20210314勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(下深谷~多度)」(完)
2月27日に、“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び」と題して、桑名市川口町から下深谷まで美濃街道を歩きました(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。このルートは、去年3月1日に歩いたところ(20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編))をもう一度という企画でした。今日は、その続きということで、下深谷から多度までを歩いてきました。同じところを去年も3月6日に歩いています(20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編))。新型コロナウィルス感染症が流行し始め、鉄道会社のハイキング/ウォーキングが軒並み中止となりましたので、「勝手にハイキング」シリーズとして考えたものでした。今回も同級生K氏と二人旅。冒頭の写真は、拙宅玄関先からのいつもの写真。奥に見えている多度山の麓まで行ってきたという次第。今日は風は強かったものの、よく晴れて暖かく、ハイキング日和でした。
こちらが今回のルート。去年3月6日と同じですが、今年2月27日に見残した下深谷の安養寺と、昨年、道を間違えて見られなかった多度・戸津の西田家住宅を見てきた点が異なります。養老鉄道下深谷駅をスタートし、美濃街道をひたすら北上。途中、寺社仏閣、名所旧跡などを見ながら歩いて、7.9㎞。今回の記事は、1回完結の予定。詳細につきましては、上記の昨年の予告編の他、2020年3月8日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その1)……下深谷駅をスタートし、深谷の町を進む」、3月10日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その2)……いくつかの地蔵堂、ナマズの徳蓮寺、倭姫命ゆかりの野志里神社を経て、船着社へ」、3月11日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その3)……戸津の町を歩き、戸津と小山の尾津神社2社にお参りし、多度駅にゴールにて「完」」をご覧ください。
養老鉄道桑名駅を8時45分に発車する大垣行きに乗車します。乗車した車両は、右の写真のように「センロク1600系」。元は近鉄名古屋線を走っていたそうです。下深谷までは2駅。¥260。
下深谷駅には、8時51分着。前回は、ここがゴールでした。ゴールする前に、駅の東にある安養寺にお参りする予定でしたが、下深谷駅のところまで来たら、桑名行きの発車間際でしたので、そのまま電車に乗ってしまったのです。
大寂堂安養寺は、真宗本願寺派のお寺。下深谷部にあった柳ヶ島(やながしま)城主・安藤左京亮季友が、長島一向一揆で戦死したのですが、その末の息子は近江に落ち延び、その後桑名に戻り、出家して了善となり、安土桃山時代(1580年代)に明寂庵を創建。4代目住職のとき、安養寺に改称しています。境内にあった「鬼瓦由来記」によれば、本堂は、江戸時代後期の1800年頃の建物(第6代住職安藤執網(しゅうこう)のとき)。写真をよく見ていただくと、太い金属棒で支えられているのが分かります。
安養寺からいったん下深谷駅の方に戻り、駅の北の細い道を線路に沿って進むと、前回、美濃街道から離れた交差点に出ます。左の写真で中央に交差点が見えています。前回は、右手から来て、直進し、養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺、飛鳥寺に向かったところ。今日は、ここを直進(北に向かう)。奥に、わずかに多度山が見えています。
深谷小学校の手前、JA近くの東側に「和弘(わこう)地蔵堂」。昭和52(1977)年に、幼児の交通事故供養のためにつくられたものだそうです。
深谷小学校の北、スタートから800mあまりのところに、高野山真言宗のお寺、御砂山法光寺。由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社が、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、室町時代に三砂城という城館がありました(玉井四郎左衛門)。
スタートから1.1㎞を超えたところで、小さな川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国征伐に行く途中、御衣野(みぞの;桑名市多度町にある地名。草薙神社という日本武尊を祀る神社があります)で休憩したとき、その庭にこの里の五色の砂を奉ったといいます。この三砂川を越えた西側に地蔵堂。もう少し北にあったものが、明治初期にここに移ったといいます。お地蔵様は3体、薬師如来も祀られています。
森大明神社(もりだいみょうじんじゃ)。スタートから1.5㎞ほどのところ。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命、品田和気命、大山津見神、天照大神。ここは、かつて堺城があった丘陵の中腹で、北伊勢小島大森大明神といったといいます。ここも、室町時代に城館がありました(片岡掃部頭または深谷監物)。長島願証寺の配下にあり、天正元(1573)年に落城しています。
養老鉄道の踏切を越えたすぐのところに2基一対の常夜燈があります。この神社にお参りするには、養老鉄道の踏切を越えていかねばなりません。このあとの明光寺、徳蓮寺も同様。それぞれ専用踏切ともいうべき踏切があるのです。右の写真は、明光寺前の踏切。
その明光寺は、真宗大谷派のお寺。北畠氏が奥州の国司の時、北畠顕家が討たれ、その孫・顕道が奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。しかし、それ以上の詳細は分かりませんでした。山号も不明。
このお寺の山門脇に「天牌奉安地」と刻まれた石碑があります。碑陰には、明治45(1912)年11月に建立されたと記されていました。昨年の記事にも書きましたが、「天牌(てんぱい)」は仏語で、「天子の宝祚ならびに聖寿無窮を奉祷するため、仏本尊前に安置する位牌」。「天子」は、一国の帝王、日本では天皇。「宝祚(ほうそ)」は天皇の位。「聖寿(せいじゅ)」は天子の寿命で、「無窮(むきゅう)」は果てしないこと。明治45年は、7月に明治天皇が崩御されました。大正天皇が即位なさったのですが、わざわざ「明治45年11月」とあるのは、明治天皇に捧げたものなのでしょう。建立者や、位牌を安置したのが誰かなどは書かれていませんでした。境内には、他に、「南無阿弥陀佛」の六字を刻んだ石碑も建っていました。
明光寺を出てさらに進みます。街道の東西には遺跡もありますが、整備はされていないようですから、立ち寄らず。上深谷部と多度町下野代の境あたりに地蔵堂があります。地蔵堂ですが、阿弥陀立像が祀られています。江戸時代のもの(御堂は、昭和61(1986)年に建立)。阿弥陀立像は、上品下生(じょうぼんげしょう)の印を結び、舟形光背をもった石仏です。仏教における九等級の品位を表すことばに「九品(くほん)」があります。上品下生は、その一つ。
下野代駅の近く、スタートから2.7㎞ほどのところにも地蔵堂があります。この地蔵堂は、明治4(1871)年に建てられたもの。お地蔵様は、僧形で左手には宝珠、右手には錫杖を持っておられます。蓮台の下の基台には「三界萬霊」と刻まれています。三界萬霊とは、「三つの世界(無色界(むしきかい:心だけが生きている世界)、色界(しきかい:形質だけの世界)、欲界(よくかい:物質欲の世界))、すべての精霊に対して供養することの大切さを示す」こと。
この地蔵堂に向かって左手に小径があり、それを辿っていくと、養老鉄道線を越えたところに岩井戸、大淀の松株跡を示す石柱、石仏、弘法大師の石像があります。この岩井戸のあたりから扇状地帯の地形、地質の特徴が現れ始め、岐阜県に入ると、壮大な扇状地形を示すことになるのだそうです。石仏は、左の写真で向かって左にあります。板碑(いたび)型に薄肉彫りの石仏。その隣が、弘法大師の石像。向かって右(北側)に建っているのが、「大淀の松株跡」の石柱。岩井戸のそばに巨大な松があったという伝説が消えるのを惜しんだ村人によって明治31(1898)年に建てられたもの。詳細は、昨年の記事をご覧ください。
このすぐ北に、無畏野山徳蓮寺。真言宗東寺派のお寺。先にも書きましたが、このあたりのお寺、神社は、美濃街道からは養老鉄道の踏切を渡らないと行けないところがたくさんあります。さらに、丘陵の中腹やその上に建っていることも多いのです。徳蓮寺も、右のような階段を登っていかねばなりません。
ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちなみに虚空蔵菩薩は、知恵を授けて下さいます。この
寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。ナマズつながりで、秋篠宮殿下も平成17(2005)年にここを訪ねていらっしゃいます。このお寺は、地元自治会の方が管理していらっしゃいます。今日はたまたま、自治会長さんともうお一方が作業をしていらっしゃったので、ご親切にも本堂を開けて、拝観させていただけました。私は、近鉄ハイキングで訪ねたとき見ています(2018年5月21日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完))。詳細はリンク先をご覧ください。同級生K氏は、大変感激していました(微笑)。
徳蓮寺では珍しいものを見つけました。墓地に女性が着物を着た座像があったのです。過去2回行ったときには、気づきませんでした。いったい何なのかは、不明。調べる手がかりがあるのかどうかも、よく分かりませんが、記録の意味で載せておきます。もし、何かお分かりの方がいらっしゃれば、是非ともご教示をお願いしたいと思います。
野志里神社の手前で踏切から回って、無量山延柳寺。真宗本願寺派のお寺です。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗に改宗しています。昔は、野志里神社の東にあったのですが、江戸時代に現在地に移転しています。ちなみに、延柳寺近くには、頌徳碑、道標がありますが、今日の記事では割愛します。
続いて、野志里(のじり)神社。式内社。垂仁天皇の御代の創祀といわれます。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代 宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるところです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神、天児屋根命、経津主神ほか。境内には、「千人塚」や、「伊勢神宮御旧蹟野代之宮」という石碑などがあります。千人塚は、長島一向一揆の時、法泉寺の空明が、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明が戦死者の首を集めて篤く葬ったのが、この千人塚です。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたといいます。さらに、一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたそうです(当時、美濃街道は、神社の東側を通っていたといわれます)。
スタートから4.3㎞あたりで肱江川に行き当たり、肱江橋を渡ります。多度町肱江を通り、戸津へと進んでいきます。このあたりまで来ると、多度山が間近になります。肱江橋を渡ると、肱江川の堤防から階段で降りて、水田の中を通ります。美濃街道は、一部途切れてしまっていて、迂回。本来の美濃街道に戻る手前に菜の花の群生。去年はもっと見事でした。
5.3㎞地点のすぐ西に船着社があります。多度神社別宮の一目連大神が、度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。主祭神は、表筒男神、中筒男神、底筒男神(以上は、いわゆる住吉三神)、大山津見神、火之迦具土神。相殿神は、天津日子根命、気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと;祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一神。払戸大神とは、神道において祓を司どる神で、祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神)。。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。
船着社の先でスタートから6㎞ほど。県道26号線の下をくぐって桑名市多度町戸津に入ります。去年の勝手にハイキングでは、この戸津に入ってから、道を間違えました。「街道」というと、東海道、伊勢街道などを思い浮かべ、もっと道幅が広いイメージがあったのがよくなかったのでしょう。戸津あたりの街道は、これらの写真のような感じで、とても街道とは思えない細い道があります。
西田家住宅。戸津村の庄屋を代々世襲されたお宅です。長屋門と塀を見るのは、去年からの念願でしたが、2年越しに実現。明治生まれの第11代当主・喜兵衛は、宝暦治水(宝暦4~5(1734~35)年の顕彰に生涯を捧げ、「宝暦治水之碑」建立に尽力しました。宝暦治水の当時の西田家当主は、桑名藩松平家の領分桑名郡北部地方の代官職であったことから、工事に深い関心を寄せ、自ら進んで住居を薩摩藩士の宿所に提供するなど、治水工事にも参与し、助言していたそうです(こちらを参照)。
西田家住宅を見てからは、まずは多度川まで。美濃街道はさらに続き、岐阜県境までは、1㎞あまり。岐阜県(美濃国)に入ると、伊勢街道と呼ばれていたようです。多度町内の美濃街道は調べが付いていますが、その先が確認中。K氏とは、美濃国に入って、大垣まで行くと、道中さらにいろいろあるなという話をしています。
多度川から戻って東へ。尾津神社に向かいます。尾津神社は、実は、3社あります。戸津、小山、御衣野の3箇所です。これは、戸津の尾津神社。尾津というところは、倭建命が東国遠征の時、尾津崎に立ち寄り、松の木の下で食事をされ、松の木に太刀をかけて置き忘れて立ち去られたといいます。東国遠征を終えての帰途、ここに立ち寄ったところ、松の木にかけた剣が、そのままであったのを見て、感激のあまり歌を詠んだと伝わっています。その和歌は、古事記にある「尾張に直に向える 尾津前なる一つ松吾兄を 一つ松人に在りせば 太刀佩けましを衣着せましを 一つ松吾兄を」です。なお、尾津崎で休んだとき、もう一振の太刀を持って居られ、それが伊勢神宮で伯母倭比売命から与えられた剣である草薙剣(現在、名古屋の熱田神宮に祀られています)。
延喜式内社。戸津区の氏神様。御祭神は倭建命、稚武彦命(わかたけひこのみこと:第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖)、足鏡別命(アシカガミワケノミコト:倭建命の子)、品陀和気之命(応神天皇)、宇賀魂神、天照大神。倭建命の歌碑があるというのですが、去年は見忘れ。稲荷社に行く途中にある石碑2基のうち、向かって右(右の写真)のものではないかと思います。向かって左は頌徳碑でした。文字ははっきり読み取れませんが、境内をあちこち見て回った結果、こういう結論。他にも句碑などがありますが、それらについては去年の記事をご覧ください。
こちらは、小山の尾津神社。戸津の尾津神社から300mほど西に行ったところにあります。主祭神は、倭建命と足鏡別命。相殿神は、大山津見神のほかに、不詳のご祭神。こちらも延喜式内社と称し、戸津の尾津神社と同様に、倭建命の伝説の地とされています。小山の尾津神社の境内には、西南戦争で亡くなった方を顕彰する石碑があります。「紀念碑」と題され、小山に在住の小林源三郎という方が、徴兵され、明治以降、旧多度村で最初の戦没者となったことが記されています。これについても、去年の記事をご覧ください。これで、今日の目的地は、コンプリート。養老鉄道多度駅に向かいます。
養老鉄道多度駅には、12時45分頃到着。下深谷駅を出て、7.9㎞。小山の尾津神社を出て多度駅に向かっている途中、桑名行きの電車が通って行くのが見えました。これは12時42分発。逆立ちしても乗れません(苦笑)。次は、13時22分発。まぁ、急ぐわけではありませんので、待合室で待機。
13時22分発を待って、乗車。D21編成というそうです(こちらを参照)。平成4年に、当時の近鉄養老線に導入された車両で、養老線初の冷房電車だったようです。桑名までは¥310、13時38分着。今日は、途中、徳蓮寺で30分ほど休憩したのですが、下深谷駅からは3時間50分をかけて歩いてきたのに、桑名まで16分で着いてしまうとは(爆)。
いつものように、桑名駅近辺で食事をして帰ろうということにしたのですが、危うく、昼食難民になりそうでした(苦笑)。駅前、飲み屋さんは多いのですが、ランチ営業をしているところは少なく、営業していても、ランチは14時まで、13時半にオーダーストップというところが多いのです。マンションが林立しているのですが、商業ビルを誘致して欲しかったと思います。その意味で、桑栄メイトは貴重でした。結局、サンファーレにあるなないろ珈琲へ。ごくたまにやって来ます。といっても一人ではなく、友人来訪、来客、面談などのとき。
チョイスは、牛すじカレーランチ。サラダ、ドリンク付きで¥980。ここは、珈琲はもちろん、紅茶も美味しいお店。食べ物は、カレー、サンドイッチなどがあります。以前、カレーを食べて美味しかったので、今日もカレー。牛すじを煮込んであり、絶品。これが¥980とは、値打ち。ちなみに、このお店で初体験がありました。それは、右の写真。透明アクリル板製のパーティション(というのでしょうか?)。GoToEatに参加する飲食店では、守るべき感染症対策の1つになっているようです。
本日の歩数は、こちら。いつものスマホのアプリ「ALKOO」で、20,970歩。現地で歩いたのが7.9㎞、桑名駅往復が2.5㎞(ランチを求めて歩き回りましたので、若干多い)、合計10.3㎞。よく歩きました。ということで、今日の勝手にハイキングは、去年も歩いたコースですので、1回完結。長くなりましたが、ご容赦あれ m(_ _)m
【書き忘れたことを付記(3/15)】 下深谷あたりでは、美濃街道の西の丘の藪から、何ヶ所かでウグイスのさえずりが聞かれました。今シーズン初めてでした。ただし、まだまだ練習が必要な鳴き方です。また、街道沿いではあちこちでさまざまな花が楽しめました。梅、サンシュユ、菜の花、ハクモクレン、シモクレン、などなど。写真は、その一つ、レンギョウと思います。
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コメント
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ひらいさん、おはようございます。
昨日は、友人と美濃街道を下深谷から多度まで歩いてきました。
ほぼ養老鉄道線沿いですので、時折通過する電車も見ていました。
御衣野の尾津神社は、下野代駅の西数百メートルのところにあります。
私もまだ訪ねたことはありません。
日本武尊尾津前御遺跡となっています。
養老鉄道で多度から下深谷は、たったの10分でした(苦笑)。
途中30分ほど休憩して、結局、4時間近くかけて歩いたのに……というところです。
養老鉄道や、三岐鉄道北勢線は、いかにも電車に乗っているという感じがしますので、好きな路線です。
機会をつくって乗ってみようと思いますし、多度から先にも出かけようと考えています。
ところで、桑名駅前は、桑栄メイトが閉館してしま、食事をするところが激減しましたね。
駐車場の問題がありますが、駅前に商業施設がないと不便です。
投稿: mamekichi | 2021年3月15日 (月) 06時34分
mamekichiさん、こんばんは!
本日はハイキングでしたか、自分も撮り鉄時代に何回も自転車で走っているコースですが、鉄道車両しか見てなかったので、船着社と尾津神社(小山・戸津)しか判らないと言う恥ずかしい状態です(笑)。御衣野の尾津神社がどこにあるのかも気になります。
自転車でも結構な距離が有りますので、徒歩だとかなり時間掛かりますね、鉄道利用だと15分程、養老鉄道は赤字経営が常態化しているようですが、便利な路線なので、ずっと存続出来るよう、乗って残そう養老鉄道ですね。
先日自分も九華公園へ行った時、桑名駅前で食事しようと思ったのですが、結局アピタに行ってしまいました、メイトも閉店となってしまい、少しの間駅前は寂しい感じです。
投稿: ひらい | 2021年3月14日 (日) 21時39分