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2021年3月28日 (日)

昨日の寄り道は、竹成五百羅漢

Dscn3703c  昨日(3月27日)は、菰野にある社会福祉法人の評議員会に出席してきました。その帰りに、菰野で寄り道。会議に行って帰ってくるだけではなぁと思って、調べたら、案外近いところにあることが分かったのです。菰野は、何度も出かけていますが、もう一つ土地勘ができていないので、近くにあるのか、遠いのかなどがまだ実感できないのです。立ち寄って来たのは、竹成(たけなり)五百羅漢。菰野町竹成にある大日堂境内に多くの石仏があり、地元ではこれを「竹成の五百羅漢」と呼んでいます。20数年前に一度立ち寄った、朧気な記憶があります。

Dscn3681c Dscn3677c  五百羅漢があるのは、大平山松樹院。ご本尊とし2体の大日如来座像が安置されており、大日堂と呼び習わされています。高野山真言宗。創建は不詳ですが、伝承によると弘法大師が、巡教のため当地を訪れた際、自ら彫り込んだ本尊を安置したのが始まりと伝わっています。後、応仁の兵火に遭ったそうです。現在のご本尊の2体の大日如来像は、文明11(1479)年に製作された木造大日如来座像(像高101cm、檜材、寄木造)と、文明13(1481)年に製作された木造大日如来座像(像高101cm、檜材、寄木造)(三重県指定文化財)。

Dscn3687c  この大日堂の境内には、高さ約7mの土の山があり、そこに469体の石の神様と仏様が並んでいます。嘉永5(1852)年2月、竹成出身の照空上人(しょうくうしょうにん、神瑞和尚)が建立を発願されて、桑名の石工、石長こと藤原長兵衛一門の手Dscn3721c により慶応2(1866)年に完成しました。照空上人(神端和尚)は天明8(1788)年5月竹成で生れ、文化9(1812)年出家、 鈴鹿の野登山に登り修行しています。天保8(1837)年頃、神森にある賀保寺の住職となり 同寺を復興、天保12(1792)年、郷里の竹成へ帰村、安政2年4月11日68歳で入滅。野登山には、野登寺があったといいます(勢陽五鈴遺書)。また、神宮山賀保寺は、菰野町大字神森(かもり)にあります。嘉保年間(1094~96年)に創建されたので「嘉保寺」と称したといいます。永禄11(1568)年、信長の兵火で焼失、寛永11(1634)年に再興されたものの、明治初期の神仏分離令で廃寺となっています。現在は、神森地区の集会所兼仏像・仏具保管所となっているそうです(地図を調べると、加宝寺と表示されていることがあります)。

Dscn3709c  石像は、あるいは坐り、あるいは立ち、あるいは空を仰ぎ、その姿はさまざまです。東入口には、大地蔵菩薩と二童子、三蔵法師、弘法大師、南に願主の照空上人像、地獄の炎魔大王と十王、山上には大日如来と四方仏、その前に釈迦如来、普賢菩薩等、北面した所に七福神、役の行者、苦 行の釈迦、中腹に天照大神、猿田彦、羅漢像。神も仏も一緒になって並んでいます。一体一体ゆっくりと眺めていくと、自分自身や、知っている人によく似たものが見つかるとか。

Dscn3694c  大日堂は、明治9(1876)年の伊勢暴動により、災に遇って焼失し、その後、廃仏棄釈により、大日堂と共に衰微し、石像も首を落され、三重の石塔も人手に渡るような荒廃であったそうです。しかし、境内に稲の品種改良に成功して、収穫量の多い「竹成米」を完成させた松岡直右衛門の顕彰碑が建立されて以降、境内も整備されました。この写真は、その「竹成米廣益碑」。大正7(1918)年6月に建立。「竹成米」は、別名「倒十(こけじゅう)」といわれるそうです。肥料を施して倒れるほど実ると、1反当たり10俵の収穫があることから名づけられたとか(こちら)。

Dscn3697c 境内では、ちょうど桜がよく咲いていました。また、藤棚もあり、例年4月末以降、見事な花をつけるそうです。Dscn3701c

 

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