20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」)
3月20日の勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」の本編その3です。いつもながら、長々と書いていて、恐縮です。その2では、詳細マップその2の一部が残ってしまいました。冷水庵にて、桑名藩校進脩館の副教をつとめた佐父理希亮(1774~1820)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」を見たところまででした。今回は、南大山田神社から。南大山田神社には、9時20分頃到着。スタートから3.6㎞ほどです。
南大山田神社。元は太夫村八幡社でした。「桑名市史 本編」にも、「八幡社 太夫村」として記述されています。この八幡社は、明治41(1908)年10月に西桑名神社に合祀され、合祀した新しい神社を南大山田神社といいました(このあと訪ねた西桑名神社の由緒書きによる)。その後、第二次大戦後に分祀されたのではないかと思いますが、ネット検索では情報が出て来ませんし、神社検索(三重)にもリストアップされていません。鳥居にある扁額には「八幡社」とありますが、鳥居脇の社号標の正面には「村社 八幡社」、右面には「南大山田神社」とあります。詳細は不明。由緒書きもありません。右の写真がお社。秋葉神社などによくあるようなタイプ。八幡社ですから、御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、すなわち応神天皇です。なお、「桑名市史 本編」の説明では、「口碑(こうひ:昔からの言い伝え)に本社の神霊は附近岩ヶ谷に八字形を印した石で夜光を放ったのを祀ると云う」とあります。
拝殿の北東側には、「八天宮」と刻まれた石柱があります。かなり古びていますし、傾いていました。「八天宮」は、火伏せの神。江戸時代の文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされ、桑名員弁地方で特に信仰が多いそうです。それにしても、この石柱だけというのは、どういうことでしょう? お社があった名残か何かでしょうか?
境内には、もう一つ興味深いものが。それは、「両宮遙拝所」と刻まれた、古びた石碑。この向きからして(南南東くらい)、両宮は、間違いなく伊勢の内宮と外宮。碑陰には、「文政九年丙戌正月十五日 加藤源太夫至(?)吉」とあるように読めます。文政9年は、1826年。「加藤源太夫」というのは、伊勢大神楽の社家の一つで、平成に廃業したところと同じ名前。何か、関連がありそうな気がします。リンク先のWikipediaの説明に出て来ます(廃業した社家のところ)。謎は解明できませんが、なかなか面白い神社。サンシュユの木がたくさんあり、ちょうど満開でした。
南大山田神社からすぐ西に太夫の大楠(たゆうのおおくす)があります。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年、その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つあり、測定が難しいといいますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m。説明板では、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。
説明板によれば、昔は境内地であって、ご神木だったといいます。大楠の東に八幡社(南大山田神社)がありますから、その境内だったということかも知れません。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で、枝張りが変わって少なくなったが、勢いはあります。ちなみに、鈴鹿にある長太の大楠(なごのおおくす)は、幹周:8.8m、樹高:23mだそうですから、いい勝負(笑)。
太夫の大楠から北へ200mほど歩くと、増田神社があります。ここは、伊勢太神楽で有名。伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。
伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日;春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。これは、その時の写真。
増田神社の御祭神は、天照皇大神、建御雷神(たけみかずちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、猿田彦大神、天鈿売女神(あめのうずめのかみ)、天木綿筒神(あめのゆうづつのかみ:大海人皇子はいったん吉野に身を隠したのち、三重県北部の桑名で宿泊をした。その際、皇子の夢枕に立った神が「天木綿筒命」を名乗り、猛獣の姿に姿を変え皇子の戦勝を約束した)。由緒書きによれば、白鳳元(672)年、壬申の乱の際に大海人皇子が、吉野から桑名に逃れ、桑名郡家に泊まられたという伝えがあります。そのときに神宮を遙拝された地に、この増田神社を奉祭されたとあります。境内には、確かに、右の写真のように“神宮遙拝所”の石碑が建てられています。皇子は、その後、美濃から近江に進まれ、戦勝のあと、帰途にも桑名へ寄られたということです。ここまでで、詳細マップその2の範囲が終了。
こちらは、詳細マップその3。増田神社から市道を越えて北へ。この市道は、桑名神明社のところから続いています。このその3のマップでは、西桑名神社、西方城跡、西方寺、西方廃寺を回って、海善寺がこの日の最後の目的地となります。右の写真は、余談。増田神社の北、市道の信号交差点の北西角にあるシャッター屋さんの店頭風景。昔から、鉄人28号とスパイダーマンが鎮座しています。
9時半、スタートから4.5㎞歩いて、西桑名神社まで来ました。主祭神は、品陀和氣命(ほんだわけのみこと:応神天皇)。合祀神は、宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)、大山祇神(おおやまずみのかみ)、天照皇大神です。勧請年月は明らかでないようですが、現在の西方配水場のあるところに、滝川一益が永禄年間(1558~1570年)に,西方城を築かせた加藤勘助の祈願所であったといいます。また、この西桑名神社にも、大海人皇子(天武天皇)が白鳳年間(白鳳は、私年号)に桑名に立ち寄られたときに、ここから神宮を遙拝されたという伝説もあると由緒書きにはあります。
西桑名神社は、明治41(1908)年10月に太夫村の八幡社(南大山田神社)を合祀し、南大山田神社と称しています。昭和9(1934)年9月、西桑名神社に改称。由緒書きの補足。天正年中(1573~1591年)滝川氏の頃、既に城廓があったので、それ以前からの社であるとされています。阿部家の伝えるところによれば、海善寺はもと八幡社の別当神社でしたが、天正年中、織田氏のために兵火にかかり、堂宇旧記等すべて灰燼に帰したといいます。その後、中興の祖権大僧都繁昌院が寺を再興し、再び八幡社に奉仕したと伝わっています。海善寺は、先にも述べましたが、このあとで訪ねます。
境内には、両宮常夜燈がありました。両宮は、伊勢神宮の内宮と外宮。この常夜燈には、「寛政三亥歳霜月吉日」(1791年11月)とあります。これと対になった常夜燈は、形が異なっていたのですが、そちらには「文政」の文字が刻まれていました(写真はありません)。文政年間は、1818~1830年。一の鳥居の外側にあった常夜燈にも、「文政七申歳」(1824年)とありました(右の写真)。
西桑名神社でも一休みした後、さらに西に向かいます。西桑名神社あたりで標高は約50mでしたが、ここからさらに登っていったのです(苦笑)。この日の最高点。約90m。直線距離にして250mほどで、一気に40m登ったのは、さすがにしんどい。西方排水場のところ。このあたりが西方城跡になっています。
西桑名神社のところにも書きましたが、西方城は、滝川一益の家臣加藤勘助が築いたとされます。矢田城を中心とする西別所3城(西方城、白山城、西別所城)の1つ。天正11(1583)年、滝川一益が転封の後、廃城となりました。現在は配水場、竹林、畑に変わっており、竹林内に土塁らしきものが残るといいますが、そこまでは入って行きませんでした。
西方城跡・西方排水場から下って、西方寺に向かいます。城跡からは北東になるのですが、グルッと回って行きます。入り口に「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基し、ご本尊も同年のものが伝わっています。かつては道場で、「旧道場」「総仏堂」「阿弥陀寺」と呼ばれました。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。「桑名市史 本編」には「西方道場(西方寺)」として記載されています。
西方寺の北西側には南之広溜池があり、なかなかよい景色になっています。寺の参道には、シロバナジンチョウゲ、ユキヤナギ、レンギョウなどが咲いていて、目を楽しませてくれます。また、東から南にかけては、眺望が開けており、ナガシマリゾートまで見えました。
このあとは、西方廃寺、海善寺に向かいます。そのためには笹山溜池やマリア・モンテッソーリ幼稚園の南側を通らねばならないのですが、新しい住宅団地のところで、いささかウロウロ。幼稚園の北側に出そうになりました。詳細マップその3には描いていませんが、コースミスを少ししでかしました(苦笑)。気づいて戻って迷子になるという事態は避けられました。
西桑名神社の北東側に、道を1本はさんで、笹山溜池公園があります。ここがおそらく西方廃寺の跡(以前は、標識が建っていたようですが、今はありません)。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです(こちらを参照)。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。西方窯跡は、現在は、マリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内のようで、立ち入りはできません(こちらを参照)。
この笹山溜池公園には、加藤久米四郎の顕彰碑がありました。加藤久米四郎は、明治17(1884)年ここ西方に生まれ、明治33(1900)年、大志を抱いて16歳で上京。明治40(1907)年、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、大正6(1917)年、政界入り。大正9(1920)年に衆院議員に初当選以来、7期連続務めています。先日の美濃街道ハイキングで見てきた「参宮国道碑」は、この加藤久米四郎の書によります(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。顕彰碑は、西方連合自治会により、平成19(2007)年6月に建てられました。この年が、生誕125周年でそれを記念してです。
西方廃寺を見て、西桑名神社の一の鳥居まで戻って、約5.8㎞。そこから、東明山海善寺までは100mあまり。元木観音とも呼ばれているようですが、かなり荒れています。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます。千手観音を安置しているといいますが、覗いたら厨子の中。ここは、古代からの寺院・海善寺の跡地といわれます(くわな史跡めぐり)。
海善寺の境内には、「安永四乙未太夫村 庚申 十二月十七日上講中」と刻まれた庚申塔がありました。安永4年は、1775年。時の将軍は、徳川家治。安永4(1775)年に建てた庚申塔なのでしょう。上部は欠けています。庚申(こうしん)は、もとは道教の守庚申より出た庚申(かのえさる)の年または日の禁忌行事を伴う信仰。庚申の夜には、人の体内にいる三尸(さんし)の虫が、その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ、これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なったそうです。これが守庚申で、日本の民間信仰では庚申待、庚申講となっています。子どもの頃、オヤジから「昔は、庚申さんがあった」と聞いた記憶があります。庚申講の行事だったのでしょう。
これで、この日の目的地はすべて回りました。海善寺で、10時15分を過ぎた頃、スタートして6㎞の直前。このあとは、梅園通を下って、桑名駅西口を目指します。
桑名高校の東、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺のあたりを通って行きます。このあたりは、今年2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねたところ。
ゴールに設定した桑名駅西口には、10時半過ぎに到着。ハイキングで歩いたのは、7.2㎞。7時35分にスタートしましたので、ほぼ3時間。ここで、トリビアを1つ。桑名駅西口の表示、左から、近鉄、養老鉄道、JR東海となっています。これ、東口では、JR東海、近鉄、養老鉄道となっているのです。
東口もそうですが、西口もまだ整備途中。将来イメージの絵が2種類、掲げられていました。左側の写真が、全体像を示した鳥瞰図。変更する場合があると但し書きがありますが、なかなかよさげな雰囲気です。向かって右にあるのは、何ができるのでしょう。駅西地区は、再開発途中。道路を広げるために、桑名三重信用金庫の支店が取り壊されたりしています。これまでは駅西にはさほど用事はありませんでしたが、再開発されると、変わってくるかも知れません。
これにて3月20日の勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」は完。このあと、市内の史跡・歴史巡りは、西別所から蓮花寺あたり、あるいは、多度の御衣野、柚井附近を考えています。
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