言宗醍醐派。ここは、2度ほど訪ねています(たとえば、2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))。冬至のとき、中風封じが行われ、巨大カボチャで有名。

Img_1043c_20210425170001 Img_1079c_20210425170001  関西本線の踏切を渡り、三岐鉄道三岐線の高架をくぐると、木下山三光寺。真宗本願寺派。平安時代末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めた蒔田相模守宗勝の墓碑があります。三光寺の先で東海道は左折するのですが、右を見たら、鳥居が見えました。年寄りの割に好奇心旺盛で、またもや行ってみようとなりました。若宮八幡神社です。元治元(1864)年、「氏子相計り應神天皇を鎮め神として奉祀」だそうです。

Img_1093c_20210425170001 Img_1117c_20210425170001  東海道に戻って、近鉄名古屋線・三岐鉄道三岐線の高架橋をくぐったところ、スタートから5.8㎞ほどのところに冨田一里塚跡碑があります。江戸・日本橋からは98里。JR関西線富田駅の西に八幡神社。康安2(1279)年に勧請されたといいますから、鎌倉時代。境内には、江戸時代から若者たちがトライしてきたという力石(100㎏)があります。

Img_1124c_20210425170001 Img_1140c_20210425190501  富田八幡社の先に、「行啓記念道路碑」。大正天皇が皇太子の時代、ここを通られたことを記念して建てられたもの。大正天皇は、明治43(1910)年11月、第三師団と第十五師団の対抗演習見学のためいらした途中、当時の三重県立第二中学校(旧制富田中学校、現在の四日市高校)に立ち寄られたのです。この碑の先で、東海道は右折。電柱に手作りの案内板が掲げられていて助かります。東海道は、さらに直進するのですが、今日は、次の交差点を右折し、ゴールの近鉄名古屋線・富田駅に向かいます。途中で、吉玉稲荷神社。明治39(1906)年に伏見稲荷大社から勧請してつくられました。

Img_1144c_20210425170101  そのまま富田駅に向かおうとしたら、K氏が「あの大きな松は何だ?」と。私自身、何回か見た記憶はあるのですが、さほど疑問を持たずにいました(苦笑)。やはり一人で行くよりも同行者がある方が、見ているものが違って、よいのです。冨松山(ふしょうざん)蓮光寺跡でした。かつての冨田城主南部家ゆかりの寺があったところ。寺は、平成10(1998)年に茂福に移転しています。現在は、公園。

Img_1151c_20210425170101  そして、スタートから6.9㎞を歩いて、12時15分を過ぎた頃、近鉄富田駅に到着。途中、宝性寺で休憩していますが、歩き始めからは3時間20分。薄曇りで、風はあったものの寒いということはありません。

Img_1163c_20210425170101 1619322033863c  駅の周りを見て回った結果、西口の前にある「達磨や」でお昼を食べることに。「四日市とんてき丼」をチョイス、¥660。とんてきは、四日市名物。リンク先にある「四日市とんてき」の定義からすると、ちょっと外れるところはあったものの、味はまさにとんてきでした。

Img_1189c_20210425192001  昼食を済ませ、近鉄富田駅12時56分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、何と13時03分に到着。あっけない(苦笑)。¥260。今日は、最初に書いたように、現地で6.9㎞を歩き、桑名駅~自宅往復が2.2㎞、合計9.1㎞を歩いて、17,100歩でした。明日以降、本編を書きます。

2021年4月24日 (土)

カワラヒワのヒナ登場、その一方、カモは「ラスト・カップル」に【謎の猛禽類についてふきしました(4/26)】

Img_0779c  今日もいつも通り、7時半から、これまたいつも通りのコースで散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築町、常磐町、寺町と6.5㎞。薄い雲が広がっていることが多かったのですが、風は弱く、気温も20℃を越え、まさに散歩日和。

Img_0552c_20210424164401 Img_0499c_20210424164401  今日は、まずこちら。カワラヒワのヒナを、今シーズン初めて見ました。というよりも、今年生まれのヒナは、これが初めて。左の写真は、花菖蒲園に降りて来たところ。その直前、奥平屋敷跡の北にある木で親に餌をねだっているところが遠くから見えました。ブロ友のひらいさん流にいうと、「カワラヒナ」と呼べるでしょうか(笑)。という次第で、ヒナ登場シーズンの幕が切って落とされたという思い。

Img_0596c_20210424164501  もう一つ。「ザ・ラスト・カップル」と勝手に名づけました(笑)。九華公園のカモ、今日は、とうとうキンクロハジロのカップル1組だけになってしまっていました。昨日は、15羽いたのですが、激減。公園につくと、西の堀、吉之丸堀の西側、二の丸堀の西側と見ていくのですが、今日は、カモがまったくいなかったのです。このカップル、二の丸堀の東側エリアにいました。残念というか、名残惜しいというか。しかし、毎年、ゴールデンウィーク前には皆、帰ってしまいますから。

Img_0261c_20210424164301  さて、散歩の初めから。住吉入江、諸戸氏庭園あたり、桑名七里の渡し公園、揖斐川、七里の渡し跡と、鳥はいません(住吉入江には、散歩の帰りのとき、オオバンが1羽やって来ていましたが)。三の丸公園、柿安コミュニティパークでは、ヒヨドリ、ドバト、スズメが2~3羽ずつ。九華公園まで15分あまりで到着。速いこと。九華公園北門で、ようやくハクセキレイのオス1羽に遭遇。

Img_0391c_20210424164401 Img_0531c  奥平屋敷跡で、コゲラ。どうもあちこち移動している途中でやって来るようです。あいにくの逆光。ピントも甘く、証拠写真ではありますが(苦笑)。他にもっともよくやって来るのは、今日もスズメ。上空にはツバメが飛び交います。メジロも鳴き声が聞こえましたが、姿は見えず。

Img_0275c  上空を猛禽類らしき鳥が通過。これまた、証拠写真かそれ以下ですが……。尾が長くて、ハイタカ系の形だと思うのですが、何でしょう? 

Img_0624c  貝塚公園では、今日もツグミが4羽。冬の間は、1羽いるかどうかだったのに、4月の半ばになってから5羽前後見る日がよくあります。ここに集合して、帰っていくのかという気もしますが、まったくの当てずっぽう(笑)。

Img_0660c_20210424164201 Img_0730c_20210424164201  京町あたりで、ツバメの巣チェック。今日は、4ヶ所。巣に親鳥がいたのは、京町のお宅1ヶ所のみ。さらに、御坊さんにお参りして出て来たら、イソヒヨドリの鳴き声。あちこち探したら、頭上の電柱の上にいて、笑えました。

Img_0616c_20210424164401 Img_0563c_20210424164501  ところで、ツツジ。九華公園で、水鏡が撮れないかと思っていました。左は、鎮国守国神社の社務所裏。ここが、風があまり当たらなくて、それなりに撮れるスポット。ただ、もう少し綺麗にとれないかと思っています。九華公園では、見映えがするところを選んで撮っていますが、今年は全体的に満開と揃わないようです。先日も書きましたが、早くから咲いたところでは花が傷んできていますし、まだあまり咲いていない木も多いのです。

Img_0632c_20210424164401 Img_0647c_20210424164401  それに対して、こちら貝塚公園では、全体としてほぼ同じ咲き具合。景色としては、ここの方がよい感じ。貝塚公園は、ツツジ鑑賞の穴場スポットといえます。

Img_0767c_20210424164201  諸戸氏庭園の春の特別公開が始まりました。6月13日までの予定です。諸戸氏庭園のFacebookによると、ツツジ、フジは満開だそうですが、私は、花菖蒲を見たいと思っています。一昨年は6月の初めに行っています(2019年6月4日:諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)。この時も見た「濡れ燕」、また見たいものです。

Img_0719c_20210424172801  余談というか、自分の備忘のため(苦笑)。御坊さんの菩提樹を見てきました。結果的に、かなり気が早かったのですが、見たいと思いつつ見逃すことが多いので、思いついたというか、気になったというか。去年は6月10日に行ったら、満開を過ぎたところでした(2020年6月10日:梅雨入りかぁ……イソヒヨドリのオス、アジサイ)。5月半ばから要注意です。

【謎の猛禽類について(4/26)】 pnさんからいただいたコメントで、チョウゲンボウではないかとご教示いただきました。ハヤブサの仲間です。

20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(その2)……稲荷阿岐波神社、道標、長島水辺のやすらぎパークから花市場に立ち寄り、そのまま歩いて伊勢大橋を渡り「完」

Nagashima11 4月22日の“勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」”のその2です。その1では寺をめぐったあと、長島城跡の長島中学校・長島中部小学校のところまで来ました。長島中部小学校にある「大松」を見たところで、スタートから1.4㎞、時刻は10時20分頃。まだ歩き始めてから25分くらいです。その割に講釈が多くなっていますが、ご容赦ください。

Img_9362c_20210423170401 Img_9366c_20210423170401  長島中部小学校の先100数十mのところに大手橋。上に載せた長島城の説明板の絵図を見ると、城があった頃にも、このあたりに橋がかかっています。左の写真は、大手橋から振り返った長島城跡の方角。右は、大手橋。西から東を見ています。

Img_9370c_20210422172401  この大手橋の西に稲荷阿岐波神社があります。主祭神は、宇迦之御魂神。相殿神は、大名持之命とあります。神社検索(三重)で調べたとき、これを私は、「だいみょうもち……??」と思ってしまったのですが、これは大国主命の別名でした。大国主命には、たくさんの別称があるようです(こちら)。

Img_9390c_20210422172401  社伝などによれば、初めは、萱町の田村邸の邸内社でしたが、後に中町の花林院門側に遷座、それ以後、次第に長島三町(下町、中町、萱町と思われます)の産土神として祀られています。また、長島城内未申に位置する二ノ丸櫓東隅に「杉峠稲荷社」が祀られており、歴代長島城主の崇敬をうけ、藩主・松平忠充により貞享3(1686)年、礼殿等の造営がなされていたといいます。その後、天保年間(1830~1843年)に至って、藩主・定政(神社検索(三重)にはこのようにありますが、享和元(1801)~天保13(1842)年の藩主は7代・増山正寧(まさやす)、天保13(1842)~明治2(1869)年は、増山正修(まさなお)が8代藩主。「定政」という名前は、増山家の藩主には見当たりません。こちら)により現鎮座地への遷座が行なわれました。大正3(1914)年、中町の稲荷社を合祀し、稲荷阿岐波神社と単称しています。「阿岐波神社」という割には、秋葉さんを祀っていないのが不思議。

Img_9374 Img_9386c_20210423181301  下町・中町・萱町の3町内によって石取祭が行われており、7月最終の金・土曜日に町内を回ります。説明板によれば、もともとは稲荷社境内秋葉社の石取神事として行われ、神社の玉垣の敷石を年に一度新しくするために、美しい石を町屋川から拾い採ってきたもので、江戸時代末期ごろからは大祭として行われるようになっています。かつては街道沿いに神社があり、渡祭も行われていたのですが、昭和初期に稲荷社へ合祀となり、現在は、祭車を曳いて鐘や太鼓を鳴らしながら歩く町練りのみが行われています。なお、境内には、日露戦役記念碑が建っています。書は、大山巌。元帥、陸軍大将。日露戦争のときは、満州軍総司令官を務めています。

Img_9397c_20210423182001 Img_9394c_20210423182001  この神社でおもしろかったのは、狛犬。狛犬そのものが変わっているとか、そういうことではありません。左右の狛犬が置かれている高さが明らかに異なっているのです。向かって右の狛犬は、石垣の上に鎮座しているのに、向かって左は石垣はありません。どうでもよいこと、ささいなことが気になる質です(苦笑)。

Img_9411c Img_9418c_20210423182401  大手橋に戻って、東に渡ります。そこに道標が1基。。正面には、「👈 前ヶ須 津島/宮 名古屋道」、左右両面には「右 久波奈ミち」「左 くわなみち」とそれぞれ刻まれています。予告編を書いてからさらに調べたら、この道標は、「明治の東海道」を示しているものでした。明治4(1871)年に七里や三里の渡しが廃止され、東海道は熱田から前ヶ須(現在の弥富市)に至り、前ヶ須から官営渡船で長島を横断する鰻江川(うなぎえがわ:長島輪中と葭ヶ崎輪中の間の水路を鰻江川といいました。明治24(1891)年に締め切られています)を通り、桑名川口町へ着くコースに変更されました。なお、これとは別に、前ヶ須から民営渡船で押付(桑名市長島町、国道1号線と県道7号線の交差点あたり)へ渡り、長島を陸路で横断し、十日外面(とおかども:伊勢大橋東詰交差点あたり)から桑名福島へ渡る民営渡船のコースもありました。予告編では、正面には、「👈 前ヶ須 浮(? 「津」とも見えます)島/宮 名古屋道」と刻まれていると書きましたが、明治の東海道であれば、これは「津島」と考えられます。

Img_9423c Img_9430c_20210423192101  その先の長島川遊歩道。遊歩道沿いには、ハナミズキ(桑名市の木)が植わっていますが、もう花のピークは過ぎています。歩く人も多くはなく、ゆっくりブラブラ川沿いを歩くのに最適。又木茶屋のところで、国道1号線の下をくぐります(右の写真)。スタートからは、まだ1.8㎞、10時半。こういう川沿いの遊歩道は、なかなかいい感じです。

Img_9551c_20210423193101 Img_9453c  国道1号線をくぐって200mも行かないうちに長島水辺のやすらぎパークがあります(スタートからは2.2㎞)。ここが、今日のメインの目的地。ここに牡丹園があり、最近、毎年見に来ているのです(2020年4月28日:河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました)。昔のたたずまいの風情が楽しめるように旧久我邸を改修し、休憩施設として整備されたところ。

Img_9532c_20210423193501 Img_9472c_20210423193501  まずは、牡丹園。今年は、九華公園でも、御坊さんでもボタンが咲くのは早かったのですが、ここでもたぶん同じ。写真は、当然のこと長良、花が咲いているところを撮りますので、よく咲いているように見えますが、実際には、前のパラグラフの左の写真の通り、全体としては花は少ない印象。

Img_9460c_20210423193801 Img_9464c  ここには、藤棚もありますが、フジの花は明らかにピークを過ぎていました。鳥見も難しいのですが、花を見に行くのもタイミングが難しい。

Img_9475c_20210423194001Img_9481c_20210423194001  先に書きましたように、ここは、久我邸を改修したところです。久我家は江戸時代、長島藩の重職にありました。しかし、明治4(1871)年の廃藩置県によって一時は長島県が置かれ、当時の藩主増山氏が知事になりましたが時を経ず、安濃津県に編入され、明治5(1872)年には三重県と改称されました。この時、久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治め、明治22(1889)年、市町村制が施行されるまで続きました。

Img_9503c_20210423194001 Img_9507c_20210423194001

 昭和21(1946)年の農地改革にともない、地主として所有してきた農地が解放され、今日の屋敷が残ったのだそうです。家屋は明治12(1879)年に建てられたもので、少こし改修されたものの、ほぼ原型を留めていて、明治の生活様式を知る上で貴重な建物であったことから、空家となっていた家屋敷を平成15(2003年、当時の長島町が譲り受け、観光客などの休憩施設として改装をし、「長島水辺のやすらぎパーク」としてオープンしたところです。左の写真は2階に上がる階段、右は2階の西側の部屋。

Img_9485c_20210423194601 Img_9478c_20210423194601  台所も当時のまま残っています。いわゆる「お竈(くど)さん」もありますし、向かって左手にあるのは、水瓶と思われます。右の写真は、お庭。

Img_9492c_20210422172501 Img_9495c_20210423195001  裏庭には、シャクヤクがたくさん植えられていました。管理者の方(たぶんシルバー人材センターから派遣の方)が育てておられるようでした。その方がおっしゃるには、「あと1週間したら、咲いて来て、見頃になるので、その頃またいらっしゃい」と(苦笑)。「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」ということばを思い出します(ひょっとして、今時、セクハラ用語といわれるかも知れませんが)。

Img_9543c_20210422172501 Img_9562c_20210422172501  水辺のやすらぎパークで小休止。そこかしこにベンチがあり、また、四阿も一つあるのです。四阿が空いていたので、そこで、来るとき桑名駅のファミマでゲットしてきた「豆大福」をおやつに(微笑)。この日、水辺のやすらぎパーク、観光客は私を入れて、10名弱。見聞きしている限り、今シーズン、マスコミでは取り上げられていないからでしょう。穴場です。

Img_9613c_20210422172501 Img_9628c_20210422172501  水辺のやすらぎパークで20分ほど過ごし、さらに長島川遊歩道を進みます。途中で、ついでにバードウォッチング。ツグミと、カルガモがそれぞれ1羽。こういう水辺ですと、歴史散歩とバードウォッチングの両方が楽しめます。グリコと同じ。その心は、「一粒で二度美味しい」(お粗末)。

Img_9632c_20210422192901 Img_9636c  長島川遊歩道は、長島幼稚園近くが終点。ここでほぼ3.4㎞、11時10分。この近くに、コチドリやコアジサシが、一時営巣していたところがありますので、見てきましたが、何もおらず。長島幼稚園は、園舎の南に、小ぶりながらも藤棚があり、いい感じ。

Img_9639c_20210422172501  ここ長島川遊歩道の終点のすぐ西に、なばなの里がやっている花市場があります。今日は、最初から立ち寄るつもりでしたが、その前に、花市場の駐車場の一角にある日神神社(ひがみじんじゃ)。天照大神を祀っています。由緒書きには、元和3(1617)年頃開墾された駒江新田に延宝6(1678)年、西外面(にしども)の八幡社の摂社として現在地に勧請され、天照大神を祀っています。なばなの里や、花市場をつくるとき、駐車場の一角に残されたのだと思われます。

Img_9647c 28b5b944  花市場。なばなの里に隣接したファーマーズ・マーケット。ときどき来ます。今日の目当ては、植物や花ではなく、昼の弁当(笑)。ここには私のふるさとのものと同じ「押し寿司」を売っているのです(2012年10月13日:花市場で買い物のついでに、またまた河口堰へ)。今日はあいにく、押し寿司だけのものは売り切れ。やむなく助六と押し寿司のセットを購入(¥420)。ここで時刻は、11時20分。右の写真は押し寿司のセット、2012年のもの。

Img_9666c_20210422194001 Img_9674c  時間のこともあって、なばなの里にも、長良川河口堰にも立ち寄りません。なばなの里は、現在、イルミネーション期間中ですから、入場料は、2,300円なのです。今の時期、ネモフィラが満開になっているようですから、それは見たい気もします。また、なばなの里限定の「さくら安永餅」を今年も売っていますので、それを買いたいとも思います。しかしながら、この2つだけのために、今から2,300円を払うのもなぁと思った次第。年間パスポートがありますから、やはりそれをゲットしておくとよいのかも知れませんが、そんなに頻繁に行くかなぁ?と、未だに踏み切れずにいます(苦笑)。

Img_9680c_20210422172501  長良川河口堰のところを過ぎると、伊勢大橋東詰交差点までのところにナガシマという浚渫専門の会社があります。その敷地内で、ホオジロのオス、メス。Img_9703c_20210422172501

Img_9709c  伊勢大橋を渡る手前で、三重交通のバス停であったところにこんな看板。4月1日から路線の統廃合で、伊勢大橋東詰のバス停が廃止されたのです(こちら)。桑名駅から長島温泉に行くバスは、53系統に統合され、ここは通らなくなったのです。もともと本数も少なかったですし、たぶん利用客も多くはなかったのでしょう。儲からないと廃止というのはやむを得ないこととはいえ、復活はたぶんほとんど期待できません。鉄道、学校などはとくにそうですが、廃止されることでそのあたりが寂れてしまうことも多いので、淋しい限り。

Img_9720c  伊勢大橋東詰交差点には、11時35分。スタートからは4.7㎞。当初は、ここから北に向かって、大智院光栄寺小田江神崎神社などに立ち寄って近鉄長島駅まで行くつもりでしたが、方針変更。伊勢大橋を歩いて渡って帰宅することにしました。扱ったこともあって、わざわざ大回りすることもないかと考えたのです。

Img_9742c_20210422172601  伊勢大橋の中程にある、中堤交差点の東で珍しい看板を見つけました。「カワウ駆除のため通行止め」の予告看板。中堤道路で、5月10日~6月30日の間の4日間、朝4時~8時にカワウの駆除をするので、通行止めになるのだそうです。千本松原あたりから治水神社国営木曽三川公園三川センターのところの間の松林にカワウが巣をつくっています。それを駆除するということだと思われます。

Img_9804c_20210422172601  伊勢大橋は、全長約1.1㎞。歩いて渡ると20分弱。大型トラックやダンプが通ると、揺れて、少々怖いのですが、無事に渡り終えました。伊勢大橋西詰交差点から、揖斐川右岸を下ります。途中、河川敷や、その上空で揚げ雲雀やら、ヒバリの鳴き声が聞こえてきま。揚げ雲雀は2ヶ所ほど。写真は撮ったもののペケ写真。河川敷に降りて来たところを1枚撮ったものが、これ。このあたりで繁殖すると思うのですが、巣を見つけるのは至難の業。

Img_9826c_20210422172601 Img_9830c_20210422172601  こちらは、六華苑。長屋門の前にある大イチョウも青々としてきました。いつもの住吉神社には、12時17分。スタートからは7㎞ちょうど。海上安全の神様ですが、無事に歩いてこられましたので、御礼にお参り。この近くで散歩友達・通称Tちゃんに遭遇。屋外で昼ご飯を食べておられました。

Img_9938c_20210422172601 Img_9946c_20210422172601  散歩友達のマネをしてではありませんが、外の方が気持ちよさそうでしたので、諸戸氏庭園前の桜並木のところのベンチで、私も昼ご飯にすることに。花市場でゲットしてきた弁当を食べてきました。ということで、長島駅からは7.5㎞、朝、自宅から桑名駅までが1.1㎞、合計8.6㎞を歩いてきました。諸戸氏庭園前に戻って来たのは、12時25分。3時間半で7.5㎞を歩き、あちこち見て回ってきたという次第。歩数は、15,273歩となりました。

2021年4月23日 (金)

20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(その1)……光岳寺、花林院、正敬寺から長島城跡へ

Img_9196c_20210422174301  4月22日の“勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」”のその1です。天気がよくて、気温が上がるのはこの日までということもあり、出かけようと思っていました。幸か不幸か、朝早く目が覚めて、前日の授業のQ&Aや、仕事のメールを書き終えられるなど、9時頃には、dutyを一通り済ませられたのです。そこで、先日から考えていた「長島漫歩」に行ってきました。水辺のやすらぎパークにある牡丹園を見に行こうというのが、第一の目的。去年まではクルマを使ったのですが、最近、コペンは娘の通勤用になってしまっています。故に長島駅まで電車で行き、あとは歩きました。

Nagashima11  歩いたコースはこちら。近鉄長島駅から南を歩いてきました。光岳寺、花林院、正敬寺と寺を回ったあと、長島城跡である長島中学校、長島中部小学校の前を通り、長島川遊歩道を下って、稲荷阿岐波神社から、水辺のやすらぎパークへ。久我邸や、牡丹園を見て、一休みしてから、長島幼稚園近くの遊歩道の終点まで。そのすぐ近くには、花市場があり、そこに立ち寄って来ました。いつもバードウォッチングに行く河口堰は今日はパス。近鉄長島駅に戻って電車で帰るつもりが、国道1号線の伊勢大橋東詰交差点でこのまま歩いて帰った方が早い、と思い直し、伊勢大橋を徒歩で渡って帰宅。長島駅から自宅までが7.5㎞。自宅から桑名駅までが1.1㎞で、合計8.6㎞の散歩でした。

Img_9203c Img_9210c  桑名駅を9時48分に出る名古屋行き普通に乗車。次の駅が近鉄長島駅。乗車時間はわずかに4分、料金は210円。車両はガラガラ。近鉄、儲かってないと思います。近鉄長島駅前(駅の南)には、伊勢湾台風の水位標があります(右の写真)。当時、このあたりは5mを越える水に浸かったそうです。この写真を撮っていたら、名古屋行きの特急ひのとりが通過して行くのが見えました(右の写真の奥に写っています)。ひのとりが走り始めて1年あまり。一度くらいは乗りたいもの。といいつつ、来年で登場10年になる「しまかぜ」にもまだ乗っていません。同級生K氏と「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣り」を始めましたが、伊勢まで行ったら、帰りはしまかぜに乗って宴会をしながら帰ってこようと話しています(笑)。ウォーキングのスタートは、9時55分。ちなみに、ひのとりは、1本だけ桑名駅にも停車します(こちら)。大阪難波21時発の名古屋行き「ひのとり621列車」。このひのとり、白子、四日市にも止まり、桑名には22時59分。名古屋着は、23時16分。

Img_9228c  近鉄長島駅から南へ下っていきます。長島は、平成16(2004)年に多度町とともに桑名市に合併しています。木曽三川河口部に位置し、町全域が平坦です。かつては堤防に囲まれた複数の輪中によって構成されていました。地名の長島は7つの洲からなる「七島」、あるいは南北に長い土地であることから付けられたとされます。明治時代に行われた木曽三川分流工事に伴って、輪中を分けていた小河川の多くが廃川となるとともに、一部の土地は長良川の新河道となり、現在のような地形となっています。木曽三川改修工事についての簡単な歴史は、こちら

Img_9231c Img_9237c_20210423042501  近鉄長島駅から500mで、天機山伝通院光岳寺。浄土宗のお寺。山門に三つ葉葵の御紋があって驚きました。後述のように、徳川家康の母である伝通院の方の菩提寺だったのです。今回は、事前の予習をほとんどしないで出かけました。思わぬところ、身近なところに歴史ありです。学生諸君にもいつも言っていますが、予習は、やはり必要です(苦笑)。

Img_9240c_20210422172401 Img_9234c  創建は不詳ですが、古くは、下野国(現在の千葉県関宿)にあり、弘経寺と称していました。慶長7(1602)年、徳川家康は母親である伝通院の菩提寺の1つに定め、天機山伝通院光岳寺と改称しました(法名が、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼によると思われます)。当時の領主で、家康の異父弟である松平康元が光岳寺を庇護し、同家の移封先である加納藩(岐阜県岐阜市)、小諸藩(長野県小諸市)に随行し、慶安2(1649)年、当時の当主松平康尚が長島藩に移封になると、長島城下に移りました。ここに祀られている「沓踏子安延命地蔵菩薩」は、伝教大師最澄が自ら彫り込んだと伝えられるもので、伝通院の念持仏だったといいます。

Img_9255c Img_9355c_20210422172401  近鉄長島駅あたりから、長島幼稚園付近まで、途中、ちょっと途切れてはいますが、長島川遊歩道があります。長島駅の南のポケットパークから光岳寺のところ、長島城跡の近くの城東橋から長島幼稚園あたりまで、です。今日は、ほぼこれに沿って歩いてきました。光岳寺からさらに南に向かいます。長島中学校の東で長城橋を渡って長島川の東へ。お寺が2ヶ所ありますので、そちらに。

Img_9272c Img_9280c  スタートから1㎞のところに、盤龍山花林院(ばんりゅうざんかりんいん)。曹洞宗のお寺。門の脇に「乳授薬師(ちちやくし)」という石碑も建っています。しかし、碑陰には何も説明はありませんし、ネットで調べても情報は出て来ません。最近の経験では、「長島町史」を見れば分かると思うのですが、あいにく手元にはありません。

Img_9284c_20210423045801 Img_9288c_20210423045801  禅寺らしく、山門の脇には、大きな「戒壇石(かいだんせき)」があり、「不許葷酒入山門(=葷酒山門に入るを許さず:クンシュサンモンニイルヲユルサズ)」と刻まれています。山門をくぐった右手(北側)には、地蔵堂が2ヶ所あります。

Img_9291c_20210422172401  ここは、家康の異父同母弟である松平康元が父・久松俊勝の冥福を祈るため、三州西郡(こちらの記述によれば、現在の愛知県蒲郡市に含まれる地域)に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけました。その後、松平氏は下総関宿へ移封。さらに加納、信州小諸へと移封されたので、寺もこれにしたがって移転しています。松平康尚が長島藩主となると、花林院も長島に寺基を移しました。その後、増山氏が長島に入封すると増山氏もまた花林院を代々の位牌所として庇護しています。墓所には増山氏の13基の墓碑があるそうですが、調べて行きませんでしたので、墓所は見てこず(こちら)。また、慶長6(1601)年に長島藩主菅沼家初代となった菅沼定仍(さだより)の室、菅沼定盈(さだみつ)の継室の墓も残っているため、花林院以前にこの地には菅沼氏の女系の菩提寺、祈願所があったと考えられています。

Img_9296c_20210423072001  元の本堂は天保年間の建立だったそうですが、昭和36(1961)年に焼失。その後鉄筋コンクリートで再建されています。

Img_9309c_20210422172401 Img_9319c  花林院のすぐ南、細い道を1本隔てて石城山正敬寺(しょうきょうじ)。真宗大谷派のお寺。お寺にも由緒書きなどはなく、また、ネットで検索してもとくに情報は出て来ませんでした。

Img_9327c_20210422172401  再び長城橋を渡って、元の道に戻ります。そこは、長島中学校の東側。長島中学校には、城の大手門のような立派な門があります。それもそのはず、ここは、長島城の跡なのです。

Img_9331c_20210422172401  長島城の起源は、寛元3(1245)年、藤原(九条)道家が館を築いたことにさかのぼります。文明14(1482)年、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。元亀元(1570)年、一向宗・願証寺の住職・証意蓮淳蓮如上人の6男)の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりますが、その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となりました。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるのですが、天正14(1586)年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、信雄は清洲城に移りました。江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で封じられ、長島城を改修。元和7(1621)年、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となったものの、慶安2(1649)年、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興されました。元禄15(1702)年には、4代将軍家綱の生母の弟・増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き明治維新に至っています。この間、城郭は順次拡大されましたが、天守は上げられませんでした。

Img_9341c_20210422190001  現在、城跡は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、遺構の大半は失われていますが、東側に石垣および堀が残るそうです(ただし、まったく気づかず、見ていません)。長島中部小学校内の「大松」は、天然記念物であり、市の指定文化財にもなっています。クロマツの大樹で、樹齢300年以上と推定されており、長島城があった当時は本丸の西南にあったといいます。

 その1はここまで。その2は、稲荷阿岐波神社から。その2で完結のつもり。

巣作りのコゲラは不在、鳥も少なし

Img_0001c_20210423152101  今日の最高気温18.7℃で、平年並みだそうです。昨日、あれだけ暑い中歩いた疲れが少々ある気がしましたが、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀、京町、南魚町、田町、三崎通と6.3㎞。寺町商店街、今日は三八市ですから、スルー。人混みは極力避けたいということです。

Img_0061c_20210423152001  火曜日(4/20)に某所で見つけたコゲラの巣作り現場、今日はコゲラは現れず。鳥友のYさんによれば、一昨日は短時間現れたのに、昨日は来なかったそうです。ちょっと気になります。明日も見てくることにしましょう。

Img_0019c_20210423152101 Img_0027c_20210423152101  さて、我が家から諸戸氏庭園前、住吉入江、揖斐川沿いと鳥はほとんどいません。ごく少数のドバト、ハシボソガラス、スズメくらい。七里の渡し跡まで行って、ようやくコガモのオス、メスが1羽ずつと、オオバンが2羽。三の丸公園でも、柿安コミュニティパークでも、ドバトがわずかにいただけ。しばらく前は、このあたりでツグミを見たのですが、今日はゼロ。

Img_0048c Img_0052c_20210423152101  鳥がいないので、九華公園には20分ほどで到着(苦笑)。何もいないと、速いのです。ただし、ここも静か、スズメが少しいるくらい。まさに鳥の「端境期」。もう少しすると、スズメのヒナなどが出てくると思いますが、それまでの辛抱。九華公園には、夏鳥はあまりやって来ませんので、そちらは期待薄。右の写真、管理事務所に新しく導入されたスプリンクラーのテストの様子。菖蒲園の水やり用なのですが、1台のみでは、効果はどうでしょう。

Img_0090c_20210423152001 Img_0068c_20210423152001  奥平屋敷跡も静か。足を踏み入れたとき、ツグミらしき鳥がいたものの、立教小学校方面に逃げられました。しかし、しばらく経つと、戻って来ました。奥平屋敷跡で今日もっともよく見たのは、スズメ。餌が欲しそうに寄って来ます。他には、カワラヒワが1羽。

Img_0099c_20210423152001  奥平屋敷跡にいるとき、上空をトビが旋回。あまりよく写ってはいませんが、他の鳥が少ないので、証拠写真でも載せました(微笑)。

Img_0064c_20210423152001  カモは、半減。今日は、キンクロハジロ15羽のみ。パラパラッとしかいません。あと1週間くらいはいてくれるでしょうか。

Img_0116c_20210423152001 Img_0137c_20210423152001  本丸跡のフジは、見頃を過ぎました。落花盛んという、やはり、場所、やはり、場所/木によってまだかなりバラツキがあります。

Img_0151c_20210423152001  貝塚公園も静かでした。メジロの鳴き声は何ヶ所かで聞こえていましたが、ツグミは今日は1羽のみ。先日は何日か、5羽ほどいましたが、集まって帰っていったのかも知れません。

Img_0175c_20210423152001  ツバメの巣も、京町、田町、三崎通で7箇所でチェックしてきました。が、私が見て回った10時前後には、どこも不在。ツバメは、あちこちで飛んでいるのですが、今日は、巣の周りにもいませんでした。という次第で、今日は鳥には恵まれず。

Img_0143c_20210423152001  九華公園、この時期、小学生が遠足によく来ます。昨日も、長島方面の小学校が来ていたそうですが、今日も。先生の「九華公園に着きました! 足元をよく気をつけて歩きましょう!」という声が聞こえてきました。写真の中央に二の丸橋がありますが、子どもたち、そこを渡っています。

Img_0147c_20210423152001  余談。冬にときどきミカンを買っていた「はあぶ工房Together」の前を通ったら、「しまらっきょう」を売るという看板が出ていました。「掘り立て新鮮 1束 ¥200」だそうです。先日は、タケノコを売っていました。いろいろとやるものです。しかし、しまらっきょうは、沖縄独自のらっきょうではなかったのでしょうか? 

Img_0234c_20210423152001  余談その2。リビングに藤の花があります(笑)。花瓶に生けてあるのですが、家内が実家の裏山から切ってきました。何というのでしょうか、あまり強くはない甘い香りがしています(こういう方面には疎いので、アヤシい感想ですが)。

2021年4月22日 (木)

20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(予告編)……水辺のやすらぎパークでボタンを楽しむ他

Img_9196c_20210422174301  今日もよく晴れ、27℃になりました。朝早く目が覚めたので、昨日の授業のQ&Aや、仕事のメールを書き終え、さらに、ワケあって家事にも勤しみ、「本日のduty」を一通り済ませられました。そこで、先日から考えていた「長島漫歩」に行ってきました。水辺のやすらぎパークにある牡丹園を見に行こうというのが、第一の目的。去年まではクルマを使ったのですが、最近、コペンは娘の通勤用になってしまっています。故に長島駅まで電車で行き、あとは歩きました。

Nagashima11 Img_9946c_20210422172601  今日歩いたコースはこちら。長島駅から南を歩いてきました。光岳寺、花林院、正敬寺と寺を回ったあと、長島城跡である長島中学校、長島中部小学校のところを通り、長島川遊歩道を下って、稲荷阿岐波神社から、水辺のやすらぎパークへ。長島幼稚園のところからなばなの里にある花市場に立ち寄って来ました。河口堰は今日はパス。近鉄長島駅に戻って電車で帰るつもりが、国道1号線の伊勢大橋東詰交差点でこのまま歩いて帰った方が早い、と思い直し、伊勢大橋を渡って帰宅。長島駅から自宅までが7.5㎞。自宅から桑名駅までが1.1㎞で、合計8.6㎞の散歩でした。歩数は、15,273歩。今日は、取り敢えず、予告編。今日は、下調べはコースのみで、立ち寄り先については白紙状態でした。

Img_9203c Img_9210c  桑名駅を9時48分に出る名古屋行き普通に乗車。次の駅が近鉄長島駅。乗車時間はわずかに4分、料金は210円。車両はガラガラ。近鉄、儲かってないと思います。近鉄長島駅前(駅の南)には、伊勢湾台風の水位標があります(右の写真)。この写真を撮っていたら、名古屋行きの特急ひのとりが通過。走り始めて1年あまり。一度くらいは乗りたいもの。といいつつ、「しまかぜ」にもまだ乗っていません。同級生K氏と「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣り」を始めましたが、伊勢まで行ったら、帰りはしまかぜに乗って宴会をしながら帰ってこようと話しています(笑)。ウォーキングのスタートは、9時55分。

Img_9231c Img_9240c_20210422172401  浄土宗天機山伝通院光岳寺。スタートから500m。山門に三つ葉葵の御紋があって驚きました。創建は不詳ですが古くは弘経寺と称し現在の千葉県関宿にありました。慶長7(1602)年、徳川家康は母親である伝通院の菩提寺に定め、光岳寺と改称しました。当時の領主で家康の異父弟である松平康元が光岳寺を庇護し、同家の移封先である加納藩(岐阜県岐阜市)、小諸藩(長野県小諸市)に随行し、慶安2(1649)年、当時の当主松平康尚が長島藩に移封になると長島城下に移りました。ここに祀られている「沓踏子安延命地蔵菩薩」は、伝教大師最澄が自ら彫り込んだと伝えられるもので、伝通院の念持仏だったといいます。

Img_9355c_20210422172401 Img_9583c_20210422172501  近鉄長島駅あたりから、長島幼稚園付近まで、ちょっと途切れてはいますが、長島川遊歩道があります。長島駅の南のポケットパークから光岳寺のところ、長島城跡の近くの城東橋から長島幼稚園あたりまで、です。今日は、ほぼこれに沿って歩いてきました。右の写真は、水辺のやすらぎパークあたりのものですが、なかなかよい感じですし、何よりも空いているのがいい。

Img_9272c Img_9291c_20210422172401  長島中学校の手前で、長島川を渡り、盤龍山花林院(ばんりゅうざんかりんいん)へ。曹洞宗のお寺。門の脇に「乳授薬師(ちちやくし)」という石碑も建っています。長島藩主松平、増山両家の位牌所で、墓所には増山氏の13基の墓碑があるそうですが、調べて行きませんでしたので、墓所は見てこず(こちら)。家康の異父同母弟である松平康元が父俊勝の冥福を祈るため、三州西郡に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけたそうです。

Img_9309c_20210422172401 Img_9319c  花林院のすぐ南には、石城山正敬寺(しょうきょうじ)。真宗大谷派。ここについては、ネット検索ではとくに情報は出て来ません。

Img_9327c_20210422172401 Img_9331c_20210422172401  長島川沿いに戻ります。立派な門がありますが、これは桑名市立長島中学校の門。長島中学校や、長島中部小学校のあたりが、長島城の跡です。寛元3(1245)年、藤原道家が館を築いた後、長島一向一揆の本城、長島藩の居城を経て現在長島中部小学校・中学校地となっています。

Img_9341c_20210422190001  長島中部小学校校内の「大松」は、天然記念物であり、市の指定文化財になっています。クロマツの大樹で、樹齢300年以上と推定されており、長島城があった当時は本丸の西南にありました。現在は長島中部小学校のシンボルとなっています。

Img_9370c_20210422172401 Img_9390c_20210422172401  長島中部小学校の南、大手橋の南たもとのところに稲荷阿岐波神社があります。主祭神は、宇迦之御魂神。初めは、萱町の田村邸の邸内社でしたが、後に中町花林院門側に遷座、それ以後、次第に長島三町の産土神として祀られています。下町・中町・萱町の3町内によって石取祭が行われており、7月第3金・土曜日に町内を回ります。

Img_9411c  稲荷阿岐波神社から大手橋を渡った先に道標が1基あります。正面には、「👈 前ヶ須 浮(? 「津」とも見えます)島/宮 名古屋道」、左右両面には「右 久波奈ミち」「左 くわなみち」とそれぞれ刻まれています。

Img_9468c_20210422172401  スタートから2.2㎞、時刻は、10時35分、長島水辺のやすらぎパークに到着。旧久我邸を改修し、休憩施設として整備したところです。久我家は江戸時代、長島藩の重職にありました。しかし、明治4(1871)年の廃藩置県によって一時は長島県が置かれ、当時の藩主増山氏が知事になりましたが時を経ず、安濃津県に編入され、明治5年(1872年)には三重県と改称されました。この時、久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治め、明治22年(1889年)市町村制が施行されるまで続きました。去年は、4月28日に来ています(2020年4月28日:河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました

Img_9453c Img_9492c_20210422172501  ここには、牡丹園が整備されています。しかし、今年は花が早かったのか、咲いているところは少ない感じでした。今日は平日ということもあってか、空いていました。去年も書きましたが、「穴場スポット」です。藤棚、屋敷内にはツツジなどもありますが、いずれも盛りを過ぎつつありました。久我邸の裏手には、シャクヤクが育てられていました。係の方によれば、「1週間ほどすると咲くから、また是非見に来て欲しい」ということでした。

Img_9543c_20210422172501  40分ほど歩いてきましたので、四阿で一休み。桑名駅のファミマでゲットしてきた「豆大福」をおやつに(微笑)。朝5時半頃には、朝食を食べますので、10時を過ぎると小腹が空いてくるのです(笑)。水辺のやすらぎパークで20分ほど過ごし、10時55分にウォーキングを再開。長島川遊歩道を歩いて、長島幼稚園方面に向かいます。

Img_9632c_20210422192901 Img_9636c  遊歩道は、長島幼稚園のところが終点。途中、ツグミや、カルガモがいました。長島幼稚園近くで、とある野鳥が来ていないか見てきたのですが、見当たらず。ここまで来ると、なばなの里や、花市場がすぐ近くです。もちろん、初めから承知の上で歩いてきています(笑)。

Img_9639c_20210422172501  花市場の駐車場の一角に日神神社(ひがみじんじゃ)。天照大神を祀っています。由緒書きには、元和3(1617)年頃開墾された駒江新田に延宝6(1678)年、西外面(にしども)の八幡社の摂社として現在地に勧請され、天照大神を祀っています。

Img_9647c 28b5b944  花市場。なばなの里に隣接したファーマーズ・マーケット。ときどき来ます。今日の目当ては、植物や花ではなく、昼の弁当(笑)。ここには私のふるさとのものと同じ「押し寿司」を売っているのです(2012年10月13日:花市場で買い物のついでに、またまた河口堰へ)。今日はあいにく、押し寿司だけのものは売り切れ。やむなく助六と押し寿司のセットを購入(¥420)。ここで時刻は、11時20分。

Img_9674c Img_9666c_20210422194001  時間のこともあって、なばなの里にも、長良川河口堰にも立ち寄りません。なばなの里は、現在、イルミネーション期間中ですから、入場料は、2,300円なのです。なばなの里限定の「さくら安永餅」を今年も売っていますので、それを買いたいと思うものの、2,300円を払ってまで買いに行くのもどうかと思うのです。

Img_9720c  伊勢大橋東詰交差点には、11時35分。スタートからは4.7㎞。当初は、ここから北に向かって、大智院、光栄寺、小田江神崎神社などに立ち寄って近鉄長島駅まで行くつもりでしたが、方針変更。伊勢大橋を歩いて渡って帰宅することにしました。扱ったこともあって、わざわざ大回りすることもないかと考えたのです。

Img_9709c  伊勢大橋を渡る手前で、三重交通のバス停であったところにこんな看板。4月1日から路線の統廃合で、伊勢大橋東詰のバス停が廃止されたのです(こちら)。桑名駅から長島温泉に行くバスは、53系統に統合され、ここは通らなくなったのです。もともと本数も少なかったですし、たぶん利用客も多くはなかったのでしょう。

Img_9742c_20210422172601  伊勢大橋の中程にある、中堤交差点の東で珍しい看板を見つけました。「カワウ駆除のため通行止め」の予告看板。中堤道路で、5月10日~6月30日の間の4日間、朝4時~8時にカワウの駆除をするので、通行止めになるのだそうです。千本松原あたりから治水神社木曽三川公園三川センターのところの間の松林にカワウが巣をつくっています。それを駆除するということだと思われます。

Img_9826c_20210422172601 Img_9830c_20210422172601  伊勢大橋からしばらくは割愛して、六華苑。長屋門の前にある大イチョウも青々としてきました。いつもの住吉神社には、12時17分。スタートからは7㎞ちょうど。無事に歩いてこられましたので、御礼にお参り。この近くで散歩友達・通称Tちゃんに遭遇。屋外で昼ご飯を食べておられました。

Img_9938c_20210422172601  マネをしてではありませんが、外の方が気持ちよさそうでしたので、諸戸氏庭園前の桜並木のところのベンチで、私も昼ご飯にすることに。花市場でゲットしてきた弁当を食べてきました。ということで、長島駅からは7.5㎞、朝、自宅から桑名駅までが1.1㎞、合計8.6㎞を歩いてきました。諸戸氏庭園前に戻って来たのは、12時25分。3時間半で7.5㎞を歩き、あちこち見て回ってきたという次第。もう少し詳しい記事は、またいつものように、明日以降ボチボチと。

2021年4月21日 (水)

今日は暑くてお疲れ……江戸橋、前期2回目もたぶん無事終了

Dscn3790c  江戸橋での仕事、今年度前期2回目でした。が、桑名でも今日は、最高気温27.8℃と、暑い。天気がよいのはありがたいのですが、さすがにいきなりこんなに暑くなると、疲れます(苦笑)。暑くても、寒くても文句をいうのです(爆)。いつものように、桑名駅を8時40分に出る松阪行き急行に乗車。非常勤先には9時半過ぎに到着。10時半から12時までが授業。前回同様、透明アクリル板に囲われながら、しゃべるのですが、なかなか慣れません。初回の時にも書きましたが(2021年4月14日:透明アクリル板に囲まれつつ、江戸橋での仕事は無事に終わったか(笑))、学生たちの表情が分かりにくいのです。しゃべった内容が理解されたかどうかを判断するのに、表情は有効な非言語的コミュニケーションなのです。ついつい、アクリル板の横から眺めてしまいます。暑い中、マスクをして1時間半話しをするのは、ちょっとした苦行。これ、暑くて、疲れるのです。

Dscn3793c Dscn3797c  まぁ、しかしながら、2回目も何とか無事に講義は終えられたと思います。12時に講義を終え、江戸橋駅に向かいますが、今日も、ちらっとだけ志登茂川に寄り道。しかし、水鳥はほとんどいません。キンクロハジロが数羽と、遠くにカモらしき姿も見えたのですが、あいにく単眼鏡を忘れ、確認はできず。キンクロハジロでないカモもいたと思います。江戸橋駅を12時20分の名古屋行き急行に乗車。帰宅後は、出欠チェックとQ&A(補足説明)書き。何だか疲れてしまい、能率はあがっていません。まだ1/5くらい。

Dscn3787c  帰って郵便物を確認したら、教育委員会から就学支援委員会と、特別支援教育推進協議会の案内。就学支援委員会は6月から計4回の会議。特別支援教育推進協議会は、今年度は1回のみで、それもZoomでの会議の予定とのこと。天気がよく、気温が高いのは明日までといいます。いつも通りの散歩に行くか、長島の水辺のやすらぎパークへボタンでも見に行くか、思案中。

 ところで、三重県の今日の新型コロナ感染者数は、何と57名(こちら)。病院でのクラスターや、幼稚園児の感染もあったそうです。愛知県も312名と300名を越え、これは94日ぶりだとか。予断を許しません。

 

2021年4月20日 (火)

コゲラが巣をつくっているところを見つけました(コゲラの巣作り、YouTubeの動画へのリンクを追加しました)

Img_8680c_20210420143801  天気予報の通り、よく晴れて、暖かくなっています。最高気温は、14時現在で22.8℃。ただ、室内にいると、ちょっと肌寒く感じたりします。毎日の行動パターンの通り、今日もまた7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀、京町、寺町、三崎通と6.3㎞。今日は、ツバメの巣チェックをしてきました。

Img_8846cImg_8896c  今日のハイライト。散歩途中で、コゲラが巣作りをしているところを見つけました。場所は、書かないでおきます。この場所は、去年も少し穴を掘りかけたところだったと記憶しています。コゲラが、コンコンと木を叩く音がしたので、探したところ見つけたという次第。まだ、親鳥の身体が入るくらいにしかなっていません。卵を産み育てるには、もっと奥深く、また奥を広く掘る必要があります。

Img_8894c_20210420143801 Img_8975c_20210420144901  しばらくコンコンとつついては、木くずを放り出しています。左の写真をクリックして拡大していただくと、コゲラの嘴あたりに木くずが写っています。右の写真は、コゲラが放り出して、地面に落ちた木くず。赤丸をつけたのがそれら。これでしばらく、また楽しみができたということ(微笑)。

Img_8723c_20210420143801 Img_8728c_20210420143801  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園あたりにはスズメだけ。住吉入江、今日は、水鳥はゼロ。住吉神社前に来たら、南東の空にヒヨドリの大群。こんなにいたのか! と思うくらいの数が北の方へ一斉に飛んで行きました。「気持ち悪い!」と思われるかとは思いますが。

Img_8737c_20210420143801  住吉水門と川口水門との間には、ヒドリガモが18羽。堤防の上にも、また、川にも。川にいたヒドリガモたちは、藻を食べているようでした。このヒドリガモたちも、もう北の国へ帰っていくのでしょう。

Img_8761c_20210420143801 Img_8766c_20210420143801  三の丸公園(左の写真)には、ツグミが1羽(右の写真)と、ムクドリ2羽、スズメ2羽。これですべて。木々が青々としてきたのは気持ちよいのですが、鳥が少ないのはいかにも淋しい。柿安コミュニティパークでは、ドバトが10羽ほどと、ムクドリが数羽。他には、西の堀の方に、ツグミが1羽。

Img_8806c Img_8839c  九華公園も静かでした。ヒヨドリの声もほとんどしません。先ほど見たヒヨドリたちには、九華公園にいたものも含まれていたのかも知れません。ドバト、スズメも少ない。奥平屋敷跡では、今日もシメがやって来ました。4月後半までいることがあります。さらに、ツグミも1羽。

Img_8831c_20210420143801 Img_8944c_20210420143701  他には、カワラヒワ数羽や、ハクセキレイのオス1羽。スズメもときどきやって来ます。

Img_8939c_20210420143701  カモは、今日は合計31羽。すべてキンクロハジロです。暖かいためか、あちこち泳ぎ、潜って餌を採ったり、身繕いをしたりして過ごしていました。このあと、貝塚公園では、今日もツグミがたくさん。きちんと数えられませんでしたが、5羽ほどいたと思われます。

Img_9103c_20210420143701  ツバメの巣チェックでは、京町と三崎通を見て回ってきました。このエリアにツバメの巣は6ヶ所あります。そのうち、今日見て回ったとき、巣に親ツバメがいたのは、2ヶ所。桑名市博物館の巣(左の写真)と、三崎通にある巣(ここは写真を撮ろうとしたら、親ツバメは巣を出てしまいました)。これまでに親ツバメがいたのは、このほかに京町のお宅と、呉服屋さんの2ヶ所で、計4箇所。今年もツバメのヒナが見られると思います。

Img_9148c_20210420143701  京町公園で一休みしていたら、寺町商店街の方からイソヒヨドリの鳴き声が聞こえてきました。歩きながら探したら、とある商店の屋根の上にいました。日曜も、寺町でイソヒヨドリのオスを見ています。我が家あたりでも早朝、イソヒヨドリの鳴き声が聞こえることがよくありますし、少し離れたマンションにお住まいの方も、同じことをおっしゃいます。

Img_9163c_20210420143701 Img_9167c  ところで、三崎通から帰宅途中、宝殿町を通ったのですが、ここに地蔵寺があります。その境内に藤の木があります。前にも何度かみていたのですが、あまりはっきりと記憶には残っていませんでした。が、近くまで行ったら、思い出したので、見てきたのです。藤棚になっていたのかも知れませんが、あまり手入れされていないようです。しかし、右の写真のように、最近見た中ではもっとも見事な花の房があったのです。案外身近なところに、こういうよいものがあるということかも知れません。

Img_8990c Img_9048c_20210420143701  明日は、江戸橋での仕事、今年度2回目の予定。天気もよく、気温も夏日になるくらいに上がるという予報で、ありがたいことです。明日からは、本格的に講義の内容に入ります。またあの透明アクリル板に囲われたところから話しをするのかと思うと、ちょっとイヤですが、やはり、学生たちと直接会うことができるのは楽しいことです。先週の様子からして、志登茂川には、すでに水鳥はあまりいないとは思うのですが、ちょっとだけ道草して、覗くだけはしてこようと思っています。

Img_9079c_20210420143701  余談。三重県では、今日・4月20日から5月5日まで、県独自の「緊急警戒宣言」が出されました。4月13日以降、昨日までの日々の感染者数は、23、29、26、36、28、21、15名となっています。4月18日現在で直近1週間の新規報告数(10万人あたり)は10.22人で、先週1週間と比べ1.21倍になっているそうです。変異株に感染する方も増え、また、県外に由来する感染が多い、事業所でのクラスター発生も増えています。県境を越えての不要不急の移動は控えるよう要請されています。養老孟司さんの言い方を借りますと、「高齢者自身が、不要不急の存在だ」となりますが(苦笑)、感染しないよう、基本的な予防策を確実にとって過ごすことにします。

【付記】 コゲラの巣作り動画をYouTubeにアップしました。リンクはこちら

2021年4月19日 (月)

ツグミばかりなりけり……藤棚チェック(その2)

Img_8292c_20210419154701  午前中からよく晴れて、もっと暖かくなるかと思ったのですが、北寄りの風も吹いて、肌寒い感じでした。いつも通り、7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園から今日は、柳原、外堀、鍛冶町、大央町から中央町にある中央公園へ。さらに新築町、老松公園、寺町と6.3㎞(もう少し歩いた気がしたのですが、案外伸びませんでした)。中央公園にも藤棚が確か2つあったと思いだしたので、見に行ったというワケ。10時半過ぎに帰宅。冒頭の写真は、マイソメイヨシノの現在。すっかり葉桜になり、青々としています。しばらく前なら、ゴールデンウィーク頃の景色だったような気がします。

Img_8310c_20210419154701  諸戸氏庭園あたりにはヒヨドリとスズメが少しずつ。住吉入江には、オオバン2羽とヒドリガモのオス1羽とメス2羽。揖斐川には水鳥は見当たりませんでしたが、住吉水門と川口水門の間の堤防に、コガモが3羽と、ヒドリガモが1ペア。冬鳥たちのシーズンは、ほぼ終わったという感じです。

Img_8341c_20210419154701  七里の渡し跡には何もおらず。三の丸公園には、ハシボソガラスが1羽いただけ。蟠龍櫓とその南にあるソメイヨシノ。これも葉桜で、3月末とはまったく違った景色。柿安コミュニティパークにも鳥影はありません。鳥がほとんどいませんので、九華公園には、いつもより10分ほど早く、7時50分過ぎに到着。

Img_8426c_20210419154701 Img_8442c_20210419154701  九華公園も静かです。ヒヨドリはほとんどおらず、スズメ、ドバトも数はかなり少なくなっています。奥平屋敷跡も、鳥はあまりやってこないのですが、それでも1時間ほど、散歩&鳥見友達のYさんと鳥を待っていました。コゲラがときどきやってくるのですが、落ち着いてくれず、立教小学校の方へ飛び去ったり、またどこかからかやってきたりで、こんな写真のみ(昨日よりはマシですが……)。スズメはときどき飛来し、近くにも寄ってくるのですが、こちらが近づこうとすると逃げます。

Img_8387c_20210419154701 Img_8403c_20210419154701  シロハラ、シメも登場せず、ツグミが2羽。セキセイインコの鳥小屋近くにシジュウカラが来たものの、写真はうまく撮れませんでした。他には、ムクドリ数羽と、ハクセキレイのオス1羽。夏の鳥の姿はまだなく、いわば鳥見の「端境期」です(苦笑)。

Img_8443c  カモは、27羽。二の丸堀の東西に分かれています。ヒドリがが2ペアいたのを確認したのですが、そのうち姿が見えなくなりました。他は、キンクロハジロばかり。オオバンも1羽います。

Img_8501c_20210419154701 Img_8487c  グラウンドにはカワラヒワが1羽。本丸跡で、ハクセキレイ。二の丸跡ではカワラヒワとハクセキレイ、朝日丸跡ではツグミ1羽と、キジバト。九華公園で見たのは、以上。

Img_8519c Img_8534c_20210419154701  奥平屋敷跡にいるとき、同級生K氏が通りかかり、「そろそろツツジが見頃かと思って、寄ってみた」と。木によっては、満開なのですが、全体としては咲きそろっていません。貝塚公園の方が、木による咲き具合の違いがありません。

Img_8547c_20210419154701 Img_8562c_20210419154701  その貝塚公園では、何と、今日もツグミが5羽。四阿の南東あたりに5羽が集まっていたような感じ。貝塚公園、月・水・金と、午前中にシルバー人材センターの方による草刈り作業などが行われています。今日も、エンジン式の刈払機を使っての作業がされていて、鳥は他にはいません。

Img_8571c_20210419154701  次の目的地は、中央公園。ごくたまに出かけるところ(もっとも最近行ったのは、去年の夏:2020年8月3日、アサガオはまだ咲かず、つぼみも出ず その前を調べたら、何と2015年でした:2015年5月1日、薫風の5月……中央公園のフジ、コゲラのツーショット、かわいい“バールフレンド”に、二重のツツジ)。中央公園は、NTNシティ・ホールや、アピタの南にあります。この2015年の時のイメージがあって、ここの藤棚は見事だと思って、見に行ったのですが……。

Img_8574c_20210419154701 Img_8581c_20210419154701  「期待は裏切られるためにある」ということば通り(勝手につくったので、ことわざではありません。苦笑)、ちょっとなぁでガッカリ。敢えてお勧めはしませんが、2015年5月1日の時の写真と見比べると、歴然とした差があります(薫風の5月……中央公園のフジ、コゲラのツーショット、かわいい“バールフレンド”に、二重のツツジ)。御用とお急ぎでない方は、ご覧ください。

Img_8591c  そうそう、中央公園にもツグミが1羽いました。

Img_8610c_20210419154701 Img_8614c_20210419154701  ガッカリしつつも、もう1箇所、老松公園にも立ち寄って来ました。こちらは、予想に反して、それなりに咲いていました。中央公園からそのまま帰っていたら、ガッカリ気分が続いていたと思いますが、ちょっとうれしくなります。

Img_8632c_20210419154701 Img_8642c_20210419154701  拙宅近くまで戻って来て、玉重橋のたもとにあるエドヒガンザクラ。もちろん、もう葉桜なのですが、これもサクランボチェック。よく探したら、ありました。まだかなり小さく、数も少ないのですが、確かにありました。これも食べるには適さないでしょうが、試してみたい気がしています。諸戸氏庭園前にあるヤマザクラ2本にもサクランボはついています。

Img_8647c_20210419154701  午後からは、3ヶ月に1回の歯科検診。今回はすぐに治療が必要なところはなかったのですが、先生が恐ろしいことを。「イヤなことをいいますが、下の前の歯が少し動くようになっていますねぇ」、「糸切り歯はしっかりしていますから、これと一体化すると、しばらくは大丈夫でしょう」と。今日のところは、「また今度考えます」と逃げてきました(微苦笑)。老化は、気づかないうちに着実に進んでおります(爆)。

2021年4月18日 (日)

冬に逆戻りでしたが、まだシメがいました……フジ巡りもしてきました

Img_7783c_20210418151501  最高気温12.9℃で、最大風速8.1m/。冬に逆戻りのような天候でした。しかし、めげずにいつものように7時半から散歩。八間通から新築町、シティ・ホール、京町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、京町、寺町とあちこちをウロウロし、6.8㎞。帰宅は11時頃。

Img_7928c_20210418151501  トピックスは、こちら。まったくの証拠写真ですが、シメがまだいたのです。場所は、九華公園の奥平屋敷跡あと。見かけたときは、「マサカ!」。 いつものことのように、ヒョイと奥平屋敷跡のステージの裏に登場したのです。ちょっと距離があり、雲がかかっていましたので、まさに証拠写真。

Img_7805c_20210418151501 Img_7817c_20210418151501  さて、シティ・ホールへ回ったのは、薄墨桜にサクランボがついているか見てこようと考えた次第。けっこうよく見て来たのですが、サクランボはついていないようでした。ネットでも検索してみたのですが、薄墨桜にサクランボがなるかどうかは、情報を見つけられず。ちなみに、毛虫がついているのを見つけてしまいました(苦笑)。ソメイヨシノでもそろそろ出て来そうな時期ですから、気をつけないと。余談ですが、食用のサクランボがなるのは「桜桃」。同じバラ科桜属の果樹。

Img_7796c_20210418151501  シティ・ホールへ行く途中で見かけたツバメ。尾が長いので、オス。今日は、風が強いので飛んでいるところはあまり見ませんでした。京町の呉服屋さんでは、3つある巣のうち、もっとも奥に1羽が入っていました。京町のお宅の方は、不在。

Img_7827c_20210418151501 Img_7834c_20210418151501  九華公園にはほぼいつも通り、8時に到着。ツツジは、場所によって/木によって咲き具合は、千差万別。残念ながら、早くに咲いた花は、もうすでに傷んできてしまっています。揃って満開というのは、見られない気がします。赤い花が咲くツツジが、1本だけ、神戸櫓跡のところにあります(右の写真)。

Img_8064c Img_7916c_20210418151501  寒かったものの、奥平屋敷跡で鳥の出待ち(苦笑)。立ち止まっていると寒いので、友達のWさん、Yさんともども、話しながらウロウロ。これまた証拠写真なのですが、コゲラ。2羽いたような気がします。ツグミも1羽。他には、ハクセキレイのオス、スズメ多数、ドバトくらい。いよいよ鳥は少なくなっています。

Img_7967c Img_8099c_20210418151501  カモは、31羽。ヒドリガモが2ペアと、他はすべてキンクロハジロ。二の丸堀の東と西にとに、2グループに分かれています。例年ですと、キンクロハジロがもっとも遅くまでいますが、それもゴールデンウィーク前まで。残り少ないので、名残惜しい。

Img_8082c_20210418151501  鳥が少ないので、花や植物観察。イロハモミジは、花が終わり、翼果がついてきています。2つの翼の基部には、数mm大の2個の丸い種子が入っています。寒くなると翼果は白くなり、種子も大きくなり、翼は種子を風に乗せて、ヘリコプターの様に飛んで行くことになります。飛ぶところも見てみたいのですが、それはまだ。

Img_8119c_20210418151501 Img_8132c_20210418151501  鎮国守国神社の境内には梅の木が何種類も、また、数もたくさんあります。実がかなり大きくなって来ていました。左は、九華招魂社の前にある白梅の木、右は、九華稲荷社の鳥居の南にある豊後梅の木。宮司さんの奥さんは、「去年はたくさん肥料もやって、実も多かったけど、今年はどうでしょうね」とおっしゃっています。

Img_8136c_20210418154901 Img_8140c_20210418154901  このあと、実は、「娘がウォーキングに行って、あちこちで藤の花を見る」というので、合流。まずは、九華公園の本丸跡の藤棚。例年より10日くらい早く咲き始めたので、すでに散ってきています。昔は、房がもっと垂れていましたが、最近はこんな感じ。時季はずれに剪定した割には、よく咲いたと思います。他に2箇所、藤棚はありますが、老木の上に手入れがされず、葉が出ているだけ。

Img_8192c_20210418151501 Img_8206c_20210418151501  内堀南公園の藤棚。ここの藤棚は、毎年書いていますが、手入れされていない割に、房が長いのです。さらに、今日は割愛していますが、藤棚から種が飛んで、その側に野生のフジのように伸びてきて、花が咲いています(2021年4月12日:昨日のホシゴイは留守番ではなく「先触れ」でした……貝塚公園でコゲラの姿を捉える)。

Img_8210c_20210418151501  内堀公園にも1つ、藤棚があります。ここは、白い花が咲くのですが、今日見てきた中ではもっとも花が貧弱。葉の出方も少ないので、ちょっと心配になります。見るからに樹勢が衰えているのです。

Img_8230c_20210418151501 Img_8234c_20210418151501  吉津屋堀の南端あたりにも藤棚が3つあります。両端の2つでは、紫の花が、中央の1つには白い花が咲きます。3つとも、葉はかなり繁っているのに、花は少ない。今日見てきた中では、もっとも新しい藤棚なのに、手入れしないとこんな風になるという見本。先行きは、他の公園の藤棚のようになると思われます。公園の樹木は、植えっぱなしではなく、手入れして欲しいところ。何といっても憩いの場所なのですから。

Img_8242c_20210418151501  寒いので、京町公園近くの自販機で温かい飲み物を買って、公園で一休み。自販機、すでに冷たい飲み物ばかりのところがほとんどで、困りました。寺町堀を歩いて帰宅途中、イソヒヨドリのオスが登場。寒い中を歩いたご褒美です(微笑)。

Img_8145c_20210418151501  余談。娘が買ったChromebookが届きました。Googleのアカウント(G-mailのアドレス)を持っていて、パソコンやスマホでブラウザにChromeを使っていれば、設定もきわめて簡単。起動も速く、サクサク動きます。ネットを見たり(YouTubeやNetflixなどの動画も含め)、メールのやりとりをしたり、SNSを使ったりするだけであれば、十分な性能のように思います。

2021年4月17日 (土)

今日は、「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨耕」

21041715rain

Img_7740c_20210417152501  昨晩から雨が続いています。15時までの24時間雨量が、61.5mmですからそれなりに降っています。冒頭の画像は、15時10分の雨雲レーダのも(国交省の川の防災情報)。どのあたりがどこか、分かりませんので、地名を入れました。西の方は、岡山・兵庫県境くらいまで雨雲が続いています。21時頃まで雨が降るという予報。右の写真は、朝7時50分の南東の空。さすがにこれだけ降ると、歩きに行こうとは思いません。雨支度をして歩くという方もありますが、そこまでの根性はありません。

Img_7755c_20210417152501Img_7758c_20210417152501  いつもなら「晴耕雨読」ならぬ、「晴雨読」なのですで、今日はちょっとだけ「晴歩雨」。子どもの頃かいささかへそ曲がりのところはあったのですが、我が家はマンション暮らし故、「ベランダ園芸」。ベランダは、よほど横殴りに降っていなければ、雨には濡れません。去年6月に買った2代目シラサギカヤツリ(2020年6月14日:久しぶりにヒバリ、ノウゼンカズラが咲きそう……止み間散歩で、シラサギカヤツリを買ってしまう)の鉢をよく見たら、下からも青葉が出て来ていて、「これは植え替えなくてはイカン」と思ったのです。

Dscn3784c Dscn3781c  こちらが植え替え後の写真。鉢の縁が汚れたままですが、ご愛敬。今までより二回りくらい大きい鉢に替えました。オモトが植わっている鉢と同じ。右の写真が、ベランダ園芸のフルメンバー。もっとも奥にオモトの鉢があります。「あまりスペースを取らないように」という至上命令がありますし、他にメダカハウスもありますので、増やせません。あとは、5月になったら、去年取っておいたアサガオの種を蒔こうと考えています。

210418weather  明日は朝から好天という予報。弥富でJRさわやかウォーキングがあるのですが(鮮やかな芝桜と金魚の町弥富の魅力を感じるウォーキング)(ウォーキングが終了するとリンク切れになります)、13.8㎞も歩きます(弥富駅→水郷の塔→弥富市歴史民俗資料館→愛知県水産試験場弥富指導所→おみよしの松→海南こどもの国→三ツ又池公園→森津の藤→立田輪中人造堰樋門→弥富駅)。三ツ又池公園はともかく、今までいっていないところもあるものの、いつも通りの散歩かなぁと思案中。

2021年4月16日 (金)

今日もまた「案の定、降られました」(爆)

Img_7592c_20210416122801 Img_7650c_20210416122801  予報が難しかったのか、朝のテレビなどの天気予報は、リソースによって微妙に異なっていました。結局、雨の降り始めは早く、空模様を見ていましたが、明るくなったので8時50分頃出かけました。しかし、危惧したとおり、三の丸水門あたりでまた降ってきました(苦笑)。傘は持っていたものの、九華公園の北門を入ったところにある四阿で雨宿り(右の写真は、雨宿り中に見た九華公園。鎮国さんの社務所裏あたり)。散歩コースは、住吉神社、九華公園半周、京町、寺町と、3.9㎞。寺町を出て、住吉入江まで来たら、また降ってきました。まぁ、こんなもの。

Img_7570c_20210416122801 Img_7578c_20210416122801  拙宅マンションの敷地内の小公園にツグミ1羽。ツグミ、ときどきここにいます。諸戸氏庭園あたりには、スズメしかおらず。桑名七里の渡し公園にもツグミと、ハクセキレイ1羽(右の写真)。

Img_7595c_20210416122801 Img_7601c_20210416122801  三の丸公園にもツグミ。2羽いました。他には、ムクドリくらい。三の丸水門まで来て、雨が降ってきたのですが、こういうときに限って、ヒバリが登場。オスのヒバリ。最近、このあたりでは見なかったのですが、巣をつくっているのか気になるところ。

Img_7639c Img_7623c_20210416122801  雨宿りは、20分ほど。近くにスズメ、ムクドリ、ドバトなどがやってきます。四阿あたりで餌をやる人があるからです。ツグミも来て、花壇に入ってエサ探し。こちらを向いてくれたら、もうちょっとマシな写真になったのに(右の写真)。

Img_7684c Img_7673c_20210416122801  鎮国守国神社、二の丸跡、奥平屋敷跡と回って来たものの、これという鳥はいません。カモは、40羽いたものの、すべてキンクロハジロ。ヒドリガモの姿はありません。

Img_7698c_20210416122801 Img_7717c_20210416122801  他には、吉之丸堀にカルガモが2羽いました。はっきり見分けはつきませんが、向かって左が、いつもいるカルガモのように見えます。その他、外周の遊歩道でカワラヒワ。京町でツバメの巣を見てきました。ツバメは飛んでいたものの、巣に来ているのはいませんでした。

Img_7690c_20210416122801  娘のノートパソコンがおかしくなり、「仕事に行っている間に見ておくように」といわれています(苦笑)。2~3日前にWindows10のアップデートをしてから、変です。最初は、Bluetoothが使えなくなり、マウスが動かず。調べたら、Bluetoothのドライバが見当たらなくなっていました(デバイスマネージャにも、アクションセンタにも出てこなくなったのです)。そのドライバの再インストールを試みたものの、初めのうちはやはり、デバイスマネージャ/アクションセンタに出てきません。何回か再起動をしたら、今度は、パソコン自体がうまく起動せず、「スタートアップ修復」が立ち上がるようになってしまいました(2回連続で起動に失敗すると、スタートアップ修復が動くようです)。その一方で、Bluetoothは回復したようで、マウスは動くようになっているという、よく分からない状況。いやはや。午後からの最重要課題です。

【パソコン後記(4/17)】 このノートパソコン(富士通:LIFEBOOK AH77/R)は2014年5月のモデルで(もともとWindows8.1でしたが、Windows10にアップグレード)、確か展示品を安価に購入し、2016年2月から使っていたもの。そういえば、先だって、購入した家電量販店から「5年の長期保証期間が切れる」というメールが来ていました。結局、スタートアップ修復も不可能、初期化も不可能でした。ということは、ハードウェア的に壊れたと結論(ハードディスクの可能性が高いかと思っています)。保証期間が切れた途端に壊れるとは、よくあるパターンで苦笑せざるを得ません。娘は仕事でパソコンを使うものの、リモートワークはありませんし、家で仕事はしません。動画を見るのが主な目的ですから、Chromebookを新たに購入することにして、一件落着。

2021年4月15日 (木)

九華公園にもコゲラ登場……ソメイヨシノと河津桜のサクランボチェックをしてきました

Img_7548c  朝は5℃台と冷えました。日中は16度を越え過ごしやすくなっています。昨日は、仕事に出かけたためか、よく寝られました(微苦笑)。朝は訳あって、家事を済ませ、8時20分から2時間半ほど散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、吉津屋町、寺町と回って、5.8㎞。柿安コミュニティパークで散歩友達のWさんに会ったら、「九華公園には誰もおらんぞ」と。Wさんに「そうしたら、Wさんに会えたのは救いの神に会ったようなものですねぇ」といって、大爆笑。

Img_7020c_20210415174601 Img_7024c_20210415174601  桜が早かったので、マイソメイヨシノはすでに葉桜。青々としてきています。これはこれで魅力。さらに、右の写真のように、「サクランボ」ができてきています。しかし、たぶん食べられませんので、見るだけ。去年、スズメが食べているのは見ました(2020年5月27日:スズメはサクランボを食べ、カワラヒワのヒナ姿を現す……翼を痛めていたヒドリガモ、再発見)。こちらのサイトには、「(実は)小さめ。私の見たのは、直径がせいぜい数ミリである。色も赤いものもあったが、濃い紫ぽいものが多い。せっかくだから味わってみるといい。しぶくて食べられたもんじゃないから(笑)」とありました。

Img_7032c_20210415174601 Img_7044c_20210415174601  桑名七里の渡し公園では、ツグミとハクセキレイ。スズメや、カワラヒワはここでは見なくなりました。どちらも、卵を抱いているのかと推測しています。住吉入江には、オオバンが1羽。住吉水門と川口水門の間の堤防には、ヒドリガモが6羽、休んでいました。七里の渡し跡には何もいません。

Img_7090c Img_7099c_20210415174601  三の丸公園には、ツグミ。写真はイマイチなので割愛。あの「蟠龍櫓とソメイヨシノ」、今はこんな感じ(左の写真)。三の丸水門から振り返って、西の方を見たのが、右の写真。青々として、「目に青葉」という感じ。ついこの間は、ソメイヨシノのピンク色でした。

Img_7103c_20210415174601 Img_7107c_20210415174601  柿安コミュニティパークにも藤棚があります。ここの藤棚には、2本のフジが植わっています。花は咲いてきてはいるものの、はっきり書けば、貧弱。市の公園にある藤棚は、たぶんほとんど手入れや施肥がされていません。それ故、こんなみっともない状況。作りっぱなし。何ごともやりっ放しで、メンテナンスを市内のはいけません。クレームをつけても、たぶん「予算がありません」という返事でしょう。バカバカしいので、もの申すことはしません(以前、九華公園の朝日丸跡の石垣崩壊のときに十分経験しました:2020年1月31日:今シーズン初のウメジロウ……【付記:九華公園の石垣崩れについて(1/31)】)。

Img_7111c_20210415174601 Img_7123c_20210415174601  ちなみに、こちらが柿安コミュニティパークにある藤棚のもう少し引いてみた写真。以前は、ここも房が垂れるくらい見事なフジが咲いていたのです。もったいない。公園管理をしている部署の方も、ほとんど公園の見廻りには来ていないようですから(九華公園の管理人さんに伺っても、ほとんど来ないという話)、まぁこんなものでしょう。柿安コミュニティパークでは、ツグミ(右の写真)と、他にはドバト、スズメ。

Img_7130c Img_7258c_20210415174501  九華公園、静かでした。散歩する方も少なく、鳥も少なくというところ。奥平屋敷跡にコゲラが来ていました。少し前からコゲラの鳴き声を九華公園で聞いていました。この写真の木、右下に古いコゲラの巣があります。去年、ここで営巣したかと思ったのですが(2020年4月16日:九華公園でコゲラの巣2ヶ所、貝塚公園で今シーズン初のトンボ)、巣立ちはありませんでした。今日、奥平屋敷跡ではこれくらい。シロハラも来ません。もう帰ったと考えた方が良さそうです。二の丸跡(右の写真)、朝日丸跡でもツグミを1羽ずつ見ました。

Img_7359c_20210415174501 Img_7371c  カモは、合計33羽。ヒドリガモ2ペアとキンクロハジロたち。ハシビロガモは、しばらく見ませんので、すでに帰ってしまったと考えられます。

Img_7304c_20210415174501  鎮国守国神社のところで、メジロ。3羽ほどいました。この直前に本丸跡の藤棚から鎮国さんの境内にかけて、ヤマガラがいました。追いかけたものの、残念ながら、写真は撮れず。

Img_7325c_20210415174501 Img_7344c_20210415174501  九華公園のツツジは、少しずつ開花が進んでいます。ただし、いつものように、よく咲いているところを撮っています。全体としては、まだ2分咲きくらいでしょうか。

Img_7412c Img_7417c_20210415174501  貝塚公園では、今日は5羽ものツグミを見ました。集合している感じ。集合して、これから北の国へ帰っていくのかなという気がします。

Img_7451c_20210415174501  京町あたりでは、ツバメの巣のチェック。博物館の巣、呉服屋さんの巣などにはツバメは来ていませんでした。月曜日にも書いた京町のお宅では(2021年4月12日 :昨日のホシゴイは留守番ではなく「先触れ」でした……貝塚公園でコゲラの姿を捉える)、今日も親ツバメが巣の修復作業中のようでした。

Img_7492c Img_7506c_20210415174501  寺町商店街の河津桜でも、実がなっていないか見て回ってきました。こちらも、小さいながらもあちこちで実がついているのを見つけました。またときどき、見てこようと思います。河津桜のサクランボも食べた方があり、こちらのブログには「美味しくない。けど酸っぱいけど、寒緋桜のような渋さはない」と書かれています。ソメイヨシノも、河津桜も、サクランボを一度食べてみましょうかねぇ。

Img_7524c_20210415174501  住吉入江まで戻って来て、キンクロハジロのメスが1羽。いつまでいてくれるのでしょう。

Img_7532c_20210415174401  散歩から帰って、昼までに昨日の講義の補足説明を仕上げ、昼食後確認し、加筆修正をして、助手の先生にメールで送りました。初回はオリエンテーションでしたから、質問は少数。すでに試験の心配をして、どのようなやり方かという質問が複数ありました。毎回の内容を着実に学んで欲しいところ。明日は夕方から雨のようですが、散歩には行けそう。土曜日はよく降るようです。散歩生活で、晴れときどき仕事と行きたいところ(微笑)。

2021年4月14日 (水)

透明アクリル板に囲まれつつ、江戸橋での仕事は無事に終わったか(笑)

Dscn3775c  今年度初めて、そして、1年3ヶ月ぶりの(2020年1月15日:江戸橋での授業も最終日、来週は筆記試験)江戸橋での仕事の日でした。昨年9月に遠隔授業説明会に出かけていますが(2020年9月8日:遠隔授業講習会のついでに新しい桑名駅もチェック)、それから数えても7ヶ月ぶりに江戸橋まで行ってきました。雨も心配しましたが、6時までには上がりました(微笑)。授業は、朝10時半からですが、以前と同じように、桑名駅を8時40分発の松阪行き急行に乗車。江戸橋までは、ほぼ40分。¥700。

Dscn3736c  江戸橋駅からは、徒歩10分あまりで到着。非常勤講師室で出勤簿(歴史的用語かも)に捺印したあと、待機しながら、授業内容や、パソコンがきちんと動くか、確認します。今日のところ、この時間、私以外の非常勤講師の先生には遭遇せず(もっとも私は前の授業が終わる頃には教室に向かいます。パソコン、プロジェクタの準備をするため)。

Dsc_0101c  透明アクリル板に囲まれて授業をすることになると書いていましたが、その実物がこちら。向かって左に教卓がありますが、三方を囲まれています。愚息は、「大統領みたい」といいましたが、防弾ガラスではありません。娘は、「囲われて、とらわれている!」といいましたが、まさにそんな感じ。実際に講義をしてみると、対面授業といいつつも、学生たちとは少し隔絶された感じ。学生たちの表情も今ひとつ見にくいのです。助手の先生に他の先生からの評判を伺ったら、「圧迫感がすごい」というのがあったそうです。これでパワーポイント、マイクを使い、1時間半の授業。マスクをしていると、やや暑く感じ、マイクを使うとはいえ、疲れます。密かに「2割増しくらいもらえないかなぁ」などと思ったり(苦笑)。今日のところは、オリエンテーション。本格的な授業は来週からですが、気になるのはコロナの感染状況。三重県、今日は29件です(こちら)。

Dscn3738c  非常勤先、いつぞやバードウォッチングができる学校と書いたことがあります。授業のときは、Nikonのコンデジしか持っていきませんので、ズームが効きませんが、左の写真のように、今日はツグミを撮影。他に、ツバメが飛び交っていましたし、グラウンドでは揚げ雲雀が聞かれました(微笑)。

Dscn3739c Dscn3741c  また、帰りには、早速、寄り道というか、道草というか(笑)。おぼろタオルの工場南から細い道を通って、志登茂川を見てきました。左の写真では、奥が江戸橋。右の写真は、川の上流方向。鳥はあまり見えませんでしたが、それでも何種類かはいました。

Dscn3762c Dscn3765c  左の写真に写っているのは、キンクロハジロ。他にこの近くには、たぶんコガモが数羽。下流方向には、よく見たら、アオサギさんが1羽。

Dscn3745c Dscn3760c  他に、ダイサギかコサギたちや、カワウさんもいます。写真は撮れませんでしたが、ユリカモメらしき鳥も1羽飛来。

Dscn3768c Dscn3728c  さらに、恒例により、江戸橋方面に回って、常夜燈と道標を確認してきました。伊勢街道伊勢別街道との追分にあります。安永6(1777年)に建てられた津市内最古の常夜燈。かたわらに立つのは、明治22(1889)に再建された高田本山専修寺への道標。この手前側を伊勢街道が、また向こう側に伊勢別街道が通っています。江戸橋駅から非常勤先に行くには少しだけ、この伊勢別街道を歩きます(右の写真)。ここに非常勤に行くのは、もちろん仕事なのですが、ちょっと寄り道/道草をすると、私の趣味ワールドが展開されるのです(微笑)。こんなよいことはありません。ちなみに、誤解なきよう申し添えますが、仕事はきちんと役割を果たしています(そのつもり)。

Dscn3777c  帰りに、江戸橋駅で名古屋行き急行を待っていたら、特急ひのとりが通過。今日は、通勤途中で4回ほど遭遇し、「ひのとり、よく走っているな」と思ったら、名古屋から大阪難波へは、7~21時に出ていました(こちら)。特急12200系が引退しましたし、しばらくほとんど乗らない間に、近鉄特急の顔ぶれも変わってきてしまっています。

 第1回の授業は、無事に終えられました(たぶん)。あとは、今まで通り、学生たちの質問、感想を読んで補足説明をつくらねばなりません。

 

2021年4月13日 (火)

ブログの古い写真の削除作業

Dsc_0097c  朝から断続的に雨になっています。気温も13~15℃で、肌寒く感じます。「雨読の日」であります。午前中は、明日からの非常勤の授業に備えて、近鉄桑名駅まで行って、回数券カードを買って来ました。通常の回数券(パールカード11)の他、平日10時から16時と土日祝日に使えるオフピークチケット(時差回数券)です。オフピークチケットは、10回分の料金で12回乗車できます。パールカード11は往きに、オフピークチケットは帰りに使うのです。

Img_7004c_20210413162001 0413filesc  午前中、その他の時間帯は、パソコンとにらめっこしていました。このブログ、ココログプロという契約で、毎月¥1,045(税込み)で最大10GBを使えるのですが、残り容量が500MBほどになってきていました(最大容量の95%ほどを使っていたことになります)。今年の初めに、平成27(2015)年の記事は削除したのですが、写真は別途削除する必要があるのです。面倒なので、ずっと先延ばしにしていました。古い写真を削除するには、「マイフォト」からかなり遡る必要があり、それが面倒ということ。結局、2時間近く作業をして、平成27年分の写真をすべて削除し終えました。これで、残りの容量は、1.9GBほどに回復(1,893.01MB)。

Img_6973c_20210413161901 Img_6981c_20210413161901  明日の準備はほとんど終えていますので、午後からは、読書。雨の止み間で、明るい空も見えましたが、散歩に出られるほどではありませんでした。先月、株分けして、植え替えたサギソウは、順調に育ってきています。「斑入り」のものもあります(右の写真)。去年は、花の数が少なかったのですが、ことしはどうでしょう。来月になったら、去年取っておいたアサガオの種を蒔かねばなりません。

Img_6997c_20210413162001  4月半ばですが、季節の進み具合が早く、「新緑の季節」という感じがしています。明日の授業は、午前中の2コマ目。授業に出かけるのは、いつぞやも書きましたが、去年1月15日以来(2020年1月15日:江戸橋での授業も最終日、来週は筆記試験)。江戸橋まで行ったのは、昨年9月の遠隔授業説明会が最後(2020年9月8日:遠隔授業講習会のついでに新しい桑名駅もチェック)。電車の乗り方も、江戸橋駅から非常勤先までの行き方も、忘れてはおりません(笑)。幸い、雨も夜半には上がり、明日は朝から晴れの予報です。

2021年4月12日 (月)

昨日のホシゴイは留守番ではなく「先触れ」でした……貝塚公園でコゲラの姿を捉える

Img_6601c_20210412160301  明日は雨風が強くなるという予報ですから、今日は、散歩必須の日です(苦笑)。とは思いつつ、観察した野鳥のメモ帳は持ったものの、ボールペンを忘れるという不始末。スマホのメモ帳で代用(持ち物も減りますし、こちらの方が便利かも)。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀、京町、南魚町、田町、三崎通と、6.0㎞。またもやあちこちで話をしていて、11時近くに帰宅。

Img_6852c Img_6859c  今日は、まずこれを取り上げなくっちゃ。いつものように、九華公園内を半周し、鎮国守国神社を通り、北門から相撲場へ再び来て、社務所裏を何気なく見たら、誰かに見つめられているような気配。よくよく見たら、ゴイサギさんもこちらをみているではありませんか! マサカと思って探してみると、他にもいます。昨日のホシゴイは、留守番ではなく、大名行列の先触れのようなものだったということ。

Img_6876c_20210412160401  結局、3羽。1羽はアングルの都合で、ちょっと顔が隠れてしまっていますが、それはまぁご愛敬。繁殖シーズンではないでしょうか? あぶれてしまったのでしょうか? 気になります。が、明日は雨予報で、明後日は授業。

Img_6924c もう一つ。昨日から、九華公園でコゲラの鳴き声がしていました(二の丸跡、鎮国守国神社境内)。今日は、散歩に出てすぐ、住吉入江沿いと、九華公園でも再び聞かれましたが、貝塚公園でとうとうその姿を捉えました。散歩友達Sさんが、「さっきから、何か、木の皮をめくるような音がしているけど、何だろう?」とおっしゃった正体がこれ。この春、初めて。九華公園や貝塚公園で巣作りをしてくれないかと期待してしまいます。

Img_6611c Img_6620c_20210412160301  さて、話を戻して、散歩の初めに。まず、拙宅マンション内の小公園でツグミとハクセキレイ2羽。ツグミの写真はピンぼけでありません。ハクセキレイは、裏手の水路へ移動。何か、食べられるものを見つけたようでした(右の写真)。

Img_6627c_20210412164601 住吉入江には、遠くにカモの姿。玉重橋のさらに向こうで、超望遠のズームでも、単眼鏡でも及ばず、残念ながら、正体は不明。キンクロハジロの可能性が高いと思います。桑名七里の渡し公園には、スズメとハクセキレイ。住吉水門の内側には、オオバンが2羽。揖斐川には、今日も水鳥は見えません。

Img_6663c_20210412160301 三の丸公園には、スズメ、キジバト。柿安コミュニティパークには、ツグミ1羽(左の写真)と、スズメ。野鳥の姿は、全般に少なくなっています。

Img_6670c_20210412160301 Img_6697c

 九華公園には8時に到着。奥平屋敷跡に行くまでに見たのは、スズメ、ハシボソガラス、ヒヨドリ、ムクドリくらい。奥平屋敷跡では、ツグミとハクセキレイ。メジロの鳴き声も聞こえます。

Img_6681c_20210412160301 ツグミはさらにもう1羽登場。このあとImg_6701c_20210412160301
から登場したツグミさん、私とYさんがいるところから5m以内に近づいてきました。今日も、求愛ダンスを踊るスズメを目撃。ただし、こちらのカップルは不成立。40分あまり待ちましたが、今日はシロハラはやって来ませんでした。

Img_6905c_20210412160401  カモは今日は、合計32羽。ヒドリガモが2ペアと、キンクロハジロ28羽。ただし、ヒドリガモは、私が公園の外周遊歩道の東あたりを歩いているとき、4羽揃って揖斐川の方に飛び去るのが見えました。これで帰ってしまうということはないでしょうねぇ、気になることが増えました(微苦笑)。

Img_6728c_20210412160401  このあと、二の丸跡では、ツグミ、スズメ、キジバト、ハクセキレイ(左の写真)。シロハラかと思われる鳥1羽(逃げられ、何かは確認できず)。朝日丸跡で、コゲラの鳴き声。本丸跡では、シジュウカラの鳴き声が聞こえて来ました。このあと、ゴイサギに遭遇したという次第。

Img_6941c_20210412160401  貝塚公園では、初めの方に書きましたように、コゲラの他、ツグミ2羽。他にもムクドリ、スズメ、カワラヒワ。内堀南公園にもツグミが1羽。

Img_6957c_20210412160401  京町のお宅、今日も親ツバメが巣にやって来ていました。2羽が、近くの電線で休んだり、巣に来たり。呉服屋さんには、今日はツバメは来ていませんでしたが、その西にあるマンションの駐車場ではツバメが飛び交っていました。ここには2~3年前、巣があり、ヒナが育っていたのですが、その後、巣は取り壊されていたところ。田町の商店あたりにはツバメの姿はありません。

Img_6716c_20210412160301 Img_6753c_20210412160401  ところで、九華公園では、イロハモミジが青々としてきました。「青紅葉」ということばがありますが、まさにそんなイメージ。青空をバックに見ると、気持ちの良いこと。紅葉したモミジもよいのですが、個人的にはこの景色も勝るとも劣らずと思います。

Img_6767c_20210412160401  ツツジも開花が進んでいます。約550本のつつじ(ヒラドツツジ、オオムラサキツツジ)があるといわれています(こちら)。もちろん、昨日も書いたように、まだまだ場所によって開花状況には大きな差があります。

Img_6818c_20210412160401 Img_6838c_20210412160401  こちらの2種類は、鎮国守国神社の境内にあるツツジ。大奥様に名前を教えていただいたのですが、忘却の彼方。こちらにツツジの種類を紹介しているサイトがあるのですが、見比べてもよく分かりません(苦笑)。またお目にかかったら、聞いてくることにします。

Img_6813c_20210412160401  豊後梅にも、実がついて、すでにかなり大きくなっています。花が終わった後はあまり見ないかも知れませんが、ソメイヨシノなどでも、実がつきますので、ときどき眺めるのも楽しみにしているのです。

Img_6757c Img_6762c  フジもあちこちで咲いて来ました。こちらはよく載せている九華公園本丸跡の藤棚のようす。普段目にするフジの花というと、たいていはこういう藤棚にしつらえられたもので、フジの名所でも藤棚から房が長く下がったところと思います。

Img_6946c_20210412160401 Img_6950c_20210412160401  内堀南公園にも藤棚があるのですが、その側に地面から藤の木が生えています(「地面から生えている」のは当たり前ですが、わざわざそう書きたくなる雰囲気)。藤棚から種がこぼれて、「自生」したのだと思いますが、この藤の木が好きなのです(笑)。いかにも生えているぞ! と主張しているような気がするのです。

Img_6894c_20210412173001  明後日から授業ですので、今日は午後から、いつも持参するノートパソコンがきちんと動くか確認したり、印刷をお願いする資料をプリントアウトしたりしています。こうして次第にモードチェンジを図っているというところ(微苦笑)。ノートパソコンは、「バッテリー残量表示補正」をするようにという表示が出て、それを実行中。いったんフル充電したあと、放電させ、再度充電をして、バッテリー残量表示がきちんとなるようにするのです。ただ、以前、これを実施したら、かなり時間がかかったのに作業はちっとも進まなかった記憶があります。まぁ、明後日までに終わればよいので(爆)。

2021年4月11日 (日)

九華公園に久しぶりにホシゴイ登場……京町のツバメは巣の修復か?

Img_6443c_20210411153701  4月も中旬となりました。今週からは、いよいよ非常勤の授業も始まりますから、遊び呆けていてはいけませんが、何はなくとも散歩という生活。今日も、7時半から散歩開始。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町に行くところで、知人女性に出会い、「うちのツツジが満開だから見て行って」といわれ、宮通まで若干Uターン。再び京町から新築、常磐、老松公園、御坊さん、寺町と6.8㎞。あちこちで散歩友達に出会い、11時過ぎにようやく帰宅(苦笑)。冒頭の写真は、宮通にあるこの女性のお宅のツツジ。本当に満開になっていました。毎年、九華公園のツツジに先立って満開になるそうです。

Img_6451c_20210411153701 Img_6454c_20210411153701  さらに、このお宅には、レモンの木があります。ついこの間まで大きな実がいくつかなっていましたが、つぼみが出て来たので、すべて収穫し、蜂蜜につけてあるそうです。

Img_6319c_20210411154001  今日のトップは、こちら。ホシゴイ1羽。鎮国守国神社の社務所裏に、ずいぶん久しぶりに登場しました。猫にゴイサギが襲われたらしいという事件があったのが1月中旬。それ以来、初めて。桑名宗社との間の中橋のところも、たまに確認していますが、そちらにもいませんでした。ホシゴイは、ゴイサギの幼鳥。巣立って3年ほどはこのスタイル。まだ、繁殖はできませんから、しばらくここで留守番でもして欲しいところ。

Img_6329c_20210411153701 Img_6362c_20210411153701  さらに、九華公園のツツジ。ところによってはかなり咲いています。とはいえ、桜のときと同じで、まさに「ところによって」です。まだ満開という木はさすがにありませんが、まだ蕾も膨らんでいない木々はたくさんあります。それでも、つつじまつりがある5月1日より以前に満開になることは間違いないでしょう。外周の遊歩道からは、右のような景色も見えます。

Img_6284c_20210411153601 Img_6294c  もう一つ。九華公園本丸跡の藤棚。真冬という、トンでもない時期に剪定していましたので、花芽を皆切ってしまったのではないかと心配しました。肥料をやっていないので、花房は短いものの、それなりに咲きました。この藤の剪定もそうですが、市の花でもある花菖蒲の管理も今ひとつという感じです。公園管理を請け負うなら、植物のことを少しは勉強してもらいたいと思っています。

Img_6146c_20210411153601  さて、散歩の初めに戻って。諸戸氏庭園からは鳥の鳴き声はほとんど聞こえてきません。住吉入江にも水鳥は来なくなりました。桑名七里の渡し公園には、ハシボソガラスしかいません。揖斐川にも、今日は鳥影ゼロ。毎年、今の時期恒例なのですが、やはり物足りません。七里の渡し跡にも鳥はいませんでした。三の丸公園から柿安コミュニティパークでは、スズメ、ムクドリ、ドバトがそれぞれ少数。このあたりでは、ツグミを見なくなっています。ジョウビタキは、帰ってしまったのは確実のようです。

Img_6168c_20210411153601 Img_6219c_20210411153601  九華公園まで来て、北門のところにツグミが1羽。ヒヨドリも少なく、九華公園は全体として静か。鳥も少なく、散歩する人もいません。奥平屋敷跡では、シロハラ(右の写真)とツグミが1羽ずつ。他にはハクセキレイのオスが1羽、はしぼそがらすが1羽。ついたときだけ、メジロの鳴き声が聞こえていました。シメも見なくなっています。

Img_6239c_20210411153601  メジロはその後、二の丸跡で見つけ、証拠写真。このあと、鎮国守国神社の境内でもメジロの鳴き声が聞こえていました。また、今日は、二の丸跡と、鎮国守国神社の境内と、2箇所でコゲラの鳴き声を確認。コゲラもずいぶん久しぶり。今の時期、来ているということは、公園内のどこかで繁殖するのかと期待させます。明日以降、よく探してみないと。

Img_6253c_20210411153601 Img_6334c_20210411153701  スズメは、九華公園のあちこちで、多くはないものの、見られます。最近、右のように、体をそり返し、尻尾をピンと立て、ぴょんぴょん跳ねるところを見かけます。これは、オスの求愛行動のようです。選択権は、メスにあり、オスはひたすらアピールします。メスがどこかに行ってしまわなければ、脈があるという話をどこかで読んだ記憶があります。

Img_6375c_20210411153701  Img_6259c_20210411153601 カモは、合計32羽。とうとうハシビロガモの姿が見えなくなりました。ヒドリガモが2ペアとキンクロハジロのみ。だんだんと皆、帰って行っています。キンクロハジロは、毎年、ゴールデンウィーク前くらいまではいてくれると思います。

Img_6354c_20210411153701  九華公園では、カメの甲羅干しがあちこちで見られます。ほとんどはミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)ですが、たまに違う種類が混じっています。この写真のもっとも左にいるカメは、ミドリガメではありません。しかし、調べて見ると、イシガメでも、クサガメでもなさそう。ひょっとしたら、日本のカメとミドリガメの交雑かなぁと思ったりします。

Img_6408c_20210411153701  貝塚公園では、ツグミ2羽、カワラヒワなど。今日、こちらは、お子さん連れの家族が何組か来ていました。穴場と思われているかも知れません。確かにそうです。遊具は少ないのですが、ゆっくり過ごせます。今日は、シロハラはおらず。内堀公園では、スズメのみ。

Img_6430c_20210411153701  京町にあるお宅のツバメの巣を見に行ったら、近くを2羽が飛び交っていたり、巣に入ったりしていました。巣を見たら、何やらくわえています。写真はあまり鮮明ではありませんが。巣の修復でもしているのでしょう。これはそろそろ、ツバメの巣の巡回チェックも行わないといけません。呉服屋さんの方は、今日はツバメは見あたりません。

Img_6545c_20210411153701  老松公園から寺町の橋を通って帰ろうと思って歩いていたら、御坊さんの庫裏の建物の鬼瓦に何やら鳥影。よく見たら、イソヒヨドリのオス。ところが、その時の位置は、まったくの逆光。そこで、「イソヒヨドリに導かれて御坊さん詣り(苦笑)」。御坊さんにお参りし、賽銭を上げてから探すと、まだいました。しかも、順光で、明るいところに(微笑)。きれいな姿に撮れました。お参りのお陰(笑)。実は、この直前、京町にあるマンションの階段の踊り場でもイソヒヨドリのオスが鳴いていました。同じ個体と思います。

Img_6573c Img_6566c_20210411153701  御坊さんでは、山門前でボタンがたくさん咲いて来ました。九華公園の管理事務所近くにも10本あまりあるのですが、そちらの咲き具合は、イマイチ。そろそろ長島水辺のやすらぎパークのボタンもよいかも知れません。

Img_6583c_20210411153701  ということで、鳥は少なくてどうかなと思ったものの、充実した散歩でした(微笑)。今週は、繰り返し書いていますが、非常勤の授業開始。天気予報はあまりよくありません(苦笑)。そうそう、記憶のために書いておきますが、今日は、九華公園でウグイスの初鳴き(といっても、私が初めて聞いたという方が正確)を確認。まだまだ修行が必要な鳴き方でした。

20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その2……天武天皇社からゴールの伊勢朝日駅へ(完)

210409sichirinowatasi1 4月9日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第1回「七里の渡し跡~朝日」のその2です。あまり考えずに書き始めたため、1回の記事で収まりませんでした。その1では、七里の渡し跡をスタートして七曲がり見附跡まで来ました。新町のお寺を丁寧に見て回った結果です。七曲がり見附跡は、この詳細マップその1の中央最下部にあります。ここで右折して、東海道は西へ。鍋屋町という名前の通り、鋳物師などが集まっていたあたりに入ります。

Img_5119c_20210410044401 Img_5125c_20210410044401  天武天皇社天武天皇を祀る、全国で唯一の神社だそうです。壬申の乱(672年)に大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名郡家に駐泊されたことにちなみ、のちに創建されました。右は、「本願寺跡・梅花仏鏡塔」。ここにはかつて本願寺という大きな寺があり、その境内に芭蕉の門人である各務支考の分骨墓・梅花仏鏡塔があります。墓は各務の姓にちなんで、円形の鏡を模しています。この2箇所は以前に立ち寄っていますので、パス。

Img_5128c_20210410044401  本願寺跡の先の交差点のところに一目連神社があります(マップにはスペースがなくなり、記入してありません)。御祭神は、天目一箇命(あめのまひとつのみこと)。鍛冶(かじ)に関わる神様で、多度大社の別宮にも祀られています。このあたりは「鍋屋町」地名のとおり、鍋屋が多かったので、天目一箇命への信仰が篤く、金属工業の神として勧請されました。この日は、社殿を新しくする工事が行われていました。境内には、美濃派の俳人・徐風庵(じょふうあん)の句碑があり、また、道をはさんだ向かいには、道標が1基あります(2020年5月4日:20200501ご近所神社めぐり……(その2)一目連神社、本願寺跡・梅花仏鏡塔、天武天皇社、伝馬公園、金刀比羅神社)。

 スタートから3㎞ほどのところにお寺が2つ。まずは、瑞瑋山明圓寺。Img_5132c_20210410044401浄土真宗大谷派のお寺。開基は不明ですが、元は多度町香取にある法泉寺の末寺。戦国時代に香取(多度)の安田空明の家臣・伊藤孫右衛門が出家して再興したといいます。

Img_5144c  続いて、Img_5141c_20210410044401松下山教覚寺。浄土真宗本願寺派のお寺。文明3(1471)年、深谷部の地主・紀伊氏の一族紀伊直行が出家して正玄と名乗り、町屋に道場を開いたのが始まりとされます。ここでも墓地を見たのですが、「正四位勲三等加藤久米四郎墓」とあるのに気づきました。加藤久米四郎は、明治17(1884)年、市内西方に生まれ、明治40(1907)年、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、大正6(1917)年、政界入り。衆院議員を7期連続務めました。国道1号線沿いにある「参宮国道碑」を書いています(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。顕彰碑が、西方連合自治会により、平成19(2007)年6月に笹山溜池公園に建てられています(2021年3月23日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」))。

Img_5151c  教覚寺の墓地で、このようなお墓を見つけました。よくよく見てみましたが、「囲い」の部分は跡から支えるためにつけたものではなさそうで、初めからこういう形のようでした。

Img_8249c_20210410065801 Img_5165c_20210410070101  教覚寺を出たところに中川梵鐘店。江戸末期創業の鋳造会社で、全国各地の梵鐘を手がけており、永平寺や、名古屋の日泰寺、三河の鳳来寺などの梵鐘もここがつくったもの。その先、矢田町交差点で国道1号線を渡ります。交差点の南東、南西には右の写真のように「左右対称」と思える建物があります。向かって左は、和菓子の和(かず)。ここの最中は絶品。右は、呉服屋の「にし眞」ですが、もう営業はしていません。

Img_5167c_20210410070401 Img_5173c_20210410070401  交差点を渡ったところには、走井山善西寺。浄土真宗本願寺派のお寺。戦国時代、矢田城の城主・矢田俊元(としもと)は、織田信⻑と戦って亡くなりましたが、その孫・俊勝(としかつ)は出家してこの寺を建て、祖父の法号をとって寺号にしています。善西寺を検索したら、ご住職は、名古屋大学大学院理学研究科修了の理学博士。生命科学の研究者でいらしたそうです。

Img_5175c_20210410070501 Img_5174c  このあたりは、慶⻑町割当時は城下外の矢田村でしたが、東海道に⾯して家並が続き、旅人の休息する茶店が多く、立場となっていました。国道1号線に分断され、東⻄に分れたのですが、東矢田町は戦災でほぼ全焼したのに対し、こちら側の⻄矢田町は戦災を免がれ、連子格子の家も見られ、街道の⾯影を残しています。この写真の竹内家には馬をつないだ輪が道路に⾯して残っています(善西寺のすぐ西)。

Img_5184c_20210410070501 Img_5190c_20210410070501  さらにその先、南側には江戸時代に建てられたというお宅が残っており、ここには現在もお住まいだそうです。お庭なども立派なものがあると聞きます。機会があれば、拝見してみたいもの。右の写真は、矢田の火の見櫓跡。文政8(1825)年、町方からの願いによって火の見櫓が建てられています。現在のものは、東海道宿駅制定400年を記念して復元されたもの。東海道はここで左折し、南へ。

210409sichirinowatasi2 Img_5193c_20210410071501  ようやく詳細マップはその2に入ります。南に向いたあたりの東海道の様子が、右の写真。地名でいうと、福江町。

Img_5196c_20210410071501  スタートして3.6㎞ほどのところに神戸岡神社があります。縁起は不詳ですが、この付近には伊勢神宮の領地があり、古地図には「神⼾岡」とあるといいます。また、伊勢国風土記にはこの付辺を「桑名神⼾」と称したいいますので、伊勢神宮に関わりがあるかも知れません。明治28(1895)年、立坂神社に合祀されましたが、昭和35
(1960)年に現在地に再建しています。小さい神社ですので、これまできちんと観ていませんでしたが、境内にはいろいろとありました。

Img_5206c_20210410071501 Img_5200c_20210410071501  まずは「戦役勇士碑」。裏には回れず、碑陰は確認できませんでしたが、碑表にはたくさんの方のお名前が刻まれていました。このあたりから出征された方々と思います。向かって右は、橋の親柱。現地では何と書いてあるのかよく分からなかったのですが、帰宅して、町屋御用水のことを調べていたら、判明。「新福橋」と刻まれています。神戸岡神社の西にある「新地」は正徳年間(1711~16年)に足軽屋敷として開発された土地で、東海道沿いの福江町から新地へ出入りするために町屋御用水に橋が架けられました。この橋は、新地の「新」と福江町の「福」を採って「新福橋」と名付けられたのです。その橋の親柱ということ。これでスッキリ(微笑)。

Img_5212c_20210410071501  神戸岡神社から100mあまり行った、西側に御用水親水広場があります。御用水とは、町屋御用水。寛永3(1626)年、桑名藩主松平定行によってつくられた上水道。4月10日にその取水口を見てきています(町屋川へキジを探しに……ついでに町屋御用水取水口も見てくる)。町屋御用水は、繁松新田の東京堂書店の南、桑名医師会の看護専門学校の南を通り、近鉄と JR の線路下を暗渠で抜けると新地地内へ入り、広い道路の真ん中
を流れます。護岸は石張りで整備され、ここに水面へ降りられるように階段が設けられ、親水広場になっています。それがここ。

Img_5218c_20210410194801 Img_5221c_20210410194801  御用水親水広場を覗いてすぐのところ、東側に桑部山了順寺。浄土真宗本願寺派のお寺。戦国時代の桑部城主・毛利秀重(ひでしげ)の 孫・秀元(ひでもと)が、永禄10(1567)年に織田信長に敗れて後出家して、元和7(1621)年に創建した寺です。山門は 桑名城の門を移したものといわれています。現在の建物は明治35(1902)年の建築で、戦災を免がれ、東海道筋に昔ながらのたたずまいを残しています。

Img_5228c_20210410194801  了順寺を出ると、日立金属桑名工場が西側にあります。このあたりが、江場松原跡。東海道は、七里の渡し跡から大福村までは両側に家並が続いていたのですが、大福村を過ぎて江場安永にかけては、両側には家はなく、松並木となっていたといいます。この松並木を通して、両側とも眺望が秀れ、東は伊勢の海が見られ、⻄には鈴⿅の山脈が遠望されたそうです。松並木は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風頃まで残っていたのですが、現在は一本の松もなく、家並となり、一部は⽇立金属工場庭園となっています。

Img_5234c_20210410194801 スタートから4㎞を過ぎて、西に城南神社。江⼾時代までは「神明宮」と呼ばれていました。倭姫命が、伊勢神宮鎮座地を求めて巡行された時立ち寄られたという伝承があります。その縁で、伊勢神宮の遷宮ごとに皇大神宮(内宮)の一の鳥居、占殿舎の一部を下賜されて、御木曳きが行われます。明治41(1908)年、旧城南
村各字の神社を合祀して城南神社と称しました。境内の手水鉢には、嘉永4(1851)年の銘があります。合祀された各社は昭和30(1955)年に旧社地に分祀されました。

Img_5244c_20210410194801  主祭神は、天照大御神。相殿神は、保食神(うけもちのかみ:食物の神)、少彦名神(スクナビコナノカミ:医薬の神)、天目一箇命(あまのまひとつのみこと:鍛冶の神)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)、火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)、豊受比売命(とようけひめのみこと:食物を司る神、伊勢神宮外宮に祀られる)。城南神社で11時15分、スタートから2時間以上歩いてきましたので、30分ほど小休止。

Img_5254c_20210410194801 Img_5257c_20210410194801  城南神社から200数十メートルのところに清浄山晴雲寺。真宗大谷派のお寺。大永2(1522)年、東城(現在の九華公園付近にあった)の城主・伊藤武左衛門の一族の明⻄(めいさい)が、一族の菩提を弔うために建立。江⼾時代には、関東へ行く諸大名などは、この晴雲寺に立ち寄って、衣服を改めて桑名城下に入ったといいます。現在の本堂は明治27(1894)年の建築。また、慶応4(1869)年、戊辰戦争の際、赤報隊の一部・滋野井隊(幕末~明治時代の公家・華族である滋野井公寿(しげのい きんひさ)を隊長とする)がここ晴雲寺に宿泊し、「偽勅使」として捕縛されるという事件の舞台でもありました。

Img_6912c Img_5559c_20210410202801  晴雲寺からすぐに国道258号線を地下道でくぐり、安永へ。このあたりも立場でした。安永は東海道筋であると共に、町屋川を利用した舟運の舟着場でもありましたので、通行客を相手とする茶店が多くありました。名物として「安永餅」が売られていたのですが、現在は、このあたりには売る店はありません。しかし料理旅館「玉喜」、「すし清」(右の写真)が茶店の名残りで、両店とも藤の花が見事です。

Img_5285c Img_5295c_20210410194801  すし清の手前に伊勢両宮常夜燈と里程標があります。伊勢両宮常夜燈は、文政元(1818)年、東海道の道しるべと伊勢神宮への祈願を兼ねて桑名や岐阜の材木屋によって寄進されたものです。江⼾時代の東海道はここから町屋川に進み、対岸の縄生(なお)までかけられた板橋を通りました。常夜燈の横にある「里程標」は、明治26(1893)年に建立されたもの。里程標には、町屋川の中央から北が桑名郡であること、三重県庁及び桑名郡役所までの距離が刻まれています。三重県庁までは、11町3里余(約47km)です。江⼾時代の町屋川は、川幅が232問余(約420m)あり、寛永12(1635)年に初めて橋がかけられ
た。昭和8(1933)年、国道1号線にかかる町屋橋がやや下流にできましたので、旧橋は廃止。現在の橋は、平成元(1989)年に架け替えられたもの。

Img_5312c_20210410194801210409sichirinowatasi3  町屋橋を渡ると、三重郡朝日町に入ります。左の写真は、町屋橋を渡った先、縄生(なお)あたりの東海道。南西を向いて写真を撮っています。朝日町に入ってからの詳細マップは、その3(右の画像)。

Img_5315c_20210410194801  橋本川を越えるとじきに、雨宝山金光寺(うほうさんこんこうじ)が西にあります。高野山真言宗のお寺。もともと天台宗で、その後、真言宗になったといわれています。延宝2(1673)年に現在の公民館縄生分館の辺りに小堂が建てられ、本尊十一面観世音を祀ったが、寛政年間(1789-1800)に類焼し、3年後に現在地で再建されました。しかし、明治3(1870)年、当時の住職・浄海(じょうかい)を最後に無住となり、この小さな本堂のみが残されています。ご本尊は、十一面観音菩薩。

Img_5324c_20210410194801 Img_5333c_20210410194801  金光寺の南隣にあるのが、桔梗山真光寺(しんこうじ)があります。浄土真宗本願寺派。大同2(807)年、最澄が天台精舎として創建。興国元(1340)年に本願寺第三世覚如上人の教化を受けて浄土真宗に改宗しています。

Img_5337c_20210410194801  ここ真光寺には、松平家の定紋である梅鉢紋入りの大手水鉢があります。これは、桑名藩7代藩主・松平定重公が、万治3(1660)年に寄進した ものです。先代藩主の定良公が、有馬温泉での湯治から帰藩途中に病死したのですが、町屋川の洪水で、川留めになり、真光寺がその遺骸を3日間安置し、供養したことへの返礼で拝領したものです。

Img_5343c  さらに進みます、スタートから6.1㎞あたり、水谷たばこ店の店先に山口誓子の句碑があります。この句碑には山口誓子の筆跡で、「露けさよ 祷りの指を 唇に触れ 誓子」と刻まれています。以前は、ほとんど読めなかった記憶がありますが、きれいになったかも知れません。「俳句のくに 三重」の説明によれば、「外に出て露けき中でお祈りをした。合掌し、その手を唇に近づけたので指の先が唇に触れた。私はその指先を感じながら祈りを続けた」ということです。昭和25(1950)年10月建立。誓子は、昭和16(1941)年、伊勢富田(四日市市富田)に移り、療養したといいますから、その頃の句でしょう。

Img_5347c Img_5353c  山口誓子句碑から目と鼻の先、「縄生の一里塚跡」の石碑があります。ここは、桑名の七里の渡や、西富田の庚申橋から、それぞれちょうど一里のところになるはず。伊勢国には、12カ所に一里塚がもうけられたといいます。この石碑は、新しいのですが、それもそのはず、平成13(2001)年に、東海道宿場・伝馬制度制定400周年記念事業で作られたもの。ボンヤリと歩いていると、見逃しそうなくらいの小さな石碑です。いささか余談ですが、この日のゴールにした近鉄名古屋線・伊勢朝日駅の手前に「安達本家酒造」があります。以前来たとき(2017年11月9日:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))、自動販売機で、ここが造っている地酒を買おうと思ったのに、うまく行きませんでした。運転免許証を入れて、年齢認証を受けるというのが、何度やってもうまく行かなかったのです。今日、リベンジできるかと思ったら、自販機には商品が何も入っていませんでした。一度、酒屋さんでここの「富士の光」を探してみましょう。

Img_5359c_20210410194801 Img_5356c_20210410194801  これでこの日の目的地はコンプリート。ゴールは、伊勢朝日駅に設定してあるのですが、その前にすでに時刻は12時半。伊勢朝日駅の手前に「日乃出」という食事処へ。前日にリサーチ済み。今の時期お昼は「日替わり弁当」のみのメニュー。¥700。刺し身、フライ、卵焼きなどに味噌汁付きですから、まぁ「お値打ち」。平日でしたが、我々の他にもお客さんはそこそこやって来ていました。

Img_5366c  昼食を済ませて、伊勢朝日駅には13時10分着。ここは普通電車のみ停車。次の名古屋方面行きは、13時25分の名古屋行き普通。桑名までは2駅。13時30分着とたった5分。¥210。9時から、実質3時間かけて歩いてきたのですが、電車では載ったかと思うと、すぐに降りなくてはならないくらいで笑えます。

Img_5376c  この日のスマホのALKOOのデータ。16,225歩でした。現地で歩いたのが6.7㎞。我が家から七里の渡し跡までと、桑名駅から自宅までとを合わせて1.5㎞。合計8.2㎞を歩きました。

 

2021年4月10日 (土)

町屋川へキジを探しに……ついでに町屋御用水取水口も見てくる

Img_5401c_20210410172301  昨日も出かけましたが、今日も(苦笑)。三岐鉄道北勢線で西別所駅へ。ここから、町屋川に出て、いつもの日の出橋まで歩いてきました。今日の目的は2つ。その1つは、昨年のリベンジで、キジを見て、撮影すること(2020年5月14日:声はすれども姿は見えず……町屋川でのキジ探しは不首尾)。2つめは、町屋川にある町屋御用水の取水口を確認してくること。西別所駅から日の出橋まで、現地では、6.9㎞を歩いてきました。駅前のバスターミナル/西桑名駅往復が2.4㎞。合計9.3㎞。今日もよく歩きました。

Img_5663c_20210410173401 Img_5724c_20210410172101  まずは、キジ。結論から書きますと、あちこちでキジの鳴き声を聞き、姿を見たのは、オス、メスとも2羽ずつの計4羽。国道1号線町屋橋の上流200mあたりで2箇所から鳴き声が聞かれました。しばらく待ったものの姿は見えず。昨年の二の舞かと危惧しつつ、目撃情報があった国道1号線~国道23号線の方へ。あるあたりで何ヶ所からもキジの鳴き声が聞こえてきました。あたりを一通り歩いたあと、鳴き声がよく聞こえるところで待機。待つこと30分でようやくまずはオスを確認。さらに10分あまり経って、近くにメスが登場。これらのオス・メスは、近いところにいましたので、ペアであろうと思います。

Img_5782c_20210410172201 Img_5715c_20210410173801  その後、少し場所を移動してすぐに別のオス。それが、これらの2枚の写真。後ろ姿も美しい。かなり遠くからキジを見たことは何度かありましたが、これほど近くで見たことは初めて。写真もわりとよく撮れたと思いますが、これほど美しいとは思いませんでした。魅入られた感じ(微笑)。

Img_5813c_20210410172001  このオスのペアと思われるメスがこちら。オスに比べるといかにも地味ではあるのですが、よく見ると眼の周りなど、けっこう整っているように思います。キジ、十分見たと思ったのですが、写真を整理して、こうしてブログの記事を書いていると、また見たくなってきました。

Img_5526c_20210410172301  このほか町屋川で見て来た鳥たち。西別所近くからJR/近鉄の鉄橋あたりまででは、オオバン、コガモ、カルガモ、カワウなどの水鳥が少数。ツバメはかなりの数が、河川敷を飛び交って、餌を採っています。ホオジロのオスを1羽、アオジのオスらしき鳥も1羽を目撃。ダイサギ(左の写真)は、この1羽の他に数羽がいたものの、中洲の草木の陰になってよく見えず。同じあたりにアオサギも2~3羽。これも草木の陰。

Img_6003c Img_5995c_20210410172001  キジを見てから、日の出橋の少し下流まで行ったのですが、中洲にセグロカモメ。座り込んで、動かず。他には、コチドリが2羽。小さいのですが、鳴き声がよく響くので見つけられます。他には、コガモが数羽と、他のカモ(オカヨシガモかと思うのですが、遠くて判別できず。写真もピントが大甘でした)。

Img_6052c Img_6083c_20210410172001  日の出橋近くに戻って来て、橋の上流側にアオサギさん。中洲にはケリ。ハクセキレイのオスも1羽いたものの、真上からの写真のみ。他には、トビ2羽。

Machiyagoyousuic  目的その2について。町屋御用水の取水口の確認。町屋御用水は寛永3(1626)年、桑名藩主松平定行によって作られた上水道です。繁松新田の町屋川(員弁川)から取水し、自然の勾配を利用して桑名城下南西の吉津屋御門まで開渠で通され、そこから先へは地中の樋管で城下へ配水していました。全長約2㎞、全国で6番目にできた水道で、明治37(1904)年に諸戸水道が開通するまで約280年、使われました。場所は、3月31日に行った“20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の時に調べてあったのですが、この日の主要な目的地とは逆方向でしたので、パスしていたのです。

Img_5479c_20210410172301 Img_5458c_20210410172301  こちらが、町屋川に面した、現在の町屋御用水取水口。川の表面水を直接取り入れる構造になっています。ここからコンクリート製の導水路で堤防と国道258線の下をくぐって、川成町地内に入って行きます。右の写真は、堤防を越えた先のあたりのもの。上のマップには、水路が紺色で入れてあります。また、機会があれば、ここ町屋御用水取水口から、御用水の水路を辿って歩きたいものです。それにしても、あまりきれいでないのには、ちょっと残念な思い。

Img_6019c_20210410172001  西別所駅をスタートしたのは8時35分頃。町屋川を下って、日の出橋の先まで行って日の出橋バス停に戻ったのは11時40分頃。11時44分発の桑名駅前行きバスに乗車して、桑名駅前には12時1分着で帰宅。北勢線が¥190、バスが¥350。いやぁ、しっかり楽しめました。今日は、干潮が11時20分(四日市港)。町屋川河口では、潮干狩りをする人多数。

Img_6134c_20210410172001 今日のALKOOのデータ。15,129歩。日の出橋の上でケリの写真を撮っていたら、九華公園前管理人のOさんがクルマで通りかかって、「今日はここですか?」と聞かれました(微笑)。思わぬところで知人に出遭います。天網恢々疎にして漏らさずといいますが、悪いことはできませんねぇ(爆)。

2021年4月 9日 (金)

20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡

038718b8 9c781bed  一昨年、近鉄ハイキングの企画で「昔も今もお伊勢参り」に参加し、12回に分けて桑名の七里の渡し跡(スタートは近鉄桑名駅)から伊勢神宮・内宮(ゴールは近鉄五十鈴川駅)に参加しました(こちらにまとめの記事があります)。3月10日から12月1日でした。12回のハイキングで歩いた距離の合計は、133.8㎞。七里の渡し跡から内宮まで、単純に東海道・伊勢街道を辿ると、94㎞ほどになります。近鉄ハイキングでは、駅がスタート、駅がゴールですし、あちこち立ち寄ったり、一部でルートが重複したり、初瀬街道を歩いたりしましたので、40㎞ほどプラスになっています。この「歩いて伊勢詣り」の話を同級生K氏にしたところ、「行ってみたい」といいますので、今年、再挑戦することにした次第です。東海道で四日市の追分まで、そこから伊勢街道に入り、内宮を目指します。12回で行こうとしますと、13~15㎞を歩く回ができますので、1回に歩く目安を6㎞としています。まだ、すべての計画が立ったわけではありませんが、新年度からスタートしようということで、今日がその第1回。「同じところを歩いて、おもしろいのか?」という疑問をお持ちになるかも知れません。一度訪ねたところであっても見逃していたり、気づかなかったりするものごとが必ずあります。また、何か新しいテーマを持てば、別の楽しみも出て来ます。これについて、桑名から伊勢まで、伊勢詣りの街道には、別名「餅街道」という名前があります(こちら)。有名な赤福餅以外にも、たとえば、桑名、四日市には「なが餅」「安永餅」がありますし、宮川の渡しの北には、私の大好物である「へんば餅」があります。個人的には、これらの餅を楽しもうとも思っているのです。

Img_4968c_20210409173101  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」と勝手に命名(微笑、ちょっと長いのですが)したツアーの今日は、第1回目。スタートはもちろん、ここ、七里の渡し跡。鳥居は、伊勢一の鳥居。伊勢神宮のご遷宮の際、宇治橋のところの鳥居が払い下げられます。東海道は、名古屋の宮からここまで海上七里をやって来て、再びここから陸路。

210409sichirinowatasi0210409sichirinowatasi1  左が、今日のコースマップ全体像。立ち寄り先は多々ありましたので、割愛しています。七里の渡し跡をスタートし東海道を歩いて、6.7㎞。近鉄伊勢朝日駅がゴール。右は、詳しいコースマップその1。近鉄益生駅近くの矢田立場跡あたりまでのもの。七里の渡し跡を9時にスタートしました。桑名市内で実にたくさんのところへ立ち寄っています。我ながら驚き。私自身は、何度も訪ねたところがほとんどですので、説明は最小限にしています。

Img_4981c Img_4985c_20210409173901  桑名宗社(春日神社)。何度もいっていますので、今日は、神社の境内には行っていません。K氏が「志るべ石」を知らないというので、それと青銅の鳥居だけを見てきました。正面には「志類べ以志」、右側面には「たづぬ留かた」、左側面には「おしゆるかた」とあります。「迷い子石」ともいわれるもので、人が大勢集まる所に立てられました。多度大社の鳥居の横にも同じものがあるそうなのですが、そちらは見たことがありません。

Img_4988c_20210409173901  春日神社の先には、歴史を語る公園。その向かいには、旧・桑名城の石垣が残っています。このあたりは、堀沿いで「片町」と呼ばれます。東海道の西側にしか町屋がなかったためにこの名前がついています。七里の渡し跡から続く堀で、江戸時代には、このあたりで日用品などが荷揚げされたといいます。東海道は、この歴史を語る公園の先で右折し、西に向かい、京町へ。

Img_7149c  京町交差点の西に京町公園があります。このあたりが、京町見附跡。ここには京町門があり、その南に番所が遭ったといいます。北側には郷方役所もありました。門の西側(写真でいうと、左手)には総構の堀がありました。今は、寺町堀、吉津屋堀にその名残があります。また、枡形があったそうですが、今は廃止されています。東海道は、京町公園の手前で左折し、南へ。吉津屋町あたりでスタートから1㎞、県道654号線を越えます。

Img_4991c_20210409173901 Img_8510c_20210409184201  鍛冶町に入って、ここにも見附がありました(吉津屋見附跡)。ここには現在も枡形が残っています。写真の中央で右に曲がり、その先を左、左と曲がって、正面奥に出て来ます。その先で七津屋橋跡に出ます。桑名市内の東海道では、初めて堀にかかった橋がありました。現在は堀も、橋もありません。七里の渡し跡にある常夜燈は、もともとここにありました。

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 この先に「いもや本店」があります。ここで東海道は右折し、南へ。いもや本店は、プラモデルや玩具を売っています。かなり昔のものもたくさんあります。8年ほど前、ご主人に呼び止められ店内をじっくり見たことがありました(2013年4月19日:いもや本店と、天武天皇御洗足井(とうとう見つけました!))。ご主人は最近、お亡くなりになったという噂を聞きました。去年夏は、店は閉まっていた気がしますが、今日は、入り口が半分くらい開いていました(この写真は、2019年3月10日の撮影)。

Img_4994c_20210409185301 いもや本店の先が新町。このあたり、桑名でもう一つの「寺町」といえるほど寺が集められています(慶長の町割のとき)。左は、四宝山教宗寺。真宗本願寺派のお寺。かつては、萱町にある法盛寺の塔頭でした。「桑名市史 本編」によれば、明応2(1493)年開基とあります。戦災で焼失し、城南村和泉に仮本堂を営なんだ後、ここに来ています。

Img_4997c_20210409185401 Img_5002c_20210409185401  続いて、瑠璃山医王院光明寺。西山浄土宗のお寺。開基は不詳。元は真言宗で、春日神社の東にあり、その神宮寺として神事に与ったといいます(桑名市史 本編)。慶長の町割で現地に移っています。町田武須計(まちだぶすけ)の墓があるというのは知っていたのですが、これまできちんと確認したことはありませんでした。墓地の一角にそれはありました。町田武須計は、桑名藩士。戊辰戦争に参戦しています。明治2(1869)年、桑名藩権大参事。三重県会議員を経て、明治22(1889)年、初代桑名町長に就任しました。武須計は、あの立見鑑三郎尚文の長兄(立見は、町田家の三男として生まれ、立見家へ養子に入っています)。このほか、七里の渡し船が遭難した際に亡くなった旅人の供養碑が残っているというのですが、このことはすっかり失念していました(苦笑)。一つ覚えていると、一つ忘れているという有様で、苦笑せざるを得ず。

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Img_5022c_20210409185401  となりに泡洲崎八幡社。この付近、旧泡洲崎の鎮守。桑名は、江戸時代以前、町屋川の流れによって、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の3つの洲に分かれていました。その泡洲崎の鎮守でした。慶長の町割の時、現在の一色町からここに遷ってきました。境内に、天保13(1842)年、新町の北の端に建立された導石があります。「右きゃういせみち」「左ふなばみち」とあります。「ふなばまち」は、七里の渡し方面、「船場」と考えられます。この導石は、初めてきちんと確認してきました。

Img_5037c Img_5034c  鎮照山凝念院光徳寺。浄土宗のお寺。鎌倉時代に、恵心僧都が泡洲崎念仏道場として創建。明治7(1874)年に日進小学校の前身である進善学校が開始されたところ。境内には、萬古焼の創始者である沼波弄山(ぬなみろうざん)の墓があります。

Img_5058c_20210409193001 Img_5055c  佛光山九晶院十念寺。浄土宗のお寺。天智天皇の勅願によって、現在の菰野町(朝明郡切畑村)に創建され、天平宝宇年中、行基が興隆して朝明寺と称されまし。室町時代に桑名(現在の桑名城本丸のところ)に移り、慶長の町割でここに移転。十念寺には七福神祭があります。右はそれに関わる七福堂。

Img_5066c_20210409193001 Img_5062c_20210409193001  十念寺には、桑名藩士森陳明(つらあき)の墓があります。森陳明は、松平定敬京都所司代に在職中、公用人として定敬を助けました。戊辰戦争では、定敬にしたがって函館に立て籠ったのですが、敗れたのち、朝廷が桑名藩に対して、反逆の主謀者を出だせと命じた時、進んで全藩に代わって出頭し、明治2(1869)年11月13日、東京深川の藩邸で死に就いています。九華公園には、森を讃える「精忠苦節」碑があります。

Img_5071c_20210409193001 これは十念寺についての余談。墓所の入り口に写真のように、昔ながらの手押しポンプがありました。昔は、井戸水をこの手押しポンプで組んだものです。私の実家にもありました。このポンプ、驚くべきことに現役。押したら、水が出ました。

Img_5101c_20210409194701 Img_5081c_20210409194701  次に、妙延山寿量寺。日蓮宗のお寺。初めは天台宗でしたが、文明年間(1469~87年)、日意のときに日蓮宗に改めています。織田信長の兵火に遭い、全焼。元は一色町にありましたが、慶長の町割で伝馬町に移転。境内には行ってすぐのところに狩野光信の墓があります。光信は、秀吉、家康に仕えました。慶長11(1606)年、江戸に下向し、慶長13(1608)年、帰洛の途中、桑名で病死しここに葬られました。

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 寿量寺には登録有形文化財が2件あります。旧大黒殿鐘楼がそれです。いずれも昭和10(1935)年頃の建築。和洋折衷のようなスタイルが特徴。寺院建築に鉄筋コンクリート造りを導入した貴重な資料とされます。

Img_5108c_20210409194701 Img_5111c_20210409194701  県道401号線を越えると、大悲山長圓寺。浄土真宗本願寺派。古くは江場村にあったのですが、慶長の町割の時に現在地へ移りました。この寺の第11代住職魯縞庵義道(ろこうあんぎどう、天保2(1831)年没、73歳)は、「桑府名勝志」、「久波奈名所図会」を著したほか、「桑名の千羽鶴」も考案しています。「桑名の千羽鶴」とは、1枚の紙で連続した鶴を多く折る珍しい方法です。

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 長圓寺のとなりには、高竜山謝徳院報恩寺。真宗本願寺派のお寺。応仁2(1468)年、教順の開基。真言宗でしたが、寛永2(1625)年、改宗しています。元は江場村にあったといいますが、慶安の洪水で古い資料を失って、詳細は不明。

E322212a  報恩寺の先で、日進小学校の前に出ます。このあたりが七曲見附跡。消防団の車庫が見えています。ここから日進小学校の敷地辺りに七曲見附があり、東海道は枡形になっていたそうです(今は、枡形はありません)。消防団車庫のすぐ手前を東海道が通っていました(北から南=写真では右から左)。

 東海道はこのすぐ先で右折し、西に向かいます。右折したあたりは、鍋屋町。今回は、1回で完結のつもりで書き始めましたが、立ち寄り先が多く、案外長くなりそうですので、今回はここまでとします。後半は、もう1回で書き終えられると思います。詳細マップのその1も、最後までは来ていません。続きは明日以降。

2021年4月 8日 (木)

花祭(灌仏会)

Img_4628c_20210408154401  20℃近くになりました。外を歩いて来たら少し汗ばんだのですが、室内はけっこう肌寒い気がします。今日も今日とて、いつもどおり(笑)。朝7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、御坊さん(桑名別院本統寺)、三八市と5.5㎞。鳥は少なかったものの、散歩友達にたくさん出会い、話し込み、帰宅は11時15分頃。オッサンも世間話に勤しむのです(爆)。三八市では、去年11月以来、みたらし団子を購入(2020年11月23日:九華公園でカワセミをじっくり観察……寺町・三八市でみたらし団子を久しぶりにゲット)。

Img_4911c_20210408154401  今日は、4月8日で花祭。お釈迦様の誕生日を祝う行事が行われます。そのため、御坊さんに寄って来たのです。花御堂の中に仏様を安置し、灌仏偈(かんぶつげ)を唱えながら香湯または甘茶を注ぎます。花祭は、「灌仏会(かんぶつえ)」ともいいますが、この季節になると、なぜか、高校時代、古典の授業で習った徒然草の一節が浮かんできます。間違うといけませんから、きちんと調べ、次に引用してあります。「灌仏」には「くわんぶつ」とカナが振ってあった記憶もあります。第19段の「折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ」で始まるところにあります。

「灌仏の比(ころ)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人のおほせられしこそ、げにさるものなれ。五月、あやめふく比、早苗とるころ、水鶏(くいな)のたたくなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなづきばらえ)又をかし。

 大意は、以下の通り:

「四月の灌仏会のころ、葵祭のころ、若葉の梢が涼しげに茂っていく頃こそ、世のあはれも、人恋しさも高まるものだ」と、ある人がおっしゃっていたが、まったくその通りだ。五月、屋根にあやめを葺く端午の節句、六月の早苗を取って田植えするころ、水鶏(くいな)のたたく声など、心細くないことがあろうか。みすぼらしい家に夕顔の花が白く見えて、蚊遣火をいぶしているのも趣深い。六月の夏越の祓も味わいがある。

Img_4668c_20210408161801 Img_4661c_20210408154401  さて、冒頭にも書きましたが、今日も鳥は少なく、住吉入江にオオバンが1羽いましたが、諸戸氏庭園、桑名七里の渡し公園には何もいません。揖斐川では、珍しく、4月になってもシラウオ漁をしている漁船が1組。4月になって見たのは、記憶にありません。七里の渡し跡では、ヒドリガモが13羽。堤防の法面に上がって、草を食べていました。柿安コミュニティパークの堀にはキンクロハジロが1羽。

Img_4751c  九華公園では、北門を入ったところにツグミ1羽。昨日は、どこでも見なかったのですが、今日はこのあとあちこちで目撃。昨日まで残っていた露店はすべて撤収されていました。花もほぼ散り、歩く人はいつも散歩している人だけ。管理人さんは、花見期間中にたまったゴミ処理に大わらわ。業者さんが来るのはまだ先だそうで、大変です。

Img_4711c_20210408154401  奥平屋敷跡。今日は、待てど暮らせど、シメが現れず。シロハラだけはずっといました。他には、スズメ、カワラヒワ、ドバトが少数。ハクセキレイは上空を通過。ツバメも時折、飛んで行きます。シジュウカラ2羽が来たものの、松の木の高いところに入ってしまい、どこにいるか見分けがつきません。散歩友達とは、「今日は、スズメ&ドバト鑑賞会だなぁ」とぼやくことしきり。二の丸跡、朝日丸跡でも、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメなど。ツグミは、本丸跡からも鳴き声が聞こえましたし、鎮国守国神社にもいました。

Img_4719c_20210408154401 Img_4771c  カモは、合計37羽。昨日と同じく、ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモが1ペア、他はキンクロハジロ。二の丸堀の西側エリアに集まっています。ユリカモメ、例年、4がつに入るとほとんど姿を見せませんが、今日は1羽だけが飛来。

Img_4792c_20210408154401 Img_4759c  桜は八重桜以外、見るところはありません。ツツジは、公園のあちこちで咲き始めました。本丸跡の藤棚の藤もそれなりに咲いてきました。ずっと以前は、房が垂れていましたが、手入れも施肥もされませんから、そういう光景はしばらく見ていません。

Img_4776c_20210408154401  野球場前の堀で、甲羅干しをしていたカメ。頬に桜の花びらをつけていました。面の皮が厚いのか、花びらがついていても気にはならない様子。何食わぬ顔で甲羅干し中なので、笑えます。

Img_4805c Img_4847c_20210408154401  貝塚公園では、珍しくメジロが数羽。シロハラを2羽同時に目撃。複数いるような気がしていましたが、今頃になって確認できました。このほか、写真は撮れなかったのですが、ツグミも少なくとも3羽。内堀公園でも、ツグミが3羽、飛び出して、どこかに飛び去りました。

Img_4906c_20210408154401  京町では、呉服屋さんの巣のところに、ツバメが2羽。電線や、近くのお宅の軒先で休んでいるのですが、時折、巣のあるところにも入って行きます。そろそろ巣の修復や手入れをするのではないかと思っています。田町付近や、京町の別のお宅ではまだツバメはやって来ていません。

2021年4月 7日 (水)

九華公園でもツツジ開花……今日はツグミがまったくおらず、黙って帰ったか?

Img_4615c  気持ちよく晴れました。気温も21度を超えて、散歩日和。いつもと同じく、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、常磐町、京町、南魚町、田町、三崎通から桑名七里の渡し公園によって6.8㎞。自画自賛ではありますが、よく歩いています。これでちょうど3時間。

Img_4485c_20210407154801  今日は、九華公園でもツツジが咲き始めているのを見つけました。去年とまったく同日(2020年4月7日:九華公園でもツツジ、ドウダンツツジが咲き、藤の蕾も膨らむ)。場所も同じあたりで、外周遊歩道の南東角、キッチン寿さんの前のところ。ちなみに一昨年は、4月12日でした(2019年4月12日:ツツジとボタンが咲きました……桜の水鏡と花筏はうまく行かず、ココログの不具合も続きプンプン)。

Img_4327c  さて、鳥見の方は、毎年、この時期恒例ですが、あまり鳥がいないため成果は上がらず。とくに、今日は、ツグミをまったく見なくなりました。いきなり帰ったのかと思えるくらい。住吉水門のところへ行くまでに見たのは、スズメとムクドリ。住吉水門と川口水門(七里の渡し跡)の間の堤防には、ヒドリガモが2ペアと、コガモが1ペア(もっとも奥がコガモ)。七里の渡し跡でもコガモ1ペア。三の丸公園では、ムクドリのみ。柿安コミュニティパークには、ドバトとスズメ。とまぁ、こういう次第。

Img_4338c_20210407154901 Img_4474c_20210407154801  九華公園では、露店がほとんど撤収していました。北門のところに3軒だけ残っていますが、営業はしないような感じ。九華公園でも鳥は少なくなっています。散歩する人も、いつものメンバーのみ。

Img_4351c_20210407154901 Img_4434c_20210407154901  奥平屋敷跡では、いつもながら(などと書くといけませんが)、シロハラとシメ。ただし、シメは今日は、少なくとも2羽がいました。ひょっとしたら、3羽だったかも知れません。他には、スズメ、カワラヒワ、ドバト、ムクドリ。二の丸跡、朝日丸跡ともに、カワラヒワのみ。

Img_4439c_20210407154901 Img_4500c_20210407154801  カモは、合計35羽。ハシビロガモが1ペア、ヒドリガモが2ペア、他はキンクロハジロ。ごくたまに餌をやる人があり、そういうときは、キンクロハジロたちが大騒ぎ。オオバンは、今日はいませんでした。

Img_4511c_20210407154801 Img_4492c_20210407154801  このところ姿を見なかったのですが、今日は、ハクセキレイが1羽。オス。これは、外周遊歩道の南、立教小学校の体育館のところにて。今日の鳥見は、これくらい(苦笑)。貝塚公園では、草刈り作業が行われていて、鳥はほとんどいません。内堀公園にはムクドリ、新築公園ではスズメ。

Img_4467c  ところで、九華公園では、先日、花菖蒲の植え替えが行われていました。主に、本丸跡にある花菖蒲園にて。他の2箇所は、去年のものが残っていますので、菖蒲があまり生えていないあたりに、補ったくらい。しかし、ただ単に植えただけで、土の入れ替えや、整備はされていません。これで、今年咲くか、疑問だというのが、散歩友達共通の見方。花菖蒲は、定期的な植え替え、施肥、そして乾燥させないよう十分に水やりすることが必要なのですが、こうした手入れが行われていないのです。

Img_4458c_20210407154901 Img_4540c_20210407154801  その他、九華公園で目立つのは、藤と八重桜。ただし、どちらも数が少ないのは残念。本丸跡の藤棚は、心配しましたが、けっこう花が咲き、つぼみが膨らんで来ています。奥平屋敷跡にある八重桜は、かなり花が咲き、見事になってきました。

Img_4560c_20210407154801 Img_4578c_20210407154801  京町と、三崎通では、ツバメの巣を見てきました。ツバメは、この頃、あちこちを飛んでいるのを見ます。京町にある呉服屋さんの巣の近くでは、ツバメが電線に止まって休んでいたり、巣の様子を見に来たりしています。しかし、まだ巣を直したり、巣に就いていたりするところは見ません(左の写真)。三崎通の商店にある巣は、いつの間にか壊れてしまっていました。こちらの巣の近くでは、まだツバメを見ていません。

Img_4552c_20210407154801  散歩コースにある立教小学校では、今日は、入学式が行われたようで、親御さんとともに新一年生たちが登校してきていました。桜はまだ、完全に散ってはいません。コロナ禍の中での学校生活のスタート、早く慣れていってくれることを願います。上級生たちは、休み時間なのか、先生とサッカーに興じていました。

Img_4601c_20210407154801  たびたび非常勤のことを書いています。非常勤先では、明日から授業開始。私の担当科目は、来週水曜日から。1週間前ですので、今日は、授業資料をpdfにして、助手の先生にメールで送り、印刷などをお願いしました。対面授業は、去年1月15日以来(2020年1月15日:江戸橋での授業も最終日、来週は筆記試験)。この間、研修会などでごくたまに話しはしていましたが、本格的な授業はこの時以来。久しぶりだからといって、ドキドキするようなことはありませんが、授業はライブの方が良い気がしています。学生たちと直接出会うのが楽しみ。ただし、今時の状況ですから、感染対策は怠りなくしなければなりません。たぶん、透明アクリル板に囲まれた教壇から話しをすることになると思います(苦笑)。

 

2021年4月 6日 (火)

今年の桜はサッサと散ってしまった感じで何となくモヤモヤ(苦笑)

Img_4303c_20210406174601  散歩から帰る頃になって晴れ間も出て来ましたが、それまでは曇り空。最高気温は、16.9℃。いつも通り、なんとかの一つ覚えのように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、アピタ桑名店(新光堂書店)、常磐町、寺町と6.5㎞。アピタ桑名店では、時代小説の文庫本を1冊購入。

Img_4042c Img_4055c_20210406174701  住吉入江にはオオバンが2羽いたものの、桑名七里の渡し公園には鳥はいません。揖斐川にも水鳥の姿はなし。七里の渡し跡まで来て、ヒドリガモが17羽に、オオバンが1羽。三の丸公園では、ツグミ1羽にムクドリが2羽。冬鳥たちは、順番に帰って行っているようです。ジョウビタキはすっかり見なくなりました。

Img_4186c_20210406174701 Img_4253c  九華公園、さすがに花見客はなく、いつもの散歩の人たちにしか会いません。ソメイヨシノもかなり散って、新聞の桜だより風に書けば、「落下盛ん」という感じ。結局、この春の桜は、サッサと散ってしまったという感じ。水鏡も、花筏も、自己満足が行くものさえ撮れず。

Img_4259c_20210406174601  あの「遠山のカメさん」も、もっとカッコイイものを撮ろうと思ってはいたものの、これまた不発に終わりました。残念。「この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!」とは行かず。今シーズンの花見、何となく不全感が残ったまま終わりですねぇ。

Img_4077c_20210406174701 Img_4151c  野鳥も、あまりいません。九華公園の北門を入ったところでツグミ1羽。奥平屋敷跡、今日は散歩友達の皆さんと話しながら、1時間ほどいたものの、シロハラとシメが来たくらい。他に多かったのは、ドバトとスズメ。カワラヒワはごく少数。巣に就いていると思われるハシボソガラスも静か。シメは、この頃、桜の木やイロハモミジの木で、若芽か何かを食べているところをよく見ます(右の写真)。

Img_4183c Img_4216c_20210406174701  カモは、合計34羽。ヒドリガモ2ペアに、ハシビロガモ1ペア、他はキンクロハジロ。オオバンが1羽。カモたち、キンクロハジロは、例年、ゴールデンウィークが始まる頃までいますが、そろそろお別れも近いと思うと、ちょっと淋しい気もしてきます。

Img_4209c_20210406174701 Img_4198c  もうソメイヨシノの写真はオシマイにしますが、昨日も書きましたが、九華公園でもボタンが咲き始めました。管理事務所のすぐ北に10本あまりが植わっています。梅は、葉っぱも一段と繁り、実も大きくなってきています。

Img_4270c_20210406174601 Img_4113c  八重桜、九華公園では、たぶんこの1本だけになりました。現職の頃の勤務先(名古屋の桜山)あたりには、八重桜の並木があったのを思い出します。今年はずいぶん早くから咲いたと聞いています。

Img_4288c_20210406174601  貝塚公園では、ツグミ3羽ほどの他は、ムクドリ、カワラヒワなど。シロハラは今日は見られませんでした。内堀公園にはスズメ。新築公園には何もおらず。

Img_4224c_20210406174701  去年の今頃、九華公園では桜が満開でした。町屋川へミヤコドリを見に行ったのが、去年の今日(2020年4月6日:町屋川にてミヤコドリと、まさに“black-headed gull”の「ガングロユリカモメ」)。ブロ友のじゅほうさんが、町屋川でキジをご覧になったそうです(こちら)。ウィークデイは、河川敷の整備が行われているようですから、週末あたり、見てこようと思っています。

2021年4月 5日 (月)

八重桜、フジ、ボタン、ハナミズキが咲きました

Img_3977c_20210405150401 Img_3982c  10時頃までは曇り空、その後は晴れてきましたが、かなりの強風。最大で8m/sほどの風。気温は18.8℃まで上がったものの、北風で寒く感じます。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築、常磐町、寺町と6.5㎞。冒頭の写真は、マイソメイヨシノ、右の写真は諸戸氏庭園前の桜並木。昨日の雨でかなり散ってしまいました。

Img_3833c_20210405150401  強風でしたので、九華公園の堀も波立ってしまい、今シーズンは、水鏡はこれというものは撮れませんでした。花筏に期待したものの、あまりよくありませんでした。左の写真は、九華公園南西側の堀のあたりの様子。

Img_3818c  九華公園では、ソメイヨシノに代わって、八重桜が咲き始めたものの、八重桜はほんのわずかしかありません。こちらは、奥平屋敷跡の南西端にある八重桜。二の丸跡にも古木があったのですが、今日、よくよく見たら、枯れてしまったようで、つぼみもついていませんでした。残念。

Img_3750c_20210405150501 Img_3616c_20210405151401  花の話題で書き始めましたので、先にそれらを。九華公園本丸跡の藤棚、心配しましたが、無事に花が咲いていました。去年ほどではありませんが、花はそれなりに咲いてくれそうな感じです。九華公園に行く前に見た柿安コミュニティパークの藤棚でもつぼみが大きくなっていました(右の写真)。

Img_3861c_20210405150401 Img_3769c_20210405151701  こちらは、貝塚公園で見つけたツツジの花。九華公園でも、貝塚公園でも、ツツジのつぼみはかなり大きくなってきていて、近いうちにもっと咲きそうな感じでした(右の写真は、九華公園の外周遊歩道の東で撮ったもの)。

Img_3926c_20210405150401

 九華公園でも数輪、咲き始めていましたが、左の写真は、御坊さん(桑名別院本統寺)で見つけたボタンの花。このあたりでボタンといえば、長島水辺のやすらぎパークにある牡丹園。去年は4月下旬に行きましたが、盛りを過ぎているものもありました(2020年4月28日:河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました)。今年はもっと早めに行かないと。

Img_3939c_20210405150401  三崎見附跡近くのお宅では、ハナミズキ。去年は、4月18日に「ハナミズキも咲いている」と書いていました(2020年4月18日:夕方の散歩……ハナミズキも咲いています)。しかし、それにしても今年は、花という花が、皆早いこと。

Img_3523c_20210405150501 Img_3538c_20210405150501  さて、バードウォッチングの話題。桑名七里の渡し公園で、シメが7羽も集まっていました(左の写真は、そのうちの4羽)。一度にこんなにたくさんのシメを見たのは、初めて。七里の渡し公園では、他にツグミ1羽、ドバトやムクドリ数羽ずつ。ムクドリの中には、以前、三の丸公園で見かけた白変種も混じっていました。

Img_3511c_20210405150501 Img_3573c_20210405150501  住吉入江には、ヒドリガモが5羽。オス1羽にメス4羽と、一見ハーレム状態(微笑)。ただし、よく見ていると、ペア1組の側にメスが3羽いるという感じでした。朝、散歩に出た頃は、右の写真のような空で、風も強く、揖斐川も波が立っていて、水鳥はいません。

Img_3607c_20210405150501 Img_3591c_20210405150501  七里の渡し跡には、ヒドリガモが8羽。堀にいたのですが、そのうち、写真のように上陸して草を食べ始めました。他には、オオバンが1羽。三の丸公園には、ツグミ1羽(右の写真)とムクドリ数羽。ジョウビタキは、すっかり見なくなりました。

Img_3630c_20210405153501  九華公園、花見客は、さすがにもういません。というよりも、今日は、強風で歩いている人自体が少ないのです。露店は、まだ営業しているところもありますが、お客さんは期待できない気がします。花見客が多かった間、ゴミも大量に出て、管理人さんは苦労しておられました。朝、出勤して、公園内を一回りすると、90リットル入りの袋にいくつもゴミを拾うそうです。「この季節、1日中ゴミ拾いだ」とこぼしておられます。

Img_3660c_20210405150501Img_3678c_20210405153801  さすがに野鳥も少なく、奥平屋敷跡では、シロハラ1羽とツグミ1羽。この時は、曇天に強風もあってか、他にはスズメ、カワラヒワが少し来たくらい。いつもなら1時間近く鳥を待っているのですが、さすがに今日は30分で撤収。二の丸跡でシメの鳴き声、ツグミ1羽。朝日丸跡でシメを見たものの、写真は撮れず。

Img_3664c_20210405150501  このところもっともよく見るのは、スズメ。数は多くはないのですが、散歩コース、九華公園のあちこちで姿を見ます。どの鳥も繁殖シーズンで、そちらに忙しいのでしょう。早ければ、ゴールデンウィークに入る頃にはヒナが出てくるでしょう。たとえば、スズメ、去年は4月30日にヒナが登場しています(2020年4月30日:スズメのヒナが登場……九華公園のキンクロハジロは5羽のみ)。このあと、貝塚公園ではシジュウカラ、シロハラを見たものの、写真はうまく撮れず。

Img_3909c_20210405150401  非常勤先は、昨日(4/4)、入学式が無事に終わったということです。講義開始は4月8日(木)。私の出番は、来週水曜(4/14)から。今日付で三重県知事の新しいメッセージが出て、とくに若い世代に感染が広がり、クラスターも発生しているため、若い世代向けに注意が喚起されています。私の授業は、対面授業となっていますが、受講者数の多い授業では遠隔授業になっています。大教室が少なく、あまり人数が多いと、学生同士の間隔がとれないためと思います。遠隔授業が一概によくないとはいえないことは、昨年の経験で分かりました。いずれにしても、よりよい授業のために、学生たちとコミュニケーションを取って少しでも改善を図るのが大切です。

2021年4月 4日 (日)

スーパーセンターで散歩はならず(苦笑)

04040653rader  予報通り、雨になりました。ただし、今日、夕方6時までの1日で15.5mmですから、さほどよく降ったわけではありません。冒頭の画像は、朝7時前の雨雲レーダー画像。こんな風ですから、散歩には出ず。かといって、終日蟄居ではなく、午前中は、「荷物持ち要員」として、買い物へ(苦笑)。朝日町にあるスーパーセンタートライアルみえ朝日店ケーズデンキみえ朝日店へ。我が家からは、クルマで15分ほど。私Img_3470c_20210404180701 はまずは、ケーズデンキへ行って、パソコン、デジカメその他を見て回っていました。が、とくに買うもの、欲しいものはありません。続いて、家族が買い物をしているトライアルへ。付いて回ると嫌がられますから、もっぱらウロウロして、歩く方に専念。昔、雨が降ると、ホームセンターへ行って「散歩」をしていたのを思い出しますが、こういうところで歩いても、歩数は伸びません(苦笑)。帰りに、イオンタウン桑名新西方にあるセリアで食品用シール保存容器4つを購入。これは、メダカハウスを新調するため。帰宅してからは、「雨読」生活。本を読んだり、ハイキング計画をマップに落とし込んだものをつくったり。

Img_3455c  ところで、3月21日にサギソウの植え替えを行いました(2021年3月21日:「晴歩雨読」ならぬ、今日は「雨耕」)。お陰様で順調に生育しています。小ぶりのプランター1つと、小さい植木鉢3つ、つくりました。植木鉢2つは、家内の母親に進呈。我が家のベランダでは、プランター、植木鉢1つずつを育てています。プランターには、サギソウ6株ほどを植えてあります。

Img_3476c  玄関先から見下ろすと、マイソメイヨシノも見えます。もっとも手前にあるのがマイソメイヨシノ。やはり、今日の雨は花散らしの雨になりました。明日は、朝から晴れの予報です。が、九華公園で桜の「水鏡」はちょっと期待できないでしょう。「花筏」と「遠山のカメさん」は可能性があります(微笑)。明日からは、また、散歩生活、晴れときどき仕事のシーズンを迎えられると思いますが、気になるのは、新型コロナの感染状況。

【余談】 その1:オリンピックの聖火リレーが、昨日、今日と岐阜県に入っています。三重県は、4月7日(水)、8日(木)の予定。ちなみに、桑名はスルーされています。マスコミでは、ほとんど報道されていませんが、スポンサー会社が走らせるトラック型宣伝車両も併走し、大音量の音楽やディスクジョッキーによる演出が行われています(たとえば、こちら)。これに関連して、放映権を持たないテレビ局や新聞メディアが、ウェブサイトやSNSで聖火リレーの動画を配信する場合、撮影から「72時間」に制限されるというIOCが決めたルールがあるそうですが、いったいどういう権限でなのか、私には理解できず。かように、オリンピックについては、個人的には、腑に落ちないことばかりあります。

 その2:新型コロナウィルス感染症への対策についても、腑に落ちないことがたくさんあります。誤解を恐れずに、単純化していえば、科学的な知見に基づいた、合理的な対策が採られていない(採れない?)と思います。また、対策は、どうみても後手に回っていると思えます。後者について、内田樹さんが興味深い指摘をしています(後手に回る政治)。リンク先をお読みください。以下は、「つまみ食い」で、引用していますから。

 「一転して」ということが菅政権では頻発している。最初は強気で乗り切るつもりでいたものが、世論の批判が収まらずに、ずるずると押し切られて前言撤回というのは、Go To キャンペーン、懲役・刑事罰を盛り込んだ特措法案、今回の山田氏の人事と連続している。
 政権基盤が脆弱であるせいだという説明記事を見るが、それは因果関係が逆のような気がする。むしろ菅政権が本質的に「後手に回る」体質なので、政権基盤が削り取られているのではないか。
 人間は運がいいときには「先手を取り」、運が悪くなると「後手に回る」というものではない。「後手に回る」人間は必ず後手に回る。それは一つの器質なのである。というのは、まず「問い」があり、次にそれに対して適切な「答え」をするという先後の枠組みでものごとをとらえる習慣そのものが「後手に回る」ことだからである。

 

 リーダーに求められているのは記者や野党議員を相手にマウントをとってみせることではない。状況の「先手を取る」ことである。
 適切な感染症対策をてきぱきと講じて、感染拡大を未然に防ぎ、権力者に阿諛追従する官僚ではなく、諫言することをいとわない有能な官僚を重用していれば、「こんなこと」は起きていなかった。「起きなくてもいい問題」は起こさない。それが統治者において「先手を取る」ということである。そのことに気づかない限り、首相は最後まで「後手に回り」続ける他ないだろう。

 内田さんは、私たちが「子どもの頃から『後手に回る』訓練をずっとされ続けている」と指摘しています。それは、「『教師の出した問いに正解する』という学校教育の基本スキームそのものが実は『後手に回る』ことを制度的に子どもたちに強いているものだから」といいます。私は、さらには、管総理を含め、今の政治家の多くが「会食」を重視していることも関連しているような気がします。会食して、何か良い話、アイデアを聞くと、それを取り入れ、実現しようとするというやり方自体が、基本的に「後手に回る」やり方という気がしています。こういうやり方、個人的には、「リアクション政治」と思っています。

 以上、余談は、勝手な妄想故、どうかお気になさらず。

2021年4月 3日 (土)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その3)……額田神社(増田)、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(額田)を経て北勢線在良駅にゴール(完)

210331nisibessho3 210331nisibessho4  3月31日に出かけた“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の本編その3です。今回で終了するはず(微笑)。その2では、蓮華寺地内で神社、寺、城跡、遺跡のあったところを見て回りました。今回は、北勢線、県道63号線を越えて、南へ。増田にある額田神社と、源流寺を回る予定でした。しかし、額田神社でここの世話をしていらっしゃる氏子の方に出会い、いろいろとこの神社のことを教えていただきました。増田の集会所に額田神社旧跡の石碑があると伺ったのでそこへ。さらに、神社の由来の話を聞いて、額田にある額田神社の本社もついでにお参りしようと思い立ち、時間も早かったので足を延ばして、北勢線・在良駅にゴールとしました。詳細マップは、その3・4です。

Img_1478c_20210331172301  増田の額田神社です。この神社には、いろいろと由来があります。氏子の方の話と「桑名市史 本編(pp.53~54)」によれば、次の通り。もともと、この神社は、桑名郡額田村・増田村両村の鎮守として祭祀し、初めは、増田村にあったものを額田村の宮山に移遷しました。移遷の理由は、旧地が町屋川のすぐ側にあり、洪水によく遭ったということです。その後、増田村から宮山まで参詣するのに不便だということで、額田にある本社からこの増田の額田神社を文政8(1825)年に分祀奉遷したそうです。ただし、「桑名市史 本編」には、古社は本来宮山にあり、一時の事情によって増田に移遷したのを、再びその故地に復遷したという説があるとも書かれています。ここで、神社の世話をしておられる氏子の男性の方に出会い、この経緯や、あとで訪ねる旧社地のことなどを教えていただきました。こういう出会いはありがたいことですし、ハイキングの醍醐味の一つです。

Img_1487c Img_1503c  増田神社の御祭神は、意富伊我都命(おおいがつのみこと、または、おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖)。相殿神は、天照皇大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと:)。氏子の男性の許しをいただいて、左の写真の背後にある本殿にも入らせていただいて、お参りしてきました(右の写真)。この中に3つの社が祀られています。

Img_1495c_20210403045401Img_1499c_20210403045401  境内には、文政年間に分祀奉遷したことに関わる「鬼瓦」が保存されています。この鬼瓦には「文政十歳丁亥四月」と刻まれていま(文政10年は1827年)す。その下には、さらに人の名前らしきものもありました。ちなみに、この鬼瓦には、桑名宗社(春日神社)の中臣神社で用いられている「大」の文字が入った印が入っています。天津彦根命は、桑名宗社の桑名神社の御祭神でもあります。両神社に何かつながりがあるかも知れません。

Img_1515c_20210331172301 Img_1491c_20210403045401  もう1つの鬼瓦には、菊の御紋章らしきものが入っています。いや、なかなかおもしろい神社でした。東名阪自動車道にほど近い、水田地帯の中に鎮守の森があります。せっかく額田神社旧跡について教えていただいたので、そちらにも回ってみることにしました。

Img_1518c_20210331172301 Img_1531c_20210331172301  神社から東へ直線距離で200mほど、増田の町の中に増田集会所があります。氏子の方の話では、この敷地内に「額田神社御旧跡」の石碑があるということでした。探したら、建物の裏手にひっそりとそれは建っていました。ここが、旧増田村の中心ということで、神社があったものと思われます。なお、集会所の敷地内には地蔵堂もありましたが、詳細は分かりません。

Img_1554c Img_1565c_20210331172301  増田集会所から再び西へ。額田山源流寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。このお寺の詳細については、調べた範囲ではよく分かりませんでしたし、「桑名市史 本編」にも出て来ません。以上で、当初の目的地はコンプリートしたのですが、初めにも書きましたように、増田の額田神社でお目にかかった氏子の方から、額田神社(本社)についても話を伺い、興味が湧いてきました。別の機会に行こうと思っていたのですが、この時点でまだ10時40分。額田神社までは、さほど遠くはありませんでしたので、お参りすることにしました。その前に、在良駅のすぐ東、東名阪自動車道の高架下に地蔵堂があると「くわな史跡めぐり」にあったので、見に行ったのですが、見当たりませんでした。

Img_1740c_20210331172401  左の写真は、濃州道沿いに建つ額田神社の社号標。右面には、「従是三丁五間」とあります(336mあまり)。明治14(1881)年10月28日の建立(写真は、額田神社にお参りし、在良駅に向かう途中で撮影)。

Img_1612c_20210331172301 Img_1621c_20210331172301  額田神社は、上の社号標のところから北にあります。北勢線を越えたところには額田神社の常夜燈。さらにそこから、長い参道を歩いて、前方の小高い丘の麓まで行きます。

Img_1720c_20210331172401  スタートから6.8㎞、時刻は10時55分。額田神社に到着。延喜式内社。御祭神は、意富伊我都命(おおいかつのみこと、おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖、天津彦根神の孫)、天照大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと)。第19代允恭天皇の頃(440年)、奉斎されたといいます。ちなみに、額田部氏は大和の額田郷から移住してきた一族で、付近には小さな古墳がいくつかあったという伝承があります。その他、増田の額田神社のところに書いたとおりです。

Img_1668c Img_1694c_20210403115201  額田神社には、一本松竜王社、火産霊社、猿王社、春日社、座(蔵)王社などの境内社がありました。一本松竜王社(額田山一本松御魂竜神(黒竜神))、火産霊社(八天宮、相殿秋葉山本宮神)および猿王社(猿の御魂)、春日社(春日明神四座(武甕槌神経津主神天児屋根神比売神))は、本殿に向かって右に(左の写真)、また、座(蔵)王社(広国押武金日命(安閑天皇)素戔嗚尊宇迦之御魂神市杵島比売神)は向かって左に(右の写真)御鎮座。それぞれ説明があります。

Img_1700c_20210403123501  さらに、境内にはこちら。いったい何か、見ただけではよく分からなかったのですが、説明には、「この一本松(群・村の境界大木)は道路開発により伐採されじ来(?)当神社に根幹を保存しておりました。永年の風雨雪により朽度甚だしく今度大地に返すことと<以下不明>/尚 御<不明>奉斎しています」とあります(一部、墨書きが薄れ、読めません)。

Img_1753c_20210403124201  額田神社にお参りを終えて、11時5分頃。急げば、11時15分在良駅発の西桑名行き電車に乗れます。員弁街道に出て、上に載せた社号標を見て、在良駅へ。左の写真は、額田神社の社号標のあるところから、在良駅方面の員弁街道を見たもの。

Img_1756c_20210331172401 Img_1760c_20210331172401  三岐鉄道北勢線・在良駅。東名阪自動車道の高架下にあります。11時10分をわずかに過ぎた頃、到着&ゴール。無事に11時15分発の電車に乗れました。西桑名駅までは、4駅、¥210。11時26分に西桑名駅に到着。

Img_1803c_20210331172401  この日のALKOOによる歩数のデータ。17,884歩。現地で歩いたのが7.6㎞、自宅から西桑名駅までの往復が2.3㎞、合計9.9㎞を歩いた結果。

河口堰、サギ山そして「緑の桜」チェック

Img_3437c_20210403155101  ようやく天気は下り坂のようです。今日は終日ほぼ曇り。気温は、19℃ありますが、風もけっこう吹いており、湿気もあるようで、あまり快適な気候ではありません。ずいぶん久しぶりに河口堰と、県境を越えて弥富のサギ山を見てくることにしました。また、もう一つ、ソメイヨシノがそろそろオシマイですから、緑の桜をチェックしてこないといけません。ということで、長島、弥富、桑名とあちこちを回って来たという次第。冒頭の写真は、お昼前のマイソメイヨシノ。かなり散ってきています。

Img_2792c_20210403155001 Img_3023c_20210403155101  まずは、長良川河口堰。調べて見たら、昨年12月6日以来(2020年12月6日:某池公園、ミコアイサはいなかったものの、チョウゲンボウ、ミサゴと猛禽を見られました……久しぶりにプチ遠征)、4ヶ月ぶり。今の時期、カモたちはもう帰って行っているでしょうし、サギたちも繁殖期でサギ山に移動しているでしょうから、あまり期待はしませんでした。ちなみに、今年は、2月12日午後にアユの初遡上が確認され(こちら)、吹き流しは、「アユのぼり」になっています。

Img_2798c_20210403155101 Img_2833c_20210403155101  今日見られた鳥を順番に。東側の魚道、上流・下流ともコサギが1羽ずつ。コサギは、西側の魚道付近にも10羽以上いました。カモ類は、見た限りでは、キンクロハジロのみ。17羽。堰の下流側に、2箇所に分かれていました。

Img_2984c_20210403155101  堰の上・下流側ともにカンムリカイツブリが数羽ずつ。ちょうどうまい具合に夏羽への冠羽状況が違う個体が並びました。題して「夏羽冠羽三段活用(笑)」。ユリカモメのガングロ化を見ても同じですが、けっこう個体差があるものです。

Img_2878c_20210403155101 Img_2916c_20210403155101  堰の西側に来て、ダイサギ。ダイサギはこのほか、数羽。西側のせせらぎ魚道の上流側にダイサギ、コサギが合わせて20羽ほど集まっていました。カワウも混じっています。餌になる小魚が通るのでしょう。ただし、少し近寄ると、逃げてしまいますので、狩りの様子は見られませんでした。

Img_2925c_20210403155101 Img_2970c_20210403155101  その近くにアオサギが1羽のみ。堤防上から見ているだけで、餌取りには不参加。親水広場の方も回って来ましたが、めぼしい鳥は、ツグミのみ。合わせて6羽。ヒヨドリは多数。あちこちで賑やかに鳴いています。他には、ハクセキレイが1羽、スズメ。ツバメが1羽、飛んで来ていたくらい。

Img_2963c_20210403161201  伊勢大橋の架け替え工事、続いています。桑名市のサイトによれば、「橋脚15基の内、11基完成。現在3基施工中」ということです。

Img_3041c_20210403155301 Img_3164c_20210403155201  続いては、県境を越えて(とはいえ、ほとんど人には会わず)、弥富野鳥園へ。駐車場にクルマを置いて、その近くのサギ山のチェック。けっこうな数のアオサギのペアが集まってきていました。

Img_3033c_20210403155101  見えた限りで、その中にゴイサギが1羽(1組)混じっていました。

Img_3133c_20210403155201  現在は、巣作り真っ最中という感じ。アオサギは、オスImg_3066c_20210403155201 が巣材を見つけて巣に運んで、メスがそれを受け取り、巣をつくるといわれています。ヨシなどの草本の茎や木の枝を組み合わせた、皿状の巣ですが、見た感じでは割とラフなつくり。見えた範囲には、まだヒナはいませんでした。

Img_3086c_20210403155201  巣材は、結構大きく、取り扱いに苦労しているような様子も見られました。大きなものをもってきた方が、メスが喜ぶなどということがあるのでしょうか? だとすれば、オスもつらいところ(笑)。上記のように、巣作り真っ最中で、ヒナはいない感じでしたので、短時間で撤収。

Img_3259c_20210403162601 Img_3221c_20210403155101  続いて、3箇所目は、なばなの里の某駐車場。ここの西側に緑色?の花が咲く桜があり、去年も見に来ています。種類が今ひとつはっきりと判断できないままでした。今日見た限りでは、これらの桜は、すべてウコン(鬱金)であろうと思います。花の色が緑というよりは黄色に近いこと、開花して時間が経ったと思われる花は白くなっていること、さらに時間が経った花では、ピンク色を帯びてきていることから(庭木図鑑 植木ペディアなどを参考にしました)。

Img_3271c_20210403155101  同じところに、八重咲きでこのような花が咲く桜があります。「源平咲き」で咲く桜があるのか調べたのですが、個人のブログなどでは「源平咲き」と称しているものはあるのですが、専門家が解説しているサイトでは「桜の源平咲きは知られていないが、可能性まで否定するものではない」とあります(たとえば、こちら日本植物生理学会)。白い花もうスクピンク色が残っている感じですし、花がかなり開いています。濃いピンクで咲いて、時間が経つと色が薄くなっていると見るべきでしょうか。

Img_3304c Img_3318c  さらにもう1箇所。藤が丘デザイン公園。公園駐車場が満車でしたので、目の前の藤が丘小学校にクルマを置かせてもらいました。まず、左の写真の桜は、御衣黄で間違いないと思います。その他、ここには、3本、「御衣黄」という名札が架かった桜があります。左の御衣黄のとなりの木には、右の写真のような花。こちらはウコンでしょう。九華公園で会う散歩友達の方が、「デザイン公園で御衣黄と書いてあるのはほとんどウコン。間違ってる!」と憤っていたことがありました。

Img_3348c Img_3361c_20210403155201  丘の中腹にも2本、御衣黄と名札がついた木があります。あれこれ眺めてきましたが、これらもウコンと見た方がよいと思っています。ちなみに、御衣黄、ウコンともにオオシマザクラ系サトザクラで八重咲きの品種。開花時期は遅めで4月中旬ころ、葉も同じころに展開。現象レベルで、違いをあげるならば、御衣黄は、花の色が貴族の衣服の萌黄色に近いことに由来。花弁は肉厚で外側に反り返り、開花時には緑色。その緑色は次第に薄れて黄緑色から黄色に変化し、咲き始めには目立たなかった花の中心部にある紅色の条線が次第に赤みを増していきます。一方、ウコンの名前は、「鬱金色」に由来します。御衣黄と同じく花弁に葉緑体が含まれるのですが、その量が少ないため緑色が弱く、淡黄色。花弁は御衣黄ほどは厚くはなりません。

Img_3333c_20210403155201  ということで、今日は、4箇所をあれこれチェックして回ったという次第。明日は、朝から終日、雨の予報。「花散らしの雨」になってしまうでしょう。

2021年4月 2日 (金)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その2)……山神社、蓮花寺、白山神社・蓮花寺西城跡、蓮華寺東城跡、宇賀神社、宇賀遺跡

210331nisibessho2 3月31日に行ってきた“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の本編その2です。その1では、西別所の八幡神社まででした。今回は、蓮花寺地内を巡った話し。地蔵堂のところで、員弁街道は城下橋を渡り、蓮花寺川の南を進みます。私は、そのまま蓮花寺川に沿って西へ。川は北へ向かいますが、直進。三岐鉄道北勢線・蓮花寺駅の北あたりで右折し、山神社、蓮花寺、白山神社(マップのもとにしたキョリ測では、宇賀神社となっていますが、そこは白山神社です)、蓮花寺東城跡を見てから南へ、宇賀公園にある宇賀神社にお参りして、宇賀遺跡があったところへ。  

Img_1249c_20210402065301 Img_1252c_20210331172201  蓮花寺川沿いの景色。向こうに見えているのは、在良小学校。よく晴れて見通しも利き、川沿いで広々としていて、とても気持ちよく歩けました。蓮花寺駅の北あたりで右折しましたが、そこに地蔵堂と、個人の方の慰霊碑。陸軍一等歩兵として従軍され、亡くなられた方のもの。碑陰は確認しませんでしたが、日清戦争か、日露戦争のものかと見ました。

Img_1262c_20210331172201 Img_1274c_20210331172201  スタートから2.9㎞、9時半過ぎに山神社。事前の調べでは、由緒もある神社でしたので、もっと立派なものを予測していました。御祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ、山を司る神)。正親町天皇の天正年間(1573~92年)以前の創始だそうです。蓮花寺村宇賀の城山(あとから訪ねる白山神社あたりか?)に内山源吾が城主として居城し、奉祀したといいます。天正年間、織田勢に滅ぼされたものの、その後も氏子の方々が「山の神」と称し、祭祀してきました。民家のまん中にあり、ブロック塀に囲まれた神社というのも珍しいのですが、氏子の方に祭祀されてきたというのが、よく分かる気がします。次の目的地、蓮花寺は、山神社のすぐ裏なのですが、細い道にクルマが止まっていたりして、結局、回り道。

Img_1286c_20210331172201  回り道をしたお陰で、「珍百景」に遭遇。普通のお宅と思うのですが、庭にスワンボートが置いてある光景。建物の中にも、富士山のような形のものが置いてあるのも見えました。「ナニコレ珍百景」に相当しそうな感じがします。

Img_1294c_20210402175901  このお宅のすぐ先に鳥居があります。この写真を撮った方からくぐるようになっていますので、このあと行くつもりの白山神社のものと思われます。大正9(1920)年の建立。車が通るには不便な気がします。この鳥居をくぐってすぐに右手に入る細い道があり、そこを行くと、蓮花寺でした。

Img_1297c Img_1306c_20210331172201  総仏山蓮花寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。第二次世界大戦までは、総仏堂という説教所でした。在良村郷土誌によれば、蓮花寺先々代の紀伊浩洋は、漢籍で名高い人物であったそうです。堂は、先代が昭和33(1958)年に建て変え、旧村名(蓮花寺村)をとって総仏山蓮花寺と名づけたといいます。寺にある鐘は、戦時中に金属供出として出されたもの(今は、中里ダムの湖底に沈んだ深尾山薬王庵の持ち物)を譲り受けたといいます。かつてこの近くには、地名の語源となった「蓮華寺」がありました(ここ蓮花寺とは別の寺。蓮華寺は、後述の白山神社の西北西あたりにあったといいます)。蓮華寺村も、寺も、鎌倉時代にはかなり繁栄したそうですが、住宅開発に埋もれ、蓮華寺の寺跡は窺い知れません。蓮華寺には、無住国師(むじゅうこくし、あるいは、無住道暁(ムジュウドウギョウ))が住み、正和元(1312)年、87歳で没したといいます(異説あり)。無住国師は、臨済宗の僧で、中世文学の説話として代表的著作「沙石集」、「聖財集」、「雑談(ぞうだん)集」などを著しました。

Img_1313c_20210331195001 Img_1320c_20210331172201  蓮花寺からさらに坂を登っていくと、白山神社に出ますが、その手前に白山会館と小公園があり、そこに見事なソメイヨシノ。ちょうど満開。花見の名所にはほとんど行きませんが、こういうところで思いがけず、見事な桜に出遭うのもまたよし、という感じ。

Img_1328c_20210331172201  白山神社です。私がいつも使う「キョリ測」には、ここに、白山神社と宇賀神社があるとなっていますが、由緒書きによれば、ここに鎮座するのは白山神社。宇賀神社は、ここから南150mほどのところにあると書いてありました。

Img_1332c_20210331172201  白山神社の御祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神。水を恵み、ものごとの和合・仲介・招福の神)。由緒書きによれば、白山権現菊理姫社と称し、正親町天皇の永禄年間(1558~70年)以前からあったといいます。境内社には、津島神社、火産霊社が、また、別宮には、護国神社があります。ここ、白山神社があるところは、蓮花寺西城(城山城)跡といわれ、内山源吾正則が居城したといいます。織田信長に滅ぼされています。現在、城の遺構はありません。

Img_1397c_20210331172301 Img_1407c  白山神社の北に神田池という大きな灌漑池があります。その南の端あたりが、蓮花寺東城(宇賀城)跡といわれます。蓮華寺東城には、後藤庄左衛門氏篤が居城しましたが、こちらも永禄年間に織田信長に滅ぼされています。城の遺構は、ここもありません。何となくもの足らない気もしますが、やむを得ません。

Img_1419c_20210331172301 Img_1423c  蓮花寺東城跡から白山神社の南にある宇賀神社を目指します。宇賀神社は、宇賀公園の中。このあたりで、スタートから4㎞、10時頃。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神霊)。ここも創始は不詳ですが、正親町天皇の御代(1557~86年)以前と伝えられ、蓮花寺西城(城山城)主・後藤庄左衛門の崇敬が厚かったといいます。この公園で小休止。

Img_1441c_20210331172301  宇賀神社の南あたりが宇賀遺跡。公園の南にある住宅地から、コミュニティバスの「マザック前」停留所のあたりにと思われます。縄文時代から中世にかけての複合遺跡です。弥生時代の遺構からは、井堰が見つかっており、稲の穂積みに使う木包丁も出土し、稲作が行われていたと考えられています。

 今回は、短めですが、キリが良いのここまで。その3では、額田神社(本社、増田)、額田神社旧跡と源流寺。

アゲハチョウに「桜シメ」、ナンジャモンジャも咲く

Img_2680c_20210402163101   今日も21℃と暖かくなりました。いつも通り、7時半から散歩。昼前に1つ済ませたい用事があったので、ちょっとショートカットして、住吉神社、九華公園、内堀公園、京町、寺町と回り、10時には帰宅するつもり。だったのですが、こういうときに限って、途中で散歩友達に出遭って、話し込むということになります。昔流行ったマーフィーの法則のようなもの(苦笑)。結局帰宅は10時半。しかし、寺町で出遭ったのは、出遭うと「吉日」とするOさんですので、これはラッキー。話題が豊かで、話しはおもしろく、示唆に富むのです。11時前に再び出かけ、用事を済ませてきました。写真は、途中、内堀公園で見つけたアゲハチョウ。

Img_2406c_20210402163201 Img_2575c  相変わらず、野鳥はいません。あちこちにいるのは、ヒヨドリ、カワラヒワ、ムクドリなど。スズメは少し前、よく見たものの、このところあまり見なくなりました。たぶん繁殖活動中。卵を抱いているような気がします。ジョウビタキは見なくなりました。カワラヒワの写真は、九華公園の相撲場近くにて。ツグミは、九華公園・朝日丸跡にて。

Img_2761c_20210402163101  今日は、朝出がけにも、10時半に帰ってきたときにも、住吉入江にカンムリカイツブリがいました。この写真は、帰宅したときのもの。朝は、他に、オオバン1羽と、ヒドリガモのオスが1羽、メスが2羽いました。

Img_2464c_20210402163201  九華公園の奥平屋敷跡。シロハラは一瞬登場しただけで、写真はなし。ずっといたのは、シメ。今日は、珍しく、ソメイヨシノの木へ。花を食べているようにも見えました。奥平屋敷跡に今日、他に来たのは、カワラヒワ、メジロ(松の木の中におり、鳴き声のみ)、ドバト、キジバトくらい。

Img_2560c_20210402163201 Img_2586c  カモたちは、40羽。ほぼ例年のこの時期並。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモはオス2羽、メス3羽、他はキンクロハジロ。ユリカモメは、短時間、3羽のみ飛来し、すぐにいなくなりました。

Img_2696c_20210402163101  京町で、イソヒヨドリのメス。イソヒヨドリは、朝方、我が家近くで鳴き声がよく聞けますが、姿を見たのはずいぶん久しぶり。とくに、メスは何ヶ月かぶりです。

Img_2421c_20210402163201 Img_2665c_20210402163101  さて、野鳥以外の話し。今日も、散歩に出た頃は、風が弱かったので、桜の水鏡を狙ったのですが、イマイチ。風がないので、散った桜の花びらが流れず、あたりにそのまま漂っているのです。したがって、花筏もうまく流れず。「遠山のカメさん」も、今日は現れず。

Img_2748c  花筏といえば、結局、帰り際、拙宅近くの住吉入江で撮ったものの方が、まだマシ。諸戸氏庭園の前、玉重橋の上から撮ったもの。奥に小さく写っているのは、カンムリカイツブリ。

Img_2715c Img_2720c  桜の景色も、パターンを変えようとあれこれ試したものの、なかなか難しい。これらの2枚は、住吉入江の南の端で撮ったもの。左の写真では、散った花びらが一面に広がっていますし、右のものでは、模様をなしていました。

Img_2729c_20210402163101  なかなかおもしろいものがありませんので、花びらを拾い集め、自分で花吹雪をつくったのですが、これもねぇ(爆)。パッとしません。頭と身体を柔軟にしなくては(身体については、さまざまなアングルや場所で撮影できるようにということ……苦笑)。

Img_2606c Img_2611c_20210402163101  ところで、鎮国守国神社では、ナンジャモンジャが咲いています。去年は、4月16日のブログに載せていますので(2020年4月16日:九華公園でコゲラの巣2ヶ所、貝塚公園で今シーズン初のトンボ)、今年は咲くのが早いのでしょう。

Img_2627c_20210402163101  同じく、鎮国守国神社の境内では、シャガも咲き始めました。帰ってきて、ご近所の奥さんに出会って話をしたのですが、やはり「季節感がおかしくなりそう」とおっしゃっていました。ホントです。

Img_2743c_20210402163101  今日は、非常勤先の助手の先生からメールをいただきました。今年も昨年度までと同じ先生にお世話になります。お世話になるというのは、レジメなどの印刷や、授業のときのプロジェクターなどの準備についてです。4年前からお世話になっており、5年目。私の授業には不可欠の存在となっています。4月4日に入学式が予定されているのですが、このところ三重県でもまた新型コロナ感染者数が増えている感じで(昨日は24名、今日は26名)、クラスターも発生しています。どうなるか、何とも気になります。

2021年4月 1日 (木)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その1)……西別所駅をスタートして、延寿院、万機庵跡、照林寺、員弁街道から西別所の八幡神社へ

210331nisibessho  3月31日の“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”の本編その1です。この日は、陽気もよく、桜も満開でしたから、このテーマで歩いてきたという次第。今回も、「くわな史跡めぐり」を参考に自分でコースを組み立てています。この本の濃州道のところを見ています。濃州道は、去年、桑名から員弁まで歩き通しましたが、街道から離れたところは訪ねていません。そこでそうした見ていないところへ行こうというのが企画の趣旨。「くわな史跡めぐり」を参照しながら、「キョリ測」でコースを描いていきます。そうしてつくったものが、冒頭にあるマップ。キョリ測は、本来、距離を測定するサイトなのですが、このようにルートマップ作成にも応用できるのです。描いたものをPrint Screenで取り込んで、Paintに貼り付け、Corel Paint Shopでトリミングして、またPaintで距離数や訪ねる場所の説明を書き込んでいます。詳細マップも同様にしてつくり、プリントして持って歩いています。

 この日は、三岐鉄道北勢線で西別所駅まで行き、そこから、延寿院、万機庵跡、照林寺、八幡神社と回ったあとで、西別所城跡を見るつもりが忘れて、蓮花寺に入りました。当初、西別所城跡は見るつもりがなかったのですが、近いことに気づき、あとから思いついて、目的地にくわえたのです。その後、蓮花寺地内で山神社、蓮花寺、白山神社、宇賀公園、宇賀神社。さらに増田に行き、増田の額田神社、源流寺、そして、額田神社の氏子の方に教えていただいて額田神社旧跡を訪ねました(増田集会所)。これで在良駅にゴールするつもりでしたが、氏子の方に額田神社(本社)の話も聞きましたので、そちらまで足を延ばしました。現地で7.6㎞を歩き、自宅から西桑名駅までの往復が2.3㎞で、合計9.9㎞。

Img_1044c_20210331172101 Img_1050c_20210331172101  三岐鉄道北勢線・西桑名駅を8時23分に出る阿下喜行きに乗車。春休み期間ですので、空いていました。1輌に2~3人の客。西別所までは、2駅。¥190。

Img_1062c_20210331172101 Img_1072c_20210331172101  左の写真は、途中、馬道駅から見た走井山公園の桜。ここには桜の木が100本ほどありますが、満開。西別所駅には、8時28分に到着。右の写真が西別所駅ですが、向かって左(南側)には辻内鋳物工業の大きな工場がありました。取り壊されて更地になっています。スタートは、8時半。

210331nisibessho1  こちらが詳細なルートマップその1。まずは、北勢線の踏切を渡って、北側へ行き、さらに国道258号線をくぐり、延寿院へ。続いて、258号線をはさんだ万機庵跡から、濃州道沿いの照林寺、地蔵堂から八幡神社へ、その後、少し東に戻って光陽希望が丘保育園近くにある西別所城跡を見ようと思ったものの、忘れてそのまま西へ向かってしまいました(苦笑)。

Img_1088c_20210331172101 Img_1101c_20210331180001  さて、まずは、国道258号線の下をくぐって、その東にある延寿院を目指します。西別所駅は、町屋川でバードウォッチングをするときに何度か降りたことがあります。また、国道258号線は、クルマで何度となく通っていたのですが、このあたりを歩くのは初めて。左の写真で向かって右に見えている地下道を通っていきます。その先がよく分からなかったので、事前にストリートビューで見たものの、延寿院に入る道は今ひとつ不確か。結局、258号線沿いの小径を進み、どん詰まりにあった、この藪のようなところの奥から入れました。

Img_1104c Img_1109c_20210331172101  その先にあったのが、「北寺駐車場」の看板。この道で間違いはなかったようで、一安心。右手の奥から少し登って、お寺の境内に入っていけました。慈眼院北寺延寿院。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観音菩薩。地元では、集落の北のはずれにあることから「北寺」と呼ばれます。延宝年中(1673~81年)、奥平貞登が観音堂を建てたのに始まります。奥平貞登の一族は、桑名藩5代藩主・松平定綱に使えて家老職を務めました。この地に山荘を建て、かたわらに小堂を建てて観音像を安置したと考えられています。享保21(元文元)(1736)年、大福田寺の住職・實圓がここを隠居寺としてから大福田寺の庵室となり、江戸末期からは尼僧によって住持されていました。しかし、檀家もなく、昭和中期には無住となり荒廃したため、西別所在住の有志によって昭和57(1982)年に本堂が修復され、また、北寺奉賛会が設立され、維持されています。

Img_1119c_20210331172101  境内には、宝暦5(1755)年に入寂した實圓と、安永5(1776)年入寂の實豊の墓碑である五輪塔2基などが残っています。左の写真で中央にある五輪塔が實圓のもの、向かって左が實豊のものです。境内には桜も咲き、ウグイスのさえずりも聞こえていました。時折、国道258号線を走るクルマの音が聞こえては来ますが、静かで落ち着いたお寺です。

Img_1125c_20210401152001  258号線をクルマで走っていただけの時は、まさかここにこのようなお寺があるとは思いもしませんでした。さらにもう一つ、蛇足。お寺のすぐ裏手には、「オレンジアベニュー」というラブホテルがあります。聖と俗、微妙な位置関係でもあります(この写真の背後に見える、白い大きな建物がそれ)。と変な感慨を抱きつつ、お参りはきちんと済ませ、延寿院をあとにします。

Img_1138c_20210331172201  再び、国道258号線をくぐって、その西側へ出ます。地下道を出たところから北を見た写真。前方の森に、万機庵跡があります。万機山蔵鷺庵(ばんきざん ぞうろあん)が正式名称のようですが、地元では万機庵、または、蔵六庵とも呼びます。「桑名市史 本編」には、「蔵鷺庵」として載っています(p.472)。もともとは曹洞宗のお寺でした。ご本尊は、観世音。明暦元(1655)年に、楊柳寺(市内新屋敷)第6世万機和尚が創建し、ここに閑居した庵跡といわれています。万機和尚は、真田幸村(信繁)の3男で、楊柳寺に在住30年。「桑名市史」によれば、桑名藩第3代藩主・松平定重公が、ここに山荘を設け、遊興したといいます。また、天正の頃の城跡で馬場の跡があることや、境内の「一本松は方二三十間にも及ぶ古木であった」ことも触れられています。1間は、約1.8mですから20間では36m、30間なら54mとなります。

Img_1148c_20210331172201 Img_1152c  それはさておき、万機庵跡ですが、上の写真の道を上り、途中から岡の方に入ったものの、岡の中は、これらの写真のような状況。「明治初めに無檀家の理由を以て廃庵となり、現在、跡地は竹林となっている」(こちら)ということは知っていたのですが、実際にかなり荒れていました。跡地には、万機和尚の墓石を含め、15基の墓石があるそうですが、見つけられませんでした。予めネットで検索したところ、最近、「送電線の鉄塔が立っているので、そこへの鉄塔巡視路はあるものの、きびしい藪と地形で、歩き回ることができず、墓石の場所は判らなかった」と書いているブログがありました(こちら。今年2月の初めの記事です)。2月1日に行こうとした高塚山古墳も、荒れていて入れませんでしたが(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))、竹林は手入れされないとすぐに荒れてしまうようです。ということで、万機庵跡に行くのは、断念。なお、墓石の写真は、このWebサイトにあります。

Img_1155c_20210401153701  ちなみに、万機庵跡を探して歩き回っていたところ、国道258号線が見えるところに出ました。見えている建物は、先ほど触れた「オレンジアベニュー」。写真の右端に森が少し写っていますが、そこが延寿院です。万機庵跡からグランデージ西別所という住宅地の北側を通って1㎞を過ぎて左折し、南下。照林寺へ向かいます。

Img_1167c_20210331172201  照林寺。真宗本願寺派のお寺。ご本尊は、阿弥陀如来。ここは、員弁街道沿いにあり、昨年3月15日にも来ています(2020年3月15日:20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編))。当時の西別所には寺がなく、明治44(1911)年、地元の人たちの懇請を受けて、萱町の法盛寺の塔頭を村の念仏道場であったここに移築して設立されました。その際、廃庵となった万機庵の建物の一部を庫裡として移築しています。さらに同庵に安置されていた阿弥陀如来像と十一面観音菩薩像も移安され、別壇に護持されているそうです。もとは、法盛寺の末寺。「桑名市史 本編(p.456)」には、「寛文10(1670)年、第2世靖南のとき、本山より寺号を許された」という記述がありますが、これは上記の念仏道場のことかという気がします。照林寺でスタートから1.3㎞、9時頃。

Img_1171c_20210331172201 Img_1174c_20210331172201  照林寺のところから次の地蔵堂のところまでは、員弁街道を歩きます。左の写真は、これから進む、西の方角。1.5㎞の少し手前、城下(しろした)橋のたもとに子安地蔵堂があります。このお地蔵様は、昔は北の台地上にあった寺(万機庵かという記述が、「歴史の道調査報告書改訂版(三重県教育委員会編集、1985年)にあります)に祀られていた地蔵といいます。廃寺になって放置されていたものが、明治初年頃か、街道安全のため現在地に移したと伝わっています。なお、「くわな史跡めぐり」に載っているこの「子安地蔵堂」の写真は誤りと思われます(他の地蔵堂の写真と間違っていると考えられます)。

Img_1190c_20210331172201 Img_1197c  地蔵堂を過ぎて、1.6㎞ほどのところで、希望が丘にある八幡神社に立ち寄るために員弁街道を離れます。天正元(1573)年、西別所城山、城下橋(子安地蔵尊のあったところ)北の山腹に八幡社があったといいます。元禄14(1702)年、その西別所城山にあった八幡社を現在地に勧請しています。明治44(19119年境内社を合祀しています。右の写真のように、かなり長い階段を登って、標高30数mのところに神社があります。

Img_1203c_20210401191501 Img_1209c_20210401191501  主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)。相殿神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神)、大山津見命(おおやまつみのみこと、山の神)、火産霊神(ほむすびのかみ、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神)。以上は、神社検索三重のサイトにある御祭神。神社の由緒書きには、菅原道真公もありました。

Img_1216c Img_1245c_20210331172201  先に書きましたが、この八幡神社は標高30数mのところにあり、眺望が利きました。この写真は、桑名市稗田から町屋川の向こう、桑部方面が見えています。ここでしばし休憩。八幡神社から再び、蓮花寺川沿いに戻り、蓮花寺方面に行きます。途中、なかなかよさげなソメイヨシノが2本、満開でした。これを過ぎて、川に沿って右に曲がっていきます。光陽希望が丘保育園近くにある西別所城跡に行こうと思っていたものの、この時はすっかり失念していました。西別所城には、北畠氏に従う矢田俊元(西別所城・額田城・蓮花寺城・安永城などを支配してお. り、桑名では有力な地侍でした)の与力、後藤弥五郎基成が居城していましたが、秀吉・信盛・長秀らの大軍の前に成すすべもなく落城したといいます。西別所城跡の遺構はないようです。毎度、「お前のブログの記事は長い」といわれますので、今回はこのあたりにて。その2では、蓮花寺地内を歩きます。

桜も散り始め、今日は水鏡と花筏、そして「遠山のカメさん」にチャレンジ

Img_1817c_20210401154501  連日の好天、よい陽気です。22℃を越えています。今朝は、訳あって家事を済ませて、8時20分から散歩を開始。ほぼいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と歩いた後、八間通から堤原へ行き、参宮町を回って11時頃帰宅。6.2㎞。暑いくらいなので、マスクをして歩いていると大変です。冒頭の写真は、住吉神社のところのソメイヨシノ。

Img_2074c  桜の写真、名所へ出かけたわけではありませんが、近所でけっこうたくさん撮りましたので、今日は、水鏡と花筏に挑戦。花筏に挑戦するということは、すでに散り始めているということでもあります。まずは、水鏡ですが、今日午前中は、3~4m/sほどの風が吹いており、条件はよくありませんでした。左の写真は、九華公園の吉之丸堀の西側エリアのところで撮ったもの。「イマイチ」どころか、「イマニ」か「イマサン」くらい。自己満足もできませんので、リベンジをはかるつもり。

Img_2150c_20210401154401 Img_2198c_20210401154401  花筏。花筏についても、場所を変え、アングルを変え、いろいろトライしましたが、この2枚がまあまあかというところ。風向き、堀の水の流れの関係で、散った花びらが集まるのは、二の丸堀の南東あたり(キッチン寿さんの前)か、奥平屋敷跡の南側の二の丸堀のところ(立教小学校の体育館の北)。この2枚は、後者の場所にて撮りました。同じところを、左の写真は東から、右の写真は西からそれぞれ撮ったもの。風があると、模様は微妙に変わります。去年、今年は新型コロナのため、堀めぐりがありませんので、船によって花筏が乱されることがないのは幸い。こちらも、さらに向上を目指しましょう。

Img_2177c_20210401154301 Img_2182c_20210401155801  ついでながら、「遠山のカメさん(笑)」。今年も登場しました。最初の時がもっともインパクトがあったような気がします(2018年4月1日:この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!(笑))。これから花が散るのも本格化しますので、もっと立派な「遠山のカメさん」を探さないと。

Img_1813c_20210401163901 Img_1841c_20210401154401  さて、バードウォッチングは、低調。我が家から九華公園に行く間に見たのは、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ドバト、ハクセキレイ、ヒドリガモ、カワラヒワ。ハクセキレイのオスは、桑名七里の渡し公園にて、ヒドリガモは七里の渡し跡にて。ここで30羽ほどが上陸して草を食べていました。三の丸公園や、柿安コミュニティパーク、ツグミもいません。

Img_1899c_20210401154401 Img_1943c_20210401154401  九華公園の奥平屋敷跡で、シロハラ1羽。今日はいつもより、50分ほど遅かったのと、やはり花見客や露天商の人たちなど、人が多いので、鳥も出てこない気がします。二の丸跡で、ツグミ1羽。最近は、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラはほとんど見なくなりました。また、コゲラやエナガの姿もズーッと見ていません。

Img_2114c_20210401154401 Img_2109c_20210401164101  カモは、47羽。ハシビロガモのオスが3羽、メスが2羽、ヒドリガモが2ペア、残りはキンクロハジロ。ホシハジロのオスは、すでに帰ったと思われます。

Img_2021c_20210401154401 Img_1993c_20210401154401  今日は、4月になったのに、珍しくユリカモメが19羽。吉之丸堀の東側に浮いていました。右の写真のように、ほぼ100%ガングロ化したものもいますし、その途中のものも1/3くらい。

Img_1899c_20210401154401 Img_1943c_20210401154401  貝塚公園では、シロハラ1羽に、ツグミ3羽。他には、カワラヒワ、ムクドリなど。何年か前にはもっといろいろといたのに、ちょっと淋しい気がします。貝塚公園には、池はあるものの、水が入っているのは見たことがありません。水場があるともっといろいろと来るような気がします。

Img_2271c_20210401154301  ところで、帰りに堤原に寄ってきました。ネットであれこれ見ていたら、堤原にお寺があったという話を見つけたのです(こちら)。北桑名神社の南側、北勢堂の隣です。護持山安龍院(ごじさん あImg_2283c_20210401154301 んりゅういん)という曹洞宗総持寺派のお寺があったといいます。ご本尊は、子安地蔵菩薩でした。現在は、更地になっていて、墓石や五輪塔が置かれていました。開基は、寛永年間(1624~44年)、海蔵寺第2世天室和尚で、桑名藩初代藩主・松平定綱公により創建されています。天正15(1587)年に亡くなった祖父・久松俊勝の位牌を安置するために建立されたもので、その法号安龍院を寺の称号としています。久松俊勝の法名は、はじめ陽光院と諡されたのですが、50回忌の時に安龍院と改められ、その時より天和年間(1681~85年)までの間、毎年米20俵が当院に寄附されました。「桑名市史 本編(p.471)」には、「本堂なく庫裏がある」と書かれていますが、昭和20(1945)年7月の空襲で建物や仏像などすべてを焼失し、再建されることはなく、現在に至っています。

Img_2267c_20210401154301  安龍院は、海蔵寺(左の写真)の末寺。海蔵寺は、宝暦治水における、いわゆる「薩摩義士」の墓所があり、平田靭負の墓もここにあります。安龍院は、海蔵寺から西へ250m、我が家からは南西へ300mあまり(直線距離)。こういう近いところに、旧跡があるものなんだ、というお話し。

Img_1806c  4月になりました。新しい年度ですが、非常勤の授業開始は、14日(水)。8月初めの定期試験まで16回の予定。対面授業ですが、新型コロナがまた広がりつつあるようですし、変異株も増えていると聞きます。コロナの感染状況がどうなるか、気になるところ。ワクチンもこの頃あまり話題になっていませんが、どうなのでしょう? 医療従事者の皆さんの接種率もまだまだのようです。

【付記(4/1夜)】 今日、三重県の新型コロナ感染者数は、24名でした(こちら)。少しずつ増えてきています。昨日は、19名でした。何となく、イヤな数値です。

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  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

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    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

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    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

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    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

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    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

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    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)