20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編)
午前中は晴れ間もあり、雨は夕方以降という予報でしたので、またもや勝手にハイキングを挙行しました。「くわな史跡巡り」にあった「諸戸水道・駅西コース」を参考に“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”と題しました。全体のコースマップは、冒頭の画像の通り。一応、スタート&ゴールを桑名駅に設定。当初のマップ上では、5.5㎞の計算でしたが、実際に歩いたのは7.2㎞となりました。桑名駅東口から、桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、徳成農園跡、走井山公園・勧学寺、上野御膳水、上野神社、上野墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城址、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回り、桑名駅西口がゴールです。桑名駅東口を7時35分にスタート、西口にゴールしたのは10時30分過ぎ。その後、アピタの新光堂によって文庫本を2冊購入して帰宅。自宅から桑名駅往復が、3.1㎞でしたので、今日歩いたのは、10.3㎞。ALKOOのカウントでは、18,877歩。今日のところは、予告編。
桑名駅東口をスタートして南へ。三岐鉄道北勢線・西桑名駅の前から北勢線の線路沿いに進み、北勢線、JR関西線、近鉄名古屋線の線路を横断し、駅の西側へ。この踏切は、北勢線のナローゲージ、JR関西線関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌の3つの幅の線路を渡ることができる、日本で唯一の踏切。
スタートから700mで桑名神明社。由緒書きによれば、創始は、応永年中(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時地域の神社を合祀したといいます。境内に末社として、稲荷社の他、稲田社、山の神社、八天宮があります。
道を渡り、少し西にあるシェルメール桑名東方というマンションのすぐ東の細い道を入って行きます。細い道を入って100m足らずの東側に「諸戸水道水源井」があります。実は、これを見るのは初めて。前から見たかったところの1つ。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。
スタートから1.1㎞で、蓮華山養泉寺。真宗大谷派のお寺。願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年に来ています。保育園の工事が行われていたようで、お参りは遠慮しました。
養泉寺のすぐ西に諸戸水道貯水池遺構があります。が、そこに行くまでには、ちょっとした登り坂。
初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、桑名町周辺に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。
諸戸水道貯水池遺構から南に100m足らずのところに万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。薩摩義士・和田善助の墓があるというのですが、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、ついつい遠慮し、本堂の写真を撮っただけ。個人的には、寺社仏閣は、いろいろな人にオープンになっていた方がありがたい気がします。
長禅寺から徳成農園跡がある徳成第一公園に行く前に、諸戸徳成邸跡を見てきました。諸戸家墓所はそのまま残っていましたが(右の写真)、他は、高級住宅街に変貌していました。諸戸徳成邸は、4年ほど前に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。
長禅寺から走井山公園に行く途中にある徳成第一公園に徳成農園跡があります。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。「徳成農園之記」(大正11(1922)年4月建立)がありました。
徳成農園跡から200mほどで走井山公園・勧学寺に到着。ここも桜の名所で、100本以上の桜がありますが、まだごく一部で咲いているだけでした。何度も訪ねているところです。
こちらは勧学寺の本堂。このあたりには、戦国時代、矢田城があり、織田信長に滅ぼされたのですが、桑名藩主・松平定重により跡地に本堂が再建されました。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。公園内には、江戸時代からの庚申塔群があります。
馬道駅の方に下る途中、「伝村正屋敷跡」という看板が立っています。村正は、このブログにも何度も登場していますが、伊勢国桑名の刀工で、室町時代中期以後、代々活躍しています。走井山観音堂のあたりに住んでいたと「勢桑見聞略史」にあるそうです。馬道駅の北にマンションがありますが、そのあたりに屋敷があったと推測されています。
走井山から北勢線・馬道駅の方に下り、踏切を越えて西へ。もう一度踏切を渡って、北勢線の線路の北側を進みます。スタートから2.6㎞のところに「上野御膳水(うえのごぜんみず)」があります。背後の上野の丘から湧き出た水です。江戸時代、桑名藩主の飲料水として、毎日、桑名城まで運ばれたのが、ここ上野の湧水なのです。そのため、「御膳水」と呼ばれます。以前は、筧から水が流れ出ていたそうです。
御膳水から西へ200mあまり、上野の集会所の奥に上野神社があります。建御雷之男神ほか6柱が祀られています。
上野神社からは少し戻って、竹林の中を登っていきます。3㎞を過ぎたあたりに、上野墓地があります。ここは、通称「十念寺山」といい、慶長の町割で伝馬町近くに移転した十念寺が持つ墓地。十念寺は移転したとき、面積が不足したため、藩主に願いこの一部を賜ったのです。十念寺住職などの墓があります。お墓というと、気持ち悪いと思われる方も多いかも知れませんが、最近の私は平気です。自分のところには、墓はないのですが、どこに誰の墓があるとか、いつ頃の墓か、何が刻まれているかなど興味が尽きません。ちなみに、寛政、文化、文政など江戸時代の元号が刻まれた、古い墓が多数ありました。
上野墓地を過ぎて、スタートから3.4㎞ほどのところに井坂山冷水庵があります。開基は不詳ですが、曹洞宗で、海蔵寺の末寺。虚空蔵菩薩を本尊とします。現在の本堂は棟札によれば文化 13(1816)年4月に建てられたもの。境内に阿波国出身で桑名藩校進脩館の副教をつとめた佐父理希亮(1774~1820)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」があります。また、その傍らには、妻・柔の墓もあります(妻の墓は、写真に向かって左手の奥にあるもの)。
冷水庵の北西には南大山田神社。元は、八幡社。または、八角形の石が夜光を放ったので、それを祀るという説もあるようです。
ここの境内には、桑名では珍しいのですが、「両宮遙拝所」があります。両宮は、もちろん伊勢神宮の外宮・内宮。文政年間(1818~1831年)の建立。
南大山田神社のすぐ西に太夫の大楠があります。その幹廻り約は10.8m、樹高が約 27m あり、市の天然記念物になっています。かなり大きいのです。元は6本あり、「六本樟」といわれました。神木として祀られます。戦国時代、この楠に隠れて助かった三河の武士の母が、楠が枯れたとき、感謝して植えたものが、現在のものといわれます。
大楠から北へ200mほどのところに増田神社。伊勢神宮に参拝できない人のかわりに神楽を奉納する「伊勢太神楽(国重要無形民俗文化財)」の本部。毎年12月24日に増田神社境内で伊勢太神楽が行われます。
西桑名神社。江戸時代には八幡社でした。主祭神には品陀和気命(応神天皇)を祀ります。由緒書きによれば、勧請年月は不明であるものの、西方城主であった加藤勘助が崇敬していた八幡宮を祀り、その祈願所であったといいます。天正年間以前の創始と考えれており、長島一向一揆の時の兵火に焼かれた東明山海善寺の再興後、同寺の修験職がこの八幡社に奉祀したといいます。
西桑名神社からさらに西に向かいます。350mほどのところに西方配水場があります。ここは、滝川一益が、永禄年間(1558~1569年)に矢田城を落とした後、家臣の加藤勘助に城を築かせ、在城させた西方城の跡とされます。西方城は、天正11(1583)年、滝川一益が転封後に廃城となっています。現在は、配水場の他、竹林、畑に変わっています。竹林内に土塁らしきものが残っているそうですが、そこまでは行っていません。
西方城跡の北西に西方寺。「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基したそうです。ご本尊も同年のものが伝わっています。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。
西桑名神社の方に戻る途中に「笹山溜池公園」があります。ここがおそらく西方廃寺の跡。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。
この笹山溜池公園には、加藤久米四郎の顕彰碑がありました。加藤久米四郎は、明治17(1884)年ここに仕方に生まれ、明治33(1900)年、大志を抱いて16歳で上京。明治40(1907)年、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、大正6(1917)年、政界入りし、大正9(1920)年に衆院議員初当選。以来、7期連続務めています。先日の美濃街道ハイキングで見てきた「参宮国道碑」は、この加藤久米四郎の書によります(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。
最後の目的地である東明山海善寺までは、西方廃寺跡からは、すぐ。元木観音とも呼ばれているようですが、かなり荒れています。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます。ここまででほぼ6㎞。あとは梅園通を下って、桑名駅の西口に向かいます。
今年2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねた円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺の辺りを通って行きます。
ゴールに設定した桑名駅西口には、10時半過ぎに到着。冒頭にも書きましたが、スタートからは7.2㎞、ほぼ3時間でした。ちなみに、今日は高低差がかなりあるところを歩いてきました。桑名駅あたりは、海抜ほぼ0m(けっこう低いのです。伊勢湾台風の時もかなり長い期間水に浸かったと聞きます)。キョリ測で見ると、右の画像のように、最高点は89mでした。距離はホドホドでしたが、高低差がありましたので、かなりの運動量でした(苦笑)。詳しい記事は、また明日以降ボチボチと書きます。
帰りには、アピタ桑名店にある新光堂書店に立ち寄り。時代小説の文庫本2冊を購入。ついでにNTNシティ・ホールの薄墨桜の様子をチェック。
余談ですが、拙宅&諸戸氏庭園前にあるマイ・ソメイヨシノ、今日、開花しました。かなりの古木であるのですが、まだ元気です。
【オマケ・昨日のシカの角の値段】 昨日の記事の末尾に書きました「シカの角の値段」。家内が見てきたのは、津市にある道の駅美杉。そこで、¥3,000で売っていたそうです。さて、買う人があるのでしょうか。
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コメント
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ひらいさん、おはようございます。
ひらいさんと知り合ったきっかけが、諸戸徳成邸の見学会でした。
ネットで検索したら、ひらいさんのブログ記事に行き当たり、勝手に引用させていただきました m(_ _)m
マンションが建つという話でしたが、諸戸関係の住宅会社が住宅地(かなり高級な雰囲気)を開発し、すでに住んでいる方もたくさんあります。
徳成邸は、諸戸家の墓所だけが残っています。
走井山は丘陵地になっていて、桜がまたきれいですし、勧学寺の鐘撞き堂からはサクラの花越しに北勢線の電車が撮影できます。
ソメイヨシノは、次の週末でしょうね。
投稿: mamekichi | 2021年3月21日 (日) 08時54分
mamekichiさん、おはようございます!
諸戸水道、諸戸邸、とても懐かしい所です、既に住宅街になっているんですね、保存活動も活発だった記憶が有りますが、維持費も掛かりますし仕方ないかなと思います。走井山公園も桜が綺麗に咲くと聞いたことが有ります。
河津桜もほぼ終了、ソメイヨシノは咲き始めましたが、今週はまだ早い感じですね、来週週末が楽しみです。
投稿: ひらい | 2021年3月21日 (日) 08時42分