20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その1(桑名駅東口から徳成農園跡へ)
3月20日に行ってきた“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」の本編、その1です。「くわな史跡めぐり」(平成28(2016)年、桑名市教育委員会発行)にあった「駅西コース」を参考に、自分でプランをつくりました。桑名駅から西側は、ゆるやかな丘陵地帯になっており、古代の遺跡もたくさんあります。戦災や伊勢湾台風の被害も少なく、散策に最適なのです。この本は、以前にも書きましたが、ミスが多かったため発行停止になって、そのまま。私は正誤表をいただいて、訂正をしましたが、その過程で、熟読できました(微苦笑)。ケガの功名といってよいかも。
さて、この日のハイキングは、“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”と題しました。全体のコースマップは、この通り。スタート&ゴールは桑名駅に設定。当初つくったコースマップでは、歩く距離は、5.5㎞の計算でしたが、実際に歩いたのは7.2㎞。桑名駅東口をスタートし、桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、徳成農園跡、走井山公園・勧学寺、上野御膳水、上野神社、上野墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城址、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回り、桑名駅西口がゴールです。
桑名駅東口。新しい駅舎、自由通路にもだいぶ馴染みました。ここの前を7時35分にスタート。右の画像は、詳細なコースマップその1。南に進み、三岐鉄道北勢線西桑名駅の前を通過し、3種類の線路幅の踏切を渡って、西へ。桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、諸戸徳成邸跡、徳成農園跡(徳成第一公園内)までのルートが描かれています。上の方には、帰り道も記されていますが、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺は、2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねましたので、この日はパス。
スタートして300mほどのところに、東から西へ順に、三岐鉄道北勢線のナローゲージ、JR関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌と、3種類の線路幅を渡る踏切があります。
自分で撮った適切な写真がなかったのですが、この踏切の南にある跨線橋の上から、桑名駅方向を撮ったのが、こちら。電車も通っていませんし、線路幅の違いもよく分かりませんが……(この写真は、平成30(2018)年4月24日のJRさわやかウォーキングの時に撮ったもの(20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その1)……幅の異なる3線のレール、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠)。この日と似たようなところを歩いていました)。
10分あまりで桑名神明社に到着。スタートからは600mほど。由緒書きによれば、創始は応永年中(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。天正年間(1573~1591年)、兵火のため類焼に逢い、社誌古帳等すべて灰となって、詳細は分からないようです。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時、地域の神社を合祀したといいます。
境内に末社として、八天宮、山の神社、一二三社(稲田の神)(写真、向かって右から)の他、稲荷社があります。八天宮(火産霊神)は、火の神様で火災守護神として、氏子地域では、明治初期からお供えの水を受けて、家屋を清める習慣があったといいます。そのため、町内では火災もなく、戦災にも遭わなかったと由緒書きにありました。
こちらは、稲荷社。お約束のように「正一位稲荷大明神」という幟旗が並んでいます。以前、何かで本当に正一位の位を授与されているのは伏見稲荷大社だけで、他は、伏見稲荷から勧請したため、勝手にそう称しているとか。
桑名神明社の東にある信号を渡って、次の目的地へ向かいます。桑名神明社は、市道に面しており、正面からの写真を撮ろうと思うと、道路の反対側からになります。次の目的地には、少し西に行き、シェルメール桑名東方というマンションのすぐ東にある細い道を南に入って行きます。
諸戸水道水源井。これを見るのは、実は、初めて。前から見たかったところの1つ。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。この井戸は、その水源でした。諸戸水道は、近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。この水源井のすぐ西に貯水池遺構もありますが、ルートの関係で、先にもう1箇所を訪ねます。
蓮華山養泉寺。スタートからは、1.1㎞。真宗大谷派のお寺。願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺です。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年にここに来ています。保育園の工事が行われていたのが、完成したようで、スタッフの方が荷物を運んでおられました。邪魔になるといけませんから、お参りは遠慮しました。
養泉寺保育園の脇の道を戻り、諸戸水道貯水池遺構へ行くのに、細い坂道を登ります。予告編で書きましたが、この日のハイキングではかなり高低差があるところを歩きました。養泉寺付近で海抜5~6m、諸戸水道貯水池遺構あたりは20mほど。桑名駅西側には、階段状の丘の列が、計4段も並び、高低差は30mにも達します。これは、「養老・桑名・四日市断層」が動いた跡だそうです(目崎茂和、古地図で楽しむ三重、風媒社、2016年)。高低差は、丘陵全体では60mにも及ぶといいます。
坂道を登ったところに諸戸水道貯水池遺構があります。初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、延長14㎞にも及ぶ給水管で桑名町周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。上屋は失われてしまっています。
ちなみに、総工費は当時のお金でが約17万円。当時の桑名町財政が1万3千円余であったそうですから、いかに巨額のお金であったかが想像できます。初代清六はこれらを個人で支出したのみならず、水は無料で供給し、維持経費3千円余も負担したそうです。町屋御用水の恩恵を受けていなかった赤須賀が、諸戸水道には加えられたのですが、赤須賀神明神社には初代清六の水道事業顕彰碑が建てられています(左の写真。2013年4月10日の撮影:マヒワ、シロハラと九華公園には野鳥が戻り、久しぶりにアオサギにも接近遭遇……赤須賀神社の諸戸水道顕彰碑も見てきました)。
諸戸水道の共用栓を復刻したものが、桑名七里の渡し公園に2基あります。上述のように55箇所にこの共用栓が設けられ、各戸に水道が引かれていなかった当時の人々は、この栓から水を汲んで自宅に運んだといいます。
さらに、もう少し諸戸水道の話し。拙宅北隣にある諸戸氏庭園内に、この諸戸水道で使われた配水塔が残っています(写真は、2017年6月3日に撮影:諸戸氏庭園 春の一般公開へ【花菖蒲の名前、訂正あります(6/10)】)。煉瓦造りの円柱形の塔が、その配水塔です。
寄り道が長くなりました。講釈、屁理屈好きという悪い点が現れています。諸戸水道貯水池遺構から南に100m足らずのところに万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。「桑名市史 本編」によれば、天正の頃、美濃高須城主・徳永左馬助正重が田地を寄附して一宇を建立したとあります。薩摩義士・和田善助の墓があるというのですが、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、ついつい遠慮し、山門あたりと、本堂の写真を撮っただけ。個人的には、寺社仏閣は、いろいろな人にオープンになっていた方がありがたい気がします。
山門の南側に「豊川陀枳尼真天」と刻まれた門柱が対になってあります。「陀枳尼天(だきにてん、荼枳尼天とも表す)は、仏法の守護神。元来はインドの魔女でサンスクリットではダーキニー。密教では人血骨肉をくらう像で描かれたのですが、民間信仰では福神の宇賀神、弁才天、稲荷神とも同一視され、愛知県豊川市の豊川稲荷が有名です。
この門に向かって左に「故陸軍歩兵一等卒/上等兵服部?太郎碑」と句碑が並んで建っています。句碑には、「自家底の夜明けに蓮の花見哉」とあります。「壽仙 松枝米楽」の句なのですが、調べても詳細は不明。「くわな史跡めぐり」にも、「米楽句碑 自家底の夜明けに蓮の花見哉」とあるだけ。
長禅寺からいったん諸戸水道貯水池遺構の方へ戻って、徳成農園跡に向かいました。途中、諸戸徳成邸跡があったところを通るのですが、以前も書きましたように(2020年8月17日:39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)、すっかり高級住宅街に再開発されています。諸戸家墓所はそのまま残っています(右の写真)。諸戸徳成邸は、4年ほど前に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。
徳成第一公園が、徳成農園跡です。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)(嘉永7(1852)~大正13(1924)、明治~大正時代の実業家、貴族院議員)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。公園の中央、西側に「徳成農園之記碑」が建てられています。大久保利武(おおくぼとしたけ:慶応元(1865)~昭和18(1943)年、大久保利通の3男で、明治~大正時代の官僚。伊藤傳七と交流があったことが碑文にあります)が識し、斎木蓼渓が書いています。「園芸場を設け農家の副業となるべき果樹蔬菜を研究的に栽培した」ことなどが刻まれていました(桑名市史 補編)。大正11(1922)年4月の建之。
その1はここまで。その2は走井山公園から。
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